novel

小説349(Love song)

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酒瓶

フォレストシンガーズストーリィ349

「Love song」


1・秀介

「秀介先生って乾さんとなにかあったんじゃないの?」
「なにか……?」
「恋人同士だったとかってことは……」
「あのな、言うまでもないだろうけど、乾さんは男、俺も男だよ」
「知ってるよ。だからなに?」
 大学を卒業して東京で修業をしてから、沖縄に帰って母とともに医院で働くようになった。高校生までは沖縄で暮らしていて、医院の奥が住まいだったのだから、子どものころのサナコちゃんとは知り合いだった。
 六つ年下のサナコちゃんは、俺が沖縄に帰ったときにはすでに結婚していた。沖縄は東京と比較すれば初婚年齢も早く、出生率も高い。二十二歳にして妊娠中のサナコちゃんは、健康診断の名目でうちの医院に遊びにくる。サナコちゃんの顔を見るたびに乾さんを思い出し、彼の話をするので、サナコちゃんは変な想像をしているのか。
 妊婦さんであろうとも新婚さんであろうとも、若い女の子ってのは変な想像をするものだ。
 彼女の顔を見ると乾さんを思い出すというのは、俺が故郷で暮らしていた高校三年生の夏、サナコちゃんが小学生だった夏にさかのぼるエピソードがあるからだ。
 サナコちゃんが学校の友達と海で泳いでいて、東京から遊びにきていた大学生のお兄さんと仲良くなった。サナコちゃんの友達のテツヤという少年が腹痛を起こし、乾さんが彼を背負ってうちの医院に連れてきてくれた。サナコちゃんもついてきた。
 テツヤは虫垂炎で、放っておくと大事になるところだったのだから、乾さんが助けてくれたのだ。医院は休みで母は留守で、俺は高校生だったからなんの役にも立たなかったが、別の病院に運んで事なきを得たのだった。
 その夜、乾さんに手料理をふるまって、高校生の分際で俺も泡盛を飲んで、ふたりで語り合った。
 父親のいない俺は、医者の母に育てられた。乾さんは両親とは親しみが少なくて、おばあさんに育てられたと言っていた。
 金沢出身で東京の大学生の乾さん、五つ年上の彼は俺が見上げるほどに大人らしくて、すこしだけ酔って歌ってくれた沖縄の歌は絶品で、俺も乾さんの大学の後輩になりたいな、と思ったのだったか。今日は暇だから、俺はサナコちゃんにそのあたりを語った。
「俺は沖縄の医大か、東京の大学か、って悩んでたんだよ。翌年には両方受けて、両方合格した。母はどっちに行ってもいいって言った。悩みに悩んで、東京の大学に決めた。乾さんは卒業しちまってたけど、彼のいた合唱部にも入ったんだ」
「そっか、初恋のひとなんだ」
「……あのな」
 冗談を言っているのだと考えることにして、俺は続けた。
「合唱部に入ったら、三沢さんってキャプテンがいた。その三沢さんってのが、乾さんの仲間の三沢幸生さんだったんだよ」
「フォレストシンガーズの、だよね」
「当時はアマチュアだったけど、そうだよ。ものすごーくよく喋るキャプテンで、下級生は知らない本橋さんのものまねをしたりして、ひとりできゃはきゃは笑うんだ」
「あたしも聴いてみたいな」
「聴かせてやりたいよ。俺ももう一回聴きたいな」
 しかし、俺は合唱部の友人たちには、乾さんと知り合いだとは告げなかった。一時はファイヴボーイズを結成していた、長峰、岸本、椎名という同い年の友人にも、先輩の酒巻さんにも内緒にしていた。言うとうるさいから、という口実は、酒巻さん以外はたしかにうるさい奴らだったのだから事実だが、それだけの理由ではない。 話してやるのがなんだかもったいないから? おかしな虚栄心だったのかもしれない。三沢さんにもその話をしたことはなくて、後に乾さん本人にだけは告げた。
「男が男に憧れるってことはあるんだよ。俺にとっての乾さんは憧れの存在かな」
「それは恋とはちがうの?」
「ちがうよ」
「そうかなぁ。憧れが恋に変わるってよくあるよ」
「俺は男に恋はしない」
「そぉ? 先生が独身だっていう理由は……」
 ここで怒るとよけいに疑われそうで、俺は言った。
「サナコちゃんは健康体だ。内科の医者には身体に異常がないんだったら来なくてもいいよ。ちょっとした相談だったら産婦人科で聞いてくれるだろ」
「あたしとは二度と会いたくないの?」
「そうは言ってないけどさ」
「あたしは先生に会いたいんだもん」
 目をうるうるさせているサナコちゃんを見返して絶句していると、彼女はぷっと吹き出した。
「そんな心配しなくていいよ。そりゃあね、先生はうちの旦那とちがって高給取りだし、かっこいいし、背も高いし、うちの旦那より年上なのに若く見えるし、先生と結婚できたらいいだろうなぁ、なんて思った……」
「あのさ……」
「ことはないのよ。あたしが旦那とつきあってたころには、先生は沖縄にいなかったもんね」
「そうだな」
「だからさ、あたしが先生に会いたいのは、フォレストシンガーズの話を聞けるから、乾さんの話を聞けるからだよ」
「ああ、そうか」
 そうに決まっているではないか。
 高校生のときに会った乾隆也は、大学四年生の歌のうまい男だった。大学生のときに会った乾隆也は、アマチュアフォレストシンガーズのメンバー。フォレストシンガーズは俺が大学三年生の年にメジャーデビューしたものの、俺が六年間の医学部を卒業しても、まったく売れてはいなかった。
 フォレストシンガーズが有名になってきたのは最近だろうか。医院に来る女性の患者さんの口から、フォレストシンガーズが沖縄でコンサートやるんだって、みたいな話題が出ることもある。サナコちゃんは友達に、乾さんに会ったことがあると言うとうらやましがられるのだそうだ。
 身近にいる人間の中ではサナコちゃんと俺だけが、若き日の乾隆也と会っている。だからって別になんてこともないのだが、人間は有名人が好きなものなのだ。サナコちゃんの気持ちもわかる。
 秀介、おまえはなにを想像してたんだよ。サナコちゃんの変な想像に呆れる資格はないぞ、ってのか、想像も期待もしていないけど、人妻に口説かれては困るしかないので、真相を聞いて安堵した。
「じゃあさ、ここに来たらいけないんだったら外でデートしてくれる?」
「それはまずいな」
「どうして?」
「誤解されるだろ」
 言わなくてもサナコちゃんもわかっているのだから、ぺろっと舌を出した。
 今日の仕事が終わると、ベランダに上がる。我が家は古い洋館だ。海からの風が心地よく髪を乱す。この髪がなくなっちまう前に、嫁さんを見つけなくちゃな、と思うのだが、俺は親父を知らないので、親父の遺伝ではげるのかどうかも知らない。
 母親と同居していて、看護師さんも俺の世話を焼いてくれて、快適すぎて結婚できないのかもな。乾さんも独身なんですよね、だったらいいよなぁ。俺は乾さんより五つも下なんだから。
 都会の歌手と同じに考えるとはお笑いだが、そんな言い訳をしてみる。ごはんですよぉ!! と呼ばれるまではここで風に吹かれていよう。持ってきていたラジオをつけると、グッドタイミングでフォレストシンガーズの歌が流れてきた。
「ね、乾さん?」
 イントロに続いて聴こえてきた歌声は、乾さんだ。あの日、彼と出会っていなかったとしたら、俺の人生はすこしは変わっていたのだろうか。


2・千鶴

 特に音楽好きでもなかった私は、乾さんを好きになって音楽も好きになった。
 音楽にむずかしいや易しいはないんだよ、好みに合うかどうか、感性に合うかどうか、で選べばいい。好きな曲を聴けばいい、乾さんはそう言っていた。

「Whenever I'm alone with you
 You make me feel like I am home again
 Whenever I'm alone with you
 You make me feel like I am whole again

 Whenever I'm alone with you
 You make me feel like I am young again
 Whenever I'm alone with you
 You make me feel like I am fun again

 However far away I will always love you
 However long I stay I will always love you
 Whatever words I say I will always love you
 I will always love you」

 この歌、好き。イギリスの女性シンガーが低い声で歌う。中年女性かと思っていたら、私よりすこし年上なだけの二十代だそうだ。歌が上手って素敵だな。自分で作って自分で歌うシンガーソングライター。乾さんもそうだけど、そんな才能のあるひとは尊敬してしまう。
 Whenever I'm alone with you
 ふたりきり、あなたと一緒、あなたとふたりきりになりたい。乾さんは私の部屋にも遊びにきてくれない。若い女の子がひとりで男の部屋に来てはいけないと言って、招いてもくれない。しつこくすると叱られる。叱られるのは嬉しいけど、嫌われたくないから我慢する。
 レストランなんかでふたりになるときはあるけど、他にもひとがいるのだから、ふたりきりではない。私が乾さんとふたりだけのような錯覚に浸れるのは、撮影のときだけ。あんなのは虚構なのに。
「しようのない子だね。わがままばかり言ってると……他の人ががいないんだったらな」
「人がいなかったらどうするの?」
「さて?」
「なんだか知らないけど、ふたりっきりになりたいな」
「ふたりきりになったら泣かされるんでもか」
「……意地悪」
 そんな会話を思い出して甘い吐息をつく。乾さんのことを考えていると、頭の中も息もまぶたの裏も、私の全部が甘く甘くなって、セクシャルな想像をしてしまう。はしたない女は嫌いだよ、って言われそう。
 だけど、大人の女性だったら、ふたりきりだったら、はしたないひとだって好きなんでしょ? 私が大人だったら、乾さんにふさわしい大人の美女だったら、抱いてって迫るのに。そしたら抱いてくれる? 遊びでいいから抱いて。
 察しのいいひとだから、そう言いかけようとしたら口をてのひらでふさがれたっけ。それだけで泣いてしまった、千鶴は愚かな女。
「乾さん、会いたいな」
 我慢できなくなって、ケータイを手に取った。アドレスを開いて乾さんに電話をかける。この時間だと乾さんは仕事のはず。仕事の邪魔をするな、と叱られるのでもいいから、声が聴きたかった。
「千鶴、なにか用か」
「……用はないの。声が聴きたかっただけ。怒ってる?」
「いいや」
「レコーディングだったよね」
「ああ」
「忙しい?」
「まあな」
 やはり怒っているのだろうか。乾さんにしてはひどく言葉数が少ない。声がいつもとちがうのは疲れているから? 叱られるのではなくて怒っているのだとしたら怖くて、電話を続けていられなかった。
「乾さんなんか嫌い」
 それだけ言って電話を切った。仕事が終わったらかけてきてくれるだろうか。なんだ、電話を切るときのあの態度は、って叱られたかった。
 幼い恋だとは知っている。甘えたくて頼りたくて、わがままを言ったり駄々をこねたり、聞き分けのない態度を取ったりしては叱られて、泣くのが幸せだなんて、そんな女に乾さんが恋してくれるはずがない。けれど、私はそうしか乾さんとは向き合えない。大人だとは思われていないのだから。
 電話を切って、止っていたCDプレイヤーに新しいCDをセットする。フォレストシンガーズの歌が聴きたいけど、聴くと泣いてしまいそうだから、乾さんが教えてくれた女性シンガーの歌を聴く。ベッドに横たわって、ケータイ電話を見つめる。
「あんたはどうして鳴らないの? 意地悪してる?」
 CDをかけていても聴いてはいなくて、ケータイに話しかける。馬鹿みたい。
「こわれてるの? ねぇ、ケータイの妖精だとか魔法使いとかっていないの? 乾さんから電話がかかってきますように。だって、会いにはいけないんだもの。スタジオに行ったりしたら乾さんは怒るでしょ。怒ってる乾さんは嫌い。優しく叱ってくれる乾さんが好き。だからね、電話してきて。乾さんは嫌い、って電話を切った私を、お行儀が悪いって叱って。乾さん、会いたいよ、声が聴きたい……」
 シーツが濡れていく。なにを言ってるんだろ、馬鹿みたい。みたいじゃなくて、私は本物の馬鹿。
「あ……」
 この着メロはメールだ。乾さん? 恐ろしいような気持ちでケータイを開いた。

「ごめん、俺が勝手にやったわけじゃないんだよ。
 言い訳だけど、乾さんに言われたんだ。千鶴からの電話だ、幸生、手が空いてるんだったら出ろってね。
 それで、乾さんのものまねをしたんだけどね、長い台詞を喋ると、千鶴ちゃんだったらわかるでしょ。
 そのせいでぶっきらぼうなもの言いになっちまった。ごめんね。
 俺は一応、仕事は終了したんだけど、乾さんとリーダーは徹夜で会議だそうです。
 ほんとにごめんね。許してね」

 メールの発信者は三沢幸生。道理で声がすこしちがうと思った。
「あ、そうだ」
 そばにいなくてもわかったのだったら、私からの電話は特別の着メロにしているから? つまらないことだとは思えなくて、それだけでも特別ならば……と単純にも嬉しくなった。乾さんが怒ってはいないのだったら、三沢さんだって許してあげる。


3・幸生

 うらやましいやら癪にさわるやらの感情は当然ある。学生時代にはコイバナなんてちっとも聞かせてくれなかった乾さんが、実は相当にもてるのだと知ったときから、俺は彼をやっかんではいた。
 背は高くて細身で、本橋さんに言わせるとへなちょこボディだそうだが、日本女性はマッチョよりもあのタイプ好きが多いはずだ。細身のほどよい長身にセンスがよくて涼しげなのだから、特別にハンサムでなくても外見だけでももてる。
 その上にあの中身だ。辛辣な皮肉屋傾向もあり、ものごとをまっすぐに見ない傾向もあり、敏感すぎ、深読みすぎ、誰かを嫌うととことん嫌う、などの欠点もむろんあるのだが、それらを補って余りある長所も多々ある。
 長所がひとつもない章とはちがって、乾さんの美点は並べると終わらないので割愛しよう。
 並べだすと終わらないというのもあるが、言ってる俺が陶酔しそうだからというのもある。俺ってなんでこんなに乾さんが好きなんだろ。十九歳からの十五年近く、ずっとおそばに置いてもらえているのが幸せで、僕ちゃん、たまんないよぉ。
 いや、昔はね、俺だって章と同じ年で同じくらい分別がなくて、乾さんを嫌いだと思ったこともあるよ。口答えをしたりして叱られて、ぶたれたこともある。俺はM気質でもあるし、愛をこめてぶってくれるひとは好きだから、乾さんや本橋さんの愛のこもったげんこつや平手打ちは、むしろ先輩への敬愛を深めるのだ。
 仕事仲間になって、時には二十四時間をともにいることもある乾さんを、今では好きでたまらない。その反面、もてすぎて憎らしい気分もまぎれもなくあるのだった。
「乾隆也? あいつは嫌いよ」
 こんなことを言う女性は珍しいので、俺は彼女に近づいていった。
 夜中のバーにいる彼女はソングライターだ。田村ゆめ、マリリンという別名も持っていて、俺よりは十センチほど背が高く、年齢も十ほど上らしいと聞いている。かなり痩せているのもあってとげとげしい美人に見える彼女に、俺は自己紹介した。
「こんばんは、フォレストシンガーズの三沢幸生です。お話ししたことはありませんでしたよね」
「こんばんは。そうね。お近づきのしるしに一緒に飲もうよ」
「はい、嬉しいです」
 聞こえた? と言いながら、彼女は俺に水割りを作ってくれた。
「正直に言います。聞こえました。それで詳しくお話を聞きたくなって。田村さんは……」
「マリリンって呼んで。そうだよね、三沢くんって乾くんの子分みたいなものでしょ」
「そんなものですね」
 弟分を自認しているのだから、子分でも似たようなものだ。
「私はレズではないからね」
「そうですか。よかった」
「なんでよかったの?」
「レズビアンだったら俺には振り向いてもらえないでしょ。男として寂しいですから」
 うまいこと言って、と言いたげな目で見て、マリリンさんは俺のおでこをつついた。
「誤解されたくないから言っておいただけ。で、三沢くんは私がなぜ乾くんを嫌いなのかを訊きたいわけだ」
「それだけではなくて、あなたと同席させていただけるのは嬉しいです。どんな話でもいいからして下さいね」
「口がうまいわね。私はあなたのことはよくは知らなかったんだけど、可愛いじゃない」
「よくそう言っていたたげます」
 おまえは可愛い奴だな、と男はまず口には出さないが、思っているのはわかる。変な意味ではないんだったら男に可愛いと言われても嬉しいし、変な意味だったとしても、女に可愛いと言ってもらえれば無条件で嬉しい。マリリンさんは細い煙草をくわえて言った。
「あなたたちが番組を持ってるラジオ局で、私もレギュラーを持ってるの」
「マリリンさんのほうが早い時間に、番組がありますね」
「そ。だからたまに、喫茶室で会ったりするのよね」
「お顔を見かけたことはありますよ」
 煙草に火をつけてさしあげると、マリリンさんは続けた。
「乾隆也はあんただのもうひとりの若い子だのに説教してるでしょ」
「木村章ですか」
 若い子ではないが、マリリンさんからはそう見えるのだろうか。
「そんなときに漏れ聞こえてくる説教の内容よ。正義の味方ぶってるっていうのか、正論ばっかりで鼻白むってのか、だんだんだんだんあいつを嫌いになったの。外見的にも嫌い。私はもっとマッチョな男が好きなんだから」
「俺も駄目ですね」
「あんただの木村くんだのは坊やにしか見えないわ」
 要するに、すべてに於いて乾隆也はマリリンさんの好みに合わないと。そんな女もいて当然であろう。俺は世界中の女性に好かれたいが、乾さんはそうは思っていないはず。俺だって実際問題、世界中の女性に求愛されたとしたら、半分以上にはお引き取り願わないといけない。
 十八歳以下はお断り。なんぼなんでも六十歳以上もお断りしたい。五十代だったらいいのか? うん、ベッドでおつきあいするんだったらいいかもな。
 世にも下らないことを考えつつ、マリリンさんに微笑みかける。彼女が嫌いな乾隆也像を覆すのは可能だろうか。俺はマリリンさんに議論で勝てるだろうか。勝てたとして、マリリンさんが乾さんに惚れてしまったらどうする? 乾さんには迷惑だろうか。
 それに、ライバルを増やしてどうするんだ、って話でもある。ユキのライバルではなく、あっちにもこっちにもいる乾さんに恋する女性たちのライバルだ。マリリンさんを論破して乾さんに恋されてしまっては、奈々ちゃんや千鶴ちゃんやその他大勢の女性に恨まれそうだ。


4・瑛斗

 デビュー曲からしてアホみたいというか、恥ずかしいような歌を与えられた。僕はアイドルシンガーだから、歌なんか下手でもいいんだと開き直っていたが、それでもレッスンは必要だという。いやだなぁ、レッスンは嫌いだよぉ、と文句ばっかり言って、マネージャーの木田さんに怒られた。
「乾さんにだって言われたんだろ。瑛斗くんはたしかに歌は上手ではないけど、上手ではないなりにしっかりレッスンをして、瑛斗くんとしては最上の状態の歌をファンのみなさまに聴いてもらうんだよ。そのためにはレッスンしなさい。さぼったりしたら乾さんに叱られるよ。言いつけていいの?」
「卑怯者ーっ!! 言いつけてばかりいたら、木田さんだって乾さんに叱られるよ」
「あなたが面倒を見てるシンガーなんだから、自分で叱りなさいって? 瑛斗くんは僕の言うことは聞かないんだもんな。乾さんに……」
「わかったよ、レッスンに行けばいいんだろ」
 大人はずるい。木田さんは僕の弱みを知りすぎている。
 もうじきファーストシングルをリリースすると決まっていたころ、ラジオに出演した。木田さんはついてきていたが、うざったいので逃げ出してちょっとさぼって、自動販売機で缶チューハイを買って飲んでいたら、どこかのおばあちゃんに怒られた。
 うるせえな、くそばばあ、と言ったのを聞かれて、どこかのおじさんたちにも叱られた。
 おばあさんは春日弥生さん、おじさんたちというのが、フォレストシンガーズの本橋さんと乾さんだった。木田さんに怒られたってなんとも思っていなかったのに、乾さんに叱られるとこたえる。怒られると叱られるの差なんてものまで考えるほどだ。
 それからは木田さんはなにかといえば、乾さんに言いつけるよ、だ。本当に言いつけたりもするのだから、乾さんに会うとなにかと叱られる。怒られるのも叱られるのも大嫌いだったはずなのに、乾さんにだったら嫌いではないっていうか、好きでもないけどさ。
「瑛斗くんの教育には、乾さんを持ち出すのが一番ですから」
「躾のためだったら使ってくれてもいいですよ」
 木田さんと乾さんはそう言い合っていた。
 いやだけど、僕はシンガーなんだもの、しようがないよな、ってわけで、今夜は僕に歌の指導をしてくれている先生の家にやってきた。指導も乾さんだったらいいのだが、先生は作曲家のおじいさんだ。
 ピアノに向かう先生の指示で発声練習。先生が作った独自のプログラムでレッスンが進んでいく。つまらなくてたまらない。早く帰りたくてたまらない。先生もめんどくさそうで、お金をもらえるから渋々やっている感じだ。先生はいつだってこんなふうで、今日もピアノの手を止めて言った。
「瑛斗くんは下手だなぁ。音痴ってほどでもないんだろうけど、歌の才能はないんだよ」
「知ってるよ」
 下手だと自分で知っていても、他人に言われたくない。だからどうすりゃいいの? レッスンなんかやっても無駄だからやめろと言いたいの? 先生はそうは言わず、うっとうしそうにため息をついてピアノに戻った。
「ちがうって言わなかったかな」
「……そうだったかな」
「何度言っても覚えない。きみは学校でもそんなの? 成績もよくないのか?」
「勉強は真面目にやってないから」
「そんな中途半端ではね、アイドルなんてものは生命が短いんだから、売れなくなったら……まったく……私も暇じゃないんだけどな……瑛斗くんに教えてると寿命が縮みそうだよ。……はぁ……まったく……うちの孫もこんなだけど……まったく……近頃の若いのは……まったく……」
 まったく……ぶつぶつ、と果てしなく愚痴が続く。くそじじい、うるせえんだよっ!! と怒鳴ってやりたくなったのを我慢して、僕は部屋から出ていった。今夜は木田さんは来ていないので、メールした。

「先生と喧嘩した。今日は帰るよ。
 乾さんに言いつける? それでもいいけどね」

 本当のことだから、僕は勉強だって得意じゃなくて、歌も下手で、姉がアイドルのオーディションに応募したら合格してしまったというただそれだけで、なりゆきでアイドルになってしまったから、なにごとも中途半端なんだ。わかっているだけに、先生にああ言われると悔しくてならなかった。
 
「わかったよ。先生には僕からお詫びを言っておくから、今日は帰りなさい。
 寄り道しないようにね。話は明日しようね」

 返事が届き、木田さんは優しいなぁ、と思う。木田さんは優しくて僕にはなめられているから、きびしい乾さんに告げ口するのだそうだ。
 まっすぐ帰る気にもならなくて、タクシーに乗って「落花流水」に行ってほしいと頼んだ。アイドルってものは一般人の集まる店に行くと騒がれる。僕はまだスターにはなっていないが、鈴木瑛斗を知っている一般人は大勢いるから、下手に若い子に囲まれたら大変だ。
 その点、「落花流水」はフォレストシンガーズのおじさんたちが卒業した大学の先輩がやっている喫茶店で、有名人が来店すると臨時休業にしてくれると聞いていた。この時間だったら僕のファンである若い女の子たちは外にはいない。不良以外は家に帰っているだろうからもあって、行く気になった。
 はじめて入る店にはギターのメロディが流れていた。カウンターにいたおじさんが顔を上げて僕を見る。他のお客はひとりもいなくて、店内にはおじさんだけだった。
「えー、あなたは……芸能人ですよね」
「うん、知ってる?」
「なんとなくは……今夜は閉店にしようかな」
 おじさんが出ていって戻ってきて、尋ねた。
「いらっしゃいませ。なににしますか」
「おなか減ったな。チーズトーストとカフェラテ」
「はい」
 このひとがマスターか。フォレストシンガーズの大学の先輩。僕には三十歳以上の大人の年齢はわかりにくいが、乾さんよりは年上だと言われればそうかと思える容貌の、でも、かっこいいおじさんだった。
「鈴木瑛斗。十六歳だからお酒は駄目だよね」
「法律で禁止されてますから、あなたに酒を出すと営業停止処分になっちまいそうですね」
「だよね、これ、なんて曲?」
 チーズが焼ける香ばしいかおりの中で、おじさんが教えてくれた。
「鈴木くん……」
「瑛斗って呼んで。僕は乾さんの……なんなんだろ。おじさんは乾さんより年上なんでしょ。だからさ、瑛斗って呼んでもらいたいな」
「お望みならば。瑛斗くん……瑛斗だったら生まれてもいないころのロックだよ。俺はロックだったらなんだって好きですね。これは、SILLY LOVE SONGS」
「ロックってそんなにいろいろあるの?」
「いろいろっていうのか……ジャンル分けは無意味かもしれないな」
 今夜は夕食がまだだったので、出てきたチーズトーストにかぶりついた。
「うまっ」
「やばっ、とか言うんでしょ」
「乾さんが新曲を聴かせてくれたときに、やばっ、かっこいいっ、て言ったら、変な言い回しを使うなって言われたよ」
 名前だけは知っているビートルズにいたという、ポール・マッカートニーの曲が流れている。カフェラテを飲んでチーズトーストを食べて、足りないからピラフも注文した。
「おじさん、料理が上手だよね」
「ありがとうございます、商売ですからね」
「乾さんも料理、上手なんだよね。前に僕、フォレストシンガーズのプロモに出たんだよ。そんで、みんなで山にあるスタジオつきの別荘に行ったんだ。デューク・スミスって歌手の山荘なんだって。知ってる?」
「三沢くんが来たときに聞いたよ」
 フォレストシンガーズはみんな、この店に来ているのだそうだ。
「乾さんがキッチンを借りて、チャーハンを作ってくれた。和風チャーハンだったよ。しらすだとかアナゴだとかが入ってるんだ。うまかったよ」
「このキッチンでも、乾くんとチャーハンのコツについて練習したよ」
「うん、やっぱこっちのほうがうまいよ。おじさんのピラフ、やばい」
 声を立てて笑ってから、おじさんは言った。
「十六歳の芸能人って、ひとり暮らし?」
「マネージャーと一緒に住んでるんだ。早く帰らないとうるさいんだけどね……今ごろ、乾さんに言いつけてるんじゃないかな」
「きみは乾、乾って……」
 今度は苦笑いになる。言われてみれば本当だ。ここに入ってきてから、乾さん、乾さんばっかり言っている。別に会いたくなんかないよ、木田さんがもしも言いつけたとしても、乾さんだって仕事があれば来てはくれられない。僕がここにいるってことも、乾さんは知らない。
 マスターに頼んでみたら、彼は乾さんに告げ口するんだろうか。十六歳の坊やがこんな時間にひとりでいるよ、乾くん、迎えにきてやってくれ、って?
 そんなのいらないよ。僕はひとりでここで反省するんだ。本当のことを言われて悔しくて、先生の家から飛び出してきてしまったなんて、よくないことだったと知っている。乾さんに叱られるまでもなく反省して、明日は木田さんと一緒に先生にあやまりにいこう。
 そうできたら、乾さんは褒めてくれるかな。詫びるのは当り前だろ、って言われるかもしれないな。ひとことでいいから、おまえもすこしは大人になったな、って褒めてもらいたかった。

END



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