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小説344(十九歳だった) ①

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フォレストシンガーズストーリィ344

「十九歳だった」①


1・丈人

 月の文字のつく姓の彼女、俺の姓は星。月と星は親しくなるのが当然だと理屈をつけて、俺は水無月優衣に接近していった。
 彼女は俺を好いてくれていたはずだ。けれど、彼女を好きな男がいた。
 水面に映るクレッセントムーンのようにはかなげで、「コスモスの君」とも呼ばれていた優衣を好きな男は、おそらくは他にもいただろう。俺とは無関係な男だったならば、そんな奴らは排除して突き進む。
 大学の合唱部で仲良くなった高倉、渡嘉敷、そこに優衣と俺とが加わった混声コーラスグループの高倉誠、彼が優衣に恋をしていると知り、優衣の心が乱れていると知り、俺は彼女に言った。
「どうせ俺なんかは、優衣ちゃんに好いてもらったとしても……これはたとえ話だけど、優衣ちゃんが俺を好きになってくれたとしても、俺にはほうぼうにちょいとつきあってる女だったらいるし、って感じで、格好をつけておこうかな」
「……いるの?」
「いるよ」
 あのころの俺は、女ではなく男同士の友情を選ぶのがかっこいいとでも思っていたのか。
 過ぎ去ってからはるか遠くを振り返れば、十九の俺がいる。すこしずつ形がちがっていて、すこしずつは似ている恋が、女が、過去の俺を空気のごとくに取り巻いている。俺だけではなく、十九の男や女にはきっと同じようでいて、すこしちがったそんな経験があるだろう。


2・隆也

 十九歳といえば俺は大学生で、あの大学の合唱部の二年生だった。一年生の年のキャプテン、副キャプテンの高倉さんと渡嘉敷さん、それから、星さんも卒業して、俺たちが二年生の年のキャプテンは金子さん、副キャプテンが皆実さんだった。
 大学生になると周囲の恋模様ってやつが賑やかになる。友人たちの恋、本橋とゆかりちゃんだったり、ミエちゃんと星さんだったり、一年生のときにぱっと燃えて、短期間で消えた恋。俺にも同様の恋があった。
 二年生になった俺には恋人はいない。学生の本分は勉学であって、俺には「歌」ってものもあるのだから、恋にばかりうつつを抜かしていてはいけないとの考えもある。しかし、恋は若者の人生を彩る最重要な要素だ。
「恋がしたいな」
 高校二年のバレンタインに告白されて、初に女の子とつきあった。あの恋は幼くて純だったから、彼女とはキスだけしかしなかった。彼女の身体を包む愛らしいセーラー服を脱がせて、生まれたままの姿になった彼女を抱きしめたい。
 そんな妄想をしては赤面して、いけないいけない、大切な大切な女の子をこんな妄想で汚してはいけない、と自分を叱っていた。
 妄想だけで女の子と抱き合っていた俺に、はじめての行為をさせてくれたのは香奈だ。去年の恋人、香奈。彼女はきっと、「させてくれた」などと言うと怒るだろう。愛し合い、抱き合い、求め合い、キスもセックスもかわし合って、そして別れたひと。
 感情過剰傾向のあった香奈は、よく怒った。俺の不用意なひとことに腹を立てた香奈が投げたガラス瓶に怪我をさせられたこともある。そのときだったか、俺ははじめて、女性をこの腕に抱いて歩いた。
 祖母や小さな女の子だったらおぶったこともあるが、同じ年の、少女の域を脱しかけている美しいひとに顔を近づけていくと、香奈が目を閉じる。俺の腕が自然に動いて彼女を抱き上げて、ベッドに運んでいった。
「怒ってないの?」
「すこしは腹も立つけどさ、俺が悪いんでしょ。香奈、ごめんね」
「なんだって乾くんはそうなの?」
「うん、俺はこうなんだよ。ごめん」
「どうしてあやまるの? 私が悪いんだよ」
「喧嘩ってのはどっちが悪いんでもないんだよ。待ってて、掃除してくるから」
 ふたりで掃除をして、ベッドで抱き合って、くっついていないところげ落ちてしまいそうに狭いベッドで、俺は香奈の小柄な身体を抱いていた。
「女の子には優しくしないといけないんだよ、っていつもばあちゃんは言ったよ。俺はそんなには優しくないかな」
「ううん、優しいよ」
 優しすぎるから、あなたはものわかりがよすぎるから、それが香奈の別れの言葉。
 ものわかりがよくて優しい男は、女の子には嫌われるんだろうか。女ったってみんながみんな、そうではない? 死んでしまった祖母に質問しそうになる自分を押しとどめて、自らの手で、自らの頭で、恋を、女性を知りたいと考えていた。
 そのひとつの手段が「歌」。詩を書き、曲を書き、歌う。積み重ねていって歌うまでのプロセスもまた、恋を、引いては人生を知っていくためになるのだから。


3・将一

 ハープを教えてくれた年上のひと、去年、大学一年生だった俺の手に手を添えて、優しく指導してくれたあつみさんに、俺は恋をしたのか。
 あつみさんは俺の告白をはねつけ、退学してしまった。あれは俺のせい? 俺には恋愛は向かないんだろうか。無益な考えに浸りこんでいると、窓から外を見ている沢田愛理が目に入ってきた。彼女は時おり、俺を見ている。
 見ている? たまたまだろ。自惚れている俺が面映くなったので、あくびをしてごまかしたら、愛理の手が動いた。
「おっと……」
 素早く身をかわしたものの、シャツがびしょびしょ。愛理が俺に水をかけたらしい。手が動いたのは、花瓶を持ち上げて水をぶちまけたのか。
「……誰か泣いてる? 沢田さん? どうした?」
 はじめて気づいたふうを装って、俺は窓辺を見上げた。
「花瓶の水を……私がやったんです。金子さんがそこにいるって知らなかったんだもの」
「それで泣いてるのか。いいよいいよ、こんなの。自然に乾くよ。怒ってないから泣かないで」
「怒ってたくせに」
「誰かがわざとやったのかと思ったから、すこし腹立たしかったんだけど、そういうわけだったら怒らないよ。俺には妹がいてね、高校二年なんだけど、そのリリヤはわざと俺に水をかけたりする。それを思い出したんだよ。リリヤがここにいるわけがないんだから、わざと俺に水をかける人もいるわけがないんだよね」
「わざとしたんだったら?」
「沢田さんが?」
 そんなこと、するはずないよね、するはずないよ、と言い合って、じゃあね、また明日、と愛理に手を振った。
 大学二年生になった今春、キャンパスで出会った一年年下の女の子だ。豊満な身体つきで美しい声と容貌を持っていて、その声に惹かれて、合唱部に入らない? と勧誘した。金子さんに誘われたから、放送部に入るつもりだったのに合唱部になっちゃった、と彼女はいつも言う。
 悪いのは金子さんなんだから、金子さんのせいなんだから。
 いつもそう言って、彼女は俺を詰る。なんだって俺が悪くて、責任取って、と言いたげで、些細なことで泣く困った女の子だ。
 気がつくと視界の中にいることの多い愛理は、俺が彼女を合唱部に引っ張り込んだのを恨みに思っているのか? だから、なにかといえば俺に因縁をつけて、なにかといえば泣くのか? 男だったら対決するかもしれないが、可愛い女の子は因縁をつけてきても可愛いのだから、怒る気にもならない。
 学校から出ていって早足で歩き、カフェに入る。この店は大学からは遠く、渋いムードなので学生好みではないのか、知り合いには会ったことはない。それゆえに俺がなじみにしているのだった。
「いつもの?」
「お願いします」
 いつもの、で通じる、この店のオリジナルブレンドコーヒーを運んできてくれた、ウェイトレスのミナちゃんが囁いた。
「いつもの、も?」
「あなたさえよかったら」
「あたしのせいにしないでね」
 こちらの、いつもの、は、キスだ。十九歳になったころから、俺はゆきずりの女性とキスするようになった。ただし、キスだけ。
 失恋して捨て鉢になったというのでは決してない、キスは俺の楽しみだから。
 結局のところ、俺は楽しみでキスをするか、妹のような沢田愛理と触れ合うか、実の妹と半分は喧嘩みたいに関わっているか、それがいいのだろう。いつまでもこのままではいたくないとは思うが、もしも永遠にこうだとしても、それはそれで仕方ないのかもしれない。


4・章

「俺さ……大学、やめようと思ってるんだ」
 こんな告白は、女の子につきあってくれと言う以上に緊張するものだ。片瀬美耶子、みんなにミャーコちゃんと呼ばれている合唱部の女の子に俺は打ち明けていた。
「やめるの?」 
「うん。もともと大学なんてどうでもよかったんだよ。東京に出てきたくて、大学生になろうとしただけなんだ。俺は稚内の生まれで、すっげえド田舎なんだよな。あんなところでくすぶってたらロッカーになんかなれっこねえだろ」
「合唱部もやめるんだよね」
「当然じゃん。合唱部だって俺にはつまらなかったのに、大学は中退して合唱部にだけいるって、そんなの、おかしいだろうが」
「そうだろうね」
 合唱部には男の友達だっている。すこしは親しくしている先輩もいる。男ではなく女の子だけに打ち明けるとは、俺らしかったかもしれない。
「最近、ロックバンドをはじめたんだよ。ジギーって言うんだ。ライヴハウスで仕事もしてるから、見にこない?」
「私が行ってもいいの?」
「ライヴハウスったってちっこい店だよ。仕事してるってほどでもないかな。うちのバンドのリーダーみたいな奴が、必死で売り込んで仕事をもらってきたんだ。俺は学生だから売り込みに協力もできなくて、仲間に白い目で見られるんだよな。これからはロッカー一本になって、ばりばりやるからさ、ミャーコちゃんも見にきてよ」
「どうして私なの?」
「なんつうか……あのさ、その……」
 やっぱ言わなくちゃ。口ごもってから、俺は肝心要の台詞を口にした。
「ミャーコちゃんは俺をあんまり知らないだろ。俺もきみをあんまりよくは知らないんだけど、タイプなんだよな。俺とつきあってくれない?」
「つきあう?」
「俺の彼女になって。OKだったらこの店に来て」
 呆然としてしまっているらしきミャーコちゃんにメモを渡し、彼女を合唱部室の外のベンチに残したままで、俺は小走りでその場から立ち去った。
 背の低い俺よりもさらに低くて、細いけれど俺みたいに骨々はしていなくて、女の子らしく可愛い顔をしている。性格は彼女にも言った通り、あまりよくは知らないけど、合唱部では一の友達の三沢幸生がミャーコちゃんと親しくしているので、噂は聞いていた。
「打てば響く台詞で応酬してくれるんだから、頭のいい聡い子だよ。俺の話術についてこられるってか、超越までしてしまうんだからたいしたもんだね。章だったら負けるだろ」
「ってことは強すぎるんだな。俺には向かないかな」
「おまえにはミャーコちゃんはもったいないよ」
 もったいないとまで言うのだから、幸生もミャーコちゃんを買っている。もっとも、あいつは女を悪くは言わない奴なのだが。
 そんな幸生とは二度と会うこともないだろうが、ミャーコちゃんとは会いたい。恋人になりたい。男友達なんてものはロックの前ではどうでもいい存在に等しいが、大学で知り合って好きになった女の子とは、中退しても縁を切りたくなかった。
 ミャーコちゃんとの約束の日、俺は「ロフォフォラ」というライヴハウスに来ていた。
 ミミ、ローザ、マリ、スー、それから俺、女の中に男がひとりのロックバンド、ジギーが、俺が大学をやめることになった一番の原因だ。そのせいで親父が逆上して、おまえなんか勘当だーっ!! おまえなんかはもう息子じゃないっ!! と叫んだのも、仕方のないことだった。
 両親にはもうひとり息子がいるんだから、あとは頼んだぜ、龍、ってなもので。
 勘当されたのだから仕送りも止められてしまったが、学校を辞めれば時間は潤沢にある。ロックに生きて、余暇はバイトすればいい。
「アキラ、来たよ」
 ジギーのファンは女の子が大半で、彼女たちはたいていが楽器をやっている女のメンバーのファンだ。中には希少なアキラファンもいるにはいて、俺はその子たちには声をかけまくっていた。
「ロフォフォラのライヴ、聴きにきてね」
 その中のひとりだろう。名前は思い出せないケバい女の子が、うふうふっと笑っていた。
「ありがとう。楽しんでいけよ」
「あたしは約束を守ったんだから、アキラも約束、守って」
「約束なんかしたか?」
「したじゃないよ。してくれないんだったら帰るから」
 オーディエンスが減ると仲間たちに怒られる。俺はその子に引っ張られるままになった。
「約束ってこれ?」
 ライヴハウスの横の路地に連れていかれると、その子が目を閉じて顔を上向ける。彼女も小柄ですんなりしていて、このけばけばメイクを薄くすれば可愛い顔をしているのだろう。デブやブスだったら逃げるところだが、このくらいだったらOKだ。
「きゃ」
 てめえが誘ったくせに悲鳴を上げる彼女を抱きすくめて、くちびるを合わせる。ミャーコちゃんともこうしたいな。ミャーコちゃんが来てくれたら、ステージで彼女のためにラヴソングを歌おう。そして、今夜のうちにはここまでは進みたい。
 その先は……うん、今夜、来てくれさえすればいいほうへ進むさ。
 ミャーコちゃんだけじゃなくて、俺のロック人生も好転していくはず。腕の中にいる女の子の身体は意識から遠ざかり、俺はミャーコちゃんのいるロッカーとしての将来を思い描いて、ふわふわーっとしていた。


5・國友

 どうしたって較べてしまう。
「いくらキャプテンだからって、そんなにもびびらなくてもいいんじゃないの? 酒巻くんがそんなだから、あいつに言いたい放題言われるんだよ。しっかりしてよ。泣いてるの?」
「泣いて……ません」
「声も震えてる。いいから泣かないの。泣くなってばっ」
「……は、はいっ!!」
 公園でデートしていたら、去年の合唱部のキャプテンだった本橋さんに見つけられて、女子供がこんな時間にこんなところを歩いてるんじゃない、と怒られた。
 たしかに僕はびびりまくっていて、涙もちょっぴりこぼしていた。そんな僕を呆れ顔で見据えて叱ったひと、好きだったひと、年上のひと、美江子さん。先輩に怒られたからってべそをかいていた僕なんかは、美江子さんに捨てられたのは当たり前だった。
「さっちゃん、好きだよ。ね、いい?」
「うん」
「あのね、僕ね、はじめてなんだ」
 あれから一年、十九歳になってできたふたり目の彼女はさっちゃん。美江子さんは三つ年上で、さっちゃんはひとつ年下だ。
 初体験が風俗だという男性は多いが、僕は大好きな女性と抱き合えた。さっちゃんは全然はじめてじゃなさそうだったけど、僕が遅れているだけなのだから気にしない。160センチもない小さな身体、体毛も筋肉もない子どもじみた身体の僕は、同じくらいの背の高さのさっちゃんを、一生懸命抱きしめていた。
 大人だった美江子さんと、子どもすぎた僕。
 子どものまんまの僕と、同じく子どものさっちゃん。比べちゃいけないのに。前の彼女と比較されるなんて、恋人がいやがるのは当然なのに。
「酒巻くん、今日はどこに連れていってくれるの?」
「散歩しようよ」
「散歩しておなかをすかせて、おいしいものを食べにいくの?」
「そうだね」
 本橋さんは大学を卒業したから、こんなところにはもう来ないのかな。さっちゃんと夜の公園を歩いていても、本橋さんに見つけられるってことはないのだろう。
 ふたり目の恋人と、手をつないで公園を歩く。さっちゃんは僕の横で、小鳥みたいに可愛い声で喋っている。相槌を打っていて気がついた。前方のベンチにすわっているおじさんがいる。あれが酔っ払いだったとしたら危険だ。
「さっちゃん、こっちから出て食事に行こうよ」
「あっち、遠回りだよ」
「たくさん歩いておなかを減らそう」
「変なの」
 明るく笑うさっちゃんが好きだった。だけど、さっちゃんは僕を仮の彼氏みたいに言う。彼氏がいなくて寂しいから、酒巻くんなんかとつきあってあげてるんだ、と言われては、僕だって怒ってしまった。そんなこと、思ってても言わないものだよ、とたしなめると、さっちゃんは言った。
「さっちゃんは頭が悪いんだもん」
 そうかもしれないね、とは言えずにいたけれど、思っていた。思っていて言わないのは、言うのと同じだったのだろうか。
「どうせさっちゃんは……」
「そうだね。あのひとは頭がよかったよ」
「あのひとって?」
「僕にだって前には彼女がいたんだよ。頭のいいひとだった」
 そのやりとりで、僕の恋は木っ端微塵に砕け散った。


6・繁之

畜生、俺も言ってみたいなぁ。こんな台詞、俺が言ったって似合わないけど。
「俺は恋ができない体質なんじゃないかと思うんだ。恋愛体質っての、あるだろ。俺は非恋愛体質なんだよ」
「女の子に惚れられるばっかりで、てめえからは惚れないってのか」
「そういうのでもないんだろうけど……第一、俺は女の子に惚れられたりしないよ」
「よく言うぜ」
 あのとき、俺は遠くでふたりの会話を聞いていただけで、非恋愛体質だなんて言っている金子さんと話していたのは皆実さんだった。ふたりともに卒業してしまって、今年の合唱部のキャプテンは渡辺さん、副キャプテンは溝部さん。俺は二年生になった。
「俺は知らないよ」
「知ってるんじゃないの?」
「知らない」
 去年の冬だったか、ヒデと泉水が言っていた。泉水がなにやらヒデを問い詰め、ヒデはそらっとぼけ、泉水は俺に質問を向けた。
「シーゲ、なにかあったんだろ? 言っちゃえよ」
「なにもないよ」
「なにかあったって顔に書いてあるよ」
「書いてないだろ」
「ここに書いてある。僕には好きな女の子ができました、でも、僕には彼女に打ち明ける勇気がない、神さま、僕に勇気を授けて下さい。ね、ヒデ、書いてあるよね?」
 思わず俺は顔を手でこすり、ヒデは言った。
「うん、これも青春やきにな」
「青春って恋なの? シゲが恋する青年になっちゃったなんて、似合わないったら似合わない。だけど、なんだったら私が彼女を連れてきてあげるよ。誰? 合唱部の女の子?」
「泉水ちゃん、やめてやれ」
「なんで?」
「そういうことでシゲをからかうな。俺もからかったけどさ……」
「ヒデもからかったの? なのに私だったら止めるの? あっそう、男同士の友情に女は口を出すなって言いたいんだね。いいよいいよ、そうなんだよね」
「そうだよ」
 開き直ったか、ヒデは泉水を強い目で見つめた。
「シゲの男心は女になんかわからないんだよ」
「ああ、わかんないね。男心なんかわかるはずないだろ。わかりたくもないよ」
「わかりたくないんだったら黙っちょり」
「黙ってるよっ」
 むかつき顔になった泉水が地面を蹴った。蹴った地面には石ころがあって、ヒデの足に命中した。ヒデは横目で泉水を睨み据え、俺は言った。
「俺のことで喧嘩すんなよ。いいんだ、ヒデ。泉水もいいんだよ。とっくに終わったんだから」
 赤ん坊のときから近所に住んでいて、同じ大学に進んだ泉水、大学に入って友達になったヒデ、彼女は彼女の立場で、彼は彼の立場で俺を気遣ってくれていた。
「シゲ、一緒に帰ろうか」
「ああ、久し振りだな」
 たぶん俺も恋愛体質ではないのだろうが、俺が言っても金子さんのようにかっこよくないので言わない。恥ずかしすぎて言えない、のほうが正しい。
 あの金子さんの妹に恋をして、告白もできずに終わってしまったなんて、泉水には言えない、言いたくない。俺には一生、恋人なんかできないよ、とも言わないけれど、そうかもしれないと考えると暗くなる。
 だけど、俺にはこうして一緒に帰ろうと言ってくれる、幼なじみの女友達だったらいる。泉水とは絶対に恋にはならないだろうから、気楽でいい。おそらくは恋愛関係にはならないだろうけど、絶対にならないとは限らない、合唱部の女友達だっている。
 男友達だったら大勢いるし、俺には合唱部もあるし、大好きな歴史の勉強をして、大好きな城の研究だってできるんだから、俺の十九歳はきっと充実しているんだ。


7・大河

 キャンパスのベンチにすわっていたら、徳永渉がやってきてかたわらにいた男性を紹介してくれた。
「溝部さんですか。はじめまして、加藤大河です」
 ベンチから立ち上がった僕に、溝部さんは粘ついた口調で言った。
「徳永の恋人ってきみか。本庄に似たタイプだな。おまえの趣味はこういうのなんだ」
「僕が渉の恋人?」
「渉って呼んでるのもなによりの証拠じゃないか」
「そうなんですか。渉と呼ぶと恋人? 僕には女性の恋人がいますけど」
「あれ? いたのか? フェンシング部の彼女?」
 渉に問い返されて照れ笑いすると、溝部さんはますます粘っこく言った。
「その笑い方もカマっぽいな」
「カマ? 溝部さん、僕は日本語が不自由なもので、俗語はわかりにくいんですよ。ロンドンで暮らしていましたから」
「ロンドンってゲイの本場じゃないのか。徳永はこいつにその道へ誘われたのか」
「ゲイの本場はサンフランシスコじゃないのか、タイガー?」
「さて、存じません」
 好都合だったのか不都合だったのか、そこにフェンシング部の彼女が通りがかった。彼女の名は菅田富子、剣道か柔道をやってもふさわしい名と、凛々しい長身を持っていた。
「彼女です。僕の恋人です」
「……男じゃないか」
 やっぱりそうなんじゃないか、と溝部さんが言い、富子さんは訝しげにしている。渉は富子さんの袖を引き、言っていた。
「ちょっとこっちへ……気にしないで。あいつは合唱部の先輩なんだけど、完璧にいかれてる。あいつの台詞はカエルの寝言だと思って聞き流してくれ」
「カエルの寝言? 私はたしかに男みたいだから、よく言われるから気にしてないけど、タイガーが怒ってない?」
 声も男じゃないか、あれのどこが女だ、と溝部さんが言い募る。富子さんが怒ると思っているようで、渉は彼女を止め、僕は溝部さんに歩み寄った。
「こちらにいらして下さい」
「……なんなんだよ、乱暴はやめろ」
「あなたも女性に暴力をふるっていたでしょう」
「俺は暴力なんかふるってないよ」
 女性に向かって、あれのどこが女だ、男じゃないかと言うのは、言葉の暴力に他ならない。僕は溝部さんの襟首をとらえ、力任せに木陰に引きずり込んだ。
「な、な……なんだよ」
「怒りで頭がうまく働かなくなりましたので、英語で喋ります。溝部さん、翻訳して下さいね」
「なんなんだよっ」
 恐怖の表情になっている溝部さんに、僕はなにを言ったのだったか。いつになく興奮してしまって、日本語は無理。英語だって文法を無視した無茶苦茶なフレーズになっていた。
 無茶な言葉を溝部さんがどう翻訳してどう解釈したのか、相当恐怖を覚えたようで、顔面蒼白になっていた。あのときの僕の言葉も暴力的だったのか。血の気のなくなった溝部さんをそこに残して、僕は渉と富子さんのほうへと歩いていった。
「タイガー、溝部を殴ったのか?」
「渉、富子さんを守ってくれてありがとう。富子さん、行きましょうか」
 あ、ああ、と渉の声、う、うん、と富子さんの声、ふたりともにちょっぴり怖気づいているようだった。
「……タイガー」
 ふたりになって歩き出すと、富子さんはなにか言いたそうに僕の顔を見た。
「殴ったりしませんよ。僕は徳永渉ではありませんから」
「そうよね。タイガーはげんこつにものを言わせるようなひとじゃないよね。でも、徳永さんはそういうひとなの?」
「そういうひとなのかもしれませんな。僕は彼のすべてを知っているわけではないし、知らなくてもいいんです」
 あなたのすべてだったら知りたい、と囁いて、富子さんの肩を抱いた。
 あとにも先にもたった一度の恋。僕が恋したたったひとりの女性。十九の僕は、そこまで深くは考えていなかったけれど。
 もしもこれが最初で最後の恋になるのだったら、それはとても幸せなこと。そこまで考えたのだとしたら、あのころの僕に教えてやったら愕然とするだろうか。富子さんとは別れ、その後、おまえは恋をしないんだよ、大河。
 十九の僕に会いにいけたとしても、僕はそんな残酷なことを彼には言えない。それこそが十九の大河に対する致命的な言葉の暴力になってしまうから。


8・幸生


 どれだけ口説いても彼女にはなってくれなかったアイちゃんが、お空の彼方に旅立った。アイちゃんに片想いしていた俺と、女の子同士の親友としてアイちゃんを大好きだったサエちゃんは、欠落を埋め合い、寂しさをなめ合うためのように恋人同士になった。
 そんな恋、まちがってるんだろうか。まちがってはいなくても、サエちゃんも俺も、こんなの、恋じゃないんだろうか。
「あ……」
「どうしたの、三沢くん?」
 学校帰りに待ち合わせて、俺んちに遊びにくる? って誘ったサエちゃんとふたり、俺のひとり暮らしのアパートの近くまでやってきた。そしたら、むこうにふたりの小柄な女の子の姿が見えたのだ。俺は咄嗟にサエちゃんの手を引いて物陰に隠れた。
「あの女の子たち? 三沢くんの彼女?」
「俺の彼女はここにいるよ。サエちゃんじゃん、きみじゃん」
「何人もとつきあってるとか?」
 冗談めかしていても、サエちゃんの声は強張っていた。
「彼女たちもここで鉢合わせして、私が三沢くんの彼女よ、私よ、ってもめてたんだったりして?」
「そんなにもてたらいいんだけどね。ちがうって、あいつら、妹だよ」
「妹さん、ふたりいるって言ってたね」
「そう。雅美と輝美」
 ひとつ年下の雅美は短大の一年生、三つ年下の輝美は高校二年生。ふたりで兄貴のアパートに遊びにきたのか。おふくろに言われて偵察にでもきたのか。
 横須賀に家族の家があるものだから近すぎて、年端もいかない妹たちだって勝手にやってこられるのだ。もっと遠くの大学に行けばよかった、と言っても無駄だけど、妹に彼女を会わせたらうるさくてたまらないだろうから、隠れたにすぎなかった。
 窺っていると、輝美と雅美は俺たちには気づかない様子で、なにか相談してから俺のアパートの前から離れていった。無断で中に入ったりしないのだけは褒めてやろう。
「どうして私と妹さんたちを会わせないの?」
「雅美と輝美の話しはしただろ。あいつら、メッチャうるさいんだよ」
「っていうか、私なんかを紹介したくないんだ」
「サエちゃんは、「私なんか」じゃないよ」
「いいよ。私、帰る」
「ちょっと待てよ」
 待ってはくれずに、サエちゃんは帰っていってしまった。
 俺の気持ちの中にわだかまりがあるからなのか、サエちゃんにも苛立ちが伝わるのか。この俺が、女の子とは楽しくやるのが主義の俺が、サエちゃんとは再三、諍いを起こしてしまう。サエちゃんが帰ってしまったので、俺は煙草を買ってゲームセンターに入っていった。
 未成年のくせに煙草を吸って、貴重な生活費をゲーセンなんかで浪費して、おふくろに知られたら大目玉だ。罰として仕送りを減らされてしまうかもしれない。
 雅美も輝美もいないよな? ゲームをしながらあたりを見回す。告げ口されたら、親父には言われるかもしれない。家からだって通えるんだから、おまえはひとり暮らしはやめて戻ってこい、つべこべ言うな、ぼかっ、だったりしてね。
 明日の朝はコンビニのおにぎり一個、昼は学食、夜はインスタントラーメン。身体の小さい俺は、食欲も少ないほうだからなんとかなる。
 食べるものに不自由しても、俺はひとりで暮らしたい。俺って女の子に束縛されるのもいやなのかな。女の子にもてたいのが一番の望みで、彼女がいない毎日は我慢できないのに、サエちゃんがつきあってくれるのは嬉しいのに。
「俺は女の子とは喧嘩はしないんだよ。だけど、サエちゃんと話してると……」
「私と話してるとなんなの? イライラするの?」
「はっきり言ったらそうかも」
 そんな喧嘩になってしまうのは、俺の心構えがよくないからか。アイちゃんが心から消え失せないせいか。ごめんね、サエちゃん、悪いのは俺だけど、どうにもならないんだよ。


9・弾

 十代最後の日が近づいてきている。俺は合唱部室のデスクの前でその日のプランを練っていた。
「そりゃあやっぱり、たこ焼きやきに」
「ヒデ、土佐弁」
「たこ焼きの話は大阪弁でせにゃあならんのう」
「それは岡山弁じゃないのか、どっちかっていうと」
「近いんやきに気にせんでもええんや」
 こっちは一生懸命考えてるっていうのに、悪友どもが茶々を入れる。ヒデはたこ焼き、たこ焼きと言い、シゲも言った。
「超特大たこ焼きを焼くってのはどうだ?」
「大学のキャンパスに穴を掘って、そこでたこ焼きを焼こうか。そのでっかいたこ焼きの早食い競争。ええ記念になるぞ」
「早食いだったら俺よりもヒデが勝ちそうだな」
「シゲがそう言うんやったら、やろうや、それ」
 ええい、うるさいっ!! 俺はデスクを両手で叩いた。
「俺はひとりしみじみと、十代最後のイベントをやるって決めてんねん。ヒデ、大阪にはたこ焼きしかないのんか」
「他になにがあるんじゃい」
「……うるさいわい」
 たこ焼きしかないな、と言いそうになった自分を押しとどめ、俺は言った。
「おまえらはうるさいんじゃ。出ていけ」
「シゲ、野球しよか」
「実松もやらないか? そんなどうでもいいこと考えてないでさ……」
「どうでもええこと?」
「あ、いや、ごめん。ヒデ、よけいなことを言うな。行くぞ、ほら、はようせえや」
 シゲまでが方言になって、まだなにやら言いたそうなヒデをひきずって出ていってしまった。
 なにがたこ焼きだ。大阪出身で、故郷からたこ焼き器を持ってきてみんなにふるまってやったりしていたから、実松弾イコールたこ焼きみたいに思われている。明日は二十歳になるという日に、なんでたこ焼きとすごさねばならんのだ。
 ロマンの香りのする十代最後の日を送りたくて、ありがちなことを思いついた。当日、俺はアパートを出て電車に乗った。
「横須賀ってのも湘南なんか?」
 スカボーイだとか言っている一年生の三沢幸生に質問すると、湘南とは、湘南サウンドとは、との講釈つきで、教えてくれた。湘南地方とは神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称だから、相模湾に面していない横須賀市は厳密には湘南ではないのだそうだ。
「横須賀って東京からはどうやって行くんや?」
「品川か横浜まで出て、京浜急行かな」
「京阪電車とはちゃうよな」
「ちゃうちゃう。京阪って大阪から京都でしょ。京急は東京から横浜です。JRでも行けますよ。京急は横須賀中央駅、JRだったら横須賀駅。そのふたつの駅前が横須賀の中心なんです。実松さん、俺と横須賀でデートします?」
「いらんわ、アホ」
 海ってのはロマンの香りがするような気がする。横須賀にはまだ行ったことがなかったので、これっきりこれっきりもう、これっきりーですかー、なんて歌を口ずさみながら、三沢に教わったルートで横須賀中央駅に降り立った。
「意外と……」
 これやったら心斎橋のほうがおしゃれやんけ、などと口にすると、地元のあんちゃんたちに殴られそうなので控えておいて、海のほうへと歩き出す。三沢に乗せられて横須賀を選んだが、ここよりも本物の湘南のほうがよかったかな。
 後悔しながらもてくてく歩いて海の見える公園に出た。大阪人にはなじみの少ない街だから、横須賀というとモモエちゃんを思い出す。三沢幸生を思い出すよりはずっと美しいので、俺はモモエちゃんの面影をしのびつつ歩いていた。
「けっこう景色はええな。彼女と来たかったなぁ」
 誰も周囲にはいないので、俺はひとりで喋っていた。
「ほら、空は青く、海も横須賀にしたら青くて綺麗やろ。天気もええし、潮風も気持ちがええ。そやのに俺はひとりや。彼女がほしいなぁ」
「うん、あたしも彼氏と来たかったよ」
「……え?」
「は?」
 振り向くと、うしろにモモエちゃんがいた。いや、モモエちゃんではない。本人は俺よりもかなり年上だったはずだから、生きていたとしたら……生きているが、だから、年齢的にはおばさんだ。ここにいる彼女は俺よりもいくつか年上程度に見えた。
「そんなひとりごとを言ってるってことは、彼女、いないんでしょ。臨時で彼女になってあげるよ」
「え、え、いや、そんな……そんなうまい話があってええんやろか」
「この公園にいる間だけね。キミ、関西の子? 笑わせてよ」
「えーっと、わかりました」
 公園を散歩するだけだったら、妙な事態に陥る危険はないだろう。若き日のモモエちゃんを現代的にしたような、若干ふっくら型の彼女と肩を並べて歩く。名前も知らない彼女と……などという歌もあるが、そんなふうにはなりそうにない。
 なぜなら、彼女は俺の独言を聞いて関西人だと見当をつけ、笑わせろと所望しているのだから、色っぽい方面には行くはずがないのだった。
「横須賀にはネイヴィバーガーってのがあるんでっしゃろ。ネイヴィブルーって紺色やろ。紺色のバーガーってどんなんやねん。食うたら口の中が紺色に染まるんか」
 即興でベタなネタを、とびきり古臭い大阪弁で語る。語っている俺はちっとも面白くもなかったのだが、彼女はあはあは笑ってくれた。
 典型的大阪人たる俺は、女の子に笑ってもらえると幸福を感じる。十代最後の今日、生まれてはじめての横須賀の海を女の子と一緒に見て、彼女に笑ってもらっているのだから、色っぽくなんかなくても楽しい。今日は十分にいい日だ。
 

10・真次郎

 合宿最終日の夕方、海辺に乃里子がいるのを見つけた。
「ちょっとだけ散歩したい」
「……遊びにきてるんじゃないんだから」
「だって、楽しみにしてたのに……せっかく海に来てるのに、いっしょに泳いだり歩いたりってしたらいけないの? してるひとだっているよ。カップルで散歩してるひとたち、見たもん」
「ああ、じゃ、ちょっとだけな」
 十八歳の乃里子と、十九歳の俺。ひとつ年下の彼女のわがままを可愛いと感じる余裕はなくて、俺は不機嫌顔になってしまう。
 この海には合唱部の合宿で来ているのだから、サークル仲間たちに会う可能性だって高い。顔を合わせて変な目で見られたり、あとで冷やかされたりするのはいやだ。他人の顔をして手もつながず、先に立って歩いていると、乃里子が俺の背中に言った。
「遠泳を見学に行ったのだって、気がついてもいなかったんだよね」
「来てたのか」
「うん。本橋さん、一等賞だったよね。知らなかったんだったらしようがないけど、私を見てほしかったな。にっこりしてほしかったな。本橋さん、足が速すぎる。ゆっくり歩いて。そんなに迷惑?」
「迷惑じゃないよ」
「こんなの、散歩にもならない。いいもん。帰る」
 こんなときには追いかけていくべきだ。女の子はそれを期待しているはず。追いかけてつかまえて抱きしめて、ばーか、とでも言ってキスしたら、乃里子の機嫌も治るのかもしれない。わかっていても身体が動かない。
 突っ立って眺めていると、乃里子のそばに寄っていく男が見えた。あの長身は徳永だ。俺を嫌っている奴は、乃里子のことも嫌いなのだろうか。
「徳永くんって私にはわりと丁寧に、普通に接してくれるよ」
「愛嬌はないけど、女の子には優しい……優しいわけでもないけどね」
「徳永くんって、セクシャルなほうに関心を持つタイプの女の子と、そうではない女の子とで区別するんじゃないかな」
「色気を感じないタイプの子には、さらっと親切だったりするんだよね」
 男に対するときと女に対するときで態度を変える奴。俺にはできない芸当だが、男の中にもそういうのはまあまあいる。乾にもその傾向があり、徳永はいささかちがった形でその傾向あり。合唱部の女の子たちの徳永渉評を思い出しながら、なんとなく乃里子と徳永を見ていた。
 小さく歌っていた乃里子のそばに徳永が寄っていき、言葉をかわす。乃里子の声は小さくて、徳永の声は低くて、会話の内容は聞き取れないでいるうちに、徳永は去っていった。
 気になって乃里子に近寄っていく。徳永の背中を見送っていた乃里子は、俺を認めてすねた顔になった。
「誰かと喋ってたか」
「徳永さんがね、私を好きだって」
「徳永が? あいつ……おまえと俺がつきあってるって知ってるはずだけど」
「知ってるから言うんだって。あんな奴より俺のほうがいいよ、考えておいてくれないか、って言われたの」
「で、どうするんだ」
「……私が徳永さんとつきあってもいいの?」
 そんなの、絶対に許さない、おまえは俺のものだ。
 気障な台詞は言えっこなくて、俺はぶるぶるとかぶりを振る。乃里子は不思議な瞳をして俺を見つめる。女の子のこんな瞳が語っているものはなんだろう。俺にはわからなくて戸惑っていると、乃里子はうつむいてぼそっと言った。
「嘘だもん。徳永さんは本橋さんよりかっこいいのに、私なんか好きになるわけないよ」
「あいつはかっこいいんじゃなくて……いや、顔は俺よりいいよな。けど、そんなの関係ないだろ。金子さんほどかっこいい男が乃理子を好きになったとしても、なんの不思議もないよ」
「どういう意味?」
「俺はかっこよくはないけど、おまえが好きだ。おまえは俺の彼女なんだろ」
 思い切って乃里子を抱き寄せる。これ以上なんと言えばいい? 好きだ、としか言えなくて、好きだ、とだけ言った。
「徳永はほんとはなにを言ったんだ?」
「私がここで歌ってたから、音程がずれてるって」
「それだけか」
「うん」
「そっか」
 キスしていいのか? 誰かに見られるかもしれないし、キスしたら俺は止まらなくなる。もっともっとと望みたくなる。こんなところではそれ以上はできないから、東京に帰ったらふたりきりになれるところに行こう。
 乃里子とつきあいはじめて数ヶ月。俺はおまえがほしいって言ってもいいか?
 照れくさすぎて言えないかもしれないから、察してくれないかな。察しの悪い俺がおまえにそう言うのはあつかましいか。乃里子がなにを考えているのか読めなくて、俺自身もとりとめもなく考えて、ふたりしてただ立っていた。


11・英彦

「妙子ちゃん、一緒に帰ろうか」
 同じ心理学部の同級生といっていいのか。彼女と呼ぶほどの存在は俺にはいないけれど、妙子ちゃんは友達とだったら呼んでもいいはずだ。
 学食で大勢でランチを食べたり、キャンパスでみんなで話したり、ヒデ、歌え、と言われて教室で歌を披露して、素晴らしい喉ですね、でも、ここは勉学の場ですよ、と教授にイヤミを言われたり、そんなときには妙子ちゃんもそこにいる。
 今どき珍しいおとなしい子なので、必ずしもいるのかどうかは知らないが、数多い友達のひとりというスタンスだ。妙子ちゃんとふたりきりになるのははじめてのはずだった
「あ、うん、一緒に帰ろう」
「妙子ちゃんは宮城県の出身なんだってな」
「住んでたのは子どものころだよ。今は東京。うちの両親は遠くの大学になんか娘をやってはくれないだろうから、東京に引っ越してきててよかった」
 ふたりっきりでも臆さずに喋るのだ。優しくて穏やかな女の子は好きだけど、おとなしすぎる子だと物足りなくなってくる。土佐のはちきん女に囲まれて育った俺としては、妙子ちゃんが無口ではないのは楽しかった。
「そうなんか。俺は妙子ちゃんがひとり暮らしのほうがよかったけどな」
「なんで?」
 楽しくなっていたせいで、悪い癖が出た。
「親と暮らしてる女の子に、今夜は帰らなくていい? なんて言えないからだよ」
「……友達なのに?」
「いやいや、冗談だけどさ」
 ナンパってものは高校生くらいからたびたびやっている。こういうことはゆきずりの女の子に言うべきなのであって、友達に言う言葉ではない。言ってしまってから気がつくとは、後悔先に立たず、覆水盆に返らず。
「ごめん。怒った? 冗談やきに……怒るなよ、な?」
「うん、平気だから」
 怒らせてしまったのか、こんなときにはあやまる以外の方法は思いつかず、ごめん、冗談やきに、ごめんな、と繰り返していたら、妙子ちゃんが返事をしてくれなくなった。
「……ごめん。怒らせてしもうたちや。俺は用事を思い出したから、こっちから帰るよ。妙子ちゃんは気をつけて」
「うん。さよなら」
 別段、妙子ちゃんが好きなわけではない。嫌いなわけでもないから一緒に帰ろうと声をかけて、連れ立って歩いているのは楽しかった。
 なのに、俺が下らない癖を出したせいで怒らせてしまった。妙子ちゃんは純情なのだろうから、男にあんなふうに言われたら汚されたような気になるのかもしれない。いい勉強になったとでも思っておくしかないのだろうか。
 一年生のときにも合唱部の女の子にナンパまがいの台詞を言って、女子部のキャプテンに叱られたっけな。女にはジョークはほどほどに。女友達をなくす舌禍になりかねないのだから。この一件は教訓にしようと俺は決意する。けれどまた……となるのが小笠原英彦ではあるのだが。
「妙子ちゃんには嫌われたのかな。しようがないから、しばらく話しかけないでいよう」
 妙子ちゃんには嫌われても、女なんてのは他にいくらでもいるさ、と強がってみた。


12・渉

 ふたりの息子の手を引いた、兄嫁と会った。
「渉さん、久し振り……」
「ああ、久し振りだな。元気そうだ。ちょっと太った、義姉さん?」
「太ったわよ。渉さんにねえさんって呼ばれたの、はじめてね」
「兄貴の妻は俺にとっては姉だろ」
 ひな……と呼びかけそうになったのをからくもこらえた、なんて絶対に言わない。大嫌いな兄とひな乃の間に生まれた息子たち、俺の甥たちとは会うのははじめてなので、母親の手を引いて、ねぇ、誰? とひそひそ声で尋ねていた。
「俺は用があるから、じゃ、またな」
「うちに寄っていってくれないの?」
「またの機会に」
 生まれてから一度も、俺は恋をしたことがない。誰かに訊かれればいつだってそう答える。けれど、ただの一度だけ、俺は恋をしていた。
 十九のころ、我が家の家政婦の娘のひな乃に恋をして、彼女を兄貴にさらわれて、俺の中の「恋心」ってものが凍結してしまったのかもしれない。そんなのは俺らしくもない感慨だし、お笑い沙汰ではあるけれど、たしかに、俺はあのころ、恋をしていた。
「美女と野獣ってよくあるけど、美男とブスはあまりなくないか、おい?」
「やめろよ。行くぞ」
 耳元に蘇ってきたのは、下卑た酔漢の声。ふたりの中年男が、合唱部の飲み会から帰ろうとしていた、ミコちゃんをからかったのだ。ひとりは止めようとしていたが、タチのよくないほうがしつこくミコちゃんに言った。
「胸は立派だな。お、こっちはさらに立派。安産型だ」
「やめろっての。ごめんな、こいつ、酒癖悪くてね……行こう、やめろやめろって」
「気持ちよさそう」
 ひな乃に恋をしていると気づいてもいなかったころの出来事だ。ミコちゃんとともに歩いていた俺は、そいつに言った。
「俺の女に手を出すな」
 青臭い台詞で酔漢を追っ払って、アパートまでミコちゃんを送っていく道で、俺は言った。
「ミコちゃんはひとり暮らしか。俺は別段きみに恋をしてるってんでもないけど、抱いてもいいんだったら抱くよ。こんなじゃなくて、ベッドで」
「ひとり暮らしですけど……ベッドはないんです」
「ベッドのある部屋に行こうか。ホテルにだって行ったことはあるんだろ」
「旅行でだったら……」
「あのなぁ、おまえはぶりっ子なのか、純情なのか、どっちだ」
「ええと……」
「言ってて脱力するよ。後者だな。ここ? おやすみ」
 生涯ただ一度の恋をしていたのかもしれない、あの時期のもうひとつの記憶。こっちのほうが思い出していたら愉快な気持ちになれる。
 あんな記憶のほうが俺には似合いだ。若いころだって今だって、徳永渉は徳永渉。

「いつまでも忘れない

 今でも目をこうして閉じれば19のままさ

 でも僕ら もう二度と

 あの日のきらめき この腕に取り戻せない」

 そんな歌を口ずさみながら振り向くと、ひな乃の背中が遠く遠く遠くかすんでいるかのようだった。

END

フォレストシンガーズ主要キャラ、○○大学出身の酒巻國友から星丈人まで、年齢の近い男性12人の19歳のある日、恋と失恋を主にコラージュしてみました。

追記
自己紹介

1
 星丈人です。身長182センチ、三十代終わり。
 フォレストシンガーズとの関わりでいえば、リーダーの本橋と乾が新入生だった年に、合唱部の四年生でした。その年の美江子の彼氏でもありました。現、オーディオ技術者として電機メーカー勤務。

2
 乾隆也です。身長177センチ。現在、三十五歳まで成長しました。
 職業は歌手、フォレストシンガーズのメンバーです。

3
 金子将一です。身長183センチ、三十代終わり近し。
 フォレストシンガーズのシゲが合唱部に入部した年のキャプテンで、現在では歌手です。

4
 木村章です。身長161センチ……言わせるなよ。三十三歳。
 フォレストシンガーズの一員、シンガー、誰がなんと言っても、フォレストシンガーズストーリィ全体の主役です。

5
 酒巻國友です。身長158センチ……170センチほしいなんて贅沢は言いません。160センチほしい、三十二歳。
 僕が合唱部に入部した年には、本橋さんがキャプテンで乾さんが副キャプテンでした。
 現在の職業はDJですが、ニューヨークに留学していまして、一時休業中です。

6
 本庄繁之です。身長171センチ、三十四歳、二児の父。
 フォレストシンガーズのベースマン、歌手です。

7
 加藤大河です。身長172センチ、三十五歳。
 フォレストシンガーズとは大学の同窓生で、本橋さんや乾さんと同年です。現在は母校の寄生虫学科准教授であります。徳永渉とは親友のつもりです。

8
 三沢幸生です。身長は章プラス2センチ。プラスです、ここ、強調。実年齢は三十三歳。精神年齢はとこしえに十六歳。心には十八歳の美少女も住んでいます。
 フォレストシンガーズのマスコット、キュートなユキちゃんでーす。歌手の仕事だけはごくごく真面目にやってます。

9
 実松弾です。身長169センチ、三十四歳、一児の父。
 しごく平凡な営業マンです。歴代合唱部キャプテンの中に、なぜか俺も名を連ねているのが不思議な今日このごろ。
 シゲとヒデは同い年で友人、本橋さんと乾さんは先輩、三沢と木村は後輩でして、フォレストシンガーズの大ファンでもあり、ファンクラブにも入会しています。

10
 本橋真次郎です。身長179センチ、三十五歳、既婚。
 フォレストシンガーズのリーダーです。シンガーです。

11
 小笠原英彦です。身長175センチ、三十四歳、バツイチ、婚約者あり。
 もとフォレストシンガーズのメンバー、シゲは俺を親友だと言ってくれます。
 現在は神戸在住で、電気屋で働いています。

12
 徳永渉です。身長180センチ、三十五歳。
 合唱部でも本橋や乾と同年で、やや遅れて歌手になった。フォレストシンガーズは永遠のライバル。




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