グラブダブドリブ

グラブダブドリブ「Jealousy」

 ←フォレストシンガーズ「小説・雪の降る森・別・魔物編」 →「I'm just a rock'n roller」3
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グラブダブドリブ

「Jealousy」

1

 サキソフォンの音色が特徴のあるイントロを奏でている。ああ、ケアレスウィスパー、パーティ会場の一画で、藍はサックスに合わせて小声で歌っていた。
「……あなた、城下藍さん?」
「ええ、そうですけど」
 ほとんど仕事は入ってこないとはいえ、藍はプロのシンガーだ。
 高校を卒業して博多で歌っていたときにスカウトされて、上京して歌手になったもののちっとも売れなくて、藍をスカウトしてくれたプロデューサーのお情けで、クビにならずにすんでいたようなもの。
 プロデューサーを好きにはなれなかったが、彼がグラブダブドリブのバックコーラスのオーディションを受けろと言ってくれたおかげで、藍の前途が開けた。結婚してからは事務所は変わったのだが、藍はあのプロデューサーへの感謝は捨て切れていなかった。
「あなた、妊娠してる?」
「え、ええ」
 もとからふくよかというか、背が低いのでかろうじてでっぷりにはならないですんでいる体型なので、腹部がふっくらなのもわかりづらいはずだ。ゆったりしたドレスで体型を隠していたのも、声をかけてきた女には見抜かれた。
「安定期に入りましたから、事務所の社長に頼まれて……」
「立ってて大丈夫?」
「私は丈夫にできてますから、ヒールのない靴を履いてますし、大丈夫です。ご心配かけてすみません」
 所属事務所の社長が、義理のある人のパーティなんだ、彼も藍に会いたいと言ってるから、ちょっとだけでも出席してくれ、ごちそうも出るぞ、と藍に言った。気晴らしになっていいだろ、気をつけて行っておいで、と夫も言ってくれたので、短時間だけのつもりで出てきたのだった。
「ふーん、そういうことか」
「は?」
「そうだよね。でないと彼があなたと結婚するはずもない。うまくやったよね」
 顔にも見覚えはなく、名乗りもしない女は、じろじろと藍の腹部を見ていた。
 すらりと背の高い彼女はモデルってところだろうか。身体にフィットした革のミニドレス、生脚にロングブーツ、毛皮のストゥルを粋に羽織っていた。
「そんなふうにしたたかに、うまくやれる女だったらよかったんだけどな」
「あのぉ……」
「だって、そうでしょ。あなたって背は低いし、はっきり言ってブスだよね。歌手だそうだけど、まるで無名でしょ」
「はい」
「そんな女が……あなたがジェイミーと結婚するって決まったときに、週刊誌がやいのやいの言ってたのは知ってる?」
「まぁ、一応は」
 無名のシンガーがロックスターと結婚!! 現代のシンデレラストーリィ!! 超玉の輿!! 美男とブスの格差結婚!! などなどと書き立てられて、ジェイミーが怒っていた。
「誇張はしてありましたけど、おおむね本当だから……」
「張り合いのない女ね。ジェイミーがあんたみたいのと結婚したのは、そのせいでしょ」
 と、彼女は藍のふくらんだおなかを指さした。
「結婚したときには妊娠はしてませんでしたけど……」
 言いかけたのを遮って、女はまくし立てた。
「でなかったら、ジェイミーがあんたみたいな女と結婚するはずがないのよ。ジェイミーは遊び上手なんだから、避妊だってちゃんとしてるはず。なのにあんたが、なにかの手段を使って妊娠したんでしょ。そうなると、変なスキャンダルになりたくないのもあって結婚するしかなかった。おとなしそうな顔をしてやるよね。うらやましいよ」
「あのぉ、あなたはジェイミーの?」
「モトカノかって言いたいの?」
 勝ち誇ったように胸を張って、彼女は藍を見下ろした。
「私はグラブダブドリブの全員とキスしたわ」
「キスだけ?」
「そのうちのひとりとは寝た」
「ジェイミー?」
「誰だっていいでしょ」
 誰だってよくはないのだが、ジェイミーだとはっきり言わないところを見ると、別の誰かだろうか。藍に思い当たるのは沢崎司。中根悠介とドルフ・バスターとボビー・オーツではない気はするが、断定はできなかった。
「それで、別れたんですか」
「あなたには関係ないじゃない。なによ、ガキを武器にして結婚してもらったくせに」
「そんなんじゃ……」
 不意に藍の両肩に手が置かれ、頭上からジェイミーの声が降ってきた。
「えーと、どこかでお会いしましたね。どなたでしたっけ?」
「……ジェイミー……」
「どこのどなたか存じませんが、俺の妻を侮辱するとは聞き捨てならないな。彼女の妊娠が判明したのは、結婚して一年以上経ってからですよ。ああ、うー、思い出した。名前は思い出せないけど……ああ、あなたはたしか……」
「もういいよ。藍さん、どうもすみませんでしたっ!!」
 怒ったような口調で言って、彼女はどんどん歩いていってしまった。
「藍、疲れただろ」
「迎えにきてくれたの?」
「仕事が早めに終わったもので、飲みにいこうのなんのと誘いたがる、悪友どもの魔の手を振り払って馳せ参じたんだよ。おなかのベビーも疲れてないかな?」
「やめて、ね?」
 なんで恥ずかしいんだ? とジェイミーが訝しがる、人前でのこんな行為は藍にはすべて恥ずかしい。おなかを撫でようとするジェイミーの手を止めて、藍は彼を会場の隅のソファへ連れていった。
「あの方、どなた? 司さんのモトカノとか?」
「いや、内緒だけど豪の……」
「そしたら、グラブダブドリブじゃないのね」
 真柴豪はグラブダブドリブのプロデューサーであり、中根悠介と半々ほどは彼らの持ち歌も作っているので、グラブダブドリブの身内のようなものだ。
「グラブダブドリブのみんなとキスしたって言ってたよ、彼女」
「ああ、打ち上げかなにかの席で、ジョークみたいにそのへんの男女がキスしてたことがあったんだよ。俺もまだ独身だったし、許してくれる、藍?」
「許すも許さないもないけど、あのひと、なんだってああ私にからんだのかしらね」
「嫉妬だろ」
「しっと……」
 時に、あのひとが私に意地悪をするのは嫉妬ゆえだ、との考えを持つ人間がいると聞く。藍にも他人を羨んだり妬んだりの経験だったらあるが、他人に嫉妬される身になったことはとんとない。
 ジェイミー・パーソンの妻となったのだから、今後はそんなこともあるのかしら。この会場には他にも、私を嫉妬のなまざしで見ている女性がいるのかしら? そう思って会場を見渡してみる。藍には他人事のようで、まるきり実感も湧かなかった。


2

 周囲を見回せば男だらけの世界だからもあるのか、珍獣にちょっかいを出したがる心理だろ、とドルフなどは言うが、チカは大学生でアマチュアロックバンドのメンバーとなって以来、男がとぎれた期間はなかった。
「おまえがもてるなんて、絶対に嘘だろ」
 女性ばかりのロックバンド、プシィキャッツのギタリスト、チカに、ドラムのドルフは言ったものだ。
「背ばかり高くて胸がなくて、声が低くて力が強くて、がさつで傍若無人で可愛くなくて……おまえは半分以上は男だろうが」
「半分ぐらいは男なのかもしれないけど、あとの半分は女だよ。あたしには女のフェロモンもあるらしくて、もてるんだ」
「そうなんだよね、あたしほどじゃないけど、チカはもてるんだよ」
「不思議よねぇ」
 マナやリリやセナ、他のメンバーたちも面白がって口を突っ込んできて、よそのバンドの男に、そりゃあ美人はもてるさ、だとか、おまえら、軽そうだもんな、と言われたりもした。
 プロを目指してはいたものの、マナが脱退すると言い出してプシィキャッツはアマチュアのままで解散した。マナは主婦になり、セナとリリはマイナーながら音楽を続けていて、ドルフはグラブダブドリブのメンバーになった。
 そしてチカは、スタジオミュージシャンをやったり、イギリスへ音楽の勉強に行ったり、日本に戻ってきたり、イギリスの美少年シンガー、パディ・ルイスのバックギタリストになったり、バディは勤勉には仕事をしないので、暇になるとまた日本に戻ったり。
 イギリスでもむろん恋人はできたが、彼とは別れた。これで何人目の男だったかな、と数えようとして、全部は思い出せなくてどうでもよくなって、チカはバディに言った。
「また休暇? そしたらあたしは日本に行ってくるよ」
「僕は休暇は嬉しいけど、あなたに会えないのだけが寂しいんだ。たまには僕と一緒にリゾートに行かない?」
「ばーか」
 ひとことであしらって、チカはヒースロー空港から飛行機に乗った。
 ちょうどよい直行便がなくて、飛行機はパリ経由になる。パリに到着したチカは、時間待ちのために待合室でチーズとバケットを肴に、赤ワインを飲んでいた。
「……どこかで会ったよな」
 日本語で声をかけられて、チカは顔を上げた。サングラスをかけた大柄な男が、チカのすわっている長椅子に腰かけた。
「あんた、ミュージシャンじゃないのか? 日本人だろ」
「まあね。あんたも日本人?」
「そうだよ。その声……その顔……そのスタイル。加西チカだ」
「そうだけど、てめえは何者だ?」
「いいねぇ、その乱暴なもの言い、モロに俺のタイプだよ。チカ、俺の彼女になって」
「ってかさ、てめえは誰なんだよ?」
 女の子がそんな口のきき方をして、と母などは眉をひそめる。田舎暮らしになっている両親とはめったに会わなくなったが、たまに親の住まいに行くと、母はいい年をしたチカを女の子扱いしたがって、口うるさく小言を言うのだ。
「そんなんだと恋人もできないよ、チカ」
 母はそう言うが、チカのその口のきき方、その男っぽいとこ、その背の高さ、その細さ、その胸のなさ、その低い声、俺のタイプ!! と言いたがる男はよくいる。だからこそチカはもてるのであって、チカをタイプだと言う男が次々に寄ってくるのだった。
「俺もミュージシャンだよ。ビオランテのガルガル、知らない?」
「知らねーよ。怪獣みたいな名前だな」
「怪獣の名前だもんな」
 「ビオランテ」がバンド名で、ガルガルが個人名。当然、ステージネームなのであろうが、彼はガルと呼んでくれと言った。
「そっか、知らないのか。俺たちってイギリスでは有名ではないんだな」
「日本では有名なのか?」
「全然。だけど、俺もヴァイオリニストなんだよ。うちはヴァイオリンを使ってるんだ」
「も、って?」
「ギターとヴァイオリンって似たようなものだろ」
 ともに弦楽器ではあるが、まったく似ていない。返事をするのも馬鹿馬鹿しくなって、チカは黙ってガルを見つめた。
 ひと昔前のロッカーのような、カールした長い髪は金茶色に染められている。日本人には珍しく顎が割れていて、いかつく整った顔立ちだ。背丈はチカよりも十センチは高くて、たくましい身体つきをしている。チカから見てもガルは好みのタイプだった。
「この間、イギリスで男と別れたばかりなんだよね」
「別れたんだったらちょうどいいじゃないか」
「ちょっとの間はフリーでいようと思ってたんだよな。決まった男がいると遊べないからさ」
「遊ぶって、男遊び?」
「それも含めて」
 うーん、と考え込んだガルに、ためしにつきあってみてもいいよ、と言おうとしていたら、彼が先に言った。
「俺とつきあうようになったら、男遊びはしないのか」
「男と飲みにいったりぐらいしかしないかな。つきあうって決めたら、寝るのはあんたとだけってことにするよ」
「それは当たり前なんだけど……あのさ……」
 当たり前のように当たり前だと言うな、と言いたくなっていると、ガルが尋ねた。
「チカってグラブダブドリブのドルフと仲がいいんだろ」
「うん」
「噂によると、チカってドルフの部屋に泊まりにいくとか?」
 ロック界は狭いのだから、住人ならば噂も聞くのだろう。
「今回も日本に帰ったら、ドルフのマンションに泊まりにいく予定だよ」
「ドルフんちにはベッドはひとつしかなくて、一緒に寝るとか?」
「いつもそうだな」
「俺とつきあうって決めても?」
「あんたとつきあうんだったら、あんたのマンションに泊まってやってもいいよ」
「いや、俺はパリについたばかりで、これから仕事なんだ。一週間ほどは帰国できないんだよ」
「じゃぁ、ドルフんちに行くよ」
 寝るとはいっても、ベッドインをするとはいっても、ドルフとチカの場合は別だ。ドルフは女嫌いで、チカのことは弟のように思っている。チカは男嫌いではないが、ドルフにだけは性的な関心を持ったことはないのだから。
「それ、変だろ」
「変か? うん、まあ、一般的には変なのかもしれないけど……」
 変ではない!! とも断言できないでいるチカの手を、ガルが握りしめた。
「俺はわりと独占欲が強いかもしれない。とはいっても、チカが仕事仲間と飲みにいくのまでは止めないよ」
「止めたいのか?」
「チカが俺と結婚して主婦にでもなったら……いや、それは先走りすぎだから置くとして、止めたいけど止めないよ。でも、ドルフんちに泊まるのはやめてほしいんだ」
「プロレスごっこは?」
「そんなのやるのか? やめろよ。怪我でもしたらどうするんだよ」
 こっちがいかに本気を出しても、ドルフは遊んでいるだけなのだから、チカが怪我をするはずはない。そう言ってみても、ガルは真剣に、やめてくれ、やめてくれ、と繰り返した。
「ドルフとのつきあいをやめてほしいんだよ。チカ、俺とつきあってくれるんだろ。他の男とは仕事の関わりはしようがないとして、プライベートで遊ぶのはやめてくれ。ドルフとは特にだ」
「あ、そ。ガルは仕事だったね。とっとと行きな」
「それは?」
「バイバイ」
「……あの……」
「あんたとつきあう気にはなったんだけど、これでおしまい」
「そんなぁ……」
 頭をかきむしり、そんな、そんな、と嘆いてから、ガルは腕時計を見て勢いよく立ち上がった。
「時間がないっ!! チカ、また連絡するよ」
「連絡はしないでね」
「……束縛しすぎだって? しすぎじゃないだろ。……ああ、チカと議論してる時間がないっ!! またな。ごめんな」
 どたばたと慌ただしく走っていくガルの大きな背中を見送って、チカは吐息をついた。
 男に告白されてつきあって、じきに飽きて別れた経験は多々あるが、こんなにも短い時間ははじめてだ。チカの男との交際期間、最短新記録樹立であった。


3

 新婚旅行から帰って半月ぶりに職場に顔を出した聡美は、仕事の勘を取り戻すのに多少苦労していた。
「岡村さん……ああ、真柴さんとお呼びしなくちゃいけないんだったわね」
「橋本さん、こんにちは。職場では旧姓を使いますから、前と同じに呼んで下さいね。そんなことより、このたびはおめでとうございます」
「岡村さんこそ、おめでとうございます」
 互いに祝福しているわけだが、その種類はちがう。聡美は橋本の受賞を、橋本は聡美の結婚を寿ぐ言葉を口にしていた。
 テレビ局勤務の聡美は、グラブダブドリブにスポットを当てる番組のために、グラブダブドリブのメンバー及び、プロデューサーの真柴豪と知り合った。初対面の席にはグラブダブドリブのリーダーである沢崎司と、ドラムのボビー・オーツ、真柴豪も同席していた。
 仕事の話をすませると酒になり、四人での会話は盛り上がった。そのときから聡美は豪の熱い視線に気づいていたのだが、あの男は女だったらなんでもいいんだろうから、と思っていたものだ。
 業界では真柴豪の遊び人ぶりは鳴り響いている。長身で端麗な容貌を持っていて、クラシック系の音楽高校を卒業した一流のピアニストであり、もとロックバンドのキーボーディスト、現辣腕プロデューサー。もてる要素てんこ盛りの男なのだから。
 その上にマメで話術も巧みで、全身にまとった空気も粋で恰好がいい。サービス精神旺盛、女とつきあうのも別れるのもスマート。そんな男が私を見ているといれば、ただの遊び心にすぎないと。
 まあ、私にも彼氏はいないんだし、あなたがその気だったらちょっとだけ遊んでもいいよ、との軽い気持ちが深みにはまった。豪も聡美には本気になったようで、プロポーズされた。
「豪には彼女は何人もいるんじゃないの?」
「その女とつきあうと決めたら、ひとりだけだよ。おまえに恋をしたときにはフリーだったんだ」
「結婚したら浮気はしない?」
「するわけないだろ」
「私は浮気してもいい?」
「許さない」
 抱きしめられて、冗談だよ、と呟いて、そうね、結婚しよう、とうなずいた。
 結婚休暇に有給休暇をプラスして、半月ほど休んだものだから、午後になってやっと仕事がスムーズに進むようになってきた。そんなところに声をかけてきたのが橋本だったのだ。
 橋本千与子はテレビ局の下請けプロダクション経営。少人数のプロダクションは、彼女がいとこと共同経営している会社だ。橋本は経営者のひとりだとはいえ、営業活動や企画にも深く関わっている。聡美が勤務するテレビ局にも頻繁に顔を出す橋本とは、年齢が近いのもあって親しくなっていた。
 そんな彼女のプロダクション「ブリッジ企画」が、先だって別の局に依頼されてテレビ番組を制作した。日曜日の朝に放映されたドキュメンタリー番組「こころね」は聡美も観た。
 漢字で書けば「心音」。もとから聡美は音楽も好きだし、音楽家である豪との結婚を控えていたのだから、番組を熱心に観た。
 大金持ちの娘として生まれたひとりの少女が、親の勧めでピアノを習う。幼いころから神童ともてはやされていた彼女は、高校生になるころにはピアノの演奏以上に、作曲に興味を持つようになる。高校のピアノ科を卒業した彼女は、音大の作曲科に進学する。
 ここまではどこかしら豪にも似た境遇だ。
 作曲科の教授に目をかけられていた彼女は、やがてその教授と恋に墜ちる。妊娠し、親に打ち明けて猛反対を受け、彼との仲を引き裂かれそうになって家を出る。なに不自由なく育って音楽にだけ打ち込んでいた彼女は、現実を知る。
「二十歳はすぎてましたから、親に反対されても結婚はできたんですよ。出産もしました。だけど、子どもを産んでしばらくは現実にどっぷりと浸ってしまった。ピアノを弾く時間も作曲もする時間もないし、余裕もない。夫には創作活動をする時間があるのに、私にはない。イラついたりもしましたよ。子どもに当たりそうにもなった。でもね……」
 ある夜、夜泣きをする赤子をあやそうと、彼女はピアノに向かった。手が自然に鍵盤の上をすべり、気がつくと、泣き止んだ赤子を抱いた夫がそばに立っていた。
「出産すると創作の泉が枯れてしまった、って女性もいるから、僕は不安だったんだ。きみはそんなことはなかったね。今の、きみが作った曲だろ。きみはこの子を産み、そして今、その曲も産んだ。きみは偉大な女性だね」
 はにかんで微笑む彼女の顔のアップに、彼女の作った曲がかぶさっていく。そんなエンディングだった。陳腐な筋書きだともいえるのだが、美しい映像とストーリィ運びのテンポのよさと、視聴者にもわかりやすい作りのおかげだったのが、その番組がドキュメント番組、音楽部門大賞を受賞したのだ。
 番組を制作したのはブリッジ企画だが、責任者は橋本千与子とのことで、彼女が誇らしげにトロフィを抱いている写真は、業界紙に掲載されていた。
「橋本さん、快挙ですよね」
「岡村さんだって、あの真柴さんと結婚したんだから快挙ですよ。あの真柴さんと結婚する女性ってどんなひとだろ、よほど魅力的でなくちゃ、真柴さんをゲットできないよね、って、うちの会社でも噂になってました」
「岡村が? って、がっかりされてたりして?」
「いいえ。さすがに岡村さんだわ、って」
 嘲笑がにじんでいるようにも感じ取れて、聡美は話題を変えた。
「橋本さんは恋愛関係のほうは?」
「私にはそんな暇はありません。私は器用じゃないし、恋愛体質じゃないし」
「美人なんだからもてるでしょ」
「美人だからって近づいてくるような男性に興味ありませんし、恋愛体質って嫌いだし」
 それって私のこと? とも聞き返せなくなっていると、聡美の上司が橋本を呼んだ。
「では、失礼します」
「あ、はい、失礼します」
 それはもちろん、結婚したのは嬉しい。聡美は豪に恋をしたのだし、豪も聡美をただひとりのひとと決め、ともに相手を生涯の伴侶と選んだのだから。
 仕事だって続けていく。いずれは聡美も出産したいが、すぐにではなくてもいい。職場には出産しても仕事を続けられるシステムも整っているのだし、金銭的には余裕がありすぎるほどあるのだから、子どもが生まれてもどうにでもなるだろう。
 それはいいとしても、橋本の受賞とあの台詞は、浮かれていた気分に水をさされたような心持ちにさせられた。
「そんなことがあったんだ」
 さして忙しい時期ではないので、早めに仕事を終えて帰宅して夕食を作った。豪も早く帰ってきて、ふたりで食卓を囲む。橋本の話をすると、豪が言った。
「それで、おまえは橋本さんに嫉妬したってわけかな」
「嫉妬……そんなんじゃないけど」
 認めたくはないが、あるのかもしれない。
「人間にはないものねだりってのがあるんだよな。近頃の女は恋も仕事も家庭も子どももって、なにもかもを手に入れようとするから疲れすぎるんだろ」
「男は昔から、なにもかも手に入れられてるじゃないの」
「そうとも限らないけど……それはまあ、置いておいて」
「私は橋本さんみたいに大きな仕事はまかされてないし、そんな立場でもないけど、うらやましいってのはあるな」
 恋愛や家庭にうつつを抜かしていては、大きな仕事はできはしない……けれど……と聡美が考えていると、豪がにやりとした。
「おまえだって嫉妬されてるだろ」
「あなたと結婚したから? すごいうぬぼれ」
 にやにやして答えず、豪はローストチキンの脚を手に持ってかじり取った。
 おそらくは豪にはモトカノって存在が星の数ほどいるのだろう。聡美には五、六人しかいないから、少なく見積もっても豪には十倍ほどは?
 今さらモトカノに嫉妬はしない。むしろ嫉妬されるのは聡美のほう、なのかもしれない。結婚式にも豪の仕事関係の女性客はいたから、そんなゲストの中には、聡美を憎悪の目で見ていた者もいたかもしれない。危害を加えられないのだったら、ちょっと快感だったりもする。
 式のゲストに来ていた女性たちのすべては知らないが、中にひとり、この子はあきらかに私に嫉妬している、と思える女の子がいた。
「俺のいとこ、レイサっていうんだ」
 大学生だという彼女は、背丈は低めで細身で、少女期を脱していないような透明感を持っていた。結婚式ではじめて会ったレイサは、強いまなざしで聡美を見つめ、無言で会釈しただけだった。
「レイサちゃん、豪が好きなんだね」
「好きってのか、兄貴みたいなもんだろ。あいつも俺もひとりっ子だからさ」
「そういうんじゃなくて……ううん、いっか」
 挙式の間もレイサの視線を感じていたのは、豪も同様だったのだろうか。他の女はともかく、レイサの嫉妬は聡美を激しく射ていた。
「あなたと結婚したら、よその女に嫉妬されるのは覚悟の上よ。ああ、快感だわ」
 強いてそう言って、聡美もチキンの脚に噛みついた。


4

 脱げば筋肉もついてはいるが、着衣の状態だと悠介は細くて長い。花穂よりも約二十五センチ高く、体重は二十キロほどの差だ。たぶん、花穂には無駄なお肉がちょっとあって、悠介にはまったくないということなのだろう。
「無駄な肉? ここか?」
「やめてぇ」
「ここもかな?」
「私の胸やお尻は贅肉だって言うの?」
「このむっちりした肉はないならなくてもいいんだろうけど、俺にとっては贅肉じゃないよ」
 片腕で花穂を抱き寄せて、ここか? ここ? などと言って、悠介が花穂の身体の女性的な部分に触れる。大きくて筋張った綺麗な手に触れられて、花穂の身体の奥深いところが反応しはじめる。いやではないのに、いやだっ!! と叫んで悠介を突きのけた。
 乱れてしまったブラウスやスカートを整えて、呼吸までもが乱れているのを落ち着かせようとする。ベッドにすわった悠介が腕を広げた。
「花穂、来いよ」
「いや」
 四六時中会っているわけではない。彼にも花穂にも仕事はあって、不規則な時間帯になる場合も多いから、こうしている時間は貴重だ。できることならばふたりきりでいるひとときには、裸になって抱き合っていたい。
 狂おしいまでにそう感じてしまう自分が怖くて、花穂は悠介から逃げたくなるのだろうか。逃げるというよりも焦らしているだけか? だとしたらいやらしい。駆け引きなんかしたくないのに。
 広告代理店の企画会議で、口紅のCMにグラブダブドリブの中根悠介を起用しましょう、と花穂が発言したのが、彼と知り合うきっかけだった。仕事の件は受けてくれなかった悠介は、花穂に恋人になろうと言った。
「俺には結婚願望はないんだよ。おまえが俺の彼女になるって言うんだったら、これからその事情はゆっくり話す。結婚はしないって前提で俺とつきあってくれ」
「勝手な話ね」
「勝手なのはわかってるさ。だけど、それでも、おまえを彼女にしたい」
「……私にも結婚願望はないけど、そのうち変わるかもしれないな。あなたは変わらないの?」
「変わらないな」
 いくらこんな美青年に告白されても、俺はおまえとは結婚はしない、と言われたら、断る女もけっこういるだろう。が、花穂はそれでもかまわなかった。
「俺の親父は母とつきあって孕ませて捨てた。俺は親父と親父の一族が大嫌いだ。よって、子どもはいらない」
「子どもはいらなくても結婚はしたいとかはないの?」
「ないな」
 あれから折に触れて、悠介の過去について聞いた。ごくごく平凡な子ども時代をすごした花穂と比較すれば、悠介のおいたちはずいぶんと波乱万丈で、それゆえにずいぶんとかたくなでひねくれた性格に育ったのだろうと思えた。
 たとえ彼が中根悠介であろうとも、この時点で逃げ出す女もいそうだが、花穂はとどまった。
 今では花穂は悠介のすべてに溺れている。性格はゆがんでいるほうが面白い。口のききかたが乱暴なのは、この顔だとそのほうがかえってスパイスになっていていい。おまえは美人じゃないところがいいんだよ、などと言う台詞も、甘ったるくなくていい。
 まさにあばたもえくぼ。悠介の欠点でさえも、惚れた弱みで美点に思えてきていた。
 けれど、不満はある。私が溺れているほどには、あなたは私を愛してないでしょ? あなたの好きなものはなに?
「一番はギターだな」
 不満の一番は、悠介のこの答えだ。
 来い、花穂、来いよ、と言っている悠介につんとしてみせたのは、むこうから来てほしいから。抱き上げてベッドに運んで。荒っぽくベッドに投げ出して、強い力で抱きしめて。花穂、愛してるよ、ってあの低い声で囁いて。
 なのに悠介は、勝手にしろ、とでも言いたげに、ギターを抱いている。悠介は女嫌いだと公言していて、おまえ以外の女に興味ない、と言い切るので、信じてはいる。それでも、仕事柄たくさんたくさんの女と知り合うのだから、やきもきしたりはしてしまう。
 悠介を取り巻く女たち以上に、花穂のジェラシーの対象となるのはギターだ。
 愛されて使い込まれて、日ごと夜ごと、悠介の腕に抱かれるギター。仕事にまで連れて行ってもらえるギター。実際には悠介は何本ものギターを所有しているのだから、特定の誰かがひいきされているのでもなさそうだが。
 気分次第、弾く曲次第で使い分けられるギターたち。彼女たちは悠介の妾のようなものなのか。人間の恋人は私だろうけど、こんなにもいっぱいライバルがいるなんて……私はギターたちには勝てない。時として、花穂にはギターが女のボディに見えてしまうのだった。
「ギターのフォルムって女っぽいよね」
「だな。ウェストがきゅっとくびれてるんだから、ここが胸、こっちが尻だよな」
「そんなさわり方、しないで」
「ギターに妬くなよ、馬鹿」
「あなたのギターを全部、叩き壊してやりたいんだから。そうしたら怒るだろうから我慢してるんだからね」
「だからさ、おまえがつれないからだろ」
「ギターよりも私を抱きたい?」
「ギターとおまえは別だけど、今はほんとはおまえを抱きたいな」
 ぞくぞくするようなしびれが全身を貫く。もっと言って、もっと、と花穂は望んでいるのに、悠介はギターをつま弾きはじめた。

「届かない心はいつでもむせかえる
 甘すぎるミルクティに似ている
 俺を見ている眼差し
 LIKE A BAD JOKE
 トゲのあるバラのように美しい

 こんな痛みを覚えている時も
 キミは感じるままそう……」

 ぶっきらぼうに響く低い声が、花穂には聴き慣れぬ歌詞を歌っている。ビジュアル系ロックバンドの歌だろうか。素顔でTシャツにショートパンツという姿でいても、どれだけ美しいビジュアルロッカーにも負けない悠介の美貌には、比類なくよく似合っていた。
「悠介……」
 知らん顔で歌い続ける悠介に近づいていく。腕を伸ばしてくれない悠介に苛立って、ギターを取り上げようとしたら、ひょいと遠ざけられた。
「馬鹿」
 その言葉にとろけてしまう。そのまなざしにもその声にも、その手にもその腕にも、魔法にかけられたようになる。悠介はギターを大切に壁に立てかけ、花穂を抱きしめてごろっと反転した。悠介の手が花穂のブラウスにかかる。息が荒くなっていく花穂をギターが見つめているようで、妙に気持ちが昂り続けていた。


END







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