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小説41(あまのじゃく)

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フォレストシンガーズストーリィ・41
  
「あまのじゃく」

1

 半分開いた窓から、男たちの声が聞こえてくる。ここは九州宮崎のとあるホールの控え室であるので、秋の終わりといっても風はまだあたたかいけれど、窓を開けっぱなして彼らはなにを話しているのだろう。覗いてみようか、と思いかけた私は、ひとまず彼らの話を立ち聞きすることにした。
 彼らフォレストシンガーズ、略称「FS」のマネージャーの立場としては、立ち聞きなんかしなくても正々堂々と入っていけばいいのだが、男同士の話はそうは聞けるものではない。ちょっとだけね、と自分に言いわけして、私は耳を澄ませた。
 十八だったよ、と言ったのは乾くん、俺も十八、と言ったのは章くん。思い出話でもしているのかと思ったのだが、どうも雰囲気が怪しい。怪しいというよりも妖しい。幸生くんが、俺は十六、と言ったのでぴんと来た。男同士でしかできない話題なのではなかろうか。女が加わっている場ではセクハラになりかねない。
「……ませてるんだな、おまえらは」
 怒りを含んでいると聞こえなくもない声は本橋くんで、乾くんが応じた。
「おまえも十八だったんじゃなかったのか」
「……俺は二十歳だ」
「そうかぁ。すると……」
「変な想像すんなよ、乾」
「変な想像はしてないよ。普通に想像してるんだ。するとすると……」
「屁理屈言ってんじゃねえんだよ。おまえは十八? すると……」
「おまえこそ変な想像すんな」
 年長者ふたりの実に下らないもめごとをさえぎって、章くんの高い声が聞こえた。
「十八ってのは男としたら標準じゃないのかな。幸生、それにひきかえおまえって奴は……そんなら高校生のときか。相手は年上か。綺麗なお姉さんか」
「ふへ? 俺くらいで普通じゃん。みなさん、遅れてらっしゃいますわね」
「おまえはやっぱり俺が睨んだ通りの、マセガキだったんだな」
 矛先を乾くんから幸生くんに変更して、本橋くんが言った。
「おまえが早すぎなんだ。高校生の分際で綺麗なお姉さんとだと? それは事実か。見栄を張ってるんじゃないだろうな」
「俺は正直に言ってるんですよ。いいじゃん、そんな、過去に目くじら立てなくても。それよりシゲさん、シゲさんはなーんにも言わないけど、まさかまだってことは……うが」
 うが、ってなに? 誰かが幸生くんの口を押さえた? 我慢できなくなって窓の中を覗くと、幸生くんの口を押さえているのは乾くんで、その乾くんと私の視線がばっちり合った。乾くんは一瞬間抜け面になり、この話はやめよう……と言いかけたようなのだが、シゲくんが暗い声で言った。
「まだじゃないけど、俺は……どうせ俺はもてないよ。ほっとけ」
「そんなふうに言ってるわけじゃないんだぞ、シゲ。そうだな、乾の言う通りだ。こんなつまらない話はやめよう」
 慌てて顔を引っ込めた私の耳に、本橋くんの声が聞こえた。続いての発言は乾くん。
「そうそう、それより仕事の話をしよう。幸生、おまえも蒸し返すなよ。黙ってるんだったら手を離してやる。約束できるか」
「……わかりましたよぉ。黙ってますよ。はー、苦しい。呼吸困難だぁ。乾さんったら、そんなに強く押さえなくてもいいでしょ。なんか慌ててる? なんで? なにかまずいことが……?」
 黙れ、と本橋くんがひと声発し、幸生くんが沈黙した。リーダー命令に従った? げんこつ? 気になるので再び覗いてみたら、幸生くんは口に酸素吸入器を押し当てられていて、章くんが乾くんの耳元に口を寄せていた。乾くんは章くんに耳打ちし返し、章くんから幸生くんの耳に、乾くんは本橋くんに、本橋くんがシゲくんにと、伝言ゲームをやっていた。
 外にミエちゃんがいるよー、の伝言ゲームだろうと推測できたので、私はその場を離れて歩き出した。まったくもう男って……ああいうことでまで張り合って、どうしようもないったらどうしようもない。女同士でもそのたぐいの話をしなくはないけど、私たちはあんなふうに、どっちが早かった、なんて張り合ったりしない。する女もいるんだろうか。
 馬鹿な話を聞いたせいで、私の連想もそちらへ向かっていった。私も十八だった。大学に入学して、というよりも正確には合唱部に入学したみたいな八年前。合唱部の四年生だった星さんと、合宿の夜の海辺で。きらきら星が夜空から見守ってくれてたね。潮風そよそよの渚でだったね。長らく心の隅に住んでいた星さんを、「昔、好きだったひと」のカテゴリーに入れられたあの夜は、今から一年半ばかり前だったか。
「山田さん」
 え? 星さん? そんなはずがないでしょうが。慌てて頭を振って振り向いた。やっぱり声が似ている。やっぱり私は、今でも星さんを? だから血迷ってしまったのだろうか。私を呼んでいるのは金子将一さんなのに、星さんだと錯覚してしまうなんて。しっかりしなさい、と自分を叱咤して振り向いた。
「卒業しても、俺たちは縁があるんだね。本日はよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 ふたつ年上の金子さんは、フォレストシンガーズから一年遅れでプロシンガーとしてデビューしている。フォレストシンガーズはデビューしてから三度目の秋で、金子さんは二度目の秋を迎えている計算になるのだが、卒業後も時には顔を合わせていた。
 今日は長崎のショーで共演だ。金子さんには妹がいて、彼女も一時は合唱部にいたので、学生時代には兄妹を、将一さん、リリヤちゃん、と呼んでいた。
 合唱部に本橋くんと私と乾くんが入部したときには、将一さんは三年生だった。四年生には高倉誠氏という方がいらして、男子部に君臨なさっていたのだが、将一さんが四年生になり、私たちが二年生になり、シゲくんと、かつてはフォレストシンガーズの一員だった小笠原くんが入部してきたころには、男子部トップの座はまぎれもなく金子将一氏が占めていた。
 リリヤはシゲくんや小笠原くんと同い年。将一さんが大学を卒業したら、リリヤとの兄妹デュオとしてメジャーデビューすると決まっていると聞いていたのだが、その決定事が覆った顛末は、私もよくよく知っていた。リリヤに相談されたのは私だったのだから。
「山田先輩……あたしね」
 いつの間にやら合唱部での私の存在意義は、アルトパートのメンバーではなく、マネージメント担当みたいになりつつあった、そんな時期だった。そろそろ四年生は卒業が近かったので、将一さんは合唱部には顔を出さなくなっていて、リリヤと私のふたりきりになったのを見澄まして、彼女が話しかけてきたのだった。
「できちゃったみたい」
「できちゃった? つまり……できた?」
「そうなんですぅ。できちゃったんだったら結婚しようって彼は言ってくれてるんです。私も結婚したいんだけど、大難関が立ちはだかるんですよ。絶対に反対される」
「お兄さま、だよね」
「他に誰がいるんですか」
 あなた、まだ十九歳でしょ? ませてるってのはあなただよぉ、と言いたいところだったのだが、できちゃったものは仕方ない。私はため息をつくだけにとどめて言った。
「結婚するんだよね。そんならいいんじゃない? 彼が逃げてるとでも言うんだったら、将一さんも怒るだろうけど、きちんと結婚するんだったらいいじゃない。リリヤちゃんは結婚して出産して、そのあとでお兄さんといっしょにデビューするって形にしてもらえないの?」
「あたし、彼とおなかの子供だけのために生きたい」
「はあ?」
メジャーデビューが決定しているのを棒に振る? 信じられない発想に思えた。だが、リリヤは夢見る乙女みたいな風情で言った。
「歌なんかどうでもよくなっちゃったんです。彼と結婚して、この子を産んで育てて、若くて可愛いママになりたいの。あんなうるさいお兄ちゃんと仕事なんかするより、のんびり主婦をやってるほうがいい」
「リリヤちゃんがそうすると決めたんだったら、私が反対する筋合いじゃないよね。お幸せに」
「はい。だけど、その前に……山田さん、お兄ちゃんは山田さんには一目置いてます。山田さんから話してもらえませんか?」
「そんなのいやです。自分のことは自分でしなさい」
「……そうかぁ。ああ、流産しそう」
「脅かしても駄目よ」
 大難関をどうやって突破したのかまでは知らないが、リリヤは大学二年になるころに結婚式を挙げ、将一さんは兄妹デュオでデビューするあてが外れ、それでも現在はソロシンガーになった。
「リリヤちゃんは三人目だそうですね。あのリリヤちゃんがねえ……」
 華奢でこわれもののようなとびきりの美少女で、何人も何人もの男の子に片想いをさせていたのであろうリリヤちゃんが三児の母とは、おまけにかなり太ったらしいとは、私は彼女とは長らく会っていないので、太った母になったリリヤちゃんを想像しにくい。どんな感じなんだろうかと頭の中に像を結ぼうとしていると、金子さんは言った。
「山田さんは知ってるんだろうけど、本庄の奴がさ……」
「シゲくんがなにか?」
「ん? その顔は知らないの? あれから七年か。古い話なんだからいいよね。本庄はリリヤが好きだったんだよ。リリヤにあいつが、つきあって下さい、と言いかけてたところへ、俺が邪魔したんだ。そのころはリリヤには恋人なんかいなくて、リリヤも本庄にまんざらでもないように見えた」
「……そういえば、思い出しました。あれが原因?」
「かもしれないね」 
 夏休みの合唱部のコンサートのときに、金子兄妹の喧嘩に割って入って、リリヤに抱きつかれて困り果てていたシゲくんを思い出した。シゲくんはいまだに純情青年なのだから、あのころはさぞや……であったのだろう。刺激が強すぎて恋に墜ちた。ありそうな話ではある。
「本庄がリリヤに告白していたら、リリヤもうなずいてたかもしれない。そしたら、今のリリヤのダンナみたいには、本庄は性急にことを運ばなかっただろうと思うよ。そしたら、リリヤは俺とふたりでデビューしていたかもしれない。仮定の話ではあるけど、邪魔なんかしなかったらよかったな、って考えなくもなかったんだよ。リリヤが結婚なんかしなかったら、回り道をしなくてもよかったのかな、ってさ」
「どうやって邪魔をなさったんですか?」
「リリヤ、こんな冴えない男はやめとけ」
「冴えない男? シゲくんが? ひどぉ」
「後悔してるよ」
 なんて言いながら、将一さんは笑っていた。
「本庄はもちろん、俺が乾よりももっといい男を見つけてやる、とも言ったっけ」
「乾くんがどう関係あるんですか」
「リリヤには乾が本命だったのかな。今となってはよくわからないんだけど、乾にはふられちまって、俺としてはいい男を見つけてやる、なんて言ったのは口先だけだったから、そうこうしてるうちにあの男が横合いから、リリヤをかっさらっていった、ってわけだよ」
「乾くんが本命?」
 七年前の乾くんとシゲくんの姿は、過去のベールをかぶってぼやけて見える。けれど、思い起こせばシゲくんよりは乾くんのほうが、十代の女の子にはかっこよく見え……おっと、シゲくんに失礼だね。やめておきましょう。なんにしたってすべては過去だよ、シゲくん、俺はどうせもてないよ、なんてひがんでちゃ駄目よ。私がそんなことを考えていると、咳払いをしてから将一さんが言った。
「山田さんはあいつらのうちの誰かとつきあってるの?」
「……前にもその台詞、聞いた覚えがありますよ」
「そうだったかな。いつ?」
「本橋か乾とつきあってるの? だったかしら。あのころは他の三人とは親しくもありませんでしたから」
「そうだったかなぁ。女性は記憶力がいいね。俺は忘れたよ」
 OBとしてやってきた将一さんと、合唱部のイベントで会った際だった。私は鮮やかに覚えていた。
「山田さんは本橋か乾とつきあってるの?」
「いいえ。彼らはただの友達です」
「じゃあ、他に誰かいる?」
「誰かって? 恋人? います」
「……ああ、そう」
 そう答えたら、将一さんはそれ以上はなにも言わずに立ち去った。今日もほぼ同じ台詞を口にするってことは?
「全員とつきあってはいますけど、学生時代の仲間の延長として、仕事仲間として、です」
「恋人は?」
「仕事が恋人……なんちゃって、かな。FSもデビューしてから二年たったのに、ちっとも売れませんから。マネージャーの私としても、恋どころじゃありません」
「そうか。俺も同じなんだな。しかし、紆余曲折はあったけど、俺もやっとプロになれた。あれから一年。いつ売れるのかわからないのはきみたちと同じだから恋どころじゃないんだけど……でもね、山田さん……」
 フォレストシンガーズ中ではもっとも背の高い本橋くんよりも、将一さんはさらに高い。顔立ちは本橋くんと比較すると、本橋くんが気の毒なほど端整である。FSでは顔はいちばん、と評判の章くんと較べても、将一さんのほうがずっとハンサムだ。というよりも、章くんとは較べようもない。声は本橋くんとシゲくんの中間あたりか。響きのいいバリトンで、声は星さんと似ている。ゆえに、一瞬錯覚したのだ。将一さんは顔を見て声を聴いている分には申し分ない。
 性格は本橋くんのタイプかもしれない。お兄ちゃんは短気なんですよ、とリリヤがいつも言っていた。私も短気だから、つきあったりしたら喧嘩ばかり、となる可能性もある。だけどだけど、と思い出してみれば、妹に対しては我慢強くないけど、と言いながら、私の八つ当たりに我慢強くつきあってくれたこともあったっけ。あれれ? 私は金子さんの性格を把握していない?
 そういえば、乾くんが言っていた、金子さんって分身の術が使えるんだよ、だった。その意味を深く話してくれなかったけれど、金子将一氏とは、あの乾くんを悩ましくさせる人物なのだ。
 遠い昔すぎて忘れかけていたけれど、将一さんを見ているとありありと思い出されてきた。キスしようか、とも言われたような……あのエピソードは恥ずかしすぎて、将一さんも覚えてます? とは口にしにくい。私は金子さんと呼んだり将一さんと呼んだりしているのだが、最近は本橋くんたちは金子さんと呼んでいるので、私もそう切り替えよう。
 金子さんはルックスだって歌唱力だって抜群なのだから、彼はフォレストシンガーズよりも先に売れるのではないかと思える。そう、ライバル。ライバルと恋をしてはいけないのかな? ロミオとジュリエットじゃないんだから、別にかまわないよねぇ、と心を揺らめかせていると、すっとんきょうな声がした。
「美江子さーん、なにやってんですか? えとえと、どなたでしたっけ?」
 姿を見せたのは幸生くんで、私は心の揺らぎを追い払って言った。
「知ってるくせに。なにとぼけてるの? 大先輩を覚えてないの?」
「……お、金子先輩。金子将一さんですよね? 僕は三沢幸生と申します。ほとんどはじめましてのようなものですけど、以後、お見知りおきを願います」
 ほとんどはじめましてではまったくないはずなのに、最敬礼する幸生くんに、金子さんは苦笑まじりの微笑を向けた。
「お噂はかねがね。こちらこそよろしく」
「俺の噂ですか? 大先輩のお耳に届くとは、どのような噂でございましょうか」
「幸生くんは在学中から、女子部にまでその名を轟かせてた傑物だったんだものね。卒業したあとも伝説になってるんじゃないの? 本橋くんや乾くんが残した伝説とはちがう伝説ね」
「俺が伝説? おーー、感動!!」
 その意味は察しているであろうに、いいほうに曲解しているんだかなんだか、幸生くんは嬉しそうに叫んだ。彼のハイトーンヴォイスが響き渡り、かなり離れた窓から、FSの残り四人が顔を出した。金子さーん、と呼んで手を振っているのは乾くんだ。章くん以外の三人は子供みたいに窓から飛び出してきて、金子さんを目ざして駆け寄ってくる。章くんもあとから出てきて、ゆっくり近づいてきた。
 話の続きはあとでね、と金子さんは言いたかったのだろうか。私に目配せしてから、大先輩の余裕と、ライバルへの視線をこもごもそなえて、四人を出迎えているように見えた。

 
 ショーが行われたホールに近い居酒屋で、ちらちらと金子さんの視線が私のほうへ向かっている。金子さんは本橋くんをはじめとする男子部の後輩たちに囲まれているのだが、私を気にしているらしい。私は私で、合唱部時代の同年の男性と話していた。
「今夜は合唱部の同窓会みたいね」
「俺はあいつらはどうでもいいんだけど」
 クールなのかポーズなのかつかみづらいところは、昔と変わっていない。これでも彼は私には尋常に接してくれるのだが、本橋くんや乾くんにはきわめて態度が悪いくて、本橋くんはしょっちゅう怒っていて、乾くんはしょっちゅうため息をついていた。
 大学四年生のある日、本橋くんと乾くんは徳永くんを合唱部の部室に呼び出した。だが、徳永くんはのっけから喧嘩腰で、けんもほろろに本橋くんと乾くんの申し出を断ったあげく、こう言ったのだそうだ。
「いい機会だから、俺は本橋を殴りたいんだよ。おまえは手を出すな。おまえはたいして強そうには見えないけど、二対一では俺の分が悪い。本橋と一対一で勝負したいんだ」
 男ってのはまったく、という感想を押しやって言えば、身長も体格も互角だから、いい勝負をしたのではないかと私には思えたのだが、結果は徳永くんの惨敗。そのあげく、徳永くんはこうも言ったのだそうだ。
「……美江子さんを幸せにしてやれよな。俺は引き下がるよ」
 は? はあ? と本橋と顔を見合わせて、去っていく徳永をふたりして見送っていたんだよ、と乾くんはしめくくり、私も呟いた。はあ? だった。
「……じゃあ、乾くんは意味のある喧嘩だったら買うんだね。意味のある喧嘩ってどんなの?」
 話題がそれるのは承知の上で尋ねてみると、乾くんはむにゃむにゃ言い、本橋くんがかわりに答えた。
「おまえと殴り合いをやりたい、と言われたんだぞ。意味があるのかないのかなんて以前の問題だ。売られた喧嘩を買わなかったら男がすたるだろうが。おまえは喧嘩を売られても買わないのか」
 質問は私に向いていた。
「私? 私は殴り合いなんてやったことないよ」
「……そうか、おまえは男じゃなかったんだ。なににしてもだ。あのときは喧嘩を売られたのが俺だったんだから、躊躇なく買った。乾だって口ではごちゃごちゃ言ってるけど、いざとなったら受けて立つに決まってるんだ。乾、だいたいからしておまえはうだうだ言いすぎなんだよ」
「……おまえは男じゃなかったんだ? 忘れてたの?」
 忘れてはいないけど……と本橋くんもむにゃむにゃ言い、乾くんは言った。
「忘れてたわけじゃなくて、言葉の綾ってやつだよ。ミエちゃん、気にしない気にしない。つまりね、徳永の誤解ってわけだったんだな。だからなんだろ。高倉さんに目をかけられていたのが気に食わない、なんてのは昔の話じゃないか。それが緒を引いていたのもあったのかもしれない。加えて、徳永は本橋とミエちゃんが恋人同士だと思ってる。要するに、徳永はミエちゃんが好きだったんだろ。なにか言われたことはある?」
「ない」
「ないのか。おまえに直接なんにも言わずに、勝手に誤解して怒ってるってのか、俺を殴り倒してから、おまえを奪うつもりだった? あいつは馬鹿じゃねえのか。なあ、乾?」
 うんうん、と乾くんはうなずいた。
「ミエちゃんは徳永が好き?」
「好きか嫌いかなんて考えたこともないな」
「彼のほうからも告白すらしていない。ミエちゃんが彼を好きかどうかも知らないわけだね。なのに本橋とミエちゃんがつきあってるって思い込んで、憂さ晴らしに殴りたかっただけなのかもしれない。殴りかかってみたのはいいけど、あっけなくも負けちまって……気の毒とも言えるけど、馬鹿じゃないのか、とも言える」
「気の毒なんかじゃねえよ。ただの馬鹿だ」
 けっこうあちこちで、本橋くんと私はカップルだと思われていたらしい。金子さんにも尋ねられたし、女子部の仲間たちにも訊かれた。直接尋ねられたら否定できるけど、訊かれもしなかったら否定もできない。
「ま、そんなうだうだした男は、仲間に入れなくて正解だな」
 本橋くんは言い、そうかもな、と乾くんも言い、それっきり徳永くんのことは忘れ去られていた。もしかしたら忘れていたのは私だけで、本橋くんたちは忘れていなかったのかもしれないが、少なくとも私は忘れていた。
 そんな徳永くんと再会したのは、金子さんつながりだった。徳永くんもずっと歌の仕事をしていたので、金子さんとはつきあいが続いていたのだそうだ。今回も金子さんの引きで、ショーに出演することになったと話してくれた。
「持つべきものは先輩だよ」
 ところで、と徳永くんは、金子さんと話し込んでいる本橋くんをちらっと見て言った。
「結婚……してないんだな」
「フォレストシンガーズはみんな独身よ」
「美江子さんと本橋は?」
「私も独身よ。フォレストシンガーズは誰も結婚してないんだから、もちろん本橋くんも独身」
「売れないから結婚は見合わせてるとか? そのうちにはするんだろ」
「売れないのと結婚はあまり関係ないんじゃないの? 徳永くん、なにが言いたいわけ?」
「……別れたとか?」
「誰が、誰と?」
 なにを言いたいのかわかってはいたけれど、訊き返してみると、徳永くんは口ごもってから言った。
「以前はつきあってたけど別れて、今は仕事の関係だけだとか?」
「……誰と誰が?」
「美江子さんと、あっちにいるリーダーだとか言ってる奴とだよ」
「……かつて一度たりとも、私は彼とそういう意味でつきあったことはありません」
 へ? と徳永くんは絶句し、私は思わず吹き出した。
「昔も今も、本橋くんと乾くんは友達よ。今ではシゲくんも幸生くんも章くんも、半分は友達、半分は仕事仲間ってところかな。昔から時々、本橋くんは私の彼だと思ってるひとがいたみたいだけど、全然そんなんじゃないの。徳永くんもそう思ってたの?」
 思っていたようなのも知っているけれど、敢えてそう訊くと、徳永くんは当惑気味にうなずいた。
「乾くんより本橋くんのほうが、私と親しげに見えた? 乾くんか本橋くんとつきあってるの? って、昔はいろんなひとに訊かれた。今でもたまに訊かれる。私にとってはどっちも昔からの友人なんだけど、男と女が友達づきあいできるっていうのを、信じないひともいるんだよね。徳永くんもその口?」
「……いや、じゃあ、昔も今も、本橋は美江子さんの彼じゃないんだね」
「何度でも言うけど、ちがいます」
 ふーむ、とうなずいてから、徳永くんはテーブルの下で私の手を握った。
「ん?」
「そうか、でも、本橋じゃない恋人がいる……いるんだろ」
「いない」
「じゃあ、美江子さん、俺と……」
 人間にはもて期だとかいうのがあるらしい。大学生のころはそれなりにもてたつもりの私は、もて期とやらはすでに去ったのだと思っていた。一日のうちにふたりの男性から、はっきりつきあってくれと言われたのではないにせよ、それらしく匂わせる台詞で誘われるなんて、ミエちゃんもまだまだ捨てたものじゃないかな、なんてうぬぼれてもいいかしら。
 客観的に見れば金子さんのほうがルックスはいいけれど、徳永くんも悪くはない。なんといっても徳永くんはこのハスキーヴォイスがとびきりセクシーで、耳元で恋を囁かれたらよろめいてしまいそう。女にとっては罪な声の持ち主なのである。両方に言い寄られたのだとしたら、私、どうしよう? なんて想像したら、むふふと笑えてきた。
 性格はどうなのかなぁ。金子さんの性格はつかみ切れないし、徳永くんは忘れてたけど、乾くんとどっちが上? ってほどに、性格が歪んでいたような……それも面白いといえば面白いけど、悩むのはまだ早いか。金子さんからも告白されたとは言いがたい。徳永くんもずばりとは言わない。金子さんとふたりきりでいたのを妨害したのも幸生くんだったのだが、今度もまた幸生くんが話しに割り込んできた。
「徳永さんは美江子さんとの積もる話もおありなんでしょうけど、男同士の話もしましょうよ。金子さんとうちの先輩たちは、章の声をめぐっての議論に突入しちゃって、おまえは邪魔だからむこうへ行ってろ、ってはじき飛ばされちゃったんですよ。美江子さん、徳永さん、俺もこっちにまぜて」
「……俺はもともと、おまえみたいな男は……」
「はい? 俺みたいな男はお好きではないと?」
「とぼけるな」
 おや? とぼけるな? 私の知らないなにかがあるみたい、と思って幸生くんを見返すと、彼は大ボケ顔で言った。
「俺って軽く見えるんですよね。こう見えて、体重は俺よりも章のほうが軽いんですが」
「私は章くんよりもうすこし軽いかな。そうでもない?」
「美江子さん、何キロ?」
「内緒」
「内緒にしなくていいじゃん。教えて」
「いやですよーだ」
 そういうところがだ、と徳永くんは、テーブルを両手で叩いた。
「体重の話なんかしてないだろ。あの硬派の本橋が、なんでおまえを仲間にしたのかわからない。おまえみたいなのは本橋とは相容れないタイプのはずなのに」
「そっかー、リーダーと俺は相容れないタイプなのか。だから怒られてばっかりなのかな」
「怒られてるのか」
「まあ、リーダーですからね、えらそうにってのか、いばってるってのか、頭を押さえつけられっぱなしってのか、なにかったら、ぼかっずばっどすっ、てのか」
「そうやってえらそうにされて、腹は立たないのか」
「腹が立つ?」
 わざとらしくきょとんとした顔をして、幸生くんは徳永くんを見つめた。
「なんだっておとなしく、本橋のやりたいようにやらせてるんだ。昔は合唱部の先輩後輩だったにしても、現在は対等の仕事仲間だろ。おまえが押さえつけられっぱなしになってるいわれはないじゃないか」
「その通りなんでしょうけどね、でもね、徳永さん、ちょっとお耳を拝借」
「なんだよ」
 怒り顔の徳永くんの耳に口を寄せて、幸生くんがなにか言った。言っておいて、えへへぇ、と笑み崩れる幸生くんを見て、勝手にしろ、と徳永くんは吐き捨てた。
 どうも徳永くんも金子さんも、性格的には本橋くんと似たタイプに見える。そのたぐいの性格の男には慣れているとはいうものの、友達と恋人だと関係がちがってくるし、どうしたものだろう。どうしたものか、などと悩むのは、つきあってほしい、と言われてからでいいかな、と思い直して、私も幸生くんの耳に口を寄せていった。
「今、徳永くんになんて言ったの?」
 私の耳に返ってきた幸生くんの内緒話は、いかにも彼らしいものだった。だって俺、リーダーが大好きなんだもーん、なのだそうだ。どこまで本音だか知らないけど、それでは徳永くんも、勝手にしろ、としか切り返せないよね、と考えて、幸生くんとふたりでくっくっと笑ってしまった。にしても、徳永くんと幸生くんのやりとりには、なにかがほの見える。
 金子さんにしろ徳永くんにしろ、私が窺い知れないところで、うちの誰彼となくと関わっていた? 学生時代にも、卒業後にも? そのすべてを私が知らないのは、例によって例によるのだろうけど。

 
2

 宮崎での仕事を終えて帰京し、フォレストシンガーズ所属事務所に顔を出し、今回の仕事の報告やら後の仕事の打ち合わせやらをしていると、社長がうっそりと言った。
「山田……きみはどうしてそう……」
「じきに喧嘩腰になるんだ? とおっしゃりたいんですか。このままフォレストシンガーズを続けていても埒が明かないんじゃないのか、なんて言い出したのはどなたでしょう? 細々ととはいえ、今回のように仕事も途切れずにあります。CDも売れてます。彼らも私もまだまだ希望に燃えてます。一生懸命やってます。努力は認めない、結果しか眼中にないとおっしゃりたいんですか」
「そうは言ってない。わかったよ。いや、あのな、本庄をな……」
「本庄くんがなにか?」
 とある芸能プロダクションの名を社長が口にした。数日前にそこの社長と話したのだという。
「アイドルタレントの事務所ですよね。そういう事務所と本庄くんになんの縁があるんですか」
「本庄をほしいと言われたんだ」
 シゲくんをアイドルに? 解せないにも程がある。章くんか幸生くんだったらわからないでもないけど、あとの三人はアイドルタイプでは絶対にないはずだ。
「なんたらいう女の子三人のアイドルグループに、男をふたり入れて男女アイドルグループにしたいって案があるんだそうだ。そのうちのひとりは同じ事務所の売れないアイドルをあてがうらしいんだが、あとひとり、声の低い男がほしいんだそうだよ。そこで本庄が目をつけられた。アイドルグループの一員ったって、本庄は女の子たちのバックコーラス役なんだろ」
「そんなのって……本庄くんを引き抜こうなんて許せません」
「山田、目がとんがりっぱなしだよ」
「それもいいかなぁ、なんて思ってらっしゃるんじゃありません? フォレストシンガーズを解体しようなんて、ちらっとでもお考えになられたんじゃありませんよね?」
「ないない」
 彼らは五人そろってこそなんですから、と私が言いかけると、社長は目の前で手をひらひらさせた。
「きみの耳にも入れておいたほうがいいから話したまでだ。しかし、本庄にも話してみると先方は言ってたよ。本庄が受ける気になったら、私も駄目だとは言わないつもりだ」
「駄目です。ぜーったいに駄目です」
「しかしな、山田」
 懇々と諭す語調になって、社長は言った。
「考えてもみろ。きみも言った通り、フォレストシンガーズのCD売り上げも仕事も細々としたものじゃないか。あいつらの歌は素晴らしいと私も思ってるよ。歌の下手なアイドルのバックだなんて、本庄には役不足だと思うよ。しかし、それでもしも成功したら、本庄のためにはどうだ?」
「……う」
 プロのシンガーズになって成功する、それが彼らの望みだ。その望みは半分はかなったけれど、後半の肝心な部分がかなわぬまま、デビューしてから二年がすぎた。成功するあてはまだない。私が考え込んでいると、社長が別件を切り出した。
「うちに出入りしてるスターオフィスの越智って知ってるよな」
「はい」
「越智くんがなぜだか、やたらにきみのことを聞いてたぞ。なにかあったのか」
「なにかって?」
「私は知らんよ。噂をすればなんとやらだ。来た。きみと話したいんだろ。行ってやれよ」
「私はそれどころじゃ……」
 頭の中がシゲくんでいっぱいになってるというのに、オフィス用品を扱う会社の営業マンなんかと話しをする気にもなれない。なのに彼はおずおずと私の背中に声をかけた。
「山田さん、よろしかったら今夜、食事につきあっていただけませんか」
「……なにかご用ですか。よろしかったら今、言っていただけません?」
「今はちょっと……ふたりきりに……」
「そんなら私は席をはずそうか」
 気配りなんかしてくれなくていいのに、社長がにやりとして事務所から出ていった。ふたりきりになってしまった。
「社長から山田さんについてあれこれ話していただきまして……リサーチなんて言ったら失礼なんですけど、そのような感じで……つきあってる方はいらっしゃらないんですよね」
「いませんよ。私は現在は仕事に生きてますから」
「仕事もいいけど、考えてみていただけませんか? こんなところではなんですよね。ふたりで食事しましょうよ。今日は仕事はおしまいなんでしょう? フレンチのいい店があるんです」
 振り向いて越智氏をまじまじ眺めてみた。とりたてて意識したことはなかったので、じっくりと見るのははじめてだ。背丈はシゲくん程度、中肉中背の凡庸なルックスの持ち主ではあるが、悪い印象はない。堅実な企業に勤務するビジネスマン。私の世界にはいないタイプだ。が、どうしたって今はそれどころではない。好都合だかどうだかは知らないが、事務所のドアのむこうに、頭がふたつ見えた。
「……あ、ごめんなさい、またにして下さいません? 急用ができたんです。本橋くん、乾くん、入ってきて。越智さんはとにかくお引き取り下さい」
「は、はあ……そうですか。でも、山田さん……」
「またね。また」
「……はい」
「なにやらお取り込み中じゃなかったの?」
 では、あの、また、あの、などとぶつぶつ言いながら越智氏が出ていき、入れ替わりに入ってきた乾くんが問いかけ、本橋くんも言った。
「あいつ、誰だ?」
「誰だっていいの。この際無関係なの。それより本橋くんと乾くんは知ってるの? シゲくんの……」
「ああ、あれね」
 うなずいたのは乾くんで、本橋くんは言った。
「おまえにも話そうと思って来たんだよ」
「その話は解決したよ」
 帰京してから私は事務所に直行していたのだが、彼らは別の仕事でテレビ局に出向いていた。深夜番組の録画取りのために控えていた楽屋で、章くんがアイドルグループの少年と喧嘩になりかけたと聞いたと、乾くんが話してくれた。
「木村シンヤって奴、知ってるだろ」
「知ってるよ。そうか。シゲくんを引き抜こうとした事務所の子だよね。その木村シンヤが章くんになにを言ったの?」
「意味ありげなほのめかしをされたのが章で、まだしも幸いだったかな。木村のシンちゃんもなかなかのものみたいだけど、うちの本橋のシンちゃんだったら切れてあばれてた恐れがあるもんな」
「俺はそんなことはしねえって言ってんだろ」
「しないとは限らないよ。だけど、今回はふたりのシンちゃんは直接顔を合わしていない。それでね、章はなんとか我慢して俺たちのところに戻ってきて、なにがあったんだ? って幸生に問い詰められて口を割った。そしたらシゲも口を割った」
 私が社長から聞いた一件そのままだった。
「そのあとはちょっとした愁嘆場さ。こんなふうにね」
 アイドルグループなんてシゲさんのガラだとは思えないけど、断っていいの? いい話じゃないの? と幸生くんは言ったのだそうだ。本橋くんと章くんはただただ当惑していて、幸生くんの声だけが響いていた。
「いつかはきっと、いつかはきっと、そう信じて歩いてきましたね。俺は今でも信じてますよ。いつかきっと売れてみせる、俺たちを馬鹿にした奴らを見返してやる、乾さん、いつかそう言いましたね。みんなそう思ってた。シゲさんも言わなくても思ってると信じてる。でもね、シゲさんに別の道が開けるんだったら、リーダーといえども止める権利はないはずでしょ? 俺たちは今も売れてないよ。ちんぴらアイドルに馬鹿にされるほどの存在だよ。売れてもいない奴らにはなにも言えない世界じゃないか。シゲさん、よく考えたほうがいいですよ。いつかはきっと、だなんて傷口なめ合っててもどうしようもないんだから」
「今なら別の道を進むこともできるな」
 乾くんも言った。
「若いうちはいくらもやり直しが利く。シゲ、よく考えてから結論を出せ」
「乾、おまえまで……」
 そんなのってないよ、と章くんはくちびるを噛み、本橋くんは肩を落とした。
「しかし、言われてみりゃその通りだ。俺にシゲの行く手をふさぐ権利はない。俺は大言壮語したろ。ついてこい、絶対に後悔はさせない、そう言っておまえたちをフォレストシンガーズに誘った。ついてきてくれたんだよな、こんな頼りないリーダーに……有限実行をかなえられもしない俺に……シゲ、行くか」
「馬鹿言わないで下さい!!」
 シゲくんは叫び、幸生くんは言った。
「ついていきますと言ったけど、単についてきたつもりはないよ、俺。リーダーの責任じゃないもん。売れる売れないは努力の外だよ。そんな世界だと俺も知ってますよ。リーダーがひとりで責任ひっかぶんなよ。いいかっこしすぎだ」
「……生意気だな、おまえ」
「そうですね、リーダー。ごめんなさーい」
 ぺろっと舌を出して子供みたいに笑って、幸生くんはまたまた言った。
「決めるのはシゲさんですよね、乾さん?」
「ああ、そうだよ。考える時間を持つか、シゲ?」
「そんなのいりません。考える余地なんかありません。いやですよ、俺はフォレストシンガーズのシゲじゃなくなるんだったら、歌を続けていく意味なんかないんだ」
「そこまで言ったら言いすぎですよ、シゲさん」
「言いすぎじゃない。その決意でやってきたんだ。俺を追い出そうだなんて……いやだ。俺は章のか細い腰にすがりついてでも、フォレストシンガーズにしがみつく」
「おー、大変。章、腰をガードしろよ」
「そうだな」
 怒っていた章くんが、むしろ冷静になって言った。
「幸生ってのはほんと、意外な一面を持ってるよな。俺だったら思ってても言えないよ。ひとりで責任ひっかぶるな、いいかっこしすぎ? リーダーに向かって? 名言だね」
「おまえは思ってても言わないかわりに、やけっぱち行動で表現するんだよな」
「幸生、それを言うな」
「いつになるかわからないぞ。いいんだな、シゲ?」
 いつになるかわからない、とは、いつ俺たちの目標にたどりつけるかわからない、だったのだろう。言った乾くんに向かってシゲくんはしっかりうなずき、本橋くんも言った。
「参った、負けたよ、幸生。シゲ……おまえたちにも、いつか言う」
「なにを、リーダー?」
「いつか言うと言ってるんだから追求すんな」
 なにをなにを? と幸生くんはしつこく追及し、本橋くんが幸生くんの頭を邪険に押しのけていた。乾くんはそこまで話して微笑んだ。
「そんな顛末だったんだ。だからね、ミエちゃんが心配するような事態にはならないよ」
「そう……よかった。ほっとした」
「本橋がいつか言うって言った台詞、ミエちゃんにはわかる?」
「なんとなくはね。幸生くんったらかっこいいじゃない。そうだよね。本橋くんはえらそうについてこいって言って、みんなを引っ張ってきた。本橋くんがリーダーとしてみんなを牽引してきたのはまぎれもない。でも、彼らは黙って本橋くんについてきたわけじゃない。幸生くんの言い分もまぎれもない事実だな。本橋くん、いい仲間を持ってよかったね」
 うん、そう言いたかったんだな、と乾くんは本橋くんの顔を見、本橋くんは知らんぷりをした。
「とにもかくにもよかったよかった。私もあなたたちの結束の強さは信じてたよ。でも、社長の台詞にも一理あるなとは思ったの。だけど、シゲくんの言う通りだもの。私もそう思う。フォレストシンガーズは五人そろってこそ、でしょ?」
 まあね、とふたりは声をそろえ、私は言った。
「安心したらおなかがすいてきた。ごはん食べにいこうよ」
「そうだ、俺も腹ぺこだったんだよ。社長との話はもういいのか」
 本橋くんが問いかけ、乾くんは別の問いかけをした。
「さっき出ていった彼との話は?」
「その話も聞いてほしいの。話が三つもあるのよ。いいから食事にいこう」
 三人でプライベートで食事をするのは久し振りだ。フレンチレストランなんかではなく、食事のはずが居酒屋になった。本橋くんと乾くんはビール、私はグレープフルーツサワーのグラスを合わせ、ひと口飲むと乾くんが言った。
「三つってなに? 今の彼も加えて、三人の男にプロポーズされたとか?」
「三人って誰と誰と誰だ。山田にプロポーズする男が三人? ひとりだったらなにかのまちがいってのか、血迷ったとかとち狂ったとかまぐれだとか……」
「本橋くんはうるさいね。乾くんも先走りすぎだよ。プロポーズじゃなくてその前段階」
 本橋くんが身を乗り出した。
「つきあってくれってか? それだったらあり得なくもないだろうけど、三人ってのはなんだよ」
「私、今が最高潮のもて期なのかしら。これを逃したらもう二度と……」
 もて期? と鸚鵡返しに言って、ふたりそろって吹き出した。
「なによ。笑わなくてもいいんじゃない? だって、そうなんだもの。宮崎で金子さんと徳永くんに告白されたの。越智さんからははっきり言われてないけど、フレンチレストランで食事しようって誘われたんだよ。僕とつきあって下さい、が妥当なセンでしょ? 三人一気になんて生まれてはじめて。今の私ってそんなに魅力的な女?」
 冗談で言ってるのに、乾くんが真面目に反応した。
「そりゃそうだよ。年齢からしても仕事に燃えてる生き様からしても、ミエちゃんの魅力は最高潮……いや、ピークに向かって登りつめてるってところかな。今がピークなんてむしろ悲しいよ。明日の私は今日の私よりさらに輝く、ってね」
「さすがに作詞家のお言葉ですわね。ピーク云々はともかくとしても、もててるんだ、私」
 まさにね、と乾くんは笑って言い、本橋くんは言った。
「男の趣味ってのもいろいろだしな。金子さんも徳永も、前からおまえが好きだったんだろ。変わった趣味だと俺は思うが……いやいや、俺の趣味は置いておこう」
「あんたの趣味にぴったりの女じゃなくってよかったわ、私」
「おまえみたいに我が強くて気が強くて、意地っ張りで色気のかけらもない女がいいと言う男もいるんだな。世の中は不条理なものだ」
「世の中は不条理だからフォレストシンガーズが売れないのよ」
「ふむ、そう出るか」
 まあまあ、と両手で押し留めるポーズをして、乾くんが尋ねた。
「それでどうする? 誰を選ぶの?」
「ここへ来る道々、なにかと考えたの。最高のもて期である今を逃したら、私はいつ結婚できるかもわかんないよね。金子さんも徳永くんも素敵なひとだよ。越智さんだってよく見たら悪くない。打算的に考えたら将来の安定してそうな越智さんかなぁ」
「さっきのあいつか。俺は越智って奴はほとんど知らないけど、乾、おまえはどう思う?」
「おまえや俺がどう思おうと、決めるのはミエちゃんだろ。シゲの件だって決めるのはシゲだ。シゲはうちに残ると決めた。仮にこの先、幸生や章にあんな話が来たとして、あいつらの心が動いたとしたら、俺は祝福してやるよ。ヒデのときにだって……どうして祝福してやれなかったんだろうって後悔したんだよ。自分の進む道を決めるのは自分の意思でしかないんだ。ああ、だけど、いやだな。本音はいやだ。みんなしてずっと……ずっと……」
 脱線しちゃったね、と気を取り直したように笑って、乾くんは私を凝視した。
「ゆっくり考えて結論を出せばいいよ。ミエちゃんはそのうちの誰かとつきあって、もしかしたら結婚するかもしれないんだろ。あだやおろそかに性急に結論を出す問題ではないはずだ」
「結婚かぁ……そこまで考えたら男とつきあうなんて……」
 いいや、と乾くんは、ますます真面目な顔になった。
「年齢的にも結婚を考えるのに早すぎるってことはないよ」
「あのね、乾くん?」
「はい、なんでしょう」
「だったら乾くんや本橋くんはどうなの? あなたたちは私と同い年だよね。二十六の女は結婚を考えてもいい年齢だけど、二十六の男はちがうの?」
「俺たちの話はしてないでしょ」
「私はしてるの。本橋くん、どう?」
「結婚? なんだそりゃ。俺はそれどころじゃないぞ。二十六の男はまだまだ結婚なんか考えなくていいんだよ」
 こら、待て、ストップ、と乾くんが本橋くんを睨んだ。
「果てしなく脱線するのは毎度だけど、男だからどうだの女だからどうだのと言い出したら、話のまとまりがつかなくなるよ。現段階ではミエちゃんの話だ。他の議論はまたにしよう」
「……上手にごまかすね。じゃあ、議論の準備をしておくから」
 こわっ、と乾くんは首をすくめ、準備なんかしなくていい、と本橋くんはしかめっ面をし、私は言った。
「三人なんてややこしい。みんな断る」
 へ? と今度はふたりして間抜け面になった。
「そうよ、明日の私は今日の私よりさらに輝くんだ。乾くん、そのフレーズ、気に入った。月並みではあるけどいい言葉だよね。歌詞に書いたら?」
「うん、考えてみるよ。それはそうと、みんな断る?」
「正気か、おまえ? 早まるな。断ったら後悔するぞ。今後は二度とこんなことはない。きっとそうだ。俺としては金子さんがいいと思うけどな。越智って奴は知らないし、徳永は俺に敵対心を抱いてる。金子さんは女から見たら素敵な男なんだろうけど、徳永は誰が見たって素敵な男なんかじゃないし、徳永がおまえの男になったらやりづらいよ。金子さんはおまえの男になるにはかっこよすぎるって懸念がなくもないが、うん、金子さんにしろ」
「おまえの男ってねぇ、本橋くんも作詞はするんでしょ? 品のない言葉はやめてよね。それになに? 今後は二度とない? あんたに言われたくないの。二十六の女だってね、まだまだ結婚なんか考えられないのよ。なによりもあなたたちを成功させるのが先決なんだから」
 惜しいかな、って気持ちはなくもないけど、三人のうちの誰にしようか、だなんて悩むのはまっぴらだ。明日になったら徳永くんと金子さんにはお断りの電話を入れて、越智さんには今度会ったら食事から断ろう。本橋くんと乾くんはなにやら目配せし合っていて、乾くんが言った。
「ミエちゃんがそう決めたんだったら、その決断はベストなんだよ。では、ミエちゃんの決断に乾杯」
「……あのころはよかったなぁ、私ももててたのになぁ……ってか。十年後の独り者のおまえのモノローグがそうならないように、乾杯しよっか」
「本橋、おまえはよけいなことしか言わないな。ミエちゃんと喧嘩したいのか」
「したくないけど、こいつが喧嘩を売ってくるんだろ」
「おまえが喧嘩を売ってんだろ。そうとわかってないところがおまえらしいよ」
「俺は女に喧嘩なんか売らないし、最近は男にも売らないよ」
「売られたら買うけど?」
 そのようだね、と乾くんはくすくす笑い、三人でグラスを合わせた。
 そこから先は仕事の話やら歌の話やらに移行して、そんな話題でさえも本橋くんと私の態度が喧嘩腰になる。社長は言いたかったのだろうか。本橋といい山田といい、きみらはなんでそう喧嘩っ早いんだ? と。乾くんが適当なところで止めてくれなかったら、例によって喧嘩が勃発していた恐れはおおいにあるのだが、乾くんは仲裁もうまい。いつの間にやら彼の口舌に言いくるめられて、本橋くんと私の口論もうやむやになるのだった。
 心地よく酔って外に出るころには、恋人も結婚もどうでもよくなっていた。彼らにとってフォレストシンガーズがすべてであるのと同様に、私にもそうだ。今は仕事がすべて。そんな日々が楽しいのだから。
 たとえ結婚しないで一生を送る羽目になっても、私を置き去りにみんなが次々に結婚してしまっても、フォレストシンガーズはある。シゲくん、ありがとう、アイドルへの道なんて選ばないでくれてありがとう、と心でシゲくんに呼びかけたら、おかしな想像が脳裏に浮かんできた。
「ふわふわくるくるカールしたヘアスタイルで、お目々ぱっちり。赤と黄色の衣装に身を包み、歌って踊ってジャンプして……やだ、似合わない」
「なんだ、それ? ピエロか。山田、なに言ってんだ?」
「ピエロファッションのシゲか。うん、たしかに似合わないな」
「乾くんは一を聞いて千あたりまで察する。もうひとりは百を聞いても五十しか察しない。そんなふたりがうまいことくっついたもんだよね」
「……乾、山田が変だぞ」
 そうかな、と乾くんは私を見やった。
「変なのは本橋くんだよーだ。乾くんはもっと変だね」
「俺が本橋以上に変? こんなにも普通の男をつかまえてよく言うよ」
「こんなにも普通の男ってどこにいるの? 普通の女だったらここにいるけど」
 誰が普通だ、誰が、と本橋くんは言い、乾くんは言った。
「私って変わってるの、と言いたがる若者はよくいるけど、私は普通、ってミエちゃんはいつも言うよね。本橋もそうか。おまえも普通か」
「普通だろ。シンガーってのは特殊な職業なんだろうけど、それ以外は俺はおしなべて普通だ」
「ふむふむ、だったら幸生も普通の男なんだな」
「あんな奴と較べるな。あいつだけは誰がなんと言おうと普通じゃないよ」
 えー? 俺だって普通だよぉ、と口をとがらせて抗議する幸生くんの顔が、アイドルルックのシゲくんのかわりに脳裏に出現した。
「そうだよね、幸生くん。幸生くんは普通だよね。章くんも普通だよね。どこかこう……ちょこちょこっと変なだけで、他はみーんな普通だよ。シゲくんも変な格好してなかったら普通だよ。私ね、これでも数日は悩んでたの。ふたりの男性に好きだ、つきあってくれって言われて、ガラにもなく悩んでいたの。そしたらまたもや……だったじゃない? 越智さんまでがあんなふうで、そのおかげでかえって吹っ切れた。さばさばしたぁ!! 本橋くん、乾くん、両方から腕を貸して」
 酔ってないか、おまえ? 足元がふらついて……と本橋くんが言いながら、片腕を差し出した。千鳥足でもなさそうだね、と言いながらの乾くんも腕を差し出し、私はその腕につかまった。
「子供が両親の腕にぶら下がってぶーらぶーらってのをやってみたかったんだけど、あなたたちの身長が足りない。乾くんも本橋くんももっと背が高くなってよ」
「無茶言うな。やっぱりおまえ、変だぞ。いい年した女が……」
「変といえば変だけど、いいんじゃないの? ほら、本橋……」
「こうか」
 首をかしげつつも、本橋くんは乾くんに倣って腕を高く差し上げた。私は足を宙に浮かせてブランコして、きゃははと笑った。私は恋をしていたというほどでもないけれど、告白してくれた男性三人に断るつもりでいる。こういうときって女はどんな気分になるんだろう。
 もてる女みたいに……って、事実、いっときだけは私はもてたじゃないか。断ると決めても、ほろずっぱいような甘くて苦いような、そんな味が残っている。寂しいかな、と思わなくもないけど、ううん、寂しくなんかない。あなたたちがいるんだもんね、とかわるがわるふたりを見たら、本橋くんが言った。
「そんなんじゃなくて肩車してやろうか」
「バッカじゃないの、いい年してみっともない」
「今、現にやってることはみっともなくないのか」
「これは楽しいからいいの。ぶらぶーらのふらふーら」
「重い。腕がしびれる」
「なに言ってんのよ。ふたりがかりで私ひとりじゃないの。男でしょ。しっかりささえてて」
「……勝手な奴だな」
 ため息まじりに本橋くんは言い、珍しく無言でいた乾くんが歌いはじめた。

「可愛いおまえとふたりでいると
 楽しいけれど疲れてしまう
 素直になれと言ったところでそっぽを向いてふくれてしまう」

 どこかで聞き覚えのあるメロディだった。ジッタリンジンだな、と呟いて、本橋くんも乾くんとともに歌い出した。

「あんたなんか大嫌い
 あんたなんか大嫌い
 あんたなんか大嫌い
 心と裏腹きつい言葉でおいらを悩ます……」

 思い出した。この歌詞の続き、タイトルもその通り。もしかしてそれって私のこと? 本橋くんと乾くんは空に向かって大声で歌った。おいらを悩ますあまのじゃく……はいはい、ええええ、どうせそうですよーだ、そう言い返すと、ふたりはいっそう元気よく、人通りの途絶えた夜の街に歌声を響かせた。
 踊り出したくなるようなノリのいいメロディに合わせて、乾くんの高らかな声と、本橋くんの伸びのあるまろやかな低い声が、軽妙なコーラスを続ける。このままどこまでも三人で歩いていたい、比喩でもあり比喩でもなく、私はそう思っていた。

E N D


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~ Comment ~

か・・・っ、可愛いっ

美江子さんが可愛いっ
ああ、やはり女性の語りだと華があって良いのぅ。
ちょっと、萌えちゃったぜぃ。
(オカシイ???(・・;)

ヘッドハンティング。
あるよなぁ、特にこういう人気商売は。
正直、難しいね。
幸せの置き所っていうか。人生に何を求めるか。そういうことだよね。

でも、最近、ラジオでこんな話題を聞いた。
「恋と友情、どっちを取る?」
つまりは、親友と同じ相手を好きになったら?
これ、男の子の場合だと、一緒に頑張ろうぜ、までは良かったが、女の子がどっちかに決めた時点で友情は決裂し、それに耐えられなくなって、せっかく選ばれた男の子は、彼女と別れたそうだ。
女の場合は、口ではなんだかんだ言ってるが、結局は恋を取るだろうな、って気がする。
だって、それは‘本能’だから仕方がない。
より良い子孫を残すためにな。

だけど、fateは言う。
「え? なんで、どっちか選ばなきゃなんないの? 両方取るに決まってんじゃん」
ははははは。
どうだ~~~
いや、マジで。
たぶん、そういう三角関係っぽい話になっても、きっとどっちかを選んでどっちかを失うなんてベタなハナシは描かん。
だって、もともと倒錯にまみれているfateくんが、マトモな世界を描くものか(ーー;
(威張ってどーする!)

しかし、美江子さんの決断は清々しくて気持ちよかった!!
そして、分かるわ~
三人の内、誰を選ぶ? その貧困な状況、fateも嫌いだ。
なんか、自分では何も燃えてないし、自分には何の情熱もないんだもん。
愛するより愛される方が幸せになるだ?
バカ言ってんじゃなぇよ。
愛の熱に浮かされて、全身が震えるくらいじゃなきゃ、恋する意味ななんてねーんだよっ!
(ああ、ガラが悪くってすみません~(^^;)

fateさんへ

可愛いだなんて言っていただいて、萌えるだとも言っていただいて、照れちゃいますわ。
fateさん、ありがとうございます。

いつもお読みいただいて、私にも身に余るお言葉をちょうだいしていますのに、ご挨拶していませんでしたね。
本当にありがとうございます。

シゲくんがヘッドハンティング(といえばそれにあたはまるんですよね)だなんてびっくりでしたけど、彼が断ってくれてよかった。

三人の男性から交際を申し込まれた件につきましては、うん、まあ、私、このころはもててたのよね、うふっ、とでも言っておきますわ。
fateさん、これからもフォレストシンガーズと山田美江子をよろしく御願いします。

美江子談

というわけで、ミエちゃんからのお返事でした。

ところで、著者のほうの私は思うのですよ。
恋愛って好き度の高いほうが不利だなぁ。結婚となったって、じゃあ、こうしてくれたら結婚してあげるよ、と言えるのは好き度の低いほうですもの。

多少の交換条件は飲んでも、好きで好きでたまらなかったら、結婚しますよね。

このようなことを考えている私は、ああ、生きすれたなぁ、ずるいよなぁ、と自分でしみじみ思うのです。
だからこそ、小説では「好きっ!! 愛してるっ!!」を書きたいってのもあるかもしれませんね。


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