別小説

「続・ラクトとライタ」(好きだから・第三話)

 ←ヴァーミリオン・サンズ「シャンパンイエローの薔薇」2  →フォレストシンガーズ「花づくし」
「ラクトとライタ」続編

「好きだから」

第三話

1

 しまったしまった、やばいやばい、と職場の先輩が呟いている。その理由はこうだった。

「すっかり忘れちまっててさ、今朝、かみさんに言われたんだ。昨日はなんの日だか知ってた? え? ってなもんさ。言うんだったら昨日にしてくれよ、今日はなんの日? だったらいいけど、昨日のことを言われたって取り返しがつかないだろ」

「なんの日だったんですか」
「かみさんは怒ってて、今日は晩ごはんなしだからね、って言ってたよ」
「奥さんの誕生日ですか」
「結婚記念日だ」

 ああ、なるほど、だ。男は記念日を忘れやすい。
 なるほどついでに思い出した。絵恋と僕の結婚記念日も近いではないか。

 五年前に今の会社に就職し、昼どきや仕事帰りに足を向けるようになったコーヒーショップ、「ペルージェンヌ」で働いていた絵恋と出会った。つきあって下さい、と言ってくれたのは絵恋だった。
 女性には恋をしたことがなくて、女の子に交際を申し込まれても逃げてばかりいた僕が、絵恋に言われてその気になったのは何故だったのだろうか。

 小柄な僕よりもなお小柄な身体、実際にはひとつ年下なだけだが、幼く見えるルックスをしていて、そのくせしっかりしている。高校生のときに両親を亡くして、ずっとひとり暮らしだったからか。普段はおとなしそうでいながら、いざとなると積極的だった。

 話していたら楽しいから、一緒にいれば気分がいいから、僕は女性には恋をしない体質なのかもしれないけど、絵恋とだったらデートしたいから。
 小さな理由がいくつかあって、僕は絵恋と交際するようになった。

 だけど、ごく普通のカップルのようにはなれない。僕は絵恋と恋人同士にはなれない。
 誰であっても女性には、僕は情熱的には恋をしない。絵恋への想いを言葉にしようとしたら、ただこれだけ、きみが好きだよ、だ。

 二十二歳と二十三歳のころからつきあいはじめて、二年ほどはキスもしなかった。僕の中にいる常識的な楽人は言っていた。

「絵恋は普通の女の子だよ。普通に恋をして結婚したいんじゃないかな? 彼女はまだ若いから、今はまだこうしてつきあってるだけでもいいのかもしれない。でも、いずれは……恋人同士だったらベッドにだって入るものだろ? 絵恋はなにも言わないけど、変だと思ってはいるはずだよ。どうするつもり? おまえみたいな奴がいつまでも絵恋を縛っていていいのか?」

 悩んでいたころ、絵恋に旅行に誘われて、ふたりっきりの夜に打ち明けた。
 兄貴のような男にだったら恋をしたことがある。僕が恋心を感じたのは、二十五年の生涯でただ一度だけだ。絵恋には恋とはちがう感情を持っているけど、それがなんなのかはわからない。でも、きみが好きだよ、と。

 そのような意味の言葉を口にした僕に、絵恋は驚くべき言葉で応じた。
 結婚しようよ、だった。

 のけぞるほどに驚いてしまったけど、絵恋がこんな僕を好きだと言ってくれるなら、僕も絵恋が好きなのならば、いけなくはないだろうと考えた。結婚にもいろんな形があってもいいんじゃないのか? セックスではつながらなくても、ちがったふうにつながっていれば、絵恋も僕も幸せじゃないか。

 結果的には僕の両親やふたりの友達や職場のひとや、周囲の人には偽っている。正直に言う必要はないのだから、これはこれでいい。

「絵恋、結婚記念日はどうしたい?」
 その日、家に帰ってから尋ねると、絵恋はにっこりした。

「覚えてたんだ」
 先輩が言ったから、とは言わなくてもいい。もうちょっとで忘れるところだったよ、とも言わない。なにも絵恋をないがしろにしているのではなく、僕は記念日なんてものには興味がないだけで、だけど、絵恋は興味があるだろうから。

「結婚記念日ってのは当日になにかすることに意義があるんだよね。旅行ってのはふたりともに休めないと無理だし、サプライズプレゼントってのも考えたんだけど、プレゼントだったら絵恋のほしいものをあげたいし、きみに訊いたほうがいいかなって思ったんだよ」

「そうね。そしたら、パーティしない?」
「ふたりで?」
「お客さまを招いたほうが楽しいかも?」

 社交的ではない夫婦なので、このマンションには僕の両親しか招いたことはない。絵恋に親はいないし、ふたりともに親しくつきあっている親戚はいないし、兄弟はゼロだし、自宅に招待するほどに親しい友人もいない。

「真樹也を呼ぶ?」
「真樹也くんには来てほしいね。他には誰?」
「絵恋は誰を呼びたい?」
「雷太さんの都合がつくんだったら、来てもらいたいな」
「雷太さんか……」

 人生でただ一度、僕が恋した相手だ。幼なじみで四つ年上の雷太さんのことは絵恋にも話してあって、雷太さんは結婚式にも来てくれた。その後にも一度、三人で外で食事をした。
 あの日はあとで絵恋に、やきもち妬いた? なんて意地悪を言ってみて、泣かれてしまった。うちに帰ってから絵恋と抱き合って、雷太さんの話をした。長い長い話をした。

「雷太さんとも仲良くなりたいな。私は雷太さんも好きよ」
「あいつには気をつけて。女たらしだから」
「そういう意味で仲良くなりたいんじゃないの。楽人が大好きなひとは、私も大好きだからだよ」

 すこし無理をしているのではないかと思えるが、僕は今でも雷太さんが好きだから、絵恋が雷太さんを好きだと言ってくれるのは嬉しかった。
 この想いは恋? 配偶者である絵恋には恋をしていなくて、雷太さんにはいまだに恋をしているなんて、僕は不貞な夫なんだろうか。雷太さんはなにひとつ気づきもせず、おまえが俺より先に結婚するなんてな……ばかり言っていた。

「ゲストは絵恋にまかせるよ。きみが呼びたいひとを呼んだらいいから」
 突発的に煩雑な仕事が入っていて、このところ職場が忙しい。そのせいもあって、僕は結婚一年の記念日のゲストの選択は、絵恋に一任した。


2

 あなたたちが僕よりも五つも六つも年上だなんて、信じられないと言っていた、郵便局のアルバイト、真樹也。彼は僕の両親に絵恋の手編みのプレゼントを送るために、たびたび小包を持っていく郵便局で働いている。

 秋吉真樹也、と絵恋の旧姓と同じ姓に親しみを感じたのもあり、彼らが僕たちに好意を持ってくれたのもあって、仲良しになった。

 結婚したときから住んでいるマンション近くの郵便局に、真樹也は自転車通勤している。すちわち、家もわりあいご近所なので、三人ともに休みの日や、仕事が終わったあとなどに一緒に散歩したり、お茶をしたり食事をしたりしていた。

「こんにちは。お招きどうもです。入るのははじめてだから緊張するな。正式なパーティなんてのにも慣れてないから、胸がどきどきするよ」
「正式ってほどでもないのよ」

 秋らしい枯れ葉いろのシャツでおしゃれをした真樹也は、お菓子がいっぱい詰まった紙袋を持ってきていた。

「結婚記念日のプレゼントをするべきなんだろうけど、思いつかなくて……これ、お土産」
「そんなの、しなくていいって言ったじゃないの。お菓子をもらって嬉しいよ。ありがとう」

 僕よりはほんのちょっと背が高い程度の小柄な十九歳の真樹也は、絵恋の弟のように見える。エプロンを持参して早めにやってきて、絵恋がテーブルのセッティングをする手伝いをしていた。

「いらっしゃい……あれっ?!」
「お招きありがとう。あれって? 僕もあれっ?! なんだけど、おまえは僕を呼びたくなかったのか」
「そんなことないよ。さあさあ、入って」
「連れがいるんだ」

 おかしな縁のある歩。彼は僕と同い年で、僕たちが高校生のときに大学生の雷太さんに告白した。が、遠回しな告白では雷太さんが気づくわけもない。雷太さんの感覚では、男が俺に告白するなんてあり得ない、でもあったのだろうから。

 弟みたいに雷太さんに可愛がってもらっていた僕が嫉妬の対象になったようで、歩は僕に喧嘩を売ってきた。それからけっこう親しくなって、大学生のときには、就職が決まって福岡に旅立つ雷太さんを見送りに行ったものだ。あれは歩と僕だけの秘密。

「へぇぇ、結婚するのか?」
「うん、結婚式に来てくれる?」

 彼は僕が雷太さんに恋をしていたとは知らない。僕が雷太さんを好きだと打ち明けたのは絵恋にだけだから、他の誰も、雷太さんすらも僕の心を知らない。二十五歳現在では歩とは疎遠になっていたが、電話で結婚すると告げた。

「その日は日本にいないから出席できないよ。悪い」
「海外出張?」
「うん、台湾に行くんだ」

 アジア各国と取り引きのある食品会社に勤務している歩なのだから、出張もよくあるのだろう。そんなわけで結婚式には出席しなかった歩と会うのは、実に久しぶりだった。

「彼、僕の彼氏」
「あ、ああ、そう」

 もしかしたら、台湾出張はなくても僕の結婚式には来たくないのかもしれない、なぜって、雷太さんは出席するから。歩は雷太さんには会いたくないのかもしれない。
 そう思ったのは邪推だったのか。歩の連れとは、すらっとしたかっこいい男性だった。

「ノブっていうんだ」
「はじめまして。楽人くん? よろしく」
「あ、はじめまして」

 花束とワインをお土産に持ってきてくれたノブくんは、僕や歩よりはやや年上だろうか。水商売っぽい雰囲気があったが、歩もノブくんも言わないので、職業までは訊かずにおいた。

「絵恋さん、はじめまして」
「可愛い奥さんですね。楽人さんがうらやましいな」
「あ、僕、歩です。楽人くんとは高校時代からの友達。絵恋さんは知ってて招待してくれたんですよね。そちらは真樹也くん? よろしく」
「はじめまして」

 あっちでは真樹也、ノブ、歩、絵恋が挨拶をかわしている。ノブくんは飛び入りのようだが、歩は絵恋が招待したらしい。高校のときの友達、結婚式に出られないんだって、と歩の話をした記憶があるから、気をきかせてくれたのだろう。

「こんばんはー」
「遅くなっちゃったかな」
「結婚記念日、おめでとう」

 これで男性が四人、女性も四人になった。最後にあらわれた女性三人は絵恋の職場の同僚で、僕も顔見知りではある。結婚式にも来てくれていたような……。
 ってことは、ノブくんが来るとも絵恋は知っていたのか。雷太さんが来られなかったから歩を呼んだ?
いや、絵恋は雷太さんと歩の関わりを知らないのだから、そこまで考えるのはうがちすぎだろう。このメンバーだったら、雷太さんは来ないほうがよかったかもしれない。

 それにしても、男女同数とはいえ、男ふたりは女性に興味がないはずで……いや、ノブくんはそうとも限らないのかな、そんなことを考えている自分が滑稽で、僕はひとりで苦笑いしていた。


3
 
 みんなが持参してくれたお土産やら、絵恋とふたりで作った料理やらお酒やらがテーブルの上を賑やかに彩って、華やかな時間がすぎていく。
 音楽をかけたり、お喋りをしたり、男女のカップルになって軽いダンスをしたり。もっとも、ダイニングルームは狭いので、ダンスというよりも身体をゆすっているだけだったが。

「絵恋、疲れただろ。片づけは明日にしようか」
「私がするから、楽人は寝ていいよ」
「なにか、怒ってる?」
「怒ってなんかいない。たしかにちょっと疲れただけ」

 駅までは一緒に帰ろうと、歩とノブくんと女性たちが連れ立って出ていき、家の近い真樹也も帰ってしまうと、宴のあとの寂しさ気分が漂う。パーティなんだから食器もたくさん使って、後片づけをすると思うとげんなり気分もあった。

「私は明日は遅番だから、大丈夫。楽人はいつも通りでしょ。先に寝ていいよ」
「だから、明日……」
「明日だって私がするんだから、今夜してしまうの。このまんまで寝るのは気持ち悪いよ」
「だったら、やろうか」
「楽人はしなくていいよ。寝ていいよ」

 どうもこの口調は怒っている。僕は絵恋を怒らせるようなことを言ったりしたりしただろうか。
 ふたり暮らしでは必要ないので、食器洗い機なんてものはない。絵恋が食器を洗い、僕はダイニングルームのフロアに掃除機をかける。

 結婚するときにふたりで決めた、賃貸の2DKマンションは、ひとり暮らしのときよりもちょっとだけ会社に近くなった。絵恋が勤める「ペルージェンヌ」と僕の職場はご近所さんで、結婚前にはその最寄り駅をはさんで逆方向に住んでいた。

 ふたりともにひとり暮らし歴はけっこう長い。絵恋は高校生のころから、僕も大学を卒業した年からなのだから、家事はひと通りはできる。子どももいなくて……っていうか、子どもができるはずもない暮らしをしていて、ふたりともに働いていて、家事は適当にできるほうがやっていた。

 食後の片づけだって普段は簡単だが、今日はさすがに散らかっていたり、油っぽい料理を盛った皿を洗ったりで時間がかかる。むっつりと食器を洗っている絵恋をちらちら見ながら、掃除機をかけながら僕は考えていた。

「ねぇ、絵恋、わかんないよ。なにを怒ってるの? きみにパーティのこと、丸投げしちゃったから? 僕はけっこう楽しかったんだけど、きみは楽しくなかった? 僕がきみを怒らせたんだとしたらあやまるよ。鈍感でごめん。なにに怒ってるの?」

 考えてもわからないので尋ねると、絵恋は言った。

「楽人に怒ってるわけじゃないんだけど……歩さんってどういうひと?」
「どういうって……そっか、絵恋は歩のこと、よくは知らないんだよね」
「結婚式に来てもらいたかったのに、出張で来られなかったって楽人が言ってたでしょ」

 そのために、僕が会いたいだろうと歩を呼んだ。結婚式の招待客リストを作っていたから、絵恋は歩のメールアドレスを知っていた。歩はメールでパーティに出席する返事をしてきて、男友達を連れていっていい? と訊いていたのだそうだ。

 どうぞ、連れてきて下さい、と絵恋は答え、真樹也も来ると言っていたのだから、そういうことならば女性は三人、と今夜の招待客を決定した。
 夫の学生時代の友人だとしか、絵恋は歩を知らない。歩がノブくんを「僕の彼氏」だと紹介したときには、絵恋はそばにはいなかった。

「歩さんと奈々子が話してたの」
「奈々子さんと歩は仲良しになったのかな」

 奈々子さんとは、今夜来てくれていた絵恋の同僚だ。背の高い綺麗な女性だった。
 誰かと誰か、ランダムな感じで話していたその一部が絵恋に聞こえてきたらしい。

「女性ってのは、私ってこんなふうに考えるのよ、かっこいいでしょ、こんな考えのできる私、素敵、って気持ちがあるでしょ」
「そんなふうに受け取る歩さん、ひねくれてるよ」
「そうかもしれないけどさ」
「バイセクシャルの男のひととだって、私は恋人になれるよ。それってかっこつけてるの?」
「そんな自分に酔ってるんじゃない? あ、この曲、好きだな。踊ろうか」
「いいね」

 それだけの会話が、絵恋の胸につきささった。

「一般論として話してたんじゃないのかな。僕は歩に、僕がこうだって話してないんだから、あてこすったりはしてないよ」
「歩さんは普通のひと?」
「普通ってどういう意味で?」
「楽人とはちがって、女性を愛するひと?」

 自分の心は絶対に誰にも言わない。僕は雷太さんが好きで、女は好きじゃないと気づいたときに誓った。僕は女性を愛せないらしいと告げた相手は、絵恋だけだ。絵恋のことは好きだけど、愛しているのだとしても、身内のようなもの? 男から女へと向かう恋ではない愛があるのだとしたら、絵恋への感情はそれだった。

 なのだから、他人の心をあれこれ言わない。歩はまちがいなくゲイで、雷太さんに恋をしていた。雷太さんにはそんな気持ちはゼロだから、歩は諦めて男性の恋人を作った。ノブくんは飲食店勤務だそうで、夜の商売だろうと思えたが、ふたりともに幸せならばベストなはずだ。

 もちろん、絵恋には歩がゲイだなんて言っていない。奈々子さんは歩を気に入ったようで、ということは、彼女は歩がゲイだとは気づかなかったのだろうが、絵恋はなにかしら察している。

「類は友を呼ぶのかな」
「その言い方、悪意を感じるな」
「歩さんの言い方だって、悪意を感じたよ」
「僕は歩の深い部分は知らないし、そんなの、友達関係にはどうだっていいことだろ」

 日常生活の中で、些細な諍いはある。ちょっとした口争いや議論だったらするけれど、喧嘩というほどの事態になったことはない。なのに、パーティの主催者サイドをつとめたという疲れも手伝ってか、口論が険悪になってきた。

「もしも私たちがどんな夫婦なのかを他人に知られたら、軽蔑されるんだよね」
「軽蔑? きみがそんなふうに思ってるんだったら……」
「思ってるんだったら、どうするの?」

 別れてもいいんだよ、なんて言ったら、絵恋が飛び出していってしまうかもしれない。だけど、このまま口論を続けていたら言ってしまいそうだ。僕は先に出ていくことにした。

「頭を冷やしてくるよ」
「逃げるの? 卑怯者」
「どうせ僕は卑怯だよ。後片付けは半分だけやっておいて。帰ったらやるから」

 帰ってくるからね、のつもりで言うと、絵恋はぷいっとそっぽを向いた。今夜の絵恋は可愛くない。僕がエプロンをはずしていると、絵恋も自分のエプロンをはずし、丸めて僕に投げつけた。

「私が出ていく」
「出ていかなくていいんだよ。僕は頭を冷やしに散歩してくるだけなんだから」
「私が散歩したいの」
「こんな時間に、女のひとが独り歩きしたら駄目だよ」
「こういうときには男だ女だって言うの? 楽人は男らしくないくせに」
「ああ、僕は男らしくなんかないよ。悪かったな」

 せっかく喧嘩を回避しようと思ったのに、まだ続いている。もめながら廊下を足音も荒く歩き、僕が玄関のドアを開けた。

「あ」
「あれ? 真樹也?」

 ドアの外には、不安そうな顔をした真樹也が立っていた。

「帰ったんじゃなかったの?」
「絵恋さんが……疲れたような顔っていうのか、寂しそうっていうのか悲しそうっていうのか、そんな顔をしてたから……片づけの手伝いをするって言おうかと思ったり、でしゃばりすぎかと思ったり、悩んでて、そこらを歩き回ってたんだ。やっぱり手伝おうかと思って戻ってきたら、大きな声が聞こえてきたから……」

 やばっ、聞こえてた? と絵恋が口を押さえる。熱くなっていた僕の気持ちもすーっと冷めた。

「玄関先で大声、出してたもんな。ごめん、真樹也、入れよ」
「いいの?」
「どうぞ、入って」

 犬も食わない夫婦喧嘩、とか言うが、こんなときには第三者の存在はありがたいのかもしれない。絵恋も冷静になったようで、僕のうしろから歩いてきながら、ごめんね、と呟いていた。

 三人になると片付けもはかどって、食器も部屋もさっぱりした。絵恋がハーブティを淹れてくれて、三人でテーブルについた。

「人騒がせでごめんね。ちょっとした口喧嘩だから」
「うん。おかげで助かったよ。疲れてたせいでエスカレートしたんだ。僕は男のくせして、このくらいで疲れちゃうなんてだらしないね」
「男らしくないとかって聞こえてたから、楽人さん、そういうことは言わないほうがよくない?」
「ああ、そうだね。絵恋、真樹也、ごめん」

 もういいよ、と絵恋。よかったぁ、と真樹也が言い、僕は言った。

「遅くなっちゃったし、真樹也、泊まっていけよ。ご両親はもう寝てらっしゃるかな? メールでもしておけば?」
「うちの父は遅寝だから、まだ起きてるよ。泊まってもいいの? じゃあ、メールするよ」

 嬉しそうな顔をした真樹也は、ケータイメールを打っている。絵恋も迷惑そうなそぶりもしなかったのは、喧嘩のあとの気まずさを払拭するためにも、第三者にいてほしかったからなのだろう。

つづく



 
スポンサーサイト


  • 【ヴァーミリオン・サンズ「シャンパンイエローの薔薇」2 】へ
  • 【フォレストシンガーズ「花づくし」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

NoTitle

絵恋さんの気持ちはきっと複雑なんでしょうが、まだまだ若いなって感じもしますね。
それが初々しいんだけど^^
きっと彼女は楽人の感情を100%理解はできていなかったんでしょうね。
(そんな夫婦は、まあ、いないけれど)
ちょっと特殊な恋愛感情をもった楽人くんを、まるごと受け入れるにはちょっと幼かったのかもしれませんね。
でも、まだまだ可愛らしい、夫婦喧嘩。
ちょっと羨ましいくらいです。

ところで、あこがれの夫婦のお宅に泊めてもらうことになった真樹也くん。彼が一番ラッキーボーイでしょうか。
真樹也くんの気持ち。・・・これは、一番謎です。

limeさんへ

いつもありがとうございます。
limeさんがご感想を下さって、そういえば、楽人だって自分自身の気持ちを完全にはわかってないのかな、なんて思いました。
このストーリィのキャラたちも、思い通りに動いてくれないのですよ。

自分の気持ちってものも考えれば考えるほどわからなくなるのですから、夫婦といえども伴侶の気持ちがよーくわかる、なんてカップルはいないかもしれませんね。
そう思い込んでいたとしたら幻想だったりして?

真樹也は私も謎です。
あと三篇くらい書いて続編がおしまいだとして……うーん、どうなるんでしょ?
絵恋とも真樹也とも会話してみなくちゃ。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【ヴァーミリオン・サンズ「シャンパンイエローの薔薇」2 】へ
  • 【フォレストシンガーズ「花づくし」】へ