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小説40(最後の学園祭)

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フォレストシンガーズストーリィ・40

「最後の学園祭」

1 真次郎

 
 歌って歌って歌って、どれだけ歌っても疲れは感じない。アマチュアシンガーを対象とするコンテストのための練習だ。歌っていれば充実していられる男が五人、俺のアパートから近い公園に集っていた。
 出身大学名に「森」の字があるのにちなんで、我々のヴォーカルグループの名は「フォレストシンガーズ」という。「森の歌うたいたち」。覚えやすくてわかりやすくて、あまりかっこよくないグループ名にしようと決めた名だ。俺たちはたいしてかっこよくはないのだから、グループ名がかっこよすぎると名前負けする。
 同じ大学、同じ男子合唱部の出身メンバーが集まって結成されたフォレストシンガーズは、俺が卒業する間際にアマチュアとして歩きはじめた。当初のメンバーも五人だった。
 当時二年生だった三沢幸生。三年生だった小笠原英彦、本庄繁之。四年生だった乾隆也、乾と同年の俺、本橋真次郎。それぞれに歌が好きで、幸生が神奈川、ヒデは高知、シゲは三重、乾が石川、俺は東京と、日本各地から同じ大学に入学して合唱部に入部した。
 親には反対され、甘いと決めつけられ、それでも俺たちは歌手になるんだと、五人で一歩ずつ歩いてきた。夢と希望に燃えていた。学生時代からの仲間なのだから、プロになれるその日まで、プロになったらその先もずっと、五人で歩いていけると信じていた。なのに、ヒデが抜けた。去年の梅雨どきだった。結婚するから歌はやめる、フォレストシンガーズもやめると言って、それきりヒデは消えてしまった。
 失望や落胆に支配されはしたものの、去っていった者にこだわっていてもなんにもならない。新しいメンバーを募ろうと話し合っていたら、幸生がまたとない人材を連れてきたのだった。
 そいつの名は木村章。稚内出身だ。年上の三人はすでに大学を卒業していたのだが、幸生はまだ現役大学生で、章も幸生と同い年だ。章は他の全員とは境遇がちがっていて、同じ大学、同じ合唱部に所属していたものの、一年限りで中退して消え失せていた。章と幸生は一年生のころには仲がよくて、再会した章を幸生が引っ張ってきた。
 去っていく者もいれば、やってくる者もいる。ヒデのかわりに章がフォレストシンガーズに参加し、もとの五人に戻った俺たちは再び歩きはじめた。あれから約一年、幸生も大学を卒業したのだが、プロにはなれていない。コンテストに出場するのも何度目だろう。今度こそ、今度こそ、が俺たちの悲願だ。
 むろん歌では食えないので、五人ともにアルバイトをしている。週に二、三度は公園に集まって歌ったり筋トレをしたり話したり、コンビニで仕入れてきた夜食を食ったり、腕相撲やキックボクシングごっこをしたり、鉄棒で懸垂競争をしたり、駆けっこをしたり、シリアスも遊びも含めて、ここではさまざまな出来事があった。
 金もない、名もない、潤沢な練習時間も足りない。俺たちはいつまでこの公園で歌ってるんだろうと、嘆きたくなったりもする。だが、俺はリーダーだ。嘆いていてなにになる。ひたむきに前を向いて進まなくてはいけない。でないと道は開けない。俺たちにあるものは、若さと夢と希望と熱意。それだけなのだから。
「さて、練習再開だ。打ち合わせは頭に叩き込まれてるよな。「オフサイド」だぞ。章、声は出るか?」
 乾と俺は学生時代からデュオとしてステージに立っていた。グループを結成してからも、アマチュアとしてステージに立った経験がある。「オフサイド」とはデュオ時代に乾が作詞して、俺が作曲したオリジナル曲だ。五人になったのだから、コーラスアレンジは変更してあった。
 ベースマンはシゲ、俺がバリトン、乾と幸生と章がテナー。そんなふうにパート分けはしているが、テナー三人の声は実に色彩豊かだ。乾は高く澄み切った声も出せれば、低めに歌えば静かに優しげにもなり、時として暗い情感も漂わせる。
「章の声ってカウンターテナーってやつなのかな」
 そう言っていたのは乾だが、どうやら我らがフォレストシンガーズには、世にも稀なる歌声を持つ男がふたりもいるってことになるようだ。乾の声は特異というほどでもないが、章と幸生は特異だろう。ついでに幸生は性格も特異ではあるのだが、まあ、それはこの際置いといて。
 章は天空高く飛翔する高音が出せる。その分、低い声はあまり出ない。章の声域はカウンターテナーに近いあたりから一般的なテナーまでとなる。幸生は少年めいたボーイソプラノに近い声から、しっとりした低い声、甘く高い少女のソプラノに近い声までを出せる。幸生は章ほどの高音は出せないのだが、低いほうの声ならある程度は出せる。
 幸生の声域はテナーからバリトン……厳密にはバリトンではないが、バリトンに近い低音まで、といったところだろう。高低以上に声音のバラエティの豊富さが幸生の特色だ。燦燦ときらめく声、とろけるように甘美な声。流麗なる高音、端麗なる中音、艶麗なる低音、と形容したのも乾だ。
「あんみつに砂糖を大量にぶっかけたみたいだよな、幸生のあの甘ったるい声は」
 俺はそう思う。
 話しているときには、幸生も章も声が高い。乾の話し声はとりたてて高くはないが、俺やシゲと比較すれば高いだろう。幸生や章は少年っぽい高い声で話す。テンションが高まってくると、章はきんきらきんの金属声で叫び、幸生は女性的な、というよりも女以外のなにものでもない奇声を上げる。
 バスのシゲにしても、バリトンパートもこなせる。テナーに近い高音も出せて、かなり声域が広い。章のカウンターテナーからシゲのバスまでが、広い広い音域をカバーしてくれる。その点、俺は声域はそう広くないのだが、太い声が特色なので、迫力面をカバーできる。五人の声質の差が、美しいハーモニーをかもし出せるのだ。
 ところが章は、体力が乏しい。小柄で細い体格は幸生も似たようなものなのだが、幸生と比較しても章は疲れやすくて弱音を吐きやすい。声が出るか、と尋ねたのは、章の体力を配慮しての質問だった。
「なんとか」
「なんとかか。倒れるなよ」
「倒れませんよ」
 むっとした顔になった章が言い返し、公園の一画で五人で歌った。歌っていると、トランペットらしき音が割り込んできた。
「下手、邪魔」
 自然に俺たちは歌を中断させ、章がますます不機嫌になって言った。幸生も言った。
「むこうのほうに少年がいますね。高校生かな。ブラバン? ジャズとかスカとか? ペットの練習してるんだ。俺たちと同じなんじゃないのか、章? 邪魔にしてやるなよ」
「同じったって、高校生と同じってのも……」
「彼も青春、我々も青春」
「青春ってなぁ、だせえんだよっ」
「青春でしょ? 章は老春? やーね、よれよれしちゃてさ。疲れ果てた爺さんみたいじゃん。おまえはいくつだよ、章?」
「おまえと同じ二十二だよ」
「だったら青春じゃん。ね、乾さん?」
 そう、まぎれもなく我々も青春だ、と言いながら、乾はトランペットの音の方向を見た。
「友達かな。何人もの少年が……友達って感じじゃないな。おい、本橋、押さえて……」
「本橋さん、走り出すのは待って下さいね」
 シゲも言い、全員が俺を注視した。俺は少年たちを見ていた。
 五、六人の少年がトランペット少年を取り囲んで、こづいたりからかったりしている。凄んだり強請ったりしているようにも見える。トランペット少年以外の少年たちは不良じみた奴らだ。くわえ煙草の奴もいて、皆が崩れた服装をしていた。トランペット少年も彼らに対して怯んでいるようには見えなかったのだが、数えてみれば六対一だ。
「あれは苛めだろ。放っておけというのか、おまえたちは」
 はあ、リーダーだったらこうなると思ったよ、と幸生が言い、章は不安そうにシゲを見つめ、乾は言った。
「放っておくわけにはいかないよな。本橋の気持ちは正義だ。シゲ、幸生、章、俺たちは作戦を練ろう。本橋、行け」
「ああ。行くさ」
 このような経験ははじめてでもないのだから、俺は別段どうってこともない。六人を相手に取るとちっとばかりやばいかなとは思ったのだが、どうにかなるだろうと決めて歩き出した。歩いていく俺の背後では、乾が後輩たちと顔を寄せてなにやら相談していた。


 なにがなにやらわからないうちにその場から連れ出され、よく来る居酒屋で注文をすませた俺は言った。
「乾よぉ、おまえは正攻法ができないのか」
「いやいや、怪我でもしたら馬鹿らしいし、だからってシンちゃんは止めて止まる方でもないし、なんとかならないかなって考えて、イチかバチかで決行することにしたんだ。砂を投げたのは幸生のアイディアだよ。こううまく行くと笑っちゃうね」
「あいつら、つかまったのかな」
 息を切らしたシゲも、我々の行きつけの店にやってきた。
「はぁあ、こんなに走ったのは久々ですよ。乾さん、ばっちり。喧嘩してたのはこいつらです、って俺が言ったら、不良たちは警察に補導されて連行されていきました。俺もなにかと聞かれたんだけど、適当にごまかして逃げてきました」
「ご苦労」
 えらいえらい、と幸生と章が拍手する。乾は少年に言った。
「きみは未成年だよな。とにかくみんな無事だったし、俺たちはビールで、きみはジュースで乾杯しよっか」
「はい、高校一年です……僕はみなさんに助けてもらったんですね」
 後生大事にトランペットを抱えていた少年は、改めて頭を下げた。
「青木良平です。ありがとうございました」
「あいつら、なに?」
 質問した幸生に、青木少年が答えた。
「中学んときの同級生がまじってました。僕は、ごらんになってたらわかると思いますけど、夜中に時々あの公園でペットの練習をするんです。たまにあいつらの中にいたもとの同級生が邪魔しにきて、金貸せとか遊びにいこうとか、おごれとか言うんですけど、一対一だったら僕も言うことなんか聞きません。だもんだから、あいつ、不良仲間を引き連れて僕を脅しにきたんですよ」
 下手くそな楽器なんか聞かせやがって、迷惑料だ。いくら持ってんだよ、有り金残らずとは言わねえからちっとよこせよ。すぐに返すから貸してくれよぉ、良平くーん、などと取り囲まれて強請られていると、底力のある男の声が割って入ってきたのだと、青木少年は言った。
「やめろ、だったな。あいつらはびくっとしたんだけど、相手はひとりだけだったでしょ。へらへら笑いながら今度は本橋さんを取り囲んで」
 いいかっこすんじゃねえよ、あんたは金持ってる? つまんねえことするとあんたも金を巻き上げられて、ついでに怪我するよ、いいのぉ? などなど、凄んでみせたりからかうように言ったりする不良少年たちに、俺は言い捨てた。
「おまえらこそ、怪我したくなかったら消えろ」
「面白ぇじゃん」
「兄ちゃん、やんの?」
「見知らぬガキに兄ちゃん呼ばわりされる覚えはない」
「遊んであげようか」
「なにして遊ぶ、兄ちゃん?」
「兄ちゃんなんだったら、してはいけないことってのを教えてやるよ。かかってきたいんだったらかかってこい」
「どこまでもいいかっこする兄ちゃんだな」
「後悔するよ」
「うだうだ言ってばかりで、おまえらこそ怖いのか」
 なんだとぉ、と不良少年のひとりの声をきっかけに、乱闘が勃発しかけた。
「ひとりが本橋さんのおなかに頭突きを食らわせて、本橋さんがそいつを押し戻した。そこに今度は、僕んとこには乾さんが走りこんできたんですよね。他にひとがいるなんて知らなかったからびっくりしました」
「俺も行き当たりばったりだったんだよ。とにかく本橋ときみとを連れて、逃げるのがいちばんだと俺は思った。うまく行かなかったらと思うと、今になって冷や汗が出てきたよ」
 勃発しかけた乱闘が半端に終わったのは、乾が青木少年の手を引き、幸生と章が俺の腕をふたりがかりで引っ張り、その場から脱出させたせいだった。追っかけてきた不良どもに砂を投げて怯ませて、五人で全速力で走った。不良どもの後始末は、シゲが連れてきた警官がつけてくれたのだろう。いまだなにものでもない俺たちなのだから当然だが、青木少年は尋ねた。
「あの、みなさんはなにをなさってたんですか」
「歌の練習」
 答えたのは乾だった。
「俺たち、ヴォーカルグループなんだ。アマチュアだから金も練習場所もなくて、あそこでしょっちゅう練習してる。きみと会ったことはなかったな」
「そうですね。僕はたまにしか行かなかったからかな。へぇ、意外」
「そうは見えない? 俺たちも不良青年だと思った?」
 訊いた幸生には、青木少年はちろっと舌を出して応じた。図星なのではなかろうか。
「それにしても、本橋さん、かっこよかったなぁ。僕もああやって毅然としてたら、不良なんかに目をつけられなかったかもしれないのに」
「ま、俺は単細胞だからね」
「おや、認めますか」
 にやにやと乾が言う。認めますかもないもんだろう。俺を単細胞だと散々に言って、そうみたいだな、と思わせたのはおまえじゃないか、である。
「うるせぇ。わかってんだよ。けど、こっちから攻撃をしかけたらやばいとは思った。あいつらを挑発して殴りかかってこさせたら、正当防衛がなりたつ。そうしようと思ってたけど、六人相手じゃもっとやべえかもな、と弱気になりつつあったんだ。まったくよぉ、乾の謀略には呆れるよ」
「謀略なんて大げさなもんじゃないって。そりゃぁ、本橋の気持ちはわかるんだよ。だけど、今、俺たちが喧嘩なんかして逮捕されたら、コンテストに出られなくなるじゃないか。そんなことで、もしかしたらかなうかもしれない夢を棒に振っていいのか。よくないよな」
 最初の台詞とは微妙にちがう乾の言い分に、こっちが本音か、と俺はうなずいた。後輩三人も、しっかりうなずいた。
「今度のコンテストは、俺たちの夢の第一歩になるかもしれないんだ。あくまでも、かもしれない、の段階だけど、俺は……」
「わかった、乾、みなまで言うな」
「でも、青木くんを見殺しにするのも、俺だっていやだった。さっきも言ったろ。イチかバチかの企てだったんだ」
 シゲがふと口にした。
「イチかバチかの乾さんの企てが成功したんだ。コンテストも大成功かもしれない」
「かもしれない、よな」
「うまく行くか行かないかは、俺たちの努力次第だ、でしょ?」
「おー、章、百年に一回ぐらいはいいこと言うな」
「この次に俺がいいこと言うときには、おまえはこの世にいないんだな、幸生」
「百二十をすぎるのか。生きてもう一度聞きたいな」
「おまえは千年に一回もいいことなんか言わないんだから、俺はどんなに長生きしても、幸生のいいこと言うのは聞けないってわけだ」
「俺は一日に一度はいいことを言うじゃん。毎日聞いてるだろ。俺の至言名言ってのは日常茶飯事となってしまって、もはや驚かないんだよね。いいことを言いすぎるのも考えものだよな」
「勝手に言ってろ」
 こらこら、ストップ、と乾。高校生の前で恥をさらすな、と俺。青木少年は目を丸くして、幸生と章のやりとりに見とれている。乾は苦笑いで言った。
「本橋、とにかく乾杯しよう」
「乾杯の口上は乾がやれ。おまえは得意中の得意だろ」
「ではでは、青木くんも含めて、俺たちの未来に……」
 乾杯、と五人はビールの、ひとりはジュースのグラスを合わせた。
 やがて未成年はジュースでそれなりにハイになり、成人に達している五人はビールで、みんなしてテンションが上がって、楽器の話や歌の話に賑やかに花が咲いていき、シゲが言った。
「俺なんか昔っから声が低くてさ、はじめて喋った声がおっさんの声だったとおふくろが言ってた。ま、なんて可愛げのない声を出す子でしょ、ってよく言われたよ」
「それって幼児虐待じゃないのぉ」
「幸生、オーバーだ。おまえはボーイソプラノだったんだろ。今でもそうだもんな」
「おまえだって同じじゃないか、章」
「シゲの声はおっさんじゃないよ。俺だって一度くらい、そんな声で喋ってみたいもんだ」
「乾がそんな声だったら、うちにはいらないぞ」
「さようでございますか」
 それはそうと、と乾が声を低めた。
「あいつら、あれでこりたらいいけど、仕返ししようなんて了見を起こさないかな」
 あり得るよな、と考えた俺は言った。
「俺が蹴散らしてやる、って言いたいところだが……」
「シンちゃん、あなたは彼の保護者ですか? いっつもいっしょにいるつもり?」
「……そうもいかないな」
 だろ? と俺に目配せしてから、乾は続けた。
「なんとかしないといけないよ。あんな奴らにつきまとわれてたら、青木くんはろくに練習ができない。誰かに相談できないか。先生はいやだろ? 先輩は?」
「キャプテンを連れてこようかな。会ってもらえますか」
「いいよ」
 ひとりで解決……はできないよな、と自身の高校一年生時を思い出し、俺も皆とともにうなずいた。

 
2 真次郎

 高校吹奏楽部のキャプテン、その存在を漠然と思い描いていた俺は、いくぶん意表をつかれた気分で、青木少年の連れてきた人物を眺めていた。
「小林華絵と申します。このたびはうちの一年生がお世話になったそうで、ありがとうございました」
 凛々しくも爽やかな少女だった。成長途上にある青木少年よりも背が高く、彼女の周りにだけは一年中五月の風が吹いていそうな、そんな形容をしたくなる。俺ははっと我に返り、挨拶を返した。
「本橋真次郎です。こいつらは年齢順に、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章」
「まとめて「フォレストシンガーズ」です」
 乾が引き取り、幸生が元気よく叫んだ。
「よろしくっ」
「はじめまして」
 落ち着いた声でシゲも挨拶した。
「いい香り。ハナエさんかぁ。名前もいいね」
 鼻をひくひくさせる章を、幸生が肘でこづいた。
「こら、このロリコン」
「なんだよぉ。小林さんは高校三年なんだろ。俺らとそんなにちがわないじゃないか。二十二の男が十七歳の女の子に憧れたら変かよ」
「まったくおまえらは……幸生と章は黙ってろ」
 最年少ふたりを叱っておいて、俺はびっくりまなこの小林少女に話しかけた。
「ごめんね、こいつらはいつもこうなんだ。気を悪くしないで」
「いえ、してません」
「不良の話は聞いた?」
「聞きました。いくら男の子だからって、真夜中にひとりで練習なんかするのがよくないんです。青木くんには、ひとりでうろうろしないこと、練習したかったら誰かといっしょに行くこと、女の子は特にあまり遅くなってからはあの公園には近づかないこと、ってふうに、みんなで話し合って決めました。とりあえずはそのくらいしか策がなくて」
「あとは警察にパトロールを強化してもらうように頼めるといいんだがね。シンちゃん、俺は喋っていいんだろ」
「乾とシゲはいい」
 差別だ差別だ、リーダー、気取っちゃって気味が悪いんでやんの、章と幸生が聞こえよがしにひそひそやっているのを、俺は無視して言った。
「不良は始末に悪いよね。撲滅なんかできっこないもんな」
「そうですね。あのぉ、シンちゃん、なんですか?」
「え? 俺? 乾は俺と同い年だから、シンちゃんとも呼ぶんだけど、なにかおかしい?」
 僕とまで言うと、後輩どもがなにを言い出すかわからないので、俺で通すことも決めていたのだが、こんなにも純粋無垢に見える少女を眼前にしていると調子が狂う。
「いいえ、でも……」
 ころころと小林少女が笑うと、一陣の緑の風が吹き抜ける気がした。
「失礼しました。今度の日曜日に、あの公園で昼間に、全体練習をやるんです。近くのグラウンドで開催される、夏の高校野球の地区予選大会の開会式の行進先導に、私たちのブラスバンド部が選ばれまして」
「それはおめでとう」
「よろしかったら見学にいらして下さい」
「……こら、てめえら、なに笑ってやがるんだ」
 がはははっ!! とこらえかねたように後輩どもが大声を出し、乾までもが言った。
「腹の皮がよじれそうだ」
「てめえも笑い終えてから喋れ。乾、なにがおかしいんだよ。おまえらの笑い声は澱んだ沼に澱んだ瘴気だ」
「なんだよ、それ。いやね、このお方がシンちゃんだもんね。小林さん、あなたの驚きはよくわかる。こっちが実体だよ。てめえら、なに笑ってやがるんだ、のほうね」
「うるせ」
「うるせ、もこの方の正体暴露」
「てめえ、俺に喧嘩売ってんのか、上等じゃねえか、ってさ」
「幸生、おまえは黙ってろと言ったろ」
「それにさ」
 章がぼそっと言った。
「幸生の声じゃシンちゃんの物真似はできねえよ。本庄さん、やって下さいよ」
「やだよ」
 この野郎、章っ、おまえまでシンちゃんとはなんだっ、などと怒鳴ってしまった俺は、地をあらわにしてしまったらしい。青木少年はあの夜に一部を見てはいるが、小林少女はひたすら唖然呆然の体で、固まっている。乾が言った。
「ごめんね。ガラ悪くて。もちろん見学に行かせてもらいますよね、リーダー?」
「普通に喋れ」
「行くんだろ、シンちゃん?」
「行く」
「じゃあね、小林さん、青木くん、よろしく」
 ということでそろってやってきた日曜日の午前中の公園には、むろん不良たちの姿は影も形もない。犬の散歩をさせているひとや、子どもを遊ばせる家族、平和な光景だった。
「来た来た」
 手をひさしにして伸び上がった章が言う。トランペットの音が響き渡り、勇ましいマーチの音が聞こえてくる。高校生になって吹奏楽部に入部したばかりの青木少年は、まだ正式な場には参加させてもらえないようだが、あとからやってくる補欠軍団らしき少年少女の一団の中にいた。
「大人数だな」
 俺が言うと、シゲも言った。 
「うまくそろってますよ。なかなか実力があるんだ」
「いい眺めだなぁ。俺たちはもう、あんなふうじゃないね」
「章、んなこと言って、高校生だって陰でなにしてるかわかんないぞ。おまえも品行方正な高校生なんかじゃなかったんだろ」
「幸生ぉ、俺の綺麗な夢をこわすな」
「けぇっ」
 うるさいんだよ、おまえらは、とシゲが嘆き、乾は言った。
「章、幸生、むやみにさえずるな、おとなしく見学してろ」
「そうだ、乾の言う通りだぞ」
「はーい、リーダー、おとなしくしろよ、章」
「おまえもだ」
「な、本橋?」
 つと身を寄せて、乾が囁いた。
「小林さんって誰かを思い出さないか?」
「誰だ?」
 考えるまでもなく思い当たった。フォレストシンガーズがプロになったら、私がマネージャーをやるからね、と宣言している、乾や俺の同年の山田美江子だ。山田が少女に戻ったら、小林少女に似ているにちがいない。
「あっちのほうがぐんとひねてるけどな」
「あー、言ってやろ」
 それぞれに楽器を手にして、演奏しながら行進してくる少年少女吹奏楽団は、たったの二十数年しか生きていない俺たちにとっても、ノスタルジーを感じさせる眺めだった。歌と楽器の差こそあれ、俺たちもつい数年前はああだったよな、と感慨にふけってしまう。行進を終えて整列したブラスバンド部の先頭にいた、キャプテン小林少女が、澄み渡る声で言った。
「みんな注目!! あちらにいらっしゃる方々が、青木くんを危機から救い出して下さった、素敵なお兄さま方です。あの方々はヴォーカルグループを結成してらっしゃいまして、本日は私たちのために歌って下さるんだそうです。みなさーん、拍手っ!!」
 聞いてねえぞ、聞いてないっ、いつそんな話になったんだ、うろたえかけた全員を眺め回して、シゲが言った。
「リーダーも聞いてなかったんですか。けど、あんなこと言われて引き下がれないでしょう。俺たちは人生の先輩として、かっこいいとこ見せなきゃ。俺たちの武器は腕力じゃないぞーってね」
「そりゃ皮肉か、シゲ」
「とんでもない」
「よし、歌おうぜ」
 立ち直りの早い乾が言い、元気の出る歌、「明日に向って」でいこうや、と勝手に決めて飛び出していった。慌てて仲間たちもあとを追い、拍手喝采が静まるとブラスバンド部の前に並んで歌いはじめた。
「きゃあっ、かっこいいっ!」
 叫んだのは後輩なのだろう。小林少女がぴしゃりと言った。
「黙って聞きなさい」
 女の子の嬌声が響く。男の子たちも、周囲にいた一般の人々も耳をかたむけ、ミニコンサートのおもむきになった。歌い終えると、小林少女が進み出て一礼した。
「突然言ってごめんなさい。聞いてみたかったんです」
「いいってことよ。どうだった、小林さん?」
 問うた幸生に、小林少女は絶叫で答えた。
「最高っ!!」
 同感、最高、すげぇ、感動!! などなどの声が唱和し、歌った本人たちもじーんと来ていた。と、どこにいたのか、ひとりの老人が俺に近づいてきた。
「きみたち、アマチュア?」
「そうです」
「アマチュアにしておくのはもったいないよ。わしはきみたちに世話になった青木良平の祖父なんだが、いやぁ、こんなじじいも感動させてもらった。プロを目指してるんだろ」
「そのつもりです」
「今のはオリジナルかね」
「僕が作詞をしまして、あそこにいる乾が作曲しました」
 オリジナルなんだって、すごいね、と高校生たちのざわめきが伝わってきた。
「ほおほお、歌づくりもたいしたもんだ。率直に言えばちと青いが……いやいや、がんばってくれ。きっときっときみたちは大物になれるよ」
「は、ありがとうございます」
 最敬礼した俺に、老人は鷹揚に微笑みかけた。
「アンコールをお願いしていいかね」
「はい。では」
 コンテストで歌おうと決めている曲だ。「OVER THE RAINBOW」、英語の歌詞に日本語のコーラスをつける。俺たちは再び歌い出した。

「Somewhere over the rainbow
 Way up high
 There's a land that I heard of
 Once in a lullaby

 虹の向こうのどこか空高くに
 子守歌で聞いた国がある
 
 Somewhere over the rainbow
 Skies are blue
 And the dreams that you dare to dream
 Really do come true

 虹の向こうの空は青く
 信じた夢はすべて現実のものとなる

 Some day I'll wish upon a star
 And wake up where the clouds are far behind me
 Where troubles melt like lemondrops
 Away above the chimney tops
 That's where you'll find me

 いつか星に願う
 目覚めると僕は雲を見下ろし
 すべての悩みはレモンの雫となって
 屋根の上へ溶け落ちていく
 僕はそこへ行く

 Somewhere over the rainbow
 Bluebirds fly
 Birds fly over the rainbow
 Why then, oh why can't I?

 虹の向こうのどこかに
 青い鳥は飛ぶ
 虹を超える鳥達
 僕も飛んで行くよ」

 大歓声と拍手の中、俺たちは口々に叫んだ。
「ありがとうございましたーっ!!」
 老人が言った。
「こちらこそ、孫を助けてくれてありがとう。良平、おまえもがんばれよ」
 はーい、と青木少年の声がし、老人は歩み去っていき、小林少女が言った。
「本橋さん、青木くんのおじいさまは、今は引退しておられるんですけど、お若いころはプロのミュージシャンでいらしたんだそうです。私が言うのは生意気ですけど、そんな方も……」
「ありがとう。ああ、俺も感激だ」
「小林さん、こんな機会を与えてくれてありがとう。この公園に集うすべてのみなさん、ご静聴いただきまして感謝します。ありがとーっ!!!」
 遅い春の公園に響き渡る乾の声。乾は続けて言った。
「では、我らがリーダー、本橋真次郎がご挨拶を申し上げます」
「えー、みなさま方、まことにありがとうございました」
 わーわー、ウォーウォーと大歓声が起きた。
「男性のみなさま方、聴いていただいてありがとう。そして、この場にいらっしゃる女性のみなさま方には、僕らからいっぱいの愛をこめてキスを送ります。受け取って下さい」
 そろってキスを投げる。老いも若きも、女性たちは笑いさざめいた。
 期せずしてMCの訓練までできてしまい、それなりに受けたので大満足だった。フォレストシンガーズの面々は、このひととき、満場の喝采を浴びるプログループになった気分を味わっていたのだろう。もちろん俺も、何度でも何度でも、こんな気分を味わいたいと、心から感じていた。
 こうして聴衆のみなさまには受けたのだ。夜明けは近いと考えていいのだろうか。大きなステージに立って、幕が開けば満場の観客が見える。それが現実となるように、みんなして励もう。みなさまも見ていて下さいね、と、聴衆のみなさまにお辞儀をする俺に、仲間たちも続いた。


3 幸生

 真昼間の公園は閑散としていて、いるのは俺と小鳥さんだけ。
 近頃では練習もスタジオでできるようになったのだが、時には公園を訪ねる。本橋さんのアパートから近いこの公園は、俺たちの青春のひとこま。想い出に満ち満ちていて、ベンチにかけてぼんやりしていると、次から次へとこの公園でのできごとがよみがえってくるのだから。
 仕事もなくはない。全然暇ってわけでもないが、売れているとはとうてい言えない。休みだってある。今日は休みなので公園に来て、いつものように小鳥さんとお話をしていた。
「ねぇ、きみの名前は? 俺がつけてあげていい? きみってなんていう種類の鳥? 見かけない小鳥さんだよね。どこから来たの? ぴちくりぴーっ? 返事してくれてるんだろうけど、ごめんね。俺、小鳥語は解さないんだよ。日本語で喋ってくれないかな。いえ、やめて下さいね。きみがいきなり日本語を喋り出したりしたら怖いから。せっかくちょこっとは売れてきてるってのに、心臓麻痺でも起こして倒れたらどうするの。やめてよね」
「売れてきてますよね」
「そうなんだよ。嬉しいなぁ。えええ? ぎょぎょぎょっ……嘘っ!! 小鳥さん、やめてって言ったのにぃ……空耳? だよね」
「空耳ではありませんよ」
「……うげっ。だったらそこにいて。テレビ局に電話してくるから。日本語で喋る小鳥さんがいるよって。きみは一躍スターになれるよ。俺たちよりも先に……俺、ケータイ持ってないから待っててね。飛び立たないで」
 樹の枝に止まっている小鳥さんに懇願しつつ首をひねった。今の声は小鳥さんの口からは発せられていない。そんなら誰? と見回すと、くすくす笑っている女の子が立っていた。
「……なんだ。がっかり。じゃないね。あったりまえじゃん。俺ってばなんてお馬鹿さんなんでしょ。聞いてたの? すわらない? あれれ? あれっ? 小林さん?」
「はい。お久し振りです。三沢さん」
「……おー、奇遇ですなぁ。すわってすわって。どうぞどうぞ。って、俺のベンチじゃないけどさ」
 あの日あのとき公園で、というのは、アマチュアとしてフォレストシンガーズの活動をしていた三年目、俺が大学を卒業したばかりの初夏に近い春の日だった。
 正義の男である我らがリーダー、本橋真次郎が不良少年にからまれていたブラスバンドのトランペット少年を救い出し、それがきっかけで都立高校のブラスバンドクラブの少年少女と知り合ったのだ。当時の俺は二十二歳で、今では二十四歳になっているのだから、約二年前だ。
 あれからも俺たちはあの公園で練習を続けていたのだが、高校生たちは不良を敬遠してか、公園には来なくなっていた。会わなくなると記憶は薄れていくもので、俺としても彼らを忘れかけていた。忘れがたいのはブラスバンド部キャプテンの小林華絵さんなのだけど、十七歳だか十八歳だかの女の子をどうこうってのもね、俺だって成人男子なのだから、高校生とどうこうってのもね、ってわけで、元気でがんばりたまえ、と激励して別れたのだった。
 その小林さんだった。二年たっているのだから、当時は高校三年生だった彼女は大学生になっているのか。理知的で爽やかな美少女が、美女に変貌を遂げつつある年頃だ。
「小林さん、元気そうだよね」
「はい。元気です。三沢さんもとってもお元気そう」
「俺はいつでも元気だよ。大学生になったの?」
 高校三年の秋には、俺も受験勉強をしていた。好きだったひとは大学を卒業して遠くに行ってしまい、しばらくは青春を灰色に塗りつぶす受験勉強に専念しようと心に誓って、志望校現役合格だけを見据えていた。俺の人生でもっとも勉強したのはあの時期だっただろう。初詣で神さまにお祈りしたのも手伝って、どうにかこうにか現役合格を果たした。
 彼女もそうして受験に命を賭けたのか。もともと俺よりずっと頭がいいのだろうけれど、小林さんが口にしたのは、理系の難関大学だった。
「小林さん、優秀なんだね。理系か」
「本橋さんが理系でしたよね。宇宙科学でしたっけ? 私は地球環境学科です」
「うちのリーダーは大学は理系だけど、なんたってうちの大学はね……小林さんの大学と較べたら偏差値は……って、いいんだけどさ。リーダーは今や音楽系人間ですから。俺たちみんなそうなんだけど、うん、リーダーの頭の中には理系っていうか、おたく系は濃く残ってるよ。この間も鼻歌を歌ってるから聞き耳立ててみたら、来たぞ僕らのウルトラマン、だってさ」
 きゃははっと笑って、小林さんは話題を変えた。
「ひとりごとじゃなくて、小鳥さんとお話ししてらしたんですよね。私も知ってます。フォレストシンガーズは有名になってきてますよね」
「そうでもないけど、デビュー当時よりは売れたと言ってもいいかな」
「おめでとうございます」
 ありがとうっ!! と手を握りそうになって、女の子にそうしたらいけないか、と思い直して引っ込めようとした手を、小林さんのほうから握ってくれた。
「よかったですね。フォレストシンガーズがプロになったって聞いたときにも、おめでとうございますって言いたかったんですよ。会う機会もなかったから言えなかったけど、プロになるのは当然だと思ってました。だけど、たやすい道のりではなかったんでしょう? ほんとにほんとにおめでとうございます。ご苦労なさったんですよね」
「苦労なんかしてないよ。楽しかった。今でも楽しい。俺だけじゃなくてみんなもそうだけど、歌っていられたらこの世は天国なんだ。大好きな歌を職業にできた果報者なんだから、苦労なんてあるわけないじゃん。CDも出したしステージにも立ってるけど、無名なのはアマチュア時代と変わってない。だけど、艱難辛苦汝を珠とする、って言うじゃん。俺たちなんて艱難辛苦ってほどでもないけど、道なき道を五人して切り開き、ひたすら突き進んでいきます。小林さんも見ててね。俺たちがたとえばRPGのキャラだとしたら、RPGはやる?」
「やりますよ」
 優等生もゲームはやるんだと安心して、俺は語った。
「シゲさんはゴブリン、つるはしだか斧だかを振るって行く手を遮る巨岩をもぶっこわす。リーダーは剣術使いかな。剣の達人、加えてげんこつの達人。乾さんはガンマン。口では高らかなファンファーレを奏でるんだ。章は口から超音波を発する魔法使いで、俺は可愛いエルフ。章と俺は力勝負はできないから、先輩たちの援護射撃をするんだよ。ねえ、小林さん、呆れてる?」
「いいえ。どうして呆れるんですか」
「俺が喋りまくる奴だってのは、とっくに知られてるから呆れもしないってか」
「三沢さんのお話を聞いてると楽しいです」
「ありがとう。そう言ってくれるのはきみだけだよ」
「そうなんですか」
 おまえはやかましい、黙れ、って先輩たちに怒られてる俺も見ていたくせに、小林さんはにこにこと俺に言った。
「三沢さんたちの大学時代のお話も聞きたいな」
「時間はいいの?」
「いいんです。この公園は私の卒業した高校から近くて、なつかしくて入ってきたら三沢さんに会えたんですもの。ためになるお話を聞かせて下さい」
「俺の話がためになる……そんなふうに言われたのも初体験だよ。小林さんは人生の摂理をよく知ってる。そうそう、そうだよ。大学生活を経験した学生時代の話は、現役大学生の小林さんにはきわめてためになります。俺は経済やってたっていうか、勉強はちーっともしないで……」
 勉強ちっともしないで、こんな歌ばっかり歌ってたから、と「受験生ブルース」を口ずさんでみたが、小林さんは知らない様子だ。たしか酒巻も知らなくて、ブルースの勉強をしろ、と言ってやったのだが、小林さんは地球環境の勉強をしなくはならないのだから、ブルースは学ばなくてもいいだろう。
「合唱部の話しでもいい?」
「はい。聞きたいです」
 お行儀のいい小林さんに、俺は思い出話をした。もっと手を握っていてほしかったけど、離れてしまったのを心残りに感じながらも、長い長い話をした。
「小林さんがその大学に入ったのも、なんらかの摂理が働いてるんだよ。きみにも運命の出会いはあった?恋でなくてもさ」
「そうですね」
「あるのかな。ないのかな。ねえ、小林さんも授業をさぼったりする?」
「しますよ」
「よかった。RPGといいさぼりといい、もと劣等生としては安心しちゃったよ」
 てへへっ、と可愛く笑ってから、小林さんは言った。
「三沢さんのお話を聞いてて考えてたんですけど、無理かな」
「なに?」
「高校の学園祭が近いんですよね。一曲だけでいいんです。学園祭に出演してもらえませんか」
「おー、そういうのってありだよね」
 下っ端の俺が独断で決めるわけにもいかないのだが、大学ではなく高校の学園祭に出演とはそそられる。自身の高校時代には学園祭では遊んでいただけだし、大学時代は合唱部一本で、逆に大忙しだった。可憐な女子高校生の集団ともお会いできるし、フォレストシンガーズの宣伝にもなるではないか。
「うん、リーダーに話してみるよ。社長にも了承を得ないといけないんだろうけど、そこんところはリーダーにおまかせ。できたら行きたいな」
「ほんとに? 嬉しい。三沢さん、ためになるお話をありがとうございました。口が疲れませんでした?」
「俺の口はこれしきでは疲れません。ご心配なく。ためになった? 俺のほうこそ大感激だ。楽しみだな」
「私も楽しみにしています」
 青木少年の近況は聞けなかったのだが、男はどうでもいいというか、彼らの母校の学園祭に出演すれば、青木くんにも会えるかもしれない。小林さんにもむろん会える。その日は別の仕事はないのだから、社長も反対はしないだろうから、決まったようなものだった。


4 幸生

 都立****高校学園祭、と、校門には派手派手しい看板がかかっている。早朝から動き回っている高校生たちの姿もちらほら見えて、彼や彼女たちの目が充血している。徹夜で準備していたのだろうか。完徹で朝を迎えたのだとしても、学園祭のハイな気分が疲れさえも吹き飛ばしてしまう。若いっていいねぇ。いや、俺もまだ若いんだけどさ。
 なにも俺たちはこんなに早くから来なくてもよかったのだが、昨日は地方での仕事で、夜明けごろに東京に帰ってきたのだ。一度それぞれの住まいに帰ろうか、と本橋さんが言ったのだが、章が反対した。
「うちに帰って寝たら寝過ごしますよ。俺、遅刻したくないよ」
 おおいにあり得る事態なので、それもそうだ、となって、東京駅近くのビジネスホテルで着替えて入浴して、こざっぱりしてから高校にやってきた。それでも俺たちも元気いっぱい。まだまだ若い証拠である。
「なんですか、あなた方は」
 学校に入ろうとしたら、中年男性にとがめられた。五人で声をそろえて朝の挨拶をしても、彼は応じてくれない。険しい目つきで見つめられて、本橋さんが言った。
「先生でいらっしゃいますか」
「教諭の方々はまだいらしてないよ。私は警備員です」
「警備の方でしたか。我々は……」
「生徒の兄さんたち? 今はまだ準備中なんだから、出直してきて下さい」
「いえ、我々はフォレストシンガーズと申しまして、学校側からも正式なご依頼をいただきまして、学園祭に出演させていただくミュージシャンです」
「聞いてないね」
「聞いてないとおっしゃられましても、決まってるんですから」
 正式な書類ももらっているのだが、社長の手元に置いてきた。本橋さんが一生懸命説明しても、警備のおじさんは頑として聞き入れてくれない。
「あんたの言うことが本当だとしても、こんなに早くからってのが怪しいな。予定時間はもっとあとでしょう」
「そうなんですけど、それにも事情がありまして。高校の学園祭なんてのは我々にもなつかしいですから、見学させてもらおうかと……いけませんか」
「いけませんな。お引き取り下さい」
「しようがないな。早く来すぎたのが失敗だったよ。本橋、出直そう」
 乾さんが言い、本橋さんは不承不承のていでうなずいた。章は不満をあらわにして言った。
「あんた、本物の警備員? ガードマンの服装もしてないし、ニセモノじゃないの? 証拠を見せてもらえませんかね」
「なんだと? あんたらは自分たちがニセモノだからって、私を疑うのか。近頃は女子高生ブームだとか言うじゃないか。若い男が五人もそろってやに下がって、なにを見物に来たんだか。女生徒の更衣室見物か」
「ああ、そう。あんただろ。その目的でこんなところにいるのは」
 なんだとぉ、とおじさんは顔色を変え、乾さんが章を止めた。
「やめろ、章。品性低劣な話題に乗るな」
「品性低劣? 貴様、生意気な……」
「すみません。俺の口ってよくすべるんですよね。だけど、そういう想像をするっていうのは、あなたの頭の中にもよぎってるからなんじゃありませんか。我々はニセモノではありません。あなたも本物ですよね。では、出直して参りますのでそのせつはよろしく」
 寝不足のせいか章は機嫌が悪くて、怒り顔のおじさんにそう言った乾さんの横からまたまたなにか言おうとした。シゲさんは困惑していて、本橋さんの表情にも怒りが見える。俺は章の手首を引っ張った。
「いいからさ。出直してくりゃすむ話じゃん。近くの喫茶店で仮眠させてもらえよ。な、章?」
「俺、このおっさん、むかつく。リーダーはむかつかないんですか」
「むかつくけどな」
「まったく、あんたらはなんたる……」
「申しわけありません。俺自身の台詞も申しわけありませんでした。とにかく、行こう。本橋、章、怒るな。幸生、章を遠ざけろ。シゲ、本橋を頼む」
 はいっと答えてシゲさんと俺は乾さんの言いつけに従い、乾さんと本橋さんはおじさんにぺこっと頭を下げた。おじさんは乾さんがぶらさげていたギターを指さした。
「ちょっとそれ、見せて」
「は? ギターですか。ギターになにか不都合が?」
 ギターケースを乾さんの手から強引にひったくって、おじさんはギターごと後ろを向いた。ギターはこの世の宝のひとつだと思い定めているふしのある章が、なにすんだよ、とおじさんに食ってかかる。やめろよ、と俺は言ったのだが、今朝の章は相当に機嫌が悪くて、俺の手を振りほどいた。
「そんなに荒っぽくしたらこわれるだろ。さわんなよ」
 取り返そうとする章と、返すまいとするおじさんがもみ合いになって、シゲさんが背後から章をつかまえた。ギターが地面に落ち、乾さんが拾い上げると、おじさんは再び奪い取ってなにやら検めていた。
「なんだね、これは?」
「なんですか」
 おじさんの手には小さな紙包み。薬? と俺は思ったのだが、おじさんは言った。
「おかしなものをギターケースに入れてるんだな。ミュージシャンなんてのはこういうのは常習だろ。警察に電話するから動くなよ」
「言いがかりをつけないで下さい」
 本気で怒った様子で、本橋さんが言った。
「なんだって言うんですか、それは。乾、ギターに薬を入れてたのか」
「いいや。薬なんか入れてないよ」
「そんならなんだよ。薬にしか見えないじゃないか」
「推測だったらできるけど、今は言うべきじゃないな。まさかそうではないだろうから、警察を呼んでもらおうじゃないか。もしもそうだったとしたら、今からそれについては考えるよ」
「乾?」
 本橋さんはしかめっ面で乾さんを見返し、シゲさんにつかまえられている章が言った。
「乾さん……それってこのオヤジが……」
「今は言うな、章」
「だって……えー、信用してもらえないよ。ミュージシャンって立場が弱いんですよ」
「みたいだな。だけど、俺は絶対になにもしてない。ギターケースにはなにも入れてない。検査されたってなにも出ない。自信を持って断言できる。だから、大丈夫だ」
「そうは言っても、やってなくても売ってたんだろって……」
「章、先走るな」
 ひたすら無言だったシゲさんは、え? えええ? と俺を見た。本橋さんは乾さんと章を見比べていて、俺にもなんとなくはこの場の状況が読めてきていた。おじさんは携帯電話で警察に電話をかけたようで、通話を切って言った。
「こんなところであんたたちとこういう話をしていると、高校生の教育上よくないな。自首するか。あっちに派出所があるよ」
「自首というのは罪を犯した人間がすることですね。俺はなんの罪も犯してはいませんので、自首ではなくて出頭してきます。あなたもいらして下さい」
「私が?」
「当然でしょう。ついてきて下さい」
 断固として言った乾さんがおじさんに顎をしゃくる。乾さんの目は鋭さを増していて、おじさんは気を呑まれたようにうなずいて、ふたりで歩き出した。その背中に本橋さんが呼びかけた。
「乾、俺たちはどうするんだ」
「おまえたちはどこかで待っててくれ」
「……そうは行くか。シゲ、幸生、章、行くぞ」
 なんだってこうなるんだよぉ、だったのだが、乾さんを官憲の巣窟にひとりで行かせるわけにはいかない。俺のせい? とさきほどまでの元気はどこへやらの章、決然とした面持ちの本橋さん、いまだにこの意味を完全には理解していないのかもしれないシゲさん、も歩き出し、俺もいちばんうしろからついていった。
 もしかして本物の覚醒剤だったりしたら、いや、もっと軽いドラッグのたぐいだったとしても、章の言う通り、たやすく免れるわけにはいかないだろう。紙包みの正体がなんなのかわからなくて、心臓がばくばく言っていたのだが、派出所で警官と向き合った乾さんは静かに言った。
「この方はむこうの高校の警備員でいらっしゃるんですけど、疑いをかけられました。この包みを麻薬ではないかと思っておられるようです。しかも、これは僕が持っていたものではありません。僕が彼を……お名前は?」
「吉田」
「吉田さんを怒らせたせいなんですが、事情を説明しますと」
 高校の校門前に到着してからの出来事を、乾さんが簡潔に警官に話す。吉田と名乗ったおじさんはそわそわしているように見えたのだが、警官は乾さんに手渡された包みを注意深く開き、指先にほんのすこしつけてぺろりと舐めた。
「味はビタミン剤かな。詳しく調べてみますよ。乾さんの持ち物ではないんだね。すると吉田さん?」
「いや、私は……」
「乾さんの話からすると、あんたが彼のギターケースにこれを入れたとも考えられるね。若いロックバンドの連中がこんな怪しい包みを携帯していたら、警察はたしかに疑惑を向けるよ。しかし、これがそうだとしたら、素直に見せにはこないでしょう。吉田さん、正直に言いませんか。警察も忙しいんで、あんたが若いひとたちを陥れようとしたなんて茶番につきあってるのは時間の浪費なんですよね」
 年配の警官は穏やかに言い、乾さんは無表情で吉田さんを見下ろしている。章はぼそっと言った。
「俺たち、ロックバンドじゃないんだけど」
「そんなことはどうでもいいだろ」
 本橋さんが言っても、章はぶすっとしている。吉田さんは爪を噛んでいる。黙秘ですか、と笑いを含んだ声で言った警官が受話器を取り上げ、脅迫口調で吉田さんに言った。
「これがただのビタミン剤だったら、あんた、公務執行妨害だよ」
「これはその若者が……」
「乾さんが? 私も伊達に長年警官やってるんじゃないから、あんたたちのそぶりでだいたいはわかるんだけどね。吉田さんがあくまでもそう言い張るんだったら、調べてみましょうか。私が睨んだところではただのビタミン剤。ギターケースにビタミン剤を入れてても、なんの問題もないね。吉田さんが乾さんのギターケースにビタミン剤を放り込んだんだとしても、同じくなんの問題もありません。そんなことで警察を騒がせるほうが問題ありだよ」
「いや、あの……いや、私はそうじゃないかと思っただけで……」
「そうじゃないかって?」
「ミュージシャンだなんて人種は、そういうのは遊び半分でやるものでしょう。ですから、彼のギターケースからそれが出てきたときには、やっぱりやってるんだと……」
「ビタミン剤が?」
「なんなのかは知りませんよ」
「そうですか。そりゃあ若くても疲れたりはするんだろうから、ビタミン剤で元気回復ってのはやるよね、乾さん?」
「元気回復でしたらドリンク剤ですかね」
 なかなかにとぼけた味の警官に、乾さんもとぼけた調子で応じた。
「覚醒剤だったらどんな味がするんですか」
「私もなめたことはないけど、変な味でしょうな」
「その包みの中身はどんな味でした?」
「甘かった」
「ビタミン剤って甘いんですか。僕はビタミン剤を口にした経験はないんですけど」
「ビタミン剤じゃなくて砂糖かもしれませんね。そうですか、吉田さん?」
「甘い? 塩が?」
 あわっ、と吉田さんは口を押さえ、全身から力が抜けた俺もようやく口をきいた。
「ふむふむ、塩は変質すると甘くなるんですね。勉強になりました。ねえ、吉田さん、塩っていうのも元気回復に役立つんでしょ? 警備員って重労働だから汗をかきますもんね。そんで吉田さんは塩の包みを持ってたんだ。乾さんのギターケースに包みがすべり落ちて、吉田さんはそうとは気づかずに、わお、ミュージシャンが変な包みを持ってる、って驚いて、公徳心を発揮して警察に電話した。そうですよねぇ、ああ、よかった。誤解がとけた。めでたしめでたし。じゃんじゃーんっ」
 そうでしたか、ご苦労さまでした、ありがとうございました、と警官が吉田さんの肩を叩いた。乾さんはうつむいていて、本橋さんとシゲさんと章は、今にも膝が崩れそうなのをこらえているかに見えた。
 形式上ではありますが、一応調書を、となって、警官の質問に答えている乾さんのうしろに、他の四人は控えていた。ふーん、こういうのは初体験だけど、なにごとも勉強だよね、と思って俺が警官と乾さんの質疑応答に集中していると、ふと本橋さんが言った。
「……あのおっさんはどこへ行った?」
「吉田さん? あれ? いませんね」
「逃げたのか」
「逃げなくてもいいんじゃない?」
 見てきましょうか、とシゲさんが外に出ていったのだが、いないと言う。警官も首をかしげて言った。
「逃げる必要もなさそうだけど……念のために訊いてみますかね」
 警官がかけた電話は高校にだった。吉田さんとおっしゃる警備員は……え? そんなひとはいない? はいはい、夜間の警備員はいるが、朝はいない? 今朝はいない? 吉田という名の警備員はいない? 俺たちにも聞かせるためなのか、いちいち繰り返している。すると、あいつはなにものだ、と本橋さんが言い、章も言った。
「やっぱりあいつは騙りだよ。ニセ警備員だよ。あいつは痴漢だったんじゃないのか。なにかしようとしてたところに俺たちが来たから、邪魔になるって思って追い払おうと……あれ?」
「だったらこんな真似はしなくない、章?」
「だよな。なんだ? わけわかんねえよ」
 あなたたちは待ってて下さいよ、と言い置いて、警官がまたしても電話をかけている。章と俺はああでもないこうでもないと議論していたのだが、なにがなんだかさっぱりわからない。
「こんなことをしていたら、時間がたつばかりじゃないか。学園祭はどうするんだ」
 本橋さんが苛立った声を出し、シゲさんも言った。
「しようがないと言えばしようがないんですけど、吉田さんねぇ……平凡な名前は仮名だとか……」
「そしたらおまえも仮名だな、木村章」
「三沢幸生も仮名かよ」
「三沢幸生と木村章はどちらがより日本に多い名前か、警察でだったら調べがつきません?」
 尋ねた俺は警官に無視され、章も幸生も馬鹿言ってんじゃない、と本橋さんに怒られて、乾さんは言った。
「吉田さんについては警察におまかせしよう。派出所から逃亡するってのはわけありなんだろうから」
 ようやく解放されて外に出、高校のほうへと近づいていったあたりで、シゲさんが走り出した。
「いましたよ。吉田さん、待って……」
 彼が犯罪に関わっているのであるならば、市民の義務として見過ごしにしてはいけない。犯罪者がああいう真似をするのは解せないのだが、それはあとで追及することにして、シゲさんと本橋さんが吉田さんを追い、シゲさんが彼をつかまえた。抵抗されたシゲさんが得意の背負い投げをかけ、本橋さんが地面に伸びた吉田さんを顔で威嚇し、乾さんが呼びかけた。
「吉田さん、なんなんですか、これは?」
「……俺はミュージシャンって奴らが大嫌いなんだよ」
「まちがいなくわけありなんですね。話を聞かせてもらえますか。俺たちには話したくありませんか? 警察に戻りましょうか」
「あんたらに話しても……なんの……」
 地面にすわり込んでうなだれている吉田さんに、章が言った。
「あんたはやっぱ痴漢なんだろ。しかしさ、だとしたら警察に……なんで? わけわかんねえよ」
「痴漢なんかじゃないよ。あんたらに話しても意味もないけど、いいわけさせてもらおうか」
 すぐそこに喫茶店がある。六人でぞろぞろと店に入り、吉田さんの話を聞いた。
「あの高校には俺の息子がいるんだ。文化祭ってのか学園祭ってのか、今日はそれだって聞いたから、普通に授業をやってる日よりは入り込みやすいだろ。だけど、学園祭がはじまっちまったら、そんなところには行きにくい。息子にばったり会ったらどうするんだよ。だからさ、朝の早くから警備員みたいな顔をして、それとなく見てたんだ。息子は来てないようだった。来たらどうしようって思いながら、校門の近くに立ってたらあんたらがあらわれた。風体でミュージシャンだってわかったよ。高校生には見えなかったけど、卒業生たちが演奏でもするのかな、ってさ。あんたらなんかほっといたらよかったんだけど、ミュージシャンの集団だって思ったらむかむかしてきて……」
「えーと、話を整理していいですか。息子さんとは分かれて暮らしておられる?」
 問いかけた乾さんに、吉田さんは力なくうなずいた。
「息子が小学校のときだった。もうひとり娘がいて、娘は大学生だったんだよ。娘は大学に入ってから不良じみてきて、ロックやってる男とつきあってごたごたしてて、かみさんは娘の味方をして、娘とかみさんが組んで、俺とは喧嘩ばっかりしてた。とにかくそいつを連れてこいと娘に言ったら、渋々連れてきたよ」
 髪の長いいかれた格好をしたロッカーは、ギターケースをぶらさげて恋人の家を訪ねてきた。あんたは娘をどうするつもりなんだ、と吉田さんはそいつを難詰し、そいつはのらくらと冷笑的に恋人の父親に対した。吉田さんは猛烈に腹を立て、そいつを殴りつけた。
 そいつと取っ組み合いになり、娘はそいつの味方をし、怒って父親を殴った。母親も夫に、あんたがいけないと言い、娘と彼氏は家から飛び出していってしまった。
 そこからこじれにこじれ、息子までが姉の味方をし、母親はあんたが悪いと言い張り、吉田さんは四面楚歌となった。娘はそれっきり家には戻らず、吉田さん夫婦は家庭内離婚状態となっていたのだが、冷戦の末に妻に離婚届を突きつけられた。自棄くそで離婚届に印鑑を押して役所に提出して、吉田さんも家出してひとりぼっちになった。
 うつむいてぼそぼそ喋る吉田さんの話は、まとめてみればそういうことだった。現在の吉田さんは警備会社でガードマンの仕事をしているのだそうだから、警備員だと言ったのは嘘ではない。ただし、青木くんや小林さんの母校とは無関係で、長らく会っていない息子の顔が見たくて、だけど、会ったらどうしようかと迷いつつ、早朝から学校の回りをうろついていたのだった。
「離婚したのは息子が中学生のころだったから、面影は残ってるはずだ。あの高校に入学したとも知ってたよ。来年には卒業だとも知ってるよ。卒業したら息子は遠くの大学に行くかもしれないだろ。だから、今のうちにと……娘がどうしてるのかは知らないけど、俺がこうなっちまったのはあいつのせいだ。あの、ロックやってるいかれた野郎のせいで……」
「逆恨みですよ、それは」
 言った乾さんを、おい、おいおい、と本橋さんが小声でたしなめている。乾さんはかまわず言った。
「吉田さんの気持ちは理解できなくもない。俺たちだって男なんですから、吉田さんの心情はわからなくもありません。可愛い娘さんをロッカーに連れ去られた親父の鬱勃たる想い……いずれは……いえ、まあ、先走るのはやめましょう。でもね、だからって……うーん、なんとかして……」
 学園祭ならば生徒の両親もやってくるのだから、中年のおじさんが校庭にいても見咎められたりはしない。けれど、息子と正面切って出会ってしまったら困る、という吉田さんの気持ちは、俺にも推し量ることくらいはできる。乾さんは息子には気取られずに、吉田さんに息子の顔を見せてやりたいと考えているのだろうか。腕組みして目を閉じていた。
「俺らはミュージシャンだけど、だからって八つ当たりされたってわけか」
 章がぼそっと言い、俺も言った。
「吉田さんには同情の余地はあるけどね。犯罪ではないんだから、警察に連れていかなくてもいいんだよな」
「乾さんを陥れようとしたのは犯罪だろうが」
「乾さんは怒ってもいないよ」
「人がいいんだから」
 むこうでは本橋さんとシゲさんが居心地悪そうにしていて、乾さんは自身の考えに浸っている。吉田さんは俺たちににっくき男を重ね合わせ、ああやってそいつを陥れて、娘を奪い返したかったのか。娘ってそんなに可愛いのか。いい年して浅い、あんたの行為にこそなんの意味もない、と言ってやってもいいのだが、ここは乾さんにまかせておこう。
「なあ、予定時間が迫ってるぞ、乾」
 しばしののちに本橋さんが言い、乾さんは目を開けた。
「章、帽子を持ってるだろ。これでさりげなく顔を隠して……老人の扮装もいいかと思ったんですけど、吉田さんは身のこなしが若々しいから、むしろ目立つ。サングラスも目立ちすぎる。そうなると、さりげなくしかありませんよ。もしも息子さんと会ってしまったら、それはそのときのこと。そのつもりで行って下さい。俺たちの関係者ってことにして学校に入りますか。あとは吉田さんの才覚で、がんばって下さいね」
 ためらいがちにうなずいた吉田さんと、六人で高校に戻っていった。


 吉田さんの息子は高校三年生だと言っていたが、顔は知らないので、どいつがそいつなのかはもちろん知らない。俺たちのステージには、普段のライヴにもこれくらいお客さまがきて下さったら、CD売り上げだってもうすこし伸びるだろうに、と思える人が集まってくれた。
 人が多すぎて、小林さんや青木くんがいたとしても見つけられない。吉田さんもどこにまぎれてしまったのか、姿が見えない。乾さんが出した知恵は、さりげなくなにげない変装ってものだったのだから、あのおじさんは俺たちの目をも眩ませて、学園祭を見にきている生徒の父親にまぎれてしまったのだろうか。

「夕暮れのキャンパスは
 後片付けで
 カセットの音やお喋りも
 どこかけだるそう
 
 講堂の歌声もコールの拍手も
 青春のときを綴ってく
 最後の学園祭」

 後片付けの夕暮れではないのだが、我々のオリジナルよりは受けそうな、学園祭をテーマにした曲を歌った。「最後の学園祭」だ。吉田さんの息子にとっても、高校生活最後の学園祭になるのだろう。小林さんや青木くんが聴いてくれていたとしたら、彼らもきっと思い出しているだろう。
 俺の最後の学園祭は、大学四年、俺が男子合唱部のキャプテンだった年。俺もいよいよ卒業だな、卒業後の進路は決まっていないけど、絶対にプロになるんだから、学生生活最後のイベントを目いっぱい楽しもうと決めて臨んだ。
 学生時代の学園祭がちらちら頭をかすめ、可愛い女子高校生も視界をかすめる。生徒の姉か母か、大人の美女も目に入ってくる。やっぱ学園祭っていいよなぁ、感動だよな、と考えながら、歌にも熱意を込めていた。
 我らお騒がせシンガーズにはいつだって騒動がついてくるのだから、今回もあったのだが、それも勉強だったのかもしれない。父親とはそんなにも娘が可愛いのか。うちの親父も俺のあの、可愛くもない妹たちが可愛いのか。今度帰ったら訊いてみよう。
 そんなふうにちらっと気をそらしていても、歌は最高に絶好調に歌えるのが三沢幸生である。美女も父親も息子もどうでもいい。なによりも最高なのは、歌い終えた我々に送られる拍手と歓声。
 永遠にフォレストシンガーズを忘れないで、永遠にこのひとときを忘れないで。永遠に俺たちを応援してね。CD買ってね、ライヴにも来てね。ステージの上で両手を上げて、いくつもいくつものお願いをしている俺に、高校生たちも先生も周囲の人々も、こぞって大歓声で応えてくれた。

END

 
 
 

 
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~ Comment ~

出身大学名に「森」の字があるのにちなんで、我々のヴォーカルグループの名は「フォレストシンガーズ」という

↑あれっ???
以前にもお伺いしましたっけ?
おお、そうだったのかっ! と今更・・・

良いハナシでした!
っていうか、進む度に味わいがものすごく深くなります。深み・甘み・渋み、そういうのがどんどんにじみ出てくる感じです。
シンガーズとしても、人間としても、同士のように友としても。
この間、恋愛や友情についてちょっと語りましたが、フォレスト・シンガーズには両方の要素がいっぱい詰まってますね。
しかし、ある意味恋愛至上主義的なfateと違って、あかねさんの世界の恋愛は淡々としていて、それなりに男女は甘い時間を過ごしたり喧嘩したり、嫉妬したりしているのに、カラリとした爽やかさが漂います。

そして。
この5人の同士愛というか、友情・・・と表現しても良いのかな?
これは、いつも見事です。
比べると『花籠』メンバーなんてフザケた奴ばっかりなんで、到底その境地には及ばないなぁ、とか。はははは。

小林さんと幸夫くんの再会シーンは良かった!!
ものすごくほのぼのと笑えました(^^)
しかし、口調は違っても、小鳥に普通に話し掛けるfateもちょっとドキッとしたりして~(^^;

fateさんへ

フォレストシンガーズの出身大学は○○森大学っていうのですよ。
たぶんどこかにちらっと書いていたとは思いますが。

ちなみに、フォレストシンガーズってコーラスグループは実在します。
男女混合グループのようで、「フォレストシンガーズ」で検索するとその実在のグループと、当ブログがヒットします。

本物のフォレストシンガーズさんからクレームがつかないかと懸念もしていたのですが、まー、こんなブログは見ておられないでしょうからね。
グラブダブドリブもどこかに別なのがありました。それもたしか、ロックバンドだったはず。
人の考えることって似てますよね。

私は恋愛を書くのも好きです。
友達の結婚式で「都会的な恋愛小説を書くのを得意とし」なんて紹介されて焦ったこともありますが、いえ、好きなだけで得意ではないのですよ。

私が思いつく恋愛のバリエーションは貧困ですから、恋愛ではない小説が書きたいと思っています。
からっと爽やか、なんて言っていただくのも嬉しいです。
できればウエットは排除したいのですが、どうしてもセンチメンタルになってしまって。

あ、私は小鳥にはあまり話しかけませんが、猫には話しかけまくっています。
遠くにいる猫にも話しかけつつ近づいていって、近くに寄ったときには逃げられています。にゃはは(=^・^=)
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