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小説336(黄色いシャツ)

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フォレストシンガーズストーリィ336

「黄色いシャツ」

1

 ハルモニームジーク・オオヤマ。
 日本語とドイツ語が混在している、私たちの高校の吹奏楽部の名前だ。子どものころからフルートを習っていた私は、大山高校に入学してこのクラブに入部した。
「私はあんまり楽器の正式名称を知らないんですけど、あれってなんていうんですか? 鉄琴でいいのかな」
 細身で中背の二年生男子が担当している楽器について尋ねると、キャプテンが教えてくれた。
「グロッケンシュピール。これもドイツ語なんだろうな」
「そうでしょうね。響きがドイツ語っぽいです」
 吹奏楽部では鉄琴などという打楽器も使うんだ。そんなことすら知らなかった初心者の私に、キャプテンの山本さんはいろいろと教えてくれた。
「僕は楽器が好きだから、高校を卒業したら楽器工場に就職するんだ」
 明るくてよく喋る山本さんとは、男子の中では真っ先に親しくなれた。けれど、私が気になるのはグロッケンシュピールの岸野さん。気にはなっていても言い出せなくて、彼のほうも私には同じクラブの後輩としてしか接してくれなくて、卒業間際の山本さんに打ち明けた。
「ああ、そうなんだ、五十嵐さんは岸野に……」
「大きな声で言わないで下さい」
「うん、ごめんね。それで、五十嵐さんは岸野とつきあいたいの? 僕があいつに言ってあげようか」
「……」
「言ってほしくないの?」
「岸野さんってなにを考えてるのかわかりづらくて……」
「それは言えてるね。五十嵐さんはあいつの声もあまりよく知らないだろ」
 言われてみれば、岸野さんが元気にお喋りしているところは見たことがない。
「低い声だとは知ってるけど、あんまり聴いたことはないかな」
「僕だってあんまり聴いたことないもんね。五十嵐さんは岸野のどこが好き?」
「ああいう無口なところが好き、かな」
 最初は彼の楽器が気になって、なんとなく視線をやるようになっていった。
 気にするとよく目につくもので、校庭を歩いている彼が見えたりもする。考え事をしながら歩いていたり、校庭のベンチで楽譜を見ていたり、読書をしていたりする岸野さんはひとりでいるのがほとんどで、痩せた風貌とあいまって神秘的にも見えた。
「卒業式の日にうちのクラブが演奏をするだろ。そのあとで岸野を呼び出すよ。五十嵐さんは待ってて。えーと、あそこでね」
 空気に春の匂いがまじるようになってきた三月半ば、十七歳の岸野壮は、十六歳の五十嵐あかりに言ってくれた。
「僕も五十嵐さんを……ありがとう。つきあってくれますか」
 これだけのセンテンスの言葉を向けられるのははじめてで、妙に感動してしまった。岸野さんの声は本当にかなり低くて、それでいて細くてぼそっとしていた。


 高校を卒業すると、山本安信は希望通りに楽器製造会社の工場で働くようになった。一年後に卒業した岸野さん、つきあうようになってから壮くんと呼ぶようになった彼は、経済大学に進学し、そのまた一年後に高校を卒業した私は、福祉系の女子大学に進学した。
「壮くんの大学には吹奏楽部はないんだよね」
「そうなんだ」
 口の重い彼に長いフレーズを喋らせるのは苦労する。壮が大学に入学したときには、当然のように吹奏楽を続けるのだと思っていたら、クラブには入らないと言ったのだった。
 なぜなら、彼の大学には遊びみたいなサークルしかなくて、音楽といえばみんなでコンサートに行こう、というような遊興系のものしかない。楽器を演奏したり歌ったりしたい者は、学外のサークルに所属しているらしいと。
 それだけの内容を喋るのも訥々していて、無口な男が好きだと思った私はまちがっていたのかとちらりと考える。
 まあ、人間的には悪いひとではないのだし、平凡なルックスで口下手でとなるともてないから、浮気の心配もしなくていいかな。かっこいい男とつきあうと別の苦労があるものね。と今では思っている。友人には、あかりは可愛いから、なにもあんなのといつまでもつきあってなくても、と言われるのであるが、私は今でも壮が好きなのだから。
「私は吹奏楽にこだわるつもりもないから、室内楽のサークルに入ったの」
「ああ、そう」
「介護士の資格を取って、就職はそっち方面にしようかと思ってるんだけど、フルートは趣味で続けていきたいな。壮くんはグロッケンシュピールを演奏したくないの?」
「グロッケンシュピールはもういいよ」
 壮が私のサークルの演奏会に来てくれたりもして、私たちは穏やかに交際を続けていた。
 大学を卒業すると、壮はごく普通のサラリーマンになり、私は老人福祉センターに就職して介護士の資格を取得し、二十六歳と二十五歳で結婚した。


「岸野がプロポーズしたの?」
 久し振りで会ったハルモニームジーク・オオヤマの元キャプテン、山本さんが言う。結婚式の二次会の席上で、壮は照れていた。
「どちらがプロポーズしたってわけでもなくて、長くつきあってるから、結婚するのが普通かなって感じだったんですよ」
「うん、お似合いの夫婦だよね。五十嵐さん、じゃなくて……」
「あかりって呼んで下さい」
「あかりさんは初対面だろ。紹介するよ」
 新郎側の招待客には、もちろん壮の友人も何人もいる。ほとんどが私は知らない男性で、そのうちのひとつのテーブルのふたりを、山本さんが紹介してくれた。
「太めでテナーの小石川守。中肉でバリトンの谷崎久雄。小石川と似た体格と声の僕は山本安信。それから、細身のベースマン、岸野壮。身長はみんなおよそ同じくらいだろ。岸野は言ってないんだろうけど、いい機会だからあかりさんにも話しておきたい。僕ら、コーラスグループを結成してプロを目指してるんだ」
「コーラスグループ? プロ?」
 小石川さんも谷崎さんも壮もにこにこしているばかりで、山本さんがひとりで話していた。
「岸野と僕は高校で同じ吹奏楽部にいた。僕は楽器の会社に就職したから、社会人になっても職場のサークルで太鼓を叩いてたんだよ。岸野ともつきあいは途絶えてなかったから、時々は会ってお茶や酒を飲んだりもしていた。あかりさんの話も聞いてたよ」
「山本さんとお酒を飲んだ、ぐらいは私も聞いてました」
 だからこそ、結婚式にも招待した。
「岸野は詳しくなんか喋らないもんな。それで、また一緒にやりたいなって話も出ていたんだよ。僕はいつの間にか歌を歌いたいと思うようになっていて、サークルの関係で知り合った小石川と谷崎と、三人でグループを組んでみたりもしたんだ。テナーがふたりとバリトンがひとり、三人では弱いな、ベースマンがほしいなってなって、ああ、いるじゃないか、岸野がってさ」
 それで、さきほどは声で紹介したのか。
「岸野を誘ってみたら、趣味でだったらいいって了解してくれた。だけどね、僕はプロになりたいんだ。岸野は迷ってる。あかりさんとしてはどう思う?」
「……仕事はやめるってことですか」
「プロになれたらね」
「どんな歌、歌うんですか」
「ソウルフルなやつだよ」
「歌って下さい」
 結婚式の二次会なのだから、カラオケを用意してある。山本さんがマイクを手にして言った。
「えー、えー、突然ですが、新郎の友人の山本安信です。ここにおります四人はリパプルズと申しまして、コーラスグループとしてデビューしたいと志しています。新婦のあかりさんのリクエストをいただきましたので、四人で歌わせてもらいます」
 口笛、いいぞーっ、などの声の中、息の合ったハーモニーが響きはじめた。曲は「スタンドバイミー」だった。
 あとのふたりは私はまったくの初対面だが、山本さんも壮も音楽的な才能のあるひとだ。歌もなかなかに素敵。
 デビューできるのかどうかもわからない。デビューしたとしても売れるかどうかわからない。でも、私だって仕事は辞めないのだし、壮とふたりだったら食べていけるだけの収入はある。リパプルズを応援してあげよう。


2

 プロになれたら嬉しいけど、趣味でもいいんだよ、と壮は言っていた。他のふたりもそのくらいの感覚で、山本さんだけは本気でプロになりたがっていると。
「困ったな」
 なのだから、壮は会社を退職はしていない。結婚してから三ヶ月ほどすぎたある日、会社から帰ってきた壮が言った。
「あれで山本さんはコネってのもあるんだよな」
「どうかしたの?」
「デビューが決まったんだ」
「リバプルズの?」
 黙ってこっくりする壮の腕をつかんで揺さぶった。
「すごいじゃない!!」
「すごいんだろうね。その上に、デビュー曲までが用意されてるんだ。コシロヒロオって知ってる?」
「知ってるっ。あの有名な作曲家が歌を作ってくれたの?」
「作詞は青柳すずめ」
「そのひとは知らないけど……」
「戦前の歌謡曲歌手らしいよ。コシロさんと友達なんだって」
「……壮、今日はいつになくよく喋るね」
「そうかな」
 困ったと言ってはいても、壮も嬉しかったのだろう。四人のメンバーが二十七歳になる年の春、リバプルズは「桜いろのさよなら」でデビューした。
 桜をテーマにした歌は売れ筋だというし、コシロヒロオ氏は高名なヒットメイカーであるし、聞くところによると、青柳すずめさんもご年配の方には有名な歌手なのであるらしい。そうすると、デビュー曲の売り上げは期待できるかな、と私は思った。
 趣味でやるのならばともかく、プロの歌手としてデビューしたらサラリーマンは続けていられない。壮は仕事を辞め、内心では燃えていたはずだ。
 他の三人も会社は退職し、リパプルズに賭けていたはず。プロダクションだっていい歌を用意してくれた。売り込みもしてくれた。ラジオにもテレビにも出演した。もっとも、テレビは昼間と深夜の番組だったのだが。
 結果、「桜いろのさよなら」はまったく売れなかった。
 二曲目は「燃ゆる想い」。デビュー曲が桜だったから、二曲目は色づく紅葉がテーマになっている。歌謡曲業界には詳しくない私はまるで知らない作詞、作曲家によるセカンドシングルも全然話題にもならなかった。
 デビューしてから約一年、壮はますます口数が少なくなって、顔色も沈んでいることも多い。暗い表情になってこんなふうにも言った。
「こんなにも売れないんだったら、リバプルズなんてやってたって無意味かな」
「他のひともそう言ってるの?」
「小石川と谷崎は、解散してもいいって言うよ。山本さんだけがやめたくないって言い張ってるんだ」
 学年は山本さんが壮の一年上で、吹奏楽部の先輩だった。けれど、山本さんは三月生まれなので、四人ともが同じ年齢でいる期間が長い。僕たちは全員、同い年です、とテレビやラジオでも山本さんが言っていた。
 谷崎さんや小石川さんは、彼を山本と呼び捨てにする。壮だけが高校時代の癖で山本さんと呼んでいて、私も山本さんとだけなじんでいるのだった。
「リバプルズデビュー一周年、うちでお祝いしようか」
「そういうの、小石川や谷崎は遠慮したがると思うよ」
「山本さんは来てくれるかな」
「うん、山本さんだけ誘ってみるよ」
 高校生のときにはちょっぴりぽっちゃりだった山本さんは、会うたびに体重が増加していっているように見える。二十七歳にして肥満体に近づいてきている山本さんが、缶ビールをお土産に我が家にやってきた。
「うちのメンバーはプライベートなつきあいってのをしないし、こうやって一緒に仕事をするようになったら、岸野とさえも飲みにいったりはしなくなった。僕は寂しかったんだよ。あかりさん、お招きありがとう」
「ようこそいらっしゃいませ。みなさん、そろったらよかったのに」
「他のふたりも誘ったけど、行きたくなさそうだったもんな、岸野?」
「そうだね」
 三人で乾杯して、私の作ったささやかな料理でパーティになった。
「あかりさんは料理が上手だね。おいしいよ。フルートも続けてるんだろ?」
「私は大学のときのサークルの、OG会みたいなのに所属してるんです。小さな演奏会なんかもやるんですよ」
「僕らもアマチュアのまんまのほうがよかったかな……いや、そんなことはないよね。あかりさんはフォレストシンガーズって知ってる?」
「フォレストシンガーズ? 聞いたことはあるみたいな……」
 ヴォーカルグループといえばアメリカが本場だろうか。黒人男性の甘く深く声量豊かな声で歌うグループなどは、たくさんあって有名でもある。
 日本にも男性ヴォーカルグループはいくつもあるのだそうだが、超メジャーなグループは多くない。私なんかは男性ヴォーカルグループといわれると、昔々に有名だったおじさんたちを思い出してしまう。童謡を歌っていたあのひとたち、なんてグループ名だったかな。
「ヴォーカルグループにもいろんなジャンルがあって、広範囲でいえば、歌謡曲がメインのマイレージだとか、黒人音楽っぽいダーティエンジェルズだとか、そういうのがあるよね。まあ有名なグループっていったら、男だったらこのへんだよ。そんな中に、最近はフォレストシンガーズが台頭してきてるんだ。僕は先日、彼らのライヴに行ってきたんだよ。CDも買ってきたから、かけていい?」
「私も聴いてみたいです。壮は知ってるの?」
「知ってるよ」
 山本さんが持ってきたCDは、フォレストシンガーズの四枚のアルバムだった。
「ライヴ会場でシングルもアルバムも売ってたから、全部買ってきたんだよ。僕らもこんな歌が歌いたいな。彼らはほとんどの人が作詞作曲をするそうでね、リバプルズのために曲を書いてくれないかな。ああ、まあ、とりあえず聴いてみて」
 男声のハーモニーはリパプルズで聴き慣れている。けれど、流れはじめたフォレストシンガーズのハーモニーは、素人の耳にもリパプルズとはちがって聞こえた。
「うまいと一口で言っていいものかどうか知らないけど、最高だろ。僕は彼らの歌を聴いてたら、いろんな気持ちがごっちゃになって複雑な涙が出てくるんだよ。岸野、どうだ?」
「うん、いいね。うまいね。このベースマン、なんて名前だっけ?」
「本庄さんだよ。彼に教えてもらうか」
「教えてもらうようなものでもないだろうけど……」
「あかりさん、うるさくてごめん」
 そこからは三人ともに黙って、フォレストシンガーズの歌を聴いた。飲んだり食べたりがお留守になるくらい、四枚のアルバムを聴いている間、彼らの歌の世界に浸り切っていた。


 リパプルズ初のアルバムの話を壮から聞いたときには、私の目は輝いたはずだった。
「よかったじゃないの。売れてなくてもアルバムって出せるんだね」
「まあね」
 レコーディングで忙しくなるから、と壮が言い、私も仕事が忙しい時期ですれちがっていて、三ヶ月ばかりしてから、壮がアルバムを見せてくれた。
「できたのね。よかったね。えーと……あれ?」
 アルバムタイトルは「みんなで歌おう」。曲のラインナップは、「おたまじゃくしはカエルの子」、「夏は来ぬ」、「十五夜お月さん」、「雪やこんこん」、などなど。
「子どもの歌? 童謡?」
「そうだよ。僕ら、これからは地味に地味に活動するんだ」
「そうなの?」
「ファーストコンサートも決定、「リバプルズと一緒に、みんなで歌おう」。あかりもゲストで出てくれる? 山本さんが言ってたよ。あかりさんにフルートを吹いてもらいたいなって」
「う、うん、それは嬉しいけど……」
「歌う曲が正式に決定したら言うから、よろしくね」
 今日の壮もいつになくよく喋るが、嬉しいからという理由だけではないと思える。
 山本さんだけが来てくれた、リパプルズ一周年記念パーティの夜、山本さんが熱弁をふるっていて、壮もうなずいていた。僕らはフォレストシンガーズみたいになりたい!! あれが山本さんと壮の本音だったのだろう。
 他のふたりとはろくに話したこともないので知らないが、少なくとも山本さんと壮が目標とするのはフォレストシンガーズだ。
 フォレストシンガーズはデビューしてから六年足らずだそうで、最初のうちはリパプルズ同様に見事に売れなかった。テレビのバラエティ番組に出て笑いを取ったりもしていたのだと、山本さんが教えてくれた。
 大ヒット曲が出てブレイクしたわけではない。地道な努力が実を結ぴつつあるのだと、山本さんはしみじみと言っていた。
「フォレストシンガーズはたくさんのジャンルの歌をうたう。ソウルもフォーク系も、ダンスミュージックみたいなのもポップロックみたいなのも、彼らのあのハーモニーでフォレストシンガーズの歌にするんだよ。その上に、彼らはひとりひとりがソロでも歌える。あかりさんも聴いていたらわかっただろ。ひとりひとりのソロ、リードヴォーカル、バラエティに富んだハーモニー。いろんな要素がからまってフォレストシンガーズの世界を作ってるんだ。僕もリパプルズをこんなグループにしたいよ」
 なのに、リバプルズはフォレストシンガーズには続けずに、子どもの歌を歌うと路線変更させられた。彼ら自身の意思ではなくて、事務所の方針だったのだろう。
「僕らにはこっちがふさわしいかな。生きる道が見つかってよかったよ」
「壮……」
 少なくとも、壮も山本さんに同感だったはずなのに。


3

 作曲はしてくれたものの、挨拶にも行ったものの、その後にどこかで会ったら無視されたよ。記憶になかったんだろうね、作曲家のコシロヒロオ氏については、山本さんが苦笑まじりに言っていた。
「コシロさん、亡くなったんだよね」
「うん、きみはいいけど、僕は弔問に行ってくるよ」
 リパプルズはお葬式に参列したコシロヒロオ氏の、追悼アルバムが出ると言う。その件で山本さんから電話がかかってきた。
「コシロさんの追悼アルバムってのは、彼が作曲してヒットした歌をア・カペラにアレンジしてオリジナルではない歌手が歌うって、トリビュートなんだ。僕らはデビュー曲をコシロさんに作っていただいたから、その縁で、アルバムに参加させてもらえるんだよ」
「大人の歌ですよね」
「そうだよ。「つれづれ・恋」って、僕らが生まれてもいないころの女性歌手の歌なんだけど、それがね、なんとね、岸野には聴いてないでしょ」
「山本さんに言ってもらうつもりだったのか、彼はなんにも言ってませんよ」
 だと思った、と笑ってから、山本さんは興奮気味に言った。
「僕には音楽業界にちょっとコネがあるって、岸野は言ってたでしょ? 祖父の筋でほんとにちょっとだけあるんだよ。そのコネに前に話したからかな。僕はフォレストシンガーズに憧れてるって。そのおかげなのかな。「つれづれ・恋」はフォレストシンガーズとリパプルズのコラボなんだ」
「うわ、すごい」
「すごいだろ。僕は嬉しいんだけどね……」
「けど?」
「いや、嬉しいよ」
 電話をしていたときには外出していた壮が、帰宅してから話した。
「山本さんは張り切ってるね」
「でも、嬉しいんだけど……って言ってたよ」
「嬉しいんだけど……気持ちはわからなくもないな」
「どういう意味?」
「僕はむしろ気が重いよ」
 それだけしか言ってくれないのだから、私にはわからない。
 だけど、同じ業界で年齢は近くて、すこしずつすこしずつ人気がアップしてきているフォレストシンガーズ。彼らは自ら努力して、自分たちの歌の世界を作り上げている。作詞作曲のできるメンバーが集まっているのも大きいだろう。
 かたや、リバプルズは子どもの歌。
 子どもの歌がいけないわけではないけれど、山本さんが夢見ていたのは、フォレストシンガーズのようなヴォーカルグループだった。「フォレストシンガーズのような」であって、「リパプルズ」独自のなにかが見つからなかったから、売れなかったのかもしれないが。
 あれから私もフォレストシンガーズのアルバムを買って聴いた。壮が聴きたがらないのは、彼にも忸怩たる想いがあるからか。
 歌唱力や表現力といった、歌手に大切な要素にも差がある。それ以上に差があるのは、個々の個性。個性と個性がぶつかりあったり融合したりして作り出す、独特の世界がリパプルズにはない。子どもの歌には個性は必要ないのだとしたら、山本さんは悲しいだろう。
「フォレストシンガーズの人たちに会った?」
 打ち合わせに出かけて帰ってきた、壮に尋ねた。
「リパプルズって知ってた?」
「彼らが? 知るわけねーだろ」
 自嘲なのかなんなのか、乱暴な言葉遣いで壮は吐き捨てた。
「フォレストシンガーズってのは大学の合唱部の先輩、後輩だろ。いちばん下の木村章って奴がいて、僕らを見下げてるような態度を取る。そいつが暴言を吐いて、山本さんは狼狽してたよ。僕と同じベースマンの本庄さんが、木村を諌めようとしてくれた。そこに乾さんが入ってきて、きみらは山本さんの援護もしないのかって。山本さんは泣きそうになって、仕事で泣くような奴は出ていけ、みたいに言われてさ……情けないってのか」
「山本さんが?」
「山本さんもだけど、なんにも言えなかった僕もだよ」
「その調子で喋ればよかったのに」
「ん? 今は喋ったな。これだけ喋ったら疲れたよ」
 他にもなにかあったのか、それだけのことなのか、私にはやはりわからないけれど、壮は悔しそうな顔で笑って、私を抱きしめた。


 好きな音楽でプロになるというのは、大変なことなのだなぁと、夫とその仲間を見ていると痛感する。私はプロになれるほどの才能はなくて、むしろよかったと言うと負け惜しみだろうか。
 趣味でフルートは吹き続けているから、サークル仲間たちとの活動も、リパプルズの子どもの歌コンサートの伴奏もやっている。デビューしてから五年になるリパプルズは、今年は神戸で「みんなで歌おう、日本の歌、世界の歌」というコンサートを催した。
「今回は山本さんの奥さんと、小石川さんの妹さんと、谷崎さんのいとこさんも演奏で参加するのよね。楽しみ」
 音楽好きな男性は似た趣味の女性と気が合うのか。山本さんの奥さんはアマチュアピアニスト。妹さんやいとこさんも楽器を趣味としているのだそうだ。
 もちろん私はフルートを吹かせてもらう。リパプルズの歌う「ウルサンの娘」という韓国の歌の伴奏をさせてもらって、拍手をもらうといい気持ち。私はこれだけでいいなぁ。プロにはなりたくないな。なりたくてもなれないだろうけど。
「あかり、あかり、大変だ」
 コンサートが終わって女性用の控え室でくつろいでいると、壮が私を呼びにきた。
「小石川さんも山本さんも谷崎さんも、隣の楽屋に来て下さい。あかりも、早く早く」
「どうしたの?」
「フォレストシンガーズの三沢さんが来てくれたんだよ。知り合いの子どものつきそいだって言ってた。きみたちも挨拶して」
 えーっ?! それは大変っ。と女性たちも興奮して、壮のあとを追った。
 フォレストシンガーズは今でもすこしずつすこしずつ、有名になっている。リパプルズとの関わりは「つれづれ・恋」のコラボだけで、彼らはライヴでもその歌を五人で歌う場合があるそうだ。
「僕はフォレストシンガーズのライヴはいいよ」
 複雑すぎる気分だから関わりたくないのか、壮は言うのだが、山本さんはフォレストシンガーズのライヴに行っていて、話もしてくれる。
「あのときの関わりで、楽屋にも来てくれたんだよね」
 うなずく壮にうなずき返して、私は三沢さんに挨拶した。
「岸野あかりです」 
 写真を見たり歌を聴いたり、たまにはラジオやテレビでもお目にかかる三沢幸生さんの実物は、壮よりもひとつ、ふたつ年上には見えない少年っぽさがあふれている。
 小柄で華奢な体格、子どものような笑顔、連れの日野創始くんと大差ないような高い声。歌っていれば大人の男性らしくも、作れば女性のようにもなるその声で、三沢さんは言った。
「岸野さんとはご関係があるんですか」
「はい、僕の妻です」
 横から壮が答え、三沢さんはにっこりと言った。
「お美しい奥さまですね。うらやましいなぁ」
「ほんまや。僕もこんな奥さんがほしいわ」
「おまえには二十年早いだろ」
 お世辞も上手な少年と男性がみんなを笑わせる。他のメンバーの身内の女性たちも彼らに挨拶し、山本さんが言った。
「打ち上げにもいらしていただけますか」
「いや、創始は小学生ですから、早く帰らせないと」
「ああ、そうですね」
 本日はどうもありがとうございました、一同、三沢さんと創始くんに深くお辞儀をする。私たちから見れば遠い存在の有名人が楽屋を訪ねてくれたのは初だった。
「ではでは」
 ばいばーいと手を振る創始くんを連れて、三沢さんが出ていった。
 服を着替えたりシャワーを浴びたり、お化粧を直したりしているうちに、男性たちは打ち上げ会場へと先に行ってしまった。出演者としては私が最後に外に出て、近くにある海のほうへと歩いていくと、三沢さんと創始くんの姿が見えた。
「綺麗なひとやったな。僕、失恋したみたい」
「……あのさ」
「三沢さんもあのひと、好きになったんとちゃうのん?」
「いいからさ、歌えよ」
「うん」
 ふたりして私の知らない歌を歌っている。創始くんもけっこう歌がうまくて、こうして遊びみたいに歌っている三沢さんのほうは、絶品だとしか言いようがなかった。
「楽器を演奏していた誰かに恋したのかもしれないよ、三沢さんって」
 打ち上げが行われている酒場のようなレストランのような店に入り、乾杯に加わってから、私は壮に言った。
「三沢さんも創始くんも、失恋した、みたいに言って、失恋の歌を歌ってた。早く帰るとか言って、海辺にいたよ」
「誰に恋したんだろ」
「あのひと、としか言ってなかったけど、綺麗なひとだったって」
「綺麗ったらきみだろ」
「壮、酔ってる?」
「酔うほどは飲んでないよ」
 山本さんの奥さんだって、小石川さんの妹さんだって谷崎さんのいとこさんだって、美人でしょ、と私が内緒話みたいに言うと、壮は言った。
「いいや、きみが一番だ」
「どうしたのよ?」
「言ったことなかった?」
「あるわけねーだろ」
 そうやってじゃれてから、私は壮にだけ聞こえるように歌った。

 
「黄色いシャツ着た 無口な男
 どこかひかれる
 オッチョンジー 胸がさわぐの」

 次のバースディプレゼントには、黄色いシャツを買ってあげようか。私が伴奏した韓国の歌にちなんで、こんな歌を歌ってみせた。
「私もあなたの無口なところに恋をしたの」
「恋をして後悔してる?」
「してないよ」
「続き、歌って」
「……ここまでしか知らないもん」
「じゃあ、帰ったら歌って。僕は知ってるから教えてあげるよ」
「そしたら、壮、歌ってよ」
「これは女心の歌だから、あかりが歌って」
「デュエットしようか」
 それもいいかな、と壮がうなずく。
 普段は無口で、なにかしら理由があると喋るようになる壮が好き。壮の低い声も好き。うぬぼれて考えてみたら、三沢さんが好きになったらしき女性は岸野あかりだとも考えられるけど、私は壮のほうがずーっと好き。
 リパプルズはフォレストシンガーズとは比べものにもならない、ちっぽけなグループなのかもしれない。かつてのフォレストシンガーズのように、今に見ていろ、俺たちはビッグになるんだ、とも言えないたぐいのグループなのかもしれない。
 だけど、人間的には壮はとってもいい夫なんだし、今夜のコンサートは子どもたちもその親の大人たちも、楽しんでくれたはず。
 だからね。フォレストシンガーズと比較して暗くならないで。リパプルズにはあなたたちを見つめている、身近な女たちもいるのだもの。僕らは僕らの道を行く、って、心からそう言えるようになるといいね。


END




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