番外編

番外編97 (タイムマシンにお願い・The sixth)

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番外編97

「タイムマシンにお願い・The sixth」

1・龍

 大勢の上にも大勢いる合唱部の先輩たちを、まだきちんと把握できてはいない。しかし、どえらい美人がいるなぁ、とは思っていた。
 もしかしたらキャプテンの日向さんよりも上等かもしれない美人だ。ずいぶんとちっちゃいひとなのだが、その小ささがまた可憐で、名前の通りの野に咲く花。見ているだけで気持ちよくなってきそうな彼女が、俺に内緒話をしかけてきた。
「木村くんってひとり暮らし? 部屋に遊びにいっていい?」
 え? それってそれってそれって……誘惑されてる? どっきんとして返事ができないでいる俺の腕に、彼女、村瀬野乃花さんは腕をからめた。
「いいでしょ? 駄目?」
「い、い……」
「いや?」
「いやなわけないけど……」
「だったら行こ。ね?」
 夢なのかなぁ、としか考えられないでいる俺の肩先にちっちゃな顔を押しつけて、行こうよ、行こう? となんとも可愛らしい声で誘う。やわらかな髪がいい香り。どきまぎしながらも、俺は彼女に引っ張られるままになった。
「ノノちゃんって呼んでね」
「先輩をノノちゃんなんて呼んでいいのかなぁ」
「いいのよ。木村くん、なにか食べたいものはある? 木村くんの部屋でいっしょに晩ごはん食べようよ」
「料理してくれるの?」
「あたしはひとり暮らし歴ざっと七年なんだから、なんだって作れるよ。まかせておきなさい」
「んんとね……そしたらね、みそ汁が飲みたい。白いメシに塩ジャケにみそ汁に、それだけでいい」
「そんなの簡単すぎ。よしよし、作ってあげようね」
 上京して以来初の快挙だ。近寄りがたかった四年生の美女がむこうから寄ってきて、晩メシを作ってくれるという。しかも俺の部屋で。こんなに幸せでいいんだろうか。
 メシ食ったあとはなにか起こるのかな、俺が起こさないといけないのかな、だなんて、どきまぎしっぱなしで、新婚カップルみたいにふたりで買いものをして、ふたりで俺の部屋に帰った。
「意外に綺麗にしてるんだね。えらい」
 昨日、掃除をしておいてよかった。掃除をする気になったのはムシの知らせだったのかもしれない。エプロン持参でやってきているということは、ノノちゃんはいつからか俺に恋をしていて、今日こそ俺にアタックしようと決めて、食欲へと先制攻撃をかけた。食欲の次は……気が早すぎだろうか。
 けれど、彼女がその気だったら、俺がぐずぐずしていては嫌われるのではないだろうか。えーっ、どうしようーっ、となって、ノノちゃんがてきぱき整えてくれた晩メシを前にしても、俺はひたすら悩ましくなっていた。
「だってさ……だしさ……でもさ……えー、どうしろって言うんだよぉ」
「食べたら?」
「あ、あ、先にメシですね。はい、いただきます」
「ひとりでなにをぶつくさ言ってるんだか。おいしい?」
「最高!」
 ごはんはふっくら、塩鮭の焼き加減も絶妙、みそ汁も母の味に近い。野菜も食べようね、と言って作ってくれた野菜炒めも、どこかなつかしい味がした。
「なんでこんなに俺の好みがわかるの?」
「そう? 好み? あたしの好きな味つけにしたんだけどね」
「ノノちゃんも北海道出身?」
「ううん、東京」
「東京?」
 なのにひとり暮らし歴七年とは、高校生のころからの計算になる。
「東京の僻地? 三宅島とか?」
「都内だよ」
「だったらなんで高校のときからひとり暮らし? 親は?」
「パパとママはあたしがちっちゃいころに死んじゃったの。だからおばあちゃんに育てられたんだけど、そのおぱあちゃんも、あたしが十六になるころに死んじゃったの。あたしは天涯孤独の身の上になって、寂しさのあまり餓死でもしようかと思ったんだよね」
「そんなもったいない。ノノちゃんみたいな美人が十六で死んじゃったら、人類の損失だよ」
「死んでないよ」
「そうだったよね。よかった」
 うふふと笑って、ノノちゃんは続けた。
「六年前、十六歳のあたしは海辺のおばあちゃんの別荘にいた。ろくになんにも食べないで、ぼけーっとしてたのね。おばあちゃんのお葬式もすませて、夏休みだったから学校にも行かなくてもよくて、なんにもしたくなかった」
「かわいそうに……」
「木村くん、泣いてくれてるの?」
 たったの十六歳のノノちゃんは、そのころは美少女だったのだろう。ひとりぼっちで別荘で、亡き祖母を偲んで泣いている美少女の姿を想像したら、感情移入して泣けてきた。
「だって……かわいそうで……」
「そうなの。かわいそうだったんだよ、あたし。おばあちゃんはお空にいるのかな、あたしも行きたいな、おばあちゃん、迎えにきてよ、って思ってた。なのにね、ふっと聞こえてきたんだ。海辺でイベントをやるって。なんとなく見にいったら、歌のイベント。よくあるでしょ」
「あるね」
「そのイベントに出演してたのが、フォレストシンガーズと金子将一さんだったの」
「なるほど」
「あたしがイベント会場に行った日には、明日から仕事をするって決まってて、彼らはまだ歌ってなかった。あたしはそこへ行ったものの、ぼけーっとしたまんまだったから、回りの若者たちに邪魔っけ扱いされてたのよ。お酒を飲んで騒いでる男なんかもいて、小競り合いがはじまって、巻き込まれて突き飛ばされた」
「ひど……」
 十六歳の美少女を突き飛ばすとは、そんな奴らは成敗してやる、と言いたかったのだが、五年前なら俺は稚内の中学生だ。はるか遠くにいた中学生にはなにもできない。
「突き飛ばされてさえもあたしはぼけーっとしてたの。そしたらね、そんなあたしを抱き起こしてくれた男のひとがいた。大丈夫? って優しい声で尋ねてくれて、足をくじいたの? 歩ける? って……あの声が今でも耳元で聞こえてくるみたい。突き飛ばされたときに足をひねったみたいで、捻挫してたのよね。だけど、ぼけぼけだったあたしは足の痛みにも気がついていなかった。そのひとはあたしに、医者に行こうか、うちに帰る? ご家族は? 友達と遊びにきてるのかな、って、いろいろと気遣ってくれたの」
 帰る、と言ったノノちゃんを、どこのどいつだかは知らないが、その男は別荘まで送ってくれた。
「別荘まで連れて帰ってくれて、足の手当てもしてくれた。よく見たらすっごく素敵なひとだったの。優しくて優しくて、あたし、自然に打ち明け話をしてた。おばあちゃんが死んでひとりぼっちになっちゃった、って、そのひとの広い胸に顔を押し当てて泣いてた」
「危険だなぁ」
「そう? だって、彼は大人だよ。そのころは三十歳だったんだから、十六のあたしなんか子供にしか見えてなかったのよ」
「そうかな。下心ありそうだけど」
「なかったの。ないって知ってるの」
 断固として言うので、ま、昔の話だし、と俺も引き下がった。
「おばあちゃんの話をしてたらね、彼はおばあちゃんを知ってるって言うのよ。おばあちゃんは大学教授だったんだよね。理学部宇宙科学科の教授。うちの大学」
「へええ。そうだったんだ」
 本橋さんの出身学科だったな、と考えていると、ノノちゃんはほっと息を吐いてから言った。
「あたしを送ってくれたひとは、言語学部だから直接の指導は受けてなかったけど、おばあちゃんとはお話したこともあるって。ここできみと出会ったのもなにかの縁なんだろうから、力になるよ、元気出して、って言ってくれた」
「ほらほら、下心ミエミエ」
「木村くん、そんなことばっかり言うんだったら話はここまででやめるよ」
「いえ、言いません」
 ぷっとふくれているのまでが愛らしいノノちゃん……俺より三つ年上か。またしても年上だけど、ノノちゃんは日向さんや島田さんほど大人びていないので、大学一年の俺と同い年くらいにも見える。なんたってちっちゃいから、いまだに少女にも見える。怒らせてはまずいので、おとなしく話の続きを聞くことにした。
「仕事は明日からだから、今日は時間があるよ、いっしょにメシを食おうかってね」
「下心……いえ、黙ります」
「ふたりきりでじゃないよ。そのひとたちが泊まってる民宿でみんなで、って意味。そのひとに連れていってもらって、みんなでごはんを食べたの。そうしてたら楽しくて、ちょっとはおばあちゃんを忘れられた」
「そうかぁ。よかったね」
「木村くん、そのひとたちが誰だかわかってないの?」
「誰?」
「キミのお兄さんと、お兄さんの仲間たち」
「あ、フォレストシンガーズって言ってたっけ。そうなんだ。じゃあさ、ノノちゃんに下心……下心ってんだったら三沢さん? ノノちゃんを送ってくれたのは三沢さん?」
 はずれ、だそうだ。
「そういうことをしそうなのは……乾さんかな。本橋さんかな。うちの兄貴じゃないよね。あいつだったら……っと、下心の話はやめよう。シゲさんでもなさそうな気がするな。乾さん?」
「はずれ」
「本橋さん?」
「本橋さんでも本庄さんでも木村さんでもないの。もうひとりいるでしょ?」
「小笠原さんは……ヒデさんはプロになる前にやめたんだよね。そうすっと……フォレストシンガーズには他にはいないじゃん」
 誰? と重ねて尋ねても返事はなくて、ノノちゃんは話を先へと進めていった。
「それからはライヴも熱心に聴いた。あたしのためだけに六人で歌ってくれたりもした。元気を出せよ、ってみんなして言ってくれた。あたしが本橋さんの恩師の孫だったからもあるんだろうけど、優しくてあったかくて、おかげであたしは死なずにすんだんだよ。みんなが帰る前の日には花火をしたの。これでお別れなんだな、って思ったらまた泣いちゃって、思い出したら泣けてくる。寂しかった」
「うん、わかるよ」
「でも、あたしは決めたの。あたしもせっせと勉強して、おばあちゃんが教授だった大学に入ろう。合唱部にも入ろう。合唱部の話なんかも聞かせてもらったから、あたしもこのひとたちの後輩になるんだって」
「六人ねぇ……フォレストシンガーズは五人だけど……んんとんんと……」
 ここまでのノノちゃんの話を思い出してみると、もうひとり名前が出ていたような。
「金子さん?」
「遅い。鈍い」
「金子さんかぁ。金子さんだったら……いや、俺は金子さんはよくは知らないけどね」
「すこしは知ってるんでしょ」
「まあね。この間も乾さんと金子さんと三人で、乾さんの部屋で話をしたっつうか、俺は横で聞いてて寝てしまったんだけど」
「乾さんと金子さんの三人で? ずるい」
「ずるくないよ」
「そうしてあたしも金子さんや本橋さんたちの後輩になったんだけど、あのひとたちは今ではスターだし、あたしから連絡するなんてできないから、大学に合格したって話もしてないのよ。連絡先は書いてもらったけど、あたしから電話なりなんなりしなかったら、むこうからはなにも言ってこない。下心なんかない証拠でしょうが」
「はい、わかりました」
 ではでは、ひょっとして? ここに来てノノちゃんの下心がようやく読めつつあった。
「ライヴに行ったりはしたよ。だからって会ってるってことにはならないでしょ。会いたいな、会いたいなって思ってるだけで、あたしも四年生になっちゃった。そしたら、あの木村章さんの弟の龍くんと、三沢幸生さんのいとこの雄心くんが合唱部に入部してきたって言うじゃない。雄心くんはいとこだから、三沢さんとそう親しいのかどうかわからないけど、木村くんは実の弟だもんね。会わせてくれられない?」
「兄貴に?」
「木村さんでもいいけど……できれば……」
「乾さん?」
「キミってどうしてそうも鈍いの? 金子さんに決まってるでしょっ」
 決まってるって言われても、そんなの知らないよぉ、だったのだが、俺のほうの下心はなかったことにして、メシの恩義に報いようと決めた。話がうますぎると思ったんだよな。なんだー、金子さんか。でも、メシはうまかったんだからいいとしよう。


2・野乃花

 あんな話をしたせいで、家に帰っても思い出してしまう。大学四年生になったあたしが十六歳だった夏。おばあちゃんが死んだ夏。
 祖母が逝ってしまったときにはただ悲しくて、ごはんを食べずにいたらおばあちゃんのいるところに行けるのかと思い詰めたのは、龍くんに話したまんまだ。だけど、十六歳の女の子は恋をして、おばあちゃんのことばっかりは考えていないようになった。
 話の勢いで会わせてほしいと頼んでしまったけれど、金子さんには恋人がいると聞く。そりゃあそうよね。あんなに素敵な男性なんだもの。
 おばあちゃんに育てられたわがまま娘は、大人の男性に叱られるなんて慣れてなかったから、新鮮だったのかな。金子さんには妹さんがいて、年下の女の子を叱るのは慣れていたから、あたしのことだってほどほどにきびしく上手に叱った。
 妹さんを叱っていたころよりも数倍も大人になった金子さんは、大人の男性として、お兄ちゃんのように、彼もちょっとは知っていた大学教授の孫としてのあたしを、保護者の視線でも見ていてくれた。
 そんなの当たり前。十六の女の子は、まともな男性には大人扱いしてもらえない。あのころのあたしに大人の男が恋をしたりしたら、そいつはロリコンだ。金子さんにはあのころだって、ちゃんと恋人がいたんだろうな。
 恋人のいる金子さんに会わせてもらったって、よしんばあたしを覚えていてくれたとしたって、再会シーンはこんな感じだろうか。
「ノノ、大きくなったな。元気にしてたか」
「ノノは大人になったでしょ」
「そうだね。ああ、紹介しよう、俺の彼女」
 そんな再会だったらしたくない。金子さんの彼女……スターになった金子さんの恋人だったら女優さんとかお金持ちのお嬢さんとか? あたしなんかは足元にも寄れない美人で大人の女性も想像したくなくて、あたしは頬杖ついて夢見ていた。

「さあ、素敵な夢と薔薇のブーケが好きなら
 さあ、そのスゥイッチをあなたの未来に回せば
 ウェディングベルが鳴り響き
 あなたのとなりのダーリン
 優しく笑って口づけ
 ブーケキャッチはだあれ? うふふん」

 うん、あたしは金子さんの花嫁さんになりたいな。
 誰の歌? フォレストシンガーズ? 「タイムマシンにお願い」って歌は聴いたことはある。こんな歌詞だった? この声は三沢さん? 金子さんに叱られたり、好きだと言ってもまともに相手をしてもらえなかったりして焦れて、泣いていた私に優しくしてくれた三沢さん?
 遠くからだったら見ていたけど、あれ以来一度も会っていない、三沢さんに会いたいな。金子さんにも会いたいな。あのころに戻りたい。時を巻き戻すだけではなく、起こった事実を変えてしまうタイムマシンに乗って。


3・龍

 いきなり金子さんってわけにもいかないので、兄貴のマンションに行って話した。
「ノノちゃんか。覚えてるよ。絶世の美少女だったな。あれだけの綺麗な子は忘れない」
「だろうね。今でも美人だぞぉ」
「そりゃそうだろ。ノノちゃんはなにがどう狂ってもブスにはならないよ。二十一歳になったって? 俺も会いたい」
「ノノちゃんは兄貴になんか会いたくもないってさ」
「金子さんなんだろ。知ってるよ」
「知ってるの?」
「あのシゲさんや本橋さんでも気がついてた。乾さんや幸生は気を揉んでた。けど、十六の女の子が三十歳の金子さんに恋をしたって、金子さんが受け入れるはずもないだろ。金子さんは兄貴みたいにノノちゃんを可愛がってはいたけど、俺の知らないところでは……」
「なになに? なんかあったの?」
 知らないって言ってんだろ、とぼかっと来た。兄貴はガキの俺にも時々はぼかっとやったが、現在やるのは、本橋さんにいまだに後輩扱いされて、怒られたりぶっ飛ばされたりしているせいなのではなかろうか。要するに八つ当たりだ。兄貴は俺にしかいばれない立場なのだから。
「なににしたって、金子さんはノノちゃんを妹としか見てなかったよ。こまやかに気を使ってやってて、はたから見てても兄と妹だった。それだけにノノちゃんはつらかったのかな」
「金子さんには下心はなかったの?」
「ねえよ」
「兄貴にわかるのか」
「わかったんだよ。しかし、二十一歳と三十五歳だったらどうなるかな。金子さん、どうするんだろ。俺は金子さんに直接連絡を取るってのは気が引けるから、乾さんだな。乾さんが話をつけてくれるよ」
「兄貴は先輩に頼ってるんだから、後輩扱いされて殴られるのも当然ってか……」
「これでも近頃は……やば、弟に言うこっちゃなかった」
「なんだよぉ」 
 どうでもいいだろ、ともう一度俺をぼかっとやってから、兄貴は乾さんに電話をかけていた。それから数日ののち、俺はノノちゃんと連れ立って、乾さんのマンションに行った。
「どうしよう、心臓が高鳴りすぎて倒れそう。一方的にだったら見てるけど、会うのはあれ以来なんだよ」
「金子さんもノノちゃんを覚えてるよ。心配しなくていいよ」
「……龍くん、ありがとう」
 早くも泣きそうな顔をして、俺を見上げるノノちゃんの潤んだ瞳。俺の心臓こそが高鳴ってきそうだったのだが、彼女は今でも金子さんに恋をしているのか。五年も恋心が続くのか。俺には計り知れないのが女心ってやつなのだろうか。
「ノノちゃん、実に久し振り。綺麗になったね。もともと可愛かったけど……俺に言われても嬉しくない?」
 ドアを開けてくれた乾さんは目を細めてノノちゃんを見、龍も入れ、と俺には愛想のない口調で言った。
「ううん、乾さん、乾さんにも会いたかったの。乾さんも昔よりもっとかっこよくなった」
「ありがとう。ノノちゃんはもう未成年じゃないんだよね。ビールでも飲みますか」
「ちょっとだけ酔っ払ったほうがいいかも」
「そうだね。龍、冷蔵庫からビールとチーズを持ってこい」
「俺が?」
「文句あるのか」
「ありません」
 後輩以下の俺はパシリってわけで、乾さんの命令に従ってビールを取りにいくと、本橋さんもやってきた。
「よお、ノノちゃん。綺麗になったのなんのとは、とっくに乾が言っただろ。大人になったな。元気だったか」
「はい……やだ、泣けてきたよぉ」
「泣くのは早い」
 続いてシゲさんも登場、三沢さんも兄貴もやってきた。本日はフォレストシンガーズはオフで、金子さんは仕事をすませてから来ると聞いている。なんとまあ、どこの映画スターかと思っちゃったよぉーっ、と三沢さんが叫んだのは、お世辞ではない。ノノちゃんはそんじょそこらのアイドルタレントの比ではないほどの美人だ。兄貴もシゲさんもノノちゃんと再会の挨拶をかわし、ノノちゃんは泣いたり笑ったりしていた。
 そしてついに、ノノちゃんの大本命登場。俺もフォレストシンガーズの五人といっしょにほげっと眺めていた。金子さんは無言で腕を広げ、ノノちゃんは彼の胸に飛び込んで号泣し、俺の背筋がむずがゆくなってきた。本橋さんや乾さんとは話もしていたけれど、金子さんの前ではノノちゃんは口もきけなくなった様子で、ただ泣きじゃくっていた。
「昔は美青年と美少女の、兄と妹の図だったけどね」
 小声で三沢さんが言った。
「現状では大人になりつつある美女と、中年に近づいてきた美丈夫の抱擁シーンか。まさしく一幅の絵じゃん。絵になりすぎてて見とれるしかない」
「お似合いでなくもないよな」
 兄貴も言い、ノノちゃんを抱きしめたまんまの金子さんが、三沢さんをぎろっと見た。
「誰が中年に近づいてるって?」
「おーや、聞こえてましたか。金子さんは俺たちの中で最年長じゃん。三十五ったらそろそろ中年ですよ」
「おまえは?」
「俺は青年真っ盛りです。金子さんったらさ、普段は人でなしかと思うほど口が回って、鬼か妖怪変化か人外魔境の住人かってな感じで、乾さんにも口で勝つんだよな。なのにノノちゃんにはなんにも言わないの」
「俺が鬼だったらおまえは異星人だな」
「乾さんは?」
「ハリネズミじゃなかったのか。おまえが言ったと誰かから聞いた覚えがあるよ」
「はて、乾さんがハリネズミとはこれいかに? 本橋さんは?」
「おまえたちのリーダーだろ」
「シゲさんは?」
 なんだっていいだろうが、とシゲさんはぼそっと言ったが、金子さんは即答した。
「ごく健全なる常識人。よくもおまえと本庄がつきあえてるもんだ」
「ほおほお。章は?」
「龍の兄貴」
「龍は?」
「半人前。そうすると木村とおまえは三分の二人前ってところだな」
「はー、金子さんったらうまいことおっしゃる。ただし、俺は四分の三人前ほどですね。で、ノノちゃんは?」
「ノノとこうしていたら……心が通い合うよ」
 うきゃっ、と三沢さんが奇声を発し、兄貴は頭の上で手を組み、本橋さんはげんなりした顔になり、乾さんは笑っている。シゲさんは俺が持ってきた缶ビールをぐいっと飲んだ。
「なんにも言わなくていいだろ、ノノ?」
「……うん、うん、金子さん……ノノはなんにも……ノノは……ノノは……」
「おまえもなにも言わなくていいよ。泣いてたらいいよ」
 金子さんだけはノノちゃんを呼び捨てで、おまえか。俺が稚内の中学生だったころに、十六歳と二十九歳の男女に果たしてなにが? 下心はなかったにしても、これだけの美少女に揺らめかない男っているんだろうか。俺には信じられないけど、今のふたりはたしかに似合いのカップルに見える。ノノちゃんの恋心が再燃しているのもまちがいないようで、金子さんはどうするんだろ、と俺も、兄貴がせんに言ったのと同じことを考えていた。
「知ってたよ」
 ひょいっとばかりにノノちゃんを抱き上げて、金子さんが言った。
「匿名の手紙をくれただろ、何通も何通も。熱烈なファンレターをよそおってあったけど、おまえがくれたんだって知ってた。全部取ってある。俺の安らぎになったよ」
「……知ってたの?」
「おまえは俺の歌を賛美してくれるばかりで、自身のプライベートにはなんにも触れてなかった。それでも気づいたよ。ノノだな、ノノの手紙だ。おまえが二十歳になったら会いにいこうかとも思ってたけど、住所も書いてないんだから、調べる手立てがなかったんだよ。うちの母校の後輩になっていたとは、盲点だったか。俺が迂闊だったのか」
「……名乗ったら迷惑だもん」
「迷惑なんかじゃないさ」
 あのころ……と乾さんが言った。
「あのころは金子さんは、ノノちゃんを妹としてしか見てませんでしたよね?」
「俺には実の妹がいるから、ノノとリリヤを同一視している部分はあったよ。十六歳だったリリヤとノノを重ねて見ていた。よって、妹視以外の感情はなかった」
「ですよね。俺だって知ってましたよ。なのにこいつときたら下心、下心って……」
「兄貴、言うなーっ!」
 叫んでみてもあとの祭り。兄貴は言ってしまったあとなのだから。金子さんは微苦笑のような表情になった。
「俺にも十六歳の女の子に下心を抱かない程度の分別はあるよ。おまえじゃあるまいし」
「おまえって龍だよ」
「知ってるよ、三沢さん」
 でも、と金子さんはノノちゃんを見つめた。
「今ならあるよ。ノノ、彼氏はいるのか」
「いない。ノノは……ずっとずっと金子さんを……今でも……」
「おまえら、全員うしろを向け」
 金子さんに命令されてみんなそろって身体ごとうしろ向きになった。だから見えなかったのだが、甘い甘い雰囲気が伝わってきて、部屋の空気まで薄桃いろに染まって感じられた。静かな数秒がすぎたあとで、ノノちゃんが改めて泣き出した。振り向こうとしたら三沢さんにヘッドロックをかけられて、兄貴にはぼかぼかっと殴られた。


4・野乃花

 なにが起きたの? タイムマシンに乗って過去に戻って、十六歳のあの夏をやり直して、六年後に帰ってきたの? その間のことはなにひとつ覚えていないのに。
 そうして過去を塗り替えてきたから、金子さんがあたしを抱きしめてくれたの? 今は俺には下心はある、ノノ、彼はいるのか? って尋ねて、部屋にいた男性たちにうしろを向かせて、あたしを抱きしめて囁いたの?
「ノノ、俺のものになるか」
 声が出せなくなったあたしに、金子さんは大人のキスをしてくれた。
 あれからあたしは夢の中を漂っているみたいだ。これは現実? タイムマシンが見せている夢の続き? あたしは六年前の世界でなにをしてきたの?
「現実を改変してきたわけ? あたしがいるここは、夢の世界の続き? 本当にタイムマシンに乗ったの? 夢だからなにひとつ覚えていないの?」
 どこからどこまでが夢なのだろうか。木村龍くんに夕食を作ってあげたのも夢だった? 頭が混乱してきた。
 夢ではなくてあたしの願望? 木村龍くんという、あたしが十六歳のときに触れ合ったフォレストシンガーズの木村章さんの弟が、合唱部に入ってきたと知ったときから、あたしの夢と願望と妄想が膨張してきたのだから、ふくれすぎて破裂したのだろうか。
 海辺の民宿でみんなでごはんを食べて、歌ってもらって、花火をして、そんなときには木村章さんもいたけれど、印象は強くはなかった。
「お願い……」
 もう一度、行かせて。もう一度だけ、十六歳に戻ってあのひとたちと触れ合って、二十二歳のあたしが生きている現実に帰らせて。あたしは三沢さんの歌に祈った。
 
「さあ、あなたの夢をほんとのことにしたくて
 さあ、そのスゥイッチをすこし昔に回せば
 海鳴りの音が響いて
 あの日あのとき再び
 みんながあなたを迎えて
 おいでおいでと呼んでる、あははん」

 がっちりと背が高くて、頼もしいリーダー、本橋さん。
「俺は恋愛って奴には疎いんだけど、ラヴソングなんてものも歌うんだし、詩も書くし、曲だって書くんだ。ノノの気持ちは全然わからないわけでもないんだよ。しかし……」
 背の高いのは本橋さんと変わりなくて、細身で優しげで、だけど、叱られると金子さんと同じくらいにびびっと来た乾さん。
「この世の中のありとあらゆることは、思い通りにならないようにできてるんだな。それを知っていくのも大人になるってことだ。金子さんはきみにそれを教えようとしている。大人になると自分の望みがかなう場合が増えていくんだから、ノノはしっかり生きて大人になりなさい」
 照れ屋さんであったかくて、金子さんや乾さんや三沢さんみたいに口はうまくないけど、じっくりした優しさが伝わってきたシゲさん。
「俺は恋愛経験が乏しいんだよ。そんな俺でも結婚できた。恋ってのは人生に一度だけでもいいのかなって……いや、ノノちゃんは本当の恋をして、幸せになってほしいよ。金子さんへの恋が偽ものだって言ってるんじゃないけど……ごめん、うまく言えなくて」
 どこかしら女の子みたいで、だからなのか、女の子の気持ちがわかっているように思えた、お兄さんというよりも友達のようで、それでいて、大人としてあたしに接した三沢さん。
「あと五年待ってくれたらって、俺がノノちゃんだったら金子さんにそう言いたいけど、五年後にてめえの気持ちがどう変化してるかなんて、わかりっこないんだもんな。金子さんははぐらかすけど、きみの想いはわかってるよ。わかってて受け止めて、でもやっぱり、ノノと俺とは不釣合いだって決めたんだ。ノノちゃん、俺の胸で泣く? 俺の胸は小さすぎる?」
 それからそれから、木村章さん。龍くんの兄さん。
「んん? ノノは龍の先輩になったのか。そういう年頃なんだな。考えてみたら、ノノが十六だったら龍は中学生だよ。ほんと、ノノはガキなんだよな。龍に近い年頃なんだもんな。ノノ、龍をよろしく。先輩なんだったらあのふざけた奴をきびしく指導してやってね」
 え? ああ、そうね。現実そのものの木村章さんの言葉で、あたしは本物の現実に戻ってこられたんだ。
 虚構と現実の区別はあってないようなものなのかもしれない。でも、過去を改竄して現在を変えるなんて、人間がしてはならないこと。歴史にほころびができたりしたら、人類が滅んでしまうかもしれないよ。
 敢えて大仰に考えて、あたしは笑ってみせる。
 ってことはたぶん、龍くんとあたしはお喋りもしたことのない、名前と顔を知っているだけの先輩と後輩ってわけなのだろうか。フォレストシンガーズのみなさんも金子さんも、ずっと昔に海辺で知り合った、祖母を亡くした女の子、野乃花、としてだけあたしを記憶していてくれるのだろうか。
 おそらくはあたしは、龍くんに夕食を作ってあげる前のあたしに戻ったのだ。
 あのころのノノは可愛かったな、あいつ、俺が好きだったんだな、おませな小娘だったよ、金子さんはそんなふうに覚えていてくれればいい。だから、会いになんかいかずにおこう。龍くんにお願いするのもやめて、彼に対しては先輩として謹厳な表情でも作って、今まで通りにふるまっていよう。


END

  

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