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小説329 (梅雨のあとさき)

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フォレストシンガーズストーリィ329

「梅雨のあとさき」

1

 天気予報が関東地方の梅雨入りを告げている。乳児と幼児の世話をしながらも、俺のために栄養とボリュームたっぷりの朝食を作ってくれた、妻が言った。
「大阪っていったら肉まん、じゃなくて豚まん、楽しみにしてるからね」
「ああ、まかせとけ。広大も豚まんだったら食えるよな?」
「豚のまんじゅう? ママみたいな?」
 ここは俺が叱るべきなのか。ママが気にしているってのに、ママみたいな豚とは、言うにことかいてっ!! いや、叱ると深刻になってしまうのか。上の息子の広大は無邪気な顔をしていて、恭子は軽く言った。
「ママは豚じゃないもーん」
「でも、タクくんが言ってたもーん。タクくんのママはカッパみたいで、コウちゃんのママは子豚みたいだよね、子豚のほうが可愛いよねって。カッパってなに?」
「カッパってのはね……」
 子豚のほうが可愛いと言っているのだから、いいことにしよう。恭子が広大にカッパの説明をしているので、俺は席を立った。
「ごちそうさま。行ってくるよ」
「パパ、行ってらっしゃい」
 家族に見送られて外に出て、タクシーをつかまえて東京駅へと急ぐ。数年前までは地下鉄で向かっていた東京駅までタクシーを飛ばすとは、出世したというのか。俺だったら地下鉄に乗ってもファンの方には騒がれないからいいんじゃないんだろうか、というのか。
 ともあれ、東京駅からは新幹線だ。フォレストシンガーズの面々は各自、本日中に大阪に到着すればいいきまりになっている。
 大阪でのファンのつどいのために、今日はホテルに泊まって、明日は朝からリハーサル。明日は土曜日なので、つどいの開始時間が早い。他のみんなはまだ来ていないだろうから、俺は大阪の街を散策して、大阪でしか買えない豚まんを恭子に送るつもりだった。
 ホテルに荷物を置いて、ぶらっと出かける。フォレストシンガーズの本庄繁之が街を歩いていると、声をかけてくれるひともいるのだが、そういう方は希少だ。俺がフォレストシンガーズの中ではもっとも、気楽にひとり歩きができる。
 三重県出身の俺は、子どものころから大阪へは親に連れられて遊びにきた。本場のたこ焼きに感動して以来、シゲさんはたこ焼きが好きだねぇ、と後輩にも笑われるようになった。
 つきあいは少ないとはいえ、親戚もいるようだし、大学時代の友人もいる。大阪出身の実松は東京で暮らしているが、幼なじみの泉水は大阪で暮らして、会社員として出世もしている。泉水は金曜日は仕事だから会えないが、明日はファンのつどいに来てくれると言っていた。
 デビューしてから数年後にファンクラブが発足したのはよかったものの、会員数がいっかな伸びなくて、社長が腐っていたのを思い出す。
「だから、フォレストシンガーズにファンクラブなんて尚早なんですってば」
「フォレストシンガーズってファンクラブがあるのか、すごいなって話題になると思ってたんだよ」
「フォレストシンガーズのことは、そんなに話題になんかなりませんよ」
「……あいつらの努力が足りないんだ」
 美江子さんと社長の会話も思い出す。俺はそんな会話を聞いて恐縮していたっけ。
 関西地方も梅雨入りはしているが、今日は暑くもなく寒くもなく、晴天すぎもせず雨も降らずで散歩日和だ。豚まんを恭子に送る手配をしてから大阪、ミナミの繁華街を歩いている俺は、昔のことばかり思い出していた。
 故郷にだってたこ焼きはあるが、本場のは本当にうまいと感激したのは、小学生のときだったか。両親は酒屋を経営していたので、旅行にはそう連れていってはもらえず、行くとしたら姉と母、父と俺というペアになって、四人で出かけるのは都会にだった。
 両親が好きだったせいなのか、都会に行くとなると大阪で、ミナミを歩いて姉は服を買ってもらい、俺はおもちゃを買ってもらい、洋食を食べさせてもらい、おやつにはたこ焼きも食べさせてもらった。真夏だったとしても、俺は言った。
「ソフトクリームやかき氷なんかより、たこ焼きがええな」
 あのころからたこ焼き大好きシゲだったのだ。
 大学生になってからできた友人の実松は、大阪から家庭用たこ焼き器を持ってきていた。その器械で焼いたたこ焼きをたびたびごちそうしてもらった。
 四年生の夏……あれはたこ焼きとは無関係で、大阪城だ。俺だって食い気一本ではない好きなものもある。城はその中でもトップクラスで、大阪城を眺めて、親に対する就職しない言い訳を考えていた。そうして偶然にも出会った女。
 そこからの一連の出来事は、今となってはいい経験だったと思う。虚勢も加わってはいるが、妻子持ちの三十四歳にもなれば、若い日にはあんなことがあってもいいさ、である。
 フォレストシンガーズがデビューしてからは、大阪には数え切れないほど来た。
 単独仕事のために幸生が大阪に来たときに、たこ焼きの屋台のおばあちゃんに世話になったと言っていた。おばあさんは今も元気にたこ焼きを焼いているのだろうか。腹が減ってきたけれど、時間的に飲食店は混雑しているだろうから、通りすがりの屋台でたこ焼きを買った。
  たこ焼きばっかりだな、と苦笑して、いや、だけど、たこ焼きに関係ない想い出だといやな気分だから、俺には食いものがふさわしいんだ、と考え直す。
「うん、うまいな」
 ここは幸生の好きなナンパ橋。昨今は一般男性が一般女性をナンパするのではなく、風俗関係の勧誘をする兄ちゃんや、カラオケやキャバクラや居酒屋の客引きが多いのだと泉水が言っていた。派手な服装の若い男女や、中年以上の男女が橋の上にひしめいている。
 外国人観光客もいる橋の端っこで、俺はたこ焼きを食べていた。
 そして、はじめてのフォレストシンガーズ全国ツアーの初日も大阪だった。あの日はみんなそろって新幹線に乗って、席は別々で、幸生が車両の中をうろうろして、シゲさん、大変だーっ、なんて言いにきたっけ。
 なにが大変だったのかな? 幸生が本橋さんとしりとりをしたんだったか? あれは別の日か。大阪行きの新幹線には五万回も乗ったから、想い出が混濁してしまっているようだ。
 五万回は誇張だが、ほんとに何度も何度も何度も大阪に来たよなぁ。俺も大阪は好きだけど、幸生も大阪が好き。幸生が可愛がってもらっているシンガーの春日弥生さんも、大阪に住んでいる。ヒデもいっときはここで暮らしていた。
 結婚するからと唐突に脱退を言い出して、本橋さんは怒り、乾さんは説得しようと言葉を尽くし、寝耳に水だった俺は呆けていた。幸生も黙って先輩たちとヒデのやりとりを聞いていた。
 先輩たちの説得に耳を貸そうともせず、肩を怒らせて本橋さんの部屋から出ていったヒデを、幸生が追っていった。あのとき、おまえはヒデとなんの話をしたんだ? 誰かに尋ねられても、幸生は明確な答えは口にしなかった。
 ヒデが脱退を申し出たのは、梅雨どきだった。ちょうどこんな季節、それからなにがどうしてどうなって、大阪に来たのか。
 ここでヒデが暮らしていたころといえば、俺が結婚した当時だ。フォレストシンガーズはすこしずつ売れ始めていたから、ヒデも俺たちの噂を聞くこともあっただろう。雨の中、この橋にたたずんで、喧騒の真っ只中で孤立しているヒデの、ひとりぼっちの姿が目に浮かぶ。
 乾さんだったらそんなヒデを詩にしてくれそうだけど、もういいんだ。ヒデは戻ってきたのだから。明るさを取り戻したヒデは、電気屋の従業員としても、フォレストシンガーズの協力者としても、ミュージシャンとしても元気に生きているのだから。
「ヒデ、大阪に来てるんだよ。明日はファンのつどいなんだ、おまえも来てくれるんだったら特別枠でチケットを確保するよ」
 メールをしたら、そっけない返事が届いた。
「ファンって女ばっかだろ。いらん。俺には先約もあるんでな」
「デートか」
 続くメールは無視された。照れているのだろうし、あいつは来ないほうがよさそうでもあるから、俺もそれ以上はメールはしなかった。


 ライヴコンサートは歌が中心、時には趣向を変えて芝居やコントを織り込んだりする。だが、ファンのつどいとなるとその都度、バリエーションを持たせる。
 札幌、大阪、福岡。北、西、南の主要三都市で行われる今年のファンのつどいのメインはトークだ。しかも、三つのつどいのトークのテーマがすべてちがう。大阪はこれなのだから、ヒデは来なくてよかったのである。
「ファンのみなさまのご要望をたくさんいただいていますので、本日は、ですね……」
 もったいぶって言葉を切った乾さんに続けて、本橋さんが言った。
「当地に住んでいたこともあり、最近はブログで我々を肴にして……」
「稼いでは……いないのか。ブログでは稼いでないんだろうけど、副業でもご活躍ですよね」
 章が言い、幸生も言った。
「今度会ったらおごってねーっ、の先輩のお話でーす」
 ファンの方々には、それが誰なのかわかっているのだろう。ざわめきと歓声も起きていた。
「彼のファンってけっこういらっしゃるんですよね。俺よりも人気があるんだもんね。なんでやねーん?! ってさ。え? あたしはユキちゃんのほうが好き? そう言って下さってるあなたーっ、もっと言ってーっ」
 ユキちゃんのほうが好き、好きやーっ!! と客席から声がする。幸生は耳に手を当てて広げてみせ、章が言った。
「こいつは図に乗りますから、そのくらいにして下さいね。では、トークをはじめましょうか。乾さんからどうぞ」
 客席が静まり、乾さんが口を開いた。


2

「あのころ、がこれからのトークのタイトルです。俺たちはトークの専門家ではありませんので、稚拙な点はご容赦下さいね。
 あいつとはじめて会ったのは、彼が十八、俺が十九。あたしを捨てるというのなら、もとの十九に戻してよって歌がありますが、関係ないのでした。失礼しました。
 ごぞんじの方もいらっしゃるとは思いますが、フォレストシンガーズの五人、及びヒデは同じ大学の合唱部の出身です。最年長の本橋真次郎と乾隆也が合唱部で出会い、キャプテンの抜擢によって夏のコンサートでデュエットして、そこからフォレストシンガーズがはじまったのです。
 インタビューなどなどでも話していますので、詳細は割愛。
 合唱部の新入生だった本橋と俺が出会って一年後、順調に進級できましたので、俺たちは二年生になりました。その年、入部してきたのがシゲとヒデなのですね。シゲはここにおりますので、今回はヒデのエピソードなのでした。
 いえ、ヒデがブログで我々をネタにしている仕返しではありませんよ。さきほど幸生が申しましたように、いつぞやのフォレストシンガーズ内「抱かれたい男」人気投票で、メンバー三沢某を抜いて五位となったヒデの、熱烈なファンのみなさまからリクエストをいただいたからです。
 今日はファンクラブに入って下さっているほどの、熱心なファンの方々にお集まりいただいているわけですし、大阪はヒデの地元にも近いわけですから、たまには思う存分、ヒデを俎上の鯉にしてみようかと……はい、カープです。
 鯉ってのかね、まないたにのっけた魚のように、ヒデを料理するんですよ。スマホで言葉の意味を調べるのは後刻にして下さいね。
 話を戻しますと、ヒデとはじめて会ったのは、彼が大学一年生、俺が大学二年生。ヒデはあの徳永渉……彼も我々の合唱部の仲間なんですけど、その徳永渉に勧誘されたのだそうです。ヒデからそのときの様子を聞いていて、蘇ってきました。
 二年生になった春の日、本橋と徳永と乾は、当時のキャプテン、副キャプテンに命令されたのです。
 男子部キャプテンは……っと、声が聞こえてますね。はい、そうです。あの金子将一さんです。金子さんと副キャプテンが相談したのか、その年の新入生勧誘は二年生がやれ、本橋と徳永と乾が中心になれと命じられて、俺たちは従ったのです。
 徳永はロンリーウルフ体質でしたから、主にひとりでやっていました。本橋と俺はふたりで、もしくは、合唱部の女の子たちに協力してもらってやっていました。徳永の担当の日に、本橋と俺は彼の勧誘活動を見学にいったのです。
 そのときに俺には聞き慣れぬ言葉で喋っていた男……俺、まだ決めてないきに、だったかな。あれは土佐弁だと本橋が言った。決めてないきに、と言っている男に、徳永は言いました。
「決断力のない男は女の子に嫌われるぜ。決めろ」
 そう言われて合唱部入部を決めたのですね。単純な奴……いやいや、徳永、ありがとう。
 物語がはじまる。舞台に人間たちが集まってくる。フォレストシンガーズの小さな世界にやってきた三人目と四人目の男が、本庄繁之と小笠原英彦。ひとり目とふたり目だった本橋と乾が、三人目と四人目に出会ったのでした」


「五人目の男、木村章です。六番目だろと言っている奴は無視しましょうね。
 熱心なファンの方は知ってると思うんだけど、俺は一年で大学を中退しているので、語りは二番目にしてもらうね。ヒデさんとも一年しか触れ合ってないから。
 俺がヒデさんにはじめて会ったのは、俺が十八、ヒデさんが十九の年。俺たちは全員、三月生まれなんだよ。それも知ってる? フォレストシンガーズのファンサイトにも書いてあるよね。ファンサイト、けっこう見てるよ。
 サイトの話はまたの機会にするとして、ヒデさんだよね。
 あのころの俺は今以上にロックが好きだった。ロックを知り染めてからの日は浅くて、ロックってもので挫折した経験もなくて、前途は明るいと、俺はロックスターになるんだって、根拠もない自信にあふれていた分、ロック好きも強烈だったかな。
 だからさ、合唱部をさぼってライヴハウスに行ったりしてたんだよ。合唱部では歌えるから、歌の練習をしていたら喉が衰えなくていいな、ってなもので、あまり熱意はなかったな。熱意のない俺を燃えさせようと、ムキになってる先輩もいたけどね。
 あれは秋だったか冬だったか。こそこそっと大学から出ていこうとしていたら、ヒデさんに会ったんだ。ヒデさんも真面目なほうではなかったから、合唱部はさぼるつもりだったらしいよ。
「よく会うな、奇遇だな」
「今日もライヴハウスに行きます?」
 その前にも会って、ふたりしてライヴハウスに行ったんだ。ヒデさんはロックのライヴハウスに行くのは初だって言ってたんだけど、そのときはつまんないバンドだったから、もっとかっこいいロックを聴かせてあげたかったんだよ。
「新しいライヴハウスを発掘したんだ。すっげぇいい音を聞かせるハードロックバンドが出てるんですよ」
「俺はロックはそんなに好きでもないよ」
「そっか。そしたらナンパがいい?」
「おまえもやってんのか」
「やってませんよ」
「俺もナンパなんかやったことはなーい」
 本当ですよ。本当。
「だけど、ヒデさんってもてるでしょ」
「おまえだってもてるだろ」
「まあね」
「俺もまあ、もてなくはないってか……嘘だよ。俺は田舎もんだからもてないんだ」
「俺も田舎もんです」
「だよなぁ。だけど、四国より北海道のほうがしゃれてるってか……」
「稚内のどこがしゃれてるんだ」
 大阪のファンのつどいに来てくれてるんだから、四国のひとはいるかな? ごめんなさい。この会話は世間知らずの男子大学生のものだから、気にしないでね。
「土佐よりはしゃれてるだろ」
「しゃれてませんよ」
「……同じ田舎ものなのに、おまえはもてるって秘訣を聞かせろ。飲みにいこう」
「ええ? 俺はライヴハウスにぃ……」
「つべこべ言うな。俺のほうが大目に払ってやるから」
「おごってくれるんじゃないんですか」
「そんな金はなーい」
 なんてね、あの日、ヒデさんとふたりっきりではじめて突っ込んだ話をしたんですよ。ナンパはしてませんよ。その話は次にトークする奴にまかせますから」


「ナンパってなに? そんな言葉、僕ちゃん、はじめて聞いたわぁ。難波やったら知ってるけどさ……難波のナンパ橋? あの橋は心斎橋でしょ。
 ああ、そんな話はしてないのでした。ここからは三沢幸生の「ヒデのいたあのころ」のトークでお楽しみ下さい。
 章の話を訂正しておきますと、フォレストシンガーズ五番目の男は俺です。章が最下っ端です。章と俺は同い年ですので、ヒデさんとも同じ時期にはじめて会いました。俺はさぼりなんかしなかったから、ヒデさんと遊びにいったことってないな。
 さぼりじゃなくて、きちんと勉強してきちんと合唱部の練習もやってたから、キャンパスで会って学食で昼ごはんをおごってもらいました。
 そうやってヒデさんやシゲさんと仲良くなって、本橋さんや乾さんに可愛がってもらえるようになって、本橋さんと乾さんが大学を卒業する間際に、フォレストシンガーズが結成されました。そのころには章は行方不明になってたんだよね。
 行方不明とはいっても、章のアパートは知ってたんだけど、遠い奴になったみたいな気がして、遠ざかる一方だったな。
 ここからがフォレストシンガーズストーリィ、本番ですよ。アマチュアフォレストシンガーズが結成されて、プロではないからギャラというほどの報酬はもらえなかったけど、仕事もするようになったんだ。ヒデさんのいたフォレストシンガーズのハーモニー、聴いてくれた方はいらっしゃいますか?
 そこで挙手されてますね。いらっしゃるんだ。ありがとう。
 ファンクラブに入って下さっている方には、我々の公式サイトのメールフォームをお知らせしてますよね。そのメールでいただいたんですよ。ユキちゃんの美声で、その方にいただいたお手紙をストーリィ仕立てにして聞いていただきましょうか。


『友人に誘われて、彼女の故郷に遊びにいった。関東の地方都市の大学に通っていた私たち。彼女の故郷はさらに鄙びたところで、農家の建ち並ぶ豊かな土地だった。
「明日は村おこしイベントがあるんだって」
「村おこし? イベントってなにをするの?」
「地方特産の農産物の販売と、歌のステージがあるらしいよ」
「歌って、日本の歌手が歌うの?」
「そうみたいね。だけど、プロではないらしくて、アマチュアのコーラスグループっていうの? 若い男のグループだそうだから、ハンサムがいないかなぁ」
 あなたの好みのハンサムってどんな感じ? そんな話をしながら、明日を楽しみに私たちは眠った。
 翌朝、天気予報では晴れると言っていたのに雨。イベントは雨天決行だったから、私たちは傘をさして会場へと歩いていった。
「あら、外人さん」
「綺麗な女のひとだね」
 町のひとたちが私を見て噂するのが、嬉しいような恥ずかしいような。友人は言った。
「ソフィの好みってやっぱりフランスのハンサムだよね。そこまでのハンサムは絶対にいないと思うよ。期待しないように」
「期待はしていないけど、歌手なんだから顔よりも歌でしょ」
 仮設ステージで歌う歌手は、フォレストシンガーズといった。若い男性が五人のグループで、本橋、乾、シゲ、ヒデ、幸生と自己紹介する。ルックス的にはごく平凡な青年たちだし、アマチュアなのかぁ、というふうで、最初のうちはステージの前には聴衆はいたって少なかった。
 でも、彼らが歌いはじめると聴衆が増えていく。年配のひとと子どもが多いせいか、演歌や童謡をメインに歌っているのを、私も友人とふたりして感激して聴いていた。
「あ……」
「これ、ソフィの国の歌だよね」
「そうそう、恋はみずいろ」
 なのに、雨が激しくなってくる。聴衆たちはステージの前から逃げ出して、波が引くように人が少なくなってしまう。私たちも閉口して雨宿りをはじめたころには、ステージは中止になってしまった。
「残念だったね。もっと聴きたかったな」
「そうよね。私、恋はみずいろを歌ったひと、わりと好みよ」
「彼はハンサムだった?」
「顔もいいほうだったし、声が素敵だった」
「フランスの歌を歌ったから、点が甘くなったのもあるんじゃないの?」
「それもあるかしら」
 雨は激しくなる一方で、私たちも友人の家に帰った』

 このときのイベントにいらして下さった方が、もしかしたらこの会場にもいらっしゃるのかな。
 手紙を下さった彼女は、フランス女性です。ソフィって名前は仮名ですが、日本に留学していて、イベントで我々の歌を聴いてくれた。雨がふっていたとか、ヒデさんが「恋はみずいろ」を歌ったとか、はい、その通りです。
 彼女は数年後に故郷に帰り、それきり日本には来ていないけど、インターネットでフォレストシンガーズをチェックしてくれて、ファンクラブにも入って下さっているそうです。
 我々も国際的になった、ってのは大げさかなぁ。でも、世界制覇の第一歩ではありますよね。彼女がフォレストシンガーズに注目してくれたのはヒデさんのおかげなんだから、感謝してますよ、ヒデさん。仮名ソフィさん、ヒデさんのブログも読んでくれてるかな」


「引き続き、ヒデのいたあのころ。本橋です。よろしくお願いします。
 プロのシンガーズとしてデビューさせていただいてからは、リーダーは丸くなった、大人になったと言われ、それってつまんねえ奴になったって意味かとも思っていたのですが、社会人なんだもんなぁ。学生時代と同じってわけにはいかないな。
 社会人なんだから、対外的にはジェントルマンとしてふるまってましたよ。ジェントル、そうです。笑わないで下さいね。
 しかししかし、フォレストシンガーズ内では諍いもなくはなかった。
 特にね、気性が似ている同士が衝突するんですよ。ファンのみなさまでしたら、我々の性格ってのもごぞんじでしょう? 俺はヒデと性格が似ていたらしい。
 内緒だけど、あいつとふたりしてどこかで数人の男たちと睨み合ったこともあるな。殴り合いをしたのではなくて、気魄で勝負して俺たちが勝ったんですけどね。幸生、章、よけいなことは言うなよ。はい、続けましょう。
 若くて血の気が多くて、プロになりたいと願いながらもアマチュアのまんまで鬱々としている、短気な男がふたり。喧嘩にならないほうがおかしいでしょ?
 よそのグループのメンバーたちが、あなたたちは喧嘩するんですか? と質問されて、喧嘩はしたことがない、と答えてましたが、嘘ですからね。俺は彼らがつかみ合いになりそうな喧嘩をしているのを目撃したことがあります。
 あのときには乾と俺が割って入って、やめろやめろと止めたんですよ。そのくせ、喧嘩したことがないなんてよく言うぜ。
 おっと、よそのグループではなく、ヒデと俺の話でした。
 アマチュアのころのフォレストシンガーズは、幾度かは歌う仕事をいただいた。ヒデがいたころにも、幾度かはみんなで地方に仕事に行きました。
「これ、なんぞね?」
 土佐弁です。「ぞね」は女言葉だそうですが、硬いことはなしにしましょうね。
「こじゃんと変な食いもん、見たこともないぞね」
「……おまえも東京暮らしが長いんだろうが。土佐では食わなかったにしても、見たこともなくはないだろ」
「いいや、ない。こんなん、人間の食いものだとは思えんちや」
「そこまで言うと地元の方に失礼だろ」
 関東地方のとある村で、食卓に出された料理を見て、ヒデと俺が口喧嘩になったんですよ。
 なんの食いものだったかは忘れた。忘れてませんけど、はっきり言うと支障があるかもしれないのでぼかしておきましょう。
「うまいじゃないか。ヒデも食ってみろよ」
「いややきに。こんなん食う奴は人間とちがうぜよ」
「……土佐の○×のほうがよっぽど、人間の食いものだとは思えねえってんだよっ!!」
 実に小さなことで切れて、俺は言ったんです。
「おもてに出ろ」
「おう、出ますよ」
 ヒデの腕をシゲがつかみ、俺の肩を乾が引き戻し、食卓にいた地元の方々はざわざわしていた。すると、村のえらいさんが言ったんですよ。
「いいなぁ。若いもんはそのくらいでなきゃいかん。思う存分やれ。俺が審判してやるよ」
 その言葉にまず、ヒデが自分を取り戻した。
「……すみません。先輩に向かって言いすぎました。先輩ではなく、こちらの方々に失礼なことも言いました。申し訳ありませんでした。食いものの好き嫌いは男らしくありませんね」
 そう言って、ヒデはくだんの食べものを口に放り込んだ。
「あれ? 意外とうまいがかや」
 あっちからもこっちからも笑い声が起きて、途端に座が和やかになりましたよ。
 高知の男言葉ってのは剽悍で、迫力もあって喧嘩には向く。それだけでもなくて、こんなときに和ませる効果もあるんだな。俺みたいな東京弁しか遣えない人間は、言葉的には不利だよなぁ。性格的にも、ヒデのほうが柔軟性があるのかな。
 反省しましたので、俺も柔軟性を持つようにしてみました。
 大阪の方だったら気づいてらっしゃるでしょ。東京では「東京弁」とは言いませんが、関西では言うんですね。そこで敢えて言ってみました。ちょっとだけ柔軟に」


3

 脚色もしてあるが、本人が聞いていたら照れるだろうか。照れるあまり、逃げていってしまいそうなエピソードが披露され、ファンの方々も楽しんで下さっているようだった。

「ラストは俺、本庄繁之です。
 口にするには恥ずかしい言葉ではありますが、いなくなってはじめて、ああ、あいつはそれだったんだと気づく。俺はそうだと思っていたけど、あいつはそうじゃなかったのかと寂しく感じる。長らく、俺はそう考えていました。
 だけど、戻ってきてくれたんだ。
 ヒデがいなかった間に、俺たちには仲間が増えました。結果的にはヒデの行方不明は、仲間を増やしてくれた。増えるって嬉しいですよね。
 もっともっと嬉しいのは、ファンの方が増えていくことです。そっちのほうがヒデが戻ってきたことよりも百倍も千倍も嬉しいですよ。フォレストシンガーズにファンクラブがあるの? そんなもん、いらないだろ、とせせら笑われたこともありますからね。
 口下手ですから、俺は話はこのくらいにして、歌わせていただきます。ラヴソングではありますが、歌詞を噛みしめていただければ、ヒデがいなくなったあの日に通じるところもあるのではないかと」
 
 四人の仲間たちがハーモニーをつけてくれ、俺がソロで歌った。 
  
「一人歩きを始める 今日は君の卒業式
 僕の扉を開けて すこしだけ泪をちらして
 さよならと僕が書いた 卒業証書を抱いて
 折からの風に少し 心のかわリに髪揺らして

 倖せでしたと一言 ありがとうと一言
 僕の掌に指で 君が書いた記念写真
 君の細い指先に 不似合いなマニキュア
 お化粧はおよしと 思えばいらぬおせっかい

 めぐリ逢う時は 花びらの中
 ほかの誰よリも きれいだったよ
 別れ行く時も 花びらの中
 君は最後までやさしかった

 梅雨のあとききのトパーズ色の風は
 遠ざかる 君のあとをかけぬける」

 バカがやないがかや、俺がいなくなったあの日って……それがなんでこの歌詞やーっ?! とヒデが叫びそうな気もする。
 いいんだよ、これでいいんだ。乾さんが選んでくれたんだから。「君の細い指先に不似合いなマニキュア」は、「おまえの本性には不似合いな、フォレストシンガーズなんかに入って後悔している、との台詞」だったりするらしいんだから。
 単純なおまえや俺にはむずかしいけど、俺も噛みしめて歌うよ。おまえがいた梅雨の前と、おまえが帰ってきた梅雨のあとを想って。


END




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