時代もの

新選組異聞「つゆくさいろの」

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imagesつゆ
2004/6/1

「つゆくさいろの」

 立ち止まって目をこすってみたけれど、なんだか視界がぼやける。
「どうした、また奴ともめでもしたか」
 泣いてるんだ、涙がこぼれてるんだと気づいたのは、こんなときにはもっとも会いたくない男の声が聞こえたのと同時だった。
「また……なんてことは……」
「前にもこんなことがあったように思うが、俺の勘違いかな」
 いやみを言わないで下さい、と切り返してやれたら、いくぶん気が晴れるのではなかろうか。だが、実際には葵は彼に会釈しただけだった。さっさと立ち去ろうとしているのに、その男、土方歳三は葵を引き止める。
「なにがあったんだ」
「別になにもございません」
 つい切り口上になる葵を、土方は皮肉なまなざしで見つめる。この目にはじめて出会ったのは、と思い出すと、どんな顔をしてどこを見ればいいのかわからなくなる葵だった。
                 

 母とふたり暮らしの長屋まで送ってくれた斎藤一の広い背中が、夜の中に消えた。藤野葵はそおっと家に入る。幸い母は娘が抜け出したのには気づかなかった様子で、葵はこっそり夜具にすべり込んだ。が、目が冴えて眠れない。
 それきり新選組からの連絡はなかった。彼らにしてみれば下らないことがらだろう。忘れられてしまっても仕方ないかと諦めてみたり、だけどやっぱり気にかかると思ったり、葵は数日眠れぬ夜をすごした。
 夜中に行っては叱られるに決まっているが、昼間ならいいのではないだろうか。行こうかどうしようか幾度も迷ったあげく、葵は恐る恐る壬生に出かけることにした。
 屯所の近くでまたためらう。表玄関のところには怖い顔をした大男がふたり立っていて、あたりを睥睨している。葵が堂々と立ち入れる場所ではないのだ。よくもこんなところに気軽に、お梅さんは入っていったものだと葵は感心する。
 門番に見とがめられないように、すこし離れた場所を行きつ戻りつしていると、葵の肩を誰かがぽんと叩いた。葵は文字通り飛び上がった。
「危ない真似をするなと言ったはずだぞ」
 いくぶんきびしい声音ではあったが、見上げた斎藤の顔は笑っていた。斎藤のかたわらには、行商人ふうの穏やかな顔立ちの男がいた。
「一さん、この娘さんかね、例の……」
「そうだ。葵さんだよ、山崎さん」
 してみると、かんざしについて調べさせると言っていた山崎とは、この男なのだろう。葵は慌てて会釈した。
「山崎さん、土方さんを呼んできて下さい。俺は葵さんを連れて『花房』に行ってる」
「心得た」
 山崎が無造作に屯所に入っていこうとすると、門番のひとりが彼に槍を突きつけた。葵は驚いて目を見張った。
「なんじゃい、貴様は。町人風情が軽々しく入っていい場所ではないぞ。行商人なら裏へ回れ」
「これは失礼致しました。なにぶん粗忽者でして」
 門番に丁重すぎるほどの礼をして、山崎は裏手に回っていった。葵のそばで斎藤がくすくす笑う。
「あれは新米だから、監察方の山崎さんを知らないんだよ。あとで聞いたら青くなるぞ」
「監察のお仕事をなさってるんですか」
「今は比較的暇でね、土方さんに頼まれたかんざしの一件を調べてる。山崎さんは敏腕なんだが、今度ばかりは骨を折ったようだ。こんなところで立ち話しはできないから、葵さん、ついてきなさい」
「はい。それにしても本当に……私のせいで皆さまにご厄介をかけてしまって……」
「土方さんが調べたいと言うのだから、なにも葵さんが恐縮する必要はない。そろそろあんたにも調査の成果を報告してやろうと思っていたんだがな、あんたを呼び出すにはどうすればいいか、よくわからなかった。堅気の娘さんのうちに俺みたいなのが訪ねていったら、母上が腰を抜かすんじゃないかとも思ったし、新選組屯所に来てくれと使いでも出したら、母上はそれこそ卒倒するだろう」
「そうですね。心配させるに決まってますから、私も母にはなにも打ち明けていないんです」
「さっきはああ言ったが、あんたのほうから訪ねてきてくれてよかったよ」
 優しいまなざしで見下ろされると、葵の胸にあたたかななにかがともった。怖くない、と思えるのが不思議だ。
 『花房』とは上品な小料理屋である。店の女将があらわれて斎藤を歓迎する言葉を口にし、ふたりを奥まった部屋に案内した。
「京の町人には長州びいきが多いが、ここの女将は江戸の出で、我々に肩入れしてくれる貴重な女なんだよ。葵さんも言葉からすると江戸のようだな」
「そうです。父は浪人でした。父が二年ばかり前に病でみまかりまして、それからは母とふたりで細々と暮らしております」
「武士の娘か。道理で行儀がいい」
「行儀がよろしいですか。夜中によそのおうちに忍び込もうとしたりしましたのに」
「本当に忍び込むつもりだったのか」
 まっすぐに見つめられて尋ねられると、葵はまともな返答ができなくなる。
「あのとき、あんたを発見した俺はまだ、昼間も屯所のそばをうろうろしていた娘だとは気づいていなかった。つかまえてみて女だとはわかったんだが、どうするのが得策だろうと考えているうちに、土方さんの部屋まで連れていってしまったんだよ。悪かったな」
「……いえ」
 つかまえて、と言われると、腰に回っていた斎藤の強い腕の感触が思い出される。
「昼間に行ってはみたものの、恐ろしくて……だからといってどうすればいいのかわからなくて、なのに、忍び込めるものだったら忍び込もうとしていたんです。だけど、斎藤さまにつかまらなかったら、恐れをなして逃げていたかもしれません」
「怖いだろうな、若い娘には」
「はい」
「ああいうところはおてんば娘だな。いや、しかし、楚々として美しい娘が意外な行動を取るのも楽しい。土方さんも呆れてはいたようだが、あんたを面白い娘だと言っていたよ。それもあってお梅さんのかんざしについて調べる気になったんだろう。あの人はそういうことは素直には言わんがね」
「斎藤さまは土方さまとは古いお知り合いですか」
「俺も江戸の出身だ。土方さんや沖田さん、近藤局長の名ぐらいは、あんたも聞き及んでいるだろう」
 新選組は京都では悪名高い存在であるので、むろん葵も大幹部たちの名は知っていた。
「江戸に試衛館という道場があった、近藤さんが道場主だった。俺はほんの一時そこに出入りしていて、当時から親しかったんだよ」
「そうでしたの」
 かんざしの件には触れず、そんな話しをしているのも葵には楽しかった。ちょっとした料理が並び、勧められるままに箸をつける葵を、斎藤も楽しげに見ていた。そうしていると、御免と男の声がする。
「土方さん、山崎さん、どうぞ」
 山崎と土方が部屋に入ってきたので、葵は小さくなった。新選組鬼副長と呼ばれる土方歳三は、葵にはどうしても恐ろしい。
「山崎さんに無礼なことを言った門番は?」
 斎藤が尋ねると、山崎は横目で土方を見た。
「うちには監察方という職務があるのも知らん奴がいるらしい、俺を連れてわざわざ門の内側あたりまで言って、副長どのがイヤミったらしく言った。土方さんを一瞥しただけで、さっきの奴は気絶寸前になってたぞ」
「イヤミったらしいとはなんという言い種だ。そんなことはどうでもいい。山崎、結局かんざしはどうなったんだ」
「菱屋の爺さんはとぼけてましたが、どうやら土方さんの推測通りのようですよ。これは私の推測ですが、かんざしを発見した誰かが、運び出されていくお梅さんの遺骸の髪にさしてやったのではないかな。遺骸の髪からかんざしを抜いて、菱屋はそれを別の妾に与えた。妾は数人いるようです。ろくに役にも立たないものしか持ってない、男とも呼べない爺さんが……」
「山崎さん、娘さんの前で」
 斎藤にたしなめられ、山崎は咳払いをした。
「いや、失敬。そういうわけで、木屋町のあたりに住まわせている妾のひとり、おワカという女に与えたのだとまではわかったんですが、土方さん、どうしますか」
「さすがに山崎くんだな。率直に言って下らねえ任務を与えてしまったんだが、それでも任務は任務。きちんとやりとげるとはたいしたもんだ」
「土方さんに褒められるとあとが怖い」
「なにをぬかしてやがるか」
 新選組については、町の噂が葵の耳にもいくつも届いている。葵の住まいは壬生にあるのだから、噂が素早く達する。壬生の狼たちの群れ、東国からやってきた浪人たちの集団。恐ろしい、ばかりが今までの葵の感想だった。よくもそんな場所に、とまたぞろ身を縮めたくなる。
 だが、このひとたちは本当に狼なのだろうか。土方は斎藤や山崎にはざっくばらんに応対している。信頼している部下だからなのだろうか。こうしている土方は鬼にはとうてい見えない。
「菱屋に言って取り返させるしかねえな。まさか誰かに行かせて、そのおワカとかいう女の持ちものをひったくってくるわけにもいかんだろ。菱屋の妾になんの罪科があるわけでもねえ」
「そうですね」
「あのお……」
 おずおずと葵は口をはさんだ。
「もうよろしいのです。そこまでしていただかなくても……」
「そうか、こうすればいい」
 土方が手を打った。
「葵さんが出向けばいいんだよ。相手は女だ。葵さんが行って事情を説明して、返してほしいと言えばわかってくれるかもしれねえ」
「わかってくれるかもしれないけど、悋気を起こすかもしれませんよ」
 山崎が言った。
「菱屋が何人も妾を持っているのは、おワカだって知ってるでしょうが、変に嫉妬して意地を張らないかな。女ってのはそのへんがよくわからんものだから」
「葵さんはどう思う?」
 斎藤に問われて葵は首をかしげた。妾奉公などという稼業の女の考えは、葵にもよくわからない。
「だけど……それが一番かもしれません。土方さまのおっしゃる通りにしてみます。おワカさんが返すのはいやだと言ったら、そのときこそ諦めます」
「なら、斎藤、護衛についていってやれ。女ひとりのうちとはいえ、なにが起きるともわからねえ。用心に越したことはねえだろ」
「一さんがついていったんじゃ、まとまる話しもまとまらなくなりませんか。葵さんひとりで理を尽くして頼んだほうがいいと思うな。そばで一さんがおっかない顔で睨んでたら、おワカは怯えてしまうんじゃありませんか」
「怯えさせたらちょうどいいじゃねえか。いやとは言えなくなるだろ」
「俺は顔を出しませんよ。なにかあったら話しは別だが、そうでない限りは隠れて見ています。そうすればいいんでしょう、山崎さん?」
「それならいいだろうな。たしかに、こんなに綺麗な娘さんになにかあっちゃ困る。困るんだろ、一さん?」
「俺はなにも……」
 むにゃむにゃ言っている斎藤の肩を叩いて、土方と山崎は出ていってしまった。今のはどういう意味だろう? 葵はしばし悩んでいた。
「ああ、一さん、場所はな……」
 戻ってきた山崎が斎藤におワカの住まいの場所を教え、耳元でなにか囁いて出ていくと、苦い顔になった斎藤が言った。
「早速だけど行こうか」
「はい」
 どんな女なんだろう。葵の胸は高鳴っていた。意地悪な人だったらどうしよう。意地を張って返してくれないかもしれない? そうしたらどうしよう。せっかく山崎さまがつきとめて下さったのに、水の泡になったらどうしよう。
 三条木屋町、山崎に教えられたおワカの住まいの近くにたどりつくと、斎藤が励ますように葵の背中を押した。斎藤さまが見守っていて下されば心強い、葵は自分に言い聞かせ、玄関で声をかけた。
「はい、どなた?」
 やわらかな京都弁のいらえがあって、葵よりやや年上と見える女があらわれた。肉感的な体格をしている。押し問答になって突き飛ばされでもしたら勝てないだろうな、葵はふと思ったが、自分を励まして言った。
「お梅さんをご存じでしょうか」
 おワカの視線が葵のかんざしにそそがれた。おワカは同じかんざしを髪に飾ってはいない。
「お梅はん? ああ、菱屋の旦はんの……あんた、お梅はんのなんどすのん? 妹はん?」
「そのような者なのですけど、今日はお願いがあって参りました。勝手なお願いです。断られても仕方ないのですけど」
「お梅はんはえらい災難どしたんやてな。まあお入りやす」
 好意的な態度に安心して、葵はうちに上がった。お茶を入れてくれたおワカは、くどくどと悔やみの言葉を続ける。噂のまとになっていた事件について彼女が知っているのは当然だろうが、自分の旦那の別の妾に対する嫉妬というようなものは、彼女の言動からは見出だせなかった。
 それに力を得て、葵はかんざしについて話した。おワカは眉をひそめて聞いていたが、ちょっと待って、と言って立っていき、かんざしを持って戻ってきた。
「これどすやろ。旦はんがくれはったんやけど、よう聞いてみたら、お梅はんの持ちものやったと言わはるんえ。そんなん気持ち悪いやおへんか。くれはったときはありがたくもろときましたけど、さす気にはなれんかった。お返しします」
「よろしいんですか」
「言うたら悪いけど、非業の死いう感じで亡くならはった女のひとのもんどっしゃろ。気色悪いわ。ほかそかと思とったんどすえ。持って帰ってちょうだい」
「ありがとうございます」
 さもけがらわしいもののように、おワカはかんざしを見ていた。葵は繰り返し礼を言い、そそくさと彼女の住まいを辞した。小走りで歩きながら目で探していたのは、斎藤一の長身だった。
 やがてどこからともなく出てきた斎藤が、葵と並んで歩き出し、かんざしに目を止めた。
「返してくれたようだな」
 葵は今し方のやりとりを話した。
「お梅さんがさしていたものだと正直に言った? あの爺さんは頭が惚けてやがるんじゃないか。先は長くないな」
「ひどいことをおっしゃいますね。でも……おワカさんの気持ちはわかります。私にとっては大切な形見だけど、赤の他人には気持ち悪いでしょうから」
「好都合だったと言っていいのかな」
「私にとっては……斎藤さま、ほんとうにありがとうございました。土方さまと山崎さまにも……」
「なんならこれから屯所に行って、土方さんと山崎さんに礼を言うか」
「……遠慮させていただきたいです」
「怖いか。よくもまあそんな怖い場所に、真夜中に忍び込もうとしたりできたもんだな」
「もうおっしゃらないで下さい……」
 ベソをかきそうになった葵を、斎藤はすこしばかり意地悪な目で見てから笑い出した。
「土方さんと山崎さんには俺から言っておくよ。葵さんの感謝の気持ちも、屯所には二度と足を踏み入れたくないという気持ちもな」
「斎藤さまは……」
「ん?」
 意地悪ですねと言いたくて言えなくて、葵はうつむいてふくれっ面になった。その顎に男の指がかかってそっと持ち上げる。
「可愛いな、あんたは……」
「斎藤さま……?」
 新選組屯所には二度と足を踏み入れたくないのは事実だった。土方とももう一度会いたいとは思わない。けれども……葵は自分の心に驚いていた。葵が言い出せるはずもなかったひとことを、斎藤のほうから言った。
「また会いたい」
「え?」
「葵さんとはまた会いたいと言ったんだよ。ひょんなことで知り合ったが、あのときあんたをつかまえたのが俺で、俺は幸運だったような気がする。また会ってくれるか」
 頬を熱くして葵はうなずいた。声に出しての返事はできなかったけれど、斎藤もうなずいて手を上げる。
「じゃ、また」
「……ありがとうございました」
 斎藤と別れ、我が家までの帰り道を、葵は斎藤の言葉を噛みしめながら歩いた。
 私にとっても幸運だった。斎藤さまにつかまえられたのは、お梅さんのはからいだったのだろうか。あのまま屯所の前でためらっていたら、きっと逃げて帰りたくなったはずだ。
 怖じ気づいていたのが強まる前に、斎藤が葵をとらえた。そのあとのひとときは葵には身のすくむ時間だったけれど、正直に打ち明けてよかった。おかげでこうして、かんざしが戻ってきたのだから。
 土方さまは怖い方だけど、怖いだけではない。十五歳の葵の倍の年齢の大人の男の中身がどんなものなのか、葵には読み取るすべもないけれど、怖いだけの方ではないと思えるようになってきた。
 そして、斎藤さまは……また会いたい? ほんとうですか? 私もまた、あなたさまとお会いしたい。葵の心持ちは、そのときまさしく、夢見心地になっていたのだった。 


 あの日からいくばくかの時が流れ、斎藤一と葵の仲は深く……なりつつあるというところなのだろうか。男女の仲が深くなるとはどういうことなのか、葵には漠然としかわからないが、客観的に見ればそうなるだろう。
 一大決心をしたんだぞ、と笑っていた斎藤は、葵の母に申し入れに来てくれた。
「娘さんとのおつきあいをお許し願いたい。私は真剣な気持ちです」
 どこかから噂を聞いたりしたのならば、母はびっくり仰天しただろう。壬生の狼とその悪名も高い新選組幹部の一員である男と我が娘が? と。だが、斎藤の真摯な態度にうなずいてくれた。
「きちんとした方ですね。斎藤さまならばあなたをまかせてもきっと大丈夫ね」
 頬が火照って、母にも斎藤にもまともに応じられなかったあの日を思い出す。
 けれども、斎藤は多忙な身だ。激務に追われて睡眠すら取れない日々も続く。葵になどかまっていられない時期も多い。わかってはいるけれど、無理は言いたくないけれど、会いたいと願ってしまう心は止められない。
 今日の葵は壬生寺の境内にいた。斎藤さまに会いたくてここにいるわけではない。だけど、ひと目だけでも……仏さまにお願いすると、願いがかなった。
 寺の外にちらりと、背の高い男ふたりの姿が見えた。沖田総司ともうひとり。沖田が葵に気づき、連れの袖を引いた。連れの男は葵を見ようともせず、早足で歩み去っていってしまった。
「つめたいなぁ。葵さん、今日はちょっと忙しいんです。また今度ね」
 そのようなことを葵に伝えるそぶりをして、沖田も連れのあとを追った。ただそれだけだった。
「ちょっとした知らせが入ってな、斎藤と沖田が出張っていった。つれなくされたってとこか」
 しょんぼりしている葵の目に、土方の例によって例による皮肉な笑みが映る。
「まったく、小娘なんてものはこれだから」
「ほ……」
「放っておけとか。ほお、なかなか言うな」
「なにも言っておりません」
「言いたいんだろうが」
 まったく、土方歳三なんてものはこれだから、と言いたいのはこちらである。言いたい放題言ってやれたらさぞ気が晴れるだろうが、母に知られたら大変だ。
「私はあなたをそんなはしたない娘に育てた覚えはありませんよ」
 口癖のおこごとを反芻し、母のせいにして八つ当たりをまぎらわせていると、遠くから沖田総司の声が聞こえた。
「土方さーん、あれ、ガセでしたよ」
「ばかもん、大声を出すな」
 顔が上げられない。沖田のかたわらに誰かがいるとしてもいないとしても、身の置きどころがないとはこういう情況を示すのだろう。
「なんだ、ガセか」
「土方さん、また葵さんを苛めてる」
「苛めてやしねえよ。そうか、だったら暇になっちまったな。報告は総司にまかせて、斎藤、ちとつきあってやってこい」
「苛めてた罪ほろぼしですか。妙に優しくて気持ち悪いな。ね、斎藤さん?」
「苛めてねえと言ってるだろ」
 若い娘を苛めて楽しむなんて、歳さんは変な趣味だ、うるせえ、苛めてねえ、沖田と土方のやりとりが遠ざかっていき、やっとの思いで顔を上げた葵は、斎藤の苦笑にぶつかった。
「ちょっとだけだぞ」
「……いいんです。帰ります。私はなにも……」
「いいからちょっとだけ」
「……はい」
 女ってのはまったく手がかかるよなぁ、と斎藤が呟いた気がしたが、聞こえないふりでついていく葵の足取りは、ゲンキンにもうきうきしたものになっていた。
 
               
 発足初期の新選組には、局長が二名いた。ひとりは近藤勇、今ひとりは芹沢鴨である。局長の下には副長職が定められ、土方歳三、山南敬助、芹沢の片腕とでもいうべき新見錦がその職についていた。
 その下の副長助勤という耳慣れない職務は、土方の発案によるものだという。喧嘩を得意とし、兵法に多大な関心を持っていた土方らしい隊の編成方法だった。
 沖田総司を筆頭とし、永倉新八、原田左之助、井上源三郎、斎藤一の試衛館派、平山五郎、野口健司、平間重助の芹沢派、そして、佐伯又三郎、尾形俊太郎、松原忠司、安藤早太郎といった、のちに新選組に入隊してきた者たちが、副長助勤職となった。
 監察、勘定方が別にあるのだが、直接隊務にたずさわるのは、副長助勤が下につく隊士たちを率いてとなる。
 実のところ、当初は新選組の名はなかった。その名を会津藩から賜るのは、文久三年八月、禁門の変の武勲によってだ。それまでは壬生浪士隊、壬生浪士組と名乗り、京の町の者たちからは、みぶろと蔑みの名で呼ばれていた。 壬生の浪人たち、壬生の狼たち、壬生浪、壬生狼、町人が彼らを蔑んだ理由のひとつに、筆頭局長芹沢鴨の暴虐がある。
 酒乱の気味のあった芹沢は、都の巷で悪行の数々を繰り広げた。近藤は芹沢を説得しようとつとめたのだが、芹沢とその部下たちはいっこうに聞く耳を持たない。
 芹沢の片腕たる新見錦が詰め腹を切らされたのは、文久三年九月のある夜だった。会津藩から直々に、芹沢の暴挙をどうにかしろとの命令が下っているのは、斎藤も耳にしていた。
 新見の死後数日たった夜、芹沢鴨、平山五郎が斬殺された。壬生からほど近い島原の角屋で、隊士総出の酒宴がもうけられた夜で、夜中に芹沢、平山と平間重助が駕籠で屯所に帰りついたのは、斎藤も気づいていた。
 が、その夜のできごとは斎藤の知らないところで相談されていて、斎藤の知らないところで決行されたのである。平間は逃亡したらしいが、芹沢、平山は残虐なまでの手口で殺された。
 三人ともに女を寝床に引き入れ、同衾していたのだが、男とともに斬られて果てたのは、芹沢の情婦のような存在になっていた、呉服商菱屋の妾、お梅のみだった。他の女たちは逃げたのだろう。
 盛大な葬儀が、壬生寺に於いていとなまれる。芹沢、平山、お梅は、夜中に駐屯所に闖入してきた、なにものとも知れぬ暴漢、長州人かもしれないともいわれる者に斬られたのだと、新選組では発表していたが、偽りだとも斎藤は知っていた。
 いや、斎藤だけではなかったのだろう。みんなが知っていてそ知らぬ顔をして、しめやかな葬儀の席に連なっている。茶番劇ともいえる場面だった。葬儀の場から抜け出した斎藤は、わずかな留守居役だけを残して、総員が出払っている屯所に戻りかけ、屯所の前を行ったり来たりしている娘に目を止めた。
 常々猥雑なまでの喧騒に満ちている屯所付近は、今日は森閑としている。門番も出ておらず、新選組は筆頭局長の喪に服している格好だった。
「新選組になにか用事かね」
 そわそわうろうろしている娘に斎藤が声をかけると、娘はびくりとした。
「誰に用があるんだ。取り次ごうか」
「……いえ、なんでもございません」
「今日は芹沢局長の葬式だ。そこの壬生寺で葬儀の真っ最中だよ。あんたは芹沢さんに所縁のある者か」
「そうではないのですけど……あなたさまも新選組のお方でいらっしゃいますね」
「副長助勤、斎藤一と申す」
「おえらい方なのですね」
「べつだんえらくはないが」
 なにか言いたそうにしている娘は、粗末だがこざっぱりとした衣装に身を包んだ、十五、六歳の年頃に見える。六尺ばかりある斎藤の胸元までしか頭の届かない、ほっそりした娘だ。
「新選組の特定の誰かではなく、新選組の者なら誰でもいいから用事がある、のではないか。それなら俺が聞くよ」
「いいえ、なんでもありません」
 娘は背を向け、小走りに駆けていってしまった。
 なんなんだろう、あれは、わけのわからん娘だ。しかし、ずいぶん美人だったな、と斎藤は考え、屯所に戻って私室に入り、ごろりと寝そべった。
「やってられねえよな」
 平隊士たちは大部屋で寝泊まりしているのだが、局長ふたりは個室を持っていた。副長助勤十二名は、いくつかに分かれて何人かが同室で生活している。斎藤と同室の藤堂平助も戻ってきて、ひそひそ声で言った。
「近藤さんもよくやるぜ。弔辞ってのか、芹沢さんを送る言葉を、涙まじりに読み上げちまってよ、土方さんまで沈痛な顔つきをしてやがる。沖田はすっとぼけてるし、やってくれますよな」
「おのれが手を下したくせに、か? 平さん、あんたは自分が仲間に誘われなかったのを恨んでるのか」
「あんまりはっきり言うなよな。しかし、土方さんと沖田はまちがいねえだろうけど、あとは誰が加わってたのかね。源さんか、山南さんか、近藤さんもか」
「知らんよ。知る必要もない」
「知らねえほうがこっちの身のためかね」
「平さん、稽古でもやるか」
「あんたの相手はいやなんだがな」
 庭で向き合うと、藤堂が言う。
「竹刀でやっちゃ俺は斎藤には勝てねえ。柔術はどうだ、相撲でもいいな」
「どっちでもいいぞ」
「なんだかこう、不気味な心持ちになりやがるんだよな。ひと暴れしたらすっきりするだろ。かかってきな」
 竹刀を捨てて取っ組み合いをしているふたりに、沖田総司の声が聞こえた。
「さぼってると怒られますよ。今日は厳粛なる野辺送りの日だっていうのに、ふたりして子供みたいになにを遊んでるんですか」
 声の方向に目をやると、沖田は邪気もなく笑っている。こいつは一種の化け物なんじゃねえのか? と、斎藤と藤堂は視線で語り合った。
「今し方、そこらへんに綺麗な娘さんがいたんですよ」
 引っ立てられるようにして屯所から連れ出された斎藤と藤堂に向かって、沖田が首をかしげてみせた。
「うちになにか用かと思って、話しかけようとしたんだけど、逃げられちまった。平さんか斎藤さんの知り合いですか。前川さんを訪ねてきたのかな」
 新選組の一部は、壬生の前川邸を借りている。
「綺麗な娘か。俺にひそかに惚れてる娘かな」
「ほおほお、平さんにはそんな娘さんがいるんですね」
「いたらいいなってえ話しだよ。心当たりはねえけど、いないとも限らんだろ」
「平さん、今日は厳粛な日ですよ。冗談口はつつしみましょうね」
 さきほどの娘だろうか、斎藤は考えていたのだが、沖田と藤堂の会話に口は入れずにおいた。
 その夜、同室の面々が寝静まっても、斎藤は寝つけずにいた。水でも飲んでこようかと起き上がり、廊下に出た斎藤の五感に、忍びやかな気配が触れた。
 屯所の裏手になにものかがいる。暗闇の中にまぎれもなく人の気配がする。斎藤は足音を殺し、外に出ていった。提灯もつけていないのだが、人がいるのはわかった。子供だろうか、おぼろに感じ取れる身体の輪郭がやけに小さい。
 いくらいたずら小僧でも、こんな真夜中に外で悪さをしているとは思えない。では、くせ者なのだろうか。斎藤は用心深くその人間の背後に歩み寄り、片手で口をふさいで片手で腰を引き寄せた。
「……女じゃないか。ここがどこだか知った上で忍び込もうとしたのか? 女の盗人か? しかもひとりで? なんとも度胸のいい奴だな」
 子供ではなく女だったのか。けれど、女のくせ者はない話しではない。斎藤は女の腰を抱え上げ、片手で口をふさいだまま、軽い女の身体を片腕で抱いて屋敷の中に運び込んだ。どうするのが適当かと考えつつ、歩いていって立ち止まったのは、唯一灯りのついている部屋の前だった。
「副長……土方さん、よろしいですか」
「斎藤か、入れ」
 壁ぎわの机に向かって書きものをしていた土方が、どうした、今時分? と言いつつ振り向いた。
「なんだ、それは」
「それと言うことはないでしょう。ご覧の通り、女です」
「女はわかるが、なんだっておまえが女を抱えて俺の部屋に連れてくるんだ」
「なんだとお思いですか」
 斎藤は娘をかたわらにすわらせ、自らも正座する。暗闇からほの明るい行灯に照らされた部屋に入ると、目がちかちかして視力が戻ってきにくい。
「こんな夜中に斎藤一が、女を抱えて俺の部屋に来た。まさか自分の女を紹介しにきたわけじゃねえわな」
「だったらもっと尋常に連れてきますよ」
「まったくだ。では、なんだろう。まさかこんな小娘が、長州の間者だとかいうのではないだろうな。闇にまぎれて屯所に忍び込んだのをおまえがとらえて、俺のところへ引っ立ててきた。まさかねえ」
「そのまさかじゃないかと思えるんですがね」
 土方の眉がつと上がり、表情にきびしさが加わる。斎藤は娘がなにをしていたのかを話した。
「まだ忍び込んではいなかったし、どこかの間者だかそうでないのかは知りません。正体を聞き出してはいませんから。男だったらともかく、こんな小柄な娘でしょう。なにを思って新選組屯所に侵入しようとしたのか、そもそもここがどこなのか知っていたのか、それを尋ねようと思ったんですよ。ただの盗人ととも思えないでしょう」
「それで俺の部屋にか」
「あなたのほうが俺よりも尋問はお得意だ」
 娘はぎくっとした。膝でいざってあとずさりし、斎藤の身体にぶつかる。斎藤は娘の顔を覗き込んで目を見張った。
「間者だとでも言うのなら、屯所に入り込む前に手段を講じるだろう。おまえのような綺麗な娘なら、うちの隊士の誰かを色じかけでたらし込んで、なにかと聞き出すことも可能だ。夜中にひとりで忍び込んできたりはしないわな。白状してしまえ」
「おまえは何者だ……昼間に屯所にいた娘じゃないか」
「昼間もいたのか」
「俺が声をかけたら逃げました。沖田さんも話しかけようとしたらしいが、そのときにも逃げた。おまえは盗人なのか。夜中にここに忍び込もうとして、下調べでもしてたのか」
 思いついた言葉を口にしていても、まさかそんなことがあるわけがない、と考え直したくなる。たおやかで美しい若い娘が、盗賊であろうはずがない。あってほしくない。
 斎藤の顔を直視しようとせず、土方の顔を見るのも恐ろしいそぶりで、しばしうなだれていた娘は、決意したように話しはじめた。
「私は藤野葵と申します。お梅さんにはずいぶん可愛がっていただきました」
「お梅さんの身内の者か」
 土方の表情に複雑な影が差した。
「身内ではございません。以前にお梅さんが住んでらした長屋の、ご近所で暮らしていたというだけです。お梅さんは私を妹のように可愛がって下さいました」
 お梅には当時許嫁がいた。孝吉という名の職人だった彼は、お梅同様に葵を可愛がってくれて、あるときふたりにそろいのかんざしを買ってくれたのだ。だが、孝吉は昨今京都をわがもの顔でのし歩く、西国の浪人たちの刀傷沙汰に巻き込まれて生命を落とした。
 それ以来お梅は自棄になってしまったように、葵には見えた。孝吉と所帯を持つ日を楽しみにしていたのに、許嫁をなくしたお梅は、乞われるままに呉服屋の妾となり、長屋を出ていってしまった。
 葵がお梅と再会したのは、お梅が殺される数日前だった。以前に比べれば自堕落な雰囲気になっていたとはいえ、美しさも増しているように思えた。
「私は惚れっぽいみたいだよ」
 お梅も葵も出身は関東で、それもあって気が合い、仲良くしていたのである。葵を甘味処に誘ったお梅は、やはり葵には自棄になっているように思える口調で言った。
「菱屋の旦那には、食べていくためにやむなく囲われてるんだけどね、旦那に言いつかって掛け取りに行った相手の男に惚れちまったんだよ。芹沢さまとおっしゃって、お酒を飲むと人が変わるのが傷だけど、それ以外は優しくて太っ腹ないい男なんだ。芹沢さまといって、新選組の局長なんだけど」
「そうなんですか」
 なんと言えばいいのかわからないでいる葵を、お梅は屯所のそばまで連れていき、あそこが芹沢さまの部屋、と含み笑いをしてみせたのだった。
「芹沢さまが妬くんだよ。ほら、葵ちゃんとおそろいのかんざしがあっただろ。あれを見て、これはおまえのいい人がくれたんだろうって。ああ見えて敏感な人なんだよね。取り上げられてしまった。芹沢さまが部屋の文机の引き出しに隠してしまったんだよ。それでね、葵ちゃん」
「はい」
 お梅は囁いた。
「あれ、私が死んだら葵ちゃんにあげるよ。形見ってとこだね」
「形見だなんて縁起でもない」
「ううん。こんな暮らしをしていたら、私はいつ死ぬかもわからないんだ。芹沢さまだっておんなじだよ。死ぬのはちっとも惜しかないけど、あのかんざしはなんだか惜しくてね。私が死んだらあれを取り返して、あんたが大切にしまっておいておくれ」
 孝吉さんのためにも……ほとんど聞こえない声で呟いたお梅を、葵はただ呆然と見つめていた。
「そういうわけなんです。だから私……」
 語り終えた葵を、土方と斎藤はじっと見た。嘘偽りだとは斎藤には思えない。あのお梅が芹沢に惹かれていた? 無体にも手ごめにされて無理やり、情婦にされてしまったのだと思い込んでいたが、惚れていたからこそ芹沢のもとに足しげく通っていたのか。
「芹沢さんがお梅さんから取り上げてしまい込んでしまったかんざしか。斎藤、覚えがあるか」
「今、葵さんがさしてるのと同じものか? さあねえ。女のかんざしなんかいちいち見ちゃいないから」
 斎藤は首をかしげ、土方は呆れ顔で言った。
「そんなら玄関から訪ねてきて、これこれこうと言えばいいじゃねえか」
「怖かったんですもの。なにを世迷い言を言ってるんだと、追い返されると思ったんです。昼間にお会いした……あの、斎藤さまも…」
 ためらいがちに葵が呟く。
「とても恐ろしげなお顔をなさって、なんの用だとお責めになりました。怖くて……」
「俺は責めたつもりはないぞ」
「なににしても、新選組の屯所に女ひとりで真夜中に忍び込んでくる気だったとは、見上げた度胸だぜ。その度胸に免じてかんざしは返してやろう」
「本当ですか」
「あればの話しだ。斎藤、芹沢さんの私物はどうなってる?」
「そのままにしてあるはずですよ。沖田さんがざっと見たけど、たいしたものはないと言っていた。かんざしがあったかどうかも知らないな」
「とにかくついてこい。小声で話せよ。女の声が聞こえたら、目ざとい奴が目をさまして騒ぐ恐れがある」
「はい」
 三人は芹沢鴨が使っていた部屋に出向いた。葵は戸口に立ちすくんで瞑目し、合掌する。
「私はお梅さんの生まれや育ちについて、詳しいことはよく知らないのです。だけど、こうして目を閉じていますと、お梅さんがあでやかに微笑んでいるのが見えます。葵ちゃん、なかなかやるじゃないか、と……あ、すみません」
「なかなかやるよ、小娘の身としちゃあな」
 斎藤は机の引き出しを探し、土方は押し入れを開けて探してた。がらんとした部屋には家具もろくにない。探すところといってもさほどはなかった。
「かんざしなんてありませんよ」
「ねえな」
「お梅さんの髪にかんざしはささってたかな。覚えてないな」
「俺もそんなもんは覚えちゃいねえ。お梅さんの遺骸は菱屋が引き取っていったんだろう。そのときになにか持っていったのかな。頭にかんざしがついてたらそのままだっただろうし……それは上物か」
 土方が葵の髪のかんざしに目をやった。
「銀細工です。特別高価なものではないと思いますけど、孝吉さんの心がこめられていたんですから」
 娘とはそのように考えたがるものなのか。事実、そうだったのにちがいないと斎藤にも思える。俺には恋の経験はないけれど、惚れてしまえばどんな男であれ、女にとっては愛しい者なのだろう。
 色気ばかりの気持ちの悪い女だとしか、斎藤はお梅を意識してこなかった。あの女、また来てるぜ、と舌打ちをして、お梅の姿態に視線を注ぐ隊士たちのまなざしは、美女に対する下劣な好色心しかたたえていなかったはずだ。
 惚れた男と同衾していて斬られて果てた、あんたはそれを幸せと感じたのか? 今になってはじめてお梅に向けて尋ねてみている斎藤とはちがって、土方はごく冷静だった。
「芹沢さんがお梅さんの髪からかんざしを抜いて、机の引き出しにしまったのは事実なんだな。葵さんがお梅さんに会ったのは、あの事件の数日前か。そののちかんざしをどうしたのか、俺たちにはわからんな」
「わかりませんね」
「菱屋がかんざしごとお梅さんを引き取ったのだとしたら、強欲な爺さんのことだ。かんざしは抜いて売っちまったかもしれねえ。別の妾にやっちまったかもしれねえ。なあ、斎藤、山崎に調べさせるか」
 山崎とは、観察方の山崎烝を示している。
「そこまでしていただいては……」
「いや、俺も気になる」
「気になると言えば気になりますね。明日、山崎さんに言って菱屋から聞き出してもらいましょう。俺は他の隊士にもそれとなく尋ねてみますよ」
「そうしてくれ。じゃ、斎藤、おまえはこの娘を送り届けてやれ」
 再び、そこまでしていただいては……と葵は辞退したのだが、土方は葵をじろりと見た。
「おまえなんぞが屯所に忍び込めるはずもねえんだ。躊躇してるうちにあっけなくも斎藤につかまってしまったんだろうが。斎藤だからよかったが、考えなしの若い奴につかまってでもいたら、おまえはどんな目に遭ってたかもわからねえんだぞ。帰りにどこかのごろつきにでも会ったらどうする。なにが起きるかわからない。そもそも若い娘が夜中にひとりでうろうろ……」
「葵さん、行こう」
 斎藤が促すと、葵はちいさな吐息をもらした。放っておけば土方の説教が延々続きそうだったので安堵したのだろう。葵は土方に深く辞儀をして、斎藤についてきた。
「ひどくお手数をおかけしてしまうようで」
 恐縮して言う葵に、斎藤は我知らず笑顔で応じていた。怖い、恐ろしい、責められた、などの誤解をときたかったのかもしれない。
「土方さんは謎ときがお好きなんだ。わからないままにしておくのは性に合わないんだよ。わかったらあんたにも知らせる。だから葵さん」
「はい」
「危険な真似は二度とするんじゃないぞ」
「……はい」
 首をすくめてうなずいて、葵は冷や汗をぬぐっている様子だった。
「ここでございます。夜分まことにすみませんでした」
「ご両親がいらっしゃるのか」
「母とふたり暮らしです」
「母上には内緒で出てきたんだろうな」
「……はい、もちろんです」
「やんちゃな真似はするなよ。いいな、約束だ」
「……はい、ありがとうございました」
 母親の目を覚まさせては一大事だと、斎藤は声を低めて葵に言い、長屋の奥の住居にすべり込む葵の姿を確認してから、静かにきびすを返した。

 
 そんな娘とこうなった。望んだのは俺だ。葵もまた強くそれを望み、そしてこうなった。人けのない寺の境内で、これから俺たちはどうなっていくのだろうかと、斎藤はふと考えた。
 先などまったく見えない時代だ。どんなふうに流されていくのだろう。流れにさからうのか、流れのままに生きるのか。この娘を満ち足りさせてやることはできるのか。
「あ、斎藤さま」
 無邪気な葵の声のほうに目をやると、青いちいさな花にかがみ込む姿が見えた。
「つゆくさです」
「つゆくさってのか。まるで……」
 おまえのようにちいさくてはかなくて、その実決してか弱くもない花だと、斎藤は思う。
「送っていこうか」
「いいんですか」
「いいから言ってるんだよ」
「はい」
 いそいそとついてくる葵を振り返りもせず、斎藤は心の中だけで呟く。
 勝つか負けるか、殺されるか殺すか、人生ってのはそれだけだと、わずか二十歳にして悟りきったような気分でいたおのれに、人生そういうものだけじゃないと教えてくれた娘。そんな娘がおまえだったのだと、いつか言える日が来るのだろうか。心にそんな言葉をしまったまま逝くとしても……それもまた人生かなと、斎藤はひそかに笑った。

了 





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~ Comment ~

命を扱う武士にとっては。

女とは、人生の彩(いろどり)なんだと、本当に思えました。
人は殺伐とした環境の中で、生死とだけ向き合って生きてはいけない。
たとえ、それが役目であり、使命であり、そういう人生を選んだのだとしても、そこに華やかなもの、優しいもの、温かいものを求めずにはいられない。

人間にとって、愛情は糧であり、人生を豊かにする彩は「文化」なのだといつかどこかで聞きました。そして、人の心にはロマンが必要なんだと。
こういう時代に文化やロマンなんて求めること自体が難しい。
では、人生の、まっとうな生物として生きていける最低限の潤滑油が、男にとっては女の存在であり、そして、女にとっても‘恋’は必需の彩なんだな。と。

現代のなげかわしい(?(^^;)ラヴ・ゲームではなくって、生命としての純粋な雌雄の「恋」というもの。
命をつないでいくための花火。
きらめき。
なんだか、そんな刹那の光を垣間見させていただきました。

あかねさんの描く恋愛模様は情感がものすごく豊かで、その人間に厚みがあって、素直に感動いたします♪

新選組。
彼らは若い集団だったから、こういうひとときがあっても良いよな、と。むしろそういう時間があって欲しいと祈りたい気持ちになります。

朱鷺さんへ

新選組、お読み下さってありがとうございます。

この時代の武士って、女を娯楽、安らぎ、ともとらえていますよね。
幕末の志士というのは結婚して、故郷の親や家族や自分の子を妻にまかせて、京都に出ていって「憂国の士」となる。
京都でも適当に玄人の女と遊んで、やがて明治維新。

そして、明治政府の要人となった長州や薩摩の武士は、古女房を捨てて芸者さんあたりと再婚するのでした。
といった話がいーっぱいありますものね。

だから私は現実的には、幕末の志士なんてものは嫌いなのですが(^^
この時代に生まれなくてよかったなぁ、なんてね(^^

そんな時代に、葵ちゃんは一途に恋をするのですね。
斎藤さんのほうは、俺は早死にすると決めてますから、一途でもないのかもしれませんが、恋はしていますね。

この葵ちゃんが、明治には……となっていくのが、私の幕末ストーリィです。
朱鷺さんが読んで下さるんでしたら、他にもある新選組ストーリィ、アップしようかなと思っております。

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