番外編

番外編95(You may dream)

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番外編95

「You may dream」

1・まりあ

 先人だか賢者だかの言葉に「恋はおおいなる勘違い、錯覚、一過性の病気」などというものがあったはずだ。私もどこかで読んだ。
 新聞記者か大手出版社の編集者を志望していたのに、どうにかもぐり込めたのは、出版社の下請けプロダクション。しかも私は正社員ですらなく、使い走りのアルバイトだった。腐っていたある日、光明がさしてきたのは、正社員のインフルエンザ。
 正社員の代理という形で有名人のマンションに原稿をもらいにいったのが、あやまりのはじまり。
 ゲームクリエィターの奥村正志は、主にゲームの音楽を担当していて、雑誌にも音楽の記事を書いていた。メールで原稿を送るのが嫌いだとかで、編集者に取りにこさせるライターだったのだ。
 掃除をしろのコーヒーを淹れろの漢字を教えろの、メシを食いにいこうのベッドに入ろうの、公私混同はなはだしい奥村の頼みを、私は全部聞き入れた。
 仕事のためだ。断れば奥村はプロダクションの社長に、田沼まりあではなく別の誰かをよこせと言うだろう。弱小プロのアルバイトなんて、奥村のひとことでたやすく仕事を取り上げられてしまう。なのだから、我慢しなくては。
 我慢のつもりが我慢ではなくなって、私は奥村に恋をした。
 愚かな女は自分も公私混同して、好きなひとができたんだ、まりあちゃんには飽きたんだ、悪いね、と言われて捨てられた。
「だけど、そのおかげで……」
 失恋したときには悲しくて、大学時代の友人ふたりに愚痴を聞いてもらった。
 愚痴をこぼした相手というのが、宮崎耕太と西岡翼。彼らは私に同情したのか、多弁ななぐさめなどは口にしなかったくせに、あとからふたりで相談していたらしい。
 相談というのは、奥村正志に仕返ししてやりたいというもの。耕太は殴ってやりたいと息巻き、翼のほうは、もっとこたえる報復はないのかと言い、あげくはフォレストシンガーズの本橋さんと乾さんにも相談を持ちかけた。
 本橋さんと耕太がどこかで偶然に会い、ふたりして食事をしていたら奥村がやってきて同席したから、であるのだそうだが、ほんのちっちゃな縁しかない本橋さんや乾さんを巻き込むとは、耕太もあつかましい奴だ。
 親身になって相談に乗ってくれたという本橋さんや乾さんについて聞いて、涙が出そうになった。奥村を殴ってもまりあは喜ばないと言った翼と乾さん、それでもぶん殴ってやりたいと言った耕太と本橋さん。
 私のために? たまんないよ、泣けてくるよ。
 あのころの私はよく泣いた。たいていはひとりで泣いた。大人は人前で泣くものではないから、泣きたくて耐えられなくなったら、ひとりになってから泣くの。
 だけど、ひとりで泣いてると限度がないんだよね。誰かに抱かれて泣きたいな。大人の男性の胸がいいな。奥村さんじゃないよ。あんな奴はもうどうでもいいの。包容力のある大人の男に甘えて、よしよしって言われたいな。
 ひとりで泣きながら妄想していたのが現実になった。
 耕太と翼が本橋さんと乾さんに話を聞いてもらったというバー、「ソフィア」。その一夜がきっかけになって、学生時代に一度だけ会っていた本橋さんや乾さんと、翼と耕太の仲が復活したというのか、それほどでもないにしても、本橋さんたちの世界に翼と耕太もちょっとだけ仲間入りさせてもらったらしい。
 「ソフィア」に行って乾さんに会って、私は私の言葉で、奥村の話もした。そして、乾さんの胸に抱かれて泣いた。
「男に抱かれて泣くのは、女の子の特権だよ」
 先にソフィアから出ていこうとした私に、乾さんは言った。
「機会があればこの胸はいつでもお貸しするから」
「私は乾さんには恋はしてませんよ」
 恋はしていないけど……だけど、恋って錯覚なのでしょ? 勘違いなのでしょ? 病気に罹ったわけではないけれど、そっちの意味でだったら、勘違いだったらしているかもしれない。
 休みの朝は早起きなんかしないで、ベッドで半覚醒気分で妄想する。
 ここは親の家なんかじゃなくて、愛するひとと同棲している部屋。今日はあなたもお休み? どっちが朝食を作るか、じゃんけんしようか?
「俺は朝メシなんか食わなくていいよ」
「私もごはんよりも、あなたを食べたいかな」
「おまえに食われるんじゃなくて、俺が食ってあげるよ」
「いやいや、私に食べさせて」
 抱きしめようとしたあなたの腕をすり抜けて、ベッドから出ていくの。
「まりあ、そんな格好で庭に出るんじゃないよ。おまえのその可愛い裸……なにか着ろ」
「いや」
「しようのない子だな。まりあ、戻っておいで」
 腕を広げる彼に舌を出して、私は庭に出ていく。全裸の身体に陽光と小鳥の声が降り注ぎ、風に素肌をさらしてのびをする。
「海が遠くに見えるんだね。ここは高い階にあるんだから、誰も覗いたりしないから大丈夫だよ。あ、やんっ」
「悪い子は泣かせてやろうか」
「泣かないもーん」
「……泣けよ」
「あ……」
 肩に彼の大きな手。もう片方の手が私の下半身に……膝が砕けてしまいそう。
「綺麗だよ、まりあ」
「……好き。抱いて」
「ああ、おいで」
 リゾートマンションのペントハウス、空想が具体的になっていく。広い広いベランダは庭と呼んでもまちがっていない空間。とりどりの花が咲き乱れる中で私はあなたに抱かれて、寝室に連れ戻される。あなたの腕の中でいっぱいわがままを言って、ああ、よしよし、ってあやされたい。
「……はぁ」
 奥村には甘えられるばっかりで、私はそんなのも嫌いではないと思っていたけれど、甘えたい願望があったんだ。
 ううん、奥村は関係ない。奥村なんかは忘れた。彼ではなくて、新しいひと……ううん、新しい男も当分はいらない。私は妄想とたわむれているほうがいい。頭がぼーっとした感覚のまんま、私は枕もとのラジオをつけた。

「あなたの事思うと
 すごく胸があつくなるの
 いつもはユーウツな雨も
 サンバのリズムにきこえる

 あさもやの湖に
 水晶の舟をうかべて
 ちょっとだけふれる感じの
 口づけをかわす」

 この歌、口実に使えるかしら。
「ユー・メィ・ドリームって誰の歌ですか? けだるい感じの男の子の声が歌ってましたよ」
「オリジナルはシーナ&ロケットだから、女性ヴォーカルだけどね、男が歌ってたんだったらカバーだろ」
「そうなんだ。この歌、好きかも。乾さんの声で聴きたいな」
 さっきの妄想の相手役にメールをする想像もしてみて、私はぺろっと舌を出した。


2・哲司

 どうして恋の相手はひとりだけでなくてはならないのだろう。一夫多妻だとか一妻多夫とかいうのもあるのだから、一夫多夫……多夫多夫。夫じゃないから多男多男。僕は男のハレムがほしいかも。
 ハレムとはいえ、僕は男たちを囲いたいのではなく、彼らに君臨したいのでもなく、逆だ。
 男たちはみんな僕のものではあるが、僕は彼らに征服されたい。されたいっていうか、彼らには僕を彼らの持ちものだと思わせておいて、実は僕が彼らを操っているってのがベストだ。いつか僕が書いた海賊小説のように。
 海賊の島にとらわれてきた美少年、哲司、男たちは僕を奪い合って死闘を繰り広げ、ひとり死に、ふたり死に……そして誰もいなくなった。
 深窓の王子、哲司は海賊にさらわれて陵辱され、売り飛ばされる。僕を買ったのはどこかの国の王で。彼は家のために妻を娶りはしたものの、女は嫌いだから鬱々している。そんな王に美少年を売りつけたものの、海賊たちは僕を忘れられなくて寂しがっている。
 王の国と海賊たちが戦争になり、哲司を奪い合って双方が滅んでしまう。
 傾国の美少年、哲司。うん、それもいいけどさ、みんないなくなってしまったら、結局は僕はケイさんのもとに戻るしかないのか。
「ワンパターンだな、発想の転換をしなくちゃ」
 暇があると小説を書いてみては、僕は嘆息する。こんなのはどうだろう。

「ぽっかりと目を開くと、男が僕を見ていた。
「ここは?」
「気がついたか?」
 僕を見ているのは、背の高い優しそうな男だった。
「おまえは森の中に倒れていたんだよ。どこから来てどこへ行こうとしていたのか、思い出せるか?」
「……んんとね」
 記憶を探ったら見えてきた。
 好きな男とふたりで暮らしていた僕は、ある夜、魔王にさらわれたんだ。魔王は僕を後継者にしたがっていて、僕を人間ではなくならせようとした。
 身体中のすべてを人間ではなくならせるために、魔王は僕の頭と顔からとりかかった。髪、額、眉、目、鼻、口、頬、顎、耳、頭蓋骨と脳は最後にすると言って、魔王は甘くしびれるような声と、とろけるキスで僕を調教しかけていた。
「あ、もう……駄目。許して」
 脳髄がしびれてくるような、魔王のあの調教、言葉でなんか表現できなかった。
「思い出そうとすると頭痛がするよ」
「そうか。無理はしなくていいから寝てろ」
 どこまで魔王に調教されて、僕は人間でないものになりつつあるのだろうか。自分ではわからない。完全に魔物になってしまったわけではないから、魔王のもとから逃げ出して倒れていたところを、この男に救われたのだろう。
「食えるか。雑炊を作ったんだよ」
「うん」
 しばらく寝て起きると、男が僕にあたたかな雑炊を食わせてくれた。
「僕の名前は哲司、あんたは?」
「隆也。おまえの体力が戻るまでは、ここで養生していくといいよ」
「うん、ありがとう」
 雑炊を食べてまた眠る。夜中になったようで、隆也は僕のとなりに夜具を敷いた。
「部屋はここしかないから、気にしないで寝ろ」
 だけど、気になってしまう。
 普通の人間だったころだって、僕は夜ごとにケイさんに抱かれてたんだよ。魔王に調教されてこんなになっちまう下地はできてたんだ。
 全身が燃えるようにうずいて我慢できない。となりで眠る隆也の寝息が聞こえてくると、僕は布団から這い出した。
「……哲司? なにやってんだよ。おい、やめ……」
「しっ、黙って」
「哲司……うっ」
 今度は僕が、あなたを調教してあげる」

 どうやら僕にはさらわれ願望が、うん、あるよ。
 こうして哲司は半分魔物になり、ゲイでもバイセクシャルでもない男たちを調教するために、夜を跳梁するものになった。僕の好みの男はバイセクシャルになったほうが、僕は楽しいもんね。
 ゲイにしてしまってもいいんだけど、男たちが全員僕に殺到したら身が保たないから、女好き部分も残しておいてあげよう。哲司って博愛主義者だね。真っ先に乾さんを僕の虜にしてあげる。どう、嬉しい?
 こんな小説、乾さんに読まれたらどんな反応があるんだろ。ケイさんにだったら殴られるかな。
 ま、僕の小説は完結したためしがないんだから、発表のあてもないんだから心配しなくてもいいよ。妄想を形にして楽しんでいるだけなのだから。


3・奈々

 十五歳のあたしに似合いの、ひとつかふたつ年上の乾隆也って、どんな男の子だろう。現実では金沢に住んでいたばあちゃんっ子だったらしいけど、そのころにはあたしは生まれてもいなかったのだから、今、乾さんがあたしのボーイフレンドだったら、のセンで考えてみた。
 ボーイフレンドなんて古い言葉のような気もするけど、他にはぴったりするものがない。男友達ってのはニュアンスがちょっとちがうし。
「おはよう、奈々ちゃん」
 ふたつ年上の高校三年生の乾隆也くんは、細くて背の高い草食系男子。彼は私の家の近所に住んでいて、高校も同じなの。
 ママが再婚して今のパパと結婚して、この家に引っ越してきて、当時は中学生だった隆也くんと親しくなった。現実とはちがって、あたしはごく平凡な共学高校に通う女の子。仕事なんかしていない。隆也くんも平凡な高校生だ。
「奈々ちゃん、化粧してる?」
「隆也くんってそういうの、敏感だよね」
「うちの学校は化粧は禁止だろ」
「ほっといて。みんなしてるもん」
「みんなって誰と誰?」
「隆也くんはあたしの友達の名前なんか、知らないくせに」
「その顔で学校に行ったら、校門のところに先生がいて止められるぞ」
「ごまかすからいいの」
 うるさいから先に走っていこうとしたら、腕をつかまれて引き戻された。
「なによっ、離せっ」
 ぐいぐいとあたしを引っ張っていって、隆也くんは公園に入っていく。公園の小さな噴水でハンカチをぬらして、あたしの顔を乱暴に拭った。
「やだっ!!」
「そのアイメイク、落とせよ。くちびるもリップクリームだけにしろ」
「うるさいったらっ!!」
 抵抗しようとしても隆也くんは力が強いし、片腕に抱かれていると胸がどきどきしてきた。悔しいのと恥ずかしいのとで涙が出てきそうになって、あたしは隆也くんの足を踏んづけた。
「ああ、荒っぽくしすぎたかな。奈々ちゃん、泣いてる?」
「うるさいっ!!」
 奈々ちゃん、ごめん、って声が聞こえる。あたしはポケットから自分のハンカチを出して、顔をごしごしこすった。
「まだ遅刻はしないですむよ。奈々ちゃん、急ごう」
「こんな顔して学校に行くのはいやだ。今日はさぼる」
「駄目だよ」
「隆也くんもさぼろうよ」
「俺たち、制服を着てるんだよ」
「どこかで服を買って着替えよう」
「俺はそんな不良じゃない。おいで」
 やっぱり隆也くんは隆也くんだよね。ぶうぶう言っているあたしの手を引いて、彼は学校へとずんずん歩いていく。隆也くんのバカァ、けちぃ、嫌いだよぉだ。
「放課後にデートしようか」
「……したいの?」
「奈々ちゃんが俺とデートしたかったんだろ」
「ちがうよ。さぼりたかっただけだもん」
 笑っている隆也くんに、あたしは言った。
「デートしたいんだったらお願いすれば?」
「……奈々ちゃん、俺とデートして下さい」
「よし、してあげよう」
 いばって言ったら、学校の門が見えてきた。乾、走れ、遅刻するぞ、って男の子の声が叫んでる。隆也くんはあたしの手を引いて、すごいスピードで走り出した。
 なんてね、こんなの、つまんないかな。
 現実世界ではあたしは十五歳の女優、乾さんは三十五歳のシンガー。五歳と二十五歳で出会ったのだから、乾さんはあたしをいつまでも子ども扱いしたがる。
「大人の言いつけは聞くものだよ。奈々、いい子にしなさい」
「……乾さんなんか大嫌い!!」
 電話でだって、実際に会っていたって、そうやって罵ってしまって、ちゃんとさよならも言わずにあたしが走っていったことが何回あっただろう。
「奈々ちゃんは乾さんが好き?」
「大嫌い」
 他人に訊かれても、いつだってそう答える。
 あたしは子どもじゃないのに、お節介をしてお説教をして、お行儀やなんかを教えたがって、言うことを聞かないと頭ごなしに叱る。お尻を叩かれたいのか? まで言うんだから。大嫌いだよ。
 なのにね、変だね。あたし、おじさん趣味なのかなぁ。実のパパをちっとも覚えていないから、ママの再婚相手も嫌いではないけど、乾さんほど年上の男のひとだと、ファザコンも出てきちゃうんだろうか。
「奈々ちゃんは仕事もしてるんだし、大人だとまでは言い切れなくても、子どもでもないよな」
 新しいパパはそう言い、乾さんにも言ってやってよ、とあたしは思う。
 あたしは乾さんとどうしたいの? 二十歳もの年齢の差があるのだから、仕事で共演っていったって似合わないし、第一、乾さんとラヴシーンだなんて……やめてっ!! それだけはしたくないっ!!
 千鶴は乾さんとえっちなポスターの撮影をして、恋をしてしまったらしい。あたしは千鶴みたいにいやらしい女じゃないから、仕事であっても乾さんとえっちなことなんかしたくない。そんな想像もしたくない。
 でも、十五歳の奈々と十七歳の隆也の想像も、面白くもないなぁ。
 五歳に戻ったらどうなのかな? あのころの記憶は鮮明で、若かった乾さんだってあたしはよーく覚えている。乾のおにいちゃん、本橋のおじちゃん、なんて呼んで、本橋さんをむっとさせていたちっちゃな奈々。
 あのころの乾さんは優しくて、あたしを叱ったりはしなかった。それは奈々ちゃんが小さな小さな子どもだったからだよ、と三沢さんは言うけれど。
 叱られるのなんていや。お説教は大嫌い。あたしは思い切り駄々っ子の奈々でいたい。 
 母ひとり子ひとりで、みすぼらしいアパートに住んでいたママとあたし。隣の部屋にはフォレストシンガーズの乾隆也が住んでいた。ママは水商売をしていて、あたしは時々、ひとりぼっちで置き去りにされていた。
 現実はそうだったけど、想像でだったらどんなふうにも変えられる。乾さんはママの弟。奈々の叔父さんってのはどうかな。
「奈々、ここにいたのか」
 広いおうちの大きな庭で遊んでいたら、隆也おじちゃんの顔が見えた。
「隆也、遊びにきたの?」
「俺はおまえの叔父だよ。呼び捨てにするとママが怒るだろ」
「ママは怒っても怖くないもん。隆也、お土産は?」
「あ、忘れてた」
「お土産を持ってこなかったら遊んであげないっ!!」
 怒ったのはあたしで、とっとと走っていこうとしたら抱き上げられた。
「嘘だよ。奈々が前にほしがってた、お人形さんのドレスを持ってきたんだ」
「買ってきてくれたの?」
「オリジナルだよ」
 お庭の芝生の上にすわった隆也おじちゃんの膝に抱かれて、お人形のドレスを見せてもらう。おじちゃんのお友達が作ってくれたというオリジナルのドレスは、センスがよくて素敵だった。
「奈々はどのドレスが一番好き?」
「このピンク」
「それがいいか。じゃあ、今度、おそろいで奈々にも作ってもらおうね」
「うん。ねえねえ、おやつは?」
「チョコレートもありますよ、お姫さま」
 チョコレートを食べていたら、あたしの胸に疑いが生まれてきた。
「隆也、このドレス、友達が作ってくれたって言ったけど、彼女じゃないの?」
「五歳の女の子がそういうことは言わないだろ」
「奈々は言うんだもんっ!!」
「ませた五歳だな。俺は大人なんだから、彼女くらいいるよ。そうだよ。俺の彼女が、姪っ子ちゃんのためにってデザインしてくれたんだ」
「……隆也なんか大嫌いっ!!」
 想像さえもがこの言葉で終わってしまって、あたしはがくっとする。
 あーあ、本物の乾さんに会いたいな。ごはんを食べに連れていってもらって、わざとお行儀の悪い真似をして、いーっだ、乾さんなんか大嫌い!! って言って苦笑されて。乾さんとあたしは当分は、そんなふうでいいのかもしれない。
 だって、将来はどうなるかわからないものね。だから、当分は今のまんまでいいんだよ。


4・瑛斗

 タレントの仕事というものは待ち時間が多い。テレビ局の控え室でゲーム機で遊んでいると、マネージャーの木田さんが入ってきた。
「瑛斗くん、こちら、酒巻さんっておっしゃるんだよ」
「酒巻さん? 聞いたことある名前……」
 もしかしたら僕よりも背が低いだろうか。大人のようにも子どものようにも見えるけれど、僕よりは年上だろう。年齢のわかりにくいひとだった。
「ほら、乾さんたちの大学の後輩で、ラジオDJの酒巻さんだよ。ア・カペラライヴのために一時帰国中だって聞かなかった?」
「ああ、あの酒巻さんか」
 そしたら僕よりはまちがいなく大人だ。乾さんから聞いた話を思い出してみれば、大学合唱部で本橋さんと乾さんが四年生、キャプテン、副キャプテンだった年に酒巻さんが入学してきたのだそうだから、乾さんより三つ年下。
 ってことは、三十すぎてるの? 信じられなーい、と言いたくなった。
 言ったら失礼だろうから言わない。言わないかわりにじっと見ていたら、酒巻さんはこほこほっと咳をし、木田さんが言った。
「瑛斗くん、挨拶は? 挨拶のできない子は……って乾さんになんと言われるのかな」
「うるさいな、木田さんは。こんにちは、はじめまして」
「はじめまして」
「酒巻さんってテレビに進出?」
「そうじゃないんだよ」
 低い声の酒巻さんは、彼がどうしてテレビ局にいるのかを話してくれた。
 ヴォーカルグループがいっぱい出演する、ア・カペラライヴ。女の子のアイドルグループみたいのは出るそうだが、僕はソロだから出してもらえない。そのPRのために、総合司会の酒巻さんがテレビにちょびっとだけ出演するのだそうだ。
 出してはもらえなくてもリハーサルを見にはいった。クリちゃんやモモちゃんやフォレストシンガーズのひとたちという知っているひとも、知らないひともいて、ライヴ本番で歌う歌の練習バージョンを聴かせてもらった。
 歌の下手な僕は練習なんて大嫌いだし、こんなに一生懸命リハーサルやんないとならないなんてうざっ、とも思うけど、フォレストシンガーズではない、おじさんばっかりのヴォーカルグループのハーモニーには感動した。
 だけど、変な奴らもいた。レイローとかいう意味のわからないグループ名の、背の高い若い男ばっかりのグループ。あいつらは僕に言った。
「アイドルなんだよね? 瑛斗くんっていうんでしょ? 売れかけてるらしいよね。おめでとう。だけどまぁ、アイドルなんてものはさ……瑛斗くんって乾さんとなにかあるの?」
「なにかって?」
「アイドルは女の子とのスキャンダルはご法度だろ。男同士のスキャンダルだったらいいの?」
 レイローの誰なのか、名前は知らない奴がにんまり笑って言い、続けて、きみのアイドル生命が長く続くように祈ってるよ、とも言って離れていった。
「瑛斗くん、どうしたの?」
 ぼけっと思い出していた僕は、酒巻さんの声で我に返った。
「レイローって変な名前だよね。漢字で書くんでしょ。意味あるの?」
「玲瓏? きみも彼らにいやな気分になるようなことでも言われた?」
「別に。レイローってなに?」
 うるわしく光り輝く、曇りなくすきとおった珠の形容、鳴り響く美しく冴えた鈴などの音。なのだそうだ。
「曇りなくないし、美しく冴えてもいないね。名前負けしてるよ」
「彼らはきみのような若い子にも嫌われてるんだ」
「嫌いにもなってやらない。あんな奴ら……」
 嫌いではないんだったらなんと言えばいいのだろう。どうでもいいのではない。そばには寄りたくないから絶対に好きではない。顔は綺麗だったけど、あんな奴ら……あんな奴ら……どう言えば正しいのかと考えていたら、酒巻さんが言った。
「品性が貧しいっていうのかな。彼らは自分の言動を反省したりもしないのかな。瑛斗くん、いやなことを言われたんだったら、木田さんに話したほうがいいよ」
「乾さんは?」
「乾さんはね……きみは玲瓏の連中を嫌いにもなってやらないって言ったけど、乾さんはどうなんだろ。嫌いなのかな。自分の世界に入れたくない存在なのかもしれないよ」
 それなのかな、僕の気持ちも? 僕にはよくわからないけど、なんとなく、玲瓏の奴らのことは話題にもしたくないというのか。
「酒巻さんって乾さんには好かれてるの?」
「ストレートな質問だね。嫌われてはいないと思うよ」
「僕、退屈してたんだ。乾さんの大学のときの話をしてよ」
 退屈だからって話して、なんてのは……と木田さんが苦笑いしている。僕は酒巻さんに友達みたいな口をきいて、木田さんは注意したいのかもしれない。乾さんに言いつけるよ、と言いたいのかもしれないが、酒巻さんは気にしていない様子で言った。
「僕には姉がいて、優しい両親と祖父母もいて、家族に可愛がられる幸せな子どもだったんだよ。だけど、まるできびしさには触れたことがなかった。兄さんがほしいなぁって、乾さんを見てるといつだって思ったよ」
「僕も姉ちゃんがふたりなんだ」
「そうなんだ、似てるんだね。もっとも、シゲさんだって姉さんのいる弟なんだけど、シゲさんは僕とは全然似てないよね」
「声の低いところは似てない?」
「それは関係ないってか……」
 控え室の隅っこに置いてあるポットから、木田さんがコーヒーを注いでいる。酒巻さんは僕に話をしてくれた。
 十八歳で出会った、三つ年上の先輩。酒巻さんが合唱部室を訪ねていったときに、応対してくれた乾隆也。僕が赤ちゃんみたいなものだったそのころに、大学生だった乾さんと酒巻さん。そう考えるとおじさんだなぁ。
「僕は変な想像をしていたよ。乾さんが兄さんだったらな……こんな兄さんがいたらな。乾さんは優しさゆえのきびしさで、僕を鍛えてくれる。泣き虫だった僕は隆也兄さんに叱られて泣いて、おじいちゃんに慰めてもらったり、おばあちゃんにおやつをもらったりしてあやしてもらえる。子どもって優しさときびしさの両方をふんだんに与えられて育つのが一番なんだなって」
 コーヒーが目の前に出てきて、酒巻さんは木田さんに丁寧にお礼を言ってから続けた。
「作文にしてみたりもしたよ。妄想を先生に提出はできないから、書くだけで満足してた。あのせいで僕は文章を書くのが好きになったんだね」
「どんな妄想?」
「そういえば酒巻さんは、音楽雑誌にコラムを書かれてましたね」
「木田さんは黙ってて」
「瑛斗くん、乾さんに言いつけるからね」
 睨まれて木田さんにべーっとやったら、酒巻さんは言った。
「瑛斗くんは乾さんに叱られて、ぱちんとやられたんだってね」
「木田さんが言いつけたの? 乾さんに聞いたの?」
「誰かから聞いたんだよ。それ、僕の妄想に近いのかなぁ。僕が意気地なしだったり、泣き虫だったりしたときには……僕の妄想の中では押入れに入れられたり、樹の上に乗っけられたりしたんだけど、そうやってこらしめられる。僕はこらしめって意味でだったら、子どもに体罰を与えるのは必ずしも反対じゃないんだよ」
 とはいってもね、と酒巻さんは弱々しく笑った。
「僕にはできないから、躾のできていない子どもを見たら、乾さんか金子さん、ここに来てこの子を叱って下さいって思うんだ」
「僕は乾さんにケツを……」
「ああ、そうだったよね。なにをしたの?」
「お酒を飲んで、弥生おばさんにばばあって言った」
「そのくらいの体罰は適当だと思うな。ね、木田さん?」
「はい。私は乾さんに感謝してます」
 ちぇっちぇっちぇっ、ではあるのだが、僕もあのせいで乾さんに近づいていきたくなって、ちょっとは親しくもしてもらって、友達ではなく……なんだろ? 大人と子ども? として?
 なんなのかはよくわからないけど、乾さんは鈴木瑛斗を気にしてくれるようになって、かまってくれて叱ってくれるようになった。僕が失恋したときにも、遠くからあったかな目で見ていてくれた。なのだから、ああして叩かれてよかったのだと思っていた。
「僕は想像の中では叩かれたりはしなかったけど、叱られてはいたよ。そうやって鍛えてもらって、強いクニになれるって妄想を楽しんでいたんだ」
 鍛えてもらって強くなる。僕も強いほうではないから、その発想っていいかも、ではあった。
 酒巻さんの話を聞いたせいで、家に帰ってからも頭を離れない。木田さんと同居しているマンションで、入浴も食事も後片付けもすませて、ベッドに入って目を閉じると、乾さんが僕の兄ちゃんだったら……というのが浮かんできた。
 アイドルではなかった中学生の瑛斗。姉ちゃんたちは邪魔だからいないことにして、隆也兄ちゃんは二十代の歌手。僕が芸能人ではなくて、兄がそうだっていうのはどんな感じなんだろう。
「瑛斗くんの兄さんって、歌手の乾隆也なんでしょ」
「サイン、もらってきて」
「会わせて、握手してもらいたーい」
「写真を撮らせて」
「お兄さんがおうちにいるときに、みんなでパーティしようよ」
 クラスの女の子たちがそう言って騒ぐのだろうか。うざいような、僕も人気者みたいで嬉しいような。いやいや、こんな妄想は楽しくない。やっぱり湖鈴だけでも出してやろうかな。
 姉は湖鈴、美鈴姉ちゃんには引っ込んでいてもらって、かわりに隆也兄ちゃん。隆也兄ちゃんは大人で、湖鈴は高校生。現実と同じで、湖鈴と僕は喧嘩ばっかりしている。そうなるとどうなるんだろ。隆也兄ちゃんって男女差別するから、こうかも?
「あーん、お兄ちゃんっ、瑛斗があたしを叩いたぁっ」
「瑛斗、女の子に暴力をふるうとはなにごとだ。来い」
「やだよーっだ」
びゅーんって走って逃げて、僕は家出して、スカウトされてアイドルになる。これじゃあ現実と同じじゃん。
「あ、そうだ」
 酒巻さんの姉さんは乾さんよりも年上で結婚しているそうだが、僕の姉たちは独身だ。年は乾さんよりずーっと下で、この手があると気づいた。
 しかし、乾さんを大好きだと言う千鶴は、年下すぎるからって彼女にはしてもらえない。そうすると、うちの姉の美鈴も湖鈴も乾さんの彼女にはなれないのかな? アイドル好きの姉たちは、おじさんではなくて美少年が好きなのかな。
 湖鈴は乾さんに会っていて、かっこいいねと言っていた。湖鈴は哲司くんにも会っているけど、どっちかを選ぶならぜひ乾さんにしてほしい。
 っていっても、湖鈴が選んだとしても、乾さんにいやがられたらどうしようもないのだが。
 妄想なんだから現実的に考えなくてもいいのか。そう、その手っていうのは、僕の姉と結婚したら、乾さんが本当に僕の兄になるってこと。義兄っていうのかな。それもいいなぁ、と目を閉じて想像してみた。
 ウェディングドレスを着た美鈴は、千鶴ほどではないけれど美人だ。僕の姉なのだから背は低いけど、乾さんは小柄な女の子は好きみたいだから、そこは問題ないだろう。問題ありは湖鈴? ひがんだらいけないから、結婚式には湖鈴の彼氏も参列させてあげよう。
 哲司くんじゃないよ。そうだな、僕が仕事で知り合ったアイドルとか? 背が高くて綺麗な顔をしたアイドルが、綺麗なドレスを着た湖鈴に寄り添っていることにしてあげた。
「瑛斗、これからは俺はおまえの義兄なんだから、よろしく」
「うん、乾さん、ふつつかな姉だけど、よろしくね」
「私もよろしくお願いします、義兄さん」
「僕もね」
 誰だか知らないアイドルも言い、美鈴は嬉しくてたまらない顔をしていて、父さんも母さんも嬉しすぎてべそをかいている。乾さんは僕に言った。
「瑛斗も素敵な嫁さんを見つけろよ」
「……僕は恋じゃなくて仕事に生きるんだ」
 我ながらかっこいいかも。
 目を閉じて結婚式を想像しているうちに、本当に眠ってしまったみたい。イギリスの映画で見たような結婚式のガーデンパーティで、大人たちが踊っている。乾さんと美鈴も、アイドルと湖鈴も踊っていて、とってもとっても華やかだ。
「瑛斗くん、踊らない?」
「あ、う、うん。あの……」
「前の彼とは別れたの」
「ああ、そうなんだ。じゃあね……」
「いいから踊ろうよ」
 恋をしたのかなと思った瞬間に、片想いだと気づかされたそのひとが、僕をダンスに誘ってくれる。
 ステージでだったら振り付け通りのダンスはするけど、女のひととのダンスなんて、どうやったらいいのかわからない。戸惑いながらも彼女の白くて細い手を取ってみんなが踊っているところに出ていくと、乾さんが言った。
「仕事はもちろん大切だけど、恋も大切だよ。瑛斗、よかったな」
 うん、これは夢だけどね、と言おうとして言えなかったのは、本当に夢だからだ。空想が変わっていった本物の夢は、僕を幸せな気持ちにさせてくれて、ぐっすり眠らせてくれそうだった。

END

 
 


 
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