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小説323(片想い)

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フォレストシンガーズストーリィ323

「片想い」


1・牧子

 お金がないから、海外から来日したロックバンドのライヴには行けない。洋モノロックよりは日本のミュージシャンのライヴのほうがチケットは安いけど、興味がないから行く気がしない。
 本橋美江子さんと知り合うまでの私は、節約倹約でCDも買わず、音楽はラジオか、祖父の形見の古いレコードを聴くばかりで、新しいバンドやシンガーを知らなかった。美江子さんが教えてくれたフォレストシンガーズは新しいグループではないのに、音楽的には古い趣味の私にとっては新鮮だった。

「お久し振りです。今度、フォレストシンガーズのライヴがあるんですよ。
 ご都合がつけばいらしてね」

 フォレストシンガーズというヴォーカルグループがいるとは知っていて、だけどなんの関心もなかったのが、美江子さんと知り合ったおかげで惹かれた。美江子さんはこうしてチケットを送ってくれたりもするのだから、失恋したのは悪いことばかりでもない。
 真次郎さんと美江子さんの本橋夫妻のマンションに招かれた日が、私の愚かな恋のはじまり。本橋真次郎さんはフォレストシンガーズのリーダーで、美江子さんはマネージャーでもあり、彼の奥さまでもある。ふたりともに三十代で、私よりもひと回りほど年上だ。
 アルバイトしていたドラッグストアで美江子さんと知り合って、お姉さんみたいな彼女になつくようになり、マンションにまで招いてもらった。
 あの日は美江子さんと本橋さんと、おまけにもうひとり、夫妻にとっては大学の先輩にあたるという、かっこよすぎるほどの男性も来ていた。若々しい長身と美貌を持つそのひとは、だけど、私から見ればおじさんだったのに。
 あんなひと、好きになるはずもない、好きになってはいけない、好きになっても無駄なだけ。
 自分にそう言い聞かせるようになったのは、恋してる証拠だと、恋は意のままにはならないものだと、星さんが教えてくれた。
 愚かな恋をして愚かなふるまいをして、星さんには嫌われてしまったのだろう。美江子さんに打ち明けて、フォレストシンガーズのメンバーである乾さんにも聞いてもらって、美江子さんの胸に顔を伏せて泣いた夜、あれからは面映くて美江子さんとも会えなくなった。
 乾さんと三沢さんと木村さんと本橋さん、五人のフォレストシンガーズのうちでは四人にまで会って、彼らの歌も好きになり、ライヴに来てね、楽屋にも遊びにきて、と言われていたのに、私はもう美江子さんにも会いたくない。
 私が働いていたドラッグストアは、フォレストシンガーズが時おり出演するラジオ局の目の前にあったから、仕事も変わった。アパートやメールアドレスは変えていないから、美江子さんがこうしてチケットを同封した手紙をくれた。
「チケットが余ったから? フォレストシンガーズって売れなくなってきたの?」
 毒舌を吐いてみても、そうじゃないと知っている。美江子さんは私が星さんに失恋したのを覚えていてくれて、会いにいかなくなっても、バイトも代わってしまっても、こうして気遣ってくれる。ライヴに行って楽屋を訪ねれば、男性たちも覚えてくれているだろう。
「だけどね、行きたくないの。行きたくなくはないけど、行けないよ」
 チケットの入った封筒を引き出しにしまう。星さんに失恋して、美江子さんに会わなくなってからも、東京でのライヴチケットを幾度か送ってもらっている。行きたくなくないのに行けなくて、捨てることもできなくてしまってあった。
 古い型だからと安くなっていたノートパソコンを買って、ブログをはじめたのは三沢さんの言葉のおかげ。牧子ちゃんは小説を書くんだったら、ブログなんかどう? と言ってくれたからだ。
 あのころは私はパソコンを持っていなかったし、素人の小説ブログなんてものは読んでくれる人もいないだろうと思い込んでいた。小説はワープロで書いて印刷して、文芸雑誌の新人賞に応募するのが王道だとも思い込んでいた。
 けれど、そうしてみたって新人賞に当選なんかしない。私の小説は一時予選通過止まりで、そこまでの才能でしかない。わかってはいても、ブログで小説を書くなんて馬鹿らしいとも思っていた。
 星さんに恋をして、失恋して、そんな自分をモデルにした馬鹿な女の子が主人公のミステリを書いていたときに、新しくはじめたアルバイト先の近くのカフェでランチを食べた。新しいバイトもドラッグストアで、ただし、前とはちがう小規模なチェーン店だ。
「ここ、ネットカフェ?」
「そうですけど、食事もできますよ」
 ならば一度、じっくりオンライン小説サイトを見てみようと決めて、サンドイッチ片手にネット検索をした。「オンライン小説、小説サイト、小説ブログ」、あるわあるわ。こんなものをひとつずつ読んでいたら、何日かかることやら。
 次々に小説サイトを開いては、斜め読みをする。玉石混交。小学生の作文以下のものから、このひとはほんとにアマチュア? このひとがプロになれないのならば、私がなれるわけない、と落ち込みそうなクォリティのものまでがあった。
「私もやろうかな。小説で食べていくのは無理そうだから、趣味でもいいよね」
 二十歳をすぎたばかりで、諦観は早いよ、と美江子さんに叱られそうな気もしながら、私はパソコンを買ってブログをはじめた。
「Makiko's pasture」
 平凡に、タイトルはそう決めた。「牧子の牧場」。シャレでもあり、私の小説を放牧するつもりでもあった。
「ミステリってむずかしすぎるし、恋愛小説のほうがいいかな」
 月刊文芸誌に応募した恋愛がらみミステリ「ミストラル」を純恋愛小説に焼き直して、ブログにアップした。
 最初はまったくアクセスもなく、コメントなんて皆無。アクセスカウンターをつけたら毎日、ひとりしか増えない。そのひとりとは私本人なので、いやになってきてカウンターは廃止した。なのだからアクセスはいまだ少なく、コメントもちらっ、ぱらっ、だが、読んでくれる人がゼロではなくなった。
 そうなると楽しくなってきて、熱中してしまう。新作も書いてアップすると、感想を書いてくれるひともいる。褒めてくれる人もいる。私は小説を書いていたら、恋なんかなくても平気、と考えながらも、星さんをモデルにしたかっこいい男性を書いて、彼に二次元恋愛をしていた。

「はじめまして。
 makikoさんの「ミストラル」は私のことを書いてるみたい。
 知らない人なのに、そんなはずないのに、主人公の麻耶が私に似てるって思ってしまうんだ。
 私もこんな恋をしていたの。ううん、まだしてる。
 十五歳も年上の大人の男性。私が恋したひとは竹原さんほどかっこよくはないけど、大人すぎる年上の男性ってところは似てるのよ。
 だから一気読みしちゃった。makikoさんもこんな恋をしてるの?」

 そのコメントをつけてくれたのは、折鶴というハンドルネームのひと。十五歳も年上の男のひとに恋をしているとは、本当に私に似ていた。


2・千鶴
 
「Honey moon

  みずき霧笛

 フォレストシンガーズは夏には合宿をすることもあるという。隆也さんがそんな話しをしてくれた。
「昔は恭子さんが一緒に行ったこともあるよ。シゲと恭子さんが結婚した翌年くらいだったかな。ふたりにはまだ子供はいなくて、新婚カップルだった時期だよ」
「そしたら、千鶴も連れていって」
「うん?」
「恭子さんばっかりずるーい。千鶴も行きたい」
「おまえを連れていくとなると……」
 なにを考えてるの? 千鶴なんかを連れていくと子供みたいに駄々をこねるから恥ずかしいって? 本当は私だって、合宿なんかじゃなくて隆也さんとふたりっきりでお出かけしたい。結婚式のあとの三日間ほどは別荘のようなところに泊まったけれど、あれからはどこにも連れていってもらっていないのだもの。
 新婚旅行にも行っていない。映画を観たり食事をしたりのデートもしていない。隆也さんは毎日はうちには帰ってもこないから、こうしてそばにいられると無理を言いたくなってしまう。
「千鶴はもうべそをかいてるのか。連れていかないとは言ってないだろ」
「千鶴なんかを連れていくのは恥ずかしいって、思ってるくせに」
「そうやって簡単に泣いたり、聞き分けのないことを言ったりするんだったら恥ずかしいな」
「……意地悪っ!! 嫌い!!」
 意地悪だったとしても大好きなのに、ふたりっきりだとこうなってしまう。叩こうとした手をつかまれて抱き寄せられた。
「素直にしろよ。おまえの考えてることはわかってるんだから」
「なにがわかってるの? 隆也さんは千鶴じゃないんだから、私の考えてることなんかわかるはずないでしょ」
「おまえは子供だから、単純だから、多少はわかるんだよ」
「意地悪っ!!」
 暴れようとした腕を封じ込められて抱きしめられる。蹴り上げようとした脚も阻まれてしまって、ふわりと抱き上げられて膝の上。ばたつかせようとした脚を脚に押さえ込まれて、噛みつこうとしてもできなくて、スカートを脱がされてしまった。
「ああん、いやぁん」
「このじゃじゃ馬娘のわがまま娘が。痛い目に遭わされて泣かないと、素直にできないのか?」
「そんなんじゃないもん」
「泣かせてやろうか」
「いやっ!!」
 泣かないもんっ!! 泣かないもんっ!! 隆也さんなんか大嫌い!! 意地悪っ!! 大嫌い!! 同じ言葉ばかりが口から飛び出して、隆也さんはくすっと笑った。
「傷のついたレコードみたいだな」
「なによ、それ。たとえが古いんだから」
「俺はおまえよりも十六も年上なんだから、そりゃあ古いさ。十六も年上の旦那さまには、聞き分けのない駄々っ子奥さんをきびしく躾ける義務がある。さて……」
「いやだったらっ!!」
「素直にしろ」
 びしっと低い声で言われて、それだけでうわーっと声を上げて泣き出した。
「甘えたいんだろ。知ってるさ。忙しいなんてのは逃げ台詞だろうけど、事実、俺は仕事でおまえをそんなにはかまってやれない。ハネムーンにすら行ってないのは心苦しく思ってるよ」
「なのに……すぐに叱るの」
「叱られたいんだろ。素直じゃないわがまま娘は、叱られて泣くのも好きなんだろうが」
「嫌いだよ。隆也さんなんか……」
 ぐいと抱き起こされて、嫌いっ!! と叫ぼうとした口を、キスでふさがれた。
 片腕は私の腋から乳房へと回っている。空いた片手は下着の中に忍び込んでいて、私のお尻の丸みをくるくると撫でている。キスされたままで下着が下ろされていって、全身から力が抜けていく。裸にされた下半身がとけて消えてしまって、人魚姫にでもなっていく……みたい。
「俺の胸で泣くのは、おまえにとっては甘えなんだろ。だからさ、素直に甘えろ。駄々をこねるんじゃなくて、旦那さま、抱っこって言えばいいんだよ」
「いつでも……抱っこなんて……」
 してくれないくせに……そんな言葉も一緒に、夜の中にとけていきそうだった」


 暗記するほどに幾度も読んだみずきさんの小説。この中に出てくる千鶴は名前だけが私と同じ。隆也さんだって、私がいつか愛した男のひとと名前だけが同じだ。そんなのは知っていても、千鶴はやっぱりちょっぴりマゾなのかな、隆也さんに本当にこんな扱い、されてみたいな、なんて思って、ひとりで頬を赤らめる。
 新婚さんという設定でも、千鶴は幼くて甘えん坊で、わがままっ子だから旦那さまに叱られてばかりで、私もそうなりたいと思う。隆也さんにだったら叱られて泣くのも、甘えてるってことなのはまちがいないから。


「ミストラル

 makiko

 あなたは私を子供だと思ってる。十五歳も年下だからって、上から見下ろしてものを言う男は嫌いだったはずなのに。
「麻耶ちゃん、旅行にでも行こうか」
「竹原さんと?」
「そうさ。俺が誘ってるんだから、きみとふたりっきりでって意味だよ」
 からかってるの? 行くと答えても、いやだと拒絶しても、本気にしてるのか、馬鹿じゃないのか、って笑うんでしょ。
「どこがいいかな。俺も夏休みだったら一週間は取れるから、海外でもいいよ」
「私はお金がないから、海外旅行なんて無理です」
「男が誘ってるんだ。それに、俺はきみよりはずっと年上で収入もきみよりはあるんだから、俺が払うよ。当然だろ」
「当然なんかじゃありません」
 ここで私が勇気を出して、連れていってと言ったらどうなる?
 彼は友達にでも話して、私を笑いものにするのではないか。麻耶って女はドあつかましくも俺の誘いを本気にして、ドあつかましくも俺に金を出させて、海外旅行に行くつもりでいるんだぜ。あんな小娘、俺がマジで誘うわけないだろ、悟れよ。
 そんな想像が浮かんで、私はそれ以上はなにも言わずに歩き出した。けれど、竹原は脚が長くて足が早い。あっけなく追いつかれた。
「考えておいて。俺は本気だよ」
「そしたら、宇宙旅行がしたいです」
「ほお、面白いな」
「宇宙にだったらおともします」
「シリアスに答えるとしたら、宇宙は金銭的にも現実的にも無理だ。夏休みなんだからセイシェルだとかバリだとか、そのあたりで考えておいて。今夜はメシ、一緒に食おう。そのときに相談しよう」
「私はそんなところには……」
 じゃあな、と手を上げて、竹原は行ってしまった。
 今夜、メシ? 一度だけ彼に連れていかれた、洋風居酒屋? 仕事が終わったらそこへ来いという意味か。曖昧な約束なんかした覚えはないとつっぱねて、行かなかったらいい。でも、私はきっと行ってしまうだろう。
 行ったとしたらどうなる? ううん、竹原さんは私をからかっているだけ。からかっているだけ……そうじゃないんだったらいいなぁ、との気分が消えないままに、仕事に頭を切り替えるのすらもが、私には難行だった」

 インターネットで見つけた小説サイトの、恋愛小説「ミストラル」はmakikoという名の女性が毎日のように更新している。
 薬品会社で働く二十二歳、新人OLの麻耶が、取引先の会社の課長である三十七歳の竹原と関わって惹かれていく。世の中には歌手だの女優の卵だのという人種よりも、会社員のほうがはるかに多いのだから、この設定はリアリティがあるのだろう。
 私はOLの経験はないけれど、引き寄せられたのはこの危ういカップルの年齢差のせい。十五歳年上の男性、乾さんと私とほぼおんなじだ。小説なんて読む習慣はなかったのに、みずきさんのおかげで癖になってしまった。
 仕事は暇なほうなので、ネット小説を読む時間もある。アップされている分の何話かを読むと続きが読みたくなって、リアルタイムで更新されている分を追っかける。しまいにはコメントまでつけるようになった。

「読んでてどきどき。
 これからどうなるの? 麻耶は竹原さんと旅行に行くの?
 私が彼に誘われたら、変な想像なんかしないでOKしちゃうけど、
 makikoさんにもこんな経験、あるんでしょ?」

「折鶴さん。
 前にも書いたけど、小説はフィクションですよ。
 でも、どきどきしてくれるって嬉しい。
 折鶴さんのためにも、makikoはがんばって書きます」

 コメントでのそんなやりとりを幾度もしてから、サイトに載っていたメールアドレスにメールを送った。

「makikoさんも東京なんでしょ。私もだよ。
 一度、お会いしたいな。駄目?
 私はまちがいなく女だし、おかしなたくらみは絶対に持ってないって誓うから、私にもメールして。お願いします。
 十五歳も年上の男のひとに恋してる同士で、お話しをしたいの」

 makikoさんから承諾の返事が来て、デートの約束が整った。


3・牧子

 背丈は私と同じくらいだから、やや小柄。バストやヒップの重量感は私の倍はありそう。待ち合わせたカフェで会った折鶴さんのプロポーションをちらっと値踏みしてから、挨拶をかわした。
「私はブログをはじめてからの日は浅いし、こうしてネットで知り合ったひとと会うのははじめてなんですよ。なんの質問をしたらいいんでしょうか」
「オフ会とかの経験はないの?」
「ありません」
 年齢も私と同じくらいか。本名も職業も知らない女性とは、小説の話ししか接点はない。
「マキコさんって呼んでいいですか」
「はい。牧子は本名ですから」
「ああ、そうなんだ。私の本名は千鶴」
「千鶴さんだから折鶴なんですね」
「そうです。牧子さんは小説を書くひとなんだから、私がどんな仕事をしてるか、推理してみて」
 女の子らしいプロポーションや、くちびるが厚くて男性にはセクシーだと言われそうな、それでいてあどけなさもある可愛い顔。派手すぎず地味すぎない服装のセンスもいい。さほどにお金をかけているようでもないのに、すかっとしている。
 ナチュラルメイクの仕方も決まっていて、ごく普通の会社員ではないと思える。彼女のそばにいると本職はアルバイターの私なんかは、くすんだ地味女にしか見えないだろう。
「私、いくつに見える?」
「私と同じか、ちょっと下かな」
「牧子さんは二十歳ちょいでしょ? そしたら、私のほうがすこし下だよ」
「そうすると、芸大の学生さん?」
「私は高卒」
「私もよ」
 ドラッグストアのアルバイト女性にだって、短大卒、大卒が多いのだから、高卒だと聞いて親しみを覚えた。
「千鶴さんは学生じゃないんだね。東京出身?」
「うん。東京生まれの東京育ち」
「もっと話しをして推理させて。千鶴さんの好きな男性の話、して下さい」
「そうだね。聞いてほしかったんだもん」
 キャラメルラテとカフェオレを頼み、生チョコクッキーもオーダーして食べて飲んで、ふたりでお喋りした。
「彼は私よりも十六歳年上で、大人なの。私の知り合いには小説家がいて、その先生が彼と私をモデルにして書いてくれた小説があるんだ。それを読んで恋愛小説にはまっちゃったのね。だから牧子さんのサイトを訪ねる気になったのよ」
「ありがとう」
「こちらこそ、素敵な小説をありがとう」
 微笑がとびきり魅力的で、計算している香りまでを感じた。
「彼は背が高くて細身で、着こなしがいいの。普段の声はすこし高めなんだけど、私にものを教えたり諭したり叱ったりするときには、低くてセクシーな声になる。千鶴、いい加減にしなさい、って低い声で叱られるとしびれちゃうんだ」
「抽象的すぎて、千鶴さんの職業は読めないな。彼の職業は?」
「言えない。ばれちゃうもん」
 とすると、有名人か。千鶴さんも?
「言ったらばれるだろうから、言えないことがいっぱいあるの。でも、言いたくてお尻がむずむずしちゃう」
「お尻が?」
「そういうのってない? 私のお尻は感じやすいんだって……って言ったの、みずきさんの小説の中の彼だったかな。お尻ってものは普通は鈍感にできてるんだ、だから、痛い注射はお尻に打つんだって。だけど、千鶴の尻は感じやすいから……これ以上は言えない」
 言えないと言われると尋ねるわけにもいかなくて、私はキャラメルラテを飲んでクッキーをひと口、食べた。
「私、お尻、おっきいでしょ? 正直に言っていいんだよ。みんなに言われるんだから、お尻が大きいからって仕事をひとつなくした……そのせいでもないのかな」
「……お尻が大きいとなくす仕事?」
 なんだろう。ファッションモデル? 千鶴さんの身体つきはモデル体型ではないけれど、小柄でふっくらした女性向けファッションだとか、服飾以外のモデルだったらあるかもしれない。
「下着とかスラックスとかのモデルで、予定していたサイズが入らなかったとか?」
「そういう考えもあるんだね。そうじゃないよ。私はモデルではないの。言ったらいけないのに言いたくなる。私がいけないんじゃなくて、彼がね……」
「彼って有名なひと?」
 うふふん、と笑って答えないのは、当たっているからではないのだろうか。
「彼に服を脱がされて、彼に抱き上げられて、バストだってヒップだって太腿だってふくら脛だって、腕だってウェストだってうなじだって愛撫されたんだよ」
「それでも片想い?」
 身体だけが結ばれて、心が結ばれないという意味? それとも、まさか、お金で買われた男性に恋をした、風俗関係の女性? 口には出来ない想像が浮かんだ。
「牧子さんったらなにを考えてるの? 私が今、言ったことって、純粋には……純粋に想像すると……やだ、ちがうよ」
 彼女も私と同じ想像をしたのか、苦笑して私を叩く真似をした。
「彼の膝の上に抱かれて、両手で乳房を包まれたりした。私が処女をあげた男の子は、そのせいでおまえは勘違いしたんだ、錯覚したんだ、って言った。男はおまえを弄んでいたようなものなのに、その手や息に恋心が含まれてるような気がしたんだろ、千鶴のバーカ、って嘲笑われたよ」
「千鶴さんを嘲笑った男の子と?」
「誰かにあげたかったんだもの」
 処女ってあげるもの? 私は処女という言葉が嫌いだ。あげる、捧げる、なんて表現も嫌いだ。千鶴さんと話していると、私のほうこそ言えない言葉が溜まっていく。
「私はそいつとはじめて寝て、そのあとでもうひとり、寝た。セックスなんて簡単だよね。簡単すぎてつまらない」
「そりゃあ、千鶴さんは美人だし、男のひとにはもてるんでしょ」
「もてなくはないんだろうけど、本当に好きなひとは抱いてくれないから」
 あなたは経験あるの? 千鶴さんはそう訊きたいのだろうけれど、口にはしない。私も言いたくはないから、言わない。私は星丈人さんという男性に恋をして、お酒を飲んで彼の話しを聞かせてもらっていた夜に、帰りたくないと態度で示した。
 けれど、星さんは終電がなくなってしまった時刻になっていると気づいて、タクシーで帰れと言ってお金をくれた。私を愛してはいないから? こんな小娘とセックスしたら、責任を取らされそうでいやだったから?
 どんな理由があったにせよ、私から誘ったようなものだったのに拒絶された。乾さんや美江子さんは、大人の男としては正しい姿勢だと言っていたし、侮辱されたとは思わない。星さんとはあれっきり、会ってもいないのだから、彼は私を忘れただろう。
「彼は有名人で、千鶴さんも芸能界に近いところで仕事をしてるんでしょ」
「うん、まあまあ正解だけど、追及しないで。牧子さんの話もしてよ」
「私のはありふれてるから、脚色して小説にしてるの。小説にも事実はちょっとは入ってるけど、ほぼフィクションですからね」
「旅行に誘われたりは?」
「あのシーンは願望に基づくフィクションです」
 正直に言うと、千鶴さんはくくっと笑って目を閉じた。


4・千鶴

 ふたりともに黙ってしまったら、店内に流れている歌が聞こえてきた。 

「あのひとのことなどもう忘れたいよ
 だってどんなに想いを寄せても
 遠くかなわぬ恋なら

 気がついたときにはもう愛していた
 もっと早くさよなら言えたなら
 こんなにつらくはなかったのに」

 この声は乾さん? フォレストシンガーズの歌だ。
「フォレストシンガーズですよね。カバー曲だよね」
「カバーなの?」
「この歌を歌っている男性は、ロックが本道のはずよ。でも、この歌は何人かの歌手にカバーされてる、バラードの名曲だな。失恋ソングっていうか、そのものずばりのタイトルも「片想い」。」
「牧子さん、音楽に詳しいんだね」
「そんなことはないけど……」
 これくらい、知ってて当然でしょ、と言いたいのかもしれない。
 私は音楽にはちっとも詳しくないけれど、乾さんは歌手なのだから、歌や作曲についてもたくさん話してくれた。乾さんの優しい声が片想いの歌を歌っている。フォレストシンガーズはカバーアルバムを出したんだろうか。帰りにCDショップに寄って買わなくちゃ。
 この声が私の大好きなひと、どんなに想いを寄せても、遠くかなわぬ恋の相手。心ではさよならを告げたけど、他の男と寝てみたって、乾さんに引き寄せられてしまう。
 言いたくてまたまたお尻がむずむずするけれど、言えない。ブログをやっている人に本当のことを言ったら、書かれてしまうかもしれない。書かれたら乾さんに迷惑がかかる。アクセスの少ないブログだって、フォレストシンガーズの乾隆也に片想いしている女の子のノンフィクションなんてものをネタにされたら、乾さんにだって伝わるかもしれない。
 嫌われたくて馬鹿な行動までしてみたくせに、私はやはり乾さんに嫌われたくない。愛してはもらえなくても、可愛い妹としてそばにいたい。牧子さんも黙って、なにを考えているんだろ。

「あのひとの微笑み
 優しさだけだと
 知っていたのに、それだけでいいはずなのに
 愛を求めた片想い」

 さすがに小説を書くひとだからなのか、私の仕事は半分は見抜かれてしまったみたいだけど、私は牧子さんの正体は知らない。
 ほっそりしていて小柄なほうで、髪型も化粧も服装もごく平凡だから、OLさんなのか。会社員の世界をよく知っているから、小説の舞台も会社なのだろうか。私は彼女の仕事には興味がなくて、関心があったのは彼女の小説にだけ。
 彼女の恋の話しだって、本当はそれほど聞きたいわけでもない。同じような年頃だと知った恋愛小説家さんに、私の話しを聞いてほしかったのだ。
「千鶴さんみたいな恋のストーリィも、書いてみようかな」
「うんうん、書いて。いくらでも協力するよ」
「ほんと? そしたら、この次にはね」
「また会える?」
「千鶴さんさえよかったら、会おうよ」
 みずきさんとはちがう若い同性が、私をモデルに小説を書いてくれる。私は恋の話しを彼女に聞いてもらえる。ならば、私も牧子さんの役には立つのだろう。
 また会って話したら、乾さん、と口にしてしまうかもしれない。私の仕事も完全にばれてしまうかもしれない。その前に彼女が信用できる人なのかどうか、見極めなければならない。そのくらいできなくては、私は女優として大きくなれないだろうから、しっかり牧子さんを観察しよう。
 牧子さんの話しを、片想いのあのひとにしてあげようかな。牧子さんも私の話しを、彼女の片想いのひとにするのだろうか。


END





 

 
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~ Comment ~

NoTitle

お、千鶴だ!ん?新婚旅行?……乾くん?!
いつ結婚したんだよ!!と思ったら小説でしたか。
もう、びっくりしました。
たまに自分と同じ名前のキャラが本に出てきたりして、
ドキッとすることがあります。
嫌なキャラだとガッカリしますが主人公だと嬉しいですね。
得した気持ちになります。


CMのことですが仲間由紀恵が東北弁をはなしてるのは見たことがないので、
たぶん同じものだと思います。
地方限定と感じられるのは、
サンドウィッチマンが出てるものあたりですね。
多分東北でしかやってないのかなと思います。
よくCMに出てるんですよあの2人(笑)


福島の猫駅長のバスが引退で新人ラブにバトンタッチという記事をみつけました。
病気とかではなく17歳と高齢なので、あとはゆっくりとするようです。
これからはラブに期待ですね。

ハルさんへ

コメントありがとうございます。
これを書いていたころのマイブームは千鶴でした。

結婚させてあげて、なんて言って下さる方もいらして、でも、乾&千鶴の夫婦にはしたくない。
苦肉の策でフィクションの中のフィクション、やってました。

自分の名前が小説に……あかねはけっこう出てきます。
らんま1/2の歌で「好きだ好きだ、あかねさん」なんてのは、なんだかこうこそばゆいと申しますか、天道あかねちゃんだったかな、彼女であって私ではないんですけどね。

サンドイッチマンって大阪ではあまり見ませんね。
もちろん知ってはいますけど、大阪にはお笑いはいーっぱいいますから。
でも、やはり郷土のスターってことでしょうか。

お笑いのひとは私はあまり知らないのですけど、大阪ではないお笑いだったら、ユージ工事が好きです。
ゆーじこーじ、正確な表記は忘れましたが(^o^)

バスの引退は私も見ましたよ~。
和歌山のたまも引退させてやったらよかったのになぁ、と思っていたのですけど、時期を見てそうするつもりが、早く逝ってしまったのかもしれませんね。

バスが生きている間に会津鉄道に乗りにいって、ラブにも会いたいです。
ラブ、綺麗な猫ですよね?
またひとつ、猫に関する夢が増えました。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

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