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小説320(ハッとしてGOOD)

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フォレストシンガーズストーリィ320

「ハッとしてGOOD」

1・瑛斗

 嬉しくてたまらなかったし、楽しくてたまらなかったのに、彩花ちゃんが帰っていってしまってから、僕の心は曇り空になってしまった。

「ハッとして グッときて
 パッと目覚めた 恋だから
 フッとした瞬間の 君は天使さ
 
 君とはずむ Sweet Situation
 きらめく高原で 僕は今 君をのせ
 二人だけの世界へと はばたくよ 」

 聴いたこともない歌を三沢さんが歌っている。ハッだのグッだのパッだのフッだの、なんなんだ、それ?
「昔々のアイドルの歌だよ。おまえの歌とだって通じるところはあるじゃん」
「僕のデビュー曲?」
「エイトGOGO!! とかさ、きみたち女の子、GOGO!! とかさ、ハッとしてGOOD!! とかってさ、感覚は似てるよ」
 というと、僕の歌は昔のアイドルみたいなのか。デビュー曲の「エイトGOGO!!」は僕の名前が瑛斗だからと、社長が名前にちなんだ歌を作詞作曲の先生に依頼して作ってくれたのだから、僕には責任はない。
 二曲目は「八時前の空」という。これも僕の名前が「エイト」だからであって、社長は妙に僕の名前にこだわるのだ。
 すると、僕の歌は古いのかもしれないが、古いのは若い子には新鮮だからいいと、社長は言いたいのかもしれない。フォレストシンガーズみたいなじっくりした歌詞の、むずかしいメロディラインの歌は僕には歌えないからいいんだけど。
 

 デビューして間もないころに、ラジオ局の廊下で会ったフォレストシンガーズの本橋さんと乾さん。それまでは群馬県で普通に中学生をしていた僕の世界には、こんな人間はいなかった。
 そのせいで僕はフォレストシンガーズに、特に乾さんに興味を持った。なんにもわかっていない僕にはマネージャーの木田さんと、同じ事務所の先輩である大スターの大城ジュンさんがいろいろと教えてくれて、ジュンさんが言っていたからもあった。
「ラヴラヴボーイズって、おまえは姉ちゃんたちがアイドルおたくだって言ってたから、知ってるんだよな。そのラヴラヴのポンにこの間、会ったんだ。ラヴラヴは解散して、ポンは本名の麻田洋介に戻って、今はアクション俳優になるために養成所に通ってるんだよ。俺もあいつと話すのは久し振りだったんだけど、あいつ、自慢っぽく言ってた。俺は一時、フォレストシンガーズの本橋さんの弟子だったんだよ、だってさ」
 洋介くんは本橋さんの弟子になって、フォレストシンガーズのみんなに可愛がってもらった。乾さんにもお世話になったのだと言っていたのだそうだ。
 それがなんだかとってもうらやましくて、僕も本橋さんや乾さんに可愛がってもらいたいとの気持ちが強くなっていく。本当は友達になりたいけど、十六歳の僕が三十代のおじさんたちと友達になるのは無理があると言われるから、坊や扱いされるのでもいい。
 二十三歳くらいになっている洋介くんだって、フォレストシンガーズのおじさんたちにはガキ扱いされていた。叱られたり脅されたり殴られたりもしたと、その後に僕も実際に会った洋介くんは、嬉しそうに言っていた。
「俺は説教されるのは大嫌いなんだよ。口でうだうだ言われると切れそうになるから、一発殴られるほうがいいんだ。前科もあるしさ」
 前科って?
「本橋さんにうだうだ説教されてほんとに切れて、ぶん殴っちまったことがあるからさ」
「そんで……勝ったの?」
「勝ったってな話じゃないんだよ。俺はメッチャ落ち込んで、乾さんに話しを聞いてもらって、本橋さんに詫びを入れた。あのときには美江子さんにフライパンで殴られそうになったんだけど、喧嘩したわけじゃないよ。本橋さんの弟子になってからは、本橋さんにも乾さんにも殴られたけどな」
 だけど、このごろはフォレストシンガーズは忙しくなったから、俺と遊んでくれないんだよ、と言ったときには、洋介くんは寂しそうだった。
 フォレストシンガーズのおじさんたち、特に本橋さんと乾さんは若い子になつかれる。洋介くんは本橋さんが大好きで、哲司くんは乾さんが大好きで、千鶴は女の子だから感情がちがうのだろうけど、やっぱり乾さんが大好き。
「乾さんなぁ……好きだの嫌いだのって言うほど俺は彼らを知らないけど、興味はあるよ」
 ジュンさんもそう言っていたし、モモクリのクリちゃんだって、彼らには複雑な思いを抱いているようだった。
 大人ってものは複雑で、ちょっとくらい見ていたって僕にはわからない。わからないから知りたい、僕の知らない乾さんを知りたい。乾さんだけではなくて、フォレストシンガーズのみんなのことをたくさん知りたい。
 ずっとそう願っていたのだから、今回は僕は大喜びだった。
 アメリカ人シンガーで、三沢さんと数年前にトリビュートアルバムでデュエットしたデューク・スミスというおじさんがいる。デュークが日本に建てたレコーディングスタジオまでがついた山荘で、フォレストシンガーズが仕事をすると聞きつけたのだ。
 事務所の社長に必死でお願いして、社長がフォレストシンガーズの事務所の社長と話しをつけてくれて、僕もフォレストシンガーズのプロモのゲストにしてもらって、仕事を兼ねて山荘に連れていってもらった。
 はじめてやる演技の仕事は、緊張はしても楽しかった。共演した寺島彩花って女に難癖をつけられて喧嘩しそうになって、乾さんに叱られたりもしたけれど、乾さんの人となりってやつが次第にわかってくるのも、僕は嬉しかった。
 この業界、いろんな奴がいるもんだよね。華橘と書いて「カグリ」と読む変な女やら、そのマネージャーの三根っていう変な男やらもいて、そういう奴らを扱う乾さんの態度も見ていて、僕はますます乾さんに興味を持った。
 他のおじさんたちとも親しくなれたし、ここに来られてよかったなと思っていた僕のハートに大事件。なんで僕は彩花ちゃんに?
 僕の気持ちを三沢さんに読まれた? それでこんな歌を?
 フッとした瞬間に、僕は彩花ちゃんにハッとして、グッときて、パッと目覚めてしまったのか。これが恋? 彩花ちゃんが帰ってしまったから、きらめく高原の陽射しが翳ったのか。
 中学生のときには女の子とつきあったことがあるが、恋というのではなかったように思える。あのころはただ楽しくて、彼女と手をつないでの帰り道は、光があふれていた記憶しかない。恋ってのは切ないものなのだ。片想いだからだろうか。
 だって、彩花ちゃんには好きなひとがいると言う。そう言い残して彩花ちゃんが帰っていってしまった今なら、僕にも詩が書けそうだった。


2・準

 このごろ僕は、モモちゃんといると気まずい。唯一無比の奥さんであるモモちゃんを愛してはいるけれど、心が揺れてしまってつらいのだ。
 もちろん僕だって、少年時代にも恋をした。初恋は小学校のときだったか。苛められっ子だった僕がクラスの腕白な男の子にこづかれたりからかわれたりして泣いていたら、かばってくれた女の子だった。それはそれだけの淡い気持ちだったが、恋は恋だ。
 中学生のときにも僕はクラスの男の子に苛められ、クラス委員長の女の子にかばってもらって好きになった。彼女には告白しようかと思い詰めたのだが、彼女が友達と話しているのを聞いて萎えた。
「栗原くん? あんな頼りない男の子、そこにいるだけで苛々するよね。私は委員長の義務としてかばってあげてるけど、泣かれると蹴飛ばしたくなるんだよ」
 そうですか、すみません、だった。
 高校のときにも恋はした。思い出してみると、好きになった女の子はすべてすべて、強い女性だった。高校を卒業してなんでもかんでも売っている量販店でバイトしていたときに、お昼を買いにいっていたドーナツショップにいたのがモモちゃん。
 あのときにも僕は買いたいものが決まらなくて、他のお客さんに罵られていたらモモちゃんがかばってくれたのだった。そうして僕はモモちゃんに恋をし、モモちゃんがつきあおうと言ってくれた。
 生涯初の恋人が奥さんになったのは、僕が無我夢中でプロポーズしたからだ。つきあおうよと言ってくれたのはモモちゃんだったのだから、結婚しようとは僕が言わなくてはならない。断られたら……なんて考えると死にたくなるので、考えないようにして突進した。
 喜ばしくもモモちゃんがうなずいてくれ、双方の両親も許してくれて結婚し、その上に僕らは、今の事務所の社長に認められてプロの歌手になれた。
 フルーツパフェのモモとクリになって、すこしずつは売れるようになって、順風満帆の人生だった。社長や事務所の先輩たちには叱られっぱなし、モモちゃんとは喧嘩ばっかりではあったけれど、少年時代よりもずっと幸せな人生だった。
 だった、になるのは、今は幸せではないから? そうでもないけど。
 人生を誤ったようでもあるのは、あのひとが出現してからだ。僕らの新マネージャーの前田操さん。おばさん体型の地味な女性で、年齢だって僕よりは五つほども年上で、モモちゃんのほうが魅力的なのは当然なのに。
 なのに僕は操さんに恋をした。錯覚? 勘違い? 強い女性に引っ張っていってもらいたい僕は、操さんのしっかりしたところや、毅然としたところに恋したように思っているだけで、実は尊敬や憧憬なのか。
 そうも思うけど、恋ってのは所詮錯覚なのかもしれないのだから、これも恋だ。だから僕は、モモちゃんといると気詰まりなのだ。
 この僕がふたりの女性に恋をして揺らめくなんて。酒巻さんやらパールさんやらファイさんに意見され、三沢さんには変な目で見られ、操さんには諌められ、モモちゃんにはつんつんされ、社長にはこう言われる。
「おまえは阿呆だ。目を覚ませ」
 ごもっともではありますが、簡単に目を覚ますことはできないから恋なんでしょ?
「浮気なんかしたら俺が許さんぞ」
 らしくもなくものすごく怖い顔のシゲさんに恫喝され、本橋さんには言われた。
「おまえも男なんだよな。いやいや、モモちゃんを泣かすなよ」
「モモちゃんは泣く前に暴れるだろうから、大怪我をさせられないようにしろ」
 クールな乾さんはそう言い、木村さんは言った。
「一丁前に……十年早いんだよ。俺にはひとりもいないってのにさ」
「クリちゃんがねぇ……ふーん」
 美江子さんもそう言っていた。つまりは僕の浮気心は、みんなに知られているというわけだ。
 なのだから休日にモモちゃんとふたりっきりでいるのがつらくて、フォレストシンガーズのみなさんがレコーディングや写真撮影のために滞在している、デューク・スミスの別荘へと遊びにきた。フォレストシンガーズのみなさんに会うと叱られたりイヤミを言われたりするのだが、モモちゃんといるよりも、ひとりでいるよりもいい。


 夜になると冷える山のお屋敷、広い広い大広間、そこに全員が集っている。
 スタッフさんたちは一部が仕事をしているようだが、今回のフォレストシンガーズの仕事の関係者がそろっていて、そこに僕も加えてもらっていた。
 本橋さん、乾さん、シゲさん、木村さん、三沢さん、美江子さん、瑛斗くん、瑛斗くんのマネージャーの木田さん。瑛斗くんはフォレストシンガーズのプロモのゲストでもあり、この機会にフォレストシンガーズのみなさんを師として修行をするために参加している。
 木田さんは瑛斗くんの様子を見に、昨日から来ているらしい。瑛斗くんは慣れない仕事で、いささか疲れた顔をしていた。
 プロモのお芝居の脚本を書いたみずき霧笛さんと、監督の安曇義則さんもいる。
 コーヒーや紅茶やブランデーや、お菓子やおつまみが並んだテーブルと、思い思いにくつろぐ人々の姿。今日の仕事は終了しているので、みんなリラックスしている。リラックスはしていても、裕也さんの部屋に集まっていた男の子たちとはちがって、大人だなぁって感じ。
 大人ではない瑛斗くんもいるが、僕だって年齢的には大人なのだから、大人の集いだ。
 あっちでは瑛斗くんが、乾さんにソングライティングの話をしてもらっている。美江子さんと木田さんはマネージャー業というものについて話していて、マネージャー、操さん、と連想した僕は、操さんに会いたくなる。
 三沢さんと木村さんはみずきさんと、シゲさんと本橋さんは安曇さんと話している。
 他にも僕は名前を知らないスタッフのひとが何人かいて、誰かに質問をしたり、ふむふむ、なるほど、なんて言って笑ったりもしている。僕はちょっぴりブランデーを飲んだから、ふわっといい気持ちになって、特に誰と話すこともなく、モモちゃんや操さんを思い出していた。
「どなたかいらしたみたいですね」
 レコーディングスタッフの若い男性、寅島くんが言って立っていく。ややあってから彼が、困った顔をして戻ってきた。
「……クリちゃん、どうしよう」
 ひとりでぼけっとしているのは僕だけだったからか、彼とは僕も顔見知りだからか、寅島くんが僕に声をかけた。
「お客さん?」
「そうなんだよ。それがね……彼女はもう仕事は終わってるんだけどな」
「彼女って誰?」
「カグリさんだよ」
 姓はなし、名は華橘、なんでこの漢字を「カグリ」と読むの? としか言いようのない名前は、モモちゃんが聞いたところによると本名なのだそうだ。その程度には知っているカグリさんは、中学生女優である。
 フォレストシンガーズのみなさんの新曲の中に、少年時代の想い出を歌ったものがある。そのプロモに出演する女子中学生の役として、カグリさんが選ばれた。
 彼女はすでに出番を終えて、マネージャーの三根さんとともに帰っていったという。なのに、なぜだか今夜になって再びやってきた。寅島くん、通称トラちゃんは困惑顔をしているので、とにもかくにも僕が玄関に出ていってみた。
「あんた、誰?」
 なんとなく薄汚れた服装をして、髪も乱れている美少女が言った。
「カグは乾さんに会いにきたんだよ」
「ひとりで?」
「そうだよ。三根くんは行ったらいけないって言うんだもん」
「どうやって来たの?」
 子どもとはいえ相手は「女優」なのだから、トラちゃんには遠慮もあるのだろう。僕だってやりにくいが、僕が質問するしかないのだった。
「まさか、歩いて?」
「近くまでは三根くんに車で送ってもらったよ。でもさ、車の中で三根くんったら、ずーっと文句言ってんの。明日は休みだって言ったって、なんでまたあんなところに行かなくちゃなんねーんだよ、僕は乾って奴が嫌いだぜ、だとかってさ。それで喧嘩になっちゃったんだ」
 この山荘に向かう車中で喧嘩になって、三根さんが途中で言ったのだそうだ。
「ここからだったら歩いていけるだろ。勝手にしろよ。降りろ」
 そう言われてカグリさんは車から降り、ケータイwebのナビを頼りに歩いてきたのだった。
「それでそうやって薄汚れて、疲れ果ててるんだよね。帰れとは言えないでしょ」
「そうだよね。じゃあ、クリちゃん、僕は山田さんに話してくるよ」
「うん、そしたらね、カグリさんはお風呂に入るといいんじゃない? 女性スタッフに来てもらって」
「わかった。待ってて」
 トラちゃんが大広間に戻っていくと、カグリさんは言った。
「そんで、あんた、誰?」
「えー、僕はフォレストシンガーズの事務所の後輩の、フルーツパフェ……」
 質問したくせに、カグリさんは僕の返事を待たずに靴を脱いで上がってきた。どこから歩いてきたのか知らないが、華奢な高いヒールのサンダルだった。
「乾さんは?」
「あなたは……乾さんが……」
 好き? フォレストシンガーズのみなさんが言っているのを思い出した。
「俺が乾と知り合った大学一年のときから、あいつはもてまくってたんだよ。俺もまあ、もてたんだけどな」
「俺がもてなかったのはクリだって知ってるだろ。そりゃあもう、俺が一なら……ゼロだけどさ、まあ、仮に一とすれば、乾さんは一億だよ。それくらいもてたよ」
「シゲさんが一だったら、俺は千くらいかな。乾さんは今でももてるもんね。クリだって乾さんがもてた例はいくつかは知ってるだろ」
「けっ……いや、俺だってもてるんだよ。俺も小さいけど、クリほど頼りなくないし、幸生みたくちゃらんぽらんでもないし……こほっ、いや、だけど、このごろあんまりもてなくなったよな。乾さんのほうが俺よりも年上なのに、おっさんになってももててるとは、どこに差があるんだろ、くそくそ」
 千鶴さんが言っていたのも思い出した。
「彼女にはしてもらえないけど、どうなったって私は乾さんが好き。そばにいてあの声を聞いているだけでも嬉しいの。だからね、叱られてても嬉しいの。あの声が千鶴にだけお説教してくれるから、嬉しいの」
 この例だったら知っているし、噂も聞くから、僕だって乾さんがもてるのは知っている。またもや新手が登場したのか。
「カグリさん、どこに行くんですか」
「乾さんは?」
 玄関から続く長い廊下を歩いていくカグリさんの前に、山田さんが出てきた。
「あなたには公的な立場ってものもあるんだから、勝手にうろうろしたらいけないでしょ? トラちゃんから事情は聞きました。ここはやっぱりマネージャーの三根さんの出番よね。あなたには連絡しづらいんだったら、私が電話しましょうか。ケータイ番号、教えてくれる?」
「三根くんは関係ないもん。明日は休みだもん」
「マネージャーとしては関係なくはないんだな。それに、あなたは未成年なんだから、三根さんには責任だってあるはずよ」
「おばさんにも関係ないもん」
「私も大人としては、未成年のあなたをほったらかすわけにもいかないの」
「乾さんは?」
 あら、まあ、と言いたそうな顔になったのは、山田さんも僕と同じに考えたせいだろうか。ここにも乾さんを好きになった女の子がいるって?
「ひとまずお風呂に入ったら? 気持ちを落ち着けて考えてみて。クリちゃん、もういいからね」
「はい」
 あとは山田さんにおまかせすることにして、僕は大広間に戻っていった。


3・瑛斗

「カグリが来たって? 乾さん、どうするの?」
「どうもしないよ。ミエちゃんにまかせておけば、女性同士できちんと対処してくれるだろ」
 応対に出ていったのはスタッフで、トラちゃんと呼ばれている男のひとだ。そのあとでクリちゃんも出ていって、トラちゃんが山田さんに話して助けを求めていたから、カグリが急にやってきたのだとは僕も知った。
「駄々をこねてるっていうのか、わけのわからないことを言ってたけど、お風呂に入ったみたいよ。着替えは持ってないみたいだけど……んんと、ユリちゃん、あなたが一番カグリちゃんに体格が似てるかな」
「私の服でいいんでしたら」
 スタッフのひとりの女性が言い、山田さんとそのユリちゃんが出ていった。
「山田さんのおばさん、大変だね」
「瑛斗、おまえ、わざと言ってるだろ」
「えへ、ごめんなさい」
 おばさんと呼ぶと山田さんがきっとした顔になるのは、以前から気がついていた。だからわざと言っているのだと、乾さんは知っている。山田さんは大変なのだから、わざとおばさんと呼んで怒らせるのはやめておいてあげるべきなのだった。
「お姉さん、大変だよね。乾さんはほっとくの?」
「マネージャーと喧嘩して、こんな時間に車から降りて歩いてきたって言うんだろ。三根も監督不行き届きだから、そこんところは同じマネージャーとしてミエちゃんに叱ってもらうよ」
「カグリは?」
「あれがおまえだったら……」
 なにをされるのかはだいたいわかった僕ににやっとしてみせて、乾さんは言った。
「女の子はそうもいかないから、厄介ったら厄介だよな。しかし、ここに来てくれてまだしもよかったんじゃないのか。中学生の女の子がひとりで夜道を歩いていて、変な奴に遭遇したらえらいことだよ。まして彼女は売り出し中の女優なんだから、俺たちも仕事ができなくなっちまう」
「ああ、そうだよね。ニュースになるもんね」
「そういう意味では、カグリさんが乾さんを好きになったのは、いいことだったんですね」
「はあ、クリ? あの子が俺を好き?」
 仰天顔で乾さんに見返されたクリちゃんは、なぜか赤くなって言った。
「だって、カグリさんったら、乾さん、乾さんばっかり言ってましたよ」
「乾さん、ロリコン」
「馬鹿野郎」
 ロリコンだと言ったのは僕で、馬鹿野郎、なんて大人に言うみたいに乾さんに言われたのがちょっぴり嬉しかった。いつの間にかそばにいた三沢さんが言った。
「ロリコンってのは、幼い女の子を好きな男のことだろ。幼い女の子に好かれる男をロリコンとは言わないんだよ。瑛斗、言葉は正確に使おうね」
「そっか。そうなんだ」
「瑛斗くん、ジョークで言ったんじゃなかったの? 区別がついてなかったの?」
 クリちゃんが言い、乾さんは言った。
「俺は煙草を吸ってくるよ」
「俺もお供します」
「そんなもんにお供してくれなくていいんだ」
「俺も吸いたくなってきたんだもん」
「じゃあ、私も行こうっと」
「あ、俺も」
 喫煙者の乾さんと三沢さんと煙草を吸うスタッフが三人、連れ立ってベランダに出ていった。女性がひとり混じっていたので、僕は言った。
「あの女のひとも、乾さんを好きだとか?」
「そうだとしたらふたりきりになりたいんじゃないの?」
「乾さんは煙草を吸う女、嫌いかな」
「そうでもないって言ってたよ」
 同じ事務所なのだから、クリちゃんはフォレストシンガーズには詳しい。何度かクリちゃんとは会っていて、モモクリがプロになってからのフォレストシンガーズとの関わりを話してもらっている。クリちゃんは本橋さんや乾さんにはがんがん叱られるのだそうだが、僕にはうらやましい。
 社長にも怒鳴られたり叱られたりしているそうで、それはなんにもうらやましくない。僕だってうちの社長には叱られる。まったく、近頃の若いもんはっ!! と怒るのは、おじさんの癖のようなものだから気にしなくてもいいのだ。
 アイドルなんてものとしてデビューする前の僕は、回りの大人たちが怒るのはうざったいとしか思っていなかった。
 今だってその気分はあるけれど、僕のことを思って怒ってくれる、叱ってくれるのはありがたいのかなぁ? くらいは考えるようになって、口うるさい木田さんも嫌いではなくなっている。そういうものなのだと教えてくれたのは、第一に乾さんだった。
 僕は乾さんが嫌いではないけれど、友達になりたいと思っているだけだ。友達になるのは無理なんだったら、先生に近いひとでもいい。それはやっぱり僕が男だからで、女の子だと感覚がちがうらしい。あのカグリが乾さんを好きになったのだとしたら、なぜ? 
 恋って、なぜ? の答えはないものなのかもしれない。僕だって彩花ちゃんに、ハッとしてグッだったのだから、カグリも乾さんにハッのグッだったのかもしれない。
「中学生や高校生って、自分の気持ちを言葉では言い表せないものなんだよね」
「クリちゃんには言い表せるの?」
「上手には言えないけど、自己分析はできなくもないよ。きみも知ってるんだろうから言うけど、千鶴さんは十九歳で、私は乾さんが好き、って気持ちをちゃんとわかってたでしょ。カグリさんくらいだとわかってもいないのかもしれないね」
「そうかなぁ。カグリはクリちゃんよりは大人っぽいよ」
「あのねっ、僕は二十代だよ」
「それがなにか?」
「……いや、いいけど……」
 自分だって僕に言い負かされてるじゃん、すこし気持ちが良くなって、僕もベランダに出ていった。暗い中に赤い火がぼっ、ぽっと五つ揺れていた。
「わっ!!」
「きゃっ!!」
 一瞬、誰が誰だかわからなくて、脅かしてやろうと適当に飛びついた相手は女性スタッフだったらしい。悲鳴を上げた彼女が煙草を放り投げ、僕の腕に当たりそうになる。その煙草を咄嗟につかんだのは、乾さんの手だった。
「アツッ!!」
「うわっち!!」
 三沢さんが叫び、乾さんも叫んだ。
「みんな、どけ!!」
 乾さんが煙草をベランダの床に落とし、ぎゅーっと踏みつける。室内にいたのだから、乾さんは靴を履いていないのでは? 
「乾さん、火傷はしてません?」
 女性が尋ね、乾さんは言った。
「大丈夫だよ、タミちゃん」
「……手でつかんだんでしょ? やだ、私、禁煙します」
「タミちゃんが悪いんじゃないだろ。禁煙したいんだったらそれでもいいけど、泣かないで」
「だって……」
 タミちゃんという名前らしき女性スタッフがしくしくやりはじめ、泣かないで、と三沢さんも言っている。そうすると悪いのは? 
「ぼ、ぼ、ぼぼぼ……僕っ?!」
「そうだろうがよ」
 暗いので表情は見えにくいが、怒った声で三沢さんが言った。
「おまえがいたずらするからだろ」
「うわ、ごめんなさいっ!!」
 初対面のときには春日弥生さんに暴言を吐いたと叱られて、乾さんにお尻をひっぱたかれた。それからは乾さんに叱られたら、すぐにあやまることにしているから叩かれてはいない。けど、今夜は叩かれるかな。僕がしょぼくれると、乾さんが言った。
「タミちゃん、瑛斗をひっぱたいてやる?」
「そんなの……いいんです。うん、でも、私が悪いんじゃない?」
「きみは悪くはないよ」
「そしたら……うふ、いい気持ち、得しちゃったかも」
「なに言ってんだよ、タミは。どうなることかと思ったぜ」
 男性スタッフも言い、みんなして笑う。暗いのに目がなじんでくると、この場がどうなっているのかが見えてくる。得しちゃったって、タミちゃんが乾さんに抱かれて泣いていたから? タミちゃんも乾さんが好きなのか。
 山荘には女性は少ない。スタッフだって大半が男性で、今夜の大広間には山田さんとユリちゃんとタミちゃんだけが女性だった。山田さんは本橋さんの奥さんだから別として、ユリちゃんも乾さんが好き? そうだとしたら、ほんと、もてもてなんだな。
「乾さん、てのひらに小さな火傷が……足の裏は平気ですか」
「ソックスを履いてるし、熱いとか痛いとかはないから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「大丈夫だったら、俺たちは戻ろうか。お邪魔だよ」
 ジョークっぽく三沢さんが言い、タミちゃんが焦った声を出した。
「お邪魔ってなんなんですかっ!! 私も戻ります。泣いてませんからっ!!」
「遠慮しなくていいんだよぉ?」
「三沢さんの意地悪っ!! 泣いてませんったらっ!!」
「幸生、女性を苛めるな。タミちゃんは泣いてないよね。よし、じゃあ、戻ろう」
 この山荘のベランダの床は木でできているから、焼け焦げでもできているんじゃないだろうか。乾さんが身をかがめて床から吸い殻を拾い上げる。スタッフたちと三沢さんは中に入っていく。僕は乾さんのうしろから部屋に入り、彼のてのひらを見た。
「火傷……」
「こんなの火傷のうちにも入らないよ。おまえやタミちゃんじゃなくてよかったな」
「乾さん、ごめんなさい」
「泣くな、馬鹿」
 馬鹿野郎、馬鹿って言われて嬉しいなんて、僕って変。タミちゃんに言ったよりは若干荒っぽく、泣くなと言って、乾さんは僕の頭に手を載せて押しつけた。


 ベランダに面したガラス戸を閉めると、廊下に出るほうのドアが開いて、誰かが入ってきた。
「……ちょっと、カグリちゃん、その格好はっ!!」
 大きな声を出してカグリに走り寄ったのは山田さんで、うわ、わっ、といった小さな悲鳴がほうぼうから聞こえる。山田さんはカグリに言っていた。
「着替え、出してあったでしょ」
「あんなださい服、着るのやだもん」
「贅沢言わないの。あなたは細くて背が高いから、ユリちゃんの服しか合わないんだからね。それに、ださくなんかないじゃないの」
「だせぇよ。あんなの着て歩いてるなんて信じられねえ。ユリってあんた? センス悪いね」
 むすっとしたユリちゃんはそっぽを向き、山田さんは言った。
「どうでもいいから、服を着てきなさい。ここにはこれだけ男性がいるのよ」
「裸じゃないんだからいいじゃん」
 うう、僕、やばいかも。カグリはなんと、バスタオルを細長い身体に巻いただけの姿だ。あの下にはなんにもつけていないのか。きっとそうなのだろう。う、ううう、鼻血が……出そう。
「ってか、よかったよね、カグはまだ売れてはいないけど、そのうちには大女優になるんだから、新人のころのカグのこんなかっこ、見られたって自慢になるよ。写メは禁止だけど、見るだけだったら許してあげる。綺麗でしょ」
「ガキがなにを言ってんだ。服を着ろ」
 一喝したのは本橋さんだった。
「はっきり言わせてもらったら、おまえのそんな格好は俺たちから見たら、ガキが風呂上りに服を着るのはいやだって駄々こねて、走り回ってるようなもんだよ。俺の甥っこだって幼稚園くらいまではやってたよ。シゲんちの息子もやるだろ」
「たまにありますね。ああ、そうか。そんなもんなんですね」
「俺は弟がそうやって風呂上りに裸で走っててころんで、おまえが服を着せてやらないからだろって、親父に俺が怒られたのを思い出しますよ」
 木村さんも言い、カグリのくちびるがとんがっていく。
 大人の男から見たらそんなものなのかもしれないが、僕はやばい。考えてみればこの中では男の未成年は僕だけだ。木田さんが寄ってきて言った。
「瑛斗くんだけは見ないほうがいいね」
「大きな声で言わないで」
「小さい声で言ってるよ」
 こっちでひそひそやっていると、乾さんが言った。
「そうは言っても女の子なんだから、ミエちゃん、頼むよ」
「なにを?」
「ミエちゃんひとりではつらいかな。タミちゃんとユリちゃんも手伝って、風呂場に連れていって服を着させる。言うことを聞かなかったら……」
「そうね。女がやる分にはいいかも。タミちゃん、ユリちゃん、手伝って」
「はーい」
 ユリちゃんとタミちゃんが走り寄って、女性三人がカグリを取り囲み、押し出すようにして外に連れ出していった。
「あいつ、なに考えてんだろ」
「女優になろうって女の子には多かれ少なかれ、ああいうところがあるのかもしれないね。カグリさんは相当にエキセントリックだけど、あれは子どもっぽさのあらわれでもあるのか。自己顕示欲が旺盛すぎて、注目を浴びるためだったらなんでもするってのか……」
「木田さんも理屈っぽいんだね」
「そうかなぁ」
 同類嫌悪というものもあるらしいが、木田さんと乾さんはどことなく性格が似ている。乾さんのほうが人生経験豊富な分、確立しているというかこなれているというか。そのせいで嫌悪はせずに、木田さんは乾さんを尊敬するのか。


4・準


 アルバムはフォレストシンガーズと楽器担当のミュージシャンたちが作り、プロモのほうは多彩なゲストたちが加わる。なのだから、山荘にはゲストたちが入れ替わり立ち代わりあらわれる。プロモに出演するのではないゲストも来ていた。
「クリちゃんも出るんじゃないんだろ」
「遊びにきたんだけどね」
 彼らもまた遊びにきたのだと言う。「綺羅☆螺」、キララと発音する七人のアイドルグループのうち二名、たっくんとロマンくんが山荘を訪ねてきた。
「木村さんとは札幌で共演したんだよ。そのときにずいぶんと気に入ってもらったみたいでね」
「木村さんがきみたちを気に入ったの?」
「背の高くない奴ばっかりだから好き、とか言ってたな」
 喋っているのはロマンくんだけで、たっくんは山荘の庭のカウチに腰かけて居眠りしている様子だ。
「そんなに身長にこだわらなくてもいいのに。背が高いばかりがかっこいいんでもないのに」
「うん、僕もそう思うけど、背は高いほうがかっこいいかなぁ」
「僕は背の高い女の子は好きだけど、男の背の高いのは嫌いだ」
 その感覚は低身長コンプレックスのあらわれではないのか? とは思うが、僕も同類だから言わないことにした。
 一般的には男は背が高いほうがかっこいいとも言われている。人類女性のDNAには「強い男」を選びたいという本能がインプットされていて、背の高い男、つまり高いところに手が届き、獲物を狩るのも得意な太古の強い男に惹かれるという、そんな説もあるのだそうだ。
 背が高いイコールかっこいいが定説となっているのだから、歌手や俳優なんかにも背の高い男は多い。背の高い女性も多い。
 本橋さんや乾さんくらいだとたいして背は高いほうでもなくて、高身長を売りものにしているグループだってある。全員が背が高いといえば、グラブダブドリブ。彼らは過半数が外国人だし、身長で売っているのではなく、抜群の音楽性で人気があるのだが、ルックス最高というのも加味しているはずだ。
 顔と背丈がそろったら怖いものなしというか、そういう男たちもいる。フォレストシンガーズもフルーツパフェも出演させてもらえると決定しているア・カベラグループライヴで本格的ステージデビューを果たす、「玲瓏」だ。
 そのライヴではもっとも若手のくせして、背が高くて顔が良くて帰国子女ぞろいだという謳い文句のせいか、玲瓏の奴らは態度がものすごーくでかい。僕なんかは会うたびに、言葉と態度に蔑視されていた。
「はじめまして、玲瓏の村木です。フルーツパフェさんですよね。共演者の方々にはご挨拶するように申しつかっておりますので。では」
 初対面の際には、リーダーの村木くんだけがそう言って頭を下げ、他の四人はなんにも言わずに僕を見下ろしていた。
「僕の視界には入らない、なにかがそこらへんにいるんですけどね」
「気配はあるんだけど、なんだろ。なんでしょうね」
「Ein wertloses Insekt」
「Eine Kuchenschabe」
 立っていた僕を一瞥して、三人がそう言って笑いながら去っていったこともあった。
 英語ではなく、発音からするとドイツ語っぽかったその言葉、僕には意味がわからなくていっそう悔しかった。
 悔しくても僕では太刀打ちできなくて、乾さんに言いつけると叱られそうで、くちびるを噛みしめた。成人男子は告げ口なんかせずに、自分で対処しろ、と乾さんはいつでも言う。モモちゃんだったらクリちゃんがああしたのこうしたのと言いつけたら頭を撫でてもらって、僕が叱られるのに。
 と、まあ、そんなわけだから、僕も背の高い男は嫌いだ。玲瓏は特に嫌いだ。
 奴らと較べれば、いささかイヤミっぽい美少年のロマンくんのほうがまだしも許せる。木村さんが彼らを好いたというのも、許せる程度だったのではないだろうか。
「この山荘って、外人が建てたんだって?」
「そうなんだって。デューク・スミスっていうアメリカのソウルシンガー」
「ふーん、知らないな」
「知らない?!」
 いやしくも歌手たる者が、世界的な大スターシンガーを知らない?!
「だって、僕に関係ないもん。男だよね」
「デュークって男性名でしょ」
「それも知らないよ。どうでもいいし。おっさん?」
「僕のお父さんよりも年上かな」
 デュークが来日して三沢さんとデュエットしたときには、僕はまだフリーターだったはずだ。だけど、デューク・スミスの名前は知っていた。フォレストシンガーズのほうをこそ、あのころは知らなかった。
 デビューしてから社長に聞いて、僕の先輩の三沢さんはあのデューク・スミスとデュエットしたのだと知り、尊敬を深めた。早速トリビュートアルバムを買ってモモちゃんとふたりで聴いて、うっとりとろーんっとしたっけ。
 あのときにはモモちゃんがうっとりしすぎて、クリちゃん、好きだよ、好き好き、ベッドに……と囁いたのも思い出す。あのころの僕ら、幸せだったよね。
 え? 幸せだった? 今は幸せじゃないの? もしもそうだとしたら、僕の心が揺らめいているせいだ。僕が浮気心を起こしているせいだ。モモちゃん、ごめんね、泣きたくなっていると、庭に誰かが出てきたのを感じた。
「おはよう」
「おはようって、もう昼だぜ。きみは……えーと……」
 この時間はフォレストシンガーズのみなさんはレコーディング中で、関係者以外スタジオには立ち入り厳禁。僕らは関係者ではないのでのんびりしていた。レコーディングスタッフ以外の滞在者はみんな、それぞれに自由にしている。
 今ごろ起きたのか、カグリさんは大きくあくびをして、僕の隣のカウチにすわった。
 ここにはカウチが四つ並んでいる。端っこに置かれたカウチではたっくんが居眠りしていて、その隣のロマンくんと僕がお喋りしていた。
「カグを知らないのか」
「カグっていうのか」
「そうだよ。キミ、ロマンくんだね。カグに会えて嬉しい?」
「きみが誰だか知らないのに、嬉しいもなんもないだろ。芸能人?」
「そうだよ。カグはフォレストシンガーズのプロモに出てあげるんだ」
 自己紹介をする気もなさそうだし、カグリさんはロマンくんは知っているようだったので、僕が説明した。
「彼女はカグリさんっていう女優さんで、プロモに出るってのは本当なんだって。その仕事はもう終わったんだけど、昨夜、突然ふらっと遊びにきたんだよね」
 山田さんに言われてお風呂に入り、スタッフのユリちゃんが彼女に着替えを貸してあげた。なのにその服が気に入らないからと、カグリさんは湯上りにバスタオル一枚の姿で大広間に出てきた。
 若い男スタッフは動揺し、瑛斗くんは真っ赤になって、木田さんがフォローしてあげている様子だった。実は僕もどきっとはしたのだが、カグリさんは十五歳、本物の中学三年生だ。僕はそこまで若い女の子には興味はない。
 すらーっと背の高い贅肉なんかまったくない綺麗な身体つきに目を奪われてはいても、瑛斗くん以外はたいしてときめきもしなかったのではないだろうか。それにしたって動転はしていたのだが、本橋さんのひとことでみんなも落ち着いた。
 本橋さんがカグリさんを叱りつけ、乾さんが山田さんに助言し、山田さんは行動し、カグリさんもおとなしくなった。先輩たちはさすがだなぁと、僕は感服しているしかなかった。
 バスタオル姿でみんなの前に出てきたとまでは言う必要もないので、ざっと事情を説明する僕の話を、ロマンくんはふむふむと聞いている。カグリさんもなんにも言わずに、長い髪の先っぽをいじっていた。
「それで、三根さんは来ないの?」
「昨夜、あのおばさんが三根くんと話してたみたいだけど、カグは知らない。三根って奴、嫌いなんだよね。マネージャーを変えてくんないかな」
「山田さんがいい?」
「やだよ。あんなうるさいおばさん。教師みたいじゃん」
 大学では教育学部だったのだそうで、山田さんにはたしかに、先生めいたところはある。それにしてもカグリちゃんって、モモちゃんとは較べられないほどにわがままだな。モモちゃんで慣れている僕でさえもため息をつきたくなっていると、たっくんがのそっと起き上がった。
「あ、たっくんもいたんだ。たっくん、カグと会えて嬉しい?」
「嬉しいよ。カグ、俺と散歩しようよ」
「カグ、朝ごはんまだだもん。腹減ったよ」
「朝ごはんなんてのはとっくに時間が終わってるけど、昼ごはんだったらできてるんじゃないのかな。サンドイッチでももらって散歩にいこ。な、そうしようよ」
「やだよ。かったるいもん」
「かったるくねえって」
 ふたりを見ていたロマンくんが、僕の耳元で言った。
「なにをやるってなってもかったるいって言うのはたっくんなんだよ。たっくんがかったるくないのは歌だけで、だから歌手になったんだけど、アイドルってのは歌以外にもやらなきゃならないからメンドクセェって、いつも言ってる。なのにさ、女の前では態度が変わるんだ。はじめて見たよ」
「たっくんの好みなのかな」
「かもね」
 ロリコン、ではないだろう。たっくんは十八くらいのはずだから、十五歳の女の子とだったら似合わなくもない。たっくんは情熱的にカグリさんを口説き、カグリさんは面倒そうにしている。と、そこにどこかのホストみたいな男が歩み寄ってきた。
「休みだってのにうぜえんだよ。カグちゃん、帰ろう」
「やだ」
「おまえのせいで俺が山田ばばあに怒られたんだぞ。まったくもう、アッタマ来るっ!! カグ、帰るんだよっ」
 あのぉ、誰? と言っているロマンくんを無視して、ホストみたいな男はカグリさんの細い腕を力まかせに引っ張った。この男が三根だろう。カグリさんは彼の手を振り払い、たっくんにすがりつこうとした。
「たっくん、デートしてあげるから助けてよ」
「え? えーと……だから、あんた誰?」
「俺はカグのマネージャーの三根だよ。ガキはすっこんでろ」
「……はい、カグちゃん、帰ったほうがいいよ」
 凄まれたたっくんはとっても素直に言って、カグリさんを三根のほうに押しやった。
「いやだっ!! カグは帰らないもんっ!!」
「クリちゃん、僕ら、どうしたらいいの?」
 ロマンくんに尋ねられても、僕にはどうしていいのかわからない。三根はカグリさんをぐいぐい引っ張り、抵抗されると膝を上げて彼女の腿のあたりを蹴った。
「いたぁい!!」
「おまえのせいで俺がどれだけ苦労したと思ってんだよっ!!」
 カグリさんが三根の手に噛みつき、三根がカグリさんの長い髪を引きちぎれそうなほどに引っ張る。怒号と悲鳴が交錯して、その声が聞こえたのだろう。スタッフが三人駆けつけてきた。
「やめなさい!!」
 誰かが三根に組みつき、トラちゃんがカグリさんを抱き起こす。興奮しているらしくて、カグリさんはトラちゃんにまで噛みつく。トラちゃんも悲鳴を上げた。
「クリちゃん、手伝ってくれよっ!!」
 あとのふたりはふたりがかりで三根と格闘している。たっくんは逃げていってしまって遠くから見ている。ロマンくんも言った。
「僕ら、アイドルだから怪我したら大変だし……クリちゃん、頼むよ」
「僕だって怪我なんかしたくないし……怖いよ、カグリさんって」
 ようやくおとなしくなった三根が取り押さえられ、そこに瑛斗くんと木田さんが姿を見せた。
「木田さんっ!! お願いしますっ!!」
 瑛斗くんのマネージャー氏は、瑛斗くんに言わせると暑苦しいラガーマンみたいな奴、だ。木田さんは悪戦苦闘しているトラちゃんに手を貸して、カグリさんを落ち着かせてくれた。
「……もう大丈夫だよ。カグちゃん、ここ、蹴られた? 骨は折れてないよね。そこにすわろう。よしよし、うんうん、大丈夫だから」
「あんたって瑛斗のマネージャー? カグのマネージャーもしてよ」
「そんな話はあとでね。そいつ、縛り上げたほうがよくないか」
 いつも優しくて温和な木田さんが、相当に険しい顔で三根を見た。
「トラちゃんは大丈夫? 他の人も? そしたらまあいいけど、彼がまた暴れるかもしれないから気をつけて」
「暴れねえよ。ってか、俺、なんにも……」
「なんにもしてなくないだろ。きみはカグリさんのマネージャーなんだろうが。僕だって新人みたいなものだからえらそうには言えないけど、担当している未成年のカグリさんの勝手な行動を止められなかっただけでも、きみの落ち度だよ」
「こいつが勝手に……」
「その上に、今ごろになるまで迎えにこなくて、来たら来たで暴力? 言語道断だよ」
 お、木田さん、意外とかっこいいじゃん、と瑛斗くんが呟き、木田さんは続けた。
「処分はきみの事務所から申し渡してもらうけど、謹慎していてもらわないといけないだろうな。どこかの部屋に入っていてもらうよりは、ここで見張っていようか。僕しかいないかな」
「木田さん、お願いします」
 スタッフたちに混じって僕も頭を下げ、トラちゃんが言った。
「ここはやっばり、山田さんと本橋さんが最終的な責任者なんですけど、今は来られませんので、木田さんが代理を勤めて下さいますか」
「代理だったらやりますよ。カグリさんにお説教するほうは、山田さんがいらっしゃってからにしましょうね」
「乾さんは?」
「乾さんにお説教してもらいたい?」
「お説教はいらないけど……」
 首をかしげているカグリさんに、瑛斗くんが言った。
「説教なんかしても無駄な奴には、乾さんはなんにも言わないんだよ。おまえなんかには乾さんは叱ってもくれないよっだ」
「意味わかんないよっ。瑛斗のバーカ!!」
「幼稚な喧嘩はやめなさい。瑛斗くん、乾さんに言いつけるよ」
 木田さんは言った。
「カグちゃんはまだ子どもなんだから、乾さんだってそんなふうに見放したりはしないよ。瑛斗くんに対するのと同じ程度には気にかけて下さると、僕は思うよ。カグちゃんはこれからだもんね。それよりも三根くんだ。きみはここにすわってなさい」
 不満顔でカウチにすわった三根は、ぼそっと言った。
「キララのたっくんとロマンだったよな。それから、そっちの細くてちっこい奴。そいつは知らないけど、だらしない奴らばっかりじゃん。あんたがいなかったら……くそ、わかったよ、黙ってるよ」
 だらしないと言われた他のふたりは聞こえないふりをし、僕はうつむいた。細くてちっこい、そいつは知らないと言われたのは僕だろう。こんな奴になにを言われても平気だよ、とは言えなくて、僕はうなだれるしかなかった。
 
 
 タレントに暴力をふるったマネージャーは、おそらくは懲戒免職になるだろうと、山田さんが言っていた。目撃者は何人もいるのだから、三根も申し開きはできない。
「逆恨みには気をつけないといけないけど、あとはあなたの事務所が対処してくれるよ。カグちゃん、聞いてるの?」
「木田さーん、カグのマネージャーやって」
「いえ、そうは行きませんので」
「なんで?」
「事務所がちがうでしょうが。カグちゃん、あなたもね……」
 お説教しようとしている山田さんを振り切って、カグリさんは木田さんにつきまとっていた。
 十五歳の女の子なんて気まぐれなもので、カグリさんの関心は木田さんに移ったのか。乾さんとしては嬉しいのかもしれない。
「でも、こんなに騒がしかったら忘れていられたから、僕にはよかったかな」
「なにを?」
「ハッとしてグッ」
「むむ?」
 瑛斗くんが言っているのはなんのことなのか僕にはわかりづらかったけれど、僕も忘れていられてよかったかもしれない。  
 近頃はちょっとぐらいは売れてきているのだから、僕だっていつまでも休んではいられない。いつまでもモモちゃんから逃げてはいられない。モモちゃんにメールをしたら返信があった。

「クリちゃんったら、そんなところにいたんだね。
 あたしも行きたかったな。ずるいよ。
 だけどね、あたしもひとりになって考えてみたの。モモちゃんはクリちゃんが好きだよ。クリちゃんがモモちゃんを嫌いになったんじゃなかったら、よーく話をしようよ。
 それでも操さんのほうが好きだって言うんだったら、離婚してもいいけどね。
 どっちにするのかよくよく考えて、帰っておいでよ。
 モモちゃん、待ってるからね。今夜はおいしいもの、作ってね」

 おいしいものを作ってあげる、ではなく、作ってね、と書くのは僕の奥さんらしい。
 僕の心はまだぐちゃっとしているけれど、冷静にモモちゃんと話し合えば、操さんへの想いは気の迷いだと結論が出るかもしれない。僕の迷いを吹っ切らせてもらうためにもモモちゃんに会いたい。モモちゃんに会いに帰ろう。モモちゃんと僕のホームに帰ろう。

END



 

 
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