時代もの

新選組異聞「梅が香」

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21世紀はじめごろ、当時は新選組同人誌(幕末研究家として有名な先生も何人か所属しておられる、その筋では名前の通った)で小説を書かせていただいていました。

そのころの小説はフロッピィに保存していました。発表したのは同人誌でだけですので、テキストとしては手元に半分も残っていないのですが、そんな中からピックアップして、「異聞」としてブログにアップします。あくまでも「異聞」です。

ケータイ小説にはやたら、「幕末の京都にタイムトラベルした女子高校生」というのが多くて、私もパロディにだったらさせてもらいましたが(「うおごころ」)、これはちょこっとちがいます。

そんなに長くはありませんので、お時間のおありの方は寄っていってやって下さいな。


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新選組異聞


「梅 が 香」
               

 序

 床の中で指折り数えてみる。あのひととはじめて逢ってから、一年と一ヶ月がすぎた勘定になるのだと。
 片桐まさ子と土方歳三の出会いは、明治元年十二月の箱館であった。
「医者だと? なんとまあ酔狂な。女が医者なんぞになろうってだけでもまともじゃねえのに、戦の場になるとわかり切ってる箱館なんかにわざわざ来て、いったいなにが面白えってんだ」
 呆れたように、揶揄するようにも見える調子で、土方はまさ子を見下ろした。五尺三寸の背丈は当時の女性としてはかなり大柄なほうだったのだが、土方はまさ子より五寸も丈が高かった。
「では、あなたはどうなのですか。なにか面白いことがあると思って、箱館に来られたのですか」
 なにをこの女、生意気な……しかめた眉がそう言っていた。
「男はちがう」
「男だ女だと、どうしてそんなにそれにこだわるんですか。女だって同じです。わたしだって考えるところがあって箱館に来たんです。あなたにとやかく言われる筋合いはございません」
 見つめる眼の光にたじろぎそうになるのを持ちこたえ、まさ子は土方を見返した。
「おめえの眼は……」
 細めた土方の眼の中に、ふいに別の光が見えた。
「俺を吸い込んでしまいそうだ。おめえみてえな女ははじめて見た」
 わたしが考えていたのと同じことを、あなたも考えている。まさ子はそれを口に出さず、ただ土方を見つめ返していた。
「だが、俺は考えを変える気はさらさらねえぜ。女のくせしやがって箱館なんかに来て、病院で働こうなんて、そんなのはたわけた女さ」
「あなたも同類でいらっしゃる」
「ん? 口の減らねえ女だな」
 いきなり土方の表情がゆるみ、笑い声がはじけた。
 そして五ヶ月、その朝、まさ子は彼を彼の部屋の寝台から見送った。
「先に行って待ってるぜ。なにも急ぐこたあねえ。ゆっくり来いや」
 戦い続けて果てた土方の戦死の朝、明治二年五月十一日、五稜郭はやがて燃え落ちようとしていた。


1

 母が死んだ。父なし子とうしろ指をさされる娘を産み、世間の風のつめたさに敢然と立ち向かった母だった。有能な医者という職業を持っていたからこそ、たったひとりで梅乃を育て上げたのだ。
 明治十九年の早春、片桐梅乃は数え年十七歳、母のまさ子は四十三歳であった。
「働きすぎだったんだね」
「立派なお医者さまだったのになあ……」
 梅乃を産んだばかりのころには、ふしだらな女と白い眼を向けた町の人たちも、今ではすっかりまさ子を尊敬するようになっていた。野辺送りには大勢の人が参列してくれた。
「梅乃さんはどうなさるおつもりで?」
 中のひとりの老婆が尋ねるのに、梅乃は強いて笑ってみせた。
「わたししか母の跡を継ぐ者はおりません。まだ修業中の身ですけど、せいぜい精進して母に負けない医者になろうと思います」
 幸い、母は梅乃にいくばくかのものを残してくれていた。
「その前に……」
 うら若い娘が出した葬式に痛ましげに協力してくれた人々に、梅乃は言った。
「すこし旅をしてきます」
 伯母にも了解は得ている。母の姉であるふじ子は、母とちがって一度は嫁いだのだが、夫と姑を亡くして妹と暮らしてきた。まさ子は梅乃の母でもあり、父でもあるような親だったが、ふじ子は梅乃のもうひとりの母のように、かけがえのない存在だった。
「ひとりで大丈夫ね?」
「ひとりで行きたいんですもの」
「あなたもおまさちゃんに似てるわ。このごろますます似てきたね。顔だけじゃなくて……」
 気性もだ、とふじ子が言いたいのはわかっていた。
「そりゃあ、私はまさ子の娘ですよ」
「まさしくね」
 苦笑するふじ子からも、まさ子からも、梅乃はさまざまな物語を聞かされた。梅乃はそれによって、想像をふくらませもしたものだった。
 梅乃が母の胎内に芽生えたはずのその日、その翌日、箱館で生命を散らせた父については、梅乃は幾度も母から聞いていた。彼の故郷をなぜか母は一度も訪ねようとしなかったのだが、梅乃は我が目でその土地を見てみたかった。
 多摩川と浅川が交差するところ、武州多摩は日野石田村、梅乃がその姓を名乗ることもなかった父、土方歳三の故郷である。
 まさ子が箱館から帰ってきたときには、すでに名を改めていたかつての江戸、今は東京である梅乃の町から、多摩はほど近い。十七の娘にも旅といえるほど大袈裟なものではなかった。
「行って参ります」
「気をつけて……」
 伯母だけではなく皆が、気をつけるようにと口をすっぱくして言った。梅乃はふじ子に笑みを返し、旅立った。
 東京を出ると、次第に田舎の景色になってくる周囲を珍しく感じながら、梅乃は歩き続けた。途中で一泊した宿をあとにして、再び歩きはじめる。足と心は、生まれてはじめて訪ねる父のふるさとに向かっていた。
 徳川の世を梅乃は知らない。母や大人たちから聞かされることはあっても、実感としてはよくわからなかった。しかし、明治の御世もほどなく二十年がすぎようとしていても、いまだ、旧幕府に殉じた者たちは賊視されているとも聞く。
 武州の地に生まれた父や、その仲間たちが生命を賭した『新選組』は現在でも、天皇さまに反旗をひるがえした愚か者ども、移りゆく世の中を知らず、時代を変えようと努力していた長州や土佐、薩摩の志士たちを斬殺した鬼ども、とされているのだと、梅乃もときおり聞いていた。
 では、おそらくこの土地に今も住む、父や仲間たちの血につながる人たちは、肩身の狭い思いをしているのだろう。
 やがて、梅乃は川のほとりに立った。知っていたのか知らなかったのか、母は梅乃に向かって、土方家の人々がどうしているのか、歳三の墓はどんなふうになっているのか、なにも話してくれなかった。近所で尋ねれば父の生家はわかるだろう。だが、その家を訪れる気は梅乃にはない。わたしは歳三の娘です、などと告げる気もなかった。
 ただ、こうして父の故郷に立ち、その空気を胸いっぱいに吸い込めたらそれでいい。梅乃は深呼吸した。空気にまざる香気は梅の花か。梅乃の名の由来になった花だ。
「おかしな俳句を詠んで、私にくれたことがあるんですよ、あなたの父上は」
 ふと、母が話してくれたことがある。
「あのひとは梅が好きだったみたい。だからあなたの名前も梅にしたの。いつ見ても仏頂面ばかりしてたけど、心の底では花を愛でて、花の句を詠んだりするひとだった。どちらがあのひとの本質だったんでしょうね。両方だったのかもしれないけど」
 愛した女の胎内に生命が宿っているとも知らず、死んでしまった男が娘に遺した唯一のもの、それが梅乃の名だった。
 川の香りと梅の香りに身をゆだねて、梅乃はその場にしばらくたたずんでいた。これからどうするあてもない。思う存分多摩の空気に触れたら帰ろうか。そうするだけで満足だったのだから。
 歩きづめでくたびれていた足を休めようと、梅乃は川べりに腰を下ろした。そよそよと春の風、じきに桜も咲くだろう。今日はとてもあたたかい。
 ちょっぴり行儀が悪いかなと内心で舌を出しつつ、梅乃は立て膝をして膝に頬を乗せた。かぐわしい空気と甘い風、疲れも手伝って眠くなってきた。梅乃はうっとりと、早い春の多摩を全身で味わっていた。
 そうしていると、すこし離れた場所に男の姿があるのが見えた。袴をたくし上げて川にじゃぶじゃぶ入っていき、身をかがめて顔を洗っている。水はまだつめたいはずなのに……梅乃は半ば眠ったような心持ちで、男を見るともなく眺めていた。
 痩身で長身の青年である。長い髪を束ねて、腰には二本の剣を帯びている。男は髷を落とす、特別な者でもない限りは刀を携帯してはいけないとの令が出たのはだいぶ前なのに、田舎の人間には頑固者が多いと聞くから、政府の命令にさからっているのかもしれない。
 江戸にも頑固な老人がいて、薄い髪を髷に結ったままの者がいる。あのひとは若いのに、と梅乃は、いささか愉快な気分で青年を見つめた。と、手ぬぐいで顔をぬぐった彼の目と、梅乃の目がしっかり合ってしまった。
 慌てて目を伏せたのだが、彼が明るい声をかけてきた。梅乃はいっそう慌てて膝を低くした。
「旅の方ですか」
「……え、ええ、旅というほどでもありませんけど」
「若い娘さんがおひとりで? 危なくないのかな。どちらからですか」
「東京からです。近いんですもの。危ないほどの距離ではありません」
「東京? 東京とはどこですか」
「え? あの……あなたさまはこちらの土地の方ですよね」
「そうですよ。生まれは日野です。今はもっぱら江戸にいますが」
 とことん頑固な若者で、東京という新しい地名を使いたくないのかもしれない。とはいっても、彼も二十歳前後に見える。江戸などは知らない世代であろうに。
「……そういう人はたまに見ますね」
「は?」
「うちに来る患者さんの中にも、おいらは江戸っ子でい、東京だなんてちゃんちゃらおかしいや、なんて言うおじいさんがいらっしゃいますよ」
「はあ……」
 首をかしげた青年は、もう一度川の水で洗った顔を拭き拭き、梅乃のそばにやってきた。
「あなたの言われてることはよくわからないんですけどね、お医者の娘さんなんですか」
「ええ。母が医者でした」
「母上が? ご婦人のお医者とはたいしたものだ。でしたと言われると?」
「つい先頃みまかりまして、野辺送りをすませたばかりなんです」
「それはそれは……ご愁傷さまでした」
 丁寧に頭を下げる青年に、梅乃も一礼を返した。
「ありがとうございます」
「父上は?」
「とうに亡くなりましたけど、私もずっと母の手伝いをして参りましたし、手助けして下さる方もいらっしゃいますから、母の残した医館を私が継ぐのもどうにか……」
「あなたもお医者に? えらいんだなあ。母と娘が二代そろって医者だなんて、私ははじめて聞きましたよ。大変でしょうけどがんばって下さい」
「ありがとうございます。がんばります」
 青年は目を細め、まぶしそうに梅乃を見た。
「あ、名乗り遅れました。沖田総司です」
「片桐梅乃でございます。沖田さま……ですか。もとはお武家さまでいらっしゃったんでしょうね」
「もとは武家ですよ。今は浪人みたいなものですが」
「士族の方には暮らしにくい世の中なんですってね」
「士族?」
 なぜだろう。時々彼と会話が噛み合わなくなる。
「もとはお武家さまなのでしたら、今は士族でいらっしゃるのでしょう?」
「今も武士のつもりですがね」
 心意気の意味で言っているのだろうか。今どきの若者にしては珍しい型かもしれない。沖田、沖田、いつかどこかで聞いた覚えのある名だと思うのだが、思い出せずにいた。
「志しのある武士はじれったいらしいけど、私はあまりそういうことは考えませんから。剣術さえやってれば満足だというところがあって、おまえはそれでもこの時代の武士か! なんてね、よく叱られるんですよ」
「そうなのですか。でも、今は剣術はもう流行らないとか……」
「剣術は隆盛ですよ。もっとも、我が試衛館はよその大道場並みとはいきませんけど」
「しえいかん……」
 その名にも聞き覚えがある。
「ごぞんじですか。市ヶ谷にあるんですよ。江戸には高名な道場がたくさんありますから、試衛館はイモだなんてバカにされて、あまりふるわないんですけど、三多摩には門弟が大勢いるんです。私は出稽古に来た帰りでして、天気がよくて気持ちがいいし、ちょっと汗をかいちまったもので、ここで顔を洗ってから、土方さんの兄上のお宅に寄って帰ろうかなと思ったんです。おまえが寄るんだったらぼた餅をつくっておくと、兄嫁さんが言ってたぞ、と歳さんがね……ああ、歳さんってのは土方歳三といって、私の兄貴分みたいな人です。私は歳さんの弟分、いや、子分かな」
 突然声が出なくなって、梅乃は呆然と沖田の顔を凝視していた。
「すみません、勝手にひとりで喋ってばかりいて……どうかしましたか。顔の色が悪くなってきたみたいだな。気分でも悪いんですか」
「いえ」
「あなたとは会ったばかりなのに、どうしてなのかなあ。なんだかなつかしい気がするんです。誰かにどことなく似てるんだろうか。誰なんだろ……勝手にそんなふうに思われてもご迷惑だとは思いますが、どうも不思議な気持ちになるんですよ。あ、またまたすみません。私はお喋りでして」
 頭をかく沖田をなお凝視していると、頭の中でかちり、かちりとなにかが音を立てて組み合わさっていくような、そんな気分になってきた。
 土方さん……歳さん……片桐まさ子が愛した男の名は土方歳三だ。若いころには江戸は市ヶ谷の試衛館道場で剣術の修行をしていた。彼には弟同然に接していた青年がいて、その名を沖田総司という。
 三十路間近の早春の日、歳三は沖田や、試衛館の主だった近藤勇、他の試衛館の仲間たちとともに上洛して、新選組をつくった。京都で活躍していた新選組も時の流れにつれてかたむいていき、仲間たちは死に、あるいは袂を分かった。
 日本の各地で戦が起きた時代、歳三は船に乗って蝦夷へと渡り、その地で片桐まさ子と出会う。そして、梅乃をまさ子の胎内に残して死んでしまった。梅乃が母から聞いた物語、真実の物語だった。
「……試衛館の主は近藤勇先生とおっしゃるのですか」
「あ、ごぞんじなんですか。嬉しいな」
 しかし、近藤も沖田もとうの昔に死んだはずだ。近藤は流山で西軍に投降し、斬首によって果てた。沖田は近藤の死からわずかののちに、病で逝ったと、母が父から聞いたという話しを、梅乃も折りに触れては聞かされていた。記憶にまちがいがあるはずはない。
 もしも生きていたのだとしても、沖田は四十歳をすぎているはずだ。土方歳三はまさ子より十歳の年長で、生きていれば今年五十三歳、沖田は土方と十もちがわなかったはずなのだから。
 では、別人なのか。同じ名の同じ境遇の男が、明治の世になぜいる? 梅乃は頭を悩ませ続け、悩みすぎてふーっと気が遠くなるのを感じた。
「梅乃さん? 梅乃さん、どうしました? しっかりしなさい」
「……あ……すみません。なんともありませんから」
「どこかから旅をしてこられて、旅の疲れを取るためにここで休んでおられたんですね。私は邪魔をしてしまったらしい。しかし、あなたの顔色は真っ青ですよ。どこかで横になったほうがいいな」
「沖田さま……つかぬことをお伺いしますが」
「はい」
「今年は何年でした?」
 きょとんとしてから、沖田は答えた。
「文久二年です」
 文久二年……梅乃はことの次第を理解できぬまま、頭の中で素早く計算した。
「一八六二年」
「……西暦とかいうやつですか。さすがに医者になる学問をしておられるだけあるな」
 無邪気に感心している沖田が、嘘をついたり梅乃をからかったりしているのだとは、とうてい考えられない。すると、今は梅乃が実際に生きていた明治十九年から、二十四年を溯った年だとなる。
「それはまあいいんですが、ここは土方さんの兄上の屋敷に近い。事情を話して休ませてもらいましょう」
「そんな……」
 そんなことをしたらどうなるんだろう。考えようとしても考えがまとまらないでいる梅乃に、沖田が背中を向けた。
「恥ずかしいかもしれませんけど、どうぞ」
「いいえ、歩けます」
「倒れたらどうするんですか」
「倒れません!」
 悲鳴じみた声を出す梅乃に、沖田はくすっと笑ってみせた。
「無理にとは申しませんけどね。おんぶはいやでも、休ませてもらうほうは言うことを聞いてもらいますよ。いいですね」
「……わかりました」
 父が死んだあとの土方家には行けないけれど、今は父がまだ生きている時代らしい。どうしてそうなのかはさっぱりわからないが、それならば行ってもいいのではなかろうか。
 実のところは梅乃は、父の兄とその一家の住まいに行ってみたかったのだ。行ってはいけないと自分に言い聞かせていただけだ。渋々の体をよそおってはいたけれど、沖田についていく足取りは決していやがっていなかった。
「平気ですか」
「ええ、沖田さまがおっしゃった通り、旅の疲れが急に出たようです。お言葉に甘えてすこし休ませていただけたら、きっともっと元気になります」
「そうですよ。河原なんかより畳の上で休まなくちゃね」
 あそこですよと沖田が指さした屋敷を見て、梅乃の足がすこしすくんだ。いったいどうしてこうなったんだろう。こうなったというけれど、どうなったのかもよくわからない。わかるようなわからないような、わからないようでいて、なんとはなしに理解もできるような……。
 そんな気分が消えるはずもなかったが、しばしそれは横にどけておこうと決めていた。


2

「あら、総司さん、いらっしゃい」
「やあ、こんにちは。おのぶさん、いらしてたんですか」
「こちらさまは? もしかしたら……」
「もしかしたら、なんですか? 変なことを考えてもらっちゃ困ります。この娘さんはですね……」
 浅川のほとりで出会ったところから、沖田はその女性に事情を説明した。沖田のうしろで会釈して、梅乃はおのぶと呼ばれた女性を見つめていた。この女性が誰なのか、梅乃にはわかるのである。三十代半ばといった年頃か。すらりと背の高い、梅乃には古風に見える髪形をした美しい女だった。
「あなたの父上には頭の上がらない方が何人かいらっしゃったらしいんだけど、そのおひとりが姉上のおのぶさま。あのひとは生まれる前に父上をなくして、母上も早くに亡くなられたそうなの。だから、あのひとを育てて下さったのは兄上とその奥さまと、姉上だったらしいんですよ。実の姉上のおのぶさまには弱かったらしいわ。どんなふうに弱かったのか、わたしも見てみたかった」
 母が話してくれたそのひとが、沖田と話しているこの女性なのだ。生きていれば六十歳程度であろうはずの、梅乃の伯母。
「そうでしたの。たしかにすこしお顔の色がすぐれないようですね。梅乃さん、どうぞお上がり下さいませ。ご遠慮はご無用ですよ」
「……ありがとうございます。そうさせていただきます」
「お布団を敷きましょうか」
「いえ、すわらせていただくだけで……」
 どうして、どうしてこんなことが起きるのだろう。一時棚上げにしておこうと決めていた気分が、どうしても沸き起こる。梅乃は父の顔を知らないけれど、のぶは歳三に似ているのだろうか。
 座敷に通されると、歳三の兄嫁も顔を出した。この女性は梅乃の義理の伯母だ。奇妙な具合になってしまって、よけいに名乗れるはずもなくなってしまったけれど、初対面なのにひどくなつかしい気がするのは、血のせいなのだろうか。
 義理とはいえ、父を育ててくれたひと。若き日の父と濃く深くつながっていたひとだと考えると、心が乱れるのを止めようもなかった。
「おのぶさん、わかりましたよ」
 歳三の兄嫁が部屋を出ていくと、沖田が言った。
「さっきから私は、梅乃さんが誰かに似ているような気がして仕方なかったんですよ。こうやっておのぶさんと顔を見比べてみてわかりました。あなたたちはなんとなく似てるんですね」
「そうですか。わたしはこんなに綺麗じゃないでしょ」
「そりゃまあ、梅乃さんは若いですから……いや、失礼。だけど、不思議ですよね。なぜ似てるんでしょう」
「若い娘さんのお顔をじーっと見させていただくなんて失礼ですけど、そういえば似てますかしらね。歳三にも似てる気がしますよ」
「おのぶさんと歳さんは似てるんだから、おのぶさんに似た梅乃さんが歳さんに似ててもおかしくないけど、そうか、歳さんにも似てるんですね。まさか歳さんの隠し子ってことは……」
「歳三はまだ二十八ですよ。いくらなんでもこんな大きな娘がいるわけないでしょう。若い娘さんの前で妙なことを言うものじゃありません」
「すみません」
 おのぶに叱られて首をすくめている沖田を見ていると、歳三もこうだったのかと思えてくる。
「梅乃さんはおいくつですの?」
「十七です」
「だんだんお顔の色もよくなってきたみたいですね。今日は総司さんがいらっしゃるらしいと聞いて、兄嫁がぼた餅をこしらえてたんですよ。梅乃さんも上がっていって下さいな。食べられますでしょ」
「ありがとうございます。では、遠慮なくごちそうになります。あの、歳三さまとおっしゃる弟さまは、甘いものなんか上がられるんですか」
「あの子は食べません」
「歳さんは沢庵のほうが好きなんですよ」
 それも母が話したことがある。遠いところを見る目になって、あなたの父上は甘いものはお嫌いなのに、わたしのために箱館の町で、お饅頭を買ってきて下さったことがあるの。だけど、わたしも甘いものは好きじゃなかったから……と。
「女のくせに饅頭が嫌いか」
「女がお饅頭を嫌いだと悪いんですか」
「酒がいいのか」
「お酒も別に好きじゃありません」
「なにが好きなんだ」
「食べものにはあまり興味がないから……」
「そこが女じゃねえってんだよな。それだけに限らんけどよ。そうか、いらねえんだったら捨てちまえ」
「捨てるなんてもったいない。せっかくですからいただきます」
「食うんなら最初から文句を言わずに食え」
 その日だけではないけれど、喧嘩ばかりしていたと、母は楽しそうに語っていた。甘いものは好きじゃなかったはずなのに、あなたの父上がわたしのために買って下さったからかしら、毎日忙しくて疲れていたからかしら。あのお饅頭はおいしかった。
「もったいねえなんて言うところは、おまえも女だな」
「女ですよ」
 顔も声も知らない父が、声を立てて笑う表情を想像しながら、思い出に浸っている母の顔を見ていた記憶が、梅乃の胸をちりっと噛んだ。
「お、今日のはまた特別うまそうだ。梅乃さん、これを食ったら元気が出ますよ。さ、あなたもどうぞ」
 梅乃もまた追憶に浸っていた。その間にぼた餅を盛り上げた大皿が目の前に置かれていて、沖田がさあさあと勧める。梅乃はのぶと沖田に礼を言って、餅を口にした。
「おいしいです、とっても」
「お口に合ってよろしゅうございました」
「うまいですよ、いつに限らず。だけど、なんで梅乃さんは歳さんやおのぶさんに似てるんだろうな」
 沖田がさきほどの話題を蒸し返した。
「遠い親戚だとかいうことはないんですか」
「片桐さまというお名前は、うちの家系では聞いた覚えはありませんけどね……お武家さまでいらっしゃるんでしょ」
「武士の出ですけど、代々医師をつとめております」
「うちにはお武家の親戚はいないはずですよ。他人の空似とも申しますもの。でも、こんな綺麗な娘さんに似てるなんて、嬉しいですね」
「おのぶさんは美人ですよ。歳さんもいつも言ってます。歳さんもいい男だもんな」
「なまじ顔のいい男もねえ……」
「そのせいでもめごとも起きる? いいんですか、おのぶさん、若い娘さんの前で」
「おや、失礼致しました」
 俺はもてたんだ、と歳三はしゃあしゃあと言ったと話して、母が笑っていたのも思い出した。
 あなたはおまさちゃんに似てると、伯母はいつも言った。たしかに似てると母も言ったし、梅乃にもうなずける。だが、梅乃は父にも似ているのだと、今日、はじめて知ったのだった。
「おかげさまですっかり元気になりました。まことにありがとうございました」
 お母さまだって気づいてらしたんでしょ、そんなふうには一度もおっしゃらなかったけど……似てるんですね、私はお父さまにも、心で呟いてから頭を振って、梅乃は実際の言葉を口に出した。
「そろそろおいとまさせていただきます。なんのお礼もできませんで心苦しいのですけど」
「そんなことはお気になさらないで下さいな。今からお帰りになるんですか。日が暮れてしまいますよ。なんでしたら泊まっていかれたら? このあたりには宿もありませんし、今時分から出ていかれたら、梅乃さんのような若い娘さんだと心配ですよ」
「梅乃さんはどこまで帰られるんですか」
「……江戸です」
「東京とか言ってらしたようですが」
「江戸に東京というところがあるんです」
 苦しいいいわけを、沖田とのぶは一応合点してくれた。
「江戸でしたら、私がお送りしますよ。このうちは広いんですから、泊めてもらうといい。私もしょっちゅう泊めてもらってるんです。明日の朝出立しましょう」
「ぜひそうなさいませ」
「でも……」
 沖田の帰る江戸と、梅乃の帰る東京は別なのではないだろうか。どう別なのだかまったくわからないのだが、同じ場所であるはずの江戸と東京を目ざして旅立ったとして、帰りつくのはどちらなのか。
 ここにいる人たちは、文久二年に生きている人々だ。梅乃ひとりが明治の人間。そうすると、帰っていくのは東京ではなく江戸なのか。東京などまだありはしないのだから。
 思考をそちらにめぐらせると、梅乃の気分がまたしても乱れてくる。いったいこれはなに? この状況はなに?
「梅乃さん、顔色がまた悪くなってきたみたいですよ」
「やっぱりまだ疲れてらっしゃるんでしょ。お風呂を立てますから、ゆっくり漬かってお食事をなさって、ゆっくりやすんで明日の朝になってからお帰りなさいな。そのほうがよろしいですよね、総司さん」
「そうさせてもらうべきですよ」
「え……ええ」
 曖昧に返事をしたら、すっかりそうすることにされてしまった。梅乃としては困ったような、一晩寝て考えをまとめるにはちょうどいいような、混乱した心持ちだった。
 のぶがなにかと世話をしてくれて、湯も使って食事もして、別間に延べられた夜具に横たわると、梅乃は改めて考えようとした。が、若い身体が欲していたのは睡眠だったらしい。精神的にもひどく疲れていたにちがいなく、つきつめて考える間もなく、梅乃は眠りの中にいざなわれていった。


 翌朝、梅乃は戸惑いつつも、沖田総司とともに土方家を出た。二度と訪ねるはずのない屋敷だ。少なくともこのままの姿の屋敷を見ることは、絶対に二度とない。
 はずなのだが……本当にそうだろうか。起こってしまった不思議な現象に思いを馳せると、疑わしい気分になってくる。考えをまとめることもできぬうちに夜が明けて、身支度、食事、挨拶、辞去と、日常生活の延長に時間がすぎた。
「疲れは取れましたか。まだ多少顔色がよくないようですが」
 心配そうに顔を覗き込む沖田に、梅乃は強いて笑ってみせた。
「元気になりました。沖田さまのおかげです」
「私のおかげなんかじゃありませんけどね。江戸までは距離があるんだから、休み休み帰りましょう」
「のんびりしていてもよろしいんですか」
「私は平気ですよ」
 振り返り振り返り、梅乃は一歩ずつ父の故郷から離れていく。望みは達したけれども、尋常な達し方ではなかっただけに、心が完全に晴れたとはいえない。このあとどうなるのだろうかとの不安も起こる。
 ふたりが帰る場所はどこなのだろう。江戸なのか、東京なのか、梅乃の知らない『江戸』をこの目で見てみたい気もするけれど、江戸に行ったきり帰れなくなったらどうしよう。
「わたしは医者になりたいのに……」
「いいことですね。女のひとにも夢があるってのは」
「そう思われます?」
「思いますよ」
 母は梅乃の父、土方歳三に言ったという。
「男の夢をおのれの夢のようにも思える。男の夢におのれを託せるのが女です。だけど、女自身の夢を見て努力するのも女。女には両方できるんですよ。殿方にはできないでしょ」
「女の夢をおのれのものとする。女の夢におのれを託す、か。少なくとも俺にはできんわな」
 当初は女のくせに医者なんぞとせせら笑う態度しか見せない父だったが、最後にまさ子に言ったのだ。
「おまえには医術がある。立派な医者になるのがおまえの夢だったんだろ。その夢はほとんどかなったんだろうけど、まだまだおしまいじゃねえさ。おまさ、強く生きろ。見てるぞ」
「あなたの夢は……」
「もうじきに消えるけど、俺は俺の夢を悔やんではいない」
 父の夢ははかない泡沫だったのかもしれない。けれど、互いの夢のために邁進した男と女の間にできた娘、それが私なのだと梅乃は改めて思った。
 梅乃が沖田と出会った浅川のほとりで、沖田は立ち止まった。しみ通るような微笑みを見せ、沖田は梅乃に言った。
「ちょっと待って下さいね。汗ばんできちまった。顔を洗ってきますよ」
「……はい」
 母が愛した父の愛した、日野村の梅が香、梅乃の名の由来になった梅の香りが、たたずむ梅乃の鼻孔に流れ込んでくる。梅乃はそっと目を閉じて香りをいっぱいに吸い込んだ。
「沖田さま?」
 ややあって開いた目を、梅乃はぱちくりさせた。かがんで顔を洗っていた沖田の姿が最前まで見えていたはずなのに、いつ、どこへ消えたのだろう。ほっそりした長身がかき消したごとくに見えなくなっていた。
「沖田さま?」
 川べりに降りていった梅乃に、どこからともなく沸いてきたような子供たちが遊んでいるのが見えた。
「このあたりにいらっしゃらなかった? 若いお侍さま……」
「侍? そんなもん、明治の御世にはなくなっちまったとお父っあんが言ってたぞ」
「お姉ちゃん、なに言ってんだ。頭おかしいんじゃねえのか」
「侍なんぞいるわけねえだろ」
 男の子たちが生意気な口調で口々に言う。
「明治……なのね」
「なに言ってんだよ、まったくよ」
「いえ、いいんです。ありがとう」
 では、戻ってきたのだろう。沖田も時を経た同じ河原で、梅乃が消えてしまったと首をかしげているかもしれない。なんにしても二度と会うはずのない青年だ。梅乃の父がいつくしんだという、あの沖田総司には二度と会えない。
「ぼた餅ができたってよ。みんな、おいでよ!」
 女の子の声に、男の子たちは歓声を上げて走り去っていった。ぼた餅……ひょっとしたら土方家相伝のぼた餅を、あの子たちは現在の土方家の縁側あたりでわいわいと食べるのかもしれない。ぼた餅をこしらえたのはおのぶさまの娘だろうか、嫁だろうか。わたしの従姉妹なのかもしれない。
 将来への夢とはちがうもうひとつの夢、幻のような夢だった。なんて素敵な経験をしたのかしら。今はお父さまのおうちが、身内の方がどうなっているのかも気になるけど、あの夢がこわれてしまいそうだからそっとしておこう。
 梅乃は肩をすくめ、東京の我が家へ向かって、明日に向かって歩き出した。                                                       
了 





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~ Comment ~

どちらがあのひとの本質だったんでしょうね

人はもともと二面性を抱き、双方を行き来することで均整を保って生きているんだろうか、などとふと思いました。
こちらにお邪魔する前に訪れたブログさんで、やたらとしんみり泣きそうになった気分を引きずっていたせいもあるかも知れませんが、今回のこの物語の背景に漂う梅の香りと薄桃色の淡い空気に、なんだか泣きそうになりながら拝読させていただきました。

激しく燃えるだけに生きて、燃え尽きた人生。
新選組の人々は、きっとそういう時代を、立ち止まることすら許されずに文字通り駆け抜けた、んだろうとは思います。
だけど、こういう淡い恋があって、人を愛した瞬間もあったのだと思えると、なかなか一筋縄ではいかない多種多様な色合いを想像出来て、大変おいしく味わいました。

医者という仕事。
似たようなことを生業としている朱鷺にも、じわりと沁みました。
大勢の患者さんに見送られて。
ううむ、夢ですな(^^;

朱鷺さんへ

いつもありがとうございます。
新選組ものは「ショートストーリィ」のほうにもありますので、また覗いてやって下さいね。

私の新選組ストーリィには一応、私が勝手に作った相手役がいまして、斎藤さんには葵、土方さんにはまさ子なのです。
その設定でいくつか書いた物語は、大半が消えてしまったのですが、朱鷺さんがこうして読んで下さると、また書きたくなってきます。

今年の大河では新選組はあんなふうに描かれて怒ってますが、彼らのスタンスって、ほんのちょっと角度を変えてみるとまるっきりちがってますものね。
彼らにだって私生活はあったわけで、剣劇なんて書けない私は、そっちを書きたいと願っています。

ああ、朱鷺さんは医術(厳密には同じではないのかな?)に従事する方ですよね。まだ女医さんは正式にはいなかったはずのこの時代のまさ子をそんなふうに受け止めて下さるのは、朱鷺さんならではかなぁ、とも思いました。
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