BL小説家シリーズ

「うおごころ」

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しおんとネネシリーズ

「うおごころ」


1

 長男が銀二なのはなぜ? と三影が問うと、母が言った。
「今どきの子でもそんなことが気になるの? 実はね、あんたたちにはお兄ちゃんがいたのよ。その子が長男だから、その子は天使になってしまったから、銀二は次男で三影は三男なの」
 母の理屈ではそういうわけで、大塚家のふたり兄弟は次男と三男なのだそうだ。
 兄は大塚銀二、高校生。「ぎんじ」というのは古風な名前であろうが、由来などを尋ねると母の口舌が止まらないだろうから控えている。
 弟は大塚三影、中学生。「みかげ」と読む。母の脳内では天使になってしまったという銀二と三影の兄は、金一だったのだろうか、一世とか一朗とかいう名前だったのだろうか。訊いてみたい気もするが、同じ理由で質問は控えていた。
 小学生のときにはサッカーをやっていた三影は、中学校に入学してサッカー部に入ろうとして見学にいった。ところが、中学校のサッカー部ってこんなにハードなの? とびっくりして怖気づいてしまったのだった。
「おまえが入ってた少年サッカークラブが甘すぎたんだろ。中学の運動部はきびしいよ」
「だから兄ちゃんも、クラブ活動はしなかったの?」
「僕は中学のときには図書クラブに入ってたよ」
「運動じゃないって軟弱。でもさ、僕もあんなにハードなのはいやだから、図書クラブにしようかな」
 むろん兄は三影と同じ中学校に通っていて、卒業して私立高校に入学した。兄弟の中学校ではなぜか、「読書クラブ」ではなく「図書クラブ」なのだ。
 読書でも図書でもなんでもいい。三影は中学生になるまでは本などにはひとかけらも興味がなくて、教科書以外は漫画さえもほとんど読まなかった。中学生は部活をしなくてはならないのだし、楽そうだからという理由のみで図書クラブを選択したのだった。
 事実、図書クラブはぬるい。部活の時間には図書室に集まって、本を読んでいる格好をしていれば時間を潰せる。それだけのクラブ活動だ。
「……本って眠いんだよね。漫画は駄目?」
 顧問の女性教諭に訴えると、彼女は言った。
「漫画で読む日本文学っていうのとか、図書室にあるでしょ? あれだったらいいよ」
「そんなのつまんないよ。うちの兄ちゃんが持ってる漫画とかは駄目?」
「大塚くんの兄さんって、どんな漫画を持ってるの? 私も漫画は好きなんだ」
「なんだか知らないけど、一回見てくるね」
 それまではまったく興味もなかった、兄の蔵書を見てみようという気になったのは、図書クラブのせいだった。
 中学生なのだから、高校生の兄よりも三影の下校時間は早い。兄は学校が終わってもクラスメイトとお喋りをしているのだとかで、帰りはいつだって遅い。兄の部屋に忍び込むのは簡単だ。両親ともに働いているので咎める人もいず、三影は兄の部屋の本棚をじっくり眺めた。
「……漫画ばっかだな。あとは……えと……これってなに? これは小説かな?」
 ずらりと並んだコミックスと、装丁は漫画本のようでいながら、中身は字ばかりの本もある。月光書房、「ふ・FU・芙シリーズ」という本もそろっていた。
「ふ・ふ・ふ? なんだ、こりゃ」
 ふふふシリーズの一冊を抜き出して、三影は冒頭を読んだ。

「なめらかでやわらかな髪、アラベスターのような肌、少年神のような肢体。
 抱きしめようとする織座の腕をすり抜けて、美冠はくすくす笑いを残して駆けていく。華奢な身体にただ一枚まとったレースのブラウスの裾が、織座の頬を叩いていった」

 織座には「オルザ」。美冠には「ティアラ」とふりがなが振ってある。小説の登場人物なのだからいいのだろうが、「みかげ」なんていう名前は普通に思えるネーミングだった。
「アラベスターってなんだよ? えとえと……この字もあの字も読めねーよ。もっと振り仮名つけろよ。ええ? あれ?」
 読み方不明の漢字が多すぎるので飛ばし読みをしていた三影の目が、この描写の上で留まった。

「追いついてブラウスを脱がせる。美冠はひたすらに笑っている。織座は美冠の細すぎるほどの腰を抱き寄せ、平らな胸の小さな乳首を口に含んだ。
「せっかちなんだから、オルザったら」
「焦らすなよ」
「あ……あんっ、そこ、いや……いや」
「ティアラ……」
 織座の片手は美冠の腰をきつく抱き、片手は股間へと伸びていく。美冠のペニスが屹立しはじめていた」

 え? 男? そういえば、少年神と書いてあったっけ。
 すると、オルザのほうが女か? いやいや、そうではなさそうだ。平たい胸と胸がしっかり合わさって、彼らの中心部がなんとかかんとかと書いてある。「彼」とは男であるくらいは、三影だって知っている。
 これってなんだかとってもいかがわしい? こんなの、読んだらいけないかもな。そう思いながらも怖いもの見たさで、三影は兄の本棚の本を次々に開いてみた。
 本棚の本の全部を読んだわけではないが、月光書房の本はすべてがそのたぐいであるらしい。漫画もそのたぐいであるらしい。漫画のほうは過激で、男同士のベッドシーンなどもばんばん出てきて、三影の目が充血しそうになった。


 図書クラブの部員はおおむね、二種類に分かれるようだ。しんどい部活はいやだから、楽をしたい生徒。もうひとつは、本が好き、読書が好きな生徒。前者は男子に多く、後者は女子に多い。三影は前者であった。
「昨日さ、兄貴の部屋にある本を見たんだ」
 翌日、三影は同じクラスで部活も同じ、亜矢に話してみた。
「へぇぇ、腐男子ってのもいるんだね」
「ふだんし?」
「そんな言葉もあるとは聞いたけど、ほんとにいるんだ」
「なんだよ、それ?」
「あたしはほんとはね」
 二種類の部員のうちでは後者であろう、亜矢は言った。
「そっちのほうの読書クラブだとか、漫画研究会だとか、BL愛好会だとかに入りたかったんだよね。中学校にはないからしようがなくて、図書クラブにしたの。あたし、腐女子でオタクだもん」
「オタクってのは知ってるけど、ふだんしとかふじょしってなんだよ?」
「聞いたことない?」
 腐女子、腐男子、とノートに亜矢が書いてくれたのを見て、兄の部屋にあった本にもその単語が書かれていたのを思い出した。
「あれ、ふじょしって読むのか。トーフオンナかと思ってたよ」
「豆とは書いてなかったでしょ」
「すると、ふ・ふ・ふって……」
「月光書房? 知ってるっ。それも腐る「ふ」から来てるんだよ」
 まるで暗号のようなおたく用語に詳しい亜矢は、三影にあれこれ教えてくれた。
「薄くて大きくて、普通に売ってる本とはちがってて、雑誌ともちがってるんでしょ。それ、同人誌っていうんだよ。大塚くんの兄さんって同人誌やってるんじゃない?」
「どうなんだろ」
「高校生?」
「うん、三つ年上の高一」
「同人誌は買ってるだけかもしれないけど、あたしも大塚くんの兄さんに会いたいな。お話ししたいな。学校には仲間がいないんだもん。いるのかもしれないけど、見つからないんだもん」
 身をよじるようにして亜矢は言った。
「大塚くんの兄さんなんだから、顔も綺麗なんだろうね。実は……ううん、言わない」
「あいつの顔、綺麗かなぁ」
「大塚くんと似てる?」
「似てるって言われるよ」
「そしたら綺麗に決まってるじゃん」
 あんたたちは母さんに似て、可愛い顔をしてるわね、と母が言う。三影は兄の顔は意識もしていなかったが、自分は綺麗な顔のほうなのだろうと思っていた。
「うーん、だけど、高校生のお兄さんに、仲間だよねって言いにくいな。だけど、お兄さんの本、見たいよ。大塚くんの家に連れてって。とも言えないかぁ。どうしてキミは男の子なのよっ」
 そんなことを言われても……ではあったのだが、それからは亜矢と内緒話をして、三影の知識は増えていった。
「なんかね、兄貴は小説を書いてるみたいなんだよ」
 兄の留守に部屋に忍び込み、本棚だけを集中的に調べる。父も母も子どもたちにはあまりかまわないほうだし、兄は弟がこんなことをしているとは思ってもみないのか、文芸関係のものは無造作に本棚に並べてある。
 隠しているものもあるのかもしれないが、そこまではわからないので、目につくものを手に取る。部屋中探したりすると兄に気取られるかもしれないので、このくらいでいいのだ。
「シルヴィ・大塚って名前で、忍者の出てくる話を書いてたよ。下手」
「下手なの?」
「下手だよ。忍者なのにシルって名前でさ。シルとユカリマルって忍者同士の恋の話なんだ。あいつも男が好きなのかな」
 同人誌にも入ったらしいとは突き止めたのだが、だからといってお節介は焼かず、三影はただ、兄の銀二、またの名を「シル」を観察していた。


2

 あれから約一年、すこしずつ探り続けたので、兄が同人誌に所属しているとも知っている。兄はあまり言わないので詳しくは知らないが、けっこう深入りしているようでもある。三影は亜矢とは親しくなって、フだのオタクだのの世界への造詣を深めつつあった。
「お兄さんにこれ、できたら……」
「なに?」
「原稿」
 たいへんに銀二に会いたいらしいが、亜矢を兄に紹介はしていない。兄がおおっぴらに口にしないのだから、兄の世界には入り込めない。亜矢は不完全燃焼らしくて、ついに小説を書いて持ってきたのだった。
「兄貴に読めって?」
「できたら、でいいんだけどね……」
「僕が読んであげようか」
「どっちでもいいよ」
 気のないそぶりをしてはいるが、読ませたくないものだったら持ってこないだろう。三影も読書には慣れてきたので、亜矢の原稿を受け取った。
 パソコンのワープロソフトだかテキストだかで書いて、プリントアウトしたのだろう。原稿の一枚目には「亜矢波埒凛蘭音「幕末の嵐」」とある。あやはら・りらね、と振り仮名も振ってある。なんとくどいペンネームだ。
 名前はまあどうでもいいのだが、幕末? 幕末ってのは江戸時代の終わりのこと、坂本龍馬とか織田信長とか真田幸村とか西郷隆盛とか伊達なんとかとか……んん? 時代がごっちゃになってるか? 三影にはその程度の知識しかなかった。
「……やっぱフなのかな」
 読みにくいのかもなぁ、と思いながらも家に帰ってひとりになって、三影は「幕末の嵐」を読みはじめた。

「男が男を好きになったからって、なんで苛められなきゃなんないんだろ。僕はもう学校に行きたくないよ。ヒキコモリになっちゃおうかなぁ、なんて思いながら、家に帰るのもいやになってお寺に入っていった。
 お寺で神様におさいせんをあげて、おがんだ。
「どっかに行っちゃいたい。うちに帰るのもいやだ。明日から学校に行くのもいやだ。僕をどっかに行っちゃわせて」
 目を閉じて一生懸命におがんでいたら、意識が暗くなっていった。
「はっ!!」
 はっと気づいたときには、僕はさっきまでとはちがう場所にいた。
「ここはどこ?」
 白い小石を敷き詰めた広いところは、お寺の境内だ。広い広い場所。僕の家や学校から近い、僕がおさいせんをあげておがんでいたお寺とはちがう。ここはどこなんだろう。
「なにして遊ぶ?」
 男の人の声が聞こえてきて、わいわい言っている子供の声も聞こえてきて、僕はそっちのほうに行ってみた。
「あたしはお人形さんごっこがしたーい」
「僕は怪獣ごっこがいいな」
「かくれんぼなんか飽きちゃったもんね。総司にぃはなにをして遊びたいの?」
 子どもたちにまざっているたったひとりの大人が、総司と呼ばれていた。
「僕は本が読みたいな。この間、ここから歩いて十五分くらいのところに図書館ができたんだよ。童話を借りてきてきみたちに読んであげたいな」
「そんなのつまらなーい」
「トランプしたいな」
「僕は野球がいい」
 子どもたちはわいわい言っていて、遊びが決まらない。突っ立ってみんなを見ていた僕に、大人のひとが声をかけてきた。
「きみは? この子たちと一緒に遊んでた?」
「僕は中学生なんだから、子どもとは一緒に遊ばないよ」
「どこから来たの?」
「どこって……ここはどこ?」
「ここは壬生寺の境内だよ」
「みぶでら?」
 僕の近所のお寺は、盛名寺という。壬生寺なんて名前ではなかったし、もっとずっと小さかった。
「きみの名前は?」
「ナルミヤ・アビトっていうんだ。こんな字だよ」
 カバンからノートを出して、成宮天飛翔と書いてある名前を見せた。
「かっこいい名前だね。僕は沖田総司。よろしく」
「よろしくね」
 どっかで聞いたことのある名前だな。僕が思い出そうとしていると、子どもたちはどこかに行ってしまう。総司とふたりきりになって、僕はカバンに入っていた給食の残りのパンをあげた。
「これはなに?」
「パンを知らないの?」
「……パン? 聞いたことはあるよ。食べたこともあるけど、一回か二回だな。食べていい?」
「いいよ」
「うん、おいしいね」
 パンを一回か二回しか食べたことがないって、それに、この総司ってどうして着物を着てるんだろう。子どもたちも着物を着ていた。すると、あれ?
「今は何年?」
「1863年、僕ら、三月に京都に来たんだ。今は四月だよ。ほら、桜が咲いてるでしょ」
「僕は、二十一世紀から来たんだよ」
「今は十九世紀だよね。そしたら、きみは未来人?」
「そうだよ」
「うっそー」
「本当だって」
 最初は嘘だと言った総司も、そのうちには僕の言ったことを信じてくれた。
「変な服を着てるもんな。それってなんていうの?」
「僕の中学の制服だよ。黒い学生服。下はTシャツ」
「軍服みたいだね」
「学生服だよ」
 お寺の神様をおがんでお願いしたから、僕はどっかに行っちゃったんだ。どっかっていうのは、十九世紀の京都、壬生寺。
「今はなに時代?」
「江戸時代だよ」
「すっげぇ昔だなぁ」
「アビトの時代って百五十年ほど未来でしょ。僕から見たらすっげぇ未来だよ」
「そうかもしれないね。で、総司さんって武士なの?」
「武士だけど、総司さんなんて呼ばなくていいよ。総司って呼び捨てにして」
「総司のほうが年上だろ」
「僕は二十歳。きみは十四歳か。じゃあ、お兄ちゃんって呼んでもいいよ」
「総司兄ちゃん?」
「あはは、それ、いいね」
 僕らはすぐに仲良しになって、総司は僕にいろんな話をしてくれた。
「僕は道場の先生やら先輩たちやらと一緒に、京都に来て新選組ってのを作ったんだ。僕は剣道が上手で強いんだよ。きみも剣道ってやる?」
「学校でちょっとだけ習ったけど、得意じゃないな」
「そしたら、僕が守ってあげるよ。アビトは女の子みたいに可愛いんだもの。保護本能そそられちゃうな」
「……うん、ありがとう」
「それでね、僕は新選組一番隊の隊長なんだ。かっこいいだろ」
「うん、かっこいいね」
 なんだかだんだん、僕は総司を好きになってきた。
 中学校の先輩を好きになって、クラスの奴らにばれて馬鹿にされて苛められるようになった。その先輩と総司は似ている。僕はタイムトラベルしちゃったわけで、先輩には二度と会えないんだったら、総司がかわりになってくれないかな。
 先輩に二度と会えなくてもそんなに寂しくはないみたい。だって、僕には総司がいるもの。新選組にどんなひとたちがいるのかを嬉しそうに話してくれる総司に、僕は言った。
「総司ってゲイじゃない?」
「げいってなに?」
「男のひとを好きになったこと、ある? ホモ……同性愛」
「やだな、なんで知ってるの?」
「僕を守ってくれるって言ったからかな。幕末にはゲイは苛められたりしない?」
「苛められたら僕が守ってあげるよ。アビト、僕の恋人になって」
「うん」
 幕末に来られてよかった。お寺の神様、ありがとう」

 
 あまりにも知識がないのでもやもやした気持ちの中で、三影は思う。お寺は神様ではないのでは? ものすごくことが安易に簡単に進みすぎる、これをご都合主義と名づけるのでは? 
 自分の知識のなさがもどかしくて、幕末に詳しいひとに読んでもらって指摘してもらいたくなってくる。まあ、文章は一応は読めるので、三影は「幕末の嵐」を読み進めていった。

「わーっ、イケメンばっかりだぁ。僕って総司が言ったように女の子みたいだから、イケメンは大好き。総司の剣道の先生の近藤さんはイケメンではないけれど、他の新選組のメンバーはイケメンばっかりだった。
「イケてるメン?」
「そうだよ、総司にいちゃん、面ってのは顔のことでしょ。英語ではメンって男だよね」
「英語かぁ。僕もちょっとは知ってるよ。アイラヴユー」
「きゃっ」
 いちゃいちゃしていると、他のイケメンが邪魔をしにくる。副長の土方さんが僕を抱き寄せた。
「可愛いじゃないか。総司、アビトを俺にくれ」
「いやだ。アビトは僕のものだよ」
「さらいたいな、キスしたくなっちまうよ」
「なにやってんのーっ、僕もまぜて」
「あ、俺も俺も。アビトだったら男でもいいよ」
「アビト、俺の恋人になれよ」
「駄目駄目駄目ーっ、アビトは僕のものだよっ」
 総司が怒って僕を引っ張る。強く引っ張られて腕が痛くなった。
「ああ、ごめん。僕は力が強いんだよね。アビト、泣いてるの?」
「泣くなよ、アビト」
「総司、アビトを泣かせたら駄目だろ」
 学校では苛められて泣いたら、みんなによけいに苛められた。新選組のひとたちって優しいな。みんなで頭を撫でてくれて、僕はとっても幸せだった。
「アビトは百五十年も未来の日本から、江戸時代の京都にやってきたんだよ。ここにはアビトが帰る家もない、行くところなんかないんだ。アビトは僕の恋人になるって約束したんだから、今日からは僕の部屋で一緒に寝るんだ。もう決めたから」
 総司が言い、他のみんなも喜んでくれた。
 大きな部屋でみんなで晩ごはんを食べて、お話をする。テレビも電話もゲームもないから、お話ししかすることがないみたい。だけど、僕は疲れちゃったよ。眠くなってきたので総司にもたれると、総司は言ってくれた。
「アビト、お風呂に入っておいでよ」
「電気もガスもないんだよね。ごはんはどうやって作るの?」
「家政婦さんが作ってくれるから、僕は知らないな」
「お風呂はどうやって沸かすの?」
「ガソリンで沸かすんだろ。僕は知らないけど、家政婦さんが沸かしてくれてるよ。入っておいで」
 俺と一緒に入ろうか、と斎藤さんや藤堂さんが言う。総司が怒ってくれて、僕も怒った。
「馬鹿っ!! えっちっ!! 覗いたら駄目だからねっ!!」
 木のお風呂にゆっくりつかる。ボディシャンプーもシャンプーもないから、洗濯石鹸を使って体も髪も洗う。髪がごわごわになりそうで悲しい。だけど、我慢しなくちゃいけないんだよね。
 僕がお風呂から出てくると、他のみんなも順番に入る。僕は総司の着物を貸してもらい、総司とふたりで総司の部屋に入っていった。
「恋人同士になったら、エッチはするの?」
「アビトがしたいんだったらしてあげるよ」
「明日だったらいけない?」
「それでもいいよ。じゃあ、キスだけね」
 やっぱり総司は優しいな。僕はまだエッチなんて怖いから、キスだけでいい。優しいキスをしてもらって、布団を並べて眠った。
「あれ? もう朝?」
「夜中だけど、僕は出かけるんだ」
「総司にいちゃん、どこに行くの?」
「夜の京都は危険だから、見回りにいくんだよ。アビトは寝てていいから」
「危険って、危険な人がいるの?」
「そうだよ」
「危険な人がいたらどうするの?」
「悪い人は逮捕するんだけど、逮捕できない奴は切るんだ」
「切るって、殺すの?」
「そうだよ」
「そんなの、いやだっ!!」
 僕は総司に人殺しになってほしくないから、一生懸命お願いした。
「人を殺したらいけないんだよ。人殺しって犯罪者だよ」
「僕らは警察のようなものなんだから、悪い奴は殺してもいいんだよ」
「よくない。約束して。総司、絶対に人は殺さないって」
「そんなの無理だよ」
「総司が人を殺したら、僕は総司の恋人やめるからね」
「そんなぁ……」
 泣きそうな顔になった総司を残して、他のみんなは先に行ってしまう。先に行ってしまったのは有名ではない人々で、土方さんや斎藤さんや藤堂さんや山南さんや原田さんや永倉さんは残っていた。
「俺も人を殺したらいけないのか?」
「人を切ったら、アビトに嫌われちゃうのか?」
 新選組は人を殺すのが仕事。そんなのまちがっているんだから、僕がそういうのをやめさせてやろう。僕は一生懸命に言った。
「人殺しっていけないことなんだよ。みんな、そんなことはしたら駄目。人を殺したりしたら天国にいけないんだ。人を殺すのは悪い奴なんだ。僕はみんなが好きだから、そんなことはしてほしくないんだよ。やめようよ、人殺しはやめて!!」
 必死になってお願いしたら、みんなはうなずいてくれた。
「わかったよ、アビト、僕はもう人を殺したりはしない」
「だけど、人を殺さないで新選組ってやっていけるのか」
 横から質問したのは土方さんで、近藤さんが言った。
「やっていけるさ。未来から来たアビトというすごい少年がいるんだ。アビトにいろいろと教えてもらって、新選組は生まれ変わるんだよ。そうすれば未来の人間も、新選組って立派なんだなって言ってくれるよ。そうだろ、総司?」
「そうだよ、近藤さん、近藤さんはかしこいね。さすがに局長」
「いやいや、おだてるな」
「アビト、今日は僕らも寝るけど、明日から僕たちにいっぱい教えてね」
「うんっ」
 これで新選組は平和になるんだね。僕は幕末に来て本当によかった」

 男同士のエッチシーンは三影は読みたくないので、その部分だけは助かった。が、他の部分はいったい? どこがどうおかしいのかを明確にあらわせなくて、読んでいると苛々してくる。さて、どうするべきか。誰に読ませて判断してもらおうか。
 兄の銀二にも歴史の趣味はないだろう。あいつは亜矢以下の文章力と知識しかないと、三影にさえわかる。兄が好きなのは「幕末の嵐」の主人公、アビトと同じくイケメンだけだ。
「あ、そだ」
 たったひとつ、三影にも明らかに変だと思える箇所があったので、亜矢にメールした。
「この小説、どこが幕末の嵐なの?」
 返信はすぐさま届いた。
「新選組ってのは幕末の嵐だよ」
 わかりづらいので、三影もただちに返信の返信をした。
「どういう意味?」
「だーからー、新選組は幕末の嵐って意味のタイトルだよ」
「ああ、そうなんだね。あと、幕末に図書館とかトランプとかあるの?」
「図書館ぐらいあるに決まってるじゃん」
 そんなもの、ないよ、と言い切る自信は三影にはないので、それ以上メールをするのはやめた。
 う……うーん、しかし、この小説、根本的にまちがっているのではないだろうか。
 身体中をちっちゃな虫に這い回られているようなむずむず感というのか、かゆくて痛いというのか、三影はそんな心持ちに苛まれ、考える。それでもやっぱり、読んでもらう相手は第一に兄だ。こうするしかないかな、の手段を用いることにした。


3

 大きな封筒には差出人の名前はなく、宛先は大塚銀二様、シルはなんの気なしに封を切り、中に入っていたパソコンでプリントアウトされた用紙の束を取り出した。
「原稿? うちの同人誌の誰かかな?」
 それならば代表者の閨呪杏、プロ作家の桜庭しおん、プロまんが家の蜜魅などに送るのが筋だと思うが、彼女たちに送っても黙殺される可能性のほうが高い。そこで、同人誌内では唯一、随一の美少年との誉れあるシルに送ってきたのかもしれない。
「なんて読むの? あやはら・りらね? 「幕末の嵐」? そういえば僕は忍者BLを書いたもんね。時代ものという意味では同じか」
 その関係でシルのところに届いたのかもしれない。
 同人誌仲間のうちでは、例会に出てくるメンバーや、その彼女たちの口から出る人の名前しか知らない。ふりがながなかったらシルには読めない「亜矢波埒凛蘭音」なんて名前には心当たりはない。が、シルはけっこう有名なはずだ。
 うちに入れよ、と熱心に誘ったコータローは、「僕と美少年」というタイトルで、シルを紹介するエッセイを書いてくれた。プロ小説家の桜庭しおんは、シルヴィという名のキャラクターが出てくる商業作品を出版している。
 その他、同人誌のほうにもイラストやら文章やらで、シル、シルヴィ、の名は頻出している。同人誌には美少年はシルしかいないのだから、全員にいじられるのだ。一面識もないメンバーまでもがイラストの題材にシルを選び、既存の漫画キャラとの抱擁シーンを描いたりする。
 よって、シルは有名人。こっちは知らなくてもあっちは知っている同人誌仲間は数多いだろう。そういうひとが送ってきたのだと決めて、シルは原稿を読んだ。
「……なんか変だとは思うんだけど、どこが変なのかわからない。僕は幕末も戦国も忍者もわかっていないんだ」
 認めざるを得ないから、認めているから、仲間たちにも酷評されるから、シルは小説を書くのは断念したようなものだ。シルの文章と比較すれば、女性であろうリラネの文は読みやすいとはいえるが、内容は無茶苦茶なのではあるまいか。
「うん、でも、口実には使えるよ」
 コータローに勧誘されて入った同人誌で、シルが惚れてしまったのは桜庭しおん。彼女には押しかけアシスタントのネネがいる。そのネネにプロポーズしたがっている男がいるという話をしてくれたのは、しおんの彼氏の沢崎要だった。
 プロポーズされるべき当の本人、ネネはまだなんにも知らないらしいから、知っているのはしおんと要と、ネネにプロポーズしたがっているウブカタセンイチ、あとはシルだけのはずだ。
 その一件によってシルは要と急接近し、奇妙な気持ちになっている。憧れのお姉さまはしおんであり、BL同人誌に加わってはいてもゲイにも男にも関心はないはずだったシルの心が、要に大きく傾いてしまっているのだ。
 しかし、しおんだってネネだって、シルを好いてはいないから頻繁には会ってくれない。友達になったわけではないのだから、要にはさらに会えない。近頃のシルは要に会える口実を探していた。
「しおんさまは幕末ものの小説を書くって言ってたよね。要さんも幕末には詳しいって、ネネさんから聞いたよ。新選組には詳しい?」
 昼間に要にメールをすると、夜になってから返信があった。
「詳しくもないけど、幕末、新選組、坂本龍馬、そういうあたりはちょっとは知ってるよ」
「僕、幕末が舞台の小説を書いたんだ。しおんさまに見てもらう前に、要さんが読んでくれたら嬉しいな」
「それって例のやつか」
「BL要素はあるけど、そんなでもないから」
「俺には小説の良し悪しはわからないけど、時代考証だったらちょっとぐらい教えてやれるかな。おまえの書いた小説は読んだことないから、読んでみたくなってきたよ。幕末は好きなんだ」
「嬉しいな。だったら読んで」
「ただし、本当に過激じゃないんだろうな」
「ベッドシーンとかはないから大丈夫」
 メールのやりとりで約束が整って、シルは原稿の表紙、「亜矢波埒凛蘭音」の名前のある第一ページを破り取って、「シルヴィ・大塚「幕末の嵐」」と印字したページとすり替えた。


 独身警察官専用官舎に住んでいる要の住まいには行けない。友達を呼んではいけないわけではないらしいが、シルが気詰まりで行きたくないので、同人誌「黒真珠」の定例会も行われる、喫茶「薔薇館」で要と向き合った。
 この喫茶店はアニメファンの集いやネットのオフ会にもよく利用されているようで、長居してもいやな顔はされない。おたくチックな会話をかわしている客も多くて、要の他にも原稿らしきものを読んでいる若者がいた。
「このくらいだったらすぐに読めるよ。まずはざっと読むから」
 要に言われて、シルは居心地の悪さを覚えながらも待っている。アイスクリームとブルーベリージャムのクレープは食べ終え、アイスカフェオレも飲み終え、要の煙草にいたずらしようかな、叱られるかな、と考えるともなく考えながら、要の顔を見ていた。
 彼の表情に浮かんでは消え、またもや浮かぶのは失笑か苦笑か。シルにだって短時間で読めた原稿をやがて読み終え、要はコーヒーのおかわりを注文した。
「ひとつずつ、言ったほうがいいのかな」
「うん、言って」
「あげつらったら全部が全部だけど、大きな問題点はここだ」
 お寺で神様におさいせんをあげて、おがんだ。
「神さまだったら神社だろ」
「そ、そうだったっけ」
「次はここ」
 子どもたちの遊び、お人形さんごっこはまだしも、怪獣なんてものは幕末にはいない。
「現実にいたのはむしろ、原始時代の恐竜だな」
 それから、図書館、そんなものは幕末にはない。
「童話もないだろ。子どもの読みものだったら絵草紙とかってのだったらあったはずだよ。トランプもない。野球もない。幕末だったら石蹴りだのかくれんぼだの鬼ごっこだのにしろよ」
「そうだよね」
 中学生と言われても、幕末の人間ならば、それはなんだ? と応じる。アビトなんて名前をかっこいいと感じる感性はないから、異国人か? バテレンか、と怪しまれる。パンなんてものをこの時代の人間は知らない、要はすらすらと述べ立てた。
「幕末の人間に今は何年? と尋ねたら、文久二年だの三年だのと答えるよ。今どきだってお年寄りだったら、西暦じゃなくて平成で答えるだろ」
「あ、そか」
「それから、この時代は旧暦、四月に桜は咲かない」
「え、そうなの?」
 未来だの軍服だのって言葉も、幕末人は知らない、それから、と要は真顔になった。
「江戸時代の人間は、彼らの生きてる時代が江戸時代だとは思ってないんだよ」
「どうして?」
「江戸時代ってのは江戸幕府のあった時代だ。後世の人間が名づけたんだよ」
「……むずかしすぎるよ」
 その調子で要は、沖田総司の言葉遣いやら語彙やらに駄目出しを続け、小説のラストについても言及した。
「人殺しはいけない、ってのは現代の倫理だろ。人間にとっての普遍的な真理でもあるけど、幕末は特殊な時代だ。新選組は特殊な集団だ。こうやってアビトの説得によって気持ちを変えてしまったら、新選組という集団がなりたたない。こうしたいんだったら新選組は多摩に帰らせて、道楽で剣術をやってる農民に戻らせるんだな」
「ふーん」
「シル」
「なんだよ」
「幕末には剣道とは言わない、剣術だ」
 要は剣道をやっているのだそうだから、剣の時代には詳しいのか。詳しくないなんて嘘ばっかりだ。なんだか悔しくなってきたので、シルは言った。
「これ、僕が書いたんじゃないもん」
「おまえじゃないのか? 誰?」
「誰だか知らないひとが僕に送ってきたんだ」
「シルヴィ・大塚って名前は書き換えたのか」
「そうだよ」
 煙草をくわえた要の目つきが険しくなって、シルはふてくされた口調になった。
「だって、これを書いた奴ってきっと、うちの同人誌でも無名のアマチュアなんだよ」
「だろうな。幕末に洗濯石鹸使ってるって書く奴なんだから」
「石鹸もないの? まあ、それはいいけど、だからさ、これを書いた奴は、同人誌では有名な僕の名前で発表してもらいたかったんだよ」
「手紙でも添えてあったのか」
「手紙はないけど……」
 実のところは、知らないひとの小説だったら要は読んでくれないかと思ったからだ。ぱくるつもりはなかったのだが、要はきびしい口ぶりになった。
「盗作どころか剽窃、犯罪だぞ」
「……いいよ。もういいよっ!!」
 原稿を要の手からひったくって、灰皿に叩き込んで火をつけた。原稿の束の端っこが燃え上がり、要は慌てて水をかけた。
「こんなところで燃やすな。危ないだろ」
「要さんが……要さんが……」
「おまえが読んでほしいと言って、アドバイスがほしいと言ったんじゃないか。俺はおまえの望みを聞いただけだ。俺が悪いのか?」
「そうだよ。要さんなんか大嫌い!!」
 叫び声で言って、シルは喫茶店から走り出た。追いかけてきてくれるのかと期待していたのに、足音は聞こえない。だいぶ走ってから振り返っても、喫茶店のドアが開く気配もなかった。
「……僕、要さんを好きになっちゃったのかなぁ。僕はゲイじゃないのに……しおんさまが冷たいからかな。ううん、要さんなんか嫌いだよ」
 でもでも、結果的には盗作……いや、ひょうさく、ひょうさつ? ひょうなんとかって行為をしてしまった僕が悪いのか。ううん、発表したわけでもないんだから、いくら警察官だからって、要さんが怒るなんて変なんだ。
 走るのはやめて歩き出す。僕もどっかに行っちゃいたいな。幕末にタイムトラベルできたらいいな。そしたら僕はこの目で幕末ってものを見て、新選組とも仲良くなってメモを取り、帰ってきたら小説にするんだ。本物を見てきた僕の小説には、誰もケチなんかつけられない。
 夢想しながら歩き続ける。新選組ってイケメンぞろいなんだよね? そこんところには要さんもなんにも言ってなかったから、ほんとなんだ。沖田総司は二十歳か。イケメンで強い武士と恋人同士になるなんて、いいなぁ。
 どのくらい歩いたのか、疲れてきたシルは、どことも知らないバス停のベンチに腰を降ろした。バスはやってきそうにもなく、待っているひともいない。ベンチに腰かけて幕末に行きたい、新選組に会いたい、と念じていると、遠く遠くに長身の人影が見えた。
 どきっとして、逃げようかと思う。逃げたところで脚が長くて足の早い要には追いつかれるだろう。自分がなにをしたいのかも理解せぬままに、シルは停留所の標識のようなものに取り付いた。
「なにやってんだ、なにを暴れてるんだ」
「……これを引っこ抜いて要さんをぶん殴るのっ!!」
「そんなものはおまえの力では振り回せないよ。やめろ」
「いやだ」
「公共物破損の罪状で逮捕するぞ。ああ、逮捕って言葉も幕末にはなかったはずだな。神妙にお縄をちょうだいしろ、か。シル、やめろって」
「やだよっ!!」
 どうして僕はこんなに荒れた気分なんだろう。それすらもわからぬままに、シルは要に武者ぶりつこうとした。
「馬鹿、鎮まれ」
 軽く頬を叩かれて、シルは要の胸に抱きついた。
「……うっ、うっ、うわーっ!!」
「泣くほどじゃないだろ。おまえ、しおんにだったらもっときつく殴られてるじゃないか」
「だって……だーって……」
 まともな言葉も出てこない。神さま、お願い、このまんまの姿で幕末にタイムトラベルさせて。要さんと一緒だったら、僕はなんにも怖くない。ああ、僕、マジになっちゃったんだろうか。真面目に考えれば悩みたくなるのだろうが、今しばらくはシルは、要の胸の中で泣きじゃくる甘いひとときに浸っていたかった。


to be continued




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