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小説317(硝子の少年)

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フォレストシンガーズストーリィ317

「硝子の少年」

1

 光と風の中で笑っていると、十六歳にして虚飾の世界に放り込まれて生きている少年が、自然に輝いて見える。
 彼は自ら望んで、その世界に身を置いている。不満があるのだとしても、彼が選んで歩き出した道なのだから、はたからとやかく言うものではない。俺たちのいる場所も、これから歩いていこうとしている道も、虚飾といえばいえるのだから。
 そうとわかってはいても、我々が十六歳のころって、と較べたくなる。
 十六歳ならば俺たちは全員、故郷の高校生だった。東京、横須賀の都会っ子、本橋と幸生にしても、純朴な高校生だったはず……幸生は純朴でもなかったかな? ませてたみたいだもんな、ではあるのだが。
 二十年近くも昔の高校生と、今ふう高校生を較べるのもまちがっているだろう。特に鈴木瑛斗はアイドルだ。俺たちの高校生のころとはちがいすぎる。
「僕も連れてってっ!!」
 かねてから瑛斗は、フォレストシンガーズの合宿についていきたいと言っていた。俺たちと共同生活をしていろんなことを教わりたいと、殊勝な考えを持っているらしい。
 そんな瑛斗が、俺たちがニューアルバムのレコーディングとプロモと写真撮影のために、ゲストにも来てもらって山荘に滞在すると聞きつけたのだから、僕も連れていって!! となったのだ。遊びではなく仕事だと言っても、僕もゲストにしてよ、と言い張って、スケジュールの都合をつけてもらったのだった。
 我々サイドも、アイドルがひとり加わってくれるのもいいだろうとなって、初日から瑛斗も連れて山荘へとやってきた。
「レコーディングもここでやるんだよね」
 きらめく風と光の中で笑っていた瑛斗が、幸生に質問していた。
「そういう設備が整ってるんでしょ」
「そうだよ。あそこに見える別棟がレコーディングスタジオ」
「仕事だって言って、半分は遊びだったりして?」
「ミュージシャンが遊びにくるには最適だね」
 最近建てられたこの山荘は、日本びいきのアメリカのシンガーが施工主である。彼の名はデューク・スミス。世界的に高名な黒人ソウルシンガーのデュークは、三沢幸生とデュエットした曲を日本で発売したトリビュートアルバムにおさめている。
 シゲが結婚して一年ほどたったころ、我々の大学の先輩である高倉プロデューサーの依頼でデュークとデュエットした幸生は、例によって例の如く、デュークに可愛がられるようになった。
 多忙なデュークは仕事をすませて矢のように帰国したのだが、それからも幸生とは交流が続いていたのだそうで、この山荘が建てられたときにも、幸生にはいち早く連絡が届いた。私はすぐには使えないから、一番にはフォレストシンガーズに使ってほしいと。
 光栄な申し出に喜んだうちの事務所の社長が、ならばこの次のアルバムのために使わせてもらおうと言って、レコーディングも撮影も、となったのだった。
 それほどに素晴らしい環境で、数日はすごせる。多彩なゲストも予定している。プロモのためにはみずき霧笛さんが書き下ろしてくれた脚本も用意している。撮影スタッフも数日前からロケハンのようなことをしていた。
 ア・カペラグループライヴ、全国コンサートツアー、それらがはじまる前に、俺たちも山荘に入った。すがすがしい空気の中で、シゲは走りにいったのだろう。今日は仕事開始の前日だから、本橋とミエちゃんは散歩にでもいったか。
「おーい、瑛斗、ここにカブトムシがいるぞ」
 その声は章で、幸生は喜んで走っていき、瑛斗は言った。
「えー? 僕、虫は嫌いだよ。気持ち悪い」
「男のくせに虫が嫌いって、ガキのころに虫捕りしなかったのか」
 章が尋ね、幸生が応じた。
「瑛斗は姉さんふたりだろ。女の子は虫を嫌うから、弟としては虫捕りなんかやれなかったんじゃないの?」
「幸生は妹ふたりだろ。輝美ちゃんや雅美ちゃんも虫は嫌いだったのか」
「あいつらは虫を見るとまっ黄色の悲鳴を上げてうるさいから、捕ってきても見せなかったよ。隠しておいたら忘れちゃって死んじゃって、ひからびてゴキブリみたいになってたりして」
「美江子さんにも弟がふたりいるから、虫なんかへっちゃらだって言ってたけどな」
「ヒデさんの妹も、兄貴と弟に囲まれてるんだから、虫は平気みたいだよな」
 距離を置いて眺めていると、少年三人にも見える。小柄で細い兄ちゃんたちと、さらに小柄な弟。三兄弟が話しているようにも見えて微笑ましかった。
「章の弟は虫は嫌いじゃないだろ」
「龍はちっこすぎたからなぁ……一緒に虫捕りなんかしなかったよ」
「北海道にもカブトムシっているのか?」
「いるよ」
「近頃はどこにもあんまりいなくて、カブトムシってのは買うものだと思ってる子どもが多いんだよな。瑛斗もそうだったか?」
「カブトムシなんか買ってほしくないよ」
「虫を飼ったりしなかったのか?」
 かって……かって……? 瑛斗は首をかしげていて、幸生はけけっと笑い、章が言った。
「漢字シャレってのもオヤジ趣味だよな。ガキには通用しないんだから、幸生、やめとけよ」
「おまえには通用するんだから、章ちゃんもオヤジだね」
「……同い年に言われたくないってか、瑛斗、俺たちってオヤジか?」
「まあね」
 けろりと答えられて幸生と章はうなだれてみせ、俺も苦笑した。
 ふたつ年下の幸生と章がオヤジなのだから、俺はもっとオヤジだ。瑛斗は十九歳も年下なのだから、オヤジと見られても当然だろう。
 十六歳のころ、三十代の教師は当然、オヤジやおばさんだった。俺の両親はそのころは四十代に入ったばかりだったか。父と母ももちろん中年に見えていて、祖母なんかは妖怪おばばだった。祖母をくそばばあと呼んで口元をつねり上げられたのは中学生のころまでで、高校生にもなれば口では言わなくなっていたが。
 あのころの中年の年頃にこっちがなっているのだから、オヤジ呼ばわりされるのも無理はない。苦笑しているしかない。
 みんなはそれぞれに自由行動しているから、俺もバルコニーに出したカウチにかけて読書をしようとしていた。学生時代に読みかけてほっぽり出した哲学書を読もうとしたのだが、そこに出てきた少年たちが気を散らしてくれる。
 離れていると体型と声とで少年に思えてしまう三人。彼らののどかな会話に微笑や苦笑を感じて、ゆるやかな時間がすぎていった。


 翌日には新たなゲストがやってくる。本日は寺島彩花登場だ。
 いつだったか、俺のマンションで幸生と妄想話をしていたときに、俺は俺の相手役として、彩花という名の女の子を創造した。小柄でほっそりした可愛い女の子。俺の理想のタイプはそういう外見になってしまう。
 本物の彩花ちゃんが新人歌手として俺たちの前にあらわれたときには、俺はそんな妄想は忘れていたので、胸に小さなトゲがささったような気分になった程度だった。
 思い出したのは幸生で、彩花ちゃんって、ほら、と言ったのだ。他人の妄想まで、その中に出てきた女の子の名前まで覚えているとは、幸生の記憶力には恐れ入る。それからは幸生は彩花ちゃんと親しくなって、彼女のシングル曲を作詞し、プロデュースもした。
 そのシングルの売れ行きははかばかしくなくて、彩花ちゃんはドラマにも出演した。ドラマの視聴率もぱっとしなかったのだそうだが、演技の勉強はしたと聞いている。
 彼女の所属事務所では、寺島彩花を売れっ子にしようと努力している。その努力の一環であるのかもしれない、フォレストシンガーズの芝居仕立てのプロモに寺島彩花が出演する。みずきさんの脚本によると、こんなストーリィだ。

「思い切って告白します。私はあなたが好き」
「……俺から見るときみは若すぎるよ」
「年の差婚って流行ってるんですよ」
「年の差婚ってほどには年の差はないだろうし、結婚なんてのは考えられもしないよ」
「どうして?」
「だから、俺にとってはきみは若すぎるんだよ」

 男のほうには実は意中の女性がいる。そうとは言えなくて、告白してくれた若い女の子に、年齢を理由に断りの台詞を言うのだ。
 そのような歌詞を書いたのは三沢幸生で、作曲は本橋真次郎。本橋がソロを取る歌なので、この芝居の主役になるのは本橋だ。えー、俺がこんなもてる役かよっ!! と本人は言っていたが、嬉しそうでもあった。
 朝もやの流れる白樺の林で、本橋と彩花ちゃんが撮影に臨んでいる。俺の横に立っている瑛斗はカジュアルな普段着で、出番はないのに緊張していると見えていた。
「瑛斗くん、どうぞ」
「はい」
「あれ? 瑛斗、おまえ、出るのか」
「そうなんだよ。内緒にしとくって話しだったから……ああ、はいはい、出ます」
 好きになった年上の男に告白して拒否されて、悄然としている美少女。白樺の幹にもたれて涙をこらえている彼女のもとに、少年が寄っていった。

「こんにちは。どうしたの? 泣いて、る?」
「泣いてません」
「泣きたそうな顔をしてない?」
「してないよ。ほっといて」
「だって……放っておけないもの。あなたのために、僕にできることはないの?」
「いいからほっといてよっ!!」

 少年に声をかけられてむしろ激情がこみあげたのか、少女は幹にしがみついて泣き出す。少年はおずおずと、彼女の背中に手を伸ばしかけてはためらっている。瑛斗はドラマや映画には出演経験がないと言っていたが、けっこう達者だった。
 

2

 もうひとつ、少年時代の淡い恋を歌った「おもひで」。乾隆也作詞、木村章作曲のソフトロックな歌のプロモの主役は、鈴木瑛斗が演じた。
 山荘の広い広い庭には、短距離走なら十分にできるレーンがある。走るのが好きなシゲは、そこでスタッフと競争して、二十代の若者にことごとく勝って嬉しそうだった。そのレーンを走る少女がいる。その少女役の華橘ちゃんを見ていると、千鶴とかわした会話が思い出された。
「乾さんが詩を書いた「おもひで」のプロモの女の子の役、私にはさせてくれなかったのはなぜだか、知ってるよ」
「いや、別に千鶴にやってもらわなかったんじゃなくて……」
「知ってるもん。私は下半身が重そうだからでしょ」
「そういうわけではなくて……」
 中学生の役は十九歳の千鶴では大人すぎるし、そもそもあの役は社長が華橘ちゃんの事務所から売り込まれて決定したのだ。
 華橘と書いて「かぐり」とは無茶読みであるが、本名でさえもなんでもありの風潮なのだから、芸名ならばさらに、名前はなんでもありだ。姓と名の区別のない名前もざらにあって、彼女もそんなひとりなのだった。
「なんであれを「かぐり」って読むの? 乾さん、なんでだと思います?」
 幸生の質問には、連想ゲームだろうと答えておいた。橘→五月→緑の風→グリーン→ぐり、としか俺には考えられない。
 なにはともあれ、十五歳の新人女優、カグリを猛烈アピールされて、うちの社長が受けたのだから、俺たちには選択肢もない。別段カグリちゃんには不満もなかったのだが、若い女優の奈々と千鶴には猛抗議をされた。
「どうして奈々を使ってくれないんだよ。千鶴はケツが重そうだから似合わないんだってひがんでだけど、奈々のケツはちっちゃくて可愛くて、年だってあのカグリって子と変わらないのに」
「奈々……」
「ケツって言うなって? 想像通りのお説教しないで」
「わかってるんだったら改めろ」
「うるさいんだよっ」
「電話だって覚えておいて、今度会ったらお尻、ぱちんってするからな」
「いーだ。乾さんなんか大嫌いっ!!」
 奈々の会話は、乾さんなんか大嫌い!! で終わるのが常であって、俺としても気にはしていない。嫌いだと言うくせになついてくるのだから、若い女の子ってものは不可解なのだ。
 他意はなく、決めたのは社長だっていうのに、知り合いの若い女優に俺が詰られて言い訳をしなくてはならなくなった、今回の配役。カグリちゃんがレーンを走るのをじっと見つめて切ない吐息をつく少年、瑛斗については、意義をとなえる者はいなかった。
「あの歌は乾くんがリードを取るから、ファンのみなさまは乾くんの少年時代だってイメージなさるよね。そうすると、乾くんの少年時代が瑛斗くん?」
 ぷふっと笑っていたミエちゃんの真意は、気にしないことにしておこう。
 切ない表情の少年の横顔に、俺のノスタルジックな歌声がかぶさっていく。完成したプロモの映像を想像しながら、瑛斗と華橘の演技を見物していた。
「はい、乾さん、どうぞ」
 見物ばかりはしていられない。少女を見つめる少年の肩を叩く大人の男。おまえ、彼女が好きなのか? 片想いか? と語りかけている声は聞こえないものの、そんなふうに話しかけているのだとみずきさんが教えてくれた、その役が俺だ。
 彼は少年か少女の教師ででもあるのか。父親役だとすれば俺が気の毒だし、兄貴というには年上すぎるし、教師にしておこう。俺の顔は一瞬だけ映り、ファンの方がはっと気づいたときには、少年と男のうしろ姿になっているという寸法だった。
「あの子、下手だよね」
 撮影が終了して山荘の廊下を歩いていると、彩花ちゃんの声が聞こえてきた。
「瑛斗くんはあの子よりも、私とのほうがやりやすくない?」
「僕はこういうのってはじめてだから、やりやすいのやりにくいのってわかんないよ」
「あの子をかばってるの?」
「かばってないけどさ」
「さっきの走ってる女の子の役だって、私にやらせてくれればいいのに」
 不満はここからも出ているようで、瑛斗が彩花ちゃんの鬱憤を聞かされているらしい。覗いてみると、図書室の前の壁にもたれた彩花ちゃんと瑛斗が話していた。
「瑛斗くんだって下手だもんね、下手は下手同士のほうがやりやすいんじゃない?」
「僕は相手役が下手なのかどうかも、まだよくわかんないよ」
「未熟だね」
 一応、映画出演を果たした俺には、上手下手の判断はいくぶんかはつけられるようになっている。彩花ちゃんの演技は決して下手ではないが、きわめて上手というほどでもない。瑛斗とだったらさほど差があるとも思えない。
 おまえ、意外にうまいよ、と俺は瑛斗に言ったのだから、彩花ちゃんに決めつけられて気分を損ねたのだろう。彼女の肩を両手でどんっと突いた。
「生意気言うなよな。おまえだって……」
「なにすんのよっ!!」
 気が強いのはこういった職業の女性としては、当然至極である。放っておくと取っ組み合い、つかみ合いに発展しそうなので、俺はそこに割り込んで瑛斗をかつぎ上げた。
「彩花ちゃんはおまえよりも身体の小さい女の子だ。乱暴するな」
「あ、あ、そうだった。ごめんなさい」
「ごめんなさいとあやまらなくちゃならないことは、するなって言っただろ。してしまったんだから潔く詫びるのはいいことだよ。おまえは調子いいってところもあるけど、素直に詫びるんだったらいい。彩花ちゃんにもあやまれ」
「うん」
「返事ははいだ」
 きびしめに命令すると、はい、と返事が聞こえる。瑛斗を肩から降ろしてやると、ぽけっとしている彩花ちゃんに頭を下げた。
「突いたのは僕のほうだよね。ごめんなさい」
「……うっ、むかつく。乾さんに言われたからあやまってるんでしょ。むかつくし、あたしもあんたをひっぱたきたーい」
「彩花ちゃん、やめなさい」
「乾さんには関係ないでしょ。やめたくないのっ!!」
「どうする、瑛斗? ひっぱたかれるか?」
「やだっ!!」
 これはどうしたもんか、と迷っている俺の横をすりぬけて、彩花ちゃんが瑛斗の頬を叩こうとした。俺は咄嗟にその手をつかみ、彩花ちゃんの細い身体を引き寄せる。彼女は大きな目をなおいっそう見開いて悲鳴を上げた。
「やだーっ!! 乾さんが彩花をぶつーっ!!」
「……下手をするとセクハラになるんだよな。喧嘩はもうおしまい。いいね」
「はいっ」
 おや、こっちも急に素直になったな、と思って手をゆるめると、彩花ちゃんは本当に怖そうに俺を見た。
「乾さんって……怖いからやだ。瑛斗くんも乾さんは怖いんでしょ」
「うん、まあ、怖いったら怖いね」
「前に三沢さんが、彩花ちゃんは乾さんに恋しないの? って聞いたんだけど、絶対にしない。私は優しいひとがいいの。ぶったりするひと、大嫌い」
「うーん、まあ、そうだよね」
 この言い方では俺が女の子に手を上げる、暴力男みたいではないか。
 奈々や千鶴や多香子あたりにだったら、いい子にしないとお尻をぶつよ、程度の脅しは口にする。実際ごく軽くだったら、めっ、と言う意味で尻をぱちんとやってやったこともある。それは暴力ではないが、セクハラでもないとは言い切れない。
 であるから、俺を好きだと言った千鶴にしかしない。セクハラというものは女性側の意識によって百八十度ちがうものなのだから、口では言っても実行はしない。それでも俺は彩花ちゃんには怖がられているらしくて、くしゅんくしゅんと泣きながら、彼女は行ってしまった。
「どうしたの、なんかあった?」
 そこに登場したのが華橘。彼女は彩花ちゃんよりも若いが、伸びやかな肢体をしていて背も高い。十六歳の瑛斗よりも高い。鼻も高くて、ハーフのような顔立ちをしていた。
「女の子がきゃあきゃあ言ってたよね。瑛斗、彩花にセクハラしたんだろ」
「してねーよ。したんだとしたら乾さん……」
「俺だってセクハラなんかしてませんよ」
「ほんとう?」
 疑わしそうに、カグリが俺を見つめる。彼女はプロモに出演すると決まったときに、彼女の事務所の社長に連れられて挨拶にきた。あのときには会話もしていないので、今回が初対面同然だ。
 キャリアの長い、年もはるかに上の男に向かって、なれなれしい小娘だな、とは思う。説教したくなる気持ちはなくもないのだが、なんだか面倒になってきた。俺が図書室に入っていくと、瑛斗とカグリも入ってきた。
「乾さんって本が好き?」
「すげぇ好きみたいだよ」
「瑛斗に聞いてないんだよ。乾さん、質問に答えたら?」
「好きですよ」
 えらく高飛車な小娘だ。なにか意図でもあるのだろうか。
「本なんてどこが面白いの? カグは本なんか読んでたら寝ちゃうよ」
「台本だったら読むんだろ」
「あたしは瑛斗と喋る気はないんだから、あんたは出ていけよ」
「……乾さん……」
 不服そうな、それでいて、乾さん、なんとか言ってよ、と言いたげなまなざしを瑛斗が俺に向ける。僕がこんな無作法な口をきいたら叱るくせに、と言いたいのかもしれない。
 俺にはまちがいなく説教癖はある。慕ってくれる年下の相手にならば、男でも女でも小言を言って、うざったい奴、うるさい奴、と言われる。乾さんなんか大嫌い!! と罵るくせに、それでもかまってほしがる奈々だとか、乾さんに叱られるの、嬉しい、と言う千鶴もいる。
 乾さんにいろんなことを教わりたい、と言う瑛斗や、乾さんって薀蓄おじさんだよね、と笑う哲司やら、乾さんってうるせーけど、乾さんとつきあうようになって言葉を覚えたよ、と言っていた洋介やら、男もさまざまだ。
 そんな中に、稀にはいる。この子には説教をしたくないと思う相手だ。
 たとえばミルキーウェイ、たとえば亜実。直感だったのだろうか。相手が俺を嫌うからというよりも、正直なところ、俺が相手を嫌いだったからだ。三十をすぎても若い子を嫌うだなんて、器の小ささを露呈しているのだろう。
 直感だかなんだか知らないが、最初に、こいつには説教もしたくないな、と思った人間とは、たいていそりが合わなくて好きにはなれない。麻田洋介のような例外もいるが、相手が女性の場合は、嫌いだといったら嫌い。異性だからなのだろうか。
「瑛斗は本は嫌いだったか?」
「学校で読まされて、読書感想文を書けって言われるじゃん。だから読書って嫌いなんだよ」
「感想文はむずかしいもんな。そういえばおまえは漫画も読まないんだったか」
「字を読むのは嫌いだよ」
 読書には感想文がつきものという、学校教育の弊害だろうか。本を読むのが嫌いでも、人生にはなんの害もないような気もすれば、読書好きとしては、若い子に本を読む悦びを教えてやりたいような。
「変なの。てめーらってホモかよ」
 ぷーっと頬をふくらませたカグリが言い、瑛斗がなにやら言い返そうとしたとき、図書室のドアにノックの音がした。
「カグちゃん、やっぱりここにいたんだ」
 入ってきたのは、カグリのマネージャー、三根氏だった。
「この山荘って、外人の歌手が建てたんでしょ。するってえと、本は英語ばっか? 乾さん、英語の本を読んでんの?」
「日本に建てたんだから、日本人が利用することも多いってわけでね、日本語の本も蔵書の半分ほどは占めてますよ」
「ゾーショって?」
「あなたも読書は嫌いですか」
「嫌いが普通でしょ、本なんて。図書室ってだけで嫌いだよ。カグちゃんはなんでこんなところにいるの?」
 若いシンガーやタレントには、もの知らずが多い。俺だって他人のことは言えないが、俺なんかはましなほうだよね、ばあちゃん? と死んだ祖母に確認したくなるような輩はいくらもいる。
 が、そんな人種をサポートする立場のマネージャーさんたちは、おおむね常識人だ。瑛斗のマネージャーさんしかり、アイドル時代の麻田洋介についていたひともしかり。
 洋介はラヴラヴボーイズというアイドルグループの人気ナンバーワンだったわけで、彼らは超人気者だったのだから、五人のメンバー個々にマネージャーがついていた。ひるがえって、佐田千鶴のように無名に近い俳優だと、決まったマネージャーはいない場合もある。
「近頃の編集者って、若い作家がとんでもないまちがいをしていても、見逃してそのまんま出版してしまうことがよくあるんですよ。徳川幕府の将軍を「大樹公」と呼ぶでしょ? その名称を固有名詞だと思い込んでいた作家がいて、そう書いたんです。編集さんもチェックもしないで出版してしまって、読者に指摘されて気づいたというていたらく。僕も無知ですから、若い編集さんだと不安ですよ」
 みずきさんが言っていたところからしても、編集者とマネージャーにはそういう傾向が出てきているのであるらしい。
 にしても、ここまで非常識なマネージャーってのには初にお目にかかった。
 三根氏はマネージャーではなく、タレントになったほうがいいのではないかと思えるルックスのいい青年で、二十代半ばってところだろう。俺は根が意地悪なので、彼がこういう口をきけばこう切り返す。俺がわざと丁寧に喋っているのにも、彼は無頓着だった。
「カグは乾さんとお話ししたかったのに、こいつら、ホモなんじゃないのかな。ふたりでいちゃいちゃしてて、カグを仲間はずれにするんだよ」
「へー、ホモなんだ? ま、いいじゃん。カグちゃんはそろそろ寝ないと、お肌が綺麗じゃなくなっちゃうよ。乾さんはなにを読んでんの?」
「読書は嫌いなのに、俺の読んでる本には興味があるんですか」
「いや、本が好きだって変人は、どんなの読むのかと思って……カグちゃんより瑛斗が好きで、本が好き。乾さんって完全に変人だもんね」
 怒る気にもなれなくて、デュークの山荘にたどりつき、図書室があると知っていたので見にきた瞬間から、興味のあった本を三根氏に見せた。
「なんだこりゃ。ソウルミュージックの歴史? 乾さんってそんなこと、知らないの? 今さら勉強しなくちゃいけないほどになんにも知らないの? つまらなそうな本だね」
「私は非常になんにも知らないんでございますよ」
「だけど、知らなくてもいいんじゃない?」
「あなたは知らなくてもいいんだろうけど、俺は知りたいんですよ。勉強っていうよりも、読書は娯楽だね」
「娯楽で本を読むのか。カンペキ変人だな」
 自宅から持ってきた哲学書だと勉強に近くて眠くなるが、音楽の本を読んでいると目がぎんぎんに冴え渡る。上質なミステリを読む以上に脳を刺激される。音楽に携わる者だったらそれが当然なのだから、変人だと言いたい奴には言わせておこう。
「でもさ、カグは乾さんとお話ししたいな。本なんか読まないで、お話ししようよぉ」
「乾さん、カグちゃんがこう言ってくれてるんだから、お話しくらいしてもいいでしょ」
「こう言ってくれてありがとう。だけど、俺は本を読みたいんで、子どもは寝てきなさいね」
「カグ、子どもじゃないもーん。やーん、乾さんって失礼だよぉ。三根くん、怒ってよ」
「……うん、まあね。カグちゃんが売れたら、乾さんも態度を変えるよ。大人ってのはそんなもんだ。カグちゃんはまだ無名だから、しようがないね」
 したり顔で言う三根氏に、瑛斗が言った。
「カグリが無名だから、乾さんがつめたくしてるって思ってんの? あんた、馬鹿だね」
「なんだよ。ホモのくせに」
「僕はホモじゃないけど……えと……乾さん、僕……なんて言ったらいいのかわかんないよ」
 ボキャブラリーの乏しい少年なのだから、瑛斗には言葉では的確に感情を表現できないはずだ。俺としては三根氏ともカグリとも話し続けていたくなかったので、瑛斗に向かって言った。
「人は自分の品性に合わせたものさしを持っていて、そのものさしで他人をもはかろうとするんだ。俺も他山の石としよう。おまえもだぞ、瑛斗」
「むずかしいね」
「ことわざ辞典でも読むか? うん、この本は借りていくから、瑛斗、行こう」
「あーん、乾さんったら、カグと遊んでくれないよぉ」
「だから言ってるだろ。カグちゃんが無名だからだよ。がんぱって有名な女優になったら、乾さんだってかまってくれるからさ。だけど、なんだってカグちゃんはこんな男にかまってほしいの?」
「なんでだか知らないけどさ」
 まだうだうだと言っている三根氏とカグリに軽く会釈だけして、俺は瑛斗を連れて図書室から出た。
「なんなんだよ、あいつら」
「カグリが有名な女優になったら、か」
 きっとてのひらを返す輩もいるのだろう。有名な女優になって、中身もそれに伴っていたら、俺もてのひらを返してあげられるよ、と心で言ってみた。


3

「僕がこういう仕事をするようになったのは、芸能人の女の子と知り合うチャンスが多いからだよ。彩花ちゃんともこうして知り合えただろ。ね、僕とつきあわない?」
「うちの事務所は、成人するまでは恋愛禁止です」
「恋愛じゃなくていいんだよ。どうせ遊んでるくせに」
 こんな会話を耳にしてしまえば、知らん顔はできない。俺がここにいるとは知らないようで、彩花ちゃんを口説いている三根が嫌いだからといっても、説教なんかしたくもない人種だからといっても、出ていくべきだろう。
「彩花ちゃん、そいつだったら殴っていいよ」
「あ、乾さん」
「俺が殴ると問題だろうから、きみがやっていいからね」
 言いながら三根の背後に回って、両手で両腕をとらえた。
「いいから往復ビンタを食らわせて、ストレス解消したら? こいつは自業自得だし、俺も説教は省けるし、ちょうどいいよ」
「あ、な、ちょっと……離せよ」
「離したくないな。彩花ちゃん、いや?」
「いやじゃありません!!」
 決然として言った彩花ちゃんの繊手がひるがえり、三根の両頬で派手な音を立てた。
「はい、おしまい。これでいいかな、彩花ちゃんは?」
「三根さんが二度と馬鹿なことを言わないんだったらね」
「だそうだよ、よかったね」
 開放してやると、三根は悔しそうに彩花ちゃんと俺を見比べた。
「僕はよくなんかないよ。なんで殴られなくちゃいけないんだよ」
「きみの言ったことこそがセクハラだよ」
「芸能界では普通だろうが」
「きみの事務所では、社長がそういうのを認めてるの? 暗黙の了解ってやつなのかな」
「カグには手は出さないけど、芸能人の女なんてみんな……あんただっていい格好してるけど、遊んでるんだろ」
「きみとそんな話をする気はない。失せろ」
 むーっとした顔になって、三根は自分の拳を見ている。殴りかかってくる危険性はあるだろうから、俺は彩花ちゃんを背中に押しやって警戒はしていた。体格は俺と似たようなものだし、本橋やヒデのような喧嘩の猛者には見えないから、互角で勝負できるだろうと思っていた。
「むかつくな。でも、まあ、内緒にしといてやるからさ」
「内緒にしておいてもらいたいのはきみだろ」
「なんだか僕は、あんたに最高にむかつくよ。鈴木瑛斗と乾隆也はホモだって、週刊誌に売ってやろうかな」
 馬鹿馬鹿しすぎて返事もできないでいる俺を憎々しげに睨んで、三根は背を向けた。
「……乾さん、いいんですか」
「瑛斗と俺がホモだってのは事実無根だから、いいんじゃないのかな」
「そうですよね。だけど……」
「大丈夫だよ。彩花ちゃんは心配しなくていいから」
「……えとえと、ありがとうございます。でも、やっぱり乾さんって怖いんだよね」
「第一印象のせいかな」
 彩花ちゃんとの初対面のときには、幸生が大げさに言ったのではなかっただろうか。幸生は彩花ちゃんと親しくなっているので、乾さんって怖いんだよぉ、と言いまくっているのではなかろうか。先入観と刷り込みにより、俺は彩花ちゃんに怖がられている。
 怖がられるのは困ったものではあるが、どうにもしようがない。女性や子どもには怖そうだと言われることの多い本橋の気持ちが、ちょっぴりわかる気もした。
「三根さん、どうかしたのかな」
 厨房には今回のためにお願いした料理人が数人いて、朝、昼、夜と適宜、バイキング形式で料理を作ってくれている。食べるも食べないも自由だとはいえ、徒歩でいけるほど近くにはレストランはないので、朝は全員がここで食事をする。
 朝食をしたために行く前に、俺は彩花ちゃんと三根のあの現場に遭遇したのだ。一応は落着してダイニングに入っていくと、幸生が頭をひねっているのに出くわした。
「なんかぶつぶつ言ってたし、ほっぺたが赤くなってましたよ」
「三根なんかは放っておけばいいんだよ」
「乾さん、からんでるでしょ?」
 どうしてそう思う? と問い返すと、幸生は言った。
「昨日までは乾さんは、三根さんって呼んでましたよ。呼び捨てになったってことは、彼を嫌う、または軽蔑するなにかがあったんだ。乾さんがあいつを殴ったんですか」
「俺がやると問題になるから、俺じゃないよ」
「……なにかあったのはまちがいないと?」
「追求するな」
「はいっ、乾先輩っ!!」
 時おり異常なまでに聡くなる奴は、わざとらしい敬礼をしてみせた。

 
 日が経つにつれて、瑛斗が無口になっていく。カグリの出番は終了したので、マネージャーともども帰っていき、入れ替わりに別のゲストがやってきたりもして、瑛斗ばかりを気にしていたのではない。が、気がつくと瑛斗はおとなしくなっていた。
「誰なんだろうな」
 異常な聡さを発揮した幸生が言い、俺もはっとした。
「誰って……瑛斗が?」
「あの顔だの、あのぽーっとした様子だの、乾さんだって身に覚えはあるでしょ」
「恋か」
 この分野には異様なまでに鈍い本橋とシゲの分まで、幸生が鋭いのであるらしい。章と俺は平均的だと思うが、言われてみれば、瑛斗のあの様子は恋する少年のものだった。
 ゲストには若い女の子も数人いた。カグリ、彩花、他にもシンガーやタレントが来ていたから、若い
女性に限ってみても特定はしにくい。若くはない女性や音楽スタッフや食事や掃除方面のスタッフまでをも入れれば、女性は相当数になる。
 まさか男ではないだろうから、男は除外。
 単刀直入に尋ねるべきなのだろうか。プロモではカグリ演じる陸上少女に片想いしていた、瑛斗演じる少年に尋ねたように、おまえ、誰かを好きになったのか? と?
 けれど、窓辺で本を広げてため息をついている瑛斗の風情を見ていると尋ねにくい。本は嫌いだと言っていた瑛斗の心境の変化はなにに由来するのかと、彼が手にしている本のタイトルを盗み見た。「ヘッセ詩集」。こんなものを読みたがるのも恋する少年の特徴だ。
「瑛斗くん、なに読んでるの?」
 入れ替わり立ち代りやってくるゲストの中では、瑛斗と彩花ちゃんだけが最初からいる。その彩花ちゃんが瑛斗に尋ね、瑛斗は本を背中に隠した。
「なんだっていいだろ」
「乾さんに言われたから? 瑛斗くんって単純なんだね」
「……」
 無言になった瑛斗が、じーっと彩花ちゃんを見つめる。俺はやや離れたところに立って、ふたりを見ていた。
「なんなのよ、なんでじろじろ見るの?」
「彩花ちゃんってさ……ううん、いいよ」
「なに? 瑛斗くんは彼女、いたことがあるの?」
「中学生のときにはいたよ」
「へえっ、そうなんだっ!! 瑛斗くんの事務所は恋愛禁止じゃないの?」
「スキャンダルは禁止だって言ってたけどね」
 そうなんだ、そうなんだ、と繰り返してから、彩花ちゃんは声を低めた。
「うちの事務所は恋愛は禁止なんだけどね、恋愛って禁止されてもするときにはしちゃうよね」
「……彩花ちゃん、彼氏いるの?」
「彼氏じゃないけど、んんとね……」
 彩花ちゃんが瑛斗の耳に口を寄せる。好きなひとはいるんだ、内緒だよ、とでも言われたのか。名前も打ち明けられたのか、瑛斗はショックを受けた顔をしていた。
「あれぇ? 瑛斗くんってば、顔色が変わったね。私を好きだったりした?」
「馬鹿っ!!」
「馬鹿とはなによ。ううん、冗談だけどさ……私は子どもには興味ないからね」
「おまえだって子どもだろ」
「瑛斗くんよりは年上だもん。でも、まあね」
 妙にしみじみと、彩花ちゃんは言った。
「私はあんまり売れてないし、好きなひとよりも先に仕事だな」
「女の子は売れなかったら、結婚しちまえばいいじゃん」
「古いこと言わないでよ。私はそんなのいや。恋はしっかり仕事ができるようになってからにするの。あのひとは片想いでいいんだよ」
「あのひとって、乾さんじゃなくて?」
「そんなおじさんじゃないよ。私はおじさんも子どもも興味ないの」
 ということは、名前までは打ち明けられていないのか。
 おじさんだと言われた俺は毎度のごとく苦笑するしかなく。子どもだと言われた瑛斗は口をとがらせている。彩花ちゃんもなにか感づいたようで、ジョークでまぎらわせようとしたらしいが、俺も察した。あの顔色の変化は……おそらくはそうなのだろう。

「ぼくの心はひび割れたビー玉さ
 のぞき込めば君が
 さかさまに映る

 Stay with me
 硝子の少年時代の
 破片が胸へと突き刺さる
 舗道の空き缶蹴とばし
 バスの窓の君に背を向ける」

 こんな歌が口をついた。
 瑛斗の想いがどれほど濃く深いのかは知らないが、恋の経験や記憶は、シンガーとしてだけではなく人間としての糧になると俺は信じている。瑛斗だっていつまでもアイドルではいられないのだから、いずれは大人になるのだから、失恋だって乗り越えなくては。
 少年は硝子細工のようなハートを持っているものだ。けれど、そのハートはこわれたって再生するんだから、再生するたびに強くなっていくのだから、何度だって失恋すればいい。ハートブレイクすればいい。
「じゃあね、瑛斗くんもがんばってね」
 バイバイと手を振った、彩花ちゃんは今日、帰京する予定になっている。明るく言ってはずむ足取りで歩いていく彩花ちゃんを見送る瑛斗の瞳には、あふれそうな感情がたゆたっている。そう見えたのは、少年期をとっくのとうに通り過ぎた男の感傷だったのだろうか。


END
 



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