連載小説1

「We are joker」17 

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「We are joker」

17

 あの日、芳郎は言った。

「ツアーの間はきみと話をする機会もあった。俺のほうからきみを見ている時間もあった。だから、軽率な感情じゃないよ。まり乃、俺とつきあってくれ」
「そういう……意味で?」

「そういう意味で勝彦は気をきかせたんだよ」
「考えさせて下さい」
「うん、だけど、返事はなるべく早くしてほしいな」

 送っていくと言った芳郎に断って、まり乃はひとり、店から出ていった。
 高校生までの間には淡い恋ならば経験した。友達づきあいの延長程度の男女交際も経験した。が、高校を卒業して写真専門学校に入り、専門学校の講師をしていた女性カメラマンに誘われて彼女の助手になり、五年ほど修行して独り立ちし。

 その間には恋とはまったく無縁だった。
 カメラマン修行も仕事も大変でもあり充実もしていて、恋がしたいとは思わなかった。まり乃が髪を振り乱していたせいか、女としては魅力ゼロだったせいか、つきあってほしいと男に言われたことすらなかった。

 そんな女にあの悠木芳郎が?
 ロック歌手であって、テレビにはまず出演せず、ライヴとアルバムがメインの活動の悠木芳郎。従って、彼は日本中の人間が知っているほどのメジャーなスターではないはずだ。まり乃だってともに仕事をしなかったとしたら、認識はこの程度だっただろう。

 ああ、悠木芳郎? そんな歌手、いるよね。どんな顔をしてたっけ? どんな歌を歌ってたっけ? ヒット曲ってあった?
 それでも、ロックファンの間では、とりわけ悠木芳郎ファンの間では、彼は有名人だ。内田まり乃というカメラマンは業界でちょっと知られるようになっている段階だが、芳郎の知名度はレベルがちがう。そんな男とこの私が?

 本気で言ったの? からかってるの? うろたえてしまって、そんな質問もできないままだった。
 ツアーの最中のあれこれを思い出す。芳郎のバックバンドのギタリスト、中尾勝彦と、ベーシストの
藤村敬治とはわりに親しく話しもしたが、芳郎本人には敷居が高くて近寄りがたい気もしていたのに。

 だけど、まり乃のカメラが追いかけるべき相手は芳郎。とらえるべき相手は悠木芳郎なのだから、常に彼を意識していた。カメラだけではなく目も、心も芳郎を追いかけ続けていた。なのだから、悠木芳郎という人間については多少は知った。

 歌手としてではない、三十代はじめのひとりの男としての悠木芳郎。
 ステージで歌っているときよりも、そのステージの準備のためにスタッフやバンドの連中と議論していたり、リハーサルをしていたりする芳郎のほうが、人間味があった。そんな姿もファンの人々に見せてあげたかった。

 宿泊が同じホテルになったこともある。寝起きの芳郎、食事中、打ち上げのとき、酒の席。他にもいっぱい、素顔の悠木芳郎と接した。

 意外とおっちょこちょいだよねと思ったり、売れてるひとは余裕があるよね、怒りっぽいひとではないんだな、と思ったり、お酒、強いんだな、あれだけ飲んでも乱れもしないんだよね、と思ったり、近くにいればまり乃は芳郎を意識してばかりいた。

 仕事のためではあったけれど、彼が魅力的だからもあったはず。
 人気のある歌手には人間的魅力のあるひとも多いのだろうが、いやな奴もいる。人間には相性というものがあるのだから、他人はいい奴だと言っても、自分にとってはいやな奴に感じられる場合もある。まり乃にとっての芳郎は?

 ひとり暮らしのアパートに帰りつくまでの間に、結論は出ていた。まり乃は芳郎に電話をかけて告げた。

「あの、私でよかったら」
「ありがとう」

つづく



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