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小説315(月下落涙)

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フォレストシンガーズストーリィ315

「月下落涙」

1

 目下の大問題は就職だというのに、二十一歳の男には煩悩が多すぎる。大学生になったら女の子とつきあいたいと夢見ていたのがかなわないままに三年生になって、今ごろになってそれらしき女の子が出現するなんて。
 東京に行きたくて大学を受験したのは、俺も兄貴と同じ。
 稚内のロック少年だった兄貴は、東京の大学にどうにかもぐり込み、俺が六つの年に家から出ていってしまい、長く会わなかった。
 金持ちでもない親に私学にやってもらい、アパートまで借りてもらったくせに大学を中退して、ロッカーになるんだと言って親父を激怒させた兄貴は、まったく親不孝者だ。おかげで俺が兄貴の分まで親孝行……はしてないか。
 これでも俺だって高校生までは、兄貴を気にかけている心配性の母と、気になるくせに気にしていないふりをするものだから怒ってばかりの頑固者の父との板ばさみになっていた。
 そうしてやっとやっと、俺も大学に入学して、稚内とも親ともバイバイできるはずだったのに。
 無情な大学に蹴飛ばされ、浪人になるしかなくなって、それでも東京に行きたかったから、兄貴を頼って家出した。
 あんな奴、勘当だーっ!! と怒鳴って、事実、兄貴を勘当したくせに、父は金庫に兄貴のマンションの鍵を保管していた。あの鍵は親に借りてもらったアパートから転居したときに、兄貴が母にコピーを送り、それをさらに父がコピーしたものだったのだろう。
 父の金庫から兄貴のマンションの鍵を盗み出し、そこで待ち伏せして兄貴をつかまえたときには、兄貴はフォレストシンガーズの乾さんと一緒にいた。
 それから俺は、兄貴や本橋さんや乾さんに説教されたり殴られたり、本庄のシゲさんに呆れられたり、三沢さんに苛められたりしながら、浪人となって東京の予備校に通うようになった。
「親父はおまえには甘いんだよ。次男だから」
 まあ、兄貴の言う通りなのかもしれなくて、父は結局許してくれて、仕送りもしてくれるようになった。
「俺はいまだ勘当されてる身だぜ。いいんだけどさ」
 勘当されているのはいいのか悪いのか、俺にはわからない。
 そのころにはたいして売れてなかったフォレストシンガーズは、俺が彼らと同じ大学に合格し、彼らと同じ合唱部に入って三沢さんのいとこの雄心と友達になり、いろんな経験をしているうちに徐々に売れていった。
 現在ではフォレストシンガーズは、まあまあ売れっ子になっている。金も稼げるようになっているから、兄貴は独り立ちしたといっていい。
 東京の大学生になるとなにかとあって、金のかかる失敗もした。乾さんに張り飛ばされたり、本橋さんに叱りつけられたりもして、それでもいつだって兄貴が解決してくれた。フォレストシンガーズのおじさんたちだって力を貸してくれて、困難を乗り越えることもできた。
 それにしたって、お気楽にしていられるのは二年生までだ。三年生になると就職という名の重荷がのしかかってくる。
 一浪で寄生虫学科という、就職難民のひとりである俺には、世間の風はつめたい。成績にしたってまるで優秀ではないのだから、招いてくれる企業はありゃしない。なのだから、就職が決まるまでは女の子とつきあうのはお預けにしようと決めていた。
 好きな女性はいたけれど、告白する勇気はなくて、お預けにしようと決めなくても、どうせなんにもないんだけど。
 だった俺の前にあらわれた可愛い子、近藤葦乃。
 古風な名前を持つ、中身はごく普通の女の子だ。小柄でいくぶんぽっちゃり。適当に生意気で適当に行儀が悪くて、常識的な範囲を踏み外すほどではない、すべてが中庸といえばいいのか。俺も乾さんに教えられて、言葉ってものはたくさん覚えたが、なんといえばいいのかはわかりにくい。
 言葉を覚えても、適切な形容ってのはむずかしいのだ。
 同じ大学の二年後輩、俺は浪人しているから、ヨシノは三つ年下だ。ヨシノは石垣史人という名の男とふたりで、合唱部を見学にきた。
 俺がフォレストシンガーズの木村章の弟だと言ったら、ヨシノは興味を示し、その夜には三人で飲みにいった。木村章の弟ってのはナンパには使えなくもないのだろうが、兄貴の威光を背負うなんて、かっこ悪いからしない。
 威光というほどでもない「木村章」の名前を出したのは話の流れにすぎなくても、ヨシノが乗ってきたから、俺の知っている他の有名人の話もした。
 なにしろ木村章は俺の兄なのだから、フォレストシンガーズとは俺も濃いつながりができた。その上に三沢幸生のいとこ、三沢雄心とも親しくしているから、フォレストシンガーズと俺との関わりはかなり密だ。
 フォレストシンガーズってのは業界では中堅どころのヴォーカルグループ。彼らはデビュー十年以上をすぎ、売れない時期を乗り越えてだんだん有名になってきているから、交友関係も広い。
 うちの大学の先輩やら、学校は関係なくてもフォレストシンガーズの関わりやらで、俺にもミュージシャンの知り合いが増えていく。俺も音楽が好きで合唱部に入ったのだから、そういったひとたちと知り合えるのは嬉しい。
 あとは寄生虫関係の知り合い、こっちはヨシノには関心ゼロだろう。
 飲み屋でそういった話をしていると、ヨシノは目を輝かせて聞き入り、史人はそのうちにはつまらなそうな顔になっていた。
 その夜は話をしただけで、バス停でヨシノと史人とは別れた。ヨシノは可愛いとは思ったけれど、俺は就職問題が大切だし、女どころじゃないし、つきあうのどうのってほどでもないし、などなどと思っていた。
 学年は俺と同じの史人と、ヨシノはワイン研究会とやらの先輩後輩だそうだ。ふたりはつきあってはいないと言っていたが、本当だろうか。
 史人は「落花流水」という名の、うちの大学の同窓生がよく来る喫茶店でバイトしていると言っていた。ロック同好会出身のマスターがいるそうだから、ロック好きの俺も一度は行ってみたらいいだろうな。
 そんなふうに考えて数日、キャンパスでヨシノに会った。
「えへっ、会いたかったんだ」
「俺に?」
「そう。もっとお話が聞きたいな。カフェに行きません?」
 でかい大学で、敷地もだだっ広くて、昔はおしゃれっぽさにはひとかけらも縁がなかったのだそうだ。学食だってどでかいのがひとつ、どーんと建っていただけだと、兄貴たちは言っていた。
 フォレストシンガーズではただひとり、兄貴は中退しているのだが、兄貴と同い年の三沢さんが卒業してから十数年、うちの大学も変わった。男女別だった合唱部も統一され、学食以外に学内にカフェもできた。
 飲食関係のセンスのある奴がいないようで、昔から学食はうまくはないが安い。カフェもしゃれてもいないが、メニューは豊富で安い。女の子と入るにはカフェがいい。
「なににする? おごるよ」
「なんでもいいです」
「じゃあ、テーブルについてて」
 なんでもいいと言われたから、モンブランとミルクティをヨシノのために買い、俺はチョコレートパフェにした。
「龍さんってチョコレートパフェなんか食べるの?」
「フォレストシンガーズのメンバーは全員、辛党で甘いものは好きじゃないんだよ。俺がこういうのを食おうとしたら、みんなでいやな顔をするんだ」
 男がそんなもん、食うな、と兄貴は言い、男だから食うなではないけど、ほぉぉ、章の弟だとは思えないな、と乾さんが苦笑していた。
「よっちゃんもそっちがいいな。取り替えて」
「いいけどね」
 寄生虫学科の助手、島田弓子さんが俺の好きな女性だ。彼女は年上なのは当然だし、外科医になりたかったのを方向転換した、なぜなら、准教授の加藤大河先生の人柄に惹かれたから、というひとなのだから、超優秀なのも当然だ。
 そんな女性に俺がつきあって下さいなんて言えるはずもないが、先生のような立場でなら俺と親しくしてくれている。
 学部には変な女しかいないが、合唱部にだったら女性は大勢いて、性格だって外見だって千差万別。しかし、近頃の女は気が強くてしっかりしたのばっかりで、俺は負けそうだと誰にだって感じる。その点、ガキっぽいヨシノだったらいいかもな。
 自称が「よっちゃん」とは子供っぽすぎるけど、常にそう言っているわけでもなさそうだ。なんでもいいと言ったくせに、買ってきてやったら取り替えてだなんて、わがままなのも可愛いかも。
 いや、俺は就職が先決なのだから、女どころじゃないって。いいや、就職ばかり考えてたら息が詰まる。息抜きだって大切なのだから、この子と気軽につきあうんだったらいいじゃないか。そう考えている俺に、ヨシノが言った。
「んんとね、やっぱりモンブラン食べたいな」
「いいよ」
「どっちもあんまりおいしくないけどね」
おごってもらっておいて、その言い草はなんだ? 俺がヨシノのような態度を取れば、乾さんにだったら叱られるだろう。乾さんだったらヨシノだとしても叱るだろうけど、俺は怒りたくはならない。可愛い女の子はいいんだよ。
 大切なのは就職を決めること、とはいえ、まだ三年生なのだから猶予はある。近いうちに告白しようか。


2

 幾度かキャンパスで会い、食事やお茶をする程度のつきあいをしていたときに、ヨシノが言った。
「史人先輩がバイトしてるロック喫茶のマスターたちが、ロックバンドを組んで店で演奏するんだって。聴きにいこうよ」
「ああ、いいよ」
 ロックは好きだから、ヨシノの誘いにうなずいた。
 本来は喫茶店である店をライヴハウスふうにしつらえて、オヤジバンドがロックをやる。背が高くてけっこうかっこいいオヤジたちに、なぜだかベーシストだけは少年のバンドは、「THE・Herons」。ギターの星丈人という名前は知っていた。
「合唱部にはかっこいい男ってのも大勢いてさ、筆頭は俺だけど、俺が知らないころにもいたんだよね。本橋さんや乾さんが一年生だった年の四年生、星丈人さんって合唱部では言い伝えられてない?」
「女の先輩から聞いたことはあるよ。金子さんや徳永さんの名前も出るし、フォレストシンガーズの名前だってよく聞くようになってるけど、三沢さんが筆頭だったら、全然たいしたことないじゃん」
 知っているとはいってもその程度で、オヤジがかっこよくても俺にはなんの意味もない。しかし、演奏は楽しませてもらった。
 石垣史人や、渡瀬照子というロック同好会の女やらにも会った。照子は「THE・Herons」のベーシストの姉であり、弟のギドウは浪人なのだそうだ。ヨシノがなにやら史人や照子にからんでいたのが気になったのもあって、演奏が終わってから言った。
「オヤジバンドってのも思ったほどつまらなくなかったな。ヨシノ、飲みにいくか」
「うん」
「史人はいいのか?」
「関係ないじゃん」
 ではでは、ということで、ヨシノとふたりして飲みにいった。
「龍くん、就職は……決まってないよね」
「就活は解禁になったばかりだし、四年生になってからでも遅くはないんだよ」
 遅くはないけれど、俺のように就職に不利な条件のそろっている学生は、早く動くに限るといわれている。三沢さんのいとこの雄心のように、現役合格、社会学部のわりあい有利な奴ならば焦らなくてもいいのだろうが、雄心も真面目に勉強していないので、成績の点で焦っている。
「就職できなかったら、大学院に残りますか」
「寄生虫研究に一生を捧げるのもいいよ」
 加藤先生や弓子さんにはそう言われるが、院試だってたやすくはないだろうし、これ以上勉強するのはごめんだ。
「おまえは浪人したんだから、留年までするなよ。早く卒業して早くどこかに行っちまえ。北海道で働いたらどうだ?」
 兄貴には邪魔にされ、おふくろには言われる。
「このごろの大学生は三年生のうちには就職を決めるんだよね。龍もがんばって。兄ちゃんはともかく、兄ちゃんの先輩さんたちがついててくれるから、母さんはちょっとは安心してられるよ」
 いいや。一般サラリーマンではない兄貴の先輩たちは就職の頼みにはできない。あまり頼るとどやされる。
 芸能関係だったらコネになるのかもしれないが、兄貴のコネに頼りすぎるのもなんだし、俺は芸能関係なんて向かない気もする。いよいよなんにもなかったら、オフィス・ヤマザキに就職させてもらうか? そうするとあの社長にこき使われるのか?
 紹介はしてもらっている、フォレストシンガーズの所属事務所の社長の山崎氏。彼の息子の数馬ともたまさか飲んだり話したりした。
 山崎社長が説教魔なのはつとに有名だ。あの乾さんでさえ負けるらしい。そんな社長に使われるのは相当つらそうだし、第一、音楽事務所で俺がどんな仕事をする? マネージャーか、事務か営業か。事務員の玲奈さんは可愛いから、彼女と一緒に働くのは悪くないかもしれないけど、結婚してるしなぁ。
 玲奈さんが結婚していようといまいと、俺には関係ないのに、そんなことまで考えてしまう。オフィス・ヤマザキは最悪の場合の保険ってところか。
 保険だなんて勝手に決めても、山崎さんにも蹴られるかもしれないのに。
 雄心と会ってもそんな話になって暗くなるから、最近はあいつと遊んでいない。ヨシノとだってこんな話になるのは、大学三年生のさだめなのか。
「就職の話なんかやめよ。ヨシノはロックはかなり好き?」
「かなりでもないけど、私も落花流水で有名人に会ったから、ロックってしっかり聴いてみたくなったの」
「誰?」
「パンクのひと」
「って、誰?」
「舌をべろべろしてたよ。顔はいいんだけど怖かった。ヤスさんだったかな」
 ヤスさんなんて知らないが、アマチュアミュージシャンなのだろうか。パンクだったらマイナーなプロなのかもしれない。
「龍くんはあれから、有名なひとに会った?」
「うーん……会ったかな」
 ちょっと前に雄心と俺は、ミルキーウェイというシンガーに誘拐されて乾さんに救い出された。大学生の男ふたりがか細い女に誘拐されたって、ジョークみたいだし、他言はするなと乾さんに厳命されたので、ミルキーの話はできない。
 フォレストシンガーズのおじさんたちと、雄心や俺が飲みにいく店は種類がちがう。俺たちは貧乏学生なのだから、兄貴が小遣いをくれるのも金額は知れているから、高い店では飲めない。
 そうすると、俺が有名人に会う機会は限られている。兄貴のマンションでたまたま会ったとか、フォレストシンガーズの他のひと、乾さんか三沢さんの部屋で会うとか。本橋さんとシゲさんは結婚しているから、ふらっと遊びにはいけないし。
 それでも美江子さんや恭子さんに招いてもらって、食事をごちそうしてもらったことはある。美江子さんは見た目はちょっと怖そうだが、なんにもしなかったら怒ったりはしないし、恭子さんはふっくらふわふわしていて優しい。
 芸能人ではなくても、フォレストシンガーズのもともとのメンバーだってことで、ブログも書いていて一部では有名なヒデさん。
 雄心とふたりしてフォレストシンガーズのライヴに行き、楽屋のそばで会った男たちの中にも、フルーツパフェのクリちゃんやらもとアイドルやら、現アイドルやらがいた。全員を彼のマンションに連れていって飲み食いさせてくれた、ダイモスのユーヤさんだって有名人だ。
 でも、あんまり大物はいない。俺の顔を見て、おー、龍、と声をかけてくれるいちばん有名なひとって誰だろ? 金子さんかな。
 金子さんだと新鮮味のない話しにしかなりそうにないし、このごろは会ってないし、誰の話にしようかな。あれこれと思い出しながら、レモンの味の酒を飲む。珍しい酒が入荷したといって、イタリアのこの酒を勧められて、ヨシノが飲みたがったから俺もそれにした。
「口当たりはいいけど強いんだってね。だけど、おいしい」
「おまえ、酒には強い?」
 以前にはあまり飲んでいなかったようなので尋ねてみたら、ヨシノは言った。
「ワイン研究会に入ってるんだから、強いよ。龍くん、有名人の話は?」
「鈴木エイトは?」
「アイドルの? まあ有名かな」
 新人だからその程度の鈴木瑛斗とも、ユーヤさんのマンションで飲んで食って語った。もっとも、エイトは未成年だから酒は飲まなかったのだが。
「あいつ、乾さんが好きなんだってさ」
「瑛斗くんってゲイなの?」
「そういう意味じゃないよ」
 この発想は女だなぁ、と思いながら、俺は説明した。
「瑛斗はラジオ局の自動販売機で酒を買って飲んでて、そんなところを見られて乾さんに叱られたらしいんだ。そんでもってマネージャーに告げ口したら、叱ってもらってよかったね、って言われたって。関係もないよその子供をそうやって叱ってくれる大人は貴重だってのか、それ以来、瑛斗のマネージャーは乾さんを尊敬してるらしいよ」
「やだぁ。叱られるなんて大嫌い」
「俺も嫌いだけどさ」
「それで瑛斗くんが乾さんを好きになったの? 変なの。ぜんっぜんわかんないよ」
「おまえだったら嫌いになる?」
「乾さんねぇ……そうだなぁ。いっぺん、フォレストシンガーズには会ってみたいな」
 時間があれば会ってくれるだろうが、突然、連れていったら誤解されてしまう。ヨシノが俺とつきあうことになったら、兄貴には紹介してもいいか。それほどの仲にはならないか。
 

 送っていってほしそうなそぶりを見せていたヨシノを、ひとりで帰らせた。終電には間に合う時刻だったけど、女の子を送っていかないなんて、と知られたら乾さんには叱られるだろう。
 昔の合唱部には伝統的に、飲み会のときなんかは男が女を送っていくというきまりがあったのだそうだ。最近の女の子の中には、そんなの差別!! と言う子もいるので、伝統は崩れている。ヨシノはそういう差別は好きそうで、だって、よっちゃん、女の子だもん、と言いたがるタイプだ。
 けれど、面倒くさい。送っていったらはずみでどうなってしまうかもわからないから面倒だ。就活は口実で、ヨシノという女が面倒くさそうに思えるのだった。
 両親と妹と同居しているヨシノは、東京生まれの東京育ち。都会の子にしたらすかっとはしていないが、俺にはそんな女のほうが相応な気もする。東京で大学に合格したころには、女に関しても図々しい希望を持っていたのに。
 稚内の中学、高校ではけっこうもてた俺は、東京ではめっきりもてなかった。
 背も高いし脚も長いし、顔だっていいほうなのにもてないのは、田舎の匂いをふりまいているからか。服装のセンスが悪いのか。そしたら、乾さんの真似をしてみよう。乾さんは俺と体格が似ていて、俺のほうが若くて顔もいいのだから、真似をしたらかっこよくなるはず。
 だが、俺には金がない。センスも乾さんのようにはなかったらしくて、どうしたってかっこよくなんかならない。
 こうなりゃ生まれつきのルックスのよさで勝負するさ、と思ってみても、まるっきりもてない。告白しようと思えるほどの女の子はあらわれず、告白してくれる女の子もいるわけもなく、大学三年生になってしまった。
 臨時の彼女だったらヨシノでもいいんだけどな。
 そんな了見で女の子とつきあうなんて、と乾さんには叱られそうだし、紹介なんかしたら兄貴に盗られそうな懸念もある。兄貴は小柄でほっそりした女が好きで、ヨシノはやや太めだが、あのくらいだったらそそられるかもしれないし、なんたって若いし。
 もしも兄貴に口説かれたら、有名人好きのヨシノはなびくだろう。そんなことになったら一大事だから、兄貴には紹介したくないのだと、飲み屋からアパートへと帰路をたどりながらも考えていた。
 やっぱり紹介するんだったら、正式に告白してからだ。俺の彼女になったヨシノには、兄貴も手は出さないだろう。けどけど、それほどのものでもないしなぁ。就活だってあるしなぁ。気持ちが煮え切らないまま、アパートに帰ってきた。
「……ヨシノ、ちゃんと帰ったか」
 ケータイメールに返事はなかった。あのレモンの酒は俺にもちょこっと効いたから、酔って寝てしまったか。明日、二日酔いになってなかったらいいんだけどな……そう思って、俺も寝た。


3

 一浪してようやく大学に合格し、兄貴のススメになんか従いたくもないと思っていたくせに、合唱部に入ってしまったころ、三沢雄心と友達になったあの年。
 その年の合唱部キャプテンは女性だった。兄貴たちのころには合唱部は男子部、女子部と別々だったのだそうで、時代だね、とか、三沢さんなんかは、俺ももう一度合唱部に入りたいな、と言っていたものだった。
 キャプテンは日向房子さん、彼女は変わった趣味で、シゲさんのファンだと言う。彼女が卒業前に、その理由を打ち明けてくれた。
「小学生のときだったな。学校の友達と河原で遊んでたの。そしたらそこに高校生たちが来て、おまえたち、どけよ、って言うのね。そこに来て仲裁してくれた、ランニング中のお兄さんがいたのよ。かっこよかったなぁ」
 他の小学生たちは彼をおじさんと呼び、アマチュアシンガーのサインなんかほしくないよと言ったらしいのだが、房子さんだけはサインをせがんだ。
「五人分のサインをしてくれたんだよ。古ぼけてしまったけど、今でも私の宝物。房子ちゃん、愛してるよ、フォレストシンガーズ全員より愛を込めて、って書いてあるのよ」
 見せて見せて、と誰かが言っても、いやだよっだ、と言っていた房子さんに、提案してみようか。俺は雄心と相談し、房子さんには言いにくくて妹の麻子ちゃんに言った。
「ランニング中だったお兄さんってのがシゲさんで、若いころはかっこよかったのか……そんなはずないけど、ま、それはそれとして、房子さんはもちろん、雄心と俺のフォレストシンガーズとの関わりは知ってるだろ。よかったら紹介するよ」
「私も言ってみたんだよ。雄心くんや龍くんにお願いしたら? って、でもね、姉さんは言うの」
 子どものころの夢は夢のままでいいのよ、会いたくないんだ、だった。
 なのだから、房子さんとシゲさんを引き合わせてはいない。話も特にはしていない。房子さんは卒業していき、俺と同じ学年の麻子ちゃんは合唱部にいる。その麻子ちゃんが、キャンパスのベンチにかけていた。かたわらにいる男は、錦戸ミツルだ。
 カタカナ名前という、男には珍しいファーストネームを持つ彼は、一年生の年には合唱部にいた。変わった声をしているというので抜擢されて、合唱部に伝わる合唱組曲の主役をやるように言われ、いやだと言って退部してしまった。
 徳永さんだの本橋さんだのに言わせると、根性のない奴になるのだが、気持ちはわからなくもない。突出するのを嫌う奴もいるものなのだ。
「あ、龍くん、見てよ」
 そばに行くと、麻子ちゃんが俺に小さなものを手渡した。
「……なに、印鑑?」
 錦戸と彫ってある印鑑を俺の手から取り返し、麻子ちゃんはそれをミツルに渡した。
「ださっ」
 なんなのかわからないでいる俺と、しょぼっとしてしまったミツルをそこに残し、麻子ちゃんは行ってしまった。
「ミツル、久し振りだな。なにがださいって?」
「ださいかなぁ。かっこいいと思ったからやったんだけどな」
「印鑑が?」
「ってかさ」
 インターネットにドラマティックな告白、プロポーズという記事があったのだと、ミツルは話した。
「俺も真似してみようと思ってさ、これだったらできそうだから、印鑑をプレゼントしたんだよ」
「なんのために?」
「プロポーズだろ。俺の姓になってくれって」
「おまえ、麻子ちゃんとつきあってたのか?」
「俺はつきあってるつもりだったけど……」
「……就職、決まった?」
「なんで就職の話になるんだよ。龍、つきあえ」
 授業を受けるのはかったるい気分だったので、ミツルと一緒に学校から出ていった。
「俺はお父さんが小さい会社をやってるから、そこに就職するんだ。何年か勉強したら専務にしてやるってさ」
 いいなぁ、と言いそうになって口を閉じる。おまえもうちの会社に入る? と言われるのも、おまえが入る余地はない、と言われるのもいやだったからだ。
 どこかの国みたいにトップが世襲制の小さい会社なんかいやだ。そんな贅沢は言えない立場なのかもしれないが、こんな奴が上司になるのもいやだ。乾さんだったら言うだろう。大学生にもなった男が、他人の前で「お父さん」と言うな、と。
「だからさ、結婚だって早くないんだよ。お母さんは喜ばないかもしれないけど、お父さんは早く結婚したほうがいいって言うんだから。麻子ちゃんだったら将来は社長になる俺のお嫁さん、合格だろ」
「……そういやぁ、金髪、やめたんだな」
「あんなのは一年生のときだけだよ。龍はまだ合唱部にいるんだな」
「麻子ちゃんも合唱部だろ」
「女の子はいいんだけどさ……」
 腹が減ってきたので、メシにしようかとどちらからともなく言い出し、俺は言った。
「うちの大学の卒業生がやってる、落花流水ってロック喫茶があるんだよ。あそこ、うまいものも食わせてくれるって言うし、そんなに遠くないから行ってみようか」
「そこでだったら、俺のプロポーズのどこがいけなかったのか、どこがださかったのか、誰か教えてくれるかな」
 かもな、ってことで、「落花流水」に行った。
 今日は普通に喫茶店しているこの店は、ロック喫茶という感じでもない。史人によると、単にロックを流すからロック喫茶なのだそうで、今日は俺の知らない、外国人の曲がかかっていた。
「いらっしゃい」
 史人は学校か。ロック好きオヤジのマスターと、ちょっと迫力のある三十前後くらいに見える女がカウンターで向き合っていて、俺たちはマスターの得意料理だと、史人から聞いていたカレードリアを注文した。
「そっち、行っていい?」
 女性が尋ね、俺たちがうなずくと、彼女はミツルの隣にかけて自己紹介した。
「私は梶けい子、マスターがいたロック同好会の後輩で、ロック雑誌の編集者してるの。龍くんっていうんでしょ。マスターから聞いたわ。あの木村章さんの弟。で、彼は?」
「彼も梶さんの後輩です」
「あ、ども、錦戸ミツルです」
 パスタの皿と灰皿を持って俺たちの席に移ってきた梶さんに、俺たちも食べながら質問した。
「印鑑をプレゼントしてプロポーズ? 変なプロポーズだね。そもそも、なんで女は結婚したら男の姓になるって決まってるの? そんな大前提でプロポーズするのがまちがってるでしょ。私もインターネットでそれ、見たよ。たしか、クルージングをやっててふたりきりになったところで、って条件がついてたじゃない。そのドラマティックな背景があるから女もぐっと来たのかもしれないけど、私だったら麻子ちゃんに同感だな。キャンパスで印鑑つきプロポーズって、だせっ」
「おい、けい子、俺のドリアがまずくなるような言い方をするなよ」
 マスターが言い、ミツルはうなだれ、梶さんは煙草に火をつけた。
「私の誕生日にふたりが初めて出会ったお店に行ったら、いきなり店内の音楽がふたりの思い出の曲に変わり、彼が自分で作ったデコレーションケーキを持ってきてくれた。そして彼が、『結婚しよう。家族になろうよ!』と言ったとたん、なんとかいう歌手の『家族になろうよ』が店内に鳴り響いた」
「梶さんの経験ですか?」
「だせっ。私だったらそのケーキ、ひっくり返してやるよ。友達が受けたプロポーズなんだけどね、これもそのネットのやつ、もじってるよね。オリジナリティがないってだけでもださいよ。人真似はださいのよ。ミツルくんも覚えておきな」
「はい」
 ますますうなだれるミツルを見て、俺も覚えておこうと思っていたら、客がもう一組入ってきた。
 この店はやけに込み合う時間帯もあれば、すいている時間もあるのだと史人が言っていた。やや早めの昼食どきだから、これから混んでくるのか。それにしてもサラリーマンの昼休みには早いと思える時間の今、入っていたカップルの会話が聞こえてきた。
「うまく行かなかったけどね……」
「しようがないけどね……」
「次、がんばろうね」
「おいしいものでも食べて、次だよね、次」
 カップルというよりは仕事仲間か。彼と彼女はうんうんとうなずき合い、近寄っていったマスターにパスタとカレーライスとサンドイッチとピラフをオーダーした。
 男と女がいると恋愛方面にばかり考えがちなのは俺の癖なのかもしれないが、このふたりは営業マンで、戦友みたいなものなのかもしれない。あれだったらださくはないのかな、梶さんって相当、フェミニストってやつなのかな。
 そう考えて見つめると、梶さんは言った。
「あたしもがんぱろっと。ミツルくんもがんばれよ。龍くんもね」
「なににですか?」
「なににだってさ」
 ロック雑誌の編集者か。こっちだったら心から、いいなぁと言える。けれど、コネになってほしいとは言えずにいる俺に、梶さんはにっこりして立ち上がった。


 とりあえずがんばってみるのは、ヨシノへの告白か。告白にはB.G.Mが必要だ。有名人好きのヨシノには効果的な場所かもしれない。
「前にシゲさんが、ロクデアリっていう声の低い男ばっかりのユニットで歌ってたんだよ」
 学校で会ったヨシノと一緒に歩き出しながら、俺は言った。
「ロクデアリってのは二十代から五十代までのユニットでね」
「シゲさんってフォレストシンガーズの前に、そんなグループにいたんだ。知らなかったな」
「いや、そうじゃなくて、余興ってのか……でね」
 三十年以上も前にデビューしてかなり人気があったと聞くダーティエンジェルスのベースマン、ロクさん、彼に誘われてベースマングループでライヴをやったシゲさんの話は、俺も聞いていた。
 声の低いおっさんばかりのグループになんか興味もないので、俺はもちろんライヴには行かなかったのだが、フォレストシンガーズの他四名は東京でのライヴに行き、ヒデさんは大阪でのライヴに行ったとも聞いていた。
 ダーティエンジェルスは現在では解散してしまっているものの、時々は再結成する。そういうのもよくある話だ。
 最近になって再結成を決めたダーティエンジェルスは、この機会に大きなライヴをやろうとも決めた。ア・カペラグループ大集合ライヴだそうで、フォレストシンガーズも出演する。モモとクリのフルーツパフェも出演する。
 そのライヴのリハーサルは、参加できる者たちが随時集まって行われている。そのために借りたホールがあるので、俺も見学に行きたかったら行ってもいいと兄貴に言われていた。
「行く?」
「ア・カペラグループっていうと……」
「フォレストシンガーズみたいなコーラスグループだよ」
「ア・カペラってなんだっけ?」
「日本語にしたら、無伴奏。伴奏なしで歌ったり、リズムセクションだけで歌ったりするんだ」
「じゃあ、演奏はないの?」
「そうでもなくて、ま、要するに、コーラスグループ、ヴォーカルグループ、楽器じゃなくて歌をメインにしていて、ソロではなくてグループで歌う人たちのライヴなんだよ」
 実はヨシノはそんなに音楽は好きではないのかもしれない。ロックのライヴに行ったのは、俺が好きだからか。
 それとも、俺のうがちすぎだろうか。一般的音楽ファンの知識はこの程度のものなのか。俺だって知らないことは多くて、一般的ファンとたいして変わりはしないのだが、兄貴がシンガーだから、兄貴や兄貴の友達が教えてくれるにすぎないわけで。
「だから、金子さんだとか徳永さんだとかは出演しないんだ。俺がよく知ってるったら、フォレストシンガーズとモモクリくらいだけどさ、ライヴのリハーサルを見る機会ってあんまりないだろ」
「そうだね、行こうかな」
 これで手はずは整った、はず。


4

 広い体育館のような場所に、何組ものグループやバックバンドの連中がいる。これでは天井から俯瞰でもしないと、どこに誰がいるのかもわからない。フォレストシンガーズは来てないみたいだな、と思っていたら、ヨシノが小さく、きゃっ!! と叫んだ。
「誰、誰? あのひとたちもア・カペラユニット?」
「……誰だろ、俺は知らないけど……」
 そこには三人の若い男がいた。俺と年齢はさして変わらないくらいで、三人ともに背が高くて、女の子だったらきゃっと叫びそうに、綺麗な顔をしていた。
「あ、あの、モモちゃん……」
「龍くん。久し振りだね。彼女?」
 数少ない知り合いを見つけたので、俺はふたりを引き合わせた。
「近藤葦乃っていって、大学の後輩だよ。こちらはさっきも話した、フルーツパフェのモモちゃん」
 女の子たちは、こんにちはー、はじめましてー、と挨拶し合い、モモちゃんが言った。
「ヨシノちゃんが見とれてた男の子たちの話、してあげようか。龍くんも知らないの?」
「してして」
「うん、俺も知らないよ。ところで、クリちゃんは?」
「クリちゃんはね……ううん、いいの。フォレストシンガーズのお兄さんたちはいらしてないから、今日はモモちゃんが案内係、してあげる」
 フルーツパフェも若手のほうなので、ここにいる人たちは先輩がほとんどだとモモちゃんは言う。むこうにいた三人は、モモちゃんたちよりもキャリアが浅いのだそうだ。
「五人のグループで、おばさまたちに人気があるらしいよ。大きいステージは今度のこのライヴが初になるから、知らないひとも多いんだろうね。ソロアルバムは出してる「玲瓏」。あとふたりのメンバーがいるから、五人なんだ。無駄に綺麗な顔してるんだよね」
「無駄なんですか?」
「ああ、ヨシノちゃん、敬語なんか遣わなくていいからね」
 ですか? って言い回しは敬語ではなく丁寧語だ、と乾さんの声が聞こえてくるようだったが、俺にしてもそんなことはどっちでもいいのだった。
「無駄に背が高いとか、無駄に綺麗な顔してるとか、三沢さんが言うんだよね。ひがんでるのもあるのかも……でもさ……」
「ええ? どうしたの?」
「モモちゃんはあいつら、嫌い。嫌いだからヨシノちゃんに紹介もしてあげたくないの。それよりもね、あっちのほうが楽しいよ。聴いて聴いて。モモクリと華歌のコラボ」
「鼻歌?」
「ヨシノちゃん、華やかな歌だよ」
 案内係をすると言ってくれても、モモちゃんだって仕事で来ているのだろうから、俺たちと遊んではいられない。リハーサルがはじまるのか、男女四人のグループとモモクリとが、会場の一画に顔を揃えた。
 全員が二十代の、合計六人。女の子の中ではモモちゃんがいちばん可愛くて、男たちの中ではクリがいちばんへなっとしている。
 「華歌」というのは、ここのベースマンのカズが「ロクデアリ」に加わっていたのだとは俺も知っている。が、一般には知名度のあるグループではないから、このたぐいの歌が好きなファンでもなければ知らないだろう。
 モモクリ、ではなくフルーツパフェと、華歌のコラボ。モモちゃんがなぜ玲瓏を嫌いだと言うのか、それも気になってはいたのだが、リハーサルとはいえ、六人のハーモニーが文字通りのア・カペラで響きはじめると、お、いいじゃん、と思ってしまった。
 兄貴が変に脅すので大学では合唱部に入ったが、俺はロック好きで、合唱部の練習だってさぼってばっかりだ。合唱部のコンサートで歌った経験はあっても、いい加減にしかやってこなかったし、主役になったこともない。
 そんな俺でも、プロの男女の混声ハーモニーはいいなぁ、と惚れ惚れしてしまう。ヨシノが俺の肩に頭を寄せてきて、いいムードになってきた。
「栗原さんの声が駄目ですね」
「女声パートを歌ってるわけでしょ。そういう無理をして、なんのメリットがあるんでしょうね」
「斬新な感じにしたいってだけなんじゃないかな」
「そんなことで、この程度のグループが注目を浴びるわけもないのに」
「フルーツパフェって、フォレストシンガーズの後輩だというだけで、多少注目されてるにすぎませんものね」
 会話が聞こえてちらりと振り返ると、モモちゃんが教えてくれた玲瓏の三人だった。俺は名前も知らない三人が、嘲笑うような口調で話していた。
「ウィーンの街角で、ちょうどこんなふうな男三人、女三人のハーモニーを披露しているグループの歌を聴きましたよ。彼らはたかがアマチュアだったけど、この六人よりははるかに上でした」
「日本人ってのはこんなものなんですね」
「これでプロだって言ってられるんだから、気楽な世界ですよ」
「僕らが参入するには……」
「いやいや、そこまで言ってはいけませんよ」
 三人してぷぷっと笑い、そこからはやけに専門的な話になって、俺には理解しづらくなった。
「ママスアンドパパスですよね」
「古いな」
 しばらくは黙って聞いていると、彼らが言ったので、俺も思い出した。六人が歌っているのはママスアンドパパスという、アメリカの古い時代ののどかなロック、ロックと言っていいのかどうかわからないグループで、たしかに古い。
 若くても彼らもプロなのだから、古い音楽にだって詳しいのは当然だろう。それにしても口調が冷笑的で、聴いているとむかついてくる。本橋さんやうちの兄貴だったら切れてるぞ、と俺が思っていると、ヨシノが俺の脇腹を肘でつついた。
「紹介してよ」
「えー、俺だって知らないよ。それにさ……モモちゃんが……」
 どうして彼らを嫌いだと言うのか、ほんのすこし理解できる気もしていた。
「こんなふうに言われたら、プロとしてはプライドが……」
「そんなのどうでもいいから、龍くん、言えばいいじゃん」
「なんて?」
「俺の兄貴は……ってさ」
「なんのために?」
「私のためにっ!!」
 いやだいやだ、いやだいやだ、と心で繰り返していると、ヨシノが振り向いた。
「あのあの……あのぉ、玲瓏のみなさんですよね。私、ファンなんです」
 嘘をつけ、たった今まで知らなかったくせに。
「それはどうも」
 名前を知らない綺麗な顔の男が、傲慢な会釈をし、あとのふたりもかすかに首を動かした。
「このひと、私の大学の先輩なんですけど、彼は有名な歌手の弟で……ええとええと……」
「有名な歌手って?」
 傲慢っぽさを顔に貼りつけたままの誰かが尋ね、ヨシノは言った。
「木村章さん……」
「木村章さんって? え? 彼が木村さんの弟さん?」
 そんな奴、知らねーよ、と言われたらどうしようかと思っていたので、彼の態度が豹変したのにはむしろ驚いた。
「……そうだったんですか。僕は玲瓏のリーダーの村木です」
「玲瓏の井村です」
「玲瓏の中井です」
「はあ、木村龍です」
 にこやかな表情が仮面に見える。彼らの挨拶は俺にだけ向けられていて、ヨシノには、あなたのお名前は? とも尋ねなかった。
「フォレストシンガーズのみなさんにはお世話になってます」
「木村さんにあなたのような若い弟さんがいらっしゃるのですね」
「今日はフォレストシンガーズの方々はいらっしゃらないんですよね」
「よろしくお伝え下さい」
 なんだろ、これ。慇懃とかってやつだろうか。慇懃無礼ではないけれど、若い男たちが若い俺に向かって儀礼的な口をきくのはなじみにくかった。


 華歌とモモクリのコラボはいい感じだったのに、玲瓏の奴らに水を差されて、そのあとは奴らに形式的な、お世話になってますの、お兄さんによろしく、のといった話をされて、ヨシノは無視されて、他のふたり、田中と吉田にも紹介された。
「ヨシノ、気分悪くなかった?」
「なんだか変な感じだったけどね。でも、いいんだ、イケメンいっぱい見たし」
 帰り道には月が出ていて、おあつらえ向きの雰囲気になってくる。なのに、ヨシノは言うのだった。
「中身は空っぽのイケメンって駄目だけど、玲瓏のひとたちって教養もあって、あのつめたい目も素敵だよね。ただのファンの私には興味ないのも、あれだけの男たちだったらしようがないかも」
「……ただのファンって……」
 ファンってものはなによりも大切、乾さんの口癖を思い出した。
「俺も昔はファンにつっけんどんにして、乾さんに怒られたよ。思い出すと悔しいんだけど……うん、あればっかは俺が悪かったかな」
 詳しくは知らないが、素直ではない兄貴が素直に反省していたのも思い出した。
「頭空っぽのイケメンって俺のことか」
「龍くんもまあまあイケメンだけどね」
「史人もイケメンだろ」
「どっちにしたって、玲瓏のひとたちのほうが……」
「上?」
 ぽーっとした顔で、ヨシノはうなずく。
 あんな態度を取られて憧れるって、おまえ、根っからのミーハーか? それもあって、マゾでもあるのか? つめたくされればされるほど燃える、そんな女もいるらしいから。
「ヨシノ……俺と……」
「ああ、もう、龍くん、私の幸せ気分の邪魔をしないで。ここからはひとりで帰るから」
「……勝手にすれば」
 女の子をひとりで帰らせるなんて、と言いたがる乾さんの感覚は古いのだ。こんな気分にさせられて、送っていってなんかやるもんか。
 見上げれば夜空には大きな大きな黄色いお月さん。俺の告白は空振りで、ハートの中にはぽつんと涙がひと粒。涙は当然、ひと粒だけ。その程度の想いだったのだから当たり前だ。


END



 

 
 

 
 
 
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