番外編

番外編93(タイムマシンにお願い・The fifth)

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番外編93

「タイムマシンにお願い・The fifth」

1

三十代も半ばになって、恋人に向かってわがままを言って喧嘩になるなんて、大人のふるまいではないと知っているけれど。
「いつまでも聞き分けのないことを言わないんだよ、愛理、いい子にしなさい」
「子供扱いしないでよっ!!」
「そんなふうに駄々をこねる子は子供だろ。子供としてお仕置きしてあげようか。愛理、おいで」
 喧嘩ではなくて、駄々をこねて叱られているみたい? お仕置きだとは時々言われ、ここで反省していなさい、と部屋に閉じ込められたこともあるのだから、私は彼の前ではことさらに子供っぽい。自覚はあってもどうにもならなくて、こうして荒れ模様になってしまう。
 甘く叱られるのは決して嫌いではない。彼はいたって冷静で、笑みと余裕を漂わせた声で私に対処し、抱き上げようとする。いつもだったらどこかでうっとりしながらさからっているのだが、今夜は私は本当に怒っていた。
「愛理」
 彼の腕をすり抜けて部屋を飛び出す。マンションから走り出て、外でタクシーを止めた。
 母校の名前を告げると、運転手さんは場所を知っていたようで、正門前に車をつけてくれた。夜中のキャンパスはひっそりしていて、生い茂る樹々と月のあかりと、そこここにある小さな灯りに包まれている。キャンパスの見える喫茶店は開いていたので、窓辺の席にすわってミルクティをオーダーした。
「フォレストシンガーズの歌……」
 あたたかなミルクティと、本橋くんが歌うバラードが気持ちを落ちつかせてくれる。
 落ち着いて考えみたら、悪いのは私だったよね。彼は今度こそはわがままな私に愛想が尽きて、別れてもいいと思っているかもしれない。いいもん、私だって別れたっていいもん。
 意地を張って泣くまいとくちびるを噛む。あんな大学に行かなかったらよかった。そしたら金子さんには会わなかったのに。アナウンサーになりたいなんて大それた望みは捨てて、地元の大学を出て地道に就職していたら、地元の男と結婚して、ママになっていたかもしれないな。
 戻りたい、高校生に戻りたい。犬山の女子校に入学したころに戻って、放送部に入るのもやめて、アナウンサーになりたいとは思わない女になりたい。

「さあ、不思議な夢と遠い昔が好きなら
 さあ、そのスゥィッチを遠い昔に回せば
 ジュラ紀の世界が広がり
 はるかな化石の時代を
 アンモナイトがお昼寝
 ティラノザウルスお散歩、アハハン」

 バラードからこんな歌に変わって、三沢くんがお茶目な声を出している。あなたは私よりも三つ年下で、合宿の浜辺でいたずらなキスをしたよね。おでこだかほっぺだかにキスしてあげたんだったか、あなたがしてくれたんだったか。
 三つ年下なだけの三沢くんが、こんなに可愛い声で歌ってる。タイムマシンがあれば、十五の春に戻れるのに。


2

 家庭教師なんかいらないっ!! 反抗してみたら、母に懇々と諭された。
「お母さんとお父さんはフィラデルフィアに行かなくてはいけないの。お父さんの仕事のためなんだから、お母さんは愛理ちゃんと残るわけにはいかないのよ。お父さんはフィラデルフィア支社の支店長として赴任するんだから、主婦のお母さんにもお客さまをもてなしたり、ホームパーティのホステスをつとめたりする仕事があるの。本当は愛理ちゃんにも一緒に行ってもらいたいんだけど……」
「あたしは行かないって言ったでしょ」
「そうよね。愛理ちゃんには受験があるんだから」
 高校一年生になったあたしの大学受験は三年先だけど、父の赴任期間は五年なのだそうだから、外国に行っている場合ではないのだった。
「受験勉強のためにも、普段の生活に助言してもらったり、いざというときに頼りになってもらうためにも、家庭教師を受け入れてちょうだい。大学三年生の優しいお姉さんなのよ。ひとりっ子の愛理ちゃんから見れば、素敵なお姉さんができるんだから」
 うぜっ、と言いたかったのだけど、これ以上反抗すると、そしたらお母さんも日本に残る、と言い出しそうで、仕方なくうなずいた。
 じきに新学年がはじまるという四月初頭、両親は父の赴任先へと旅立っていき、あたしは自由の身になった。心細さがないわけでもないけれど、十五歳にしてひとり暮らしだなんて、最高かも。
「こんばんは」
「え? 誰?」
「ごめんね、愛理ちゃん、今夜は代理なんだよ」
 母が吟味に吟味を重ねて探し出した家庭教師は、母が言った通りの大学三年生の優しいお姉さんだった。両親も加えて四人で食事をし、アイドルの話やらおしゃれの話やらもしたから、まあ、我慢できるレベルだと思っていた。
 なのに、今夜訪ねてきたのはお姉さんではない。玄関先に立っていたのは背の高いお兄さん。彼は申し訳なさそうに言った。
「愛理ちゃんの家庭教師の川中は、札幌の出身だとは聞いてるでしょ。彼女のお母さんが急病だとかで、急遽帰省しなくてはならなくなったんだ。俺は金子将一。家庭教師派遣センターの臨時雇いってところだね」
「大学生?」
「いや、二十八」
 そしたらフリーター? あたしは不審そうな目をしていたようで、金子さんが話してくれた。
「俺は平素は予備校の講師をしてるんだ。家庭教師派遣センターは俺の友人が経営していて、優秀な大学生をそろえてあるおかげで引く手あまたなんだよね。川中さんが抜けるとかわりがいないってんで、友人に泣きつかれたんだよ。金子、頼むって」
「予備校の先生はお休み?」
「一ヶ月ほどの臨時仕事だろうから、時間の融通はつけられるよ。ご両親にはセンターのほうから連絡して了承は得ている。愛理ちゃん、よろしいかな」
「しようがないね。上がって」
 玄関に立っていた彼が、一礼して家に入ってくる。同じ位置に立つとずいぶんと背が高くて、肩幅や胸が広いのも感じられる。学校の先生にはこんなにかっこいい男はいないな、予備校の講師じゃなくて俳優みたい。
 そう思うとちょっぴりどきどきする。ひとり暮らしになって家中をひとりで使えるようになっているから、あたしの部屋は勉強部屋。そこに通して金子さんがあたしのとなりにすわると、体温までを意識して胸がときめいた。
「理数系は得意じゃないんだってね」
「物理が苦手ってか、だけど、家庭教師が必要なほど成績は悪くないんだよ」
「大学に進学するつもりなんだろ。予備校に通うかわりに個人教諭だったら、贅沢な立場じゃないか。これ、問題集だね、見せて」
 物理の問題集を渡すときに手が触れて、またまたどきっとする。このひと、顔もとっても綺麗。眉目秀麗ってこんな顔? 野生的な香りもして甘すぎず、鋭さもあるのが好みだった。
「……ほとんどやってないな。さぼってるのか」
「買ったばかりだもん」
「ここはまちがってるよ」
「どこ? 嘘」
「本当だよ。よーく考えてみろ」
 問題集を返されて、よーく見返す。どうまちがっているのかわからなくて首をひねっていると、金子さんが顔を近づけてくる。ときめきが最高潮になって、あたしは椅子を引いた。
 椅子には底に小さな車輪がついていて、脚がくるくる回る形になっている。あたしが勢いよくうしろに引いたものだから、椅子がフロアをすべっていく。そのまま椅子がドアに激突しそうになって、あたしは悲鳴を上げた。
「きゃわーっ!!」
「おーっと、おっとっと」
 がっしゃーん!! と椅子はドアに衝突したものの、あたしは金子さんに抱きとめられていて無事だった。なに、これ? 抱かれてる。身体が密着している。金子さんの両腕があたしの身体に回ってて、彼の胸にあたしの顔がくっついていた。
「やめてよ。えっち!!」
「ああ、失礼。愛理ちゃんは大丈夫だったようだね」
「平気だよっ」
「ごめんごめん。椅子は大丈夫じゃないようだけど、ドアは大丈夫だったかな」
 あっさり腕をゆるめて、金子さんがドアを点検しにいく。もっと抱っこされていたかったな、残念だったな、と考えかけて、心で叫んだ。
「残念なんかじゃないよっ!!」
「愛理ちゃん、なにか言ったか」
「なんにも言ってないっ!!」
 どうしよう。かっこよすぎる家庭教師なんて、嬉しいけど気持ち的にはよくない。川中のお姉さんのほうが平和でよかったのに。


 数学の教科書と参考書とノートを机に並べると、金子さんがもう一冊、ノートを出した。
「愛理ちゃんのために作ったんだよ」
「なんなの?」
「きみの不得意分野をダイジェストして、わかりやすく解説してあるんだ」
「金子さんって先生気質だよね」
「そのようだね。さ、勉強しよう」
 家庭教師は勉強を教えてもらったり、勉学についてのアドバイスをしてもらったりするためにいる。あたしの場合は、高校生でひとり暮らしになったのだからと、母が姉さんがわりの女性をつけてくれたのもあった。
 なのに、姉さんじゃなくて兄さん、というか、兄さんだなんて思えない。
 勉強を教えてくれるために、金子さんがあたしに身を寄せてくる。ほのかに柑橘の香り、さらにほのかな男のひとの香り。父が漂わせていた加齢臭ってやつとはちがって、心地よい香り。
 身体が近づく。ほぼ密着する。息遣いも感じる。堅く締まった腕があたしの腕に触れる。金子さんがなにか言いながら、あたしの頭を引き寄せる。なにを言われているのかちっとも聞こえなくて、自分の心臓の音だけが耳につく。
「愛理、ちゃんと聞きなさい」
「え?」
「心がどこかに飛んでいってしまってるだろ」
「……へ?」
「どうした? 具合でも悪いのか」
「うん」
 ハートの具合が悪いのよ。どうしよう、あたし、参ってしまったみたい。
 ルックスが私の好みにぴったりすぎるのがいけない。外見だけで好きになる軽薄さだって、あたしにはある。だって、あたしは十五歳なんだもの。え? 十五歳? そうだよ。愛理は十五歳。
 外見だけでもあたしがふらふらになるには十分すぎるほどだったのに、中身だって素敵。優しくて我慢強くて穏やかで、教え上手で聞き上手。話し上手で楽しくて、学校の先生以上に大人だ。素敵な大人の男性の要素が、金子さんの大柄な身体の中に詰まっている。
 家庭教師の日には上手に勉強を教えてくれて、休息の時間には自分の話もしてくれる。あたしの話も聞いてくれる。一緒に食事もした。
「熱は?」
 大きな手があたしのおでこを押さえた。
「熱はなさそうだけど、医者に行こうか」
「ううん」
「愛理ちゃんが無口になるとは、ほんとに具合がよくないんだな」
「きゃ」
 はじめて会った日に椅子のせいで金子さんに抱かれる格好になった。あのときは、もっとこうして抱かれていたいと思った。
 そんなこと、考えるだけで恥ずかしいから、意識しそうになると自ら気持ちをそらそうとした。
 夢がかなったの? あたし、金子さんに抱かれてる。抱かれてベッドに運ばれて、そっと降ろされて布団がかけられた。
「あたし、重いでしょ」
「愛理ちゃんぐらいを重いと言う奴は、男じゃないよ」
 どこかで聞いた台詞。いつ、どこで聞いたんだっけ?
「医者に往診に来てもらう?」
「それほどでもないから」
「そう? だったら眠りなさい。しかし、今日は食事はまだだよね」
「食欲ないから」
 だって、これは、恋の病。
「ひとりで大丈夫?」
「大丈夫じゃないもん」
「……俺がここにいるってわけにも……川中さんだったらいてもいいんだろうけどね」
「先生、いて」
 熱はないにしたって、あたしのハートは熱に浮かされている。そんな状態だからこそ言えた。
「金子さんがそばにいてくれたら、静かに眠るから」
「いるよ。いるから寝なさい」
「眠るまではお話しをして」
「大学生のときには俺は歌を歌ってたんだよ」
「合唱部にいたんだよね」
 十年近く前のある日に……金子さんの思い出話がはじまった。
「俺が大学二年の春、キャンパスを歩いていたら女の子に道を聞かれたんだ。大きな大学だったら、新入生にはどこになにがあるのかもわかりづらい。その女の子の声がたいそう綺麗だったから、俺は彼女を合唱部に勧誘した。彼女はアナウンサー志望で、放送部に入りたかったそうなんだけど、俺の勧誘にうなずいてくれたんだよ。泣き虫で可愛い女の子だった」
「そのひとは金子さんの彼女?」
「大学を卒業して離れ離れになって、それきり会ってもいないよ」
「そのひと、金子さんが好きだったの?」
「先輩としては慕ってくれていたな」
「金子さんは?」
「……今になってみれば、好きだったのかな。手遅れだね」
 そのひとと金子さんの間になにがあったのかは知らないけど、心が通い合っていたのならば、きみが好きだったよ、と金子さんが言ってくれるのならば、もしかしたらこれからだってなにかが起きるのかもしれないのならば。
 あたしがそのひとになりたい。あたしだったら金子さんを好きになるに決まっているのだから、そのひとに乗り移って、大人の女性として金子さんに会いたい。
 実際には身体は不調でもなかったはずなのに、心がゆらゆら揺れすぎて、身体もおかしくなってきていた。十五歳の愛理ではなく、大人の愛理になりたい。心が身体に影響を与えて、全身がぼーっと熱くなってきて、あたしは眠ってしまった。


 愛理、愛理ちゃん、の声に目が覚めた。
「……熱はないな。今日は学校は休みだろ。安静にしてなさい」
「帰るの?」
 おでこに乗った手がじきに離れたのが寂しくて、あたしはベッドから起き上がった。
「帰るよ。ああ、愛理ちゃん、昨日は言えなかったんだけど、俺がきみの家庭教師をするのはこれでおしまいだから」
「どうして?」
「川中さんが帰ってきたから。お母さんがだいぶお元気になられたようでね」
「……そう」
 言ってはいけないと知っているのに、言ってしまった。
「元気になんかならなかったらよかったのに」
「んん?」
「川中さんのお母さん、死んだらよかったのに。川中さんはずーっと札幌にいればいいのに」
「愛理、なんてことを言うんだ」
 顔が険しくなって、声も鋭くなった。
「そういうことを言うものじゃないよ」
「言いたいんだもの」
「言いたいことをなんでも言ってもいいものではない。きみだって高校生だろ。子どもじゃないんだろ。考えてものを言いなさい」
「お説教なんかされると、熱が出てくるよ」
「反抗的な悪い子だね」
 ふっと肩の力を抜いたように言って、金子さんは微笑んだ。
「じゃあ、さよなら」
 さよならって、二度と会えないってこと?
 そうなんだよね、本来は川中さんがあたしの家庭教師なのだから、彼女が職に復帰したら金子さんの仕事はおしまいになる。金子さんは臨時家庭教師だったのだから。
「……元気でね」
 行かないで、さよならなんていやだ!! と叫べる立場ではない。泣きたくなって、金子さんの胸にすがりつきたくなって、そうはできなくて、部屋から出ていく彼の背中をただ、見ていただけだった。
 そうして数時間、なんにも食べずにぼんやりしていた。
 食べなかったら痩せられるからいいよね。おなかもすかないし、なにもする気にならないし。今日は家庭教師も来ない日。週が空けたら学校だけど、行く気にもならないな。学校をさぼったら金子さんに叱られる? 叱りにきてほしい。
 会いたいな、会いたい。
 夜になるとたまらなくなって、起き上がって身支度をした。体調というよりも精神的に具合が悪くなっていたのだから、無理をすれば動ける。シャワーを浴びて着替えをして、バッグを持って外に出た。金子さんのマンションは聞いていたから、電車に乗った。
 このマンションの1階に、金子さんの部屋がある。一度だけ、一緒に書店に行ってデート気分になった帰りに、この前を通りかかった。
「あそこだよ」
 教えてもらったから、どこが金子さんの部屋なのかも知っている。訪ねていっていい? 体調がよくないのに、出歩いたら駄目だろって、叱られるかな。
 叱られるのでもいいから、叱られたいから。川中さんのお母さんのことだって……ごめんなさいは言えなくて、また反抗してしまうかもしれないけど、ほんとはそう思ってるんじゃなくて、金子さんに会えなくなるから、だから。
 心で言っているのさえもがしどろもどろで、上手には口にできそうにない。
 どうしよう。衝動にまかせて来てしまったけど、部屋に行っていいの? 躊躇して裏のほうへと回っていった。
「大丈夫だよ、焦げたところをこそげ取ればいいんだ。それよりも空気を入れ替えようか」
 声と同時に窓が開いて、あたしは慌てて飛び離れた。
「だけど、焦がしたものを食べたらよくないでしょ」
「この程度だったら平気だって。俺が食うから」
「おいしくないよ」
「おまえが作ったものはおいしいよ」
「……うう、焦げくさーい」
「どれどれ?」
「きゃ、いや」
 うふふっと女性の声。顔から血の気が引いていく。
 ここはキッチンなのだろう。金子さんは恋人と料理をしているのか。彼女が魚だかなんだかを焦がしてしまって、窓を開けたのか。そこでふたりは無言になって、キスでもしているのか。
「……聞きたくないよ」
 恋人の話なんかはしなかったけど、金子さんに彼女がいるのなんて当たり前。そんなことは露ほども考えずに、金子さんのマンションに行ったあたしが馬鹿。

「馬鹿だね馬鹿だね馬鹿だねあたしは
 愛してもらえるつもりでいたなんて
 馬鹿だね馬鹿だね馬鹿のくせに
 愛してもらえるつもりでいたなんて」

 窓から離れるあたしの耳元に、こんな歌詞がリフレインしていた。

「バカだね バカだね バカだねあたし
 愛してほしいと 思ってたなんて
 バカだね バカだね バカのくせに
 愛してもらえるつもりでいたなんて」

 「化粧」って歌だったっけ。十五歳のあたしは化粧もせずに外に出て、好きなひとに会いにきて打ちのめされている。愛してもらえるつもりでなんかいなかったけど。


3

目を開けると、ライトアップされたポプラの樹が見えた。
 あれはライトアップというよりも、近くにキャンパスの外灯があって照らしているのだが、母校の象徴のひとつがあのポプラの樹なのだから、ああ、今夜もあなたは元気に立っているんだね、と思う。卒業生ならばあのポプラを見れば、なにかしら思い出すだろう。
 キャンパスを歩いていて先輩に道を尋ねて、彼にひと目惚れをした愚かな十八歳の愛理。十五歳の私がああして家庭教師に失恋して、大学生になったら、金子さんではない男性に恋をしたのかしら。そうしたほうが幸せだったのかしら。
「……三沢くん、いた?」
「沢田さん、どうかしたんですか」
 つい先刻、聞こえていたフォレストシンガーズの歌はおしまいになっている。彼の声の続きが聞きたくて電話をかけた。
「今ね、大学の近くの喫茶店にいるの」
「大学の近くの喫茶店って、いくつもあるでしょ」
「ここからポプラの樹が見えるわ。でね、喫茶店でミルクティを飲んでいたら、フォレストシンガーズの歌がかかったのよ」
「どの歌ですか」
「何曲かかかってたうちに、「タイムマシンにお願い」があったのね。それを聴いてるうちに眠ってしまって、夢を見ていたみたい」
 ほんの刹那のはずなのに、長い夢だったようにも思えた。
「十五歳に戻って、金子さんなんかに出会わない人生を送りたいって思ってたんだけど、彼は私の……ううん、いいんだけどね、夢だもんね」
「あの歌は、ですね」
 もったいぶったようなおごそかな調子で、三沢くんは言った。
「時には人に不思議な経験をさせるんですよ。俺の声で「タイムマシンにお願い」を聴くと、幻惑的な気分になるでしょ」
「というか、珍妙な気分かもね」
「珍妙でもいいんですけど、摩訶不思議な気分ともいえる」
「うん、いえるね」
「だから、それは夢ではなくて、本当にタイムトラベル経験だったのかもしれませんよ」
「そうかもね」
 現実であろうはずがないのだから、ならば幻覚か。幻覚と夢のどこがどうちがうのか。あれは夢であるのはまちがいないのに、ラストシーンの切なさが胸を噛み続けていた。
「で、ひとりでそんなところにいるんでしょ? 金子さんとなにかありました?」
「なにかって、いつものことよ」
「了解」
「了解って……なんなの? なにを了解したの? お節介はやめてね」
「了解いたしましたぁ」
 甲高い少年みたいな声で言って、三沢くんは電話を切ってしまった。
 彼がなにを了解したのかは、私にもわかる。母校の近く、ポプラの樹が見える喫茶店といえば数軒。探せばここに行き当たるだろう。
 十八歳で出会った金子将一は、私の恋人。
 喧嘩というのか、私が勝手に突っかかっていっているだけというの、そんなことばかりしていても、彼のいない私なんて考えられない。そのくせ、現実に浸りたくないから結婚はいやだなんて、身勝手な私を彼は受け止めてくれている。
 金子さんに出会わなかったとしたら、私の人生は変わっていただろうけど。
 出会ったタイミングがずれていて、恋人にはなれなかったとしたら……あの夢はそれを教えてくれたの? 金子さんに愛してもらえないと知って、あんなにも打ちのめされた私。私の心はああなのだと、教えられたのかもしれない。
 今、私は三沢くんのお節介を待っている。
 化粧なんてどうでもいい……どうでもよくはない。バッグからポーチを取り出して、鏡を覗く。赤い目をした私が映る。おばさんになりかけの女が映る。十五歳の愛理は化粧もせずに外に出ていけたけど、今の私は化粧だけはちゃんとしている。
 おばさんだっていいよね。だって、金子さんだって年齢からすればおじさんになりかけだもの。たった一歳の年の差で出会って、迷い道、曲がり道はあっても恋人になれて、子供扱いはされていても、大人と大人の恋人同士で。
「……よかったよね」
 出会ってからの二十年近くを思い出していれば、彼を待つ時間もあっという間にすぎる。喫茶店のドアが開いて、彼が歩み寄ってくる。甘い目で睨まれて、愛理、と甘い叱声で名前を呼ばれたら、涙があふれて化粧が崩れそうになってきた。


END




 
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