ショートストーリィ(しりとり小説)

19「しづ心なく」

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しりとり小説19

「しづ心なく」


 高校の卒業式を控えたある日、陽子は母に言われた。
「このまんまであなたをお嫁に行かせたら、母親の私が恥をかきます。私も結婚前にはさな子先生からお行儀を教えていただいたのよ。私が教えるよりもずっといいの。さな子先生のお宅へ行ってらっしゃい」
 
田舎の旧家に嫁に行くのだったら、ある程度の覚悟は必要か。いつの時代の話だよ、と思いながらも、卒業式もすませると、陽子は乾家へとやってきたのだった。

「今は娘のとわ子が華道のほうは取り仕切ってるんですよ。とわ子の夫は金沢の街で「翠月堂」という和菓子屋を営んでいます。私は孫の隆也とふたり、のんぴり生きてるんですよ。今はうちには行儀見習いの娘さんはいないから、陽子さんだけね。よろしくね」
 穏やかにも見えるさな子の微笑にぞぞーっとして、陽子は早くも逃げ出したくなった。

「……帰りたいな」
 庭に出て我が家の方向の空を見つめ、呟いていると、うしろに人の気配を感じた。

「隆也です。陽子さんですか」
「……あ、はじめまして」
「ご挨拶が遅れましてすみません」

 十五歳だと聞いていたから、もっと子供っぽい少年かと思っていた。陽子に挨拶してくれる隆也は、三つ年下だとは思えないほどに大人びた空気をまとっていた。

「十八歳なんですね。その年で結婚って、なにか事情でも?」
「高校生のときからなんとなく、親同士で結婚を決めてたんです。私も彼は嫌いじゃないから、結婚してもいいと思ってたの。うちの親は短大くらい行かせたいとも言ったんですけど、むこうが早く嫁にほしいって。私は勉強は嫌いだし、主婦になるんだったら短大なんかよりも、さな子先生にお行儀を教えてもらうほうがいいかなって」

「そうとも言えますけどね」
 なにか言いたそうに陽子を見る隆也の瞳に、なぜだかどぎまぎした。

「……隆也」
 居心地のよくない気分で隆也と見つめ合っていると、さな子が隆也の名前を呼んだ。

「隆也、こっちに来なさい」
「はい」
 素直に返事をしておいてから、隆也は陽子に素早く囁いた。

「うるさいばばあなんだから、顔で笑って心で舌を出す。陽子さんも早くその技を身につけて」
 言い残して、隆也が走っていく。孫が縁側から部屋に入っていくと、さな子は庭に面した襖を閉ざした。

「……あんたも高校生になったんだから、言っておきますよ」
「中学生になったときにも言わなかった?」
「いちいち口答えしないの」
「はい」

 気になって仕方なくて、こっそり聞き耳を立てた。こういった純日本家屋はプライバシーを保てる構造はしていないので、立ち聞きはたやすい。

「昔からうちには陽子さんみたいなお嬢さんがいるでしょ。あんたも仲良くしてもらったり、お世話してもらったり、嫌われたりしていたよね」
「そうだったね」
「子供のころはそれでよかったけど、高校生になったんだから……」

「なんのこと?」
 聞き取れないほどの小声でさな子がなにか言い、ドスの効いた声音に変えて念を押した。
「承知しないからね、わかったね」
「はい」

 笑みの漂う隆也の返事は、心で舌を出しているってものだったのだろうか。
 おばあさまにああやって釘を差されたせいか、隆也はそれっきり、陽子には近寄ってこなかった。蔵の中から重いものを出したり、高い棚の上のものを取ったりするときに呼ばれると黙々と仕事をして、陽子に話しかけたりはしなかった。

 それでも、同じ家にいるのだから視線は合う。そんなときににっこりしてくれる隆也の表情は、陽子にとってはオアシスだった。

 別段つらく当たられたというのでもないのだろうが、さな子の目は鋭い。舌の回転もきわめてなめらかで、陽子は恐れ入っているしかない。褒めると人を損なうという教育方針なのか、隆也に対するときよりはやわらかめとはいえ、陽子にも容赦はなかった。

「……陽子さん、ほら、咲いたよ」
 そんな日々に疲れていたら、隆也が二度目に陽子に話しかけてくれた。

「あ……桜なんて……忘れてた」
「そうでしょうね。ハードな毎日だもの。だけど、こうしてうららかな春の日の中で咲く花、ひととき心が休まるでしょ」
「隆也さんってちょっと老けてるって言われません?」

「言われます。ばあちゃんっ子ですから」
 ふたりして笑っていたら、さな子の視線を感じて、隆也は逃げていってしまった。

「ひさかたの、光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらん」
「あ、はい、お掃除してきます」
「陽子さん、ひさかたの、って意味がわかる?」
「ええとええと……百人一首にありますよね」
「わりとわかりやすい歌だけど、ひさかたの、としづ心なく、は宿題ですね。いい花だこと」

 さな子に叱られないようにと必死で、桜が咲くことすらも忘れていた毎日に、その光景が美しい絵のように焼きついた。
「ああ、ひさかたの、って光にかかる枕詞ですよね」
「はい、正解です。しづ心なく、は今の私の心境ですね」

 金沢の豪壮な邸宅の庭の一画に咲き零れる桜の老木。老木のそばでしゃんと背筋を伸ばした、和服姿の老婦人が目を細めている。このおばあちゃんはこんな優しい顔もできるんだ、と、さな子を見る陽子の上にも、春の光と花びらが降り注いでいた。

次は「く」です。


「主人公について」

蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
フォレストシンガーズの乾隆也、十五歳。そのころに金沢の彼の生家に行儀見習いに来ていた、陽子ちゃんが主人公です。まったく、いつの時代の話や。って……逆算すると平成ですけどね。

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