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小説302(Never never defeated)

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フォレストシンガーズストーリィ302

「Never never defeated」

1・真次郎

 大きくなったらなにになる、子供に向けられる大人の質問の定番だ。俺にはガキのころからなりたいものは数種類あったのだが、その前に、大きな希望があった。
 本橋禄朗と巴には息子が三人いる。親によると、双生児は両方ともに長男だということで、栄太郎、敬一郎の名前のついた俺の兄貴たちだ。彼らから七年遅れで生まれた俺は三男なのだが、次男とみなされて真次郎という名前を与えられた。
 親戚のおばさんたちも不思議がっていた。そういわれれば、ベストスリーってものもそうだ。同率一位がふたつあれば、みっつ目は三位だ。
 しかし、俺が次男であっても三男であっても、日常生活にはなんの支障もない。支障はこのふたりの兄貴たちにだけあった。小学校のときから空手をやっていた兄貴たちは、俺が生まれて赤ん坊ではなくなったころに親に命じられた。
「真次郎の面倒はおまえたちが見ろよ」
「お兄ちゃんたち、頼んだわよ。優しく可愛がってやってね」
 十歳になるかならずかだった兄貴たちは、それからは死力を尽くして俺の世話をしてくれた。
 本人たちはそう言うが、死力を尽くして俺をおもちゃにしたのではないか? 十八歳にもなると、兄貴たちの教育にはありがたい部分もあったと認めてはいるのだが、それ以上に迷惑だった。ああも荒っぽい扱いをされて、よくこわれなかったものだ。
 よちよち歩きだったころに俺が縁側から落ちそうになって、兄貴に引き戻されて頭を殴られていたと、隣の家のばあちゃんが後年になって話してくれた。
「シンちゃんはけろっとしてたからよかったんだけど、赤ちゃんの頭を叩くなんて、お母さんかお父さんに言いつけてやろうかと思ったよ。シンちゃん、頭が悪くならなくてよかったね」
「ばあちゃん、あんなの見てたの?」
 兄貴は照れ笑いをしていて、俺は思った。俺がクラスの女の子に、本橋くんってこんなことも気がつかないの? と見下されるのは、そうやって頭を殴られたせいではないのか?
 幼児の俺をプールや海に放り込む。俺は自然に泳いで平然としていたと兄貴たちは言うが、本人の記憶にはない。本当なのだろうか。幼稚園に入る年頃になれば、悪いことをしたら頭を殴られるのは当然、ビンタだってやられた。
 果ては庭の樹に縛りつけられる。投げ飛ばされる。空手の稽古台にされる。何年も経つとあのときに殴られたのは、俺が悪さをしたからだったのか、遊ばれたのかわからなくなってきた。
 教育もあったのだろうが、遊びもあったに決まっている。なのだから、俺は決意した。
 いつかは必ず、俺は兄貴たちを凌駕する身体つきになって、力も強くなって兄貴たちをふたりまとめて投げ飛ばしてやる。真次郎、降参、と言わせてやる。俺は空手は拒否したので習ってこなかったが、自己流で身体を鍛えてきた。
 高校生くらいになったら俺も兄貴たちくらいの身長になれるかな、と思っていたのだが、高校を卒業しても俺の体格は兄貴たちには及ばない。
 身長は百九十センチに近く、体格といったらバケモノ並みの筋骨隆々なのだから、そこまでにはならないほうがいいのか。俺は身長は百八十センチに満たず、おまえはひょろっとしていると兄貴たちに言われるのだから、相手が悪すぎるか。
 こいつらに較べれば細くて背が低いだけで、俺は小学校のときからクラスの男子の中では大きいほうだった。身長も筋肉も同年齢の男たちには劣らない自信がある。なのにやっぱり、兄貴たちから見れば真次郎はちびの末弟なのである。


うらうらと春の陽射しが降り注ぐ平日の昼間、この時期は学校は春休みだから、不良も昼間からたむろしているのではないか。散歩がてらパトロールに出たのは、暇だったからだ。
 中学三年生の年末に兄貴たちを含めた近所の男たちが自衛団を結成すると言い出して、受験生だった俺も否応なく引きずり込まれた。それまでにも兄貴たちには自衛術は教わっていたのだが、あのときはじめてまとめて実践したのだった。
「いいか、真次郎、これは喧嘩じゃないんだ、自衛だ。身を守るんだよ」
「攻撃は最大の防御なりとも言うよな」
 年末の街のそここでよからぬ相談をしている中学生や高校生の不良たち。男も女もいて、女の子の中にも凄んでくる奴はいたが、兄貴たちの圧倒的な体格の前では怯んでいた。
 衆を頼んで突っかかってくる男たちだったら、兄貴たちは俺にも手伝わせて投げ飛ばしたり吹っ飛ばしたりした。空手家の拳や足は凶器なのだから、なるだけ俺にやらせようとしたのもあった。小学校のときから喧嘩には強かった俺は、あの経験でいっそうの自信を深めたのだった。
 まだ俺は兄貴ひとりでも投げ飛ばせない。十八と二十五ってのは十代のほうが分が悪いから、十年後か。それでも無理か。三十年後か、そんなに待ってられねえぞ、などと考えながらも公園に入っていくと、まぶしい光景に出会った。
 学校では三つ編みにしていた長い髪を、今日は肩に流している。淡いピンクのセーターを着て、桜の花びらみたいな女の子だった。
「本橋さん……」
「あ、久し振り」
 どうしても気まずいのは、俺が彼女に告白したからだ。ひとつ年下の男友達のクラスメイトの石坂しのぶを好きになって、告白してごめんなさいと言われて、それっきり会っていなかった。
「……スケッチ?」
「あの樹を描いてたんです」
「……桜の樹だよな」
 絵は俺にはわからない。桜の樹くらいだったら知っているが、花の名前は知らない。美術部にいるしのぶの絵にも魅せられて好きになったのだが、今、彼女が描いている絵は寂しげに見えた。
「花の咲いてない桜って……」
「この時期の桜の樹が、私は好きなんです。寒さの中で凛としてたたずんでる感じ」
「そうなんだね」
 きみにも似てるのかな、なんて、ふられた女に言えるはずはなかった。
 ベンチに腰かけてスケッチブックを広げているしのぶの隣にすわることもできなくて、俺は手を伸ばして桜の枝を折った。
「本橋さんだと背が高いから、枝に届くんですね」
 咎めるでもなくしのぶは微笑み、俺は言った。
「俺の兄貴たち、知ってる?」
「野島くんから聞きましたよ」
 野島とは、俺の年下の友達だ。ランニング友達だった野島とも、二度と会わなくなるのだろうか。
「ああ、本橋さん、○○大学に決まったんですってね。おめでとうございます」
「ありがとう。それも野島に聞いた?」
 もしかして、野島としのぶは好き合っている? そうだとしたら、しのぶが俺の告白を断ったことも納得できる。けれど、言葉にして質問はできなかった。
「そうだったのかな。それで、お兄さんたちがどうか?」
「うん、俺は背は低くはないんだけど、兄貴たちはもっともっとでかいんだよ。身長は俺よりも十センチ高くて、体重は俺の1.5倍はあるよ」
「うわ、すごい」
「だろ。だからさ、俺の夢のひとつはかなわないんだ」
 手の中の桜の枝、花が咲く前の桜ってこんななんだ。つぼみが淡いピンクの翳をまとっているように見えて、歌にしたくなってきた。
「俺の夢って、兄貴たちをふたりまとめて投げ飛ばすってことだよ」
「……きゃ」
 小さな悲鳴のような声が、きゃーははっと笑い声に変わる。可憐な声だった。
 すわったら? とはしのぶは言わない。俺もすわろうとはしない。立ったままで手の中の枝や桜の樹を眺める。しのぶは笑いを引っ込めてから、俺の視線をたどって桜を見上げた。
「私も今のところは、美大に行きたいって夢があるんですよ」
「いい夢だね」
「だけど、美大なんか出たって就職もないって親には言われる。それでも合格したら行かせてはもらえるだろうけど、野島くんは……」
「あいつは大学には行けないって言ってたな」
 短距離のスプリンター、野島春一。大学生になっても走り続けていられたら、素晴らしい選手になるはずだ。父親が病弱で家が貧しくて、妹も弟もいるから大学には行けないと、本人ではなく野島の陸上部の先輩から聞いた。
 彼の夢は陸上選手か。俺には将来の確固とした夢や希望はなくて、兄貴を投げ飛ばしたいだなんて幼稚なことを言っているのに、大学には当然のように行かせてもらえる。
 やはりしのぶは野島のほうが好きなのだろうか。年上なのに、大学生にもなるのにガキみたいなことを言っている俺を、内心では笑っているのか。木立の間から漏れる春の日差しに目を細めるしのぶは、それでもそれでも可愛かった。
「大学に進むだけが人生じゃないって……私が言ったらいけないかな」
「そうなのかなぁ。俺ら、親がかりだもんな。一人前の台詞は言ったらいけないのかな」
「本橋さんって……」
「ん?」
「ううん。大学に行ってもがんばって下さいね。学園祭なんかは見にきてね」
「うん、ありがとう」
 俺はそんなには鈍感ではないつもりだから、微笑んで俺を見るしのぶのまなざしには、軽蔑は含まれていないと確信した。
「ああ、そんな感じなんだ」
 スケッチブックにしのぶが色鉛筆を走らせる。さっさっとかすめるように乗せていく色は淡いピンク。俺の手にある枝の蕾がまとっている色。しのぶが身にまとっている色でもある。その色をしのぶが絵の中の桜の枝に刷くように色づけていっていた。
 音楽の好きな俺はこの桜を詩や曲にして歌いたいと願い、しのぶは絵にしたいと考える。野島だったら満開の桜の下を、トップランナーとして走り抜けたいと考えるのだろうか。
「本橋さん、あっちから大きな男のひとがふたり、来ますよ」
「……あっ」
「噂の兄さんたちですか」
「うん、じゃあな」
 別にうしろめたくはないのだが、女の子とこんなところで話しているのを見られたら、思いきり冷やかされる。冷やかされて抵抗したら、しのぶの前でだって投げ飛ばされる。かつがれて殴られる恐れもある。
 そんな格好の悪い姿を、片想いが破れた女の子にだって見られたくない。俺は兄貴たちに気づかれないうちにと逃げ出した。
 あんな奴、好きにならなかったらよかったって、後悔する場合もあるらしい。だけど、俺はきみを好きになってよかったよ。よーし、今に見てろ。兄貴たちを投げ飛ばすのが先だけど、その望みがかなったら、俺は可愛い彼女を作ろう。
 ん? 順序が逆のほうがいいかも? 兄貴を投げ飛ばしてからだったら、兄貴たちが七十くらいになるまで、彼女は作れないかもしれないじゃないか。
 いやいや、弱気は禁物だ、真次郎。大学に入ったら彼女を作って、兄貴たちにも紹介して、とやかく言ったら油断している兄貴たちを次々に投げ飛ばしてやろう。とかいって、女って面倒かもなぁ、とも思わなくもないのだが。
 中学生のときにはじめて女の子とつきあい、高校では片想いだったらしたものの、ずっとフリーだった。大学生になったら……大学の一年生になったら、そんな夢とともに兄貴たちに投げつける言葉も浮かぶ。
 いつまでも俺をガキだと侮るな。いろんな意味で言ってやるよ。敬一郎、栄太郎、今に見ていろ!!


2・英彦

 まーたおまえはしょうむないことを言い出すんやから、と男子部の連中がてんでに言う。
 どういうわけか今年の合唱部新入生には西の出身者が多くて、関西なまりの人間が多数いる。その中でも大阪出身の実松弾は大阪人の常として、どこにいたって大阪弁で喋る。そのせいか、わずかな間に特に男子部には大阪弁が席巻していた。
「なんでおまえはそう、しょうむないことばっかり思いつくねん?」
 実松が言い、ヒデはアホやからや、と反応する声も聞こえる。俺はアホとちゃうわい、と応じながらも男子部の一年生たちが部室の外に出ていくと、女子部からも一年生たちが出てきた。
 今年の合唱部の一年生は仲がいいとも言われていて、初夏にはみんなでサイクリングに行った。合唱部主催の飲み会とは別に、酒の飲めない一年生たちだけで食事に行ったり映画に行ったりもする。土佐生まれでガキのころから酒豪だった俺を中心に、内緒で飲んだりもしていた。
「なんの相談?」
 尋ねたのは女子部の柳本恵で、下川のノリちゃんも尋ねた。
「夏休みにどこかに行くとか?」
「そうじゃなくて、ヒデが言うんだよ」
 安斉が言い、野呂も言った。
「大食い大会やらないかって」
「えーっ?!」
 女の子の誰かが悲鳴を上げ、金子リリヤが言った。
「大食いって……食べることに自信のある女の子はいないよね?」
「ノリちゃんってけっこう食べるんじゃないの?」
「ミコちゃんも食べそう」
「ダメっ!! 食べたら太るからいやっ!!」
 太っているほうのノリちゃんとミコちゃんは真剣にいやがり、沙織ちゃんも言った。
「私は小さいけどわりと食べるよ。でもさ……」
「……本庄くんには絶対にかなわないよね」
 本庄繁之に大食いで勝てる奴は、女子にはもちろん男子にもいない、と女子たちは断言し、男子たちもうなずいている。俺はおごそかに言った。
「だからだろ。だから俺は、シゲにチャレンジするんだ。大食い大会なんかやったことはなくても、シゲがチャンピオンなのはみんな知ってる。だけど、そんなん悔しいやんけ。やってもみんとシゲには勝てんて、そんなん、おまえらは悔しゅうないんか」
「別に悔しくないよ」
 男どもはうなずき合い、実松が言った。
「シゲに負けるのはしゃあないし、大食いで勝ってもえらくはないんとちゃうか」
「そうだよ。テレビで大食い大会とかってやってるけど、あんなのってむしろ虚しいだろ」
 坂本が言い、リリヤも言った。
「うちのお兄ちゃんが言ってたよ。地球上には飢餓に苦しむ人々がいるのに、大食いで盛り上がるなんて、歪んだふうに富める国の愚行だって」
「そんなむずかしいことは言わなくても……」
 リリヤの兄とは、男子部キャプテンである。リリヤは沙織ちゃんに袖を引っ張られ、ノリちゃんもリリヤになにやら小声で言っていた。
「なんにしたってアホらしいやろ。ヒデ、合唱部主催の大食い大会なんか提案すんなよ」
「キャプテンに言うたら怒られるぞ」
「妹がそう言ってるんだから、キャプテンは反対だってわかるだろ」
「ヒデ、諦めろ」
 本気で言い出したわけでもなかったのだが、男子部の連中がこぞって反対し、女子部の連中には軽蔑の視線を向けられると意地になってきた。
「そんならシゲ、一対一で勝負しようか」
 特にはなんにも発言しなかったシゲが小さく吐息をつき、ミコちゃんが言った。
「小笠原くんって、そういうのを土佐のいごっそうっていうの?」
「そうやきに。かっこいいだろ?」
 かっこよくなーい!! と全員に否定され、俺は言った。
「シゲんち、故郷からなんか送られてきてないんか?」
「米だったら送ってきてくれたよ」
 三重県にあるシゲの生家は酒屋だそうだが、息子が大食らいなのは誰よりも親が知っている。おふくろさんがなにか送ってくれるとなると食いものばかりだと、シゲは嬉しそうに言っていた。
「米だったら炊いて握り飯にして、シゲと俺とで勝負しようや」
「……ヒデ、愚行はやめとけ」
「おまえがキャプテンの真似をするな」
 全員を見回して、俺は言った。
「握りメシやったらみんなも食いたいだろ? 参加したい者はこの指留ーまれ」
 高く上げた右手の人差し指には、誰も留まってくれなかった。


 合唱部なのだから、歌のうまい者が多いのは当たり前だが、うちの大学の合唱部にはルックスのいい男女も多い。女子部のメンバーは俺はまだ一年生の子しか覚えていないが、一年生ならばナンバーワンの金子リリヤがいる。
 リリヤは金持ちの娘で、男子部キャプテンの金子将一の妹でもあるから、生まれも育ちもいいという女の子なのだろう。俺みたいな庶民とは氏育ちがちがうってやつで、俺の趣味からすれば身体が、もっと言えば胸が小さすぎるが、文句なしの美人だ。
 沙織ちゃんも可愛い、ノリちゃんも可愛い、ミコちゃんも可愛い。シゲと同じ三重県出身で俺とも友達になった、合唱部ではない瀬戸内泉水も凛々しい美人だ。
「俺の妹も美人だぞ」
 うっかり口にしたら、男子部一年生たちのぎらぎらの目に取り囲まれた。
「ヒデの妹っていくつ?」
「高校一年」
「身長は?」
「うちは親父もおふくろも背が高いほうだから、俺も高いほうだろ。弟も中一にしたら大きいほうだし……いて、なにさらすんじゃっ」
「弟のことなんか聞いてない。妹は?」
「妹も背は高いほうだな」
「名前は?」
「美咲」
「BWHのサイズは? うぎゃーっ、ごめんっ!!」
 というような騒ぎになり、BWHのサイズは教えてやらなかったが、およそは……いや、兄がそんなことを言っていると知られたら、妹に縁を切られそうだから口外すまい。
「ヒデの妹だもんな。そりゃ、可愛いだろうな」
 納得顔で言っていた奴もいたのだし、俺もまあ、ブサイクではないのだろう。
 ただ、俺は田舎者だ。大学に入学して日の浅いころにデートに誘った学部の女、小田初美には、私は都会の男の子としかデートしないのよ、と断られた。
 都会の女にならば俺は過大なまでの興味がある。別に都会の女ではなくても、俺の彼女になってくれる子がいたら嬉しい。どんなのでもOKか? って、そうはいかんきに。理想を言えば背が高めで胸が大きくて、優しくて可愛い子。
 理想通りでないといけないというほど、俺は望みは高くない。ミコちゃんみたいな背の低い子だってかまわない。俺が見て可愛いと思える顔だったら、他の奴にはブスだと言われてもかまわない。俺の彼女をそしる奴はぶん殴ってやる。
 しかし、小田初美につめたく拒絶されたのがトラウマになっているのか、いいなと思った女の子に交際を申し込む勇気が出ず、大学に入学してからはまともに女の子とつきあっていない。
 ナンパしてお茶を飲んで話をして、ごくごくたまにはホテルに行って、そういうつきあいだったらしたけれど、そんなのは恋でも彼女でもない。彼女がほしいなぁ、とは思うけれど、積極的に本気の恋人を探す気にもなれないでいた。
 で、合唱部のかっこいい男たちには別の意味で興味がある。ルックス的に目標としたい男たちだ。
 キャプテンの金子さん、無理。レベルが高すぎる。副キャプテンの皆実さん、金子さんに同じ。三年生の溝部さんは顔や姿はいいけれど、中身がよくなさそうなので目標にしたくない。
 二年生の徳永さん、このひとも中身がよくなさそうだが、ニヒルでシニカルっぽいのがかっこいい。けれど、俺はそういった性格ではないので無理。外見的には……うーん、やっぱりちょっとレベルが高いか。
 同じ二年生の乾さん、ここまでに例に上げた先輩たちと比較すれば容貌は劣るが、背格好は俺に似ていなくもない。ただし、乾さんは優しげだから、やんちゃ坊主みたいだといわれる俺の目標とはちがっている気がする。
 すると、二年生の本橋さんか。顔はたいしたこともなく、背が高くて筋肉質で、女の子にはもてるようだ。面構えの精悍さからしても俺に近いのではないか。
 一年生男子には顔のいい奴はいない。親しみが深すぎて、坂本あたりはまあまあ甘いルックスをしてるな、程度にしか思えない。やっぱりルックスからすると本橋さんだな。歌の実力は本橋、乾が三年生を凌いでいるのだから、俺にはライバル視もできないが、顔だったら、体格だったらできなくもないだろうか。
 なんてことを考えつつ、午後からの講義はさぼって合唱部の活動もさぼって、ひとり、電車に乗って街に出ていった。
「うっ!!」
 電車の中で肩を叩かれて振り向くと、男子部副キャプテン、皆実聖司がうしろに立っていた。
「あ、副……」
「副はいいよ。皆実さんって呼んで」
「は、はい」
 ふたりきりになるのははじめてだから、緊張してきた。
「今日は合唱部、練習する日だろ? その顔はさぼりだな。明日、ランニングしろよ」
「……ええと、はい」
 さぼりなのはまぎれもないので、弁解はやめておいた。
「俺もさぼってるんだから、明日は一緒にランニングしようか」
「皆実さんもさぼりなんですか? 理由もなく?」
「理由はあってもさぼりだろ」
 スーツを着ているところを見ると、内定の決まっている会社に行ってきたのではないだろうか。それでもさぼりだなんて、合唱部はそんなにきびしいのか。副キャプテンだからこそおのれにきびしいのかもしれない。
「皆実さんって学部は……」
「福祉のほうだよ」
「就職も……」
「そっちの方面だ」
「そのためのさぼりじゃないんですか?」
 にっこりして、ちがうともそうだとも言わない。皆実さんは東京生まれの東京育ちで、社長の息子だと聞いている。金子さんの親は輸入家具店を何軒も経営しているのだと、本人も妹も言っていたが、皆実さんはあまり言わない。
 東京の金持ちの子ってこんなふうに育つのか。環境が金子さんや皆実さんに近くても、ルックスが劣悪だとかっこよくないはずだから、彼らはすべてが恵まれすぎている。金子さんが好き、皆実さんって素敵、とは、女子部の一年生たちだって噂していた。
 リリヤも金子将一も皆実聖司も高校は同じなのだそうだ。東京の金持ちの子の行く高校ってどんなだろ。高知の公立高校とはまったくちがうのかな。
 そんな境遇で育ったら、俺だってけっこうかっこいい東京の男になってるのにな。不公平だな、とも思う。だけど、同じ東京生まれの東京育ちでも、本橋さんはここまでかっこよくはないから、そういう不公平もあるのだ。
「それで、おまえ、どこに行くんだ?」
 吊革につかまって窓の外を見ていた皆実さんに唐突に尋ねられて、変な反応を示してしまった。
「大食い競争をしようって言おうとしたんですよ」
「合唱部でか」
「そうです。男はがっぱがっぱと食えてこそでしょ」
「うん? うん、まあ、小食の男なんてのは男らしくないとも言われるよな」
 この笑みはなんだろう。ガキだね、と言いたいのか。そう思うといっそう意地になってきた。
「皆実さんって本庄シゲは知ってますよね」
「知ってるよ。バスの一年生だろ」
「そうです。あいつはものすごい大食いなんですよ。でね、俺はなんでだってシゲに勝ちたくて、大食いででも勝ちたくて一計を案じたんです」
「どんな?」
「甘いものです」
 好き嫌いはシゲにはほとんどなく、俺にはすこしはある。口に入るものだったらなんでも食う雑食悪食のコイほどではなく、シゲにもある唯一の弱点を突こうと思ったのだった。
「なるほど。甘いものだったら本庄もそれほどは食えない。おまえはいくらでも食える。それだけは彼に勝てるってわけだな」
「はい、いい方法でしょ」
 馬鹿かと言われるのかと思ったら、皆実さんはうんうんとうなずいて尋ねた。
「そのためになにか準備をするのか」
「予行演習しようかなって、それで街に出ようとしてたんです」
 本当はとりたてて目的はなかったのだが、意味もなく繁華街に出てナンパでもするつもりか? と疑われたくなかったのもあって、日ごろから考えていたことを口にしたにすぎない。皆実さんは顎に手を当てて考え、それから言った。
「俺もつきあうよ」
「え?」
「次だ。次の駅にいい店があるんだ。このごろストレスもなくもないから、甘いものを食って解消しよう。おごるよ」
「そんな……ええ?」
「ひとりではあんな店には入れやしない。男同士で入るのもつらいものがあるけど、ひとりよりはましだし、おまえにつきあうって大義名分もあるし……いや、どうでもいいんだよ。俺が食いたくなってきたんだ。小笠原、俺に甘いものの大食い競争で負けるようだったら、本庄には勝てっこないぞ」
 挑まれているのなら受けて立つまでだ。次の駅で皆実さんと一緒に降りて、連れられていったのはしゃれたシティホテルの一階。「シュクレ」という店だった。
「シュクレってのはケーキショップで、そこのチェーン店のひとつなんだ。うちの姉が好きで、ケーキパイキングに連れてこられたんだよ。圧倒的に女性客の多い店だから、俺ほど食う男ってのは他にはいなかったみたいで、もう二度と連れてってやらないって、姉が怒ってほんとに二度と連れてきてくれなかった。ストレス解消のためにも、今日は食うぞ」
「……はあ、いや、俺も負けませんきに」
 俺は和菓子のほうが好きで、シゲと勝負するならばまんじゅうや羊羹や大福や最中でやろうと思っていた。が、ケーキだって嫌いではない。皆実さんが入り口でケーキバイキングを、と言い、そのための席へと案内された。
 案内してくれたのは可愛い女の子で、なんとなく笑いたそうな顔をしている。若い男がふたりでケーキバイキングって、変か? 変かもしれないが、ケーキを食べたいのではなく、俺にとっては勝負だ。シゲと闘う前哨戦のつもりだった。
 しゃれた名前や能書きや飾りのついたケーキ。甘さもほどよくうまいと思う。皆実さんも俺も二口で食べてしまえるケーキを、いくつ食っただろうか。
 いつしか周囲の人たちの好奇の視線を浴びている。上品なおばさんたちが笑っている。若い女の子は蔑視しているようにも思える。皆実さんにだったらまだしも、俺には品のいいケーキは似合わない。そのうちには生クリームの匂いが鼻についてきて、俺は言った。
「時間制限があるんですよね」
「あるよ。俺はそれまでは食うから、いやになったんだったら帰れ」
「帰りませんよ」
「負けた奴が払えとは言わないからさ」
「……そうですよね」
 そう言われたら死んでも負けられないところだが、勝敗は賭けではないのだった。
 その後も皆実さんは時間いっぱい食べ続け、爽やかに笑っている。シゲに勝つ前に皆実さんに負けてしまった。当分は甘いものは見たくもないから、シゲに勝負を挑むのは先にしよう。俺は諦めて、苦いコーヒーを飲みながら、優雅にケーキを食べる皆実さんに見とれていた。
 これほど甘いものを食べないと解消できないストレスってなんだろ。就職するって大変なんだな。俺も三年後は……大食い競争ではなく、そっちを考えないとならなくなるのだと思うと、胸焼けが激しくなってきた。


3・章

 この男の兄貴たちなのだし、話には聞いていたから驚きはしないが、想像以上にでかくて強そうだった。
 本橋真次郎は三男で、敬一郎と栄太郎という七歳年上の兄がいる。彼らは双生児で、空手をやっている。本橋さんだって俺よりは二十センチ近く背が高いのだが、兄さんたちはもっともっと高くて、横幅も相当にある。
 太っているのではなくて筋肉なのだろう。俺はスポーツは見るのもするのも好きではなくて、北海道生まれのくせにスキーやスケートだって得意ではないから、スポーツマンってのは敬遠したくなる。
 ジョギングや筋トレが好きな本庄さんからだって逃げたいのだから、本格派スポーツマンなんて大嫌いだ。体育会系合唱部の体質も嫌いだったのだから、「純」体育会になんか近寄りたくもない。なのに、むこうから近寄ってきた。
「俺は敬一郎だか栄太郎だかわかるか?」
「わかりません」
「そうだろうな。真次郎にだってわかってないんだから」
 ふたりの兄のうちのどっちかは、乾さんと話している。俺以外のみんなは本橋さんの兄さんに会ったことがあるのだそうだ。
「小笠原のヒデがいなくなったんだよな。うん、そういうことだってあるだろうさ」
「そういうことがあって……」
「そういうことがあって……あんまり言わないほうがいいんだろうな」
 一年で中退した大学の合唱部出身、できあがっていたヴォーカルグループに俺が入れてもらったのは、オリジナルメンバーだった小笠原さんが脱退してしまったせいだ。俺が最年少の三沢幸生と友達だったおかげもある。
 「せい」なのか、「おかげ」なのか。
 東京に来た目的の最たるもの、ロックバンドを作って、アマチュアながらも仕事ができるようになって、プロにだってなれると甘い夢を見ていた。仲間たちが女ばっかりだった「せい」もあるのか、バンドは簡単にこわれてしまった。
 生きる張りもなんにもなくして、惰性でバイトをやっていた俺の前にあらわれたスーと幸生。彼女と彼が俺に小さななにかを与えてくれた。
 スーはいなくなってしまったけど、そのかわりに音楽をやる仲間がいる。これはやっぱり幸生の「おかげ」か? フォレストシンガーズがなかったとしたら、いずれはこっちでプロになるんだという希望がなければ、俺はどうなっているのか。
 そう考えれば、やはり「おかげ」なのだろう。俺には歌以外にはなんにもない。毎日が楽しくなくても、いやなことばっかりでも、歌は捨てられない。
「……ってことはつまり、敬一郎さんでしょ?」
「おまえにだけはわかるんだな」
 むこうのほうで乾さんと、もうひとりのでっかい男が言い合っている。本庄さんと幸生はもちろん、本橋さんまでが、ああ、そうなのか、と言っている。俺も言った。
「ってことはつまり、栄太郎さんなんですよね」
「え? なんでわかった? ヒントでも言ったか、俺?」
「勘ですよ」
 乾さんの声が聞こえていなかったようなので、俺はごまかしておいた。アマチュアフォレストシンガーズの侘しい練習場所、本橋さんのアパート近くの公園で、リーダーの兄貴たちが持ってきてくれたさしいれのフライドチキンと、握り飯で夜食だ。
 普段はみんなにとけこんでいるつもりでいるけれど、時々は俺ひとりが浮遊する。リーダーの兄貴たちなんて俺はろくろく知らなかったから、なんとなく遠巻きにしてしまっていたら、栄太郎さんがやってきて、食え、と言ってチキンと握り飯をくれたのだった。
「このスパイスの加減、絶妙ですね。奥さんが?」
「ああ。真次郎の仲間たちに食わしてやるんだって言ったら、敬一郎の奥さんと俺の奥さんがふたりがかりでどっさり揚げてくれたんだよ」
 いいなぁ、と言いそうになる。
 結婚なんかしたいわけではないけれど、俺を捨てていったスーの面影が目に浮かぶ。スーは女ロッカーなのだから、家事は苦手なほうだった。半ば同棲みたいにして俺の部屋に入り浸っていたスーは、章、掃除しろよ、あたしはしないよっ!! と怒っていた。
 洗濯も嫌い、料理も好きではない、そのくせ、らっきょうを漬けてたっけ? あのらっきょうはどうしたんだったか。捨てていったのか。俺んちの台所のどこかで腐ってるんだろうか。
 そんなことばっかり考えて、俺は無口になってしまう。食いものってのは郷愁を誘うようで、おふくろが作ってくれて弟と競って食べた、フライドチキンも思い出す。栄太郎さんの大きな手でつかむと、大型フライドチキンが小さく見えた。
「お、俺もあっちに行こう。おまえも来いよ、章」
 気安く呼び捨てにしてくれる栄太郎さんが、がに股で歩いていく。あの歩き方は弟にも似ている。顔立ちも似てはいるが、真次郎のほうがやや繊細なのだ。あの本橋真次郎の顔が繊細に見えるとは、すげぇなぁ、としか言いようのないいかつい容貌の双生児なのだった。
 なにをしにいったのかと思ったら、むこうでは本庄さんと敬一郎さんの相撲がはじまっていた。乾さんは、いやいやいや、遠慮します、と言っていて、本橋さんも言っていた。
「もうひとりも来たから、幸生もやれよ」
「リーダーはやらないんですか? 乾さんと俺のふたりがかりで栄太郎さんとってのはどう?」
「それはいくらなんでも卑怯だろ」
「この相手だから卑怯じゃない気がしますよ」
 うわーっ!! と俺までが叫んでしまった。フォレストシンガーズでは相撲だったらチャンピオン。本橋さんにも負けないシゲさんが、いとも鮮やかにぶん投げられたのだった。
「シゲさん、背骨、折れてない?」
 幸生が尋ね、本庄さんは悔しそうにかぶりを振り、本橋さんは言った。
「シゲでも無理なんだもんな。幸生、手伝え。おまえにだったら手を貸してもらってもそれほどには卑怯じゃないよ。なにしろこの兄貴たちなんだから」
「なにするんですか? きゃぁあ、俺、やだよぉっ!! 章、助けてっ!!」
 あっかんべをしながら、俺は思う。
 先刻の栄太郎さんの台詞で今までにも考えていた気分が濃くなった。みんなは俺の前では小笠原英彦の話をしない。あれすなわち、俺をひがませないためだ。俺はそんなにひがみっぽいと……ひがみっぽいよ、事実。
 弟以上に繊細さのかけらもないように見えるあの兄貴だって、ヒデ問題と章問題には気を使っている。馬鹿馬鹿しい。
 きゃあきゃあ悲鳴を上げている幸生を、がおがおっとか言いながら双生児の兄さんたちが追っかけまわしている。幸生は小さく、兄さんたちがやたらにでかいので、子供を追っかけて喜ばせてやっている大人に見える。
 呑気でいいね。楽しそうだね。俺は暗くなっちまうのに。スー、俺、いつまでこんなことやってるんだろ。フォレストシンガーズに入ってよかったと、幸生のおかげだったと、心から思える日は来るんだろうか。


 アパートに帰ると疲労困憊気分で、CDをセットした。
 このCDがスーも一緒にやっていた「ジギー」のものだったとしたら、俺の気分は明るいのか暗いのか。ジギーはアマチュアのまんまだったから、インディズレーベルからでさえもCDは出せなかった。デモテープだったら探せばあるが、探す気にはならない。
 もしもジギーが一枚でもCDを出していたら、別の意味で暗かったのかもしれないから、このほうがよかったのだろう。

「俺たちに眩しすぎる パラダイス 
 転がってでも掴みに行く
 We say stand up!
 stand up! stand up!

 涙の日は少しだけ 遠く遠く滲む未来
 転んだだけ強くなれる
 We say stand up! stand up! stand up!
 We never give up!」

 適当に選んだCDはアンソロジーで「元気の出るロック」というタイトルがついている。こんな歌はまともに聴いたこともなかったけれど、ギターを持ってきて俺も歌ってみた。

「Don't stop! Don't stop!
 Wow...We never give up!
 Don't stop! Don't stop!
 Wow...We never give up!」

 よーし!! 元気が出てきたぞっ!! って、嘘だよ。俺はそんなに単純じゃない。
 でも、負けていてはいけないのだ。たったひとつの夢にだけはすがりついていたい。俺は近い将来、フォレストシンガーズでプロになる。その希望だけは捨てない。でないとなんのために、つらい日々を耐え忍んでいるんだよ。
 ギターを弾いてCDに合わせてがなってみる。虚しさのスパイスがさきほどのフライドチキンのように絶妙に効いた、そんな元気が全身にみなぎってきた、はずだった。


END


 


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~ Comment ~

D造さんへ

おきてがみのコメント、ありがとうございます。
見ていただけるかどうかはわかりませんが、再審
記事にお返事させていただきます。

私も昔ちょっとだけ、ヨガをやってました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
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