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小説294(nacerv club)

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フォレストシンガーズストーリィ294

「nacerv club」

1

 意識しはじめると、大阪弁や大阪という土地に食中り症状になっているように思えてきた。大阪にだって好きなものはあるのだが。
 大阪に俺がはじめて来たのはいつだったか。
 稚内生まれの俺は、子供のころには本州にはなじみが薄かった。高校までの遠足は当然、道内である。修学旅行だって中学校でせいぜい東北。金持ち学校だったら遠方にも行くのだろうが、俺は貧乏人の小倅だから、学校も貧乏校だった。
 高校の修学旅行は東京だったのだが、俺は東京の大学に行くつもりだったから、修学旅行になんか行かない、その分、小遣いちょうだいと母にねだって強奪して、ロックバンドの資金にした。
 なのだからして、俺は大学入試に合格して上京するまでは、本州の土を踏んだ経験がなかった。親が旅行に連れていってくれるとしても道内のみだったから。にしても、こんな北海道人は珍しいかもしれない。
 大学生になってももちろん貧乏で、大学を中退してロッカーになったらもう一段貧しくなった。アマチュアヴォーカルグループのメンバーになってからも、やっぱり貧乏だった。
 アマチュアフォレストシンガーズにも仕事はあったから、年に数回、ギャラなしで歌うために旅に出た。ギャラなしを仕事とは呼ばないのかもしれないが、先輩たちは、仕事だぞーっ、と張り切っていたのだから、俺にとっても仕事ではあった。
 その仕事は関東ばかりだったはず。北海道に行けと言われたら俺は拒絶反応を起こしていただろうから、遠方に行かなくてもいいのは幸いだった。ギャラはないにしたって、交通費くらいは出してくれたのだから、遠くに行く仕事は与えられなかったのだろう。
 すると、俺がはじめて大阪に行ったのは、フォレストシンガーズがメジャーデビューしてからだ。そうだ、思い出してきた。
 フォレストシンガーズがデビューして、ファーストシングルをリリースした直後、華々しくデビュー曲が売れて一躍スターに、という希望もかけらほどは持っていられたころ、俺たちは日本各地のFM放送局に挨拶に出向いた。
 あのときにはじめて、俺は大阪に行ったのだ。あのときにはFMでDJをやっていた、ブラックフレームスのトミーと仲良くなった。大阪のあとの京都には悪い思い出があるものの、大阪が嫌いだとは思わなかった。
 若くてパワーがあったからか。お好み焼きだってたこ焼きだって串カツだってうまかったし、大阪弁ももの珍しくて面白かった。
 それからは何度も何度も何度も、関西地方に行った。大阪は東京に次ぐ都会なのだから、放送局もコンサートホールもライヴハウスもいっぱいある。フォレストシンガーズが売れてきてからは、東京と大阪では複数回ライヴってこともあった。
 たぶんそうやって大阪に来すぎたから、俺の中に毒素がたまっていって噴出したのだ。最近の俺は悪い意味での大阪中毒、大阪アレルギーかもしれない。それでも仕事はあるから、来ざるを得ない。
 売れるってのはつらいよな、とぼやきつつも、売れないよりはいいよな、と考え直す。俺はおふくろ譲りのマイナス思考のかたまりだから、いつなんどき、我々は転落するのかもしれない、などと考えると怖くて夜も眠れない。
 転落しないためには努力あるのみ。アレルギー症状の起きる大阪にだって、努力してやってきてステージやラジオで元気にふるまう。そして疲れる。疲れを癒してくれる優しい彼女はいないのだし、ナンパはできない立場になったから、疲れの特効薬はロックだ。
 先だって幸生に連れてこられた「nacerv club」では、ハードストーンズというチンケなバンドの演奏を聴かされた。俺にとっては奴らはチンケ以外のなにものでもないのだが、このライヴハウスには無名でも実力ある奴らやら、俺の好みのバンドやらも出演する。今夜はフォレストシンガーズの大阪の仕事を終えて、ひとりで店に入り込んでいた。
 デビューしてから十一年、おかげさまで我々も、五人でそろっていると目立つようになった。俺は若い女の子に人気があるので、ひとりでいても騒がれる場合もある。が、ロックのライヴハウスにはフォレストシンガーズファンはいないだろう。いたとしても俺を見つけて悲鳴を上げないでね。
 心の中でお願いしつつ、静かに音楽を聴いている。今夜は数組のバンドが出演した。どれもけっこう俺の好みで、とりわけ、ロックバラードをやるこのバンドが好きだ。「吟遊」。だみ声で歌うバラードが素晴らしくいい味をかもし出していた。
「あ、章くん、見っけたっ」
「なんなんだよっ」
 なのに、邪魔をする奴がいた。この間の抜けた声は……この間の抜けた容姿は……俺は慌てて逃げ出して、ライヴハウスの外に出た。
 苗字は知らない、名は電波。こう書いてソニックと読む、典型的DQNネームの持ち主だ。DQNネームは本人の罪ではないにしろ、この名のせいで変な奴になったのだったら情状酌量の余地はなくもない……いいや、余地なんかない。
 美人だとか可愛い子だとかならば、あたしは不思議ちゃんなのぉ、と言っても許す。俺の好みの小柄で華奢ないい女だったら、僕って女らしくないんだよね、と言っても勘弁してやる。そんな女が俺に抱かれて喘ぐのはいい眺めかもしれない。
 が、ソニック、自称ソニンは許さない。背は高くないからそこだけは許容範囲だが、下半身デブは大嫌いだ。俺は胸のでかい女も好きではないが、バストとウェストの落差のない身体つきは許せない。その上にこの性格、この態度。許しがたい。
 幸生とヒデさんはソニンと会っている。本橋さんも東京にやってきたソニンと会って、先日はフライドバタフライでヒデさんもまじえて六人で飲んで、ソニンの話題になった。
「俺はソニンって子には会いたくないな。どう接したらいいのかもわかりませんよ」
 シゲさんは言い、乾さんも言っていた。
「不思議ちゃんねぇ……自分で言う女は唾棄すべき……いや、言いすぎか」
 言い過ぎではない。唾棄すべき女だ。
「下らなくてまともに相手する気にもならなかったよ」
 本橋さんは言い、ヒデさんも言った。
「別にいいんじゃないんですか。俺には関係ないもんな。あれだったら桜庭しおんさんのほうがよほど……美人だったら許せるって章の気持ちは、俺にもわかるな」
「おまえに許してもらわなくてもいいだろうけどね」
 そう言ったのは幸生で、あいつは女には甘いのだから、ソニンについても悪し様には言わなかった。
 こんな女は俺は見たくもない。口もききたくない。ハードストーンズの打ち上げに行って紹介されたのが悪夢のはじまりだったのだから、nacerv clubには行かないほうがよかったのかも。悔やみつつ走って、どこにいるのかわからなくなってきて立ち止まった。
「……まいたかな」
「ばあっ」
「うぎゃっ!!」
「僕には羽根があるんだから、飛んできたんだよ。章くん、キスさせてあげる」
 羽根があるのではなくて、土地勘があるからだろう。ソニンについては純也が言っていた。
「ソニンちゃんは東京やのうて、埼玉のどこかの生まれらしいで。ほんのちょっとだけ、世田谷区に住んでたって言うてたけど、俺は東京なんかようわからん。細かいことはよう知らんけど、大阪暮らしは長くて、けど、不思議ちゃんに大阪弁は似合わんからああいう言葉遣いなんや。仕事はアーティスト? 俺がかなり金を渡してるから、特には働いてないみたい。同棲してるんでもないけど、あっちこっちの友達の家に遊びにいって、泊まるところがなくなったら俺のアパートに帰ってくるんやな。やることなすこと可愛いし、人気者やし、あの不思議ちゃんぶりがたまらん。俺は本気でソニンちゃんが好きやねん」
 惚れた弱みもここまでくると、いっそ天晴れだ。
 ああ、嗚呼、やはり大阪には来るんじゃなかった。仕事だから仕方ないにしたって、nacerv clubには行かなかったらよかった。死にたくなるほどの後悔に臍を噛んでいる俺に、ソニンが言った。
「僕もあのライヴハウスにいたんだ」
「今夜は純也は?」
「僕はあいつに縛られてるんじゃないんだから、純也の行動なんか知らないよ」
「あっそ、じゃあね」
 タクシーを拾おうと、きょろきょろしながら歩く俺のあとから、ソニンもついてきた。
「ボーイズラヴのカップルって、自分で思いついて気に入っちゃったよ。章くんと僕だったらそれってぴったんこだよね。行こうよ」
「俺はボーイではない」
「メンズラヴ? それでもいいよ」
「俺は男に興味はないんだ」
「僕は男にでも女にでもなれるんだから、女になってあげるよ」
 バカか俺は。なんだって真面目に受け答えしてるんだ。なんだってタクシーが来ないんだ。ここは大阪ではなくて田舎か。もしくは魔界の大阪か。
「僕みたいな人間、ううん、ほとんど天使である生き物に興味のない男なんかいないんだからさ、意地を張らなくてもいいよ」
「おまえ、男に飢えてるのか」
「章くんが僕に飢えてるんだろ」
「……おまえだったら、哲司のほうがましだ」
 いや、寝るのならば哲司もいやだが、話しているだけならば哲司がいいと思う。こいつと較べれば、話しているだけだったらうちの社長のほうが何倍もいい。こいつと較べれば、大阪という街と寝るほうがいい。
「哲司も僕に憧れちゃったんだよね。僕って罪だよね」
「幸生が言ってたらシャレにもなるけど、おまえだとならないな」
「リアリティあるってか、ほんとにそうだからだろ」
 勘違い女とは何人も触れ合ってきたが、ここまでの奴がいただろうか。俺はなんだって、こんな女に律儀に返事しているのだろうか。
「それでね……そんでね……ねえねえ、章くん……」
 もはや返事もする気にならない。意識が少々朦朧としてくる。タクシーが見えて、俺はふらーっと道路に出ていった。
「タクシーに乗るの? 章くん、ちょっと待ってよ」
 ソニンの毒素が大阪の毒素と重なり合って交じり合って増幅したのか。ようやくつかまえたタクシーに乗ったときには、俺は貧血を起こしそうになっていた。
「待てよ。僕を置いてく気かよ」
「お客さん、どないしまんのん?」
「いいから、車を出して」
「そうでっか」
 今どき珍しい運転手のこてこて大阪弁までが、俺を魔界から現実の大阪へ連れていってくれるようで、妙に心地よく耳に響いた。


2

 あれはデビューしてから数ヶ月たったころ、本橋さんが俺たちに言った。
「ジナーショーってなんだかわかるか?」
「ディナーショー?」
 シゲさんが答え、なぜだか本橋さんは傷ついた顔をした。
 十年もたっているのだから、記憶があやふやになってはいる。だけど、ハードといおうかわけのわからんといおうか、そんな仕事はいくつもあったとはいえ、あれはその代表のひとつだった。
 千葉県の郡部の村長さんがジナーショーをやると決め、予算の都合上、無名のシンガーズを呼んだ。ジナーショーが村おこしになると村長さんは思っていたのだそうだから、そこがまずわけわからん点だった。
「俺たちもそんな仕事、してたんだよ」
 昨日は大阪の毒気、プラスソニンの毒性の高い食品添加物のようなものにまで中てられて、俺は気絶寸前になっていた。大阪からならば日帰りできるので、仲間たちは帰ったあと。俺はライヴハウスに行きたくて、大阪に残ったのが最悪の結果となった。
 ホテルに泊まって起きたら、ともかく回復していたので、俺は「吟遊」のコーゾーに電話をかけて呼び出した。
 ジナーショーのときの俺たちの世話係みたいな男が、光三といった。コーゾーと飲んでいると同じ名前の男を思い出して、昔話をする。実力があってもデビューできない場合もあるのがこの世界で、「吟遊」はそんな境遇にある。
 実力はあっても売れないのもこの世界で、フォレストシンガーズもかつてはそんな境遇にいた。昔を思い出すと暗くなるのだが、コーゾーと飲んでいるとそんな話しばかりが口をつく。
 「吟遊」と知り合ったのは、札幌の酒場でだった。個人仕事で札幌に行ったときには、フォレストシンガーズのマネージャーの美江子さんではなくて、若い吉木くんが同行してくれていた。俺は稚内の出身なのだから札幌には詳しいと思われていて、吉木くんにうまいものを食わせてやりたかったのだ。
 実は札幌にはそんなに詳しくないものの、知り合いもいなくはない。高校時代のロックバンド仲間、青樹が札幌にいるのを思い出して電話してみた。
 青樹が教えてくれた、酒と肴のうまい店。その店では不定期にロックライヴが行われると、三十すぎてもロック好き仲間でもある青樹が言った。飲み屋でロックってのもな……そぐわないかと思っていたら、店にいた男が話してくれた。
「ライヴっていっても、ロックをやるとしたらバラードですよ。俺たちのバンドも出してもらったことはあるんです」
 たまたま合席して、そんな話をしてくれたのがコーゾーだった。
「きみがヴォーカル? 一節歌ってくれよ」
「フォレストシンガーズの木村さんの前で? 困ったな。えーと、では……」
 髭ぼうぼうの小汚い男が歌ったロックバラードは、俺のハートの奥底をひっかき回した。俺はビートの効いたハードロックが好きなのに、バラードもいいなぁ。昔はフォレストシンガーズがバラードばっかり歌うのを憎んでいたものなのに、年のせいなのかな。
「吟遊ってバンドか。ロックバラードがメインなんだな。T-BOLANみたいな感じだろ。札幌が本拠?」
「大阪です」
「大阪? なんで?」
「俺は網走出身なんですけど、大阪のとある大学にしかない学部に進学したくて、大阪に行ったんですよ」
「どんな学部?」
「いいじゃないですか。中退したんだから」
 黙って聞いていた吉木くんがくすっと笑ったのは、こういう意味だったのだろう。俺は言った。
「親しみを感じちまうな。細部はちがってるけど、俺と似てるよ。細部っての、吉木くんにならわかるだろ。言ってみな」
「木村さんは稚内出身。東京の大学に行って中退している。ロック好き」
「ああ、そうなんですか。それで木村さんは東京のヴォーカルグループに入ったんですね」
「木村さんは一時は、ロックバンドをやってたんですよ」
「そうなんだ。俺は大阪でロックバンドをはじめて、解散もしたけど、今でも大阪のバンドにいるんです。俺も木村さんには親しみを感じますよ。生意気ですみません」
 プロの俺に親しみを感じるとは、アマチュアの身としては生意気だと言いたかったのか。そんなことはないさ、と切り返しながら、俺は切なかった。
 アマチュアの下手くそに生意気な口をきかれると怒る。プロであってもガキのアイドルなんかにでかい態度を取られると怒る。俺は本橋さんのような腕力も迫力もないくせに、怒るのだけは本橋さんと同じレベルだ。
 そのくせ、反抗されたり喧嘩を売られたりすると怯む。そんな俺も実力はあっても不遇なバンドには弱いのだ。その後、バンドとしての演奏と歌を聴かせてもらった「吟遊」にはノックアウトされた。彼らの歌はひたすらにしみる。
 あれから二、三度は彼らの演奏を聴き、コーゾーとは酒を飲んだ。大阪にある俺の好きなもののひとつは「吟遊」だ。
「ソニンって知ってるか」
 ジナーショーの話しをしたあとで、その名前を出してみた。
「きみらは同じ土地でロックやってるんだから、ハードストーンズも知ってる?」
「知ってますよ。ソニンって純也の彼女でしょ。可愛いですよね」
「へっ?!」
 聞き間違いかと思って、俺はコーゾーの顔をまじまじ見た。
「いや、ソニンって見た目は小太りで背も低くて、いけてる女ではないと思うんです。でも、それって外見に目をくらまされていて、中身が見えてないんだって、ソニンと話していて痛感しました」
「どこをどう痛感したわけ?」
「あれだけ堂々としたふるまいは素敵ですよ」
 堂々というのか、幸生とは別種の羞恥心ゼロというのか。
「普通は言えないでしょ。あの外見で」
「下半身デブが少年ファッションして、僕は女じゃないんだよ、だもんな。痛いよな」
「だけど、ソニンだと痛くはないんですよ。彼女に人気があるのもわかりますね」
「あいつ、マジで人気あるわけ?」
「あるんでしょ。本人が言ってるんだから」
 本人が言えば本当だと思う素直な人間もいるのか。コーゾーは見た目はおっさんめいているが、中身は二十代だそうだから、若いからなのか。俺たちの感覚のほうがまっとうだと思っていたら、フォレストシンガーズは三十代になってひねくれてきているのか。
 いや、乾さんなんかはもとからひねくれている。幸生はぶっ飛んでいる。素直でまっすぐなほうの本橋さんがソニンに関してはあの感想だったのだから、俺もまっとうだと思っていたのに、わけがわからなくなってきた。
「先日も会ったんですけど、ほら、背中、見て、天使の羽根があるでしょ、なんてね、可愛いことを言うんですよ。俺には見えないって言ったら軽蔑されました。僕と寝たら見えるかもよ、なんて言ってましたよ」
「おまえ、ソニンと寝るのか」
「ソニンは純也とつきあってるんだから、友達の彼女……じゃないのか、愛人かな。そういうひとには手は出しません。ソニンが純也を捨てたら……つきあってもいいかな」
「コーゾーには彼女はいないのか?」
「いませんよ。俺も意外と、魂の美少年愛好者なのかな。ソニンの影響を受けてますね」
 知らなかった。こいつはこんな奴だったのか。歌と人間性にはなんの関係もないと、古人が、賢者が言ったというのは正解だ。
 「吟遊」は好きだが、コーゾー個人と深入りするのはやめておこう。大阪に住んでいるとこうして北海道人も、頭の螺子が狂ってくるのかもしれない。俺もなにがあっても、大阪に住むのはやめよう。仕事以外では大阪に来ないでおこう。
「ソニンはサンフランシスコに行ってきたらしいんですよ」
「ふーん」
「でね、むこうでは美少年や美青年はゲイなんですって。綺麗な少年が街角で人待ち顔でたたずんでいる。そういう少年に、やあ、待った? って笑顔で歩み寄って、肩を抱いて歩き出すのは決まって、びっくりするほどの美青年。ソニンはそれを見て、僕も女じゃなくて美少年になりたいな、って思うようになったんだそうです」
 要は洗脳されやすい女だ。ほうぼうから聞く話しを総合してみても、そのときどきで思想や好みを簡単に変換する女なのだと思えた。
「コーゾーは髭をそったら綺麗なんじゃないの? きみの瞳は澄んでいて美しいよ、ってソニンに言われて、俺もソニンの目を見返したんです。魂の綺麗な人間は瞳が澄んでるんですよね。ソニンのあの目を見て、外見にだまされてはいけないと思いましたよ。木村さんの瞳は……」
「あ、俺、東京で仕事があったんだった。帰るよ」
「今ごろからですか。では、お気をつけて」
 木村さんの瞳は濁っている、と言われたら、怒ってしまいそうだ。酒を飲んだら酔っ払いの目になって、濁ってるのが当然だろうに。金は払ってやって店から出てタクシーを止めた。まだ新幹線はあるだろうから、ほんとに東京に帰ろう。
 こうやってソニンの話題が人々の口に上るということが、あんな奴は大嫌いな俺でさえも、新大阪駅へ向かうタクシーの中でソニンを罵っているということが、これこそが本人にとっては思う壺。古人でも賢者でもない奴の言ったことも正解なのではなかろうか。


3

 嫌いだと言ってるのに、仕事が俺にいやがらせをして、今月はやたらに大阪での仕事が多い。駆け足で東京に帰る仕事ではなく、一泊となると「nacerv club」に行きたくなる。ソニンにだけは会いませんように、とお祈りを捧げながら店に入っていった。
 オールスタンディングの店内でウィスキーソーダをちびちび飲りつつ、今夜の演奏を聴く。プロではあってもさほどに売れていない連中だとか、「吟遊」のようにチャンスにめぐり会えない連中だとか、俺がはじめて見るバンドだとか、この店では掘り出し物が多いので期待してしまい、足を運びたくなるのだった。
 以前に幸生は若い女性シンガーのシングル曲のプロデュースをやっている。そっちの方面では俺のほうが才能あるのにな、プロデュースなんて面倒だからしたくはないけどさ、幸生に後れを取るのは癪だよな。
 などなど考えつつ、「パメラ」というバンドの歌を聴いていた。ここは女性ヴォーカルで、俺の好みではない。歌が下手で迫力がなさすぎる。退屈になってきたので外に出ると、つけてきた奴がいた。
「……ソニンじゃねえよな?」
 女なのはまちがいないが、細いシルエットはソニンではない。
 ライヴハウスというものには、俺は数多い思い出がある。多すぎて覚えていないほどなのだから、ものすごく大量の思い出ってわけだ。
 ロックバンド時代に演奏したライヴハウス、あのころは俺は無節操な遊び人だったから、グルーピーに誘われて趣味に合う女だったら寝た。金と時間があればスーと出かけたライヴハウス、スーと恋人同士だったひとときだけは、俺は遊び人ではなくなっていた。
 スーに捨てられたあとでは、ひとりででも友達とでも、幸生とでもライヴハウスに行った。フォレストシンガーズが売れていないころには、時々は女と知り合って寝た。 
 遊んだの寝たのといった思い出だけではなくて、真面目なエピソードもある。だが、ライヴハウスといえば浮かぶのは女のあの顔、この顔、ほとんどは名前も覚えていず、顔の輪郭もおぼろになった可愛い女の子たちだ。
「章はいつまでそんなことばかりやってんの?」
 軽侮と揶揄の匂いのする口調で、スーに言われた気がした。
「今は女が尾行してきてるんだぜ。俺が悪いんじゃないだろ」
「誰、あの子?」
「知らねーよ」
 尾行は気のせいではなさそうだったので、人通りが少なくなったあたりで立ち止まって尋ねてみた。
「俺になんか用?」
「どこかで見た顔なんだよね、お兄さんって」
 商売女もこのような手口を使うので警戒怠りなく、俺は彼女を観察した。
 ヒールのある靴を履いていなくても、俺よりは背が高いだろう。ブーツのヒールの分、俺よりは十センチばかり高い。俺はこのくらいのヒールを履いても俺と同じくらいの身長までの女が趣味だから、かつての彼女ではない。
 かつての彼女というのは、一晩だけの相手は含めていない。それでも相当数になるし、一晩だけの相手にならば長身の女もいたが、抱き合った記憶の中にある顔ではなかった。
「俺は背の高い女は嫌いなんだよ」
 それだけ言って背を向けると、彼女は早足で歩いて追いかけてきた。
「……そういう意味では記憶にないけど、見たことのある顔だな」
「そういう意味って?」
「こっちの話。きみ、シンガーじゃなかった?」
「シンガーっていうのか、ふたり組のアイドルの卵だったよ」
 道理で、それでそういう意味ではなく記憶にあるのだった。
「あたしはルナ、あんたの顔にも覚えがあるんだな」
「俺はまあ、まあまあの有名人……」
 自ら有名人だと名乗るのか、章? 良心なのか隆也とかいう名前の奴なのかが、俺の胸の中で問いかけていたから、語尾がとぎれた。
「パメラのヴォーカルの子が、あたしがアイドルやってたときの相方だよ」
「アイドルも相方っていうのか。なんてアイドルグループ?」
「知らないんじゃない? あんたは?」
「俺はアイドルじゃないけど、フォレストシンガーズ……」
 どうしても語尾をもごもごさせて答えると、ルナは俺をじろじろーっと見た。
「あんたの顔……フォレストシンガーズって名前……なんだろ、なんだろなんだろ、ねえ、ゆっくりお話ししようよ」
「いいよ。ホテルで?」
 軽口を叩いてみたのは無視されて、通りすがりのカフェに引っ張り込まれた。
「今はあの子はパメラって名乗ってるから、そう呼ぶね。パメラとあたしは高校生のときに、ふたりで海に遊びにいってスカウトされたの」
「ふむふむ」
「パメラとは休みでも普段でもいっつも一緒に遊んでたから、どこに行ったのかなんてよく覚えてないんだよ。だけど、スカウトされたときのことは覚えてる。えーと、あんたはフォレストシンガーズの誰なの?」
 知らないのかよ、俺たちってその程度なんだな。落胆しそうになったものの、名乗った。
「木村章か……あんたたちの……あの女、誰だったんだろ」
「女?」
「パメラとあたしがスカウトされたときだよ。ここまで来てるのに思い出せないの。パメラとあたしは海辺のイベントを聴いてた。あのころ人気のあったラップグループが出てて、あたしたちの目当ては彼らだったの。なんてグループだったかな?」
「俺が知るわけないでしょ」
 「nacerv club」では酒も中途半端だったので、注文したビールが運ばれてきた。
 好みからすれば背が高すぎるものの、ルナは美人だ。もとはアイドルグループにいたというのも嘘ではないようで、業界にいた人間しか知らないような話もする。その合間には、うーん、フォレストシンガーズ……あの女は……などと言う。
「あの女ってのは山田美江子か」
「あの女の名前は聞いたのかな。それは忘れたけど、こうして喋ってるとすこしずつ思い出してくるんだよ。フォレストシンガーズはアマチュアだったのよ」
「いつ?」
「あたしたちが高校三年だったから……うわ、言えない」
「年がばれるからか」
「そうだけどさ……章さん、いくつ?」
「三十三だよ」
 だったらあたしのほうが年下だ、と嬉しそうにうなずいて、ルナは言った。
「十三年前」
 すると、ルナは三十歳をすぎているのか。ま、関係ないもんな、ってことで、俺も言った。
「十三年前だったら俺はジギーをやってたよ」
「んん? フォレストシンガーズにはいなかったってこと?」
「そうだよ」
「……はーん、なんだ、そうだったんだ」
 十三年前に十七歳だか十八歳だったかのパメラとルナ、当時は本名の女子高校生だったふたりは、アマチュアフォレストシンガーズが出演したイベントの行われた海辺でスカウトされて、アイドルデュオとなってデビューした。
「そのときにね、あたしたちの近くにすわってたお姉さんが、熱心にフォレストシンガーズ情報を教えてくれたんだよ。今となったらあたしはフォレストシンガーズってグループがいるって程度は知ってるけど、そのころは知らないじゃん。フォレストシンガーズはまあまあ有名なんでしょ」
「まあまあはね」
「惜しかったな。そのお姉さんって山田美江子?」
「たぶんね」
 デビューもしていないフォレストシンガーズ情報に詳しくて、見知らぬ高校生に熱心に教える女なんて、美江子さんだとしか俺には考えられなかった。
「うちのリーダーの奥さんだよ。美江子さん、なんて言った?」
「今だったら一緒に写真が撮れるとか、サインも握手もしてくれるとかって。惜しかったな。サイン、してもらえばよかった」
 本当に惜しそうな顔をするので、ルナが可愛く見えてきた。
「あたしたちはね……アマチュアなんてどうでもいいって態度だったの。ほんとにそう思ってたもんね。それで、あたしたちのほうが翌年の春にはデビューしたんだよ」
「フォレストシンガーズはそのころもアマチュアだよ」
 俺がフォレストシンガーズに入ったのは、その年の夏だった。
「あたしたちのほうがデビューは早かったんだね。だけど、ちっとも売れなかった。お笑いに転向しようとしても売れなかった。あたし、美人でしょ」
「うん、まあまあ」
「綺麗なだけじゃ売れないんだよね。フォレストシンガーズって……うん、こうして思い出したら顔も浮かぶよ。背の高いリーダーと……あとはごっちゃらになるけど、たいした顔じゃないのに……章さんはいいほうだよね」
 フォレストシンガーズでは木村章が顔が一番、と言われていたのは過去で、現在の俺たちは心から、顔なんか関係ない、俺たちは歌で勝負だ、と言えるようになっているはずだった。
「あの世界ってそんなもんだね」
「そんなもんだな」
「パメラはいい年ったらいい年だし、歌も下手だけど、ロックバンドで再挑戦だってさ」
「きみは?」
「あたしはね……ま、いいじゃん。章さん、今夜は泊まり?」
 曖昧にうなずくと、ルナは甘い声を出した。
「最後に一度だけ、あたしが捨てるつもりの世界の男と寝たいな」
「……最後?」
「結婚するんだ。ほらね」
 たぶん乾さんならば、結婚が決まっている女性が他の男と寝るなんて、と説教するのだろう。もしくは、彼女を軽蔑のまなざしで見て怯ませるのか。
 けれど、俺にはそうはできない。近頃めっきりもてなくなった俺にも、こうやって口説きにかかる女がいるのが嬉しかったのか。彼女が捨てようとしている世界へのノスタルジーだとしても、大嫌いなタイプの男を口説いたりはしないだろう。
 若いころから変わってないよな。馬鹿だよな、俺は。ルナって好みじゃないのに、可愛く思えてしまうなんて、ほだされちまったなんて。ウィスキーソーダとビールでほろ酔いになったせいもあるしさ。
 それにそれに、ルナが完全な一般人ではないってことも、ほらね、と婚約指輪を見せてくれたことも、俺の安心感をかきたてたのだろう。昔は頻繁にしていた行為を今夜……なんて、俺にもノスタルジーを感じさせたせいもあった。
 なお、もうひとつ、ソニンによって増幅させられた大阪への中毒症状を、ルナが緩和してくれるって目論みもあった。
「行こうか」
「うん。アマチュアのころの話も聞かせてね」
「ルナの話ももっと聞かせて」
 いや、まあ、言い訳ったら言い訳だけどさ、たまにはいいじゃん? これで大阪を完璧には嫌いではなくなりたかった。でないと、仕事が苦痛だからさ。

END




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~ Comment ~

あら、いつの間に

毎度書いてますが、「拍手」はどなたがして下さったのかわからなくて、こんなふうにしかお礼が言えません。

見て下さっているのかどうかも不明ですが、ありがとうございました。

拍手ってひっそりと押していただいていて、この小説にも「あら、いつの間に?」って感じで、3つ。嬉しいな。
シャイな方は「だからこそいいんだよ」とおっしゃるのかもしれませんね。

ここに限らず、他のどこかにでも「拍手」をぽちっとして下さった方、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

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