番外編

番外編86(It is a magician at night)

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妖精

番外編86


「It is a magician at night」



薄暗さに慣れてくると、そこにいる女の姿が見えてきた。
「面白い格好してるんだな。コスプレか」
 知らない女ではあるが、俺はなんの気なしに彼女に話しかけた。
 淡いピンクの透き通った布地が何重にも重なって、素肌はあからさまには見えない。丈の短いふわふわドレスがなにでできているのかは俺の知識にはないのだが、すんなりした女にはよく似合っている。年齢は? 少女なのか大人なのか判断しにくくて、顔を凝視した。
「綺麗だな。きみは誰?」
 衝動が高まって、細い腕をつかんで引き寄せようとした。キスしたい、ドレスを脱がせたい。だが、彼女は俺の手をすり抜けてふわっと舞い上がった。
「待てよ」
 なんで女が飛ぶんだっ、と考える間もあればこそ、俺も彼女を追って宙へと舞い上がる。彼女の背中にはピンクの薄い翼が、俺の背中にも白い翼がついていた。
「なんなんだ、これ? ここはどこだ?」
 舞い上がったのだから俯瞰図が見える。じきにたどりついた天井から床まではずいぶんと距離がある。空間も広く、音楽の機材のようなものが置いてある。あれは「ようなもの」ではなくて音楽の機材だ。すると、ここは。
「天井の高いだだっ広い空間。音楽機材。俺もここには来たことがあるな。距離感がつかみにくいのは飛んでるせいか。まあいい。あの女を……」
 つかまえたい、という欲求がまさっていて、俺は彼女を追って飛んだ。かろやかに飛び続けていた女は疲れたのか、天井の梁に腰かけて止まった。
「天井の梁って……ここは普通の家じゃないからかな。なあ、きみは何者? なんて名前?」
「なんだっていいけど、モスクとでも呼んで」
 モスクってのはコケだったか。イスラム教の礼拝堂は無関係だろうし、苔でもなさそうな気がする。女の名前としては変だが、変な女なのだからかまわないことに決めた。
「俺はヒデ。きみって翼があるんだな」
「あんたにもあるじゃない」
「……うん、あるな」
「ここがどこだか知ってるんでしょ」
「知ってるよ。フォレストシンガーズのスタジオだろ」
 大学三年生からの一年半ほどの間、俺はアマチュアフォレストシンガーズのメンバーだった。結婚するからと言って脱退し、行方をくらませた俺を皆が気にかけてくれていたと知り、最初にシゲと再会し、他のみんなとも昔通りにつきあえるようになって、スタジオにも幾度かは遊びにきた。
 現在のフォレストシンガーズはまあまあ人気もあるプロの歌手集団になっている。俺も二、三、曲を書いてアルバムに収録してもらっていて、フォレストシンガーズネタをやっているからこそ、ブログも人気を博しているのであるらしい。
 ここは俺の知っている場所ではあるが、広すぎる。感覚がおかしい。第一、どうして俺は翼をつけて、同じく翼をつけた女とふたりして、天井の梁にすわっているのだろう。
「あたしね、恋焦がれてるんだよ」
「誰に? フォレストシンガーズの誰か? 乾さんか」
 学生時代にも乾さんはもてもてで、俺はやっかんでばかりいた。幸生は口に出して羨んでいたし、口には出さねど本橋さんもシゲもうらやましがっていたのだとは、後年になってから聞いた。
 若かりしころばかりではなく、最近だって乾さんはもてているらしい。若い娘もおばちゃんの年頃の女も、乾さんって素敵、乾さんってセクシー、乾さんってかっこいい、乾さん、好き、と言うのだそうで、章もひがみまくっている。
 子持ちになったシゲも、結婚している本橋さんも、彼女はいる俺も乾さんを妬みたくなるほどにもてるのだから、人間ではなさそうなモスクも、乾さんに惚れてストーキングでもしているのかと尋ねてみたのだった。
「このスタジオって男ばっかりがいるんだよね」
「ミュージシャンって男が多いもんな」
「あたしは美江子さんに焦がれてるの」
「……きみはレズか」
 流し目で俺を見て、答えてはくれない。レズなのだったら男とはキスもしたくないのか。
 婚約者になったといってもいい俺の彼女、本名は三津葉、ペンネームは蜜魅である彼女は、ボーイズラヴとかいうジャンルの漫画を描く。俺はそのジャンルが苦手でなろうことならぱ見たくないのだが、時として見せられて感想を求められる。
 幸生に似た奴やら乾さんに似た奴やら、俺に似た奴やらも出てくる、三津葉に言わせればネオBL、半端BLであるらしいストーリィを読まされて閉口している身としては、ボーイズラヴよりもガールズラヴのほうが美しいと思う。
 男同士は男には生々しく想像できるらいやなのだ。女がボーイズラヴを比較的平静に受け入れられるのに近い理由で、男はガールズラヴのほうが受け止めやすい。とりわけ、身近にボーイズラヴを描く漫画家のいる俺には。
 美江子さんはガールではないので、すると、ウイメンズラヴか。俺、そういうのに詳しくなりつつあるのか? いやいや、名称なんかどうでもいい。
「女のほうがおいしいもんね」
「おいしいって……品がないな」
「それよりさ、あんたはなんなの?」
「きみはなんなんだよ」
「あたしはあたしだよ」
「俺は俺だ」
 禅問答のような会話は、俺は俺だとしか認識していないからだ。モスクもあたしはあたしだとしか認識していないのだろう。翼を持った男と女が、天井から下界を見下ろしていると、俺たちのいる部屋のドアが開いた。
「……食欲ないんだよ。あいつが悪いんだよ」
 小声で呟いているのはシゲだ。シゲが食欲がないとは一大事。どうしたんだ、と尋ねてやるべきなのだろうが、翼を持ったヒデが出現するとシゲが失神するかもしれないので、ひとまずは見ていた。
「変な手紙を送ってきた、あいつは誰なんだよ。恭子、俺は浮気なんかしてないって。俺はきみだけだよ。俺には他にも大切なものだってあるけど、その中でも一番は三人だ。一番が三人って、幸生にだったら突っ込まれそうだけど、三人なんだよ」
 三人とは、妻の恭子、息子の広大と壮介であろう。
「俺はきみと結婚してから、ただの一度も他の女性とベッドには入ってないよ。ほっぺたにキスしたりされたりってのは、ファンサービスみたいなふうにだったらなくもない。それは俺の職業柄、しようがないだろ。もてないシゲだって、シゲさんが好きって言ってくれるファンの方はいるんだよ。それだけだよ」
 常の低い声がなおさら低くなっているものの、シゲの独言はきっちり聞こえていた。
「そりゃあさ、綺麗なひとだな、綺麗な脚だな、綺麗な声だな、可愛い子だな、ってさ、俺は男なんだから、女性を見てそのくらいは考えるよ。恭子にだってあるだろ。乾さんはセクシーだって言ったじゃないか」
 乾さんは恭子さんにまでもてているらしい。
「広大と壮介が生まれてからは、以前にも増して俺はきみを愛してるんだ。俺の愛情の対象、俺の奥さん、息子たちのママとしての恭子を愛してるんだよ」
 おい、シゲ、それ、恭子さんの前で言えよ、と俺は声には出さずに言い、モスクは黙ってシゲを見下ろしていた。
「なのに、浮気なんかするわけないだろ。あの手紙はいたずらだよ。こんな話は誰にもできない。いや、乾さんにだったら聞いてほしいんだけど……」
「聞くよ」
 ドアが静かに開き、乾さんが入ってきた。
「早朝の牛丼屋だったら、俺たちが四人そろってても人の目にはつかないよって、本橋は言ったんだけど、用心したほうがいいだろ。あとの三人は牛丼屋の朝メシ。俺はカフェでモーニングセットを食うって言って別行動になった。そうしたのは、おまえのそぶりが変だったからだよ。聞こえてたよ、シゲ。おまえが浮気したと恭子さんに疑われるような手紙か」
 今は早朝なのか。フォレストシンガーズは徹夜仕事をしていて、空腹になってメシを食いに外に出た。シゲは食欲がないからと残り、そんなシゲを怪しんだ乾さんが戻ってきたのであるようだ。
「これです。破って捨てたかったんだけど、恭子が……」
「見ていいか」
 力なくうなずくシゲの手から便箋を受け取り、乾さんが一部分を読んだ。
「シゲさんの左の太腿の付け根に、コーヒーブラウンの大きなホクロがあるよね。それを知ってるのが、あたしがシゲさんと寝たって証拠だよ」
 左鼠径部のシゲの茶色のホクロ。たしかにけっこう目立つのがあるのは、俺も知っていた。
「水着姿でも普通は見えない微妙な位置のホクロだよな。俺たちはおまえと一緒に風呂に入って見てるから、俺も知ってるよ」
 見たくて見ているわけではないが、目立つのだから目に入ってくる。シゲは情けない顔でうなずき、乾さんは言った。
「しかし、女性がおまえのホクロを知ってたって、寝た証拠になんかならないよ」
「乾さんは信じてくれるんですね」
「信じるさ」
 うっ、と嗚咽するような声を出し、シゲが首を小刻みに振っている。俺も乾さんとは別の意味で信じるぞ、と言ってやりたい。おまえは絶対に浮気はしない、したくてもできない、とみんなに言われていて、それほどではないとは思うけど、こんな手紙を自宅に送ってくるような、タチの悪い女とは浮気はしない。
「そうだろ。おまえのそのホクロを知ってる男に聞いたらいいだけだ。恭子さんだってそこに思い当たるはずだから、本気でこんな手紙を信じてはいないよ。なんだかさ……この手紙のタッチ……パソコンで打ってあるんだし、筆跡もないんだし、俺は彼女の筆跡なんか知らないんだけど、彼女の顔が浮かんでくるんだよ」
「彼女って誰ですか」
「彼女だったらこんな悪意を……彼女が悪意を抱いているのは俺になんだけど、俺の親しくしている人に向けるとも考えられる。となると……待てよ」
 十年以上も前に、本橋さんにふられた女がシゲに悪意をぶつけた。その一件はつい最近まで尾を引いていて、ようやく解決したのか、してないのか、といったところだ。あの女性が今回の犯人ではないのだろうが、彼女に近い女? もしかして、あいつか?
 モスクはと見れば、俺の肩にもたれてうつらうつらしている。モスクがなぜに美江子さんを狙っているのかは知らないが、美江子さんがいないので興味はないのか。
「シゲは哲司と風呂に入ったことはあるか」
「風呂ってか……サウナだったらありますね。昼メシを食ってたら哲司がその店にいて、俺はメシのあとにも次の仕事まで時間があったんで、ジムに行くって言ったら哲司がついてきたんです」
「ジムで哲司とサウナに入ったのか。それかもな」
 乾さんはケータイでメールを打っていたようで、ケータイをしまってから言った。
「俺の想像の中の女だったとしたら、哲司が話したってこともあるんだよ。哲司にメールしたから、待ってろ。おまえにとっては些細な喧嘩ではないのかもしれない。そんなことでと言ってはいけないんだろうけど、強いて言うよ。そんなことでくよくよするな、馬鹿野郎」
「……はい」
 まったく、シゲって奴はなんだってそう、他人の巻き添えを食って悪意の標的にされるんだろうか。負のオーラでもまとっているのか。
「なんの話しなの?」
 居眠りをしていたらしきモスクが、眠そうな声で問いかけた。
「むずかしい話だね」
「むずかしくはないけど、俺にもその女ってのは見当がつくよ。哲司と結びつくんだったらミルキーウェイだな。乾さんと彼女には確執があるのかな。俺はいつもは神戸にいるんだから、彼らの私生活はつぶさには見てないんだ。ってーと、これは夢だよな。ここは東京だろ。夢なんだったらいいかなぁ」
「……なによ」
「脱がしていいか。あんたのおっぱいが見たいんだ」
「あんたはまずそうだから嫌い」
「俺はそう下手でもないよ」
「男はおいしくないよ」
「レズなんてやめろ。男のほうがいいって教えてやるよ」
「いらないよ」
 抱きすくめてくるりと身体を反転させる。こういったドレスには背中にファスナーがついているはずだが、見当たらない。前にもボタンなんかはないようなので、面倒になってきて裾をぱーっとまくり上げた。
「悲鳴を上げるなよ」
 下にいるのがシゲだけだったらなんとでもごまかせるだろうが、乾さんにだったら叱り飛ばされそうだ。下では哲司からのメールを待っているらしく、ふたりともに手持ち無沙汰な様子でいる。モスクは怒っているようでもないので、ドレスを首から脱がせようと努力した。しかし、脱がせられない。
「そしたらさ……」
 ドレスの中に手を入れて、胸を探り当てようとした。
「おっぱいのふくらみが……ない」
「あるよ」
「ないに等しい」
「ぶくぶくしてると飛べないもんね。あっ!!」
 みんな、いる? と聞こえた声は美江子さんだ。モスクの目が輝き、俺の腕から抜け出して下界へと舞い降りていった。
「待てよ、美江子さんになにをするんだよ」
「ねぇ、どこかでかすかに声がしない?」
「虫が飛んでるような音だったら聞こえるけど?」
 美江子さんと乾さんが言い合って、美江子さんがきょろきょろしている。俺も下へと降りていくと、ぐんぐんと美江子さんの身体が巨大化していく。ええ? 美江子さんってこんなにでかいか? 不思議な気分になっている俺の目に、美江子さんの首筋に止まったモスクが見えた。
「あんなに小さい……人間にだったら目に見えるか見えないか……すると、俺もモスクと同じ……大きさか」
 声に出して言っていても、人間たちには聞こえていないようだ。ぶんぶーんとしか聞こえないらしく、ああ、そうか、と思い当たった瞬間、世界が回った。


「かゆっ……かゆいきに」
 ぼやきながら目が覚めたら、肘のあたりを無意識で掻いていた。
「昨夜……モスク?」
 モスク、Mosquito。
 はっと気がついた。モスキートって蚊ではなかったか。モスクとはモスキートの略なのではないだろうか。
 布団に入って寝ようとしていたら、ほのかな羽音が耳についた。うるさいな、えーい、うっとうしいちや!! どっか行け!! 季節はずれの蚊だったら叩き落してやろうか。怒りつつも半分は寝ていたので、身体が動かなかった。
「モスクって……俺のここから血を吸った蚊か。吸血蚊はメスらしいもんな。そうか、そうやったんや。蚊が色っぽい夢になるとは、三津葉、おまえがデートしてくれへんからやぞ」
女のほうがいいとモスクが言っていたのも、レズってわけではないのだろう。女はおいしい、男はまずい、男よりも女のほうが肌がやわらかくて血も甘くて、それゆえにモスクは美江子さんを狙っていた。なるほど。
 この話、三津葉に聞かせてやろう。彼女はファンタジー漫画は描かないのかもしれないが、なにかの参考にはなるだろう。彼女だったら分析もしてくれそうで、ひょっとしたらやきもちも妬くかもしれなくて、三津葉の反応を想像してみるのも楽しかった。
 プラス、シゲは? 俺が知っているはずもないことを知っていると知ったら、シゲは気絶するかもしれない。現実世界ではなかった出来事なのだとしたら、口に出すとシゲが怒るかもしれない。
「あのあと、どうなった?」
 非常に気になる顛末をシゲに問い質したい気もしていると、歌を思い出した。

「夜は魔法使い
 夜は魔術師
 夜は魔女

 あなたのお好みで
 夜が姿を変える
 あなたのお好みで
 夜が見せてくれる

 今夜はどんなショーがいい? 
 さあ、お客さま
 選んで下さいな

 夜はマジシャン
 夜は手品師
 夜は……あなたの……」

 フォレストシンガーズのアルバムにこんな曲が入っている。乾隆也作詞作曲のこの歌のテーマのように、夜は魔法使い? 夜の魔法が俺を神戸の自宅から東京の、フォレストシンガーズのスタジオに運んだのか。そして、蚊の女の子とからませたのか。いいや、夢やきに。
 夢だと前置きしてブログに書こうか。そうすれば各方面からコメントがあるだろう。しかし、書くべきか、書かざるべきか、それが問題だ。


END





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