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小説288(ソフトボイルドエッグ)

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フォレストシンガーズストーリィ288

「ソフトボイルドエッグ」


1

 本番中にはいつもと同じに元気で明朗だった弥生さんが、番組が終わるとほーっと息を吐いた。
「気がかりでもおありですか」
「ううん、なんでもない。ありがとう、乾くん」
 微笑みも弱々しくて、乾さんが俺に目配せする。俺は弥生さんの肩を抱いた。
「弥生さん、ユキちゃんにも話したくないことなんですか? 食事に行きません? カラオケは? 今夜は東京泊まりなんでしょ?」
「そうやけどね、ちょっと疲れたから帰るわ」
「そしたらお送りしましょうか」
「大丈夫。またスキャンダルにでもなったら大変やし、ひとりで帰れますえ。ありがとう」
 これ以上は送るとも言えなくて、乾さんとふたりして固まっているうちに、弥生さんは帰っていってしまった。
 はじめて会ったのはシゲさんが結婚してから一年ほどたったころだ。大学合唱部の大先輩であり、一年生だった本橋さんと乾さんを大抜擢してくれて、フォレストシンガーズの素を作ってくれた大恩人でもある高倉さんが、弥生さんと俺を同じトリビュートアルバムに参加させてくれた。
 当時から弥生さんは、高倉さんでさえも声をかけるのは気後れすると感じるほどのベテラン実力派シンガーであったから、トリビュートには恐る恐る誘って、二つ返事で引き受けてもらって高倉さんも感激したのだそうだ。
 フォレストシンガーズの三沢幸生がそのアルバムに加わるに当たっては、紆余曲折があった。最初はアメリカ人ソウルシンガーのデューク・スミスに、ジュリーの「時のすぎゆくままに」をソロで歌ってもらうはずだった。
「私には気に入っている日本人シンガーがいる。フォレストシンガーズにはひとりだけ女性がいるだろ。彼女とデュエットさせろ。そしたらトリビュートに参加してやる」
 電話で打診したデュークはそう言い、高倉さんは首をひねった。フォレストシンガーズは男五人のヴォーカルグループだ。女性はいない。ん? 待てよ、そうか、となって、通訳を介して高倉さんは言った。
「女のような声で歌ってはいるが、彼は男だ」
「だったらなおさらだ。私は彼とデュエットしたい、ただし、私はゲイではない。がっはっは」
 というような会話があって、三沢幸生、すなわち俺に、その仕事が回ってきた。
 単独仕事もはじめてならば、外国人とのデュエットだってもちろん初。英語は中学生のころから苦手で、これでよく大学受験を突破できたものだと自分でも呆れるほどで、いまだ中学三年生くらいのレベルで停滞しているのだから、デュークとのコミュニケーションにも苦労した。
 それでも、ま、乾さんの言う通りで、なせばなるのである。
 ボディランゲージや身振り手振り、おーおー、とれびぃあん、おーおー、まーべらす、きゃああ、ないすっ、でゅーくっ!! おーっ、びゅーてぃふるぼーい、ユキオっ!! 俺はボーイじゃないっての、成人男子だよっ。おーっ、そーりー、ユキ!!
 なんてやりとりがそこそこは通じ合うので、高倉さんが横で苦笑いしていたものだった。
 英語には苦労したものの、俺は年上の人には可愛がられる性格だから、デュークにだってじきになじんで可愛がられて、骨が砕けそうなほどに抱きしめられた。彼が帰国してからも、クリスマスカードの交換はしている。
 世界中を駆け回っている人気シンガーのデュークは、フォレストシンガーズとは規模のちがう活動をしている。日本にだってコンサートでやってきたり、お忍びで観光にきたりする親日家の彼とは、しかし、かけちがって会えていない。
 会いはしなくてもデュークは俺を若い親友と呼んでくれている。トリビュートアルバムもけっこう売れた。そしてもうひとり、その仕事で親友になったのが春日弥生さんだ。
 デュークは俺の親父に近い年齢で、弥生さんは恐らくは俺のおふくろよりも年上。気は若くて可愛くてお茶目で、俺をユキちゃんと呼んで遊んでくれる。叱ってもくれる。俺の知らない歌も教えてくれる。大好きな弥生さん。
 こんな仕事をしていると、幅広い年齢層の男女とお知り会いになれる。友達と呼べるひとはあらゆる年齢にまたがっていて、その中でも十指に入るほどに大切なひとが弥生さんだ。
本拠地の大阪で夫と暮らしている。月に十日前後は仕事で東京に来ている。夫をほっぽって地方にも仕事で行く。親友は上久保古都さん。古都さんとはジョイントライヴをやる仲で、一度はうちのリーダーが古都&弥生のピアノと歌のゆうべに加わって、最高の喉と演奏を聴かせてくれた。
 あのときは俺は音楽に酔っ払ってしまって、女の子芝居に浸りすぎて乾さんに叱られ、ヒデさんにはいやがられ、といった楽しい経験もした。
 本当の年は? 子供はいるんだろうか。旦那さんとは恋愛結婚? 他の家族は? 弥生さんは俺のひいきチームのライバルチームのファンだとか、猫好きだとか、そのような情報はあるものの、プライベートはほとんど知らない。俺が大阪に行くと、心斎橋を散歩したりお好み焼きを食べにいったり、カラオケで遊んだりするだけで、弥生さんの私生活は見せてくれない。
 以前に弥生さんが東京に来ていたときに、乾さんと三人でカラオケデートをした。その際にスキャンダル雑誌に写真を撮られ、「春日弥生不倫疑惑?!」なんて記事が出たので、弥生さんは帰り際には冗談まじりにそれを言っていたのだ。
 悪いのは弥生さんをエスコートする乾さんを、弥生さんの若い恋人だなんて根も葉もない記事を載せた雑誌なのに、弥生さんは恐縮しまくっていた。
「ごめんね、乾くん、こんなおばあちゃんとあんな噂……」
 乾さんも弱っていたが、俺だったらへっちゃらだったのにな。俺だったらむしろ、弥生さんの恋人だと言われたら嬉しい。そうですよ、愛し合ってるんだもん、って言って、カメラの列の前でキスしたってかまわない。
 とはいえ、弥生さんには夫がいるのだから、それはしてはならないのだ。
 今夜は乾さんと俺の「FSのトワイライトビートボックス」に弥生さんがゲスト出演してくれ、楽しくお喋りをして、仕事が終わったら弥生さんがああなった。気になってたまらないけれど、自ら言わないものを聞き出すわけにもいかなくて、乾さんとふたり、俺もラジオ局から出ていった。


 噴火したのは美江子さんだった。
「なんなのよっ、これはっ?!」
「まあまあまあ、まあまあ……落ち着いて」
「落ち着けないんだよっ!!」
 こんなにも怒るのは、美江子さんの性格もあるのだろうが、弥生さんを好いていてくれるからだと、俺としては半分は嬉しい。半分は当惑して、美江子さんがまくし立てるのを聞いていた。
「なんの意図があってこういう記事を出すわけ? 乾くんとのスキャンダルのときには、面白がってやってたようなものだったんだろうし、実害はなかったし、弥生さんの旦那さまもお怒りになったりしなかったからよかったけど、これは捏造なんでしょ」
「そうですよ。そうに決まってるじゃん」
「だったら悪質じゃないのよ」
 シンガーが大勢出演する「スタイリッシュハウス」というミュージカルに、春日弥生さんも出演すると決まっていた。お年は召していてもパワフルで、歌が上手なベーカリーのマダムの役だそうで、関西人という役柄も弥生さんにはぴったりだ。
 今朝、美江子さんの夫がスポーツ新聞を買ってきた。これ、おまえも読めよ、と言って美江子さんに渡して、彼は早朝から出かけていったのだそうだ。美江子さんが見て怒っているスポーツ新聞の記事の見出しには、こうあった。
「春日弥生「スタイリッシュハウス」降板」
 記事によると、弥生さんは役柄が気に入らなかったのだという。あたしはこんなおばさんの役やのうて、主役をやりたかったと言い、主役の女は歌が下手だのブスだのとほうぼうで言い散らした。そのようなキャストがいると役者たちの間で不協和音が響くとなって、弥生さんは降ろされたのだと。
 ラジオではその話題を振っても、まだ秘密、と笑って話してくれなかったのは、こういうわけがあったのか。それで弥生さんは元気がなかったのだ。
「ジョークで主役をやりたいって言うんだったらあっても、弥生さんが人の悪口を言うわけないじゃん。俺にだって言わなかったのに、他人に言うわけありませんよ」
「そうよね。弥生さんはそんな人じゃない。私だって知ってるよ」
「そうです。美江子さん、弥生さんを信じてくれてありがとう」
 詳しい事情は俺だって知らないが、弥生さんを信じているのは美江子さん以上だ。
「政治家なんかもちょっとした不用意な発言をねじまげられて、大臣辞任に追い込まれたりするんだよね。弥生さんもそれと同じじゃないの? この役を降りたくはなかっただろうにね」
「元気がなかったのは、やりたかったからでしょうね」
「昨夜、元気がなかったの? そっかぁ」
 母のような年頃の弥生さんを、気の毒だのかわいそうだのと言うと僭越だろうが、美江子さんもそう言いたげな顔をしていた。
 一時、我々フォレストシンガーズには単独仕事が多かった。個別のソロライヴやらよそのグループに参加するやら、作詞や作曲やプロデュースや、そうやって五人が別々に蓄電して集合して、もうじきフォレストシンガーズの全国ツアーが開始する。
 今日はそのためのリハーサル。リーダーの本橋さんは早朝から別の仕事に行ったので遅れてくるようで、美江子さんと弥生さんの話をしていると、乾さんがやってきた。
「……そうなのか。弥生さんはそれで……しかし、そのネタの真相はわからないんだよな」
「そうですね。弥生さんは東京にいるんだろうから、ランチのお誘いをして、話を聞かせてもらってこようかな」
「個人的におまえにだったら、話してくれるかもしれないな」
 そうだ、俺は弥生さんの親友なんだもの。俺には友達だったらいーっぱいいるけど、年の離れた女性の親友は弥生さんただひとりだ。弥生さんから見たって俺は親友なのだと自負して、メールをしたらOKの返信が届いた。
「スポーツ新聞に出てしもたんでしょ。こういうつまらん話には飛びつく輩がおるんよね」
 昼休みに弥生さんと、ランチレストランで向き合った。
「あたしもミュージカルの主役、やりたいわぁ、とは言うたけど、あとはでたらめよ。そやけど、言うてないって証拠もないもんね」
「政治家の失言と似た感じですよね」
「そうかもしれんね」
 まさに美江子さんの言う通りだ。
 信じてくれるの? 信じてますよ、などとは言う必要もない。弥生さんと俺との信頼関係は確立されているのだから、お喋りなふたりだからって念を押し合う必要もない。
「しゃあないね」
「しゃあないんですか」
 それほどに重要な仕事ではなかったから? そうと言っていいものかどうか。信頼関係はできていたって、確認しなければわからないこともたくさんある。けれど、俺には質問しにくいこともあるのは、なんの遠慮もない友達とはちがうからか。
 いつになくふたりともに言葉少なになって、もそもそとランチを食べた。ね、ユキちゃん、と言いかけては、弥生さんは口を閉ざす。なにが言いたくて、どうして言わないのかもわからないままに食事をすませた。
「あたしは今日は大阪に帰るんよ」
「東京駅までお送りしたいんですけど、俺も仕事の途中で抜けてきましたんで」
「うんうん、仕事のほうが大事よね。送りたいって言うてくれるだけで弥生ちゃんは嬉しいわ。ここはおごるからね」
「……ごちそうさまです」
 女性におごってもらうって、リーダーにだったら怒られそうだけど、お母ちゃんみたいなひとなんだからいいかな、と甘えておくことにした。
「気をつけて」
「ユキちゃんもね」
 意外に人通りの少ない昼すぎの道を、弥生さんが歩いていく。むこうから若い女性が歩いてくる。彼女は弥生さんとすれちがいざま、肩にどんっとぶつかった。
「ばばあ、危ないな。気をつけろよ」
「ああ、すみません」
「馬鹿野郎」
 ガラが悪くて背の高い女性は、弥生さんをじろじろっと見下ろし、手を伸ばして弥生さんの肩のバッグを奪い取った。
「え? ええ?」
 バッグを奪うが早いか、彼女はだっと走り出す。弥生さんはぼけっと彼女の後姿を見送っている。俺は一瞬遅れて泥棒女のあとを追いかけた。
「スリですよーっ!! 誰か、その女、つかまえてっ!!」
 とは言ってみても、他には弥生さんよりも年上に見える老カップルが歩いているばかり。それでもこんなときには若い奴よりも正義感があるようで、おじいさんとおばあさんが泥棒女の行く手を阻んでくれた。
「どけよっ!!」
 立ち止まった泥棒女がおじいさんの脛を蹴ろうとする。痩せたおじいさんではあの靴で蹴られたら骨折しそうだ。俺は危機一髪、うしろから女の腰にタックルしてふたりそろって転倒した。
「きゃーーっ!! 痴漢っ!!」
「あんただろうがよっ!! 泥棒はこの女です。おじいさんもおばあさんも見てましたよねっ。警察を呼んで下さいっ!!」
 女を地面に押さえつけ、俺は声を限りに叫ぶ。
 弥生さんがおじいさんに走り寄り、彼女のケータイで110番している。女は俺を蹴飛ばそうと大暴れし、おばあさんが彼女の脚の上に乗っかって押さえつけてくれた。
 この泥棒が屈強な大男だったとしたら、ここにいる四人で寄ってたかっても取り押さえられなかったかもしれない。女泥棒も背は高くて強いけど、女ひとりを単独ではつかまえられないなんて、僕ちゃん、情けない。
 本橋さんや乾さんやシゲさんだったら……いや、章と酒巻とクリ以外の成人男子だったら、哲司だったとしてもこの女のひとりぐらいは確保できるだろうに。
「おばあさん、蹴られたら骨折しますよ。大丈夫だからどいて」
「だけど、私がどいたらお兄さんが……」
「大丈夫……じゃないかも。うーっ、怪力女っ!!」
「よし、わしが代わろう。お兄さん、じきに警察がきますよ」
「ありがとうございますっ!!」
「ユキちゃん、がんばって」
「はいっ、弥生さんっ!!」
 ああ、もう、俺って情けない。しきりに浮かぶ嘆きと闘いつつも、おじいさんの協力のもと、全力で女を押さえつけているしかなかった。


2

翌日、俺はスポーツ新聞を前に再び頭を抱えていた。
 昨日は警察に拘束されて、弥生さんも大阪には帰れず、俺もリハーサルには夜遅くなるまで参加できなかった。ひったくり女は現行犯逮捕され、弥生さんと俺は数時間後には解放されたのだが、スポーツ新聞の記者だかフリーのカメラマンだかが、あの一件を目撃していたらしい。
「フォレストシンガーズの三沢幸生と春日弥生が逮捕?!」
 おいおいおーい、こらこらこーら、?!をつけたらどんな見出しをつけてもいいってもんじゃねえだろ。これを読んで誤解しない読者はいねえだろ。

「本誌記者は目を疑った。
 深更のころ、××警察署からふたりそろって出てきたフォレストシンガーズの三沢幸生と、ベテラン歌手の春日弥生の姿が目に入ってきたのだ。
 そろってげっそり頬がこけて憔悴して見える。事件を起こして逮捕されて、仮釈放されたのだろうか。春日弥生といえば「スタイリッシュハウス」降板事件を起こしたばかり。三沢幸生は春日弥生とは祖母と孫ほどの年齢差があるにも関わらず、恋仲ではないかと噂されているような、いないようなである。このふたり、不倫関係か?
 記者には警察に知人がいたので、署に入っていって取材した。
 警察官によると、春日弥生がひったくりに遭い、三沢幸生がひったくりをつかまえたのだそうだ。ひったくりは女性であったらしい。
「春日弥生さんは初老、協力してくれた夫婦は高齢者。その三人に手を貸してもらえないと、細くて力もなさそうな女をとらえられないんだから、三沢って奴はね……」
「そういう言い方をしてはいけませんよ。それで?」
「ただのひったくりではなさそうなんだけど、今後の捜査でわかるだろ」
「そこんところを教えて下さいよ」
「捜査中だよ」
 さて、この些細な事件の真相はいかに?」

 埋め草記事というのだろう。小さなスペースの小さな記事だが、当事者は無視できない。この記事を書いた奴は俺に悪意を持っているのか。女記者だとしたら、俺に恋して振り向いてもらえなかったとか? 乾さんにだったらいるかもしれないが、俺にはそんな女の心当たりはない。
 男なのか。だったら、こいつの彼女を俺が盗ったとか? そんな心当たりもない。
 なのに、不倫関係だの細くて力もない女をひとりでつかまえられない情けない奴だの。情けないとまでは書いていなくても、書きたいのはミエミエではないか。俺だって自覚してるっての。
 あのひったくり女は筋肉質で長身で力は強かったよ。そりゃあ、老夫婦とママみたいな弥生さんに助けてもらわなかったらどうしようもなかった俺も悪いけど……悪いのか? ひどいわひどいわ、俺が悪者みたいにさ。
「えーん、乾さぁん」
 肩に乗っかった手に頬をすりすりすると、乾さんは言った。
「髭剃り跡がちくちく痛いな」
「またそうやって人の気持ちを現実に立ち返らせるんだから」
「猫も髭を剃るんだな」
「エチケットも大切な仕事ですからね。乾さん、これ読んで」
 スポーツ新聞の記事を一読した乾さんは、窓を開けて煙草をくわえた。
「失礼だよな」
「でしょ?」
「弥生さんはおまえの母上のようではあっても、祖母ではないだろ」
「……そっち? それも失礼ですけどね、他はほぼ真実ですけどね」
「不倫も?」
「ああ、そうですよ、そうですよ。俺は乾さんと弥生さんのスキャンダルもどき記事が出たときには妬いてたんだもん。弥生さんとだったら俺のほうが仲良しなのにって、憎らしかったんだもん。弥生さんとだったら不倫って言われてもいいんですよ」
「おまえはよくても、先方さんが迷惑だろ」
「弥生さんの旦那、怒るかな」
 噂はときおり聞くものの、弥生さんの旦那本人は名前も知らない。お目にかかってもいない。詳細はなんにも知らないのだった。
 妻に言わせると「フルオット」となる初老男性。フルオットってなんだ? 音楽用語か? と思ったものだが、古女房の男性版だそうだ。写真を見せてもらったこともないから、顔も体型も知らない。俺はもちろん、弥生さんの大阪でのお住まいに招いてもらったことはない。
 思い出すのは十年近く前の大阪だ。無名フォレストシンガーズの一員としての三沢幸生が、大阪ローカルのバラエティ番組に単独で出演するために、後輩でアルバイトADだった酒巻國友を伴って、深夜バスで旅立った。
 仕事の前に酒巻とふたり、大好きな大阪の街を逍遥し、シゲさんの大好きなたこ焼きを屋台で買って食った。
 心斎橋の橋にもたれてたこ焼きを食っていたら、自転車で疾駆してきたおっさんがいて、酒巻にぶつかりそうになり、にも関わらず、「ワレ、なんかしてけっかんねんっ!! 」と俺たちを罵った。そこに登場した正義のヒロインは、たこ焼き屋のおばあちゃんだったのだ。
 あの日も俺は、おばあちゃんに助けてもらった。今回もおばあちゃんとおじいちゃんがらみの事件だ。乾さんはおばあちゃんに育てられたのであるが、俺はおばあちゃんやおじいちゃんとは縁が薄かったのに、それゆえに大人になってから老人と関わるのだろうか。
 女性であれば人間ではなくても、猫でも犬でも小鳥でもハムスターでも、宇宙人でもロボットでも石でも金属でも好きだ。
 正直に言えばむろん、二十代、三十代の人間女性がベストなのであるが、おばあさまだって好きだ。赤ちゃんのお守りをするのだって、女の子がいい。俺が幼稚園の先生をやるのだったら、女子組の担任になりたい。
「石や金属に性別があるか否か、は別の話として、おまえはある意味、女好きの鑑だよ」
 みなさんがそう言ってくれる、俺は女好き三沢幸生。
 と、まあ、そうなのだから、おばあさまと関われるのは嬉しいのだが、おばあさまに助けてもらったって……その経験も幾度もある。ふいに浮かんだ記憶は、ちっちゃいガキをおぶって歩く俺に傘をさしかけてくれていた、上品な老婦人の姿だった。
 あのときも雨が降ってきて、寝ぐずってやつでぐずるガキを背負ってやるしかなかった俺を、おばあさまが助けてくれたのだ。
 そうそう、あのガキはいとこの雄心だった。雄心は三つか四つの身空でパパと喧嘩をして家出してきていて、あいつの親父、すなわち俺の叔父は心配したり苛立ったりしていたのだから、おばあさんが送ってくれなかったとしたら、家に入った瞬間に殴り飛ばされていたかもしれない。
 そのようなできごとをはじめとして、俺はおばあさまには世話になりっぱなしである。乾さんのおばあさまが生きていらしたとしたら、可愛がってくれただろうな。叱られもしただろうな。この年になっていても、叱られて蔵に入れられたりして?
 黙考していても脱線している俺を、乾さんは考え深い目で見ている。煙草を一本吸い終えてから口を開いた。
「弥生さんのご主人……主人だと言ったら、あたしはあいつの召使いやないよ、って叱られるんだったよな。すると、おつれあいとでも呼ぶしかないか。その男性はガセねたで怒るような方ではないだろうけど、こうもごたつくと弥生さんの身辺は大変だよな」
「俺はおばあさんって人種に助けられてばかりなんだから、俺が助けてあげたいですよ」
「俺も手伝いたいけど、どうやって?」
「どうやりましょ?」
「そもそもはどこから解決していくべきか、だよな」
 小さな事件の数々を整理せねばならない。
 
 
3

 ア・カペラグループジョイントライヴ。シゲさんがともに仕事をしたのがきっかけで親しくしていただいている、もとダーティエンジェルスのロクさんが持ってきてくれたライヴの話だ。我々フォレストシンガーズは、トップでステージに立つと決まっている。
 共演するグループは若手からベテランまで。ロクさんやヤスシさんのダーティエンジェルスも再結成してトリを飾ると決まっていて、うちの事務所の後輩のモモクリ、正しくはフルーツパフェも出演させてもらう。
 相当に大規模なライヴになりそうな様相を呈してきているせいか、各事務所から出演させてほしいとの要請も届いていて、そんな中にひとつ、新人男声ヴォーカルグループがいた。
 昨今は韓流が日本を席巻している。女の子たちはプロポーションがよくて脚が長くて、人工的なのもいるのかもしれないが美人で、男たちもぴっかぴっかのルックスをしていて俺をひがませる。このたび共演すると決まったヴォーカルグループは日本人なのだが、俺を最高にひがませた。
 その名は「玲瓏」。玲瓏たる声と玲瓏たる外見をあらわしているのだそうだ。
 田中、吉田、中井、井村、村木、日本人の代表的な名前を並べたようなメンバー名は、ルックスにも歌にも自信があるから、名前なんて記号みたいなもんじゃん、なのか。彼らもア・カペラライヴに出ると決まったと、社長に聞かされてデビューアルバムを見せられて、俺は章と言い合った。
「全員が帰国子女で、各々が音楽の本場で研鑽を積んだ? どこかにそんな女、いたよな、章? 誰だっけ?」
「クラシック畑にだったらそんな奴、いくらでもいるんじゃないのか」
「クラシックってわけでもないんだろ、こいつらは。それよりも、男なのになんで帰国子女なんだよ」
「そういう言葉なんだからしようがないだろ。子、が男なんじゃねえのか」
「……玲瓏なんてグループ名、臆面もなくよく名乗れるよな」
「幸生、おまえがなんでそうひがむのかといえば……」
「うるせぇ。身長はヴォーカルグループには関係ないだろ」
 てめえも背の低い仲間である章は、おまえの気持ちはわかるよ、だとか親切ごかしに言って俺の肩を叩く。その手にパンチを食らわせていると、本橋さんが口出ししてきた。
「身長ってか、体格は歌には関係なくもないぜ。白人や黒人のあの声量や深くて力強い声は、胸の厚さのおかげって気もするよ。玲瓏の五人は全員が身長百八十センチ以上、スポーツマン体型の爽やかな美青年たちなんだろ。体格に恵まれてるってのは有利だよな。……幸生、章、わかった。わかったから……俺はもう言わないから、おまえたちも喧嘩するなよ」
 昔から俺は、本橋さんや乾さんが身長の話をすると怒っていた。幸生の怒りなんか怖くねえよ、と言うくせに、実はちょっとは怖いのか、章とふたりしてぎらぎらっの視線で睨むと、本橋さんは逃げていってしまった。
「俺も迫力のある目つきができるようになったのかな。章、どう、この目?」
「おまえの目じゃなくて、俺たちの前では失言だったって気づいただけだろ。いくら鈍感でも、長いつきあいなんだから、この話題で俺たちのこの顔で、ったら、なにを気を悪くしてるのかはリーダーにだってわかるさ」
 背の高い男は嫌いだ。身長百八十センチ以上は大嫌いだ。本橋さんだって乾さんだって百八十には満たないから、先輩として慕ってやっているのだ。
「慕ってやっている? やっている? 幸生、先輩への口のききようを教えてやろうか」
 誰かに耳元で囁かれている錯覚を感じつつ、思う。百八十センチだなんて、狭いニッポン、そんなに伸びてどこへ行く。日本人は小柄なのが民族性だ。無駄な長身を「ウドの大木」。俺みたいなのを「山椒は小粒でぴりりと辛い」というではないが。
 ぬぼーっと背の高い男は、俺に身長を分けてくれ。日本民族はみな平等のはずなのに、背の高いのと低いのがいるなんて、差別反対。しくしく。
 フォレストシンガーズとしてメジャーデビューしてから約十一年。最初の二、三年は暗黒期だった。シゲさんが結婚したころからすこしずつ上向いていったので、恭子さんは「あげナントカ」であるのだとの噂もある。
 現在ではまあまあ、いいセンいきつつあるかなぁ状態の俺たちは、ここまで来る間に膨大な数の人間と触れ合った。学生時代から数えれば何万人にもなるかもしれない。
 歌の業界には顔のいい男もプロポーションのいい男も無駄に大勢いる。歌が下手なのになんで歌手なの? って奴やら、どうして彼は俺たちよりも売れてるの? どこがいいの? って奴やら、なぜ、彼は売れないのだろう? って奴やらもいた。
 アイドルやロックバンドには格好のいい男が多いのは当然で、麻田洋介や中畑裕也や中根悠介や桜田忠弘や大城ジュンやといった、悔しいけどかっこいい、降参するしかないという男はたくさんいる。
 が、ヴォーカルグループにはさまでルックスのいい男は少ない。韓流にだったらいるが、今回のジョイントライヴは和製のみなので、韓国のスターはいない。ダーティエンジェルズから華歌の男四人まで、新旧ともにたいした顔はしていない。
 むろん俺たちも、顔でいえぱ章が一番って程度なのだから、顔はまるきりだ。ヴォーカルグループは歌が売りなのだから、それでいいはずなのに。
「そういえば、リパプルズなんてのもいたよな」
 章が言った。
「あいつらはジョイントライヴには出ないみたいだろ。どうしてるんだろうな」
「章は彼らを好きではなかっただろ。覚えてるんだな」
「覚えてはいるよ」
「俺は神戸の創始を、リバプルズのライヴに連れていってやったことがあるよ。言わなかったかな」
「どうだったかな。聞いたとしても忘れたよ」
 日野創始、ヒデさんが働く神戸の電気屋の御曹司である。誰もが三沢幸生の少年版だと評する彼とは、俺はすっかり仲良くなっていた。
 小学生だってパソコンを巧みに操るご時勢なのだから、創始とはメールのやりとりもしている。アニメファン、声優ファンのおたく少年である創始を、普通に女性とつきあえる健全な男に教育してやろうとするとヒデさんに怒られるので、そこはうまくコントロールしないといけない。
 我々の単独ライヴもあればジョイントライヴもあるので、大規模ライヴの準備で大わらわな今日このごろ、すこんとできた空き時間にフォレストシンガーズ専用スタジオに赴いて作詞をしていると、女性の声が聞こえてきた。
「ユキちゃんが来てるらしいよ。他の人らは別の仕事やから、今日はスタジオには来ないみたいやけどね……そう? そしたら、待っててもらうから」
 弥生さんの声とともに、ノックの音がした。
「こんにちは。ユキちゃん、時間はある?」
「今日は夜までは自由時間です。弥生さん、先日はどうも」
「こちらこそ。えらい災難やったよね」
 数日前の労をねぎらい合ってから、弥生さんは俺のむかいの椅子にすわった。連れはいないので、ケータイで電話をしていたのだろう。
「今朝、大阪から出てきたんよ。お客さんが来るから、時間があるんやったら待っててあげて」
「はい、わかりました」
 先日の女泥棒の話などしているうちに、客とやらがやってきた。
「三沢さん、はじめまして。玲瓏の村木です」
「こんにちは。田中です」
 続いて、吉田、中井、井村と名乗って深くお辞儀をし、最後に村木くんが再び口を開いた。
「僕が玲瓏のリーダーです。このたびは共演させていただくことになりまして、フォレストシンガーズのみなさんにご挨拶を申し上げたかったんです。オフィス・ヤマザキの社長さんにご連絡申し上げましたところ、ここ数日はご多忙だとのことで……えと、それで、弥生おばさん?」
「村木漣くんは、子供のころにうちの近所に住んでたんよ」
 さざなみと書いて「れん」と読むのだそうだから、姓は平凡なほうでも名は非凡だ。二十代はじめの若者としては特別に珍しくもないのだろうが、ルックスに似合ったかっこいい名前だった。
「彼らは事務所の方針で、姓だけしか名乗ってないんやけど、漣くんは子供のころからそう呼んでるからね、でね」
 子供のころには大阪に住んでいた漣を、弥生さん夫婦は可愛がっていた。父親の仕事の都合でオーストリアに引っ越していったというのだから、商社マンか銀行マンか外交官か、いずれ、エリートの息子なのだろう。
 ざっと弥生さんが説明してくれたところによると。
 過日、弥生さんの大阪の自宅に、漣が電話をしてきたのだそうだ。弥生おばさん、お久し振りです。僕は長く外国にいたんで知らなかったんだけど、おばさんは歌手なんですよね。僕も歌手になりました。玲瓏ってヴォーカルグループの一員としてデビューしました。
 玲瓏のメンバーは全員が帰国子女。情報はまちがっていなかった。他の四人も子供のころには外国ですごし、成長して帰国した。高校生か大学生のころに帰国した者が大半で、漣だけが大学を卒業してから帰ってきたのだそうだ。
 もともと五人は知り合いでもなかったのだそうだが、全員が歌は好きで、本場で本格的にレッスンを受けたり、外国人とともに歌ったりしていた。帰国してオーディションを受けた五人は、歌がうまい上にこのルックスなのだから、グループを組めば話題になる、売れると保証されてデビューしたのだ。
 十余年前の俺たちとは大違いだなぁ、などと慨嘆しつつも、弥生さんの話を聞いていた。
 ついさきごろ、デビューアルバムを出したばかりの玲瓏は、所属事務所のプッシュで、最若手グループとしてア・カペラジョイントライヴに出演させてもらえることになった。デビューアルバム、大きな初ステージ、そこらへんも我々とはえらいちがいだ。
 このライヴの立役者は、もとダーティエンジェルズのメインヴォーカリスト、現ソロシンガーの畑山ヤスシ氏と、もとベースマンで現プロデューサーのロクさんだ。事務所からも促されて彼らに挨拶に行くと、ロクさんに言われたのだそうだ。
「やっさんはもちろん、今回の主役のつもりでいるんだよ。だから、彼には花を持たせてやってほしいんだけど、フォレストシンガーズにも挨拶に行ったほうがいいよ。彼らからは学べることもたくさんあるはずだ。村木くんがリーダーなんだったら、本橋くんを見て学び取れ」
 そう言われて事務所の社長に相談し、彼らの事務所の社長がうちの社長にコンタクトを取ってくれ、フォレストシンガーズは忙しいからなぁ、とうちの社長がもったいぶり、そしてそして。
「僕が子供のころにお世話になった弥生おばさんが、フォレストシンガーズとは親しくしてるって聞いたんです。それでおばさんに電話をしてご足労願ったんですよ」
 いつかもこんなシーンを見ていた記憶がある。
 あれはリバプルズとコラボしたときだ。初対面のリバプルズはフォレストシンガーズを格上のグループだと見ていて緊張していて、リーダーの山本さんのみが口をきき、残る三名は陰気にうなずくばかり。本橋さんに言わせると、奴らは首振り人形だ、だった。
 リバプルズは外見的にはなんの特徴もない、歌にも特徴のない凡庸な男四人。対して玲瓏は、よくもこれだけかっこいいのをそろえたもんだと感嘆するような、タイプこそちがえ、グラブダブドリブにも匹敵するほどルックスのいい五人組、なのに、あのときのリパプルズを彷彿とさせるのは、口を開くのは村木漣だけだからか。
 なんとなくなんとなく、彼らには違和感がつきまとう。リバプルズとは別種なのか同種なのかも見極め切れない、変な感じだった。
「グラブダブドリブは身長百八十三センチ以上だって言ってたから、きみらよりも平均身長は高いんだな。むこうはほとんど外人だもんね」
 思わず呟くと、弥生さんが苦笑して言った。
「グラブダブドリブって、なんの関係があるん?」
「俺たちの平均身長は……ええと……」
 計算の苦手なユキちゃんは、ケータイの計算機を使って答えを出した。
「170.2センチ、かろうじて170になったね。リーダー、乾さん、平均身長を下げてごめんなさい。そのかわり、平均年齢も下げてるんだから許してね」
「なにをやってるんかと思ったら……玲瓏の平均身長はそれより十センチ高いかな」
「弥生さん、歌と身長って関係あるんですか」
「ないっ!! 私かて背は低いけど、小さな身体にみなぎるパワーで歌うんよ」
「そうだそうだっ」
 150センチもないような弥生さんがこの場にいてくれるのが救いだといえなくもないが、彼女は女性だ。酒巻國友を連れてきたかった。
「身長はええんやけど、そういうわけで、私が頼まれたんよ。たしかユキちゃんは今日は、午後に自由時間ができるって言うてたな。ここにいてないかな、ってスタジオに来てみたの。時間があるんやったらカラオケ……ってわけにも行かんから、ごはん食べにいく?」
「三沢さんはお仕事をしておられたのではないんですか」
 自己紹介以外の台詞を初に発したのは田中くんで、井村くんも言った。
「今日は三沢さんにご挨拶できて嬉しかったです。他のみなさんには後日改めまして……」
「そうですね。三沢さんにはご迷惑でしょうから、僕らは失礼しましょうよ」
 吉田くんも言い、中井くんも言った。
「村木くんは弥生さんとご一緒してもらったらどうですか。僕らは帰りますので」
「そうですか。では、弥生おばさん、いいんでしょうか」
「ええけど、弥生おばさんやのうて、弥生ちゃんって呼んで」
 若い男たちがそろって笑い声を立てる。俺たちも美声だとは言われるが、彼らは顔がいい分、声まで実際以上に美しく響く。
 しかし、帰国子女って友達同士でもこんな口をきくのか? 徳永さんの友達でもあり、章の弟の龍の先生でもある加藤大河。わが母校の寄生虫学科の准教授であるタイガー先生もこんな喋り方だから、こんなものなのだろうか。
 あるいは、彼らは友達ではないのか。オーディションで選抜されたにせよ、年頃の近い男ばかりだったらじきに気安くなって、俺、おまえ呼ばわりをしそうに思えるが、彼らはそんなに仲良さげには見えない。
 もしくは、気取っているのか。ルックスに似合った紳士たらんとつとめて? 礼儀正しく辞去の挨拶をして、村木漣以外の四人のかっこいい若者たちが帰っていく。俺は違和感を覚えつつも、昔を思い出していた。
 はじめてなついた先輩だったシゲさんは、俺に声をかけてくれたときには、「三沢」「おまえ」と呼んだ。章だってそうだった。俺のいとこの三沢雄心と木村龍だって、龍は浪人しているのだから年上であっても、おまえ、龍、雄心と呼び合っている。
 龍と雄心が若い男同士としては尋常だと思っていたら、若者たちは様変わりしているのか。玲瓏は帰国子女のエリート集団だから特殊なのか。
「ユキちゃんも漣くんもお昼はまだでしょ。ゆっくりごはん食べてお話ししようよ」
 弥生さんに言われて、三人で連れ立って外に出た。
「きみらって年は同じくらいでしょ」
「今春に大学を卒業したばかりですから、全員、同い年です」
「じゃあ、村木くんは春まではウィーンにいたの?」
「そうです」
「日本語はうまいね」
「親に叩き込まれましたから」
 見上げないと話せない位置に、秀麗な横顔がある。さぞかしもてるだろうなぁ。憎たらしいなぁ。鼻をつまんで引っ張ってやりたい。
「玲瓏は仲良しではないの?」
 スタジオからすこし歩いたところに、シティホテルがある。ホテルのレストランに三人で入り、ランチを注文すると、弥生さんが俺の訊きたかったことを質問してくれた。
「他人行儀っぽい感じがするね」
「他人ですから、仕事ですから」
「そうなんや」
 そういうもんかしらね、と言いたそうなサインを、弥生さんが俺に送ってくる。玲瓏の五人に感じた違和感の正体はこれだったのか。俺は苛められても殴られても、フォレストシンガーズの先輩後輩関係のほうがいい。俺ももはや古い男なのだろう。


4

 時間をかけた食事を終え、弥生さんが先に帰っていくと、俺は漣に言った。
「きみは今日はオフなんだよね。もう一度スタジオに行かない? きみの歌が聴きたいな」
「アルバムを買って下さいよ」
「買うけどさ」
 昔は俺も、知り合い全部に言っていた。友達にもCDを買えと強要しては、くれないのかよ、ケチだな、と言われたものだ。
 であるからして、営業活動もミュージシャンのノルマだと……ほんとか? 知ってはいる。それでも漣の生歌も聴きたいので、ふたりしてスタジオに戻っていった。背の高い男と連れ立って歩くのは屈辱的ではあるが、これからの人生、こんなことは頻々と起きるのだろうから、慣れなくては。
 ってかさ、三十数年も生きてきたら慣れてるっていうか、本橋さんと歩いてたってこんなものだというか。だけど、どうも漣と歩いていると気分がよくないのは、本橋さんと彼の顔の差だろう。
「三沢さんは弥生さんとは仲がいいと伺ってましたけど、会話の内容からするとそれほどでもないんですよね」
「プライベートを知らないから? 教えてくれないんだからしようがないだろ」
「僕は多少は知ってますよ」
「そりゃあそうだろうけど、弥生さんが言わないんだからさ……」
 関西人の知り合いは弥生さんをはじめとして、ヒデさん、実松さん、泉水さんなど数人いる。ヒデさんの友達の創始や新之助も関西人だ。泉水さんは標準語だが、他のひとたちは東京にいても関西弁で喋る。蓮が関西弁は喋らないのは、子供のころに外国に行ってしまったからか。
 俺は関西弁が好きだ。学生時代から実松さんの大阪弁の真似をしては、アクセントがちゃう!! と怒られた。ヒデさんの土佐弁も真似ては、アホか、ってこづかれた。
 大阪の街も好き。お好み焼きやたこ焼きも好き。ナンパ橋も大好き。大阪弁も大阪のひとも好き。大阪で出会ったおばちゃんやおばあちゃんも好き。俺をお笑い芸人だと誤解した大阪のおばちゃんに、売れるようにがんばりや、と言ってもらったのもなつかしい。
 あの人たちのあったかみは関西弁に由来するところも大なはずなのだから、標準語で喋る整いすぎたルックスの漣を冷ややかに感じるのか。スタジオにつくまでの間に、漣は語っていた。
「僕が生まれて小学生までをすごした街には、金持ちの屋敷も庶民の文化住宅みたいなのもありましたよ。弥生さんの家はそれほど大きくはない住宅の密集している場所にありました。僕が子供だったせいもあるし、弥生さんがスターっていうのでもないせいもあって、僕は彼女が歌手だなんて知りませんでした。弥生さんには子供がいないから、僕を可愛がってくれたのかな」
「きみはどうやって弥生さんと知り合ったの?」
「弥生さんのご主人がやっていた、教室に通っていたんです。子供の少ない教室だったから、僕は弥生さんちのおじさんにも可愛がってもらいました。うちの両親も子供がお世話になるんで謝礼をはずんだんですね。弥生さんのお宅は生活は裕福でもないようだったから、金払いのいい家の息子の僕を可愛がってくれたってのもあるんでしょう」
「そっか。弥生さんのおつれあいって先生なんだ」
「琴の先生です」
 歌手である弥生さんの夫が楽器の先生だとは意外ではないが、琴とは意表をついている。琴の先生は女性なのが一般的なはずだから、ふと浮かんだイメージは、女性的な優美柔弱なおじさんだった。
 ハープってのは女が演奏するもんだろ、と言っていたのは本橋さんで、俺にもそういう俗な印象はあるらしい。いずれにしても、男の子が琴を習うのも珍しい。親の主義や教育方針や趣味もあったのだろうか。
「弥生さんちのおじさんは金は持ってないようでしたよ。僕が金持ちの子だから特別扱いしてくれてたのもあるんでしょうね」
「何度も言うなよ、さっきも聞いたよ」
 無感動な声で言ってやると、漣の顔に怒りのいろがかすめた。
「僕は弥生さんのことなんて忘れてたんですけど、フォレストシンガーズのみなさんが弥生さんと親しくしてるって聞いたから、彼女については情報を得ようとしましたよ。三沢さんは弥生さんをなんと思ってるのか知らないけど、僕から見れば、ああ、やっぱりね、って感じでした」
「なんのこと?」
「三沢さんだって知ってるんでしょ。ミュージカルの主役をやりたいってごねて、製作者ともめて降ろされたって話ですよ。たいして売れてもいないばばあのくせに……」
「……ふーん」
 年齢的には弥生さんは決してお嬢さんではないのだから、あのばばあが、なんて陰口を叩く奴だっている。そいつがガキだったりしたら、本橋さんや乾さんは弥生さんをばばあなどと呼ぶ奴を叱りつける。美江子さんだってそうするだろう。
 が、俺には年下の奴を叱る度量がない。いざとなると乾さんのような鋭い舌鋒は使えない。ふーん、としか反応できなくて見返した漣は、冷笑を浮かべて続けた。
「三沢さんには弥生さんとの変な噂もあるみたいですね」
「そんなのあるの? 光栄だよ」
「気持ち悪くないんですか? 相手はばばあですよ。もしかしたら三沢さんにも、下心があるんですか。弥生さんにすり寄って得があるとも思えないけどな」
「俺は弥生さんが好きだ。それだけだよ」
「熟女趣味ってやつですか。弥生さんは熟女って感じでもなくて、ばばあでしかないじゃありませんか。老女趣味?」
「それ以上言うな」
 語気を鋭くして言ってみても、漣には通じない。下卑たくすくす笑いを漏らして、なおも言う。ばばあってのは案外……などと下ネタをやろうとしている漣を俺は見つめる。子供のころに可愛がってもらった近所のおばさんを、なぜこんなふうに言うのだろう? 俺には不思議だった。
「ってことは、三沢さんは弥生さんと寝たんでしょ。ばばあの味ってどうでした?」
「……」
「……ん?」
 視線をめぐらせた俺につられたように、漣も顔を曲げた。静かにドアが開いて入ってきたのは乾さんで、黙って漣を凝視していた。
「……あ、乾さんですね。ああ、はじめまして……僕はテレビなどで拝見していますけど、乾さんのほうは僕を知らない……」
「玲瓏のひとだね。はじめまして」
 立ち上がった漣と、ドアのそばに立っている乾さんの視線がからみ合う。乾さんは穏やかに漣を見つめ、漣は目をそらして言った。
「聞いてらしたんですか」
「すこし聞こえたよ」
「……すみません。ご挨拶は改めまして。失礼します」
 二度、大きく頭を下げて、漣は走るように逃げるようにスタジオから出ていった。
「あいつ、羞恥心はあるみたいじゃないか。おまえは不愉快だったろ。ぶん殴ってやればよかったのに……ってか、おまえは他人は殴らない主義なんだよな」
「主義っていうか、俺にはあいつが信じられない生き物に見えましたよ。殴るとは発想外でした」
 殴りかかったとしても彼が防戦するつもりになったら、応戦するつもりになったら、俺は負けていただろう。
「乾さんの視線には迫力があるんだもんね。ああやって見つめられたら恥ずかしくなった、そういう意味では、あいつは殴ってやってもいい人間ですか?」
「殴らなくてもわかるタイプだとは思うよ。わかったからと言って実行するかどうかは別だけどね」
「そっか。ところで、乾さんには羞恥心はあるんですか?」
「おまえにはあるのか?」
「さあ?」
 ふたりして首をかしげて、ふたりして笑う。俺はデスクの引き出しにしまっておいた楽譜を取り出した。
「乾さん、見て見て。アドバイスして」
「私はもはや、あなたの詩にアドバイスなんかできませんよ。三沢幸生先生」
「おー、そうかね。では、俺の詩を読んで勉強したまえ、乾くん」
「はっ、そうさせていただきます」
 きゃっははっと笑うと、乾さんが俺の頭をこちんとこづく。おまえの頭はやわらかいな、って、褒められたのだと解釈しておこう。
 ハードボイルドを目指したって、絶対に不可能な半熟卵。俺はそういう男なんだから、それが持ち味なのだから、それはそれでいいのだ。今回の懸案はなんにも解決していないけど、こうして乾さんと詩の話をして、褒めてもらったり助言してもらっていたりしたら、いっときは棚上げにしていられる。
 このあとは乾さん、引き受けてくれます? 声に出さない頼みを読み取ってくれた微弱な超能力者は、俺の悩みを半分は引き受けてくれそうだ。

END
 
 



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~ Comment ~

拍手コメントへのお返事でーす

拍手コメントのほうにも、いつもありがとうございます。

私もフォレストシンガーズの世界に入り込みたい。
著者はそう願い、自分の分身のようなキャラをちょこちょこっとちりばめているのです。
そのひとりが弥生おばちゃん。
弥生さんは私よりも年上ですし、知るひとぞ知る有名な歌手ですが、私がこの世界に入り込んだらこのスタンスかなって感じで。

ですから、弥生ちゃんに目を留めていただくととっても嬉しいです。
ハッピィエンドっていうのか、このストーリィがどうなるのかは著者もわかっていないのですが、書いてはいますので、なるようになるでしょう。

きゃああ、無責任でごめんなさい。。。
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