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小説286(いざいざと)

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フォレストシンガーズストーリィ286

「いざいざと」


1・春一

 シンパシーなんてものを感じられても、彼には迷惑だろう。俺とは共通点はあるようでないようなものなのに、彼の書いていたブログに引き寄せられて、神戸まで来てしまった。


「昔の仲間たちと再会してから、もう三年にもなるんだな。
 俺のブログを読んでくれている人からは、フォレストシンガーズと俺との関わりを詳しく書けってリクエストももらうんだよ。ちょこちょことは書いてきたから、知ってるひともいるだろうけど、今日はきちんと書こうかな。長くなるから、読みたくない人は帰っていいよ。

 春のある日、俺は某大学のキャンパスを歩いていた。うららかな春の陽射しのもと、青春真っ盛りの小笠原英彦は十八歳だった。
「そこの彼、歌ってみないか」
 おりしもキャンパスでは各サークルの勧誘活動も真っ盛り。俺にマイクを突きつけたのは、合唱部の二年生だった。そのときには名前も知らなかった彼は、背の高い苦みばしったいい男。俺だって故郷の土佐ではかっこいいとも言われたことがあったから、対抗意識を燃やしたってのもあるんだな。

 「夢伝説」を歌い、きみだったらプロになれる、だなんてお世辞をいわれてちょっとだけその気になって、俺は彼に言われるままに合唱部の部室に入部届けを出しにいった。
 知ってるひとは知ってるだろうけど、そのときに俺を勧誘した二年生が徳永渉。入部した合唱部の男子部キャプテンが、四年生の金子将一だったんだよ。
 そうなんだ。俺の大学ってすげえだろ?

 徳永さんのお世辞に乗せられて入部した合唱部には、あとふたり、すげえ人がいた。二年生の本橋真次郎、乾隆也、ますますすげえだろ。
 当時から金子さんと本橋さんと乾さんはスターだったよ。こんなの書いて読まれたら殴られそうだけど、徳永さんは本橋さんと乾さんの影に隠れたNO3だといわれていて、あの三人はライバル意識ぎんぎんだったわけ。
 いや、あまり書かないでおこう。そんなふうだったってだけね。

 俺と同じ新入生にもすげえ奴がいた。本庄繁之だ。
 それから一年後に入部してきた奴らには、三沢幸生と木村章もいる。他にも卒業生の中には有名人は大勢いるから、そういう意味ではすげえ大学なんだよね。

 合唱部は男子と女子に分かれていて、男子部はなかなかに荒っぽかった。たるみすぎているとランニングの罰を与えられ、態度によっては先輩に殴られるってこともあった。俺も金子さんや本橋さんや乾さんにはよく叱られたよ。
「あの金子さんに叱られたなんて、ヒデさんってすごいんやねぇ」
 そう言って目をきらきらさせてる女の子がいたけど、そうか、俺もすごいんだ。

 そうして先輩たちにきびしく教育されて、土佐生まれの小笠原英彦も東京の大学生になっていった。音楽にはさほどに興味がなかったくせに、なによりも歌が好きになっていった。
「ヒデ、シゲ、三沢、俺たちと一緒にヴォーカルグループを結成して、プロになろう」
 本橋さんと乾さんに誘われて、五人でフォレストシンガーズを結成したのは、シゲと俺が大学三年生の冬。三沢幸生は二年生で、本橋さんと乾さんは春には卒業するという時期だった。

 楽しく学生生活を送って、卒業したら故郷に帰ってもいいな、東京でサラリーマンになってもいいな、ま、卒業してからのことは四年生になってから考えようか。
 その程度にしか考えていなかった俺の生活は、それからはかなり変わった。
 プロになろうってこっちが決めたって、そしたらなれよ、どうぞどうぞ、なんて言ってくれる人はいない。俺たちはアマチュアのままで活動を続けていた。

 シゲと俺も大学を卒業した年の六月、俺は結婚を決意する。
 結婚したら守るべきものができる。アマチュアフォレストシンガーズなんて続けていけるものではない。俺は脱退も決意した。
 あのころは本橋さんのアパートの近くで練習していたから、本橋さんの部屋でみんなに告げたよ。
「やめさせて下さい」
 そう言ったのは覚えてるし、乾さんが引き止めてくれたのも、本橋さんに言われたのも覚えてる。でも、なんて言われたのかは書きたくないな。

 そして俺はフォレストシンガーズを脱退し、結婚して地方で暮らすようになった。
 やがてフォレストシンガーズはメジャーデビューし、俺もその事実を知り、デビューしたからって簡単に売れるものでもないよな、ま、がんばれよ、って笑ってた。

 単純なそれだけのことではなかったのだけど、見栄を張らせてもらってもいいだろ。
 そしてそして、俺は離婚して妻と娘と暮らしていた家を出て、放浪の旅人となった。
 俺は裏切り者だ、故郷の、母校の、もとの仲間たちの面汚しだ。そこまで考えなくてもいいはずなのに、ネガティヴ思考にこりかたまりまくっていたから、かたくなにもそうとしか思えなくなっていたんだね。
 
 そんな俺の気持ちをほぐしてくれたのが、何人かの友達だった。
 一般人の実名を出すのは控えておくけど、ひとりだけ。DJの酒巻國友。あいつには面と向かって礼も言ってないんだよな。後輩の酒巻、ありがとう。
 かたくなになっていた俺の気持ちを、何人もの人がよってたかってもんでほぐしてあっためてくれて、フォレストシンガーズのみんなに会えるようになった。

 今では俺は神戸の電気屋で、パソコンも持ってる。
 昔の仲間をネタにしたブログを書いて、たくさんのコメントをつけてもらい、応援してもらってる。俺はコメントにはレスしない方針で、失礼かもしれないけど、許してほしい。
 アホなコメントをつける奴はアホだから相手にしないけど、嬉しいコメントをくれる方には感謝してますよ。特に女性にはね。

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 これ、キスマーク。俺のブログを読んでくれてる女性に送ります。
 男には……そうだな。いつかどこかで会ったら、一緒に酒を飲もうぜ。「土佐の鯨、ヒデ」との異名を取る俺なんだから、酒勝負だったらいつでも受けて立つぞ」

 フォレストシンガーズってグループについては、俺はまったく詳しくはない。近年になって売れてきているとは知っていても、CDを買ったりライヴに行ったりする気はない。フォレストシンガーズはめったにテレビにも出ないし、ごくたまにラジオで聴いたり、パチンコ屋で聴いたりする程度だ。
 だけど、ほんのちょっとだけ俺に近い……近くはないのかもしれないが、共通点があると言ってもいいこの男、ヒデさんには興味を持った。
 ブログの過去記事を読むと、彼の行きつけの酒場の名前も知れた。神戸港にある「Drunken sea gull」。神戸だったら仕事で行ったこともあるのでなじみはある。ヒデさんはちょくちょくこの店に出没すると書いていたので、会いたくなった。
 神戸港で船の荷降ろしの仕事を見つけ、安いアパートを借りて、ふところがあたたかいときには「Drunken sea gull」に出かけていく。高くはない店なので助かってはいるものの、そうそう毎日行くわけにもいかないので、ヒデさんにはまだ会えずにいた。


2・英彦

 こんなもん、簡単じゃないか、ってな顔をしてブログをやっていても、パソコンってものの知識はないに等しい。なのだから、こういう反応には驚いてしまう。
「ヒデさん、僕、感激で泣いてしまいました。ありがとうございました」
 遠距離恋愛の彼女ができたからこそ買った私用携帯電話に入ったメールは、酒巻國友からだ。
「なにがや?」
 短い返信を送ると、酒巻が電話をかけてきた。
「おう、酒巻か。ニューヨークにおるんやろ」
「ヒデさん、お久し振りです」
「感激で泣いたって、なにがや?」
「ヒデさんのブログですよ」
「いつの分?」
「後輩の酒巻、ありがとう、って書いてくれてたでしょ」
「一ヶ月くらい前やな。おまえはニューヨークにおるんやから、一ヶ月遅れで読んだ?」
「いえ、ニューヨークにいたってリアルタイムでブログは読めますよ」
「……そうなんか。あれ? 電話代、大丈夫か」
「大丈夫です」
 実際のところ、なんにもわかっていない俺にもブログがやれるのは、高畠新之助大先生のおかげもあったのだろう。俺の働くヒノデ電気のアルバイターである新之助は、パソコン、ロック、アニメなどなどに詳しい大学生だ。
「しょうむないことで泣くな。もうちょっと帰ってこないんだろ。がんばれよ」
「ヒデさん、彼女とはうまく行ってます?」
「そらもう、熱々べたべた……言わすな、アホ」
 涙まじりで笑っている酒巻と世間話もし、しっかりやれよ、と言い置いて電話を切った。
「マスター、ごめんな」
「わしやのうて、あそこにいてるお客さんにお詫びを言うとけ」
 バーでケータイで喋ったりすると、静かに酒を飲みたい相客には迷惑だろう。「Drunken sea gull」にもうひとりだけいる男の客に、俺は言った。
「すみません、うるさくて」
「いえ、あの、いいですか」
「……ん?」
 年齢は俺に近いか。小柄でぶよっとした体格。もとは引き締まった体格だったのに筋肉がゆるんでぶよっとしたようで、一時期の俺もこうだった。
「お話をしてもいいですか。電話がちょっと聞こえてたんだけど、ヒデさんでしょ」
「ええ、そうですけど……」
「ブログ、読んでます」
 フォレストシンガーズが有名になったからこそ、俺もフォレストシンガーズのファンの間では一部では有名になった。とりわけこの店はそういった人種に遭遇しやすいスポットで、俺のファンだと言ってくれるひとやら、昔なじみやらにも時として出会った。
 関西人ではなさそうな言葉遣いの、この男もそういう人種か。店に客はふたりきりだし、年頃も近そうだし、俺も黙っていたい気分でもなかったのでうなずいた。
「ありがとうございます。じゃ、一緒に……」
「野島春一といいます。よろしくお願いします」
「小笠原英彦です」
 名乗り合い、ウィスキーの水割りのグラスをかちんと合わせた。
「酒巻さんって、ブログにも出てきてた名前ですよね。電話で喋ってたのが酒巻さんですか」
「そうですよ。大きな声ですみません」
「いえ。酒巻さんの名前が出なかったとしたら、ヒデさん……小笠原さんだとは気づかなかったかもしれないから……」
「ヒデって呼んでもらってもいいですよ。野島さんは……」
「俺もハルって呼んで下さい。俺はヒデさんとは同い年ですから」
 ブログを熱心に読んでいれば、俺の年齢は知っているだろう。野島ハルイチ……俺の記憶にはまったくない名前のはずだった。
「同い年なのにえらいちがいですよね。ヒデさんは贅肉もなくて、背が高くてかっこいい。俺はちびなのに不摂生で、ぶくぶくしてきてますよ」
「昔はスポーツを?」
「陸上をやってました」
 ぶくぶくなんかしてないよ、とは言えないので、俺はあやふやに笑っておいた。
「中学生のころから陸上をやってて、高校に入ったらインターハイに出場したこともあるって三年生がいて、その先輩に憧れたんです。井口さんっていってね、彼は大学生になっても、社会人になっても陸上競技大会ではいい成績を出してましたよ。オリンピックに出るほどでもなかったけど、日本の短距離走者は世界的にはまだまだですもんね」
「井口憲次?」
「知ってます?」
「なんとなく覚えが……」
 記憶を探ると思い出されてきた。
 うちの大学には歌や演劇や作曲といった芸能方面のスターが多かったのだが、俺たちと同年の男に陸上部のスターがいた。彼の名は赤木。姓だけしか覚えていないのは、卒業後は特には活躍していると聞かないからだ。その赤木の噂をしていたときに、本橋さんが言ったのだった。
「俺の高校の陸上部には、赤木なんかよりずっと上の選手がいたぜ。大学総体にも出たはずだ。俺はその先輩と喧嘩したんだよ」
「本橋さん、陸上部のホープの脚を蹴って折ったりしなかったでしょうね」
「ヒデ、おまえは俺をなんだと思ってるんだよ」
「喧嘩好きの本橋真次郎だと思ってますよ」
「おまえに言われたくねえんだよ」
「本橋の高校の先輩って、名前は?」
 別の先輩が本橋さんに尋ね、本橋さんは言った。
「井口憲次だよ」
 おー、井口だったら知ってる、俺も俺も、と他の男子たちも言っていたから、俺の記憶にも残っていた。
「すると、本橋さんとハルさんには接点があるんですね」
「本橋さんが井口さんの名前を?」
「おや? 知り合いですか」
「いえ、知りませんっ!! ってか、フォレストシンガーズの本橋さんは知ってますよ。だけど、高校のときの本橋さんは知りませんっ!!」
 否定のしようが激しすぎる。ハルさんの話と本橋さんの話を総合してみれば、彼らは同じ高校の先輩後輩なのだから、まちがいなく接点はあるはずだ。
「……ちょっと待って」
 その記憶につながって思い出される名前……本橋さんが言っていた。
「井口さんは大学にも行ったけど、大学には行けないって言ってた後輩もいたな。あいつはどうしてるんだろ。野島、元気か?」
 みんながわさわさしている中で、本橋さんはひとりごとめいて言っていた。俺たちが大学生のころの日常のひとこまを思い出したのは、野島という名前も関わっていたからか。
「ハルさんは本橋さんと親しかったんでしょ?」
「え?」
「忘れてたけど、学生のときに本橋さんが言ってましたよ。井口さんの後輩の野島さんとふたりして、女の子をナンパしたって」
「してませんよ。本橋さんとナンパだなんて」
「そしたらなにをしたんですか?」
「ランニング……ヒデさん、ずるいよ」
 単純な奴らしく、しっかりひっかかってくれた。
「こうなったら観念しますよ。ってのかね、ヒデさんに話したくて、近寄ってきたのかもしれない。聞いてくれますか」


3・春一

 二十年近くも前の初夏の高校の校庭で、俺ははじめて本橋真次郎に出会った。
 陸上部の部長、俺の憧れの先輩だった井口さんが、校庭をひとりで走っている本橋さんに目をつけて、因縁もつけて、陸上部に入れと勧誘しているのを、俺は陸上部の連中とみんなして見物していた。俺は高校一年、本橋さんは二年生だった。
 兄さんがふたりいて、彼らは双生児で空手馬鹿。だから本橋さんはスポーツ嫌いで、陸上部には絶対に入らないと言う。
 頑固な本橋さんを好きになり、俺は彼がランニングをしている時間に合わせて一緒に走るようになった。そのせいでクラブの練習をさぼり、先輩たちにつるし上げられていたときに、本橋さんとその兄さんたちに助けてもらった。
 空手馬鹿の双生児の大男は、井口さんに助言もしてくれたらしい。先輩たちには怒られたものの、陸上部をやめろとは言われなくなったのは、本橋さんの兄さんたちのおかげだ。
 高校の文化祭で本橋さんとオバケの扮装をしたり、本橋さんが俺のクラスメイトのしのぶを好きになって打ち明けて、撃沈したよぉ、と嘆いていたり、そんな思い出も残して、本橋さんは俺よりも一年早く高校を卒業していった。
 父が病弱で母が主に働いていたから、俺は高校を卒業すると町工場に就職した。弟妹だってせめて高校を出してやりたくて、陸上競技は断念した。町工場で働くかたわら、新聞配達をして、走ることだけは続けていた。
 真面目な勤労青年だったつもりだが、仲間にはヤンキー崩れみたいなのもいて、俺もヤンキーがかっていって、二十歳をすぎたころにはヤンキー女とできちゃった結婚をした。
「……おまえさ、妊娠してるのに、そんなときに男と寝るか?」
「妊娠してるんだから、もう一度できる心配はないじゃん?」
 とんでもない理屈をふりかざして浮気をした妻は、そのせいだかなんだか知らないが流産して、こんな女が母親だとは子供がかわいそうだから、生まれてこなくてよかったよな、と俺は感じたものだった。そのせいで妻には子供ができなくなったようなのだが、彼女はけろりと言っていた。
「子供なんて邪魔だもん。いないほうがいいよね」
「強がってないか?」
「強がってはいない。すると、あたしは不妊症か。他の男と寝ても絶対にできないんだよね」
「おい、浮気はやめろよ」
「なんでよ。一年に一回くらいは他の男と寝たいよ。ハルも他の女と寝てもいいからさ」
 不妊症というか貞操観念ゼロ症というか、そんな妻とは喧嘩ばかりしていて、弟妹が全員高校を卒業したころには離婚した。そのころにはもはや走ることも忘れてしまって、筋肉なんかなくなってしまっていた。
 両親も相次いで他界し、俺には働く理由すら見つけられなくなった。三十近くなって飲み屋で働く女と再婚したら、彼女は言った。
「その年になってフリーターだなんて、みっともなくて人には言えないね。ねぇ、ハル、知ってる?」
「なにを?」
「あんたが前に言ってた、フォレストシンガーズの本橋さん。あのひとはハルの高校の先輩なんでしょ? テレビに出るんだって」
「フォレストシンガーズが?」
 むろん知ってはいた。本橋真次郎が大学の仲間たちと結成したフォレストシンガーズというヴォーカルグループがある。まったく売れてはいないし、五人ともに顔もたいしたこともないし、このまんまで消えてなくなるのかと思っていた。
「テレビ、見ようよ」
 妻に言われてその夜、動いているフォレストシンガーズを初に見た。
「本橋さんってたしかに顔はどうってこともないけど、あんたよりはかっこいいよね。ハルじゃなくて本橋さんと結婚したらよかった」
「こうやってテレビに出るようになった本橋さんが、おまえなんかと知り合ったって結婚してくれるはずねえだろ。俺だからこそおまえみたいなブスと結婚してやったんだよ」
「あたしだからこそ、あんたみたいなちびで甲斐性のない男と結婚してやったんだろ」
 本橋さんのせいではないのだが、それからは醜い争いを繰り返すようになって、二度目の妻とも離婚した。
 俺が三十歳。本橋さんは三十一歳。あのころからフォレストシンガーズはだんだん売れるようになり、はじめての全国ライヴツアーが行われると知った。俺は本橋さんに逢いたい気持ちもあり、逢いたくなんて絶対にない気持ちもあったのだが、心が動いた。
 フォレストシンガーズの全国ツアーは、政令指定都市を回るというものだ。当時は俺は大阪府下の小さな町に住んでいて、そこからだともっとも近いのは堺市。フォレストシンガーズがどこに泊まっているのかも突き止めた俺は、ホテルの前で朝から張っていた。
 ホテルから出てきた細くて小柄な男は、フォレストシンガーズの木村章だ。ファッションビルに入っていく木村を尾行して、彼に気取られて喫茶店に引っ張っていかれ、俺は真実は半分くらいの話をした。あれからだって三年ほど経ったのか。
「木村さんには俺はパチブロをやってるって言ったけど、プロではないんですよ。パチンコは大好きだけど仕事ではないんです。今では親兄弟とも縁が切れて気ままな独り身で、ほうぼうをうろうろしては適当に仕事をやって、適当に食ってます」
 高校生から現在に至るまでのおおまかな話をすると、ヒデさんは大きく息を吐き出した。


4・英彦

 もちろん細部はちがうけれど、どこかしらは俺に似ている。共感を抱いてしまう。フォレストシンガーズをテレビで見て、妻と諍いを起こすようになった。そんなところまでが似ていた。
「俺も離婚してるんだよ。一度だけだけど」
「知ってるけど、一度なんて普通でしょ」
 ハルさんの話を聞いているうちには、丁寧語も消え失せていた。
「普通ではないだろうけど、すると……本橋さんとは会ってないんだろ」
「会えるわけないよ」
 ここも一時の俺に似ている。
「木村さんも言ってくれたんだ。本橋さんに会いにいくかって。けど、俺は逃げたよ。フォレストシンガーズがやった堺でのライヴにも行ってない」
「フォレストシンガーズが神戸でライヴをやったときにも、俺は行かなかった。神戸に住んでたんだけどね。ハルさん、俺んちに来ないか」
 他の客が入ってきたので、俺はハルさんを誘った。
「本橋さんが好きだって言ったのは、そういう意味じゃないんだろ?」
「そういう意味って?」
「二度も結婚してる男なんだから、そんなはずはないわな」
「そんなはずって?」
 彼女の三津葉の悪しき感化で、男が男を好きだと言うと妙な方向に気を回してしまう。俺にメールをしてきては、男同士のラヴストーリィを聞かせたがる奴もいるので、俺は変な感覚になりつつあるのだ。普通の男はそういう発想はしないのだ。
「えいきに。行こう」
「はじめて会ったヒデさんに……そんな……図々しい」
「襲わないからさ」
「は?」
「いやいや、俺はどうも変な影響を受けやすいんだよな」
 襲うの襲わないのといった発想は幸生の感化だ。三津葉も哲司も幸生も引っ込め、とおのれの頭を殴って、変な影響を与えるトリオを追い出した。
「行こう。飲み直そう」
「ヒデさんがそう言ってくれるんだったら……」
「マスター、またな」
 ここまではハルさんと俺だけが客だったのだから、マスターは俺たちの会話を聞いていただろう。だからってなにを言うでもないマスターは、ああ、うう、と口の中で返事をし、俺たちは連れ立ってバーから出ていった。
「あの、代金は……」
「ツケは効く店だから、この次でいいよ」
「俺は今は仕事はしてるんだから、おごってもらうなんていやだよ」
「しばらくは神戸にいるんだろ。またあの店で会おう」
「そんなら……今夜は行っていいの?」
「いやだったらいいけどな。他人にはあまり聞かれたくない話だろうから誘ったんだ」
「ああ、そうだね。じゃあ、お邪魔します」
 バスに乗って俺のアパートまで行くことにする。ハルさんの思い出話の合間には、彼の仕事やら住まいやらも聞いていたので、俺のアパートからは近いのだともわかっていた。
「ああ、ここ? ブログには住所までは書いてないから知らなかったよ」
「うん、近いやろ。だから誘ったのもあるんだよ」
「あのマスターは……」
「バーのマスター? 俺はあのおっさんの私生活はまったく知らないよ。飲もう」
 バーでの飲みっぷりを見ていても、ハルさんは酒には強そうだ。俺は焼酎のボトルを持ち出した。
「鹿児島の焼酎? 本場だよね」
「本橋さんにもらったんだ」
「……本橋さんか。いいなぁ」
 仕事で各地に行くフォレストシンガーズの面々は、神戸にも年に幾度かは訪れる。俺に時間があれば会う。俺の部屋にも招く。五人一緒に招くと部屋が破裂しそうだから、ひとりかふたり。シゲと幸生がもっとも頻繁に来てくれていて、他の三人も来てはくれていた。
 先日は本橋さんと美江子さんがそろってやってきて、土産だ、とこの焼酎をくれた。俺は土佐の日本酒のほうが好きだなぁ、と文句を言うと、本橋さんに叱られた。
「土産をもらって不平を言うな。いらないんだったら持って帰るぞ」
「本橋くんだって飲みたいくせに。重いんだから持って帰らないでおこうよ。私も飲みたい」
 結婚しても人前では夫を「本橋くん」と呼んでいる美江子さんも含めて、三人で飲んだ。酒豪の男がふたりいても空にはならなかったので、その残りだ。
「俺は学生のころには、本橋さんに叱られるとむかついたよ。ぶん殴ってやろうかと思ったこともある。喧嘩を売ったことだってある。シゲや乾さんに止められなかったらやってたかもな。この前も喧嘩しそうになって、その話を美江子さんにして……美江子さんは知ってる?」
「本橋さんの奥さん。写真でだったら見たよ。すらっとした美人でしょ」
「フォレストシンガーズのマネージャーでもあり、俺から見たら大学の先輩でもあるんだ。その美江子さんにさ……」
 先輩なんだからよほどでもなければ本橋さんは殴りません、と言って、よほどってなによ? と睨まれた。
「学生のころにも美江子さんにも叱られたな。乾さんにも叱られた。乾さんとだったら殴り合っても勝つだろうから、叱られてもどうってことはなかったんだけど、妙にしみたんだよ。美江子さんにはどこかで……内緒やで」
「女のくせにって?」
「ちょっとは思ってたけど、そのくせ、怖いんだよな。美人の怒りって怖いだろ。ブスは怒っても怖くないんだ」
「ふむふむ。なるほどね」
 ブスだったという二度目の妻でも思い出しているのか、ハルさんはくすっと笑った。
「俺が叱られていちばんこたえたのは、金子さんやったな」
「金子さんって歌手だよね。徳永さんも……すごいよな。俺の世界とはちがいすぎるよ」
「彼らの世界は俺の世界ともちがうよ」
「……そうなのかもしれないけど」
 酒巻をはじめとするみんなが俺の気持ちをほぐしてくれた、あのことへの恩返しになるのかどうかは知らない。本橋さんが野島春一に会いたがっているのか、そんな奴は忘れてしまったのか、それだって俺は知らない。そこは幸生あたりに探りを入れてもらう手もある。
 けれど、ハルさんが本橋さんに会いたいのならば会わせてやりたい。彼は一時期の俺よりははるかにまっとうな暮らしをしているのだろうけれど、このぶよぶよした身体を引き締めさせてやりたい。俺だって酒巻やシゲに再会したころにはぶくぶく太っていて、ダイエットやランニングに励んだのだから、ハルさんにだってできるはずだ。
 走るのが大好きだった少年の気持ちを取り戻させてやりたい、なんて俺が言うのは僭越だろうけれど、できるものならば……。
 フォレストシンガーズの五人と俺とで、マラソンに出るってのはどうだろう。ハルさんにも出場してもらって、俺だけが知っていて、サプライズ。あとの三人は彼を知らないのだろうが、章と本橋さんは驚くはず。本橋さんは感激するはず。本橋真次郎はそんな男なのだから、ハルさんを忘れてはいないはずだと信じたかった。
「俺も走るのは嫌いじゃないんだよ」
「ランニングやってる?」
 ハルさんの目が輝く。これは好きな奴の顔だ。
「やってるよ。ハルさんも走るか」
「ランニングのおかげでヒデさんは締まってるんだな。俺もか……そうだなぁ」
「考えておいて。その前に」
 飲もう。グラスに焼酎を注いで、俺は口ずさんだ。

「いざいざと友に盃すすめつつ
泣かまほしかり酔はむぞ今夜」

若山牧水の酒の歌だ。友がひとり増えたこの夜に、いくぶんかは似た追憶を持つふたりの男に、またとなくふさわしい短歌のはずだった。


END

 


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