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小説281(第九部スタート)(ダンシングクィーン)

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フォレストシンガーズストーリィ281

「ダンシングクィーン」(第九部スタート)


1・愛理

 旧姓は八幡早苗、結婚して宝井早苗となった彼女は、私の学生時代の合唱部の後輩である。
 我が母校の合唱部は男子部、女子部に分かれていて、ことに男子部は野蛮だの封建的だの体育会系だのと言われていた。その理由のひとつには、男性のほうが競争意識が激しいというのがあり、男子部には代々、プロのシンガーになりたいと志すひとがいたからだともいう。
 女子部のほうは封建的でもなかったのだが、先輩と後輩のけじめはきっちりしていた。陰では先輩の悪口だって言ったけれど、面と向かえば敬語で話し、先輩を立てていた。
 先輩しかいなかった一年生のころの私は、一年年上の金子将一にひそかな恋をしていて、女子の先輩には気づいていたひともいたらしい。金子さんと同年の服部カズハさんあたりは、あいつに恋なんかしてもねぇ、と私に言いかけては言葉を途切れさせていた。
 知ってるの。金子さんは私を女の子としては見てくれていない。妹のような後輩でしかない。泣き虫で意地っ張りで、好きなくせに好きだともいえない、どこかしらは内気なくせにうぬぼれも強い愛理は、金子さんに片想いしているだけでいい。私は身の程を知っているから。
 そんな私が二年生になった年には、男子部には後のスターが入部してくる。徳永渉、本橋真次郎、乾隆也。そして女子部には、後にお騒がせ女に成長する八幡早苗が入部してきた。
 入部当初から早苗は目立っていた。背が高くて華やかな美人で、プロポーションも最高で、はじめて私が彼女に声をかけたときには、あなたって美人ねぇ、と言ったはずだ。早苗は照れもせずににっこりと言い返した。
「ありがとうございます。よく言われます。沢田愛理さん? 沢田さんも綺麗だけど、もうすこし痩せたほうがいいですね」
 むっかーっ!! ではあったのだが、生まれつき太ってるし、食べるの大好きだし、とか言って、ひきつる頬をまぎらわせておいた。
「ダイエットには意志の強さが一番ですよね。私はスタイルがいいでしょ? 太らない食生活をこころがけているからなんです。沢田さんも私をお手本にしてダイエットに励んだからいかがですか。沢田さんって背も高いしもとがいいんだから、磨けばすこしは光りますよ」
「あなたほどになれる?」
「それは無理でしょうけど、アドバイスしてあげますから」
「あなたは将来はエスティシャン志望?」
「いいえ。お金を持ってて私よりも背が高くて、一生東京で暮らせる男と結婚するんです」
 沢田さんはどこの出身ですか、犬山ってどこ? 愛知県? 愛知県って名古屋しか知らないな、などと言った早苗の顔も覚えている。
 男子部のほうでも八幡早苗には色めきたったはずなのだが、意外に彼女は人気はない。その理由は間もなく判明した。美人であれば一も二もなく気に入る男は多いと思っていたけれど、合唱部にはそんな馬鹿は少なくて、早苗の性格を見て取る男が多かったというわけだろう。
 あの時期は男子部には溝部がいて、女子部には早苗がいて、二大ルックスは優良、中身は劣悪という見本のようなものだった。
「早苗ちゃんって本橋くんが好きみたいだよ」
 後輩の面倒見のいいカズハさんが、私に学食のランチをごちそうしてくれて言っていた。
「だけど、本橋くんには彼女がいるんだよね。ゆかりちゃん」
「ああ、そうなんですか」
「ゆかりちゃんも背は高いけど、客観的に見たらそりゃあ早苗ちゃんのほうが美人でしょ。男の子だって顔やスタイルばかりで彼女を決めるわけでもないのに、早苗ちゃんにはそれが我慢できないんだね。本橋くんったら、なんで私よりもあんなブスがいいのよって……愛理ちゃんが本橋くんの彼女だったら、早苗ちゃんも納得したのかな」
「あんなデブ、本橋くんよりも年上じゃないのっ、って怒りますよ」
「愛理ちゃんはデブじゃないよ。私みたいに食べても太らない体質から見るとうらやましい」
「カズハさん、そういうことを言うと私が怒りますよ」
 細くて背の高いカズハさんに、私のほうこそあなたの体型がうらやましいーっ、体重を分けてあげます、なんて言って困らせたのもなつかしい想い出だ。
「早苗ちゃんには彼氏はいるの?」
 一年生のときには本橋くんはゆかりちゃんとつきあっていて、二年生になったころには別れたようで、ゆかりちゃんは合唱部を退部してしまった。だからって早苗ちゃんとどうこうはないだろうと思いつつも尋ねると、早苗ちゃんは愁い顔で応じた。
「一週間に一度は交際を申し込まれるんですけど、どこかしら欠点のある男ばかりなんですよね」
「誰にだって欠点はあるでしょ」
「そうですよねぇ。沢田さんだって、顔は綺麗なほうだけど太ってるし、脚はわりに綺麗だけどヒップが大きいし、声は綺麗だけど歌はそんなにうまくなくて、田舎の出身だし」
「あなたはどうなのよ」
「私には別に欠点はありませんよ。そんな私の彼氏なんだもの。なるだけ難のない男を選びたいんです。妥協はいや」
「本橋くんって欠点はないの?」
「彼の欠点は我慢できる程度だから。私、面食いではないんですよ」
 早苗と話していると怒りたくなるので、私はあまり彼女とは会話はしなかった。それでも彼女と同時期に合唱部で活動していた三年間には、世間話だったらした。したがって知っている。早苗は本橋くんと恋人同士だったことはないはずだ。
 月日が流れて私はラジオアナウンサーとなり、早苗はかねてからの理想に近い男性を射止めて結婚した。宝井さんとは銀行頭取の息子で、かなりの収入があるはずだ。昨今は大銀行だって倒産の危機に陥る場合もあるが、宝井さんの銀行は安泰だと聞いている。
 そんな過去があるのだから私は知っているというのに、早苗は私が担当しているラジオ番組に再三、葉書を送ってきた。

「アナウンサーの沢田さんは、私の大学の先輩ですよね。こんな話、ご存知ですか。
 今ではとあるコーラスグループの一員となって、無名ではなくなった男性がいます。私はその男性に、つきあってくれなかったら死ぬと脅迫されて交際しました。
 悪い人ではなかったのですが、お金にだらしなくて私は困り果て、別れようと言いました。そのたびに彼は、別れるんだったら死ぬと言って、川に飛び込もうとまでするのです。
 そんなことばっかりで搾り取られて、いやになってしまったころに、助けてくれた人がいました。その人と結婚して、私は救われたのです。
 今の主人があのコーラスグループをプロにしてあげたのですよ。そんなこと、彼は知ってるのかしら? 沢田さんは知ってます? そうなんですよ。
 なのにそのときの男性ったら、俺たちが努力したから売れてきたなんて言ってる。聞いてると腹が立ってくるんですよね。
 いつだって私におごらせて、今の主人のおかげで救われた私に傷を負わせまでして、私の心にも手の甲にも傷跡が残っています。
 それが誰なのかは、沢田さんには心当たりがおありですよね。ラジオでこの葉書を読んで下さってもいいんですよ。許可します」

 サインはSANAE。私はその葉書を恋人である金子さんに見せ、意見を求めた。
「こんなことって本当にあったの?」
「ないよ。本橋はそんな奴じゃない」
「やっぱり本橋くんだよね。早苗ってあの早苗ちゃんでしょ? 彼女、本当にこうだったと自分の記憶を改竄してないかな」
「……だとしても、なにもできないんじゃないのか? せいぜいがブログにでも書くくらいだろ。この葉書は読まないよね」
「読むわけないじゃない。誹謗中傷なんだもの」
「おまえも本橋を信じるよな」
「彼は乱暴者だけど、狡猾なひとだったりはしないでしょ」
「ありがとう、信じてくれて」
 あるわけがないと信じているというよりも、私は知っているから、事実は事実でまげられないのだから。
 体育会系合唱部出身歌手、金子将一とフォレストシンガーズの本橋真次郎には二歳の年の差がある。金子さんのほうが先輩なのだから、本橋くんを見下ろしている。物理的にも金子さんのほうがやや背が高くて、本橋くんとしては永遠に頭が上がらないのであるらしい。
 学生時代よりも同業者となった現在のほうが関わりが密になって、先輩は後輩の面倒を学生時代以上に見ている。フォレストシンガーズは全員が私の同窓生で、金子さんはさらに年上なのだから、あの強面本橋真次郎だって、金子さんに叱られてほっぺをぶたれたりしてるって、なんだか可愛い。
 乾くんは金子さんに叱られたりはしないと思うが、木村くんも三沢くんも叩かれたことはあると言っていた。本庄くんはお世話になりまくっていると言っていた。
 女には優しくて、恋人の私だったら甘く叱って実力行使もするものの、乱暴はしない。そんな金子さんは男の後輩にはきびしい先輩であるらしく、もっと年下の酒巻くんなんかは叱られて叩かれて泣いてばかりいた。
 これだけ外見が素敵で、怖い顔をしたら凛々しくて、低い声で荒々しく男性の後輩を叱りつけ、ばしっと叩いたりするなんて、そんな金子さんもかっこいいよね、と私は身勝手にも思うわけで。
 最年少の酒巻くんは子供のように金子さんに叱られて、ほっぺをぶたれてベランダに放り出されて泣いていたこともある。それってなんとなくボーイズラヴみたい? などと言うと男性はいやがるので、こっそり想像して笑っている。
 もうひとり、私の一年年下の男子合唱部出身シンガー、徳永渉や本橋真次郎だと、酒巻くんとはちがった扱い方をされている。本橋くんや徳永くんだと金子さんとは一対一の男同士の勝負になって、それはそれでかっこいいかも。
 暴力なんて好きではないけれど、彼らが殴り合うシーンは映画みたいに想像する分には、いいかもなぁ、と思うのだった。実際にこの目で見たら恐怖だろうから見たくない。金子さんも本橋くんも徳永くんも大きいんだから、小さい酒巻くんが金子さんに叱られて泣いているシーンのほうが見やすい。
 きびしくはしていても、金子さんは後輩たちにはあふれるほどの思いやりを注いでいる。酒巻くんだって気にかけているからこそ叱るのだろうし、私が本橋くんを信じていると言うと嬉しそうな顔をして、濃密なキスをくれた。


 二通目、三通目の葉書は一通目と同じような内容で、四通目はこうだった。

「沢田さんは彼に弱みでも握られているのでしょうか。彼のほうには配慮しても、彼に傷つけられた女の気持ちは慮ってくれないのですか。
 マスゴミとかって言いますよね。沢田さんも所詮はそういうゴミの一員なのかとがっかりしました。私はよいネタを提供してあげたのに、届いてなかったらいけないから、貴重な時間を費やして三通も葉書を出したのに、これは四通目ですよ。
 これが最後通告です。また無視したら別の手段で世間に発表します。私には社会的地位だってあるのですから、手段はいくらでもあるんですよ。
 甘く見ないでね」
 
 脅迫状めいた葉書はほっぽっておく。このたぐいの郵便物はラジオ局には何通も配達されてくるのだから、私はこんなものでは動じない。
 社会的地位ってね、あなたが葉書を送ってくるようになったから、大学を卒業してからのあなたの境遇は調べたの。調べるのは私のほうが得意なんだよ。葉書に語りかけて、一応は未処理郵便物の棚にしまった。
 早苗は大学を卒業してから建築機器の会社に就職し、美貌を生かして受付嬢をしていた。そうしていて蒼天銀行頭取の子息に見初められて結婚したのが、早苗二十七歳のみぎり。ひとり娘の姫女神がいる。こう書いてひめかと読むとは、早苗らしいネーミングのセンスなのか。美貌好みなのであろう夫やその両親の趣味なのか。
 娘の名前はいいとしても、早苗は専業主婦なのだからとりたてて社会的地位はない。夫の地位を自らの地位だと思い込む勘違い夫人だ。
 学生時代の印象がよくないせいで、私は早苗には点がからくなってしまう。それにしたってなにほどのこともできないだろうとたかをくくっていたら、またまた葉書が届いた。

「私が誰だか知ってるんでしょ。
 八幡早苗です。五通目の葉書です。
 沢田さん、話しを聞いて下さい」

 打って変わって哀願口調になっている。事件でもあったのかもしれないが、八幡早苗には会いたくない。彼女は自分に社会的地位があるとの勘違いを持っているのだから、私のストーカーにはならないだろうから放置しよう。
「ふーん、早苗ちゃんねぇ……」
「放っておいても大丈夫でしょ。彼女だって悪辣な真似はしないもんね」
「俺もそう思うけど……」
 金子さんに話すと、彼は言った。
「早苗ちゃんがおまえに逆恨みを向ける可能性もあるよ。メールアドレスを教えて」
 そんなに気にしなくてもいいのに、と言いつつも、早苗が葉書に書いていたメールアドレスとケータイ番号を、金子さんに教えた。


2・将一

 とりたてて行動を起こす必要はないのか。早苗は俺には接触はしてこないだろうし、愛理に危害を加えるほどに気が触れているのではないだろうし。考えごとをしながら「フライドバタフライ」で飲んでいると、哲司の声が聞こえてきた。
「僕には好きなひとはいるんだよ。僕は浮気はしないの。絶対にしないの。前? 前なんか知るかよ。人ってのは変わるんだ。きみも覚えとけ。馬鹿。馬鹿馬鹿バーカ」
 携帯電話で話している相手は誰だろうか。僕は浮気はしない? 人は変わる? 彼が浮気否定主義に変わったのならばいいことだ。
 真行寺哲司。俺は昔から顔見知りだった編曲家の田野倉敬三の恋人である。田野倉さんのペンネームは田野倉ケイであり、男なのだが、男が男の恋人を持っていても、個人の嗜好の問題なのだからいっこうにかまわない。
 田野倉さんが若い男の子を好むとは知っていた。俺は彼とは年齢差は少なくて、あんたみたいな大きな男は趣味ではないと言われていたので、正直、ほっとはしていた。他人はいいけど、俺は男に口説かれたくない。
 そんな田野倉さんにいつしか男の子の同棲相手ができていて、その少年、真行寺哲司がフォレストシンガーズの連中と親しくなって、俺も哲司とは親しくなった。田野倉さんから見れば俺は趣味ではないらしいが、哲司から見れば俺は趣味なのだそうだ。
 もっとも、哲司の趣味なんてのは浮遊票みたいなもので、本橋さんも外見はタイプ、乾さんが好き、シゲさんは可愛い、ヒデさんってかっこいい、徳永さんも見てる分には悪くないよね、などと言うのだから、一部分が好みに合えばそれでいいのだろう。
 すなわち、あいつのどこかは好き、どこかは嫌い。なのであって、普通は男は男には抱かない感情が加わるだけだ。重く考えなくてもいい。
 ここ数ヶ月はさまざまな出来事があった。俺はほんのすこし関わっていただけで、おおむねは傍観者。哲司は脇役。主役は乾隆也と佐田千鶴だ。千鶴は金子さんも大好きだと言ってくれたが、恋心は乾にひたむきに向かっていた。
 思慮の浅い小娘はなにを考えたのか、乾に嫌われようとでもしたのか。そうと思うと俺だってやるせないけど、世の中の事象の大部分は我が想いのままにはならぬもの。そうと思い知らされたのは、千鶴にはいい経験になっただろう。
 失恋なんか乗り越えろ。おまえは大女優になりたいんだろ。恋は女優のこやしだ。乾隆也なんて男はおまえの肥料にして、大輪の花を咲かせろ。乾だったらまちがいなく、おまえの肥料になったら光栄だよ、と言うはずだ。
 恋をしているという意味では、哲司と千鶴のハートは似た動きで乾を感じていたのか。俺にはゲイ心も娘心も推測するしかないのだが、ふたりともに、乾を強く慕ってはいた。
「電話でキスだったらしてあげるよ。それでいいだろ。はい、ちゅっ。だからって早苗さんに変な真似すんなよ。変なことをしたら着信拒否にするからな」
 近頃の脅迫には着信拒否って手段があるのか。若者ではない俺は妙に感心しつつ、哲司と誰かとの通話を聞いている。その中の名前、「早苗」が俺のアンテナに触れた。
「ああーっ、盗み聞き。金子さんったら、お行儀わるーい」
 電話を切った哲司が、俺に気づいて肩にもたれかかってきた。
「店の中ってのは公衆の面前だろ。聞かれたくなかったら外で話せ」
「わざわざ僕のそばに来たのは金子さんじゃん。お詫びにおごって。僕は無職だから金がないんだよ」
「お詫びじゃないけどおごってやるから、話せ」
「なにを話すの? ケイさんとの夜の閨?」
「そんな話しじゃなくて、今、口にした早苗ってのの姓は?」
「……同じ大学だったね」
 これで決まりか。やっぱ帰ろうかなぁ、などと言って立ち上がろうとした哲司の手首をつかんですわり直させた。
「男って男には乱暴だよね。こないだなんか僕は、まず乾さんにほっぺをぶたれて、もうひとつのほっぺをヒデさんにぶたれて、家に帰ってケイさんに話したら、おまえが悪いからだってケツを剥かれてびしばし叩かれて、まだ腫れてるんだよ。お尻、見る?」
「いつの話しだ。見てほしいんだったら見てやるから、先に話せ」
「ただでは見せてあげないよ。ベッドに入って抱いてくれるんだったら、ケツだって見せてあげる」
「俺がその気になったら、ケイさんみたいにするのは簡単だぞ」
「それでもいいなぁ。金子さんの膝に乗っていい?」
 男だったら俺だってそうしてやるのは平気だが、哲司にそうすると喜ぶのだろうからやりたくない。頭をごちんとやってから命令した。
「おまえは浮気は絶対にしないんじゃなかったのか。話せ」
「怖い金子さんって素敵。そういやぁホシオに言ったよね。あの主義は電話を切ると同時に消滅したんだ。人は変わるんだよ」
「……」
「無言で睨まないでぇ。金子さんの美貌ってそんな顔になると凄艶だよね。惚れちゃいそう」
「俺も気が変わったよ。ケツをひん剥いてこの靴でいやってほど蹴ってやるから、先に話せ」
「蹴られるのはやだっ」
「叩かれたら嬉しいのか」
「嬉しくはないけど、愛されてる証だったら耐えられるよ」
 同好の士同士で楽しむゲイの恋愛は自由だから、変態だとは呼ばない。が、哲司はそれ以外の部分で変態だ。これ以上こいつの減らず口を聞いていると、本当に尻を蹴ってやりたくなりそうだった。
「金子さんって男だったらケツを蹴るの? 乾さんもそのようなことを言ってたけど、合唱部の制裁ってそれ?」
「実際にはめったとやらないけど、口でだったら言うよ。哲司、黙れ」
「……」
「俺の質問には答えろ。早苗とは?」
 ホシオというのが哲司の先ほどの通話相手で、高校生なのだそうだ。
 不良少年たちは不純同性交友をやっていて、哲司がホシオにベッドでの手ほどきをしてやったという。そんなホシオの力を借りて、哲司が早苗を脅したというのだった。
「姫はじめのブログって知ってる?」
「姫はじめブログだ?」
「早苗の娘の名前」
 それだったら愛理が言っていた。「ひめか」だ。
「娘にそんな名前をつける親がいるか」
「いるかもしれないよ。色魔とかって名前、あったんだろ」
「聞いたことはあるけど……ひめかだよ。ひめかのブログ?」
「姫さまの女神のブログ」
 ブログまでは知らなかったのだが、あのネタを早苗がブログにするとは、ありそうなことはなはだしいではないか。
「姫女神……それでひめかって読むんだよ。つながった。それが早苗のブログ?」
「そうなんだ」
「俺も読んでみようか」
「なくなっちゃってるよ」
 あっちに飛んだりこっちに着地したり、故意にわかりづらく話しているのかもしれない哲司談を整理してみると。
 つまり、早苗は愛理が勤務するラジオ局に送りつけてきた葉書の内容と同じような記事を、ブログに綴っていた。本橋が学生時代に彼女に告白し、つきあうようになって、金をせびられたりプレゼントをさせられたり、食事をおごらせたりしたあげく、別れようと切り出すと死ぬと脅されて別れられなかったというものだ。
 別れられなくて困り果てていた早苗に、救いの手を差し伸べたのが今の夫だそうで、彼の力でフォレストシンガーズはプロとなり、早苗は開放された。ただし、完全に切れる前に早苗は暴漢に襲われ、手の甲をナイフで傷つけられた。
「っての。金子さんは知ってる顔だね」
「別のほうから聞いたんだよ」
「こっちは知ってる? ことの真相」
 誰かが哲司に真相を教え、早苗の虚偽のブログをなんとかしろと依頼したのだそうだ。そんな頼みをするのは三沢幸生だと考えるのが妥当だろう。
「僕だって本橋さんがそんな奴だとは思えないけど、金子さんはもっとよく本橋さんを知ってるもんね。早苗さんが本橋さんを好きだとも知ってた?」
「彼女がノートに、今日の本橋真次郎の行動ってのを、逐一メモしてたのを見せてもらった記憶があるよ」
「げろっ、粘着気質」
 多少は俺も知っている。本橋は早苗に好きだ、つきあってくれと言われて、断った。それが卒業間際で、フォレストシンガーズが始動しはじめた時期だった。
 そのあとは俺も知らなかった。早苗は本橋に断られたのを遺恨にして、あの哀れな冴えないもてない青年にターゲットを向けた。そいつの名は本庄繁之。本庄は俺の妹のリリヤに恋をしていて、俺がその恋路を妨害し、告白もせずに諦めたというのもある。
 あれは本庄もリリヤも一年生の年だ。その後、リリヤは別の男と結婚し、本庄にだって別の恋はあったのかもしれないが、俺は知らない。
 早苗が本庄を使って、陰険な報復をしたのが本庄繁之大学四年生の年。リリヤへの失恋はよくあるできごとだろうが、早苗のほうはひどすぎる。本庄の恋を邪魔した兄貴の俺の所業の罪のほうがずっとずっと軽いはずだ。
 好きだった男がつきあってくれなかったからといって、そいつの後輩をベッドに引っ張り込む。そんな女もいるのか。そうすることで早苗は溜飲を下げたのか。早苗のほうが哀れではないのか。
「なのに、そういうのがみんなぐっちゃぐっちゃになって、早苗さんはブログにまで嘘を書いたんだよね。そりゃあ、酒巻さんや三沢さんだってさ……あ? 知らなかったよね」
「酒巻と三沢か。そうだろうと思ったよ」
「金子さんはいくらかは知ってるんだから、いいよね。ラジオに葉書を送ったって、早苗さんがブログに書いてたから、それって愛理さん? そしたら金子さんは知ってるのかな、って三沢さんも気にしてたみたいだよ」
 互いに感づいていながら、とぼけていたわけだ。
「で、ホシオとおまえが早苗を脅迫したんだな。了解」
「金子さんはどうするの?」
「彼女の真意を……」
 確認してみるべきだろう。ことの次第をざっと綴ったメールを、早苗に送るつもりだった。


 小笠原のヒデと乾とケイさんに叩かれたってのは、なにが原因だったのか。哲司はその話をしたかったのか、したくなかったのか。千鶴がからんでいるような気もするのだが、早苗事件でまぎれてしまっていた。
 まあいい。千鶴はもはや過去のひとこまだ。彼女が心の整理をつけて、恋は封じ込めて近づいてきたら、以前のように妹として可愛がってやりたい。俺にはもとより千鶴は恋はしていないのだし、乾だってそんなつきあいだったら歓迎するだろう。
「金子さんなんてなんにも知らないくせに」
 サングラスをかけて変装しているつもりか。変装の必要もあるまいに、と考えつつも、カフェの個室で宝井早苗と向き合った。
「本当なんですから」
「ブログは読ませてもらったし、ラジオ番組に送った葉書も読ませてもらったよ」
「葉書も?」
「沢田愛理は俺の恋人だ」
「へぇぇ。愛理さんってあいかわらず太ってますよね。金子さんがあの程度の女で妥協するの?」
「妥協はしてない。愛してるからだ」
「冗談ばっかり。金子さんだったらもっと上等の……」
 哲司には冗談半分で、ひっぱたいてやろうかとか蹴飛ばしてやろうかと言う。あいつは男なのだから、理由があれば殴ってもかまわない。殴ってやったことも何度かはある。
 早苗は女なのだから、手を上げてはならない。なのに、冗談なんぞはひとかけらも混じらないで、頬のひとつも張ってやりたくなる。俺が女にマジでそんな気持ちになることはまずないのに。お仕置きだよ、と若い女の子や愛理に言うのとは、まったくちがった心境が起きる。
「あいつと喋ってると殴ってやりたいのを我慢するだけで苦労するよ」
 柴垣安武が言っていた、あいつとは八幡早苗だ。早苗は男の怒りに火をつける女なのか。
 学生時代には合唱部の後輩だったのだから、早苗とは話もした。本橋くんが好きなのに、彼にはブスの彼女がいる、と言う彼女に、そんなふうに言うものじゃないよ、とたしなめて、ブスはブスでしょっ、とヒステリーを起こされた。
 徳永渉も言っていたのではなかったか。八幡早苗ってのは美人だから嫌いじゃないけど、あいつ、いっぺん張り倒して性根を入れ替えてやりたいな、やりませんけどね、だった。
 被虐心をそそるというのではなく、男が殴ってやりたくなる女。そんなのがいるとは知らなかった。それだけ彼女の口調が毒々しいからか。学生時代にはここまでではなくて、喜多晴海と喧嘩して悔し泣きしているのをなぐさめてやったこともあるのに。
 人は変わる、哲司の言葉は本当だ。早苗は悪いほうに変わったのか。あるいは、本質的には十代のころのまんまなのか。
「きみのほうこそ忘れた? 愛理も俺もきみの口から聞いたよ。本橋くんが好きだけど、つきあってはいないって」
「あれからつきあったんです。卒業して何年かたってから」
「それは出てくるボロのひとつだな。ブログには大学卒業間近の時期にって書いてあったよ」
「そんなの、細かいことだし」
「俺たちの言ったことにだって証拠はないけど、きみのほうにも証拠はないね。きみの手の甲の傷ってのは?」
 慌てて手の甲を隠そうとしてから、早苗は言った。
「あれは私の友達の話だって……」
「ここまではきみは、自分の話だってそぶりだったね」
「……金子さんって意地悪。本当は私を好きだったから、今になって本橋くんをやっかんだり、私と結婚した主人をうらやんだりしてるんでしょ」
 唖然。この理屈はなんなのだ。
「早苗さんってブログに、ロック同好会のSさんも私を好きだったって書いてたよ」
 哲司の言っていたSとは、柴垣安武か。彼女の記憶の中では、どんなふうに触れ合った相手であってもそいつが男ならば、彼は私を好きだった、になるのか。
「信じてくれなかったとしても、本当のことなんです。金子さんが信じてくれなくてもいいんです。ブログは閉鎖したんですから」
「きみは愛理に相談したかったんじゃないの?」
「なにを相談するんですか。愛理さんにはちょっとしたネタをあげたかっただけですよ。なのに金子さんを使うなんて、愛理さんって情けない女」
 虚勢が痛々しくも見えた。
「それにしたって、あんな太った女を彼女にしてるのって、一時しのぎでしょ」
「豊満な女性と言え」
「豊満って太ってるって意味でしょ。金子さんの趣味って最悪。変態じゃないの」
「俺は変態でもいいけど、愛理を侮辱するな」
「こわぁい」
 甘さを含んでならば女にも言う。いい加減にしないとひっぱたくよ、お仕置きだよ、と。しかし、早苗には言いたくもない。
 言うとすれば心底腹を立てた男に向かったときのように、おもてに出ろ、俺はてめえのケツを蹴飛ばしてやりたくてうずうずしてるんだ、かかってこい、か。女に言うべきフレーズではないのだから、努力して微笑んで彼女を見つめた。
「今回は悪ガキどものおかげで、あなたもその程度ですんでよかったと思え。では、失礼」
「お金は金子さんが払ってくれるのよね」
「きみは小遣いに不自由してるのか」
「してないけど……呼び出したのって金子さんだし……」
「出させていただきますよ。ごちそうさまと言いなさい、早苗さん」
「そんな催促って、金子さんってちっちゃい男」
 俺は柴垣ではないってのに、本当にこの手が動きそうだ。年下の女の子たちに言うように言ってみようとしたのも、限界だった。
「……金子さん」
 たしかに俺は小さい男なのだろう。もはや別れの挨拶をする気にもならない。学生時代にはまだしも可愛いところもあった女が、銀行頭取の御曹司と結婚して性格が悪化したとは、なにに起因して? 追求する気にもならず、おまえには二度と会いたくない、と俺は心で言って席を立った。
 人に関しては偏食家の徳永や、女を嫌いになるととことん嫌う乾のようなタチではないはずだったのに、早苗はそんな俺の心にも……自分では気づいていないのだったら、彼女はある意味、世界一の幸せ者……あるいは、哀れな女。
 きみはきみの世界で女王になって、ひとりよがりに踊り続ければいい。そうと知れたのだから、彼女に会ったのはあやまりではなかったのだろう。


END
 


 

 
  
 
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