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小説272(アコースティックバージョン)

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フォレストシンガーズストーリィ272

「アコースティックバージョン」


1

 嫌いだ嫌いだと言うくせに、章は乾さんの部屋にひとりで遊びにいったりもしている。嫌い嫌いは好きの裏返しってほどに複雑な奴ではないはずなので、章の言う「乾さんなんか大嫌いだ」は恋心の裏返しではないだろう。
「俺は週に一度は乾さんが嫌いになるんだよ」
 章はいつもそう言っているので、週に一度以外は好きだってわけか。そうまで単純でもないようで、章って奴は単純なんだか複雑なんだか、その混合系なんだか、俺にもわかるようでわからない。
 木村章と三沢幸生が出会ったのは、章が一年、俺は四年間通った大学の合唱部でだった。十八歳の春に出会ってから五年、章も俺も二十三歳になった。
 親しくしていたのは最初の一年と、最近の二年ほどだ。章が大学をドロップアウトしていた時期に結成したフォレストシンガーズに章を引っ張り込んで、去年の秋には念願のプロになれて、その前後には章といろんないろんな話をして、学生時代とはちがう意味での親友になったと俺は思っている。
 俺と再会したばかりのころには、章にはスーちゃんという最愛の彼女がいた。スーちゃんは俺に言っていた。
「章はひとりぼっちでほったらかしておけない感じなんだよね。私がついてて守っていてあげないと、ふわーっとどこかに飛んでいって、野垂れ死にでもしてそうなんだから」
 それすなわち母性愛か。章は女性の母性愛をくすぐる、頼りない男だからか。俺は章ほどには頼りなくもふわふわともしていないから、章ほどはもてないのか。顔の差ではないのだ。
 頼りなくなったらもてるのだとしても、俺は章ほどにはなりたくない。スーちゃんに捨てられてしまった章を見守ってやる役目は、俺に託された。いやいや、乾さんは男だけど母性本能も持っているようだから、章は乾さんに託したほうがいい。
 同い年のガキの俺なんかよりも、乾さんのほうが上手に章を御していってくれる。俺は乾さんの手助けをしていればいい。
 そう決めて、ふわふわ男の章の陰の保護者、三沢幸生を任じてはいるのだが、俺だって週に一度くらいは章を嫌いになる。俺の大好きな乾さんを嫌いだと言うからではなく、ってーのか、内緒で言えば、俺もごくごくたまには乾さんも嫌いになるんだから。
 熱愛中で恋は盲目状態のカップルじゃないんだから、誰かが大好きな誰かを時々、嫌いになるのは当たり前なのではなかろうか。耳においしい、心に甘い言葉ばかりを口にして、おだてたり持ち上げたりしてくれる人だって、嫌いになるときはある。ましてあの乾さんなのだから、この温厚な僕ちゃんだって、ぴきん、むっ、となったりはするさ。
「乾さんは俺よりも章が可愛いの?」
 思い出すだに恥ずかしい、そんな感情を抱いたこともある。もちろん口にはしなかったけれど、態度で示して乾さんにぶたれて、そうではないと教えてもらった。
 あの乾さんの愛のこもった叱り言葉やら、軽い平手打ちやらには、若気の至りとはいえ俺もむかっとしたことがあるのだから、章だったらむかむかっ、になるのもしようがないのかもしれない。社会人になってからの俺は人間ができつつあるものの、章は全然まるっきりのガキなのだから。
 性格の差はいかんともしがたいもので、章は俺のようには素直にできない体質なのだ。だから、これからも俺が乾さんと章の間に立って、苦労すればいいのだ。いいのだいいのだいいのだ……けど、やっぱりたまには、章が嫌いになるのだった。
ごっつんと頭に降ってきた拳骨は、堅くてでかい本橋真次郎の手。乾さんは苦笑いしてるってのに、なんでリーダーに怒られるんだろ。
「こら、おまえが悪いんだろ」
 シゲさんにまで叱られた。
「今の言い方だったら、本橋さんの言いつけは聞かないって意味に聞こえるぞ」
「そういうつもりで言ったのではございません。リーダー、ごめんなさい」
 数分前から俺はスタジオでジョークを言っていた。今夜は夜になってからスタジオに集合する予定で、他の四人はそろっているのに章が来ない。また遅刻か。本橋さんは苛立っているようだし、シゲさんは心配顔で、こうなると俺は俺の役割を果たすしかないのだから、ふざけていたのだった。
「章が来るまで待ってられないよ。幸生、スタンバイしろ」
 乾さんが言ったので、俺は応じた。
「はあい。ユキちゃんは乾さんのお言いつけだったら聞きます」
 その途端の本橋さんのごつんだったのだから、シゲさんが言った通りに受け取られたとしてもしようがない。反省もして、泣き真似もした。
「ええんええん。ユキちゃんは……考えが足りずに……ええんえんえん、ごめんなさい」
「おまえの気持ちはわかるんだけど、この状況だったら本橋の機嫌が悪くもなるだろ。時と場合をわきまえろよ、幸生」
「はい」
 先輩三人がかりで叱られて、ユキちゃんったら、章のかわりをやってるみたい。これだから俺は、時として章が嫌いになるのだ。
 まあ、拳骨のひとつやふたつ、本橋さんと知り合って以来、慣れっこになったよ。俺はいったい今までに、本橋さんに何度殴られたんだろ。今のは愛がこもってはいなくて、苛立ちがこもっていた分、かなり痛かったけど、俺が我慢すりゃいいんだよ。俺って章の犠牲になるために生きてる傾向もあるみたいだな。
 集合時間から十分経過して、章がスタジオにやってきた。本橋さんは章をぎろっと睨み、シゲさんが本橋さんの手を押さえ、乾さんは言った。
「言い訳は、章?」
「出がけに宅配便が届きまして、はんこを探してたもんだから……」
「サインでもいいんじゃないのか」
「はんこを出せって言われたんですよ。これ、うちのおふくろからです」
 章が持ってきたのは、故郷から贈られてきたイカせんべいだった。仕事前にそれをいただきながら、乾さんは言った。
「もっと早くアパートから出てたらいいんだろ」
「はい、すみません」
「もういいよ。次からは遅刻すんな」
 本橋さんも言い、章は首をすくめていた。章だって叱られてはいたけれど、殴られたのは俺だ。イカせんべいごときではごまかされないぞ。俺のおかげでおまえは殴られずにすんだんだぞ、と言いたかったけれど、今夜も俺は我慢していたのだった。


 大学を卒業してからはフリーターだった乾さんは、アマチュア時代にはギターを弾くアルバイトをしていた。「月影」という小さくて暗い穴倉みたいなバーには、俺はたまさか行ってみた。ギターは乾さんで、ピアノは島岡さんというおじさんが弾いていた。
 ギターとピアノが日替わりで演奏され、歌も披露するのだから、ギターが上手な乾さんにはもってこいのバイトだ。その夜、「月影」を訪ねると、六十代に見える男性がピアノを弾いていた。
「今夜は乾さんの日じゃないんだ。乾さんはバイトだって言ってたけど、臨時の別のバイトかな」
 来たのだから席にすわって、水割りとピーナッツをオーダーしてひとりで飲んでいた。去年の話しだから俺は二十二歳だったのだが、煙草を吸ってひとりごとを言っていたら女の子の視線を感じた。
「俺、成人ですよ。煙草はノーブログレム」
「のーぷろぐれむ?」
「言い間違えちゃったかな。いえ、だから、俺は未成年じゃないから」
「そういう意味で見てたんでもないのよ。あなたが乾さんって名前を口に出してたから」
「乾さんとお知り合いですか」
「まあね」
 年齢は俺と変わらないだろう。俺と同じくらいの背丈の彼女は、俺の隣の席に移ってきた。
「俺、三沢幸生っていいます。あなたは?」
「睦月っていうの」
「一月生まれ?」
「そうよ」
「俺は三月生まれ」
 彼女も煙草を取り出す。なぜだかピアノを弾いている島岡さんが、彼女にちらりと咎めるような視線をよこした。彼女も未成年ではないだろうに、あのおじさん、若い女の子が煙草を吸うのが嫌いなのかな、だった。
「いい曲ですね。ジャズかな」
「ピアノなんて嫌い。私はギターのほうが好きよ」
「俺も下手くそだけどギターは弾けますよ。俺んちでお聴かせしましょうか」
 ピアノソロは俺の知らない曲だったけれど、しみじみとしみてくる。なのに睦月ちゃんはつまらなそうな顔をして言った。
「それよりも、三沢さんって乾さんの知り合い?」
「ああ、まあね」
 この店の常連客か。ギターを弾く乾さんに憧れて、恋でもしてるのか。
 その前日、俺は章と喧嘩をして乾さんに叱られた。章に向かって「おまえなんか死んじまえ」と言ったからだったのだが、普段だったら飛びかかってくる章の気分の波が落ち込み状態の日だったのか。俺に言い返さず、飛びかかってもこずに帰ってしまった。
「あの口調はよくないよ、幸生。冗談にはなってなかったじゃないか」
「章なんか本気で死んだらいいんだ」
「幸生、おまえもか……」
「おまえもって?」
「そりゃあおまえにだって、気分が暗くなってる日もあるんだろうな。章もそうだったみたいなのに、両方が滅入ってる気分の日にあんな喧嘩をしたら、こじれるだろ。おまえは自分自身の気持ちも落ち込ませる台詞を吐いたんだよ」
「乾さんはまたそうやって聞いたふうな口をきくんだから。俺は章に毒舌を浴びせたら、気分がすっきりするんですよ」
「そんな奴じゃないくせに」
「そんな奴なんですよ、俺は」
 悲しそうに俺を見る乾さんを見返すと、俺らしくもなく腹が立ってきた。これ以上言ったら無茶を言ってしまう。それで殴られるんだったらまだいいけど、乾さんの台詞の中ではもっともこたえる言葉、俺にはまず向けないあれを言われたとしたら。
「おまえなんかは殴る値打ちもないよ」
 言われたら俺は、ダウンダウンのダウンダウンになってしまう。俺は乾さんに叱られるのも殴られるのも、そのときにはちょっとむっとしたとしても、あとになればあれでよかったと思えるのだが、その台詞だけは言われたくなかった。
 章は言われてたっけ。見下げ果てた奴だとか、殴る値打ちもないだとか、そこまで言っても乾さんは章を見捨てはしないけど、一時的にでもせよ捨てられた気分になりたくなかった。
「もういいです。さよなら」
 だからそれ以上は言わずに、俺はひとりで帰った。
 乾さんと俺は対等に喧嘩なんかできっこないけど、議論や討論だったらしている。舌戦に近い言葉の応酬もして、いつだって俺が負ける。負けるの勝つのは関係なくても、話しを途中で遮って帰るなんて、それだけでも俺は気持ちをダウンさせていた。
 今夜は乾さんが弾くギターを聴いて、乾さんがソロで歌う歌を聴いて、帰りには一緒になって、昨日はごめんなさいと言えば、乾さんは許してくれる。俺も悪かったよ、と言ってくれる。それを望んでここまで来たのに、乾さんはいない。
 そのせいなのか、胸のうちにグレイの感情が生まれてきて、俺は睦月ちゃんに嘘を言った。
「ちょっとした知り合いなんだけど、俺はあいつが大嫌いなんだ」
「どうして?」
「かっこつけだからだよ。乾さんがやってる別のバイトでの知り合いで、彼は俺の先輩なんだよね。先輩だからってえらそうにしやがって、俺が失敗したりしたらものすごく怒るんだ。そしたら俺なんかは故郷に帰って漁師にでもなるよって言ったらさ、そんな了見ではなんにもできやしねえんだよ、おまえの根性叩き直してやる、なんて言われて、顔が歪むほどに殴られたんだ。俺は小さいでしょ。力だってないんだから、背の高い乾さんに胸倉つかまれて殴られたら、抵抗のすべもないじゃん」
 これは章のエピソードを誇張して言ったのだ。章は乾さんに叱り飛ばされて、かかってこいとは言われていたが、殴られはしなかった。
「弱虫だのチキンだのって言われてさ、俺は自信喪失しちゃったよ」
「……乾さんってそんなひと?」
「そんな奴だよ。女性の前では優しげにふるまってるんだろうけど、仮面なんだから」
「そう……なの?」
 彼女は乾さんをよくは知らないのだろう。信じたのかどうかは知らないが、顔をしかめて考え込んでいた。
「乾さんはいつだってそうなんだ。殴るし投げ飛ばすし、口も鋭いし、頭もいいんだろうな。腕力と口と頭の三拍子そろってるんだから、俺は勝てるはずがないんだよ。悔しいから大嫌いなんだ」
「そうなんだ」
 喋っているうちに、乾さんと本橋さんとシゲさんと章の混合形ができあがっていった。
 シゲさんの腕力と本橋さんの喧嘩巧者と、乾さんの頭と口が入り混じったら、それこそ世界最強? 三つに分散しているからいいようなものの、全部を兼ね備えた先輩ではなくてよかった。そこに章の性格が加わったら、そんな男はこの世にいないでほしい。
「そのくせ、自分だって遅刻はするんだよ。幸生、俺は遅れるからタイムカードを押しておけ、なんて命令するの。やらなかったら殴られるんだから、やるしかないでしょ」
「ひどいよね」
「ひどい男なのっ」
 他人には時々、先輩に殴られるなんて話しをする。俺の表情や口ぶりから、たいていのひとはジョークで言っているのだと察して笑う。今夜は俺は冗談ではない口調で言っているから、睦月ちゃんも次第に信じてきたのだろう。深刻な顔になっていった。
「なんのバイトなの?」
「女のひとには言えないバイトだよ」
「……なんだろ。なんだか知らないけど、そんなバイトはやめたら? 他にだって仕事はあるでしょ」
「あるんだろうけど、ギャラはいいからね」
「ギャラがいいんだね。そっか……」
 風俗だとでも思っているのか、睦月ちゃんが納得顔でうなずく。胸の中のグレイの感情に、他の色が混ざりこんでくる。後悔の色なのだろうか。
「かっこつけで暴力的で、見た目はかっこいいから女にももてるんだ。俺はあんな奴は嫌いだけど、睦月ちゃんは彼が好きなの?」
 他の客はぱらぱらとしかいない。俺の声は大きくなってきていて、睦月ちゃんは周囲を気にしているような様子で小声で言った。
「三沢さんがそんなふうに話してくれたから……」
「そうだよね。女性の前では仮面をかぶってる乾隆也は、本性はああなんだから、つきあったりしたら早晩、あなたの前でだってそうなるよ。暴力だってふるうかもしれないよ」
「そんなの、いやだ」
「でしょ? やめたほうがいいよ。俺とつきあわない?」
「ええ?」
 ここで言ってしまえばいいのだろうか。俺は睦月ちゃんをナンパしたくて、乾さんを悪く言ったんだ。みんな嘘だよ、と笑ってみせればいいのか。
「私は乾さんとはすこしお話ししたり、ギターや歌を聴かせてもらったりしただけ。だから、性格なんかは知らないよ。でもね、楽器や歌にはそのひとの内面があらわれる気がするの。そうじゃないの?」
「あいつは巧みな仮面をかぶるから、相手によって態度を変えるんだ。歌やギターではわからないよ。俺だって歌ってるときには、幸生くんじゃないみたい、って言われるんだから」
 歌うときにだけ真面目な幸生、ってのは俺を知っている人間のほぼすべてが言う。俺の本性なんて歌にはあらわれないのだから、睦月ちゃんの言は正しくない。
「三沢さんも歌うの?」
「趣味でね」
 嘘だよ、って言えない。ここに乾さんが来ればいいのに。俺は相当にタチのよくない嘘をついたのだから、正直に言えば乾さんはどうするだろうか。
「そうなんだな。俺も知らなかったけど、乾くんってそんな奴なのか。睦月、そんな男とつきあうなよ。それにどうも乾くんは……」
 気がつくとピアノ演奏は終了していて、島岡さんが俺たちのテーブルのそばに立っていた。
「あの、島岡さんと睦月さんって?」
「俺の姪だよ。三沢くんって言うんだろ。話は半分ほどは聞こえてた。睦月、乾くんには好きな女がいるみたいだぞ」
「……誰? いい。言わなくていい。私は帰るから」
「うん。気をつけてな」
 それほど遅い時刻でもないからか、睦月ちゃんの住まいは近いのか、おじさんには仕事が残っているのか、送るとは言わない。ならば俺が、と言うのも出すぎているのか、乾さんをあんなふうに言ったからゆえのバツの悪さもあって、俺にも睦月ちゃんを送るとは言えなかった。
「あのほうがよかったかもな」
 睦月ちゃんは店から出ていき、島岡さんも立ち去ろうとする。俺はおじさんを追っていった。
「入ってもよろしいですか」
「いいよ」
 ここは「月影」の控え室。島岡さんが中に入っていき、俺も続く。島岡さんが鏡に向かっている背中に、俺は言った。
「島岡さんは乾さんのことは……」
「きみの話は半分ほどしか聞こえなかったけど、乾くんから聞いてたのか」
「はい?」
「睦月はどうも乾くんが好きなようなんだけど、乾くんは興味ないんだろ。乾くんには好きな女がいるみたいだから、睦月には目もくれない。もしかしたらきみは乾くんに頼まれて、睦月を諦めさせようとした?」
 好意的な解釈もここまで来ると、俺としては返す言葉がない。もしもそうだとしたら、あんな言い方はしないってのに。
「俺は多少は知ってるよ。嘘なんだろ」
「……はい。俺、昨日、乾さんに叱られて、睦月さんが乾さんを好きらしいってのは感づいたから、だから意地悪を……」
「ああ、いいいい。なんだっていいんだ。結果的には睦月は乾くんを諦めるんだろうから」
「あれはちょっと、俺……なんであんな……」
「まあ、いろいろあるさ」
 乾さんは島岡さんには、俺たちのフォレストシンガーズの話しもしているのだろう。仕事仲間の島岡さんは、乾さんがそんな男ではないと知っている。知られているおじさんの前では、俺にはうまい言葉は見当たらなかった。
「ほんとはね……乾さんは……俺の尊敬する、敬愛する先輩です。俺が女だったとしたら、乾さんに恋してるだろうなってほどに……」
「ほおお、そうなのか」
「睦月さんに俺が言ったことを話したら、乾さんはどうするかな。叩かれたほうがいいんだけど、彼は複雑ですから、そういうストレートな叱責はしないのかな。どうしましょ」
「乾くんに話すかどうか? きみが決めることだろ」
「……よく考えてみます。で、乾さんの好きな女のひとって?」
 話はおしまい、の合図なのだろう。島岡さんは椅子にかけて目を閉じてしまう。俺の三倍近い年の男なんて、乾さん以上に一筋縄ではいかない。乾さんの好きな女性が誰なのか、教えてもらえるはずもなかったのだった。


2

 話すと乾さんがどう出るのか、考えすぎて結論も出せなくて、打ち明けてはいない。あれから一年がたって、その間にはフォレストシンガーズはメジャーデビューして、乾さんはバイトは辞めた。睦月さんには会っていないのだろうか。
 去年の初秋にプロになった俺たちは、全国各地FM放送に挨拶回りをした。大阪では早朝番組にゲスト出演させてもらって、その番組のDJであるトミーに会った。
 ブラックフレームスというロックバンドのギタリストであるトミーは、もとはロッカーの章から見ると眩しい存在だったのだろう。章はロックバンドを敵意を込めて見る場合もあるものの、憧れるとなると激しい。
 トミーには章は憧れを抱いたようで、すり寄っていっていた。章が敵意を燃やすと厄介なのでそのほうがいいのだが、乾さんはトミーを妙な目で見ていた。
 まさかトミーが乾さんの好きなひと? トミーは男だし、そんなわけはないのだが、島岡さんの台詞は近い時期だっただけに、気になった。俺たちのデビューが決まって母校に集まったときに、乾さんが見せてくれたイラスト、あれが乾さんの好きなひとが描いたものだったのか。
 秘密主義の先輩たちは、後輩には恋の話しなんかしてくれない。イラストだって友達が描いたと言っていたが、本橋さんでさえも気づいていたようなのだから、まちがいない。あれは乾さんの彼女だか、好きな女性だかが描いたのだ。
 それとトミーが結びつくのか? たぶんそうなのだろうとは思ったものの、確認もできないでいるうちに、東京のラジオ局でトミーと会った。誘われてブラックフレームスのスタジオライヴ鑑賞をさせてもらってから、乾さんとトミーと俺の三人で飲んで話した。そのときにトミーが言っていた。
「昔はね……ライヴハウスってのか、酒場ってのか、どっちもありの店でバイトしてたときには、同棲してた彼女がいたんだよ。ちょっとひねくれ者でさ、世をすねたようなところもあったけど、いい女だった。どうしてるかな、あいつ」
「ギターのバイトですか」
「うん。なににしたって昔の話だけど、あいつは……」
 そのひとなのか。乾さんが好きなひととは? 好きだったひととは。
 そのときには俺はなにも言わずにおいた。乾さんだってなんにも言ってくれないのだから、詳しい事情なんか知らないけど、トミーの愛した女性を乾さんも愛した。ふたりともにその女性とは別れたのか。どんなひとだったんだろ。
 昔の男の影をまとった女を愛した乾さんは、そうして翳りを深めていく。基本的には明朗で冗談も得意で、それでいて感傷的で、やっぱり乾さんは複雑なひとだ。だからこそ、そのミステリアスさに惹かれる女にもてる。うらやましい。
「睦月ちゃんって覚えてます?」
 それから数日後、乾さんとふたりでスタジオから帰るときに言ってみた。
「睦月? えーと……」
「乾さんはもてるから、恋をしてくれた女性のひとりずつは覚えてないってね」
「……月影の島岡さんの姪の?」
「覚えてますか」
 悪質な嘘を睦月ちゃんについてからは、俺は月影には行っていない。乾さんにしてもあれからほどなくバイトは辞めたのだが、島岡さんはなんにも告げなかったのか。
「覚えてはいるよ。彼女はピアニストの姪で、自分もピアノを弾くんだって言ってたな。ピアノなんて聞き飽きてるから、ギターのほうが好きだとも言ってたよ」
「ギターを弾く乾さんが好きなんでしょ」
「過去の話しだけどさ、別に好きじゃないだろ。どっちかってえと嫌われてたような……」
「そうなんですか」
「乾さんって性格が悪いんだよね、って言われたよ。俺は性格がいいとは言えないから、はあ、すみません、って言っておいた。性格が悪いって知られるほどの交流はなかったんだけどな」
 性格がいいとか悪いとかにも多種ある。俺は乾さんのよくない性格が好きだ。近頃でもごくごくたまには乾さんを嫌いになるけど、そんなの、誰にだってあるんだから。
「告白はされなかったんですよね」
「されてないよ。するはずないだろ」
「されたら困った? もしもされていたらどうしました?」
「断ってるよ」
 だったらあれでよかったのかな。
 今後、フォレストシンガーズが売れて有名なグループになったとして、睦月ちゃんが手記を発表したりしたらどうしよう? 「乾隆也の本性暴露、三沢幸生は語る」なんてタイトルの記事が出たら、申し開きできないではないか。
「乾さん、ごめんなさい」
「んん?」
「俺、稀にだけど、乾さんの悪口を他人に言ってますよ」
「章も言ってるんだろ。いいさ、そんなの普通だよ」
「乾さんも誰かに、俺の悪口を言ってる?」
「言ってないつもりだけど……」
 章は女の子に本橋さんや乾さんやシゲさんや俺の悪口を言いまくっていると知っているが、乾さんだって知っているのだろう。乾さんも彼女に我々の噂話をするのだろうか。
「噂話はするだろうけど、嘘の悪口だったら怒ります?」
「俺のか? おまえの目には俺がそう映ってるんだと受け止めて、反省材料にするよ。幸生くん、ちなみにどんな嘘?」
「たとえ話しですよ」
 ほんとか? と言いたげな、俺の内面を見澄まそうとしている目。微弱な精神感応能力を持つ乾さんだとは、ヒデさんも言っていた。章だって言っている。
 こういう男を嫌うひともいるけれど、章はなんだかんだ言っても乾さんを本心から嫌ってはいない。嫌いだ嫌いだと言うのはガキの心理であり、憧憬と思慕の逆説だ。本橋さんは乾さんを、けっ、あのへなちょこ野郎、と言うけれど、実は頼りにし切っている。シゲさんは無条件で乾さんを尊敬している。
 美江子さんだって乾さんを悪く言うけれど、一目置いている。社長でさえも乾さんを、若いに似ずたいした奴だ、と言っている。
 だからいいんだよ。嫌う奴がいたとしても、仲間たちはみんながみんな、乾さんを別々の解釈で好きなんだから。中でも一番、乾さんを愛してるのは俺。愛しているからこそ時には嫌いになったりするんだ。そうだそうだ。
「結局、おまえはなにが言いたいんだ?」
「ユキちゃんはこうして乾さんとお話ししてると幸せなの。それだけよ」
「そうかぁ? 怪しいな。こら、幸生、言え」
 夜中の公園に入り込むと、乾さんが俺をとっつかまえた。
「きゃああ。拷問はいやいやっ」
「悲鳴を上げるなよ」
「男が男をレイプしようとしてるって、通報されるかもしれませんものね。ユキは乾さんにだったらレイプされてもいいような……」
「俺がいらねえんだよ。こら、白状しろ」
 拷問となるとくすぐられるのが常なのだが、今夜は頭をぐりぐりのリーダー戦術だ。痛いので降参した。
「とあるひとに、うちの先輩たちと章をも混合した、滅茶苦茶性格の男が乾さんだと話しましたっ!!」
「本橋とシゲと俺と章の混合? おまえは混合されてないのか」
「俺も混ぜてもいいですか。そしたらどうなるの?」
 春の風がちょっぴりつめたい公園のベンチにすわって、乾さんは考えていた。
 考えがまとまるまでは、俺は別の想いに浸る。十八歳で出会って、十九歳になるころにはなついて可愛がってもらって、それからずーっと乾さんについてきた。本橋さんも俺をちがったふうに愛してくれている。シゲさんだってヒデさんだって、俺を愛してくれている。
 ヒデさんはもういないけど、俺を忘れたりはしてないよね。おまえなんか愛してないきに、ってのも逆説でしょ? シゲさんも本橋さんも、おまえなんか愛してない、と口では言うに決まってるけど、愛されてるって知ってるよ。
 男同士だって愛はあるんだから。先輩愛で後輩を愛してくれてる本橋さんもシゲさんも大好き。章との間にも愛はあるのか。一種の愛のようなものはあるのだろう。
 章はどうだっていいけど、俺は先輩たちが大好き。好きすぎてふざけすぎて、げんこつをもらったり投げ飛ばされたりするのも好き。乾さんだけは時として俺をシリアスに叱って、強烈なパンチも愛のある平手打ちもくれた。それだって、あとになって思い出せば嬉しかった。
 女の子にあくどい真似をして思い切り殴られたり、優しく頬をぶたれたりもした。愛しているからでしょ? 乾さんだったら言ってくれるよね、後輩としてのおまえは愛してるよ、って。
 言ってくれなくても知ってるから、質問はしないんだ。今後また、乾さんを嫌いになるかもしれないけど、口答えしたり、章を罵ったり、嘘をついたり、ナンパがエスカレートしたら歯止めをかけて。俺は乾さんに叱られたら、素直で可愛いユキになるから。
 ガキのころには散々におふくろに叱られて、反抗したりもした。親父にごつんとやられたりもした。妹を殴って親父にひっぱたかれたりもした。今では親とは離れて暮らしているから、親身になって叱ってくれるのは先輩だけ。
 叱られたり殴られたりして嬉しいって、変態みたいだけど、俺は変態ではないのだ。先輩たちの心が伝わってくるから好きなんだよ。なんて、自分に言い訳したりもしながら、乾さんの考えがまとまるのを待っていた。
「要は……」
 まとまった? わくわく。
「おまえと俺には似たところもあるから、幸生と隆也の混合はたいして変わらないんだよ。口がよく回転し、ジョークやシャレを連発する。そこにシゲの気は優しくて力持ちが加わる。本橋のあの決断力や統率力も加わる。章の天性の音楽的才能も加わる」
「他の四人にも音楽的才能はあるでしょ」
「開花はしてないけど、あるよな。音楽的才能が五人分だぜ。それはもう、宇宙的規模の才能だよ。いいな、合体したいな」
 悪いほうにも考えられるけど、長所が五つ合体したら、素晴らしいものになるのだ。さっすが乾さん。俺とは発想もちがうのだった。
「おまえには野性の勘があるって、シゲが言ってたよ。シゲの我慢強さ、章のひらめき、本橋の強さ、俺は……」
「そこに乾さんのすべてが加わると、ほんとに世界最強じゃん。よーし、合体!!」
「バロムワンかよ」
 そんなヒーローがいたっけね。しかし、女の子とだったら合体したいけど、乾さんとはそこまではしたくないので、口をとがらせた。
「キスで合体しましょうか」
 顔が迫ってくる。ええっ、やるのっ?! となって逃げようとしたら、がちっと首を抱え込まれた。
「きゃーん、やめてっ!!」
「その趣味のある男にそうやって迫るなよ」
「乾さんのジョークは怖い」
 抱え込まれた首を勢いよく離されて、ムチ打ちになりそうだった。
「合体もいいけど、五人の個性ってのも大事だろ。フォレストシンガーズってのは俺たちが合体したグループなんだから、それがいいんだよ」
「そうですよね」
 全部を打ち明けたのではないが、一応は話したのだからそれでいいだろう。俺は言った。
「ねえ、乾さん、月影に行ってみません?」
「月影か……やめよう。別の場所にしよう」
「そうですか。じゃあね、ジャズが聴きたいな」
「ジャズね」
 ジャズピアノが聴きたい。美人が弾いていたら最高だけど、島岡さんみたいなおじさんでもいい。酒とピアノに、乾さんとふたりで首まで漬かりたかった。
「ここらへんに……」
 乾さんが連れてきてくれたのは、「アイランド」という名の喫茶店のような店だった。店の一画にはピアノがある。生演奏もやるジャズ喫茶か。ピアノを弾いているのはおばさんだったが、おばさんだって女性なのだから好きだ。ピアニストは誰だっていいのだから、俺は彼女の渋い喉とピアノに聞き惚れていた。
「あれれ?」
 今夜はお喋りよりも、歌とピアノと酒。そんなひとときをすごしていたら、スタンダードナンバーから曲が変わった。
「この曲……」
「アレンジはちがってるけど、おまえの記憶にだってあるだろ」
「乾さんが昔に書いた……」
 章がうちに加わったころか、ロック好きの章のためにと、乾さんがロックっぽいナンバーを書いたのだ。
「これがロック? 俺はロックったらハードロックが好きだから、こんなのってロックだとは思えませんよ」
 お蔵入りとなったのは、章が文句をつけたせいもあるのだが、それにしてもなぜ? 乾隆也作詞作曲の未発表の曲が、どうしてこの店で演奏されているのだろうか。
「ここ、乾さんの知り合いの店ですか」
「アイランドだよ」
「英語の島……島? 島岡さん?」
「島岡さんの奥さんの店だ。島岡さんは来ないんだろうけど、俺は奥さんとも会って、曲を提供してって言われたんだよ。このメロディはアコースティックサウンドのほうが合ってたのかな。アレンジでこうも変わるんだな」
 ピアノを弾いているのは島岡さんの奥さんなのか。乾さんが来ていると知って、演奏してくれているのか。
「奥さんの店があるのに、島岡さんはよそでバイトしてるんですか」
「詮索するな」
「はい」
 大人の事情ってやつか。俺には関係ないのだし、詮索すると乾さんに叱られるからやめよう。
 この歌のタイトルは「出会いの朝」。ピアノ曲タッチにアレンジされて「別れの夜」みたいな曲調になっている。彼女と一緒だったらな、とも思うのだが、彼女じゃないんだったら、かたわらにいるひとは乾さんがいい。
「いい気持ち。隆也さん、ユキ、酔ってもいい?」
「酒は適度にして、音楽に酔いなさい」
「もたれてもいい?」
「そっちは向かないでおくよ」
「どうして向かないの?」
「おまえの顔を見たら、衝動的に突き飛ばすかもしれないからだよ」
「そんな暴力的な隆也さんも好きよ」
「ありがとう」
 乗ってきてくれているから、今夜は俺が乾さんの彼女になってあげよう。半分は女の子のユキになって、あたし、気分はとってもアコースティック。

END

 
 

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