番外編

番外編6(you've gotta friends)前編

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番外編6

 「you've gotta friends」前編

1

我が母校は厚木市では進学校なのだから、私の同級生だった亀井萌子が法学部に合格したのは順当だった。高校二年のときからつきあっていて、同じ大学に進もうと誓い合っていた川添信勝が理学部に合格したのも順当だ。萌子も信勝も勉強はできたのだから、私たちが通うことになる東京の大学では難関である学部に合格して当然というか、もっといい大学に行けるんじゃないの? とも言われていた。
「厚木ではたいしていい大学じゃないと思われてるみたいだけど、法学部は別格なんだよね。理学部は医学部と法学部の次くらいでしょ? だからさ、萌子とノブちゃんが法学部と理学部に入れたのは、やっぱめでたいのよ。私もなんとかあんたたちについてこられてよかった」
 芸術学部は全然難関ではないのだが、私はデザインの勉強がしたいのだし、親友の萌子とも彼氏の信勝とも同じ大学に入れて、充分に満足していた。三人ともに志望校に合格して、入学手続きもアパート探しもいっしょにして、アパートが決まったら引っ越しも三人でやって、それぞれに片付けもすむと、私の部屋に遊びにきていた萌子が言った。
「ノブくんとカズハは同棲したらよかったのに」
「まさか。親が許してくれるはずないじゃない」
「それもそうか。でも、部屋は近いからいいよね。私も大学生になったんだから、彼氏を作ろうっと」
「法学部は勉強が大変なんじゃない?」
「勉強もちゃんとするよ。カズハも勉強もちゃんとしなさいね」
「はい」
 勉強しないと大学生になった意味がないのだけれど、遊びだってやりたい。楽しいことを求めたい。萌子はとりあえずはサークル活動はしないと言うのだが、私はしたい。あれがいい、これがいい、と言い合ってなかなかサークルが決まらないでいたら、信勝がふと言った。
「歌はどう?」
「歌か。ロックバンドやりたいね」
「ロックバンド?」
「そうだよ。ノブちゃんはギターが上手でしょ。私は歌はけっこう上手だから、ロック同好会に入って仲間を探してバンドやるの」
「カズハはロックが好きだっけ。俺はロックよりフォークが……」
「フォークなんて古い」
「古くてもいいだろ。フォークソング同好会ってないのかな」
「あっても私はいやだからね」
 音楽サークルにしようとだけは決めたので、ロックは苦手だと渋る信勝の手を引いて、ロック同好会の部室へ連れていった。芸術学部の学生にも奇抜なセンスの子が大勢いるのだが、さすがロック好きの集まりとでも言うべきか。この部室には髪の長い男が何人も群れていて、中のひとりが私たちに近づいてきた。
「おっす、俺、今年のキャプテンの淀川っていうんだ。一年生? ロックやりたいの? 彼女、背が高いね。かっこいいじゃん。ほら、ランナウェイズみたいにさ、下着みたいの着て髪をピンクにでも染めて、ボンテージファッションってのもいいかな。うちに入ってくる女の子はロックファンってのばっかりで、バンドに入って演奏したがるのは少ないんだよね。俺はドラムやってるんだけど、女の子とバンドを組みたいんだ。ヴォーカルだったらやってもいいって女の子はいるんだけど、そういう奴って歌が下手なんだよ。きみは……えと、なんて名前?」
「服部一葉です」
「カズハっていうの? 名前もいいじゃん。よし、俺とバンドやろう」
「私は歌だったら歌えるけど、楽器はできません。ギターだったら彼が……」
「男は適当にそこらへんにいりゃあいいんだよ。カズハ、ついでに俺の女にならない? 俺、きみみたいに細くて背の高い子、メッチャタイプなんだよ」
「彼はいますから」
「いたっていいじゃないか。そんな奴はほっとけ」
「ほっとけません。ここにいますから」
 気に入らない顔で黙って突っ立っている信勝を見て、淀川さんは笑い出した。
「カズハは背が高いってのに、こんなちびだと物足りないだろ? 俺はきみより高いから、こうやってさ……俺の腕の中に……あらら」
「ノブちゃんは私よりは低いけど、ちびなんかじゃありません。やめて」
 おーい、こらー、やめろよー、と近くにいる男たちが言ってはいるものの、止めてくれない。私をつかまえようとする淀川さんの前に、信勝が立って睨み上げた。
「カズハと俺は高校時代からの仲なんだ。あんたなんかに……」
「ふーん、やるのか」
「やりませんよ。カズハ、行こう」
「うん、行こう」
 本気ではなかったようで、逃げ出した私たちを淀川さんは追ってはこなかった。信勝と手をつないで走っていく私たちの背中に、下品なげらげら笑いが追いかけてくる。部室からかなり離れてから、私は言った。
「フォークにしようか」
「フォークソング同好会ってあるのかな」
「探しにいこうよ」
「カズハは俺のギターを上手だって言ってくれるけど、俺なんか下手っぴなんだよ。だからさ、フォークソングのバンドでギター弾くんじゃなくて、俺も歌がいいんだ」
「あれほどは上手じゃないよね」
 どこからともなくギターの旋律が聞こえてくる。フォークソング同好会ではなく、ギターを弾いている人物を探していたら、木立の陰で演奏している男性がいた。
「うまいなぁ。ああいうのをギターが上手って言うんだ。俺なんかは下手だってわかっただろ」
「ノブちゃんのギターだってそんなに下手だとは思えない。あのひとが上手すぎるんだよ」
「もしかして、あのひとはフォークソングやってるのかな。ジョーン・バエズだよ、あの歌」
「反戦歌? 聴いたことはあるな」
 ギターを弾く男性からすこし距離を置いてひそひそ話していると、そのひとが私たちに視線を向けた。
「一年生? ジョーン・バエズを知ってくれてるとは嬉しいね。ここへ来いよ」
 芝生に投げ出した脚が素晴らしく長い。美しいギターのしらべに劣らない甘くて低い声。顔立ちも相当に整っていて、それでいて端整な雰囲気ではないのは、ロック好きの連中ほどではないにしても、わずかに崩れた印象があるからだろうか。不良っぽいとでも言うのか。そこがまた素敵、と女の子にきゃあきゃあ言われそうなタイプに見えた。
「去年、俺が一年生のときにさ、女の子ひとりと男三人で海外のフォークを歌ってたんだ。ママス&パパスだのピーターポール&マリーだのって、知ってる?」
 知ってます、と信勝が大きくうなずき、信勝も私も彼のそばにすわった。
「そういうのを歌ってたんだよ」
「フォークソング同好会ですか」
 信勝が尋ね、私も言った。
「そしたら、今は二年生なんですね」
「フォークソング同好会ってのはうちにはないな。フォークなんて古いんだろ。ロックだったらあるし、純邦楽研究会ってのもあるけど、俺は合唱部だよ。合唱部の二年生、星丈人、よろしく」
「彼は川添信勝、私は服部一葉です。ひとつの葉っぱって書いて「カズハ」って読むんです」
「いい名前だね。サークルは決めた?」
「どこにしようかなって迷ってて、さっき、ロック同好会に行ってみたんですけど、変な奴がいたんですよ。ロック同好会って下品」
「ロック好きには変な奴が多いのかな。川添くん、服部さん、歌ってみないか」
 再び流れはじめたギターのメロディは、私も知っている「君の友達」だった。星さんが日本語で歌い、信勝と私は英語で歌った。
  
「あなたが落ち込んだり、悩んだとき
 あなたが愛の慰めを望むとき
 そして全てにおいて、うまくいかない、そんなときは
 そっと目を閉じて、私のことを考えて
 私はすぐに飛んで行って
 とても暗い夜さえも、私は明るくしてあげるから

 あなたが私の名を呼ぶだけで
 私はどこに居ようとも
 あなたに会いに飛んで行く
 冬でも、春でも、夏でも、秋でもかまわない
 あなたが呼んでさえくれたなら
 私はすぐに飛んで行く
 あなたには居る、友達が」

 木立のむこうから顔がひとつ、ふたつ、と覗いている。星さんのギターと歌に惹かれた学生たちが覗きにきたのだろう。歌い終えると拍手が起きて、星さんが立ち上がって一礼した。想像通りにかなり背の高い星さんと同じくらいの長身の男が、拍手しながら歩み寄ってきた。
「星さん、俺は覚えていただいてますか」
「金子だろ。覚えたよ。こいつはきみらと同い年の金子。合唱部の一年生だ。おまえも歌うか」
「今の歌、もう一度四人で歌いましょうよ。きみたちも一年生? 素晴らしいハーモニーになってたね」
「うん。たいしたもんだ。川添くんも服部さんも合唱部に入らないか」
「いいね、入れよ」
 どうする? と信勝が目で私に尋ねる。私はひとまず、星さんに言った。
「星さんと金子さんのデュエットが聴きたいです。星さんと金子さんって話し声がちょっと似てますよね。いい声だわ。合唱部員のデュエットを聴かせて下さい」
「テストされてるのかな。金子、いいか」
「はい」
 木立のむこうの学生たちの人数がふえてきている。信勝と私は黙り、星さんと金子さんのデュエットがはじまると、男の子も女の子もうっとりと聴き入っていた。ギター伴奏による英語バージョンの「君の友達」が終わると拍手が沸き起こり、私はほーっと息を吐いて言った。
「すごーい。金子さんってそれで一年生?」
「服部さんだったね。同じ年なんだからさん付けはいらないよ」
「金子くん? うまいねぇ」
「星さんにはかなうはずもないんだけど、ありがとう。きみたちも上手だったよ。合唱部に入る?」
「入る」
「そうか。じゃあ、川添くんは俺と行こう。あ、そこに女子部のひとがいますね、星さん」
「大野さんも聴いてくれたのか。では、服部さんは大野さんについていくといいよ」
 金子くんは信勝を促し、大野さんと呼ばれた小柄な美人が私を促し、星さんはそこに残り、四人で歩き出すと、私は大野さんに尋ねた。
「別々に行かないといけないんですか」
「合唱部は女子部と男子部に分かれてるから別々なの。私も一年生よ。大野莢子です。よろしく」
「服部一葉です。よろしくお願いします」
 すると、信勝と同じサークルではなくなるのか。大野さんと簡単な自己紹介をし合いながら歩いていくと、うしろでは金子くんと信勝も私たちと同様にやっていた。
「厚木か。俺は東京だよ」
「金子くんって……金子でいい? うん、では、そういうことで。俺と同じ一年生に見えないな」
「そうか? それより、服部さんとは?」
「あー、えーと、高校がいっしょなんだ」
 つきあってるとは言わないのは、なにか意図があるのだろうか。信勝が言わないのならば私も言わずにおこうと決めて歩いていくと、合唱部室が見えてきた。信勝は男子部室に、私は女子部室にと分かれて入っていき、中にいた四年生に大野さんが引き合わせてくれた。
「キャプテンがいらしてよかったね。新入部員を連れてきました。女子部キャプテンの村中さんだよ。彼女は服部さんです」
 キャプテンと私を交互に見て言った大野さんが一歩下がり、入部手続きをした。男子部でも同じ手順だったようで、帰り道でふたりになると、信勝が言った。
「つきあってるって言わないでおこうよ。ロックの奴らみたいに言う奴がいないとも限らないし」
「あんなの気にしなくていいのに。でも、まあ、ノブちゃんがそうしたいんだったら、友達だってふりをしてようか」
「友達じゃないのか、俺たち」
「私は恋人のつもりだけどね。同棲できたらほんとの恋人だったのに……嘘だよ。男女別々っていったって、合唱部に入ったのは同じだもんね。合唱部でもどうぞよろしく。川添くん」
「こちらこそよろしく、服部さん」
「だけど、高校のときからの友達なんだから、カズハ、ノブちゃんでもよくない?」
「そうだね」
 誰も見てないね、と確認してから手をつないで、バス停へと歩いていく。人通りがなくなったあたりで素早くキスをかわして振り向くと、ついてくる影法師はまちがいなく私のほうが背が高い。信勝は気にしているようだから、私はちょっぴり猫背になって、ふたりで歩いていった。
 

 え? なんでまた? 私は萌子を見返した。
「萌子がロック同好会に入る? やめなよ。あんな下品なところ」
「下品かもしれないけど、それも面白そうじゃない」
「萌子ってロック好きだった? 音楽にはあんまり興味のない、今どきの若い子としては珍しいタイプだと思ってたんだけどな。音楽に興味が出てきたの? そしたら合唱部にしたら? 私は背の高い男って嫌いなんだけど、背が高いのをどけておいたら、かっこいい男がいるよ。前にも言った星さんとか金子くんとか、皆実くんとか」
「背の高い男が嫌いっていうほうが、女としては珍しいタイプじゃない? カズハは背が高いのに……いいえ、なぜだかは知ってるよ。私は背は低いけど、背の高い男は好き」
「そんなら、星さんとか金子くんとか皆実くんとか……」
「合唱部はいいの」
「萌子……モエちゃん……もしかして」
 ロック好きの背の高い男の子を好きになったのか、と見つめると、萌子はうふっと笑った。
「法学部の柴垣くんって男の子がね、ロック大好きなんだって。ベーシストなんだけど、ロック同好会に入ってるの。別の学校にロック仲間もいるそうで、そっちではパンクバンドをやってるんだって。ロック同好会にはパンクスもけっこういるんだそうよ」
「その柴垣くんとつきあうの?」
「つきあうまではいってないけど、彼のバンドが小さなライヴハウスで演奏するから、聴きにおいでって言われたんだ。カズハはロック好きでしょ。いっしょに行こうよ」
「ロックは好きだけどパンクは好きじゃないよ」
「ロック同好会に入るとは決めてないけど、柴垣くんの演奏は聴きたい。パンクバンドが演奏するライヴハウスってのも下品かもしれないんだよ。そんなところに私ひとりで行けって言うの?」
 そう言われるとついていくしかなくなって、数日後に、「デモンシード」というベタなバンド名のパンクスたちが出演するライヴハウスに行った。すでに夏休みか、暇そうな高校生がうろちょろしている。ライヴハウスの裏口あたりで、萌子が好きになったのであるらしい彼と会った。
 部室には彼はいなかったはずだが、いたとしても記憶にはない。柴垣安武と名乗った一年生は、法学部よりもデザイン系がふさわしいような、いや、パンクスがもっともふさわしい風体をしていた。背が高くて顔もいいのだが、死にそうにガラがよくない。
「おう、モエの友達? ちっこい男とつきあってるカズハっておまえか。俺はちっちゃくてもでかくても女だったら好きだぜ。俺は将来は有名なパンクバンドのメンバーになって、旅から旅へのトラベリングバンド暮らしで、港につくたびちがう美人が出迎えてくれて、やっちゃん、会いたかったわぁ、ってさ」
 がっはっはと笑う態度が死ぬほど下品に見えて、私は言った。
「パンクバンドってそんなには有名にはなれなくない?」
「そこが問題なんだけど、俺は超メジャーなパンクバンドを目指すんだよ。あのさ、カズハ、ロック同好会って下品だとか変だとか言ってたってモエに聞いたけど、あんなもんは序の口だぜ。うちのメンバー見てみろよ。ってさ、会わないほうがいい。あいつらには俺の学校の女は会わせたくないから、俺とだけ仲良くしような」
「あんたと仲良くする気もないけど、柴垣くんってどうしてそれで法学部に入ったの?」
「親父が弁護士だから、跡を継げって言うんだよ。跡を継ぐ気なんてさらさらないんだけど、大学に行ったらロック仲間が増えるだろうと思って、一応、法学部を受けたら合格したんだ」
「一応……」
「アホみたいに簡単な入試だったよな、モエ?」
「あのねぇ、そういうことを言うと怒るひともいるから、大声で言わないでね」
「なんで怒るんだよ。まあ、そういうわけで、楽しんでいけよ。あとでな」
 髪型は普段はただ長いだけなのだそうだが、ライヴとなると真っ赤なラメをふりかけてつんつんに立てている。そんな髪をして破れまくった衣装を着たパンクスは、萌子と私に手を振って控え室に入っていった。
「あの格好って、デザイナーの卵から見たらどう?」
「私はグラフィックデザイナー志望だから、服飾じゃないんだけど……最低」
「そうか。でも、かっこいいでしょ?」
「かっこよくないよ」
 かっこいいよ、と言い張る萌子とふたり、「デモンシード」の演奏を聴いた。マニアックなファンはいるようだが、私にはなんにも面白くも楽しくもなかった。
「星さんと金子くんの「君の友達」のほうがずーっといいよ。萌子も音楽だったら合唱部にしなってば」
「うーん、私もこういう音楽はあんまり……なんだけど、それよか、カズハ、ちょっと来て」
 そこそこで演奏を聴くのはやめて、ライヴハウスの外に出た。
「柴垣くんって不真面目そう?」
「真面目なパンクスなんているの?」
「いないのかな。彼、教室では眼鏡をかけて、髪の毛も束ねて普通の学生してるんだよ。ものすっごく勉強ができるの」
「そうだろうね。法学部の入試がアホみたいに簡単だったんだから」
「そうなのよ。ああいうこともすぐに大きな声で言うから、私が焦っちゃう。二浪、三浪してやっと合格したひとだっているのにね」
「彼と親しくなったきっかけは?」
 嬉しそうな顔をして萌子が話したのは、こうだった。
 ポニーテールの男子学生が、法律学の講義をしている教授に質問した。萌子にはその意味すら理解できず、教授も絶句するような高度な質問だったのだそうだ。萌子はそれで彼に興味を持ち、翌日、彼のとなりにすわってノートを取り出して話しかけた。
 ここ、私にはむずかしくて、とノートを見せると、彼は言った。こんなのがわからないのか、おまえ、アホじゃねえのか? 
 アホ呼ばわりはしたものの、彼はその内容を噛み砕いてじっくりと教えてくれた。教授に質問する以上にわかりやすい答えだったのだそうだ。ポニーテールの彼が、いわずと知れた柴垣安武で、それから萌子と彼は教室で話すようになったのだった。
「髪が長いったって束ねたら別にどうってこともないから、勉強のできる秀才の学生だと思って、背が高くて頭のいい男っていいなぁ、ってぽーっとなっちゃってたの。私、彼を好きになってきてるみたい、って思うようになったころに、おまえ、ロック好きか? って訊かれたのね。うん、まあまあかな、って答えたら、ロック同好会やらパンクバンドの話しやらになって、私もカズハに聞いてた話なんかもして、一度、俺たちの演奏を聴きにおいで、ってなったの」
「まだその程度なんだ」
「その程度だよ。港ごとにちがう美人がいてって……私もそのひとりにしたいのかな。カズハまでもそうしたいんじゃない?」
「私は絶対にお断り」
「私も断ったほうがいいのかな」
 悩んでいる様子だった萌子は、しばらくしてから言った。
「つきあってほしいって言われたんでもないのに、まだ早いよね」
「萌子と彼は似合わないと思うけど、ああいう変なのとつきあうのも悪くないかもよ」
 なににしても、今夜は帰ろうと言い合って歩き出した。
「合唱部はどうなの? 楽しい?」
「楽しいよ。私は歌が好き。聴くほうが好きだったんだけど、歌うのも楽しくなってきた。夏休みには合宿があって、一年生はそこで猛練習して、夏休みの終わりごろにあるコンサートで混声合唱をやるの。男子部は男声合唱もやるんだそうで、金子くんがハープの練習してるよ」
「ハープもやるの?」
「男子部は今年は変わった趣向でやるんだって。女子部は変わったことはやらないみたい。あと、高倉さんと星さんと渡嘉敷さんの低音三部合唱もあるんだ。私はそれを楽しみにしてるんだけど、一年生は自分たちの歌以外は雑用係だそうだから、聴けるのかな」
 一年生のころから三人で歌っていたという、高倉さん、星さん、渡嘉敷さん。高倉さんは三浪で、現在の四年生よりも年上だ。そのせいで星さんも渡嘉敷さんも、同学年の彼を「高倉さん」と呼んでいるのだが、三人は仲がいい。
 星さんのギターと歌を聴いたのが縁で合唱部に入部した私に、あの日、星さんが話してくれた、三人に加わっていた女性は合唱部をやめてしまったのだそうだが、そのあたりのいきさつは知らない。
 女性がやめてしまっても三人で歌っている彼らのハーモニーは、現在の合唱部の売りもののひとつだ。一年生の金子くんと皆実くんも顔立ちがいい上に長身で歌もうまく、スターの要素があるのだが、まだまだ星さんたちにはかなわないのであるらしい。
 背の高い男が嫌い、と言っているのは信勝の手前もあるのであって、星さんも金子くんも皆実くんも、背が高くてかっこいい。ただし、背の高い淀川という男は本当に嫌いだ。背の高い柴垣くんは、港の女だなんて言ってたのは格好をつけているにすぎない? だとしたら、品はよくないけれど、性格はそう悪くもないように思えた。
「柴垣くんが誠意を見せて、つきあってほしいって言ったとしたら、つきあってもいいんじゃない? ロック同好会に入るよりも、柴垣くんと個人的につきあうほうがいいような気がする。萌子は勉強が大変なんだろうけど、学生生活は勉強ばかりじゃもったいないもんね」
「カズハは彼がいるからって余裕だね。ノブくんとはどうなの? 私はこのごろ、ちっとも会ってないんだけど、元気?」
「元気だけど、つきあってるって内緒にしたまんまで……」
「どうして?」
「ロック同好会で言われたきつい言葉がトラウマになったかな。気にしなくていいのにね」
 とは言うものの、私も信勝と会うとなると、ヒールのある靴を履かないようにしたりして気を使っている。ふたりで歩いていると、ついつい猫背になったりもする。
「きつい言葉ってなに?」
「ノブちゃんがかわいそうだから言わない」
「かわいそうなことを言われたの? ロック同好会ってやっぱりよくないのかな」
「キャプテンがよくないんだよ」
 女より男のほうが高くなくちゃいけないって、誰が決めたの? お互いにいいんだったらいいじゃないの。あんたがあんなことを言うから、私たちは恋人同士だって、合唱部でもおおっぴらにできないんだよ。だから背の高い男は嫌い。八つ当たり気味にロック同好会キャプテンを罵ってみた。
 

2

 今のところ、女子部ナンバーワンの身長は私だろう。が、美人度では私よりもはるかに上の美貌の持ち主が、女子部にはずらずらいる。男子の三年、四年には背は高くてもかっこいいってほどのひとはいないのだが、女子部三年生、香取澄恵さんは匂い立つまでに美しいひとで、あのひとはいったいなにを食べて生きてるんだろう、などと一年生女子は言い合っていた。
「香取さんも焼肉なんか食べるんですね」
 一年生女子から見ると美人すぎて近寄りがたい感もある香取さんに、合宿の初夕食の際に私ははじめて話しかけた。
「私、お肉、大好き。カズハちゃんも食べたら? 遠慮してたらなくなっちゃうよ。合宿の食事は男子もいっしょなんだから、肉食人種がいっぱいいて、どんどんどんどんお肉が……カズハちゃんも確保しておかないと……」
 大きな鉄板に肉や野菜を次々に乗せて焼いて、みんなして次々に食べている。案外香取さんも人間的なんだな、当たり前か、と思っていると、香取さんの前の生焼けの肉をさらっていった男がいた。
「駄目、それ、私のよ。焼けるのを待ってるんだから」
「肉なんてのは焼きすぎるとうまくないんですよ。このくらいで食わなくちゃ」
「レアはいや」
「ミディアムくらいには焼けてますよ。肉汁がしたたるくらいの焼き加減がうまいんだ」
「男子って野蛮だよね。星くん、そうしてると人食い人種みたい。口の端から血がたらたら」
「血じゃなくて肉汁ですよ」
「口の回りが脂でぎとぎとになってる」
 背は私よりやや低い。星さんよりはだいぶ低い。そんな香取さんが爪先立って、星さんの口の回りをティッシュで拭いてあげた。そのついでになにやら耳元で囁いた声がかすかに聞こえた。そうしてる星くんってワイルドで素敵、だった。
「ほら、これ、よーく焼けてる。焼きすぎがいいんでしょ」
「そんなの、炭になりかけてるじゃないの」
「あれは?」
「あのくらいがいいかな。届かない。取って」
「はい、どうぞ」
 遠くにあるウェルダンに焼けた肉を取って、星さんが香取さんに差し出した。
「あーんして」
「やーだ。うん、でも、星くんに食べさせてもらうともっとおいしいかもね」
「肉を食ってる美人もいい眺めですよ」
 今度は星さんが香取さんの耳元でなにやら囁き、やだやだ、と言いながら、香取さんが星さんを軽く叩いた。それからふたりは肉の食べさせ合いっこをはじめた。私は邪魔者っぽくなってきたようなので、その場から離れて、信勝を探しにいった。
 いまだに信勝と私は合唱部では、同じ高校から同じ大学に入学してきた友達同士という表向きになっている。合唱部にはカップルになっている男女もいれば、男女で友達という仲のひともいるので、それはそれで通っているのだが、そろそろ発表してもいいのではないだろうか。私たちは実は恋人同士です、と宣言するには、合宿はよい機会なのではあるまいか。
 一年生から四年生までの男女部員が集まると、相当な大人数だ。合宿には不参加のひともむろんいるのだが、大部分が来ているのだろう。そうなると信勝を探すのも一苦労で、ようやく見つけた彼は、女の子と親しげにお喋りをしていた。
「彼女なんていませんよ」
 照れているようでもあり、嬉しそうでもある信勝の手のグラスにコーラを注いであげているのは、二年生の寺前さんだ。寺前さんは香取さんほどの美人ではないが、香取さんが綺麗すぎるのであって、較べなかったらたいへんな美人と言っていい。私よりもずっと綺麗なのもまちがいない。
「そおお? いないの? ほんとかなぁ。カズハちゃんとは仲良しなんじゃないの?」
「仲はいいんですけど、高校が同じだからですよ。友達です」
「まあね、カズハちゃんは川添くんの彼女になるには、背が高すぎるよね」
「そうですよね。俺はやっぱ、俺よりは背の低い女の子がいいな」
「私くらいだとちょうどいい?」
「いや……あの……」
 頭に来たので、私は寺前さんと信勝の近くに立ち、かたわらにいた男子に言った。
「あのソーセージ、おいしそう。取ってもらえます」
「ああ、いいよ。どうぞ」
 誰なのか意識もせずに話しかけた相手は、二年生の高倉さんだった。二年生ではあるのだが、私より四つ年上になる高倉さんは、とびきり歌が上手だ。ただし、見た目は中肉中背のごくごく普通の男性であって、私よりもちょっと背が低い。まあ、そんなことはこの際、どうでもいいのだが。
「高倉さんはビールを飲んでるんですね」
「三年と四年はアルコール解禁なんだよ。俺は二年だけど、服部さんも知っての通り、二十歳はすぎてるから飲んでもいいんだ」
「私もすこおし飲みたいな」
「すこし? うーん、すこしだったらいいか。これ、飲む?」
「はい、いただきます」
 高倉さんが持っていたグラスに口をつけると、信勝がこちらを見ているのを感じた。
「こら、高倉さん、一年生に飲ませたら駄目だろ」
「一年生はアルコールは禁止だよ。ったって、そいつは建前。ちっとくらいいいよな」
「そうなんですか。そんなら俺もちょっとだけ……」
「俺、コークハイがいいな。先輩、ここにそのウィスキーをちょこっと入れて下さいな」
 一年生や二年生の男子が寄ってきて、三年生や四年生にビールやウィスキーをおねだりしている。苦笑しながらも先輩たちが後輩たちのおねだりを聞いてあげて、私も誰かにコークハイのグラスを渡された。
「……こんなの飲んだことはないんだけど……へええ、おいしい」
「服部さん、あ、ああ、あ、一気飲みは……それはけっこうアルコール度数が高いんだよ」
「平気ですよ、高倉さん。私は身体が大きいんだから、お酒には強いはずですもの」
「そうと決まったものじゃないよ。ゆっくりちびちび飲めって。一年生が酒を飲んで倒れたりしたら困るんだから。平気? なんともない?」
「全然へっちゃらです」
 コークハイを一気飲みしても酔いの気配がない私を見やって、男子たちが呆れ顔をしている。高倉さんは私に尋ねた。
「はじめて飲んだんだろ?」
「ビールくらいだったら飲んだことはありますけど、コークハイってはじめて。おかわりしたいな」
「もう駄目だよ。ちょっとだけだったらいいとは言ったけど、ウィスキーはビールとは比べものにならないんだから。誰か、ボトルをむこうに持っていって下さい。こら、一年生、調子に乗って飲むな。奈良林さん、なんとかして下さいよ」
 そこに男子部キャプテンが登場して、一年生男子たちを叱りつけた。
「一年生が酔っ払うほど飲んでどうするんだよ。おまえたちは片づけにとりかかれ。服部さんはコークハイを一気飲みした? 大丈夫?」
「なんともありません」
「大丈夫だったらいいけど、誰だ、一年生に飲ませたのは」
「はい、俺です」
「高倉さんか。ほどほどにして下さいね」
「はい、すみません」
 悪いのは飲みたいと言った私だったのかもしれないが、高倉さんが奈良林さんにあやまってくれて、私は叱られずにすんだ。
 そろそろみんな満腹して、一年生たちがキャプテンの命令に従って片づけをはじめる。私もお皿を積み上げて運んでいきながら、信勝はどこに? と見回したのだが、いつの間にやら消えてしまっている。寺前さんもいない。星さんと香取さんの姿も見えない。
「あつっ」
「大野さん、冷めてからでないと片づけられないよ」
 鉄板を片づけようとしたらしき大野莢子が、誰かに止められてやめて、私のお皿を半分持ってくれた。
「ありがと。積み上げすぎてたみたい。助かった」
「なんだか、今夜でカップルになったひとたちもいるみたいね。カズハちゃんはどうなの? 高倉さんと仲良ししてた?」
「私には彼はいるから、高倉さんとはお喋りしてただけ」
「彼、いるの?」
「うん、よその大学にいるの。莢子ちゃんは?」
「私は社会人の彼がいるんだ。カズハちゃんの彼ってどんなひと?」
「背が低いの」
「そうなんだ。背の高い女の子って小柄な男性が好きだったりするらしいよね」
「別に小柄な男が好きってわけじゃないけど、身長で彼を選んだわけでもなくて……莢子ちゃんの彼は背が高い?」
「高いほうかな。私は小さいから、彼の肩あたりまでしか届かないの」
 背の高い女は嫌いだと、信勝はそのようなことを言っていた。もしかしたら、背が高くはない寺前さんとどこかでなにかを? そしたら私もどこかの背の高い男となにかを……そうできたらいいのだけど、できないに決まってる。
 だけど、信勝と私は恋人同士です、と発表するのはやめよう。あいつがそのつもりなんだったら、私もあいつを恋人だなんて認めてやらない。
 けれど、莢子と話していると彼の像はどうしても、背が低くて、高校が同じで、と信勝になってしまう。私は信勝が好きだけど、背の低い男が好きなのではない。こうなったら背の高い男となにかしらしてみようか。浮気はできっこないけれど、浮気のふりだったらできる。
 合唱部の男子とどうこうっていうのはあまりにもあまりにも、だろうから……そしたら誰? 頭に浮かんだのは、ロック同好会だった。
 もともと私はロックが好きだ。ロック同好会は嫌いだと決め付けて近づかないようにして、萌子にも入部しないように言ったのだが、ロックそのものは決して嫌いではない。だから、ロック同好会の連中とだったら話も合うだろう。
 混声合唱の練習が主目的ではあるのだが、自由時間には女子部の仲間たちとお喋りをしたり、散歩をしたり海で泳いだりもした。信勝とは一度も顔を合わせないままに合宿がすんで東京に帰り、アパートに戻ってからも信勝には電話もしないでいたら、彼からもかかってこなかった。
 コンサートのときにも信勝とは話しもせずにいて、互いに意地を張っているうちに、夏休みが終わりに近づいてきた。教授に提出する論文製作に苦労していた萌子とも、夏休みの間には会わずにいたのだが、コンサートを聴きにきてくれて、久し振りで連れ立って帰った。
「論文はできた?」
「出来栄えに自信はないけど、書き上げたからよしとしよう。それより、カズハ、ノブくんとデートしてないんだって? どうしたの?」
「合唱部ではつきあってるって内緒にしてるから、デートしてて目撃されたら困るから」
「部屋に遊びにもいかないの?」
「ノブちゃんの部屋に女の子が来てたら……」
「ええ? ノブくんが別の女の子と?」
 話もしていないのだから、寺前さんとなにかあった? と問い詰めてはいない。なにもなかったと思いたいのだが、確信が持てないままで、疑心暗鬼がふくらんできていた。
「どうだか知らないけど、背が低いってことにこだわってる男なんていやになってきちゃったんだよね。男って身長コンプレックスが強すぎるのよ。背の高い男にはそれがないでしょ。柴垣くんはどう? 身長にこだわったりしないよね」
「しないんだろうね」
「ロック同好会はコンサートはやらないの?」
「学園祭ではやるって言ってたよ。デモンシードじゃなくて、パンクでもないロックをやるんだって。柴垣くんは一年生だけど、先輩たちといっしょに演奏するんだって」
「私も聴きにいきたいな」
「カズハは合唱部で歌うんじゃないの?」
「合唱部の出し物もあるけど、よそのサークルのコンサートを聴きにいく時間はあるよ。いっしょにロック同好会のコンサートを聴きにいこう」
 言わないところを見ると、萌子はまだ柴垣くんと正式につきあっているのではないようだ。しかし、電話で話したときには、論文のアドバイスをしてもらったりしていると言っていたから、恋人とまではいかなくても親しさが深まってきていると思えた。
 やがて秋、学園祭の季節。
 ロック同好会のバンドは、「THE・Herons」。「デモンシード」よりはまっとうなバンド名だ。合唱部の学園祭コンサートは体育館で行われたのだが、彼らは野外ライヴで、私は合唱部を抜け出して、萌子とキャンパスのライヴ会場に向かった。
「夏のコンサートも今回のコンサートもよかったよ。私はロックより合唱部の歌のほうが好きだな。星さんと高倉さんと渡嘉敷さんの低い声のトリオって、ほんとに素敵だよね。ロックのひとたちはどんな曲を演奏するんだろ。がちゃがちゃしてて耳が痛くなったりして……」
「野外だから耳は痛くならないんじゃないの」
 合唱部のコンサートも盛況だったのだが、ロック同好会も大勢の聴衆を集めていた。まずは前座バンドが数組演奏し、メインは「THE・Herons」となる。前座の一年生バンドを聴いていて振り向くと、私のうしろに男が立っていた。
「カズハちゃん、来てくれてたんだ。俺たちの演奏を聴きにきたんだろ。こいつらのなんてつまんねえだろ。ちょっと来いよ。ああ、きみはいいからね、カズハちゃんに用があるんだよ」
 ロック同好会キャプテン、淀川さんだった。きみはいいと言われた萌子を残して、私は淀川さんに引っ張られていった。
「淀川さん、用ってなんですか」
「俺、譲司っていうんだ。淀川さんなんて呼ばないで、ジョージって呼んでよ」
「こんなところで立ち話してたら目立つでしょうに」
「カズハちゃんは背が高いから目立つよな」
「淀川さんはもっと高いし、その格好なんだからもっと目立ちますよ」
「うん、だから、こっちへ」
 赤茶いろのソバージュヘア、素肌に革のベスト、蛍光イエローのパンツ。パンクスではなくハードロッカーふうのいでたちの淀川さんは、ステージのそばのテントの中に私を引っ張り込もうとした。
「中に入るのはいやです。外で話しましょう。なんの用?」
「カズハちゃんは合唱部なんだって? 歌がうまいんだろ。俺たちのバンドでも歌ってくれないかな」
「ヴォーカリストがいないんですか」
「いるけどさ、男のヴォーカルなんてつまんねえよ。俺は女の子のヴォーカリストがほしかったんだけど、うちにはろくに歌も歌えない女しかいないんだ。しようがないから男にしたんだよ。せっかくここでカズハちゃんに会ったんだし、ライヴで歌ってくれよ」
「突然言われても無理です」
「突然だって歌えるよ」
「私の歌を聴いてくれたんですか」
「いいや」
 聴きもせずになにを言ってるんだろう。馬鹿馬鹿しいのでくるっと背中を向けて歩き出そうとしたら、むこうからまたまた背の高い男が近づいてきた。
「よお、タク。うちのギタリストのタクだよ。おまえにも前に話しただろ。合唱部のカズハちゃん。歌もルックスも俺の好みにぴったりなんだ」
「……でけえ女」
「でけえったって縦には長いけど、ほっそりしてて可愛いじゃないか」
「でけえ女は可愛くねえよ。合唱部の女なんだろ。そんなのにロックは歌えないよ」
「歌える。カズハちゃんは歌は抜群にうまいんだから」
「聞こえてたよ、ジョージさん。あんたは彼女の歌を聴いてないそうじゃないか。いくら好みだっていったって、合唱部の女なんていらねえんだよ。そんなのどうだっていいから、音合わせしようぜ。カズハ? おまえもぼーっと突っ立ってないで、とっとと客席に行けよ」
「タクさんって何年生?」
「二年だけど、それがどうかしたのか」
「合唱部の男子の二年生が、四年生の先輩、ましてキャプテンにそんな口をきいたりしたら……考えられない。やっぱりロック同好会って下品なんですよね」
 ジョージとタク、ロッカーらしい名前を持つふたりは、顔を見合わせてからぷっと吹いた。
「そうなんだって。俺、敬語で話さないといけない、キャプテン?」
「敬語なんて気持ち悪いんだよ。俺たちが下品なんじゃなくて、合唱部が封建的で古臭いんだろ。それこそそんなのどうだっていいから、カズハちゃん、考え直せよ」
「お断りします」
「ジョージさん、そしたらジャックさんはどうなるんだよ」
「ツインヴォーカルでいいだろ」
 おーい、なにやってんだよ、と声がして、またまたまた背の高い男が出現した。「THE・Herons」は身長でメンバーを選んだのか、柴垣くんにしても長身だし、ジャックという名前のヴォーカルの彼も背が高い。顔は柴垣くんがもっとも整っているのだが、彼ら三人も顔立ちは悪くなかった。
「カズハちゃんって彼女? ジョージさんがぞっこん惚れ込んだ子だけあって、なかなかの女だな。背が高すぎるけど、俺とツインヴォーカルだと絵になりそうだ。いいかもな」
「私はお断りしますって言ってるの。ジャックさんは何年生?」
「三年だけど、だからなに? 学年になにか意味があるのか。カズハちゃんはジョージさんの女じゃないんだろ」
「当たり前です」
「そうか。じゃ……」
「おー、俺?」
「ちょっとっ!!」
 いきなり抱きすくめられて、いきなりキスされそうになって噛みついてやったら、タクは私を突き飛ばし、からくもジョージが抱きとめてくれた。
「いてぇ……血が……」
「人食い人種」
「人食い人種はてめえじゃねえかよ。女にキスしようとして噛まれたのははじめてだぜ。覚えてろ」
「ちょっと……なにすんのっ!!」
 ジョージが背後から顔をかたむけてきたので、思い切りつきのけて、足を踏んづけて腕から逃れた。
「でけえ女は力も強いから、思い通りにはならないんだよ。ジョージさんもタクも行こうぜ。あん? 俺にだったらキスしてほしい?」
「してほしくないっ!!」
「俺もしたくねえんだよ。おまえみたいにでかい女」
 べーっと舌を出すジャックに、いーっだ、と言い返すと、ジョージが言った。
「俺、ますますカズハちゃんに惚れちまったよ。こういう女って大好き。タク、ジャック、おまえらもカズハちゃんを口説いてくれよ」
「タク、そっち持て」
「はいよ」
 タクがジョージの右腕を、ジャックが左腕を抱え込み、ふたりしてキャプテンを引きずっていってしまい、私はやっと災難から逃れられた。
 バンドで歌ってほしいなんてのは口実で、ジョージは私を襲いたかったのか。でかい女だと言ったくせに、タクまでが変な気を起こしたのか。これだからロッカーなんて奴らはどうしようもないのだ。演奏を聴く気がなくなってしまって、私はステージとは逆方向に歩き出した。
「……このごろつめたいと思ったら、カズハはロック同好会の連中とああいうことをやってたんだ」
 しばらく行くと、信勝があらわれた。私の前に立ちふさがって、醒めた声を出した。
「見てたの? ああいうことって……どこから見てたの? それで誤解……」
「誤解じゃないだろ。いいよ、勝手にしろよ」
「……あれはあいつらが……あいつらが私に無理やりキスしようとしたんだよ。見てたんだったら止めに入ってくれたらいいんじゃないのよっ!!」
「ふーん、もてるね。カズハはかっこいいもんな。きみには俺みたいなちびよりも、背の高いあいつらのほうが似合うよ」
「ノブちゃんはちびなんじゃなくて、私の背が高すぎるから……」
「なぐさめてくれなくていいよ。俺はきみよりはちびなんだから」
「ノブちゃん」
「勝手にすりゃあいいだろ」
 ひがみっぽいノブちゃんは嫌いだ、と叫ぶ前に、とりつくしまもない態度で、信勝は私に背中を向けた。
 浮気のふりをしてみようかなんて考えて、バチが当たったのだろうか。ロック同好会なんてこりごり。私はやっぱりノブちゃんが……嫌いだなんて思えない。けれど、どうしたらいいのか。私はぼんやりと、信勝の背中を見ていた。
 
 
3

 学園祭が終わると合唱部は小休止状態になる。入部して以来合唱部に熱中していておろそかにしていたので、私は真面目に講義に出て勉強に励んでいた。
 しかし、生の音楽がないと寂しくなってくる。体質がすっかり音楽人間になってしまったようで、ライヴハウスでアルバイトしようか、などと考えていたころ、キャンパスでギターを携えた星さんに会った。挨拶をしていても私の目はギターに注がれていて、星さんは言った。
「土、日にアマチュアポップイベントってのがあって、高倉さんと渡嘉敷と俺の三人で出演させてもらうんだ。今日は高倉さんの部屋で練習するんだけど、見学に来る?」
「いいんですか」
「いいよ。こっちは男が三人いるんだから、きみの彼も怒ったりはしないだろ」
「怒ってもいいんです。っていうか、怒らないかな」
「きみさえよかったから行こう」
 はい、ぜひ、と答えてふたりで学校から出ていこうとしていると、だっと駆け寄ってきた女の子がいた。小柄で可憐な雰囲気を持った見知らぬ女の子は、いきなり私のほっぺたを叩いた。
「……なにすんのよっ!! あんたは誰っ!!」
「おいおい、なんなんだよ、突然。話もせずに突然……きみは誰?」
 頬を押さえて彼女を怒鳴りつけた私と、私の前に出た星さんが同時に、あんたは誰? きみは誰? と尋ねたのだが、彼女は返事もせずに駆け出そうとする。星さんが彼女の手首を握って引き止めたのだが、ふりほどいて逃げようとする。星さんとふたりして戸惑っていると、続いて男が駆け寄ってきて、彼もまたいきなり彼女の頬を叩いた。
「……タクさん? ちょっと、なにすんのよっ、あんたたちはっ!!」
「タクさんっていうのか? なにをするんだよ、女の子に」
 ロック同好会のタクだ。たしかギタリストだと言っていた。長身でいかにも力も強そうなタクは、女の子の頬を軽めに叩いたようだったのだが、彼女は顔を真っ赤にしてタクに飛びついた。
「だってだって……だって、この子が……」
「馬鹿」
 短く言ったタクにしがみついて、彼女がわあわあ泣き出す。タクは困った顔をして私たちに言った。
「見られてるな、当然だけど。人に見られない場所ってないか」
「とにかく外に出ようか。高倉さんのアパートはわりに近いから、四人でタクシーに乗ったらそう高くもつかないよ。泣いてる女の子を連れてくっていったら、誰かの部屋しかないだろ。タクさん、何年?」
「二年生。勝部卓也だ。きみは?」
「俺も二年、星丈人」
「こいつは未来っていって、ロック同好会の一年生だよ。未来、行くぞ」
 「みらい」という名の女の子の手をタクが引き、泣きじゃくっている彼女も連れて四人でタクシーに乗った。ほどなくたどりついた高倉さんの部屋には渡嘉敷さんも来ていて、泣いている女の子がいるので目を丸くしていた。
「服部さんが未来さんに叩かれて、タクが未来さんを叩いた? そういえば、服部さんの顔が赤くなってるな。痛まないか?」
 高倉さんが訊いてくれて、私はかぶりを振った。
「びっくりしちゃって痛いのなんか忘れてましたけど、タクさん、わけを説明してよ」
「わけったってな……おまえが最初にやったんだろ。俺は知らないよ。未来、おまえから話せ」
「だって……だって……」
「泣いてるんだから話すのは無理だろ。未来さんは気を落ち着けて。俺はタオルを持ってくるよ」
 俺が取ってくるよ、と渡嘉敷さんが席を立ったのは、泣いている女の子が苦手だからだろうか。高倉さんは渡嘉敷さんにうなずきかけ、タクに向き直った。
「俺にはまったく事情はわからないけど、きみが未来さんを叩いたから泣いてるんだろ。なんだって女の子を殴るんだ」
「殴ったってほどでもないけど、こいつがカズハちゃんを殴ったのが見えたからだ。なんとなくは、未来がなにを思ってカズハちゃんを殴ったのかはわかるんだけど、馬鹿じゃねえか。女だって馬鹿は殴るに限る。女だからあのくらいですませてやったんだぞ。未来、いつまでも泣いてないで、おまえがなんでカズハちゃんを殴ったのかはっきり言え」
「だって……」
 だって、としか言わない未来は、渡嘉敷さんが持ってきたタオルを放り出し、タクの背中に顔を埋めた。渡嘉敷さんは部屋の隅で静観のかまえになり、星さんが言った。
「女の子には威勢がいいんだな」
「おまえもなにか文句があるのか。おまえには関係ないったら関係ねえんだけど、落ち着く場所を貸してくれたんだから、文句があるんだったらつきあってやってもいいぜ」
「どうつきあうんだよ。ああ、高倉さん、いいよ、お茶なんか」
「いや、未来さんが気を静めるためには……未来さん、なにがいい? コーヒーでいいか? インスタントしかないけど、みんなでコーヒーを飲んで気分を静めよう」
「手伝います」
 私も立っていき、小さなキッチンでお湯を沸かしながらとなりの部屋に聞き耳を立てた。未来はだってとしか言わず、タクは苛立っている様子だったが、星さんがさきほどの一幕のわけを問い質してくれていた。コーヒーを六つ淹れて運んでいくと、高倉さんが話をまとめた。
「学園祭のときにタクが服部さんになにかしたんだな。それを未来さんが見てて、今日、星といっしょにいた服部さんを見かけて殴りかかった。つまり、それって、星?」
「未来ちゃんはタクが好きなんだろ」
 タクの背中にくっついた未来はうんともすんとも言わず、タクが言った。
「冗談じゃねえよ。学園祭のときに俺がカズハちゃんになにかしようとしたのは、ただの挨拶だ。挨拶だってのに噛みつかれて、演奏してる間だってくちびるが痛かったんだぜ。カズハちゃんはそれっきり消えちまったんだけど、キスしたように見えたのか、未来? 見えた? ちがうっての。俺はこんな気の荒いでかい女は好きじゃないよ。カズハちゃんに惚れてるのはジョージさんだ。変な趣味なんだよ、ジョージさんは」
 つまり、それって? と高倉さんが私に視線を向け、言わざるを得なくなって学園祭のときの話をした。
「そういうわけで、未来さんがやきもちを妬いたんですね。未来さんってタクさんの恋人?」
「ちがう」
「未来さんはタクさんが好き?」
 こくこくと未来の頭が揺れた。
「あれを挨拶だって言われると腹が立つけど、キスはされてないよ。タクさんも言った通り、キスしようとしたタクさんには噛みついてやったから、難は逃れたの。私には彼はいるんだから、変な心配しないでよ。でも、タクさんって女の子をひっぱたくんでしょ? 未来さんはそんな男でも好き?」
 再びこくこく。タクは天井を仰いでから、未来の頭を抱き寄せた。
「俺はおまえを好きだとも嫌いだとも思ってなかったけど、それでか……うん、悪かった。そもそもはおまえが悪いんだけど、かっとなっちまった俺も悪かったよ。好きなんだったらつきあおうか。俺はこんな狼女なんかよりは、おまえのほうがタイプだしな」
「つきあうって、ほんと?」
 ようやく言葉らしい言葉を口にした未来に、タクはにっこりした。
「泣くな。ほんとだよ。コーヒー淹れてくれたんだから、おまえも出てきて飲め。ごめんな、騒がせちまって……高倉さんって何年?」
「二年だよ」
「ええ? 二年?」
「三浪だけど、学年はきみと同じだ。星も渡嘉敷も同じ。服部さんと未来さんも同じだな。コーヒーが冷める。うまくもないだろうけど飲もう」
「どうなることかと思ったよ。俺はこういうのは苦手でさ」
 渡嘉敷さんがテーブルのそばに戻ってきて、六人でコーヒーを飲んで、男性たちは音楽の話をはじめた。ギタリストだという私の記憶はまちがっていなくて、タクが星さんのギターを借りて爪弾いた。
「俺はアンプにつないでないギターはうまく弾けない……」
「俺はエレキだとうまく弾けないんだけど、ギター奏法にも差があるのかな。高倉さんも渡嘉敷もギターは弾けるだろ?」
 四人の男性がかわるがわるギターを弾くと、未来が言った。
「タクさんがいちばん上手。星さんはまあまあだけど、高倉さんも渡嘉敷さんも下手だよ。ね、カズハちゃん?」
「ギターが上手っていうのは上には上があるんだね。星さんのギターって最高だと思ってたけど、たしかにタクさんのレベルは別ものみたい」
「当たり前だろ。ロックやろうぜ」
 言ったタクに、星さんが言った。
「俺たちはロックはやらないんだ。だけど、専門家がいるんだからギターはタクにまかせようか。ブラザーズフォーって知ってるか」
「知らねえよ」
「じゃあ、高倉さんのオリジナルのあれは?」
「俺のオリジナル? あんな稚拙なの……出せって? 笑うなよ、タク」
 イベントではブラザーズフォーのカバーと、高倉さんのオリジナル曲を歌うと言う。高倉さんがデスクの引き出しから楽譜を取り出し、タクが真剣に検討してからギターを弾いた。
「すげえうまいな。俺も星のギターはかなりの水準だと思ってたけど、タクはプロみたいだ。初見で高倉さんの曲をそこまで弾きこなせるってすごいよ。どうだ、その曲?」
「コード進行が単純だからちょろい。ちょろすぎだ。ここはこう……」
「う、高倉さん、どうする?」
「おまえがどうするもこうするもないだろ、渡嘉敷。タク、よかったら手直ししてくれ。全面的にまかせるよ」
「甘えるなと言いたいところだけど、こうしたほうがずっとよくなるんだから、すこし待っててくれよな。イベントで歌うんだったら、作曲、高倉誠&タクってクレジットしろよ」
「タクでいいのか。勝部卓也じゃなくて?」
「タクでいいよ、高倉さん。俺はサークルでもタクで通ってて、勝部なんて姓は知らない奴もいるんだから、勝部卓也って誰? ってなもんさ」
「私は知ってたよ。勝部タクさんってかっこいいなぁって……カズハちゃん、ごめんね」
 まっすぐに私を見て、未来が言った。
「ひっぱたいちゃってごめん。だけど、ああしたからタクさんが私を見てくれたの。ごめんね、それから、ありがとう」
「誤解は解けたんだからいいけど、タクさんって暴力男じゃないの?」
「そんなんじゃないよ。タクさんにぶたれたの、たいして痛くはなかったし、なんだかあったかかったし、私が悪かったんだから」
「そんならまあ、よかったね。タクさん、なにか言わないの?」
 知らん顔でギターを弾いているタクに、渡嘉敷さんがなにか言い、高倉さんは破顔一笑し、星さんも言った。
「タク、イベントでギター伴奏してくれないか」
「やだね」
「にべもないな」
「俺はロックしかやらないんだよ」
 お詫びのしるしに晩ごはんを作ると言った未来とふたり、買いものに出かけた。未来とタクは東京の子だそうだが、高倉さんは広島、渡嘉敷さんは沖縄、星さんは新潟出身のひとり暮らしなので、未来の申し出を大歓迎していた。
「私は神奈川県厚木市出身。私もひとり暮らしだから、料理はできるよ。手伝うからね」
「私もほんとはそんなに料理は上手じゃないから、手伝ってくれると助かる。なにを作ろうか」
「タクさんってなにが好き?」
「中華が好きみたいよ。八宝菜とか酢豚とかにしない? レトルトの調味料で作ったら失敗しないよね」
「そうしよう」
「カズハちゃんって彼がいるんだって?」
 萌子にさえもすべては打ち明けていない、信勝との疎遠の原因は、合宿の際の彼の態度、プラス、未来も誤解した学園祭のあの出来事だ。
「いるにはいるけど、別の大学だからこのところ会ってないな」
「そうなんだ。寂しいね」
「寂しくないよ」
 強がってみたけれど、本当は寂しい。だが、たいして親しくもなっていない未来に詳しく話すのははばかられて、適当にごまかして高倉さんのアパートに帰り、未来と高倉さんと三人で中華料理もどきをあれこれ作って六人で食べた。
「うん、うまいよ。未来、やるじゃないか」
「えへっ、味つけは……ううん。いっか。カズハちゃんも料理は上手だよね」
「高倉さんが上手なんじゃないの?」
「なんだ、これ? コーヒーカップにメシがよそってあるぞ」
「メシ茶碗なんて六つもないんだから我慢しろよ」
「未来ちゃんも服部さんも、料理の腕前はたいしたもんだよ」
「俺がこれを作ったんだ。もやしの酢のもの。どうだ?」
「高倉さんが作ったと思うとまずいよ」
「勝手にほざいてろ。まずいんだったら食うな」
「俺は肉がいいな、酢豚がうまい」
「酢豚にパイナップルを入れるって、本格的じゃないか」
 わいわい食べて喋って、食事がすむと男性たちが片づけて、お皿も洗い、そろそろ帰ろうか、と言いかけたタクを制して、未来が言った。
「高倉さん、タクさんと共同で作曲した歌は完成した? 歌って」
「そうだな。初披露になるんだから、聴いてもらおうか。タクが協力してくれたから、前のよりはよくなったもんな」
「タクさんは作曲の能力もあるって、ロック同好会でも有名なんだよ。将来は作曲家になるんだよね」
「よく知ってるんだな、おまえ。作曲家か……なれたらいいけど、俺なんかはまだまださ。日々修行だよな。高倉さん、星、渡嘉敷、俺がギターを弾くから歌えよ」
 低音トリオには名前はなくて、便宜上三人のイニシャルを取って「THT」と名乗っているらしい。高倉さん作詞作曲のTHTのオリジナル曲「僕が生まれていなかった夏」を披露してもらった。

「草木も焦げ 
 人も焦げ
 川の水までが焦げたあの夏

 今、ここで
 僕は目を閉じる
 今、ここで
 僕はただ、僕はただ
 想いをさまよわせる」

 フォークソングタッチの曲調にタクが手を加えたせいか、ロックテイストも漂っている。哀愁を帯びたしらべと、低い声が三つのハーモニーが耳と心を打った。
 そんな時間がすぎていき、ついさっき恋人同士になったタクと未来は連れ立って帰っていき、渡嘉敷さんは高倉さんの部屋に泊まると言って、星さんが私を送ってくれることになった。
「痛いのは気にしてなかったって言ってたけど、頬がちょっと赤いよ。大丈夫か」
「そんなの完全に忘れてました。星さん、今日は連れてきてくれてありがとう。私、すこおし寂しかったんだけど、ギターも歌も素敵だったし、ごはんもおいしくて楽しくて忘れていられました。私もイベントを聴きにいっていいですか」
「彼と来るといいよ。無料だしチケットってのもないし、整理券が出るほどでもないから、イベントがはじまるころに来たら入れるよ」
「彼か……萌子と行こうかな。萌子って私の高校時代からの友達で、ロック同好会と関ったのも彼女のせいなんですよ。萌子は音楽には興味ないって言ってたんだけど、ロックやら合唱部の歌やらを聴いて好きになってきてるみたい」
 イベントのプログラムをコピーしたものを、星さんが私にくれた。
「タクさんや未来ちゃんはロックじゃなかったら興味ないって言ってたけど、「僕が生まれていなかった夏」を聴いて、未来ちゃんもしみじみしてました。私もじーんとしちゃいました」
「高倉さんは稚拙だって言うけど、なかなかの才能だと思うよ、俺も。渡嘉敷のバスもいい味を出すだろ」
「星さんだって歌は上手だし、おまけにそのルックスだから、トリオでプロになったらいいのに」
「高倉さんはやりたいようなそぶりを見せるんだけど、俺は歌でメシを食ってく気はないよ。歌は楽しく歌っていたらいいんだ。仕事にしたら楽しくなくなる」
「そうかもしれませんね」
 バス停に立って、私は星さんの横顔を見上げた。
「……私の彼のこと、なんにも訊きませんね」
「ん?」
「さっきのあれ、ロック同好会のタクさんだとかジョージさんだとかが……あんふうにしたのを彼が見てて……学園祭だったから彼も来てたんですよ。はぐれちゃって私がロックのステージのところにいたら、ジョージさんが私を連れ出したの。それで彼ったら……未来ちゃんとおんなじように誤解して……弁解もさせてくれなくて、だから、今は彼なんかいないみたいになってるんです」
「弁解させてくれない? 思い込みの激しい奴なんだな」
「未来ちゃんにもそう見えたんだったら、彼にもそう見えたんですね。あいつだって他の女の子と……ううん。それはいいんだけど、このまんまで終わっちゃうのかな」
「てめえの思い込みでかたくなになって、彼女に弁解もさせない男は馬鹿野郎だよ。未来ちゃん以下の馬鹿だ。そんな奴とは別れたらいいんだよ」
「別れるったって……」
「別れたくないんだったらきみからコンタクトを取るべきだ。きみは狼女なんだろ。好きな男の前では気が弱くなるのか」
「そうなのかもしれない。私なんか背ばかり高くて、彼は私より背が低くて……それで私、背の高い男は嫌いだなんて言ってるんですけど、星さんは好きです」
「ありがとう」
 照れもしないでありがとうとは、もてる男の余裕だろうか。星さんってもてるんだよ、と女子部では噂の的になっていて、私は実態は知らないのだが、さもあろうと思われた。
「星さんは背の高い女は嫌いですか」
「女の子の身長はどっちでもいいよ。未来ちゃんみたいに小さいのは可愛いし、カズハちゃんは長身でほっそりしててかっこいい。俺もきみは好きだよ。噛むか?」
「え? いえ、あの、そんな……」
「きみが俺を好きだって言ってくれるのは、そういう意味じゃないのは知ってる。キスなんて本当に挨拶だろ。それしきで怒るような男は呼び出してぶん殴ってやれ。それでな……」
 軽く抱きしめられて、くちびるとくちびるが触れた。
「つべこべ言ったらこう言ってやれよ。星って男にもキスされたけど、挨拶なんだからどうってことはない。文句があるんだったら相手をしてやるって俺が言ってたよ、ってさ」
「彼は星さんを知らないから……」
「知ってるんじゃないのか」
 すると……星さんも彼が誰なのかを知っている? 確認はせずにおいて、私は星さんの腕の中から抜け出した。
「私は誤解はしませんけど、する女の子もいるだろうから、こういうことは無闇やたらにしないほうがいいですよ。星さんって香取さんとなにか……?」
「俺はカズハちゃんみたいなタイプの女の子も好きだよ。これだけの女の子はそうそうはいない。彼とやらにもそう言ってやりたいんだけど、俺の知らない奴だったな」
「そうです」
「けど、男なんてどこにでもここにでもいるんだから、そいつにこだわる必要もない。ジョージってのはどうだ?」
「遠慮します」
 大きな灯りの目玉がふたつ、停留所に近づいてくる。バスに乗り込む私のあとから乗ってきた星さんが、励ますようにそっと背中を叩いてくれた。

後編に続く
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