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小説262(Runner)

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フォレストシンガーズストーリィ262

「Runner」


1

 うちの先輩ふたり、後輩ふたりには、俺には不可能な技能があるのだろうか。
 本橋さんも乾さんも幸生も章も、二十代半ばのこの年になるまでに何人の女性と交際したのか。彼らはどうしてああもたやすく、女と出会って恋して告白してつきあって、別れてはまた新しい女と知り合って……を繰り返すことができるのか。
 恋のできない木石のような男ではないはず。俺にだって片想い経験だったら再三再四ある。
 はじめて女性を好きだと意識したのは、小学校の入学式。小学校のときにも中学校のときにも高校のときにも、同じ学校の女の子を意識しては、ひとりで頬を赤らめてあれこれ考えて、なんにも言えないままだった。

「好きだよと言えずに初恋は
 ふりこ細工の心

 放課後の校庭を走るきみがいた
 遠くで僕はいつでもきみを探してた

 浅い夢だから胸を離れない」

 この歌のような経験はあれど、胸を離れないってわけでもなくて、淡い片想いは時の彼方に消えてかすかな追憶になっているばかりだ。
 片想いは浅い夢。片想いで終わった大学生になって初の恋は、近い時期なだけに覚えてはいる。リリヤさんの兄貴であるかっこいい男に、あんな冴えない奴とつきあうのはやめろ、と言われた冴えない俺にとって、衝撃だったからもあるのだろう。
 そして、大学三年生のときにはじめて……あれは衝撃が激しすぎたせいか、忘れようにも忘れられない。ヒデが荒っぽく励ましてくれても、乾さんにしっかりしろと叱りつけられても、幸生が笑わせてくれようとしても。
 だけど、しつこくこだわっていてもしようがない。ヒデがいなくなり、幸生が章を連れてきてフォレストシンガーズが五人に戻り、宿願のメジャーデビューを果たしたのだから、過去の哀しすぎる恋なんて覚えていないほうがいい。
 あのひとは本当は本橋さんが好きだったのだから、本橋さんには俺がその事実を知っていると悟られてはならない。章はまったくなんにも知らないのだから、知らせたくない。学生時代からのつきあいのマネージャーの山田美江子さんも知らないのだから、絶対に知られたくない。
 あんな女、八幡早苗は忘れて新しい恋をしよう。
 古い恋なんてないに等しいのだから、新しいもなにもあったものではないにせよ、心新たに恋をしたい。彼女がほしい。フォレストシンガーズはプロになったのだから、俺だって恋人を持ってもいいだろ。売れてもいない現状だけど、他のみんなには彼女がいるらしいんだから、俺だってかまわないよな。
 ではあるのだが、最初の疑問に突き当たる。
 どうして、どうして、うちのみんなは簡単に恋ができるんだ? どうして、どうして、俺だけは片想いしかできなくて、恋にならないんだ? 彼女ができないんだ? ようやくできたと思った彼女は裏切り者だったし。
「シゲ、おまえは恋はしなくていい。歌だけで生きろ」
 冷酷無慈悲な宿命の神のご託宣が聞こえてきた気がして、俺は頭をわわーっと振った。
「いやですよ。俺だって……彼女がほしい」
 大学を卒業してからもうじき二年になる。俺は今年の三月には二十四歳になる。フォレストシンガーズがデビューしてからだと約五ヶ月。まるで売れてはいないけれど、アマチュアのまんまよりはずっといい。
 みぞれがチラつくこんな夜に、スタジオでの歌の練習を終えて待ち合わせ場所へと急ぐ。デートだったら心がはずむのであろうが、俺の待ち合わせ相手は大学のときからの男友達だ。
「おー、シゲ、元気でやっとるか」
 こいつは恋に関しては俺とは同属だろうと信じたい、実松弾。
 大阪出身、バリバリ大阪弁、一般企業の営業マンとなっても、営業トークには大阪弁はふさわしいとばかりに大阪弁に磨きをかけている。卒業した年の夏の合宿には、前年度キャプテンとして本年度キャプテンに招かれた。
 本年度キャプテンがあの三沢幸生なのだからして、横須賀弁ユキと大阪弁弾の漫才を披露して合宿所で後輩に受けまくったという、前例を見ない異色キャプテンコンビなのだった。
 すでに幸生も卒業し、じきに幸生の次の次のキャプテンが就任するのだろう。次第に代替わりして俺たちの知らない奴らばかりになっていくはずの、合唱部の話をしながら酒を飲み、ちゃんこ鍋を食っていた。
「シゲは二十四歳ですっかりオヤジやのぉ」
「俺はまだ二十三だし、オヤジはおまえだろ」
「おまえにだけは言われとおないんじゃ、アホ」
「アホはおまえだ。アホ弾」
「弾と呼ぶな」
 小学生みたいな口論をしていても、ここにヒデがいたらなぁ、と思う。
 一時期合唱部のアホトリオだったヒデと実松とシゲ。実松だけは姓なのは、彼が「弾」という名前を嫌って呼ばせてくれなかったからだ。彼の顔には似合わないかっこいい名前だからと本人の言う通り……かもしれない。
 高知のヒデと大阪の実松と三重のシゲ、東京の大学では三人グループ全員が西の出身なのは珍しかったのか、先輩たちは微笑ましく見守ってくれていたのだが、三人そろってよく叱られた。
「シゲは叱られてないだろ。おまえは俺たちに巻き込まれてただけだよ」
 ヒデはそう言ったが、俺だって三人のアホな相談に加わっていたのだから、同罪だ。
 女の子のスカートの中を覗くだとか、女子寮、女性専用マンション、レディスホテル、そういうところに忍び込むとか、銭湯の女湯に入っていく方法とか、アホすぎる架空相談をしていた合唱部の男子部室。乾さんに聞かれたらこう言われた。
「中学生や高校生のころには教師に言われただろ。男には抑えきれぬ性衝動があるなんてのは嘘だ。スポーツで吹き飛ばせるんだよ」
「そっちこそ嘘でしょ。乾さんだってスケベな衝動が……はい、走ってきます」
 同学年の男子の中ではヒデと実松が口は一番だったはずだが、実松は先輩にはめったと口答えはしなかった。ヒデは俺たちが一年生の当時のキャプテンだった金子さんや皆実さんには弱かったのが、本橋さんあたりには口答えもしていた。
 なのになぜかヒデは乾さんには弱くて、殴られたわけでもないのに素直になって、先頭に立って走り出す。俺もみんなと一緒に走っていると、実松に言われた。
「おまえは止めようとしてたんやから、走らんでもええやろ」
「俺は走るのは好きだし」
「シゲだとランニングは罰にもならないんだよな」
「じゃあさ、シゲ、俺の分も走って」
 毛利や野呂なんかも言って、いいから走れ、と言い返して走っていたあのころ。俺たちがたどりついたのは現時点ではここ。ここにはヒデはいない。
「シゲ、もう一軒いこか。今度はムードのええバーに案内したるわ」
「おまえとムードのいいバーに行っても……」
「そう言うなよ。お得意さんに教えてもろうたバーがあるねん」
 明日は休みなのだからいいだろうと、実松について「thistle」という名のバーに行った。
「ディス……tle?」
「そこで切るなや。続いてんねん」
「なんて読むんだ?」
「失する……シースルー……シースルーがええな」
 いくぶん酔っている実松はへらへら笑っていて、会話が噛みあわない。が、店名がなんであっても支障はないので、中に入っていった。
 社会人になって二年程度の若造がふたりで飲むには分不相応というか、高くはないから大丈夫だと実松が言っていたにせよ、俺たちには大人すぎるだろと言いたくなる内装、雰囲気だった。けれど、気軽な店なのか、若い客も多い。
 そんならいいか、高くないんだったらいいか、と考え直して、ウィスキーの水割りをオーダーする。値段のわりには芳香も味も格別だった。
「この酒、うまいな」
「酒よりもおまえはつまみやろが。この店はつまみはしゃれてるけど量が少ないから、先に腹ごしらえをしてきたわけや」
「うん、なるほど」
 学生時代には男たちはよく食ったけれど、その中でも俺はダントツの大メシ食らいだった。みんながまずいと言う学食のメシだって、まずくても安くて量があればいい、腹がいっぱいになったらそれで十分、の主義だった。
 今でも大食漢なのは変わっていないし、プロのシンガーになったところで収入は乏しいのだから、豪華な饗応に与った経験もない。俺はただいたずらに、満腹すればいいからと腹に食い物を詰め込み、走ってカロリーを消費して生きてきた。
「この間、ケーブルテレビに乾さんと章が出たんだよ」
「そうやったんか。放映はされた?」
「された」
「なんで教えてくれへんねん」
 そんなのはシンガーの仕事じゃないだろ、と本橋さんが嘆いていたからだ。
「見てもらうほどのものじゃないからかな。雪の中を走り回って飛べない鳥をつかまえて、そいつを焼き鳥にして食うんだ。乾さんは器用につかまえてたよ」
「乾さんは器用やもんなぁ」
「だけど、幸生がさ……」
 社長が頼まれたとかで、生放送の番組には我々とは同じ事務所のジャパンダックスの男ふたり、シブとゴン。フォレストシンガーズの雪国生まれふたり、乾、木村が出演した。
 残る四人、美江子、本橋、幸生、シゲは事務所でテレビを見ていた。
 最初はカメラが乾さんひとりを追いかけていた。乾さんは飛べない鳥をひょいひょいととらえては次々に籠に放り込む。鮮やかな手際に幸生と美江子さんは拍手していたのだが、本橋さんは早くも怒りかけていた。たしかに、今回の出演者は四人のはずだ。他の奴らはどこでなにをしてる? 幸生が画面に向かって叫んだ。
「こらー、章、出てこーい。あれ? 出てきたみたい」
 乾さんが映っている分には、お見事、ですんでいたのだが、カメラが切り替わると、章とゴンが取っ組み合いをやっていた。
「……なにやってんだ、あいつらは。仕事中になにをしてるんだ」
「リーダー、テレビ見て怒ってちゃ精神衛生によくありませんよ。こういう番組は楽しむためにあるんですから」
「無関係な視聴者だったら無責任に笑ってられるんだろうけど、俺たちは半分当事者だろうが」
 怒らなくてもいいけどさ……と思いつつ、俺はテレビ画面を指差した。
「……あれはなんだ?」
「ピンクのハート」
「それはわかってますよ、美江子さん。なんでここにそんなものが出てくるんですか」
「男同士で甘いムードになってるっていうのか、そんなふうに見えるっていうのか、そういうシーンだとたまに出てくるよ。男同士の妖しい関係を喜ぶ女性はけっこういるみたい」
「……あれのどこが妖しいんですか」
 章とゴンの取っ組み合いからまたまたシーンが変わって、乾さんもそちらに登場していた。乾さんとゴンを囲んで、手書きのピンクのハートがゆらゆらしている。と、幸生が変なアテレコをはじめた。
「ゴン、俺は前からおまえを……わかってたんだろ?」
 ぎょぎょぎょっ、となった本橋さんと俺にはかまわず、幸生は続けた。
「俺はおまえとこうなれる日を夢見てたんだよ、ゴン、キスして……駄目だよ、乾くん、俺には……俺には……禁断の恋は……そんな……乾くん……俺もきみが……ああ、ゴン、愛してるよ」
 画面では乾さんが雪に足を取られて何度も何度もひっくり返り、何度も何度もシブとゴンを巻き込んで雪煙を立て、ついでにだか自然にだか、シブやゴンを蹴飛ばしたりころばせたり……と見えていた。
「やめろ」
 かなり本気で怒り出した本橋さんが幸生にげんこつを食らわせ、幸生は言った。
「だって、ピンクのハートが飛んでるのはそういう意味だからでしょ? どうせやるんだったら究極のラヴシーンにすればいいんだよ」
 ラヴシーンだぁ? 馬鹿野郎、やめろっ、と本橋さんは完璧に本気で怒り、俺も爆発しそうになるのをこらえて言った。
「これのどこがラヴシーンだ。おまえの頭の中はどうなってんだよ」
「身の毛もよだつ冬の怪談、ってほう? シブやゴンを知ってる当方としましては、そっちのほうがまっとうな感想かもね。いや、だからこそですよ。気持ち悪いシーンを俺のこの美声で美しい愛の交歓シーンにと……」
「やめろと言ってるだろ。蹴り倒すぞ」
「そうだ、本橋さんの言う通りだ。やめないと投げ飛ばすぞ」
「……もう、ふたりとも真面目すぎ」
 くっくっくっ、ううっ、と美江子さんは笑っていて、幸生が言った。
「美江子さんはテレビの楽しみ方を知ってますよね。怒ってちゃ駄目、笑わなくちゃ。はい、リーダーもシゲさんも笑って笑って。角度を変えて見ればこのシーンはこうとも受け取れる。ゴンとラヴシーンを演じていた乾さんのそばにやってきたシブが、潤んだ瞳で乾さんを見上げて、こう言うんですよね。俺だって乾くんが好きなんだよ、だからこそなんだよ、ああやっていやがらせをしたのは、乾くんに見つめてほしかったから……はい、わかりました、やめます」
 そんなことがあったんだよ、おまえ、どう思う? と尋ねると、実松は笑いながら言った。
「楽しそうでええなぁ。乾さんは大変やってんやろうけど、三沢はあいかわらずほたえとるな」
「ほたえるってふざけるって意味だろ」
「そうや。俺もほたえるのは好きやけど、仕事は真面目にやらなあかんからな」
「俺たちだって仕事は真面目にやってるよ」
「知ってるよ」
 実は俺も歌手になりたかってんで、現実を知ってるから、無理やとも知ってるけど……俺たちがフォレストシンガーズを結成して、プロになるつもりでいると話したときには、実松は言っていた。あのときと同じように、寂しそうにも見える表情をしている。
 やりたいものがあるのならば、万難を排してでもそのために突き進む。それが男の生きる道、本橋さんはそう言って、女はいいのかよ、と乾さんや美江子さんに突っ込まれていた。
 女のひとだってやりたいことはやるべきだが、俺たちは男なのだから、男に限って考えよう。そうだ、困難なんぞは蹴散らして走るのが男の道だ。けれど、限界はある。おのれの将来を見極めたり、親の気持ちを慮ったり、おのれの才能や才覚を見つめ返すのも、大人の男の生きる道に続くものなのだ。そのために立ち止まった実松は、俺は歌手ではなくサラリーマンになる、と決めた。
 それはあやまった選択ではない。実松だって後悔はしていないはずだし、よしんば後悔していたとしても、おのれが決めた道を歩くのが男だ。
「……そんな目で見るなよ」
 同情的な目でもしていたのか、なんと言えばいいのかわからなくなって視線をそらすと、こっちを見ている女性と目が合った。
「さっきから聞こえてたんだ」
 視線が合ったせいか、彼女が近づいてきた。
「人と待ち合わせしてたんだけどドタキャンされちゃったの。あんたたちって楽しそうなひとだね。仲間に入れて」
「ああ、どうぞ」
 友達なのか彼氏なのか、深夜に近くなっている時刻にバーで人と待ち合わせる年頃には見えない。二十歳になっているのか? 高校生じゃないの? 俺の顔にはそう書いてあったようで、実松が言った。
「二十歳になってる?」
「なってるよ。あたしはディアナ、歌手の卵」
「ディアナって芸名?」
「ううん、本名。ハーフなんだ」
 嘘だともいえないが、純粋日本人にも見える。二十歳といわれればそうも見えなくはないのだし、実松はうなずいているから、俺も信じておくことにした。
「ジザベルさんを思い出すよな」
「いとしのジザベル?」
「なんや、それ?」
「俺はダイアナ・ロスを思い出すよ」
「ダイアナじゃなくてディアナ」
 「いとしのジザベル」とは、GS大好きの幸生に教わったゴールデンカップスの曲だ。ダイアナ・ロスはアメリカの高名なシンガー。ダイアナ・ロスだったら誰でも知っているのだろうが、実松の口にしたジザベルさんは、ごく一部の人間しか知らない。
 帰国子女でオペラの歌姫で、二年生の年に大学に編入して合唱部に入部してきたジザベルさん。彼女はどう見ても純日本人のはずだから、自称ってやつだったのだろう。ディアナさんも日本人なんじゃないのかな、と思ったから、実松が思い出したのだろう。
 GSの歌なんて二十歳の女の子は知らないのが普通だろうに、知っているのはよほどの歌好きか。本物の歌手か、あるいは両親が好きだったとか? 諸々の理由でディアナさんがGSを知っているとも考えられる。
 詮索はしないほうがいいのか。だけど、未成年だったら酒を飲ませたらよくないし、俺は悩んでいるってのに、実松は彼女に水割りを作ってあげていた。
「シゲさんっていうんでしょ。彼は歌手?」
「売れてへんけど歌手や。フォレストシンガーズって知らんやろ」
「知らーん」
 学生時代に一年間だけ近くにいたものの、俺はほとんど口をきいたこともないジザベルさんは、長身というよりも巨大なアドバルーンみたいだった。なにしろ男子部にも彼女よりも大きな人間はいないというほどで、俺はジザベルさんを見かけると、でかっ、としか思わなかった。
 失敬な話ではあるが、でかさばかりが意識に上ったジザベルさんとは、ディアナさんは較べられない。背は高いけれど、細くて、それでいてバストなんかは……それだって失敬だろ。シゲ、いやらしい目で見るな。
 女性となるとそんな目で見るから、幸生に言われるんだよ、シゲさんってむっつりスケベ。むふっ、なんてさ。
「来年ぐらいにはスターになるから、覚えといたってな」
「来年なんて、あたし、生きてないかもよ」
「若いのになにを言うてんのん」
「若くったって、明日があるかどうかはわからないでしょ」
 虚無的な話をするディアナさんの横顔は、アンニュイな美しさをたたえていた。


2

 ケータイは持っていないので、メールができない。あれから実松はどうしたのかと気にはなっていたものの、売れないシンガーズも多忙であって、実松に電話はできなかった。
 多忙なのもあるが、我々は時間が不規則だ。早朝から起きて満員電車で通勤し、昼間働いているサラリーマンとは人種がちがってしまったのだと、こうなると実感する。なのだから、実松と会ったのはそれから半月もたってからだった。
「あの店の名前、あざみやって。あざみは英語ではシスルっていうらしいで」
「あざみってトゲトゲした花だよな。誰に教えてもらったんだ」
「決まっとるやろ。鈍なやっちゃな」
 今夜も安直な居酒屋で鍋と日本酒を前に話していた。
「ディアナさんを送っていったんだろ」
「はじめて会った男に自宅まで送らせるなんて、軽率な真似をする女はあんまりおらんのとちゃうか。まして彼女は年齢やら名前やらを虚偽の供述ってのをやってたようやし……」
「うん、そうかもな」
 あの夜、ディアナさんは実松と主に話し、俺は先に帰ったほうがいいのかと思ったり、ふたりっきりにすると実松が困るのかと思ったり、迷ってしまってぐずぐずしていた。
「どっちでもいいからさ、一緒に帰ろ」
 明日は早いから俺は帰るよ、と言い出したのは実松が先で、ディアナさんは言った。
「あんたらって顔はどっちもどっちだし、お金も持ってないんだろうけど、シゲさんのほうがちょっとだけいいかな。シゲさんはあたしがなりたくてなれない、プロの歌手だもんね。あたしのマンションに来る?」
「いや、あの……」
 頭をかすめたのは、早苗さんが卒業してから彼女にはじめて会った日だった。
「だったらデートしようよ。ひとりっきりで大阪の街をぶらぶらしててもつまらないし、おいやじゃなかったらつきあって」
 大学四年生の夏休み、俺は就職はしない、就職活動もしない、なぜなら、歌手になるからだ。親に宣言するために故郷に帰ろうと新幹線に乗ったまではよかったものの、どう言おうかと悩み続けていて乗り過ごして大阪まで行ってしまった。
 名古屋で降りたほうが俺の故郷は近いのに、大阪まで来てしまったのだから、城を見ながら親への言葉を考えよう。そのつもりで大阪城を見に行った。俺は城が大好きだから、眺めていれば頭が整理できるだろうと思ったのだ。
 偶然にも会った八幡早苗さんは、大阪に本社のある企業に就職して研修中で、今日は休みなのだと言っていた。あんな美人が俺を覚えていてくれて、デートに誘ってくれたのだから、俺は天国へといざなわれていったのだった。
「いやだなんてとんでもない。俺でよろしかったら」
 彼女が本当は本橋さんを好きで、俺はあてつけに使われたのだと知るまでは、はじめて恋人ができたと舞い上がっていた。
 はじめてキスをしたひと、はじめてベッドで抱き合ったひと、大人になってはじめて見た女性の裸身は美しく、神々しいほどにまぶしくて、彼女は優しくて、本庄くんは強いね、たくましいね、って言ってくれた。
 内心では早苗さんは、こいつが本庄繁之ではなくて、本橋さんだったらいいのにな、と考えていたのか。告白したのに断られたからって、その相手に復讐を考えるような女がなにを考えていたのか、俺は知らない。知りたくもない。
 事実は俺が、そのために利用されたってことだけ。あんな経験は二度としたくない。女のひとに誘われると、あの経験の再現が……いやだ、いやだ。
 一瞬のうちに頭に去来した数ヶ月のできごとを、実松は知らない。知っているのは乾さんとヒデと幸生と早苗さんだけのはずだ。むろんディアナさんも知らないのだから、固まってしまった俺を見て不思議そうにしていた。
「俺が送っていくんやったらあかん?」
「それでもいいけどね」
 あっさり前言を覆したディアナさんは、実松と連れ立って帰っていってしまったのだった。
「そら、彼女は美人や。十八歳以上やったらお互いの合意のもとで、ベッドインしてもかまわんよな」
「ベッドインって……」
「十八歳未満ってことはなさそうやけど、万が一……とか思ってしもてな。そうやとしても彼女がええて言うてんねんから、かまわんのに……」
「かまわなくはないだろ」
 いやいや、と実松はかぶりを振った。
「俺は酔っ払ってるし、できんかもしれんから、とか言うて、タクシー乗り場で別れたよ」
「あ、そうか」
「俺は……」
 はぁー、と声に出してため息をつく実松に、俺は言った。
「理性が勝ったんだから、おまえはえらいよ」
「俺がえらい?」
 地球上では未発見の生き物でも見るように、実松は俺を凝視した。
「そうだろ。彼女が十七歳だったりしたら、おまえは犯罪者なんだから」
「そんなん言うてたら、ナンパなんかできんやろ」
「ナンパなんかしなくていいんだよ」
「しなくてええて言うてたら、俺には……おまえかてそうや。一生彼女はでけへんぞっ!!」
「そんなことは……」
 ない、とは言えないのかとうつむいた。
「しかし、シゲらしい感想やな」
「そうか……?」
「おまえはええ奴やろ。女から見てもええ奴なんやろうけど、ええ男とはちゃうわな」
「いい男? いい男といい奴の差は……いい奴はつまんない奴ってわけか」
「そうともいえるな」
 俺には一生、彼女はできないのか。そうかもしれない。再びうつむいた俺の背中を、実松がとんっと軽く叩いた。


 一生彼女はできない。改めて宣告されなくても、そうかもしれない可能性は少なからずあったのだ。改めてショックなんか受けなくてもいい。それよりも仕事だ。
 フォレストシンガーズがデビューしてから約半年、俺は二十四歳になった。フォレストシンガーズの五名は全員が三月生まれだ。美江子さんは二月で、ヒデも三月だったので、以前には合同誕生パーティなんてこともやったりした。
「男同士でプレゼントなんて気持ち悪いだろ」
 本橋さんは言い、俺もまったく同感なので、誰かが誰かにプレゼントを贈ったりはしない。プレゼントなんてものは、美江子さんからだってもらったことはない。もちろん男からなんてほしくない。
 最近もらった印象に残ったプレゼントは、デビュー祝いに姉がくれたダンディな男に似合うブランドもの小物セット。かっこいい手帳や財布やキーホルダーで、これが似合うかっこいい男になれよ、と姉は言っていた。
 かっこいい男になんて俺はなれるはずがなくて、よって、彼女もできるはずがないのだが、かっこいい小物は嬉しい。姉か母くらいしか、俺にプレゼントをくれる女はいないのだから、姉からのプレゼントは嬉しい。
 母は大食い息子だと知っているから、なにかをくれるとなると食いものばかりだ。誕生日に米をどーんと送ってきたり、インスタントラーメンやみかんや餅を送ってきたりした。
 それだって嬉しいけど、母はしゃれたものはくれない。母のセンスではしゃれたプレゼントは思いつかないはずで、とすると、俺に姉がいなかったらかっこいい小物をプレゼントしてくれる人は皆無なのだろう。自分で買ってもなぁ、である。
 姉がいなかったとしたら、俺にプレゼントをくれる女性はゼロか。そういう意味では姉がいてよかった。
 乾さんはひとりっ子、本橋さんは兄ふたり、章は弟ひとり、幸生は妹ふたり。本橋さんも章も乾さんも姉妹ではない女性がプレゼントをしてくれるのだろうし、幸生は妹を悪くばかり言っているから、あいつらにプレゼントなんてしてほしくねーよ、と言う。
 でも、もらったら実は嬉しいのだろうか。幸生だったら妹ではない女性にプレゼントしてもらった経験は多いだろうから、妹のプレゼントは本当に嬉しくないのか。贅沢な奴だ。
 うちのメンバーは誰だって、女性にプレゼントをもらった経験はあるはず。ないほうがおかしいのか。俺は変なのか。
 プロになってからはファンの方がプレゼントをくれるのかと思っていたが、俺にはくれる女性はいない。他の四人にはあるのだろうな。妹と弟のいるヒデは、結婚した相手であるはずの恵さんにもらったか? おまえはもてなかったはずだから、他の女性には……あるのかな。あって普通かな。
 美江子さんも男にプレゼントをもらったのかな? 美江子さんって男性経験は……そっちに頭が向きそうになって、失礼だろ、やめろ、と自分を叱った。
 子供のころには男友達にだったら、誕生日やクリスマスにプレゼントをもらった。小学生のときに友達がくれたプレゼントの包みには、でっかい芋虫が入っていて、横で見ていた泉水が怒ってそいつを殴りそうになり、俺がなだめたものだ。
「これって蝶々になるんやろ。持って帰って飼うよ」
 あの芋虫はどうしたのだったか。成長して蝶になって羽ばたいていったのだったか。記憶には残っていない。
 そうそう、泉水がプレゼントはくれたっけ。小学校から大学までが同じ学校だった瀬戸内泉水が、フォレストシンガーズデビュー祝いだと言って花束と花瓶をくれた。あれは乾さんの部屋に飾ったから、乾さんがもらったことになるはずだ。
「サクラサク、フォレストシンガーズデビュー」
 男がなにをくれても嬉しさは少ないけれど、ものすごく嬉しかったものはある。こんな文面の電報だ。俺はフォレストシンガーズのメンバーなのだから、デビューしたのは知っているってのに、友人たちにたくさんたくさん送ったから、まぎれて俺にまで送ってしまったのだそうだ。
 学生時代の友人たちの中では、長く交流が続いている実松がくれた電報。あいつも女のひとにプレゼントをもらったことがあるのかな。あって当たり前かな。
「これでみんな、ひとつ年を取ったね。おめでとう」
 オフィス・ヤマザキの社員という形で、将来的にはフォレストシンガーズのマネージャーになると決まっている美江子さんは、現時点では修行中だ。フォレストシンガーズの担当もやってくれている美江子さんが言った。
「これもプレゼントだよ。ライヴが決まったの」
「単独か?」
 目が輝いた本橋さんが尋ね、みんなで美江子さんを囲んだ。
「単独だったらいいんだけど、何人もの歌手が出るショーなんだよね」
「ライヴってんでもないな」
「ライヴはライヴじゃないの。本橋くん、がっかりした顔をしないの」
「ああ、そうだな。いつ? どこで? 共演者は?」
 リーダーが質問し、マネージャーが応えてくれる。いつかはこんな質疑応答はこうなるのだろうか。
「全国ライヴ? いつからいつまで? どこを回る? うわー、そりゃ大規模だな。だけど、それだけ俺たちを待っててくれるファンの方が大勢いるってことだ。みんな、やるぞ」
 おーっ!! と鬨の声を上げて、今年も全国ツアーがはじまるぞ、とみんなで張り切って……そんな日がいずれはきっと来ると俺は夢見ていた。
 とはいえ、目下の俺たちはワンマンライヴはできない新米シンガーズだ。デビューしてから一年もたっていなくても、全国ライヴツアーをやれるシンガーもいるけれど、俺たちはこつこつ歩いてこつこつキャリアを積み重ねていく。地味なルックスに似合った地味なグループとして、歌だけは最高だと言われて成功したい。
「俺たちの誕生日のころにショーに出演するって決まったんだから、嬉しいプレゼントだよな」
 乾さんが言い、幸生と本橋さんと俺はうなずき、美江子さんもにこにこしている。が、章は不満そうな顔をしていた。
「その他大勢の出演ばっかだな。これだったらジギーと変わりもしないよ」
 ヒデがいなくなってしまって、そのかわりにと幸生が引っ張ってきたのが章だ。ハイトーンのヒデ以上のスーパーハイトーンの持ち主で、ロックバンドのヴォーカリストだっただけに歌は素晴らしくうまい。「ジギー」とは、章が所属していたロックバンドの名前である。
 大学を一年で中退して、女性ばかりのロックバンドに入った章とは、彼が一年生のときには親しくしていた。ヒデと幸生と章と俺の四人で食事にいって、二年生の俺たちがおごらされた。
 つきあいは一年足らずで、幸生にすらもなんにも告げずに大学をやめてしまった章なのだから、彼がいなくなってからは俺はほぼ忘れてしまっていた。章も合唱部にいたものの、合唱部のメンバーは出入りも激しくて、去るものは追わずの方針だったのだから。
 幸生が本橋さんのアパートに連れてきて、フォレストシンガーズに入れ、入ってくれ、と本橋さんと乾さんと俺の三人がかりで説得し、半ば強引に引き入れた章は、相当に扱いにくい奴だ。これぞロッカーなのか。俺は当初は章が嫌いだった。
 ガキでもないんだから、仲間を嫌いだと思ってはいけない。けど、おまえが恋しいよ、ヒデ。おまえだって扱いやすい奴ではなかったけど、章よりはよほどいい。
 最初のうちはそう思っていたから、章にも伝わっていただろう。乾さんや幸生ほどではないにせよ、章も聡い奴だ。俺ほど鈍感な男はそうそうはいないのかもしれないから、章ぐらいで普通なのか。本橋さんも鈍感なのだから、鈍感男が三人もグループにいては困るか。
 ともあれ、親しみが深まるにつれて章だって嫌いではなくなっているような、でも、やっぱりつきあいづらい奴であるような、である。
「ショーなんてさ、歌謡曲っての? つまんねえな」
 ぶちぶち文句を言っている章を見て、本橋さんも不機嫌顔になる。章はこんな性格なのだから、先輩には叱られてばかりいる。
 後輩を諭すのは俺の役目ではないから、俺はたいていは静観しているのだが、本橋さんは時には章を殴りつけて叱り、乾さんはたっぷり説教する。幸生がほのめかしたところによると、温厚な乾さんもごく稀には後輩を殴るのだそうだが、俺は詳細は知らない。幸生は言っていた。
「俺はほら、変身するでしょ」
「……するな」
「するなって言われても、変身ってのは自然にしちゃうんだよ。そうなるとわがままユキになって、隆也さんに甘えたりもするんだよね。隆也さんったら、ユキのわがままを聞いてくれないなんて嫌い、って駄々をこねて、叱られてぺんってぶたれるの」
「……」
「シゲさん、聞こえてる?」
「いいから続けろ。いや、続けなくていいよ」
「聞いてよぉ。あと、幸生が悪い男になるときもあるんだよね。そんなときには悪い子のユキを叱るときとはちがうふうに叱って、ばちんだとかごちんだとかって叩かれるんだ。隆也さんって怖いのよぉ。だけど、あれは暴力じゃないから」
「本橋さんのは暴力か?」
「リーダーの拳骨は凶器です。シゲさんが俺たちを投げ飛ばすのは……」
「なんだよ?」
「シゲさんは人間運搬機だもんね。仕事みたいなものだからいいんだよ」
 人間運搬機とは、章が貧血を起こしたり、酔って寝てしまったときに背負って運ぶのもプラスされているのか。章や幸生を投げ飛ばしたこともあるので、そんなんじゃないだろ、とは言えなかった。
 幸生に言わせるとそうなる、乾さんの後輩への接し方は、章に対するときはいくぶんちがっているようだ。俺に対するときにはさらにちがうので、乾さんは後輩の叱り方がうまいのだろう。人によって微妙に態度を変えて、章は、幸生は、シゲはこうやって叱るのがいいという主義を持っているわけだ。
 章には反抗的な少年を叱るように、幸生には甘えん坊の弟を叱るようにか、俺は鈍感だからよくはわからないけど、幸生の話しによればそんな感じだ。そして俺は、弱気になったり自分を卑下したりするときびしく叱られた。
 早苗さんに裏切られたときだって、しょぼくれていたら叱られた。俺は乾さんには殴られたことはないけれど、彼の叱責の声はいつだって心の奥深くにびんびん響く。ヒデもそう感じていて、乾さんには弱かったのだろうか。
 本橋さんにも乾さんにもヒデも俺もこつんとやられたことはあるけれど、あれは子供扱いというよりも親愛の情だろうから、ヒデや俺は章や幸生ほどにはガキだとは思われていないのか。年齢の差もあるのかもしれない。
 そうやって先輩たちにしっかり教育されていても、章はかわらず反抗的少年だ。幸生も時にはかたくなになるけれど、乾さんに諄々と諭されると納得する。章は説得するのも大変で、じきに臍をまげてすねたりふくれたりいじけたり、まるっきり幼児みたいでもあるのだから。
「章くん……私が言うと逆効果だよね。章くんって、女に説教されたくねえよ、なんだもの」
「ミエちゃんはマネージャーなんだし、章から見ればお姉さんでもあるんだから、言うべきことは言ってやって」
 美江子さんと乾さんが会話をかわし、章は聞こえないふりをしていた。
「言うと嫌われるんだもんね。乾くんは言うべきことは言って、それで嫌われたり憎まれたりしてもいいって考えるんだろうけど、私はそんなに親切じゃないの」
「親切に叱ってやってほしいな」
「いやよ。叱るんだったら乾くんにお願いするわ」
「叱るって事柄でもないんだろうけど……」
「だから俺はあんたが……」
 そのあとはなんと言いたかったのか、章は強い光を宿した瞳で美江子さんと乾さんを見つめた。
「おまえのその声は高くてうるせえんだよ。明日はショーのリハーサルなんだろ。今日は俺たちには仕事はないんだから、練習だ。ガキみたいにふくれてるんじゃねえんだよ」
「ふくれてませんよ」
「うるさい。黙れ」
 本橋さんが章の頭をぽかっとやり、章は頭を押さえて本橋さんを睨み上げる。幸生が小さくきゃっきゃーっ、と叫び、乾さんは苦笑い。美江子さんもなにか言いかけてやめた。
「では、明日は遅刻せずにリハーサルに集合してね。私は事務所に行ってきます」
 事務的な口調になった美江子さんはスタジオから出ていき、章は言った。
「遅刻って、それだって俺が言われたんだよな」
「当然じゃん、おまえ以外は遅刻なんかしないんだから」
 幸生が言い、章はいっそうぶすっとした顔になる。章は大丈夫なのだろうか。売れる売れない以前の問題で、グループに不協和音がたちこめないかと、章を見ていると不安になってこなくもないような、の気分だった。


3

 司会者はお笑いの中年男性。演歌歌手やアイドルやといった、売れているとは言い難いシンガーたちに混じって、フォレストシンガーズも出演させてもらう。
 群馬県にあるスパリゾート施設の十周年記念イベントなのだそうで、会場は施設の大広間だ。出演者が全員顔をそろえてのリハーサルは、第一回は東京の▽▽区民会館のホールを借りておこなわれる。男女半々ぐらいの出演者には、名前は知っている程度のひとと、名前も知らないひとが混在していた。
「フォレストシンガーズ? お笑い?」
 おばあさんに近い演歌歌手の最上バーバラさんが言い、若い演歌歌手の金沢つくしさんも言った。
「シンガーズって英語、バーバラさんは知らないんですか」
「知ってるけど、近頃のお笑いって無茶苦茶な名前をつけるでしょ。男か女かわからない人間だってわんさといるんだから、歌手だかお笑いだかわからない人間もいるのよね」
「服装のセンスがよくないところって、お笑いっぽいかも」
 ヒット曲はあるのだそうだが、俺たちが子供のころなのだからどんな歌なのかは知らない。だが、最上バーバラだったら名前は知っている。大ベテラン演歌歌手は過去の威光を笠に着て大きな顔をしていて、デビュー間近だという金沢つくしさんは、表面上は彼女にへりくだっていた。
「なんだっていいけど、このごろって歌の下手な人間が歌手になるんだよね」
「そうですよね。演歌歌手は歌が下手だったら絶対になれないのに、アイドルなんて顔だけでなれるんだから」
「顔だけってほど顔もよくないんじゃない?」
「整形してあれじゃあね」
 女性演歌歌手たちの矛先がアイドルに向いた。アイドルシンガーといったジャンルの歌手は三人いる。若い男性がひとり、女性デュオが一組。バーバラさんとつくしさんが話題にしているのは、女性ふたりの「Two notes 」。ふたつの音符という意味だ。
 みなさんに挨拶はしたものの、俺たちは会話には加わらずに楽譜を見たり、ショーのフィナーレで全員で歌う歌について聞いたりしていた。そうしていても女性たちの声は聞こえてくる。章がぼそっと言った。
「歌が下手って、アイドルだったらそうだろうけど、俺たちのことも暗に言ってるんじゃねえのかな」
「言わせておけ」
 本橋さんも小声で言い、幸生も言った。
「俺たちの歌は聴いたことはないんだろうから、あとで聴いてもらって降参してもらおうぜ」
「演歌歌手にだったら負けたりして?」
「あるかもな」
 みんな共演者じゃないか。どうして仲良くできないのかな、と俺は思うのだが、きれいごとなのだろうか。歌手なんてものは我が強くて自己顕示欲が旺盛すぎるほどで、そういった性格だからこそ、歌手になったのだろうから。
 フォレストシンガーズの他の四人も目立ちたがりで、特に幸生はその傾向が顕著だ。見慣れているのもあって幸生だったら微笑ましいのに、他の歌手の我の強さはうとましく思うとは、俺は心が狭い。
 演歌歌手は結束が固いのか、残り二名の男性演歌歌手も加わって、近頃の歌手は歌のまずいのが多すぎる、という話題で盛り上がっている。アイドルたちはむこうでダンスの練習をしているようで、俺たちは俺たちの話をしている。
 スパリゾートのステージなのだから、年配の方と子供のお客さんが多いのか。演歌とアイドルはその両極端世代に受けるだろうけど、俺たちは……うう、考えないでおこう。
 鈍感シゲだってお客さまの反応には敏感にならざるを得ない。ショーの当日は俺たちのステージのときにだけ、客席がしらーっとしていたらどうしようかと、背筋が寒くなってしまう。悪い想像はするな、シゲ。おまえは想像力がないくせに、よくない想像だけはするんだから。
 自分を叱咤しつつリハーサルをこなして、それだけで疲れた気分で外に出ると、女性が三人、睨み合っていた。
「……つくしさんとTwo notes のふたりだよね」
 幸生が言い、五人してなんとなく物陰に身を潜めた。
「あたしたち、整形なんかしてないよ」
「取り消してよね」
「ステージで冗談ででもそんなことを言われたら、名誉毀損だよ」
 リアとウィという愛称で、本名は知らないTwo notes のふたりが言う。つくしさんはつんつんしていた。
「なんとか言えば?」
「あんたはひがんでるんだろ。鼻ぺちゃでほっぺたがまん丸で、田舎もんのブス顔だもんね」
「演歌歌手は歌さえうまかったらいいみたいだけど、あんただったら売れるはずないよ」
「ブス、なんとか言えよ」
 アイドルの実態がこれなのだから、少年ファンが見たら青ざめるぞ、と俺は言いたい。乾さんも呟いた。
「醜いね」
 うんうん、と他の三人もうなずく。つくしさんはつんつんしていて、リアとウィは言い募る。しまいにつくしさんが言った。
「あんたたちが整形したって言ったんじゃなくて、アイドルだったら歌なんか下手でもいい、整形してちょっと可愛くなったらデビューできるんだよね、って言っただけよ。あんたたちこそ身にやましいところがあるから、ずきっとしたんじゃないの?」
「あたしたちを見て言ってたじゃん」
「ブスだからって……」
「歌手は顔じゃないんだからね」
 言ったつくしさんに俺は賛同したかったのだが、アイドルたちは反論した。
「顔じゃないったって、あんたの顔だったらひどすぎるんじゃない?」
「もうひとりのばばぁは年は取ってるけど、昔は美人だったのかなって顔してるよ」
「たいていの男は若い女が好きだけど、あんたとだったらあのばばぁのほうがましかもね」
「あんたの顔は顔とも言えない顔だから、顔じゃないって言うんだね」
「言えてる」
 ぎゃはははっと下品に笑うふたりを、つくしさんがくちびるを噛んで見据える。あなたが私を捨てるなら、地の果てまでも追いすがり、お七のように火をつけて……というような歌詞の、金沢つくしの演歌を思い出して怖くなった。
「女性にはあるまじき品のない言葉の応酬になってきてますよ。乾さん、つくしさんの苗字って金沢なんだから、彼女、金沢出身じゃないんですか」
「本名だそうだよ」
「聞いたんですか。素早いな。そしたら話もしたんだろうから、割って入ってもいいんじゃありません? このままでは流血沙汰になりますよ」
「女は流血はやらないだろうけど、幸生の言う通りだ。止めてやれよ」
「そうそう。リーダーが行くと怒鳴りつけて、女のひとたちが泣き出すかもしれないから、乾さんにお願いしますよ」
「あいつら、それしきで泣くタマじゃねえだろうけどさ」
 章も言い、俺も見つめると、乾さんはうなずいて女性たちのほうへと歩み寄っていった。
「ブスってのは裸になると……」
「お嬢さんたち、そのへんにしようね」
「あ、乾さん」
 金髪にピンクのメッシュがウィ、ごく淡い茶髪にブルーのメッシュがリア、「Two notes 」の区別は髪でしかつかない。ほっそりと背の高い脚の長い体型も似ていて、双生児のようだ。ふたりは乾さんを認めて気まずそうな顔になった。
「あなたたちって年頃も近いんだろ。アイドルと演歌歌手、ファンのみなさまに夢を見ていただける職業の美しい女性たちでしょ。あなたたちに憧れる青少年のファンのみなさまの、幻想をこわすような言動は慎もうね」
「こんな女に憧れる馬鹿はいないよ」
「だって、乾さんだって見りゃわかるでしょ、この顔……」
「やめなさい」
 ぴしゃりと言われて、アイドルたちは顔を見合わせる。
 もうひとりの若い女性は小太りで、背は低い。内緒で言えばルックス的には「Two notes 」よりは格段に落ちる。ハイヒールを履いているので乾さんともさして背丈のちがわないふたりと較べれば、つくしさんは二十センチ以上低いのに、顔は一番大きい。
 ファッションだって演歌歌手らしく、俺みたいにださい。彼女の場合は戦略なのかもしれないが、流行の可愛い服装の「Two notes 」のそばにいると、たしかに……であった。
「同じ年頃の女性たちなんだから、共演したのをいい機会に仲良くなることだってできるでしょ」
「そしたらさ、乾さん、食事に連れていって」
「金沢さん、あんたは来なくていいよ」
「ウィちゃん、そういうことを言うんだったら、きみも来なくていいよ」
「ちぇぇ。言わないから、ね、行こうよ?」
「つくしさんもいかがですか」
 頬がぽっと上気して、つくしさんもうなずいた。
「俺はああいう女たちは苦手だよ」
「俺は先約がありますので」
「お先にぃ、シゲさん、乾さんのフォローをよろしくね」
 結局、本橋さんも章も幸生も逃げてしまって、俺が乾さんと一緒に女性三人と食事に行くしかなくなってしまった。
「俺がどうやってフォローするんだよ」
 内心では嘆きつつ、いや、俺のフォローなんかなくても、乾さんだったら上手に彼女たちに対処するよな、現に喧嘩だって止めたもんな、考え直し、「向日葵」に行った。
 酒も食事もお茶もうまいのに、客は少ないときが多い。美味な料理を作ってくれそうな長身で肥満体のマスターのいる店は、俺たちの大学の先輩が開拓してきて、口コミで伝わった。本橋さんだか乾さんだかが、合唱部の先輩に教わったのだそうだ。
「ここだったらゆっくり話ができるでしょ。好きなものを頼んで」
 三人ともに本日の仕事は終わりだそうで、俺たちもあとの予定はない。各自が料理や酒をオーダーする。女性たちは二十歳はすぎていると言ったので、ビールや食前酒で乾杯した。
「お疲れさまでした。ねぇ、乾さんだけはちがうよね」
 つくしさんが言った。
「さっき、あたし、フォレストシンガーズって服のセンスがよくないって言ったけど、乾さんはかっこいいですよね」
「ありがとう」
「そっちのひとは……まあいいけど」
 そっちのひととは俺である。俺はセンスがいいと言われたらむしろ、そんなはずないだろ、馬鹿にしてんのか、と思うので、こう言われても平気だ。
「歌も上手ですよね。フォレストシンガーズって見直しちゃった」
「そう言っていただけると嬉しいですよ」
「アイドルなんて放っておきましょうね。彼女たちは歌手っていうんじゃないんだから」
「てめえさぁ……」
 凄もうとしたウィに、乾さんがまたもやぴしゃりと言った。
「他のお客さんだっているんだよ。きみはアイドルでしょ。女性アイドルってのは可愛く優しくってのが身上じゃないのかな。茶目っけのある程度だったらいいけど、下品な言葉はやめなさい」
「乾さんって口うるさいね」
「俺はうるさいよ。それで後輩にも嫌われてるんだから」
「後輩って誰?」
「大学の後輩は他の業界にも多々いるからね」
「あたしたちの知らないひと?」
「だと思うよ」
 なんだ、そうか。乾さんを嫌ってる奴なんて、フォレストシンガーズにはいないはずなのだから、当然なのだった。
 全員が歌手としては新米なのだから、新人歌手の業界での苦労話しが続いていく。つくしさんは頭がよさそうで整然とした語り口、あとのふたりは可愛い声で可愛く喋るので聞いていて気持ちがいい。アイドルたちの話には内容は乏しいけれど、綺麗な女性の声は心地よく響く。
 毎度のことで、俺は聞き役に回っている。乾さんは的確な相槌や質問をまじえて、女性たちとお喋りしている。俺の視線がさまよっていく。
 トレンドのファッションなんてものは俺は知らないけど、「Two notes 」のふたりはおしゃれなワンピースを着ている。襟元が大きめに開いていて、胸の谷間が覗けそうだ。こら、こらこら、シゲ、見るな。
 見てはいけないので目をそらし、つくしさんに視線を向ける。彼女もワンピースを着ていて、こちらも襟ぐりは大きめ。つくしさんのワンピースは流行りではないのかどうかも知らないが、襟ぐり大き目が女性の間ではトレンドなのだろうか。
 小太りなだけに胸元むっちりのつくしさん、スリムなのに胸は大きなウィとリア、彼女たちの胸元は目の毒だ。見まいとしても目が吸い寄せられる。乾さんの視線はどこにあるのかとたどってみたら、彼は彼女たちの口元を見ているようだった。
 さほどに親しくない相手ならば、目をまっすぐに見つめては無礼だという。顔を見ないのも無礼だし、女性の胸をじろじろ見るのはなおさら無礼だろう。今回のショーの共演者の、もうひとりのアイドルシンガーの少年の話しをしているリアの口元に目をやって、俺も熱心にうなずいた。
「リア、先に帰りなよ」
 ちょっと失礼、と乾さんが立っていくと、アイドルたちがつつきあって小声で言い合っていた。
「なんであたしが……ウィこそ……」
「ふたりともって駄目かな?」
「最初から? あたしはやだよ」
「あたしもやだから、ウィが帰れよ」
「やだ。乾さんに選んでもらおう」
 あんたが帰れ、あんたこそ帰れ? ふたりともって駄目? この会話は? 赤面しそうになった。
「金沢さんは帰るでしょ」
「……あんたたちはなにをたくらんでるの?」
「なんだっていいじゃん。まさかあんたまで……?」
「その目はそうなの? 無駄だよ」
 よーくよーく考えてみると、鈍感な俺にも推理はできた。
 要するに女性たちは三人ともに乾さんを好きになり、今夜は彼の部屋だか彼女の部屋だかに一緒に帰りたいとたくらんでいる。乾さんがもてるのはありふれすぎているほどによくある話しなのだが、こうまであからさまに、乾さんと一緒に帰りたい、という態度を示す女性は、俺の知っている限りではいなかったはずだ。
 歌手というものは女性も大胆で積極的なのか。放置すると女性三人が乾さんをめぐって争奪戦になって、本当に流血沙汰になるかもしれない。
「あたしが乾さんを好きになったらいけないの?」
「ブスのくせにさ」
「だっさい演歌歌手は引っ込んでな」
「なによ、整形美人のくせに」
 あのあのあの、ちょっと……俺にはどうすることもできなくて、うろたえているしかなかった。
「あたしたちは整形なんかしてないし、顔だけじゃないだろ」
「そうだよ。あんたとあたしたちの身体を較べてみなよ」
「身体だってエステだとか豊胸術だとかで作ったんでしょ。全身整形だってあるじゃないのよ」
「脚の長さや身長は作れないよ」
「なんにしたって、あんたとあたしたちじゃ雲泥の差っていうんだろ」
「そんな言葉を知ってるってえらいわね。ふん、ふたりでひとりのくせに。歌だったらあたしひとりにふたりで負けるくせに」
「抱く女の歌なんて、男は気にしてないんだよ」
 乾さんがいれば品よくふるまおうとしていたようだが、いなくなると下品さが蘇ってくる。俺では彼女たちを叱りもできなくて、乾さん、早く戻ってきて下さいよ、と願っているしかなかった。
「乾さんに選んでもらおうよ」
「ウィって自信満々よね」
「あんたは絶対に選ばれないから、恥をかかないうちに早く帰ったほうがよくない?」
「ウィも帰れよ」
 またまた三人が睨み合っていると、乾さんがようやく戻ってきた。
「失礼しました。そろそろお開きにしようか」
「乾さん、なにやってたの?」
 じっとりしたまなざしでリアが尋ね、乾さんは言った。
「俺はケータイを持ってないから、公衆電話をかけてたんだよ」
「誰に?」
「彼女に」
 しーんとした沈黙とともに、空気を凍結感が支配した。
「どうしたの? リアちゃんとウィちゃんは同じマンションの別々の部屋を借りてもらってるんだったよね。つくしさんは作曲家の先生のお宅に同居だったら、門限だってあるんでしょ。明日も仕事はあるって言ってたんだし、帰ろう」
「……門限なんていいんだけど……」
「彼女、いるのか。マジな彼女?」
「俺は女性とは真面目にしかつきあわないよ」
 学生時代ならば俺だって、乾さんには真面目につきあっている彼女がいるのだと信じ込んだだろう。だが、乾さんとは数年間もつきあっていて、方便も使うひとだと知っている。乾さんは空気を読むのがうまいのだから、女性たちの雰囲気を読み取って嘘をついたのかもしれない。
 彼女たちにしても疑っているのかもしれないが、そう言われてしまえばどうしようもなかったのだろう。乾さんには彼女がいないと信じていたからこそ、一緒に帰りたかったのか。そこは男とはちがった女性の感覚だろうから、俺にも納得はできた。
「しようがないね」
「金沢さんにはよかったんじゃない」
「かもね」
 こころなしか寂しそうにウィとリアが言い、意地悪な顔でつくしさんを見る。つくしさんはつんっとして言った。
「あたしはタクシーで帰るから」
「気をつけて」
「……乾さん、立派な歌手になってね」
「あなたもね」
 ふたりが見つめ合い、リアとウィは言い合っていた。
「送ってほしいけどね……」
「送ってもらっても先がないんじゃ意味ないじゃん」
「だよね。シゲさんは?」
「いらなーい」
「あたしも全然いらなーい」
 大きな声で俺の名前を出すな。知ってるよ、どうせ俺は整形美人にだって、いらなーい、と言われる奴なんだ。
「本当は三人ともに送るのが義務なんだろうけど、彼女と約束したんでね、ごめんね」
「あたしたちは事務所に電話して、誰かに迎えにきてもらう」
「だったら安心だね。じゃ、シゲ、つくしさんをタクシー乗り場まで送っていけよ」
「はい」
 嘘なのだか本当なのだか、逃げたのかもしれない乾さんは、ひとりで先に帰ってしまった。「Two notes 」のふたりは事務所からの迎えの車を待つと言い、俺はつくしさんとふたりで店の外に出た。
「本庄さんが乾さんと一緒のグループだなんて、信じにくいみたい」
「感じがちがいすぎますものね」
「本庄さんは自信がなさすぎない?」
「そうかもしれません」
「乾さんはかっこいいから、そばにいると引き立て役になるみたいなところはあるよね。合コンみたいのだったら乾さんとは離れていたほうがよさそう」
「そうですね」
「……つまんない人。乾さんのかわりに……ううん、本庄さんなんかいらないわ」
 あ、タクシー乗り場までは……と言おうとしている俺をうっちゃって、つくしさんは早足で行ってしまった。

「雨を避けたロッカールームで
 君はすこしうつむいて
 もう戻れはしないだろうといったね
 瞳の中風を宿した悲しいほど誠実な
 君に何をいえばよかったのだろう
 かげりのない少年の季節はすぎさってく
 風はいつも強く吹いている

 走る走る俺たち 流れる汗もそのままに
 いつかたどり着いたら 君にうちあけられるだろ

 グランドに忍び込んで 芝生の上寝転んで
 星の数をかぞえて眠ったあの頃
 かかえきれぬ思いを胸に
 君は軽くほほえんで
 ふり返らずこの部屋を出て行くのか
 飾りのない少年の心は切りさかれて
 夢はいつも遠くみえてた

 走る走る俺たち 流れる汗もそのままに
 いつかたどり着いたら 君にうちあけられるだろ
 たとえ今は小さく 弱い太陽だとしても
 言葉もない俺たち ひどく熱かった日の夕だち

 かげりのない少年の季節はすぎさってく
 風はいつも強く吹いてる」

 ふいに歌がくちびるをついて出てくる。
 率直に言って美人でもないつくしさんにだって、俺はああやって冷たくあしらわれる。ウィやリアみたいな美人だったらよけいに、俺になんか洟もひっかけない。
 いいんだいいんだ、俺には一生彼女ができなくても、俺には歌があるんだもの。歌うために走り続けるんだ。ひとり肩をすくめてきびすを返した俺の背中に、春になっていても凍えるような風がびゅびゅーっと冷酷に吹きすぎていった。


END






 


 



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