novel

小説253(赤い花、白い花)

 ←小説252(Once upon a time) →番外編75(異・水晶の月5)
images花

フォレストシンガーズストーリィ253

「赤い花、白い花」


 
 男子合唱部室の前で、私は聞き耳を立てていた。
「乾さん、そんなの無理じゃありません? だって、本庄さんと乾さんだと歌唱力に差がありすぎるし。乾さんにだったらできても、本庄さんにはできないことっていっぱいありそう」
「……おまえなぁ、おまえは関係ないだろ。出ていけ」
 おや、シゲくんが女の子にこんなことを? と、私はすこし驚いた。背伸びして窓から覗くと、女の子はくちびるをとがらせ、生意気な口調で言っていた。
「合唱部なんだから、歌がうまいのが当たり前だと思ってましたよ、あたし。本橋さんや乾さんには卓越した歌唱力があるってわかりましたけど、そうじゃないひともいるんだもの。本庄さんは身のほどに合った程度でいいんですよ」
 シゲくんが三年生、乾くんは四年生。女の子は一年生。男子の先輩は女子の後輩には甘いのも、我が合唱部の伝統だった。そんなわけで女子は一年生でも、男子の先輩をなめてかかる傾向があった。男子部室で起きている小さな事件の発端はそこに起因しているのではないだろうか。
「うるさいんだよ。おまえはなにをしに来たんだ。用もないのに男子部に入ってくるな」
「あたしは乾さんに用があるんだもん。本庄さんは邪魔なんだもん。本庄さんこそ出ていけば?」
「俺はおまえの先輩だぞ。なんだ、その口のききかたは」
「男子の先輩にえらそうにされるいわれはないしぃ。なんか腹が立ってきた。むかつくぅ」
 机の上にあったものさしを、彼女はふいにシゲくんに投げつけた。シゲくんはそれをキャッチし、彼女目がけて投げ返そうとした。
「シゲ、女の子になにをするんだ」
 乾くんの声に我に返ったシゲくんは、あ、すみません、と呟いて、ものさしをうしろに隠した。
「やだなぁ、男ってすぐそういうことをするんだから。乾さんがいなかったら、あたし、本庄さんに怪我をさせられたところだわ。ねぇ、乾さん?」
「……きみが悪いんだよ。出ていきなさい」
「あたしが悪い?」
「自分がなにを言ったのか、なにをしたのか、わかってないの? きみの態度は年長者に対するものじゃない。男子の先輩も先輩だろ。先輩に対してなんだよ、そのふるまいは。出ていきなさい」
 べそをかいて上目遣いで乾くんを見上げて、彼女は言った。
「あたし、乾さんに用事があったのに……女の子をひとりで帰らせるんですか」
「たいした時間でもないだろ。俺は先輩を先輩とも思わないひとに用はない」
「……ひどい」
「どっちがひどいんだ。出ていってよく考えてみなさい。何度も言わせるな、さっさと出ていけ」
 しゅんとして彼女は出ていき、乾くんはシゲくんに言った。
「原因はあの子だけど、おまえもかっとなったからって、女の子に乱暴なんかするんじゃないぞ。そんなものを投げ返して、当たりどころが悪くて顔に怪我でもさせたらどうするんだ」
「じゃあ、女の子がこんなものを投げつけてきたら、俺はどうしたらいいんですか」
「キャッチしたんだったら、もとに戻す。あとは話し合いで解決するんだよ。あの子はおまえの彼女でもなんでもないんだから、出ていけ、と言えばいい。出ていかなかったらおまえが出ていけばいい」
「……わかりました、すみませんでした」
「おまえは素直だね。うん、ま、わかればいいよ」
 私は男性の先輩に失礼な言動を取った記憶はないのだが、もしかしたら無意識でやっていたかもしれない。一年生の女の子の態度もそれだったのだろう。むすっとしているような、半泣きのような表情の女の子が出てくるのを待って、私は彼女の隣に並んだ。
「……えと、山田さん?」
「眞子ちゃんだったよね」
 合唱部は男子も女子も、通年、入部希望者が多い。練習がきびしいだの先輩がうるさいだので退部していく者も多くて自然淘汰されていくのだが、現時点では新入部員は大勢いて、全員の顔と名前を一致させるのは至難の技だった。
「乾くんに用事だったの?」
「いいんです。山田さん」
「はい」
「私、退部しますから」
「ちょっとちょっと、待ってよ」
「いいんだもんっ。山田さんが苛めるからやめるんだもんっ!!」
 ちょっと待ってよぉ。私はあなたを苛めてなんかいないでしょ。もしかして、あなたは乾くんが好きで告白しようとでもしていたの? そうなんだったら協力してあげるよ。彼はお説教が好きだから、先輩に失礼な態度を取る一年生の女の子は叱るのが当然だろうけど、あれであなたを嫌ったわけではないのだから。
 嫌いだったらむしろつめたい目で見て、お説教もしないんだよ。私は覗き見や立ち聞きをして無作法だったかもしれないけど、あなたを苛めてはいないでしょ? 眞子ちゃん、早まらないで。
 心ではそう言って、口では、あ、ちょっと、ぐらいしか言えないでいる私を残して、眞子ちゃんは小走りで行ってしまった。
「ミエちゃん、そんなところでなにをしてるの?」
「立ち聞き、覗き見」
「あのね、きみね……」
 窓から私を見つめてお説教したそうな顔をしている乾くんに、私は言った。
「変な噂が立つかもしれない。彼女が広めるかもしれない。だけど、私じゃなくて乾くんなんだからね。私は眞子ちゃんを苛めてないんだから。先に言っておくからね」
「眞子ちゃんって今の一年生?」
「そうだよ。乾隆也の……」
 馬鹿? 女たらし? 悪い奴? 説教好き? どの言葉もあてはまるようであてはまらない。乾くんは女の子をたらそうとしていたのではなく、お説教しただけで、眞子ちゃんにしても本当に乾くんに告白しようとしていたのかどうか。
 いや、それはまちがいないとしても、乾くんが悪いわけではない。否、乾くんが悪い。彼はその存在だけで女の子の心を揺らせる悪い奴なのだ。しかし、それは彼の罪なのか? 私にはそうとは言い切れなく、そうではないとも言い切れなくて、怪訝そうな乾くんを見返して悩んでいるだけだった。

 
 この先何年生きたとしても、彼以上に好きなひとなんか見つけられない、そう思っていたひと。高校時代の子供の恋は別としたら、私のはじめての本当の恋の相手は星さん。
 大学に入学して間もない五月のある日、合唱部の飲み会の帰り道、送っていくよと声をかけてくれて、俺の彼女になれと強引に口説かれて、よろよろっとよろめいて彼の腕の中に入り込み、心を奪われた。彼との間は「はじめて」づくし。

「赤い花つんで あの人にあげよ
 あの人の髪に この花さしてあげよ
 赤い花赤い花 あの人の髪に
 咲いてゆれるだろう お陽さまのように」

 合唱部にいても歌は下手だった私に、星さんは歌唱指導もしてくれた。四年生だったから勉強も教えてくれた。理系の秀才の星さんは、物理が苦手な私に忍耐強く個人教授をしてくれて、そんなときにだけはきびしくて、ボールペンでおでこをこつんとやられて叱られたりもした。
 子供だった私に、星さんはなんだって教えてくれた。勉強以外は優しくて、セクシャルな方面では色っぽくて、私を恥ずかしがらせて喜んでいた。
 風邪を引いたら看病してくれて、私のアパートの部屋の布団に入ってきて、朝まで抱いていてくれた。ふたりきりでどこかに行きたいとせがんだら、友達の車を借りてきて富士山の見えるコテージへ連れていってくれた。
 はじめてひとつになった合宿の夜。全身が星まみれだったあの夜。最後のデートの本物のシャンパンと、ホテルのバスタブを埋めていたきめ細かなふわふわの泡。窓辺で抱きしめられて高層階の部屋から
見下ろした東京の夜景。
 喧嘩をしてデートの途中で帰って、そのくせ星さんを探しにいったら、私のアパートの外で待っていた彼。彼のアパートにたくさんたくさんあった古いレコードのジャケット。彼のお手製のオーディオコンポで聴いた昔の外国のフォークソングのメロディ。
 数は少ないものの、ふたりで迎えた朝。ベッドのあとで彼が囁いた卑猥な言葉。彼の胸の広さ。見上げた顔の彫りの深さ。目を閉じて聴いていると身体の芯までしびれた低い声。あの声は私にえっちな言葉も教えた。
 そんなこんなの短い間の出来事が、記憶の奔流になって押し寄せてきて私を苦しめ、泣いた夜もあった。
「俺は社会人になるんだよ。うちの会社はきびしいから、大学生のおまえとこのまんまつきあってはいられないんだ。わかってくれるよな、美江子? おまえは泣かない女だろ。泣かないよな」
 ずるい、と詰りもできず、泣いてすがるなんて私のガラじゃないと格好をつけて、見送った星さんの広い背中はまだ私の思い出から消えてはくれない。
 星さんに捨てられてからだって恋はしたけど、うたかたの蜃気楼だったみたい。今度の恋は恋なの? 恋にもさまざまあると知ってるつもりだったけど、星さんとはちがいすぎる。較べるのはまちがっているとも知ってるつもりだけど。
 四年生になって、キャプテンや副キャプテンではないものの、マネージメント担当という合唱部では重要なポジションについた私に、告白してくれた男の子がいた。
 一年生の酒巻國友は、細くて小さくてまさに男の子としか呼べない幼い可愛い子。それでいて声が低くてずいぶんと男っぽくて、そのギャップが魅力的……かなぁ? なんで私は彼とつきあう気になったのか。彼の一途さにほだされたとしか言いようはなかった。
 夜遅くに大学近くの公園を、酒巻くんとデートしていた。平和なひとときだったのに、私たちに因縁をつけてきた酔っ払いがいた。酒巻くんは私を背中に押しやってかばってくれようとしたのだが、いかんせん彼は小柄で子供っぽい。声は低いけれど、外見がこうでは凄みも出ない。うしろから見ていると酒巻くんの脚はがたがた震えていて、私は前に出た。
「馬鹿みたいにそんなこと言って、悲しくなりません? やめましょうよ」
「馬鹿みたいだと? ふーん、お姉ちゃん、よく見たら美人だね。俺と飲みにいこうよ」
「お断り。酒巻くん、行こう」
「行かせないよー」 
 えへらえへらと酔っ払いが通せんぼし、酒巻くんが震え声で言った。
「ど、どいて下さい……」
「やだよぉ」
「……美江子さん、僕……」
「酒巻くん、泣いてるの?」
「だって……僕……どうしたらいいのか」
 どうしたらいいのかは私にもわからないけど、どうにかして逃げ出すしかない。泣いててどうすんのよっ、と大声で酒巻くんに言ったら、その声を聞きつけてやってきたのはなんと、本橋くんだった。本橋くんの背中には女の子がくっついていて、彼らも公園をデートしていたと見える。
「やっぱりおまえか。山田の声がしたと思ったんだけど、なにやってんだ、こんなところで」
「私たちはなんにもしてない。このひとがからんできたの」
「酔っ払いか。どうしようもないな。おい、おっさん、行っちまえ」
 ぬーっと立ちふさがれると、本橋には威圧感がある、と乾くんは言う。その通りであるらしく、酔っ払いはあきらかにたじろいだ。それでも虚勢を張って、酔っ払いはわけのわからないことをわめきつつ、本橋くんの胸をどんっと突いた。突いたはずだったのだが、本橋くんが身をかわしたものだから、地面に転倒してしまった。
「足元も定かじゃない酔っ払いのくせして、馬鹿のきわめつけってのはてめえだよ。こんなのほっとけ。行くぞ」
 片手で私の知らない女の子の手を、片手で私の手をつかみ、本橋くんは走り出した。酒巻くんもこけつまろびつついてきて、酔っ払いから遠ざかると、本橋くんは言った。
「こんな時間に女子供が、こんなところをうろうろすんな。馬鹿はおまえらもだ」
「あんただってこんな時間に、こんなところをうろうろしてるんじゃないの?」
「俺はいいんだ」
「なんで?」
「俺は自分の身は守れるし、なにかあったら連れも守れる。おまえらはそうはいかないだろ。酒巻、おまえは泣いてるのか」
「いえ、あの……」
 いえ、と否定はしているものの、酒巻くんは事実、泣いていた。
「情けない奴だな。山田は泣いてないぞ。酔っ払いにからまれて泣くだなんて、そんな男が夜中の公園を歩くな。おまえらはデートしたいんだったら、人通りの多いところにしとけ。山田、おまえも……いや、いいよ。気をつけて帰れ。人通りの多いところを歩いて帰れ」
「本橋くん、彼女は?」
「帰り道に説明するよ。行こう」
「うん、じゃあね」
 じゃあね、と私に言った彼女は、こんな彼氏じゃ大変だね、と言いたそうに酒巻くんを見やって、本橋くんの腕に腕をからめて歩み去った。
「なんて失礼な奴なんだろ。女子供だって。……そりゃあね、酒巻くんには本橋くんに言い返す勇気はないだろうけど、もうちょっとしっかりしてよね。せめて泣くのはやめて」
「……はい」
 直接の原因でもないけれど、その一件が酒巻くんから私の心を離れさせた一因だったのはまちがいない。

「白い花つんで あの人にあげよ
 あの人の胸に この花さしてあげよ
 白い花白い花 あの人の胸に
 咲いてゆれるだろう お月さんのように」

 酒巻くんではなかったね。やっぱり私には、彼以上に好きなひとはあらわれないんだろうか。大学を卒業して社会に出ていけば、本当の恋が見つかるのだろうか。赤い花だの白い花だの、そんな歌ではなくて、艶歌に出てくるみたいな恋ができるの?
 いいえ、恋ばっかりが人生じゃない。私にはフォレストシンガーズがある。
 本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、小笠原英彦、三沢幸生。男子合唱部のメンバーたちが結成したフォレストシンガーズがメジャーデビューすれば、私がマネージャーになるのだと、彼らとの約束はできている。
 年長の本橋くんと乾くんと私は、来春には卒業する。卒業したからといってすぐにデビューできるものでもないだろうから、私は就職を決めた。本橋くんと乾くんは正式には就職せずに、アルバイトをしながら歌を続けていくのだそうだ。
 なのだから、恋がしたいと憧れている場合ではない。仕事は一時的になるにせよ、真剣にやらなくてはならないのだし、私にはその先に大きな目標がある。
「だけどね、女の子なんだもの。恋がしたいなぁ」
 女の子芝居をしている幸生くんの真似をして、可愛い声で言ってみて、自分でぶっと吹き出した。仕事は仕事、恋は恋。上手に両立できる大人の女、当面の第一目標はそこに設定しよう。


END


 





スポンサーサイト


  • 【小説252(Once upon a time)】へ
  • 【番外編75(異・水晶の月5)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【小説252(Once upon a time)】へ
  • 【番外編75(異・水晶の月5)】へ