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小説20(アンチェインドメロディ)

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フォレストシンガーズストーリィ・20

「 アンチェインドメロディ」

1

 変な歌と意味不明の言葉を乾さんに聞かされて、頭をかしげながら夕食を食べに入った店で、悦子が待ち伏せしていた。会う約束なんかしてねえだろ、ってなもので黙殺しようとしたら、悦子はちゃっかり俺の前の席にすわった。
「……わけのわかんねえことばっかり言われて、俺は気分がよくないんだ。おまえの顔なんか見たくない」
「誰になにを言われたの?」
 冷淡にふるまってみても、悦子はめげずに問い返し、俺もついつられて答えた。
「変な歌と変な台詞……もしも生まれ変わったら……とか歌ってたよ。なんなんだ、あれは。もっとも、乾さんってひとはもともとわけわかんないんだけどさ」
「乾さんか……ミミズかミジンコだって?」
「?」
 頭の中を疑問が渦巻いた。なんだって悦子が言い当てる? 悦子の表情に、変な歌を歌って変な言葉を連発していた乾さんの表情が重なって見えた。意味ありげなまなざしが似ていた。
「いつの間に……悦子、おまえ、いつの間に乾さんと……」
「ふーん、わかっちゃったか」
「当たり前だろ。おまえなんか敏感でもなんでもないのに、乾さんが言ったミミズだのミジンコだのを察せられるわけがねえんだよ。なのに知ってるってことは、乾さんと会ったのか。話したのか」
「そうだよ。あたし、乾さんにキスしてもらっちゃった」
「なぬぬ……」
 一気に食欲が失せた。
「乾さんってけっこうかっこいいじゃん。章よりずっと背も高いし、優しくて思いやりがあって、章なんかとえらいちがい。たしかにきびしいことも言うひとだけど、そういうところも男らしくてかっこいいよ。あんたなんかとじゃ月とすっぽんって言うんだよね。老婆心だとかも言ってたし、わけのわかんないことも時々言ったけど、そんな奴とは別れて俺のものになれよ、って言ってくれたんだ」
「そんな奴って俺か?」
「あんたに決まってんだろ。だからね、あたし、乾さんの女になる」
「……そうか、勝手にしろ」
 ミミズかミジンコがそれとどうつながるのかは依然として謎なのだが、もはやどうでもよかった。乾さんによけいなことを言わなかっただろうな、と訊くのも虚しい。なんだかだと言ったのは決定的だ。でなければ、そんな奴とは別れろ、と乾さんが言うわけがない。
 こいつって乾さんの趣味か? 乾さんの好みのタイプってのをよく知らないから断定はできないけど、悦子みたいに派手で頭の悪い女を好きになるとは思えない。ならば同情か。章を好きなのに章はあたしを彼女にしてくれない、とでも悦子が泣きついて、だったら俺のものになれ? 乾さんらしくない。らしくなさすぎる。乾さんだったらそんなときは……いや、乾さんだって若い男なのだから、ほだされたか魔がさしたか、色っぽく迫られてふらふらっと、ってのはなくもないだろう。
 いっつもえらそうに言いやがってくれちゃってるくせに、あんたも充分に俗っぽい男なんじゃないか。ざまあみろってんだよ。悦子はしつこいぞ。蛇性の女って部分があるんだから、しつこくしつこくつきまとってあんたを困らせる。スライムみたいにねちゃねちゃっとからみついて離れない。章、なんとかしてくれ、ってすがってきたって知らないからな。こんな女にほだされたあんたの自業自得だ。
 心で乾さんを罵って、注文した定食が運ばれてきたのに箸もつけず、俺は立ち上がった。悦子を乾さんが引き受けてくれるんだったらせいせいするはずなのに、どうして苛々するんだろう。メシを食う気は完全に失せていた。
「章、食べないの?」
「おまえが食えよ」
「そんなら食べる。お金は払ってってね。手切れ金としては安いもんでしょ」
「……おまえに手切れ金を払ういわれはねえんだよ。俺がなにしたって言うんだ」
「なんにもしないってのも罪なんだよ」
 一人前にほざきやがって……乾さんにそんなシャレた言い回しを教えてもらったのか。声が荒くなってきそうだったのだが、相客たちが注目しているのが感じられたので、俺はそれ以上は言わずに店を出た。悦子は晴れ晴れした顔になって定食に手をつけている。くそくそくそー、あんな女にまでふられたのか。
 好きでもない女とつきあって、好きになれないままにずるずる行って、あげくの果てはふられて落ち込んで。俺は大学を中退したころからそんなことばかりしていた。悦子とはずるずる行かなかったのがまだしもかと思っていたのだが、そんな相手にでもふられるとへこむ。どうしようもないのだからどうしようもない。俺はこんな奴なんだから。
 あんたはいつまでスーにこだわってるの? と悦子は毒のある口調と、刺々しい目で俺を詰った。とうにふられたスーに、俺は今もこだわっている。スー、俺、またまたふられたよ。失恋なんかじゃないけど、あんなつまんねえ女にまで見限られるって、俺ってまったく……としか言いようがなかった。
 会いたいよ、スー、抱きたいよ、スー、いつまでたっても俺のすべてはおまえなんだ。フォレストシンガーズになんか入らなかったらよかった。いつかちらりと考えたように、歌は捨てておまえと生きればよかった。そしたらおまえは、今も俺のそばにいてくれるか。喧嘩したり笑ったり抱き合ったり、散歩したり買い物したり、金がほしいよぉ、って嘆き合ったり、そんなふうにおまえと暮らしていたかった。
「恵まれない若者に愛の手をちょうだい」
「あたしも恵まれない若者だけどね」
「俺もあげるからさ。スー、おまえのその愛の手と、俺の愛の手を……」
 手を伸ばしたら、スーの小柄な身体が俺の腕にすっぽりおさまった。ん? なんで今、愛の手なんて思い出すんだろう? と周囲を見回してみたら、春の募金運動をやっていた。恵まれない子供たちに愛の手をお願いします、と太目の中年女が俺に頭を下げて募金箱を差し出していたのだった。
「……恵まれないのは俺だから、他人に施しする余裕なんかありません」
「施しとは傲慢にすぎますわね」
「言い方なんかなんだっていいでしょ。どいて下さい。そんなでっかい身体に立ちふさがられたら、にっちもさっちも動けないよ。ああ、もう、うっとうしい。どけよ」
 突き飛ばしてやろうかと思っていたら、横合いから手が伸びてきた。
「些少すぎて申しわけないんですが……」
「ありがとうございます。同じ若者でもこの方とあなたとではえらいちがい。若者にもいろいろといるのですね」
「はあ、すみません」
 横合いから伸びてきたのはなんと本庄さんの手で、募金箱に金を入れた本庄さんは、おばさんにあやまっておいて俺を引っ張った。
「どいつもこいつもえらいちがいだばっかり言いやがって……どうせ俺は乾さんとも本庄さんともえらいちがいのどうしようもない最低野郎だよっ。なにするんですか。離して下さい」
「おまえなぁ」
 ずんずんと俺を引っ張って歩きながら、本庄さんは俺をじろっと見た。
「なにがあったのか知らないけど、見知らぬおばさんに当たるな」
「当たってませんよ。うるさいから」
「あのまんまだったらあのひとを突き飛ばしてただろ。だいたいおまえは、相手があきらかにおまえより弱そうだとならないと強く出られないんだ。情けない」
 殺されるよりも酷な、きっつい台詞だった。
「……おのおばさん、俺より重そうだったし、俺より強いかも」
「そうかもな。むこうのほうには募金活動中のおじさんもいたぞ。おまえがあのひとを突き飛ばしてたら、男が来て突き飛ばし返されてたかもしれないんだぞ」
「俺は本庄さんにまたまた助けてもらったのか。くそー、悔しいよぉ」
「章、なにがあったんだ?」
「言いたくありません。なんだよ、本庄さんは口下手だとか言うけど、さっきの台詞なんか乾さん以上にきびしいよ。本庄さん、俺はもう二度と乾さんと顔を合わせたくないんです」
「乾さんがここに出てくるのはなぜだ」
 言いたくないと言ったけど、言いたくて口がむずむずしていた。話す相手は幸生がベストのはずだ。乾さんとは会いたくもないし、本橋さんにだったら、うだうだ言うな、と怒られるだろうし、本庄さんでは手ごたえがない気がする。けれど、会ってしまったのは本庄さんなんだから、手っ取り早く話すのなら本庄さんだ。
「俺んち行くか」
「ここは本庄さんのアパートに近い……ですよね」
「走っていける距離だ。章、走ろう」
「やだっ!! 電車に乗りましょうよ」
「黙れ。駆け足」
 初詣のときに美江子さんも言っていた通り、本庄さんは穏やかな性質ではある。たまには暴力的にもなるものの、本橋さんほどぼかぼかやらないし、乾さんほど舌鋒は鋭くない。が、その分、これがある。筋力トレーニングだの走ろうだの、彼は一種の体力鍛錬マニアなのではなかろうか。
 だからいやなんだよぉ、と言っても聞いてくれず、逃げようとしたら襟首をつかまれて引き戻されて走らされた。途中で隙を窺って再度逃げようとこころみたのだが、脚をひっかけられてころばされかけ、間一髪で抱き止められてハッパをかけられて、体力は人並み以上の本庄さんについていくしかなくて、俺は死にかけた。
「だらしないったらないな、おまえは。なんだこれしきで」
「本庄さんにはこれしきでも、俺には長距離走ですよ」
「こんなもんは遊びのジョギングだ。メシは食ったのか?」
「食ってない。腹が……あ、減ってきた」 
 忘れていた食欲が戻ってきた俺に、本庄さんはたどりついたアパートでインスタントラーメンを作ってくれた。ラーメン食ってシャワーを浴びて人心地がつくと、本庄さんは言った。
「言いたくないんだったら詳しく言わなくてもいいけど、乾さんと会いたくないってのはなんなんだ? 乾さんに会わなかったら仕事ができないだろうが」
「わかってるけどね。本庄さんは頭に来ないんですか。乾さんってのはいつだって超然としてて、てめえは俗世間から隔離されてるみたいな顔して、次から次へと説教ばっか。いいかっこ言ったって、乾さんもただの男じゃん」
「俺が乾さんにむかついたこと……」
「あるんですか」
 ある、と本庄さんはにやっとした。
「なに? 本庄さんは乾さんに説教されたり、頭ごなしにがんがんやられたりってないでしょ?」
「なくもないけど、俺はそういうのでは腹は立たないよ。俺が悪いから怒られるんだもんな」
「……そりゃそうだけど」
「俺が乾さんにむかつくのはだな、うん、乾さんに言いつけてもいいよ。あれだな、つまり、好きでもない女性にもててなんになるんだよ、もてても嬉しくねえよ、ってさ。あれはむかつく。乾さんじゃなかったら喧嘩を売ってる」
「へええ、本庄さんでも誰かに喧嘩を売りたくなるの?」
「売らないけど、考えるだけだったらあるよ」
 実際に喧嘩したら強いんだろう。だからこそ平和主義者を標榜していられるのかもしれない。もてる男の台詞に本庄さんがむかつくというのは理解できる。本庄さんは若い女にきゃあきゃあ言われるタイプではないだろうから。俺はもてなくなくはないんだけど……と言ったら本庄さんが怒りそうなのでやめておいて、俺は先刻の一件をぶちまけた。
「そういうわけですよ。乾さんもいいかっこばっかり言ってるけど、実はそうなんじゃん。泣いてすがられたのかもしれないけど、あんな安物の女によろめいちゃってさ。結局、女の色香と涙には勝てないって? 普通以下の男だよ。そんなんだったらえらそうに言うな」
「安物の女ってのはひどい言い草だな」
「だって、そうだもん。本庄さんは悦子を知らないでしょ?」
 化粧は厚いしスタイル悪いし、頭もよくないし力は強いし、と並べ立てようとしたら遮られた。
「悦子さんってのはおまえの友達なんだろ。友達をひどく言うなよ」
「彼女じゃないんだからいいんです」
「彼女じゃないんだったら、乾さんに盗られたってかまわないじゃないか」
 素朴に言っているのかもしれないのだが、胸にずきっと刺さった。
「それにだな、おまえは悦子さんの言い分を頭から信じてるみたいだけど、裏を取ったのか」
「乾さんに? ついさっきなんだから乾さんには訊いてませんよ。訊きたくもないし」
 うーん、しかしなぁ、と本庄さんは首をかしげ、腕組みをしてうーんうーんと唸ったあげくに言った。
「どう考えたって乾さんらしくなさすぎる」
「……そうだよね。俺もそう思ったんだけどさ……けど、魔がさすってのはあるでしょ? 俺だったらあるよ」
「おまえにだったらあっても、乾さんにはない。俺にももしかしたらそういうことはあるかもしれない。幸生にもある。本橋さんにも起こり得るとは思う。しかし、乾さんにはない。そんなことはない。絶対にない」
「絶対にない、って言いながら、もしかしたらあるのかもなぁ、って顔、してますよ」
「そうか?」
 焦ったふうに顔をこすって、本庄さんはそれでも言った。
「ないよ。ない。ないないない。乾さんがそんなことをしたら、俺の人生観が狂ってしまう。乾さんは俺の信頼を裏切らない」
「幸生といい本庄さんといい、どうしてそんなにも乾さんを信頼したり尊敬したりできるの?」
「信じてるからだ」
「答えになってません」
「なってるよ」
 ふっと思い出した。
「あの変な仕事のときは……」
「変な仕事って、雪山のやつか」
「うんっと……あのときの俺は……」
 変な仕事をやらされたという顛末はこうだった。岡山から東京に帰った俺たちを社長が呼び、申しわけなさそうに言い出したのだ。
「ジャパンダックスを出演させるつもりで受けた仕事なんだが、女の子にこんな仕事ってのは酷かもしれないとは思ってたんだよ。そしたら案の定……」
 あたしらはやーだよ、とルッチとターコは言い、そんなのシンガーの仕事じゃないだろ、俺たちに出ろって言うんだったら、フォレストシンガーズの奴らも出させなきゃ公平じゃないだろ、と、ゴンが社長に食ってかかったのだそうだ。社長も女の子には弱いと見える。
「ゴンの言い分ももっともだよな。そこでだ、ルッチとターコの代理として、きみたちのうちのふたりが出てくれないか」
 重々しく社長は言い、俺は悪い予感を覚えた。シンガーの仕事じゃない? そんならなんだ? 
「ケーブルテレビのバラエティ番組」
 ぎょええ、だった。たしかにシンガーの仕事だとは思えないが、義理のあるひとに頼まれて断れないんだよ、お願いだ、と社長に手を合わされては、本橋さんにいやと言える道理がない。本橋さんもぎょええと言いたそうだったのだが、真面目くさってうなずいた。
「わかりました。どこかに行くんですか? 俺が出ますから、あとひとりは……」
「俺が出ましょうか」
 目立ちたがりの権化である幸生が申し出たのだが、社長はむずかしい顔で言った。
「それがな、雪山での仕事なんだ。雪国生まれの乾と木村が適役じゃないのか」
 雪といえば乾さんと俺か。ひと雪去ってまたひと雪か。悪い予感は的中し、引き受けざるを得なくなってしまったのだった。
「女の子には酷な仕事? 乾さん、なにをやらされるんでしょうね」
「こうなったらぐだぐだ言ってもはじまらないだろ。章、やるぞ」
「は、はい」
 朝も早くから電車に乗って東北地方へと出向き、しっかりと着込んで雪道に立ち、視聴者のみなさまに挨拶するところから、番組がはじまった。
「ジャパンダックスのシブでーす」
「同じく、ゴンでーす」
「フォレストシンガーズの木村章です」
「はじめまして、みなさま。フォレストシンガーズの乾隆也です」
 まるっきりお笑いタレントである。一方は太ったのがふたり、こっちは凸凹コンビと言っていい。乾さんは最高に愛想のいい笑顔で、あっちのふたりは愛嬌をふりまいていたのだが、俺は顔が強張るのを感じていた。
 音楽番組だったら大喜びなのにな、初のテレビ出演はお笑いタレント扱いかよ、なんて愚痴ってもはじまらない。テレビに出るのは乾さんと俺のふたりだけで、他の三人は現地には来ていない。岡山の雪どころではない本物の豪雪の中で、俺は知らず乾さんに身を寄せていた。
 そんなことをしてなんの意味があるのか知らないけど、俺たちがこれからする仕事とは、雪道に食用になる鳥をいっぱい走らせてつかまえ、つかまえたのを焼いて食うんだそうだ。つかまらなかったら今日の昼メシはヌキ。意味なんか考えるのはよそう。やるしかない。
 こういうのってやっぱ駆け出しのお笑い芸人とか、名と顔を売るためだったら命賭けっていうタレントがやる仕事だよな。シンガーがそいつらより格上だとは言わないけど、てめえがなにをしてるのか、てめえで見たら惨めだよな。考えまいとしても考えてしまって、俺はおのれを哀れみつつ仕事をこなしていた。
 敏捷性はあるつもりだが、逃げ回る鳥と格闘するなんて俺の性に合わない。鳥類虐待じゃないのか、これは。それ以上にシンガー虐待だよっ、と怒っている俺を尻目に、乾さんは次から次へと鳥をつかまえて籠に放り込んでいた。昼メシは確保できたみたいだけど、シブとゴンはなにやってるんだろ? と見回すと、太くて短い脚でゴンがちょこまかと俺のそばに寄ってきた。
「おまえはなにやってんの?」
「おまえらこそなにやってんだ」
「かったるいよ。やってらんねえよ」
「さぼってるとテレビに映るぞ」
「カメラは乾を追ってる。こんなあほらしい仕事、あいつはよくも真面目にやってるもんだぜ。乾にやらせときゃあいいんだよ。おーい、シブ、こっちに来いよ」
 シブもカメラに映らないところで怠けているらしい。ゴンに呼ばれてこけつまろびつのていで歩み寄ってこようとしている。乾さんのみが奮闘していて、俺も協力しなくちゃ、とは思うのだが、早くも疲れ果ててきた。木村、シブと合流しようぜ、と言いながら、ゴンが重たい身体でしなだれかかってきた。趣味ではないタイプでも、女の子にくっつかれたら気持ち悪いわけではない。しかし、こいつにくっつかれるのはおぞましい以外のなにものでもなかった。
「やめろ。寄るな」
「おっとっと……うわわ……」
「おい、こら、なにすんだよっ!!」
 重たい奴にのしかかられて、ふたりそろってぶざまにころんだ。ゴンは俺にしがみつくような格好でごそごそしている。なにをするつもりだーっ!! と絶叫したら、カメラが寄ってきた。この番組は生放送だ。ゴンは俺を脱がせようとしているらしい。それこそお笑いじゃあるまいし、なんでもいいからテレビに映ったら嬉しい、なんてことは断じてない。
「やめろやめろやめろーっ!!」
 わめいてみても、太った男は力が強い。俺では腕力でかなうはずもない。ずるずるとスキーパンツが脱げかけて、俺はひたすらパニクっていた。カメラは克明にそのシーンを追っている。目の前が真っ暗になりかけたとき、乾さんが走ってきた。
「おっとっ……とっとっと……」
 なーんて言いながら、乾さんはころぶふりをしてゴンの腰にタックルした。三つ巴になってどったんばったんやっていると、乾さんは隙を窺って俺の耳元で言った。
「章、逃げろ」
「はいっ!!」
 むこうではシブが手を叩いてぎゃはぎゃは笑っている。シブのほうへと駆けていき、俺も乾さんの真似をしてころぶふりをして、シブを思い切り突き飛ばしてあっちのふたりのほうへと押しやった。
 乾さんは身体の自由が効かないふりをして、今度はゴンと格闘している。乾さんの行為はすべてがわざとだ。この期に乗じてゴンになにをするんだろう? と避難した上で見ていると、乾さんはゴンにすがって立ち上がり、またまたすっころぶふりをしてゴンの脛をしたたかに蹴り上げた。
「うがーっ!!」
「悪い悪い。思い通りに動けないんだよ。おっと、おっと……うおっと……」
「うぎゃーっ、やめろーっ!!」
 これって視聴者のみなさまにはどう見えているんだろう。乾さんは雪の中でも身軽に動けるなんて知らないだろうから、どうにもこうにも身動き取れなくてゴンともつれあっているとでも? 乾さんはまたしても故意にひっくり返り、もののついでみたいに、ぼけっと突っ立っているシブの脇腹を蹴飛ばした。
「いでぇーっ!! なにすんだよっ!!」
「ごめんな。変だな。なぜかこうなってしまうんだよ。うわっと」
「うわーっ!!」
 雪の中にシブとゴンの絶叫が響き渡る。番組のスタッフたちは大笑いしていて、俺もけらけら笑っていた。
 ジャパンダックスのふたりはしまいにベソをかき、帰りたいよぉ、などとぶつくさ言って、雪の中にへたり込んでしまった。乾さんは常に変わらぬ涼しい顔。俺は心で快哉を叫び、足元をすり抜けようとした鳥をつかまえて籠に放り込み、乾さんに笑いかけた。
 そんなこんなで生番組も終了したのだが、シブとゴンはその後は俺たちに近寄ってこなかった。鳥をつかまえて焼いて食うのがメインだったはずが、きみたちが四人でどたばたやっていたのが好評だったらしいよ、とスタッフが言った。
「いやあ、なかなかやるね、乾くん」
 スタッフに言われて、乾さんは典雅にお辞儀をしてみせた。
「レギュラーも張れそうだよ、乾くんだったら。きみは絵になるし、他の三人は顔色なしだったじゃないか。また出る?」
「はあ、まあ……まあね」
 とかなんとか、乾さんは笑っていたが、内心では、二度といやだ、だったにちがいない。シブとゴンはなおさらだったのだろうか。俺にしても懲り懲りだった。俺は顔色なんかなくていい。ま、ケーブルテレビなんだし、たいした視聴率が取れる番組でもないのだし、無事に仕事がすんだのだからよしとしよう。
 宿泊はなしでとんぼ返りの仕事だから、番組がすむと電車に乗った。シブとゴンはどうしているのか知らない。あんな奴らとは金輪際会いたくもない。それでも逢う機会はあるんだろうなぁ、と考えていると、乾さんが言った。
「焼き鳥はうまかったから、楽しい仕事だったってことにしておこうか」
「まあね、焼き鳥もおにぎりも味噌汁もうまくて、冷えた身体をあたためてくれましたよ。俺は昼メシ食うためにだけ行った感じ。だけどさ、鳥って飛ぶでしょ? あいつらは飛びませんでしたね」
「翼になにやら細工して、飛べないようにしてあったらしい。でなくちゃ俺たちにつかまえられるわけないだろ」
「そりゃそうか。乾さんってなにをやらせても器用ですね」
 俺がやらなきゃ誰がやるんだ? とでも言いたげに、乾さんに睨まれて肩をすくめていたら、乾さんが持っている携帯電話が鳴った。
「うちの誰かだろ。デッキに行って話してこい」
「はい」
 やっとこさ社長が買ってくれた携帯電話、とは言ってもフォレストシンガーズ全員に一台、とけちったのを乾さんが持っていたのだ。デッキで電話に出てみたら、幸生のノーテンキな声が聞こえてきた。
「お疲れー、見てたよ」
「見てたのか……見られたくなかった」
 しかし、時間があったら見るだろう。見られてしまったものはどうしようもない。
「なんだったの、あれ? 面白かったけど、番組の趣旨からそれていってなかったか」
「それっぱなしだよ。どこがどう面白かった?」
「最初はおまえとゴンが雪の中であばれてて、そこへ乾さんがやってきて、主役が交代しただろ。ゴンと乾さんがなにやら妖しい雰囲気になっててさ、ピンクのハートが飛びかってた」
「ピンクのハート?」
「アテレコしてたよ。ゴン、愛してる、ああ、乾くん……ってさ」
「生なのにそんなのできるのか?」
「できるさ。おまえは近頃のテレビ技術を知らないのか」
 そんなふうにねじくれまがって放映されていたのか、乾さんには言わないでおくべきか、と俺が悩んでいると、幸生がきゃははっと笑った。
「アテレコは俺がやってたんだ。そう見えたんだもん。四人で事務所でテレビを観てたんだよね。で、ゴンと乾さんのシーンになったら、俺が声優やってあげたの。ピンクのハートはほんとに出てたんだぜ。それを見て思いついて、ああ、愛してる、キスして……なんてやってたら……」
「リーダーと本庄さんに殴られた、とな」
「おまえはどこで見てたんだ」
「ばーか。見なくてもわかるよ」
 そうなんだよ、と幸生は吐息をついた。
「馬鹿野郎、やめろ、ってリーダーにはぼかすかやられるし、シゲさんまで怒って、いい加減にしないと投げ飛ばすぞ、ってさ。美江子さんは笑ってた。楽しんでたのは美江子さんと俺で、先輩たちはやきもきしてたな。雪の中でころんでたらいいんだったら、俺が出ればよかったよ」
「出たかったんだな」
「うーん、そうでもないけど……なにか裏でもあったんじゃないの、あのシーンって? そうすると出たくなかったかな。乾さんだけだろ、鳥をちゃんとつかまえたのは。リーダーが言ってたぞ、シブもゴンも章もなにをちんたらやってるんだっ、あれだったら俺のほうがましだ、ってさ。リーダーも実は出たかったのかな」
 充分に話しまくってから、幸生は言った。
「真相は帰ってから聞くよ。あんまり長く話してると通話料が高くついて、社長にまで怒られるもんな」
 通話を切って席に戻り、窓の外を見ている乾さんに幸生のアテレコの話をすると、乾さんは苦い顔になった。
「煙草が吸いたくなってきた」
「……いいんじゃないんですか。喫煙可でしょ、この席は」
「持ってきていないよ」
「ご感想はそれだけですか?」
「幸生らしいな」
 その感想には俺も同感だったのだが、乾さんでもああやってどさくさまぎれに仕返し、なんてやるんだ。ライヴの際の奴らの行為に対する仕返しプラス、俺のズボンを脱がせて恥をかかせようとしたゴンへの仕返しか。目ざとい乾さんが気づいてくれてよかった、と言うしかない。
 そのためには女の子がいなくて好都合だったかもしれない。女の子たちがいたら、乾さんは乱暴なふるまいはしないだろうから。陰謀をめぐらせるのは乾さんの得意技ではあるけれど、けっこう卑怯な真似もするんだな、と思うと、なんだかちょっぴり嬉しかったりして、我ながら不可解な心の動きだった。

 
 そんな仕事を思い出したり、くよくよぐだぐだしたりしているうちに酒が出てきて、明日は仕事なんだから控えようとしたのに飲んでしまって酔ってしまって、酔うと前後不覚に陥る俺は、その先はなにを言ったのか覚えていないままに寝てしまった。
 幸いにも今日の仕事は午後からで、もひとつ幸いにも本庄さんとふたりでラジオ局に出勤だ。さらにもひとつ幸いにも、今日は乾さんには会わなくてもいい。一旦帰って着替えてから、ラジオ局の前で本庄さんと待ち合わせた。今日の仕事は新曲のキャンペーン。本橋さんはリーダーなのだから、ひとりでラジオ出演というのも納得できるのだが、乾さんと幸生、本庄さんと俺って組み合わせはなんなんだろう。あっちはほっといても喋りまくるだろうけど、こっちはほっとくと本庄さんが喋らない恐れがあるので、俺に喋れって意味か。
 喋りまくる元気はないのだけど、仕事なのだからしようがない。ラジオ局に早めに到着して、局の喫茶室で本庄さんとふたり、こっそり他局の放送を聴いた。乾さんと幸生の出演時間は俺たちよりも早いので、幸生のハイテンションを分けてもらいたかったのだった。
「……なんですよね、そうなんですよ。春の新曲は「SWEET FREGRANCE」と申しまして、本橋真次郎作詞、乾隆也作曲でございます。あくまでもスゥイートなラヴソングです。ソロパートはリーダー本橋の担当でして、彼の声もあくまで甘い。ぶっちゃけた話、僕らと対しているときの本橋は、ちーっとも甘くなんかないんですけどね」
 持ち込んだラジオのイアフォンを耳に入れると、のっけからテンション上げ上げの幸生の声が聞こえてきた。
「うちのリーダーのもの真似ですか? 僕の声では無理がありすぎる。僕の声は話してても歌ってても甘いもんね。乾さん、やってやって」
「僕にも彼のもの真似はつらいんですが、こんな感じですかね」
 一呼吸置いて、乾さんが言った。
「幸生、てめえ、ぬかしやがったな。そこへ直れ」
「いやぁっ!! リーダー、ごめんなさーい、許してーーっ」
「そこまで言うからには腕の一本や二本、へし折られてもいいつもりだったんだろうが。こら、逃げるな」
「やだやだ、逃げますよ。リーダーったら怖ぁい。乾さん乾さん、助けて」
 そこでころりと、乾さんは素に戻った。
「よしよし、助けてやるよ。幸生、こっち来い」
「うっふん、だから乾さんって大好きなの」
 あはあはと笑っているDJさんたちの声をバックに、乾さんは咳払いをした。
「かなり大げさにやったんですよ。リーダーの名誉のために申し添えておきますが、彼は幸生の腕をへし折ったりはしません」
「しますよ。僕の腕は今までに百回は折られてます。脚は千回折られてます」
「きみの腕や脚は丈夫にできてるんだね、幸生くん。千回折られても不屈の闘志で立ち上がるんだ」
「そうです、僕の脚は韋駄天脚」
「韋駄天はちがうだろ」
 こちらのAM放送のDJは男女ペアのお笑い芸人さんなのだが、乾さんと幸生のやりとりに笑いころげてばかりいて、本分を忘れているらしい。このテンションは俺には無理だ。本庄さんとでは真面目に話すしかないと決めて、本番に臨んだ。乾、幸生ペアの放送は生だが、当方は録音なのでいくぶん気が楽だった。
「みなさまこんにちは、フォレストシンガーズの本庄繁之です」
「木村章です。こんにちはーっ!!」
 半ば自棄で大声を出したら、俺たちの相手をつとめてくれる局のアナウンサーさんが目を丸くした。打ち合わせはざっとしてあるのだが、驚いている演出なのだろう。
「なんとまあ、ずいぶんとちがった声の持ち主なんですね。本庄さんはきわめて低く、木村さんはきわめて高い。フォレストシンガーズには他に三人のメンバーの方がいらっしゃいまして、リーダーが本橋真次郎さん、それから、乾隆也さんに三沢幸生さん。フォレストシンガーズとは男性五人のヴォーカルユニットとでも申せばよろしいんですね。他の三人の方はどういった声をなさってるんですか」
 本職のアナウンサーなのだから当然だろうが、彼は折り目正しく尋ね、本庄さんが答えた。
「うちは高いほうから、この木村、三沢、乾、本橋、僕と、段階的に声が低くなるんです。いえ、段階的とはいえませんかね。声を表現するのはむずかしいですよ。乾、三沢、木村はテナーで、本橋がバリトン、僕は基本的にバスですけど、歌う声は時として変化する。特にテナー三人の高音は変幻自在です。こんな言い方では抽象的でしょ?」
「およそはわかりますが、声については曲を聴いていただいて、聴取者のみなさまに理解していただきましょうか。私はみなさんの歌を勉強しましたよ。いやぁ、素晴らしい」
「勉強していただくほどには、世に曲は発表してませんけどね。シングルは二枚目ですから」
「では、一曲目のシングルを聴いていただきましょう。「あなたがここにいるだけで」です。どうぞ」
 聴いて下さい、と本庄さんと声をそろえて言ったら、曲が流れてきた。本庄さんが目で俺に言っている。こら、おまえもちゃんと仕事しろ、であるようだ。こんにちはー、聴いて下さい、しか言ってないんだから、さぼっていたようなものだった。
 ちゃんとしますよ、と目で本庄さんに返事をしたものの、その後も俺はあまり口を開かなかった。生真面目なアナウンサー氏と堅物本庄さんのやりとりは、シリアス以外のなにものでもない。他局で続いているはずの乾さんと幸生の放送とは趣がちがいすぎて、当方を聴いてくれている人々には退屈されそうな気もした。
 まったく乗れないままに番組収録が終了すると、アナウンサー氏に注意された。本庄さんにも怒られた。要するに、真面目にやれと言われたわけだが、俺は生返事をしておいた。
 俺ってどうしようもないよなぁ、なんて気分ばかりが胸で渦巻く。どうでもいいと思っていた女に愛想尽かしをされて、とどのつまりは先輩に横合いからかっさらわれて、二日酔い気味の頭を抱えて、仕事もまともにこなせなくて、こんなんでプロのシンガーとしてやっていけるんだろうか。
 ひとりになってとぼとぼ歩き出す。俺はかつて何度、こうしてひとりでとぼとぼ歩いていたのだろう。人生の道ってやつを、一生とぼとぼ歩き続けて終わるんだろうか。
 プロになっても華々しさなんかは一片もない。大きなホールを熱狂的ファンで満杯にして、燃え盛る胸の炎を武器にシャウトする、そんな夢が容易にかなうと信じているほど甘ちゃんではないつもりだったけど、そんな日々は来ないと思ってしまう。俺には恋もない、ろくな仕事もない、ロックが歌えない、俺の夢は半端に砕けて散る運命だったのだ。
 果てしなく暗い雨雲に支配されている気分で、ひとりきりで酒を飲んだ。ひとりで飲んで寝てしまったら危険なのでほどほどで切り上げて、公園に足を向けた。アマチュア時代にはみんなで歌の練習をした公園。最近は悦子とデートした公園だ。こんな寒いところにばっかり連れてこないでよ、と怒っていた悦子は、寒くはなくなった今、俺のそばにはもういない。
「あんな女に未練はないけどさ、心が寒い。畜生ーっ!! 俺はいつになったら恵まれない若者でなくなるんだーっ!!」
 ひとりごとが絶叫になったら、木陰からひょっこり顔を出した男がいた。
「おまえはひとりででも叫ぶのか。幸生はひとりででも喋ってるみたいだけど、おまえらの口は元気だな」
「……本橋さん」
 ここは本橋さんのアパートに近いのだし、彼にとってもなにかと思い出深い場所であろうから、あらわれても不思議はない。乾さんじゃなくてよかった、と考えておくことにした。
「仕事はどうだった?」
「本橋さんは?」
「おまえらの相手は男性アナだったんだよな。乾と幸生はお笑いの方々に相手をしてもらってたんだろ。俺の相手役はご年配の女性シンガーさんだ。本橋さんっていい声ね、って言われたよ」
「いい声ですよね、リーダーは。男らしくて低くてさ、うらやましいよ」
「俺の声は普通だよ」
 昔は高くて子供じみた声にコンプレックスを抱いていた。今ではこの声は俺のシンガーとしての財産だと思っているのだが、大人の男らしい声には一生なれないのかと思うと、ぼやきたくなってきた。
「今はまだいいですよ。若いうちはこんな声でも許せるだろうけど、オヤジになっても爺さんになってもこんな声? 重みも貫禄もなんにもないよ」
「その声があればこその木村章じゃないか」
「声しかとりえがない?」
「その声とその歌だ。おまえはシンガーなんだから、それがあれば充分じゃないのか」
「充分じゃありませんよ」
 去年、仕事先の函館から東京のアパートに帰った俺を、ジギー時代の少年ファンが待ち構えていた。レイという名のそいつはアマチュアロックバンドをやっていて、熱心に俺を誘った。フォレストシンガーズなんかやめて、僕らといっしょにバンドをやろう、章の歌と章のソングライターとしての才能がほしい、と言ったのだ。
 下手くそなアマチュアバンドに入るつもりもないから断ったのだが、レイは執拗だった。レイと喧嘩になって部屋を飛び出して、だからって行くあてもないので戻ったら、本橋さんが訪ねてきていた。あのときの本橋さんは、本橋さんらくしてリーダーらしくて……俺は幾度目かの決意を固めたはずだった。
 ロックヴォーカリストから「ロック」をはずしても、俺はヴォーカリストだ。ロックは趣味にとどめておいて、俺はフォレストシンガーズの一員として生きる。幾度も揺らめいては揺り戻し、戻しては揺れ動いていた俺の不安定な心。あれからも決意が揺らぎ、揺らぐのを修整するのに骨を折ってきた。
 本橋さんはレイとのいきさつも、スーにふられたいきさつも知っている。なにかといえばげんこつを飛ばす暴力的なリーダーだけど、心の底は乾さんよりあたたかいのだと感じてみたり、彼の過剰な情熱がうざいと感じてみたり、その面でも俺の気持ちはゆらゆら揺れ動いていた。
「俺は乾さんが嫌いです」
「乾? なぜ? きつすぎるからか」
「……他にも……」
 先輩に告げ口してるみっともないガキ、と自嘲の笑いを浮かべたがる俺自身を心から追い出して、俺は昨日の話を本橋さんにもした。


2

 そんなことは乾さんはしない、と本庄さんは言ったのだが、本橋さんの言い分も同じだった。
「もとからおまえの彼女ではないんだとしても、たとえどれほどえっちゃんが色っぽく迫ったのだとしても、乾はそんな真似はしない。そんな仁義にもとるような真似はしない」
「仁義? そういう意味で、乾さんはそんなことはしない、ってリーダーは言うんですね。俺もそう思わなくもないんだけど、意味が別なんですよ。悦子なんかはつまんねえ女なんだから、乾さんの趣味じゃない。だからしないっていうんだったらうなずけますけど、趣味じゃなくてもキスしたり寝たりってのはできなくもねえし……」
「できなくもないけど、したくないのが乾だよ」
「リーダーはそんなにも、乾さんをよく知ってるんですか。リーダーが見てないところで乾さんがなにをしてるのかも、全部知ってるんですか」
「知らないけどな」
 聖人君子じゃないんだから、乾さんだって陰でなにをしてるかわかるもんか、と俺は思う。そう思いたいのかもしれない。そんならおまえは……と本橋さんは俺の顔を真っ向から見据えた。
「乾が嫌いだからってどうするんだ。フォレストシンガーズをやめるのか」
「やめて……ロッカー志望のふらふら兄ちゃんに戻ったら、スーが戻ってきてくれるんだったらね」
「スー? まだこだわってんのか」
「こだわりますよ。俺の初恋だったんだもん」
「初恋? スーちゃんとつきあい出したころには、おまえは二十歳をすぎてたんだろ。二十歳すぎて初恋? おまえはそんなにウブな男か。笑わせるな」
「笑ったらいいでしょ。笑われても馬鹿にされても、スーは俺の初恋だったんだよぉ」
 スー以前の女とのつきあいは、恋ではなかった。スーには恋をしたのだから、あれが初恋だ。
「初恋は年齢ではありません。真剣な恋は俺にとっては初で……だけど、もう遅いんだ。今さらフォレストシンガーズを脱退しても、スーは帰ってこないんだから。俺はスーにもロックにもこだわってますよ。次の恋でもしたらスーは忘れられるかもしれないけど、ロックは捨てられない」
「ロックってそれほどのものか」
「俺にはそれほどのものです。でも、フォレストシンガーズは脱退したくない。ロックでなくても俺には歌が命です。スーがいなくなって彼女のいない今は、俺には他にはなんにもないんですよ」
「歌と女を別々に考えられないのか」
「考えられません。俺はそんなに器用じゃありません。乾さんは器用ですよね。歌と女は別々だって考えてうまく立ち回って、恋と遊びも別々だって考えられるんだ。だから悦子とも適当に遊んで捨てるつもりでいるんだ。そうは行くかよ。悦子は蛇女なんだから、殺したって離れてくれませんよ」
「おまえはえっちゃんが嫌いなのか、好きなのか」
「大嫌いだよーっ!!」
 大嫌いだったらほっとけばいいじゃないか、と心でもうひとりの俺が言う。悦子が誰の女になろうと、誰につきまとおうと、俺には関係ないんだ。その誰かが乾さんだからこそか。見知らぬ奴だったら心底せいせいして、次の恋を探しにいけたのかもしれない。結局俺は、悦子ではなくて乾さんにこだわっているのか。
「……わかんねえよ」
「俺にもわからん。そんなら乾をやめさせたらいいのか」
「まさか」
「おまえも乾もやめさせたりはしないけど、おまえたちがふたり、シカトし合ってる中で仕事するのか。いやだぞ、俺は」
「俺もいやです」
「だろ? そんな事態になってみろ。幸生が悶死しかねないじゃないか」
「うん、幸生ってそういう奴ですよね」
 そうかなぁ、と声がして、幸生があらわれた。
「うぎゃっ!! なんでおまえがここにいるんだっ?!」
「仕事がすんで飲みにいって、乾さんは帰ったんだけど、俺は酔い覚ましに歩いてたんだ。歩いてたらここに来た。ここには自然に吸い寄せられるんだよね。磁力でもあるのかな」
「乾さんは帰ったのか」
「そうだよ。安心していいからね」
「……どこから聞いてた?」
「えっちゃんと乾さんの顛末から。そんなの嘘だって。えっちゃんを悪く言いたくはないけど、えっちゃんの嘘だよ。乾さんがそんなことをするなんて、あり得ないったらあり得ない」
「みんなそう思うのか」
 実は俺もそう思うのだから、みんながそうなのも当然なのだろう。だけど、あり得なくはないじゃないか。みんなして乾さんを高潔な人柄のように言うけど、そんな奴こそ裏ではなにをしているかわかったものではない。おまえがそうと言い切る根拠はなんだ? と訊いたら、幸生は言った。
「俺には言い切れる根拠があるんだよ。あれとこれとはちがうんだけど、ああやってこうやった俺に、乾さんはああやってこうやった。ってことは、乾さんはしない。彼女が彼に恋をして、彼も彼女に恋をして、どちらかがベッドに誘う。彼も彼女もお互いと寝たいと願う。そうでなかったらベッドインはしてはいけない。男が一方的に決行したらレイプだろ。女が一方的にってのは不可能なのか」
「不可能じゃないはずだけど……」
 現に俺は……と考えかけて、いや、あれは俺も絶対にいや、ってわけでもなかったからか、と思い直した。男が断固拒否したら、女から一方的にレイプはできないであろう。プロレスラー女が俺に、だったらできなくもないか。身体の構造上、不可能なのか? 俺が悩んでいると、幸生が言った。
「章、なに思い出してんの? ま、いいか。だからね、えっちゃんが乾さんをレイプするのは不可能だろうから、それはない」
「キスは?」
「キスだったらするかもしれないけど、キスは挨拶じゃん」
「そういうキスじゃない感じだったよ」
「だからさ、なんだっておまえはえっちゃんの言葉を丸ごと信じるわけ?」
 そうだそうだ、とまたもや聞こえてきた声は、本庄さんだった。
「……おー、シゲさんも登場。必然の偶然ですね」
「必然の偶然ってのはなんだよ。シゲ、おまえは帰ったんじゃなかったのか」
 しばらく無言でいた本橋さんに問われて、本庄さんは答えた。
「一度は帰ったんですけど、章はどうしてるかと気になりましてね。アパートに電話をしても出ないから、ここに来てるんじゃないかなって。当たってました。俺は章から昨日の事情は聞いてますから、幸生と章の会話の意味はわかってますよ。章、俺も言っただろ。乾さんにたしかめてみろ」
「いやです」
 しようがねえなぁ、と本橋さんが呟いて、本庄さんは俺を見つめて吐息をついた。
「俺はな、前にはおまえが嫌いだったんだ」
「はあ、そうでしょうね。俺は本庄さんとはタイプがちがいすぎるもん」
「俺もちがいすぎるでしょ? 本橋や本庄みたいな男は、おまえは嫌いなんじゃないのか、って、合唱部の先輩に言われたことがありますよ」
 硬派の先輩たちと軟派の後輩たちなのだから、他人の目にはそう映るだろう。いい機会なので俺も問いかけた。
「嫌われてて当然って気もするけど、本庄さんは今も俺が嫌いですか」
「嫌いな部分はあるよ。俺は俺にも嫌いな部分はある」
「俺は?」
「おまえは黙ってろ」
 幸生の顔を押しのけて、本庄さんは続けた。
「だけどな……こうやって何年かつきあってて、こうやって仕事もいっしょにしてて、章にもいいところはあると思えてきた。具体的に言えば……単純だけどさ、美江子さんをおぶって雪道を歩いてきたときだったな。俺はおまえを見直したんだよ。他にもあるけど、ひとつずつ言わなくてもいいだろ」
「ねえ、シゲさん、俺は?」
「おまえはまったく、自己顕示欲のかたまりだよな。うん、幸生は……最初から幸生ワールドに巻き込まれてたから、嫌いだと思ったことはない。あまりにもちがいすぎてむしろ嫌わないんだろ。章と俺には似たところがあるから、嫌悪感もあったんだ。本橋さんは章を嫌いだとは思わないでしょう?」
「俺にも嫌いな奴はいたぞ。合唱部にもいた。虫の好かない野郎だとか、気に食わない野郎だとか、いっぺんぶん殴ってやりたいんだけど先輩だから遠慮してた奴だとか、男の中には何人かいたよ」
 女の中には? と尋ねた幸生を無視して、本橋さんも続けた。
「乾も幸生も変な奴だとは今も思ってるけど、嫌いだなんて考えたこともない。章はだな、正直、扱いにくい奴だよ。しかし、嫌いだなんて思わない。章と俺は似てないからか、シゲ?」
「そうかもしれません。本橋さんと乾さんには似たところもあるけど、嫌悪にはならない似た部分なんでしょうね」
「ふーん、そういうもんか。シゲ、おまえも案外鋭いじゃないか」
「からかわないで下さい」
 それでな、と本庄さんは俺に向き直った。
「この際だからはっきり言うけど、俺は本橋さんと乾さんは心から尊敬してるんだ。乾さんともめるな。確執があるんだったら解決しろ。俺は……このままずっと……このままでいたいよ」
 このままずっとみんなで歌っていたい? 恥ずかしい台詞を言わないでよ、とは思ったのだが、なにやらじーんとしてしまった。本庄さんは自分の台詞に恥じ入っている様子だし、本橋さんも頭をかいていたが、幸生が言った。
「章には彼女はいないんだろうけど、こんなにいい先輩がいるんだよ。俺もついてるじゃん。元気出せよ」
「……そういうことは口に出すな」
「なんで? リーダー、言ったらいけないんですか」
「言うな。俺も章に全面的に賛成だ。シゲもだな」
「はい」
 そっかー、と幸生がうなずいて黙り、沈黙が降りたらまたまた声が聞こえてきた。乾さんと悦子? 四人そろって物陰に隠れて、俺は小声で幸生に言った。
「ほら、やっぱりつきあってるじゃないか」
「……黙って見てろよ」
 黙れとはこいつにだけは言われたくないのだが、黙って見ていると、ゆっくりこちらに近づいてきながらの悦子が言った。
「故郷に帰ろうかな」
「えっちゃんの故郷ってどこ?」
「八丈島。高校を中退して飛び出してきたの。田舎なんてつまんなくて、都会に憧れて東京に来た。よくある話だよね」
「そうだろうね。俺も同じだよ」
「乾さんは大学に入るために東京に来たんでしょ? 同じじゃないよ」
 ふたりはベンチにすわり、やや距離を置いて話していた。
「東京は楽しかったよ。喫茶店や居酒屋だったらバイトの口もあって、楽しくやってるうちにジギーを見つけたの。ジギーってあたしと年の変わらない女の子のバンドで、すっごくかっこよかったんだ。それからあたしはロックフリークになった。日本のロックも外国のロックも聴いたけど、ジギーがいちばんだったな。スーやミミやローザやマリもかっこよかったけど、やっぱりあたしは女だからかな、章に惹かれたの」
 なつかしい名前を聞いてしんみりしている俺の耳に、悦子のしんみりした声が続いて聞こえてきた。
「ロッカーだった章を好きになったけど、ただのファンだったから近づけなかった。章は女の子にもてたんだよ。いっぱい遊んでたんじゃないかな」
「章は美少年だったんだよね」
「そうだね。今でも顔だけはいいもんね。顔だけはね」
 顔だけか。どうせそうだろう。
「あたしがジギーの追っかけやってるうちに、ジギーは解散しちゃった。ジギーでなくちゃつまらなかったんだけど、ロックはずっと好きだったから、他のバンドの追っかけもやってたよ。他の男の子たちとつるんで歩いてたときに、章とばったり会ったの」
「その話は章からも聞いたよ」
「そうなんだね。でね、章には嫌われても嫌われても、つきまとっていやがられて……でも、デートくらいはしてくれた。ごはんを食べたりお酒を飲んだり、ここでいろんな話をしたりした。それだけでもいいと思ってたの。章はあたしを嫌って……嫌ってたんだろか」
「嫌ってはいないよ。ただ、恋はしていなかったってだけだよ」
「そう? そんならそれでもよかったのにな……昨日は完璧に嫌われたんだ」
「なにかあった?」
 顔を両手で覆って、悦子はくぐもった声を出した。
「乾さん、もたれていい?」
「ああ? うん、まあ、どうぞ」
「……あたし……馬鹿だね。ごめんね、乾さん。乾さんは優しいよね。あたしなんかのために出てきてくれた。電話して迷惑だったんでしょ?」
「迷惑ではないよ。どうしたの、えっちゃん?」
 乾さんの背中に顔を押し当てて、悦子は泣いている。ふたりの会話をつなぎ合わせても、恋人同士だとは思えなくなっていた。単に遊びで寝ただけか。それとも……?
「馬鹿なんだよ、あたし。乾さんはあたしなんか好きじゃないし、あたしもやっぱり章が好きなのに……言っちゃった。乾さんはそんなことはしないのにね、あたしがしたくてもしてくれないし……あたしもほんとはしたくないよ。なのになのに……言っちゃったよぉ。だから章に嫌われた。あたしは今でも章が好きだけど、もう会いたくない。会いたいけど会いたくない。だから八丈島に帰る。ロックも捨てて嫁にでも行くよ」
「……なるほど。なんとなくわかったよ」
 背後に手を回して、乾さんは悦子の頭を撫でた。
「世捨て人みたいな嫁に来られたら、その男は災難だね」
「そんなこと言うの?」
「嫁に行くのもひとつの手段かもしれないけど、他にやりたいことはないの?」
「……ない。ロックしかない」
「ロック評論家なんてどう?」
「あたしにそんなのは無理だよ」
 なせばなる、なさねばならぬなにごとも、と乾さんは言い、悦子は背中ごしに乾さんの顔を覗き見た。
「生半可な気持ちでは、なにをなしてもならないだろうね。評論家だなんて簡単に言うなって、評論家の方に叱られそうだ。でも、えっちゃんはまだ二十歳なんでしょ? やり直す道はいくらもあるよ。故郷に帰るのもいい。帰ってよーく考えて、自分の進む道を決めるといい。俺は遠くからあなたを応援してるから」
「……乾さん……あたし、なんで乾さんを好きにならなかったんだろ」
「恋は人間のコントロールが及ぶ領域ではないから、だね」
 それとも……のほうだろう。悦子の嘘だった。乾さんも察したであろうに怒りもせず、なおもごたごた言っている悦子につきあってやっていて、俺は肩を落とした。
 乾さんとのつきあいがもっとも短い俺には、他の三人のようには言い切れなかった。乾さんが陰で女と遊んでいたら、俺の次元まで引きずり落とせて嬉しい、とまで無意識で考えていたのかもしれない。悦子も馬鹿だけど俺も馬鹿だ。しかし、と俺は幸生に囁いた。
「悦子とはなんにもしてないらしいけど、他の女とはわかんないだろうが」
「懲りない奴だね、おまえ」
「懲りないのはおまえだろ。おまえに言われたくねえんだよ。さっきのはなんだ? あれとこれ? あれがこうしてああなって、ってなんだよ?」
「忘れなさい、章ちゃん。黙れよ。乾さんに気づかれるだろ」
「気づいてたりしてな……」
 まさか、俺たちがいると知っていて悦子を連れてきて、俺に真相を知らせようと? 乾さんにもそこまでの深慮謀略はないとは思うのだが、偶然が五つも重なるということは……なくもないか。なにせこの公園なのだから。
 泣いたり嘆いたりの悦子を、励ましたり説教したりの乾さん。ふたりはやがて立ち上がって公園から出ていき、残された四人はてんでに息を吐いたり屈伸運動をしたりしていた。ちょっと走ってきます、と本橋さんにことわった本庄さんが駆け出していくと、幸生が言った。
「乾さんと飲んでたって言っただろ? そこにはもうひとりいたんだ」
「誰?」
「誰だと思う? おまえの憧れのひとだよ」
「……スー?」
「アホ、男だよ」
「憧れのひとったらロッカーだよな。そんなのいっぱいいるよ。誰だ、誰だ。言え」
「当ててみな。リーダーは誰だと思います?」
「ロッカーの知り合い? トミーさんじゃないのか」
「おーっ、正解。章はリーダーより鈍いって立証されたね。さてさて、俺も帰ろうっと」
「待て、トミーさんとなにを話したんだ」
 知らないよぉだ、ととぼけて背中を向けた幸生の腰にタックルしようとしたら、身をかわされて見事にすっころんだ。地面に大の字になって空を見上げたら、春の星々がまたたいていた。

 
 シブにゴンに乾さんに俺、が出演したケーブルテレビのバラエティ番組では、雪の中を走り回って疲れ果てて風邪を引いてしまって、だらしねえの、と幸生には言われるは、仕事をしてたのは乾ひとりじゃないか、と予想通りに本橋さんには怒られるは、散々なテレビ出演だった。雪山の寒さと較べたら、稚内と較べたら、東京の冬なんて寒くもない。あのころ、俺は悦子に言った。
「こないだ、テレビに出たんだよ」
「フォレストシンガーズが?」
「乾さんと俺のふたり。俺はインディズ時代に、その他大勢ロッカーの一員として出たことはあるんだけど、あのときは名前も出なかった。今回は木村章です、乾隆也ですって名乗ったんだけどな」
「いつ放送されるの?」
「とっくにされたよ」
 なんで教えてくれないのよっ、見たかったのに、っと悦子は俺の膝を揺さぶった。
「見られたくねえもん」
「見られたくないような番組? 歌ったんじゃないの?」
「そんならよかったんだけどさ」
 かつてテレビ出演の経験があるとは、仲間たちにも話していない。いつかフォレストシンガーズが音楽番組に出られたら、話して驚かせようと考えていた。今回の出演が歌でだったとしたら、悦子にも話して、見ろと言っただろう。あんな番組は見られたくもないのは事実なのに、それでも出たと言いたがるのは見栄なだっただろうか。
 そんな話を公園でした、悦子はもういない。ひとり合点の乾さんへの確執は去り、悦子も去って平穏になったけれど、ロックへの拘泥もスーへの想いも消え去ってはいない。スタジオの窓から春の空を眺めていたら、口から歌がこぼれ出てきた。
 
「Oh,mylove,my darling
 I've hugered for your touch
 A long,lonely time
 
 And,time goes by   so slowly
 And,time can do so much
 Are you still mine?

 I need your love, I need your love
 God speed your love to me

 Lonely rivers flow to the sea,
 to the sea
 To the open arms of the sea, yea

 Lonely rivers sigh
 wait for me,wait for me
 I'll be coming home,wait for me」


 ライチェスブラザーズの「アンチェインドメロディ」だ。ロックではないから、スーが聴いたら眉をひそめるだろう。章のロックを歌ってよ、と怒って言うスーの声が耳元に聞こえてくる気がする。ロックはひとりで聴いてひとりで歌うよ。俺はこっちの世界の住人になるんだ。
 この空から続くどこかにいるはずのスーに、胸のうちで話しかけながら歌っていたら、いつの間にやらそばに来たみんなでコーラスになっていた。おー、愛してるぅ、だなんて、幸生は日本語で歌っていた。
 おまえは嫌いだとかだらしないとか情けないとか、本庄さんは言ってくれたけど、このままずっと……とも言った。乾もおまえもやめてほしくないと、本橋さんは暗に言っていた。幸生は幸生で元気を出せと言った。あの夜はひょんなことから、腹を割って話せたのかもしれない。会話に参加していなかった乾さんは、後日悦子の件には触れずに言った。
「シゲとおまえのラジオ出演を聴いたよ。上の空だったようだね、章?」
「すんません。二日酔いでした。俺ってなにをやらしても半端ですよね。どうせ俺はこんな奴ですから」
「それは反省してるのか開き直ってるのか、どっちだ」
「両方です」
 まったく、と肩をすくめてから、乾さんは言った。
「みんなそうだよ。みんなみんながこんな奴だ。だからさ……やめよう。また説教になる」
「乾さんの説教癖は誰にでも……いっか。それより乾さん、ミミズかミジンコってなに?」
「まだ言ってるのか。しつこい奴だな」
「俺はしつこいんです。教えて下さい」
「ミミズかミジンコは取り消すよ。やはり言葉がないと、幸生もおまえも本橋もシゲも、むろん俺も……だな。来世でも人間に生まれて、みんなで歌おう」
「今度は俺、女に生まれたい」
「んん? そういうことを言う男は珍しくないか」
 あとから聞いたら、本橋さんと本庄さんは、男以外は考えられないと答えたらしい。幸生は悩んだ末に態度を保留し、乾さんは言った。
「俺も男がいいよ。ミエちゃんはどう?」
「もしも生まれ変わったら? そりゃあ私は私がいい」
「それでこそミエちゃんだね。感服つかまつりました」
「なに言ってんだか……乾くん、それって皮肉? それとも深い意図があるの?」
「ありません。滅相もない」
「滅相があるのが乾くんなんだよね」
「美江子さんまで意味不明な台詞を口走る。滅相もあるってなに?」
 なんだろうね、と笑っていた美江子さんは、俺たちの歌う「アンチェインドメロディ」に耳をかたむけている。俺の想いはどこかの空の下にいるスーに届いているだろうか。
 ついでと言ってはなんだけど、故郷に帰ったらしき悦子にも届いてもいい。悦子、俺はおまえが嫌いではなかったよ。恋なんかじゃなかったけど、愛せなかったのはしようがない。恋は人間のコントロールの及ぶ領域ではないと、乾さんも言ってたじゃないか。故郷に帰って考えて、おまえにもしたいことが見つかるといいな、と俺はしみじみ考えた。
 俺は故郷なんかに帰りたくない。必ず夢をかなえてみせるんだ。明日になったらひょこっと弱気になるのかもしれないけど、みんなで歌っているこの瞬間だけは、心から楽しいのだから。

E N D
 
 




 
 
 




 
 
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~ Comment ~

故郷か…

しみじみしてしまいました。
章くんが原点だったんですよね、あかねさんの世界の。子ども第1号。
ずっとずっとスーちゃんを想っている。
ああ、関係ないけど、元キャンデーズのスーちゃんが昨年逝きましたね。少しは関係ありますかね?

初恋。って忘れられないモノだろうね、やっぱり。
fateはないからなぁ、そんなモノ。
なんて、語りたくないだけだったりして(^^;

こうやって、それぞれが仕事のことでも、好きな人のことでも沢山悩んでもがいて、そして少しずつ進んでいく。その道筋が綺麗で心打たれます。
どこをとっても誰をとっても、みんな、真っ直ぐに進もうとしている。
歪んでなくて醜くなくて、ほっとします。

悩むこと、苦しむこと、そしてあがくこと。
これは青春と銘打った成長の登竜門のようで、本当は一番血を流して絶望と希望の狭間に揺れて、人生の中での最高の戦いの真っ只中! という気がする。
一番残酷で一番苦しい時期なのに、何故青い春か?
でも、それだけ抱えるものも得るものも失うものも激しい激動の時期なんだろう。
そして、それに耐え得る若さがあるから、青春なのか。

今、青春の時期がずれ込んでいるから、フォレスト・シンガーズはしばらく青春し続けそうですな(^^)

まだまだ頑張って、「おおおお!」とfateを感動させ続けてください~(^^)

fateさん、今年もありがとうございます。

そうなんですよ。章は著者を映していたりもして、原点でもあるんですね。こんな情けない奴が原点なのですから、私の中身もわかろうってもので……ですよね?

芸能人のスーちゃんが亡くなったという報を聞いたときに、章の彼女を連想してしまいましたから、私にとっては架空のスーのほうが先に頭にありましたね。

私は大阪生まれの大阪育ちで、帰っていく「ふるさと」はないのです。ですから、ふるさとを離れている人の気持ちは芯からはわかっていないかもしれませんね。

はい、フォレストシンガーズは青雲の志を抱き、青い春をもがきながら生きていきます。

このお正月はちょっぴり気分が暗くなることがあったのですが、fateさんにそうやって励ましていただいて勇気を与えてもらいました。

プレッシャーを楽しむなんて気持ちになれますように、ちょっとでも楽しんでいただけますように、がんばります。

章くんって、なかなか皆に溶け込めない、アウトロー感があったんですが、あながちそうじゃないのかも。
彼は自分らしくあろうともがいて必死で手探りで生きているんですね。
心から恋しいと思える女性が心の中にいる章くんは、
じつは大人なのかも。

あの鳥を捕まえてたバラエティ番組の舞台裏をちょっと聞けて、楽しかったです。
ラジオといいTVといい、少しずつ活動が広がってきてるんだなあ~って実感。親心なのかな、ホッとします。

もっともっと、メジャーになってね!

limeさんへ

いつもありがとうございます。

この時期、章はずーっと揺れてますので、自分で自分がわかってないところがあるのですよね。
書いている私にしましても、このころはまだ手探り状態だった部分もありました。

近頃は彼らの三十代を書き、若いころがなつかしくなって昔もまた書き、なんてことをやってます。

メジャーになってね、などと言っていただけるとすごーく嬉しいです。
著者としましても、世界中でライヴをやる国際的大スターになってほしいものですが。

げ、俺が? 嘘ぉ。
と言って青くなるのは、やっぱり章のような気がします。
本気で喜びそうなのは幸生ですよね。

NoTitle

男の嫌いは怯えもあると思いますが。
まあ、その辺はダンディズムと言おうか、
あるいは男のプライドなのか。
女性の嫌いと男性の嫌いは微妙に違うんですよね。
そういうところが表れているのが良いですね。

LandMさんへ

いつもコメントありがとうございます。
男の「嫌い」には怯えがあると? びびってしまうということですかね?

ダンディズムとプライド。
「男にとっていちばん大切なものはプライド」とどこかのCMでやってましたね。プライドを捨てて得るものもあるかと思いますが、むずかしいかな。
私は古い「男の美学」みたいなものも、フィクションの世界でだったら好きですよ。
ハードボイルド小説などを読むと、笑ってしまうときもありますけどね。
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