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小説251(HとSの野球帽)

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フォレストシンガーズストーリィ251

「HとSの野球帽」


 嘘っ!! と悲鳴のような声が聞こえて、俺は振り向いた。
「嘘や。嘘やろ、お父さん」
 父親は俺たち少年野球チームの監督。彼に向かって泣き出しそうな声を出しているのは、彼の娘の敦美ちゃんだ。敦美ちゃんは俺よりも三つ年下だから小学校の三年生。俺たちの少年野球チームは小学生ばかりだから、女の子もひとりだけいるのだ。
「本当や。女の子は甲子園には出られへん」
「そんなん……」
「おまえの気持ちはわかるけど、お父さんにもどうにもしてやれんよ」
 小学校の三年生の女の子にしたら、敦美ちゃんは身体も大きい。俺なんかよりも野球はうまい。監督の娘だからではなく、野球が上手だからチームに所属して活躍している。
 六年生の俺にも、敦美ちゃんがなにを父親に訴え、父親がなぐさめているのかは理解できた。野球をやっている少年は誰だって、高校生になったら甲子園に出たいと熱望している。俺だって高校野球の選手として甲子園に行きたいのだから。
 けれど、敦美ちゃんは女の子だから、どんなにがんばっても選手として出場はできない。だから泣いている。はじめて知ったのか、女の子は甲子園には行けないと。
「敦美は高校生になったら、野球部のマネージャーになったらいいよ」
「そんなんいや。選手で行きたい」
「そうは言ってもなぁ……」
 泣いてる敦美ちゃんと、困っている監督に、俺にはなんにも言えない。ただ遠くから見ていると、四年生の達夫が横から言った。
「じゃあさ、俺が敦美ちゃんのかわりに甲子園に出てやるよ。敦美ちゃんの夢は俺が引き受けたから、まかしとけ」
 関東の小学校から転校してきたと聞く達夫は、都会的でかっこいい奴だ。四年生のくせして生意気な台詞も、彼には似合っていた。
「達夫、言ったな。本当に出ろよ」
「出るよ。それでいいだろ、敦美ちゃん?」
「……そんなんつまらんけど……でも、たっちゃんが出てくれたら……本当に出る、約束?」
「うん、出る。絶対に出る」
 できるものならば俺も言いたい、俺も出る、俺も甲子園に出て、敦美ちゃんの願いをかなえる。俺だけではなく、少年野球チームの全員が同じ希望を持っているはずだが、達夫のように豪語できる奴はいなかった。
 中学生になったら俺は野球の才能には見切りをつけた。俺みたいなド下手が野球を続けていたら、チームメイトに迷惑だと諦めて、中学校では合唱部に入り、合唱のほうが楽しくなっていって、野球は趣味だけになった。
 高校でも合唱部に入って、卒業して東京の大学生になっても、合唱部を選んだ。野球は大好きではあるが、見るばかりになって、遊びでキャッチボールをしたり、試合の真似事をしたりする程度になっていた。
「ああ、今年も高校野球シーズンだな」
 夏休みの合唱部合宿が終わり、バイトが休みだったので昼間からテレビをつけた。本日の第二試合は、三重県代表桂田高校対、埼玉県代表大木高校。三重県は俺の故郷だ。高三だったら俺の一年年下なのだから、知っている奴はいないかと画面に目を凝らす。
 三重県とはいっても広いのだから、俺の母校でもない桂田高校は知らない。俺の高校は高校野球に出場できるような強豪校ではないし、知っている奴はスタメンにはいなかった。それでも、故郷の高校を必死で応援していた。
 投手戦となって、零対零の攻防が続く。みんな守備もうまくて、ピッチャーは相当にレベルが高くて、俺は息を呑む。高校生にしては素晴らしい試合だった。
 七回表、代打が登場した。桂田高校二年生、センター、光岡……がっちりしたいい身体をした少年だ。バットを振り回して投手を睨みつける表情がアップになる。そのとき、桂田高校のベンチから女の子の声援が聞こえてきた。
「たっちゃんっ!! ホームランだよーっ!!」
 女子マネージャーの声か。ふっと思い出したのは、俺が小学校の六年生だった夏のある日の敦美ちゃんだった。
「たっちゃん? 光岡達夫? え? ほんとに?」
 小学校の四年生だった達夫とは、俺は親しくもなかったから顔もよく覚えていない。しかし、三重県の達夫なのだから、あの達夫だとも考えられる。本当にそうなのかどうかも定かではないままに、俺も光岡選手に声に出して声援を送った。
「達夫、打てっ!!」
 ランナーは二塁にいる。達夫がバットを一閃させる。観客席は大騒ぎ。ベンチも狂乱に近いほどに大喜びしている中を、達夫は悠々と二塁に到達していた。
「よっしゃ、二塁打!! 一点先取!!」
 俺も大喜びで拍手する。光岡選手は代打のみで、守備には出てこなかったのだが、二年生だとテロップは出ていたから、あの達夫なのだとひとり決めした。
 すると、ベンチでたっちゃんと呼んでいたのは敦美ちゃんか。選手としては出場できなくても、マネージャーとしてベンチにいるのか。彼女の顔は映らないし、映ったとしても変わってしまっているだろうが、そっちも俺は勝手にそうだと決めた。
 一点を入れた達夫のためにも、敦美ちゃんのためにも、桂田高校、勝て。そう祈りながら画面を見つめる。一対零のままで試合は続いていき、九回裏。桂田高校のピッチャーに疲れが見える。高校野球は完投が普通であろう。彼はエースなのであろう。
 だが、コントロールが定まっていない。フォアボールを二度続けて出し、ツーアウト一、二塁。俺は両手を握り締めて、画面を見つめ続けていた。
「あーっ!!」
 暴投で二、三塁。そして、続くバッターが外野にボールを飛ばす。観客やベンチや俺の祈りも虚しく、ボールは外野手の頭上を超えて、ランナーがふたり生還。二対一でサヨナラ負けだ。
「ああ……ああ……」
 涙が出てくる。勝負とはなんと残酷なものなのだろうか。
 テレビを切って畳に寝そべって、俺は泣きたいのをこらえていた。今ごろ甲子園では、サヨナラ勝ちした埼玉の高校生たちが歓喜の抱擁をしているのだろう。その近くでうなだれる桂田高校のピッチャーやら、彼を取り囲むナインやらの姿も目に見える気がした。
 だけど、敦美ちゃんは満足? 達夫は二年で敦美ちゃんは一年のはずだから、来年だってあるよな。来年もまた、甲子園に行けよ。来年こそは俺もちゃんと見て、きみたちが本当に達夫と敦美なのだと確認するから。


俺が大学二年になった春の選抜高校野球には、桂田高校は選ばれていなかった。大学生の生活だって暇ではないのだから、普段は高校野球などは忘れているのだが、夏の大会の出場校が決まって見てみると、やはり桂田高校の名前はない。自分のことのように落胆してしまった。
「シゲ、元気ないね」
 幼馴染で小学校からは学校も同じの瀬戸内泉水が、俺の顔を覗き込んだ。
「また失恋した?」
「失恋なんか一度もしてないよ」
 去年は失恋したのだが、そんな話は泉水にはしたくない。なのに泉水はなにかしら察しているような顔をしていた。
「今年も夏の合宿だろ。失恋じゃなくて、恋をするのかな、このシゲも」
「恋なんかしないよ」
 片想いの経験だったら何度でもあるけれど、恋というほどの恋はしたことがない。俺はどうせもてないのだから、女の子を好きになったって無駄だ。好きになった女の子の兄貴に、あんな冴えない奴、と言われたのも思い出す。
 恋なんかよりも野球がしたい。合唱部での親友の小笠原のヒデも野球好きだ。実松も嫌いではないと言っていた。俺は泉水に問いかけた。
「泉水は野球には関心はなかったか」
「全然ないよ」
「そうだったな。ルールも知らないんだよな」
「知らない。あんな汗臭くて泥臭いスポーツ、なにがいいんだか」
「野球はドラマだ」
「つまんねえ台詞」
 背は高めではあるが、泉水は体格は女らしい。少年野球時代に敦美ちゃんが加わっていると、女の子だからなぁ、と気を使ってしまって、彼女に怒られたのも思い出す。強気な泉水は女だからと気遣うと怒るだろうから、一緒に野球はやりたくない。
 やはり野球は男ばっかりでやりたい。汗臭くて泥臭いのはシゲには似合いだ。野球は鍛錬にもなるのだからトレーニングとしても最適なのだが、合唱部が野球の試合をするのは変なのだろうか。
 大学のキャンパスで泉水と話していた俺は、彼女と別れて合唱部室に足を向けた。先輩たちにも親しくしてもらっている人はいるのだが、野球の試合をやりましょうとは言いづらいので、一年生と二年生に声をかけよう。
 夏休みが近いので部室には部員の姿がほとんどない。実松がいたから誘ってみたら、彼は不満顔で言った。
「この暑いのに野球か。炎熱地獄やろ」
「若者は暑さの中でスポーツをして、汗を流してたくましくなるんだよ」
「俺はこれ以上たくましゅうならんでええねん。シゲ、おまえもやろ。それ以上肉体労働者みたいな身体つきになったら、よけいにもてへんようになるぞ」
「もてなくていいから野球をしようよ」
「他には誰がやる?」
「ヒデはやりたがるだろうけど……」
「ヒデは英語の課題に頭を抱えとったぞ。野球どころとちゃうやろ」
「そうか」
 そこに一年生の三沢幸生が入ってきた。
「本庄さん、実松さん、こんにちはーっ。英語、英語、英語……先輩、勉強教えて。英語の課題を手伝って下さい。かき氷だったらおごりますからぁ」
「英語か。シゲ、交換条件つきで教えたり」
 実松に言われて、俺は言った。
「みんな英語には苦労してるんだよな。俺は歴史専攻だから英語は苦手だけど、一年生のだったらなんとかなるかな。手伝ってやったら野球の試合に参加するか」
「本庄さんが全部やってくれるんだったら、野球でも水球でもやりますよ。野球よりも水泳がいいんですけどね」
「水泳は合宿でいやになるほどやれるよ。よし、決まった」
 経済学部一年生、三沢幸生の英語の課題を手伝ってやっていると、男子部員がちょこちょこと部室に顔を出す。いやがっていたくせに実松も乗り気になったようで、二年生と一年生を野球に誘ってくれていた。
 そうしてどうにか、九人のメンバーが決定したのだが、相手チームがいない。三沢は図々しくも言った。
「野球部に果たし状を突きつけましょうよ。試合しようぜって」
「アホか、おまえは」
 実松に呼び出されてやってきた、ヒデが言った。
「こっちは遊びだぞ。草野球以下だぞ。シゲは少年野球経験者やけんど、俺は高校時代は卓球部だ。他のみんなはたいていは高校時代にはクラブ活動もやってないんだろ。合唱やってたにしたって、そんなもんでは野球部と試合なんかできないんだよ」
「魂で勝つ」
「勝てんわ、アホ」
「勝たなくてもいいんじゃない? 胸を借りるってのは……」
 三沢は言い、にまっと笑った。
「女子野球部はないんですか。胸を借りるんだったら女の子のほうがいいな」
「女子野球部はうちにはないけど、俺もそのほうがえいな」
 またしてもこのふたりは、馬鹿話に落ちていきかけている。実松もそこに加わり、他の奴らも女の子の胸がどうとかと言い出している。俺はごほっと咳をした。
「シゲの咳は怒りの前兆や。女子やったらソフトボール部があるんとちゃうか」
 実松が言い、安斉も言った。
「ソフトボール部は第二グラウンドで練習してたよ。ちょっと揉んでもらえませんかって、お願いしにいこうか」
「揉むんだったらお姉さんたちの……」
 言いかけた三沢の口元に、ヒデが拳骨を飛ばした。こちんと叩いただけだったのだが、三沢はオーバーに口を押さえて喘いでいる。試合相手がいないではどうしようもないので、ソフトボール部に打診にいこうとみんなして立ち上がる。三沢もついてきて九人で部室の外に出ると、木村章がふらーっとやってきた。
「お、章、補欠決定」
 三沢が言って木村の腕に腕をからめる。なんの補欠だよっ、と騒いでいる木村を三沢が引きずるようにして、一年、二年の男子合唱部員十名は、第二グラウンドへと足を運んだ。
「合唱部の男子たちと私たちが試合するの?」
 ソフトボール部の代表者なのであろうか。三年生の磯崎と名乗った屈強そうな女性が、腰に手を当てて我々を眺め回す。こんなときの交渉は俺にはできないので、ヒデにまかせた。
「俺たちはまったくの素人ですから、揉んでもらいたいんですよ。練習の邪魔にはならないでしょ。正式な試合ってほどでもないけど、練習台に使って下さい」
 揉むんだって、きゃはっ、と言っている三沢、試合なんかやだよ、と抗議している木村を、実松が制している。俺は三沢の横に立って牽制し、ヒデは言っていた。
「練習がわりにやりましょうよ。みなさんは強いんでしょ。腕前のほどを見せて下さい。俺たちは合唱部だけど男なんだから、男と練習するといい訓練になるんじゃありません?」
「そうかもね。あんたたちじゃ手ごたえもないだろうけど、練習にはいいかもしれないわ。手加減はしないから、かかってらっしゃい」
「おー、望むところですよ」
 たくましそうなソフトボール部の女性たちも乗り気になったようで、ポジションにつく。野球とソフトボールは似て非なるものではあるのだが、学校の授業でソフトボールはやったから、俺たちにもできる。ヒデは負けん気を燃やしているようで、不敵な顔をして俺に囁いた。
「四番はシゲな。一番は俺が打つ。そら、メンバー表」
 メンバー表までも作っていたらしく、一枚をヒデが持ち、一枚は磯崎さんに手渡す。磯崎さんもヒデにメンバー表をくれて、試合のような遊びのような一幕が開始した。
 ソフトボールのピッチャーはマウンドが近く、腕をぐるぐる回して大きなボールを投げるので、野球とは勝手がちがいすぎる。一回表は俺たちのバットはボールにかすりもせず、あっけなく三者凡退で四番の俺までは回ってもこなかった。
 ピッチャーはシゲだとヒデが勝手に決めたので、俺が一回裏のマウンドに立ったのだが、投げにくい。へろへろ球を痛打されてまたたく間に三点が入ってしまい、ヒデが怒り声を上げた。
「ピッチャー交代。俺が投げるよ」
「小笠原さーん、がんばってー」
 呑気に声援を送っている外野手三沢の声は高くて、俺たちの耳にも届く。センターは三沢で、ライトが木村。木村がどんな顔をしているのか、表情までは見えないが、さぞかし辟易しているのだろうと察しはついた。
 が、ヒデに代わってもぼかすか打たれる。こっちはまったく打てず、五回、十対零でコールドゲームとあいなった。
「くっそー、悔しいぞーっ!!」
 ヒデは怒っていたが、俺はそれでも楽しかった。木村は憔悴したような顔をしていて、他のみんなもほぼ同様だったのだが、実松と三沢はけろっと笑っていて、三沢が言った。
「ソフトボールやってるお姉さんたちってごついけど、女のひとだもんね。大きい胸やお尻がゆさゆさしてるのを見ているだけでも、僕ちゃん、楽しかったわ。本庄さんも楽しかったんでしょ」
「おまえとは別の意味で楽しかったよ」
「本庄さんって女のひとのバストやヒップは嫌い? 脚が好き?」
「そんなところは見てないんだよ」
「本庄さんったら、赤くなっちゃって、純情ね」
「このド変態」
 木村が三沢を罵り、三沢は言い返した。
「変態じゃないもんね。躍動する本庄さんのケツが素敵だったと思ったら変態だろうけど、女性のバストやヒップや脚を素敵だと思うのは、男としては尋常だろうが」
「おまえのは度がすぎてんだよ。あんなでかいケツ……あ、聞こえてませんよね」
「聞こえてるんとちゃうか」
 実松が言い、ソフトボール部の女性たちは遠ざかっているにも関わらず、木村は口を押さえていた。ヒデはまだ怒り顔をしているけれど、最初からこうなるとほぼ予測はついていたのだから。
 野球はやっぱり男だけでやるもんだ、とは思ったのだが、ソフトボールチーム相手だったら女性なのは当然だろう。気遣いはおろか、といった相手だったのでやりやすかった。
 今度はみんなで本当に野球の試合がしたい。一年生と二年生の混合チーム対、先輩たちの試合もいいな。先輩たちは受けてくれるかな。
「まあ、俺も楽しかった。さあてと、飲みにいこか」
 実松が言い、ヒデも言った。
「ほとんどは未成年だよな。コーラやウーロン茶で打ち上げに移ろう」
「土佐の鯨がコーラか」
 ぼそっと言った実松の背中をどやして、ヒデががはがは笑っている。ヒデは十九歳だが、このあとの打ち上げではビールくらいは飲むに決まっているのだから、そこは度をすごさないように、俺が注意していてやらないとならないのだった。

  
 時には敦美ちゃんや達夫を思い出すけれど、桂田高校野球部の光岡と女子マネージャーが、あのふたりだったのかどうか確認はできていない。俺が大学三年生になったのだから、達夫は高校を卒業しただろう。
 達夫は大学だか社会人だかで、野球を続けているのだろうか。去年のプロ野球ドラフトにも注目はしていたけれど、光岡達夫の名はなかった。新人プロ野球選手になると決まった男たちの中には、俺の知っている名前はなかった。
「本橋さんや乾さんは野球は好きですか」
 かなり親しくなった一年年上の先輩に尋ねると、本橋さんは言った。
「俺はスポーツは好きじゃないよ。兄貴たちが空手馬鹿だって話はしただろ。あいつらの逆影響でスポーツは嫌いになったんだ。乾もだよな」
「プロ野球にも好きなチームはないな。俺もスポーツには興味ないんだ」
 本橋さんが好きなのは喧嘩か。喧嘩はスポーツではない。ヒデも喧嘩も好きなようだが、嘆かわしい。ヒデにだったら注意もしてやれるが、先輩には言えないので、はあ、そうですか、と応じておいた。乾さんはスポーツ嫌いだから、弱々しくも見えるんだな、とも言わなかった。
 喧嘩が好きであるらしい本橋さんは、だからこそ強い。乾さんは一見は柔弱そうなのだが、次第に彼らの内面が見えてくる。次第に彼らを尊敬するようになっていく。彼らはプロのシンガーになりたいと志しているらしいとも知れた。
 すごいな、本気なんだな、俺なんかじゃ……そしたら俺はなにになりたい? 大学三年にもなって、明確な将来の目標も持たずに漂っていていいのか。俺も歌は大好きだけど、俺では歌手なんて夢は持てなくて。
 合唱部での生活はいたって楽しかったけれど、恋人もできず、就職も決まらないままに三年生がすぎていこうとしている。もうじき四年生になるんだというころに、ヒデと三沢と俺は本橋さんと乾さんに言われた。
「プロを目指して五人で進もう。シンガーズを結成しよう」
 そんなのってあるんだ。そうか、五人のシンガーズ。俺も選んでもらえた。先輩たちを頼りにしてすがりついて、自力ではないのかもしれなかったのだが、俺にも目標ができた。
 ならば俺たちにとっては合唱部は本分でもなくなる。ヒデと相談して、来年度のキャプテンは実松に一任しようと決めて、実松にも打ち明けた。実松は大学入学当初から歌手になりたいと決めていたのだそうだが、いつしか断念したようで、俺たちの頼みを聞き入れてくれた。
「シゲ、言うとったやろ」
 実松が言った。
「いつか俺ら、一年二年のチームと、三年と四年のチームで野球の試合をしようってさ。やれんかったな」
「俺たちは四年生になるんだから、三年とチームを組んで、一年二年と試合したらいいんだよな」
 軽い気持ちで応じたら、実松は言った。
「そんな暇はなくなるぞ」
「だよな。俺たちは野球どころじゃないだろ」
 ヒデも言い、俺は言った。
「芸能人野球チームだとか野球大会だとかってあるだろ。俺たちがプロのシンガーズになったら、そうやって試合ができるかもな」
「そのためにプロのシンガーになりたいんか、シゲは?」
 なんとなく寂しそうにも見える顔をして、実松が問う。ヒデが答えた。
「そんなんもやりたいな。なににしたって、プロになるのが一番先の目標だよ。俺は人気シンガーズの一員となって、故郷に錦を飾るんだ。シゲもだろ。土佐でも三重でもライヴをやろうぜ」
「英虞湾あたりの真珠いかだの上での、おまえらのライヴか。俺も聴きにいくから実現させや」
「桂浜ライヴにも来てくれよ」
 プロのシンガーになるから就職はしないと告げると、親でさえも甘いと決めつけた。甘いとは言わずに応援してくれるのは、俺の周囲では実松と泉水のただふたりだ。アホさにかけてはヒデと張り合う実松は、得がたい友達だ。
 アホはおまえもやろ、と言われるであろうから、口にはしない。口にはしないまでも思っている。おまえはいい友達だよ、実松。これからもずっと、おまえとも友達でいたい。
 本橋さんと乾さんと三沢は特別。特別の中にも特別があって、そこにはヒデと実松が入る。泉水も甘いと言いたげではあったが、がんばれと言ってくれた。彼女も特別。俺には特別の友達が三人もいる。女の子の泉水もいる。彼女はいなくても幸せじゃないか。
 泉水と一緒に東京に出てきてよかった。俺の三重県時代の知り合いも、これから世の中に出ていって、いろんな苦労を知って大人になっていくのだろう。達夫はどうしてるかな、ともふっと思った。
 俺たちがプロのシンガーズになって、野球チームを結成したら、達夫のいるチームと試合ができたりして? そのころには達夫も俺も、世間に認知されているひとかどの男になれていたらいいな。きっとそうなれるよ。
 心の中に危惧も不安も悩みもいくつも抱えてはいるものの、こうして俺には、フォレストシンガーズには目標ができた。野球の試合なんて考えている場合ではないのは事実だが、いつかまたみんなで、野球をやって走り回ってハッスルする日も、必ず必ずやってくる。
 ヒデと仲良くなったきっかけも野球だった。同じプロ野球チームのファンだったから友達になって、あの日からともに歌ってきて、これからもともに歌っていく。ヒデとシゲのイニシアルのついた野球帽をかぶって、歌手のチームで野球のできる日が楽しみでならなかった。

END
 



 

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~ Comment ~

NoTitle

運動神経悪い順に並んだら1、2を争うぐらい運動神経が鈍い私は、
敦美ちゃんがうらやましすぎます。
ホントに驚くほど運動音痴なので、
チームプレーものは特に嫌でしたね。
迷惑しかかけないし、たまに味方にボールぶつけたりするし。
運動できる、というだけで憧れました。
いまはダンスが必須科目となっているみたいですが、
「自分の時代になくてよかった」と心底思っています(笑

歌じゃなくて運動している姿、
特にユニフォームを着てやっている姿を想像すると萌えます。
野球もいいですがバスケやバレーもいいですね(妄想
あと料理なんてどうでしょう?
みんなコック姿がヤバいくらい似合う気がします。
乾くん、ケーキ作ってくれそう……妄想が止まらない。


最近、CMで猫が出演しているのが増えた気がします。
お気に入りはyahoo!の宣伝に出てる子です!

ハルさんへ

ああ、今、書いた分が消えてしまった。

……と、それはいいのですが、コメントありがとうございます。
私も運動は大嫌いで、運動会が大嫌い。
スポーツはやるなら個人競技がいいです。

ただ、プロ野球を見るのは好きですので、阪神ファンの部分をシゲとヒデに託しています。

http://quianred.blog99.fc2.com/blog-entry-1292.html#end

FSは売れない時期が長かったので、仕事で料理をしたりもしています。
これなんかはそんなストーリィです。

乾くんはチャーハンと、ばあちゃん仕込みの田楽が得意です。
「俺は料理は好きですので、たおるさんにごちそうしたいな。ぜひ食べにきて下さい」と隆也が申しております。

猫のCMは、私は「窓」のが好きです。

ハルさんは和歌山貴志駅のたま駅長はごぞんじですか?
you-tubeで見た、たまとニタマのツーショット。
帽子をかぶせられて、年寄りのたまは「ああ、もう好きにして。どうでもええわ」って感じなのですが、ニタマはいやがってましてね。

うんっ、もうっ。いやっ!!
とばかりに、何度かぶせられても払いのけてしまう。
しまいにニタマを抱いているおじさんも諦めた。
という動画に萌えてました。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

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