リクエスト小説

RIKA「潮騒part2」

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「潮騒」part2


1・リカ

 胸の中がもやもやするのは、猛流さんのせい。お兄ちゃまのせい。樹のせいでもある。おうちに帰るのはいやだと言っているのに、おやつがすむとお兄ちゃまになだめられて連れて帰られた。おうちとはいっても、ミュージシャンの別荘。
 作曲家である金子将一は、ヒットソングやらアイドルソングやらではなくて、マイナーな歌の曲を書くことが多いのだそうだ。わりと年配のジャズミュージシャンなんかに好かれていて、この別荘を貸してくれたのもそんなおじさんだとお兄ちゃまは言っていた。
 もちろんあたしはおじさんサックスプレイヤーなんかは知らない。樹も知らないと言っていて、猛流さんは知っているそうだから、お兄ちゃまとそのミュージシャンのおじさんの話をしていた。
「リカはお昼寝する」
「ああ、おまえはすこし気が高ぶってるようだから、ねんねしなさい」
 ねんねだなんて、子供扱いの言葉に胸がぽっと甘くなる。ん、とお兄ちゃまにうなずいて、別荘で使っているリカのお部屋に入る。
 ベッドに横たわると、お昼寝、お昼寝って言葉が浮かぶ。あたしがお兄ちゃまに引き取られたのは五歳のときで、パパやママと暮らしていたころは幼稚園に行っていたけれど、保育園に変わった。家も変わったし、お兄ちゃまは働いているのだから、長時間、保育してもらえる場所に預けられたのだった。
「ママぁ、ママぁ」
 保育園ではお昼寝の時間があって、あたしもみんなと並んでねんねした。保育士の先生が絵本を読んでくれたり、歌を歌ってくれたりして、気持ちよく眠るのだけど、途中で起きると寝ぼけてぐずって先生を困らせた。
 鮮やかに覚えているのは、年長組のときの陽子先生。身体の大きな力の強い若い女性で、あたしは彼女になついていた。
「金子さん……今日はリカちゃんはお昼寝の途中で起きて、泣いちゃったんですよ」
「ママ、ママって言ってましたか」
「いえ。お兄ちゃまぁ、でした。去年は泣くとママ、ママって言ってましたけど、今年はお兄ちゃまになったんだね、進歩なのかな、って言ってたんです」
「それはそれは。ご迷惑とご心配をおかけしました」
「いいんですけど、リカちゃんは寝不足でしょうから、明日のお休みにはたっぷりお昼寝させてあげて下さいね」
 こんなにはっきりと内容を覚えているわけはないけど、こんな感じの会話を先生とかわしたお兄ちゃまに連れられて、六歳になったばかりのリカはおうちに帰った。
「陽子先生はお兄ちゃまが好きなんだよ。お兄ちゃまも陽子先生が好き?」
「リカの先生なんだから好きだよ」
「キスしたい?」
「ませたことを言うんじゃありません」
 そんな会話も覚えている。
 今から思えば幼稚園の先生だって、小学校の先生だって、女のひとが多くて、お兄ちゃまにぽっとなっていたひとは多いんじゃないだろうか。家庭訪問に来た小学校三年生の担任の先生が、普段よりもはるかに綺麗にお化粧をしておしゃれしていたのも思い出す。
 かっこいいお兄ちゃまが今では誇らしくて、それでいて憎らしくもあるリカ。五歳や六歳だとそこまでは考えていなかったけど、おませだったからちょっとは思っていたのかもしれない。
「陽子先生に言われたよ。今日は休みなんだからお昼寝しなさい」
 その続き、日曜日で家にいたあたしは、お兄ちゃまとお昼ごはんを食べて、庭で遊んでもらって、それから、なにかを買ってっておねだりしたはず。買ってほしいものがあるから、お買い物にいこうとおねだりしたら、お兄ちゃまが言ったのだった。
「ベッドでねんねしようね」
「お昼寝なんかしたくないもーん。リカはお兄ちゃまとお出かけしたいの。やーんっ、やだやだやだーっ!!」
「大きな声を出すな。俺がおまえを虐待してるみたいだろ」
「ぎゃくたいってなに? ぎゃくたーいっ!!」
「ああ、よしよし、いいからな」
 虐待なんて言葉は知らなかったけど、口にするとお兄ちゃまが困るのかと、わざと大声で叫びながら、抱かれてベッドに運ばれていった。
「ねんねしなさい」
「……ご本読んで」
「読んであげるよ」
 おとぎ話を読んでもらい、子守唄を歌ってもらい、それでも眠らなくて駄々をこねて、しようのない子だね、めっ、って言われて、それだけで泣いていたリカ。泣くとお兄ちゃまはますます困った顔をして、口の中でなにか呟いていた。
 なんて言っていたんだろ。まったくこの子は、いっぺん叩いてやったほうがいいのかな、だった? あまりに甘やかすと不良少女になるかな、だったの? リカは一時、不良になりかけたけど、もとのいい子に戻ったでしょ?
 お昼寝しようとしていると、その言葉から幼いころを思い出して、とうてい眠れない。リカは十五歳になってもわがままっ子だけど、十年前ほどにはお兄ちゃまに甘えかかれない。抱っこされてベッドに運ばれるなんて、別のシーンを想像しちゃうわ。きゃーん、恥ずかしい。
「もう、やだ、馬鹿」
 自分で自分に馬鹿と言って、あたしは起き上がった。
 このあたりは高級リゾート地とでもいうのだろうか。東京からはわりと近くて、夏休みになると家族連れやグループやカップルが泳ぎにくる。ホテルや旅館もあって、お兄ちゃまが借りている別荘はそのあたりとは離れた、別荘地に建っている。
 観光客目当ての小さい繁華街もあって、レストランやブティックもある。ここに来たときから、繁華街のブティックを見にいきたかった。
 非常時のために、とお兄ちゃまがあたしに預けてくれたお金を持って、ここに来るためにお兄ちゃまが買ってくれたお洋服の中から、お気に入りの白いワンピースを着て、こそっと外に出た。男のひとたちもお昼寝しているのか。あたしが外に出たのは気づかれなかったようだ。
 海辺の街にしてはしゃれたブティック「ヴィオロン」という名前のお店に入ると、綺麗なお姉さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。おひとり?」
「ひとりで来たらいけないの?」
「いえ、いけなくはないのですけど、中学生かな。おひとりでこんな店に入ってくるお年でもないかなぁ、って。失礼」
「失礼ね。あたしは高校生です」
 小さいからか、たいていはあたしは中学生とまちがわれる。ひどいときには小学生かと言われて、思わずそのおばあさんに悪態をついて、あのときはお兄ちゃまにみっちり叱られた。お兄ちゃまはお年寄りに失礼な態度を取ると怒る。あたしがまるで覚えていないあたしのおばあちゃまが大好きだったそうだから、お兄ちゃまっておばばコンプレックスかも?
 いつものようにあたしを中学生だと言ったお姉さんは、おばあさんではないから年寄りではない。大人の女性の年齢はわかりにくいけど、お兄ちゃまよりはだいぶ年下だろう。それでも、失礼なことを言うとお兄ちゃまに叱られるだろうから、我慢しておいた。
「おまえも高校生になったんだから、礼儀正しい淑女にならないとな」
 お兄ちゃまはそんなふうに言うから、淑女ぶっておくことにした。
「すみません。お客さまが可愛らしいから……」
「いいんですけどね」
「ごめんなさいね。なにかお探しのものでも?」
「ちょっと見せてもらうだけでもいいですか」
「どうぞどうぞ」
 白いワンピースにぴったり似合いそうな、透明な珠で作ったネックレス発見。水晶なのだそうで、神秘的で素敵だ。だけど、高い。お兄ちゃまはお金持ちだけど、無断でこんな高いものを買ったら叱られるかな。
「その金は非常時のためにおまえに渡してあったんだろ。無駄遣いしちゃ駄目じゃないか」
 怖い顔を想像するとやっぱり怖いので、お兄ちゃまにことわってからにしようかな、でも、ほしいなぁ、と思って、ネックレスをいじっていた。
「お嬢ちゃん、それがほしいの?」
 渋く枯れた声に顔を上げると、ひょろりと痩せて背の高いおじいさんがいた。
「あなたは可愛いね。おじいちゃんがプレゼントしてあげようか」
「いりません」
「そう言わずにさ、店員さん、これ、包んであげて」
「あのぉ、お知り合いでいらっしゃいますか」
 女性のブティックになんでこんなおじいさんが入ってくるの? 赤い花柄のアロハシャツを着た派手なおじいさんをあたしはじろっと睨み、お姉さんも言ってくれた。
「あのあの、お客さまはお買い物に?」
「そうなんだよ。この店って最近できたでしょ。前にこの前を女の子と一緒に通りがかって、その子が言ったんだ。あれがほしいって。そのときは急いでたから買えなくて、今日、買いにきたんだよ。ブルーの夏もののバッグだったけど、売れちまったかな。ないね」
「ああ、それでしたら売れました。あいすみません」
 ま、いいけどね、と言ってから、おじいさんは言った。
「買うつもりのものが売り切れちまったんだから、かわりにお嬢ちゃんにネックレスをプレゼントするよ。こんなじいさんがこんな店に入って、なんにも買わずに出るのはかっこ悪いだろ」
「そんなことはございませんが……」
「お嬢ちゃんはこれがほしいんでしょ。見れば小学生くらいの年頃で、金持ちの娘だとしてもこの値段のネックレスは勝手には買えない。小学生には高価だろうけど、僕にははした金だよ。おじいちゃんのプレゼント、受け取って。お嬢ちゃんのお名前は?」
 口数の多いおじいさんがやっと口を閉じてあたしを見たので、あたしも言った。
「あたしは高校生です。あんたなんかに名前を教えたくないけど、お金だって持ってます。お姉さん、それ、あたしがお金を出して買いますから」
「あ、はい」
 行きがかり上仕方なく、ネックレスを買うことになってしまった。おじいさんはにやにや笑っていてるものの、それ以上は言わなかったので、ネックレスを包装してもらって外に出た。
「……じじいのせいだよ。あのじじいが変なことを言うから、買っちゃったじゃん。高かったのにぃ……ああん、お兄ちゃま、怒ったらやだよ」
 ひとりごとを言いながら歩いていて、背後についてくる人の気配を感じた。通りすがりの店のウィンドゥに真っ赤なアロハが映る。あのじじいだった。
「やーん、セクハラエロじじぃ。お兄ちゃまっ、助けてっ!!」
 小走りになってもついてくる。走ってもついてくる。相手はおじいさんとはいえ、背が高くて元気いっぱいみたいだから、あたしのような小柄な女の子だと足の速さはかなわない。ついてこないでよっ!! と言うのも怖くなったので、必死で走っていった。
「リカ、どこに行ってたんだ。ノックしても返事もないから部屋に入ってみたら、ベッドが空っぽだ。出かけるんだったら言っていきなさい」
 お小言を言いながら玄関のドアを開けたお兄ちゃまの、腕の中に飛び込んだ。
「変なじじいがついてくるよぉっ!!」
「じじぃ? そんな言葉を使うものじゃない。だけど、どこに? ついてきてる? 猛流、樹、外を見てきてくれないか」
 先に猛流さんが外に出ていく。樹は長い靴べらを手にして猛流さんのあとに続く。武器にするつもりらしい。あたしはお兄ちゃまにしがみついて、耳を澄ませていた。
「やあ、きみはあのお嬢ちゃんの兄さんかな? 靴べらなんか持ってるきみは、彼女のボーイフレンド? ここに滞在してるの? 僕は聞いてないけど、んんと……すると……不法侵入じゃないよな」
「そんなんじゃありませんが、あなたに言う必要はないでしょ。あなたはどなたなんですか」 
 猛流さんが言い、樹も言った。
「そうだそうだ。じじぃ、てめえのほうこそ、リカにつきまとってたんだろ。ストーカーじじぃかよ」
「お引取り下さい。なんなんですか、そのいやらしい笑い方は。警察を呼びますよ」
「いやいや、愉快な少年たちだね」
「俺は少年ではありません」
「きみらはどんな関係? 恋人同士?」
「そんなはずないでしょっ。こいつは俺の弟です」
「ふむふむ」
 なぜだか、お兄ちゃまの顔色が変わっていっていた。
「あの声は……リカ、ちょっと離れろ」
「やだ、怖いもん」
「うん、だったら……」
 あたしを抱き上げて、お兄ちゃまがドアを開ける。そして、お兄ちゃまの目がまん丸になり、背筋がしゃんと伸びた。
「佐竹さん……」
「佐竹さんって、将一さんに別荘を貸してくれた方ですか」
 反応したのは猛流さんで、お兄ちゃまはがくがくって感じにうなずいた。
「こちらにはいらっしゃらないと伺っていたのですが……」
「気が変わったんだよ。するってぇと、このお嬢ちゃんがリカちゃんか。可愛いね。兄貴になんかくっついてないで、僕が抱っこしてあげようか」
「いやだ。いらない。やだっ、気持ち悪いよっ!!」
「気持ち悪いとはなんだ。いや、佐竹さん、ご無礼の段、まことに申し訳ありませんっ」
 恐縮した様子でお兄ちゃまが頭を下げ、佐竹さんと呼ばれたセクハラじいちゃんは、がははははっと豪快な笑い声を立てた。


「とはいうものの、佐竹さん、あなたもよくないでしょう」
 おじいちゃんも別荘に入ってきて、麦茶かサイダーでもいかがですか? と尋ねると、冷たい飲みものは嫌いだとわがままを言う。お兄ちゃまがコーヒーを淹れて佐竹さんに出し、改めてみんなが挨拶してから、お兄ちゃまが言った。
「ブティックで若い女の子にそんな声のかけ方をしたら、警察に通報されても仕方ありませんよ」
「いやな世の中だね」
「と申しますか……慎んで下さいね」
「若造の分際で、僕に説教するな」
「リカは俺の妹です。言うべきことは言わせていただきますよ」
 老年と中年が睨み合い、少年は面白そうな顔をし、青年は言った。
「まあまあ、穏便にお願いしますよ。佐竹ジョーイ氏……俺はあなたに……お会いしてみたかったんですが……」
 語尾がごにょごにょっとなったのは、猛流さんが佐竹さんを知っているからだろう。樹もあたしも知らないおじいさんだから、変なじじい、ですむけれど、猛流さんは失望したのかもしれない。
 あたしにはアイドル趣味はないけど、けっこうファンの俳優がいる。好きな俳優がこんなエッチな男だったりしたら失望してしまうから、猛流さんの気持ちはわかる。お兄ちゃまは佐竹さんがこんなおじいさんだと知っていたのだろうから、失望なんかしないのだろうけど。
 だけど、お兄ちゃま、この別荘を貸してくれてるひとを叱るみたいに言ったら、出て行けって言われるかもしれないよ。あたしは心配していたのだけど、佐竹さんはそうは言わなかった。
「それで、リカ、おまえがネックレスを買ったのか」
「お兄ちゃまがリカに預けてくれてたお金で買ったの。いけなかった?」
「その際は仕方がなかったのかもしれないな。どんなの? 見せてごらん」
 包みを開いてネックレスを取り出す。へええ、綺麗だな、と猛流さんと樹は言い、佐竹さんはネックレスを調べてから言った。
「店ではよく見なかったけど、この品物でその値段は高くないか、将一?」
「俺もそう思いますけど、こういうものの価格は決まっているようで決まっていないようなものでもあるでしょ」
「ぼられてないのかね」
「リカは子供だからってなめられた? なくもないかもしれませんが、街にあるあのブティックでしょ。あそこは悪質な店なんですか」
「そうでもないだろうけど、だから僕が買ってやればよかったんだよ」
「というよりも、お兄ちゃまに買ってもらうからって、一度、帰ればよかったんだろ。俺に言えばきちんと見て、買うかどうかを決める。リカ、二度と勝手な真似をするんじゃないぞ」
「……ああん、だってぇ」
 知らないおじいさんに尾行されて、怖くてたまらなかった。そのひとはこの別荘を貸してくれた、お兄ちゃまの知り合いだと知ってほっとして、身体も心もぐにゃっとなって、お兄ちゃまに甘えたくなったのか、泣きたくなってきた。
「あらら、リカちゃん、泣かないで」
 おろおろと言ったのは猛流さんで、佐竹さんはあたしを抱きしめようとし、あたしは走って逃げた。
「リカちゃんは怖い目に遭ったのに、そんなにきびしく言わなくてもいいでしょうが」
「どこがきびしいんだよ。俺が兄貴に言わずに、兄貴の金で高いものを買ったりしたら、往復ビンタだろ」
「そりゃそうだ。少年はそうやって鍛えられたほうがいいんだよ。猛流、おまえの弟への教育は正しい。猛流はえらい」
 少年と老年は勝手なことを言っていて、猛流さんは言った。
「樹がそんなことをしたらぶん殴るに決まってるけど、リカちゃんは女の子だ。将一さん、リカちゃんをきつく叱るのはやめて下さい。泣いてるじゃありませんか」
「きつくねぇって。兄貴、それは差別だよ」
「そうだそうだ」
「佐竹さんはちょっとお静かに願います。樹は黙れ。将一さん……」
「そうか、リカ、きつかったか?」
 ううん、ううんっ!! と叫んで、あたしはお兄ちゃまに飛びついた。
「ちがうよ。リカはね……ううん、ごめんなさい。お兄ちゃまぁ……」
「ああ、よしよし、買っちまったものはいいんだよ。この次からは俺の言いつけを思い出して、勝手な買い物はしないこと。ほしいものがあれば言うんだよ。いいね、リカ?」
「はい」
「聞き分けのいい、いい子になったね。リカ、よしよし」
 三人もの男のひとが見ているから、お兄ちゃまに抱かれて泣くのは恥ずかしい。でも、それ以上にいい気持ち。なにやらこそこそ言っている三人がものすごく邪魔で、出ていってほしかったけど、気にしないと決めてあたしは泣いていた。


2・樹

 昼には駅弁を二個、おやつにはリカと将一さんが作っておいてくれたロールパンサンドイッチを十個以上。そんなに食ったのにまた空腹だ。
 しかし、よその家に来ているのに変な時間に、腹減ったと言うのは気が引ける。夕飯まで待とうと思っても、腹がぐうぐう鳴って辛抱できない。俺はぺこぺこになった腹を抱えて、四人の人間を交互に見ていた。
 おかしなじいちゃん、とは言っても、実はこの別荘の持ち主だという金持ちのミュージシャン、佐竹ジョーイ。七十代なのだろうか。いわゆるエロじいさんってやつ? いい年して若い女の子が大好きみたいで、リカにかまいたがってしようがない。
 佐竹さんは将一さんに抱かれてめそめそしているリカを、楽しそうに見ている。その佐竹さんを、うちの兄貴はうさんくさげに見ている。そんなふたりを俺が見ていると、佐竹さんが言った。
「猛流は料理はどうだ?」
「外食は高くつきますんで、休みの日なんかにはやらなくもないんですけど、週日は仕事が忙しいからコンビニのメシばっか食ってますね」
「樹は?」
「こいつは俺以上に、料理なんかできません。カップラーメンとか目玉焼きくらいしか作れないよな、樹?」
 うなずくと、佐竹さんが立ち上がった。
「冷蔵庫の中には食べるものはあるんだろ。今夜は僕が作ってやるよ。将一はリカちゃんをあやしてやれ。僕がリカちゃんを抱いてあやしてやれたらもっといいんだけど、美青年の兄貴と美少女の妹ってのは絵になるよな、リカちゃんは心ゆくまで泣けばいいよ」
「あ、俺も手伝います」
 兄貴も一緒に、台所に入っていった。メシメシメシ、早く食わせてくれぇ、と俺の腹は言っている。俺が手伝うと邪魔になるだろう。家でも兄貴に言われて、焼きそばくらいだったら作れるだろうと挑戦してみたことがあるのだが、できあがった焼きそばは惨憺たるありさまになっていた。
「……焦げ焦げ……なんだ、これ? 樹、どれほどソースを入れたんだっ」
 不平たらたらの兄貴に怒りながら、俺も食ってみてじきに箸を投げた。なのだから、俺は手伝わないほうがいい。それでも気になるので台所を覗いてみた。
「佐竹さん、なにを作るんですか」
「ブイヤベースなんてどうだろうね」
「うまそうですけど、材料は足りますか」
「ブイヤベースってなにを入れるのかな。魚介だよな。食べたことは何度もあるんだけど、作ったことはないよ」
「大丈夫ですか」
「ちょっと待て。彼女に聞くから」
 彼女ってのは、いわゆる恋人? このじいちゃんが独身なのかどうかも知らないが、この年で恋人がいるのか。すげぇ、と思ってしまう。佐竹さんはケータイで彼女とやらに電話しているらしい。これではいつになったらメシを食わせてもらえるのやら。
 ブイヤベースなんかじゃなくて、味噌汁と飯と卵焼きでもいいからさ、早く食わせて、と呻きそうになりながら将一さんとリカを見る。リカは小声でなにやら言ってお兄ちゃまに甘えていて、将一さんはよしよしとか言っている。
 このふたりを見ているといろんな感情が胸の中で、ぷくっぷくっと泡のように生まれては、ぱちっぱちっと弾ける。腹が減っているのも倍増しそうなので、そおっと外に出ていった。
 昼寝をしているふりをして、リカは外出していた。それであのおかしなじいちゃんと知り合い、高いネックレスを買って、将一さんに優しくたしなめられていた。うちの兄貴は将一さんに、リカをきつく叱らないで、と言ったけど、あんなもののどこがきついんだ。
 うちの兄貴も佐竹さんに負けないスケベ男なんだな。可愛い女の子には甘いんだから。ま、いいや。俺もリカが行っていたという繁華街に行ってみよう。
 繁華街は電車の駅とは反対側にあって、車かバスで行くらしい。佐竹さんの別荘からならば近いので、俺も歩いていってみた。間もなく見えてきたのが、リカがネックレスを買った「ヴィオロン」。ヴィオロンってバイオリンだったかな。
「……いらっしゃいませ」
 女の服やらアクセサリーやらを売っているのだろうから、俺が入っていくのは恥ずかしいか。そう思って背伸びして店内を見ていたら、綺麗なお姉さんと視線が合った。身長は俺よりも高く、大人の美人。こんな美人にもぽわっとなるとは、俺は気が多いのか。
「いえ、あの、客ではなくて……」
 お姉さんがドアを開けてくれる。レモンの香りが漂う。お入りになれば? なんて言ってくれるお姉さんに、いえ、いいです、だとか言って逃げかけていると、俺の背中を押した奴がいた。
「彼女へのプレゼントとか?」
 首をぐーっと伸ばして見上げる。背の高い男が俺を見て笑っていた。
「姉ちゃんの店は高いんだけど、金、持ってんの? 中学生?」
「高校生だよ。金は持ってないし、買いものに来たんでもねーよ」
「俺も高校生。高校二年の星斗ってんだ。おまえの名前は?」
「樹、高校一年。姉ちゃんって……」
「ここは俺の姉ちゃんの店だよ」
「雇われ店長ですけどね」
 横から言葉を添えたお姉さんも、星斗も、店に入れと勧める。お客は他にはいなくて暇そうだったので、中に入ってアイスティをごちそうになった。
「……樹くん、おなかすいてない?」
「姉ちゃん、俺も腹減った」
「ふたりともにそんな顔をしてるね。ちょっと待ってて」
 待っていると、大きな缶にあられや煎餅の詰まったものを持ってきてくれた。
 猛流、樹というのもかっこいい名前だと言われるが、愛華、星斗の姉弟というのもきらびやかな名前だ。アイカ、セイト。
 愛華さんは美人で、星斗は俺より一コ年上なだけなのに、背が高くて大人っぽくて顔もいい。アイスティがこぼれてるよ、と言っては弟の世話を焼こうとする姉を、星斗はうるさそうにあしらっている。俺にも姉さんがいたらな。 
 優しくて美人の姉さん、いいなぁ。別に俺は愛華さんを好きになったのではなく、好きなのは……好きなのは……リカでもなくて、ましてやリカの……ちがうよ。好きな奴なんかいないよ。


3・愛華

 兄と妹、兄と弟、姉と弟、それからおじいさんがひとり。
 ここはそのおじいさん、サックスプレイヤーの佐竹ジョーイ氏の別荘だそうで、兄と妹、金子将一、リカと、兄と弟、忍野猛流、樹は佐竹さんの招待客だ。姉と弟というのは愛華と星斗。星斗と樹くんが仲良くなって、樹くんが言ったのだった。
「明日は店が休みなんだったら遊びにこない? ジョーイじいちゃんは賑やかなのが好きで、若いのをもっと大勢連れてこい、美人がいたらなおよし、なんて言うんだよ。帰って愛華さんと星斗の話をしたら、ぜひ連れてこいって。愛華さんはじいちゃんにも会ってるでしょ」
 私が雇われ店長をしている「ヴィオロン」で紅茶を飲んでから帰っていった樹くんが、夜になって電話をかけてきたのだった。
「今夜はうちの兄貴とじいちゃんの作った、ブイヤベースだかなんだかわかんねえものを食わされたんだけど、愛華さんと星斗が来るんだったら昼からバーベキューしようってさ。バーベキューだったら失敗もしないだろうし、昼からしこたま食って、夜は……そんでも夜には腹が減るんだよな」
 高校生の少年らしいことを言っていた樹くんに、お邪魔させてもらいますと応えた。
 そういうわけで、今日は弟と私も佐竹さんの別荘のお客のひとりになっている。猛流、樹、星斗は庭でバーベキューの支度をしていて、佐竹さんが監督をしている。私はリカちゃんと将一さんと三人で、わいわいと準備中の男性たちを見ていた。
「愛華さんっていくつ?」
「二十五歳です」
「けっこういい年だね」
「こら、リカ、失礼な」
 兄さんにたしめられて、リカちゃんがふくれてみせる。十五歳から見れば十も年上はいい年なのかもしれないので、かちんとしたのをこらえて笑ってみせた。
「俺から見れば若いよ。その若さでブティックの店長さんだなんて、有能なんですね」
「ブティックのオーナーの愛人とかじゃないの?」
「リカ、なんでそうおまえは失礼なことばかり……」
「だってだって、愛華さんの店って悪徳ブティックなんじゃないの? 昨日のこれだって……」
 佐竹さんが妙な口出しをしたおかげで、リカちゃんが買わなくてはならなくなったのかもしれない。その水晶のネックレスがリカちゃんの胸元を飾っている。リカちゃんには少々大人びすぎているが、お似合いですよ、と微笑んでおいた。
「高いって言ってたじゃない、お兄ちゃまもジョーイじいちゃんも」
「特別に純度の高い貴重な水晶だそうで、ですから、すこしお高くなってるんですよ」
「水晶の純度なんて、リカにはわからないもん。お兄ちゃま、どこかで鑑定してきてよ」
「そこまでしなくてもいいだろ。リカ、失礼すぎるよ」
「だってだってだって……」
 ぶちぶちぶちぶち、リカちゃんは何度も、だってだってと呟いている。これはたぶん……こんなに年の離れた、こんなにかっこいい兄を持つと、妹がそんな気分になるのもありがちなのかもしれない。
「愛華さんって背が高いよね。背の高すぎる女はもてなくない?」
「そうね。前につきあってた彼氏は背が低くて、ヒールのある靴を履かないでってお願いされたりしたな」
「前につきあってたの? 今は?」
「リカ、そうプライバシーを詮索するものじゃないよ」
「気になるんだもん。お兄ちゃまだって気になるでしょ」
「愛華さんが話したいんだったらいいけど、根掘り葉掘り質問するんじゃない、行儀の悪い」
「なんでそんなに怒るの? お兄ちゃまはいっつも優しいのに」
「行儀が悪いからだ。俺はおまえをそんな子に育てた覚えはないよ」
 またまた、リカちゃんはだってだって……プライバシーを詮索してはいけないのだったら聞けないが、俺がおまえを育てた? この兄妹には事情があるのだろうか。親がいないのかもしれない。
「身体的な指摘なんてのもするのはいけないだろ」
「肉体的欠陥をついたらいけないって言うよね」
「愛華さんの場合は欠陥ではないけど……」
「背が高すぎるって女は欠陥だよ」
「リカ、いい加減にしなさい」
 どうしてこうもリカちゃんに敵視されるのやら。意味はわかるのだが、将一さんは察していないのか。きびしい言い方をされてリカちゃんがべそをかく。お兄ちゃまぁ、と抱きつかれて、将一さんがリカちゃんにお説教していた。
「だってね……お兄ちゃま……」
「ん? だから?」
「……なんだもの。……なんだもんっ」
 リカちゃんは将一さんにぴったりくっついているので、半分しか会話が聞こえない。私には見当がつくので、知らん顔していた。
「そんなはずはないだろ」
「……はず、あるよ」
「ないよ。馬鹿言ってないで、庭に行こうか」
「うん。抱っこ。抱っこしていってくれないと、リカはごはんは食べないんだから」
「おまえはこっちに来て幼児返りしてるみたいだな」
 苦笑いのお兄ちゃまが、妹を抱き上げる。庭に面したガラス戸が外から開けられて、佐竹さんが私に手を差し伸べた。
「愛華さんは僕が抱いていってもいいですか」
「おじいちゃんがそんなでっかい女を抱っこしたら、腕が折れるよ」
「こら、リカ。そんなことばっかり言う子は……」
「きゃああん、いやいやぁ」
 怒ったふりにも見える顔をして、将一さんはリカちゃんを抱いて庭に出ていった。私は佐竹さんが腕を組みたがるのでお望み通りにする。佐竹さんは相好を崩していて、星斗と樹くんはげろげろ言っている。猛流さんも苦笑いしていた。
「リカちゃんはどうしたのかな。樹、星斗、材料を焼いておけ」
 猛流さんが言って、庭のむこうのほうへと歩いていく。少年たちが大きな網にソーセージや野菜を載せる。佐竹さんは監督に徹するつもりらしく、ここに載せろ、こっちの火力が強い、などと言って、うるせえじいちゃんだな、と言われて笑っている。
 庭はたいそう広くて、猛流さんが歩いていったほうからは海がはるかに見張らせる。私も気になったので行ってみると、猛流さんが木陰で覗き見していた。
「しーっ」
 口に指を当てて猛流さんに歩み寄っていく。猛流さんと同じ方向を見ると、草の上に将一さんとリカちゃんがすわっていた。
「お客さまに向かってお行儀が悪いのはいい子かな」
「……リカは悪い子だもん」
「どうしてそういい子にできないんだ、ん? 言ってごらん」
「だってね……だって……お兄ちゃまぁ」
「泣いてるとバーベキューパーティに参加できないぞ」
「リカはこうしてるほうがいいもん」
「バーベキューしようって、おまえもはしゃいでたじゃないか」
「愛華さんが……」
 想像通りだったみたい。私は肩をすくめ、猛流さんは私をちろっと見た。
「星斗くんだったらいいけど、女のひとが来たら妬けちゃうの」
「愛華さんはおまえから見たらお姉さんだろ。優しそうな綺麗なひとじゃないか。可愛がってもらえばいいんだよ」
「やだ。リカは女は嫌い」
「なんという言い方をするんだろうね。彼女はおまえが反感を持つような女性か?」
「リカは嫌い。愛華は嫌いだ」
「だったらどうしたいんだ?」
「愛華さんなんか帰らせて」
「リカ、怒るよ」
「やだぁ」
 うわーんっと泣き出したリカちゃんが、将一さんにもたれかかる。私はそっとその場を離れた。
「……あれはどういう?」
「わかりません? リカちゃんは私が兄さんに色目を使うとでも思ってるんですよ」
「妬けるって言ってましたね」
 ついてきた猛流さんが、自分の顎をつまんで思案顔をしている。彼は二十三歳だそうで、私とならばふたつ年下なだけだが、ずいぶん子供っぽく見えた。
「俺としては、愛華さんと将一さんがカップルになってくれたら嬉しいけどな」
「そう? 将一さんはかっこいいですけどね」
「愛華さんは知らないでしょ。将一さんとリカちゃんは実の兄妹じゃないんですよ」
 金子将一、村瀬リカ、姓もちがうのだとははじめて知った。
 猛流さんは彼の知っている範囲の話をしてくれる。将一の学生時代の恩師、村瀬教授というのがリカの祖母で、将一は村瀬教授とその息子夫婦と、その娘のリカとは家族ぐるみで親しくしていた。祖母が亡くなり、両親も亡くなったリカを、五歳のときに引き取って育てたのだそうだ。
 なるほど。実の兄妹ではないからだ。兄のほうは俺が育てた可愛い妹だとしか思っていないにしても、妹は兄に恋してる。ありそうな話だ。将一さんがかっこよすぎるのが罪なのかもしれない。
「それにしたって兄と妹なんだから、不健康でしょ。俺はリカちゃんを将一さんから離したいんですよ。それだけじゃなくて、俺は……」
「リカちゃんが好き?」
「はい、愛華さんって鋭いですね」
 甘い吐息まじりに、猛流さんは言った、
「俺はリカちゃんに告白したんだけど、まともに取り合ってもらってないんです」
 あなたってロリコン? とは私は口にはしないが、小娘趣味なのはまちがいないようだ。いや、子供っぽい二十三歳と、子供でしかない十五歳ならばお似合いかもしれない。
「愛華さんは将一さんには?」
「かっこいいよね」
 私には彼氏はいるけれど、かっこいいと言っておいた。
「将一さんって甘い兄貴だけど、時にはリカちゃんをきつく叱ったりもするんですよ。大丈夫かな。バーベキューもはじめられませんね」
「私たちはあっちに行きましょうか」
「そうですね。気にはなるけど……愛華さん、リカちゃんに言ってやって下さいよ。嘘でもいいから、私は将一さんには興味ない、彼氏はいるんだって」
「……そうね」
 誰がそんな親切、してやるもんか。私を嫌いだなんて言う小娘は私も嫌い。いやがらせでもしてやりたくなってきた。


4・リカ

 男のひとは美人には興味があるはず。樹が愛華と星斗の姉弟をバーベキューに招待すると言ったときには、あたしも賛成したのに。愛華さんが綺麗なひとだとは知っていたのに。
 いざ実物と向き合ってみると、むかついてきた。背の高い愛華さんはお兄ちゃまとは身長の釣り合いもよさそう。十ちがいだと女のひとがいやがるかもしれないけど、お兄ちゃまほどかっこよかったら愛華さんは喜んで彼女になりそう。
 悪い想像ばっかりしてしまって機嫌が悪くなって、お兄ちゃまに叱られた。それでもお兄ちゃまに愛華さんの悪口を言い、俺は彼女には別に興味ないよ、と言ってもらって、機嫌を直してバーベキューに参加した。
 見渡す限り、男のひとたちはクオリティが高い。ジョーイじいちゃんだってミュージシャンだけあってかっこいい老人で、おばさんやおばあさんだったらきゃあきゃあ言うだろう。将一お兄ちゃまはとびきりかっこいい。
 猛流さんも長身の美青年。星斗も背が高くてちょっぴり不良っぽくて、甘くもあり鋭くもある綺麗な顔をしている。樹は小柄だけど美少年。見ている分にはいい男ばっかり。
 あたしって紅一点が好きなんだよね。ここにたったひとりの女の子だったら、みんながちやほやしてくれる。愛華さんがいてもリカもかまってもらえるけど、分散するのが悔しい。愛華さんがあらわれるまではじいちゃんはリカにばっかりかまいたがったのに、意識が半分以上お姉さんに向かってしまってるみたい。
 リカにはお兄ちゃまがいればいいの。でも、お兄ちゃまはお兄ちゃまなのだから、リカは将一さんのお嫁さんにはなれない。法律上はなれなくもないのかな、と考えると恥ずかしくて。
「星斗はリカちゃんはどうなんだ?」
 ジョーイじいちゃんが尋ね、星斗はふふんって顔であたしを見やった。
「こんなちび。ガキみたいじゃん」
「星斗ってシスコン? お姉ちゃんみたく背の高い女が好きなの?」
「女だって背が高いほうがいいんだよ」
 さっきの、聞かれてたんだろうか。姉の身長をあたしが肉体的欠陥だと言ったから、仕返しされたのか。
「女の子はちっちゃいほうが可愛いんだよ」
「そういう趣味の奴もいるだろうけど、俺はちび女は嫌いだよ」
「星斗よりも高くてもいいの?」
「いいよ。百八十ぐらいある女もかっこいいじゃん」
「女は百七十もあったらみっともないよ」
 愛華さんは百七十センチ以上あるだろうから、あたしはわざとそう言った。星斗がムキになって言い返してきて、口論になっていく。大人たちはむこうでビールを飲んだりワインを飲んだりしていて、こっちには未成年しかいなかった。
「おい、やめろよ。リカ、おまえも言いすぎだって」
 樹が言い、あたしも言った。
「本当のことしか言ってないもん。ぬぼっと背の高い女なんかかっこ悪いよ」
「ちびで脚の短い女のほうがかっこ悪いんだよ」
「ちびで脚の短い男はどうなんだよ、星斗、俺の背丈を見て言ってるだろ」
「おまえは関係ねえだろ。引っ込め」
 星斗が樹を蹴飛ばし、あたしが星斗の脚を止めようとしたら、突き飛ばされた。星斗は猛流さんに近い体格をしているので、ちっちゃなあたしはひとたまりもなく吹っ飛んだ。
「兄貴っ、星斗がっ!!」
 ちびの樹では星斗に対抗できないらしくて、猛流兄さんに言いつけている。猛流さんが来て怖い顔で言った。
「女の子になにをするんだ、おまえは」
「だって、こいつが……」
 ふてくされて言った星斗の肩をつかんで振り向かせ、お兄ちゃまが彼の頬を叩いた。お兄ちゃまが人に乱暴するのははじめて見たあたしは、びっくりして泣き出した。
「リカは俺の妹だ。女の子を突き飛ばすとは、おまえはそれでも男か」
 こんなにきびしい声もはじめて聞いた。星斗は地面にぺたっと腰を下ろして、お兄ちゃまを見上げている。樹も猛流さんもあっけに取られたような顔をしている。あっちのほうでは愛華さんが、じいちゃんの手を振りほどいているのが見えた。あたしは泣きながらもそんな景色を見ていた。
 こっちの喧嘩を見ていなかったのか、愛華さんが憤怒の形相で近づいてきて、お兄ちゃまのほっぺたをひっぱたいた。
「私の弟になにをするんですかっ!!」
「きゃーっ」
 悲鳴を上げたのはあたしで、お兄ちゃまは頬に手を当てて、大声で笑い出した。


うわうわうわ、お姉さん、怖ぁ、そう呟いているのは樹。
 本物の弟の星斗は、う、とか、あ、とか言っている。彼も将一お兄ちゃまに叩かれたのに、自分の痛さは忘れてしまったのだろうか。
 将一お兄ちゃまは悠然とワインをグラスに注ぎ、愛華さんに手渡す。愛華さんも黙ってワインを受け取る。なんだかスリリングなシーン? 愛華さんがお兄ちゃまにワインをぶっかけたりしたら、あたしが愛華さんをひっぱたいてやるつもりだったのだけど、そんなことは起きなかった。
「うん、リカは女の子だもんね。そんな猛女みたいなお姉さんの真似はしないよ。だけど、愛華ってもっともっと嫌いになった。あたしのお兄ちゃまを……お兄ちゃま、痛そう」
 心の中でひとりごとを言う。真っ赤になったお兄ちゃまの頬を撫でてあげたい。お兄ちゃまに抱っこされて、そのほっぺを撫でていたら、あたしが声を上げて泣いてしまいそうだった。
「これはつまり……」
 猛流さんは全員を見回していて、ジョーイじいちゃんが口を開いた。
「リカと星斗が口論していたんだな。そこに樹も加わって、三つ巴の喧嘩になった。それで、樹?」
「星斗がちびの悪口を言うから、俺が頭にきちゃったんだよ。最初に星斗が俺を蹴飛ばして、俺も星斗に飛びかかろうとして、それからなにがどうなったのか……星斗がリカを突き飛ばしたんだよね。だから、将一さんが怒って星斗を張り倒して、そこだけ見てた愛華さんが将一さんを張り倒したんだ。そうだよな、兄貴?」
「俺にもそう見えたよ」
「一番悪いのって星斗じゃん!!」
 樹が叫び、そうだそうだーっ、とあたしも叫び、愛華さんは不気味に静かな声で言った。
「子供の喧嘩に大人が出て、一方的にひとりをひっぱたいたりするのってまちがってるでしょ」
「あなたの親は、男の子が女の子を突き飛ばしたりしてもかまわないって教育をしてるんですか」
 尋ねたのは猛流さんで、愛華さんは言った。
「星斗は小さいころには私とじゃれるみたいな喧嘩をしていたから、そのころの癖みたいなものですよ。突き飛ばしたってほどでもなくて、ちょっと突いたらころんだんでしょ。リカちゃんは小さいんだから」
「小さいからこそ、突き飛ばすなんてしてはいけないんです。愛華さんだったらずいぶん年上のお姉さんなんだからいいにしても、リカちゃんは星斗よりも年下のか弱い女の子ですよ」
「女の子はそうか弱くはないのよ」
「リカちゃんはあなたとはちがうんですから」
 他の人たちは黙っていて、猛流さんと愛華さんだけが会話していた。
「あなたは将一さんをひっぱたいたりする、強い女性ですよね。あなたはそれでもいいんだろうけど、星斗にはきちんと言い聞かせておいて下さい」
「猛流くんって子供ね」
 さっきまではさん付けで呼んでいたはずなのに、「くん」を強調して、愛華さんは鼻先でせせら笑った。カンジワルイ、と思うと我慢できなくなって、あたしも言った。
「星斗と愛華って暴力きょうだいだよ。出ていって」
「あなたのお兄ちゃまが私の弟を叩いたから、報復したまでです」
「理由は知らなかったくせに」
「たかが子供の喧嘩に、大人が出るのがまちがってるんです」
「あなたは子供の喧嘩にしてしまいたいようですが……」
 お兄ちゃまも言った。
「高校生の男女はさほど子供でもないでしょう。あなたとは価値観の相違ってのもあるのかもしれませんね。話し合って解決するのは時間の浪費なのかもしれないから、食事にしましょうか」
「やだよ。帰って」
「おまえは黙ってなさい」
「だーってだって、こんな人たちと一緒にごはん、食べたくないんだもん。リカは愛華さんも星斗も大嫌いだよ。帰らないんだったらリカは食べない。おうちに帰る」
「またそうやって駄々をこねて……おいで」
 いやいやと言ってみても、お兄ちゃまがあたしを抱き上げて歩き出す。お兄ちゃまは振り向いて言った。
「猛流、あとは頼むよ。リカに言い聞かせるには時間がかかりそうだから、適当にやっててくれ。佐竹さん、申し訳ありません」
「僕はいいんだけど……愛華さん、気を静めて。ね?」
「あのふたりって気持ちの悪いきょうだいですね。実の兄と妹じゃないせいだろうけど、いかがわしいっていうか……」
「愛華さん、言いすぎですよ」
 ジョーイじいちゃんがたしなめ、猛流さんも低い低い声で言った。
「あなたが女じゃなかったら……」
「兄貴、やめろよ」
 樹の声も聞こえ、おじいちゃんの声も聞こえた。
「まあまあ。食べよう。空腹だとみんな気が立つんだよ。星斗と樹はとりあえず仲直りしなさい。愛華さんと猛流も、ここは年寄りに免じて……」
 くだくだしく言っているおじいちゃんの声を聞きながら、あたしはお兄ちゃまに部屋の中に運ばれていった。
「おまえは突き飛ばされて、怪我でもしなかったか」
「うん、平気」
「それはよかった。それがなによりだよ」
 ソファにかけたお兄ちゃまの隣にすわらされて、軽く抱き寄せられた。
「リカはもてるんだな」
「おじいちゃんにもてても嬉しくないよ」
「佐竹さんのはジョークってのか、女性を口説くのは礼儀だってラテン系じいさんなのか……そんなものだろうけど、若い男たちもだろ」
「星斗には嫌われたもん」
「そうかな」
 乾いた優しい手が髪を撫でてくれる。いかがわしいと言われても、リカはお兄ちゃまが一番好き。世界で一番好き。
「小学生みたいだけど、あるだろ。好きな女の子に意地悪をしたがる男の子。星斗はそんな感じだと俺は思うよ」
「なのに叩いたの?」
「あれは体罰だ。星斗は精神的にはガキなんだから、女の子に暴力をふるうものじゃないって、大人の義務として教えたんだよ」
「愛華さんがお兄ちゃまを叩いたのは?」
「激情かな。魅力的な女性ではあるけどね……」
「……痛かったでしょ」
 険しくなっていたお兄ちゃまの表情がゆるんだ。
「どうってことはないよ」
「リカは愛華は大嫌い!!」
「わかったよ。よしよし」
 ついさっき考えたように、手を伸ばしてお兄ちゃまのほっぺを撫でてあげた。さっき考えた通りに、涙がぽろぽろこぼれる。庭からは遠く潮騒のようなざわめきが聞こえる。ジョーイじいちゃんが上手になだめてくれて、バーベキューがはじまったのだろうか。
 リカはバーベキューなんかよりも、ここでこうして泣いていたい。お兄ちゃまの胸に顔をつけると、心臓のリズムが聞こえる。もう片方の耳には潮騒も聞こえて、リカは全身をお兄ちゃまの腕と、海に包み込まれているようだった。

つづく








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~ Comment ~

なんだかベタだけどね

乃梨香ちゃん

このリカにだったら、
私もちょっとだけなってみたいかなぁ。
もてもてリカちゃん。

書いてもいいと言ってもらったので、続きも書きますね。
展開がベタすぎて、さて、どう続けようか。

NoTitle

茜さ~ん
お願いですから ^人^) ♪、将一お兄ちゃんとリカは幸せに愛し合う仲にしてくださ~い m(_ _)m… 

ど、どうすれば……

十八歳と三十八歳で結婚させるとか?

キャラクターが増えると話が広がって、
悩みも広がるのでした。

その悩みは楽しいのですけどね。

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ここに書いたらいけないかな。

乃梨香ちゃん

ここ、読んでくれてる人はほとんどいないから、
なにを書いても大丈夫ですよ。

で、その願望は願望として、
他のひともいないとストーリィがなりたたないので、
我慢してやってちょうだいね。

NoTitle

きゃーきゃー(*ノ▽ノ)

他の人がいても我慢させていただきますから・・・
将一おにいちゃんとリカは、一緒にいさせてくださいね~
よ(^○^)ろ(^○^)し(^ー^)く(^○^)ぺこm(_ _)m

一応は完結させました

part3も書いたので、
近いうちにアップしますね。
また読んでやってね~v-238
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