番外編

番外編72(It is a witch at night)

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番外編72

「It is a witch at night」


1・章

 寝返りを打って触れたものは? 女の肩? 華奢で小さなその肩を、俺は抱き寄せた。
「章さん、あたしを買ってくれてありがとう」
「ええ? 俺はおまえを買ったのか? 飼ったんじゃないよな。購買したってほうの買っただろ? 買ったか……女を買ったり飼ったりする趣味なんか……いや、趣味ではなくて必要に迫られて?」
 飼ったの買ったのと言っていても、音は同じだから女には意味不明なのか。丸い目で俺を見ていた。
 ベッドサイドの小さなランプだけが灯った部屋で、俺は女と同衾している。茶色っぽい肌をした小柄な女だ。肩を抱いていた手で布団の中の身体を探ってみたら、俺好みの大きさの乳房に行き当たる。てのひらで優しく包むと、彼女は甘い声を漏らした。
「買った覚えはないんだけど、買ったのかぁ。ま、いいけどね。美人だね。なんて名前?」
 さっき言ったでしょ、とでも言いたそうな瞳で、彼女は俺を見つめた。
「覚えてないよ。もう一度言って」
 今夜は仕事を終えてシゲさんとメシを食って……それからどうしたっけ? 思い出そうとしても思い出せない。女の名前も思い出せなかった。
「そうね……ペグ」
 日本人ではないようだから、ペグという名はおかしくはない。日本語は上手なようで、そうね……のあとに一拍空いたのは、偽名なのか。俺は日本に出稼ぎにきているフィリピン女性でも買ったのか? そんな覚えはまったくないのに。
 覚えはなくても裸の女と、裸の俺がひとつベッドで寝ているのだから、そうとしか考えられない。やっちまったもんはしようがねーか、とも考えていた。
「しようがねーんだけどさ、うう、乾さんに……」
「大丈夫よ」
「ペグ……ここに……」
 金で女を買うとは、スキャンダルになったらどうする、乾さんに叱りつけられそうな気もするが、あんたはやったことがないのか? ってな問題でもないけれど、こうなっているのだからどうしようもない。してしまったことは戻せない。
 居直ることにして度胸を据えたら、ペグの鎖骨のあたりが目に入ってきた。綺麗な肌に細い切り傷がある。布団をまくって見てみたら、腹にも切り傷があった。
「これって……ペグの男がやったのか?」
「あたしの前の持ち主がやったの」
「持ち主って……日本語は少々不自由なのかな。持ち主なんて言わないんだぜ。彼氏とか、もしかしたらパパとか?」
「パパじゃないよ」
「親父のパパじゃなくて……呼び方はなんでもいいか。おまえの前の男がやったんだな」
 うん、とペグがうなずく。うつぶせになってみて、と頼むと素直に裏返る。身体の裏側には傷はなくて、腹や腿に小さな切り傷がいくつもあった。
「虐待されてたのか」
「そうなんだ。腹の立つことがあるとあたしに当たるの。小さい小さい傷がいっぱいでしょ。カッターナイフであたしのボディの……」
「やめてくれよ。身震いが……」
 女の綺麗な肌にカッターナイフで傷をつける男。サディストなのか、苛々の発散なのか。彼女も楽しんでいるSMカップルならばいいのかもしれないが、男が一方的に女を虐待するとは。喧嘩をすると女にものを投げたり、殴り返したりしては乾さんに叱られていた俺でも、そうと聞くと腹が立つ。
 乾さんだったらそいつに説教してくれるだろうな。ことによったらぶん殴るかもしれない。そういう問題でもなくて、警察に突き出すべきか。俺では逆に殴り倒されるかもしれなくて、そいつに会わせろ、とは言えなかった。
「別れたのか」
「前の持ち主があたしを売りに出して、章さんが買ったんじゃないの」
「俺は人身売買なんかしないんだよ」
「あたしを抱いて、ならして」
 馴らして? やっぱこの女、マゾ? 調教されたいのか? 鳥肌が立った。
「俺はサディストじゃないんだよ。馴らすなんてできないんだ。おまえがそんな趣味だったら、そんな男のところへ行けよ。帰れよ」
「章さんが買ったくせに。鳴らしてよ。こうやって」
 手がギターを弾くように動いている。鳴らすとは音か。安心した。
「泣かせてよ、だったらわからなくもなかったんだけど、そういう意味なんだな。傷は生々しくないから……だいぶ前?」
「痛くはないから大丈夫」
 かわいそうに……俺は優しくしてやるよ。ペグ、おまえは綺麗だね。抱きしめると、好きだ、俺はおまえが好きだ、大好きだ、の感情が噴き上げてくる。金で買った女にこんな気持ちになる? っていうか、俺はおまえを買った覚えはないんだけど。
 記憶にはまったくないのに、ペグは俺の腕の中にいる。俺の愛撫に応えてすすり泣きのような声を漏らす。ペグが啼いている。鳴いている。鳴っている……鳴っている? 
「え?」
 目を開くと、俺の腕の中にはギターがあった。
「……なんだ、こりゃ? 傷が……なんだ、このギターは」
 ギターを抱いてベッドにすわる。ギターのボディを検分する。よく見ると細かい傷がいっぱいついている。夢に出てきた女が言っていたのも思い出した。
「前の持ち主がカッターナイフであたしのボディの……」
 あちこちを傷つけた、ってわけか。俺は女を買ったのではなく、ギターを買ったのだった。なんだ、そうだったのか、で笑えてきた。
「……笑いごとじゃないだろ。こんな傷もののギターを俺はいつ、どこで買ったんだよ?」
 今夜は仕事のあと、どこでなにをしていたのだったか。シゲさんとふたりでラジオに出演して、仕事が終わってふたりでメシを食った。シゲさんにおごってもらって、酒も飲んだ。
「あんまり飲むなよ。おまえは酔うと潰れるんだから」
 毎度毎度の先輩のお言葉に従って、そうは飲まなかったはずだ。が、酒場から出たところから記憶がとぎれている。深夜なのに悪いのだが、気になって辛抱できなくなって、シゲさんのケータイに電話をかけた。
「はい、章、どうした? 帰ってるんだろ」
「帰ってますけどね、シゲさん、今夜のことを俺は全部は覚えてないんだ。酒を飲んで外に出てから、俺はなにかやってた?」
 すぐさま電話に出てくれたシゲさんは、俺の疑問に答えてくれた。
「道端でギターを弾いて歌ってる男がいたんだよ。渋い喉の渋い腕前の持ち主だった。ギターもうまい。あれはあいつの腕や声がいいんじゃなくて、ギターがいいんだよ、っておまえが言ったんだ」
 まるっきり俺の記憶にはないそのシーンで、シゲさんは冷や冷やしていたのだそうだ。章の暴言を聞いてギタリストが怒るのではないかと。
「だけど、彼はおまえに言ったんだよ」
 このギターが気に入ったんだったら、売ってやろうか。おまえはギターは下手なんだろ。このギターだったら素晴らしく素敵な旋律を奏でてくれるよ。おまえの腕とは無関係に。
「皮肉なのかとも思ったんだけど、おまえは本気にしたみたいで、そんなら買うよって言って、けっこうな大枚をはたいてたぞ。いいのかなとは思ったんだけど、おまえはいいって言うし、俺にはギターの良し悪しなんてよくわからないから、名器なのかとも思ってさ、おまえの好きにさせておいたんだよ」
「そのギターなんだね」
「ギターがどうした?」
「こいつ、女に変身するんだよ」
「はあ? 章……?」
「俺は酔眼だったから、ギターの表面はたしかめなかったんだよね。傷だらけの名器。名器ってのは女の……そこまでやる前に目が覚めたから、もういっぺんこいつを抱いて寝よう」
「おい、章」
「どうも、毎度お世話をかけました。俺は元気だからシゲさんも寝てね」
 おい、おいおい、と言っているシゲさんの声を聞きながら、電話を切った。ペグってのはギターの弦を固定して音程調節をするための糸巻きだ。ペグはギターの化身だ。俺の愛するもの。つまらない女よりはギターが好きだってほどに愛するもの。
 それゆえに、ペグを抱いていると狂おしいほどに、おまえが好きだ、が噴出していたのだろう。夢の中でペグが言っていた言葉も腑に落ちた。
「あの野郎、ギターに傷をつけたのか。傷ものにしたギターを俺に売ったのか。てめえの女を売り飛ばすに近い行為だぞ」
 どんな奴だったのか、まったく覚えていないギタリストに悪態をついて、再びギターを抱き上げる。ことの次第を理解したら眠くなってきたので、ギターを抱いて眠ろう。ペグがもう一度夢に出てきてくれないかと期待して。
「うん、しかし、傷だらけのギターっていい音を出すのかな」
 使っていればギターには傷がつくのだし、小さな傷ならば影響はない。こんなにたくさんの傷だったらどうなのだろう。たしかめるのは明日だ。もう眠い。


2・繁之

 変な電話に起こされて、変な話を聞かされた。そこまでやる前に目が覚めた、と章は言っていたのだから、夢の話だったのだろう。ギターが女に変身するなんて、あるわけがない。
 枕元に置いていたケータイが深夜に鳴った。章からだとはわかったので、酔っ払い章になにか起きたのかと慌てて電話に出たら、あんな話だ。家族の安眠を妨害しないようにとケータイを持って出ていたベランダから、寝室に戻った。
「木村さん? どうかしたの?」
「なんでもないよ。起こしてしまってごめん。おやすみ、恭子」
「うん、おやすみ」
 妻にキスをして、俺もベッドに入って目を閉じた。
 ばさばさっと羽音がして目が覚めた。鳥? 鳥……鳥は鳥でも、この鳥は俺ではないか。黒っぽい翼を見ている俺の目も鳥なのか。鳥は鳥目で夜目が利かないというけれど、俺には夜の景色が鮮やかに見える。ここは章のマンションの外だった。
 翼を広げてどこかから飛んできたシゲ鳥は、章のマンションの寝室の外の樹木の枝に留まっている。カーテンがかっちりとは引かれていなくて、隙間から中の様子が覗ける。後輩の、仕事仲間の寝室を覗き見するなんて、人間としてやってはならないことだ、とは思うのだが。
 やめろ、シゲ、と俺の良心は止める。男の部屋なんだからいいじゃないか、やれよ、と悪心がそそのかす。悪心が勝って、俺は章の寝室を覗いてしまった。
「ペグ、おまえは綺麗だな。このライン……この曲線……綺麗だよ、俺のペグ」
 ベッドの上で囁く章の声が聞こえる。章の腕の中には淡い茶色の肌をした若い女性がいる。こんなもの、見てはいけないっ!! 俺は焦りに焦って窓から離れた。
「……けどさ、すると……? ええ? 本当にギターが女に変身したのか?」
 ごめんごめんごめんと呪文のように唱えながら、再度カーテンの隙間から覗く。寒くなったのか、ふたりの身体は布団の中に入っていた。
「ふたり……ひとりと一台。ギターじゃないか、あれは。章が寝ぼけてギターを女のひとだと思い込んで、俺もつられて錯覚したんだな」
 錯覚の中の女性の肌は、ギターと同じ色だった。ペグってのは犬種にもあったはずだが、ギターの糸巻きのことだろう。章もわかっていてふざけているのかもしれない。
「しかし、待てよ。俺が鳥なのは?」
 寝室の中問題が解決したら、自分の身体に全面的に意識が向いた。黒っぽい翼の大型の鳥、俺はなんの鳥なのだろうか。鷲か、鷹か、カラスではないけれど、俺には鳥の知識がないのでよくわからない。写真を撮っておいてあとで調べるわけにもいかないので、好みで決めた。
 大きな翼、鋭い嘴、俺は鷲だ。イーグル・シゲ。プロレスラーのリングネームみたいではあるが、かっこいいではないか。
 特別に鳥になりたい願望はなかったが、なってみたら非常にいい気持ちだ。翼を広げて大空に舞い上がる。ちまちまと後輩の寝室を覗いているよりも、空を飛ぶほうがはるかにいい。俺は他人のベッドシーンなんか見たくない。実際に妻とベッドで……のほうがいい。
 でも、ちょっとだけ見たかったかな……でも、あれは女性ではなくてギターだから、章の妄想を見てなんになるんだよ、でもある。身体は鳥、心は人間の俺は、人間的な考えをめぐらせながら空を飛ぶ。身体が軽い、風に乗ってだいぶ遠くまで飛んできたようで、海が見えてきた。
 鳥瞰図というものも見える。図ではなくて現実の景色は、海と房総半島だろうか。地図で見た形、飛行機から見た形そのまんまだ。滑空して旋回して遊んでから、海に張り出した岬の樹木の枝をめがけて降りていった。
「おや?」
 枝には巣がある。雛鳥が四羽いる。羽根もはえそろっていず、目も見えないのか、赤い口を開けてぴいぴい鳴いている。可愛いなぁ、と見とれていたら、うしろから頭をつつかれた。
「あたしの子供たちになにをするのよっ!!」
「ああ、あなたの子供たち? 大切に育てなさいね」
「ええ? 子供たちを食べようとしてたんじゃないの?」
「そっか。俺って肉食の鳥なんだろうな。俺、鷲?」
「鷲だかなんだか知らないけど、私たちの敵でしょっ!!」
 人間の言葉が話せるわけはないのだから、テレパシーで会話でもしているのか。俺の頭の中に若い女性の声が聞こえていた。
「敵じゃないよ。俺は雛鳥なんか食わないから安心して。でも、腹が減ったな。あなたが食べるだなんて言うから、空腹を思い出した。雛鳥は食わないけど、俺が食えそうなものはない?」
「あそこに猫がいるわよ」
 地面にダンボール箱があって、捨て猫らしい子猫たちが三匹、母親鳥の子供たちとは別の幼児の声でぴいぴい鳴いている。鳥の本能は、雛鳥よりは子猫はでかいし、やわらかくて食いでがありそう。うまそう、と舌なめずりしている。が、人間の心を持った俺は言った。
「俺の仲間に猫の大好きな男がいるんだよ。俺が子猫を食っちまったなんて言ったら、そいつに顔向けができない。虫でも食おうかな」
「猫はいけなくても虫だったら食べてもいいの?」
 うっ、哲学的考察だ。俺には議論できそうにないので、こう言った。
「人間の俺から見ると、虫ってのは生物的にちがいすぎて、殺してもそんなには胸が痛くないんだよ。でも、あなたたちから見ると同じなのかな。ごめんね。俺はこういう話題って苦手だから、深く掘り下げないでね」
「あなた、人間なの?」
「ハートは人間さ」
 怪訝そうな顔をしている母鳥に、子供たちを元気に育ててね、と言い残して、俺は空に舞い上がった。空腹感が増してきている。なにを食おうか。腹を両手で押さえたかったのだが、翼で腹は押さえられない。気持ちでだけ押さえて砂浜の上を飛んでいたら、貝がいくつもころがっているのが見えた。
 虫も猫も鳥も貝も生き物ではあるが、肉食の猛禽は生きものを食って生命を維持するのだ。鷲は草食ではないのだから、生きたなにかを食わねばならぬ。人間も同じだ。さらに言うならば、植物だって命を持っている。母鳥の影響で哲学的な考察をしながら、嘴で貝殻をつついて割った。
 濃厚な味の貝の肉が空腹を満たしてくれる。鳥は一度には大量の食料はいらない。食いすぎると重くなって飛べなくなる。貝を三個ほど食うと満腹して、俺は再び空に舞い上がった。
「やあ、また会ったね。あなたはなんの鳥?」
 さきほどの母鳥と同じ色、同じ形の鳥が飛んでいる。声をかけると、彼女は可愛く首をかしげる。別鳥であるようだが、彼女は女性だとわかった。
「あたしがなんの鳥だかなんて、そんなのは知らないわ」
 命名するのは人間なのだから、人間以外のものは我が名を知らないのか。鳥は男性であっても綺麗な声で鳴く。うぐいすの色はしているけれど、うぐいすではなさそうな鳥の女性は、たまらなく愛らしいソプラノで言った。
「不思議ね。あなたは満腹しているからなの? 殺意だとか食欲だとかを感じないの。大きくて凛々しいあなたに……恋をしそうよ」
「俺も小さくて可愛いあなたに恋をしそうだけど、身体の大きさがちがいすぎるよね」
「そうね。哀しいわ」
「シゲって呼んで」
「シゲさん、好きよ」
 えーと、鳥ってどうやって結ばれるのかな? とちらっと思ったのだが、知っていてもできないのだから同じだ。俺は小鳥の美女とキスをかわした。嘴と嘴で、乾さんが詞に書いていた、小鳥のようについばむキスとは、こんなふうか。
 もててみたい願望、浮気をしてみたい願望、けれども、愛する妻を裏切りたくない。なのだから、浮気はしたくない。するのならば夢で浮気をしたい。そんな願望が実現したのだろう。実現しても相手は小さすぎて、キスしかできないとは、シゲらしい結末だった。


 まあ、あれは夢だろう。気がつくと俺は我が家のベッドで眠っていて、起き出して食事をして出かけ、仕事をひとつすませた。夕方までは単独の仕事だったので、夜になってからスタジオに行くと章と乾さんと幸生が顔をそろえていた。章はギターを持ってきていた。
 もしかしたら俺があんな経験をしたのは、これが原因だったのかもしれない。昨夜、章がうろんなギタリストから買ったギターには、細かい傷が無数についていた。
「ギターの傷は見た目が悪くなるだけで、音にはあまり関わりはないんですよね。でもさ、これって別に俺の腕にも関わりないみたいだ。こんなものにいくら払ったのか、シゲさんは知ってるんだろうけど言わないでね」
 章はぼやき、乾さんが言った。
「美しいボディのギターだな。ギターのフォルムがなにかに似てるってのは、前から思ってたんだよ」
「女体でしょ」
 むふふってな顔をして幸生が言い、乾さんはうなずいた。
「そうそう。おまえもそう思うよな。使い古しかもな。それはそうと幸生、女体とはいうけど、男体って言葉はないだろ」
「団体、暖帯、あるけど?」
「とぼけるなよ。それはつまり、言葉を作ったのは、発想したのは男だからか」
「そんな話じゃなくて、女体の話をしましょうよぉ」
 フォレストシンガーズの仲間たちはたびたび夢や妄想の話をしている。中でもとりわけ乾、幸生、章の三名はその頻度が高い。俺は夢なんか見ても朝になると忘れるし、妄想や空想は苦手なので、いつだって聞き役だ。
 だが、昨日は色鮮やかで現実味のある夢を見た。鷲になって空を飛び、房総半島まで行って貝を食い、小鳥の美女とキスをした。夢ではなかった気もするが、夢ではなかったらなんだと言うのだ。いつか……前にも……夜の魔術?
 そんな言葉が浮かぶ。言葉が浮かんでもつなげにくい。俺の夢にはエロティックな要素がないから、話しても退屈させてしまうだろうか。そう思っていると、乾さんが章の持っていたギターを取り上げ、つまびいて口ずさんだ。

「夜は魔法使い
 夜は魔術師
 夜は魔女」

 ちょい待ちっ!! 幸生が叫んで録音機をセットした。
「はい、乾さん、続きをどうぞ」
「オーバーだな。即興だよ」
 ふふっと笑ってから、乾さんが一から歌った。

「夜は魔法使い
 夜は魔術師
 夜は魔女

 あなたのお好みで
 夜が姿を変える
 あなたのお好みで
 夜が見せてくれる

 今夜はどんなショーがいい? 
 さあ、お客さま
 選んで下さいな

 夜はマジシャン
 夜は手品師
 夜は……あなたの……」

 俺の心に浮かんだ言葉を言い当てられたのか。呆然としている俺に、乾さんがウィンクした。
「シゲだったら、どんな魔術を選ぶ? 夜がおまえに見せるイリュージョンだよ」
「即興で書いた歌なんですか。乾さんってすげえな」
「歌は冗談だけど、おまえもなにか話したそうな顔をしてるじゃないか。俺も先日、夜の魔法にかけられたんだよ」
「ええ? ええ? 前に言ってたラヴ?」
 割り込んだ幸生に、乾さんは謎めいた微笑を向けた。
「俺のは代わり映えがしないから、シゲの話を聞かせてもらおうぜ」
「ギターが変身する女の話は?」
 章が言い、幸生も言った。
「却下」
「なんでだよ。俺の話のほうがシゲさんよりは達者だろ。ほら、このギター、傷だらけなんだよな。このギターが女に変身して、聞くも涙の身の上話をはじめたんだ。この傷は前の持ち主がつけたって。女は虐待されてたんだってさ」
「それって場末の飲み屋の姉ちゃんの身の上話かよ」
「ちがうって。聞けよ」
「ギターなんていう生きてないものは、変身しないんだよ」
「猫だったらするのか。乾さんも幸生も、猫づいてるから気持ちが悪いんだ」
「おまえだってギターフェチだろ。気持ち悪いよ」
 幸生と章が口喧嘩をはじめ、乾さんは言った。
「ギターフェチってのは中根悠介だろ。章もその域に達してきたのか」
「中根悠介を例に出さないで下さいよ。なんだか気が抜けちまった。くそ、それよか、続きが見たかったなぁ」
 続きとは、ギターが変身した女性とのベッドシーンか。俺は見たような気がするのは錯覚か夢か。本当に見ていたのだとしたら、断じて口には出せない。
「シゲ、話せよ」
 年少ふたりが静かになり、乾さんに促され、俺は口を開いた。
「……俺は鷲だったんですよ。空を飛んで……」
「健康的な少年ってか、小学生みたいな夢だな。つまんね」
「悪いけど章の言う通りだよ。その夢って見てる分には気持ちいいだろうけど、聞いてもつまんないよ、シゲさん」
「そうだよな、じゃ、やめるよ」
 続けろよとは乾さんは言わず、なんとなくみんなして沈黙してしまっていると、本橋さんがスタジオに入ってきた。
「おぅ、章、新しいギターを買ったのか」
「おはようございます。新しいんじゃなくて、中古ギター」
「中古なんだ。ふーん、俺にも弾かせてくれよ」
 本橋さんがギターを抱えて歌い出した。
 
「夜は魔法使い
 夜は魔術師
 夜は魔女

 あなたのお好みで
 夜が姿を変える
 あなたのお好みで
 夜が見せてくれる

 今夜はどんなショーがいい? 
 さあ、お客さま
 選んで下さいな

 夜はマジシャン
 夜は手品師
 夜は……あなたの……」

 ぎくっとして、俺たちは凍りつく。本橋さんは不思議そうに言った。
「あれれ? こいつを弾いたら自然にメロディと歌がこぼれたよ。なんなんだ?」
「リーダー、さっき乾さんが歌ってたの、聴いてました?」
 章が尋ね、いいや、と本橋さんが応じる。幸生が録音機の乾さんの歌を再生する。メロディも歌詞もまったく同じだった。
「……嘘だろ。トリックがあるんじゃないのか」
 しばしは五人で固まっていて、そう尋ねたのは本橋さんだった。
「嘘だのトリックだのって、おまえが俺の歌っていたのを聴いてたっていうんだったら解決するんだよ。にしたって、こうも一字一句違わず、メロディもそっくり同じってあり得ないだろ」
 俺はぞぞーっとしているのに、章が冷静に言った。
「あり得ますよ。リーダーと乾さんがぐるになって俺たちをかついだんだ。いいや、幸生もぐるだろ。録音するなんてのが嘘くさいんだよ」
「俺はぐるじゃないけど、乾さんとリーダーがぐるってのはありそうだね。なんだ、そうだったのか。チキンスキンになって損しちゃったよ」
「俺は乾の歌は聴いてないぞ」
「俺は……」
 なぜか口ごもっている乾さんを、章は鼻先で笑い飛ばした。
「そうとしか考えられないでしょ。歌からしてもタイムリーすぎるし、そこにこんなギターっていう小道具までがそろったから、乾さんがたくらんだんだよ」
「そうだろうね。シゲさん、信じてるの?」
 幸生に訊かれて、俺はぶるっと身を震わせた。
「信じてるよ。証拠はないけど、乾さんも本橋さんもそんな嘘はつかないってのが、心証としての証拠だよ。章は怖いからそう言ってるんだろ。幸生だってそうだろ」
「ええと……乾さん?」
「……リーダー?」
 ことの顛末がもうひとつわかっていないようで、本橋さんは首をひねっている。章と幸生と俺が見つめると、乾さんは笑い出した。
「そうさ、トリックだよ。俺の歌の劇的効果を狙ったってか。即興じゃないよ。なかなかいいだろ。ニューアルバムに入れようか」
「やっぱそうか。びっくりしたよ。な、章?」
「まったくだ。乾さんも人騒がせなんだから」
「おい、乾?」
「うん、いいんだよ。さ、五人そろったんだから、練習しよう」
 ジョークはこれで打ち切り、と乾さんは言いたいのだろう。立ち上がって奥へと入っていく。けれど、俺の震えは止まらない。幸生だって章だって、乾さんの言葉を信じている顔をしているだけだ。本当の本当は、夜は魔法使い。夜は魔女。
 こんなの俺はいやだな。気持ち悪いな。俺はこういうのは最上級の苦手だ。しかし、乾さんのあの歌をレコーディングするのだったら、俺がパスパートを歌うことになる。そのときに声が震えないように、今から腹に力を入れておかなくては。


END










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乃梨香ちゃん

「Say yes」とこっちと、コメントありがとう。
ツィッターのRTもいつもありがとう。

おかげさまでストーリィがひとつ、できました。
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