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小説233(乱反射)

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フォレストシンガーズストーリィ233

「乱反射」


1・愛理

 フランス帰りの気障な男。ロレックスの腕時計なんかしちゃって、エリート臭芬々。カンジワルーイ、が第一印象だった。なのに、彼は妙に私のツボにはまる台詞を口にする。
 放送業界のパーティだから、出席者には私の同業者が多い。同業とはいっても私はローカルラジオ局のアナウンサーで、彼は中央テレビ局のキャスター。フランス語と英語が日本語並みに話せるのと、甘いマスクと長身を売りにしている。
 オレンジがかったベージュのスーツなんて、下手な男が着ると手品師みたいに見えるだろう。あんな服は私の彼氏と、この男、藤村氏にしか似合わないだろうなぁ、と思いながら彼を見ていた。
「藤村宗徳です。あなたは沢田愛理さんですよね」
「あ、はい、はじめまして」
「はじめましてではありますけど、僕はあなたを知ってましたよ。あなたのそのダークヴァイオレットのドレス姿が、遠くから見ていても美しくてまばゆくて、近寄りがたかった。視線が合ったので近寄らせていただいたんです。愛理さんとお呼びしてもよろしいですか」
「はい」
「……お美しい」
 思わず、といったふうに彼が私の手を取る。私の彼氏の金子将一も、パーティで会った女性にこのような歯の浮くようなお世辞を言うのかしら、私の意識はそっちに向いていた。
「私は太ってますのに」
 いいえ、あなたは細いですよ、と言われたら、嘘ばっかり、としか思わない。が、藤村さんは私の彼氏が言うのに近い台詞を言った。
「女性はふくよかでこそ美しいのです。僕はあなたのような体格が好きなのですよ。背も高めで堂々たる大人の女性の体型をなさってる。そのプロポーションがなければそのドレスは着こなせないでしょう。ヨーロッパの女性もダイエットをしたがるけど、白人女性にならばそうする必要のあるひともいる。日本の女性に痩せる必要のある方はいませんよ。あなたぐらいがもっともいいんだ。愛理さん、あなたは僕の理想の女性ですよ」
「ええと……」
「僕とつきあって下さい」
「あ、あのね、ちょっとむこうに行きましょうね」
 正直に言えば、こうまで褒めてもらって交際を申し込まれて、悪い気分はしなかった。私に金子将一という恋人がいなかったとしたら、いいわよ、と答えていただろう。気障もクサミもカンジワルイも消し飛んで、心が浮き足立ちかけていた。
 しかし、私には彼氏がいる。金子さんはあんなにも私を愛してくれていて、私を求めてくれている。彼に妻になれと言われ、私が断り、知人の男たちはこんなふうにも言うのだ。
「焦らしてるんじゃないのか」
「愛理さんはあれだけの男に、自分を高く売りつけたいんだろ」
「あんたはそれほどの女かよ。高慢ちきだな」
「求められて断るのは気持ちいいのかもしれないけど、もったいをつけすぎると捨てられますよ」
「金子さんがどれだけもてるのか、知らないわけじゃないでしょ」
「彼を狙ってる女なんて馬鹿ほどいるんだ。あんたなんかよりもはるかにいい女もね」
「あの金子さんを焦らすなんて、身の程知らずだな、沢田さんは」
 このたぐいの台詞はそちらこちらから聞こえてくる。私の空想もまじってはいるものの、近い言葉は何人もの男に言われた。
 どうして私が金子さんのプロポーズを断り続けているのかといえば、最大の原因は、現実にしたくないから、フェアリーテールのまんまでいたいから。私にとっての金子将一との恋は、俗世の垢にまみれたものではない。そうはしたくない。
 それをしてもったいぶっている、思い上がっている、高慢ちきだと言われるのならば、そんなひとにはわかってもらわなくてもいい。私が金子さんと結婚はしたくないのは、彼がもてすぎるから。過去はすぎたことだからいいとしても、現在がかすかに信じられず、未来となるとまったく信じられないから。金子将一を彩る女の陰が、そんなものはないと言われても信じられないから。
 女性関係だけは信じたくても信じられない男とは、結婚してはいけない。夢物語のような恋をしていたい。いつまでもいつまでもこのままで。
 めったやたらにもてる金子将一とはちがって、私には恋人は過去にはひとりしかいなかった。男友達ならばいたし、交際を申し込まれたことが皆無ではないけれど、大学一年生当時からあとは、私の心には金子将一しかいなかった。
 過去の恋人のまあちゃんとつきあっていたころだって、私の心には金子さんが住んでいた。そのせいでまあちゃんを怒らせて、殴られたりしたのも遠いなつかしい追憶。私がまあちゃんに殴られていると知って、金子さんがまあちゃんと対決してくれたのが、甘い痛みを伴う想い出になっている。
 あとはひとつも恋なんかなかった。私の心を占める恋のパーセンテージは、十八歳以降は金子さんばっかり。だからなのだろうか。
 身勝手な愛理の心が言っている。私は金子さんが大好きだから、他の男になんか脇見をする気はゼロだけど、あなたが僕の理想の女性だと言う、そんな男にはよろめいてしまう。今夜は金子さんはいないんだから、ちょっとよろめいてもいいでしょ。
 ちょっとだけだからね、などと言い訳しつつ、私は藤村さんをパーティ会場のバルコニーに連れ出した。背丈も体格も金子さんに似ている彼は、顔は金子さんよりも平凡で、声は甲高い。外見的魅力は金子さんのほうが百倍も上だ。
「愛理さん」
 バルコニーに出ると、藤村さんが私を抱きしめた。私にはMっ気があるらしくて、背骨が砕けそうに強い力で抱きしめられるのには弱い。葉巻のような香りのする藤村さんの顔を見上げて、やめて、と呟く。
 このような声でやめてと言っても、男心にむしろ火をつけるのだとは知っている。いかめしい声を出さなくては、きっぱりと断らなければ。そんな決心と裏腹に、足元が揺らめいていた。
「ヒールが……」
「ハイヒールがどうかしましたか?」
 私の身体を片腕で支え、彼は私の足元を覗き込む。パンプスのヒールがぐらつくのではなくて、私の足元がぐらついている。身体を突きのけようとしても大きな男は力が強くて、私の思い通りにはなってくれない。
「やめ……て」
「なんて色っぽい声だ。愛理さん、好きです」
「やめてったら……」
 顔をそむけようとしても、強引にキスされてしまった。
「あの……藤村さん……」
「愛理さん、愛理さん……」
「私には……彼が……」
 キスごときで忘我の状態になるほどには、私は初心ではない。半分以上は冷静な愛理がいて、周囲を気にしている。私が藤村さんをここに連れてきたときには、人の気配はなかったはず。なのに、どこかから煙草の煙が漂ってきていた。
「……徳永くん」
 トレードマークのような皮肉なまなざし。徳永渉だ。
 十八歳の春の日、犬山から上京してきた私は、アナウンサーになりたいとの野望を抱いていた。学部も放送で、サークルも放送部に入るつもりで、キャンパスを歩いていた。放送部室が見当たらなくて、通りすがりの男子の先輩に声をかけたのが、私の人生最初のつまづきだったのかもしれない。
「きみはいい声をしているね。アナウンサー志望だとしても、サークルは遊び心があってもいいでしょ。合唱部に入らない?」
 あなたの後輩になれるのならば、とうなずいて、私は金子さんに連れられて合唱部室を訪ねた。
 合唱部は男子、女子と分かれていたものの、金子さんの後輩にはなれた。放送部にも未練があったので、金子さんを引っ張って部室を見学に行き、まあちゃんに会った。姓は忘れてしまった私のはじめての恋人は、金子さんを脅した。
 そのころにはもはや私の心には金子さんしかいなくて、それからもどんどんどんどん、金子さんへの恋心を深めていった。そして一年の後に、男子部に歌の実力は最高だと評される一年生三人が入ってきたのだ。
 その一年生三人は、現在ではプロのシンガーになっている。フォレストシンガーズの本橋真次郎、乾隆也、もうひとりがここにいる徳永渉。徳永くんは金子さんとは親交が深く、歪んでいるといえなくもない先輩、後輩関係だ。
「老けていこうとしているてめえを憐れんで、恋に恋する思春期の愛理ちゃん? 無残だな」
「あなたは思春期の少女なんだから、男の腕の中で乱れるって愉悦も知らないんでしょ。俺が教えてあげましょうか」
「愛理、おいで、抱いてやるよ」
「俺のほうが金子将一なんかよりは上手ですよ。ためしてみますか」
 そのような台詞を投げて私をからかう生意気な後輩は、だが、言わない。「あんたは金子さんを焦らす高慢な女」とは。
 今夜も私たちとはやや距離を置いて、白けた表情で煙草を吸っている。徳永くんはむろん私には気づいているのだろうが、なんにも言わない。馬鹿な女だとでも思っているのか。クールな表情でいる。こんなときにどうしたらいいのか、わかるほどに世故に長けてもいないので、私は藤村さんに言った。
「人がいるから……」
「人なんて気にしなくてもいいでしょう?」
「気になるんです。知り合いですから……」
「あなたの知り合い? ああ……」
 たった今、気がついたとでもいうように、藤村さんは徳永くんに視線をめぐらせた。
「他人のこんなシーンを盗み見るとは、無粋な男ですね。放っておけばいいんですよ」
「彼は私の彼の後輩なんです。私の後輩でもあって……」
「後輩って大学の?」
 大学名を口にすると、藤村さんはふんっと鼻を鳴らした。
「歌手なんてのは学歴は関係ないんでしょうから、どこの大学でもいいんですよね。昨今は歌手や芸人が学歴を売りにしたりもするようですが、あんな風潮はまちがってますよ。あなたたちの大学だったら売りにもできないだろうから、いいんじゃないんですか」
「私はそんな話はしてないんですけど……」
「僕らの稼業は大学も関係ありますけど、日本の大学なんてのはね……」
「藤村さんは日本の大学と、パリの大学をご卒業なさってるんですよね」
「パリの大学院を終えました」
 徳永渉の大学を侮蔑する、すなわち、沢田愛理の大学を侮蔑している。藤村さんはそうと思わずに言っているのか? そこまで鈍感なのか? その上に自らの学歴をひけらかすとは、そんな奴はこっちが侮蔑してやりたくなってきた。
「藤村さん、私には彼氏がいるんですから、離して下さい」
「彼氏なんか捨てたらいいでしょう? あなたの彼氏って、噂には聞いてるんですけど、ちがいますよね」
「噂ではなんと言ってるんですか」
「歌手の……ちがいますよねぇ。彼とあなたでは似合わない」
「どういう意味で?」
「歌手風情と知的な職業のあなたでは、釣り合いが取れませんよ」
 逆ならばたびたび言われる。金子さんは私のひがみだと言うが、実際にそんな声が聞こえてくるのだから。
「ローカル局のラジオアナがあれだけの歌手と?」
「あれだけ綺麗な顔の金子さんに、美人でもない沢田さん?」
「沢田さんって太ってるし、年もけっこう食ってるし、金子さんの彼女って感じじゃないよね」
「金子さんだったらハーフのキャスターだとか、大金持ちのお嬢さまだとか、ハリウッドに進出してるような女優とか、よりどりみどりだろうに」
 そんな声を聞いて悔しくて、金子さんに当たったりもした。金子さんは怒ってくれて、本当にそんなことを言った大学の先輩と対決もしてくれた。けれども、今夜はさかさまだ。藤村さんはお世辞を言ってくれているつもりなのだろうか。
「歌手ってものも芸人でしょ。芸を売って生計を立ててるんだ。我々の職業とはレベルがちがいますよ。いわゆる河原なんとかって風情なんかとつきあうのはおやめなさい」
「あのね、あそこに立って聞いてもいない顔をしている男性も、歌手なんですけど?」
「ですから、彼は関係ありません」
「関係なくはないんです」
 クールなんだかホットなんだか、俺にもわからないよ、と金子さんは彼を評する。私にも彼の本性は見えていないけれど、喧嘩が強いだとか、けっこう血の気が多いだとかの評判もある。彼は藤村さんの声を聞いているに決まっているのだから、怒りつつあるのではないだろうか。
 怒っているのだとしても、知らん顔で煙草を吸っている。しかし、徳永くんが立ち去らないのは、目論見でもあるのではないかと思えた。
「彼は彼と私の知り合いなんです。学生時代からの友達のようなものなんです。離して下さい」
「離したくないな」
「離して下さいっ!!」
「あなただっていやがってはいなかったでしょう?」
 そう言われると、断固拒否の心構えではなかったような……いまいましくはあるが、徳永くん、なんとかしてよ、の気持ちを込めて、サインを送った。徳永くんは煙草を灰皿に入れ、ぎゅぅっと押しつけて消してから、おもむろに近づいてきた。
「愛理、待たせたな。行こうか」
「は?」
「は、じゃねえだろ。俺が煙草を吸いに出てくると知ってて、おまえはここで悪い遊びをしてたんだろうが。帰るぞ。ついてこい」
「あのね、なんなの、その態度は?」
 あんたがパーティに来ているとも知らなかったのに、煙草がどうとかなんて知るわけないでしょ。私のほうこそ怒りそうになっていると、徳永くんは私の腕を引っ張った。
「痛い。なにをするのよっ」
「おまえが怒れる立場か。俺というものがありながら、よその男といたずらをしてたんだろ。お仕置きをしてやるからついてこい」
 あの甘い声で、金子さんも言う。悪い子だね、駄々をこねてるとお仕置きだよ。そう言われるとむっとしたり、ぽーっとしたりする。金子さんは私を彼の妹のリリヤちゃんの若いころと重ね合わせているようで、そこに恋人としての愛理への想いも加わって、甘く叱るのだから、私も甘い気持ちになれる。
 反面、子供扱いばっかりして、と怒りたくもなって、金子さんに「お仕置きだよ」と言われると複雑な気分になる。馬鹿、と言って彼を叩いたりもして、あの腕と言葉になだめられてしまう。
 たぶん私には軽いM傾向があるのだろうが、それは相手が金子さんだからだ。一年年下の徳永渉は、金子さんから見ても私から見ても後輩。こんな奴に言われると目が眩むほどに腹立たしくて、言い返す言葉が見つからなくなった。
「おまえはなにか文句があるのか」
「……愛理さんの彼氏ってのはきみ?」
「そんなことはおまえには関係ないだろ。よその男の女に手を出すとは、知的職業の男ってのも卑俗だな。殴られたいんだったらそれでもいいぜ」
「……きみはヤクザみたいだな」
「近い職業だからな」
「たしかに……いや、まあ……うん、まあ……」
 暴力は嫌いなのがまっとうな現代人なのだから、藤村さんの態度のほうがまともだと思える。彼は徳永くんと私を見比べ、なんとなく頭を下げて背中を向けた。
「まったくおまえは悪い子だな」
 目を閉じて聞いていれば、金子さんが言っているような……声はちがうけれど、語調が同じだ。声帯模写でもしているつもりなのだろうか。
「似てないし、あなたに言われる筋合いはないのよ」
「金子さんに告げ口してやろうか。お仕置きってどうされるんだ? 俺も金子さんがあなたにそう言っているのを聞いて、どうするのか気になったんだよ。おいで、愛理。金子さんのところに連れていってやるよ」
「金子さんがいるの?」
「近くにいる。ああ、常の調子に戻しましょうか」
 常の調子とは、私のほうが先輩だというものだ。徳永くんの口調が慇懃無礼になった。私に対してはこの調子が多いのも、徳永くんの常なのだった。
「来なさい、愛理さん。抱いてさらっていきましょうか」
「えらそうにしないで」
「俺は女にはいつだってもっとえらそうですよ。あなただから配慮してるんだ。いらっしゃい」
 こちらにも引け目があるのだから、素直に従った。


2・渉

 パーティ会場からほど近い酒場に、フォレストシンガーズの連中がいるのは知っていた。今夜は小さめのホールでライヴがあって、俺は聴衆として彼らの歌を聴いていたのだ。
「あれ? 徳永さん? 打ち上げにも出て下さいよ」
 目ざとい三沢幸生に発見されて、逃げ出してホールの外に出たら、放送業界のパーティ会場近くを通りかかった。この業界には知り合いも多い。そんなひとりにも発見されて、誘われて、喉が渇いたので一杯飲ませてもらうつもりで会場に入っていった。
 酒を飲んでから、煙草を吸おうとバルコニーに出ていくと、沢田愛理とニュースキャスターの藤村宗徳がいたのだ。
 フォレストシンガーズの打ち上げ会場のほうには、金子さんはいない。むろんそうと知ってはいたが、俺が沢田さんをどこかに連れていくわけにもいかないので、こっちに連れてきた。先に立って歩いていく俺のあとを、小娘みたいなすね顔の沢田さんがついてくる。
 これで俺よりもひとつ年上だなんて、信じられない気もすれば、これだからこそあの金子将一も、可愛くてたまらないのだろうとも思う。金子さんはどこかしらロリコンなのか。沢田さんにはまってしまったところを見ると、そうなのかもしれない。
 だとしても、沢田さんは成人なのだから、精神的ロリータなのだったらかまわない。沢田さんを連れてフォレストシンガーズの打ち上げをやっている酒場に入ると、またしても三沢に発見された。
「徳永さん、来てくれたんですね。沢田さんはどうかしました? なにかあったんですか」
「あったんですよね、愛理さん?」
「なんにもないよ。やだ、徳永くん、言わないで」
「俺は言いませんよ」
 心配そうに沢田さんと俺の顔を見やってから、三沢は言った。
「この奥に個室がありますから、お話を聞かせて下さい。スタッフのみんなのいない場所のほうがいいでしょ。リーダーと乾さんにも来てもらいますね」
 彼らは全員が沢田さんとも俺とも同じ大学の合唱部出身だ。乾隆也とリーダーの本橋真次郎が俺と同年で、俺のほうから一方的に永遠のライバル宣言をしている。本庄繁之が俺よりも一年下、三沢幸生と木村章は二年下。いまだ体育会系合唱部をひきずり、学生時代の延長みたいなノーテンキな関係を続けているのがフォレストシンガーズだ。
 沢田さんも俺も彼らとは学生時代からのつきあいだが、木村のみは一年生で学校を中退していて、親しみが少ない。木村は沢田愛理も徳永渉も係わり合いになりたくない先輩だと見ていると思われる。本庄はいても頼りにならない鈍感だから、三沢は本橋と乾を呼んできたのだろう。
「俺はいてもいいですか、沢田さん?」
「三沢くんだっていてくれてもいいんだけど、なんでもないのよ」
「なんでもないにしては、沢田さんの表情が……なんていうのかな。徳永、おまえ、沢田さんになにかやったのか。そんなはずはないよな。おまえが沢田さんになにかしたとしたら、俺たちのいるところへ一緒に来ないだろ。だよな、幸生?」
「うーむ、乾さんの言う通りだとも思いますが、こうとも考えられますよ」
 どう? と本橋が問い返し、三沢は真面目な面で言った。
「沢田さんは金子さんを見限って、徳永さんと恋人になるって、俺たちに報告しにきてくれたんですよ。それで沢田さんが悩ましい顔をしている。ええ? 当たり? うきゃっ」
「馬鹿っ!!」
 沢田さんが叫んで三沢を睨みつけ、三沢は乾の肩に顔を寄せていった。
「すみませんっ!! ちがうんですか」
「ちがうに決まってるでしょ。だから、なんでもないったら。徳永くんが悪いのよっ」
「やっぱり徳永が悪いのか。てめぇ、沢田さんになにをしたんだ」
 単細胞本橋が俺に向かって凄み、乾は言った。
「そもそも徳永がここに沢田さんと共に来たってのが解せないな。沢田さん、どうしてですか?」
「金子さんがいるからって……」
「金子さんですか」
「あなたたちがいるとは私は思ってなかったのよ。徳永くんってわけがわからない。どういうつもりなの?」
 嫌いな奴ばかりが集まっているとはいえ、仲間うちばかりだとも言える。ここならば金子さんを呼び出せるからだ。そうと言う必要もないので、俺は言った。
「沢田さん、どんなおいたをしたのか、こいつらにも話してやったらどうですか」
「おいたですか。沢田さん?」
 乾に見つめられ、まったくの小娘のように頬を赤らめてくちびるをとがらせて、沢田さんが話した。
「……テレビやラジオで仕事をしてる人たちのパーティで、なぜか徳永くんも来てたのね。私はそこでとある人と……んんと……ちょっとした出来心でキスしちゃって……徳永くんに見られて、徳永くんが助けてくれたって形になって、それでここに連れてこられたの」
「沢田さんがよその男とキス? そりゃいかんでしょ」
 この発言は当然、本橋で、乾は言った。
「どういったいきさつだったんですか」
「いきさつもなにも……ただのキスよ」
「キスなんてのは遊びだとも言いますからね。沢田さんはその主義なんですか」
「主義ってほどでも……」
「おいたといえばおいただな。それだけのことでも沢田さんの心がちくっとして、金子さんに叱られたくなって、徳永が手を貸したって形なんですかね。だったら、金子さんに打ち明けて叱ってもらいなさい。金子さんだったら言うでしょ」
「……乾くんまで言わないで」
 ガキっぽい女は俺の趣味ではないが、沢田さんがこんな顔をするとそそられなくもない。乾は余裕で笑っていて、本橋はいささか気に食わない顔。三沢は腕組みをして、うーむ、などと唸っている。
 結局は俺は沢田さんのしたいようにしたのか。ま、それでもいいだろう。皆には見えないようにケータイを隠してメールを打っていたのだから、金子さんもそのうちには来るはずだ。三沢が出ていって、沢田さんにカクテルを運んできた。
「ありがとう」
「今夜の沢田さんってひときわ色っぽーい。俺ともキスしません? きゃわわーっ!! リーダー、ジョークですよーっ!!」
「おまえのジョークはそういうほうにしか向かないのか」
「こうも向きますよ。沢田さん、隆也さんとユキちゃんのキスシーン、見たくない?」
「見たくはないけど、台詞だけだったら聞きたいな。やってやって」
「目を閉じて聞きます? そうですよね。隆也さんはいいだろうけど、この俺が素でユキになっても可愛くもないもんな。乾さん、女性のご要望にはお応えするのが男なんでしょ。ここで沢田さんのリクエストに応じなくては男がすたりますよ。いでっ!! リーダー、なんで殴るのっ?!」
「そんな男はすたってもいいんだよ」
「なんでなんで? 男がすたると男度が減りますよ」
「……乾、頼む。俺はこいつの論理に頭を狂わされそうだよ」
 十五年も前から、合唱部の部室でもこいつらはやっていた。二十歳前後の大学生だった彼らも、もちろん俺も老けつつはあるが、中身はなんにも変わっていない。今夜は沢田さんがいるので、美しく華やいだ笑い声が混ざっていて、女の香気を感じ取れた。
「隆也さん、ユキ、よその男のひとにね……ねえ、聞いて」
「聞いてるよ」
 聞くのははじめてではないが、不気味ではある。本橋はげんなりした顔をし、沢田さんは楽しそうな顔になる。俺としても逃げたかったのだが、本橋と似た感情になりたくないので、平気なふうで聞いていた。
「無理やりだったんだけど、キスされちゃったの。怒る?」
「キスされておまえはどんな気持ちだったんだ?」
「いい気持ちだったって言ったら怒る?」
「気持ちのコントロールってのはできないんだから、しようがないな」
「隆也さんってつめたいのね」
「俺がどうしたら、おまえは気に入るんだ?」
「……ユキは悪い子なんだから、叱って。痛いのはやだけど、軽く優しくぶって。それからキスして許して」
「ムシのいいおねだりだな」
「だってだって……沢田さん……」
 芝居を中断して、三沢が沢田さんを見つめる。沢田さんはぶすっと応じた。
「それはやめてよ。リアリティがありすぎるんだから」
「やっぱりリアリティありますか。そしたら……んんとんんと……隆也さん、ユキねぇ」
「なんだ、ユキ?」
「ああんっ、その目、ユキ……あんあんあんのあへあへーっ」
「その声、やめて。ああ、おなかが痛い」
 もはや諦めたのか、本橋はおとなしくなり、沢田さんはけたけた笑っている。乾はよくもまあ、こんな芝居につきあってやっているものだ。そう考えていて思い出した。
 こっちは本橋と乾をライバル、仇敵だと感じていたのに、むこうは俺を仲間にしたがった。あのときに了承していたら、俺もフォレストシンガーズの一員になっていた恐れがある。そうなっていたとしたら、三沢にこの芝居をしかけられるのは俺だったとも考えられるのか。
 あのときには本橋に喧嘩を売り、殴り倒されて悔しくて、負け惜しみで呟いた。殴り合いでは負けたけど、歌で勝ってやる。俺はひとり、わが道を行っておまえたちに勝つ!!
 その決心はまだ成就したとも言いがたい。が、いずれは勝つ!! それもあるけれど、三沢とこんな芝居をしなくてもいいだけでも、フォレストシンガーズに入らなくてよかった。俺の選んだ道は断じてまちがってはいなかったのだ。


3・愛理

 泣き虫エリ、とあのころから呼んでくれていたら、おまえは俺の愛理だよ、と金子さんが言ってくれていたら、私の人生は変わっていたのだろうか。
 学生時代には沢田さんとしか呼んでくれず、合宿の浜辺でも私だけはキスを誘ってもくれず、かたくななまでに性的な接触を拒まれていた。私を妹だと見ているから? リリヤちゃんとはキスはかわさないから?
 あのころの金子さんの心は知らないけれど、もしも出会ったころから恋人同士だったとしたら?
 大学生ならば過去も少ないはずだから、私はこんなにも金子さんの女性関係には猜疑心を抱かなかったはずだ。結婚だの現実だのに幻想を抱いている年頃だったら、金子さんのプロポーズを嬉しく受け入れたはずだ。
 そうすると、私たちは大学を卒業したら結婚していた? 結婚してから十五年ほどたった現在は、夫の浮気に手を焼く糟糠の妻……そんなのいらなーい。
 やはり私はフェアリーテールがいい。徳永くんに馬鹿にされようと、他人に誤解されようと、三沢くんにはこう言われようとも、結婚なんかしないで、現実逃避的恋愛に溺れているほうがいい。金子さんが何度プロポーズしたとしても、結婚はしないでおこう。
「同じ男としてですね、俺は金子さんが気の毒で不憫でならないんですよ。俺の言ってることはわかるでしょ」
「三沢くんって男だった? 美少女ユキちゃんじゃなかったの?」
「沢田さん、それを蒸し返さないで下さい」
 本橋くんが言い、乾くんも言った。
「徳永、煙草は外で吸え」
「いいのよ。私は煙草は平気だから、どうぞ」
 金子さんは煙草は吸わない。私も吸わない。けれど、いい男が煙草を吸っているポーズは好きだ。徳永くんは黙っていればニヒルないい男で、乾くんは中年に近づくにつれていい男の度合いを深めてきている。そんないい男たちの喫煙姿を見ているのは好き。
「じゃ、俺も……沢田さん、俺を見る目と徳永さんや乾さんを見る目の色合いに差がありますね」
「三沢くんったら、そんなのわかるの?」
「わかりますよ。徳永さんや乾さんだと、あら、素敵、って目で見るんですよね。俺だと……沢田さんが俺を見る目に漂う感情は?」
「可愛い」
「あのねぇ、俺も三十をすぎた成人男子なんですよ」
「可愛いって言われると怒るの?」
「いえ、いいんですけどね。そしたらもっと可愛くなろうかなぁ。乾さん、ユキ、可愛い?」
「可愛くねえんだよ」
 ぼかっとやろうとした本橋くんの拳骨から身をかわし、三沢くんも煙草に火をつける。煙草をいたずらする高校生……というほどには幼くはないのだが、三十歳を超えた成人男子で三沢くんほどに子供っぽいひとは……酒巻くんがいる。私の後輩男子には、子供っぽい双璧がいるのだった。
 木村くんもけっこう子供っぽいけど、彼は中身はそうでもないかな。三沢くんは故意にやっているところがあるし、酒巻くんもある面は大人になってきた。幼いタイプの後輩男子について考えていると、三沢くんが言った。
「隆也さん、いやん、いやいや」
「なんなんだよ」
「だーって、いつも叱られるのに、ユキったら煙草……」
「わかっててやったのか? 叱られたいのか?」
「あんあん、そんな怖い顔、いやよぉ。いでっ!! リーダーに叱ってほしいんじゃありませんから。やんやーん、殴らないでっ。リーダーにだったら殴られる、乾さんにだったらぶたれるって感じなんですよね。殴るとぶつの差ってあるでしょ」
「あるかもね」
 私がうなずくと、三沢くんは言った。
「殴るとぶつの差よりも、乾さんや徳永さんを見る沢田さんの目と、俺を見る目の差は大きい。あんっ、もうっ、リーダーのげんこつのせいで脱線したでしょ」
「変な芝居からは永遠に脱線してろ」
「本橋くんって、そんなにこの芝居が嫌い?」
「嫌いです」
 きっぱりと言う本橋くんを見て、乾くんは苦笑い。徳永くんはさっきからひとことも口をきいていない。私は三沢くんがやる分には、このお芝居は楽しいと思う。三沢くんの声ならば、ユキ、可愛い? なんて言うのも似合う。
 そうやって和ませてもらったり、笑わせてもらったりしていても、心の半分は、金子さん、会いたいな、だった。そうと思い知らされたのは、ドアが開いて彼が入ってきたから。彼の姿を見た瞬間に、涙があふれてきた。
「おやおや、泣き虫エリ、どうした?」
「愛理さんは金子さんにおまかせして、俺たちは退散しましょうか」
 乾くんが言い、私は叫んだ。
「駄目っ!! みんな、いて」
「どうして?」
「だって、三沢くん。ふたりきりにされたら……」
「沢田さんが金子さんに叱られるからですか。お仕置きされちゃう?」
「されるかもしれないから……」
「お仕置きって言葉には色気もなくもありませんよね。どんなお仕置きなんですか。色っぽいやつ?」
 クールな口調で徳永くんが尋ね、金子さんは言った。
「色っぽいお仕置きなんて、おまえたちが見てたらするはずがないだろ。愛理、俺に叱られるようなことをしたのか。叱ってあげるから、ここにおいで」
 この口調にはノックアウトされそうになる。かぶりを振ると涙が飛び散って、いやいや、と呟いていると、抱き寄せられた。
「独身の俺たちには目の毒ですよ。金子さんはまったくこういうのって平気なんだから」
「そうですよね。乾さんと似てますよね」
「俺は人前ではやらないよ」
「そうかなぁ。徳永さんは?」
「俺は女とこういうことをした経験は一度もないんだ」
「嘘すぎて指摘したくありません。リーダーには訊く必要もありませんね」
 質問しているのは三沢くんで、本橋くんは、ああ、うう、とか言っている。彼らの声は聞こえてはいたが、意識には金子さんだけしかいなかった。
「愛理、なにをしたの?」
「どこかのおじちゃんとキスしたの」
「キスされたのか? 悪いのはそいつじゃないか」
「愛理もいやがらなかったから……」
「おまえもキスがしたかった? キスだけだろ。俺のキスよりもよかったか」
「ううん。金子さんのキスのほうがずっとずっと……」
「だったらいいけど、悪い子だな。仕返しか」
「なんの仕返し?」
 すっかり忘れていたことを思い出した。数ヶ月前に、金子さんが本橋くんの妻である美江子ちゃんと、金子さんの部屋でふたりきりで食事をしたという事実がある。
 嫉妬の炎に炙られた美江子の夫が、彼女を取り戻しにきた。金子さんはそう言っていた。酔っていた彼は私に嘘半分の話をしたので、どこまでが真相なのかはわからないものの、美江子ちゃんとキスしたとか? キスを迫ったとか? いい機会だから本橋くんに確認してみた。
「金子さんって美江子ちゃんとキスしたの?」
「いつの話ですか」
「学生時代にもしたんだよね」
「してないよ」
 金子さんは言い、本橋くんも言った。
「学生時代だとか過去だとかはいいんです。そんなものを気にしていたら、美江子はもてたんだから俺の身が保ちませんよ」
「リーダー、のろけ」
「うるせ」
 抱きしめられているので見えないが、本橋くんが三沢くんをぽかっとやったのだろう。彼らと会うたびにこのシーンがあるので、本橋くんの親愛の情を込めた暴力には私も動じなくなった。
「最近は?」
「最近? 金子さん、美江子にキスしたんですか」
「どうだったかなぁ。してないはずだけどなぁ」
「徳永、頼むよ」
 乾くんの切迫した声が聞こえ、徳永くんの声も聞こえた。
「本橋を押さえつけるのか。なんのために? なんて聞かなくてもいいだろうけど、これしきで先輩に飛びかかりたくなるとは、本橋の単細胞ぶりは進化してないんだな。乾のへなちょこぶりも進化してねえんだ」
「へなちょこでもなんでもいいから、手伝ってくれよ。俺ひとりだと本橋の怒りのパワーには……うっ、本橋、鎮まれ」
「俺が手伝うと跳ね飛ばされそうだし、徳永さん、お願い」
 こっちも切迫した声で三沢くんが言い、三人がかりで本橋くんを鎮まらせている様子だった。
「愛理、よけいなことを言うなよ」
「あなたも楽しんでなかった?」
「本橋の怒りは簡単に火がつきすぎて、楽しくもないな。俺は美江子ちゃんとキスはしてないよ。そういえば一度もしてないな。したいけどね」
「そんなふうに思ってるひとには、愛理がよその男とキスしたからって、怒る資格はないんだからね」
「怒る資格はないんだろうけど、叱る資格はあるよ。いや、だけどさ、おまえが誰とキスしようとも、金子さんのキスのほうが素敵だと言うんだったらいいさ」
「セックスもしていい?」
「したいのか」
「したくないの」
「俺とだったらしたい?」
「邪魔なひとたちがいなくなったらね」
「ベッドでだったら色っぽいお仕置きをしてあげるよ」
「どんなの?」
「どんなのにしようかな」
 ふたりきりの世界に入り込んでいた私を、現実に引き戻したのは乾くんの声だった。
「こういうのってアホらしいの極地だろ。おまえも金子さんと沢田さんのたわむれの肴にされたにすぎないんだ。怒るな、馬鹿野郎」
「怒らせようとされて怒るとは、馬鹿野郎以外のなんでもないな」
 徳永くんも言い、三沢くんも言った。
「本橋真次郎のバ・ヤ・ウ」
「なんだ、それ?」
 彼も戻ってきたのか、金子さんが尋ね、三沢くんは言った。
「俺が先輩を馬鹿野郎とは言えませんので、半分だけ口にしました。今、言っちゃったよぉ。口が腫れるよぉ。胸がどきどきしすぎて気絶しそう。隆也さん、抱き留めて」
 その言葉は全員に無視され、徳永くんが言った。
「色っぽいお仕置きってのだったら、俺にも興味はあるんですよ。おまえたちだってあるだろ? たとえば……人前で裸にしちまうとか? 見たいですね。やって下さいよ」
「おまえなんかに愛理の裸を見せるわけねえだろ」
「愛理さんは男の甘ったるい口説き文句には弱いようですよね。俺だってその気になったら言えますよ。言ってみましょうか」
「本橋、こいつとだったらやってもいいぞ」
 冷笑的に言っている徳永くんの台詞を遮ったのは乾くん。止めてくれようとしたのだろう。
「本橋は苛々してるんだろ。出よう。俺も聞いていられないから外の風に当たりたいよ。行こう」
「俺もです。湯当たりして倒れそう。暑すぎぃ」
 三沢くんも言い、四人は個室の外に出ていった。
「俺たちも帰ろうか。俺んちに来るだろ」
「それで、色っぽいお仕置きをするの? 裸にして手首を結わえちゃうとかって?」
「してほしいのか」
「媚薬でも飲まなかったら、恥ずかしくて無理だな」
「媚薬ってのはごくたまにだからいいんだよ。そんなものは飲まなくても、今夜のおまえは最高に色っぽい。俺の嫉妬心のなせるわざもあるんだろうか。愛理、帰ろう」
「抱いていって」
「ああ、いいよ。おいで」
 よその男とキスしたから? 私の心にも火がついている。媚薬なんか飲まなくても、金子さんが好き、で心があふれそうになって、涙のかわりに恋心。泣き虫エリは大人になって、金子さんの恋人になった。俺の女、俺の愛理、と呼んでもらえるようになって、色気のある愛理に変身したの?
 あのキスには媚薬効果があったんだろうか。いつもだったら抱かれて人前に運ばれるのも恥ずかしいのに、今夜はみんなに見せてあげたい。
 本当は重いに決まってるのに、重くなんかないよ、って顔をして、金子さんが打ち上げ会場に入っていく。本橋くんと乾くんと三沢くんと徳永くんの姿はなく、なにをしているのかが気にならなくもなかったけれど、それよりも人々の視線が痛い。
 痛いほどに突き刺さる好奇の視線。その痛さも、完全にはなくなっていない羞恥心も快感。私って、今夜はいっそう変? それでもいいわ、と思って金子さんの首にしがみつくと、満場の視線の中で抱き直されてキスされた。
「きゃああ……」
「うわっ、すごっ」
「私もあんなふうにされてみたーい」
「僕にはできないかな」
「おまえなんかはやらないほうがいいんだよ」
「そうそう。シゲさんだってやらないよね」
「やりたくないよ。恥ずかしいよ」
「なんでシゲさんが赤くなってるんですか」
 シゲさんと言っているのは木村くんで、恥ずかしがっているのが本庄くんだ。恥ずかしいのが快感だって知らないなんて、本庄くんも子供ね、などとちらっと思う。金子さんが私を抱えて歩いていき、みんなが道を空けてくれる。金子さんは優雅に堂々と歩を進めていった。
 運ばれていったのは駐車場。金子さんからはお酒の匂いはしなかったから、飲んでいないのだろう。地面に降ろされてドアを開けてもらって、助手席に乗った。
「メシは食った?」
「すこしは食べたよ」
「すこしだと駄目だろ。なにか食って帰る?」
「ううん。金子さんといると胸がいっぱいだから、食べたくなんかないの。金子さんの部屋でちょっぴりお酒を飲んで、そのときにおつまみを食べるくらいでいい」
「食うものも酒もすこしはあるけど、俺はそれよりも、おまえを風呂に連れていって、それからベッドに運んで、それが楽しみでメシも酒もどうでもよくなるよ」
「飽きないの?」
「一生、飽きないよ」
「愛理はちょこっと飽きてきたかなぁ。よそのひとに抱かれてみようかな」
「そんなことは言えないようにしてやるよ」
「それってしょってる」
 古い言葉を使ってみると、甘い瞳で睨まれた。
「愛理がしたかったら、よその男とセックスだってしていいんでしょ。愛理は金子さん以外の男はひとりも知らないから、キスだったらともかく、セックスを較べる対象がないのよね。金子さんって上手なんだろうとは思うけど、下手な男ってどんなふうに私を抱くのかな、なんて」
「較べなくていいんだよ」
「較べてみたいの」
「愛理、そのたぐいのことを言うのはやめないと、色っぽくないお仕置きだよ」
「怒ったの?」
「ああ、怒ったさ」
 急に運転が乱暴になって、私の身体が揺さぶられる。悲鳴を上げたら静かな運転に戻った。
「怒ったら……いやだ」
「おまえは俺をなめてるんだもんな。今夜は叱るんじゃなくて怒ってやるよ」
「いやだったら……」
「おや、べそをかいてるのか? 怒らせたりしてごめんなさい、だろ。言ってごらん」
「いやっ!!」
 再び睨まれて首をすくめると、金子さんは大声で笑った。
「怒ってないよ。愛理ちゃん。色っぽいほうにしような」
「うん、それだったらいい」
 子供っぽいくせに意地っ張りで、ごめんなさいを言うのは嫌い。ごめんなさいは? はいは? 愛理、言ってごらん、と言われても、金子さんにあやまったりしたことはめったにない。それでも金子さんは許してくれる。ごめんな、と彼のほうから言ってくれた。
「さあ、出ておいで」
 車が金子さんのマンションの駐車場に入っていって、ドアを開けてくれた彼に抱き下ろされた。
「もういいから、自分で歩く」
「歩かせない」
「いやいやん」
「いやなんだったらこれもお仕置きだな」
 こんなのはお仕置きにならないって知ってるくせに、意地悪な口調で言って、金子さんは歩き出す。リリヤちゃんは子供のころには、兄の将一さんに頭をこつんと叩かれたと言っていた。私にだったら、しばらくここで反省していなさい、かな。金子さんが女にするお仕置きといえばそんなものだ。
「いい加減にしないとひっぱたくよ」
 そう言われて叱られた想い出もあるけど、叩かれたことなんてない。お仕置きだよ、って言われるのは時には好き。言うだけでしないと信じてるから、なめてるというのもあるのかもしれない。
 私はあなたとは対等じゃなくてもいいの。表面は大人のカップルとしてふるまっていても、ふたりきりだったら甘えん坊のわがまま娘の泣き虫の愛理になって、悪い子扱いされていたい。甘やかされて叱られて、可愛い愛理と呼ばれていたい。
 これだって結婚していないからこそできるんでしょう? 夫婦になったらこんなのは無理。だから私は、永遠に金子さんの「俺の愛理」でいたいの。「俺の妻」にはなりたくないの。
 抱かれてエレベータに乗り、抱かれて部屋に運ばれていく。時々は立ち止まって、キスをかわす。他の誰でもない、私の彼のキスでとろっとろっにとろけさせられて、部屋に入ったころには私は糖蜜になっている。
 ソファに降ろされて、金子さんはバスの支度をしにいく。私はもどかしく服を脱ぐ。ドレスを脱ぎ捨てたところで、金子さんが部屋に入ってきた。
「シルクのスリップか。あとは俺にやらせろ」
「させてあげない。自分で脱ぐの」
「じゃ、先に風呂に行ってるよ」
「意地悪」
「なんなんだよ。どうすればお気に召すんだ? こうか」
「ちがーう」
 じゃれ合いながら下着を脱がされて、素肌を抱き寄せられる。彼のスーツに私の裸身が触れて、全身を包まれていい気持ち。腰を持ち上げられて乳房にキスされて、片腕で支えられてヒップを片手で包まれて、立っていられなくなる。
 ひょいと肩にかつがれて、両手でヒップをくるみ込まれる。愛理はバストも大きいけど、お尻も大きいんだよね。あなたの手はさらに大きいから、愛理の豊かなヒップラインを完全に包み込まれて、とろとろとろーっ。
 服を脱いだ彼にバスルームに運び込まれて、シャワーの下で洗いっこ。あなたは私の、私はあなたの身体を洗う。大きくてたくましいあなたとこうしていると、太目の愛理が小さくてあどけない少女になったよう。
「あなたは堅いね」
「ここも硬いよ」
「いやぁ、えっち」
 我に返ったらいけないわ。たった今だけは私は、ちっちゃな愛理ちゃん。恥ずかしくなんかないの。聞いているのは金子さんだけなんだもの。
「おまえはやわらかいな。女はこういう身体をしていてこそだよ。俺の膝に乗っかってるここは弾力があってやわらかいとも言えないけど、尻はこのぐらいがいいんだな。で、胸は……」
「ああん、駄目」
「おまえの全身は俺のものなんだから、駄目なんて言葉は通用しないんだよ」
「女は、じゃないでしょ」
「愛理は、だな。ごめんな、愛理。ああ、いい気持ちだ。おまえは?」
「うん、いい気持ち」
 たっぷりじゃれてから、裸のままで裸の彼に寝室へと運ばれる。激しく抱かれて、受身の女でいる私を可愛く感じる。金子さんといるときの私は、可愛い愛理でいたい。それ以外のなんでもなくてもいい。朝が来るまでは愛しい男と可愛い女。
「腹が減ったか」
「おなかは忘れてたけど、ちょっとだけ食べたい。お酒もちょっとだけね」
「待ってろ」
 金子さんが立っていって、ワインと板わさをトレイに載せてきてくれた。
「かまぼこ?」
「うまいんだ、これは。嫌いだったか」
「ううん、好き。金子さんはもっと好き」
「俺の指をつまみにしてもいいよ」
「こうやってつまむの?」
 ベッドでのひとときがすむと、いい年して恥ずかしいかなぁ、とちらりと考えてしまう。考えまいと努力しつつ、じゃれながらワインを飲んでおつまみを食べた。
「八幡早苗問題は、特になんにもないのかしらね」
「あの葉書のその後は?」
「どうして読んでくれないんですか、読んでもいいって許可したでしょ、って葉書が来てたんだけど、読まないよ」
「本橋にも美江子ちゃんにも、言う必要もないもんな。さてと、もう一度……」
「もう一度?」
「いやか」
「元気だね」
 うふっと笑って腕を伸ばすと、軽々楽々で抱き上げられる。ポーズだとしても、重たい愛理を子猫みたいに扱う力持ちのあなたが好き。
「愛してるよ、愛理」
「私は言ってあげない」
「言えよ」
「いやだよぉだ」
「……け……ああ、ごめん。今夜は言わないよ」
 結婚しよう、結婚してくれ、愛理。結婚はしたくないくせに、その言葉が聞けなくなったら寂しいのかな、だなんて、身勝手な愛理。身勝手な愛理を、あなたはいつまで愛してくれるの?

END









 

 

 
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