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小説231(ブッシュ・ド・ノエル)

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のえる

フォレストシンガーズストーリィ231

「ブッシュ・ド・ノエル」


1・湖鈴

 鈴が重なるのは変な名前だと思うのだが、親は子供たちに素敵な名前をつけたつもりでいるらしい。長女、鈴木美鈴、次女、鈴木湖鈴、長男、鈴木瑛斗。鈴鈴したいんだったら、弟も鈴斗……レイトにでもすればよかったのに。
 ミスズは二十歳の短大生。私、コスズは十八歳の高校三年生。エイトは十六歳の高校一年生ではあるのだが、高校生は副業みたいになっている。
 弟の美少年ぶりには早くから気づいていた姉と私は、瑛斗が中学生になったころから、ビューティフルボーイコンテストに写真を送るようになっていた。それがあるときひっかかり、コンテストに出場した瑛斗がなんと、優勝の栄冠に輝いたのだった。
 瑛斗がアイドルとしてデビューできると決まったときには、両親も大喜びしていた。姉と私も抱き合って喜んで、東京へと旅立っていく瑛斗を四人で見送った。
 ただいまはアイドルとしてデビューするために修行中の瑛斗は、もうすぐCDをリリースするという。忙しくて姉とも会う暇はないのかと思っていたのだが、私が電話をかけると、マネージャーの木田さんが言ってくれた。
「瑛斗くんは時々、謀反を起こすんですけどね。最近になって反抗的なのがおさまってきたんですよ」
「木田さんが上手に仕込んでくれたからですか」
「僕ではなくて、少年の躾のうまい方が助けて下さったんです。瑛斗くんは気は強いみたいですけど、寂しいときもあるかもしれませんよ。お姉さんにだったら会いたいでしょうから、冬休みになったら遊びにいらっしゃいませんか? 瑛斗くんにだって休みはありますからね」
「行きます」
 姉は冬休みには友達とスノーボードをしに行くというので、私ひとり、東京へと遊びにきた。
「僕はその間はよそに泊まりますので、お姉さんがここで泊まって下さいね」
 未成年だからひとり暮らしはさせない方針なのか、瑛斗はマンションで木田さんと同居している。木田さんがそう言ってくれて、瑛斗も三日間の休みがもらえるとなった。
「湖鈴ちゃんは芸能人に会いたいんだろ」
 群馬から上京した私が東京についたのは遅い時間で、その日は仕事をすませて帰ってきた瑛斗と、マンションのダイニングキッチンで紅茶を飲んで、休日の相談をした。
「瑛斗が知り合った芸能人って誰がいるの?」
「一番お世話になってるのは、同じ事務所の大城ジュンさん。木田さんは僕のマネージャーだから、ジュンさんよりももっとお世話になってるけど、ジュンさんにもどこかに連れていってもらったりするよ。湖鈴ちゃん、顔がぽわぽわ」
「だって……あのジュンと瑛斗が……」
 子供のころからアイドル好きだった姉と私は、アイドル時代の大城ジュンも好きだった。アイドルだったころはマイナーだったジュンは、今では大スターだ。
「他には?」
「同じ事務所のひとだったら話をするけど、ジュンさん以外には湖鈴ちゃんが知ってるほどのスターっていないよね。他の事務所のひとは……フルーツパフェは知ってる?」
「うん、知ってる。別に好きでもないけどね」
「佐田千鶴って女優は?」
「知らない」
「フォレストシンガーズは?」
「知ってるけど、興味なーい」
 CDも出していない瑛斗なのだから、大スターとは知り合えないのか。大城ジュンは同じ事務所だからいいとしても、瑛斗の芸能人としての地位が低すぎる。低すぎる以前なのかもしれない。
「春日弥生さんとか?」
「知ってるけど、あんなばあちゃん、興味ないよ」
「だよね。桜田忠弘さんは?」
「桜田忠弘にだったら会いたいっ!! ジュンと桜田さんに紹介してよ」
「忙しいだろうから、どうかな。ジュンさんにだったら会えるだろうけど、桜田さんは無理かもね。僕だって挨拶しただけだよ」
 そんなものなのだろうな。あんまり期待したらいけないだろうな。とばかりにちょっぴりがっかりしていると、瑛斗は言った。
「明日は写真撮影のスタジオに連れていってあげるよ」
「誰かが撮影してるの?」
「湖鈴ちゃんは興味ないかもしれないけど、けっこう大物だよ、かたっぽはね」
 木田さんは三日ほどはここにはいなくなる。私に気を使ってくれているからだ。瑛斗は休みでも彼は休みではなくて、事務的な仕事のために事務所に詰めるのだと言っていた。なので今夜は瑛斗が木田さんの部屋で寝て、私は瑛斗の部屋で寝た。
 それほどにはゴージャスでもないマンションだけど、高校生にしたら贅沢な部屋だ。弟はデビューしたら人気のあるアイドルになれるんだろうか、などと考えつつも眠った。
 翌日は私が朝食を作ってやった。オムレツとトーストとサラダだけだけど、木田さんが作ってくれるのよりもおいしいよ、と瑛斗は言う。家にいたころは生意気なガキだったのに、可愛くなったみたい。瑛斗を躾けてくれてる人って誰なんだろ?
 朝食がすむと瑛斗がお皿を洗う。いつも木田さんが朝食を作ってくれて、瑛斗が後片付けをしているのだそうだ。アイドルもそんなことをするんだね、ではあったが、普通の生活もしているのだから、両親は安心するだろう。
 地下鉄に乗って瑛斗の言う写真撮影スタジオへと向かう。瑛斗はテレビには二、三回出ていたのだが、まだまるっきり顔も知られていないから、東京へ遊びにきた姉弟として、きゃっきゃっと楽しく喋っていた。
「ここ? 瑛斗もここで写真を撮ったの?」
「そうだよ。僕のステージ衣装ってエイトマンふうで、ジュンさんはげろげろ言うんだけど、かっこいいじゃん? ジュンさんは社長のセンスが腐ってるって言ってたけど、僕は好きだな。あの歌よりはいいよ」
「エイトマンGOGO?」
「エイト、GO!! GO!! だよ」
 びっくりマークがついてるんだよ、と瑛斗は言っている。テレビで私も聴いたけど、変な歌と変な衣装だった。
「入って。おはようございます」
 先に立ってドアを押す瑛斗のあとから、おっかなびっくり、私も入っていく。大きなスタジオには写真の機材があって、大勢の人が働いていた。
「瑛斗くん? 今日も仕事?」
 三十代くらいの女のひとに、瑛斗は言った。
「今日は見学させてもらいにきたんです。このひと、僕のお姉ちゃん」
「鈴木湖鈴です」
「いらっしゃいませ。春子です。コスズちゃん、可愛い名前ね」
「でも、鈴木って苗字で名前にも鈴がつくんですよ」
「いいじゃないの。可愛いわよ」
 ふわっと太った春子さんは、春風みたいに微笑んだ。
「瑛斗くんのお姉さんだけあって、美少女ね。私も若いころには湖鈴ちゃんに似た、ほっそりしたたおやかな美少女だったのよ」
「嘘つけ」
 若い男の子の声がして、背は高くはないけれど、美しい容貌の青年があらわれた。
「僕は昔の春子さんだって知ってるんだから、嘘は無駄だよ」
「私が二十歳のときって、哲司はいくつだったかな?」
「小学生だったかな。あなたが故郷から出ていったころを覚えてるよ。細くはなかったじゃないか。美少女だったかどうかは見解の相違もあるけど、今のダンナはそんな春子さんが好きでプロポーズしたんでしょ」
「春子は美人だって、今でも言ってくれてるわよ」
「あっそ。よかったね」
 ハナであしらうみたいに言って、哲司と呼ばれたひとが私の手を取った。
「瑛斗の姉さん? きみが美少女だってのは本当だね。僕は哲司。よろしく、湖鈴」
 このひとも芸能人なのだろうか。洗練されている。渋皮が剥けているとでもいうのか。細身で低めの声をしていて、私の手を取ってキスする仕草は、映画俳優みたいだった。
「あ、あの、あの……」
「哲司さん、そういうおいたをすると、乾さんに見られたら叱られるよ」
「おいたじゃないよ。挨拶じゃないか」
「湖鈴ちゃんがびっくりしてるよ」
「瑛斗ったら、姉さんを守ろうとしてるのか? 姉さんなのに湖鈴ちゃんって呼ぶの?」
「もうひとり姉さんがいるから、美鈴ちゃんと湖鈴ちゃんって呼んでるんだ。美鈴ちゃんのほうが上だよ」
「湖鈴はいくつ?」
 初対面で呼び捨てにされても、怒る気にもなれない。私はほにゃっとした気分で答えた。
「十八……高校三年生なんだけど……推薦で短大に進学できるから……受験勉強はしなくてもよくて……だから遊んで……」
「受験は僕にはどうでもいいんだけど、遊ぶんだったら一緒に遊ぼうか」
「哲司さんが遊んでくれるの?」
「ベッドで遊ぶ?」
「へ?」
「こらーっ!!」
 瑛斗が怒って、哲司くんの背中をぼかぼか叩いている。哲司くんも細くて背は高くもないけれど、十六歳にしては小柄な瑛斗だと、子供が怒っているようなものだ。哲司くんはへっちゃらで笑っていた。
「僕は二十歳だよ。十八の湖鈴とだったらちょうどいいよね。おまえは大人なんかに恋をするなよ」
「哲司さんっ、僕の姉ちゃんを湖鈴だのおまえだのって呼ぶなよ」
「うるせえな、おまえは関係ねえだろ。湖鈴、弟なんかほっとけよ。デートしようぜ」
「駄目っ!!」
 どうして瑛斗はこんなに怒るんだろ。デートだったらいいじゃないの。私だって哲司くんとデートしたいな、と思って見つめると、哲司くんは私の顎をつまんだ。
「湖鈴も小さめだね。瑛斗の姉なんだもんな。千鶴と同じくらいの身長だろうけど、おまえはあいつよりもかなり細いんだ。おまえって呼ぶと不愉快?」
「い、いいんだけど……」
「いいんだったらそう呼ぶよ。デートしようよ」
「う、う……えーと……」
 うん、と言いそうになって、でも、そんなに急に? いいのかな、とも思っていると、春子さんの声が聞こえてきた。
「哲司には困ったものだわ。乾さん、叱ってやって下さいな」
「乾さん、哲司さんったらね、哲司さんったらね……」
 瑛斗の声も聞こえ、哲司くんが首をすくめる。春子さんと瑛斗が呼んでいる名前は? 乾さんって誰? と顔をめぐらせると、背の高いセンスのいい、すらーっとした大人の男性が苦笑いしているのが見えた。
「瑛斗の姉さん? 湖鈴ちゃんって言うんだね。はじめまして、乾です。ご挨拶は後ほど改めまして、こら、哲司、こっちに来い」
「やだよ」
 哲司くんが私の背中に隠れる。両肩を手でつかまれて、くすぐったいような気持ちがいいような、で困ってしまう。哲司くんは私の肩越しにべーっとやり、乾さんは言った。
「フォレストシンガーズの乾隆也と申します」
「あ、ああ……えっと、はい、あの、はじめまして」
 フォレストシンガーズという名前は知っているけれど、興味がなかったからひとりひとりの区別はつかない。こんなにかっこいいひとがいたっけ? そんな気持ちで乾さんを見上げる。顔は別に美しくもないのに、全体の雰囲気がひどくかっこいい男性だった。
「哲司さんのやってたことっておいたでしょ? とっつかまえてお尻を叩いてやってよ」
 瑛斗が言い、乾さんが笑って応じた。
「哲司だって成人男子なんだから、叩くんだったら尻じゃなくて面だな。哲司、いたずらをしてると張り倒すぞ。こっちに来い」
「張り倒されにいく趣味なんてないよ。僕はいたずらなんかしてないし。ね、湖鈴?」
「……いたずらなのかどうかなんて、わからないんだけど……」
「今日、たった今、会ったばかりじゃないの? 湖鈴ちゃんは哲司を好きになったのかな」
 乾さんに尋ねられて、私は首をかしげた。
「好きっていうのか……なんとなく……哲司さんって素敵かなって……」
「哲司、罪だぞ」
「乾さんのほうが罪だろうが。僕は罪なんか作ってないよ。言いたかったら言ってもいいよ。言えよ、瑛斗」
「……ええっと……乾さん、どうしよう?」
「言うんだったら哲司がてめえで言え」
 なぜだか怒っているみたいな声で、乾さんが言う。そこに女の子が入ってきた。
「どうしたのぉ? 哲司か瑛斗が乾さんに叱られてたの? あなたはどなた? あ、わかった。瑛斗の姉さんでしょ。似てるもんね。そうだそうだ。そうでしょ」
 こくっとすると、彼女はにこやかに言った。
「私、千鶴っていうの。今日はここで乾さんと写真撮影なんだ。お仕事で一緒になるのは久しぶりだから、楽しみで眠れなくて、だけど、寝不足だったら肌によくないからお酒を飲んで寝たのよ。乾さん、お酒を飲むなんて悪い子?」
「寝酒ってんだったらすこしはいいさ。仕事のためにもなるんだからいいよ」
「でも、千鶴は未成年だものね。お酒なんか飲んでごめんなさい」
「ああ、いいよ。肌のコンディションもよさそうだな。それほど久しぶりでもないけど、俺は楽しみってよりプレッシャーでさ」
「弱気なんて乾さんらしくないわ」
 私は彼女に挨拶もしていないのに、千鶴さんがあらわれてからというものの、すっかり彼女のペースになってしまっている。千鶴さんって乾さんの彼女? 未成年の女の子と三十歳前後に見える乾さんでは、お似合いの年頃でもないけれど。
 芸能界には年の差カップルはよくある。三十歳の女性と十八歳の男性だってあるのだから、乾さんと千鶴さんもそうなのだろう。真相はあとから誰かに教えてもらうことにして、ひとまずはそう決めておいた。
 哲司くんは私の背中から離れ、瑛斗が私に言う。静かに見ててね、と言われて、三人で乾さんと千鶴さんの撮影を見学することになった。
 和服の着流しの乾さんと、地味目のアンサンブルみたいな着物の千鶴さんからはじまって、幾度か着替えて写真撮影が行われていく。和服ばかりだから千鶴さんの着替えは時間がかかり、その間には乾さんがお話してくれた。
「髪型の関係で、今日は和服のみなんだよ。洋服姿のもあるんだけど、後日だな」
「これってなんの写真?」
 尋ねたのは哲司で、乾さんはとぼけた顔になった。
「映画のなにかに使うんだろ」
「服を着てるポスターもあるの? 僕は裸の撮影が見たかったな」
「裸だったらこんなところではやらないさ。秘密裏にやるし、瑛斗や湖鈴ちゃんが見ていいものではないだろ」
「僕だったらいいでしょ」
「千鶴がいやがるよ」
 裸の撮影? 映画のポスター? 私にはなんだかわからないけど、それもあとで誰かが教えてくれるだろう。千鶴さんの着替えが終わると、乾さんが立っていく。
 母が呉服屋さんに勤めているので、私はすこしは和服についての知識を持っている。とはいってもほんのちょっとだけど、私も着物の着付けができるのだから、十八歳女子としては着物を知っているほうだろう。
 仕立ても生地もセンスもいい着物の数々は、千鶴さんによく似合っていた。彼女は女優さんなのだろうから、さすがとしか言いようがない。冴え冴えした黒い瞳、色白の肌、ここにやってきたときはワンピースの上にコートを羽織っていたから、プロポーションのよさもよくわかった。
 これで最後、と乾さんが言っていると、千鶴さんが出てきた。乾さんも撮影に臨む。江戸時代の着物ふうに作ってあるのか。御殿女中ってこんなのか。髪型はちがうのだろうけど、古代紫が千鶴さんの白い肌に映えて、見ていてため息が出そう。私もこんな美人に生まれたかった。
「あの着物って重たそうだな」
 小さい声で哲司くんが言った。
「あれを着てると、千鶴の体重は相当なもんだろ」
「千鶴さんは太ってないから、重くなんかないでしょ」
「ケツが重いんだよ、あいつは」
「ケツって……そんなことは……」
 なんだって哲司くんがそんなことを言っているのかといえば、乾さんが重たげな衣装の千鶴さんを抱き上げたからなのだった。
 両腕で千鶴さんの膝のあたりを抱えて持ち上げて、片方の肩にすわらせて支えている乾さん、千鶴さんは幸せそうに、乾さんの頭にもたれかかりそうにしている。千鶴さんの頬がぽーっと輝いて、透き通った肌に産毛までが光って見える。
 千鶴さんは乾さんに恋してるんだね。恋人同士なのかどうかは知らないけど、そうされていて嬉しくてたまらないみたい。いいなぁ、うらやましいな。私も恋がしたいな。
「いやんいやんいやん」
「脚を蹴り上げるんじゃないよ。あられもない。しとやかにしなさい」
「だって……ああん、乾さぁん」
「どうしたんだよ。仕事のときにべそをかいたらいけないだろ。泣くな」
「だってだってぇ……」
「泣くな。泣く理由なんかないだろ」
「……はい、ごめんなさい」
 叱りつけるような調子で乾さんに言われた千鶴さんは、表情を引き締めた。
 あれって感極まって泣きたくなったのかな。だけど、仕事なんだから我慢したんだよね。千鶴さんは恋する娘の表情に戻って、乾さんの肩から降りた。今度は両腕にお姫さま抱っこで抱き上げられて、嬉しくてたまらない顔をしている。そんな千鶴さんに乾さんが囁きかける。
 千鶴さんの頬がぽっ、ぽっ、ぽーっと染まっていく。なんてなんて素敵な顔……私までがたまらない。私もあんなにも、誰かに恋がしてみたかった。


2・桃恵

 オフィス・ヤマザキ事務所。いるのは社長と、露口玲奈改め人見玲奈、それからあたし、モモちゃんの三人だ。若い人妻というものは独身女性以上にフェロモンを発散しているそうだから、そんなふたりに囲まれた社長はときめきどきどきなのだろうか。
「人妻にこんなものを見せるのは……いや、人妻になってるんだからいいのかな」
 ドアに鍵をかけて、社長が大切そうに見せてくれたものは、独身女性には見せられないと社長は思っているらしいものだった。
 哲司がケータイのフォトホルダに入れていたものだったら見たけど、これは大きくて鮮明なポスター。音楽事務所の社長としてのコネをフル活用して、社長が探し出してきた、「タブーNO.3」の宣伝用写真だ。
「どれが街に出回ってるんだかは知らないんだ。私も見てないんでな。モモも玲奈も街に貼られてるのは見てないんだろ。他にも何種類もあるらしいけど、乾が口を濁すもので……」
 忙しい乾さんがそんなに何種類もの写真を撮るって、時間がかかったのだろう。玲奈ちゃんもはじめて見るというポスターを、社長がデスクに広げた。
 顔の見えない女性が着ているブラウスの、ボタンがちぎれているのだろうか。ブラウスが破れているのは、乾さんが引きちぎったの? 女性の胸元は今にもこぼれそうで、あやういところでバストは見えてはいない。
 彼女の背後に立っている男性が、顔をかたむけてキスしている。男性の頭に隠れてしまっていて、女性の顔が見えない。背中越しに彼女を抱きしめている男性の右手は、彼女のブラウスの胸元にあって、服を破った直後とも思える。
 もうひとつの手は彼女の下半身にあるみたい。どこにあるのかはっきりわからないのが、もどかしくも色っぽいのか。彼女は破れかけたブラウスを着ているだけで、下半身は裸であるらしい。下着はつけているのかもしれないけど、写真ではそう見える。
 この女性はたぶん佐田千鶴さんだ。男性は乾さん。仕事でこんな写真を撮ったから、千鶴さんは乾さんに恋したの? それがきっかけだったのだとしても、乾さんの男性としての素顔に触れたからでしょ? 乾さんってあたしがはじめて出会ったころよりも、大人になって人間に深みが出てきたように思えるものね。
 同じ事務所の後輩なのだから、あたしはフォレストシンガーズのみなさんとの接触は多いほうなのだろう。乾さんとだっていっぱいお話をして、いっぱい教えてもらったり、お説教されたり、からかわれたり褒められたりもした。
 時にはきつく叱られて、ひっぱたかれたいのか、という態度を取られたこともあるけれど、あれは脅しだったはず。乾さんは時々、モモちゃんを苛めるんだから。
 きっとモモちゃんが可愛らしすぎるからだよね。モモちゃんはいつだってクリちゃんに苦労させられて、人妻とはいえうら若き乙女の身で、雄々しくたくましく夫を守って生きてるんだから、フォレストシンガーズのみなさんにちょっと苛められたり、可愛がられたりするのも大切なのよね。
 はじめて会ったときから乾さんはかっこよかった。モモちゃんの好みからすると本橋さんのほうがいいんだけど、乾さんも合格。ま、クリちゃんと較べたら大人の男性はたいてい、凛々しくて強くてかっこいいけど。
 クリちゃんと較べたら、社長だって中身はかっこいい。クリちゃんほど弱々しい男はめったにいないはずで、そんな男を救済してあげているモモちゃんは、ほとんど聖女。
 それはいいとして、千鶴さんだ。乾さんは千鶴さんを子供扱いしているようで、そんなふうに扱われるのは嫌いではないと千鶴さんも言っていた。でも、見ていてあたしまでが切なかったのは、千鶴さんの恋心がびんびん伝わってきたから。
 あれって女同士じゃないとわからないんだろうか。乾さんは、千鶴のは芝居半分だろ、なんて言う。そう思っていたほうが気が楽なの? 乾さんはひとかけらも千鶴さんに恋はしていないの? あたしにはそこはどうしてもわからない。
 ポスターの千鶴さんは全身で乾さんに恋をしてる。どことなく妖しげでもあり、強い男に従う手弱女の図、しかも彼女は喜んでそうしてる、といった香りもして、ってことはSとかMとか? とも思うのだけど、それって下世話な発想だろうか。
 このポスターを企画したほうはどう考えているのか知らないけど、そうも見えるこのふたり。乾さんと千鶴さんの関係もこんな感じ? ちがうのかな。兄と妹というよりも、あたしには……んんん、なんだろ。なんに見えるんだろ。
「玲奈ちゃんはどう思う、これ?」
「……社長がいたら言えないわ」
「私に出ていけと言うのか」
 社長と玲奈ちゃんは父と娘に見える。このふたりには色っぽい香りはまったくなくて、なくてよかったと思う。社長が玲奈ちゃんをそんな目で見たとしたら、玲奈ちゃんはとっくに退職しているだろうから。
「出ていけなんて言ってませんよ。モモちゃんはどう思うの? ところでこの女のひと、誰なんですか。モモちゃんは知ってるの?」
 言っていいんだろうか、とためらっていると、社長が言った。
「諸説あるんだが、私はこの女性には会ったことはないはずだよ。乾の奴はどう攻めても口を割りやがらない。酔いつぶして言わせるか、いや、潰れるほどにはあいつは飲まないもんな。なにかで釣るか……なんだったら釣られると思う?」
「そんなの私は知りませんけど、モモちゃんはこの女性を知ってるの?」
「知らないよ」
 とぼけてみせると、本当? という目であたしを見てから、玲奈ちゃんは再びポスターを見つめた。
「フォレストシンガーズの他の奴らは知ってるらしいんだよ。映画が封切られたら社長にもわかるって言われてるんだけど、私だってよその人間に質問されるんだ。ポスターを街で見たって人が、あの女性は誰ですか、って訊くんだけど、私は知らないと言って嘘つき呼ばわりされるんだぞ。私が知らないってのは恥だろ」
「そうですねぇ」
 生返事をしてから、玲奈ちゃんは言った。
「うまくは言えないけど、これはこれで片想い?」
「こうやって抱き合ってるのにか?」
「だって、社長。この写真って、乾さんはただ演技してますよ。セクシーな男性を演じてるの。自然にあふれてる部分もあるけど、演技で彼女を抱いてます。彼女も演技はしてるのかもしれないけど、私にはほんとに乾さんが好きで好きで、ってふうに見えます。こうして抱かれていて幸せ。ブラウスを破られたっていいの。私にはあなたしか見えない。もっと強く抱いて。あはん……あ、失礼」
 こほっと咳をして照れ笑いする玲奈ちゃんを見て、社長はほっと息を吐いた。
「玲奈も芝居っけはあるんだよな。私にはそうは見えないけどなぁ……この女優の色気しか感じ取れないよ。中年になって感性が磨耗したのか。男だからか」
「どうなんでしょうね。社長は鈍感でもないはずですけど」
 あたしももう一度ポスターを見て考える。
 この女性が千鶴さんなのはまちがいないはずで、あたしは千鶴さんと乾さんのプライベートな姿を見ている。千鶴さんが乾さんに甘え、好き好きの態度でいるのを、乾さんは上手にあしらっている。あんなときには兄と妹にも見える。
 だけど、ポスターはちがう。玲奈ちゃんが言ったからそう思うのかもしれないけど、たしかに、乾さんの目には感情がこもっていないみたい。
 写真は正直だから、乾さんの心を映し出している? つまりは、乾さんは千鶴さんに恋していない? 妹のように可愛くて、悪いことは悪いんだと妹のように教えてあげたくて、そうして愛しているだけ? それも愛の形だよ、と乾さんは言うのだろうか。
 玲奈ちゃんもあたしも、そんなふうにだったら乾さんに愛されている。千鶴さんにはちょびっと態度がちがって、叱るときにきびしさが強いように思えるのは、そこになにかが加わるから?
 他人ごとなのに深く考えたくなってしまうのはなぜ? 千鶴さんの恋心がしみるから? 乾さんと千鶴さんが結婚したらいいと、あたしは思う? あたしに問いかけてみても返事はなくて、なのに、乾さんの本心を知りたいと思っていた。
「もうじきクリスマスだし、玲奈ちゃん、うちでパーティしようよ。来て来て。ダンナさまも一緒にぜひどうぞ」
「他には誰を招待するの?」
 クリスマスやイヴには仕事があるから、早めのパーティをしよう。ポスターがどう見えるかと、玲奈ちゃんや社長と話していても、そんなものは第三者の単なる感想。玲奈ちゃんもあたしも観察眼が鋭いわけでもないのだから、千鶴さんの実物に会いたい。
 人見さん夫妻、千鶴さん、哲司と瑛斗も呼んだら来るかな。フォレストシンガーズのみなさんも来てくれるかな。恭子さんや美江子さんも来てくれたらいいな。それからそれから、誰にしようかな、っと。招待者リストを作って、クリちゃんにパソコンで招待状を書いてもらおう。


 高校では冬休みがはじまったころに、狭いアパートにツリーを飾って、クリちゃんとふたりで作ったり買ってきたりしたごちそうを並べて、栗原家の早めのクリスマスパーティ。招待したお客さまはみんなは来られないだろうけれど、何人かは行くと返事をしてくれている。
 一番最初にやってきた瑛斗は、冬休みで故郷から遊びにきているという、十八歳の湖鈴お姉ちゃんを連れてきていた。
「仕事があるひともいるから、まだ誰も来てないんだけど、はじめようね。湖鈴ちゃんも瑛斗くんも食べて」
「これ、僕が作ったんだよ」
 ほうれん草とベーコンとチーズと卵とホワイトソースで作るのだという、クリちゃんの得意料理、ひと口食べた湖鈴ちゃんは言った。
「おいしい。お料理の上手なダンナさんって、いいですねぇ。モモちゃん、幸せだよね」
「うん、まあね」
 褒められるなんて一年に一度くらいのクリちゃんは、とっても嬉しそうな顔をしていた。
「キッシュっていうの? うん、おいしいよ。クリさんにも特技があるんだ」
「ありがとう。瑛斗くん、飲む?」
「僕は十六歳だよ。お酒は駄目に決まってるでしょ」
「……そうだったね」
 前に会ったときにも、クリちゃんは瑛斗くんにお説教されていた。今日もされている。湖鈴ちゃんは言った。
「瑛斗ってうちにいたころには子供だったし、生意気だったんだけど、しっかりしてきてますよ。マネージャーの木田さんは、少年を躾けるのが上手な方に手伝ってもらったって言ってたけど、それって乾さん?」
「そうそう。そうだろうね」
 ちぇっ、と言いたそうな顔をしていたものの、瑛斗くんも否定はしなかった。
 モモちゃんだって乾さんは嫌いじゃないけど、恋人になりたいとは思わない。クリちゃんとつきあってきて馴らされてしまったあたしは、乾さんのような男性とは合わない気がする。本橋さんのほうが子供っぽさがあっていいかなぁ、とも思う。
 あたしがどう思っていようとも、乾さんはあちこちで年の若い男の子や女の子に慕われている。瑛斗くんのマネージャーさんは乾さんを尊敬しているそうだし、うちの社長だって、乾が乾がとよく言っているのだから、大人の男性も乾さんを頼りにしている。
 フォレストシンガーズのお兄さんたちなんかは、四人そろって乾さんを頼りにしている。湖鈴ちゃんはどうなの? と尋ねたら、首をすくめ、弟が話してくれた。
「昨日は春子さんのスタジオで、乾さんと千鶴さんの撮影を見学したんだ。なんの写真なんだか僕は知らないんだけど、着物を着て撮ってたよ。湖鈴ちゃんが芸能人に会いたいって言うから連れていってあげて、乾さんとお話ししたんだよね」
「千鶴ちゃんもいたんだね」
「そうなの……なんかねぇ……うらやましくて……」
「湖鈴ちゃんも乾さんを好きになったから?」
「そうじゃなくて、私も千鶴さんが乾さんを好きなような、そんな恋がしてみたいって思ったの」
 それってつらい恋なんじゃないの? とは思うけれど、湖鈴ちゃんも千鶴ちゃんの気持ちに気づいたのだろう。クリちゃんと瑛斗くんはピンと来ていない顔をしている。それはたぶん、気が弱くても子供でも、彼らは男だから。社長と同じ心を持つ男だからだ。
「湖鈴ちゃんは哲司さんと……やめなよ、あいつだけは」
 瑛斗くんが言い、どうして? と湖鈴ちゃんが問い返す。瑛斗くんはあたしに言った。
「乾さんが哲司さんに、てめえで言えって言ったんだよ。だから僕も言ってないんだけど、哲司さんったら、湖鈴ちゃんとデートしようだとか、ベッドで遊ぼうとか言って、乾さんに叱られてもへらへらしてるんだ」
「湖鈴ちゃん、哲司とデートしたいの?」
「デートだったらいいでしょ。いけないの?」
 いけないの? と言われると非常に困る。デートだけだったらいいけれど、湖鈴ちゃんは知らないようなのだから。
「クリちゃん、言ったほうがいい?」
「僕はいやだよ。モモちゃんが言ってね」
「うーん、どうしよ」
「なんなの? どうして哲司くんとなるとみんなして……」
 普通はそんな発想はしないのか。なんと言えばいいのか。哲司が男性にしか興味のない真性ゲイだったら、むしろ湖鈴ちゃんは安全なのだろうけど、両刀遣いだとも聞く。あれほど節操のない奴はいない、とあの三沢さんが言っていたくらいなのだから、相当なタマなのだろう。
 実はあたしもよくは知らないけれど、哲司は決して安全パイではない。彼の恋人についても敬三さんとしか知らなくて、言いつけにもいけなくて、ここは乾さんに哲司をひっぱたいてでも止めてもらうしかないと決意する。乾さんが来なかったらあたしがひっぱたいてやってもいいんだけど、モモちゃんのか弱いパンチだったら効き目はなさそうだしなぁ。
「哲司はいないんだからほっといて、クリスマスソングでも歌おうか。瑛斗くんだって歌手になるんでしょ。歌おうよ」
「僕は歌は下手なんだけど……」
「クリちゃんは歌は上手なんだよ。あたしも上手なはず。歌だけはフォレストシンガーズのお兄さんたちだって、社長だって褒めてくれるの。クリちゃん、ギター弾いてよ」
「僕はギターは下手だよ」
「誰か来たよ」
 瑛斗が言って、クリちゃんが玄関に立っていく。やってきたのはギターの得意な哲司だった。哲司と湖鈴ちゃんをくっつけると危険なので引き離すためにも、あたしは言った。
「哲司、ギターを弾いて。クリちゃんは瑛斗くんに歌唱指導してあげて。湖鈴ちゃんもあたしと歌う? 楽譜を持ってくるね」
 哲司がギターを弾き、クリちゃんと瑛斗くんがテナー、湖鈴ちゃんがメゾソプラノ、あたしがソプラノのパートでクリスマスソングを歌う。哲司はバリトンでハミングしていて、彼は歌もずいぶん上手だった。
 歌ったり、フォレストシンガーズのクリスマスソングアルバムを聴いたり、食べたり喋ったり、そうしていると人見さんと玲奈ちゃんも来てくれた。美江子さんからは電話がかかってきた。
「ごめんね。今日は行けないみたい。うちのお兄さんたちも誰も行けないんじゃないかな。お詫びのしるしと言ってはなんだけど、プレゼントを届けてもらうからね」
「そんなの、いいんですよぉ」
 間もなく届いた美江子さんとフォレストシンガーズ五人からのプレゼントは、細長い箱だった。美江子さんがはじめから、ケーキは私が持っていってあげる、と言ってくれていたので、用意していなかった。きっとケーキなのだろう。
「もう誰も来ないのかな。そしたらこれ、開けようか。大きいよね。七人で食べ切れるかな。ケーキは好きですか」
 それほどでもないけど食べます、と人見さん。他の五人は好きだと言う。あたしも甘いのは大好きだから、箱を開けようとしていたら、またまた誰かが来た気配があって、クリちゃんが立っていった。
「え、えええ……え、はい、いらっしゃいませ」
 なんでびくついてるの? クリちゃんの声、完全に上ずってる。どかどかっと部屋に入ってきた人を見て、人見さんがびっくり声で言った。
「大城ジュンさん? モモクリさんは彼と?」
「あたしたちじゃないでしょ。瑛斗くんの先輩だからだよね」
「にしても……」
 人見さんの声までが上ずっていて、玲奈ちゃんと湖鈴ちゃんはぼけーっとジュンさんを見ている。この人がうちの夫と同じ音の「ジュン」だとは、あたしにはその事実が厭わしかった。あたしは大城ジュンは嫌いではない。口説かれたこともあって、キスくらいだったらしてもいいけど、天国と地獄ほどに、栗原と大城には差があるからだ。
「瑛斗の姉貴ってあんたか? よろしくな。おー、モモちゃん、会いたかったよ」
 ジュンさんはずかずかとあたしに近づいてきて、ハグする。クリちゃんはと見ると、びくつきが激しくなっている。どさくさにまぎれたみたいに、哲司が湖鈴ちゃんを抱き寄せる。瑛斗くんは哲司に向かって怒っていた。
「ダンナさま、なんとかして」
「僕が?」
 玲奈ちゃんに言われた人見さんは、ぐるっと全体を見渡してから言った。
「モモちゃんはジュンさんに抱きしめられて、いやがってはいないんでしょ」
「これだけだったらいい気持ち」
「そうですか。ならば、引き剥がしたかったらクリちゃんがやりなさい。湖鈴さんはいやなんですか」
「いやではないけど……力が強すぎる」
「哲司くんは力をゆるめなさい。玲奈、これでいい?」
「いいわよ。私もやりたくなってきたな。あなた、好きよ」
「あ、あああ……」
 うろたえている人見さんに、玲奈ちゃんが抱きつく。人見さんは玲奈ちゃんをしっかと抱きしめ、ずるずるっと部屋の隅に移動していく。あたしはジュンさんの腕の中。湖鈴ちゃんは哲司の腕の中。
「あのっ、あのっ……ジュンさん……あのっ、僕の奥さんを……あのっ……」
「哲司くんっ、湖鈴ちゃんから離れろよっ」
 とぎれがちなクリちゃんのびくつき声と、瑛斗くんの怒りの声が部屋の中に響いていた。
 
 
3・シュウ

 呼んでも誰も出てこない。鍵はかかっていない。お邪魔しまーす、入りますよ、と言いながら、僕は栗原準、桃恵夫婦の住まいへと足を踏み入れた。
「は?」
 部屋の隅ではカップルが抱き合っている。女性のほうはオフィス・ヤマザキの事務員の玲奈さんだから、男性は彼女の夫だろう。もう一組、抱き合っているのはモモちゃんと……俳優の大城ジュン? モモちゃんってすげえ大物と……すげえ。
 さらにもう一組、こっちは両方が僕の知らない人だ。若い男と若い女が抱き合っている。男と女が抱き合うのは普通なのだろうが、あぶれたらしきふたりの男は、なにをしてるんだろ?
 ひとりはクリさん。彼は奥さんが大城ジュンに抱きしめられているのだから、パニクっているらしい。もうひとりは小柄な子供で、彼を僕は知らない。彼は怒っていて、僕の知らない抱擁カップルの男のほうの背中を叩いたり蹴ったりしてやめろ、やめろと言っていた。
「なんなんですか、これは、クリさん?」
 尋ねてみてもクリさんはおろか、誰も返事してくれないので、テーブルに乗っていたグラスにウーロン茶を注いで飲んだ。
「GNMSのみんな、僕んちで早いクリスマスパーティをするから、来ない?」
 クリさんに誘われたので、僕はGNMSの仲間たちを誘った。ノリもミノルもデートがあるからと言って出てこなかったので、僕がひとりで来てみたら、パーティはパーティでも乱交パーティか? スワッピングでもやるんだろうか。
 GNMSとは、グリークラブ、ノリ、ミノル、シュウの頭文字を連ねた、僕らのユニット名だ。大学のグリークラブで知り合って親しくなった僕らは、三人でヴォーカルユニットを結成して、プロを目指すようになった。
 つてを頼って紹介してもらった栗原準さんに紹介してもらったのが、フォレストシンガーズのリーダー、本橋さん。僕は本橋さんに一目惚れしたのだが、男なんかには目もくれない本橋さんは、僕が彼に恋をしているとも知らない。
 知られなくてもいい。片想いでいい。迷惑がられたり嫌われたりしないように、僕は遠くからひそかに本橋さんを見つめていたい。僕らはまだプロにもなれず、本橋さんには近寄れなくて悲しいけど、好きなひとがいるってだけでも生きる張り合いはあるのだから。
 あれからずーっと、僕はフォレストシンガーズのファンだ。本橋さんには特別の思いを抱いているけれど、このままでいい。恋人にはなれないと承知していて、それでも想い続けるのも恋。恋人にはならないほうが、彼の私生活を知って幻滅する可能性がなくていいのかもしれない。
 三組のカップルとふたりの男を見やりつつ、僕はどうしようかなぁ、と考えていると、ドアにノックの音がした。僕が立っていくしかないので、出ていってみると、背の高い中年男性が僕にぺこっとお辞儀をした。
「哲司はお邪魔してますか」
「哲司って誰なんだか……僕も客なんですけど、あなたもお客さんですよね」
「田野倉と申します。モモクリさんとは知り合いですよ」
「お入り下さい」
 そう言うしかないので彼を部屋に通す。田野倉さんは部屋の中を見回し、僕の知らない女の子を抱きしめている、僕の知らない男に近づいた。
「哲司、なにやってんだ、おまえは」
 言いざま、哲司って奴の襟首をつかんで釣り上げる。細いのにえらい力だと思って見ていると、田野倉さんは哲司の身体を放り投げて、女の子に言った。
「哲司がご迷惑をおかけしましたか」
「いえ、あの……哲司さんのお父さん?」
「近いところもありますかね。田野倉と申します。すみません、お嬢さん」
「……田野倉さん? あのさ、湖鈴ちゃん、帰ろうよ。これってきっと、僕にも刺激が強すぎるんだ。帰ろう、帰ろうってば」
「帰るの?」
「帰るんだよっ」
 この部屋の中では最年少であろう少年は言い、湖鈴さんとやらの手を引っ張って歩き出した。
「ジュンさんは帰らないの?」
「あ、ああ? 帰ろうか」
 ジュンとは栗原ではなく、大城なのだろう。僕にも顔を見ただけで本人だとわかる人気俳優は、モモちゃんの頬にちゅっとやってから立ち上がり、少年少女とともに出ていってしまった。
「あなた、私たちも帰りましょ」
「あ、ああ、そうだね。クリちゃん、モモちゃん、失礼しますよ」
「また事務所で会おうね」
 ああ、うー、とクリさんは言っていて、モモちゃんは放心状態にも見える。玲奈さんとその夫も帰ってしまい、部屋には栗原夫婦と哲司と田野倉さん、そして僕の五人となった。
「モモちゃん、モモちゃんったらぁ……」
「ああ、クリちゃん、泣かないでね」
「泣くよっ」
 クリさんが泣き出し、モモちゃんがあやしている。一方では田野倉さんが哲司を部屋の隅に追い詰めて、のしかかっていた。
「……あのお嬢さんは瑛斗の姉だって? 堅気のまっとうな高校生なんだろ。そんなひとにまで手を出すとは……」
「あいつだって僕に口説いてほしそうだったんだもん」
 馬鹿、と鋭く言って、田野倉さんが哲司の頬に平手打ちを食らわす。僕の頭の中がスパークした。
「そういうことに慣れた遊び好きの女だったらまだいいさ。一般の高校生には手を出すな。おまえって奴はまったく節度もなんにもないんだから」
「遊び好きの女だったらいいってのが気に入らない……いていていてーっ!! 殴るなよっ!!」
「殴られないとわからないんだろうが」
 びしびしと田野倉さんの平手が哲司の全身に当たる。哲司は手と脚と歯まで使って田野倉さんに応戦しているのだが、大人と子供の喧嘩みたいだ。しまいには押さえ込まれて、そこに置いてあったプラスティックのトレイで尻をばんばん叩かれていた。
「いてえよっ!! ケツが腫れるっ!!」
「腫れたっていいだろ。まったくこのっ!!」
 ほげーっと眺めているしかない僕と、モモクリも同様だったようだ。本当に腫れ上がりそうになるほどに叩かれている哲司を見ていたモモちゃんが、ようやく言った。
「田野倉さん……田野倉さんだったんですか。哲司の彼って……そういえば田野倉さんはケイさんだよね。そうだったんだ。乾さんじゃなくて、田野倉さんだったら止められるんだね。湖鈴ちゃんの貞操の危機だったんだからいいんですけど、そんなにも叩かないであげて」
「トレイがぶっこわれますね。ま、こんなもんか」
 息を切らしている田野倉さんが手を止め、哲司が起き上がる。尻をさすって悔しさ満開の目で田野倉さんを睨んでいるものの、甘えの色も目に見え隠れしていた。
「痛いじゃないかぁ。すわれないよっ」
「当たり前だろ」
 吐き捨てた田野倉さんに突進して、哲司が声を上げて泣き出す。クリさんが言った。
「あれれ、僕を泣き虫だって侮蔑したくせに、哲司くんも泣くんだね」
「そうみたいね。みんな帰っちゃったんだ。シュウくんも来たの? いつの間に?」
 来たとも気づかれていなかった僕について、クリさんとモモちゃんが田野倉さんに説明している。田野倉さんは片手で哲司を抱き、片手はポケットを探って煙草を取り出した。
「見苦しいところを見せてしまいまして、シュウくん、失礼しました」
「あ、え……あの……」
 煙草をくわえて苦笑いの田野倉さん、かっこいいっ!! と叫びそうになる。本橋さんだって大好きだけど、彼はノーマルだ。田野倉さんはゲイなのだろうから、僕の理想にあまりにもぴったり。哲司を呪い殺してかわりになりたい。
「きみも歌をやってるの? いい声をしてるね。モモクリさんと三人で歌って下さいよ」
「はい、あとで」
「あとでもいいけどね」
 目が田野倉さんから離れない。モモちゃんもクリさんも僕のハートは知っているのだし、このタイプが僕の理想だとはクリさんには話したから、僕の目つきで悟られてしまったのだろう。モモクリさんの視線が痛かったけれど、田野倉さんを見つめるのはやめられなかった。


 ケーキ食べる? とモモちゃんが誰にともなく尋ねたとき、またまた誰かがやってきた。大城ジュンやその他の人々、帰ってしまった人々の中には知らないひともいたが、もはや雑事なんてどうでもいい。僕はただ、意識も視線も田野倉さんに奪い取られてしまっていた。
「遅くなったけど、これ、土産」
 入ってきたのはフォレストシンガーズの乾さんだった。彼には知らない女の子がくっついている。可愛い子だったけど、僕は女の子には興味はない。乾さんもこの場をぐるっと見回して、モモちゃんにもの問いたげなまなざしを向けた。
「湖鈴ちゃんと瑛斗くんと、それになぜだか大城ジュンさんと、玲奈ちゃんと人見さんも来てたんですけど、田野倉さんが来たら帰っちゃったの。瑛斗くんがジュンさんと湖鈴ちゃんを連れていった気持ちはわからなくもないけど、玲奈ちゃんはどうしてかな。田野倉さんって怖そうだったのかな」
「哲司、湖鈴ちゃんになにかしたのか。すわりにくそうにしてるな。泣いたあとの顔もしてる。田野倉さんにこっぴどく叱られたか」
 乾さんが言い、モモちゃんが答えた。
「田野倉さんってほんと、きびしいんですよね。哲司くんは顔やら頭やらもびしばし叩かれてたけど、そっちはそう強くでもなかったの。でもね、そのあとが……あれは痛かったでしょ?」
「見せてやろうか」
 言った哲司は、またもや田野倉さんの平手に尻をばしっとやられて飛び上がった。
「さっき死にそうになるほど叩かれたんだから、やめろーっ!! いてえだろっ!!」
「ケツを? そのトレイで? そりゃいいな。田野倉さんと哲司の関係だからこそやれるんだろ。今後ともみっちりそうやって、体罰で躾けてもらえ。おまえはどこかは歪みすぎてるんだから、田野倉さんほど躾のきびしい人がついててくれるのは幸せだよ」
「躾にしてはきびしすぎません? あれって虐待じゃ……」
 言いかけたクリさんに、乾さんは笑顔で否定の言葉を口にした。
「そうされる相手にもよるからさ。哲司にはちょうどいいんだよ。千鶴、怯えなくてもいいよ」
「怯えてはいないけど……あ、田野倉さん、はじめまして。佐田千鶴です」
「田野倉さんは女性には紳士的ですよね」
 乾さんが言い、田野倉さんは優雅に千鶴に挨拶した。
「それから、きみはGNMSのシュウだろ。クリとは友達だったよな。久しぶり」
「はい。僕は葉山秀一っていいます。よろしくお願いします」
「シュウくんの本名なんてはじめて聞いたね」
 哲司はぶすぶすのぶすって顔をしているが、そんな顔をしていても美少年だ。僕よりは年下か。全員の名前やら何者なのかやらも知れて、モモちゃんがフォレストシンガーズのクリスマスアルバムをかける。モモクリが歌に合わせて小声で口ずさみ、千鶴は乾さんに寄り添っていた。
「これ、キッシュっていうのよね。クリちゃんが作ったんだって。冷めててもおいしい。乾さんも食べる? あーんして」
「やめろって。恥ずかしいだろ」
「恥ずかしくないもん。千鶴だったら食べさせてもらいたいな」
「そうか。じゃあ、ここにおいで」
 乾さんが千鶴を膝に抱き上げて、フライドチキンを食べさせてやっている。千鶴はきゃっきゃっしている。そうか、千鶴は乾さんが好きなんだ。恋人同士なのかな、このふたり。乾さんの態度はそうでもなさそうにも思えるけど?
 こっちのふたりは僕にはうらやましくもない。モモクリだってうらやましくない。もう一組のカップルを見たくなくて、乾さんと千鶴を見ていた。
「俺の土産はシャンパンだから、抜こうか。酒はあまり飲んでないんだろ。千鶴、持ってきて」
「千鶴がやってもいい?」
「やってみろよ」
 千鶴がシャンパンの栓を抜こうとして必死で力を込めているのだが、びくともしない。クリさんはやだやだと言って逃げ、モモちゃんがやっても抜けない。横から田野倉さんが手を伸ばして、いともたやすく栓を抜く。
 できるよね、乾さんにだって、と千鶴が言う。田野倉さんは薄く笑っている。彼の横でぶすくれている哲司を突き飛ばして、僕があそこにすわりたい。
「では、乾杯」
 一応はホストだからか、クリさんが言ってみんなでグラスを合わせる。千鶴だけは未成年なのだそうで、ちびちびっとシャンパンを飲みながら、乾さんにしなだれかかっていた。
「これって産地はどこ?」
「フランスだよ」
「フランスのシャンパンだって知ってて買ったの?」
「あのな、千鶴。覚えておけよ。シャンパンってのはフランスのシャンパーニュ地方で採れたものしかそう称してはいけないんだ。シャンパーニュ以外だとスパークリングワインだとか、スプマンテとか言うんだよ」
「乾さんってなんでも知ってるね」
 そこに哲司の声で、薀蓄ひけらかし、と聞こえたのだが、田野倉さんに口を押さえられて哲司は黙った。
「おいしいけど……千鶴、眠くなってきた」
「眠ってもいいよ。タクシーで送り届けてやるから」
「うん。抱っこしていってくれる?」
「もちろんだ。おやすみ」
「乾さん……好き」
 好き、スキ、と呟いていた千鶴の声が途切れていって、ことっと眠ってしまう。乾さんは僕に向かって言った。
「きみの趣味ってのは……」
「乾さんも気づいてました? 僕は哲司なんて奴は……」
「やめろよ。血の雨は見たくないぞ」
「やりませんけどね」
 むこうではぶちぶちと哲司が田野倉さんに向かってくだを巻いている。ケツがいてぇ、とかも言っていて、田野倉さんはまともに相手をしてやらずに酒を飲んだり、煙草を吸ったりしている。モモクリは夫婦仲良く話している。
 千鶴は乾さんの膝にもたれて、子猫みたいに眠っている。僕だけがひとりぼっち。本橋さんが来たらいいのに……来たとしてもひとりぼっちか。
 ノーマルな男に恋したり、決まった相手のいる男に恋したり。ゲイなんてただでさえ希少価値なのに、理想のタイプに出会ったと思ったらこれなのだから、僕はまったく恋に関しては不幸だ。マイノリティの宿命だとはいえ、泣きたくなってきた。
「シャンパンで忘れてましたよ。ケーキ、食べましょ。乾さんも食べて下さいね」
「ミエちゃんが手配してくれたケーキだね。すこしだったらいただきますよ」
「駄目、たくさん食べて」
 モモちゃんが言って、細長い箱を開ける。金色の包み紙に銀のリボンの中身は、横長のチョコレートいろのケーキだ。クリさんが包丁を持ってきて、モモちゃんは言った。
「これはなんて名前だか、クリちゃんは知ってる?」
「クリスマスケーキでしょ」
「特別な名前があるんだよ。乾さんは知ってて当たり前だろうけど、哲司は?」
「ブッシュ・ド・ノエル」
「はーい、正解。正解者にはいちばん大きいのをあげようね」
「そんなでかいの、食えねえよっ」
 抵抗する哲司の前に、モモちゃんが大きくカットしたケーキを置く。僕にも切ってくれたケーキには、おどけたポーズのトナカイがいた。真っ赤なお鼻のトナカイさん。彼もマイノリティだったのか。だから笑いものだったんだ。
 砂糖細工の赤鼻のトナカイは、僕と似た世間のはぐれ者。だけどいいんだ。好きなひとがもうひとり増えたのだから、僕は幸せだと思っておこう。哲司は浮気者みたいだから、田野倉さんに嫌われて捨てられたら、僕がその後釜に?
 そうなる可能性だってゼロではないんだから、田野倉さんに唾をつけておこうっと。その意味で田野倉さんのケーキに、舐めたフォークでそーっと触れる。なのに、田野倉さんは別の箇所をひとくち食べただけで、ケーキを押しやった。
「ごめん。俺は甘いのは駄目だよ」
「俺もですよ。気が合いますね」
 乾さんも言って、田野倉さんとふたりして万歳している。ケーキが嫌いで酒が好きで、煙草も好きで男が好きか。乾さんはそのうちのひとつの重大なポイントがあてはまらないし、僕のタイプでもないのだからどうでもいいけど、田野倉さんにはすべてあてはまる。
 その上になんたって、ワイルドで荒々しくてかっこいい男。僕の理想そのまんまだ。こんなにも好きなタイプの男がいたなんて、僕は幸せだ。たとえ彼が別の奴のものだって、僕が取って代われる可能性に賭けて、田野倉さんが食べかけたケーキを僕の前に引き寄せて、そっちを食べることにした。

END


 


 
 
 
 
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~ Comment ~

感情移入

乃梨香ちゃん

今回もありがとう。
今回に限っては私は、シュウに感情移入しています。
乃梨香ちゃんは千鶴ですね。

隆也くんと千鶴の恋(?)には、このあと一応の結論を出します。
また読んでやって下さいね。
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