novel

小説226(明日は明日の風が吹く)

 ←番外編69(てのひらいっぱい) →小説227(あなたに胸きゅん)
imagesCAC2NJCX.jpg

フォレストシンガーズストーリィ226

「明日は明日の風が吹く」


1・蜜魅

 小さな出来事が積み重なって、フォレストシンガーズが私の知り合いになった。そのきっかけがグラブダブドリブとは、面白い積み重ねだ。私はグラブダブドリブ漫画でメジャーデビューしたようなものなのだが、グラブダブドリブのメンバーたちとは会ったこともない。だが、彼らとものすごく関わりの深い知り合いはいる。
 グラブダブドリブの、特にギタリストの中根悠介の狂信的ファンであり、服装や口調までもを悠介さんの模倣をしている桜庭しおん。プロのボーイズラヴ小説家である彼女とは、同人誌仲間だったのが縁で親しくなった。
 親しくなったというと語弊があって、漫画家と小説家の違いがなかったとしたらライバルだったかもしれない。私は彼女が好きではないけれど、嫌いでもない。
 その桜庭しおんの彼氏は、沢崎要という。名前を聞くと知っているひとならばははーんとなるであろう。彼の顔を見たらいっそう納得するであろう。グラブダブドリブの中根悠介の狂信的ファンの桜庭しおんは、グラブダブドリブの沢崎司の弟とつきあっている。
「警察官と小説家がつきあうって、どういう発端だったの?」
「ゴキブリがさ……」
「ゴキブリ?」
「ネネがさ……」
「ネネちゃん?」
「どうでもいいだろ、そんなことは」
 照れ屋で怒りっぽい桜庭さんは言葉を濁し、要さんとつきあうことになったことの起こりを話してはくれなかった。
 プロの小説家となってからも、桜庭さんは同人誌にも小説を載せている。私も一時はお世話になっていた、閨呪杏主催の同人誌「闇桜」に桜庭さんはいまだに参加している。閨さんという女性は同人誌の名前を変えるのが趣味だから、「闇桜」だって何度変わったか。
 閨さんは桜庭さんに心酔しているのか、あんたは私のものよ、一生離さないわ、なのか、桜庭さんがプロ作家となってからは、彼女の作品タイトルを同人誌名にするのが原則になった。「闇桜」も夜桜の精と美少年の幻想的ボーイズラヴ小説のタイトルだ。

「永遠に花びらがつきぬかのごとく、花吹雪が舞う。
 激しすぎる花吹雪に、零夜は眩暈を感じる。
 ごおーっと音を立てて舞う花びらに巻き込まれて、零夜は夜空へと昇っていく。
 昇っていった零夜はなにものかの腕の中で、意識を取り戻した。
「あ……あ、ん、あなたは……」
 言葉が途切れ、零夜はめくるめく官能に翻弄されていく。あの夜の桜が、零夜の一生を狂わせてしまったのだろうか」

 このあとは官能的というよりもえぐい性描写が繰り広げられるので、過激は苦手な私には描写できません、悪しからず。
 と言いたくなるようなえげつない性描写が得意な桜庭さんは、そのたぐいが大好きな腐女子に凄まじいほどの人気を誇っている。彼女は男言葉や男性的なファッションがぴたっとはまる中性的長身美女なので、ルックスに惹かれるファンもいるらしい。
「零夜だなんて名前を親がつけるから、生まれた時点で一生が狂うって運命だったんじゃないの?」
 親しいのかどうかわからないなりに、私は桜庭さんとは仲良くしている。ジャンルこそちがえ、同人誌出身作家だから、互いに親近感を持っているのもあって、今日も私は桜庭さんのマンションに遊びにきていた。
 押しかけアシスタントだという、本業は短大生のネネちゃんが紅茶を運んできてくれて、おしとやかに私に供してくれる。薔薇の花びらの浮かんだローズティだった。
「ありがとうございます。ネネちゃんも一緒にお話ししましょ」
「いいんですか、しおんさま?」
 四国出身……ああ、ネネちゃんはヒデさんと同郷だ。ヒデさんは神戸に住んでいるから神戸弁やら土佐弁やらもまじっているのだが、ネネちゃんは今どきめったと聞かないような女言葉で喋る。これは標準語に不自由だからもあるのだろう。
 ちなみに、私は栃木出身、桜庭さんは山梨出身だそうだが、関東なのだから標準語が身につくのは早くて、女っぽすぎる口のききようはしない。
「蜜魅がいいんだったらいいぜ」
「では、お邪魔します」
 ネネちゃんが同席し、私は言った。
「しおんさまって、様付けは不自然じゃない?」
「蜜魅先生は……」
「先生だの様だのって呼ばれると、おばさんになったみたいだからいやだな」
「しおんさまもおいやなんですか」
「桜庭さんだったらおばさんじゃなくて、おじさんだよね」
 煙草に火をつけた桜庭さんは、ネネちゃんをぎろりっと見た。
「ネネ、紅茶に砂糖を入れただろ」
「あ、はい。ローズティはほのかに甘いほうがおいしいでしょう? お気に召しませんでした?」
「俺はダイエットするって言っただろ」
「ほんのぽっちりのお砂糖でもいけません?」
「砂糖は厳禁なんだよ。淹れ直してこい」
 よくもまあこんな暴君に仕えているものだ。ネネはマゾだと桜庭さんが断言するのもあながちまちがっていないように思えるのだが、べそをかいているネネちゃんが気の毒になって、私は言った。
「桜庭さんがダイエットって、なんのため? それ以上痩せなくてもいいでしょ?」
「マイクロSのスキニージーンズのウェストがきつくなってきたんだよ」
「マイクロSなんて、普通の女のサイズじゃないでしょ。桜庭さんって身長は百七十はあるよね」
「おまえは百四十くらいか」
「私だって百五十はあるのよ。ネネちゃんと背丈は同じくらいだよね」
「体型はえらいちがいだよな。デブネネとちっこい蜜魅。ちびでも蜜魅のほうがちっとは見やすいけど、ネネは俺よりも体重が多いだろ。おまえも砂糖は厳禁にしてダイエットしろよ」
「ネネちゃんはぽっちゃりしてて可愛いじゃないの」
「てめえ、蜜魅、なんでそう俺にさからうんだよっ」
 ローズティが残ったままの紅茶のカップが私に飛んできて、頬をかすめて私のうしろの壁に当たった。カップが割れる音とネネちゃんの悲鳴が交錯し、私はネネちゃんに言った。
「ネネちゃんはどこかに隠れてなさいね。桜庭さん、落ち着きなさい」
「てめえに命令されるいわれはねえんだよ。出ていけ」
「私が出ていったら、ネネさんに当たるんでしょうが。落ち着くまで出ていかないからね」
「不法侵入で訴えるぞ」
「桜庭さんが招いてくれたんでしょ」
「ここは俺の家だ。出ていけと言ったら出ていけ」
 他にもボーイズラヴ系の作家の知り合いはいるが、ここまで感情過多でエキセントリックで自分勝手な女は見たことがない。ネネちゃんは逃げていき、私は桜庭さんを睨み返す。桜庭さんはスプーンで乱暴にカップを叩き、私は言った。
「ダイエットなんかしなくてもいいのにするから、空腹で苛々してるんじゃないの? なにか食べる? ネネちゃんは料理が上手なんでしょ? 食べたら気持ちがおさまるかもよ」
「いらねえよ。体重が戻るまで、ウェストが戻るまでは食わねえんだ」
「食わねえなんて言ってても、女なんだよね」
「おまえも女だろ」
「女だよ。私だって女らしくはないかもしれないけど、あなたみたいに故意に性別を偽るような生き方はしてない」
「自然体か? 笑わせんなよな」
「笑ったらいいじゃないの」
 けへへっ、と妙な笑い方をする桜庭さんに舌を出し、睨み合ったり口論したりしていると、ネネちゃんが玄関に走っていった。
「ネネ、こらっ、開けるなっ!!」
 止める桜庭さんにはかまわず、ネネちゃんが玄関のドアを開けて、背の高い男性の背中にくっついて部屋に戻ってきた。
「要さん、お邪魔してます」
「いや、俺んちではないんで……蜜魅さん、こんにちは」
 入ってきたのは沢崎要。警官の制服は着ていないから非番なのか。ネネちゃんが呼び出したから来てくれたのだろう。桜庭さんは声も出さず、要さんは私に言った。
「こんな奴と友達って、蜜魅さんも大変ですよね」
「恋人ほどじゃないんじゃありません? 桜庭さんには同人誌の仲間たちも気を使って、もてはやして持ち上げてるから図に乗ってるけど、私は彼女にお世話になってるわけでもないから、言いたいことは言いますからね」
「うん、しおんもそう言ってましたよ」
「だから嫌いって?」
「いや……」
 言いにくそうに言葉を途切れさせて、要さんは私のむこうの壁に視線をやった。
「あのシミは……ああ、あれはカップのかけらですね。しおんがやったんでしょ?」
「他の誰がやるんですか。あんな悪さをする彼女をどうするの?」
「縛り上げて寝室にでも放り込むのが一番なんですけどね」
「縛り上げるの? 要さんってそんな趣味?」
「趣味ではありませんよ。しおんは身体がでかくて力も強いでしょ。荒れてるときには縛りつけるとか、布団で巻くとかしないと手がつけられないんだから」
「毛布でぐるぐる巻きにして、私がくすぐってあげましょうか」
「それもいいかもしれませんね」
 がたんっ!! と音を立てて、桜庭さんは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。そのまま口はきかずに、荒々しい足音を立てて歩いていく。私も知らん顔をしていたら、殺気を感じた。殺気は桜庭さんのところからで、彼女がなにかを投げたらしく、要さんが手を伸ばしてそれを受け止めた。
 テーブルに要さんが乗せたものは、紅茶カップのソーサー。私のどこかに当たっていたら痛手だっただろう。要さんも立ち上がり、二、三歩で桜庭さんに追いついた。
 そこからは無言劇。殺人光線でも噴出しそうな桜庭さんの目線と、穏やかでいながら迫力もある要さんの目線が空中でからみ合う。恋人同士がこんな目で見つめ合うなんて、このひとたちの日々は真剣勝負なのだろうか。
 要さんが腕を伸ばして桜庭さんを抱きしめる。桜庭さんは足踏みをしている。その脚が要さんを蹴ろうとする。無茶苦茶に暴れようとする彼女を腕ずくで封じ込め、背は高くてもダイエットの必要なんかない細い身体を、彼が肩にかついでしまった。
 のしのしと歩いていった要さんが、桜庭さんをかついで寝室に入っていく。ドアが音高く閉じられ、ネネちゃんが別室から出てきた。
「ああいうの、蜜魅先生ははじめてごらんになりました?」
「はじめてだけど、よくあるの?」
「よくあります」
「ネネちゃんが一番大変そう。当たられてるんでしょ。叩かれたり蹴られたりってあるの? あ、蜜魅先生なんて言わないでね」
「そうですか。じゃあ、蜜魅さん」 
 フェミニンなフリルのブラウスの袖をまくって、ネネちゃんが腕を見せてくれた。両方の腕に痣があった。
「ひっどーい。これって桜庭さんがやったの? DV夫みたいな女だね」
「ネネが鈍だからです」
「その言い方もDVの被害者妻みたいよ。桜庭さんって下手に出るとつけあがる女なんだから、あなたもいじけてないで強く対処しなさいよ」
「できません。ネネはアシスタントですし、しおんさまのおそばに置いていただけるだけで幸せなんですもの」
「……はぁ」
 これが夫婦なのならば、私はもっと強くネネちゃんに言う。が、女同士、主従関係なのか? ネネちゃんがいいのならばいい、そんな問題なのだろうか。
「うーん……いっぺん、要さんにうんと叱られて、叩かれるってのは……」
「しおんさまがですか。そんなのいやですっ!!」
「私もいやなんだけど、桜庭しおんって女は、そう言いたくなってしまう女なのよ」
「あのぉ、聞いてもいいですか」
 聞かれるだろうと予測していた質問だった。
「蜜魅さんはどうしてしおんさまと?」
「興味はあるからかな。ね、ネネちゃんも本名じゃないんでしょ?」
「本名ではありません。蜜魅さんは?」
「桜庭さんは?」
「蜜魅さんは?」
 こっちが言いたくないのだから、一方的に聞きだすのは卑怯だろう。諦めていると、ネネちゃんが言った。
「蜜魅さんにはカレシはいるんですか」
「カレシってほどじゃないけど……」
「好きな方が?」
「そうなのかなぁ」
「どんな方ですか、有名人?」
「一部では有名ってか……」
 世の中には大勢いる有名ブロガーのひとりかもしれない。私も彼のブログに興味を持ったから、現実でも知り合えた。
「桜庭さんってブログはやらないみたいね」
「しおんさまは同人誌のほうがお好きなんですよ。蜜魅さんはブログをやっておられるんですか」
「アニメの「美貌のしらべ」だとか、出版社の公式サイトだとかに寄稿する程度ね」
「それで、カレシは?」
「カレシってほどじゃないもの」
 つきあってくれとも言われていない、私も言っていない。
 メールのやりとりをしたり、一緒にライヴに行ったり、ふたりで歩いたり、あれはデートだったのか。彼と私が恋人同士になったら、桜庭さんと要さんに似たきっかけで知り合ったといえばいえる。私の好きなひとは、フォレストシンガーズの前メンバーだから、要さんとグラブダブドリブの関係とはちがうけれど。
「ネネちゃんはフォレストシンガーズはどう?」
 寝室はしんとしていて、桜庭さんと要さんがなにをしているのかは不明だ。気にすると気になるので無視するためにも、ネネちゃんに話しかけた。
「フォレストシンガーズの乾さんが、映画に出るって情報は聞いてる?」
「ボーイズラヴの?」
「ちがうと思うよ」
 「タブーNO.3」という映画だとだけ、私は聞いている。神戸でヒデさんと見たポスターで、乾さんが抱いていたのは若い女性だった。
 ごく普通の男性はボーイズラヴは嫌いなもので、硬派のほうであるヒデさんもそういうのは嫌いであるらしい。私がボーイズラヴ漫画も描くので、嫌いだとは言いにくいらしいのだが、webサイトででも見たくない態度ありありだった。
「ボーイズラヴのアニメ映画だったら……しおんさま原作のそういうのだったら、ネネは見たいですぅ。素敵でしょうね」
「ネネちゃんはアニメが好きなのね」
「実写でも、素敵な恋愛映画は好きですよ」
「男女の?」
「ネネはレズビアンではなくて、しおんさまが大好きなだけです」
「ああ、そうなのね」
 押しかけアシスタントであるネネちゃんは、桜庭さんにひと目惚れしたのだと聞いている。彼女はまだ短大生なのだから、美人で男っぽい桜庭さんに擬似恋愛のような感情を抱くのもありがちなのだろう。桜庭さんがもうすこし、ネネちゃんに思いやりを持ってあげてくれたら、とは、私のお節介なのだろうか。
「だってね、ネネは小さくてころころで、トレンドの体型はしてませんものね」
「体型にトレンドって……あるのかな。私も小さいからさ」
「蜜魅さんは美人ですし、小さくてもほっそりしてらっしゃるでしょう。トレンドの体型はしおんさまのほうでしょうけど、男性はほっそりからぽっちゃりまでがお好きなんですよね」
「あなたもぽっちゃりしてて可愛いよ」
「いいんです。私は知ってますから」
 かたくなな表情になった。
「私はぽっちゃりなんかじゃないの。でぶでぶのブスです。デブスって私みたいなのでしょ?」
「そんなことないって」
「喪女ってのも私のことなんです。腐女子ってのも私です。いいんです。もてなくってもデブスでもいいんです。私の心にはしおんさまがいるんですもの」
「あ、あのね、ネネちゃん」
 何度か会ってはいるが、ふたりきりで深い話をするのははじめてだ。ネネちゃんってこういう性格だったのか。これではあの短気で怒りっぽい桜庭さんが、怒りたくなるのもわかるような気もする。どう繕うべきかと考えていると、要さんが寝室から出てきた。
「しおんさまは?」
「布団に閉じ込めてきたよ」
「ご機嫌は直らないんですか?」
「まだみたいだな。ネネちゃんは泣いてるのか? 蜜魅さんに泣かされたのか」
「そう……です。要さま、えっとね……」
「ああ、おいで」
 あらら、要さんったら、こういうことをするひと? 驚いたことに、要さんがネネちゃんを抱き寄せた。ネネちゃんは頬をぽっと染めて、彼の広い胸にくっついている。桜庭さんが寝室から覗き見していたら、修羅場になるのではないかと思うのだが、脱出不可能なほどに布団に閉じ込められているのだろうか。
 それを虐待とは呼ばないのか? 要さんったら、桜庭さんに妬かせようとしてネネちゃんを抱きしめてる? 道具に使われてるんだったらネネちゃんがかわいそうすぎる。
「足して二で割ったら……」
 要さんの呟きはネネちゃんには聞こえなかったのかもしれないが、残酷な台詞なのではないだろうか。しおんとネネを足して二で割るとちょうどいいと言いたいのか。
「要さんがいれば、桜庭さんが暴れても大丈夫ですね。私はお暇しますから」
「ああ、すみませんでした。ネネちゃん、蜜魅さんはお帰りだそうだよ」
「はい。私も一緒に出ます」
 どうしてなのかを、連れ立って外に出てからネネちゃんが話してくれた。
「だって、要さまとしおんさまは恋人同士ですよ。ふたりっきりになると素敵な仲直りができるんです。ネネは邪魔なんですもの。お買いものをして帰ります」
「そしたら、一緒に電車に乗ろう」
 電車に乗って、私もネネちゃんと同じ駅で降りる。ショッピングでもしたらネネちゃんの気が晴れるのだろうか。ネネはしおんさまも要さまも大好き、と痛々しくも見える表情で話す彼女の言葉を聞きながら、街を歩いていた。
「東京でも見っけた。ほら、あれよ」
「タブーNO.3。この方が乾さんですか」
「そう」
 神戸でヒデさんと見たポスターは、「タブーNO.3」のレアバージョンだったのだそうだ。乾さんは知っているのだろうが、私は相手役の女性を知らない。彼女の顔は見えないし、東京ではレアポスターは見てもいなかった。
 小柄で肉感的な若い女性が乾さんに抱きしめられていて、乾さんは片手で彼女の腰を抱き、片手は彼女のヒップを包んでいる。脚と脚とがからみ合う、エロティックさの漂う写真が神戸で見たポスターだった。
 ここにあるのはさらにエロっぽい。乾さんの両手が彼女のドレスの中に入っていて、素肌を抱きしめている。崩れ落ちそうになっている彼女を、乾さんはクールな表情で抱きとめて支えていた。
「女優根性っていうのかなぁ。カレシでもないんだろうに、女優さんってこんなふうにされても仕事なんだからって耐えるんだね」
「こんなに素敵な男性だったら……きゃ、いえ、そうですね」
 思わずこぼれた本音? 見つめると、ネネちゃんが両手で自分の頬を押さえる。外灯の中で、彼女の顔は憧れに染まっているようにも見えた。


2・美江子

 「もてるとかもてないとかの話」ではなくて、「もてるとかもてるとかもてるとかの話」。それがあてはまるのは金子さんと乾くんだ。乾くんは現在でも、若い女優さんにもてているらしい。
 口では「俺は最強にもてる」と言う幸生くんは誇張しているのだろうし、章くんは三十路の坂を越えるころからめっきりもてなくなったそうだし、うちの夫はもとよりもてないはずだし……ほんとか? 疑ってはいるが、彼には既婚者の分別はあるはずだ。
 もうひとりの既婚者は若いころからあれだしね、ささやかなもて期はあったみたいだけど、それもすぎちゃった、シゲくん?
 フォレストシンガーズの残り四名はそのような現状なのだが、昔の仲間、現在では別の意味での仲間となったヒデくんも、これがけっこうもてるのである。彼は若いころにはやんちゃ坊やのイメージが強かったので、私はあまり彼の「もてもて」について意識はしていなかった。
「ヒデは俺よりはもてるでしょうけど、較べる対象が俺ですからね」
 そう言ったシゲくんの言葉を信じて、ヒデくんももてないほうなのかと思っていた。
 もてない男ほど早く結婚するとの俗説もあって、ヒデくんは大学を卒業してからほどなく結婚した。シゲくんも二十七歳で、フォレストシンガーズではトップに結婚したのだから、まあ、その俗説もあてはまるのかもしれない。
 二十二歳の年から十年近くも、私たちには姿を見せなかったヒデくんと再会したころ、彼はむくんだような太り方をしていた。健康に問題があるのかと思ったほどだった。
 再会してからはヒデくんとは会う機会も増えた。彼は神戸に住んでいるので、私たちが仕事で関西に行くと会うこともある。彼が東京に来て会うこともある。我が家にも遊びにきてくれた。そのたびに彼は引き締まっていき、かっこよくなっていった。
 脱退、結婚、離婚、放浪、その間には世の中の辛酸もなめたのか。ヒデくんは詳しくは語らないけれど、それゆえに陰影をまとうようになって、深みのある三十代になったのかもしれない。加えて容貌も体格もいいのだから、もてるわけだわ、になってきた。
「蜜魅さんって栃木なのね。私もよ」
 漫画家の蜜魅さん、本名不明、年齢も不明、私よりもいくつ年下かな? である彼女はどうやら……確信が持てないので、そろそろと探りを入れた。
「ヒデくんとふたりきりで会ったりするんでしょ」
「ライヴに行ったりはありましたよ。徳永さんのライヴに行きました」
「徳永渉のライヴ? そうなんだ」
 マニアックなものではあるが、フォレストシンガーズにはアニメも小説もある。アニメは大学の後輩の香川くんが働くプロダクション製作で、ほぼ実名だが、ストーリィはまったくのフィクションだ。マネージャーの名前が田山ルイだなんて、山田を連想させる名前はやめてほしいのに。
 小説はみずき霧笛さん著の、同名異人オンパレード。山田美江子もちらほらと出てきては、気が強いの口がよく回るの、怖いお姉さんだのと描写されている。
 そういったフィクション作品は、フォレストシンガーズのファンのみなさまと、著者のファンの方が読んで下さるのだろう。とりたてて話題になることもないけれど、ファンの方からは評判を聞く。私たちの友人、知人も面白いと言ってくれた。
 蜜魅さんはグラブダブドリブ漫画を描いていて、アニメにもなっている。そのアニメ「美貌のしらべ」とみずきさんの小説がクロスオーバーして、その関係もあって私とも知り合った。仲良くなるには食事が最適ってわけで、今夜はふたりで夕食を食べていた。
「ヒデさんって離婚なさってるんですよね」
「そうみたいね。私は彼とは大学時代には友達のつもりだったけど、プライベートな話はあまりしてくれなかったの。結婚式にも出ていないし、長く会わなかったし……蜜魅さんはヒデくんの離婚問題が気になるの?」
「いえ」
 瞳が気がかりそうに見えた。
「そんなのよくあることだし、過去のことだと割り切ってるんだったら、問題ありませんよね」
「そうよね」
 気になるってことは……やはりそうなのだろうか。私はヒデくんの過去はよくは知らないが、現在は多少は知っている。未来だって、きっと明るい。
 こうなってくるとお節介を焼きたくなる性癖が出てきそうだけど、一本木で頑固で変に男性的なヒデくんに口出しすると、おへそをまげられてしまいそうだ。本橋くんも悪い意味でも「男」だし、シゲくんも頑固だし、章くんは変なところばっかりが「男」だし。
 男女差別的発言をされるとむっとする私に、乾くんは賛成してくれる。しかし、彼も根本的には「男なんだから」思想を持っている。幸生くんはさほどでもないけれど、「男だもんな」発言は出てくる。男ってのは根本的に、「俺は男」だと思っている。
 当然なのか。そんな思想がゼロの男はつまらないのか。声を大にして「私はフェミニストだ」と言うには、フェミニズムを理解していない。フェミニズムにも弊害や欠点もありそうで、と思っている私はいつまでたっても半端フェミニストだ。
 フェミニストはともかくとしても、「俺は男」である男の仲間が、ヒデくんが戻ってきてさらに増えた。嬉しいようでいて、頭痛のタネが増えたようでもある。
 実の弟たちは結婚して、遠く離れて暮らしているのもあって私生活では姉としての役割はなんにも果たしていないけれど、私には血のつながっていない弟が大勢いる。同い年の本橋くんや乾くんだって、本橋くんは夫だが、どこかは弟。
「おまえはそんな目で俺を見るから、そういう態度になるんだろ」
「そういう態度ってどんな態度?」
「おまえのその態度だよ」
 というような夫婦喧嘩をしたのも思い出しつつ、私は蜜魅さんに言った。
「過去は見ないで、現在と未来だけを見ましょうね」
「そうですよね」
 ものを書く人間は多かれ少なかれ、屈折しているものだ。蜜魅さんも例に漏れないだろうから、ヒデくんとは衝突もするだろう。それだって人間関係の味わいのひとつなのだから、負けずにヒデくんに向かって突き進んで。
 ヒデくんをよろしくね。ヒデくんと幸せになってね。そう言うにはまだ早すぎるけれど、いつかは口に出して言いたかった。


「ヒデはさ……」
 ライヴの控え室での五人の内緒話。ヒデくんの名前が出たのもあって、私は窓の下に身をひそめた。この声は本橋くんだ。
「女の胸が好きだって言うよな。あいつ、俺にも訊くんだぜ。本橋さんは女の胸と尻のどっちが……ってさ。そういうのってどっちが好きとか言うもんか?」
「リーダーは両方好き?」
 質問は幸生くんの声で、本橋くんは、ああ、まあな、と応じ、乾くんも言った。
「俺だって両方好きだよ。女性の身体って全部が好きさ。幸生もだろ」
「おまえは猫耳で猫しっぽの女が好きなんだろ」
 章くんも言い、幸生くんは言った。
「それ、いいね。おっぱいやお尻がむーちむちで、綺麗な脚や可愛い細い肩をしてて、可愛いかーいい顔の人間美人のしっぽと耳は猫。最高じゃん」
「コスプレじゃなくてもか」
「コスプレでもいいかな。現実にそれだったら宇宙人かもしれなくて、キスしようとしたら口が裂けて食われちゃうかもしれないもんな」
「美女にだったら食われたいんじゃないのかよ」
「章、幸生、話をそらすな」
 こんなときにはシゲくんが無口なのは毎度だ。いまだこんな話には照れるのか、覗き見はできないのでシゲくんの表情を想像していると、本橋くんが言った。
「そんな話じゃねえだろ」
「女の子のバストとヒップの話? リーダーも好きね」
「好きなのが当然だけど、この場でだったらともかく、ステージでは婉曲に言えよ、幸生。シゲはこんな話題は嫌いか」
 乾くんが問いかけ、シゲくんは言った。
「いえ、嫌いではないってか……」
 わはははっ、がはははっ、と笑い声。シゲくんも正直でよろしい。
「そうすると、胸がいいってのはヒデだけで、おまえたちは女の胸もケツも好きだってわけだよな」
「本橋、女性は胸と尻だけじゃないよ」
「わかってるよ。今はその話をしてるだけだ」
 らしいたしなめ方をした乾くんと、反論した本橋くんの声に続いて、幸生くんの声も聞こえた。
「恭子さんのおっぱいは……え? 恭子さんのお尻? きゃああっ!!」
 この不埒もの!! と乾くんに叱られて、本橋くんにぼかっとでもやられたのか、幸生くんの悲鳴と泣き真似が聞こえてきた。恭子さんのバストやヒップについて、婉曲ではない言い方でもしたのだろうか。男ってのはまったく、そんなに女のバストやヒップが好き? 
 女は男の胸やお尻なんて、そりゃあ嫌いでもないけど……形のいいヒップラインや、引き締まった広い胸は見ていて心地悪くはないけれど、男のヌードなんか見たくないし。男性の入浴シーンだって見たくないし。夫の着替えも見たくもないし。
 美貌の映画スターが映画に裸で登場して、きゃ、素敵、と思ったりはする。見とれてしまったりもする。けれど、男ほどにそんなシーンに目を輝かせたりはしない。
 むろん女にも個人差があって、男性ストリップを見て喜んだりするひともいる。男をお金で買う女も、ホストに入れあげる女もいる。
 女をお金で買って、陰で軽蔑されていると知っても男は平気なのかと、私は思っていた。逆ならば買った男に軽蔑される。私はそんなのはいやだ。女のプライドと男のプライドは別方面に作用するのだろうか。私にはやはり、男のすべてはわからない。
「言いませんよ、美江子さんのバストはけっこう……きゃああ」
「言ってんじゃねえかよ」
「章、いいから押さえつけてぶん殴れ。幸生だったら成敗できるだろ」
「シゲさん、手伝って」
「よーし、こらっ、幸生」
「ぎゃああーっ!! 死ぬっ!!」
「この馬鹿野郎」
 仲間たちの声が五つ、折り重なって聞こえる。そこで私は窓を開けた。
「幸生くん……」
「うわわーっ!! 美江子さんの殺人光線がーっ!! ごめんなさいっ!!」
「私の胸がどうしたって?」
「いえ。今日も輝くばかりにお美しくていらっしゃる。その美江子さんの輝くおっぱいを俺のものだと言えるリーダーが……」
 そこで幸生くんは、乾くんの手で口をふさがれた。これもよく見るシーンではある。ごめんね、と私に頭を下げてから、乾くんは言った。
「幸生をどう成敗してやったらいい?」
「ってーか、おまえ、盗み聞きしてただろ」
 本橋くんも言い、私は言った。
「幸生くんの暴言なんて聞き慣れてるし、仲間うちなんだからいいのよ。私もバストやヒップの話に参加させて。ヒデくんは女性の胸が好きで、あとの五人は両方好きなんだよね」
「聞いてたんじゃないか。おまえがいたらできねえんだよ」
「どうして、本橋くん?」
「どうしてもだ。あっち行け」
 夫に邪魔にされていーっだ、とやっている私を見て、幸生くんは嬉しそうな顔をした。
「単刀直入に訊くけど、どうしてそんなに男は女の胸やお尻に興味があるの? 幸生くん、答えて」
「そりゃあね……乾さんはどうして?」
「つまりだね」
 こほんと咳をして、大学教授のように、乾くんが言った。
「男の胸だの尻だのは、胸であり尻でしかない。が、女性の胸やお尻はそれだけではない。ですからね、マダム、男は女性のそのふくらみに、尽きせぬ想いを抱くのですよ」
「そうですっ、その通り」
「……大学教授みたいだからかしら。説得力あるわ」
「でしょでしょ。さっすが乾さん」
 幸生くんは嬉しそうな顔を続けていて、シゲくんと本橋くんも、なるほど、だとか言っている。章くんはうーん、そうかぁ? と言いたそうな顔をしていて、私は胸のうちで言った。そのわりには内容は下らないけど、下らないなりに説得力ある、のかなぁ?


 ファンの方々は意外にさばけていて、ちょっぴりえっちな話題でも笑って下さる。そういう話題を婉曲にソフトに行う技術も彼らの身についていて、今夜はステージで楽屋話の続きのようなトークが繰り広げられていた。
「女性の身体の中で、いちばん好きなパーツはどこですか。リーダー、吐けよ。吐くと楽になるぜ。本橋ぃ、言えよ」
 客席のくすくす笑いの中、幸生くんが本橋くんに迫り、本橋くんは言った。
「和服姿で髪をアップにしたうなじ。乾くんは?」
「夕風にそよぐおくれ毛。シゲくんは?」
「ほつれ毛をかきあげる細い指。章くんは?」
「細くはかない肩。そこらへんをうろついてるおまえは? 幸生、おまえだよ」
 四人が会話している間、幸生くんは舞台を端から端まで歩き回り、客席に話しかけるパフォーマンスをやっていた。
 ねえ、いいかっこ言っちゃってさ。嘘だってあなたにもバレバレでしょ? お客さまもそう思いません? うなじだってよ。そのもーっと下を覗きたいくせに。おくれ毛? きゃきゃきゃ。細い指……太い指だったらいけないのかよ。ぽちゃぽちゃっとした指も可愛いじゃん。
 細くはかない肩じゃなくて、そのやや下方に盛り上がるこれでしょ、と幸生くんは、章くんの言葉に呼応してバストを盛り上げる仕草をする。そのたぐいのパフォーマンスは得意な幸生くんだから、客席からも受けていた。
「冗談じゃねえっての。気取るんじゃねぇっての。俺? 俺はねぇ……ねえねえ、誰か俺にも質問してよ」
「俺がしただろ。でも、答えなくていいよ。先輩方、歌いましょうか」
 章くんが言い、シゲくんも言った。
「幸生は話を落としますからね。俺は品のないのは嫌いです。歌いましょう」
「そうですね。会場には上品な女性が多いんですから、男の馬鹿話でお耳を汚しては申し訳ない。リーダー、なにを歌いましょうか」
「そうですねぇ」
 ちぇっちぇっちぇっのちぇすとーっ!! と叫んだ幸生くんがステージの真ん中に躍り出て、ソロで歌いはじめた。「こっちを向いて」。幸生くんが書いた歌詞は、僕が下品だってきみは怒るけど、ちょっとえっちな話なんかして、恥ずかしがるきみが可愛いからだよ、といった内容だ。
 あれれ? と言いたそうな顔を見合わせた他のメンバーも、幸生くんの歌にハーモニーをつける。楽屋話もさきほどのトークも、この歌の前振りだった。
「お疲れさま」
 そうして今夜のライヴが終了し、ホテル近くのレストランで食事となった。今夜から三日間連続で、フォレストシンガーズ博多ライヴだ。東京や大阪でならば複数日のライヴもあるものの、博多では珍しい。大きなホールが三日間、ソールドアウトしているのだから、マネージャーの私も大満足だった。
 初日なのだから今夜はごはんを食べて、お酒もすこしにしてホテルに引き取る。私もシングルルームに引き取ってシャワーを浴びてから、持参のノートパソコンで今夜のライヴの事後処理めいた仕事をしていた。
「はい?」
 ひそやかなノックの音がした。
「どなたですか」
「美江子、開けろ」
「……うちの旦那さま? なんの用事?」
「旦那さまってさ、気持ちの悪い呼び方をしなくていいから、開けろよ」
 薄く開いたドアに、真次郎が足を突っ込んだ。
「なんなのよ」
「マイダーリン、おまえがほしい」
「なんなのよなんなのよ」
 ちょっとちょっとっ、と言っているうちに、抱き上げられてベッドに降ろされて、抱きしめられた。
「美江子、いやか」
「仕事中なんだけどな……」
「明日にしろよ。俺……」
 ごろんと横になった彼の目を見つめると、低い声が囁いた。
「詞を書いてたんだ。近頃は俺は詞はあんまり書いてなかったんだけど、久々で詞のほうの創作意欲が湧いてきたんだな。思い切りシリアスなラヴソングを書いてたら、俺の……つまり、おまえをさ……俺の女はおまえだからさ」
「ふーむ。どういう意味だろ」
「どういう意味でもいいんだよ」
「創作意欲とともに性欲も湧いたと?」
「早い話がそうかもな。おまえはどうなんだ?」
「私もこうしていたら……きゃっ」
「幸生みたいな悲鳴を上げるな」
「幸生くんが女みたいな悲鳴を上げるんだよ。私は本物の女でしょ。真次郎……マイダーリン、こうして見るとあなたもセクシーよね」
「顔が?」
「じゃなくて、身体が」
 昔から彼は、体格は男性的でセクシーだった。力強い腕に抱きしめられていると、あなたと結婚してよかったかな、と思えてくる。仕事はすんでいるのだし、夫婦なのだから、今夜は同じベッドで眠ろうか。
「その前に……」
「うん、その前に……」
 なんだかね、悪いわね、恭子さん、などと思ってしまう。恭子さんだって夫と……乾くんや幸生くんや章くんの彼女も? 私だけがマネージャーの役得だなんて、うしろめたい。これは公私混同なのだろうか。
「これってミュージシャンの部屋に忍んできたファンの方と、とかいうのとはちがうよね」
「ちがうに決まってるだろ。ごたごた言ってんじゃねえんだよ」
「あなたは後ろめたくないの?」
「なんで後めたいんだ?」
「よーく考えてみて」
 いいのか悪いのか、ふたりしてよーく考えても判断できない。仕事のための拘束時間は終わったのだから、いいことにしようよね、と言い訳じみて言い合って、抱き合った。


3・蜜魅

 締め切りをたくさん抱えている身ではないので、私は多忙な漫画家ではない。暇な日にひとりで映画を見て、ひとりで食事をしてから街を歩いていると、会いたいな、と思ってしまう。彼が近くにいたら誘えるのに、デートできるのに。
 今ごろは彼も食事をしている? ひとりで? 若い友達だと話してくれた、新之助くんや創始くんと? 職場のオーナー夫妻と? おかみさんの作ってくれたごはんを食べてる? こんなに食うと太るがかや、なんて、土佐弁で言ってる?
 それともそれとも、女のひとと? 私とはフォレストシンガーズつながりだけで、私的にデートする女性がいるのだろうか。
「過去は見ないで、現在と未来だけを見るの」
 美江子さんはそう言ったけれど、ヒデさんの現在にはどんな女性が? そのひとはヒデさんの未来にも? 確認しにいくにも神戸は遠すぎて、私には権利のない詮索をしているだけ。
 考え事をしながら歩いていると、月光書房の入っている雑居ビルの前に出ていた。ここはボーイズラヴ系の雑誌や文庫本をメインとする出版社で、漫画も小説も出している。私にも漫画を描かないかとの依頼があった。
 ボーイズラブ漫画も描いてはいるけれど、嫌いではないけれど、漫画家としてのポジションが曖昧な私が描くと、レッテルを貼られる気もする。それのどこが悪いんだ、と桜庭さんだったら気色ばみそうだけど、どうしようかなぁ、段階だった。
 小説や漫画やその他諸々を詰め込んだボーイズラヴ総合雑誌「おぼろ紫」の編集部の窓に、人影が見える。男性と女性が二、三人いるようだったので、私もそこへとエレベータに乗った。
「よ、蜜魅、なにしに来たんだよ」
 いつもの調子で言ったのは桜庭さんで、彼女の担当編集者の横関さんもいた。横関さんは単行本部門なのだから、この編集部には遊びにきていたのか。私とは顔見知りの雑誌編集者の垣内さんもいた。
「桜庭さんらしき人影が見えたから、来てみたのよ」
「おまえ、ここに描くのか」
 桜庭さんが尋ね、垣内さんが言った。
「お願いはしてるんですけど、色よい返事がもらえないんですよ。返事をしにきて下さったんですか」
「考慮中なんですけど、垣内さん、残業ですか。仕事熱心ですね」
「仕事熱心っつうか、帰りたくねえんだろ。ヨメが怖いんだろ」
 新婚さんだと聞いている垣内さんを桜庭さんが冷やかし、横関さんも言った。
「垣内くんは長すぎた春を乗り越えて結婚したんだから、新婚でありながら倦怠期だとも言われてますよね。結婚なんかするもんじゃないな」
「横関さんもそんなことを言ってると、どんどん髪が薄くなりますよ」
 横関さんのほうが垣内さんよりは年上だろう。ふたりの男性は、結婚のよいところと悪いところについて議論している。桜庭さんが彼らを遮った。
「てめえらはうるせえんだよ。そんな話はどうでもいいからよ。あいつの話、蜜魅にもしてやれよ」
「あいつの話? あいつって誰?」
「ああ、あの方ですね」
 あいつをあの方と言い換えて、横関さんが話してくれた。
「垣内くんの編集部では、年に一度、新人賞の公募をしていますよ。にも関わらず、編集部に持ち込みをしてくる作家の卵ってのがいるんですよね。私のいる単行本の編集部にも来ます。新人賞のほうに応募して下さいと申し上げてお引き取り願っても、しつこい方っているんですよね」
「俺に押しつけたこともあっただろ、横関」
「桜庭さんに読んでいただいたことはありましたよね。あの方はどうしておられるのか。筆を折ったかな。いや、あのひとはいいんです。今回の方ですよ。彼女はうちにも垣内くんのところにも、同じ作品を持ち込んだんだよね。郵送ですが、同じですから」
「昨今はパソコンで楽に原稿が作成できますものね」
「書くのは楽じゃねえんだよ」
 吐き捨てるように桜庭さんが言い、横関さんは続けた。
「構想を練るのも執筆するのも簡単ではないでしょうけど、形態を整えるのは簡単ですよ。コピーだって簡単だから何部でも作れる。それであちこちに原稿を持ち込むひともいるようです。先日、うちに郵送してこられたのもそういう方なんですけど、わが社の出版傾向を誤解しておられると申しますか……だよね、垣内くん?」
「うちはボーイズラヴなんですけどね」
 垣内さんが苦笑し、桜庭さんは言った。
「おまえらふたりとも、ボーイズラヴ出版社が不本意なんだろ。文学少年だったんだよな。純文学の大文豪の原稿をもらいにいくとかって、夢見てたんだろ」
「それはいいんですけどね、とにかく、うちはボーイズラヴですよ。な、垣内くん?」
「その通りですよ。けれど、彼女は……ああ、蜜魅さん、ごらんになりますか」
 デスクから出てきたのは、分厚い小説原稿だった。
 タイトルは「虐蘭」。ペンネームも「虐蘭」。タイトルのほうにはルビはなく、ペンネームは「ぎらん」とカナが振ってある。タイトルは「ぎゃくらん」なのか。ペンネームと同じ読み方をするのか。悪い予感を覚えつつ、パソコンでプリントアウトした原稿をめくった。

「Fカップの美しい乳房が、真紅のボンテージドレスの胸元からこぼれそうだ。虐蘭は鏡の前で真紅の鞭をしごく。細く長く美しい脚には真紅のブーツ。虐蘭は真紅の唇から美しい声を発した。
「あたしは愛されるよりも、愛したいのだ。愛されるのには倦んだ。おまえはあたしの愛を受け止められるか。あたしの愛の鞭を受けてみよ」
 美しすぎる女を待つ、愛と虐待を待つ男たちの群れ。彼らの顔を思い浮かべると反吐が出そうになる。だが、あたしは愛の狩人。こうして真実の愛を探し求めて生きる。
 虐蘭が歩き出すと、毛足の長い絨毯の毛足にブーツのヒールが食い込む。男の胸をヒールが踏みにじる想像をすると、虐蘭の美しい唇に残忍な笑みが浮かんだ」

 そんな文章からはじまった小説のようなものは、ボーイズラヴではない。ぱらぱら読めば垣内さんや横関さんの言いたいことが理解できたので、私は原稿を閉じた。
「これはいわゆる?」
「SMか。サディストの女の愛の遍歴か。短く言ったらそうだろ」
 桜庭さんが言い、横関さんも言った。
「短く言ったらそうかもしれませんね。っていうか……」
「ナルシストの告白ってのか……これを書いた女性は美人なんだろうか。僕にはそれが気にならなくなくもなく……」
「美人はこんな小説は書かない……ってこともないか。桜庭さんも相当な……ね、垣内くん?」
「そうですよねぇ、横関さん」
 郵便で送りつけられてきたのだそうで、編集者たちは虐蘭と名乗る女性の顔は知らないのだそうだ。大きな封筒には住所はあったが、氏名は「虐蘭」のみ。これで著者の自宅に郵便が届くのかと思われるかもしれないが、私だってマンションの表札は本名と「蜜魅」と両方かけているのだから、届くのである。
 続きを読む気にもならないが、編集者さんたちの言いたいことはわかる。桜庭さんのボーイズラヴと、虐蘭さんのS女性の差こそあれ、描写が過激なポルノティックしているのだろう。そんなものを書く女は美人か否か。
 普通の人間だと読むに耐えない激烈な男同士ベッドシーンを書く桜庭さんは、文句なしの美人だ。背が高くて男性的で品が悪いので、こんな美人は好みではないと言う男性はいるだろうが、好みだと思う要さんもいるわけで。要さんは桜庭さんのルックスにも恋をしているのだろうから。
 女性のほうが桜庭さんの美貌にはぽっとなるかもしれない。男性的美人に憧れる女性はよくいて、ネネちゃんなんかはその典型だ。同人誌仲間にも桜庭さんはもてはやされていて、彼女がプロの作家だからと、美人だからだと思われる。
 美人になれるのなら私はもうすこし清楚な……と思うが、それは好みの問題で、桜庭さんは美人だとは認める。
 で、「虐蘭」の著者? 年齢も性別も職業もなんにも書いていないので、ひょっとしたら男性なのかとも思える。美女だとも美男だとも、老人だとも思える。虐蘭の名前はいかにもサディストっぽくて、いかにもすぎて白けるとも言える。
 この文章は美文タッチといえるのか。ナルシストが自分に酔って自分を賛美しているだけだとも読める。私は小説家ではないのだから、コメントは控えていると、横関さんが言った。
「設定が刺激的でなくもないので、おおまかには読んだんですよ。主人公が男にサディスティックな行為をするシーンは、鞭ばっかりで類型的なんですけど、本人の嗜癖が反映しているのか、執拗で粘っこくていやらしい。いやらしいセクシーさがあるんです。著者もサディストなのかな」
「サドの美女ってそそられますね」
「きみはマゾ?」
「そんな趣味はありませんけど、サドの美女っていいじゃないですか。横関さんはどうですか」
「僕にもそんな趣味はないけど、本当に美女なんだったらお会いしたいね」
「そうでしょう」
 男ってのは美女には食指を動かす。本能なのかもしれないので聞かないふりをしていると、桜庭さんが言った。
「SMって流行なのか。SM系ボーイズラヴだったら俺にも書けるよ。鞭ばっかのワンパターンじゃなくて、幻想的SMシーンとかさ……」
 彼女の目はどこを見ているのか、視線が揺れていた。
「桜庭さんはSでしょうねぇ」
「だろうね。このタイプがマゾだったりしたら……おっと、なんにも申してませんですよ」
「桜庭さんっ、ぶたないで」
 ふざけている編集者たちを見て、桜庭さんが舌打ちする。私にもこのタイプはサドだとしか思えないけれど、要さんとベッドではどんなふうに……想像だったらできるが、失礼な想像はやめておいた。
「俺が電話してやろうか。これ、こいつのケータイNOだろ」
 小説の中に携帯電話番号の記述があるのだそうだ。著者のものではないのかもしれないが、駄目でもともとだろ、と言って、桜庭さんが編集室の電話を手にした。
「お、出た」
 電話のスピーカがオンになり、低めの女性の声が聞こえてきた。
「非通知……ドスケベオヤジ!!」
 いきなりの罵声に、さすがの桜庭さんが目を剥いた。だからって引かないのが桜庭さんで、怒鳴り返した。
「うるせえんだよっ!! てめえ、月光書房に小説の原稿を送りつけただろ。さりげないふうに文章の中にケータイの番号をまぎれこませたんじゃねえのかよ」
「へええ、わかったのか。そしたらあんた、月光書房の奴? 話だったら聞いてやるよ」
「てめえがギランかよ」
「そうだよ」
 なんだか似た者同士、私が引きたくなっていると、桜庭さんは言った。
「本名は?」
「本名、言わないといけないのか」
「当然だろ」
「……太田節子」
 嘘ではないだろうから、著者が女性だとだけは判明した。
「いくつ?」
「二十歳」
 若い女性だ。横関さんと垣内さんの目がきらっと輝いた。
「大学生か」
「そうだよ。で、なんなんだ? ベストセラーになったってか」
「出版もしてねえのに、ベストセラーになるわけねえだろ。クソ馬鹿」
「クソ馬鹿とはなんなんだよ。てめえも名乗れ」
「桜庭しおんってんだよ」
「桜庭、いつ出版される? 原稿料っていくら? 売れたらどんだけ金が入るの?」
「……一回、うちの出版社に来いよ。月光書房のサイトを見たら、場所だとかもわかる……こら、なにしやがんだよっ」
 焦った顔の横関さんが桜庭さんの袖を引っ張り、大きな声で言った。
「その前に、写真を送って下さい、太田さん」
「だってさ。聞こえたか、太田?」
「太田って呼ぶなよ」
「節子か? レトロでいい名前だね」
「……そうかなぁ。そう言われたらそうだよね」
 じゃあ、写真を送るよ、と太田節子さんは受話器のむこうで言っていた。
 そんな出来事があって、ヒデさんに会いたいな、なんて気持ちもまぎれ、私も太田節子さんに関心が出て、やっぱりボーイズラヴ漫画、描こうかな、と気持ちが固まったのもあって、一週間後に「おぼろ紫」の編集部を訪ねていった。
「美人ですよ、本当ですよ」
 言い出す前に垣内さんが、太田節子さんの写真を見せてくれた。
 オレンジいろのビキニを着た、小柄で可愛い女性が写っている。彼女はがっしりした男性の背中にもたれていて、彼が大きいせいで小柄に見えるのかもあるかもしれない。バストは豊かだけど、身体の各所のパーツからしても、小柄だと思えた。
 恋人なのだろうか。男性の顔は写っていないけれど、節子さんらしき女の子は幸せそうな顔をしている。その表情にも魅力があって、垣内さんは相好を崩していた。
「カレシがいるみたいですけど、本物の美人でしょ」
「美少女ですね。二十歳だったらそんなものかな」
「このころよりもちょっと太ったんだそうですから、去年の夏の写真ですかね。この方にだったらお会いしたいですよ」
「作品のほうは?」
「あれはもうひとつなんですけど、美人だからいいんです」
「彼女の書いた小説はボーイズラヴじゃないんでしょ」
「主人公を美少年に変更してもらうって手段もありますよ」
 出版社ってのもそんな世界なのだなぁ、ではあるが、内幕も裏側もいくぶんかは見たので、怒ってもしようがないとも知っている。桜庭さんも見にくると言っていたそうで、私も見世物気分で約束の日には編集部に遊びにいくことにした。
「では、漫画のほうは幕末青春時代ストーリィってことで」
「坂本龍馬を描きたいんですけど、メジャーすぎます?」
「いいんじゃないでしょうか。龍馬だったら歴女にでも、歴史に興味のない読者にも知られてますからね、ぜひ描いて下さい」
 仕事の打ち合わせもして、帰宅する。龍馬は土佐。ヒデさんと同郷。取材のために京都に行けば、神戸にも寄れる。公私混同かなぁ、って苦笑いしつつも、楽しみだった。
 ペンネームは虐蘭、本名、太田節子さんとの面会日、桜庭さんと私も編集者の一員のような顔をして、横関さんと垣内さんに同席した。応接室で待っていると、受付で案内された女性が入ってくる。ドアが開き、横関さんと垣内さんが期待に満ちた目でそちらを凝視する。
 桜庭さんはおそらく、意地悪を言ってやろうとしていたのだろう。私は野次馬みたいで気が引けながらも、みんなで来客に視線を注いでいた。が、ドアを開けて入ってきた女性を見て、全員そろってかきっと固まった。
「……あの……」
 口を開きかけた垣内さんを制して、桜庭さんが言った。
「代理人かよ」
「あたしだよ。虐蘭は」
「……別人だろうがっ」
「あたしだよ。去年の夏からだと太ったって言っただろ」
「背も伸びたのか。写真の女は小さく見えたぜ」
「身長なんかどこにも書いてないだろ。彼氏がでかいから小さく見えたんだよ」
「何キロ太ったんだよっ」
「十キロくらいかな」
「……十キロじゃねえだろ。倍にふくらんで、整形手術もしたのか。不細工になる手術なんてできるのか。手術失敗か」
 たたみかける桜庭さんを、横関さんが止めた。
「桜庭さん、そこまで言ってはいけません。垣内くん、あとは頼んだよ」
「あ、あ、あ……」
 あたふたしている垣内さんと太田さんを応接室に残し、私も桜庭さんと横関さんに続いて外に出た。
外に出て廊下を歩き、応接室から遠ざかってから、三人して吹き出した。
「友達の写真でも使ったんだろうな」
「よくもああまで似ても似つかぬ……しかし、桜庭さんはうまいこと言いますね」
「ああでも言わないと、あいつを殴りたくなっちまうからさ」
「あれだと出版もねぇ……」
「だろうな。あいつと較べたらネネは可愛いほうだよ」
 言いながら、ふたりして笑っている。私も笑ってしまう。そんなひどいことを言わないで……と言うと、偽善者になりそうだったから、一緒に笑うしかなかった。


 図書館やインターネットで、坂本龍馬とその時代、時代背景や土佐や京都や江戸について調べる。私は腐女子傾向はあるものの、歴女ってほどでもないので、むずかしくも楽しい作業だった。
「……ヒデさんって、龍馬の扮装が似合いそうだね」
 汚れっぽいグレイの着物を着て、よれた袴をはいて、ふところ手をして遠くを見ている坂本龍馬。彼の写真にヒデさんの面影が重なる。土佐や京都に行って銅像を見てこなくては。そうだ、土佐に行こう。ヒデさんに話したら、同行してくれると言ってくれるだろうか。
 迷って迷ってやめた。恋人でもないのに、一緒に行こうよ、なんて言えない。取材はひとりのほうがやりやすいし、資料だってあるのだから。
 タクシーをチャーターして、坂本龍馬ゆかりの地を回る。土佐弁の運転手さんが笑わせてくれる。精悍な面立ちの背の高い、四十歳くらいの運転手さんも、ヒデさんに似ていた。
「俺がフォレストシンガーズにいたころ、アマチュアだったんですけど、夢を見ていたんですよ。桂浜か四万十川で野外ライヴ。ここは俺の地元なんやきに、主役は俺じゃ。会場を埋め尽くした可愛い女の子たちが、俺の名前を呼んでくれるんです。本橋さんや乾さんやシゲや幸生じゃなくて、女の子たちはみんなして、ヒデーっ!! って叫ぶんですよ」
 無邪気な少年みたいに笑っていた、ヒデさんの顔が浮かぶ。
 桂浜の浜辺に立って、先刻見た龍馬の像を思い出し、どんなストーリィにしようかと頭をめぐらせる。なのに、その中に出てくるのはヒデさんの笑顔。いささか癖のある、男っぽい横顔。ハスキーでセクシーな低い声。
 あなたの過去を私はまったく知らないのだから、現在だけでいい。現在のあなたを私のものにしたい。あなたの心がほしい。神戸に行きたいな。私の仕事は神戸でだってできるけど、急に神戸に引っ越すなんて変だ。
「太田節子さんのおかげで、この仕事を受けようって決めたんだよね。その意味では、節子さん、ありがとう。あなたって桜庭さんに張り合うほどの強烈な個性を持ってるんだから、作家としても……美人のほうが勝利するんだろうな」
 節子さんに話しかけつつも、桂浜の風に吹かれる。ヒデさんにメールしようか。桂浜にいます、とメールしたら、彼はどんな反応を示すのか。
 が、彼は私用のケータイは持っていないから、リアルタイムではメールを見てもらえない。帰宅したヒデさんがパソコンでメールを見ても、タイムラグがある。それでもいいけど、土佐にいるとは言いにくい。
 ふたりともに相手に遠慮があるんだよね。この垣根はいつかは取り除けるのだろうか。この風が、明日はどう変わるのか。ふたりの風は?
「明日は明日の風が吹く」
 これはなにかの映画のフレーズ? ヒデさんは映画が好きだから、今度メールするときには、この言葉の原典を教えてもらおう。


END






スポンサーサイト


  • 【番外編69(てのひらいっぱい)】へ
  • 【小説227(あなたに胸きゅん)】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【番外編69(てのひらいっぱい)】へ
  • 【小説227(あなたに胸きゅん)】へ