番外編

番外編67(異・水晶の月3)

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少年たち

番外編67

「異・水晶の月3」


1

 原案、みずき霧笛、作画、蜜魅となる「水晶の月」は、私の友人の手で改作されて、漫画のもととなる物語になっている。みずきさんならば、改悪されたと言いたいのかもしれないが、この程度はちょこっとボーイズラヴテイストにすぎないわけで。
 大学男子寮を舞台としたラジオドラマの「水晶の月」は私も聴いていた。あのころからフォレストシンガーズのファンだったのだから、毎週、胸を高鳴らせてラジオの前にいた。
 ラジオ局が公募したシナリオ大賞に輝いた「水晶の月」を、局アナの沢田愛理さんが読んだ。これってフォレストシンガーズに似てる、私の知っている男性たちに似ている、と沢田さんが感じ、原作のキャラたちの名前を変えた。
 変わった名前が、金子将一とフォレストシンガーズの五人、本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章だったわけだ。
 ドラマはラジオで放送されて、一部では好評を博したと聞いている。私も一時はフォレストシンガーズファンの友人たちと、あんなにも本物と性格がちがってると愉快だよね、と話して盛り上がっていた。とはいえ、あのころは本物のフォレストシンガーズと私は触れ合いもなかったのだが。
 フォレストシンガーズのみんなと多少は知り合いになった私は、みずきさんとも会う機会があった。みずきさんが書きかけたものの、完成していないという「水晶の月」のボーイズラヴバージョンをいただいて、キャラを増やしてストーリィを広げた。
「これは本橋さんたちや金子さんのお名前をそのまま使うのは、ちとまずくありませんか」
「それもそうですね」
 みずきさんと話し合って、キャラの名前をまたもや変えたのだが、章や隆也や準やといった、原作通りの名前のほうが私には親しみやすい。私には親しみやすい名前に頭の中で変換して、友人の書いてくれた小説原稿を読んでいった。


2

 大きな浴槽のへりに顎を乗せて、幸生は浴場を見渡す。
 鷺の森大学男子学生寮には、寮生全員で入浴できそうな大きな浴場がある。寮生の人数は年度によってちがうのだが、本年度の全員は十分に入浴できそうだ。
 四年生、本橋真次郎(寮長)、乾隆也(副寮長)。三年生、小笠原英彦、本庄繁之。二年生、三沢幸生、木村章。一年生、酒巻國友、尾崎尚吾、鈴木強二(留年)。総勢九名の寮生のうち、この時間は一年生と二年生が浴室にいた。
 小さくて華奢で子供みたいな國友、やや小柄でどことなくじいちゃんっぽいと幸生には思える体型の強二、一年生ながら、四年生の真次郎にもひけを取らない屈強そうな体格の尚吾。章も幸生も細くて小さい。
 うちの寮は上級生が大きいんだけど、数年後にはどうなるのかなぁ。章と俺が四年生になったら、どっちかが寮長になるのか? どっちもつとまりそうにないから、尚吾に譲ろうかな、寮長ってでかくて貫禄があって、威圧感もあるほうがいいもんね。俺だったら下級生になめられるもんね。章だって同じだもんね。
 幸生はそう考えて、背中の流しあいっこをしている強二と尚吾を見ていた。
 男の裸なんてなーんにも楽しくない。乾さんがいたらな……うーん、乾さんだって裸が見たいわけではないな。俺が乾さんを好きなのは妄想の中での話しだ。叱られて抱かれて泣きたいなんて思うのは、甘えたい心のあらわれにすぎない。
 現実ではやっぱり女の子がいい。ここにいる四人が十八歳か十九歳の女の子だったら、景色が一変するだろうに。
 実際に女の子が四人入浴しているのだとしたら、幸生は追い出されるであろう。そうは考えないことにして、楽しい想像をする。尚吾が強二の背中から腕を回して胸をくすぐっている姿にしても、女の子だったらどれほど色っぽいか。
 髪を洗っている章も、スポンジに石鹸をつけて泡だらけになっている國友も、女の子だったら痩せていてもふくらみがあって……目を閉じれば妄想が形になりかけるのだが、目を開ければ近くにいるのは若い男の裸体ばっかり。やはりちっとも面白くない。
 茹りそうになってきたので浴槽から出ようとしていると、幸生の耳に隆也の声が聞こえてきた。脱衣場で喋っているようだ。
「そりゃあね、きみがいいんだったらいいんだよ。しかし、恥ずかしくはないの?」
「恥ずかしくはないよ」
 応じる声は夕里だ。夕里は去年の寮長だった金子将一に片想いをしていたのだそうだが、相手にしてもらえず、将一が卒業して社会人となってかまってもらえなくなったら、すかっと熱が醒めたのだと言う。
 将一への恋心が醒めたものだから、別の誰かの恋人になりたくて、夕里は準と連れ立って寮にやってきた。入寮はしなかったのだが、大学には合格した準は、鷺の森大学入試に落ちてしまって別の女子大生になっている夕里と街で出会い、ふたりして寮を訪ねてきたのだった。 
 夕里は隆也に告白し、断られて自棄になったのか、簡単にターゲットを変えたのか、続いて真次郎に告白し、真次郎は夕里の勢いに押されたような形になって、告白を受けたのだ。であるから、夕里は真次郎の彼女ということになっている。
 去年の夏には地方の高校生だった酒巻國友と栗原準が、体験入寮として寮に一ヶ月ほど滞在した。準は将一に恋をしたようであり、そういった心を持つおのれが危険だとでも思ったのか、その他の理由もあったようで、寮には入らなかった。
 そのような諸々の事情があり、現在では準と國友は友人づきあい、夕里と真次郎は恋人同士になっている。少なくとも、他の寮生たちはそう認識していた。
 その夕里が遊びにきているのか。寮は女性立ち入り禁止というわけではないが、むやみに若い女の子を立ち入らせないのが原則だ。真次郎が連れてくるはずはないだろうから、無断で入り込んだ夕里に隆也が注意しているのだろうか。
「中には裸の男がいるんだよ」
「幸生くんたちがいるんでしょ? いいじゃん」
「……あいつらが恥ずかしがるんじゃないのかな」
「隆也さんだったら恥ずかしい?」
「男が風呂に入ってる姿って間抜けだろ。俺は女性には見られたくないな」
「幸生くんだったら喜ぶんじゃないの?」
 今年、大学一年生になったのだから、夕里は準や國友や尚吾と同い年だ。人なつっこくも図々しい性格をしている夕里は、寮内にも人の心にも土足で踏み込む傾向があった。
「幸生や章や尚吾は喜ぶかもしれないけど、クニと強二は恥ずかしがるよ。あいつらが恥ずかしいってのもあるだろうけど、きみもでしょ」
「あたしは平気だってば」
「そうしたとしてなんになるの?」
「えーとね、リポートを書くの」
「うーーーーーん」
 「う」と「ん」の間を長く伸ばした唸り声を上げて、隆也が腕を組む仕草が見える気がする。むろん他の四名にも聞こえたに決まっていて、國友は石鹸を洗い流して浴槽に飛び込んできた。幸生が合図をすると、残り三名も浴槽に身を沈める。そこでやおら、幸生は言った。
「夕里ちゃん、入ってきてもいいよぉ」
「どーぞーっ」
 どうぞと言ったのは尚吾で、章は無言で目を輝かせている。強二は困惑顔、國友は真っ赤になっていて、乾さんの観察眼は正しいんだなぁ、と幸生は感心していた。
「いいって言ってるんだからいいでしょ?」
「ま、あいつらがいいんだったらね」
 浴室のドアが開く。湯気がたなびいているので目を凝らさないとよく見えない。幸生は入ってきた人影を凝視する。照れていた強二や國友も見つめているにちがいない。五人の若者の視線を浴びて、夕里はうふっと笑い。章が言った。
「そんなのずるいだろ」
「なんだよ、水着着てるんじゃん」
 幸生も言うと、尚吾も言った。
「そりゃそうか。裸だったら乾さんが入ってもいいって言うわけないよな」
「はー、びっくりした」
 強二も言い、國友は小さな小さな、低い低い声で言った。
「でも、お行儀が悪いですよ。乾さんが許すってまちがってません?」
 続いてドアが開き、隆也も入ってきた。彼は着衣のまんまだった。
「逆だったら絶対に阻止するけど、女の子が水着を着て風呂場に入っていきたいって言ってるわけだろ。そんなにいけないことなんだろうか、なんて考えちまってさ……行儀が悪いって言えばたしかにそうだな。夕里ちゃん、もういいだろ。出ていって」
「あたしもお湯に入ったらいけない?」
「混浴したいの?」
「うん」
 大胆というのか、好奇心がありすぎるというのか。隆也もどう返答すればいいのかと迷っている様子で、章が言った。
「水着を脱いでだったら、入ってきてもいいぜ。寮の風呂は水着着用厳禁だよな、幸生?」
「女性の入浴は禁止してないけど、水着は禁止してるんだよ」
「夕里、脱がせてやろうか」
「こら、章」
 隆也に睨まれた章は言った。
「乾さんは女には甘いんですよね。なんで俺が怒られなくちゃいけないんですか」
「そうだよ。夕里、俺が脱がしてやるからさ。裸になって俺たちと混浴しようぜ」
 腕を広げる尚吾の頭に、夕里が投げた石鹸が命中した。尚吾が怒り顔になって立ち上がろうとし、強二が止める。夕里は尚吾にいーっだ、とやっている。隆也がまあまあと制そうとしていると、またまたドアが開いた。
「……女の声がすると思ったら……夕里」
「あ、シンちゃん、お帰り」
「おまえはなにをやってんだよ。このこのこの……来い」
「やだぁ。夕里はみんなでお風呂に入るんだもん」
「みんなで……風呂?」
 絶句した真次郎に、夕里はけろっと言い返した。
「あたしは水着を着てお風呂に入りたいって言ってるのに、章くんや尚吾くんは脱げって言うの。脱がしてやろうかとまで言うんだよ。叱ってやってよ」
「おまえをこそ叱ってやるべきだろ。俺は金子さんから、おまえの取り扱い方ってのも聞いたんだよ」
「金子さんは上手に取り扱えなかったようだけど?」
 言った隆也を片手で突いて、真次郎は夕里に向き直った。
「俺が脱がせてやるよ」
「ええ? やーん、えっち」
「うるせえ。そいつを脱がせて金子さんの言ったように……いやいや、金子さんじゃないんだ。俺は俺のやり方でやる。夕里、来い」
「やだもん。やだっ」
 怒ると相当に迫力のある真次郎に睨みつけられているのだから、夕里も怖くなったのだろう。隆也の背中に隠れてしまう。隆也は言った。
「暴力をふるおうって言うんじゃないんだろうな」
「そこまではやらねえよ」
「そこまでではない程度? そうだな。こういういたずらっ子は、彼氏にきつく叱られるのもいいのかもしれない。夕里ちゃん、叱られておいで」
「やだってば。シンちゃん、怖いもん」
「金子さん……の名前を出してはいけないのか。これだけはお節介するよ。本橋、受け止めろ」
「おう」
 きゃっ、と小さく悲鳴を上げた夕里を抱え上げて、隆也は彼女の身体を真次郎の腕に移した。
「たっぷり叱ってもらっておいで。シンちゃん、くれぐれも……」
「うるせえ。わかってるさ」
 やーんやーん、やだやだっ、きゃっきゃーっ、と大騒ぎの夕里の声と、うるせえ、黙れ、静かにしろ、の真次郎の声が遠ざかっていく。どこに連れていったのかは知らないが、幸生としては少々心配になってきて、隆也の顔を見つめた。
「あれで本橋も冷静だったよ。無茶はしないさ。ってか、あの金子さんが夕里には翻弄されてたんだから、本橋じゃあな……いやいや、健闘を祈ろう。おまえたちもさっさと洗って出てこい。夕里ちゃんもメシを食って帰るのかな。本橋に泣かされて食えないのかな」
 ひとりごとを言いながら隆也も出ていき、残された五人で入浴をすませる。
 わがまま娘を叱るのは、金子さんや乾さんのほうが上手なはずだと幸生は思う。妄想の中で女の子になると、幸生は隆也に向かって駄々をこねては叱られている。甘く優しくてそれでいてきびしくて、ああいった扱いが本橋さんにできるのだろうかとの意味で、心配ではあった。
 寮内では一番大きくて、腕力ならシゲか真次郎かと並び評されている真次郎なのだから、小柄な女の子に乱暴はしないと思う。真次郎の性格は隆也が熟知しているのだから、そんな恐れがあれば止めるだろう。恐れはないから行かせたのだ。
 けれど、短気で怒りっぽい本橋さんがかっとなったら……夕里も負けていないのだから、ひどい喧嘩になったりしないだろうか。
 あんなおいたをしたのが女の子のユキだったら? 幸生の妄想はそうなる。男が入浴しているところにビキニの水着を着て入っていって、隆也さんに見つけられたら叱られるのだろうか。抱き上げられてどこかに連れていかれて、お説教されて口答えして、そしたらどうなる?
「おまえはよその男に裸を見られても平気なのか。じゃあ、みんなのところに抱いていこうか。みんなの前でそれをひっぺがしてお仕置きしてやろうか」
「そんなのいやぁ」
「いやなんだろ。女の子としては当たり前だよ。羞恥心をなくしたら、女の子としての誇りもなくすんだよ。二度としないね」
「したらどうするの?」
「ユキ!!」
「きゃあっ!! ああん、怖いよぉ」
「まったく悪い子だ。ごめんなさいを言えないのか」
「……だってぇ……」
「だってじゃない。ごめんなさい、もうしません。言いなさい」
「言わないもん」
「そっか。お仕置きだな」
「やんやん、やだやだ。でも、隆也さんとふたりっきりでだったら脱がされたって……きゃあん、恥ずかしい」
 こんな想像も恥ずかしいので止めたものの、真次郎ではこんなふうにはできない気がする。夕里はユキではないのだから、しおらしくも素直にもしない気がする。
 そしたらどうするのかな? あんなのを押しつけられた本橋さんは大変だな。それはそれで楽しいのかな。そんなこんなを考えつつ、入浴をすませて食堂に行く。隅っこの席に夕里がいて、その隣には真次郎がいて、繁之と英彦は外出でもしているのか、姿が見えない。
 夕里と真次郎はそっぽを向き合っている。一年生と二年生は逆の隅にすわっている隆也を囲み、隆也は小声で言った。
「俺が食堂に来たときからあんなふうだよ。夕里ちゃんはすねてはいるようだけど、泣いてはいないんだからいいだろ」
「乾さんが説教してやれば?」
 尚吾が言い、隆也は首を横に振った。
「本橋がちゃんと説得しなくちゃ。あいつには荷が重いだろうけど、そうしないとまともに女とはつきあえないんだよ。女とつきあうと諍いも喧嘩もついてくるんだから」
 乾さんはユキとつきあって、学んだんだもんね、と言いたかったのだが、言うと章や尚吾に変態呼ばわりされる。同い年の章に変態だと言われるのもいやだが、後輩に言われるのはさらにいやだ。先輩になるとは、つらい立場になるということなのだと幸生は二年生になって学んだのだった。


 寮の同窓会の幹事は現寮長。今年は当然、本橋真次郎がつとめる。去年は将一は同窓会があるとも言っていなかったが、あったとしても夕里には話してくれなかったのかもしれない。
 先日、寮に入り込んでいたずらをして、そのせいで真次郎と喧嘩になった。寮の食堂に連れていかれてじーっと睨まれて睨み返したら、真次郎が先に目をそらした。そのままの姿勢でしばし睨み合っていると、食堂に隆也が入ってきた。
 隆也は他の寮生たちにこそこそ言っていて、夕里の耳にも一部は聞こえていた。真次郎にも聞こえたのだろう。低い声で言った。
「夕里、二度とやらないな」
「やるかもしれないよ」
「なんでおまえはそう、聞き分けがよくないんだよ」
「なんであんなのがいけないの? 夕里は水着を着てるんだからいいじゃん」
「いや、そう言われると……とにかく、二度とするな」
「そしたらさ、同窓会に連れていってくれる? 連れていってくれるんだったら二度としないから」
 同窓会があるとは先に聞いていたのでせがんでみたら、真次郎はためらった末にうなずいた。交換条件でもなかったら連れていってはくれなかっただろうから、いたずらをしてよかったのだ。
「寮長ったらだらしねえの」
「あれでは先が思いやられるね」
「金子さんだったら……」
 聞いていた寮生たちがひそひそ言っていたのだから、あとで真次郎はみんなに笑われたのかもしれない。御しやすい真次郎のほうが、彼氏としては将一よりも扱いやすくていいだろうとは思うのだが、将一がなつかしくもあった。
 連れていってくれるとの約束を取りつけて、自宅に帰って電話をかけた。相手は準で、同窓会の話をすると、受話器のむこうで彼は黙った。
「準ちゃんも行きたいでしょ? あたしを連れていってくれるって言ってるんだから、準ちゃんも連れてってくれるよ」
「あの……」
「将一さんも来るよ。他のひとはあたしも知らないけど、かっこいい男のひとが来るんじゃないかな。準ちゃんの異性への興味ってのは、かっこいい男でしょ」
「そんなことはないよ」
「将一さんだけがいいの?」
「金子さんだって別に……でも、行ってもいいのかな。本橋さんは怒らない?」
「シンちゃんが怒ったって、将一さんみたく怖くないもん」
「僕には怖いんだけど……シンちゃんなんて呼んでるんだね」
「彼氏だもん」
 彼もまたためらった末に、消え入りそうな声で言った。
「連れていって」
 

3

 体験入寮期間があったおかげもあって、國友が寮になじむのは早かったはずだ。強二は二度目の一年生だし、尚吾はふてぶてしい性格をしていて容易に臆したりしないので、同じ新入生でも國友とはだいぶちがう。國友が突然に寮に放り込まれていたとしたら、怯え切ってしまっただろう。
 先輩たちの印象は去年とそんなにちがわない。寮長の本橋さんは乱暴だけど豪放磊落。ただ、夕里と接していると戸惑いがちなので、女の子には弱いみたいだな、ではある。金子さんとはそこんところがずいぶんちがうな、と國友は感じていた。
 副寮長、乾さんはアメとムチの使い分けが巧みなのか。それは天性のものなのか、そんなふうにふるまっているのか。
 三年生のヒデさんは本橋さんに似た気質だけれど、さらに豪快かもしれない。それでいて含蓄のある話もしてくれる。シゲさんは穏やかな気性で力持ちで頼りになる。僕のお父さん以上にお父さんみたいだ。
 二年生の木村さんは根性がねじれている。ロック好きだそうだから、反逆的性格なのか。三沢さんはやや変態チック。そこさえ気にしなかったら楽しい人だ。僕がいじけていたら笑わせてくれる。笑わせてもくれるが、この柔和な僕を怒らせてもくれる。
 國友の性格診断によると、先輩たちはそうなる。
 同室の隆也とは日常生活での触れ合いは多いものの、そうは干渉されない。國友をもっともかまいたがるのは幸生だった。
「クニ、なにやってんの?」
 今日もホームセンターで買った家具の梱包を開けていると、幸生が部屋に入ってきた。
「CDラックを買ったんですけど、これって組み立て式なんですよね」
「普通はそうだろ」
「日曜大工ってのか、ドゥイットユアセルフっていうのか、僕はこういうのは苦手なんですけど……」
「そんなのは中学生にでもできるだろうけどさ、おまえにはしんどいんだったら乾さんに頼れば?」
「なんでもかんでも頼っていては、僕は大人になれませんから」
「そうだね。クニちゃん、ひとりでできるもんっ!!」
 けけけっと笑う幸生が憎らしくはなったのだが、言った以上はあとには引けない。國友はCDラックの組み立てに挑戦した。
 安売りのホームセンターなのだから、完成品を届けてくれるのではないと考えればよかったのに。完成しているCDラックではないと見ればわかる形の箱が届いたときには、國友は泣きたくなった。故郷にいればこういったものは、父が作ってくれた。母も手を貸してくれたし、大物すぎれぱ姉の夫が手伝ってくれた。
 子供のころの工作も祖父母に手伝ってもらわないと作れなかったのだから、國友は工作も大工仕事も大の大の苦手だとの自覚はある。完成品ではないのだったら買わなかったのに、迂闊だった。
 そうはいっても買ってしまったのだし、届いているのだし、幸生に向かって大口を叩いてしまったのだから、三沢さん、助けて、手伝って、とは言えない。歯を食いしばって汗を流してCDラック組み立てに苦闘していた。
「なんだか……ちぐはぐ……」
「歪んでるね。章の性格みたいだ。どこがどうなってそうなって……」
「三沢さん、さわらないで下さい」
「このまま組み立てたっていびつな形になっちゃうよ」
 製作途中のCDラックを検分していた幸生は言った。
「ここだな。根本的にここがまちがってるんだ」
「あっ!! あーっ!! ひどぉぃ!! 乾さんっ、乾さーんっ!! 三沢さんがっ!! 僕がせっかく作ったのに……ばらばらにしちゃいましたよぉっ!!」
 準ほどではないと自分では思っているが、國友は子供のころから泣き虫だった。幼稚園や小学校のころには友達に苛められたり仲間はずれにされたりして、たびたび泣いた。女の子からも泣き虫と囃し立てられて、大泣きしながら家に帰ったこともある。
「男の子が泣くものじゃない」
 そう言われて育てられる男の子は多いのだそうだが、國友の両親や祖父母はそうは言わず、泣いている國友を家族総出であやしてくれた。
 中学生になっても高校生になっても、家族の前でだったら泣いた。姉が結婚した相手であり、義兄となった人には呆れられたが、彼も國友が泣いても叱らずに、見守っていてくれた。中学生以後はさすがに人前では泣かなくなったのだが、泣きたくなったことは何度でもあった。
「男は泣くな」
 あからさまにそう言われるようになったのは、昨年の夏の体験入寮からだった。その話をすると、姉は言ったものだった。
「男だって女だって、つまんないことで泣いたらいけないよね。男は泣くな、じゃなくて、大人は簡単に泣くな、だよ」
 お姉ちゃんったらいいこと言うなぁ。感心した國友は、僕は大人なのだから、泣きたくなっても我慢しようと決意していた。
 泣きたくなっても我慢できるのが、準とのちがいだと國友は思っている。ともあれ、大学生になっても泣きたい気持ちになることは何度でもあり、寮生として先輩たちの教えを守って、泣かないようにこらえたことも何度でもあった。
 我慢はいつか切れるもの。ダムが決壊でもしたかのごとく、國友の目から涙がほとばしる。啼く、泣く、哭く、決壊してしまうととめどもなくなって慟哭状態になっていたから、回りの状況は意識の外に締め出されてしまっていた。
「……だって……だーって……」
 涙で濁りに濁っていた意識がクリアになったのは、別の人間の泣き声が聞こえてきたからだった。
「ユキは悪い子じゃないもん。悪いのはクニちゃんだもんっ!!」
「なんのためにそんな意地悪をしたんだ?」
 泣いているのは幸生で、彼を叱っているのは隆也だった。
「クニちゃんは乾さんに可愛がってもらってて、乾さんは最近はユキをないがしろにするから、やきもち。ユキはクニちゃんが嫌いだからだよ」
「おまえはユキじゃなくて幸生だろ。十九にもなった男がそんな下らないやきもちを妬くなんて、悪い子だとかいう問題じゃないだろ」
「乾さんはユキよりもクニのほうが好き?」
「後輩としてはどっちも好きだよ。幸生もクニも泣くな。泣いてないで、俺も手伝うから三人で組み立てよう。幸生、手伝え」
「そんなことは女の子はしないんだもん。いやだもーん」
 えらく入り込んで女の子になり切ってるな、と思って幸生を見ていたので、國友の涙はおさまりつつあった。幸生は涙に濡れた顔をして、床に散乱したCDラックの部品を蹴飛ばす。やめろ、と隆也に止められてもなおも蹴飛ばして、隆也に引き寄せられて頬を叩かれていた。
「……いたぁいっ!! うっ、うっ、うわーんっ!!」
「そんなことをする奴は出ていけ」
「ユキちゃんは女の子なのにぃ」
「女の子のふりなんかしてもごまかれないんだよ。出ていけ」
 抱え上げられて外に放り出された幸生が、まさしく女の子だとしか思えないような悲鳴を上げ、隆也は言った。
「おまえも泣くな。組み立てよう」
「はい。でもね……」
「んん? なんだ?」
「三沢さんは意地悪でこわしたんじゃないんですよ。僕がひとりで組み立てていて……」
 しゃくり上げつつも本当の出来事を話す。話しているうちに気がついた。
「なのに、わざとこわしたみたいに言ってましたよね。女の子になって言ってたでしょ。三沢さんってほんとに、女の子になって乾さんに叱られたかったのかな」
「女の子だって男の子だって、叱るとしたら同じだろ」
「だけど、女の子だったらほっぺたをぶったりはしないでしょ?」
「本物の女の子だったら手は上げないけど、あいつだったら中身はどうあれ……うん、じゃあ、俺は誤解して幸生を叩いたのか」
「そうなりますね」
 誤解させるように持っていったのは幸生だ。その意図は? 國友には自身が口にしたような理由しか思いつかない。隆也はなにやら思案しながら、あとは無言でCDラックを組み立てていた。


 頬がじわーっとしぴれている。叩かれるのははじめてではないし、強く打たれたのでもないが、痛かった。まだ痛い。
 ぽわーっと想像して、女の子になっている自分を思い浮かべているのは楽しい。人には指摘されたくないのだが、幸生は思っている。俺って精神的にはマゾなんだよな。隆也さんの彼女にしてもらって、叱られる想像ばっかりしてるんだもの。
 想像の中では幸生はいつも女の子で、隆也の恋人だ。年齢の差は小さくても、隆也は大人でユキはちっちゃな女の子。駄々をこねては叱られる想像は甘くとろけるようで、幸生の格好の暇つぶし遊びだった。
「隆也さん、抱っこ」
 ふたりっきりの部屋の中、パソコンに向かって論文を書いている隆也の背中に言う。ここは寮ではなくて、隆也とユキが同棲しているマンションの一室だ。
「隆也さん、返事して。聞こえないの?」
 集中していて聞こえてもいないのか、隆也の反応はない。苛立ってパソコンのコードを抜いてしまうと、それと気づいた隆也が立ち上がって、ユキの身体を両腕で掬い上げた。
「いやーん。怒ったらやだ」
「叱られたくてやったんだろ。叱ってほしいんだったら叱ってやるよ。怒るんじゃなくて叱るんだな。どうやって叱られたいんだ」
「怒ってないの? 書きかけの論文、消えちゃったんじゃないの?」
「わかっててやったんだろうが。まったく、とんでもなく悪い子だ。おまえがああやって俺の書きかけの論文を消してしまったら、そのせいでおまえにかまってやる時間がいっそう減るんだぞ。かまってほしいくせに俺の自由時間を削ってるんだ。そんな子はお仕置きするしかないな」
「どんな、お仕置き?」
「こうだよ」
 抱かれて運ばれていって、ユキはクロゼットの中に閉じ込められてしまう。ユキはクロゼットのドアを内側から叩いた。
「こんなのやだっ!! ユキは……隆也さんのそばにいるほうがいいの。こんなところに閉じ込められるよりは、ぶたれるほうがいいよ。隆也さん、出して、出してっ!!」
「ぶたれるほうがいい、なんて言う子はぶたないよ」
「……意地悪ぅ」
「お仕置きってのはされる側がいやなことをするもんだろ。それが一番いやなんだったら、朝までそこに入ってろ。このわがまま娘のいたずら娘」
「やーんっ!! ごめんなさいってばっ!!」
「ごめんなさいと言ったって、やったことは消えないんだよ」
 本当に怒ってる? ユキはクロゼットの中で本気で泣き出した。
 想像が変なほうに向かっているのは、今日もやりすぎたからだろうか。國友に意地悪をしたのもいくぶんかは事実で、その事実を誇張して嘘にしたから、隆也に頬を叩かれたのだと幸生は認識している。そのせいで頬も心も痛くて、自慰のような涙はほの甘くほの苦い。
 軽くだったら叩かれるのはそういやでもない。想像の中の女の子のユキも、愛するひとに叱られて叩かれるのだったら、死ぬほどいやでもない。けれど、こうしてクロゼットに入れられてひとりぼっちにされるのは、世界が真っ暗闇に閉ざされるほどにつらかった。
「こんなところにいたら、ユキ、死んじゃうよ。隆也さんったら、ユキが死んでもいいの? ユキなんか死んじゃったほうがいいの? ユキが死んだら邪魔者がいなくなって嬉しいの?」
 クロゼットの中は窮屈ではあるが、身体の小さなユキには息が詰まるほどではない。それでも涙まじりに、ユキは恨み言を呟き続けていた。
「こんな狭い場所でユキが窒息死したら、隆也さんはクニと同棲するつもりなんでしょ? クニのほうが素直で可愛いから? いいよぉだ。ユキは舌を噛み切って死ぬから……」
 ドアが開く。隆也が怖い顔でユキを見ている。馬鹿、と鋭く言って、隆也がユキを引っ張り出す。大声を上げて泣き出したユキを抱えて、隆也が歩き出す。ユキはおずおずと問いかけた。
「隆也さん……」
「おまえのひとりごとは聞こえてたぞ。誰が悪くてあんなお仕置きをされたんだ?」
「だって……」
「だってじゃないんだ。なんにもわかってないんだったら、痛い目に遭わせるお仕置きもしてわからせてやるよ。俺の膝で思い切り泣いて、いい子になれるようなお仕置きをしてやる」
「……やん」
「やん、だなんて言っても聞かない。思い切り泣かせてやるからそのつもりでいろ」
「隆也さん、怖いよぉ」
 でもでも、そのほうがいいな。ひとりぼっちにされているよりは、痛いほうがいいな。愛のいっぱいこもったお仕置きをされたい。けれど、やっぱり怖くて、ソファまで運ばれてそこに降ろされて逃げようとしたら、腕をつかまれて引き戻されて、頬を軽く叩かれた。
「痛ぁいぃ」
 甘えた声を出して抱きつこうとしたら、隆也の荒々しい声が聞こえた。
「こら、寝るな。起きろ」
 想像ではなく夢だったのか。夢だから幸生の思い通りには話が進展しなかったのか。なるほど、と思いながら目を開ける。隆也に叱られて叩かれて部屋からほっぽり出されて、幸生は自室に入ってベッドに寝転がり、うたた寝してしまっていたのだった。
「乾さん、今もぶった?」
「起こすために軽く叩いたよ」
「……クニに聞いたんでしょ。でも、本当だもん。俺はクニにちょっとだけ意地悪してやりたかったんだ。でもさ、俺は現実では乾さんを先輩として愛してるだけで、恋人になりたいとは思いませんよ。あれは夢や幻想でだけ楽しいんだ。俺をぶったりする乾さんは、現実では嫌いだもん。痛いんだもん。ほっぺが腫れてるでしょ」
「そんなにきつく殴ってないだろ。嘘をつくおまえが悪いんだ。幸生、嘘をついたんだからなんて言うんだ?」
「なんだかなんて知らないもん」
「そっか。お仕置きして言わせてやろうか」
 幻想でだったらよく言われている言葉だが、面と向かって言われるのははじめてのような……そうでもなかったか? 現実を幻想が侵食しようとしているのか。混ざり合っているようにも思える。アルカイックな笑みを含んで幸生を睨んでいる隆也に、幸生は言った。
「お仕置きなんてやですよ」
「言え」
「……ごめんなさい」
「よーし」
「ずるーい」
 本物のマゾは彼氏を困らせたりしない。駄々もこねないと聞いたことがあるが、ユキは偽女の子の偽マゾで、単に甘えたいだけなのだろう。究極の変態にはなりたくないので、幸生としては自分の想像がそのあたりで止まるのはありがたい。
 この程度の変態だったらいいじゃん。俺は現実では、乾さんの恋人になりたくもないし、お仕置きもされたくはないんだもんね。


4

脳内が、視界がかすんでぼやける。準はあそこには近づいていけない。
 誘ってもらって迷いに迷ったものの、金子さんに会えるんだ、と思うと行かずにはいられなかった。会いたい、会いたくない、との相反する想いはあったけれど、せめぎ合って「会いたい」が勝った。
「久しぶりってほどでもないけど、久しぶりって気がするな」
 物理学研究所員になったと聞いている、金子将一がいる。ひとかけらの贅肉もない長身を初夏のスーツに包んで、ゆったりと微笑んで本橋真次郎と話していた。
「寮はどうだ?」
「乾もよくやってくれてますし、どうにか運営しています」
「寮はそれほどでもないだろうけど、あいつがさ……そっちのほうが苦労してるんだろ」
 あいつとは、若葉の妖精のような黄緑いろのミニドレスを着た夕里だろう。男性ばかりの同窓会場にいるのだから、ただひとりの若い娘は非常に目立っていた。
「無関係な女の子だとか、現役の大学生を連れてくって前例はないんだろうけど、俺の助手ってことで連れていってやるよ」
 なにかしらで夕里に脅かされでもしたのか、真次郎が渋々、夕里と準をここに連れてきてくれた。大学からはほど近い繁華街にある、「白い花」という名のレストランだ。二十代から三十代くらいの若い世代の男性ばかりが集っている。
 寮生はおおむねが地方出身者で、東京出身の将一や真次郎は珍しい。最近は寮に入りたがる学生が減っていることから、東京に家があっても希望者は受け付けているのだそうで、かつては全員が地方出身だったのだそうだ。
 卒業してから故郷に帰った者もいる。転勤で東京を離れた者もいる。寮生時代をなつかしむ気のない者もいる。居場所が不明になってしまった者もいる。そんなこんなもあって、同窓会に出席するのは比較的若い世代が多い。
 若い男たちの間をコンパニオンよろしく、夕里が飛びまわっている。黄緑いろの可愛いドレスの夕里は、お兄さんたちにちやほやされていて楽しそうだ。
「苦労はしてないんですけど、あいつには手こずりますよ。金子さんが言うようにはできませんから」
「そうだろ。俺だってできなかったよ」
「そうなんですか。そしたら、俺にできるわけがないんだよな」
「だけど、降参するなよ。言うだけでも言えよ」
「言ったってこたえませんからね」
「だろうな」
 夕里を話題にしている将一と真次郎を、準はやや離れた場所で見ているしかない。顔と顔を寄せて、長身の男ふたりが内緒話をしているのも、夕里のことか。低い声で話されると準には聞き取れなくなって、かわりに別の声が聞こえてきた。
「そんなこと言うんだったら、みんな嫌いっ!!」
 高い声は夕里だ。叫ぶように言うと同時に、テーブルクロスが引っ張られてグラスや料理が引きずられそうになった。
「なにすんのよっ!!」
「きみを放っておくと、惨事になるだろ。きみの力ではこれだけの皿やグラスを一気にはひっくり返せないだろうけど、やったりしたら大変だ。やめなさい」
 ヒステリックになっているらしき夕里を止めたのは、将一ぐらい背が高くて、将一とは別種の美貌の二十代半ばに見える男だった。
「こんなところで暴れるとは、なにが気に入らないんだ?」
「あんたには関係ないもんっ」
「関係はないけど、俺も出席してるんだから放っておけないんだよ。やめなさいと言ってるだろ。こうなったらしようがないな」
 将一と真次郎はひそひそ話しに熱が入っているのか、気がついていないらしい。男は夕里を抱え上げ、夕里がその腕の中でもがこうとした。
「おまえを連れてきたのは本橋だろ。本橋の彼女なんだな」
「……そうだけど……」
「パーティで暴れるなんて、とんでもない子だな。ああ、本橋はあそこにいるんだ」
「やだよ」
「やだじゃない」
 決然と言って、夕里を抱えた男が真次郎に歩み寄っていく。ぽけっと見とれていた準に、別の男が話しかけてきた。
「きみはえらく若いね。OBじゃないんだろ。まあ、それはいいんだけど、あいつは星丈人。俺よりはひとつ年下なんだけど、大人になってますますかっこよくなりやがったよ。この会場の中では、金子か星が一番のいい男じゃないか?」
「そ、そうですか。あの……」
「俺? 俺は藤原っていうんだ。星が金子のふたつ年上、俺はそのさらにひとつ年上。きみは?」
「僕は寮生ではないんですけど、一年生の栗原準と申します」
「後輩ではあるんだな。ちょっとむこうに注目しようぜ」
 藤原と名乗った彼も背は高い。今年、将一が二十二歳になるのだろうから、星丈人は二十四歳か。そして、藤原は二十五歳。十八歳の準から見れば立派な大人だった。
 こちらで準が藤原と話しているうちに、夕里は丈人に真次郎のところへ連れられていっていた。じりっと近寄って、準は耳をそば立てる。真次郎は夕里を見つめて頭を抱え、将一が笑い声で言っているのが聞こえてきた。
「星さんにまでご厄介をおかけしたんですね。本橋、こんなときこそ夕里をきびしく叱らなくちゃ」
「金子さんにお願いしますよ。夕里は金子さんにとっては妹みたいなものなんでしょ」
「ふーん、いいのか?」
「いいのかって?」
「こうしてもいいのか」
 本気なのか夕里を脅すためなのか、将一が真次郎に囁いた言葉の一部が、スカートをまくって……と聞こえて準が赤面した。
「ああ、そっか。本橋にはできないんだったら、俺がやってやってもいいぞ」
「なんならふたりがかりでやりますか、星さん?」
「ふたりも人手はいらないさ。こんなちっちゃな女の子は俺ひとりで十分だよ」
「本橋、行動に移らないのか」
「いや、ジョークでしょ」
 将一と丈人にせっつかれて、真次郎は困惑顔でいる。その間にも準は藤原とふたりして、彼らにじりじりと近寄っていっていた。
「星さんひとりでも十分だろうけど、夕里は男をまるめ込むのか得意だから、ふたりがかりのほうがいいですよ。どこかに抱いていってきびしく言い聞かせて、それでも聞かなかったらスカートをまくって……その下も?」
「それもいいだろうな。あんな悪さをしたんだから、それくらいの罰は必要だよ」
「そうしましょうか。夕里、星さんに抱いていってもらえ」
「ああ。そうしよう。来い」
「本橋、いいんだな」
 うーうーと唸っている真次郎に、夕里は言った。
「いいもんっ。シンちゃんってだらしないから、夕里は星さんと行く。連れていって」
 は、は? へ? 男が三人して間抜け面になる。将一が問いかけた。
「おまえは星さんに連れていかれて、どうなるのか知ってるのか?」
「将一さんも言ったけど、お仕置きするって口ばっかりじゃん。星さんは夕里のスカートをまくって、それからどうするのか、知りたいの」
「おまえは本橋の彼女じゃないのか?」
 続いて丈人も問いかけ、夕里は言った。
「彼女ったって、シンちゃんってじれったいんだよ。キスもしてないから彼女なんかじゃないのかもしれない。夕里って面食いなんだよね。シンちゃんみたいな顔の男のひとってもの足りないの。将一さんは口ばっかりなんだから、星さん、夕里にお仕置きして」
「お仕置きって、どうされるか知ってて言ってるのか」
「えっちななにかをするんでしょ」
 一瞬絶句してから、丈人は夕里を抱え直した。
「よし、教えてやるよ。本橋、いいんだな」
「おまかせしますよ。俺はおまえみたいに気の多い浮気女となんか、つきあってられねえんだよっ!!」
「夕里もシンちゃんみたいな、気の弱い男は嫌いだよっ!!」
 この本橋さんの気が弱いとは、夕里の感覚では気の強い男とはどんな奴をさすのだろう。もしかしたら、あたしも気が弱いの、とでも思っているのではないか? 準が呆然としている間にも、夕里は真次郎に罵言をぶつける。真次郎も半分ほどは言い返し、将一はときおり、こら、夕里、やめろ、と言葉をはさむ。が、夕里はいっこうに口を閉じない。
 藤原もかなり呆然としているようで、準の肩を抱いて呆れ笑いしているようだ。準は半分は抱かれている肩を意識し、半分はむこうの男女四人の会話を聞いていた。
「一時の気の迷いで、シンちゃんなんかに告白した夕里がまちがってたのよ。シンちゃんなんて肝ったまのちっちゃい、情けない男じゃん」
「夕里、いい加減にしろよ。黙らないと……」
 丈人が言うと、夕里は挑戦的に彼を睨み返した。瞬時、火花が散り、次の瞬間には丈人がくちびるで夕里のくちびるをふさぎ、そのまま夕里を抱えて歩き出した。他のみんなは目を丸くして丈人のうしろ姿を見送る。会場にいた人々も、静まり返って夕里と丈人を見ていた。
「……星さんらしいかもな。本橋、ほんとにいいのか?」
 沈黙を破ったのは将一で、真次郎は自棄になったような声で言った。
「俺だって夕里とはあいつの勢いに負けたようなもんですから……いえ、弁解はしたくないんですけどね……星さんがどうにかしてくれるんだったらまかせますよ。あんな奴を扱えるのは大人でないと無理でしょ」
「俺にもどうにもならなかったんだから、大人じゃないとどうにもならないだろうな」
「でしょ。はい、みなさん、すみませんでした。俺は幹事の役割をまっとうしますので」
 夕里が引っ張ったものだから、さきほど彼女たちがいたテーブルの付近が荒れている。真次郎はそちらへと行ってしまい、将一も別のテーブルへと歩み寄っていき、準と藤原が残された。
「星って女にも強気な奴だったけど、変わってないよ」
「夕里ちゃんは大丈夫でしょうか」
「どうするつもりなんだか知らないけど、ことと次第によったら、あの子をてめえの女にするつもりなんじゃないかな。星は変人ったら変人だから、普通の女の子は合いにくいのかもしれない。夕里だと似合いかもしれないよ。大丈夫って、どんな心配してるんだ?」
「ひどい目に遭わされたりしないのかな」
「そういうことをする奴ではない。むしろ夕里のあの気性だと……星が心配だってこともないかな」
「そうですか」
 星丈人をよく知っている、昔は寮で先輩後輩だった藤原が言っているのだから、準としては信じておくことにした。
「星さんは夕里さんをどこに連れていったんですか」
「控え室かなにかがあるらしいな。きみは俺と話そうか。あのむこうはバルコニーだよ」
 うなずいて、ふたりしてバルコニーに出ていった。
「星が……夜空の星が綺麗だな」
「星さんも綺麗な顔ですよね」
「きみは綺麗な男が好み?」
「僕は面食いじゃありませんから」
 変だな、初対面の年上の男性に向かって、こうしてすらすら話せる自分を準はいぶかしく思う。勢いだけで進むと夕里と真次郎のようになるのかもしれないが、衝動にまかせて尋ねた。
「藤原さんって名前はなんていうんですか」
「レイジン」
「伶人? 麗人?」
 音楽家、美人、その意味のある「れいじん」を思い浮かべた準に、藤原が名刺をくれた。「ハラ製薬研究室・藤原礼仁」と刷ってあった。鷺の森大学は理系であるから、卒業生は企業の研究所勤務になっている場合も多い。将一にしても物理学研究所員だ。
「レイジンなんて名前は仰々しくて好きじゃないんだよな。でも、きみは好きだよ」
「え……そんな……」
「きみが清純な少年だってのはわかるんだ。きみが俺をそんな目で見ているのもわかる。俺のうぬぼれではないよね」
「……」
「無茶はしないよ。準、俺のものにならないか」
 夢を見ているような心地で、準はうなずく。僕は……金子さんが好きだったはずなのに……金子さんはとうてい僕を受け入れてはくれないから? その性癖のあるひとに引き寄せられたんだろうか。
 気が多いとか浮気とかって、僕は夕里さんのことは言えないみたい。藤原さんがそう言ってくれたら、気持ちの中から金子さんが薄れていく。男のひとに愛されるのは怖いけど、愛されないでひとりぼっちでいるのはさらに怖い。だから、僕はこれからは、彼についていこう。
 僕を愛して、僕を守って、僕を「俺の準」と呼んで。あなたならば僕を叱ったり叩いたりしないで、優しく愛してくれるでしょう? 


 強がりもいくぶんかは入っているのだろうが、真次郎は言った。
「だからさ、俺はすっきりしたんだよ」
「未練はないのか」
「ないっ」
 ないっ!! の「っ」に未練が漂っているようにも思えるのだが、真次郎がそう言うのならばいいのだろう。
 もとをただせば隆也のジョークがきっかけだったのかもしれない。夕里に告白されたのは隆也で、関心はなかったから断ったら、夕里が告白の相手を真次郎に変更したのだ。真次郎には彼女はいなかったらしく、夕里のアタックに屈してしまった。
 であるから、真次郎も夕里との交際は本意ではなかったようで、いつだって悩ましげな顔をしていた。夕里に見限られたのはすっきりしたというのも、半分は本音だろう。
 にしても、同窓会で先輩にかっさらわれたとは、プライドの強い真次郎には屈辱ではなかったのだろうか。三つ年上の星丈人とは一年間、寮でともに暮らしていたから、隆也も彼を多少は知っている。滅茶苦茶にもてるとも聞いた覚えがあるから、夕里はじきに捨てられるのではないかとの危惧もあった。
「男と女の仲は余人には窺い知れないものではあるのだから、なるようになるだろ」
隆也が言うと、真次郎も応じた。
「ああ。俺たちは就職活動もしなくちゃいけないんだから、女どころじゃないんだもんな」
「それとこれとは別だと思うけど、俺も就職が決まったら彼女を作るよ」
「俺もそうしよう」
 彼女は作ろうと決めたからといって作れるものではないが、作ろう。隆也は心でうなずいてから言った。
「ところで、準はどうした?」
「途中で帰ったみたいだぜ」
 同窓会のあの日、夕里が丈人にどこかに連れていかれてからも、真次郎はむかっ腹を立てていて、乱暴にあちこちを片付けたり、店のスタッフとともに動いたりしていた。強いて動き回っていたので、丈人と夕里がどうしたのかも知らない。後刻になって将一が話してくれた。
「星さんは夕里を連れて帰ったみたいだな」
「お仕置きってのはしたんですか」
「したんじゃないのか。気になるか」
 将一の笑みが悔しくて、そんなもん、気にならねえよっ、と内心で叫んでいた。
「お仕置きったってひどいことはしないさ。星さんがそういう男じゃないのは、おまえだって知ってるだろ」
「知ってますよ。夕里が星さんとつきあうんだったら、星さんはてめえの主義であいつを扱ったらいいんです。俺はもう知りません」
「俺もおまえにゆだねるよりは、星さんのほうがいいかなと……いや、ごめんな」
「いいんです」
 まったく未練はないけれど、腹立たしいというのはあったので、準がどうしたのかは気にも留めていなかった。退屈してきて帰ってしまったのかもしれない。
「そうか。男なんだから大丈夫だろ」
「大丈夫さ。乾、おまえ、今日は会社訪問に行くんだろ。どこだっけ?」
「ハラ製薬だよ」
「ハラ製薬……先輩にいたような……俺は全員の勤務先までは聞いてないから、不確実な情報は言わないほうがいいな。健闘を祈ってるぜ」
「ああ、ありがとう」
 一年足らずの後には、大学を卒業して寮からも出ていく。俺は立派な社会人になれるのだろうか。小さな寮で副寮長だなんて言って、後輩たちを叱ってはいても、社会に出ればほんのひよっこだ。星さんだって年齢的にも大人にはなり切れていないだろうに、ほんとに夕里みたいな女の子を上手に扱えるのか?
 大学、就職、後輩、女の子、さまざまな考えを抱きつつも身支度をして、会社訪問に出かけようと、隆也は寮から出た。視線を感じて振り向くと、二階の窓から幸生が手を振っていた。
「乾さーん、会社訪問が失敗に終わるように祈ってますよ」
「なんだとぉ?」
「だって、そしたら乾さんは就職浪人になって、来年も寮にいてくれるでしょ。俺と一緒に卒業しましょうよ」
「二年もダブリたくねえんだよ」
 言い返して足を速める。時間が早いので「会社訪問の心得」という本を立ち読みしようかと、書店に立ち寄る。このたぐいの本も数種類出ているので全部は買えない。目につくものは片っ端から立ち読みしていた。
「……あ、乾さん、スーツって……」
「準、おまえ、同窓会には行ってたんだろ」
「は、はい」
「俺は今日はハラ製薬に会社訪問するんだよ。立ち読みでもしようと思ってたんだけど、お茶を飲もうか。話したいことがあるんじゃないのか」
「ハラ製薬……」
 なぜか準は真っ赤になった。
「ハラ製薬ですか……」
「おまえとハラ製薬ってなにか関わりがあるのか?」
「いいえ。別に……失礼します」
 真っ赤な顔をして準が逃げていく。おかしい。あれはまちがいなくなにかある。準を追いかけてつかまえて問い質そうかとも思ったのだが、会社訪問に遅刻すると大変だから断念した。
 書店から出て駅へと続く道を歩く。初夏の陽射しがきらめいて、スーツを着ていると暑いほどだ。振り向くと遠ざかっていく寮の姿が見える。こうして俺は寮からも、学生時代からも青春時代からも遠ざかっていく。
 当然の感慨が、隆也の頭をくらりとさせた。大学生時代の第一歩を踏み出したばかりの、たった三年の年の差の一年生たちが、無性に羨ましく思えた。


END
 








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~ Comment ~

NoTitle

あかねさん、ご無沙汰しています。
更新、ずっとされてるみたいで・・・すごいですね。うらやましいです。
私は何にもしていないのに、眠くて、眠くて。キノコ、食べたかな(笑)
水晶の月、綺麗ですよね。ネーミングがすごくツボです。
ちょっとBLの要素があって。私は好きですよー。
やっぱ、乾さんはいい♪

それから夕里ちゃん、とても楽しいキャラですね。
こんな子いたよなあ・・・って身近に感じました。

またぼちぼち来させていただきますので!!

すこしお久しぶりです

お忙しいのに読んでいただいてありがとうございます。
私は夏休みってのは関係ないですし、
仕事もほんのちょっとしかやってませんし、
今はけっこう暇がありますので。

夕里みたいな女の子が美月さんのお知り合いにいるのですか?
お会いしてお話を聞いてみたいです。

あはは

イメージが似てる女子ですよ。

夕里ちゃんは極端なタイプに描かれているかもしれませんが・・・
そういう女子は学生時代にはいたなあ・・・と。
とにかく引っ掻き回すんですよ。
嵐を呼ぶ女・・・みたいな。

でも、最後はちゃんと素敵な彼氏が出来てる・・・みたいな。

うーーん、どうなんでしょうね。女子にはちょっとにらまれちゃうかな。
でも、大変楽しく読ませてもらいました。はまりそうです。

はまって下さい(うふ)

v-10
水晶の月というラジオドラマがありまして、
もちろん私の小説の中ですが、
そのストーリィもあります。

そこから派生して、小説になったり、
まんがになったりして、
異界の水晶の月もシリーズになってます。

私はBLふうは好きなのですけど、
そのものよりはこういう妄想タッチのほうがいいんですよね。
続きも書いてますので、
よろしかったらどっぷりはまって下さいね。
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