共作

共作6-2(温度はお好みで・続・真夏の出来事)

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共作6-2

「温度はお好みで・続・真夏の出来事」


1

 ペールピンクや白の花柄のワンピース水着を着て、真夏の太陽のもとにいる。ここに広樹がいたらどんなに楽しいかと、香はため息をつきたくなる。
 昨日、ひとりで車を運転して、西垣航平の海の別荘へとやってきた。歯科医師である航平の患者である美穂が彼になついていて、別荘に招待してもらった。美穂は彼氏の達也と行くのだから、香にも彼氏の広樹と来ないかと、美穂が誘ってくれたのだった。
 ひとりで来たのだから、当てられる覚悟はできていたはず。美穂と達也の熱々カップルぷりは何度も見ているのだから、ここでもきっとそうだろうと思ってはいたが、ひとつ、あてがはずれた。
「……航平さんったら、彼女がいるんじゃないの」
 ぽつっと呟くと、背後で笑い声が起きた。
「航平に彼女がいたらいけないのか? きみにだって彼氏はいるんだろ。香ちゃん、なにをたくらんでるんだ?」
 意味ありげな笑みを浮かべて、達也が香の横にすわった。
 航平と達也は、美穂、久美、とふたりの女の子を呼び捨てにしている。航平の甥の大輔までが、美穂と久美を呼び捨てにしている。その中でたったひとり、すべての人から香ちゃんと呼ばれるのが、香の疎外感の一因にもなっていた。
「なんにもたくらんでなんかいませんよ」
「そうかぁ? 広樹ってやきもち妬きなんだってな」
「……別にそうでも……」
 広樹と達也は一度、会っている。そのときにふたりがどんな話をしたのか、香は知らないのだが、達也が広樹をからかい、広樹が怒ったのか。あのあとで香とふたりきりになったときの広樹は、荒々しくて激しかった。
「広樹が来られないのにきみが来たってのは、ははーん、そんな魂胆か。きみも悪い子だな。ここにおいで」
「ここって?」
「悪い子はお仕置きしてやるよ。俺が女の子にするお仕置きは知ってるだろ? 真っ赤になっちまって……してほしいんだろ。おいで」
「冗談はやめて下さい」
「冗談に聞こえるか? きみは美穂や久美よりは背が高いけど、細くて軽そうだもんな。ああ、しかし、その水着じゃケツを出してやれないな。ビキニに着替えてこいよ」
「ビキニなんか持ってません」
「細い女の子にはワンピースのほうが似合うんだって、美穂が言ってたな。きみにはその淡い色の水着か似合ってるよ。じゃ、お仕置きは別荘でしようか。香、おいで」
「……お仕置きされるようなことなんか、私はしてません」
「そうだったかな」
 少々Sであるらしき達也は、女の子を苛めて楽しむ趣味もあるらしい。気持ち悪くはないのは陽性だからと、ルックスのいい男だからだろう。生理的に嫌いなタイプの男にこんな言葉を投げられたら嫌悪感でいっぱいになりそうなのに、達也だったら許せてしまう。
 美穂が達也にされるお仕置きというのは、美穂の口からは聞いていた。しかも昨日は、美穂と久美がそろって彼氏にお仕置きされているシーンを見てしまった。目撃していただけでも香は赤くなっていたのではないだろうか。
 大輔が変ないたずらをして、あのシーンがまぎれてしまった感もある。美穂にしても恥ずかしがってはいたが、香にだったら見られても、ま、いいか、であったようだ。久美はそのことについてはとりたててなにも言っていなかった。
 あのとき……あたしは……なんとなく……なんとなく、なんなのだろう? 広樹が嫉妬深いのは事実で、やきもちを妬くと香を手荒に扱って、他の男とキスなんかすると、と怒ったりする。していないのに怒った広樹に裸にされて荒々しく抱かれて、ぴしゃっと叩かれたりもした。
「こんなやり方はないでしょっ」
 香も怒ってみせるのだが、時々ならばあれもいいと思う。あれはプレイなのか、SだのMだのではないにしても、ごく平凡な愛の行為ではない気がして、それでも香はあれが嫌いではない。
 こっちの二組のカップルは、香と広樹とはまったくちがうのだろう。男が十ぐらいも年上で、駄々っ子だったりいたずらっ子だったりする女の子たちは、大人である彼氏に躾けられている。フェミニストだったりするとそんな関係を見て目くじらを立てそうにも思えるが、香はそういうのも見ている分には嫌いではない。
 うらやましい……? 昨日はちらっとそんな感情が浮かび、香は焦って否定したものだが、私もそうされたいのだろうか? 同い年のやきもち妬きの恋人ではなく、うんと年上の男に叱られたり、甘えたりしてみたいのだろうか。
 いささか意地の悪い、それでいてセクシーでもある笑みを浮かべて、達也が香を見つめている。シートの上にあぐらをかいたたくましい腿。この上に……美穂のように……この大きなてのひらに……うーん、やっぱりいや。
 助けて、美穂ちゃん、と言いたくなって視線を動かすと、美穂と久美と大輔が手をつないで走っていくのが見えた。大きなシートの端で寝そべっていた航平が、立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。
「おまえはまったく変な趣味だな、達也」
「趣味で言ってるわけじゃないよ」
「趣味だろうが。香ちゃん、気にすんなよ」
「気には……だけど、それってセクハラ……」
「だよな。俺が守ってやるから、こっちにおいで」
 ふたりともにルックスがよすぎるのが悪い。航平にそう言われると、ふらふらと近寄っていきたくなる。美穂ではなく、広樹に助けてほしかった。
「しかし、おまえだって見たいだろ」
 達也が言い、航平が問い返した。
「なにを?」
「若くて綺麗な女の子の、生のケツやおっぱいだよ」
「そりゃあ見たいけど、野卑な欲望を理性で抑えるのが人間だろ」
「きれいごとを言ってんじゃねえんだよ」
「きれいごとを言うのも人間さ。うん、でも、いい眺めだよな」
 波打ち際で美穂と久美と大輔が、ビーチバレーの真似事をして歓声を上げている。美穂が砂に足を取られてつんのめる。久美が美穂を助け起こしてやろうとする。美穂が久美の手を引っ張り、ふたりともに砂浜にどてっところがる。大輔はけらけら笑っていて、達也が言った。
「バラエティ番組のワンシーンみたいじゃないか? 美穂も久美もそこらのアイドルに負けてないぜ。身体はちっちゃいけどプロポーションはいいし」
「楽しい眺めだな。香ちゃんも加わってこいよ」
「見世物にされるなんていや」
「きみは理性が勝った性格かな」
 航平が言うと、達也はふふんと笑った。
「そうかなぁ? さっきは……」
「達也、そう苛めてやんなよ」
「苛められるのって嫌いか?」
「嫌いですっ!!」
 ヒステリックな口調になってしまったものだから、達也と航平は一瞬身を引き、それから大声で笑う。このぐらいだったら苛められていても、それほどには嫌いではない。彼らのルックスがよすぎるから。こうしてふたりにかまってもらっていたら、広樹がいない寂しさを忘れていられるからか。
「日焼け止め、塗ってやろうか」
「こらこら、達也、おまえは隙あらば、香ちゃんに触れようとしてるだろ」
「前とうしろ、どっちがいい、航平?」
「自分で塗ります」
 じゃれあっている男女の声が聞こえて、節子は立ち止まってそちらを凝視した。
 長身でがっしりした身体つきの大人の男がふたり、ほっそりした中背の若い女がひとり、浜辺のシートの上で話している。達也と呼ばれた男がUVカットローションを手にして、女に塗ってやろうと言っている。女はいやだいやだと言っている。
 女同士で泳ぎにきてる者もいるってのに、こんなにかっこいい男ふたりをひとり占めにして、いい気なもんだよね。憎たらしくて見たくもないのに、節子は彼らの近くにシートを広げた。
「ここにしたの? はいよ」
 売店でお好み焼きを買ってきた慶子が、節子のとなりにすわってトレーを渡してくれる。朝の早くから電車に乗ってきたので空腹だったのだが、節子は文句を言いたくなった。
「まずいのに高いんだよね、こういうところで買うものって」
「そうだよね。まずくっても高くっても売れるからさ」
「カロリーばっか高くて、こんなの食うと太るばっかだよね。慶子、腹がぽっこりしてるよ」
「節子よりはましじゃない? あたしは上半身は細いでしょ」
「そのかわり、あたしは胸はあるもん。慶子は貧乳で三段腹で下半身デブ。あたしのほうがプロポーションいいもんね」
「どこがだよ。けっだ」
 次第に互いの体型の指摘に熱が入ってくる。お好み焼きがまずいのもあってお喋りに気をそらしていたら、達也の声が聞こえた。
「虚しいよな」
 節子の頭にかっと血が上る。女同士で海に来て、腹がぽっこりの貧乳のと罵倒し合っているあたしたちが虚しいって? 半分ほど食べたお好み焼きがいっそうまずくなってきたので、節子はそれをとなりのシートの上に放った。
「あ、落としちったよ」
「そんなの食っても太るだけだけどさ、もったいない。拾って食えば?」
「砂がついちゃったじゃん。ここって気分悪いから、よそに行こうか」
「そうだね。気分悪いよね」
 慶子もちらちらと隣のシートを気にしていた。男女一対のカップルだとしても気分が悪いのに、ほっそりした美人とかっこいい男ふたりのグループとは、慶子にしても節子に同感だったのだろう。立ち上がって乱暴にシートをたたんだ。
 シートを慶子が持ち、他の荷物は節子が持ち、落ちたお好み焼きはほったらかしにして行こうとしていると、達也が言った。
「ここはゴミ箱じゃないんだよ。片付けていってくれないか」
「そんなのさわりたくないもん。あんたが捨てておいて」
「……ちょっとは聞こえたけど、口は悪いし行儀は悪いし、こんな女こそ……な、航平?」
「この子にだったら俺も反対はしないけど、やるつもりか?」
「やるわけないだろ。馬鹿馬鹿しい」
「だよな」
 なにが言いたいのかは知らないが、ふたりして冷笑しているように見える。頭の中がかかかかっとなっていて、返す言葉が見つからない。慶子は先に立っていってしまい、節子が三人の男女を見回していると、女が言った。
「私もこのひとにだったら、達也さんがお仕置きしてあげるのは賛成だけどね」
「こんな女の……って、見ず知らずのよその人なんだから、これ以上は言わないよ」
「それこそ犯罪だろうから、達也、やるなよ」
「やらないって言ってんだろ。どうでもいいから片付けていけよ」
「そうよ。そのくらいは当然でしょ。拾って捨てて下さい」
 えらそうな顔をして女が言い、節子の頭の中のかっかっかっかっが激しくなる。目の前が赤くまでなってきて、節子は女の顔を叩こうとした。
「もういいから行けよ」
 その手をつかんだのは、航平と呼ばれていたほうの男だった。冷静な声で航平は言った。
「あなたは俺たちには無関係だけど、こんな真似をすると俺もこいつを止め切れなくなるよ。いいから行きなさい」
「航平、俺にやらせようってのか」
「これ以上やる気だったら、俺がこの子を張り倒すかもしれない。そしたら俺は警察に引っ張られるかもしれないから、達也、あとは頼んだぜ」
「全部まとめて俺が面倒見てやるから、やれよ」
「やりたくないな。俺の手が汚れる」
「ふーん、きついな」
 目の前が赤くなり、頭の中に炎が燃えて、自分がなにを考えているのか、節子には読めない。口もきけなくなっていると、女が言った。
「もういいから、ほんとに行けば? あやまる気なんかないんでしょ」
「誰がっ!!」
 ひと声叫んで、節子は走り出した。
「デブスってのはあれだろ。おまけに性格ブスだ。あれだったらおまえも俺も、躾けようって気にもなんねえよな、航平」
「まあな。久美も美穂も性格ブスぎりぎりみたいなところもあるけど、可愛い女の子ってのはそれだけで男をたぶらかすから、得なんだよな」
「久美ちゃんは知らないけど、美穂ちゃんは性格ブスじゃありませんよ」
「わがまま娘のおてんば娘のじゃじゃ馬ってのは、性格ブスじゃないのか?」
「そこが可愛いんでしょ」
「……香ちゃんも言うね。きみは性格もいいよな」
「女ってのもさまざまだね」
 走っていく節子の背中を、そんな会話が追いかけてくる。悔しいのか腹立たしいのか。デブスだなどと言われたのははじめてではないけれど、幾度言われたって胸をえぐる。あたしはデブかもしれないけど、ブスじゃねえっ!! デブだったらブスだと思ってるのは、頭の悪い奴だからだよっ!! 節子は浜辺を走って更衣室に飛び込んだ。
 あたしひとりに押しつけて、慶子はどこに行っちゃったんだろ。慶子のお好み焼きは無事だったから、どこかでのうのうと食べてるんだろうか。やっぱり腹が減ったよ。あたしもなにか食いたいよ。時間がたつとそう思えてきたので、節子は更衣室から出ていった。
「友達と来てるんだもん」
 探していると、慶子は見知らぬ男と一緒にいた。
「節子をほってはいけないし……」
「きみはケイコで友達はセツコ? 昔っぽい名前だね。本名?」
「本名だよ。親が古臭いんだよね」
「節子ちゃんって古風な美女かな」
「内緒だけどね……」
 声をぐっと低めたものの、慶子の言葉は聞き取れた。
「うちの大学きってのデブス」
「そうなの? そんな女だったらほっとこうよ。僕は慶子ちゃんと遊びたいな。ホテルはどこ? 僕のホテルのほうがランク上だよ。行こうってばさ」
「そうだね。行こうか」
 痩せているのに、若いくせに下腹部がぽこっと出た男の体格は、下半身デブの慶子には似合いだ。ナンパされてついていったホテルに、他にも男がいればいい。あたしを裏切った慶子なんて、無茶苦茶にされればいいと思う。
 女同士で海に来るのはつまらないけれど、ひとりぼっちよりはまだよかった。ひとりにされては泳ぐ気にもなれなくて、航平、達也、名前を覚えてしまったふたりの男と、女がいたシートに近づいていった。
 三人だったシートに人が増えている。女がふたりと、少年がひとり。合計六人になったグループは、弁当を広げていた。
「久美が作ったんだよね。美穂や香ちゃんは手伝わなかったの?」
 少年が言い、ものすごくキュートな顔をした小柄な女も言った。
「久美ちゃんはメイドなんだもん。お弁当を作るのも仕事なんだもん。でもさ、久美ちゃんってあんまり料理はうまくないよね。昨夜、航平さんと達也さんが作った夕食のほうがおいしかったよ」
「達也も俺もひとり暮らし歴が長いから、おまえらよりも料理は堪能なんだよ」
 航平が言うと、もうひとりの可愛い女の子も言った。
「先生は久美の料理が上手にできなくても食べてくれるんだ。この味付けはこうしたほうがいいよって教えてもくれるんだけど、どうせあたしは料理が下手だもん、って口答えして、おまえの仕事だろって叱られて……そんでね……ね、先生?」
「おまえはちょっと口答えすると、そこからエスカレートして駄々をこねるからだろ」
「あのころはまだ、服の上からだったけどな……」
「おまえは俺のものなんだから、ああしたっていいんだよ。ああしたほうがいいお仕置きになるだろ」
「やだな、恥ずかしいもん」
 先生とはなんなのか。医者か教師か。節子の疑問には、さきほどからここにいた女が答えてくれた。
「久美ちゃんは歯科技工士になるのはやめたの? 技工士になったほうが、航平さんと結婚するとちょうどいいんじゃないの? 歯医者さんと技工士さんの夫婦ってよくありそう」
「あるだろうけど、航平さん、久美ちゃんと結婚するの?」
「こいつはまだガキだよ」
「そうだよね。美穂もガキだし、久美ちゃんもガキだから、大人な彼氏に躾けられてるんだもんね。久美ちゃんは料理も教わってるんだ」
「掃除の仕方だとかも教えてもらってるよ。あたしは前はとっても行儀が悪くて、叱られてばっかりだったんだけど、先生の躾でいい子になってるよね? そうでしょ、先生?」
「どうだろ。まだまだだな」
「ん、もうっ」
 彼らには気取られないように、やや離れた場所で節子は会話に聞き耳を立て、彼らが何者であるのかを大部分は知った。
 整理してみると、先ほどここにいた女が香。ファッション関係の仕事。とびきりキュートな女の子が美穂。化粧品会社のOL。もうひとりは久美。香は中背でスリム。久美と美穂は小柄でいて胸が大きくて、ヒップアップしていて脚の綺麗な、節子がこうなりたいと感じる体型をしている。
 ううん、あの女たちはちびじゃないか。背はあたしが一番高い。胸もあたしが一番大きい。ダイエットさえすれば、あたしはこの中で一番プロポーションがいい。顔だって痩せたら美人になるに決まってる。
 歯科医の航平とビジネスマンの達也。彼らは香の恋人ではないらしい。航平にはメイド兼彼女の久美がいて、達也には彼女の美穂がいる。美穂か久美にあたしが取って代わりたい。それよりも、ふたりともに彼氏にできたらもっといい。
 節子の妄想が広がっていく。
 航平や達也は彼女に対していばってるんだろうけど、あたしは彼らに君臨したいな。ふたりしてあたしを取り合って、節子は俺のものだ、俺のものだっ、って、喧嘩する彼らを見たい。あたしは気分次第で彼らを可愛がってやるの。
「ねえねえ、僕は喋ったらいけないの?」
 食べるのに夢中だったのか、黙っていた少年が言った。
「おじちゃんったら、大人の話に子供は口出しするな、なんて言うけどさ、下らない話じゃん。脱線ばっかしてるんだから。久美は学校には戻らないの?」
「先生はどうしたらいいと思う?」
「勉強し直すつもりだったら教えてやるよ。なぁ、達也?」
「なんですか、西垣先生」
「おまえも同じなんだろうけど、俺もつかまっちまったよ」
「ほおお、マジでか」
 節子のいる場所からは皆の表情までは見えないのだが、香が切なそうな声を出した。
「恋の告白? 久美ちゃん、幸せそう」
「達也さん、美穂にも言って。きゃ、きゃ……やんやんやんっ、くすぐったぁい」
 甘え切った声を上げて、美穂が身体をよじっている。達也は美穂を抱き寄せてくすぐってでもいるのか。節子が美穂か久美になり代われないのならば、視線であのふたりを焼き殺してやりたかった。


2

 一階は昔ながらの日本家屋。久美子の故郷にはこのような家もあるから、知っている。久美子の親の家にもここまでは広くないにしても、庭がある。航平の父親の持ちものだという別荘の二階は改築して、客が数組滞在できるようにしてあった。
 そのうちの一室は達也と美穂が使っている。美穂たちがここにやってきた際には、あのようなことがあったから、羞恥もあって美穂を嫌いだと思った。かなりえっちな達也も嫌いだと思った。
 昨日は達也と航平が久美子に泳ぎを教えてくれた。美穂とはあれから話もしたりして、美穂も達也も嫌いではなくなっている。達也さんったら、あたしの裸をほとんど見たんだ、と思い出すと、頬がぽーっとなる。
 二階の廊下には人影はない。達也と美穂、香は別々の自室に引き取ったし、大輔と航平は階下にいる。大輔が夏休みの宿題ブックを持ってきていたので、航平が見てやっていた。久美子は足音を立てないように、達也と美穂の部屋の前に立ち、ドアに耳をくっつけた。
「……まだ言ってんのか。おまえもしつこいな」
「だってだって、あんなのやだから……」
「おまえがいい子にしてたらいいんだろ。いつも言ってるだろうが。誰が悪くて叩かれるんだよ」
「叩かれるのはしようがないにしても……」
「しようがないんだな。そんなら……」
「今はなんにもしてないしっ!! だーからー、他の人が見てるところではやだって。それだけはやめてって言ってるのっ」
「航平はおまえの兄貴なんだろ。大輔はガキだ。あとは女なんだから、俺はここでだったら平気だよ」
「美穂は平気じゃないよぉ」 
 室内でのもめごとは、つまり、あれであろう。久美子としてもびっくりした、昨日のあのシーンだ。航平のマンションでメイドのアルバイトをさせてもらうようになり、彼の極秘書類の入った引き出しを無断で開け、きびしく叱られて罰を与えられた。あれ以来、おまえはきびしく躾ける必要があるな、と言われて、叱られると叩かれることもあった。
 とはいっても、それまでは服の上から叩かれる程度で、ごめんなさいと言えば許してもらえた。別荘へ連れてきてもらって、メイドの仕事もしなくてはいけないものの、バカンス気分もあって開放感に浸りすぎたのか。駄々をこねすぎてきつく叱られた。
 美穂への嫉妬もあった。航平に甘えたい気分もあった。縁側でのお仕置きとはいえ、誰も見てはいないだろうと思っていたのに、美穂だったらまだしも、達也に見られて……思い出すと背筋がぞくっとする。
 昨日は午後にも、美穂とふたりしていたずらをして連れて帰られて、ふたりともに彼氏にお仕置きされた。その場所も縁側で、あのときは誰も覗いてはいないはずだったのに、香と大輔には見られたのか。香と大輔だって恥ずかしいのは恥ずかしいが、久美子は達也の目を強く意識していた。美穂もそのことについて、達也に言っているのだろう。
「うるせえんだよ。おまえの躾のやり方は俺が決めるんだから、おまえは泣いてごめんなさいって言ってりゃいいんだよ」
「そんなのってないよ」
 達也は航平以上に言葉遣いが荒いのだが、似た調子ではある。美穂が室内で小さく悲鳴を上げて逃げようとしている気配。達也が美穂をとらえた気配。中が見たくなって鍵穴に目を押し当てていたら、うしろから抱き上げられた。
「……あ……」
「またそんな行儀の悪い真似をして……おまえは一日に一度は、尻を叩かれないといい子にできないみたいだな」
「縁側でお仕置き?」
「そのほうがいいんだったらそうしようか」
 べそをかいて、いやだいやだと言ってみても、気持ちが言葉を裏切っている。航平が久美子を抱いて階段を降りていく。続いて、達也も美穂を抱いて降りてきた。
「久美は立ち聞きに覗き見か。お仕置きってのはやるほうもけっこうな重労働なんだから、いい風の吹く縁側でやるってのはいいよな」
「美穂はなにをやったんだ?」
「駄々ばっかりこねてるから、こいつにもお仕置きするんだよ」
 やんやん、やだやだっ、と美穂は達也の腕の中であらがい、達也は言った。
「静かにしないと落とすぞ。おとなしくしてろ」
「やーん。やだよぉ」
「じゃあ、ごめんなさいは?」
「言わないもんっ」
「意地っ張りっていうよりも、ほんとは縁側でケツを出されたいんだろ」
「ちがうよっ!!」
 ふっと久美子は思う。もしかしてあたしは……? そうされたいのかな? それでお行儀の悪いことをしたの? 誰かに見られるのはたまらなく恥ずかしくて、なのに、たまらなく刺激的で、もう一度ああされたい? やーんっ、あたしって変態。
 そうも思うのだが、今さらやめてと泣いてみても、航平はその気になっているのだから、やめてくれないだろう。縁側に抱いていかれると、昨日とまったく同じに美穂も久美子もお仕置きを受けるポーズを取らされる。香と大輔が見ているのかどうかは知らないが、達也は横目で久美子を見ている。美穂は達也の膝でじたばたしていて、久美子もすでに泣いていた。
「きゃーんっ、ごめんなさいっ!!」
 ひとつだけ叩かれて美穂が叫び、久美子も叫んだ。
「ごめんなさいっ!! もうしませんっ!!」
「今日はやけに素直だな」
 達也が言い、航平も言った。
「縁側で尻を出されるのはいい薬になるんだな。マンションでもベランダでやろうか」
「それもいいかもな。ま、ごめんなさいをしたら許してやるよ。そら、来い」
 膝の上から降ろされた美穂は、恨めしいような甘いような顔で達也を見つめ、ええんっと泣き声を上げて彼の胸にしがみつく。航平も言った。
「久美、おいで」
「……はい、先生、ごめんなさい」
「おまえさ……」
 力を込めて久美子を抱きしめ、航平が耳元で囁いた。
「興奮してないか? 実はこういうの、好きか?」
「え……やだ、そんなんじゃないし……」
「そんなんじゃないんだったらいいんだよ。俺は躾のためにやってるのに、おまえが喜んでるんじゃな……おまえのほうが実は……」
「ちがうったら」
 ほんとかよ? と航平が小声で囁く。久美子は耳まで赤くなっている。ふたりの会話が漏れ聞こえて、美穂は首をかしげた。
 こういうの、好き? おまえのほうが実は? 実は、なに? 真性M? 人前でこんなふうにされるのが好き? 小夜先輩だったらそれでもぬるいって言うんだろうか。私はこんなの、人前でなんて絶対にいやなのに、久美子はいやじゃないの?
「この次は膝に乗っける女を取替えっこしようか」
 言った達也に、航平はバーカと応じる。美穂もやだやだっと応じたのだが、久美子は真っ赤になっていて返事をしない。取替えっこしたいの? 久美ちゃん、変……なんだって私の回りには、マゾっぽい女の子ばかりがあらわれるの?
「美穂ちゃんが幼児的だから、達也さんはどこかしらパパ気分もあるんだよね。だけど、ちょっぴりセクシャルでもあって、ぬるくてもいいんじゃないの」
 小夜が言っていたのを思い出し、いずれにしても人は好き好き、久美ちゃんがいいんだったらそれでもいいけど、私は巻き込まれたくないよ、と思う。航平さんも久美ちゃんの影響で、露出趣味になってきたんだろうか。
 そんなふうにも考えつつ、達也の胸に抱かれているのは気持ちがよくて、とろんとなってくる。久美子はお仕置きをされるのが好きなのかもしれないが、美穂はそんなのは嫌いだ。ただ、叱られて懲らしめられたあとで達也に抱きしめられて、甘えて泣くのが好きなだけ。その意味では今は満ち足りている。満ち足りてはいるけれど、違和感も覚えて、美穂はそっとあたりを見回した。
 きょろきょろしていると、昨日、美穂と達也が入り込んできた、香と大輔も入り込んできた位置に、女の子がいた。
 香とも久美子とも美穂とも同じような年頃の、肥満体の女の子だ。紺の水着の胸は豊かだが、他の部分も肉付きがよすぎて、BWHの差がないように思える体型をしている。どこの子だろ、と美穂が彼女を見つめ、視線が合った瞬間、彼女は身をひるがえして逃げていった。


 逃げはしたものの、時間がたつと節子は家に引き返していった。坂道を登っていった場所に建つ一軒家は、歯科医の航平の別荘であるらしい。歯科医なのだから別荘を持てるほどの収入があるのだろう。久美は航平のメイドで、他の男女は航平の客だ。
 庭に回っていける戸には鍵もかかっていなくて、田舎なのだから当たり前なのかもしれないにしても無用心だ。無用心をいいことに、節子は庭に侵入していっておかしなシーンを目撃した。驚きすぎて悲鳴も上げられず、声も出せずに見とれていたら、美穂と目が合った。
 なんなんだ、なんなんだなんなんだ……あれってなに? 信じられない。美穂や久美が小さい子供だったとしたら幼児虐待だろうけど、虐待とも呼べないような、そしたらなに? 節子の目を疑うシーンだったから、気になってしようがなかった。
 美穂は節子に気づいたようだが、それだからといって鍵をかけたようにもない。節子は人に見られていないのを確認して、別荘の庭に入り込んだ。
 今夜は慶子とふたりでホテルに泊まる予定だったのだが、あんなホテルには行きたくない。けれど、家に帰りたくもない。それもあったからここに来た。ここに来てどうするつもりでもなく、昼間に海辺で会った男女が気になってどうしようもなかったからだ。
 中でも特に達也と航平。あたしだって痩せさえすれば、あのくらいの彼氏ができるのに。ふたりともだって、あたしのものにできるのに。
 なのに彼らは節子に侮蔑的な言葉を投げ、可愛いばかりで頭は空っぽみたいな女を彼女にしている。彼女というよりもメイド? 奴隷だったりもする? あの二組のカップルは、とってもとってもいかがわしい関係なのだろうか。
 さまざまな興味が湧いて、彼らが気になってどうにもならない。庭の物陰にひそんでいてもなんにも起きないのだが、節子は家の中の物音を聞き取ろうとしていた。
「きゃーんっ、そんなのやだっ!!」
 時には女の子の嬌声が聞こえる。美穂だか久美だかが彼氏に言っているのだろうか。少年の声も聞こえてきた。
「だって、むずかしいじゃんっ!! おじちゃんがやってよっ。ああっと……わかったってぱ。宿題は自分でやらなきゃいけないんだよね……達也おじちゃん、ぶったらやだぁ。わかったよぉ。達也お兄ちゃん……これでいいでしょ」
 男の声は低いせいなのか、耳に届いてこない。美穂と久美は細く高い声をしていて、大輔も声変わり前の子供の声だから聞こえてくるのだろう。美穂と久美は節子には区別がつかないのだが、香はいくぶん低めの声なので聞きわけができた。
「大輔くん、おいたばっかりしてると叱られるよ。航平さんって怖いんでしょ……ほらほら」
「うわうわっ、香ちゃん、助けてっ」
「助けてあげたいけど……きゃっ!!」
「こらっ、大輔、力いっぱい香ちゃんに突き当たるな」
「そういうことをするからだろ。大輔、来い」
 大声を出しているせいで、男たちの声も聞こえた。
「久美、それを取ってくれ」
「わーんっ!! そんなのやだっ!!」
 家の中ではどたばたしているのだが、全容がつかめなくて節子にはもどかしい。そこからは全員の声が小さくなって聞き取れない。庭に面したガラス戸にはカーテンが引かれていて、中はむろん見えない。覗きたくてたまらない。節子も仲間入りしたい。
 いや、仲間入りなんかしたくない。美穂も久美も香も大輔も追い出して、達也と航平と節子の三人ですごしたかった。
「せっちゃん、今夜は俺とどう?」
「俺がいいだろ」
「……喧嘩してみて。あたしを取り合ってみて」
「これにしようか」
 妄想の中には、映画で見たシーンが出てきた。
「ロシアンルーレットだよ。弾を一発だけ込めてこうやってシリンダーを回して……」
 どちらかの男が拳銃をこめかみに当て、もう一方の男は節子を見つめて言った。
「目がきらめいてるよ。残忍な表情をしてるせっちゃんは綺麗だな」
「その表情を俺だけに向けてほしいんだ。ロシアンルーレットでいずれかが死に、生き残ったほうが彼女を手に入れる。スマートだろ」
「うん、素敵だね」
 死を賭けた勝負をする男たちを、節子は愉悦を感じて見つめる。獲物はあたし。それとも、あたしの獲物がこの美しい男たち? そうするためには、三人の女とひとりの子供を追い出さなくては。どうすればいいんだろ。
 坂を下りて海水浴場のほうに行けば、夏場だけ盛える繁華街がある。昭和時代みたいだと中年が言う、ディスコやカラオケやスナックのある一画には、暇な若い男たちがたむろしているだろう。節子は思い付きを実行することにした。
「なんなんだよ」
 街には予想通りに、若い男も女も大勢歩いていた。金がなくて店に入れないのか、酒場の裏口付近に溜まって煙草を吸っている三人の男に、節子は近づいていった。
「三人だからちょうどいいな。あんたたち、若くて綺麗で頭の悪そうな女の子、好きでしょ?」
「おまえ、ポン引き?」
 ひとりが言い、三人して馬鹿笑いする。節子は真面目に続けた。
「男もいるんだけど、女が三人いるんだよ。あの女たちを連れ出してやっちゃってほしいんだ。男はふたりいるにはいるけど、あんなのどうせ三人を相手にはできないだろうから、あんたたちのほうが強いよ。連れていってあげるから、女たちを連れ出して」
 光る三つの目に凝視される。彼らはなにも言わないので怖くなってきて、後ずさっていたら煙草が飛んできた。火のついた煙草が節子の頬をかすめ、瞬間、熱さもかすめていった。
「……こいつをやっちまうほうが手っ取り早いんだけどな」
「げ。やだよ、俺」
「俺だってやだよ。マナブがやれよ」
「俺もやだっての。俺にだって好みがあるんだよ」
「そりゃそうだな。こいつだったらそこらへんのばばあのほうがまだいいぜ」
「あそこにいるおばさんたち、年を食ってるけど色っぽいだろ。あれにするか」
「こいつよりはいいよな」
「おばさんだったらおごってくれそうだし……」
 むこうの店の前に、ここに入ろうかどうか、相談しているらしき三人の中年女がいる。彼らは彼女たちをナンパしにいくつもりなのか。節子のかたわらをすり抜けていった。
「ちょ、ちょっと……あたしの話を……」
 ひとりが節子の横を通り抜けざま、膝を上げた。強くはなかったが腹部を膝で蹴り上げられて、節子は地面に手を突いた。もうひとりが節子の足を踏んでいき、もうひとりは嘲笑を投げていき、節子はそんな格好でそこに残された。
「……なんなんだよ。最低の奴らだな」
 さしたるダメージではなかったから、か弱い女になにをするか、との憤りと、蔑まれたような感覚のほうがこたえた。あんなことを言うとあたしが襲われるかもしれないのか。節子としては懲りた気分だったので、それは断念した。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
 美穂と久美と香を追い出すためには、他にどんな方法があるのか、そう考えながら歩いていると、男が声をかけてきた。髪の薄くなった貧相な体格の中年男は、節子よりも背が低い。今日は一日、ほうぼうから侮蔑を投げられたので、報復のつもりで節子もそんな目で男を見た。
「お酒、つきあってくれない?」
「おじさんと?」
「おごるから行こうよ」
「……達也と航平が、ここで待っててって言ったんだけどな」
「達也さんと航平さんって?」
「あたしの彼。ふたりともがあたしの彼。おじさんは観光客?」
 曖昧にうなずく彼に、節子は言った。
「ちょっと妬かせてやろうっと。喉が渇いたから行くよ。あたしは節子。おじさんは?」
「おじさんでもいいよ。あそこでいい?」
「どこでもいいよ」
 先刻の三人の男はいなくなっている。中年女性グループもいなくなっているので、六人で飲みにいったのか。あたしだってナンパされたんだぞ、と考えながら、節子はおじさんとふたりで近くのバーに入っていった。
「ここからだと東のほうに見えてる、高台に別荘があるでしょ。おじさんも知ってる?」
「ああ、あるね」
「あそこがあたしの別荘。達也と航平を連れてきてあげたの。達也は外科の医者で航平は歯医者なんだけど、ふたりともにあたしが大好きで取り合ってるんだ。喧嘩ばっかりしてうるさいから放ってきてやったんだよ」
「さっき言ってたことと……まあ、いいんだけど、そうなんだね。節子さん、なににする?」
「せっちゃんって呼ばせてあげるよ。んんとね、シャンパンが飲みたいな」
「こんな店にシャンパンがあるかな。スプマンテってのだったらあるから、それでいい?」
 スプマンテとはなんだか知らなかったのだが、細長いグラスに注がれたのはシャンパンだった。節子はおじさんと乾杯してから言った。
「シャンパンもおんなじものじゃん。もったいつけちゃってさ」
「シャンパンってのはフランスの……」
「なんだっていいんだよ。うまかったらいいの。そういえばあたし、昼にお好み焼きを半分ほど食っただけだった。腹減ったよ」
「なんでも好きなものを頼んでいいよ」
 空腹を思い出すとあれもこれも食べたくなって、どんどん注文する節子を、おじさんは微笑ましそうに見ていた。
「せっちゃんはよく食べるね。それでそんなにいい身体をしてるんだ。若い女の子はよく食べて健康的なのがいいな」
「おじさんが食わせるから、太りそうだよ」
「太ったっていいさ」
「よくないんだけどね……やっぱ海辺って酒を飲ませる店も食いものがまずいよ。これもまずい。ああ、もう、これもまずい。これは嫌いだ。おじさん、食えよ」
「嫌いだったら頼まなければいいのに」
 ぼやきながらもおじさんが食べてくれる。痩せているわりには彼もよく食べる。節子も不平を言いながらも食べて飲んでいた。
「せっちゃん、お酒も強いんだね。大丈夫?」
「大丈夫さ」
「彼氏が待ってるんじゃないのかな?」
「待たせておけばいいんだよ。心配してればいいんだよ」
 そのあとも食べて飲んで、次第に意識が混沌としてくる。横で不安そうにしているおじさんに、最後にこう言ったのは覚えていた。
「あたしが潰れちゃったら送っていけよ。こんな若い美人と酒が飲めたんだから、エンコーだとかは言わないんだから、金よこせとは言わないんだから、送っていけよ」
「ああ、わかったから、せっちゃん、もう飲まないで」
「やだ、飲む」
 そこまでは記憶にあるものの、そこから先は意識が混濁していってしまった。


3

 夜中になって訪ねてきた中年男は、太った若い女の肩を抱いて引きずってでもきたのか、息絶え絶えだった。
「タクシーはこの坂の下までしか行ってくれませんでしたので……送ってきました」
「この女性は?」
「ええと、失礼ですが、達也さんですか、航平さんですか」
「西垣航平です。この家の主といってもいいですかね」
「では、節子さんはごぞんじでしょ」
 言われてよくよく見てみると、昼間に浜辺で会った行儀の悪い女だった。
「会ったことはありますけどね……」
「いえ、僕もね……」
 宮田と名乗った中年男は言った。
「僕はガス会社の検針の仕事をしてまして、この海辺の街の住人はほぼ把握してるんですよ。ここには西垣さんの別荘が建っていて、ひと夏に何度か人が来るのも知ってました。数日前には西垣さんが女性連れでいらっしゃって、一昨日か昨日かにはお客さんもいらっしゃいましたよね」
「その通りです」
「ですから、節子さんの言ってることは変だとは思ったんですけど、西垣さんのお友達だろうと思いまして、お酒を飲んで送ってきたんですよ」
「友達ではないんですけど、酒を飲んで送ってきた?」
「そうですよ」
「あなたが彼女を誘ったんですか」
「そうです。僕としては若い女性とお酒を飲めるのが嬉しかったんですから、食事もお酒も終えたら送るのが当然でしょ」
 中年男が若い女と酒を飲み、下心を持っていなかったとは航平には信じがたい。この節子では……とも思うが、それなら最初から誘わないだろうから、酔い潰れてしまって諦めたといったところか。
「それはお疲れさまでした。しかし、俺はこのひとは……」
「ごぞんじなんでしょ? ここ以外に送っていく場所は知らないんですから、引き取って下さい」
「いや、しかし……」
 玄関先で押し問答していると、大輔が顔を見せた。
「どうしたの、おじちゃん?」
「どうしたと言われてもな……」
「僕も立ってるのがやっとなんですよ。眠い。西垣さん、お願いしますよ」
「……冷たいお茶でも飲んでいかれますか」
「いえ、ご迷惑はおかけできませんので」
 完全に熟睡している節子を託されて、重たい身体を支えてから航平は言った。
「十分に迷惑なんですけど、あなたが悪いわけではないし……困りましたね」
「明日になると、奥さんが帰ってくるんですよ。うちの奥さんはガス会社の同僚っていうか、奥さんが上司で、出張してるんです。今夜はひとりですごす最後の夜だったから、若い女性とお酒を飲んでみたんです。楽しかった。節子さんによろしくお伝え下さいね」
 尋ねてもいないのにプライベートな話をして、宮田が帰っていく。なんで俺が礼を言うんだ、と思いつつも、航平は言った。
「ありがとうございました。お世話になりました」
「おじちゃん、そのひと、誰?」
「泳ぎにきてる女の子なんだろうな。昼間は友達と一緒だったけど、喧嘩でもしたんだろうか。大輔、どうしたらいいと思う?」
「抱っこしてあげれば。重たいからできない?」
「できるだろうけど、酒臭くて汗臭くて……達也、足を持て」
 そこに顔を出した達也に言うと、彼は節子の顔を見てから言った。
「なんだってあの女がここに来るんだ? 航平、てめえ、この女になにかしたのか」
「してねえよ。いいから足を持て」
「ひとりでは運べないのか。力がないんだな」
「運べても運びたくないんだよ。大輔、部屋の隅にこの子を寝かせる場所を作ってくれ」
 ふたりして節子を部屋に運んでいき、久美子が敷いてくれた客用の布団に横たわらせた。節子は平和な顔でいびきをかいていて、美穂が言った。
「この子……さっき覗いてた」
「覗いてた?」
 達也が言い、香も言った。
「お好み焼きを投げた子でしょ? 覗いてたの?」
 昼間に節子に会ったのは、航平と達也と香だ。夕方に節子が覗いていたのを見たのは美穂。大輔と久美は節子を知らない。誰かと誰かが断片的に知っている節子の話をつなぎ合わせても、今の状況は誰にも理解できなかった。


 和室なのだからノックはできない。入るぞ、の声とともに襖が開いて、航平が久美子の部屋に入ってきた。
「久美、風呂には入ったのか」
「海で泳いでシャワーを浴びたから、お風呂はいいの」
「おまえは風呂嫌いか。女の子がそれじゃいけないだろ。入ってこい」
「面倒だもん」
「入れと言ってるだろ」
「いやだもん」
 わざとさからってみたのだろう。どうもあたしは航平さんにだけは、こうされるのが好きみたいだと久美子は思う。誰でもいいわけではなくて、航平さんにだけ、叱られるのが好き。美穂がSだのMだのと言っていたが、そうではなくて、航平が好きだからだ。
「ああん、やぁん」
 さからって腕ずくで、思い通りにされるのが好き。そこを誰かに目撃されるのも、人によっては嫌いではない。この部分は変態的なのかもしれないので口に出して言えないのだが、達也さんにだったらちょっとくらいは見られてもいいとの気分もあった。
 お客は二階の部屋を使っていて、主の航平と航平の甥の大輔と、久美子は一階の部屋をひとり一室ずつ使っている。久美子も航平とは他人ではないという意味だ。
 一階にはキッチンやダイニングルームやバストイレもある。達也と美穂と香と大輔と航平はバスを使ったようで、久美子だけがまだだった。面倒だというよりもこうされたいと期待して、久美子はさからってみせた。
 抱き上げられてバスルームに運んでいかれ、くるくるっと裸にされる。うつぶせに抱え上げられてお尻をひとつ、ぴしゃっと叩かれてからバスタブに放り込まれた。
「あん、もうっ、やんっ」
「綺麗に洗って出てこい。風呂から上がったら俺の部屋に来いよ」
 いつ来るか、いつ言い出されるか、久美子の胸のときめきが最高潮になって爆発しそうになっていた今夜、航平が言ってくれた。その意味は……眩暈がしそうだ。
 丹念に自らの身体を磨き上げて、バスタオルにくるまってバスルームを出ていく。航平の言いつけ通りにしようか、迷った末に自分の部屋に入った。彼のメイドになり、彼を好きになり、彼も特別な目で見てくれるようになったと信じてはいたものの、彼は久美子をベッドに誘おうとはしなかった。
 東京のマンションでは日常すぎるから、非日常を演出してくれたのか。別荘に連れてきたのは、ここではじめてのひとときをすごしたかったからか。ゲストが数人いるとはいうものの、一階には大輔しかいない。居間でいぎたなく眠っている節子は、計算に入れる必要もない。大輔は子供なのだから、寝てしまったら朝まで起きない。
「……いくらなんでも、達也さんに覗かれるのはいやだけどね」
 そこまで無作法な男ではないだろうし、他の誰も覗いたりはしないだろうが、同じ家に他人がいるのも刺激的だった。
「なんで俺の言うことを聞かないんだ」
 しばらくしてから部屋に入ってきた航平が、笑いを含んだ声で言った。
「石鹸とシャンプーの香りがするよ。いい匂いだ。久美、おいで」
 広げた腕に飛び込んで、航平の胸に顔をくっつける。航平の身体は乾いた草原と太陽の匂いがする。ここに来てはじめて、航平は明言してくれた。おまえにつかまっちまった、と言い、態度で示してもくれた。
「あのね……あたし……」
「黙ってろ」
「誰も見てないよね?」
「見られたいのか。俺はそんな趣味はないぞ」
「あたしもそんな趣味はないけど……あ、あ……」
 ひょいと抱き上げられて布団に降ろされて、バスタオルを剥ぎ取られる。丈高く美しくたくましい男の裸体が、久美子の目を眩ませる。航平は甘く優しく情熱的に久美子を愛撫し、堅い蕾をほぐし、ソフトに強引に久美子の中に分け入ってきた。
 愛しているとか綺麗だとか、可愛いとかは言ってくれないけれど、言わなくてもいいと久美子は思う。先生のメイドにしてもらってよかった。
「あたしの胸……小さすぎる?」
「黙ってろと言っただろ」
 おまえの胸が小さいのではなくて、俺の手がでかいんだよ、と航平はひそかに笑う。てのひらで包んだ久美子の乳房は豊かな量感でこぼれそうだし、若い身体のどこもかしこもが弾力があってしなやかで、魅力にあふれている。
 抱いてもいない女の裸の尻を最初に見てしまったけど、いずれはこうするつもりだったんだからいいよな。なんて可愛い……ぺちぺちと軽く平手で叩いてやると、感じやすい久美子は喘ぎ声を漏らして陶酔している。そんな仕草を見ているのも楽しかった。
「メイドを犯すご主人さまってのも、シチュエーションとしては楽しいだろ。メイドとしても社会人としても、俺の女としても躾けてやるから、久美、ついてこい」
「……バイトは続けるの?」
「不満なのか」
「先生ってすごくいばってるから、不満ったら不満かなぁ。あん、やん」
「俺にさからうとこうだぞ。はいと言え」
「……はいって言わなかったら? きゃーーん、はい。言うこと聞きますぅ」
 どうもまだ、俺は達也の真似をしているのか、の気分がつきまとうのだが、達也と航平の気性が似ているからだ。美穂と久美子も性格が似ているからだ。なのだから致し方ないのだとおのれを納得させて、航平は久美子を強く強く抱きしめた。


 寝たふりをしているのか、達也の腕が伸びてこない。二階には洋室もあって、達也と美穂が使わせてもらっている部屋にはベッドが備えてある。変な飛び入りがあった今夜は、節子は一階の居間に寝かせておいて、各自が部屋に引き取った。
 久美子は航平さんと……と思うと、かすかな嫉妬心が起きる。達也も言った通り、航平さんは美穂のお兄ちゃまなのにぃ、との気分があるのは否めない。だけど、お兄ちゃまに彼女ができたんだったら喜んであげないとね。美穂には達也さんがいるんだし。
「ねえねえねえ……」
 ダブルベッドに長々と伸びて寝息を立てている達也の鼻をつまむ。うるせぇ、とばかりに振り払われる。もう一度つまもうとすると達也は寝返りを打つ。ねえねえねえねえ、何度も言っていると、達也がごろんと仰向けになった。
「いいよ。香、来いよ」
「香?」
「香じゃなかったか。久美か……おいで、久美」
「節子って呼べばいいじゃないのよ」
「あれだけはお断りだ」
「達也さん、起きてるんでしょ? 誰かの名前を忘れてるよ。達也さんの可愛い彼女は誰?」
「……小夜だったかな」
「う、う、う、殺してやる」
 目を閉じたままの達也の腹に乗っかって、美穂は彼の大きな身体を揺さぶった。う、ぐ、だとか言って、達也はいっそう寝息を立てる。美穂は達也の首を絞めようとした。
「……ぶっ殺してやるんだから」
「おまえな、女のくせしてなんだ、その言い草は」
「やっぱり聞こえてるんじゃん。達也さんこそなんだよ。久美だの香だの小夜だのって、行きたいんだったら節子のところに行ってくりゃいいだろ」
「常々言葉遣いがいいとは言えないけど、今夜はひでえもんだな。躾なおしてやるよ。美穂……」
「きゃっ!!」
 腰を両手でつかまれて持ち上げられ、はずみをつけて起き上がった達也の腕に抱き直される。ベッドに放り投げられて抱きすくめられて、美穂は小声で言った。
「苦しいよ。潰れちゃうよ」
「快感だろ。骨折させてやろうか」
「人殺し」
「骨も肉もばらばらにして、おまえを食っちまいたいよ」
「人食い人種」
「あのな、美穂、他はともかく、節子の名前だけは出すな。あいつとどうこうするぐらいだったら、おまえ一筋のほうがよっぽどいいよ」
「あんなのと較べるなっ!!」
 ほぼ本気で怒った美穂が叫ぶと、達也はとろけるような声を出した。
「おーおー、おまえはそうやって叫んでても色っぽいぜ。ねえねえ、達也さん、ってさ、どうしてほしかったんだ? こうか」
「……あ……ん……あん」
「どうしてほしいのか、言葉にして言ってみろよ。美穂、言ってごらん」
「やだ。達也さんのしたいように……」
「俺のしたいように……こうか」
「ああん、ちがうってばっ!!」
 焦らしたり嬲ったりしながらも、美穂の全身に火をつけていく。はじめて抱いたときには堅さもなくはなくて、口ほどにもないおぼこい女だと思ったものだが、近頃は練れてきた。俺の手腕だと思うと、達也のちっぽけな虚栄心がくすぐられる。
 できるものだったら香も久美子も美穂も素っ裸にして、そこまでではなくても裸エプロンで酌でもさせたいとは思うけど、俺の願望はそれだけだよ。今のところは彼女はおまえだけでいい。おまえをいじると面白いから、妬かせてみたくなるだけさ。そう、今のところは。先がどうなるかは知らないけど。


 空気の中に秘めやかな匂いがまじっている。淡い桃色のもやっ、もわっ、を感じ取ってしまうのは、香の神経が過敏になっているせいだろうか。同じ家の中にカップルが二組いて、香だけが単身だからか。正確に言えば大輔も節子も単身だが、あんなのは数に入れなくていい。
 眠れなくてベッドに身を起こし、香はメールを打った。広樹にはここに来る前に何度もメールしていて、こんなやりとりをしていた。
「美穂ちゃんの誘い、無理?」
「無理だよ。香も行くな」
「私は行きたいもん。広樹が無理だったらひとりで行くからね」
「行くな」
「広樹に私を束縛する権利はないでしょ。行くよ」
「行ったりしたらどうなるか、わかってるんだろうな」
「わかった。行かない」
 メールで約束したのに、来てしまった。広樹には秘密でやってきて、帰ってから打ち明けるなり、ずっと内緒にしておくなり、帰ってから判断するつもりだったのだが。
「ケータイの電源は切ってたから、広樹が電話したとしてもつながらなかったでしょ? 電話してくれたのかな。私はしてないよ。広樹なんか忘れて楽しくやってるんだもん。素敵な男性がふたりもいて、私を口説きたがって困ってるの。どこにいるのかって? どこでしょうね」
 思わせぶりな文面のメールを発信して、香は携帯電話の電源を再びオフにした。広樹はあれを見て怒るだろうか。そう思うとそわそわしてきていっそう眠れなくなる。隣の部屋では達也と美穂がなにをしているのだろう。
 改築はされているのだそうで、客室として使っている洋室の壁は厚い。物音や声は聞こえないけれど、気配は伝わってくる。達也と美穂は些細な争いを起こしてはいるものの、熱々カップルだ。熱々ピンクまでが隣室から伝わってきて、冷房が効いているにも関わらず暑い。
 お水でも飲んでこようっと、と呟いて起き上がる。故意に足音を立てて階段を降りる。こそこそしたくなかったから、故意に大きな音を立て冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを飲んでいると、もうひとつの足音が聞こえてきた。
「大輔くん、眠れないの?」
「寝てたんだけど、喉が渇いちゃった。コーラ、飲みたいな」
「真夜中にコーラはよくないよ。ミルクにする?」
「ミルクはやだ。じゃ、サイダー」
「サイダーだったらいいのかなぁ。航平さんに叱られない?」
「んんと……前にね……ちっちゃいときだから、もう大丈夫だよ」
「おねしょでもしたの?」
 言いにくそうではあったが、大輔が話してくれた。
「一年生のときだったかな。夏にここに泊まって夜に喉が渇いて、サイダーを飲みたいって言ったんだ。航平が駄目だって言ったのに、僕はこそっと飲んだ。それでさ……」
「おねしょ?」
「一年生なんだからしようがないじゃん。だけど、航平に叱られたんだよ。おねしょはしようがないにしても、俺の言いつけを聞かないからだろ、って叱られて、あれがお尻をひっぱたかれた最後だったかな。あのときはお風呂場へ抱いていかれて裸にされて、シャワーを浴びせられながらお尻を叩かれたの。あれからは悪いことをしたら叩かれるのはほっぺたになったけど、航平って怖いんだよな。怖いけどかっこいいでしょ。香ちゃんも航平が好き? 香ちゃんって彼氏はいるんだよね」
「大輔くんっておませだよね。そんなことを言ってるっておじちゃんに言いつけたら、お尻をぶたれるよ」
「僕はもう子供じゃないから、お尻なんかぶたれないんだもん」
「ぶたれるとしたら竹刀で? 痛かったでしょ」
「あれはえぐかったけど、ま、僕が悪いんだもんね。久美やら美穂やらもお尻を叩かれて叱られてるでしょ。あれは……んんと……僕よりも子供だから?」
「そうかもね」
 そんな部分もあるのかもしれないが、そうではない部分は大輔には言えない。大輔はすこし考えてから言った。
「縁側でお尻を出されて、航平に叩かれたりしたらみっともないな。おねしょしちゃったりしたらみっともないの最高になるから、やめとこっと。水をちょっとだけ飲んで寝るよ」
「そのほうがいいね」
 小さなころから航平叔父にきびしく躾けられてきたらしき大輔には、躾が身についていると思われる。航平さんや達也さんは子供ができたら強くて凛々しいお父さんになりそうだな、と香は思う。久美子や美穂に対する扱いようには首をかしげるところもあるのだが、当人たち同士がいいんだったら、香がとやかく言う問題でもない。
「おやすみ」
 ほわわっとあくびをした大輔が部屋に戻っていき、香は耳を澄ましてみる。久美子と航平はどちらかの部屋で眠っているのか、物音はしない。そんなふうに耳を澄ました自分がうしろめたくて赤面しながら、香も二階の部屋に戻って眠った。
 大輔と話しをしたためか、意外に安らかに眠れて、朝は早くから目が覚めた。ひとりで散歩でもしようかと、香は着替えて洗面して、薄化粧もして、携帯電話を持って庭に降りていった。
 気持ちのいい朝の空気の中には、ピンクはまじっていない。木々の緑、小鳥のさえずりは淡いブルー。空もブルーで、今日も暑くなりそうだ。淡い淡いブルーに感じられる微風が、香のワンピースの裾を揺らして通りすぎていく。
 広い庭を歩き回っていると、縁側に達也がいるのが見えた。上半身裸で下はショートパンツ。水着姿とは別のセクシーさがあって、香はどきっとした。
「おはようございます」
「早いんだな。おはよう」
「よ、おはよう」
 タンクトップとジーンズ姿の航平も出てきて、言った。
「久美はメイドのくせして朝寝坊なんだよ。美穂もか」
「昨夜は……そのせいか満ち足りて眠ってるよ」
「達也、おまえのその露悪趣味、なんとかならないか」
「この程度で露悪かよ。おまえは露出趣味だろ」
 仲良く口喧嘩している男たちを見て、香が笑っていると、だだっと走る足音が聞こえてきた。
「……ええ? 広樹?」
 血相を変えて駆け寄ってきた広樹が、香に向かって手を振り上げる。ぎゅぅっと目を閉じて首をちぢ込めていたら、達也の声が聞こえた。
「女をひっぱたいていいのはケツだけだぜ」
「離せ」
 背は高くもなく、達也や航平と比較すれば少年みたいな身体つきの広樹が、達也の手を払いのける。達也は香を殴ろうとした広樹の手を止めてくれたらしい。目を開いた香にはそれは理解できたのだが、自分はどう動いたらいいのかわからなかった。
「あんたには関係ないだろ。ってのか、あんたが悪いんだろっ!! 香、帰ろう」
 達也を怒鳴りつけ、広樹が香の手を引っ張る。このまま連れ去られると危険だ。どうするべきかと香が思案していると、縁側から庭に降りてきた航平が、広樹の頬にパンチを食らわせた。
「きゃっ!!」
 悲鳴を上げたのは香で、どっと転倒した広樹は、地面にすわって達也と航平を睨み上げる。達也と航平は広樹を無言で見下ろす。達也は言った。
「香ちゃんはどいてろ」
「だって……」
「だってじゃねえんだよ。どいてろっての」
「きゃあ」
 再び悲鳴を上げたのは、達也に抱え上げられたからだ。広樹が叫んだ。
「俺の香にっ!!」
「女の子が巻き込まれたら大変だからだよ。腹が立つんだったらかかってこい」
 言った航平を激しいまなざしで睨んでいた広樹は、がおっというようなおめき声を上げて、航平に突進していった。
「広樹……駄目。駄目だってば。やめてっ!!」
「香ちゃんはうるせえんだよ。そこで見てろ」
「達也さんはどうするんですか」
「どうしようかな。航平の助太刀なんかしなくてもいいだろうから、俺も見物してるよ」
 抱かれて運ばれて縁側に降ろされる。達也は香をすわらせて隣にすわる。そのころには美穂と久美子も縁側に出てきていた。
「な、なんなの? あれれ? 広樹さん? 香ちゃんが呼んだの?」
 美穂が言い、久美子も言った。
「広樹さんって香ちゃんの彼? どうしてここに? それはいいけど、先生っ!! 喧嘩なんかしたらいやだっ!!」
「久美もうるせえんだよ。航平の心配なんかしなくていいんだから、おまえらみんな、広樹の心配をしてやれ」
 達也に言われなくても、香の心配は広樹にしか向いていない。だからといってどうにもならないので、乱闘を見ているしかなかった。
「広樹は仕事で来られなかったんだろ。来られるようになったのか」
 誰にともなく達也が問いかけ、美穂も言った。
「香ちゃんは知ってたの?」
「昨夜、メールしたから」
 電源をオンにしようか、どうしようか、迷いつつもオフにしたまんまだったケータイの電源を入れて、メール画面を呼び出した。美穂に渡すと、彼女は文面を読み、達也と久美子にも回っていった。
「これって……ねぇ、達也さん?」
 久美子が言い、美穂は力強くうなずいた。
「香ちゃんもよくないよね。ね、達也さん?」
「だな。あとで広樹に言ってやるよ。女の顔を叩くのはいけないけど、ケツだったらどしどし叩け。こんないたずらをする女は、おまえがきちんと躾けろ」
「……広樹はそんなことは……」
「やらないのか。そしたら俺がやってやろうか」
「達也さん、駄目ってばっ!!」
 庭では広樹が航平と乱闘しているのだから、香としてはそれどころではない。航平はどこか楽しそうに、広樹は一心不乱に、取っ組み合いに取り組んでいた。


 うるせぇなぁ、寝てられないじゃん。目が覚めた瞬間、節子が感じたのはそれだった。あれれ? ここはどこだ? 昨夜、あたしはどこでなにを? まったく思い出せない。
 三人の男の子にナンパされそうになって、あんたらなんかはあたしの相手じゃないよ、と言ったのではなかったか。そこに貧相な中年オヤジが出てきて、そいつもあたしをナンパしようとした。追い払おうとしていたら達也と航平が通りかかり、こう言ったのだ。
「せっちゃん、俺たちの別荘に来てくれないか」
「一緒に飲もうよ。そして、きみが俺たちのうちのどちらかを選んで」
「行ってやってもいいよ」
「おっさんは失せろ」
 すごすごとオヤジは逃げていき、節子は達也と航平とともに別荘に来た。にしてはひとりで寝ているのは解せないが。
 思い出したというよりも、そうだったらいいのにな、の想像をしつつ起き上がり、歩き出す。庭のほうで男女の声がするので行ってみると、数えて七人の人間がいた。昨日よりもひとり増えているのは、若くて細い男だった。
「大丈夫? 痛い?」
 香がその男のかたわらで、まめまめしく怪我の手当てをしてやっている。男はいていて、ううう、と唸っているものの、香のするままになっていた。
「航平、手加減しただろ」
「当たり前だろ。俺は傷害致死で刑務所に入りたくないよ。久美、俺は怪我なんかしてないんだから、薬もなんにもいらないよ」
「俺が怪我をさせてやろうか」
「いらねえよ」
 ふたりの大人の男はそんな話をして笑っていて、美穂と久美は言っていた。
「かすり傷だろうから、広樹さんはちょっと痛いだけでしょ。香ちゃんに手当てしてもらって嬉しいんじゃないの」
「そうかもね。先生って強いんだ」
「あれだけ身体の大きさがちがうんだもん。ね、久美ちゃん、誰かいるよ」
「……いるね」
「僕にはよくわからないんだけどさ」
 ただひとりの子供が言った。
「あのでっかい女、なんなの? なんで昨夜はうちに泊まったの?」
「あれだったら航平さんだって達也さんだって、変なことをしようって気にもならないんだから、外で寝かせても平気だったんだよね」
 美穂が言い、達也は言った。
「それはいくらなんでもさ……あれでも女だろ」
「女なんじゃないの? 達也さん、たしかめてみる?」
「たしかめたくねえんだよ」
「あんなデブスが現代に生息してるんだね」
「大輔、あんた、うまいこと言うじゃん」
 大輔と美穂は言い合ってあはははと笑い、こらこらと言いながらも達也も笑っている。久美子と航平は冷ややかな視線で節子をちらちらと見ていて、広樹と呼ばれたもうひとりの男も言った。
「あれ、なんだ? 香、あれって人間か」
「広樹、それはひどすぎるでしょ」
「いや。ここにいる他の女の子はみんな可愛いんだから、あいつが化け物に見えちまうよ」
「……そこまで言ったら駄目」
「……中でも香が一番……な、ごめんな」
「ううん。私も悪かったから」
 このふたりがなにをあやまっているのか、節子には謎である。他の人間は節子から視線をはずして、にやにやと香と広樹を見ている。節子は言った。
「腹減ったよ。汗でべたべたもするんだ。達也と航平があたしを誘拐してきたんじゃねえの? 風呂に入らせてメシ食わせてよ」
「……航平、昨日みたいに頭と足を持って、せえの、で表におっぽり出すか」
 達也が言い、航平も言った。
「それがベストかもな。そうされたくなかったら、あんたが歩いて出ていけ」
「へ? あたし?」
「あんたに決まってんだろ。俺は女にそうはしたくないけど、あんただったら特別だ。ぐずぐずしてるとケツを蹴飛ばして追い出すぞ」
「そのほうがいいかもな。思い切り蹴飛ばしてもこのケツだったらへっちゃらだろ」
「出ていけ」
 男たちに見据えられて、節子は言った。
「あたしを誘拐したのはあんたらだろ。警察に言いにいくからね」
「行ってもいいから、出ていけ」
「バケツに水を汲んでくるってのもいいかな」
 航平が言って立ち上がる。そんなのないよぉ、と呟いてみても、みんなして知らんぷりをする。いつか、絶対にてめえらに仕返しをしてやる。節子はそんな決意をして、庭を横切って外に出ていった。空腹に太陽のまぶしさがこたえて、立ちくらみしそうだった。


END


言い訳
ここまでと時間的矛盾があると思われるのですが、細かいことは気にしないで下さいね。たかがこんなストーリィ、なんてね。開き直りの一途になっている自分が怖いのでした。
 
 

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