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小説197(My sunshine)

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フォレストシンガーズストーリィ197

「My sunshine」

1

 どちらかといえば僕の苦手なタイプの少年だ。僕がDJをつとめるラジオ番組にゲスト出演してくれる彼に紹介されたときの、第一印象はそれだった。
「スランっうんだ。よろしく」
 無愛想に僕に挨拶してくれた彼には、見覚えがあった。マネージャーさんもそばにいて、かしこまっていた。
「酒巻です。スランさんってステージネームでしょ」
「当たり前じゃん。俺は日本人だからね。本名は言いたくねえの」
「いいんですよ、言いたくないんだったら。本名を言いたくない方ってよくいますよね」
 燦劇の面々にしても、本名はマル秘にしていた。ファイからエミーの本名を聞いて、本人の前でうっかり口にして、エミーにものすごく怒られたのを思い出す。
 プロフィールにもスランさんの本名は載っていないのだが、十六歳だそうだ。おまえたちの言葉遣いはさかさまだろ、と乾さんや金子さんだったら言いそうだが、僕は控えめDJ、彼は生意気が売りであるらしきシンガーなのだから、これでいいのだろう。
 新人ではないようで、以前から彼はシンガーだったらしい。プロフィールにはそのあたりは曖昧にしてあるので、僕は質問してみた。
「スランさん、キャリアはどれほどですか」
「俺は……あんたも覚えてねえんだよな」
「覚えて、ですか。なんとなくあなたのお顔に見覚えがあるんですけど……」
「覚えてくれてるの? 俺さ、ガキのころにはアイドルグループにいたんだ」
「アイドルだったんですか」
 アイドルなんて星の数ほどいる。売れなくて解散したグループだったとしたら、どれだったのか見当もつかない。
「ラヴラヴボーイズっていたじゃん」
「はい」
 そっちは僕もよく知っている。ラヴラヴボーイズは素晴らしく売れていたのだが、事件があったとかで解散した。
 彼らが解散したのは、シゲさんちの広大くんが生まれたころだったか。フォレストシンガーズの先輩方が関わっていたとは知っているが、誰も詳しく話してくれなかったので、僕は詳しくは知らない。第一、あのころの僕はアイドルグループにかかずり合っている余裕はなかったのだから。
 ともあれ、ラヴラヴボーイズは解散し、メンバーたちは各々が別々の生活となった。ヨシくんはバラエティタレントとして、ロロくんは俳優として活躍しているのだから、現在でもテレビで見る。僕もこのふたりとはお話ししたこともあった。
 かっちゃんは芸能界は一時休業して高校生になり、さあやくんは故郷に帰ってしまった。そして、残る一名のポンくん、本名も知っている麻田洋介くんとは、僕もわずかに関わりができていた。
 その関わりとは、洋介くんがフォレストシンガーズの本橋さんの弟子になったというものだ。本橋さんは弟子ではないと言うが、作曲や礼儀作法などなどを仕込んでいるのだそうだから、それが弟子ではなかったらなんなんだ、と僕は思う。
 フォレストシンガーズのみなさんに洋介くんがなついているからこそ、僕も洋介くんとは知り合いになった。洋介くんは若いころの本橋さんと気性が似ているのだそうで、そうなると僕なんかは軟弱男に見えるに決まっていて、誰が見ても僕は軟弱だろうけれど……ひねくれたくなるので話題を戻そう。
 そうして知り合ったものだから、洋介くんとは会話もした。あんたってちびだね、と僕に言った洋介くんが、乾さんに叱られていたりもした。
 いいえ、僕はちびなんですから、いいんですけどね、ってなものであって、ちびだなんて言われていちいちへこんでちゃ、僕は生きていけないよ、の境地には達している。達していてもひねくれたくはなるのだが、それが人間だ、というか、それが僕だ、というか。
「で、ラヴラヴボーイズがどうかしました?」
 むろんスランさんはラヴラヴボーイズのメンバーではない。僕でさえも彼らの事情にけっこう詳しい売れっ子アイドルグループにいたのではないのは僕も知っている。では、なんなのだろうか、と質問してみると、スランさんは言った。
「あんたの口のききよう、うぜえんだよ。普通に喋れよ。あんたはちびだけど、大人なんだろ。いくつ?」
「三十歳になりました」
「三十? その年のおっさんがそんなちび? そんなちびでそんな声?」
 ぎゃーっはっはっ、と笑われて気を悪くしたものの、この反応もおなじみのものだ。きみだってちびでしょ、とは僕は言わずにおいた。マネージャーさんはスランをたしなめもせず、知らん顔をしていた。
「スランさんなんて呼ぶな。うぜえ」
「はい、じゃ、スランくん」
「スランでいいよ。でさ、ラヴラヴボーイズ……あいつらって俺らよりはデビューは遅かったんだよ。俺たちよりも年上で、顔だって俺たちのほうがよかったし、歌はおんなじくらい下手でさ、なのに、あいつらは売れたの」
「そうみたいですね」
「おまえたちもラヴラヴボーイズみたいになれよ、って社長に激励されたりもしたけど、俺ら、デビューしたころって中学一年だったんだよな」
 そんなに幼いアイドルグループだったのか。とすると……そんなのがいたな、と考えている僕に、スランは言った。
「ファーストシングルはちょこっとは売れたんだよ。小学生や中学生の女に人気が出かけてた。なのにさ、俺ら、声変わりしたの。次々に声変わりした」
「そりゃあまあね、男の子ですから」
「そんなの、最初からわかってただろ。声変わりさせたくなかったら、どっかのアメリカのどっかの奴みたいにさ……」
 マイケル・ジャクソンか。彼は成長抑制剤を与えられていたとの説もあるのだが、確実でもないのに言ってはいけない。僕はスランに先を促した。
「うん、まあ、よその国の外人なんてどうでもいいんだけどさ。そんでね、俺たちが声変わりしたからって、ガキの声で歌う歌を変えないといけなくなったんだ。そしたら、まるっきり売れなくなって解散するしかなくなって、エヌとユーはこの業界からも消えちまったよ。高校生になってるんだろうな。ラヴラヴのかっちゃんみたいにさ」
「そうなんでしょうね。エヌ……ユー……そしたらきみはエス?」
「そうだよ」
 SUN、発音すればサン。そんなアイドルグループがたしかにいた。僕だって音楽業界人のはしくれではあるのだから、アイドル業界の知識も多少はある。フォレストシンガーズが夏のイベントでサンと共演したとの話を聞いたのも思い出した。
「そんでそんで、俺も引退するしかないのかと思ってたんだけど、よその事務所から声がかかったんだ。スランって名前で再デビューっつうのか。アイドルではないんだけど、俺って歌も下手だしさ、背も伸びないし、顔だけで勝負って、大丈夫かな?」
「……それは僕にはなんとも……」
「大丈夫だって言えよ」
「大丈夫かどうかはきみ次第……」
「うぜえおっさんだな。ちびのオヤジおっさん、短足DJ」
「あのね、スラン、他人の肉体的欠陥をつくのはいけないんだよ」
「うぜえうぜえ、うるせえんだよ」
 やたらに重複の多い台詞と、うぜえのうるせえのの言葉だけ残して、スランは僕の控え室から出ていってしまった。
「すみません」
 同席していたものの、ひとことも口をきかなかった年配男性のマネージャーさんが詫びてくれてから、彼はスランを追って出ていった。
 三十歳ともなると、近頃の若い奴らは、との感慨が浮かぶものなのだろう。僕だって若いよ、とは言いにくくなって、十代の少年からはうぜえおっさん呼ばわりされる。罵られると引き気味になるしかない僕だから、若者に軽視されるのだとは知ってはいるけど。
 金子さんに言いつけるよ、だとか、乾さんに言いつけるよ、だとか、言うわけにもいかないではないか。大人としては告げ口するなんて、考えるだけでも恥ずかしい。
 けれど、言いたい。金子さんに言いつけてお仕置きしてもらうなり、乾さんに言いつけてお説教してもらうなりして、あの小僧をぎゃふんと言わせてやりたい。ああいうガキは親の教育が悪いんだーっ、とも言いたくなる。
 できるものならば、金子さんと乾さんのふたりがかりで、あいつを鍛え直してもらいたい。でも、自分でやれ、馬鹿野郎、と叱られるのは僕だろうから、告げ口はしないでおくしかないだろう。
 あの調子では本番ではさぞかし、との僕の懸念は大当たりで、スランは番組がはじまってからもひどい態度だった。燦劇のファイやチキンスキンの柴垣さんもひどかったけれど、スランに較べれば数倍はましだ。なにしろ、スランはちょっと気に入らないと口をきかなくなるのだから。
「スランくんは四年ほど前にデビューしたんですよね」
 リハーサルなしの生番組だ。僕は洋楽専門番組の担当が主なのだが、今日は日本のニューヒット曲番組のDJをやっている。ただでさえ普段の番組とは勝手がちがうのに、ゲストが彼ではこっちが萎縮しそうだった。
「スランくん、この話題はやめたほうがいいですか」
 やめろ、とでも言ってくれればスムーズに話題を変えられるのに、スランは無言。僕はやむなく言った。
「すみません。よくない話題みたいですね。スランくんから話題を振って下さいよ」
 無言。僕はパニクリそうになった。
「喋って下さいよ。スランくんの趣味は? えーっと、曲に行きましょうか」
 曲がかかっている間に、スランはディレクター氏に注意されていた。マネージャーさんはマネージャーのくせしてスランとは口をききたくないのか、知らんぷりばかりしている。ディレクターさんに叱られたのだから喋ってくれるかと期待したのに、トークタイムに戻ってもスランはひたすら無言だった。
「スランくん? 気分がよくないんですか」
「……」
「んんとんんと……あのですね」
 ついに怒ったか。ディレクターさんが合図して、再び曲がかかり、スランはスタジオから追い出された。
 ゲストに来たのだから自らの新曲をPRしなくてはいけないのに、彼が喋らなくては僕もどうしようもない。スランが出ていってくれたので僕は心が安らかになって、ひとりお喋りを繰り広げ、短い番組が終了した。
「なんなんだよ、あいつは」
 怒っているスタッフの方々をなだめる手立ても思いつかないので、僕はみなさんにもごもごと挨拶をし、番組の事後会議などなどに移って、それらも終了してラジオ局の外に出た。
「え? スラン? 帰ったんじゃなかったの?」
 今日はこれで仕事はおしまいだから、晩ごはんを食べて帰ろうかな、と考えながら歩いていくと、僕の前にスランが出てきた。無言で僕を睨みつけ、無言で脚を出した。防御もできずに蹴られて倒れた僕を、スランがさらに蹴ろうとする。こうなったら助けを呼ぶしかないかと思っていたら、呼ぶ前に助けがあらわれた。
「……柴垣さん?」
 彼も無言でスランを睨みつける。スランは十六歳の小柄な少年で、柴垣さんは三十五歳の大柄なパンクロッカーだ。スランが迫力で柴垣さんに勝てる道理もなくて、とととっとあとずさりしたと思うと、声を上げて泣き出した。
「……はあ、泣くのか。俺はなーんもしてねえだろ。酒巻、こいつはなんなんだ?」
「はい、僕の番組に出てくれていた……」
「そいつは聴いてたから知ってるんだよ。俺がカーラジオをつけたら、おまえとこいつが喋ってるのが聞こえた。ふたりで喋ってるんじゃなくて、おまえが喋ってるだけだったよな。それでも、最初はこいつもちっとは喋ってただろ」
「はい」
「それがだんだん喋らなくなって、いつの間にやらいなくなってた。おまえがごまかしてたのは聞いたけど、そんなのは俺にはどうだってよくて、仕事の打ち合わせに行ったんだ。打ち合わせはすぐにすんだから、酒巻の仕事もすんだころかなって思って、こっちに車を回してきたんだよ。そしたらこのシーンが見えた。これはなんなんだ、って訊いてるんだろ」
「僕にもなんだか……」
 わかるような気もするのだが、あってはならないことではないのだろうか。僕が立ち上がると、嘘泣きだか本当泣きだかをしているスランの顔を荒っぽく上げさせて、柴垣さんは荒っぽい口調で尋ねた。
「なんでおまえが酒巻を蹴るんだ」
「……だって……ひっく……うぇっく……」
 これは本当泣きだろう。涙がこぼれていて、顔はくちゃくちゃ。言葉もまともに出ないスランの顔を、柴垣さんが右手の指二本ではたいた。
「ひっ!!」
「泣いてるんだったら喋れないんだよな。酒巻、こいつって気が弱いのか」
「そうは見えませんでしたけど……」
「だろ。俺にもそうは聞こえなかったぞ。小生意気なガキだとしか聞こえなかった。そんな奴が、俺が睨んだだけで泣くのか」
「柴垣さんは迫力がありすぎますから」
 脱色した長い髪、素肌に着た革のジャケット、ぼろぼろに破れたジーンズ。この風体だけでも普通の人間には怖い。僕も彼と知り合いではなかったとしたら怯える。
 金子さんとは大学時代からの友人だということで、その縁で僕も親しくしてもらっている柴垣さんは、パンクバンド「チキンスキン」のベーシストだ。長身で筋肉質で端正な顔立ちをしているので、怖い顔をするといっそう怖い。金子さんとは別種の迫力にあふれているのだ。
「あのですね」
 泣きじゃくっているスランが、こう考えての行動だろう、と僕が推理して話した。
「スランは僕の番組に、新曲PR、キャンペーンのために来たんですよね。にも関わらず、じきにむっとするタチであるらしき彼は、僕が言ったことに腹を立てて喋らなくなった。そうなるとラジオのゲストとしては最低でしょ。だからディレクター氏も怒り、こんなゲストは不要だとなって追い出した。そこをですね、酒巻が悪いのだと解釈したスランが、僕を蹴った。そうなのかな、スラン?」
 こくっとうなずいたスランを柴垣さんがひっぱたこうとしたので、僕は慌てて止めた。
「指二本でだって、スランくんは死にそうな声を出してたんですよ。柴垣さんに本気で殴られたら気絶するんじゃありませんか」
「こんなガキを本気で殴る気はねえんだけど、手が……この手が……」
「お気持ちはわかるんですけど、鎮めて下さいね。柴垣さん、ありがとうございました」
「おまえもこんなガキに……まあ、おまえだったらそんなもんか」
 そんなもんだと言われても、事実だからさからえない。僕は柴垣さんに頭を下げてから言った。
「スラン、マネージャーさんは?」
 スランはまだ泣いていて、答えてくれない。頭をかいていた柴垣さんが言った。
「酒巻、メシ食うか。スランも乗れ」
 いやいやいや、っと首で返事をするスランを追い立てるようにして、柴垣さんが車に乗らせた。柴垣さんもあったかいんだな、やっぱりいい先輩だな、と僕は感じていた。
 

 泣いている少年を連れてレストランや飲み屋には行けないからだろう。柴垣さんは彼の自宅に車をつけた。
 ごくごく当たり前のマンションの、簡素な部屋だ。僕がスランの手を引いて、柴垣さんのあとから入っていく。一室に通されて隣室を見るとギターやベースや音楽関連機器が置いてあった。スランはまだ泣いていて、柴垣さんは苛々している様子ではあったが、ひとまずは落ち着いていた。
「ひとり暮らしなんですよね。女性が訪ねてきたりはするんでしょ」
「女はこの部屋には入れねえよ。鉢合わせしても困るだろ」
「まあ、それにつきましては見解の相違ってものもありますし……」
「なにをごたごた言ってやがるんだよ。女はどうだっていいんだ。メシったってな、俺の部屋になんかなんにもないから、宅配ピザにでもすっか。酒だったらあるけど、十六のガキには飲ませちゃいけないんだろ」
「柴垣さんや僕がついていると、僕らの罪が重くなりますよ」
「そうなんだよな。酒で世の中のしくみを知るって面もあるのによ。ま、適当になにか持ってくるよ。待ってろ」
 柴垣さんはキッチンに入っていき、スランはまだ泣いているので、僕は部屋を見回した。本棚には重厚な書物が並んでいる。六法全書や法律の本は、柴垣さんが法学部出身だということをあらわしているのだろう。他の書物も重々しいものばかりだ。
 ここに入るのは僕ははじめてだが、柴垣さんも意外なひとだな、なんて思って、スランに目をやった。ようやく泣きやみかけているスランは、くぐもった声で言った。
「あんたが悪いから、ディレクターのおっさんに怒られたんだろ」
「きみの解釈ではそうなるみたいだけど、きみは悪くはないの?」
「俺は悪くねえよ」
「近頃の若い子って、なんでも他人が悪いんだってね。そう思ってりゃいいよ」
「……」
 またしても無言になり、三白眼で僕を睨み据える。僕も睨み返していると、スランのケータイが鳴った。スランは目をそらして電話に出た。
「ああ……うん……そうだよ……うん」
 相手はマネージャーさんだろうか。スランは電話を切り、壁にもたれた。
 十二歳でデビューして、十六歳になったスラン。学校には通ったのだろうか。売れていたのはほんの一時期で、それ以外の時期には苦労していたのだろう。僕はその年頃には、故郷の山形で家族に甘えていた。
 両親にも祖父母にも姉にも甘えて、反抗もすこしはしたけれど、勉強もけっこうした。音楽が好きで飛行機の好きな、ごくごく普通のおとなしい少年だった。
 大学を卒業するまでの僕は、苦労なんてひとつもしていない。卒業してからだっていい先輩に恵まれて、望み通りの職業にも就けた。身体が小さくて声が低すぎる、なんて些細な悩みですらも、合唱部と先輩方のおかげで拭い去れた。
 もてないだとか恋人がいないだとか、気が弱すぎるだとか、いまだ時々は泣きたくなるだとか、ちっぽけな悩みはあるにはあるけれど、人間は悩んで大きくなるんだと、先輩たちも言っていた。
 ちっぽけな悩みしかない僕と較べれば、スランには仕事上の大きな悩みがあるのだろう。売れない苦労はしっかりと味わってこそ、シンガーとしても大きくなるのだと、シンガーになっている先輩たちは言う。僕にはその苦労は想像するしかないのだ。
 だからこそ、彼は僕みたいな弱々しい男に当り散らしたかったのか。柴垣さんには口答えもできないのは、優しい先生はなめてかかり、きびしい先生は敬遠したがる中学生や高校生の心理と同じだ。可愛いもんじゃないか、と僕はそう考えることにした。
 当たりたいんだったら当たればいいよ、と言ってやってもいいのだが、スランに殴られたり蹴られたりすると物理的に痛く、罵られると精神的に痛い。僕には包容力ってやつもないのだから、当たられるのは遠慮したいのだった。
 柴垣さんだったらスランなんかには負けないだろうけど、本橋さんに近い気性の彼は、スランに当たられると怒る。怒られるとスランは泣く。どうしたらいいのだろうか。
 泣き虫といえばモモクリのクリちゃんもいるが、僕以上の泣き虫男もわりといるんだな、と安心していてはいけない。柴垣さんと僕という両極端男を緩和してくれるひとは……女性立ち入り禁止の部屋なのだそうだから、乾さんしかいないか。
 乾さんを呼び出すってのも変だ。他の先輩たちだって僕が呼びつけられる立場ではない。柴垣さんが誰かを呼ぶとしたら金子さんか。金子さんはスランにはきびしく接して、下手をするとスランが殴られる。
 なぜか柴垣さんはキッチンから出てこない。金子さんにケータイで電話をしていませんように、と祈りつつ、僕はぼーっとしているスランを見ていた。
 他の先輩ならば三沢さんがいいのだが、やーだよっだ、と言われそうだ。クリちゃんだと泣き虫同士で気が合いそうだが、クリちゃんを呼んでも意味もない。美江子さんが言い聞かせてくれるのが一番いいとも思うけれど、女人禁制の部屋なのだった、ここは。
 泣き虫ったってね、きみは弱気な少年じゃないでしょ? 今日の出来事で頭の中がぐちゃっとして、泣いてしまったんだよね。クリちゃんや僕とはキャラがちがうよね。心を上手に表現できなくて、思い余って泣いたんでしょ?
 黙ってそんなふうに考えてはいたものの、行動が起こせない。柴垣さんはどうしてるんだろ、とキッチンを見にいくと、彼は床にすわり込んで寝ていた。
「……こういうところって木村さんみたいだな」
 キッチンで彼もなにかしら考えているのかと思っていたのに、寝てるのか。柴垣さんもお疲れなのだろう。木村さんももとロッカーだから、ロッカーって人種はところ嫌わず寝るのか。起こすと怒られそうなので、僕はキッチンから出ていった。
「スラン、おなかすいた?」
「うん」
「なにが食べたい?」
「牛丼」
「牛丼かぁ……宅配牛丼ってないよね? 宅配してもらえる食べものは?」
「牛丼じゃなかったら食いたくねえよ」
「そんならおなかをすかせてろよ」
 どうも彼と話していると、この僕も怒りたくなってしまう。怒らないように気持ちを抑えて、昔の話を尋ねてみた。
「きみたちがサンとしてデビューしたばかりのころだよね。フォレストシンガーズと海辺のイベントで共演したでしょ」
「忘れた」
「僕も三沢さんから聞いたよ。忘れてないんでしょ?」
「三沢ってあいつか。ちびのうるせえ奴」
 イベントは忘れたとしても、フォレストシンガーズはあのころよりも売れたのだから、スランも見る機会があるのだろう。憎々しげに言った。
「ラヴラヴだったら顔はいいんだから、売れるってのもわかるよ。馬鹿女にアピールするなにかを備えてるんだって、俺らの事務所の社長も言ってたな。けど、フォレストシンガーズなんてなんで売れるんだよ。おっさんばっかじゃん」
「若い子だけが売れるんじゃないよ」
「おっさんはおばさんに人気があるのか」
「幅広い年齢の女性ファンがいるみたいだね。フォレストシンガーズの歌は最高だもん」
「どこが? あいつら、歌もうぜえよ」
「うぜえ歌ってどんなの?」
「フォレストシンガーズの歌だよ」
 うぜえ歌だと感じる歌は僕にはないが、スランのこの台詞は嫉妬だろうか。
「あいつらの歌なんて、聴いてたら眠いんだよ」
「うっとりとろろーんって眠くなる歌ってのも、褒め言葉の一種だね」
「褒めてねえんだよっ!! あんたと喋ってるとむかつくんだよ。黙れ」
「……黙るよ」
 僕でさえも次第にむかついてきたのだから、金子さんがここにいたとしたら、乾さんだったとしても本橋さんだったとしても、この坊やのほっぺたを張り飛ばすのではないだろうか。
 人を殴りたいとは僕は一生で一度も考えた覚えはない。が、僕が殴るのではなく、年下の者を叱るのが巧みな金子さんか乾さんに、この子は叩かれたほうがいい、と思ってしまう。この考えは卑怯か。おまえがやれって、金子さん? 乾さん?
 できませんけどね、僕には。僕だったら人を叩いたりしたら、こっちが泣いてしまうかもしれない。こんな僕はお父さんになったとしても、子供の教育なんてできないかな。子供の教育に叩く必要はないだろうけど、僕は人を叱れる器ではないんだから。
 相手が誰であろうとも、怒りにまかせてではなく、叱るってむずかしいですね。怒るのは簡単だろうけど、相手を思いやって叱るって……金子さん、乾さん、あなたたちは偉大だと、僕は改めて感服しています。
 そう思うのは僕の勝手な考えなのだろうか。僕だって学生時代から数年は、乾さんや金子さんに叱られたり叩かれたりして、恨めしいと感じていた。今ではありがたかったと思うのは、僕も大人になったからかな。
 子供でしかないスランは、乾さんや金子さんに叱りつけられたとしたら、心の底から恨むのか。十年ほどしたら、あのときに叱ってもらってありがたかった、と思えるようになるのか。人の感情はさまざまなのだから、僕にはわかるはずもない。
 叱ってもらって感謝してます、って、僕は本気で思ってますよ。金子さんや乾さんだけではなく、他の先輩方にも、叱られて叩かれたのはとてもありがたかった。そう思えるようになった僕に、自分で言ってやりたい。クニ、そう思えるようになってよかったね。
 スランにもあんなに親身になってくれるひとがいたらね。僕にはできないんだから、そんなひとがきみにもいて、きちんと教育してくれることを祈ろう。
 自分のこともスランのことも考えているうちに、スランはケータイに向かって言っていた。相手はタクシー会社のようで、電話を切って立ち上がった。
「俺、帰る」
「そう。気をつけて」
 止める気にもならなくて言うと、スランは柴垣さんには挨拶もしないで出ていった。間もなく柴垣さんがキッチンから出てきた。
「おまえは牛丼じゃなくていいんだろ」
「……聞いてたんですか」
「みんな聞こえてたけど、俺が出ていくと怒りそうだから、寝たふりをしてたんだ。おまえは我慢強いよな。酒巻、外で飲もう」
「はい」
 柴垣さんもかなりお酒に強いはずだから、おつきあいすると明日の仕事に支障をきたす恐れもある。けれど、今夜はちょっぴり飲みたかった。


2

 告げ口をするつもりはない。スランについて誰かに話すつもりもないが、フォレストシンガーズの先輩方に会いたくなって、仕事が終わってからスタジオを訪ねた。三沢さんに電話で訊いたら、今夜は練習するから来いよ、と言ってもらったのだ。
「お邪魔します」
 スタジオに入っていくと、歌ではなくダンスのレッスンをしていた。洋介くんが来ていて、彼が先生になっているようだ。
「シゲさん、それじゃあからくり人形みたいだよ。動きがぎくっ、しゃくっ、って古い人形みたいじゃん。こうこう、こうだよ」
 もとアイドルはダンスがきわめて達者だ。シゲさんも素直に洋介くんに教わっていて、僕はダンスレッスンを見学させてもらった。
 三沢さんと木村さんと乾さんはダンスも上手で、本橋さんはやや苦手。シゲさんはすっごく苦手であるらしいとは僕も知っている。僕はダンスなんかする必要のない職業でよかった。僕が踊ったら前のめりに倒れて床で顔を打ち、鼻が折れるかもしれない。
 シンガーズは歌以外にもレッスンがあって大変なのだ。筋トレだってやっていて、僕もたまさか、酒巻もやれ、と言われてやらされるのだが、僕はお喋りがいい。ダンスも筋トレもやだやだやだぁ。やれとも言われていないのに、やだやだと考えつつ、見物していると笑えてくる。笑っては失礼なので辛抱していると、洋介くんがそばに寄ってきた。
「酒巻、待ってろよ」
 乾さんに言われてうなずくと、洋介くんが話しかけてきた。
「酒巻さんはなにしに来たの?」
「先輩たちに会いたくて、お話したくて来たんだよ」
「ふーん。そうなんだ。酒巻さんの腕って細いね。俺が鍛えてあげようか」
「けっこうです」
「あんた、弱いだろ」
「弱いよ」
「認めるなっ」
 洋介くんもなかなか生意気なのだが、スランよりは陽性だとも思える。それに、彼には教育係りのお兄さんが五人もいる。彼はフォレストシンガーズのみなさんにいろんなことを教えてもらい、叱ってももらって感謝しているのだろうか。
 背丈は乾さんくらいだが、乾さんに言わせると、脚は洋介のほうがはるかに長い、なのだそうだ。僕にははるかに、だとは思えないが、たしかに脚は長い。顔立ちはファイに近いほどに整っている。ファイよりも一般的な美貌なのだから、一般受けは洋介くんのほうがはるかに上だろう。
「洋介くんはサンって知ってる?」
「なに、それ?」
「知らないんだったらいいよ。ちょっとちょっと、なにをするつもり?」
「だからさぁ、俺、暇なんだもん。鍛えっこしようよ」
「いやだ。離して」
 腕をねじり上げられて冷や汗をかいていると、乾さんが洋介くんを叱りつけてくれた。
「洋介、年長者に向かってなんだ、その態度は」
「年長ったってさ……酒巻さんって身体つきも顔も俺より年下に見えちまうんだもん。いくつだっけ、あんた?」
「三十です」
「俺より十近くも年上? 信じられねえよぉっ」
「洋介、こっちに来い」
 本橋さんに呼ばれて、うへーっ、って顔で近づいていった洋介くんは、本橋さんに頭を殴られて泣き真似をしていた。
 こうやって人を気軽に殴るんだから、僕には本橋さんは昔はとっても怖いひとで、今でもちょっとは怖いのだが、からっとしていていやな気分なんてまったくない。洋介くんだってぼかっとやられても全然気にもしていない。
 そんなに深刻に考えないほうが、人をぼかっとやれるのかもしれない。だけど、本橋さんと僕は性格がちがいすぎ、洋介くんとスランだってちがいすぎると思える。僕が気軽にスランを殴ったりしたら、恨み骨髄で闇討ちされたりして。
 と、僕はすぐにくよくよと考えすぎる。だからいけないのかな、と考えているうちに、洋介くんは木村さんを殴ろうとして、乾さんに引き戻されて軽くほっぺたを叩かれ、シゲさんに押さえ込まれて悲鳴を上げていた。
 クリちゃんも乾さんにほっぺを叩かれたそうだが、僕に似たクリちゃんは、それについてうじうじと恨み言を呟いていた。クリちゃんにもスランにも僕と似た部分があって、同類嫌悪がわずかにあるのかもしれない。
 またまたくよくよ考えているうちにも、洋介くんはフォレストシンガーズのみなさんに叱られている。叱られてもちょっとくらい叩かれてもめげない洋介くんは、へっちゃらの顔をして笑っている。うらやましい。僕も洋介くんみたいな性格になりたい。
 あれなのだから、洋介くんの場合は叱られて感謝するのではなく、え? 俺、叱られたの? ちがうよ、遊んでるんだよ、と言いそうにも思えるのだった。
「あいつと遊んでると、俺、全身がたがたになりそう」
 木村さんは外に逃げていき、三沢さんは僕のそばに来た。洋介くんはフォレストシンガーズの年長三人に叱られ続けていて、それでもけろりとしていた。
「三沢さんも遊んでたんですか」
「章はあんなのと遊びたくないから逃げていったんだけど、俺は遊んでた気分だよ。本橋さんも洋介を撫でてやってるようなものだろうし、乾さんは軽く軽く叱ってる気分かな」
「シゲさんは?」
「本橋さんが怒り出したり、乾さんが洋介に本気のビンタを飛ばしそうになったりしたら、阻止してやろうとして待機してるんだよ」
「なるほど」
「あいつは懲りない奴なんだ」
「三沢さんと洋介くんって似てるんですね」
「俺、あんなに美青年?」
「それについてはコメントは控えさせていただきます」
「あっそ。それはいいけど、おまえもやる?」
 なにをやるのかと見てみたら、洋介くんと本橋さんがキックボクシングごっこをやっていた。ふたりとも楽しそうだ。
「それについても答えは控えさせていただきます。っていうより、いやです。仲間入りさせないで下さい。三沢さんがやったらいいでしょ」
「やだ。複雑骨折してその骨をさらに複雑骨折するよ。リーダーのキックも強靭だけど、洋介だって鍛えてるから脚力はすげえんだぜ」
「そのようですね」
「乾さんも負けないんだよな。乾さんも洋介につられるのか、気持ちがガキに戻るみたいだよ。俺たち五人だと乾さんはいつも澄ましてるのにさ」
 再び見やると、乾さんと洋介くんが組み合っていた。相撲だろうか。真っ赤な顔をして踏ん張っていた洋介くんが投げ飛ばされて、僕も加わってみんなで拍手した。
「不意打ちはなしだぞ、洋介。俺がよそ見してる隙に背中から飛びかかってきたりしたら……シゲ、頼んだよ」
 乾さんが言い、シゲさんも言った。
「まかせて下さい。そんな真似をしたら縛り上げて屋根に放り投げてやりますから」
「きゃああ、シゲさんったらひどーい」
 洋介くんは三沢さんみたいに言って、げたげた笑った。本橋さんも言った。
「おまえが悪ふざけをするから、ダンスのレッスンが中断しただろ。俺たちはレッスン再開だ。幸生、章を連れ戻せ。洋介はアイスコーヒーを淹れろ。こら、洋介、返事しろ」
「はいはーい」
 三沢さんと洋介くんの返事がそろい、本橋さんと乾さんとシゲさんはダンスに戻った。僕はスタジオのキッチンのような場所へと、洋介くんについていった。
「サンって本当に知らない?」
「サンって言われたって、なんのサン?」
「アイドルグループだよ」
「サンってグループ?」
「SUN」
「……知らねえよ」
 サンのほうは強く意識していたけれど、ラヴラヴボーイズの目には留まっていなかった。そんなのもよくあるのだろうが、僕としては切なかった。
「それがどうかしたの?」
 これは告げ口ではない。洋介くんにだったら話したかった。
「そのうちのひとりだった少年に会ったんだ。サンって解散したんだって」
「だから、それがどうしたの?」
「売れなかったそうで……ああ、そっか」
「なんなんだよ、酒巻さん、わけのわかんねえことばっか言うなよ……あ、やば」
「どうしたの?」
「今、俺さ、酒巻さんをぼかっとやりそうになったんだ。あんたがわけのわかんねえことを言ったからって殴ったりしたら、本橋さんに怒られて出入り差し止めにされちまうもんな。ごめんな」
「……殴られるよりもそっちが怖いんだ」
「当然じゃん。俺は殴られたって全然どうってことないもんね」
 殴られてもどうってこともない洋介くんは、別の方法で教育されているのか。出入り差し止めが怖いのは、本橋さんが大好きだから? 僕はさきほども考えたことを尋ねた。
「叱られて感謝? んなもん、するかよ。叱られたりしたらむかつくんだよ」
「本音?」
「俺はぐだぐだ説教されるよりは、殴られるほうがいいの。だけどさ、内緒だけどさ」
 声をひそめて、洋介くんは言った。
「そのうちには大人になるんだから、本橋さんみたいな男になりたいな。ってさ、なーに言ってんだよ。洋介ちゃんったらお馬鹿ねーっ。きゃっきゃっきゃーっ」
 三沢さんの真似をしてはぐらかそうとしているのは、本音だからだろう。きみも可愛いね、と言いそうになって、言ったら殴られそうで、殴られると洋介くんが本橋さんや乾さんにこっぴどく叱られるのだそうだから、言わないでおいた。
 洋介くんと話していて、ああ、そっか、と気づいたのは、彼も解散したアイドルグループのメンバーだったということだ。
 明るくふるまっている洋介くんも、アイドルではなくなってから苦労しているのだろう。このふるまいはすべてが彼の真実の姿ではない。そもそもラヴラヴボーイズが解散したということ自体に、闇の部分があるのだろうから。
 スランには僕はなんにもしてあげられないけど、洋介くんはこうしてしっかり、頼もしい大人たちに教育してもらっている。よかったね、洋介くん、と言った僕の心には、昔の僕への言葉も含まれていた。


 ダンスレッスンが終了すると、洋介くんも含めて七人で食事に行った。シゲさんも本橋さんも昔と変わらずよく食べるのだが、洋介くんは若いだけあってシゲさんに負けないくらい食べる。見ている僕のおなかが苦しくなってきそうだった。
「煙草がほしくなってきた。ちょっと失礼」
 辟易したふうに乾さんが言い、店から出ていく。三沢さんは木村さんに言った。
「この食欲には俺が死にそうになるよ。章、歌おうぜ」
「俺も歌うほうがいいよ。シゲさんと洋介とリーダーとで、店の食材を食いつくすんじゃねえのか」
 あまり食べない三人が退席し、三沢さんと木村さんは歌い出す。本橋さんは言った。
「このくらいは普通だよな。あいつらが食わなさすぎるんだ。幸生も章も乾も男じゃねえんだよ。だろ、シゲ?」
「男は食わないといけませんよね。洋介、もっと食えよ」
「うん、食うよ。酒巻さんも男じゃないんだな」
「これ以上食べるくらいだったら、僕は男じゃなくてもいいです」
「クリみたいに言うなよ」
 洋介くんに言われて、クリちゃん、僕は食欲だけはきみに似ててありがたいよ、と呟いた。
 胃袋の容量ってのも個人差が大きいのだろうが、ここにいて食べている三人は桁外れの食欲だ。彼らの胃袋はどんな形状をしているのだろう。三沢さんの言う、ブラックホールにつながっているというのは、あながちまちがった形容ではないのかもしれない。
 本橋さんはそれでもまだ少なめだが、シゲさん……洋介くん……特にシゲさんは飲むのも人一倍で、お酒と料理がまたたく間にシゲさんのおなかへ消えていく。
 僕もげんなりしてきたので、乾さんがいるはずの店のテラスに出ていった。煙草の煙が漂っている。僕は煙草は嫌いだし、歌う者が喉にも健康にもよくない煙草を吸うなどとはもっての他だと思うのだが、乾さんは僕が意見しても聞き入れてくれない。変に頑固な先輩なのだ。
「煙草ってそんなによくないのか」
 たった今も、乾さんは言った。
「身体にはよくないでしょ?」
「精神にはいいんだよ。身体によくても精神によくないものよりは、精神にいいものが俺は好きなんだ。日本人っててのひら返しが得意だろ」
「そうですね」
「だからさ、煙草が実は身体にいいって新説が出てきたら、メディアがこぞっててのひらを返すぜ。誰かそんな説を発表してくれないかな」
「ないでしょうね」
「ないだろうな。でも、ガキだって煙草も酒もやればいいんだよ。そうやって自分にいいものと悪いものを選び取っていけばいいんだ」
「乾さん、暴論ですよ」
「はい、おっしゃる通りです」
 乾さんは煙草を消して、携帯用灰皿に入れた。
「おまえはさっきからずっと、考え込んでいたよな」
「気づいてたんですか。どうでもいいようなことを考えてたんですけど、乾さんって誰かを叩くときには相手を選んでやるんですよね」
「そりゃそうだろ。洋介だったら平気だろうから、軽くひっぱたいたりはするんだよ」
「クリちゃんは?」
「あいつも鍛えてやろうとしたんだけど、無駄だったかな。クリはモモちゃんにまかせよう。そのつもりなんだけど、俺はお節介焼きなんだろうな」
 お節介なんかではないと思うが、ならばどう言えばいいのかわからない。では、僕を叩いたのは? と尋ねるのもやめておいた。あのときの乾さんの気持ちは知っているつもりなのだから、確認なんかしなくていい。
「人を叱るってむずかしいですよね」
「そうだな。俺なんかが若い奴を叱るってのは、やってはいけないことなのかとも思うよ」
「そんなことはありませんよ。乾さんと金子さんにはふさわしい役目です」
「ふさわしいなんて嬉しくねえんだよ」
 新しい煙草に火をつけたのは、居心地が悪くなったのだろうか。乾さんも可愛いな、なんて、むろん口にはできないのだが。
「僕も今後とも……」
「叱ってほしいのか。ひっぱたいてやろうか」
「いいえ、あの、適度に……乾さんはサンって覚えてますか」
「サンとは? なにかの名前か?」
「いえ、いいんですけど」
 煙を僕にかからないようにして吐きながら、乾さんはなにか考えていた。それから、小さな声で歌い出した。
 
「逢いたくって 逢いたくって 星の数の夜を越えて
 いつまでも いつまでも 君はきっと僕の光

 君の側に居る
 風の朝も 凍りそうな月夜も
 そうさ不器用な僕に出来ること
 瞬きする度 カタチ変える雲みたいな君だけ
 ずっと見つめて 明日を駆け抜けたいんだ
 曖昧な言葉なんて 心を曇らすだけ
 まっすぐに泣いて笑ってよ
 守り続けるから

 逢いたくって 逢いたくって 星の数の夜を越えて
 いつまでも いつまでも 君はきっと僕の光
 逢いたくって 逢いたくって 見つけたんだ僕の太陽
 眩しすぎる君の横顔 」

「My sunshie」。サンに通じるタイトルは、乾さんにとってどんな意味があるのだろうか。乾さんはサンを覚えていて、彼らにエールを送っているのか。僕のためにも歌ってくれているのか。
 歌詞の内容からするとラヴソングであろうが、別のとらえ方もできる。僕の太陽は僕の先輩たち。輝く笑顔は三沢さん。眩しすぎる乾さんの横顔。光みたいな金子さんの存在。その他にもいくつもいくつもの、僕の先輩たちの顔が見える。
 洋介くんだって、心の奥ではフォレストシンガーズのみなさんに、僕と同じ気持ちを抱いている。スランにもそんなひとができるといいね。乾さんの歌声に小さく低くハーモニーをつけながら、僕は心の中にあるいくつもの顔を見つめ直していた。

END



 
 
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