番外編

番外編63(show must go on)

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番外編63

「show must go on」


1・繁之

 初体験ではないといえ、目新しい仕事は胸がはずむ反面、不安でもある。幸生は芸達者である上に、芝居は大好物なのだから嬉しいだろう。乾さんだって得意なはず。章もけっこう達者なはず。本橋さんは危惧しているのかもしれないが、俺よりはましなはず。
 フォレストシンガーズ十周年記念ライヴDVDが発売されると決定し、おまけのような形で添えるのが芝居のDVDだということで、俺はげげっとなったのだ。
 ラジオドラマに出演したり、今までのプロモDVDでも寸劇をやったりしているのだから、戸惑わなくてもいいようなものではあるが、俺としては戸惑う。しかも、えらく若い役だ。二十歳をすぎたばかりの本庄繁之役だ。
 脚本、演出はみずき霧笛、監督は安曇義則、音楽はフォレストシンガーズ。「show must go on」は我々のデビュー前から幕を開ける。ラジオドラマの「水晶の月」では同名異人の本庄繁之を演じた俺は、今度は若き日の俺自身を演じる。
 かなりのフィクションも含んだ芝居の幕開けは、若いファッションの俺たちが公園に集まっているシーンだ。本当に俺たちは十年以上前には、こうして公園で歌の練習をしていた。


 遅い遅い遅い。口には出さねど、公園にそろっている四人のメンバーの想いは同様だろう。木村章が約束の時間を過ぎてもやってこない。
 「Forest singers・show must go on」。芝居のメインテーマが流れる中で、本橋真次郎が舞台の袖から袖へとうろうろしている。乾隆也は腕組みをして立っていて、本庄繁之は本橋と乾を見やって心配顔。三沢幸生は言った。
「リーダーったら、動物園のクマさんみたいに歩き回らないで、落ち着いて下さいよ。腹は減ってない? 先におにぎりでも買ってきましょうか」
「言いたくもないけど、こんなんじゃ先が思いやられるだろ。章はどうしたんだよ」
「また寝坊してるんですよ」
「こんな時間に寝坊かよ。あの馬鹿野郎、今日こそ来たら張り倒す。止めるなよ、乾」
「ことと次第によったら止めないけど、章の話を聞くのが先だろ」
「言い訳なんか俺は聞く耳持ってねえんだよ」
 足音が聞こえてくる。すべり台とブランコのあるセットに、姿を見せたのは木村章ではなかった。
「ヒ……デ?」
 本庄が目を見開き、三沢が彼に駆け寄っていった。
「ヒデさん、戻ってきてくれたの?」
「お待たせしました。戻ってきたって、どこからだ? 遅刻してすみません。バイトが終わらなかったんですよ」
「あ……ああ? ええ? 乾?」
 本橋は乾を見つめ、乾は言った。
「夢でも見てるのか。四人そろって? ヒデはいなくなってしまったんじゃないのか。ヒデは時間にルーズではなかったよな。章が来る前には、誰かが遅刻してリーダーが怒るなんて、まずなかったじゃないか。そうだな。ヒデが帰ってきてくれたんだったらそのほうがいいよ。夢なんかじゃないんだ。章は捨てるか。あんな遅刻魔は除名するか、リーダー?」
「そうも行かないだろ。六人になるってのは?」
「章って誰ですか」
 小笠原英彦が問い、三沢が答えようとしているところに、走り込んできたのが木村章だった。
「うわわわーっ、すんませんすんませんっ!! 出がけにね……事情がありましてね……息が整わないからちょっと待って」
 ひいひいはあはあ言いながらも、木村は小笠原を見た。
「誰かの友達? えと、あの、木村です」
「俺はおまえなんか知らないぞ」
「俺もあんたは知らないよ」
 木村と小笠原が睨み合う。三沢は本庄に言った。
「シゲさん、このふたりは知り合いのはずだけど、もとをただせば変な世界に入り込んでるんだよね。知り合いじゃないのかもしれないよ。どうしよう?」
「俺じゃなくて乾さんにすがってくれよ」
「乾さーん、どうしましょ」
「乾、どうするんだよ」
 本橋も言い、乾が進み出てきた。
「ヒデはうちから脱退はしてないのか」
「なんだって俺が脱退するんですか。してるわけないでしょ」
「章はいつからうちにいるんだ」
「夏ぐらいからですよ」
「……おまえたちの記憶が正しいんだとしたら……六人でやろう。六人のフォレストシンガーズだっていいだろ。むしろそのほうがいいよ。シゲ、どうだ?」
「俺はそれがベストだと思います。幸生は?」
「俺もそれがいい。そうしましょうよ」
 が、小笠原は納得しなかった。
「どうしてこうなるんですか。木村なんて奴は俺は知りません。いきなり六人でやるって言われたって、なにがどうなってるのかわかりませんよ」
「俺だって……俺が遅刻したから?」
「俺も遅刻したんだけどさ」
「そのせいで……」
 乾が言った。
「本橋の怒りをそらせようと、神が粋なはからいをしてくれたのか。ヒデは幻なのか」
「俺が幻? そうなのかもしれない。なんだかね」
 小笠原は寂しげな微笑を浮かべていた。
「俺、現実にはどこでなにをしてるんだろ。なんなんだろ、これ。あんたたちを思い出していたのかもしれないな。俺は現実では梅雨のころにフォレストシンガーズから脱退して、あんたたちなんかデビューもできずに消えていくんだと思ってた。俺の選択は正しかったと思いたいから、あんたたちなんかプロになれなかったらいいと思ってた。そのくせ、ぼけっとしてると思い出すんだ。だから、こうして思い出して、昔は練習していたここへと気持ちだけが飛んできたんだよ。同じ場所で練習してるんですね。プロになるって決意は崩れてないんですね。俺としては悔しいんだけど、俺にとっては過去だ。捨てますよ。章って奴も思い出してきた。消えますよ。みんな……」
「あ、ヒデ!!」
 本庄の声と同時に、舞台が暗転していく。灯りがともったときには小笠原は消えていて、五人は呆然と立ちすくんでいる。数秒後には乾が口を開いた。
「俺の言った通りの夜の幻だよ。本橋、章を殴ろうなんて気はなくなっちまっただろ」
「うん、まあな」
「ヒデがとりなしてくれたんだ。章、練習しようぜ」
「は、はい」
 三沢は元気いっぱいの声を上げた。
「ヒデさん、会えて嬉しかったよ。元気でいるんだよね。さあさあ、先輩たちも章も、練習しようぜっ。いずれ来るメジャーデビューの日を夢見て、歌おうよ」
 五人の歌が響き渡る。「虹いろの夢」。この舞台のためにフォレストシンガーズのメンバーたちが書いた、オリジナル曲がステージに響いていった。


 おまえも出ろよ、と言ってみたのだが、ヒデは固辞したので、小笠原英彦だけは本職の舞台俳優が演じている。であるので、戸蔵一世、イッセイと読む彼が演技はトップ。当然であろう。
 このシーンはヒデが重要な役なので、上手な俳優が演じてくれているのはありがたい。秋のはじめの設定で、Tシャツや半袖のシャツにジーンズやコットンパンツ姿で、二十一歳から二十三歳までのフォレストシンガーズを、三十路の我々が演じる。イッセイくんにしても三十歳なのだが、役者は若い役作りも巧みだ。
 リハーサルでは俺はただただ、夢中だった。練習は積んできているのだが、さほどに時間が有り余っているわけでもなく、俺は家で妻を相手に台詞読みもしてきた。スタジオでもライヴホールの楽屋でも暇を盗んで、五人で合わせてきた。全員そろっていなくても芝居の練習をした。
 歌の練習やライヴのリハーサルだってあるのだから、本業をおろそかにしてはいけないのだが、俺たちにできる限りは、芝居だって最高の形でお見せしたい。
 シナリオを書いたみずきさんは、俺たち五人とは親しい。特に幸生と親しい。我々が登場する実名小説のようなものも何篇も書いてくれて、ヒデとも会って話している。ヒデも美江子さんも含めてみずきさんと討論して、完成した脚本だ。
「今回は演出も僕にまかされました。演出は初仕事なんですけど、がんばります」
 「水晶の月」がデビュー作であるみずきさんは、フォレストシンガーズと足並みをそろえて出世階段を上っている。我々が大物ではないので、みずきさんもまあ近いレベルではあるが、ビッグになりつつある。親近感湧きまくりの境遇なのだ。
「みずきさんって演出家としてはきびしいんですか。ユキちゃん、あんまりきびしくされると泣きますよ」
「泣いていては仕事ができないでしょ。女の子だからって甘やかしませんよ。僕の命令を聞かないと、隆也さんに言いつけて叱ってもらいますからね」
「いやーん。隆也さんに叱られたら、きゃはっ、素敵」
 幸生とみずきさんは小説と現実を混同した会話をしていて、乾さんも言っていた。
「女のユキの芝居ではなくて、俺は助かりました。あれはなかなか女性ファンのみなさまには受けがいいようですので、ユキと隆也の芝居をしようと言われたらどうしようかと、戦々恐々していたんですよ。若き日の俺たちが主役でよかった」
「もひとつおまけに、ユキと隆也のラヴストーリィ芝居もつけます?」
「やめてくれ。俺はいないだろうが」
 なぜかユキと隆也の小説には出てこない章が言い、続けてこうも言っていた。
「本当にやる芝居だって、俺はこんな役。現実にこうだったんだから文句は言えないけど、これでいっそうファンが減るんじゃないの? このあとだって俺が……ああ、俺が俺が……どうせそうだよっ」
 どうせそうなのは現実でもそうだったのだから、章の不満は半端なのであった。
「乾さん、ふたりでこそっとやりましょうよ」
 幸生が言い、本橋さんも言った。
「二十周年のときにやれ」
「ほんとにやっていいの?」
「そのころにはおまえも四十をすぎてんだぞ。十八の女の子を四十すぎの男が演じるのか。勇気があるんだったらやってみろ」
「四十をすぎたユキと隆也の再会話。おばさんの役をやるのか……しばし悩ませて下さい」
「死ぬまで悩んでろ」
 二十周年かぁ……そのころにもフォレストシンガーズは健在だよな、おじさんシンガーズもいいよな。すでに近いか? と俺は考えていたのだが、まずは十周年だ。無事に終わってから二十周年を考えよう。
 章の遅刻と幻のヒデが登場というシーンで幕を開けた「show must go on」は、この芝居のためのオリジナル曲に乗せて、こう続いていく。


2・幸生

 すべり台のてっぺんに立って、幸生は泣いている。二十一歳の紅顔の美少年を演じる厚顔の三十男は、役になり切ってさめざめと泣いている。二十一歳だったら美少年の年頃でもないけれど、俺は当時は美少年だったんだもん。
 この幸生にだって機嫌の悪い日はある。今日がその日で、そんな俺に公園の入り口で突き当たってきた奴らがいた。ガキが三人だ。小学校の四年生か五年生程度か。六年生にもなると俺よりもでかい奴もいるが、彼らは俺よりはだいぶ小さかった。
 小学生のガキなんてものは、俺もそうだったから身に覚えはある。ふざけあいっこしながら道を歩いていた彼らは、塾帰りでもあったのか。三人でふざけ合っていればいいものを、俺にどんどんぶつかってきた。わざとやっているのはまちがいなかったので、俺はそいつらを叱りつけてやった。
「大人に向かってそうやって悪ふざけすると、危険なんだぞ。俺は穏やかな大人だからいいけど、荒っぽいおっちゃんやお兄ちゃんだったら殴られるよ。相手が女のひとだったら痴漢扱いされるぞ。こらーっ、やめろーっ!!」
 こうして怒鳴っているのが本橋さんか乾さんか、シゲさんだったとしたらガキどもは怯むであろう。俺のこの声では叱られているとも思わなかったようで、喧嘩を売ってきやがった。
「あんたって大人? ちびじゃん」
「その声は子供だろ。僕よりも高い声だよ」
「こうやったら倒れるんじゃない?」
 図に乗りまくったガキどもの三人攻撃。俺のほうこそ怯みそうになったのだが、ここで逃げては成人男子の名がすたる。俺は本気を出して彼らに対抗した。突き当たってくるガキどもを突き飛ばし、脚を蹴ってやったら、しまいに三人ともに地面にすわってべそをかいた。
 やりすぎたかな、とは思ったのだが、悪いのはこいつらだ。にしても、ここまでやったのは俺の機嫌が悪かったからに他ならない。目に渾身の迫力を込めて睨みつけ、最低音で俺は言った。
「さっさと家に帰れ!!」
 馬鹿、タコ、死ね、とか言っていたものの、ガキどもは立ち上がって帰っていった。後味よくないなぁ、って気分でそいつらを見送っていると、乾さんに肩を叩かれた。
「おまえが子供を怒鳴るだなんて、なにかあったのか」
「ありましたよ。ガキったって相手は三人じゃん。小学生と喧嘩したんだもん。勝ちましたよ」
「子供と喧嘩して勝って自慢するな。あの子たち、泣いてたようだろ。おまえが泣かしたのか」
「そうですよ」
 ごめんなさい、やりすぎました、と言えばよかったのだろう。そうすれば乾さんに叱られずにすんだはずだ。なのに、説教されて口答えして、乾さんにほっぺたをぶたれたら堰を切ったように涙があふれ出し、俺はすべり台のてっぺんへと上っていったのだった。
 夜風に変わった冬の風が、俺の髪をなぶる。乾さんの平手打ちは強くもなかったけど、すこし痛む頬も、もっと痛む胸も、風がからかうようになぶる。ガキと喧嘩して泣かせていばって、乾さんに叱られて叩かれた。ガキは俺じゃん、と自嘲したがる俺を、冬の風が苛める。
 こんなときには思うんだ。俺が女の子だったらな。そしたら乾さんは叩いたりもしないんだろうけど、もしもとっても悪い子になって叱られて叩かれたら、乾さんの胸に飛び込んで泣けるのに。
 男の俺は人前では泣けない。乾さんはいつだって、男だって泣いてもいいけど、誰もいないところで泣け、と言う。だからこうやって高いところに上っていって、俺は声を出さずに泣いている。ガキと闘って勝った馬鹿。そんなんで叱られて泣いてる馬鹿。俺は馬鹿。
「なんなんだよ、幸生はなにやってんだ?」
 本橋さんの声が聞こえてきた。
「すべり台をすべりたいんだったらすべってこいよ」
「行くな、シゲ、しばらくひとりにしてやれ」
 乾さんの声、シゲさんが、はあ、そうですか、と言っているのも聞こえる。章も言っていた。
「あいつ、泣いてません? 女にふられたのかな。幸生の泣き顔を見物しにいってこようかな」
「章も行くな」
「……行きませんよ。なんで乾さんが怒るの?」
 人前では男は泣いてはいけない。泣いている男を近くで見つめたりしてはいけない。男だ女だと言いすぎるのを嫌う乾さんには、男としての美学が確固としてある。無意識なのかもしれないが、人間とは言動不一致なものである。そこに思いが至ると、風になぶられたせいもあって涙が乾いていった。風は叱られて泣いてる俺を苛めていたんじゃなくて、慰めてくれたんだね。


 役柄になり切っていたので、俺のみの視点でシーンの描写をしてみた。
 シリアスな芝居なので、女の子ユキは登場しないほうがいい。シリアスとはいってもおふざけゼロではないが、変態チックや倒錯ふうはゼロ。ってわけで、俺の気持ちをみずきさんはこんなふうに表現してくれた。
 現実でも俺は乾さんによく叱られて、ひどくはないんだったら時々ほっぺをぶたれた。そんなときには泣きたくなったこともあるけれど、実際には泣かなかった。
 だけど、芝居でああやって泣いていると、二十一歳の幸生に入り込んでしまう。ちょっぴり女の子っぽくもなっている幸生が愛しくて、涙は甘美だ。本当に乾さんの胸に抱きついて泣きたいな、とまで思っていた。
 独言は俺のバックに、俺の声で流れていた。俺が女の子だったらな……聞きようによっては変態チックかもしれないが、あのころの俺の感情にはまぎれもなく、それがあった。だからみずきさんはああ描写してくれたのだ。
 三沢幸生の独壇場芝居。ここは俺が主役。ファンの方々はユキちゃんがかすかに変態チックだとはごぞんじであろうから、これしきだったらへっちゃらだもん。
 二十一歳の紅顔の美少年は、変態だなんて思われたくもなくて必死で否定していたが、三十代になった厚顔の美青年は開き直っている。かすかだったらいい。俺が変態だったら誰かに迷惑かけるのかよ。俺のこの程度の変態なんて可愛いもんじゃん。
「迷惑はかけてるだろ、俺たちに」
 リーダーの声が聞こえてきた。
「乾とのあの芝居、ひとりででもおまえがやる、女芝居。乾はいいんだろうけど、シゲも章も俺もうーんざりなんだぞ」
「慣れればいいんですよ」
「慣れねえんだよ。よくも乾は平気でいられるよな」
「俺は慣れたよ。本橋もシゲも章も、反応が過激すぎるんだ。むしろおまえたちのほうが変態で、それを隠すために過激な反応を示すのか」
 おーっ、乾さん、もっと言って。
「やってみるか、シンちゃん? 俺が女役をしてやるよ。真次郎さん、恨み重なる愛しい真次郎さん、おタカはあなたが恋しくて恨めしくて、成仏できずにさまよってるの」
「やめやめっ、やめろーっ」
 やめてーっ、と章も言っている。シゲさんはうろたえている。乾さんの芝居が真に迫ってきた。
「いつまで待っても来ぬひとと、死んだひととは同じこと……抱いて抱かれた二十歳の……ええと……だから、だから、夜桜おタカ~」
「やめろっての」
 ところどころ歌詞を失念しているようだが、「夜桜お七」の節回しで歌って、乾さんが本橋さんにしなだれかかろうとする。本橋さんは逃げていき、俺は会心の笑みを浮かべる。乾さんはいやがっていないのだから、今後ともどしどし、現実生活での小さな芝居にもつきあってもらおう。


3・章

 夜の公園に三沢幸生と女の声が聞こえている。木村章はすべり台の陰に身を潜めた。
「だって、猫って手がかかるんだもの」
「生き物ですからね」
「可愛いからひと目惚れして買っちゃったんだけど、トイレだの餌だのなんだのって、こんなに世話をしなくちゃいけないものなんだよね」
「当たり前でしょ」
 猫好き幸生の女との猫話か。章は猫にはなんの興味もないのだが、幸生が狂がつくほどの猫好きなのは知っているので、黙って聞いていた。
「子猫じゃなくなったんだから、もう大丈夫じゃない?」
「あなたが買ってあなたの猫にしたんだから、死ぬまでは面倒見なくちゃいけないんだよ。その覚悟もないのに猫を買うなよ」
「えらそう。そしたらあんたにあげるよ」
「俺は猫と暮らせる身分ではないんだ。連れて帰って」
 みーっ、と猫の声がする。女は幸生に猫を抱かせた。
「この場は連れて帰っても、どこかよそに捨てようとするんじゃないの?」
「だってさ、彼は猫が嫌いだって言うんだもん」
「そんな奴とは別れなさい」
「それはないでしょ」
「俺とつきあう? 俺は猫は大好きだから、猫の面倒も半分くらいは見てあげるよ」
「あんたとなんか……ちびは嫌い」
「ああ、そうですか」
 どさくさまぎれに女をナンパしようとするとは、幸生らしい。章はひそかに笑っていたのだが、女と幸生の猫話は続いていた。
「どうしても面倒見られないんだったら、保健所に連れていけよ」
「そしたらどうなるの?」
「猫は殺される。ガス室送りらしいね」
「あんたが連れていってよ」
「獣医さんに安楽死させてもらうって方法もあるよ。そうすることだって、あなたが最後まで面倒を見たって意味にはなる。目の前で猫が殺されるのを見て、生き物を安易に買ったりするあなたの無責任さを自覚すればいいんだ」
「どうしてそんなに残酷なことを言うの? 捨てるほうがいいじゃない」
「よくないんだよっ」
 なんだって猫ごときでそんなにムキになるんだよ、と章は言いたいのであるが、幸生は真剣に言っていて、怒りまでがにじんでいるように見えた。
 めったと怒らない奴が猫となると真剣になる。猫となると小学生みたいになる。以前に幸生がすべり台の上で泣いていたようだったのも猫がらみだったのか。猫ごときで泣くだの怒るだの、章には信じがたいのだが。
「あんたがどうにかしてよ」
「きみの猫でしょ」
「飽きたしいやになったし、もういらないのっ!!」
「そんな人間に買われて、きみは……」
 腕の中の猫に話しかけている幸生のそばから、女がこそーっと逃げ出そうとしている。そこに歩いてきたのは乾隆也だった。
「捨て猫?」
「あたしが捨てた猫を、このひとが拾ったの」
「……?」
「あたしは捨てたんだから、猫なんかどうなってもいいのよ。保健所にでも獣医さんにでも連れていって。捨てるほうがよっぽどいいだろうに、殺すだなんて言って、このひとって猫好き?」
「幸生は猫好きだよ。動物を好きすぎる人間は人間嫌いだなんて言うけど、幸生は人間も好きだよな。生き物はあまねく好きなんだ」
「好きなのに殺すの?」
「あなたの話はよくは見えないけど、捨てるくらいだったら殺せと幸生が言ったの?」
「そうだよ」
 女は隆也を睨み上げる。幸生は猫に語りかけていて、章はそんな三人を見ていた。
「そこまでしたら、最後まで面倒を見たってことになるんだって」
「そういう考え方もあるんだな。あなたが猫を捨てたとしたら、彼だか彼女だかは強くひとりで生きていけるのかもしれない。俺はまだしも捨てるほうがいいと思うけど、幸生はそうは思わないのか?」
「この子、彼ですよ」
 微妙にずれた返答をしてから、幸生は言った。
「そこにいる女性の気持ちは、猫からは離れてしまっている。人間のカップルの別れと同じなのかな。気持ちが遠ざかっていってしまったら、泣いてすがっても無駄なんだ。俺も彼女に捨てられたときを思い出すよ。おまえも男なんだよな。哀しいね」
 本庄繁之と本橋真次郎も姿を見せ、ステージに並ぶ。章も出ていって、猫を抱いた幸生を中心に歌い出す。「いつかもう一度」。別れの歌を五人で歌っていると、猫が幸生の手を逃れて、彼を捨てようとしている女のもとへと駆け寄っていった。
「……ええ? あたしがいいの? いつだってつんつんしてるくせに。猫ってあんまりなつかないし、身勝手だからさ、飼ってみたら可愛くないって思ったんだけど、捨てられたくないの? いい歌だよねぇ。あたしも前の彼氏と別れたときを思い出しちゃうよ。あたしはまだ彼が好きだったのに、彼はあたしなんか好きではなくなったの。あんたもそんな気分? 涙が出てきそう……そっか。あたしがあいつを捨てたらいいんだね。この歌……あんたじゃなくてあいつを捨てる。あいつはあんたを嫌ってるし、だからもあってあんたを捨てようって決めたけど、あんたはこんなにあったかいの。キキ、ごめんね。この歌のせいで……うん、帰ろうね」
 猫を抱いた女が歩いていき、歌がフェイドアウトしていった。
「俺たちの歌って、薄情な女の琴線を震わせたんだ」
 章が言い、真次郎も言った。
「歌ってたけど聞こえたよ。あの女の子に猫を捨てるなって言ったのか。猫じゃなくて彼氏を捨てるって言ってただろ。幸生か、乾か、そうやって彼女に意見したのは」
「幸生でしょ」
 繁之も言った。
「猫嫌いだからって彼女に捨てられる、男も気の毒ですね」
「いいんです。猫嫌いは人類の敵だ」
 言った幸生に、真次郎が言った。
「俺は猫は嫌いでもないけど、好きでもないぞ。おまえほどの猫好きはそうはいないだろ」
「いますよ。彼女も猫は嫌いじゃないんだよね。だけどさ、今はそう思っていても、またぞろなにかあったりしたら、やっぱり捨てようってならないかな。俺、彼女がキキを捨てないように、張り付いて見張っていようかな」
「それではストーカーだよ、幸生」
 隆也が言い、章も言った。
「彼女が猫を捨てようとしたら、颯爽と登場して阻止しろよ。男のほうを捨てるんだったら、おまえも彼女をナンパできる可能性が高まるんじゃないのか」
「うん。男を捨ててフリーになる女性が増えるのは喜ばしいな」
 どこからか猫の鳴き声が聞こえた。先刻の哀しそうな「みーっ」ではなく、「みゃおっ」と喜んでいるような声だ。幸生は猫の声に合わせて、喉をごろごろ鳴らしてみせた。


 現実でも猫は幸生のつきもののようなものである。むろんこのシーンはフィクションだが、近い出来事はあった。俺たちの歌も全編にちりばめられた芝居にも、猫のシーンはある。本物の猫を使っているので、幸生は大喜びでかまってひっかかれていた。
「俺たちの歌が捨て猫犯罪者女の気持ちを覆すだなんて、本当にそうだったらいいな」
「捨て猫犯罪者ってさ、そこまで言うか」
「捨て猫は犯罪だよ。捨てられた猫は俺は幾度も見かけて、乾さんに助けてもらったり、おふくろに助けてもらったり、乾さん、なんとかしてよっ、って迫って、ヒデさんに叱られたりしたんだけどね」
「ヒデさんにもか」
「そうだよ。先輩に向かって、なんだその口は、って、おまえも叱られたことがあるんだけど、俺もあるよ。あのときもこのときも、おふくろや乾さんが助けてくれたんだ」
 芝居では結末がああなった。あんなふうにうまく行くのかどうかは知らないが、幸生は満足しているのだからいいだろう。
 俺も幸生と猫がからまる場面には幾度か遭遇したが、幸生はそうして乾さんやヒデさんに厄介をかけたり、美江子さんを巻き込んだりしていた。俺は猫ではなかったが、他の件で先輩たちに厄介をかけていた。フォレストシンガーズの末っ子ふたりは、永遠の厄介者なのだろうか。
 厄介者傾向もあるけれど、そればっかりではないはず。俺たちが先輩たちを助けたこともあるはず……あったか? 俄かには思い出せないが、あったはずだと信じておこう。
「でさ、とうとう完成しそうだよ」
「なにが?」
「ずいぶん前から書こう書こうと決意していて、書けないままだった歌だよ」
「……猫か」
 リーダー作の「男の応援歌」。俺の「桜ロック」。口ばっかりで完成していない曲も数々あるうちに、幸生の猫ソングもあった。
 フォレストシンガーズ十周年記念芝居「SHOW MUST GO ON」のリハーサルが終了して、幸生とふたりで俺のマンションに帰った。タクシーの中では、捨て猫犯罪者女を演じていた舞台女優の話しをしていたのだが、帰宅すると、幸生が俺のギターを抱えて歌った。

「愛しているの
 捨てないで
 あたしを捨てたら化け猫に変身して
 地の果てまでも追いすがる

 とがった爪であなたを引き裂いて
 真っ赤な口であなたを食べて
 あなたをあたしの中で生かせてあげる

 捨てないよね
 愛してるよね
 あなたをあたしの中で行かせてあげる
 だから抱いて、強く激しく抱いて」

 生かせて、と行かせて、か。こわこわこわっ、の女の情歌か。幸生は女言葉の女の歌も作詞するのだが、作曲も幸生であろう。詞にも曲にもどろどろ怨念がこめられていて怖かった。
「それ、おまえのソロアルバムに入れるのか」
「俺のソロアルバムは女歌にしようかな。日本語訳のベサメムーチョだとか、夜桜おユキだとか、カバーも入れたいな」
「俺はオリジナルで勝負するんだ」
「章はロックナンバーだろ。フォレストシンガーズカラーはないほうが、ソロアルバムらしいよね」
「そうなんだろうけど、怨念は……」
「階段に猫がおんねん」
 関西弁でシャレを言って、幸生はきゃはははっと笑う。こんな笑い方をする奴が、女の怨念を詞にするのか。幸生が猫の歌を書くのなら可愛いものかと思っていたが、猫とは、女とは、このように怖いものでもある。幸生もそんな経験をしたのであろうか。


4・隆也

 脚本家ともっとも親しいのが幸生であるがゆえに、全体的な主役は三沢幸生って感がなきにしもあらず、である。
 冒頭部分はヒデが主役のようなもので、みずきさんはヒデにも了解は得たと言っていた。全編通してのリハーサルの際にはヒデにも見てもらおう。DVDとして鉄壁の完成を見る前段階で、俺たちと関わりのある大勢の人に見てもらう予定でいた。
 ワンシーンごとのリハーサルをやっている現在は、舞台役者の稽古場風景のようになっている。本職の役者さんたちにも協力してもらって、大掛かりな芝居だ。できるものならばこの芝居を劇場で演じてみたい。
 シンガーズだって変わったこころみをしてもいいはずなので、そのうちには提案してみよう。今はDVDの完成が先決だ。
 個々が主役となる各シーンがあって、本橋真次郎メインの一幕もある。みずきさんにしても本橋の性格は知っているので、こうなるのであろうなぁ、と脚本を見る前から俺は予測していた。その通りの一幕だった。


 メジャーデビューの話はかけらもない時期のフォレストシンガーズ。俺たちが実際に練習していた公園を模したセット。ここに立つと、俺の心もあのころへと舞い戻っていく。二十三歳の俺。公園には冬の風が吹いていて、俺はダウンジャケットとセーターとジーンズをまとっている。
 稽古なのだから軽装ではあるのだが、気持ち的には俺はそんな服装で、いつになったら俺たちはプロになれるんだろ、などと考えている。鬱々のこびりついた気持ちで公園に行くと、遠くに本橋の背中が見えた。
 本橋からやや離れて、両のこぶしを口に押し当てているのは、通りすがりの女子高校生を演じる舞台女優だ。本橋が向き合っているのは三人の男。彼らも舞台俳優。このシーンを見れば、俺はすべてを察するしかなくて、高校生の手を引いた。
「え?」
「俺は彼の友達。こっちに来て」
 セーラー服の上に紺のコートを着ている設定の高校生の手を引いて、すべり台の近くまで走った。
「彼氏と待ち合わせでもしてるの?」
「そうでもなくて……」
「若い女の子がこんな時間にひとりで公園にいたりしたら、いけないでしょ。にしたって、きみはきみの自由意志でここにいる。そんなきみにあいつらがからんだ?」
「なんだかよくわかんないんだけど……」
 この台詞も乾隆也らしいなぁ、と素の俺は考え、演技では言った。
「きみがいないんだったら、俺は本橋を止めに入るよ。だけど、きみが人質にされたりしたら大変だ。だからきみは俺のそぱにいなさい」
「本橋さんっていうの? あのひと、大丈夫?」
「大丈夫だろ」
 演技に集中した俺の耳に、本橋の声が届いてきた。
「かかってこいや」
 嬉々としている。芝居にしたって、本橋はこんなシーンだと燃えるのだろう。隙もないポーズで身構えた本橋に、三人の男が飛びかかる。プロの劇団員である相手役の男たちの乱闘姿はきわめて達者で、本橋も堂に入っていた。
 女の子も身を乗り出して、本橋さん、がんばって、と言っている。本橋は身をかわすのも巧みで、殴られたりしない。すいすいと泳ぐように喧嘩をして、男たちを跳ね散らかした。
「覚えてろ」
「くそくそっ」
 お定まりの捨て台詞を残して、男たちがよれよれっと走り去っていく。俺は女子高校生に言った。
「三人程度だったらあんなもんだろうけど、事情でもあるの?」
「友達とお喋りしてたのね。そしたらあの人たちが近づいてきたの。友達とダイエットの話をしてたから、聞かれてたみたいで、痩せたいんだったらいい薬があるよって言われたんだ」
「痩せ薬なんてないよ」
「痩せられる薬があるんだって言うんだもん」
「劇薬か覚醒剤だな。友達ってのはどうしたの?」
「彼女は逃げたんだけど、私は逃げられなくて、さっきのあの人たちにつかまっちゃったんだ。そしたら本橋さんが……」
「そうか。なんにもされてないね?」
「なんにも……されてない」
 くしゃっと顔が歪んで、彼女は俺に抱きついた。
「そうなるんだな。その子はおまえにまかせるよ」
「本橋、乗ったのはおまえだろ」
「そっちの役はおまえのほうが似合いだろうが。送っていくよって言うんだろ。とっとと行け」
「なんでおまえが怒るんだよ」
「いっつもこうなるからだ」
「本橋さん……怒ってる? 私が……ごめんなさい」
 俺の胸を涙で濡らしている彼女が呟き、本橋は慌てた声で言った。
「怒ってはいないよ。俺としてはああやって暴れてすっとしたってか……」
「やれる機会があって本橋は嬉しかったんだよ。だからこいつはいいんだ。怪我をしているようにもないから、俺だっていいんだよ。でもね、きみは……別にきみが悪いわけでもないけど、変な奴らが近づいてきたら逃げなさい」
「逃げられなかったんだもん」
 この場合は、俺が彼女を送り届けるしかないのか、練習ができないな、と思っていると、幸生と章があらわれた。彼らは女の子を伴っていて、俺に抱きついていた女の子はその子に走り寄って、ふたりしてしっかり抱き合って号泣しはじめた。
「マリ、よかった。無事だったんだね。ごめんね」
「アヤも大丈夫だったんだね。強いひとが助けてくれたから、あたしは平気」
「よかったぁ」
 シゲもうしろから走ってきて言った。
「よれっとした男が三人、罵り合いながら歩いていくのを見かけたんですよ。あれって本橋さんが喧嘩してのしちまった奴らじゃないの、なんて幸生が言って、な、章?」
「そうそう。そんなのねえだろ、って言ってたんだけど、あっちの砂場の木の陰に隠れて震えてる女の子もいて、幸生が声をかけたんです」
「どうしたの? 泣いてるの? って尋ねたら、友達が、友達が、って、そっちの髪の短い子が言うんですよね。よくはわからなかったけど、俺たちが練習してるすべり台の近くだって言うから、三人で来てみたんです。シゲさんは走り回りながら来たんでちょいと遅れたんだけど、なにをやってたの、シゲさん?」
「誰かに急に襲われたりしないように、用心してたんだよ」
 女の子たちは泣きながらも、何度も礼を言ってくれた。本橋は頭をかいて言った。
「そしたら、ふたりでだったら帰れるだろ。気をつけろよ」
「バスはまだあるよね」
 幸生が言い、女子高校生たちは手をつないでうなずく。本橋が蹴散らした男たちはよれよれだったのだから、再び彼女たちに声をかけたりはしないだろうとは思ったのだが、シゲは言った。
「念のために、バス停までは送っていきます」
「そのほうがいいな。じゃあ、気をつけて」
「うん。乾さん、乾さん、ありがとう」
 最初からいたほうがマリである。マリは俺を上目遣いで見て言った。
「私、乾さんのことは一生忘れないから。でね、お兄さんたちって五人で公園でなにをするの?」
「俺たちは五人で一組のヴォーカルグループで、フォレストシンガーズって言うんだ。今年中にはデビューするからね。ファンになって」
 章が言い、幸生も言った。
「マリちゃんのために闘ったのってリーダーじゃないの? だけど、乾さんを一生忘れないの?」
「乾さんの胸が……濡れちゃったよね」
「いいんだよ。気をつけて」
 俺が言うと、女の子たちはしっかりと手をつないで歩いていき、幾度も振り返って頭を下げていた。フォレストシンガーズのファンになるよ、特に乾さんの、とも言ってくれた。シゲは彼女たちの護衛よろしく、数歩遅れて周囲に目を配りつつ歩いていっていた。


 このシーンの主役はおまえだろ、と本橋は言うのだが、主役は本橋だ。俺の胸に抱きついて泣いていたマリ役の女優は本名もマリコで、彼女も言った。
「本橋さんはかっこいいですよね。なのにマリったら、乾さんを一生忘れないだなんて……本橋さんは女子高生にだったら怖いかもね。私がかわりにお礼を言います。マリを守ってくれてありがとう」
「いや、あの、芝居ですし」
 照れている本橋を見て微笑んで、マリコさんは言った。
「乾さん、私は実年齢は二十四歳ですから」
「ああ、そうなんですか。セーラー服を着ると高校生にも見えるんでしょうね」
「童顔ですし、女ってセーラー服を着ると十歳若返るっていいますよね。風俗のコスプレ喫茶でバイトしてる気分になりそうだけど、セーラー服を着るのって楽しみ。私の高校もセーラー服だったんですよ。乾さんの高校は?」
「女の子はセーラー服でしたね」
 やや小柄で、ふくよかな体型なのは、ダイエットしたがる女子高生の役だからか。彼女がセーラー服姿になったら、細身ではあったがやや小柄だった高校時代の彼女を思い出しそうだった。
「乾さんには彼女はいるんですか」
「ほら、またー」
 割り込んできたのは幸生だった。
「乾さんはどこにいてももてるんだから。脚本でもそうだったみたいだけど、マリちゃんは乾さんに恋したの?」
「乾さんとだったら恋をしたいな」
「やめたほうがいいよ。乾さんって意地悪で残酷で、サディストなんだから」
「サドなの? きゃああ、私、マゾだもん。乾さん、苛めて」
「あのね……」
 逃げ腰になっていると、章も言った。
「こうやって女のひとを含めて仕事をすると、誰かが乾さんにそう言い出すんだよな。マリちゃんって小柄でしょ。小さくても幸生や俺みたいなちびはいやなの? 幸生も俺もフリーだよ」
「私は大きすぎるひとも、小さいひともノーサンクス。乾さんぐらいがいいの。筋肉質も苦手なの。細くてちょうど好みの身長の乾さんがいいの。他にもいるんですよ。乾さんっていいな、って言ってる女の子が。私が先に乾さんの女になりたーい」
「あのさあのさ、幸生がいいって言ってる女性はいないの?」
「章がいいって言ってるひとは?」
 既婚の本橋とシゲは苦笑いで、独身の幸生と章が熱心にマリさんに質問している。マリさんは冷淡にも言った。
「三沢さんや木村さんがいいなんて言ってる声は聞こえてきません。乾さん、デートに誘って」
「いえ、あの、いつか機会があればね」
「それって断り台詞?」
「まあ、そうです」
「つめたいんだ。でも、私、マゾだもの。つめたくされるとこっちは熱くなるのよ」
「さすがに女優さんですね。芝居がうまい」
「芝居じゃないわよぉ」
 キック一発は本橋で、それはよけられたのだが、幸生と章は俺の背中を小突いている。シゲがそんな後輩たちを叱った。
「こら、乾さんを殴るな」
「シゲさんだってひがんでるんでしょ」
「シゲさんは結婚してるんだけど、それでも腹が立つでしょ」
「慣れてるから腹なんか立たないよ」
「俺は少々は腹が立つぞ」
 本橋が言ったとき、みずきさんがやってきた。
「乾さんって本当にもてますね」
 みずきさんにまで言われてしまった。もてたくはないんですが、と言うと、みずきさんも立腹するのだろうか。脚本家を怒らせるといかなる報復が? 絶対にないとも言えない気がして、いや、あの、なはは、と応じておいた。


5・真次郎


 ベンチにすわった痩せた影がふたつ。シルエットになったふたりは、幸生と章の声で喋っていた。
「章、痛い?」
「おまえだって痛いだろ」
「ぶたれたんだもんね」
 そこに本橋真次郎の声がかぶさる。姿は見せずに、声だけがシルエットに重なるのだった。
(ぶたれたって、乾にか? なにやったんだよ、おまえらは。おまえらが悪くて殴られたんだろうけど、男のくせに殴られたぐらいで情けねえ声を出すな)
 影が動く。幸生も章も静かに泣いていた。
(深刻なのか? ふたりしてなにかしらやって、乾に叱りつけられて殴られたのか? 山田か、シゲか。他の奴か。俺には乾だとしか思えないけど、そんなんで泣くな、馬鹿野郎)
 原因はなんだろうか、と真次郎は考える。章ひとりならばともかく、幸生もともにとなると、真次郎には思いつかない。思いつかないので諦めて、真次郎はコンビニで酒やつまみを買ってアパートに帰った。
 アパートのドアを開けると、玄関に靴がふたつ。買い物をしていた間に幸生もアパートに回っていたようだが、もうひとつは章の靴か。サイズが大きいので隆也か。隆也と幸生がいるにしては室内が静まり返っている。
 真次郎が玄関に立って思案していると、足音を忍ばせて幸生が出てきた。小さいほうの靴は幸生でまちがいなかったようで、大きいほうも隆也でまちがいないようだ。
「あのね、リーダー、怖いんですよ」
「怖いって?」
「部屋を覗いてみて」
 言われて自分の部屋を覗くと、隆也がむっつりと酒を飲んでいた。こたつに足を入れて無言で酒を飲んでいる姿が、鬼気迫る様子だと真次郎にも見えた。
「な、なんなんだ、乾は怒ってるのか」
「そうみたいですよ。乾さんはリーダーの部屋にいるんだろうと思って、あやまりに来たんだ。章はいやだって言うから、先に俺だけでもごめんなさいって言おうと思って。そしたら乾さんはいたんですけど、俺が入っていって膝をそろえて正座して、あのね、さっきは、って言いかけたら、ぎろっと睨まれた。怖くて怖くてちびりそうになって、それから俺はおどおどしてたんです。いつもだったらリーダーのほうが怖いのに、今夜はリーダーが救いの神に見えますよ」
「章とおまえはなんかやったのか」
「やったんですけどね、だけどさ、乾さんは口をきいてくれないんだもん。リーダー、とりなして」
「お、おう、まかしとけ」
 とは言ったものの、再び覗いてみたものの、隆也の様子が怖い。真次郎は言った。
「お、俺もなんだか……」
「リーダーが乾さんを怖いの? 怖いものなんて山田美江子さん以外にはなんにもないリーダーが、乾さんにびびっててどうするんですか」
「おまえだってびびってるんだろうがよ。怖いんだよ、今夜のあいつは」
「でしょでしょ。怖いよ。抱き合って泣きましょうよ」
「泣いてなんになるんだよっ」
 玄関で言い合っているのだから、狭いアパート、隆也にも聞こえているにちがいない。なのに彼は無言で酒を飲むばかりだった。
(乾って奴は……無口になるとおっかねえんだよな。知ってはいたけど、ああなるってめったにないからさ……どうしたんだよぉ)
 舞台が暗くなり、乾隆也にピンスポットが当たる。そこに真次郎の独言がかぶさる。
(幸生と章に腹を立てて怒ってるのか。幸生、なにをしたんだよ。おまえらがなにをして、乾がどう怒ってるんだかわからないんじゃ、俺には対処のしようがないぜ。どうしよ、どうしよどうしよどうしよ。どうすんだよぉ)
 心の中では右往左往の真次郎の独言が響き、隆也の誰を相手にしているのでもなさそうな、独言も聞こえてきた。
「愛想が尽きたよ。どうしようもないよ」
(章と幸生にか? 愛想が尽きたって言うのか? おまえが見捨てたんじゃ、俺たちはプロにもなれないだろ。乾、脱退するなんて言い出すんじゃないだろうな)
「このウィスキーボトルに身を投げようか。身体がでかすぎて入れないか」
(当たり前だろ。なんなんだよ、自殺したいのかよ)
「馬鹿野郎」
 ひとこと吐き捨てて、隆也は酒に逃避しているように見える。幸生と真次郎はそんな隆也を見つめて気を揉んでいるしかない。そこにノックの音がした。
「こんばんはー、本橋くん、いる?」
 ドアを開けると、入ってきた山田美江子がきょとんとした顔で幸生と真次郎を見比べた。
「玄関でなにやってんの? ここは本橋くんの部屋なのに、本橋くんまでがそんなところでどうしたの? 乾くんも来てるみたいだね」
 こんばんはー、と言いながら、美江子は部屋に入っていく。隆也は無言で軽く頭を下げた。
「自棄酒でも飲んでるの? なにかあったの?」
 無言でかぶりを振った隆也は、煙草に火をつけた。
「どうしたのよ? 煙草が嫌いなひとの前では吸わないよ、って言ってるくせに。煙草は吸ってもいいけど、どうしたの? 暗くない?」
「愛想が尽きたんだ」
「誰に?」
「俺にだよ」
 俺、ってことは隆也自身か、と真次郎は小声で幸生に尋ね、幸生は黙ってうなずいてから言った。
「章と俺にかと思って、俺……外に出てきます」
「寒いだろ」
「いいんです」
 いまだ真次郎には事情はわからなかったのだが、隆也は美江子に向かって言っていた。
「幸生と章に説教したんだよ。章には嫌われる先輩面の説教。嫌われたよ」
「幸生くんと章くんがふたりでなにかしたの?」
「そうなんだけど、あいつらに説教しているうちに俺の気持ちがヒートアップしてしまった。気がつくとふたりともをひっぱたいていたんだ」
「乾くんが幸生くんと章くんを? 暴力はいけませんね」
 冷静な声で言ってから、美江子はくすっと笑った。
「気がついたら、だなんて嘘でしょ。衝動的に叩いたわけじゃないんでしょ。なんにしたって暴力はいけないけど、乾くんが後輩を叩いたりするのは教育的配慮ってやつだものね。それで自己嫌悪に駆られて自棄酒? バッカみたい」
「ミエちゃんがそうやって軽く切り捨ててくれたら、俺の気持ちも軽くなったよ。ありがとう。でも、幸生と章はどうなんだろうな」
「彼らが悪くて叩かれたんだったら、幸生くんなんて反省してるんじゃない? 章くんはむっとしてるかもしれないけど、時間が経ったら反省に変わるよ」
「自省の時間は俺もおしまいにしようかな」
 煙草を消して、隆也は美江子のためにも水割りを作ってやっていた。ひとまずは安心して真次郎もアパートの外に出ていくと、幸生と章が冬空の下で話していた。
「美江子さんをあんなふうに言ったからさ、だからだろ。章も反省して乾さんにごめんなさいをしにきたのか」
「まあ、俺も悪かったよな。あやまりにいこっか」
「そのほうがいいよね」
 ああ、よかった、真次郎はつくづくと思い、幸生と章がアパートに戻っていってからも、外に立って考えていた。
(俺も全部の事情がわかったんでもないだろうけど、つまり、章が山田を侮辱するようなことでも言って、幸生がふざけて乗ったんだろうな。それで乾が怒って、ってーか、例の調子であいつらを叱りつけて、反抗でもされて殴ったのか。幸生も章も顔は腫れてもいなかったのに、例の調子で乾は自省に浸り込み、山田に言われて自己嫌悪が薄らいだわけだな。この一件は誰かが一部を知っていて、すべてを知ってる奴はいないのかな。ま、そういうもんか……寒っ。雪がちらついてきたぞ)
 俺も戻ろう、と呟いて、アパートに入っていこうとしたら繁之と出くわした。
「本橋さん、どうしたんですか」
「どうもしねえよ。あのな、シゲ」
 ふたりして部屋に入ると、真次郎は言った。
「シゲ、おまえはあんな乾を目撃しなくてよかったな」
「あんな乾さんってどんな乾さんですか」
「いやいや、おまえもあれはびびるぞ」
「本橋さんが乾さんにびびったんですか」
「俺は平気だけどさ」
 先刻の場面を見ていた幸生が含み笑いをしているので、真次郎は目に迫力を込めて幸生を睨んだ。言うなよ、は通じたようで、幸生は真面目な顔でうなずいた。
(こういうときって女の力は偉大なんだろうか)
 お喋り女ではあるのだが、美江子もこんなときにはよけいなことは言わない。幸生と章はすでに隆也に詫びたのか、三人そろって平常心に戻っているように見えて、真次郎は美江子に感謝していた。
「ああ、よかった」
 そうだね、と美江子は微笑んだ。


 声のみの芝居ってのもむずかしい。ラジオともちがったむずかしさがあった。山田美江子は表には立たないマネージャーの立場なので、彼女の役も舞台女優が演じてくれている。実物の美江子よりも美人だ。いや、本人には内緒だが。
 本橋が乾を怖がってびびっている。本橋さんらしくないね、とファンの方が思って、びびっている俺を見て笑ってくれる。笑いを誘うシーンのはずだが、俺はけっこう深刻な気分になっていた。
 このシーンに近いような出来事もあった。脚色もなされてはいるが、現実感のある芝居だ。だからこそ俺も、芝居の中の事件がおさまるとほーっとして、ああ、よかった、と言いたくなるのだった。この台詞だけは、俺も上手に言えている自信があった。


6・英彦


 どうしても俺は現実と重ね合わせて見てしまう。芝居の最終幕ではシゲが、天を仰いで叫んでいた。
「ヒデ、俺たち、プロになれるって決まったんだ。おまえはどっちの方向にいるんだ? 聞こえてるか。ヒデ、ヒデ……嬉しいけど寂しいよっ!!」
 シゲのひとり芝居が続く。
「野球、見てるか? 試合したりもするのか? 約束しなかったか? ヒデも俺もいるチームでさ、どこかのチームと試合をやろうって。俺がピッチャー? おまえが投げるんだったら俺はキャッチャーやるよ。シンガーズが野球の試合って変か? だけど、やりたいな。ヒデ、聞こえてるんだろ」
 遠くから、ヒデの声がシゲの耳に聞こえてきた。
「ああ、聞こえてるよ。シゲ、おめでとう」
「ヒデ、どこにいるんだよ?」
「どこにいるのかなんてどうだっていいだろ。俺もおまえらを見てるぜよ。おまえはドジなんだから、本橋さんや乾さんに迷惑かけたらいかんちや」
 ヒデ役の役者は四国の出身だそうで、土佐弁も許せるレベルだ。シゲは夜空に向かって涙をこぼしている。泣くな、アホ、と客席の俺も言いたくなった。シゲを包む夏の風。
「天の川かな。織姫と彦星みたいにさ……どっちが姫だよ。気持ち悪い」
「彦星は英彦のひこなんやきに、おまえが姫だろ」
「俺とデートすんのか」
「いらんわい、アホ」
 架空のヒデとここにいるシゲの会話。姿をあらわさないヒデの声を聞いていると、俺は思う。このころの俺は妻と娘と……それなりに幸せではあったのだ。
「プロのフォレストシンガーズ、がんばれよ」
「がんばるよ。だからおまえも……」
「俺もがんばるよ。シゲ」
「ヒデっ!! もっと……もうすこし……」
 舞台が回っていく。本橋さんと美江子さんと乾さんが、本橋さんの部屋で語り合っていた。
「これからだよな、乾、頼んだぜ」
「本橋くんがリーダーでしょ。乾くんにばっかり頼ってたら駄目じゃないの。しっかりしなさいね」
「うるせえんだよ、山田は」
「こちらこそ、頼りにしてますよ、リーダー。マネージャーにも心から、よろしくお願いします」
「はーい、まかしといて」
 花のような美江子さんの笑顔と朗らかな声の余韻の中を、再び舞台が回る。幸生と章が外で話し合っていた。
「いつかきっと、ヒデさんにも会えるよね。章は会いたくない?」
「会いたくなくはないんだよ。俺たちはプロになったんだから、俺たちの歌が電波に乗って流れて、そうしたらヒデさんも聴いてくれる。そしたら会いにきてくれるさ」
「そしたらおまえはひがまない?」
「ひがむけどさ」
 いいよ、ひがめよ、との幸生の台詞が締めくくりとなって、「show must go on」が幕を閉じる。テーマソングが流れる中で、ゲネプロと呼ばれる最終リハーサルが終了した。
 事前に聞いてはいたのだが、幕開けのシーンにはヒデが登場する。ラストシーンにもヒデの名前が出てくる。俺は泣かずにいるのが精一杯だった。これは芝居だ、絵空事だ、と思おうとしても、鼻の奥がつんつんつんつんして、水泳で鼻に水が入ったみたいになっていたのだ。
「お芝居はお芝居だろうけど、みんなの気持ちはこうだったのよ、ヒデさんに対しては」
 隣の席の恭子さんが言って、ハンカチを出した。
「俺は泣いてませんよ。俺じゃなくて、恭子さんが出ればよかったのに」
「フォレストシンガーズデビュー前夜までのお芝居だから、私はシゲちゃんと知り合ってもいませんよ。でも、私も出たかったな。シゲちゃんと街ですれ違う役だとか?」
「それもいいですね。本番では出ますか」
「出してもらおうかな」
 未来の妻からの電話、なんて設定で、恭子さんがシゲを声だけで励ますってのもいいかもしれない。みずきさんに言ってみようかな、などと考えていた。
 芝居は幕を閉じても、フォレストシンガーズのショーはここからはじまって続いていく。正直に言えば俳優ではない主役たちの演技はぎこちなくもあったのだが、そんなことはどうでもよかった。俺がいなくなってからの彼らはこうだったのだと、芝居にも関わらず俺は本気で見入っていた。
 ゲネプロだってのにカーテンコールもやっている。出演者が舞台に勢ぞろいしてみんなで手をつないで、お辞儀をしたり手を振ったりする。中央にはフォレストシンガーズの面々が五人、幸生の横にはヒデ役の役者もいて美江子さん役の役者もいる。はじっこには本物の美江子さんもいた。
「シゲもけっこう達者でしたね」
「一生懸命練習してましたから」
 恭子さんとそんな話しをしていると、舞台の幸生が叫んだ。
「本物のヒデさーん、上がってこない?」
「アホかっ。いやじゃっ!!」
 思わず俺も叫び返すと、恭子さんが言ってくれた。
「ヒデさんは恥ずかしいんですって。アンコールってないんですかーっ」
「その声は恭子さん。アンコールってなにをやればいいの? ああ、あれね。はいはーい。アンコールにお応えしましょう」
 他の人々が引っ込み、フォレストシンガーズの五人が残る。ア・カペラではじまった歌は、俺が作詞作曲した「時は流れて」。いかんちや、涙が……アホアホアホ、やめてくれーっ、と言いたいような、恥ずかしさ満開で、そのくせ、誇らしいような心持ちにもなっていてた。
 舞台が空っぽになってからも、俺は放心状態で立ち上がれない。恭子さんも立ち上がらない。ゲネプロのために借りた小劇場の客席から、他の人々が出ていく。最前列にすわっていた人が、俺に声をかけていった。
「小笠原、あとでな」
 金子さん。
「ヒデさんも来て下さいね」
 酒巻。
「あとからゆっくり感想を聞かせて下さい」
 オフィス・ヤマザキ社長。
「ヒデさんってあなた? あとからご挨拶させて下さいね」
「ああ、きみがヒデさん? うんうん」
 知らない男女からも声をかけられた。
 恭子さんにも声はかかっていたが、俺は俺に向かって言った声に、首で返事していた。それでもまだ立ち上がれないでいると、ウィンクを投げていった男がいた。徳永さんだ。彼も招かれていたのは不思議ではないが、来たというのが不思議だった。
「恭子さん、先に出て下さい。俺はもうすこし……」
「ひとりになりたい? 今夜はみんなで完成前祝い宴会だって聞いてますよ。私も参加しますから、ヒデさんも来て下さいね」
「はい」
 晴れがましい席は苦手なので、実は逃げ出そうと思っていた。金子さんや酒巻や山崎社長に芝居の感想を聞かれたり、知らない人に挨拶したりするのは気ぶっせいだ。俺は部外者なのだから、素人の感想なんぞ述べたくもない。
 それもあって恭子さんに先に出てもらい、たっぷり舞台の余韻に浸ってから、俺も立ち上がった。今夜はひとりでしみじみ酒を飲み、あの芝居を反芻したかった。
「こら、逃げるなよ」
 しかし、見透かされていたようで、待ち構えていたシゲにつかまった。シゲの足を蹴飛ばして逃げようとしたら、本橋さんに行く手を阻まれ、幸生にくすぐられて参ってしまったのだった。
「行きますよ。行けばええんやろ」
 こんなふうに無理無体に拉致されるみたいにして、連れていかれるのが嬉しいだなんて、俺も甘えてるんだよな、とは思う。芝居での説教好き乾さんそのままの、乾さんには言われた。
「本日は関係者が大勢来てくれてるんだよ。ヒデは特別の上にも特別の関係者だろ」
「裏切った奴って意味で?」
「そのトーンで通すつもりだったら、先にやるか。かかってこいよ」
「乾さんと喧嘩するんですか。やりたいけど、俺が勝つに決まってるからやりません」
「今のおまえにだったら俺にも勝ち目はありそうだけど?」
「俺が勝ちます」
 こら、やめろ、とシゲは本気で焦っている。幸生と章は、やれやれー、とか言っている。恭子さんと美江子さんは寄り添って笑っている。本橋さんも、おー、やるか、なんて言っている。徳永さんはいなくなっているようだが、前のほうに行っていた金子さんが振り向いて言った。
「おまえら、いくつだよ。喧嘩厳禁。行くぞ」
 はいっ、と男の声の大合唱が起きる。俺が大学一年生で、金子さんがキャプテンみたいだ。あの芝居以前の大学生に戻ったみたいで、俺もみんなと声をそろえた。

END







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