番外編

番外編62(Where is here?)

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番外編62

「Where is here?」


1・ファイ

 ありふれた台詞ではあるのだろうが、この状況だったら誰だってこう叫ぶだろう。
「ここはどこだーっ?!」
 落ち着け、ファイ。落ち着いて考えてみろ。俺だけしかここにはいないのだから、俺は俺に話しかける。俺には本名があるのだが、小学生のときにエミーとふたりで決めた「ファイ」の呼び名が俺の中に定着していて、ひとりごとでもそう呼ぶ。
 呼び名は今は考えなくてもいいのであって、どうして俺はここにいて、ここはどこだ、ということを考えなくてはいけないのだった。
「……俺、なにしてたっけ? そうだ……」
 ビジュアル系ロックバンドとしては大スターとなった燦劇には、テレビ出演の仕事もある。ビジュアルだから嫌いな人間にはとことん嫌われるので、とことんメジャーなバンドにはなれないから、テレビといっても深夜だ。
 深夜番組の録画取りがおこなわれたテレビ局のスタジオを出て、俺は素顔で私服で街を歩いていた。録画取りは夕方からだったので、宵の口に仕事が終わり、メシでも食うか、ひとりじゃつまんねえから、道行く女の子を誘おうか、と考えながら歩いていたのだった。
 歩いていると足元が頼りなくなって、俺はどこかに落ちたのか? 落ちた場所がここか。マンホールの蓋が開いていたのだったら下水道に落ちるのだろうけど、ここは暗いところではない。下水道よりはいいかもしれない。
 マンホールの下に広がる地底世界なのか? しかし、見上げれば月が見える。地底世界に月があるのだろうか。普通の田舎道にも見える道があるので、あそこを歩くしかないだろう。
 もと歩いていた道は都会だったのに、なんだって田舎になっちまうんだろ。人通りもなければ店も家も外灯もないのだが、月が夜道を照らしているので歩けた。歩けはしても方角がわからない。月の位置から判断するなんて、俺にはできない。
 しようがないのでただ歩いていくと、池があった。池というか沼というか、暗いので水が澱んでいるのか澄んでいるのかもわからないのだが、どっちでもいいだろう。なんだか気味の悪い池に思えたので通りすぎようとしていると、そこから人間が出てきた。
 月明かりに照らされて、男の姿が見える。背の高い男だ。身長は俺と同じくらいあるから、相当に背は高い。体格も俺に似ていてすらーっと縦に伸びている。プロポーションはいいけど、顔は俺のほうが上に決まっている。なんにしたって、俺は男になんか興味はない。けれど、ここがどこなのかを教えてもらったほうがいいのだろうか。
「あの……」
 なんと声をかければいいのかもわからないままに、俺はそいつに話しかけようとした。そいつは振り向き、俺を見つめた。
「……え? ええっ?!」
 鏡? トリック? こいつは……顔が俺と同じだ。
「なんで?」
 ドッペルゲンガーとかいうものを聞いたことがある。自分とまったく同じ顔をした人間と会うと、死ぬとも言う。パールがそんな本を読んで話してくれたのだったか。そしたら……俺は死ぬのか。もう死んでいるのか。
 ここは死後の世界なのか。俺はマンホールに落ちて死んで、あの世にやってきてしまったのか。声も出なくなり、身動きもできなくなって、俺は俺の顔と俺の体格をした男を見つめていた。
「……」
「綺麗だな」
 男が俺に近づいてくる。声も俺と同じだ。そいつは俺を抱きすくめ、俺のシャツのボタンをはずしていった。
「な、なに……」
 なにするんだよっ、と叫べない。片腕で力いっぱい俺を抱きしめて、片手でシャツのボタンをはずす。前をはだけられて、胸に顔を寄せられて、俺だって本気で抗おうとすればできるはずなのにできない。この男は見た目は俺と同じのくせに、えらく力は強いのだ。
「……やめ……やめろ」
 口でだけ抵抗しても、男はやめてくれない。地面に押し倒されていく。なんだって? 俺はこいつに襲われかけているのか。自分に? 俺にそっくりでいて俺ではない別人に? 
「やめろってばよぉっ!!」
 やっとまともな言葉は出たものの、俺はそいつの強い力にさからえない。もがこうとしてみても片手で地面に押さえつけられて、服を全部脱がされた。
「やめてくれよぉっ!!」
 いやだ。男にレイプされるなんて……そんなの死んでもいやだ。だからといって、そんなら殺せ!! とも叫べない。なんとか自由になる脚で蹴飛ばしてやろうとしたら、脚で脚を押さえ込まれた。
「やめてくれよぉ」
 涙声になってお願いすると、男はふっと立ち上がった。立ち上がって俺を見下ろして、池だか沼だかのほうへと歩いていってしまう。あれでおしまい? おしまいなんだったらよかったけど、俺、全裸じゃん? 
「こらっ、服を返せっ!!」
 叫んでみても、男は出てこない。俺の服を持ってどこに行っちまったんだ。裸なんて気にせずに、俺は池のほうへ走っていった。けれど、気配すらもない。なんなんだろう、これは。
 寒くはないけれど、この格好では人間のいる場所へ歩いていけないではないか。パンツがわりになるものでもあればまだしも、隠すためのハンカチ一枚持っていない。服もなくなって、俺はなんにも持っていない。
「あの木の葉でも?」
 でかい木の葉でもないかと樹木を見上げてみたが、葉っぱが繁っているのは高いところだ。裸で木登りをすると怪我をする。地面には葉っぱは落ちていない。怪我はかまわないことにして、あの葉っぱをちぎってこよう。
 そうしかどうしようもないので、幹に取りついた。胸や腹や脚を幹の肌がひっかく。素肌が触れ合うのだったら、女の肌がいいってのに、樹肌なんて大嫌いだ。痛いんだよ。傷が……血がにじんでくる。落ちそうだった。
「ファイ」
「……?」
 下から俺を呼ぶ声はパール。俺はパールの声が聞こえた瞬間、樹から落っこちた。


2・パール

 素っ裸で木登りをしていたファイは、俺が声をかけたら落ちてきた。
「ファイ、大丈夫? 複雑骨折してない?」
 フォレストシンガーズの三沢さんの口癖の、複雑骨折が口から出た。けれど、冗談を言っている場合ではない。でっかいファイは返事もせずに、ちっちゃい俺に抱きついて泣き出した。
「骨は折れてないの? 泣くなよ。返事しろよ」
「いっぱい……怪我してるから……痛いけど……骨はたぶん……」
 泣きじゃくりながら途切れ途切れに喋っているファイは、大きな子供みたいだった。
「ファイ、なんで裸?」
「脱がされたんだ……」
「女の子に?」
「女の子にだったらいいんだけど……男に……うげぇ。俺は俺にレイプされるところだったんだよっ!! うげうげうげっ!! なんなんだっ、ここはっ!! なんなんだっ、これはっ!!」
「落ち着いて話して」
「やだやだやだっ!!」
 子供みたいになって泣いているファイは、これでは落ち着いては話せないだろう。なんなんだ、ここは、なんなんだ、これはっ!! は俺が訊きたいのだが、ファイが落ち着くのを待つしかない。
 今夜は燦劇の五人でテレビの録画取りを終えて、みんなばらばらに帰った。他の四人がどこへ行ったのかは知らないが、俺はひとりで彼女のミキちゃんのうちに行くつもりだった。高校生のころからつきあっているミキちゃんは、親と弟と暮らしているのだが、家族にも公認の仲だから、時々は遊びにいく。
 俺の両親にもミキちゃんを紹介してあって、両方の母親から、結婚しないの? とも訊かれるのだが、それはまあ、この際は関係ないだろう。
 ミキちゃんの家族へのお土産に、ケーキでも買おうかと歩いていたら、突如としてどこかにすとーんと落ちた。俺にはそうとしか言いようのない感覚で、目をぱちっぱちっとやったくらいの時間のあとに、俺はどこかにいた。
「ここはどこ?」
 尋ねてみても誰も返事をしてくれないので、俺は歩き出した。
 田舎道みたいな道をひたすらに歩いていた。俺はただそれだけの経験しかしていない。歩いていたら木登りしている裸の男がいて、あの髪型はファイ? となったのだ。なんでファイがここにいる? というよりも、ファイがいてくれてよかった、だったのだろうか。
 別にそうも考えず、ファイだっ!! と確信できたので俺は声をかけた。まったくなんにも深くは考えていなかった。
「ファイ、ちょっとは落ち着いた? 話してよ」
 泣きじゃくりがすこしおさまってきているようなので、骨折していないかどうかを調べた。怪我もかすり傷ばかりで、どうやら大丈夫そうだとなると、ファイは話した。話す合間にも叫んだりわめいたり、涙をこぼしたりで大変だったのだが、どうにか話を聞き出したところによると……俺たち、死んだの?
 ここって地獄なのか? 見た目はただの田舎だけど、実は生前に悪いことをした男が堕ちる地獄で、ファイは女の子にいけないことだっていっぱいしたのだから、死んで地獄に落とされた? だからこそ、ファイそっくりの顔の男に、ファイがレイプされそうになった? 
 そいつはファイを裸にしただけで行ってしまったそうだが、俺が歩いてくる気配を感じて途中でやめたのかもしれない。
 そうすると……しかし、どうして俺までが? 俺は女の子に悪いことなんかしてないよ。いや、したかな。すこしはしたかな。ミキちゃんへの裏切り行為だとか、ファンの女の子と寝ただとか、あれは悪いことだったとも言える。
 ファイは俺よりもずっとずっと悪いことをしてきたので、男に服を脱がされてレイプされそうになった。俺はそこまでではないから、ひとりぼっちで歩いてきただけ? それでいいんだろうか。
「なんだかね、自分で考えてて自分でも変だとも思うんだけど、どこが変なのかわからないよ。仮説ってやつなんだもんね。変でもしようがないのかも。ファイってさ、女の子をレイプしたことはあるの?」
「ねえよ。俺が口説いたら百人中九十八人の女は喜ぶんだから、レイプなんかしなくていいんだ」
「あとのふたりって玲奈ちゃんとミズキちゃん?」
「そうだよ。玲奈もミズキもレイプなんかしてないぞ」
「当然じゃん」
 そうすると、その程度だったから、ファイもレイプ寸前で許されたと?
「怖かっただろ」
「うん」
「そうだよね。俺さ、前に本で読んだんだ」
「本の話しなんか……」
「いいから聞いて」
 恋人同士や夫婦の間に、ドメスティックヴァイオレンスというものがある。略してDVだ。
 ほとんどのDVは男から女へと向かう。男の暴力には女はなすすべがない、と乾さんも言っていた。けれど、近頃って暴力女も多いじゃん? と俺は思っていたのだ。暴力女に苛められた経験は、木村さんにもあると言っていた。
 女から男へのDVもあるのだそうだが、俺だってもしもミキちゃんに殴られそうになったら、本気を出せば阻止できる。ミキちゃんは優しいので俺を殴ったりはしないが、そうなったらこうできる、というのはある。
 小柄で非力でも俺は男だから、女に暴力をふるわれそうになっても防げる。レイプされそうになっても防げる。でも、逆は防げない。本にはこのように書いてあった。
「女というものはどこかで男に恐怖心を抱いている。夜道を歩いているときに、男がうしろから歩いてくれば、大部分の女は怖いのだ。男が夜道を歩いていて、女がつけてきたとして怖いか? よほどでもなければ平気だろう。
 ひとり歩きの女がそういった状況になれば、よくないシナリオを想像する。男に襲われてバッグを奪われたら……それは男同士でも起こり得るが、普通は男は想像しないだろう。あいつが俺をレイプしようとしたら? 
 女の最大の恐怖はそれだ。男性諸君も想像してみなさい。あなたよりもはるかに大きくて力の強い男に、レイプされたら? 女性の怖さがいささかなりともわかるはずだ。
 しかし、たとえ男が男にレイプされたとしても、心の傷や身体の傷を考慮しないとすれば、最悪の事態は起こらない。男は妊娠しない。この意味は、賢明なる男性諸君には理解いただけるだろう。そういうことですよ」
 DVから話がこう展開していき、読んでいた俺はうなずいた。本の話をすると、ファイは怒り顔で言った。
「で、それがなんなんだよ」
「だからさ、ファイにも体感として、実感として、そういう恐怖はわかったでしょ」
「わかったけどさ、俺は女を殴ったりはしねえよ」
「殴りはしなくても、他の悪い悪いことはしただろ。だから地獄に落ちて、だから地獄の刑罰を受けたんだよ」
「あの世……ここは地獄?」
「かもね」
 でも、なんで俺まで? とは思うのだが、地獄に理屈はなくて、俺はファイに巻き込まれて落っこちてきたのだとも考えられる。それで、これからどうしよう? 自分の意思で行動できるのではなくて、これからどうなる? なのかもしれないが。
「……おーい、ファイ、パールっ!! ファイとパールだろ。ファイ、おまえ、裸なのか? パールがやったのか」
 走ってくる足音と同時にエミーの声が聞こえ、ファイと俺は顔を見合わせているしかなかった。


3・エミー

 かわるがわるに話し終えたファイとパールの経験は、発端部分は俺とほぼ同じだった。ここはどこ? ってな場所に落っこちた俺は、その後もパールと同じで、歩き続けてファイとパールのいる場所へとたどりついたのだ。
 他にもパールはうだうだ言っていた。ここは地獄で、女に悪いことをしたファイが刑罰として男に服を脱がされた、とか言うのだが、地獄のはずがない。俺は言った。
「俺たちは死んでないよ。足はあるじゃないか」
「エミーの言う、死んでない証拠って足?」
「そうだよ、パール。幽霊になってるんだったら足はないだろ」
「幽霊じゃなくて、地獄の亡者だったら足はあるんじゃない?」
「死んだことはないから知らないけど、死んでないったら死んでないんだ。死んでないんだからどうにかしよう。どうするんだよ、パール?」
 顔に似合わず理屈っぽいパールは、この三人の中では頭がいいほうだ。ファイは素っ裸で震えていて、泣いてもいるようなので役に立たない。俺はパールをせっついた。
「どうするか考えろ、パール」
「とりあえず、ファイに服を……下だけでも……」
「俺のを脱げって? やだけど……パールのじゃ合わないもんな」
 いやだけど、ファイは裸では歩けないだろうから、ジーンズを脱いで貸してやった。エミーは脚が短い、だとか言うかと思ったのだが、ファイは文句もいわずにジーンズを穿いた。ファイは言わなくても、ジーンズの裾からファイの脛が数センチ見えていて、俺はこいつよりも脚が短いのだとつくづくわかった。
 俺はジーンズの下はボクサーパンツで、格好は悪いのだが、死ぬほど醜いってほどでもない。我慢しておいてやるしかない。本当に死ぬよりは、下はパンツだけのみっともない格好でもましだろう。
 それから三人で歩き出す。どの方向に歩けばいいのか、ここはどこなのか、なにひとつわからないけれど、立ち止まってああだこうだと言っていても進歩はない。歩かなくては。理屈をつけたがるパールと、意気消沈気味のファイを叱咤激励して、ひたすらに歩いていった。
「うわっ!!」
 先頭を歩いていたのは俺で、いきなり足元の地面がなくなったように思えた。うわわわーっ!! と叫びながらどこかへ落ちていく。何時間か前にもこうして落ちて、また落ちるのか。今度はどこに落ちるんだ。
 落下していくという感覚以外はなんにも感じないままに、俺はどこかに落ちた。俺に続いてファイもパールも落っこちてきたので、ひとりぽっちではないことにだけは安心して言った。
「落ちても痛くなかったな。さっきもだったろ? またまた、ここはどこぉ?」
「エミーって案外、神経が太いんだね」
 パールが言い、俺も言った。
「プレッシャーに強いって言えよな。生きてるだけでもうけものさ。どこだ、どこだ、ここは」
 真っ暗闇に目が慣れてきたのか、うっすらぼんやり見えてくる。手でさわってみたら、俺たちが落っこちてきた場所の床は、木の感触だった。部屋なのだろうか。
「エミー、無闇に動き回らないほうがいいよ。ああ、なんとなく見えてきたかな。ちかちかっとまたたくあれは……なんかのマシン?」
 壁の一部のように思える場所で、いきなり光が点滅しはじめた。ここは宇宙船の中か? 普通の街のマンホールに落っこちて、落ちていった場所からまた落ちて、たどりついたのが宇宙船? 俺にはそんなふうにも思えて、三人して身を寄せ合って、光を見つめていた。


4・ファイ

SF映画だかアニメだかに出てくるマシンルームか。マザーコンピュータが支配している制御室か。俺にはそう見える部屋の一画にある扉が開き、人間が入ってきた。
「ファイ……」
「ファイだ」
 エミーとパールがそいつを見て目をいっぱいに見開き、俺は冷凍人間みたいになった。かちんかちんに凍りついて動けない。ここにやってきて最初に会った人間、俺と同じ顔で同じ身体つきで、俺の服を脱がした奴だった。
「ここにもファイがいるよ」
 パールが言い、エミーも言った。
「こっちが本物だよな」
「だと思うけど、そっくりうりふたつだよね。ほんとにこっちが本物?」
 本物は俺だよっ!! と叫びたいのに、声が出ない。俺にもどちらが本物なのか自信が持てなくなってきそうだ。
「さっきの奴?」
 かくかくっとうなずきながらも、俺はパールもエミーも見られない。尋ねたのはパールだ。パールは声が高くて、エミーは低い。声でどちらが喋っているのか判断するしかない。いや、どっちが喋っているのでもかまわない気分になっていた。
「ここはどこなの? あんたは知ってるんでしょ」
「あんた、口がきける? なんでそんなにファイそっくりなんだよ」
「ファイが俺にそっくりなんだよ、って言いたい?」
「パール、どうでもいいことを言うな。おい、そこのファイにそっくりな奴、返事しろよ」
 知らなかった。パールもエミーもけっこうプレッシャーに強いんだ。俺は倒れてしまいそうなのに、ふたりともに案外度を失っていない声で質問していた。
「こいつ、喋れないのかな」
「ファイ、さっきはこいつ、なにか喋った?」
 喋ったような気はするが、思い出せない。
「なんとか言えよ。パール、体当たりでもしてみな」
「エミーがやったらいいじゃん。俺だったら跳ね飛ばされるもん」
「ファイがやったらいいんだろうけど、こいつも固まっちまってるもんな。ふたりがかりでこいつに体当たりして、こいつが入ってきたドアから外に飛び出すか」
「させてくれないんじゃない?」
「それに、ドアのむこうにはなにがあるか……」
「拷問室とか? 電流が流れてるとか?」
「パール、悪い想像ばっかすんなよ」
「だってね……ファイのせいにはしたくないけど……」
 たいして悪いことをした覚えはないんだけど、ファイはしてるもんね、そうかもなぁ、とパールとエミーが小さな小さな声で言っている。俺だって、こんな目に遭うほどの悪いことはしていない。俺のしてきた悪さなんて、男だったらたいていはやっている。
 いや、そうでもないのか。したくてもできない奴ってのもいるから、俺はこんなルックスに生まれて幸運だったのではなく、不運だったのか。こんな目に遭うのだったら、ブス男に生まれて女にもてないほうがよかった。
「おい、パール……」
「うん、うん、エミー、ファイも見てっ!!」
「見てるよっ!!」
 やっと声が出るようになった俺と、パールとエミーが見ている前で、俺そっくりの男が輪郭を変えていっていた。


5・パール

 変身、へーんしんっ!! こんなシーンはテレビでなら見たけれど、これは現実なのだろうか。ファイにそっくりの男が変身したのは、ヒーローでも機械人間でもなく、女だった。
 テレビで男が女に変身するシーンはあったか? なんて、呑気に思い出している場合ではない。俺たちにとってはこれは現実で、ファイに似た長身の美青年は、事実、長身の美女に変身したのだ。原型がファイなのだから、変身しても美女だった。
「こいつ、人間じゃねえよな」
 エミーが呻き声で言い、ファイは俺の手をぎゅーっと握り締めた。
「ファイ、手が折れるよ。離せよっ」
「手なんか折れてもいいだろ」
「エミー、無茶苦茶言わないで。痛いってばっ!!」
 離してくれないので手を持ち上げて噛みついてやったら、ファイは痛いとも言わずに手を離し、フロアにうずくまった。
「ファイは頼りにならないからへたらせておこうぜ。おいおいー、あんたはなんなんだよ」
「エミーのほうが頼りになるよね。きみにまかせるから」
「まかせられたくねえんだ。パール、おまえも言え」
「なんて言うの? 返事してくれないじゃん」
 美女はへたっているファイに近づき、ふわりと抱き上げた。美女が美男を抱き上げる。逆だったら見たことはあるが、非現実的でいながら、どっちも綺麗なので見とれたくなった。
「い……いやだ……」
 あばれようともせずに、ファイはひたすら固まっている。よほどの恐怖心で身動きも取れないのだろう。エミーが言った。
「ファイをどうしようっての? 女なんだったらレイプすんの? あんたは人間じゃないんだろうから、レイプだってできるよな。してもいいよ」
「エミー、ひどいんじゃない?」
「ひどくねえだろ。美女にレイプされたらファイは嬉しいんじゃねえの」
 ファイは気絶してしまったか。美女の腕の中で白目を剥いていた。
「こいつ、気が弱いよな。知ってたけどさ」
「エミーは当事者じゃないから言えるんだよ。俺がファイの立場だったら気絶してるよ。エミーだってするんじゃない?」
「俺は当事者にはなりたくないし、想像もしたくないんだ。よお、あんた、ファイをどうするつもり? 隣の部屋はベッドルームか。ファイと寝てもいいから、すんだら俺たちを帰らせてくれよ」
「エミーって無責任だね」
「それ以外にどうしようもねえだろ。食われるんでも殺されるんでもないんだったらいいじゃん。早くそいつをレイプしてこいよ」
「ひどい」
 美女は口をきかず、抱いているファイの顔を見ている。それからファイのまぶたを舐めた。
「うわ……」
「目を閉じてやったのかな。ファイは生きてるんだよね」
「斬られて死んだ奴の目を閉じさせるっての、時代劇にあるよな。ファイ、おーい、生きてるか」
 エミーが呼びかけると、ファイは目を開いた。ファイの口からすさまじい悲鳴がほとばしり、美女がそこで声を発した。
「私は人間ではない。この国の住人に作られた機械だ」
「この国って? ここはどこ? あんたってロボット?」
 尋ねてみても俺には返事をしてくれず、美女はファイに向かって言っていた。
「ここは地獄ではない。地の底にある国。おまえがかつて……身に覚えはあるだろう。そうした女たちの念が届いてきて、私の国の女王が気まぐれを起した。そんな男を懲らしめてやろうとの気持ちになった女王が、私に命じた」
「俺やパールまで連れてこなくてもいいだろうが」
 エミーが言っても、美女はファイにだけ話しかけていた。
「おまえを殺すつもりも食うつもりもないが、さらなる恐怖を与えろとの女王からの命だ」
「俺たちはどうすりゃいいの」
 そこで待ってろ、の意味なのか。美女は俺たちを一瞥して、ファイを抱いて隣室へと入っていった。エミーと俺は、ぼけーっと待っているしかなかった。


6・エミー

 要するにパールと俺は巻き込まれたのか。美女は俺たちにはなんにも話してくれなかったのだが、ファイはなにか説明してもらったのか。
 しかし、隣室から放り出されてきたファイはぼっけぼっけ状態で、口をきかない。ファイは最初に着ていた服を着て、俺が貸してやったジーンズを持っていたので取り上げて俺が穿いて、それで、これからどうするんだよ、と俺が言おうとしていたら、俺たちがすわっていたり立っていたりした床が落ちたのだ。
「ここ、ファイが木登りしていた樹の近くだよね。あれ、そうだろ」
 パールが示したのは、この場所で三人が出会ったところにあった樹だ。まちがいないと思えた。
「これだったら帰らせてくれてないじゃん。もっと歩くのか。ファイ、しっかりしろっ」
 蹴飛ばしてやると、ファイの目が細くなった。先刻までは開きっぱなしだった瞳孔も平常に戻ったと見えた。
「あ、ああ? あれ?」
「おまえ、あの女になにをされたんだ?」
「あの女って? 女なんかいたか?」
「ファイ、覚えてないの?」
 パールが言って、ファイの顔を覗き込んだ。
「なんにも覚えてない? どこから覚えてる?」
「えーと……仕事がすんで街を歩いてて、どこかに落っこちた。気がつくとここにいた。おまえたちも落っこちたのか」
「それだけ? ファイの記憶はそれだけ?」
「そうだよ。ちがうのか」
 嘘を言っているようにはないから、そうすると、ファイの恐怖体験ってのはなんだったのだろう。覚えていないのでは意味もないではないか。
「エミー、だったらしようがないから、帰ろうよ」
「帰るったってどうしたらいいんだ?」
「歩くしかないんじゃない? 落とし穴があったらわざと落っこちよう」
「その手があるのかもな。パール、おまえってやっぱ頭いいよ」
「頭いいってか、自棄だね」
 しきりに首をひねっているファイと、たしかに自棄くその顔をしているパールと三人で歩いていく。俺の記憶では三度、どこかからどこかに落ちた。その都度舞台が変化していたのだから、四度目は現実社会に戻れる。そうと信じて歩くしかなかった。
「落とし穴があったよっ」
 どのくらい歩いたのか、脚がくたびれかけてきたころにパールが叫び、そっちへと走っていく。俺も走っていくと、ファイが追いかけてきながら言った。
「落とし穴って怖いよ」
「おまえはもっと怖い目に遭ったんだそうだぞ。帰ったら思い出すのかもな。因果応報っていうんだろ」
「意味わかんねえんだけど?」
「俺も言ってて意味わかんねえよ。パールが飛び込んだんだから俺も落ちる。おまえはいやだったらそこにいろ」
「エミー、待てよ」
 ひとりぼっちでこんな場所に残るなんて、それもファイにとっては相当な恐怖だろう。ついてくるに決まっているのだから、俺もパールに続いて落とし穴に飛び込んだ。


 昨夜はなにかあったような気がするのだが、夢だったのか。目覚めた俺は一瞬、違和感を覚えた。しかし、夢だったのなら思い出せなくてもいい。自宅で目覚めたのは午後で、メシを食ってから出かけた。
 燦劇は近頃めっちゃ忙しい。売れてきているから忙しいのは当然で、今日からはライヴツアーだ。しばらくは東京には戻らないので、パソコンたちに「いい子で留守番してろよ」と言い聞かしておいた。これだから俺はパソコンおたくだと言われるのだろう。
 ライヴは日本全国で行われ、北海道から東北を回る間は家には帰れない。北の地方では俺は毎晩、ファイとホテルで同室だった。
「なあ、パール」
 北のツアーも今日で最終日という日に、俺は朝食の席で会ったパールに言った。
「毎晩毎晩、ファイがうなされてるんたよ」
「悪夢でも見てるのかな」
「そうなのかな。でかい声で叫ぶからうるさくて寝られなくて、蹴飛ばしてやったら目を開けてぽけっとして、あ、あああ、とか言ってまた寝て、それからは静かになるんだ。今朝も訊いたんだよ」
 どんな夢を見てるんだ、と尋ねると、忘れた、とファイは言うのだった。
「夢なんて覚えてないのが当然なんだろうけど、毎晩だからさ。俺が睡眠不足になっちまうよ。ツアーに出る前の夜に……なにかあったような気が……おまえとファイと俺の三人でさ、なにかなかったか? 覚えてないか」
「あったような……よく覚えてないんだけど……」
 目を閉じて考えながら、パールは言った。
「美女がいた……ファイに恐怖を与えるって言った。昔、ファイが悪いことをした女たちの仕返しだって言った。そのせいでファイが夜毎、悪夢を見るんじゃないの?」
「おまえのその口調も怖いよ。預言者みたいだ」
「ってね、今、頭に浮かんだんだけど、なんなんだろうね、これは」
 ぱちっと目を開けたパールの声は、いつものガキっぽいものに戻っていた。
「落とし穴だとか、木登りだとか、裸だとか、男が女に変身するとか、キーワードが浮かぶんだけど結べない。なんなの、これ?」
「俺が知るかよ」
 知らないはずなのに、パールが言うと俺の頭にもちらちら浮かぶ。けれど、結びつかない。パールはなおも考えてから言った。
「ファイはあんなことばっかりしてたら地獄に落ちるよって思ってたんだ。夢の中の地獄だったらいいんじゃないの?」
「夢の中で地獄に落ちて、鬼に苛められてるのか。そんなの、そんなに怖いか?」
「現実だったら怖いよね」
「夢なんだからいいよな」
 夢でだったらあの悪い奴は、それくらいされたっていいだろう。俺はそう思う。パールも同感同感とうなずいているが、ファイの悪夢に出てくる地獄はどんな場所なのだろう。女に悪いことをした奴が落とされる地獄か。
 そんなものがあるのだとしたら、俺は落とされないように、夢も見ないように、あまり悪さはしないでおこう。今まではしてないけど、これからもしないでおこう。生きているときには悩みだらけで、死んだら地獄……うう、まっぴらだ。


END
 
 



 


 

 
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