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小説178(壊れかけのRADIO)

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フォレストシンガーズストーリィ178

「壊れかけのRadio」


1・弾

 小さな黒いラジオがある。俺が中学生になったときに小遣いで買って、親に隠れて布団に隠れて深夜放送を聴いていたラジオだ。とっくに壊れてしまったと思っていたのに、電池を入れ替えていじってみたら歌が聴こえてきた。
 二十年ばかり前の歌か。ちょうど俺がこのラジオを買ったころに、同じ歌を聴いた。
 なつかしいと感じるのは、大人になったからか。年を取ったからかとも思えるが、それほどの年でもないのだから、俺は大人になったのだと考えておこう。
 ラジオを買ってたくさんたくさんの歌を聴いて、中学生から高校生になっていって、俺も歌手になりたいと考えるようになったのだ。この顔で? だとか自分で自分に雑音を入れてみたりはしたものの、顔ではない、歌手は歌や、と考え直して、歌手になるために東京に行こうと決めた。
 歌というものにはタイムトラベル効果があるのか。二十年前の歌を聴いていると、俺は二十年前に戻っていく。大阪の中学生だったあのころの俺に。
 

 ほしいほしいと願い続けても結婚してから十年も子宝に恵まれなかった俺の両親は、俺をめったやたらに可愛がる。四十歳近くなってから生まれたひとり息子に「弾」などと名づけたのも、頭をひねりすぎであろうが、愛情の証明だったのだろう。
「おまえはその顔で弾?」
 小学生のころから友達にも先生にも言われて、親がつけてくれたんです、と言うのも疲れた。実松という姓のほうが俺には似合う。まあ、名前は変えられないのでしようがないのだが、ひとり息子を溺愛する両親は、俺がねだるとなんだって買ってくれた。
「あのな、お母ちゃん、イギリスの女性歌手で、プリシラ・ジョーンズって知ってる?」
「知らんけど、そのプリシラさんがどないかしたんか」
「来日コンサートがあるねん。海外の歌手のコンサートのチケットは高いけど、行きたい。小遣いちょうだい」
「中学生がそんなもんに行くの? 誰と行くの?」
「チケットが高いから、一緒に行ってくれる奴はいてへんかもな」
「そしたらひとりで? お父ちゃんかお母ちゃんがついていってあげよか」
「いらん。ひとりで行かして」
 両親の相談の結果、チケットは買ってもらえた。
 胸ときめかせて行ったはじめてのコンサート。若くて美人でパワフルな歌を歌うプリシラの大ファンだったのだから、俺はコンサートホールでも胸をときめかせっぱなしだった。
「オゥ!!」
 大好きな歌の「ミッドナイトラヴァーズ」のイントロがはじまり、歌い出そうとしたプリシラが恥ずかしそうな顔になった。俺は彼女の曲はみんな知っているので、まちがえたのだとわかった。とはいっても、ごまかすのは簡単だったはずだ。
 なのに、プリシラは英語でなにやらべらべらっと言った。まちがっちゃったわ、ごめんなさい、だったようで、その程度は俺にも聞き取れたのだが、英語オンリーのMCの意味はほとんどわからない。続けてべらべら英語で喋りながら、プリシラは客席に降りてきた。
 まちがえたから謝罪しようと、客に近い場所で歌う気になったのか。こういうことは珍しいようで、俺の周囲のお客さんたちがざわめいている。スタッフも色めき立って、緊張の面持ちでわらわら集まってきた。
 プリシラは優雅にスタッフを制し、ゆっくり客席を回って歌う。俺の席はうしろのほうだったのだが、その一画の中では一番前で、席の前が空間になっている。そこをプリシラが通る。背の高い綺麗な彼女がまとっている、虹いろのドレスに触れられそうだった。
 俺の鼻先をプリシラが通り過ぎていく。触れてみたい、とは思ったけれど、一生懸命我慢した。が、我慢できなかった客もいたようで、俺の近くの若い男がプリシラの手を握った。プリシラは彼ににっこり微笑みかけ、優美な仕草で手をはずした。
 我も我もと手を伸ばそうとする奴がいてもおかしくなかっただろうに、客たちはプリシラに魅入られたようになって、ただ、ぼーっと彼女を見つめていた。俺も同じだった。
「今日はプリシラがまちがえてくれたおかげで、すごい近くで見られて得したね」
「綺麗やったよねぇ」
 イギリスのスター歌手が俺のあんなにも近くに……そればっかりで頭がいっぱいになってしまって、コンサート終了後も席を立てない。近くの席の女のひとたちが喋っていた。
「危険ったら危険やね」
「お客さんが興奮して、立って殺到するとかってありそうやのに」
「軽率いうたら軽率かもしれんけど……」
「さすがプロ。上手にかわしはるわ」
 そうか、あれがさすがプロか。俺は他のお客さんたちの会話を聞きながら、やっと立ち上がった。
 最高に素敵な歌と、素晴らしいプリシラのルックス、ごく近くで触れられそうだったプリシラのドレス。日本の客なんてものは軽視する外国人ミュージシャンもいると聞いていたが、プリシラは二時間も歌ってくれて、アンコールも三曲もやってくれた。
 来てよかった。俺は感激でいっぱいになって、ホールから出ていった。生でプリシラを見て歌を聴いて、いっそうファンになった俺は、翌日、彼女にファンレターを書こうと思い当たったのだ。
 しかし、なんとか英語でファンレターを書いたとしても、どこへ出せばいいのだろう。今夜もラジオを聴きながら、俺は考えていた。考えてもどうしたらいいのか思いつかなくて、ラジオ局へ電話をかけた。
「プリシラ・ジョーンズのコンサートに行きまして、そんで、彼女が客席にも降りてきてくれて、さすがに上手にかわしはるわ、とか言うてるひともおって、それで、ファンレターを書きたくなったんです。どこへ出したらいいんですか」
「あなたは学生さん?」
 ラジオ局のスタッフの女性は、親切に対応してくれた。
「中学生です」
「英語で書くんですよね」
「がんばって書きます」
「そう……」
「書いても無駄ですか」
「昨日の大阪公演ですよね。あなたもコンサートに行ってたんだったら、感想を番組に送って下さいな。その前にファンレター? ちょっと待って下さいね」
 誰かと相談している気配が伝わってきてから、彼女は言った。
「うちの局気付で送ってくれたら、プリシラに届くように手配します。中学生が英語でがんばって書くんだものね。待ってますよ」
「ほんまですか。そしたら本気で書きます。番組へ葉書も出します」
「はい。お待ちしています」
 それからは勉強なんかそっちのけで、「英語での手紙の書き方」という本だの、辞書だのと首っぴきで、何日も何日もかけてファンレターを書いた。完成した手紙を英語教師に見てもらおうかとも思ったのだが、恥ずかしいのでやめておいた。
 ラジオ局にそのファンレターと、番組への葉書、局の方へのお願いも添えて、大きな封筒に入れて送ったら、俺がいつも聴いている深夜放送で取り上げてくれた。
「一ヶ月ほど前だったかな。プリシラ・ジョーンズのコンサートがあったでしょ。大阪市の実松弾くんから葉書が届いています」
 どっきんとして、俺はラジオに耳をかたむけた。
「僕はずっと前からプリシラのファンでした。本物のプリシラを見て、プリシラの歌を聴いて、ちょっとしたハプニングで僕の目の前まで来てくれたプリシラを見て、手紙を書きたくなったんです。それほどに最高のコンサートでした。プリシラさんも最後に、今夜は特別に楽しかった、って言ってくれました。僕は英語は苦手ですけど、その言葉はわかりました。僕も特別に楽しかった。あの夜のコンサートに来てた人たちは、みんな楽しかったですよね。そやけど、僕が一番楽しかった」
 葉書をラジオに送ったのもはじめてなのだから、当然、読まれるのもはじめてだった。恥ずかしいやら嬉しいやらで聞き入って、録音しておけばよかった、と気づいたのは、番組が終わってからだった。
 それから一ヶ月もたたないうちに、葉書を読んでもらったからのプレゼントってことで、番組のステッカーが届いた。それだって嬉しかったのだが、もっともっと嬉しいことが、クリスマス前にあったのだ。
「弾、お帰り。期末テストはどうやった?」
 学校から帰ると、母が出迎えてくれた。
「英語はばっちりとちゃうかな。英語の勉強は思いっ切りしたもんな」
「そういえば、英語の手紙が来てるよ」
 母にはなんだかよくわからなかったらしいのだが、裏書を見て俺の動悸が激しくなった。プリシラ・ジョーンズ? 本物の? 俺は母の手から封書をひったくるようにして部屋に駆け込み、注意深く開封した。
 クリスマスカードだ。センスのいいクリスマスツリーの絵と、肉筆の文字、「Merry X`mas & Happy new year」と綴られている。
 プリシラが書いてくれたのか? 誰かの代筆だとも考えられるけど、彼女が書いてくれたのだと思いたい。「Thank you for the letter. 」とも書いてある。俺の手紙はまちがいなく届いたのだ。感激すぎて涙が出てきた。
「弾、どないしたん?」
「イギリスに彼女ができてん。そんでな、その彼女が贈ってくれたクリスマスカードや」
「ええ? 嘘やろ」
 部屋に入ってきた母が、疑わしそうに封筒をひねくっている。母だって真剣に読めば判読できるようで、長々と封筒を見てから言った。
「プリシラ・ジョーンズって、あんたが前に行ったコンサートの歌手やろ」
「うん。俺、彼女にファンレターを書いたから……」
「その返事をくれはったん? まあ、ええひとやねぇ」
 母の顔を見ていたらよけいに泣けてきそうになって、俺は机の前にクリスマスカードを貼り付けた。
 

 ラジオからつながって思い出した、俺の初のコンサート体験。大人になった今から思えば、日本の中学生のファンレターが、プリシラのもとにたどりついただけでも奇跡だ。ラジオ局の人たちは、俺との約束を守ってくれた。
 そんなものが届いたとしても無視でもいいのに、プリシラは律儀にクリスマスカードの返事をくれた。誰かの代筆だったとしても、中学生だった俺は嬉しくて嬉しくて、嬉しすぎて友達に見せて自慢しようとも考えず、ひとりでカードを見てにやついていた。
 高校生になっても手元にあったあのカードは、大学に入学するために東京へ行く際に、どこかにまぎれ込んでしまったのか。捨ててはいないはずだが、記憶の底に埋もれてしまっていた。
 いつか俺も歌手になったら、さすが、と言われるようになろう。ファンレターをもらったら、ひとりずつに返事を出そう。実際問題としては無理なのかもしれないが、そこまでは考えられなかったから、本気でそう思っていた。
 歌手にはなれずにサラリーマンとなった俺には、けれど、歌手の友達がいる。中でもとりわけ、フォレストシンガーズの本庄繁之とは親しくしている。今度シゲと会ったら、この話もしてやろう。
 シゲかてステージでまちがえたりするんやろ。五人のヴォーカルグループでひとりがとちったら、みんなの歌がこけるんとちゃうか? シゲがミスったらどうするんや? あのいかつい顔に当惑の色を浮かべて、すみませんっ!! と叫んだりして?
 なんてことも考えていたら、シゲに電話をしたくなった。ケータイでかけると、どこにいるのかは知らないが、シゲが出た。
「実松? ああ、たった今、ライヴが終わったところだよ」
「どこにいてるん?」
「大阪だ」
 俺も大阪の親の家にいて、だからこそ古いラジオを発見したのだが、時刻も遅い。シゲはライヴ後で疲れているだろうから、言わずにおいた。
「シゲはステージでまちがえたりせえへんのか」
「俺は特にはないけど、幸生や章はたまにあるよ」
「どうやってごまかす?」
「ミスってのは誰にでもあるんだけど、そこを上手に繕うのがプロだ。幸生や章だって実にうまくごまかすぞ」
「そういうもんやねんな」
「あのさ、今夜は……」
 くっくと笑ってから、シゲが言った。
「おまえ、見てたみたいだな。章がソロのときにまちがえて、まずいっ!! って叫んだんだ。近くにいた本橋さんが章に寄っていって、ばーか、って頭をごちんとやったら、それはそれで受けてたよ。俺たちが無名だったころだったら、まちがえたりしたらお客さまに引かれるだろうに、これって売れてきたからこそ許されるのかな、って俺は思った。だからって甘えてたらいけないんだよ」
 プリシラも売れている歌手だったからこそ、ミスが上手にころがったのか。真面目なシゲらしい感慨でもあった。
「プリシラ・ジョーンズって知ってるやろ」
「えーとえーと……そういう歌手、いたよな。どうしてるのかな」
 いつしか日本では聞かなくなった名前だが、プリシラもだいぶおばさんになっただろうか。俺よりは十歳ほど年上だったから、中年女性になって、いまだ美しく華やかに、イギリスでは売れているのだと信じていたかった。
「プリシラって一時、俺の彼女やってんで」
「もうすこし真実味のある嘘をつけよ」
「いや、心の恋人」
「それだったらわかるけど、そんなにファンだったのか」
 学生時代にもシゲには話したことはなかったか。シゲが黙ると、彼のケータイのむこうから物音が聞こえてくる。少年時代には俺が身を置きたいと願い、ついにかなわなかった歌手の世界のざわめきか。俺はあれから二十年たっても、ステージに立つ人間にはなれなかった。
「明日も大阪でライヴ?」
「明日の午前中の新幹線で東京に帰るんだ」
 何時の新幹線だ、とシゲが言うのを聞いてから、俺は言った。
「そっか。ほんならな」
「うん、じゃ、またな」
 別に用事もないのに電話をしても、不審がらない旧友との通話を切って、俺は思う。その時間に合わせて、俺も東京に戻ろうか。フォレストシンガーズ全員と会ったらびっくりするかもしれないから、俺も大阪にいると言わなくてよかった。

「何も聞こえない 何も聞かせてくれない
 僕の身体が昔より 大人になったからなのか
 ベッドに置いていた 初めて買った黒いラジオ
 いくつものメロディーが いくつもの時代を作った

 思春期に少年から 大人に変わる
 道を探していた 汚れもないままに
 飾られた行きばのない 押し寄せる人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio」

 つい先刻まで聴こえていた歌の余韻はあるのだが、小さな音量で流していたラジオが沈黙している。本当にこわれてしまったのか。ラジオは沈黙してしまっても、俺の思春期の想い出はしっかりあるのだから、こいつも東京に持って帰ろう。


2・繁之

 大阪でのライヴを終えたあくる日、東京に帰るために新幹線に乗り込もうとしていたら、どうしたわけだか実松があらわれた。
「あれ? 実松さん、大阪に来てたんですか」
 幸生が尋ね、俺も言った。
「昨日の電話ではそうは言ってなかったじゃないか」
「驚かせたかったからや。間に合うたな。本橋さん、乾さん、こんにちは。お久しぶりです。木村も三沢も元気そうやんけ」
 先輩には礼儀正しく、後輩にはざっくばらんに挨拶した実松とふたり、新幹線に乗った。他のメンバーたちは別々の席につき、実松は立っているつもりだったらしいのだが、俺の隣は空席だったので、そこにすわった。
 実松のバッグから出てきたのは、小さな古いラジオ。実松は昨夜、大阪の彼の実家で思い出したという、中学生のころの話をしてくれた。
「それで、プリシラ・ジョーンズなんて名前が出てきてたんだな」
「壊れかけのレディオとかいう歌が聴こえてきて、思い出したんや」
 その歌だったら俺も好きだった。実松は話すだけ話して居眠りをはじめてしまったので、俺も俺自身の想い出をたどる。俺にもラジオにまつわる想い出はあった。
 もっとも大きな想い出といえば、ラジオで知り合った恭子と結婚したことであるが、学生時代にもラジオは聴いていた。実松が中学生ならば、俺は高校生だ。


 三重県にもFM放送はあって、俺もラジオを買って聴いていた。姉が音楽好きだったから、彼女もラジオは持っていたのだが、部屋に入っていこうとすると言われる。
「繁之、勉強の邪魔。出ていって」
 なのだから、俺も俺のラジオを買ったのだ。
 小遣いで買った安い小さなラジオで、俺は東京や大阪からネットされてくるラジオ番組を聴いていた。都会の香りも感じていた。俺が高校生のころに好きだったラジオ番組は、ムラキという名の男性DJのやっている「真夜中の一歩手前」という番組だった。
 東京から発信されていたようで、タイトル通りに午後十時にはじまる。ヒットソングも古い歌も、洋楽も邦楽もかけてくれた。その番組にリスナー参加のクイズコーナーがあった。
 イントロから曲名を当てたり、時事ネタだったり、このミュージシャンは誰? だったり。さまざまなバリエーションのクイズに、俺は正解したためしがない。姉はいつだって正解していたのだそうで、繁之は鈍いと言われていた。
「さて、今夜のクイズです。今夜はプレゼントつきだよ。なぞなぞっていうのかな。葉書で答えを送ってくれた人の中の、正解者から抽選で、ダーティエンジェルスのコンサートチケットが当たります。この番組は全国で放送していますが、チケットは東京公演の分です。ふるってご応募下さいね」
 前置きのあとで、DJは言った。
「問題、私は今、どこでなにをしているでしょう」
 はあ? だった。私って誰? なぞなぞ? トンチ問題か。そんなの、俺にわかるわけがないだろ、だったので、姉に尋ねた。
「わからんの? 繁之ってアホ」
 せせら笑われて諦めて、一晩中布団の中で考えた。考えてもわからないので、翌日になって泉水にも質問した。
 小学校から同じ学校に通っている瀬戸内泉水は、クラスは別でも高校生になっても友達だ。泉水は昨夜のラジオを聴いていなかったそうなのだが、俺がDJの出した問題を繰り返すと即答してくれた。
「東京のラジオのスタジオで、お喋りの仕事をしてる」
「あ、そうかっ!!」
「懸賞つきやったら、簡単な問題を出したんだね。それがわからんとは、シゲってアホ」
「姉さんにもアホって言われたよ。うーん、しかし、正解やな。それが正解やな」
 まちがいはないと思えるが、答えを出したのは泉水なんだから、俺が葉書を出していいものだろうか。悩んだ末に、どうせ当たらんだろうと思って答えを書いた葉書を送った。それがなんと、翌々週の番組で読み上げられたのだ。
「三重県の繁之くん。おめでとう。東京だけど大丈夫? 来られますか。大丈夫だったらぜひ来てね。俺もコンサートには行くから、なんだったら俺を訪ねてきてくれたらつきそうよ」
 他にも当選者はいたのだが、三重県の繁之くんって俺か? DJのその言葉の部分ばかりが強く強く残っていた。
 別の三重県の繁之かも、とも思っているうちに、当選しましたと局から電話がかかってきて、チケットも送られてきた。親は心配していたものの、高校生なのだから大丈夫だろうと、東京行きを許してくれた。姉はうらやましそうに、帰ってきたらコンサートの感想文を書けと言っていた。
 当日は土曜日だったので早朝から電車に乗って名古屋まで行き、名古屋から新幹線。高校三年生になる前に伊勢にひとり旅はしていたものの、こんなものはひとり旅とは呼べないまでも、俺にとっては大冒険だった。
 本当に訪ねていってもいいのだろうか、と思いはしたのだが、ああ言ってくれたのだからいいのだろうと解釈して、俺はFMラジオ局を訪ねていった。俺がファンだったDJの村木さんは、気軽に俺に会ってくれた。
「来られたんだね。よかったね。ライヴホールまでは一緒に行こうか」
 東京のDJはおっさんでも格好がよかった。ルックス的には普通のおじさんなのだが、服装がしゃれている。彼のそばにいると俺は田舎の高校生。当たり前ではあるので気にしないことにして、俺は正直に言った。
「あの正解、実は友達が教えてくれたんですけど……」
「そうなの? そんなのいいじゃん。きみはダーティエンジェルスのファン?」
「えーと……あの……それほどでも……」
「そうなのか。まあ、ライヴを聴いてからまた話して。ライヴの感想を番組に送ってよね」
 姉にもDJさんにも感想文を命じられるとは、緊張感が高まっていく。
 今日の仕事は終わったからと言う村木さんに、俺はライヴホールまで連れていってもらった。道々で村木さんがダーティエンジェルスについて話してくれる。俺は女の子の歌のほうが好きだけど、五人組のドゥワップグループと呼ばれている彼らも、決して嫌いではなかった。
「彼らはデビューしてから長くて、一時の大人気はなくなってるのかもしれないよ。最近はライヴも大都市でしかやらないし、活動していない期間も多いみたいだね。だけど、長くやってるだけあって歌は素晴らしいんだ。オリジナルもあるし、海外のソウル系のカバーもやる。歌のジャンルは幅広い。本庄くんは声が低いね。ダーティエンジェルスのベースマンみたいなパートが歌えそうだな」
「俺、中学生から合唱やってるんです」
「バスでしょ」
「はい」
 本物のDJさんの音楽話も聞かせてもらいつつ、電車でたどりついたライヴ会場は、俺は聞いたこともないホールだった。キャパは多くないと言われても、そうなのか、である。俺が知らないのも当たり前だろう。東京のホールなんてものは、超有名なあたりの名前しか知らない。
 三重にだってコンサートをやる会場はあるが、海外ミュージシャンは避けて通る。コンサートに行きたかったら、大阪か名古屋まで行くしかない。日本のミュージシャンだったら来てくれるものの、俺は行ったことがない。今夜がコンサート初体験だった。
 きらびやかなステージに目が眩み、ものすごいヴォリュームの歌に圧倒され、耳がおかしくなりそうだったけれど、俺は熱狂した。ダーティエンジェルスもルックス的には普通のおじさんたちなのだが、ステージで歌っていると輝いて見えた。
「村木さんの番組で懸賞に当たって来てくれたひと、いますか?」
 ライヴ途中のMCで、メインヴォーカルのヤスシさんが言い、観客の間からぱらぱら手が上がる。俺も夢中で手を上げた。
「ありがとう。俺たちのファンになってね。では、次、行くぜっ!!」
 ヤスシさんの視線が俺に向いている気がして、そこからは無我夢中になって、俺も飛びはねていた。村木さんはむろん別の席にいて、俺の周囲は知らないひとばかり。これだったら恥ずかしくもないので、俺も両手を突き上げ、拳を上げる。大地震のようにホールが揺れていた。


 実松が経験したようなハプニングはなかったけれど、素晴らしいコンサートだった。
 あのころの俺は歌手になりたいとは夢にも思っていなかったのに、それから東京の大学に入り、合唱部の先輩たちに誘ってもらって、フォレストシンガーズの一員となってステージに立つようになった。村木さんとも再会した。
「十年くらい前に俺がやってた番組の……ダーティエンジェルスの……ああ、そんなこともあったな」
 村木さんはそう言っていたが、実際には覚えていなかったのかもしれない。村木さんは現在でもけっこういいお年になって、それでもDJとして活躍している。あいかわらずかっこいいおじさんだった。
「俺たちのライヴに来てくれたことがあるの? それはどうもありがとう」
 ダーティエンジェルスは解散して、ヤスシさんはソロシンガーに転身している。彼とも会って話した。このひとと俺が同業者だなんて……俺は一種茫漠とした想いに支配されていたものだ。
 ラジオは俺にいろんなことを教えてくれた。いろんな歌も教えてくれて、知らない世界も見せてくれた。後には俺がラジオに出演して、共演者と結婚するなんて、高校生の俺に教えてやっても信じないのではないだろうか。
 ぼーっと昔を思い出しつつ、実松にも話してやろうかな、と考えていると、車内検札が近づいてきた。指定券を持っていない実松が、目を開けて車掌さんと交渉している。俺はデジタルオーディオから探し出した、なつかしい歌を聴くことにした。

「いつも聞こえていた いつも聞かせてくれてた
 窓ごしに空をみたら かすかな勇気が生まれた
 ラジオは知っていた 僕の心をノックした
 恋に破れそうな胸 やさしい風が手を振った

 華やいだ祭りの後 静まる街を背に
 星を眺めていた けがれもないままに
 遠ざかる故郷の空 帰れない人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio」

 音楽の好きな者にならば、ラジオの想い出はあるはずだ。ヒデにも聞いてみたいな、とぼんやり考えている俺の視界を、新幹線の車窓の景色が飛び去っていった。


3・英彦

「ギターを弾いていた 次のコードも判らずに
 迷子になりそうな夢 素敵な歌が導いた

 思春期に少年から 大人に変わる
 道を捜していた 汚れもないままに
 飾られた行きばのない 押し寄せる人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio」

 神戸でライヴがあるのだそうで、その前日に俺に会いにきてくれたシゲが、デジタルオーディオを差し出す。聴いてみろと言われて聴いた歌は、俺の記憶にもあった。
「壊れかけのRadio。これがどうかしたか?」
「ラジオの思い出って、ヒデにはないのか」
「うーん。ラジオは聴いてたけどなぁ」
「実松にも俺にも、ラジオとライヴの想い出があるんだよ」
 大阪で実松に会って、同じ新幹線で東京に帰ってきたのだそうだ。三重県出身のシゲも、大阪出身の実松も東京在住で、俺のみは神戸の電気屋勤務。シゲが彼自身と実松の思い出話を語ってくれる。学生時代にも聞かされたのかもしれないが、俺は忘れてしまっていた。
 海外のミュージシャンは四国にまではまず来てくれない。俺は高知県で高校時代までをすごしたのだから、わざわざ大阪へライヴを聴きにいくほど音楽好きでもなかった。
 ガキのころから音楽が好きだった実松やシゲのようには、俺は熱心に歌を聴いてこなかった。だから、高校時代まではコンサートには特に行ったこともない。クラブは卓球部で、女の子にばかり目が行っていたガキのころに、それでもラジオは聴いていた。
 神戸の居酒屋でシゲと軽く飲んで話して、シゲは明日はライヴなのだから、遅くなれない。俺も仕事だから、ライヴには行けない。かつては親友だったシゲ。今でも親友なのだと、口にはしないまでも互いに思っているはずのシゲに、特権として歌ってもらおうか。
 フォレストシンガーズの歌をシゲのソロで聴くのもいいな、なんて思いながら、俺も追憶を蘇らせる。俺の場合は東京に来て大学生になってからだ。


 木村章が案内してくれたのがロックのライヴハウス初体験だった。あのライヴはつまらなかったので、聴くよりも歌うほうがえいちや、だったような気がする。
 大学四年になるとアマチュアフォレストシンガーズのメンバーとなっていた。合唱部でもフォレストシンガーズとしても、俺はあのころはステージに立っていた。それはそれとして、聴衆としてのライヴ。その経験だってあるにはある。
 まだ彼女もいなかったころ、大学二年だったか。未成年のくせに夜中に酒を飲み飲み、ラジオを聴いていた。未成年に土佐の日本酒を送ってくる親父も親父なのだから、土佐の男ってのはまったく酒好きなのだ。
「沢口ユタカのライヴチケットが余ってるんです。買ったものの行けなくなっちゃったんですけど、どなたか買ってくれませんか。正価でいいですよ。ペアでありますよ」
 ラジオで読まれた葉書に心が動いた。沢口ユタカとは、そのころに人気のあったアイドル崩れの歌手だ。女の子に人気があったので、チケットを餌にしたら女子部の子をデートに誘えないかと、下心が起きていたせいもある。
 そこで俺はラジオ局に申し込みの電話をかけた。返事は後日、とのことだったのだが、待っていても電話がかかってこない。業を煮やした俺は、数日後に再び電話をかけた。
「あなたが聴いておられた番組でお断りをしたんですけどね、聴いてらっしゃいませんでした?」
「お断りですか。いつも聴いてるわけでもないから知りません」
「そうですか。チケットを買ってくれと言っていた方から再び葉書が来て、あれは行けることになったからって……」
 申し訳なさそうな声ではあったのだが、俺はむかっとした。
「なんじゃい、それは。それやったらはじめから言うな」
「ですよね。しかし、そうなってしまったものは……」
「わかりました」
 電話を切っても腹の虫がおさまらない。頭に来た勢いで、番組に葉書を書いた。行けないと決まってから、チケットを売ると言え、といったような内容を、土佐弁まじりで葉書にしたためて投函すると、次週の番組で読み上げられた。
「お怒りの葉書が届いてますよ」
 淡々と俺の葉書が読まれ、それからラジオで一大論争が勃発したのだ。
 悪いのはチケットを売るといって撤回した奴なのだが、俺の葉書の調子が激しかったのもあって、俺に対する非難までが届く。DJは困っているようでもあり、論争を楽しんでいるようでもあった。
 所詮はコップの中の嵐ではあったのだが、一時期はラジオで喧々諤々やっていて、俺も参加していた。大学の友達には話さなかったので、シゲや実松は知らないであろう。ヒデはラジオでまで喧嘩するのか、と言われそうで話さなかったのだ。
 論争は次第に鎮火していったのだが、腹立ちがくすぶっていた俺は、普通に沢口ユタカのライヴチケットを買った。売り出されてからかなり経つのにソールドアウトしていないとは、たいした人気ではないのだと、妙に滑稽に感じていた。
 沢口ユタカにまで八つ当たりを向けていた俺は、客席がらがらを期待して、大きなホールで行われるライヴに出かけていった。ところが、客席は満員だったのだ。
 キャンセルでも出てチケットが一枚だけ残っていたのか。買えたのが不思議だったのであるらしい。ほぼ女性ばかりのホールで、俺はびっくり状態で沢口ユタカのライヴを聴いた。男の客もいるにはいるが、彼女に引っ張ってこられたのだろう。男はみんな女連れだった。
 場違いで身の置き場がなくて、アイドルっぽい沢口ユタカの歌もつまらなくて、女の子の嬌声がやかましくて、俺は全部は聴かずに外に出ていこうとした。
「ちょっと、なにすんのよっ。痴漢」
 周囲にいる女の子をかき分けて出ていこうとしていたので、俺の手が彼女のどこかに触れたのだろう。きーっとばかりに睨まれた。
「なんもせんちや。出してくれ」
「途中で出ていくなんて、ユタカに失礼でしょうが」
「じゃかましい。俺は出るんだから」
 見ず知らずの女の子とまで喧嘩ごしでやりあって、そこらへんの女性たちにぎろぎろ睨まれて、俺はどうにか客席から出ていった。
 ロビーまで出ていくと、寂しそうにすわっている女の子がいた。彼女は胸をかき寄せている。着ているブラウスのボタンが? ついつい見ていると、彼女がぽろっと涙をこぼし、俺は立ちすくんだ。彼女は泣きながら言っている。他には誰もいないので、俺に言っているのだった。
「……周りのひとが……なんだか興奮してて、ユタカのファンクラブの女の子なのか……抱き合って騒いだり泣き叫んだりしてるの。巻き込まれて……それでボタンが……」
「あちゃ。ボタンが吹っ飛んだ?」
「上の三つが吹っ飛んだの。ボタンつけがゆるかったのもあるんだろうけど、こんなんじゃライヴを聴いてられないし、帰るにも帰れないし……」
「帰れないね」
 俺はTシャツの上にシャツを羽織っていたので、上を脱いだ。
「きみはひとりで来たの?」
「そうなの。ユタカのファンって友達にはいないから」
 シャツを手渡すと、彼女は驚いた顔で俺を見た。
「これ、きみにあげるよ。格好はよくないけど着て帰れば?」
「いいの?」
「いいよ。安物だし、帰ったら捨てて」
「ありがとう」
 それはもちろん、あわよくばナンパ、と思わなくもなかったのだが、女性の弱みにつけ込んではいけない。俺は格好をつけて彼女に手を上げて、ホールから出ていった。
 
「華やいだ祭りの後 静まる街を背に
 星を眺めていた けがれもないままに
 遠ざかる故郷の空 帰れない人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio
 
 遠ざかる溢れた夢 帰れない人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio」

 ライヴってのは華やいだ祭りでもある。アマチュアだったにせよ、俺にもステージに立った経験はある。もう一度ステージに立って歌ってみたいと思わなくもないけれど、俺には遠い過去だ。
 あのころの俺はとうに心が汚れていたけれど、ホールから出て星空を眺めながら、遠ざかる故郷を思っていたのか。夢はまだ遠ざかってもいず、確固としてもいず、祭りのあとの人波に背を向けて、ひとりで歩いていた。 
 こんな話、シゲにしても仕方ない。沢口ユタカのライヴ自体はつまらなかったが、ラジオと見知らぬ女の子がからんだ話ではある。けれど、いい話でもない。
「おまえはホテルに帰るんやろ。出るか」
 追憶に浸っていたものだから黙って飲んでいた時間がすぎて、俺はシゲに言った。シゲもうなずいて席を立つ。支払いをすませて外に出ると、今夜も故郷の空に似た空に星がまたたく。人波も続いている。神戸の繁華街を男ふたりでゆっくり歩く。
 ほんのすこしの間、ステージにも立っていた男、そうと願ってかなわなかった男、ずっとずっとステージに立っている男、学生時代には同じ境遇だった俺と実松とシゲの、隔たってしまった現在も思いながら歩く。俺はシゲに言ってみた。
「俺はライヴには行けんから、シゲの歌だけでも聴きたいな」
「今、歌えって?」
「歌ってくれや」
「おまえも歌えよ」
「いやじゃ」
「そればっかり」
 ぼやいたものの、シゲは小さく歌ってくれた。「壊れかけのRadio」だ。シゲの低い歌声に、俺は心の中でハーモニーをつけていた。

END





  
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