novel

小説175(プレゼント)

 ←小説174(Tiger rag) →短いあらすじ5
thumbnailCAIEQ67Y.jpg

フォレストシンガーズストーリィ175

「プレゼント」

1

 これほどいい男とふたりっきりで飲んでいると、女だったらどんな心持になるものなのだろうか。推理が空想に変わり、空想が妄想から邪心へと姿を変える。なんてこともなくて、やっぱり俺には実感ないな、当たり前だな、となって、俺は金子さんにおねだりしてみた。
「俺が知ってる男子部のキャプテンって、渡辺さんからなんですよね。金子さんがキャプテンだったころも知りませんし、もちろんその前も知りません。どんな感じだったのか話してもらえませんか」
 四歳年上の金子さんが大学一年生の年、俺よりも七年年上に当たる当時のキャプテンは、奈良林さんといったと、金子さんが話しはじめた。

 キャプテンと副キャプテン、俺の知ってる最初は奈良林さんと田中さんだ。奈良林さんがキャプテンで、田中さんが副キャプテンだよ。
「キャプテンは会津の出身で、副キャプテンは薩摩だと聞いたんですが」
「そうだよ」
「会津と薩摩……ですか。あの、過去の確執はもはや関係ないんですか」
「いや、俺の故郷ではこの前の戦っていったら、戊辰戦争だったりするんだよ。薩摩の奴らなんぞは顔も見たくないって言う年寄りもいるな」
「奈良林さんは?」
「俺が上京してきて大学に入って、合唱部に入って、同じ一年生になんだか軟弱な奴がいるなと思ったら、大阪の出身者だった。俺が会津の出だと言ったら、そいつは言ったよ。東北人と大阪人はもっとも馬が合わないんだってさ」
 脆弱柔弱だとしか会津の人間には思えない言葉と態度で、その同級生は奈良林さんの目にはへらへらした男に映った。奈良林さんも会津弁が抜け切れず、大阪弁と会津弁でほとんど喧嘩の格好になって、この軟弱者、この田舎者、とやりあっていると、田中さんが割り込んできた。
「奈良林、おまえ、会津の出か? 俺は薩摩じゃっで」
「……」
 軟弱者の大阪人と仇敵薩摩人、こいつら許せん。俺はこれからこのふたりと闘っていくのだと、奈良林さんは決意したのだそうだ。
「だが、大阪の奴はじきにやめてしまった。薩摩の人間は会津の人間を、いつまでそんな大昔にこだわってるんだ、馬鹿か、って目で見てるんだよな。なにが許せなかったのか、今となっては俺にしてもお笑いなんだけど、そのころは本気で考えてた。いつかこの田中を成敗してやる、会津の仇を江戸で討ってやる、だったのか。思い出すと大笑いだよ」
 歌とはなんの関りもないところで、奈良林さんは田中さんに闘志を燃やしたんだそうだ。あまりに遠い過去にそんなにも……ってのは、関東人には理解しがたいよな。
 しかし、田中さんのほうは奈良林さんを仇敵だとは思っていない。田中さんを見ているだけでも腹を立てていた奈良林さんに、なにを怒ってる? 同い年なんだから仲良くしようよ、ってな態度だったんだそうで、次第に奈良林さんも馬鹿馬鹿しくなっていった。
 そんなふうな初対面を果たしたってのも、いったいいつの時代だよ、なんだけど、俺が出会ったころの奈良林さんと田中さんは、互いを補い合うつきあいをしていたよ。けれど、奈良林さんはこうも言っていた。
「俺には妹がいて、今年、東京に出てきたんだ。地元の短大を卒業してこっちで就職したんで、田中が紹介しろって言う。絶対に紹介はしてやらない。会津の女は薩摩の男の嫁になったらいけないんだ」
「はあ、そうなんですか」
 絶対に絶対に、と力を込めて言っていた奈良林さんの目つきは真剣だったよ。けっこう先走るひとだったんだな。後日、俺は田中さんにも質問した。
「俺は東京出身なんですけど、薩摩隼人から見ると東京人ってのも軟弱ですか」
「おまえはちと軟弱そうに見えたけど、ハープの特訓にも音を上げずに上達したじゃないか。見直した。出身地で人を差別するのはよくないよ。東京も薩摩も会津も、みんな同じ日本人だ」
 あの言葉には、奈良林さんの内心を気づいているがゆえの含みがあったのか。会津と薩摩の出身者たち、との先入観などをまじえずに観察していたら、頼りがいのあるキャプテンと副キャプテンだったよ。
 
 そのころの俺は横須賀の中学校に通う、小柄で華奢な美少年だった。それほど離れていない東京で、大学生たちは次元のちがう会話を繰り広げていたのだ。中学生の俺は、会津と薩摩の確執なんて知らなかったはずだ。学校で習ったのかもしれないが、勉強は嫌いだったから、今でもよくは知らない。歴史はシゲさんの得意分野だから、今度、レクチャーしてもらおう。
 仕事帰りに金子さんに会って、うちの先輩たちはいなくて、金子さんに連れてきてもらった「向日葵」という名の居酒屋で、俺の知らない時代の合唱部の逸話を聞かせてもらっている。金子さんが続けて話しはじめたのは、その翌年、金子さんが二年生になった年。キャプテンは福田さん、副キャプテンは井上さんといった。

 学校にも合唱部にもなじんで、後輩もできて、それでいて将来について思い悩むにはまだ至らない。大学二年生ってもっとも若さを謳歌できる年頃だったのかもしれない。奈良林さんも田中さんも卒業してしまって、俺は新キャプテンの福田さんと井上さんを見ていた。
 あの年に大学近くに新ホールが建設されたんだ。ホールのこけら落としは年の暮れのカウントダウンコンサートと決まって、うちの合唱部にも歌ってくれとの依頼が来た。
 男子部と女子部、両キャプテンの話し合いで出し物が決定し、その時代の合唱部では歌唱力が粒よりだった高倉、渡嘉敷、星の低音トリオがステージに立つことになった。それまでの合唱部では年功序列が幅をきかせていて、そのようなステージには四年生が最優先だったんだ。それを切り崩したのが福田さんだよ。
 自らは裏方に回り、福田さんと井上さんは三年生トリオの指導に当たった。バスの渡嘉敷さん、バリトンの高倉さんと星さん、高い声のいない男声コーラスは異色ともいえるので、不安視する向きもあった。暗いだの重いだのと横槍を入れたがった四年生の中には、なんだって三年生が主役になるんだ、との嫉妬もまじっていたんだろう。
「男の低い声ばかりでは重い、暗い。たしかにそれは当たってるんだ。だからな、金子、頼む」
 コンサートのための練習の場に呼び出されて、俺がなにを? と問い返すと、福田さんは言った。
「ハープだよ。ハープの伴奏でかろやかさと華を加えてくれ」
 井上さんも言った。
「それとフルート。伴奏する楽器で華麗さを出すんだ」
「おまえの楽器の腕は証明済みだろ。両方頼む」
「……両方? 俺はフルートの経験はありません。フルートは別の誰かに頼めませんか」
「ハープだってはじめてだったのに、巧みにこなしたじゃないか。できるよ。おまえにだったら」
「他に頼める奴はいないんだよ」
 ふたりがかりで迫られて引き受けざるを得なくなって、俺は二年生の一時期はフルートとハープの特訓に痩せる思いだった。俺は合唱部で歌うんじゃなくて、楽器担当か、ってなものだったんだけど、ハープを弾けたという前例を作ってしまったから、否も応もなかったんだよ。
 けれど、そのおかげで俺は、高倉さんと渡嘉敷さんと星さんの歌を、練習段階から完成するまでじっくりと聴かせてもらった。俺も声は低いほうなので、彼らの歌は参考にもなった。さらにそのおかげで、先輩たちと会話もできた。四年生がふたりと三年生が三人の専門的な歌の話にも、雑談にも耳をかたむけていられた。意見を求められたりもした。
 会話の断片をつなぎ合わせると、福田さんと井上さんは高校三年の夏休みに、東京の予備校に通っていて知り合ったんだそうだ。福田さんは静岡、井上さんは群馬から、大学受験のための勉強をしに東京に来ていた。勉強の合間には息抜きと称してライヴハウスで歌を聴いたりもした。ともに歌が好きで、ともに同じ大学を受験して、昔から有名だった合唱部に入部しようと語らって、春には桜が咲いた。
 そんな仲だったんだから、福田さんと井上さんは終始和やかだったよ。カウントダウンコンサートでは低音トリオのコーラスも好評を博し、がっちり握手していた福田さんと井上さんの姿が脳裏に残ってる。

 そうすると比較的地味で穏やかで、歌の実力のほうには目立つものがなかったので、その年のキャプテン、副キャプテンは時の流れの中に埋もれているのか。ふむふむとうなずきつつ熱心に聞き入っている俺に、金子さんは彼が三年生の年の話を語ってくれた。ここからは俺も知っている先輩たちが出てくるのだから、俺の耳にも熱が入るってものだった。

 それから高倉さんと渡嘉敷さんと星さんは、トリオを結成して歌うようになった。いずれも遜色ない歌唱力の持ち主だったんだけど、星さんにはすこしばかり不良っぽい香りがあったのかな。そのためだかなんだか、俺が三年生の年には、高倉さんがキャプテン、渡嘉敷さんが副キャプテンに選出された。
 三浪していた高倉さんは、彼が一年生の年の四年生たちと同年齢だ。苦労人だったのもあり、実直で温厚な人柄もあって、一年生のころから皆に一目置かれていた。俺とは学年では一年の差だし、昨年のカウントダウンコンサートでの関りもあって、そのころには気安く口がきけるようになっていた。
 来年には男子部の実力者たちが卒業してしまうこの年に、彼らの後継者たちが入部してきた。そう、徳永、本橋、乾だよ。皆実と俺も注目されていたから、この年の男子部にはスターの卵がそろってると言われていたものさ。
 温厚でいて発言力もあり、年齢的にも誰よりも大人だった高倉さんは、完璧に合唱部をまとめていた。この年の四年生は高倉、渡嘉敷、星以外の者は俺の記憶にはあまり残っていない。四年生よりも一年生に関心が移ったせいもあったんだろうか。星さんには多大な興味があったけど、キャプテンと副キャプテンの話だったよな。高倉さんと渡嘉敷さんだ。
 かつてから男子部にはルックスはもうひとつ、ってタイプの男が多くて、高倉さんや渡嘉敷さんにしても、人並みの外見の持ち主だったよ。星さんはその中で群を抜いて光ってたんだけど、男の顔はどうでもいいよな。それに、このあたりになるとおまえも後に出会ってる。おまえの知らないころの話をしなくちゃ。
 ただ、俺は星さんともっとも親しくしてもらっていたので、彼からの又聞きの話をよく覚えてるんだよ。同年だが三つ年上の高倉さんを、星さんは敬称つきで呼んでいた。
「高倉さんと渡嘉敷さんはどうやって知り合ったんですか」
「高倉さんは広島、渡嘉敷は沖縄、俺は新潟だろ。高校生まではなんの接点もありはしなかったよ。三人ともに声が低くて歌が好き。それ以外の共通点はなかった。俺たちも合唱部で知り合った。高倉さんとの初対面の際には、たいていの奴が言うし、高倉さんも気を悪くしたりはしないだろうけど、老けてるなってのが第一印象だった」
 年上というだけではなく、高倉さんは学生時代から年齢以上に落ち着いた外見をしていたんだ。
「部室ではじめて会ったときには特に話もせずに外に出た。そうしたら、ほら、野球部の大泉さんが高倉さんに声をかけた。大泉さんは当時、三年生だったな。野球部ではスターだったから俺も知っていた。大泉さんが高倉さんに歩み寄って、ふたりは親しげに話していた」
 あの大泉さんと高倉さんがなぜああいう口のききようで話す? 不可解に感じていた一年生たちに、大泉さんが言った。
「高倉は俺と同郷でずーっと親友なんだ。こいつをよろしく頼むよ」
「そうなんだ。俺、大泉と同い年なんだよ。つまり三浪なんだ」
 てへっ、と高倉さんは照れ笑いし、ああ、そうだったのか、とみんなは納得した。あの大泉さんと親友、それだけで一年生たちは高倉さんを尊敬してしまったらしい。
「そんなだから先輩たちも、高倉さんは特別扱いだったよ。高倉さん自身は遠慮して、俺も一年生なんですから、と言うんだけど、下っ端扱いはできなかったんだろ。高倉さんの人格ってのもあるんだろうし、彼は音楽にはきわめて造詣が深いから、俺はそんなもんかと思ってた。ただし、そうなると高倉さんは一年生の間で浮く。進んで話しかけるような奴は少なかった。高倉さんに話しかけられてもなんとなく臆するような奴もいた。渡嘉敷と俺はそういうふうにも考えてなかったんだな。いつしか三人で親しくなって、三人で歌うようになったんだよ」
 低音トリオが一年生だった年に、女子部に水無月さんというソプラニストがいた。水無月さんには星さんが声をかけた。
「俺は星、きみは月だね。名前にも縁があるんだし、俺たちは三人とも声が低いから、その中にきみの綺麗な高い声がまざるといいハーモニーになると思わないか。いっしょに歌おう」
 そうやって誘った水無月さんと、一時は四人で混声コーラスグループをやっていた。PPMだのママス&パパスだのって、男女混合グループの海外の歌を歌っていたんだそうだ。俺も聴きたかった、と俺が言ったら、星さんは続きを話してくれたよ。
「水無月さんはそのうち、誰かと恋仲になったんだよ。声も顔も綺麗な子だったから、恋人のいる水無月さんに横恋慕した奴がいてすったもんだして、女子部の内部では内部で、一年生のくせに生意気、だなんて言われたりもしていたらしい。グループはやめるって言って飛び出していって、合唱部もやめてしまった。ありがちだよな」
 彼女が恋仲になった誰かの名も、横恋慕した誰かの名も、星さんは出さなかった。三人のうちの誰かだったのかもしれないけど、そのせいで三人の仲が崩壊したりはしなかったんだな。だから、別の誰かかもしれない。だから、俺は四人の美しいハーモニーを聴いたことはない。残念だよ。
 現在の合唱部でも伝説になっているらしいけど、それから高倉さんが本橋と乾を抜擢し、渡嘉敷さんは本橋と乾には敢えてかまわず、徳永に目をかけた。星さんともよく、あの三人の話をしたよ。そして俺は、卒業していく高倉さんに徳永を託された。託されなくても、徳永とは妙な因縁があったような気がするんだけどね。

 歴代キャプテンと副キャプテンの関係が、金子さんの話のメインテーマだ。すると高倉さんと渡嘉敷さんの間には、あるいは女性がらみのなにかがあったのか。にも関らず強固な絆は切れなかったと、金子さんは言いたかったのか。
「次は皆実と俺だよ。自分たちの話もするのか」
「だって、俺はそのころも知らないんですから」
「やりにくいな」
「やりにくいですか。金子さんだったらそうでもないでしょうに。じゃあ、話をそらしてもいいですか」
「星さんか。知ってるのか」
「ほんのちょっとは」
 もうひとつ考えられるのは、水無月さんという美人と恋仲になったのが星さん、または、水無月さんに横恋慕したのが星さん。星さんとは会っている俺は、彼がもてにもててもてまくったと言われなくても知っている。水無月さんを誘って四人で歌いはじめたのが星さんなのならば、恋仲になったのも星さんだとしたほうが自然なのではなかろうか。
「星さんってもてたんですよね」
「そりゃそうだろ」
「金子さんは星さんの彼女を何人知ってるんですか」
「ひとりは知ってるよ」
「俺もひとりは知ってる。その彼女は俺の身近にいるひと。星さんと彼女が再会したときのいろんな状況や、その後の彼女の風情なども考え合わせると、彼女の中ではそれは過去ですよ。きっとそうなんだ。ごくたまに彼女は、大学一年生のときに好きだったひとの話を口からこぼします。あんなときの彼女の表情からすると、幸せな思い出なんだろうなって。十八歳の女の子があんなにかっこいい男と恋をしてた。そのころの彼女には彼は大人だったんでしょうね。今では彼女も大人だけど、目を閉じると浮かんできますよ。あの合宿の浜辺に寄り添っていたふたりの姿。絵になったんだろうな」
「彼女に訊けばいいじゃないか」
「訊けません。怖いもん」
「そうか。皆実や俺の代の話は飛ばして、おまえの話も聞かせてくれよ」
 飛ばしたいのなら飛ばしてもらうとして、俺はうちの先輩たちから聞いた、金子さんがキャプテン、皆実さんが副キャプテンだった時代を脳裏に浮かべていた。
 俺が横須賀の高校で受験勉強に励んでいたころ、章も稚内の高校でロックバンドの片手間に受験勉強もしていたのかどうか。本橋さんと乾さんが大学二年で、シゲさんとヒデさんが入学してきた。うちの先輩たちも、合唱部で知り合って親友になったと聞いている。章と俺も同様だ。
 そうすると、金子さんと皆実さんは例外的な仲なのだろう。ごく幼いころから友達だったのだそうだ。金子さんの口からも聞いている。皆実さんとも俺は面識がある。
 星さんが出現するまでは、男子部にはルックスのいい男はいなかったと、金子さんは言っていた。星さんが入部し、一年遅れで皆実さんと金子さんも入部して、ルックス面もそなえた男がぼつぼつ合唱部にあらわれ出してくる。その一年後には溝部さんも入ってくる。それから一年後には徳永さんも入ってきた。
 金子さんがキャプテンだった年には、溝部さんと徳永さんという問題あり性格の男がふたりもいたのだから、金子さんは苦労していたのか。苦労ではなく楽しんでいたのか。本橋&乾vs徳永の抗争が勃発しても、金子さんはゆったり微笑んで大局的に観察していたのか。金子さんは大柄な身体に見合った大きな心を持っているのか。彼の内面はいつになっても窺い知れないけれど、俺なんかよりははるかにはるかに人間が大きいはずだと思える。
「三沢、おまえが知ってるキャプテンたちの話は?」
 ここにいる金子さんと俺が人生の重大な一時期をすごした場所。金子さんが知る範囲では、会津と薩摩のふたりからはじまった。現在でも連綿と続く合唱部の歴史のほんの一旦には俺も加わっていた。さて、突っ込みどころ満載なのは承知の上で、俺の話も聞いてもらおうかな。
「三沢、おまえの話しだったら長くなるだろ。俺の家に行こうか」
「はい、連れていって下さい」
 向日葵から金子さんのマンションに流れて、俺も合唱部時代の話をたくさんした。


2

 まあまあ売れてはいるけれど、フォレストシンガーズよりは上とはいえ、莫大な収入があるはずでもない金子さんには、副業でもあるのだろうか。
 作曲の仕事? 親が金持ちだから? まーだ親の脛をかじってるんですか? などと質問しようものなら、どうなる? 本当だとしたら金子さんは苦く笑うだろう。ちがっていたならどうなる? この無礼者!! で腕が一閃して、張り倒されて脳震盪。救急車を呼ばないといけなくなりそうだから、言わずにおこう。
 さして広くはないが、俺のアパートよりは格段に豪奢なマンション。車は外車。洋服も酒も高そうだ。そんな金子さんの部屋に招かれて酒と会話の饗応に預かった数日後、シゲさんが言った。
「結婚します」
 おーっ、おめでとうっ!! としか言いようはなかった。
 おそらくは乾さんは気づいていただろう。美江子さんも知っていたはず。章も薄々は気づいていたはず。本橋さんだけは青天の霹靂だったらしいのだが、俺だって気づいていた。それでもみんなそろって本橋さんに合わせておいた。
 シゲさんが結婚するお相手は「FSの朝までミュージック」でペアでDJを担当している川上恭子さんだ。シゲさんが二十七歳になった今秋、結婚式を挙げる。フォレストシンガーズ初の結婚式。最高の趣向で盛り上げてあげなくちゃ。
 恭子さんはプロテニスプレイヤーなのだから、ファンもいるだろう。正式な結婚祝いは別に贈るとして、俺は恭子さんに秘密のプレゼントをしようと、知恵を絞っていた。
 百本の真紅の薔薇の花束なんてのは、シゲさんが贈るべきだ。シゲさんは花束は思いつかないのか。思いついたとしても照れて実行できないのか。百本となると高すぎて、シゲさんの財力ではつらいか。俺にもつらい。
 
「あなたが私にくれたもの ヒステリックなイヤリング
 あなたが私にくれたもの ボートネックのしまのシャツ
 あなたが私にくれたもの 道で売ってるカレッジリング
 あなたが私にくれたもの マーブル模様のボールペン
 あなたが私にくれたもの アメリカ生まれのピーコート
 あなたが私にくれたもの 中国生まれの黒い靴
 あなたが私にくれたもの フランス生まれのセルロイド
 あなたが私にくれたもの あの日生まれた恋心

 大好きだったけど彼女がいたなんて
 大好きだったけど最後のプレゼント
 bye bie my sweet darlin
 さよならしてあげるわ」

 「プレゼント」といえば、こんな歌がある。
 あなたが私にくれたもの……二十六歳のこの年になるまでに、俺は何人もの女の子とつきあった。いまだ貧しい俺は、女の子へのプレゼントは歌を捧げるのがもっぱらで、その歌の数々はアレンジしてフォレストシンガーズの歌にさせてもらった。
 女の子がからむ追憶には痛いものがある。覚えてもいないほどの数の痛い思い出。覚えていないのは思い出したくないからで、この歌のような思い出もある。
 金子さんには大学時代の合唱部の話をしたのだから、女の子の話はほとんどしなかった。ミャーコちゃんやサエちゃんやアイちゃんといった、合唱部の同級生の中には、楽しかった友達や、つらかった恋もある。
 そんな話も金子さんにはほとんどしなかった。大学時代の本気の恋はアイちゃんだけさ。ワオンちゃんやくるみちゃんや、その他大勢の女の子は忘れたもんね、
 本気の恋は天国へと連れ去られていき、学生時代には本気ではない恋ばかりしていた俺。あの子は俺に恋心を抱いていたのか? 大好きだったけど、最後のプレゼントとしてさよならしてくれたのか? あの子にも歌は捧げたけど、こんなにいろんなプレゼントなんかしなかった。二股かけてた俺を、あの子は知ってた?
 口説いても口説いてもうなずいてくれなかったワオンちゃんに苛立っていた俺は、大学四年だったか。乾さんに今さら打ち明けたとしても、叱ってはくれないかな。金子さんだったらどうだったんだろう。打ち明ければよかったか。
 現実には金子さんにはその話はしなかったのだが、プレゼントから連想して思い出した二股話を、金子さんにしていたらどうなっただろう。
 女の子の名前は覚えていないのだが、仮名として春ちゃんと夏ちゃんにでもしておこうか。恋をしているつもりでいたワオンちゃんとはそういった仲ではなかったのだから、三股ではない。単純に二股だ。ほんの短い間、俺はふたりの女の子とつきあっていた。
「ねえ、金子さん……俺、学生時代に春ちゃんと夏ちゃんって女の子とつきあってましてね。二股だったんですよ。あるとき両方から別れを切り出されたんですけど、彼女たちは知ってたのかな。思い出すと胸が痛むんです。俺を思い切り叱って下さい。制裁つきで叱って下さい」
 そう言ってみたとしたら、金子さんは俺を殴るだろうか。
 説教癖のある乾さんはサドだと思うのだが、本人はマゾだと言う。金子さんはサドだろう。気高き美形のサド紳士の前にひれ伏す、マゾの美女がよく似合う。俺だとどう?
 叱られたい願望のある俺はマゾか。優しく叱られるほうがいいのだが、金子さんだったら俺をがーんっと叱り飛ばせば、優しくなんかないはずだ。横っ面を何往復も張り飛ばされ、口元が切れて血がにじみ、鼻が折れ、壮絶なる闘いの果てのボクサーみたいな凄まじい顔になったりして……
 うぎゃ、痛い。想像なのに物理的に痛すぎる。やっぱり金子さんには話さなくてよかった。俺のこの可愛い顔が、化け物面になったら世の中のすべてのユキちゃんファンが泣くもんね。乾さんだって泣くでしょ?
 そっちの想像をしてみたら、乾さんが金子さんに立ち向かうシーンが浮かんできた。俺のために乾さんは怒ってくれるのだ。
「幸生は叱られたかったようですから、言葉で叱っていただくのはいいんですよ。しかし、ここまで殴らなくてもいいでしょうに。俺のユキをこんな顔にして……あなたは人間ではない。女の子にこんなひどいことを……許しません。俺を殴って下さい。やり返しますから」
 あれ? 倒錯してる? ま、いいや。続けよう。
 いや、女の子のユキだったら、金子さんは殴らないだろう。殴ったとしてもほっぺたを一発程度か。それでも乾さんはユキのために怒ってくれて、金子さんと殴り合ってくれるのだ。
 当初の想像が完全に方向を変えていった。ユキは金子さんの後輩で、なにかしらいけないことをして、金子さんに叱られて軽くぶたれるのだ。女の子が金子さんにぶたれるようないけないこととはなに? わからないのでそこは飛ばそう。
「隆也さん、ユキね、金子さんにぶたれたの。ユキが悪い子だったからなんだけど、ほっぺが痛い」
「なにをしたんだ? 金子さんにぶたれるなんて、よほどのことだろ。なにをしたんだか言いなさい。ことによったら俺も……」
「隆也さんにもぶたれるの? ええん、いやぁ」
「金子さんと話すよ。なにをしたんだとしても、おまえを叱るのは俺の役目だろ。いくら先輩だって金子さんは僭越なんだ。なにをした?」
 なにをしたんだかはこの俺には不明だが、とにかく、ユキのやった悪いことを乾さんに打ち明け、乾さんにも叱られて、それからユキは乾さんに金子さんのもとへと連れられていく。乾さんは金子さんに向かって言うのだった。
「ユキの悪さは俺からもお詫びします。しかし、金子さんがユキに手を上げたとは許せませんね。かかってきて下さい」
 そこからは乾さんと金子さんの死闘となる。現実ならば金子さんが勝ちそうな気もするが、俺の想像では引き分けに終わり、金子さんは痣のできた顔で言うのだった。
「悪かったよ、乾。ユキはおまえの女だったな。腹を立てて殴った俺が悪かった。あのままではユキはよその男と……」
「そうだったんですね。ユキがよその男に色目を? 阻止するために金子さんはユキを叱って下さった。なのに俺は……ですが、それを叱るのも俺の役目です」
 そうだったの? 金子さんったらさすが。と感心している場合ではない。ユキは自分が殴られるよりも、金子さんと乾さんの死闘見学のほうがいいのだが、こうなると乾さんにもこっぴどく叱られるんだろうか。
「きゃああっ!!」
 悲鳴を上げて逃げ出そうとしたユキは、乾さんにつかまえられて抱き上げられ、車に乗せられて乾さんの部屋に連れて帰られて、叱られて……なにをされるんだろ? ぶたれる? またまた痛い想像はいやなので、俺はそこで想いを断絶した。
 よし、そのうちにみずきさんにお願いしてみよう。俺の想像はこんなものだけど、プロのライターさんのみずき霧笛さんならば、女の子のユキを上手に書いてくれるだろう。決ーめたっと。


 その全部を覚えてはいないが、俺は夢の中でならばさまざまなるキャラクターに変身している。アパートの家事を出しそうになって、恋人の隆也さんに救い出された夢の中でも、俺は途中からは女の子だった。
 あのときにも隆也さんに叱られてぶたれたのだが、あれはたしか痛くなかったはず。痛くないんだったらいい。俺は痛いのは大嫌いだもーん。痛いのが好きってほどマゾじゃないもーん。俺がマゾ寄り人間だとしたら、精神的にだ。
 夢では感覚はおぼろだが、味を感じたりはする。俺の夢には色彩もついていて、それって精神的に変な証? その説もあるようだが、俺は一部が変だとしても、全面的に変なのではない。先輩たちは俺を変人だと呼び、章は変態と呼ぶけれど、変態ではない、絶対に。
 昨夜の夢では俺は金髪美女になって、キングコングにさらわれてエッフェル塔のてっぺんに乗っけられていた。そこに登場したウルトラマンは、本橋さんだった。キングコングとウルトラマンは別のフィクションだが、夢なのだからなんだっていいのだ。
 キングコングはきっと金髪美女のユキちゃんに恋していた。エッフェル塔だったらフランスのはずだが、幸生は外国語はすべて駄目。俺の分身ユキちゃんだって同じだ。ウルトラマンは日本製なのだから、日本語で会話ができる。夢では声の区別はつきにくいものだが、ウルトラマンはユキちゃんを救ってくれてから、本橋さんの声で言った。
「来たこともない外国を、ひとりでうろうろなんかしてるからよくないんだろ」
「ひとりでうろうろしてなくても、キングコングが相手じゃどうしようもないじゃないのよ」
「それはそうだが、フランス語も喋れないくせしやがって、こんなところを単独行動するんじゃねえんだよ。俺が来なかったらおまえは殺されてたんだぞ」
「キングコングは私をどこかに連れていって、愛を囁きたかったのよ。だけど、美女と野獣じゃ結婚もできないものね。哀れな獣は哀しそうな目で私を見てたわ。あなただって異星人でしょ。私とは恋はできないの。諦めてね」
「わかったよ。ユキ、達者で暮らせ」
 そこで変身したウルトラマンは、素浪人みたいなぼさぼさちょん髷、ぼさぼさ着流しの和服姿の本橋真次郎になった。
「あなたは日本人だったのね。私はパリジェンヌ。所詮かなわぬ恋よ。でも、さよならのキスをしましょう」
「うげっ、やめろ。幸生」
「私は幸生じゃなくてユキよ」
「ユキなんて名前のパリジェンヌがいるのか」
「いたっていいじゃない。フランス語でユキってなんて言うの?」
「俺が知るかっ。寄るな、迫るな」
 素浪人に突き飛ばされて、目が覚めた。
 夢なんてものは不条理なのが世の常。にしても、性格はまんま本橋さんだな。本橋さんと知り合っていなかったとしたら、俺がウルトラマンの夢なんか見るはずがない。乾さんと知り合ってなかったとしたら、俺が女の子になって、隆也さんが恋人、なんて夢を見るはずもない。
 みずきさんとはまだ親しいというほどでもないので、女の子になったユキ、もしくはハードボイルドヒーロー、三沢幸生を主人公としたシナリオを書いて下さい、とは頼めない。いつかは誠意を持ってお願いしよう。
 起き出した俺はシャワーを浴びて、夢を思い出したり、みずきさんにお願いするシナリオの構想を練ったりしつつ、適当に朝メシを食って身支度をした。夢やシナリオは今のところはどうでもいいのだが、当面の懸念は恭子さんへのプレゼントだ。
「章、いいことを思いついたよ」
 スタジオに出勤すると章がいたので、俺は耳打ちした。
「恭子さんへのシークレットプレゼントだ。他の誰にも内緒だぜ」
「シークレットってのは匿名で贈るのか。気持ち悪がられて捨てられないか?」
「かもしれないけど、まあ、聞けよ」
「聞いてやるよ。言え」
 いばって言った章に、俺は言った。
「三沢幸生の等身大のパネルにさ、俺がソロで歌った曲だけを集めた特別製CDをつけるんだ。それだったら誰が贈ったのかわかるだろうけど、素晴らしいプレゼントじゃない?」
「まったく素晴らしくない。俺だったらそんなものをもらったら、即、粗大ゴミに出すよ」
「おまえだったらそうかもしれないけど、恭子さんは喜んでくれるって」
「それだと別の意味で気持ち悪がられるよ。幸生、やめろ」
「そうかなぁぁぁぁ……じゃあさ、章、連名でプレゼントしようぜ。おまえにはいい案はあるのか」
「結婚祝いってのは、結婚する当の本人がほしいものを贈るのがベストなんだよ。シゲさんに尋ねたらいいだろ」
「当たり前すぎてつまんないよぉ」
「俺は……うん、ま、いいからさ。シゲさんに訊いてみよう」
「そおお?」
 つまんね。章はほんとに常識人になっちまったよな。とは言うものの、結婚とは常識人がするものなのであろうから、常識的でいいのだろう。
 恭子さんではなくシゲさんにプレゼントするなんて、興が乗らないことはなはだしい。どの道俺がもらうのではないのだから、なんだっていいや。などと不遜にも考え、ここ数日間のプレゼントについて思い出した。
 金子さんがしてくれた学生時代の話も、俺の学生時代の女の子たちとのエピソードも、「プレゼント」の歌も、夢も、俺がもらったプレゼント。
 近いうちにはみずきさんもプレゼントをくれるかな。文章のプレゼントはファンレターや、インターネットのファンサイトの書き込みや、ラジオへの葉書などがあるけれど、シナリオのプレゼントはもらったことがない。
 みずきさんが書いてくれるかもしれない女の子のユキちゃんが、アニメキャラになって俺の脳内を走っていく。ちっちゃくて可愛いユキちゃん。俺、みずきさんが書いてくれたユキに恋をしてしまうかもしれないよ。これぞまさしく、極限的倒錯?

END
 
 
 


 


 
スポンサーサイト


  • 【小説174(Tiger rag)】へ
  • 【短いあらすじ5】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【小説174(Tiger rag)】へ
  • 【短いあらすじ5】へ