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小説172(第六部スタート)つづれおり

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フォレストシンガーズストーリィ172
(第六部スタート)

「つづれおり」

1

 あらかじめ連絡してあったのはもちろんだが、まずは自己紹介、私は名刺を差し出して言った。
「内村織枝と申します。名刺を見ていただければおわかりの通り、タウン誌の編集者です。このたび、私たちのタウン誌「森の仲間たち」でフォレストシンガーズを取り上げると決まりまして、本橋さんのお兄さんにインタビューに来させていただきました」
「内村さんは真次郎の大学の同窓生でもいらっしゃるんですね」
「はい。本橋さん、乾さん、マネージャーの山田さんと同年です。私は新聞部で活動していましたので、合唱部の方とは交流はなかったんですけど、取材はさせていただいたことがありますよ」
 むこうは私を記憶してはいないだろうが、私は合唱部のスターだった本橋さんや乾さんは覚えている。私が一年生だった年から、同い年の本橋さんと乾さんはスターだった。
 「森の仲間たち」。フォレストシンガーズとネーミングの傾向は似ている。私が勤務しているタウン誌の名前は私の卒業大学名とは無関係なのだが、フォレストシンガーズは出身大学の名前から来たネーミング、その差はあれど、同じ「森」だ。
 彼らとの縁はあるようでないようなものだが、コラム欄で音楽をテーマにしたいとなって、私が提案したのだった。
「私の卒業した大学から、私と同い年の人がふたりいるヴォーカルグループが出てるんですよ。フォレストシンガーズと言いまして、私は面識はほとんどないんですけど、同窓生のよしみで会わせてもらえるように努力します。メンバーたち自身というよりも、ご家族のみなさんへのインタビューから開始するのはいかがですか」
 編集長や同僚たちも賛成してくれて、担当は内村織枝と決定した。
 年上のメンバーからはじめるとして、本橋さんには兄がふたり。兄さんたちは双生児なので、いずれかと。乾さんはひとりっ子なので、きょうだいではなく両親か。金沢だから後回し。山田さんには弟さんがふたりと妹さんがひとり。私は妹さんに興味があるのだが、パリ在住だそうだから後回し。
 下調べをしてから、本橋さんの兄さんの敬一郎さんをトップバッターに選んだ。敬一郎さんは東京の企業勤務なので、昼休みに会社の応接室でインタビューに応じてくれた。
 ものすごく背が高くて筋肉隆々。ものすごくたくましい。子供のころから空手をやっていて、現在の企業で若者たちに空手を指導している敬一郎さんには、妻と子供がふたりいる。いかついけれど温和な雰囲気も持っている敬一郎さんは、低く太い声で話してくれた。

「真次郎が生まれたのは、栄太郎と俺が七歳の年です。四月になれば小学校の二年生になる、三月でした。
 うちは両親ともに大柄ですし、栄太郎も俺も小学校に入学すると同時に空手をはじめたので、七歳にしては大きかった。俺たちも生まれたときから大きくて、母はでっかい双生児を腹に抱えて、妊娠中はひいひい言ってたんだそうですが、丈夫な母ですから、そんなのは平気だったんじゃないんですか。
 三番目の真次郎も、生まれたときからでかかったんですよ。産声もでかかったそうです。母は出産のために入院していて、その間は父が双生児の食事づくりなんかもしてくれていた。父と三人で空手の稽古をしたりもしてましたね。
「お母さんには内緒だぞ。あんたたちが家でどたばた暴れたら、家中が埃だらけになるじゃないの、って怒られるだろ。そうだ、埃は赤ん坊にはよくないんだよ。掃除をするから手伝え」
 暴れてるばかりではなくて、俺たちも家事をやりましたよ。もっとも、父親の邪魔をしていただけだったのかもしれませんが。
 そうして、弟が生まれたぞ、と父が言って、双生児を車に乗せて病院へと連れていってくれた。でかい赤ん坊とはいっても赤ん坊ですから、小さいんですよね。栄太郎も俺も妙に神妙な心持ちになって、新生児室にいた弟を眺めていたのを覚えています。
「真っ赤な顔をしてるな」
「猿みたいだな」
「あれっておまえに似てるのか、エイちゃん?」
「俺は猿みたいな顔なんかしてないよ、ケイちゃんに似てるんだろ」
 新生児室のガラスに顔をくっつけて、栄太郎と俺が話していると、医者に言われました。
「きみたちは本橋さんちの双生児の坊やたち? きみたちも生まれたばかりだったらお猿さんみたいだったんだよ。赤ちゃんはきみたちのどっちにも似てるな。弟だもんね」
「俺、あんな顔してないよ」
「エイちゃんに似てるんだよ」
「ケイちゃんだよ」
「あのさ、きみたちはそっくりの顔をしてるだろ?」
 医者が言い、俺たちはほぼ同時に言いました。
「エイちゃんと俺ってそっくり?」
「ケイちゃんと俺がそっくり……うわぁ、やだな」
 大きな声で笑って、俺たちの頭を撫でた医者の顔も覚えていますよ。
 一週間ほどすると、母に抱かれた弟が父の運転する車で我が家に帰ってきました。そのときには名前もついていましたよ。「命名・真次郎」と父が毛筆で書いた半紙が、ベビーベッドの枕元に貼ってありました。
 赤ん坊が生まれると、親戚のおばさんたちがお祝いを持って、顔を見にくるんですね。医者に言われて、俺たち双生児はそっくりなのか、と意識した俺たちは、もうひとつ知りました。おばさんたちが言うんですよ。
「この子は三男でしょ。なのに真次郎って、おかしな名前のつけ方だよね」
「栄太郎と敬一郎ってのも変だけど、あの子たちはどっちが兄なの?」
「知らないわよ。双生児なんだから、一郎と太郎でもいいのかしら。そしたら赤ちゃんはシンザブロウとかにするべきじゃない?」
 そんな話は退屈だったので、おばさんたちのそばから離れ、俺は栄太郎に尋ねました。
「俺たちってどっちが兄ちゃんでもないよな」
「そうだよ。お父さんも言ってただろ。双生児はまったくおんなじだって」
「どっちもお父さんの長男だって言ってたもんな。だから、真次郎は次男なんだろ」
「次男って二番目の男の子じゃない? おばさんは真次郎は三男だって言ってたよ」
「……うーん……どうだっていいじゃん。エイちゃん、遊びにいこうぜ」
「うん、行こう」
 まあ、小学校二年生なんてそんなものですね。
 生まれたばかりの赤ん坊なんてものは、遊び相手にもなりゃしない。もうすこし大きくなったら遊んでやろうぜ、と栄太郎と言い合っていました。
 え? 真次郎が言ってました? 俺は兄貴たちの格好のおもちゃだったって……いや……そんなことは……あるかな。すこしはあるかな。生きた人形みたいな感覚は持ってましたね。母からは厳重に言われていましたので、取り扱いには注意していたのですが。
「栄太郎、敬一郎、真次郎はこんなに小さくてもろいのよ。赤ちゃんはこわれものみたいなものなんだから、荒っぽくしたら駄目。優しく優しくしてやってね」
 そのときにも神妙にうなずいて、真次郎がごく小さいころには、母がミルクを飲ませたりおむつを換えたりするのを遠くから見ていただけです。正直に言えば、あんなのはまだ遊んでも面白くないから、だったのでしょうね。
 そんな赤ん坊も半年もすればすわるようになる。ハイハイもはじめる。手で足をつかんでベビーベッドの中でだぁだぁ言っていたりもする。恐々ベッドを覗いてガラガラかなんかを振ってやると、きゃっきゃっと声を立てて笑う。
 真次郎も赤ん坊のころは可愛かったんですね。今では見る影もない、でっかい乱暴者の弟ですが。はい、俺たちの弟ですからね。ごもっともです。
 ベッドにいた真次郎が急に立ち上がり、あばあば言っていたのは、真次郎が生後九ヶ月くらいのときだったかな。秋でしたね。俺が抱き上げてベッドから出してやると、つたい歩きをはじめた。俺は栄太郎を呼びました。
「エイちゃん、見ろよ」
「おー、こいつ、歩いた」
「赤ん坊じゃなくなってきたんだな」
「おい、こら、真次郎、どこに行くんだよっ」
 よたよたっと歩いていった真次郎が、縁側から庭に落っこちそうになった。俺は慌てて真次郎を抱き上げて、言いました。
「危ないだろ。落ちたらどうするんだよ」
「落ちたら痛いんだぞ。怪我をするんだぞ。注意して歩けよ」
「こら、真次郎、わかったのか」
 あばあばっと言っている真次郎の頭をこつんとやったら、栄太郎に止められました。
「赤ん坊を叩いたら駄目じゃん」
「そうだったな……でもさ、こいつ、泣かないぞ」
「ほんとだ。おなかがすいたよぉ、おむつが濡れたよぉ、喉が渇いたよぉ、ってときしか泣かないのか」
「赤ん坊ってそんなもんかな。なーんにもわかっていないんだよ」
「そうなんだろうな。おまえをほったらかすとひとりでどこかに行っちまって、怒られるのは俺たちなんだから、ベッドでおとなくしくてろ」
 ベッドに戻すと、真次郎は不満そうにぶうぶう言ってました。
 冬になるころには真次郎は一人前に歩くようになり、ベッドから出たら見張ってろ、と両親に重々命令されて、栄太郎と俺はかわるがわる弟の見張りをしてました。まともに歩けもしないくせして活動的で、目を離すと縁側から落っこちそうになる。ストーブに手を出そうとする。
「危ないって言ってんだろ」
 危険な真似をすると頭をこつんとやってやったんですが、赤ん坊のくせに泣かないんですよね。自分の要求を通そうとするときにだけ泣く。泣かないとはいえ、赤ん坊を叩いてはいけないとの分別はありましたんで、栄太郎とは言い合っていました。
「こいつが悪いんだけどさ、叩いたなんて内緒にしておこうな」
「真次郎はまだ告げ口はできないもんな」
「おまえさ、いつになったら喋るの?」
「一歳にもなってないんだから、まだなんじゃない?」
 それは分別があるとは言わない? そうでしょうね。
 えーと、そしてですね、そうやって真次郎はどんどん大きくなっていき、一歳をすぎれば遊び相手にもなりました。弟でキャッチボールをしているのを父に見つけられたときには、大目玉を食らいましたが、生きてる赤ん坊でキャッチボール、これはもう、えもいわれぬほどに楽しくて。
 そうですね、よくぞ怪我もしないで育ったものですよ。今になって思い出すと、なんつうことをしてたんだ、おまえら兄貴は、と言いたいんですけど、ま、真次郎は丈夫にできてましたから。落としたことも一度もありませんから。
 一歳半になった真次郎を、はじめてふたりしてプールに連れていってやりました。ちびのくせして頑丈な身体つきをしてましたよ。俺たちが鍛えてやったからだよな、と兄貴たちは満足してました。
 しかし、まだ真次郎は泳げない。当然ですか。いや、しかしね、人間というものは水に浮くようにできてるんですよ。俺が抱いてプールに入れた真次郎を、あいつには背の立たないところで離したら、必死で犬かきをしていました。
 乱暴ですね。はい、今から思うと冷や汗が出ますが、そのときだって溺れる前に水から引き上げてやりましたよ。どうぞご心配なく。
 真次郎が喋れるようになったのは、二歳くらいからだったかな。はじめて覚えた言葉は、にいちゃ、でしたね。にいちゃってどっちだ? 俺か? エイちゃんか? と尋ねたら、真次郎はきょとんとしていました。
 普通は赤ん坊は、ちゃあちゃんとかママとかって言葉を最初に覚えるでしょ。うちの子たちだってそうだったんだけど、真次郎は、にいちゃ。
 ただね、あいつには栄太郎と俺の区別がついていなかった。いまだについていないので、栄太郎兄さんだとか敬一郎兄さんだとかは呼ばない。ガキのころはにいちゃで、いつしか生意気にも兄貴になった。
「兄貴、小遣いくれよ」
 小学生になった真次郎が学校から帰ってきたときに、俺はたまたま家にいたんです。真次郎は俺たちよりも七つ年下だから、俺は当時は中学生です。学校の行事かなにかで早く帰ってきていたんでしょう。
「俺はどっちの兄貴だ?」
「知らないよ。どっちでもいいから小遣いちょうだい」
「どっちだか当たったらやるよ」
 栄太郎と俺の区別はただひとつ。俺の腹にある大きなほくろです。両親にさえもそれ以外では見分けがつかないようですので、両親でさえも俺たちの顔を見ると、あてずっぽうで名前を呼んでいるようですね。
 で、そのときには真次郎は俺のほくろを確認しようとしたんでしょう。いきなりシャツのボタンをはずしにかかったので、持ち上げて座布団の上に放り投げてやった。
「いいよーだ、小遣いなんかいらねーよーだ」
 意地っ張りの弟は、座布団を蹴飛ばして駆けていきましたよ。
 あのガキがね、身体は俺たちほどには大きくならなかったけど、今ではフォレストシンガーズのリーダーですか。それほどたいした歌手でもないけど、まあまあ成功してるんでしょ。一人前に大人になって、一人前に結婚までして……
 真次郎が生まれたときから、俺たちが大学を卒業して家から出て会社の寮に入るまでだから、十四、五年、同じ家で暮らしてたんですよ。とりとめもなく語ったとしても、あいつとの思い出はいやになるほど出てきます。
 長い長い時間がないと語りつくせませんね。内村さん、いっそ「本橋真次郎の兄の思い出話」って一冊の本にしません? そんなものが売れるほどには、あいつは有名ではないのかな」


2

聞いているほうが冷や汗をかいてしまった。なんとまあ、そんなにも荒っぽく扱われて、本橋さん、よくぞご無事で大人になりましたね、と言いたいのは私だ。
 けれども、荒々しさの中にも兄弟の情愛とお兄さんたちの爽やかさは感じ取れた。本橋さんががっしりと強そうな体格に育ったのも、売れない時期をフォレストシンガーズのリーダーとして雄々しく乗り越えてこられたのも、お兄さんたちの教育のおかげだったのだろう。
 敬一郎さんに続いては、三沢さんの上の妹さん。横浜在住の雅美さんは結婚しているので、高原雅美と姓が変わっている。子供さんもいるのだそうだが、彼女の住まいの近くの喫茶店まで出てきてくれた。
 本橋さんの兄さんは外見は弟とはあまり似てはいなかったが、雅美さんは顔立ちも小柄なところも三沢幸生さんに似ている。三沢さんは細身で、雅美さんはふっくらしているのはちがっているが、高い声も似ていた。
 先回と同じに名刺を差し出し、自己紹介をすませると、雅美さんが話してくれた。アナウンサーにでもなれそうな、綺麗な声をしていた。


「若いころは私は兄とはもっとそっくりだったんですよ。私は子供を産んで太っちゃったから、いつまでたっても子供っぽくて細い兄とは、体型が似てなくなっちゃったんですよね。
 本橋さんの兄さんからも話しを聞かれたんでしょ? 私は敬一郎さんにはお会いしたことはないんですけど、噂は聞いてます。本橋さんよりも七つ年上ですよね。そしたら、お兄さんは本橋さんが赤ちゃんのころから知ってるんだ。
 私は兄よりもひとつ年下ですから、覚えてるのってものごころついてからですよね。いくつくらいかなぁ。最初の記憶って。
 幼稚園かな。そんなものかな。そんなに小さいころだと記憶がはっきりしてないんですけど、思い出すままにとりとめもなく? 思い出してみましょう。兄はいっつも、俺は記憶力がいいって自慢してますけど、私だって記憶力はいいんだもん。
 兄が小学校の一年生、私が幼稚園の年長さん、妹の輝美が年少さん、そのころくらいからかな。両親は結婚したときから同じ家で暮らしてますから、私たちもずっとずーっと、兄が大学に入って家を出ていくまでは、三人きょうだいと両親とで仲良く暮らしてたんです。
 仲がいいったって、きょうだい喧嘩はやってましたよ。輝美と私も喧嘩はするんですけど、兄と妹たちとに分かれて喧嘩もしました。
 我が家は全員が猫好きで、いつだって家には猫がいました。輝美と私対兄とで喧嘩をした最初の記憶は、猫でした。そう、猫。
 小学生の男の子なんて、猫はおもちゃみたいに思ってるんですよ。兄はあのころうちにいた猫……名前はなんだったかな。猫はいつでもいたから、どの子だったか覚えてないな。仮名をつけましょうか。にゃーこちゃんね。
 兄はにゃーこを放り投げたり、ボクシングごっこをしたりするの。輝美や私が止めると面白がって、ムキになってますますやるんです。しまいに輝美も私も怒って、ふたりがかりで兄に攻撃。はい、暴力でですよ。
 幼稚園児の妹たちが、小学生の兄に飛びかかってぼかぼかっとやったり、蹴飛ばしたり、背中に乗ったりおなかに乗ったり、その攻撃の合間には口攻撃もする。昔から口の達者な三沢三兄妹だったんですよ。
 暴力で喧嘩をすると、男の子だって妹ふたりには勝てませんよね。兄は私たちが女の子だからって、手加減してたんでしょうか。今から思えばそうだったのかもしれませんね。兄が私たちを叩いたりすると、親に叱られてましたし。
 喧嘩をすると叱られるのは上の子なんですよね。母は私たちには言うんです。お兄ちゃんがいけないんだよね、お母さんがお兄ちゃんをうんと叱ってあげるからね、って。あれで兄も兄貴の悲哀なんてものを感じていたんだろうか。きゃっ、笑っちゃうわ。
「おまえたちへの対抗上やむなく、俺は口が達者になったんだよ」
 兄はそう言ってます。ラジオなんかでも言ってますよね。
「俺には妹がふたりいるんですよ。口から先に生まれてきた口ばっかり女。あいつらと口喧嘩となったら、無口な兄貴では負けっぱなしでしょ。だから俺は、こうやって饒舌に育ったんです」
 嘘です。生まれつきです。
 父は無口なほうでしたけど、母はものすっごくよく喋りますから、遺伝ですかね。父以外は三沢家の家族は、口先女と口先男なんですよ。
 そうやってにゃーこを苛める兄を、輝美と私がふたりがかりでやっつけて、猫を救い出す。兄は外に出ていって、変な歌を歌ってました。小学生のころから兄には、変な歌を作る才能だったらあったみたいですね。
 女の子って兄ってものには憧れがあるようで、兄のいない友達には言われました。雅美ちゃんにはお兄ちゃんがいるの? いいなぁ、ってね。
「それって幻想だよ。いいなぁって言われるようなお兄ちゃんもいるんだろうけど、うちのみたいなのはいないほうがいいの。黄色い声で騒いでうるさいったらありゃしない」
「そりゃあね、雅美ちゃんのお兄ちゃんだもんね」
「なんなのよ、それは」
 三沢幸生は女好きで有名なんですってね。昔からそうでしたよ。
「雅美、友達を連れてこいよ。ただし、可愛い子ね」
「お兄ちゃんには彼女なんていないよね。いるわけないよね。もてないよね。だから妹の友達を紹介してもらおうとしてるの? 最低」
「おまえの友達なんて可愛くないんだろうな。そんならいらないよ」
「輝美ちゃん、友達を連れてきたら駄目だよ。うちには妹の友達に手を出す、悪い奴がいるんだからね」
「うん、連れてこない」
 三人ともに小学生になったころには、そんな会話をしてたんですから、ませてましたね。
 兄はあるとき、近所のおじさんに誘われて、少年合唱団に入ったんです。少年合唱団ってロマンティックな響きでしょ。私も兄に言いました。
「少年合唱団の友達、私に紹介して」
「うちには兄の友達に手を出す悪い女がいるんだから、絶対に連れてこないよーだ」
 仕返しされちゃった。
 歌はあのころから上手だったんですよね。綺麗な綺麗な澄み切ったボーイソプラノで、暇さえあれば歌ってました。兄のいた少年合唱団のコンサートに、家族そろって行ったこともありますよ。声の綺麗な歌のうまい男の子がそろってたけど、美少年はいなかった。
 あの兄の優しいところ? そんなのはあったかなぁ。苛めっ子を追い払ってくれた? ないない。身体の小さい兄妹は、そのかわりに口が思い切り達者だったから、苛められたって口で撃退するんです。輝美も私も苛められて泣いたことはありません。苛めっ子にだって口で勝っちゃうもん。
 勉強を教えてくれた? それもないな。三沢三兄妹は、勉強はあまりできませんでしたけど、先生にも口達者で対抗してましたね。
 中学生のときに、私はクラスの男の子を好きになったんです。兄は変なところが敏感だから、私が悩みありげになってるのを見て察したんでしょうね。
「雅美、こんな気分?」
「なんなの?」
 兄が見せたノートには、詩が綴ってありました。

「好きだって言いたくて
 言えなくて悲しくて
 心がブルーになっていく
 あなたが微笑みを見せてくれたら
 おはようって言ってくれたら
 心はバラ色に染まるのに」

 満悦の表情でいる兄に、私は言いました。
「幼稚、最低」
「この詩のよさがわからないとは、おまえの心が最低なんだよ」
「誰が書いたの? お兄ちゃん?」
「ちがうよ。有名な詩人が書いた、有名な詩だよ」
「嘘ぉ。こんな詩が有名なわけないじゃん。輝美ちゃん、変な詩、見せてあげようか」
 私の手からノートを取り上げて、兄は詩を書いたページを破り捨ててしまったんですよ。思春期の少年の心は傷ついたのかな。ちょっとだけ反省しました。
 家は学校から遠くもないのに、兄は大学生になると家を出て独立してしまって、それからはうちにはほとんど帰ってこなくなったんです。寂しかった? ぜーんぜん。家の中が静かになってよかったですよ。
 就職もしないで、将来はプロのシンガーになるって言い出した兄に、両親は怒っていました。あのときはじめて、輝美と私は兄の味方についたんです。
 お母さんもお父さんも賛成はしていないけど、輝美と私は応援してあげる。夢を諦めないで。お母さんとお父さんは妹たちにまかせて、お兄ちゃんはやりたいことをやれよ、って、そんなふうに言ったんだったかな。
 なんだかじーんとした顔をしてたけど、兄はありがとうとも言わずに、憎まれ口をきいていました。兄妹なんてそんなものかな。口に出して言わなくても、兄の気持ちはすこしはわかるんだから、いいんですよ。
 そうそう、輝美が言ってましたっけ。
「いつだったかな、私がお兄ちゃんよりも先に結婚するって言ったら、三つも年下の妹に先を越されてたまるか、俺が先だよ、って言ってたの」
「先を越されたよね」
「ねぇぇ? お兄ちゃんは結婚しないんだろうか」
「あれだからね……あんな男と結婚したがる女がいると思う?」
「私だったらしたくないから、そんな女はいないかもね」
「かわいそうにね、お兄ちゃんったら」
 今では輝美とそう言い合って、同情してあげてるんですけどね。兄は強がり言ってますけど、あいつ、一生独身なのかな。もてないんだろうから、しようがないんでしょうかね」


3

 さすがに三沢さんの妹、としか言いようがない。敬一郎さんにしても雅美さんにしても、弟や兄を悪し様に言っていたが、身内とはそういったものだろう。きょうだいを誉めそやすなんて薄気味が悪い。敬一郎さんや雅美さんの態度は、私には尋常な好ましいものに映っていた。
 日本人だからなのかもしれない。外国人は身内にも態度が異なるのかもしれないが、インタビュアーの私も読者も日本人なのだから、このほうがいいのだと思える。
 雅美さんに続いては、東京在住現役大学生、木村龍くんだ。木村章さんの十二歳年下の弟は、兄と同じ大学で同じ合唱部に在籍している。すなわち、私の後輩にも当たる。龍くんは大学の学食で、愛想も愛嬌もない様子で話してくれた。


「兄貴は俺が小学校に入る年に、故郷を出ていっちまったんだよ。俺が六つであいつが十八。それから十二年も兄貴には会わなかったんだから、思い出ったってゼロに近いね。
 あいつが大学を中退したのは知ってるんでしょ? ロックバンドをやってて、バンドは失敗して、三沢さんに誘ってもらってフォレストシンガーズに入ったんだ。知ってるよね? だから、俺しか知らない話をしろって?
 そう言われてもね……六つまでのことなんて覚えてねえよ。俺の記憶の中にいる兄貴は、ギター抱えてド田舎のロックキッズを気取って、高い声で歌ってた。ただそれだけ。
 俺は声は高くないんだよね。その分、背は高いの。顔は兄貴と似てるらしいけど、俺のほうがイケメンじゃん? 気も俺のほうが強いんだって。兄貴はどんだけ弱虫なんだ、って話しになるんだよな。ちびだからね、あいつ。
 ド田舎にいた兄貴か。俺がものごころついたころには、兄貴は中学生だったか。高校生だったか。人間の記憶っていつからはじまるの? 個人差がある? 俺は小学校に上がる前の冬の日しか覚えてないよ。
 あのときに兄貴が言ったんだ。俺は大学生になるために東京に行く、ってさ。弟と遊んでもくれなかった兄貴なのに、俺は寂しかったよ。泣いたんだ。バッカみてえだよな。兄貴は覚えていないだろうけど、俺は覚えてるよ。
 それから兄貴はいなくなっちまったんだから、その後のあいつの話は、親が言ってた分だけだよ。親父とおふくろがよく嘆き合ってた。
「章はなんて言ってきたの? お父さん、どうして怒ってたの? 勘当だーっ!! って聞こえたよ。どうして? 章はなにをしたの?」
「大学を中退して、ロックバンドをやるんだとよ。あんな奴は俺の息子じゃない。母さんもこれからは一切あいつにはかまうなよ」
 兄貴が電話で言ってきた日の、両親の会話だよ。
「章はどうしてるんだろうね」
「章なんて奴は知らん。俺の息子は龍だけだ」
「気になるくせに」
「ならんよ」
 父は兄貴との縁を切ったつもりだったらしいけど、母は切ってなかったんだね。俺も徐々に、母は兄貴と連絡を取り合ってると知るようになっていった。
「龍、兄ちゃんに葉書を書いてやって」
「なんて書くの?」
「あんたの好きなように書けばいいんだよ」
 母に言われて、二、三度は兄貴に葉書を書いた。文面は忘れたし、返事も来なかったよ。母も兄貴には手紙を入れた小包を送ってたらしいけど、兄貴は中身だけもらって、手紙なんか読みもしなかったんじゃないのかな。
「あいつは言ってたぞ。勘当だって? せいせいするよ、だとさ」
 そのくせ、時々は父は兄貴を話題にする。憎々しげに言い捨てては、コップ酒を飲んでた。
 せいせいしたんだったら、大学に入ったときに親に借りてもらったアパートを出たらいいんだろ。ずっとそこに住んでたのは、母とは縁を切りたくなかったからか? 金がなくて引っ越しできなかったからかもしれないね。
「龍、兄ちゃんから年賀状が来たよ」
 あれは俺が小学校の六年生になる正月だったか。母が嬉しそうに言って、俺に年賀葉書を見せてくれた。
「あけましておめでとう。デビューしたよ。プロになったよ」
 それだけの文面だったから、俺は母に問い返した。
「デビューってロックバンド?」
「そうじゃなくてね、章はフォレストシンガーズっていう歌のグループに入ってるの。大学のときの先輩やら友達やらが一緒なんだって。フォレストシンガーズがデビューしたんだね。デビューしたってことはCDを……龍、探してきて」
 たぶん父も、家のどこかで聞いていたんだろうな。実はこっそり、祝杯でも上げてたのかもしれないね。
 母に小遣いをもらって、俺はフォレストシンガーズのCDを探しにいった。稚内のCDショップには置いてなかったから、面倒くさくなってその金で別のCDを買ったよ。俺もロック好きだから、兄貴が置いていったCDの中にはなかったやつ。
「なかったの? そうかい。札幌にでも行ったらあるんだろうか」
 がっかりしていた母は、金を返せとは言わなかった。
 フォレストシンガーズのデビューシングルは、兄の年賀状には書いていなかったから、母も俺も知らなかった。CDショップで尋ねても、店員も知らなかったんだよ。だけど、俺だって兄貴がプロのシンガーズのメンバーになったと知ったら、興味はあるじゃん。母も知りたいだろうから、調べてやったんだ。
 わかったのは中学生になってからだよ。フォレストシンガーズはデビュー直後はまったく売れてなかったんだもんな。今も売れてないけど……そうでもないの? 売れてないよ。
 兄貴の影響だと考えるのは悔しいんだけど、まちがいなくそうなんだろうな。俺もロックは好きで、家にいるとラジオを聴いていた。稚内の小さなFM局が、札幌のFMとネットしてたんだろうな。フォレストシンガーズの名前が聞こえてきたんだよ。
「フォレストシンガーズのみなさんのご出身は……本橋さんは東京で、乾さんは金沢、本庄さんは三重県、三沢さんは横須賀、木村さんは稚内なんですね。札幌からだと近くも……近いってほどでもないけどね」
 DJの声に続いて、聞こえてきたのが兄貴の声か。俺は兄貴の顔も声も忘れかけていた。
「近くはないですよ。札幌は大都会。稚内は……って、稚内の人も聞いてますか」
「聞いて下さってますよ。木村さん、故郷の方々にご挨拶なさいますか」
「……稚内は雪ですか。風邪を引かないで下さいね」
 甲高い兄貴の声が、恥ずかしそうに喋っていた。
 そのときに流れてきた曲は、フォレストシンガーズ三枚目のシングル曲だった。タイトルはなんだっけ? 「もう一度僕の胸に」? そうだったね。かったるい失恋の歌。バラードだったな。
 FM局に問い合わせて、フォレストシンガーズ情報を手に入れたんだよ。CDは通信販売で買えるとも、フォレストシンガーズには公式サイトがあるとも知った。うちにはパソコンはなかったけど、学校にはあったから、先生に頼んでインターネットを見せてもらった。
前にもらった金は使い込んだから、俺の小遣いでフォレストシンガーズの三枚のシングルCDを買って、母に渡した。高校入学祝いにパソコンを買ってもらって、母にフォレストシンガーズサイトを見せてやった。
 まだばあさんでもないのに、母はパソコンもケータイも苦手でさ、俺がついててやらないとネット検索もできないんだ。父はそんなものは見たくもないふりってのか、フォレストシンガーズなんて知らない、のふりを貫いてたよ。
 そんなわけで俺は、稚内にいてもフォレストシンガーズ情報は手に入れてたんだ。兄貴たちの初の全国ツアーで、札幌でライヴをやるって聞きつけたのも俺だよ。あのときの俺は高校生だったな。父には内緒で母に教えてやった。
「札幌?」
「そうだよ。母さんだって札幌くらいだったらひとりで行けるだろ」
「龍も一緒に……」
「やだよ、俺は。あんなかったるい歌、聴きたくねえもん」
「そうだよね。どうしようかな」
 迷いに迷った末に、母は札幌へ行ったんだ。帰ってきてから言ってたよ。
「章がお小遣いをくれたの。札幌のお土産でも買おうかと思ったんだけど、もったいなくて使えなかったよ」
「母さんがもらったんだろ。服を買えよ」
「服なんていらないよ。それでね、本橋さんにお礼を……」
「俺は知らないから、勝手にやって」
 フォレストシンガーズの初全国ライヴツアーって、デビューしてから七年もたってからだろ。売れてないからじゃん。
 それでもちょっとは売れてきて、金も稼げるようになってるんだろうな。俺も大学は東京に行きたいから、合格したら兄貴に会いにいってびっくりさせてやろう。そう決めて、高校三年の年には受験勉強もしたんだよ。
 なのにさ、東京に出た俺は兄貴を別の意味でびっくりさせちまった。あんたの弟なんだから、一浪くらいで驚くなっての。そのかわり、俺は中退はしないからね。
 一浪はしたけど、俺もフォレストシンガーズと同じ大学に入って、同じ合唱部にも入ったよ。内村さんも俺の先輩なんだ。本橋さんや乾さんと同い年? だったらおばさんだけど……いや、あのね、いや、でも、美人だよなぁ。
 インタビューってギャラはあるの? ないの? メシをおごってくれる? おばさんだもんな。いやいや、いや、だからさ……うん、メシでいいよ。怖い顔しないでよ」


4

 今どきの男子大学生なんてものは、龍くんみたいなのが普通なのかもしれない。彼は兄さんを相当に悪く言っていたが、あれでけっこう……とは龍くんは言われたくないのだろうか。
 お母さんもご苦労なさったんでしょうね。私たちの「森の仲間たち」が発刊されたらお送りしますから。龍くんにお願いしても面倒がりそうだから、稚内の自宅の住所を聞いて送ります。読んで下さいね。
 木村章さんの学生時代は私はほとんど知らないが、フォレストシンガーズとしてデビューしてからならば多少は知っている。あの兄とあの弟を育てたお母さんに、私は心で言った。
 三人分のインタビューを録音したテープを文章にまとめ、次なるは名古屋だ。本庄さんの姉の希恵さん。独身なので本庄希恵さん。ビジネスウーマン。きりりっとしていて、それでいて穏やかで優しげな綺麗な希恵さんは、彼女の職場近くの公園で話してくれた。


「繁之と私は三つちがいですので、弟が生まれたときのことは覚えていません。母が後に言っていたところによりますと、こんなふうでしたね。
「希恵はお母さんが繁之を連れて病院から退院してきたときには、これ、なあに? って訊いたのよ。赤ちゃんよ、って言ったら、不細工な赤ちゃんだね、って言ったっけ」
 あ、私は三重県出身ですから、方言っていうのもあるんですけど、標準語のほうが聞き取りやすいでしょ? 私も話しやすいですから、標準語に換えて話しますね。
 弟は不細工な赤ちゃんだったのかな? 写真を見ると赤ちゃんのときから四角い顔をしていますけど、不細工は言いすぎですよね。三つの子供ながらに、私はやきもちを妬いていたんじゃないかしら。漠然とにしても、今までは私だけのお母さんだったのに、弟に盗られてしまう、ってね。
 妹や弟が生まれると、幼児の姉や兄が赤ちゃん返りしてしまうって、よく聞きますよね。私はそこまででもなかったけど、父や母が繁之を可愛がっているのを見るとすねて、外に遊びにいってしまったりはしました。
 両親は酒屋を営んでいましたので、忙しかったんですよ。繁之も一歳になるころには保育園に預けられて、私も一緒に通っていました。保育園時代はあまり覚えてませんね。
 私が小学校に上がる前には、ランドセルを買ってもらうでしょ。希恵は一年生になるんだから、小学生になるんだから、って、父も母もいろいろな話をしてくれる。今度は繁之がやきもちを妬いたのかな。そのころからだと記憶もしっかりしてきています。
「姉ちゃんばっかりずるいな。僕も学校に行きたいよ」
「ちっちゃい子は保育園に行ってたらいいんだよ」
「連れていって」
「いやだ」
 繁之ははじめて口をきいたときから、おじさんの声だったんです。あの子は声変わりしたのかしら? おじさんみたいな少年の声が、成長していくにつれてもっとおじさんの声になった、としか私は覚えていません。
「やきもちなんか妬かないよ」
 大きくなってからの繁之はそう言ってましたけど、妬いてたんですよ。私のランドセルにゴミを入れたりしてね。見つけたときには繁之の頭の上から、ゴミをぶちまけてやりました。
 きょうだい喧嘩はよくしましたよ。つかみ合いの殴り合いの蹴飛ばし合い。口でだったら私が勝ちましたけど、腕力ではある時点からは負けました。その時点くらいからは、弟は私に暴力はふるわなくなったのですけど。
 恋の話し? そんなものを姉と弟がするはずがないじゃありませんか。繁之の恋愛についてなんて、私はまったく知りません。当人はもてないって言ってますよね。その通りだと思いますよ。
 仕事となると繁之もラジオなんかでは喋ってるようですが、家では無口でした。好きな子がいるとも聞いた覚えはありません。あの子だって恋はしたのかもしれないけど、ふられてばっかりじゃないの? 見るからにもてなさそうでしょ?
 姉は勉強ができたと繁之が言ってました? そうでもないけど、繁之よりは学力が上だったかな。小さいころには宿題を教えてやったことはあります。一緒に遊んだこともあるけど、繁之は野球が好きで、子供のころは野球ばっかりやってました。
 そういえば、繁之の子供のころの夢はプロ野球選手だったんですよね。高校生になったら甲子園に行って、プロ野球のドラフトにかかって、なんて夢は話していました。
 少年野球でさえも才能がなかったようなので、プロ野球選手は諦めて、中学生になると合唱部に入って、高校でも大学でも合唱部にいたんですよね。頑固者で融通が効かないから、ひとつの道を貫き通す性格なんでしょう。
 私が名古屋で就職して二年ほどたったころでしたか。繁之は大学四年生で、夏休みに帰省してきていたんです。母から電話がかかってきて、繁之が言ってると聞かされました。
「就職はしないんだって。歌手になるんだって。希恵からもなんとか言ってやって」
「歌手? あの顔で?」
 そんなのあんたには無理無理、ってなって、母との電話を切ってからもう一度家にかけて、繁之には言ってやりました。
「甘すぎない? 歌手になんかなれると思ってるの?」
「なるんだよ。なるったらなるんだ」
 それだけ言って、繁之は電話を切ってしまいました。
 歌手になんかなれるはずがないけど、曲がり道になるのもいいかもしれないな、繁之もそのうちには目が覚めるだろって、あのときの私は思いましたよ。名古屋と東京に離れて住んでいたし、離れていると姉と弟なんてものは連絡も取り合わなくなって、繁之はどうしてるのかな、と思っても、私は私で忙しかったし。
「姉さん、俺たち、デビューが決まったよ」
 そんな電話がかかってきたのは、繁之が二十三、私が二十六の夏でした。
「ええ? ほんとに?」
「嘘なんか言わないよ」
「あのね、繁之、私、出張で東京に行くの。会える?」
「ああ……うん」
 東京で久しぶりに弟に会って、弟の大学に連れていってもらって、本橋さんや乾さんにもはじめて会いました。あのときはじめて、私もフォレストシンガーズを応援しようと決めたんです。
 プロになると決定してから応援しはじめるなんて、薄情な姉ですよね。繁之が卒業した大学で繁之の先輩たちに会う前に、デビュー祝いのプレゼントをしましたっけ。プロのシンガーになるんだったら、小物に凝ったらかっこいいよ、って言って、手帳とキーホルダーとカードケースと小銭入れのセットでした。
「ブランドもの? 俺のガラじゃないだろ」
「それをあんたのガラにするように、かっこよくしなくちゃ」
「かっこよくなんかできないよ」
 婚約者の恭子さんを繁之が実家に連れてきたときに、私も帰省していたんです。父も母も照れてましたから、挨拶はいい加減だったな。繁之は恭子さんのご両親にはちゃんと挨拶したのかしら。
「繁之……あんた、まだそれを使ってるの?」
 座卓にごちゃごちゃと繁之の持ちものが乗っていて、その中にキーホルダーとカードケースと小銭入れもありました。私がちょっぴり驚いて尋ねると、繁之は口の中でぶつぶつ呟いていて、恭子さんが言ったんです。
「ずいぶん古いものですよね。お姉さんはこれを知ってるんですか。シゲちゃんの昔の彼女のプレゼント?」
「私なんだけどね、こんな古いものをいつまでも……」
「いや、手帳は使い終えたからしまってあるけど、他は持ち歩いてるんだ」
「お姉さんからのプレゼントだったんだ。そしたらそう言えばいいのに。シゲちゃんがはっきり返事しないから、私は疑っちゃいましたよ。ああ、よかった」
「だから、俺はこんなものをプレゼントしてくれる彼女なんて、持ったことはないって言ってるだろ。姉さんがくれたなんて……うん、まあ、そういうことだよ」
「シゲちゃん……」
「繁之……」
 あのとき、恭子さんと私が言いかけた言葉は同じだったかな。あんたってほんとにそんなにもてなかったの?
 繁之は照れ屋なんですけど、根は優しいんでしょうね。姉には優しいところなんか見せませんし、私は大学からは親元を離れてしまったので、繁之が中学生のころまでしか知らないんですけど、奥さんには優しいらしいですよね。うふふ。
「姉さんは結婚しないの?」
 自分が先に結婚したからって、たまに会うと繁之は訊きたがるんですよ。
「彼氏ってのはいないのか?」
「私が結婚しようとしまいと、あんたには関係なくない?」
「……そうだけどさ……」
 独身の姉を心配してるのかしら。大きなお世話です。
 それにしても、あんなふうにかっこよくもなくて、声だって低くてぼさーっとしてて、センスは悪いし顔もよくはないし、平凡を絵に描いたような男がシンガーねぇ。あれでフォレストシンガーズってけっこう人気はあるんでしょ?
 フォレストシンガーズの人気は他のひとたちがいてこそのもので、繁之は自分でも言ってる通りに、縁の下の力持ちですよね。
 でも、縁の下の力持ちって本当はマネージャーの山田美江子さんじゃないんですか? 私は繁之を仲間にしてくれた本橋さんや乾さんにも感謝してますけど、山田さんにもとっても感謝してるんです。山田さんは実の姉の私なんかよりもはるかに、繁之の面倒を見てくれたんですものね。
 内村さんも独身でいらっしゃる? 今回の仕事以外の話も聞かせて下さいな。今夜は名古屋で泊まるんでしょ? 夜にもよかったら飲みにいきましょうよ」


5

 名古屋のあとはパリなのだが、おいそれとフランスにまでは行けない。私は山田佳代子さんのメールアドレスを調べ、メールで自己紹介してインタビューの件についてもお願いした。
 フォレストシンガーズのマネージャーである山田美江子さんの妹、佳代子さんはパリのブティック勤務なのだそうだ。できるものならばパリに飛んで佳代子さんの肉声を聞きたかったのだが、経費がかかりすぎるのもあって断念して、メールでのインタビューを受けてもらった。
 幾度かのやりとりで佳代子さんがメールに綴ってくれた内容をまとめると、こんなふうになった。


「マネージャーの妹にもインタビューするんですか? 私はいいんですけど、姉は立場がちがうのに? 内村さんが聞きたいとおっしゃるんでしたら話しますよ。なんでも聞いて下さい。
 佳代子には苦労させられたって、姉が言ってたんですか? 私は姉とは五つちがいで、妹なんだから、そりゃあなにかとお世話にはなったんでしょうけど、苦労させられたのは私のほうなんじゃないかな。だって、姉は気が強くて口が達者で、小さい妹を口で言い負かせようとするんですもの。
「お姉ちゃん、遊ぼうよ」
「なにをして遊ぶの? おままごと?」
「お人形の着せ替えごっこ」
「ちびっことお人形遊びをして、楽しいのはあんただけだよ。私はもう子供じゃないんだから、そんな遊びはちっとも楽しくないの。私は我慢してつきあってるんだから、感謝しなさいね」
「なに言ってんのかちーっともわかんない」
 子供のころからファッションが好きだった私は、自分ではおしゃれもできやしないんだから、人形で代償行為をしてたんですね。私が小学生、姉が中学生くらいのときから、お人形遊びにつきあわせて、姉は閉口してました。
 いやいやつきあってくれてたんですよ。姉が怒ると私は泣いて、母も怒って、美江子、佳代子と遊んでやりなさい!! でしたから。ああ、そうするとやっぱり、私は姉に苦労させてたのか。
 宇都宮の山田家は両親と子供四人の六人家族、長女の美江子、長男の敏弘、次女の佳代子、次男の和正。普通は女の子と男の子が生まれたら、そこで子供はおしまいにするんでしょうにね。おしまいにされてたら、私は生まれてないんですけど。
「お母さんは人形の服を買ってくれないの。お姉ちゃん、服を作ってよ」
「服を縫うの? やだ。縫いものなんて大嫌い」
「編みものでもいいよ。お姉ちゃん、前にマフラーを編んでたじゃないの」
「マフラーは直線だから編めるけど、セーターなんかは編めないの」
「中学生にもなって編めないの? あのマフラーはどうしたの?」
「失敗したから捨てたんだよ」
 たぶん姉はマフラーを彼氏にプレゼントしたんでしょうけど、下手くそだったから馬鹿にされて怒っていたのかもしれませんね。
 姉が作ってくれないので、私は母に端切れをもらって、人形の服を縫うようになりました。最初はボロギレをまとったお人形さんになってたけど、徐々に上達はしていきましたよ。姉も褒めてくれるようになりました。
「へえ、なかなかセンスいいよ。人形の服って小さいから、私が縫ってたらきーっとなっちゃいそうだけど、佳代子は根気もあるんだね」
「そのうちもっと上手になって、お姉ちゃんの服も縫ってあげるね」
「本気で楽しみにしてるね」
 私はお人形好きというよりも、お人形のファッションショーが好きだったんですね。姉とお人形の着せ替えごっこをして、ファッション好きに目覚めていったのかもしれません。
 中学生のときにも姉には好きな男の子がいたみたいですけど、高校生になると彼氏ができたんです。私は小学生だったけど、誰かに話したかったのか。私には打ち明けてくれました。姉は料理クラブに入ってまして、同じクラブの男の子だったそうです。
 掃除や縫いものは大嫌いだったけど、姉は料理は上手だったんですよね。母も働いてましたから、高校生くらいになると姉が晩ごはんを作ってくれるようになりました。やっぱり私も兄も弟も、姉に苦労をかけてたんだ。
 父も母も残業で遅くなり、兄も弟も帰っていなかったある夜に、ふたりでごはんを食べながら、姉が話してくれました。
「彼ができたの」
「きゃ、おめでとう。キスした?」
「あのねぇ、いきなりそう訊く?」
「言いたくないの? どんな彼?」
「けっこうかっこいいよ。背が高くて優しいの。餃子が大好きだから、ふたりで餃子の食べ歩きとかしてるんだ」
「餃子ばっかり食べてると太るよ」
「そこは問題なんだけどね……」
 高校時代には姉はその彼とずっとつきあってたみたい。紹介はしてくれなかったけど、私とふたりっきりだったら話しはしてくれました。
 けれど、姉と彼は大学が別々になって別れてしまったんですよね。姉は東京の大学に入学して、彼は奈良へ行ってしまったと言ってました。そのころの私は中学生だったけど、私にも彼氏はいて、姉とはそんな話もしました。
 大学に入ってひとり暮らしになった姉がいなくなると、家の中にぽっかり穴が空いたみたいでした。よく喋ってよく怒って、世話好きでうるさい姉がいなくなって、無口な兄と弟だけだったら、私もつまらなかったな。
 姉が大学一年生の夏に、兄と弟と三人で、東京に遊びにいったんです。そのときにはじめて、本橋さんに会いました。私は本橋さんは姉の彼氏かと思ったんですけど、そうじゃなくて友達だって。
 ほんとかなぁ、とは思ったんですけど、ふたりともにそう言うんだから、そのときにはそうだったんでしょうね。本橋さんは私たちに東京案内してくれる予定だったんですけど、姉と私が勝手に行きたいところに行って、本橋さんと兄と弟はいやそうについて歩いてました。
 私はその日は姉のアパートに泊まり、兄と弟は本橋さんのおうちに泊めてもらったんですよ。兄と弟も本橋さんになついてたみたい。
 それから私は高校を卒業して、東京の服飾専門学校に入学し、卒業してアパレルメーカーに就職して、東京暮らしになりました。数年後には念願だったパリに留学することになって、姉が成田空港へ見送りにきてくれました。
「あのね、佳代子、私、結婚するの」
 パリにいる私に、姉から国際電話がかかってきたのは、姉が三十二、私が二十七の年。
「ほー、おめでとう」
「誰と? って訊かないの?」
「私の知ってるひと?」
「知ってるひとだよ。ほら、だいぶ前にさ、佳代子が手に噛みついた彼」
「本橋さん?」
「そうなんだよね。どうしてだかこうなっちゃった」
 その本橋さんと姉は結婚したんだから、あのころから特別ななにかをお互いに感じてたのかな、と私は今でも思っています。本橋さんには私もお世話になりましたから、姉から国際電話がかかってきたときには、びっくりしたり嬉しかったりしましたよ。
「私の結婚式には帰ってこられる?」
「帰れたら帰るけど、お金がかかるし……帰れなかったらごめんね」
「無理しなくていいよ。佳代子もがんばれよ」
 フォレストシンガーズの一員としてではなく、協力する立場のマネージャーとしてだけど、姉は夢見ていたんですよね。
 いつかはフォレストシンガーズを成功させてみせる。世界的な大スターにしてみせる。その夢はまだかなってはいないけど、フォレストシンガーズのリーダーの妻となって、協力者としてはいっそう強力になったんです。
 私も私の夢をかなえよう。私の夢は内村さんのインタビューとは無関係ですけど、姉に会ったらよろしくお伝え下さいね。佳代子も元気にがんばってるよ」


6

 さてさて、後回しにしていた乾さんのご両親とは、どうやってコンタクトを取ろうか。敬一郎さんが七つ年上、希恵さんはふたつ年上、雅美さんはふたつ年下、佳代子さんは五つ年下、龍くんは十四歳年下。
 龍くんとはかなり年齢の開きがあるものの、フォレストシンガーズのみなさんのきょうだいなのだから、全員が私とは年が近くて、楽しくインタビューができた。
 が、乾さんのご両親となると……聞くところによると、乾さんの生家は金沢では名家で旧家でもあり、お父さまは老舗の和菓子屋さんのご主人、お母さまは華道家であるらしい。私にとっては苦手な人種であろうか。
 そんなことを言って気後れしていてはいけないのだが、後回し後回しにしているうちに、乾さんから編集部に電話がかかってきた。
「龍から聞きましたよ。俺たちのきょうだいたちにインタビューの企画ってのは、終了したんですか。誰と誰にインタビューなさったんですか」
「敬一郎さんと雅美さんと佳代子さんと希恵さんと龍くんです」
「俺にはきょうだいはいないってのはご存知なんですよね。いかがなさるおつもりで?」
「あのぉ、乾さんは私を覚えて下さってるんですか」
「俺たちの大学の新聞部にいらした内村織枝さんでしょ。合唱部主催コンサートに取材にいらしていたと。なんとなくですが、そんなこともあったな、とは覚えてます。本橋や山田や俺とは同い年なんですよね」
「そうなんです。あのあの、図々しいお願いなんですけど……」
「なんでしょうか」
 インタビュー記事をまとめたものを読んでほしいとお願いすると、乾さんは承諾してくれた。
 学生時代の記憶ならば私にもある乾さんと、カフェで会った。私の記憶には残っているとはいっても、一方的に見ただけだ。一方的にならばフォレストシンガーズの乾隆也さんも何度も見てはいるが、大人になった生身の乾さんとは、初対面同然だった。
「はじめましてではないのでしょうけど、お久しぶりってのも変ですね。乾です。お会いできまして光栄です」
「いえ、こちらこそ」
 背は高めで細身で、笑顔は優しげで涼しげ。シルバーグレイのシャツと黒のパンツが似合っている。学生時代よりも格段にかっこよくなったと思える乾さんと挨拶をかわし合い、私は原稿を取り出した。
「拝見します」
「……割愛したほうがいいような箇所がありましたら、どしどし指摘して下さいね」
「そうさせてもらいます。いや、でも、本橋とシゲと幸生と章とミエちゃんの、兄貴に姉さんに妹に弟に、ってのが話した内容でしょ。俺が検閲するってわけではないんですから。ただ、興味があったので読ませてもらいたいと思っただけです。これはうちに帰ってじっくり読ませていただいてよろしいですか」
「はい、それはもう」
「今夜はあなたの話を聞かせていただきたいな。魅力的な女性とはプライベートな話もしたいですよ。いや、失礼」
 魅力的? お世辞だよね、とは思ったものの、どこかくすぐったい気分にさせてもらった。
「乾さんのご両親は……」
「俺にはきょうだいがいないから、父や母ですか。それもいいんですけど、俺がもっとも近しくしていた身内は祖母なんです」
「そういうお話は聞いたことはあります」
「内村さんは俺たちの家庭の事情は調べておられるんだったな。タウン誌の編集者となると、そういった調査はお手のものですよね」
「部外者に調べられる範囲で調べました」
「祖母はとうに亡くなってるんですけど、俺は両親ではなく、祖母に育てられたようなものです。親とは子供のころには距離がありましたから、祖母になついて可愛がられて、びしびしときびしく躾けられて、高校生まではそうして育ってきたんですよ」
「よろしかったら、お祖母さまのお話を聞かせていただけますか」
「よろしかったら聞いて下さい」
 録音機をセットすると、乾さんが子供のころの話しやお祖母さまの話しをしてくれた。乾さんの話しを聞き終えて、私は言った。
「乾さんのパートは特別編ってことにして、お祖母さまへの架空インタビューという形にしてもよろしいですか。私の拙い筆でまとめてみたいんです」
「それは楽しみですね。完成したらぜひ読ませて下さいね」
「読んでいただけるのを私も楽しみにしています」
 そこからはフォレストシンガーズのメンバーのきょうだいの視点ではなく、仲間ならではの視点での、個々の話しも聞かせてもらった。乾さんの優しい声を聞いていると、酔い心地になってくる。歌っている際とは別の素敵な声の、巧みな話術の持ち主だった。
「ありがとうございました。今夜はとっても楽しかった」
「俺も楽しかったですよ。地下鉄の駅まで送らせて下さい」
「……そんな……よろしいんですよ」
「いいえ。駅までは」
 なんて紳士的で素敵なひとなんだろ。乾さんと肩を並べて駅への道を歩いていく間も、私は酩酊感に包まれていた。
「おやすみなさい、お気をつけて」
 駅で別れてきびすを返した乾さんの背中を見送ると、酔い心地はすーっと醒めて、家に帰って早速パソコンで綴った。


「隆也の祖母のさな子でございます。私は隆也が高校三年生の年にあの世に行ってしまったんですけど、空から見ておりましたよ。隆也も隆也のお仲間たちも。
 私には娘がひとりしかおりませんし、夫は早くに亡くして娘夫婦と同居しておりまして、隆也の父親の隆之助さんにはさぞかし煙たがられておりましたのでしょうね。それはそれとしましても、隆也は初孫です。
 娘のとわ子にとりましても、隆也ははじめての子供。難産でした上に、手のかかる赤ん坊でしたよ。とわ子は夜毎に泣いている隆也を抱いて、一緒に泣いたりもしておりました。そんなときに娘を叱りつけるほどの厳格な母親ではありませんので、私は娘婿の隆之助さんに言いました。
「あなたも父親なんですから、隆也を引き受けて下さい」
「はい、しかし、どうすればいいのか……」
「あなたが隆也を背負って、表を歩いてくればいいんです。お父さんの背中で揺すられたら安心して、隆也も眠りますよ。とわ子はふらふらになってるんですから、あなたがなんとかしなさい」
「わかりましたっ」
 それからは隆也が夜泣きをしますと、隆之助さんが背負って表に連れ出してました。季節もよくなってきて、隆也は父親の背中で夜の散歩を楽しんでいたのでしょうね。
 隆之助さんは詩人でしたから、そんな夜には背中の隆也に子守唄を歌って聞かせたり、詩の一節や俳句や短歌を聞かせたりしていたのではないかしら。赤ちゃんの心にだって詩が残って、隆也も詩人に、言い換えれば変人に育っていったんですよ。
 ばあちゃんはきびしかったと隆也が言ってました? そうですか? あんなののどこがきびしいのやら。
 隆也がよちよち歩きをするころになると、とわ子は仕事に戻りましたし、隆之助さんはもとから仕事が好きですし、自然に私が隆也の世話をするようになったんですよ。あのころは私もまだ若かったから、赤ん坊の世話もできたのですよね。
 たったひとりの孫は、そりゃあ可愛かったですよ。でも、ばあさんが孫を溺愛して損なってしまってはいけませんでしょう? 私は昔人間ですから、友達親子なんてまっぴら。友達祖母孫息子なんて、そんなのもまっぴら。
 だからまあ、隆也を甘やかし放題にはしていなかったのですね。それをしてきびしいとは、隆也も甘ちゃんだこと。
 腺病質っていうのかしらね。子供のころの隆也は身体が弱くて、親にかまってもらえないせいで寂しいのもあったのかしら。祖母では隅々までは目が行き届きませんものね。私としては精一杯隆也を育てたつもりですけど、後悔もありますよ。
 ひとり遊びが好きだった隆也は、幼稚園のころから本を読むのが好きでした。最初は私が絵本を読んでやっていたのですけど、じきに字を覚え、自分で絵本を読むようになりました。
「こんなのちっちゃい子の本でしょ」
「絵本じゃ物足りなくなった? これにする?」
 私も本は好きでしたけれど、子供向きの字の詰まった本は持っていない。今度買ってあげるからね、と隆也と約束をして、その日は花の画集を見せたんですよ。
「あ、これ、ばあちゃんが活けてた花だね。えーと、むずかしい字だな」
「これはアヤメ」
 日本画集の花を指差して、これはキキョウ、これはザクロ、これはフジバカマ、と漢字を読んで、隆也はですから、漢字は花の名前で覚えていったんでしょうね。
「ばあちゃん、昨夜、約束したでしょ。ご本を買って」
「そうだったね」
 その翌日、幼稚園から帰ってきた隆也と手をつないで、金沢駅の近くの書店に連れていきました。
「うわぁ……すっごい本がいっぱい。どれでも買ってくれる?」
「どれでもは買いません。まずは一冊ね」
「これは?」
「それはあんたには早いの」
 はじめて隆也が選んで買ってやった本は、「きんいろのほし」と言いましたっけね。創作童話ですよ。挿絵もあったけれど、文字だらけの本だったから、幼稚園の子にはむずかしいかと思ったんですけど、隆也はじきに読めるようになりました。
 それからは本を買ってもやりましたけど、私の書棚から本を持ち出して、次々に読んでいました。昔の本にはルビの振ってあるものもあって、意味もわからずに読んでいて、漢字も覚えていったんでしょうね。
 祖母馬鹿ですけど、隆也は頭のいい子でした。頭がいいよりも子供は外で遊んで身体を鍛えるほうが大切だから、熱心に本を読んでいる隆也に、外で遊んできなさい、と言って追い立てたりもしましたね。
 そのおかげで隆也の身体が丈夫になっていったんですよ。でも、隆也には友達は少なかったようで、私は言いました。
「あんたは年のわりにはものを知ってるし、口もよく動くよね。だからって友達を見下げてない? 友達に向かって、僕のほうがかしこいもんね、みたいな態度を取ると嫌われるんだよ」
「頭の悪い奴って喋っててつまんないもん」
「そういう態度だから、友達ができないの。そんなことを言う子は、蔵に入ってなさい」
「ええーっ?! やだよぉっ!!」
 抗っている隆也を引きずって蔵に放り込んだりもしましたから、ばあちゃんはきびしい、なのでしょうね。あんなもの、昔の親の躾と較べたら全然きびしくもないのに。
 小学校でも中学校でも運動クラブにも入らずに、本を読んだりレコードを聴いたり、隆也は活動的な少年ではなかったのですよね。部屋にこもって勉強しているのかと思ったら、詩を書いていたりもしました。
 中学生にもなった男の子には、祖母では力はかなわなくなる。口は達者で生意気で反抗的な隆也には、私も一時は手を焼きましたよ。これも成長のあかしだと割り切ろうとしても、ばあさんは寂しかった。
 隆也が高校生になるころには、私は身体が弱ってきていましてね、雪でも積もると外出が億劫になるんです。そうはいっても金沢には積雪は多いんですから、出かけなくてはいけない日もある。あの日は私はお世話になった方のお宅にお届けものをしようとして、外に出ていったんです。
 かなり雪が積もっていまして、タクシーを呼ぶにしても表通りまでは歩かないといけないし、と思って困っていたら、隆也が学校から帰ってきました。
「ばあちゃん、お出かけ? 雪が積もってるから歩けない?」
「歩けなくはないけど、タクシーを呼ぶしかないかなって」
「どこに行くの?」
 どこに行くのかを言うと、隆也は背中を向けました。
「タクシーで行くほどの距離でもないね。俺が連れてってやるよ」
「おぶっていってくれるって言うの? その細い身体で……折れるよ」
「見損なうなよ。俺ももう十五だ。ばあさん背負って歩いて折れたりしないよ」
「あんたにおぶってもらうなんて恥ずかしい」
「いいじゃないか。たまにはばあちゃん孝行さてせよ」
「孝行になんかなりゃしないよ」
 恥ずかしいのもあったのですが、隆也の力だの持久力だのを見定めてやろうかと思ったのもあって、私は背負ってもらったのです。
「最初で最後かもしれないね。あんたにこうやっておんぶされて、雪道を歩くなんて」
「最初だろうけど、最後になんかなるわけないだろ。ばあちゃんがよぼよぼの、口だけ妖怪おばばになったとして、病院通いをしなくちゃならなくなったら、俺が毎日背負ってやるよ。最後ってどういう意味だよ。そんなこと、言うな」
「なんだよ、えらそうに。あんたは誰に向かってものを言ってるの?」
「はいはい、頭を殴るなよ。落とすぞ」
 知り合いの家に出かけて、近いから歩いて帰ろうとしたら、雪が降ってきて立ち往生してしまっていたときにも、隆也が助けてくれたことがありますよ。たまたま通りかかったのか、迎えにでもきてくれたのかは知りませんけど、隆也の学生服の背中には、幾度かは背負われました。
 けれど、私の身体はだんだんだんだん弱ってきて、それほどの年でもなかったのに、倒れて二度と起き上がれなかった。
 いくつだったのかしら、私は。隆也が十七歳だったのは覚えていますけど、私の年は……そんなのどうでもいいですね。意識も朦朧としていたから、病室に隆也やとわ子や隆之助さんが見舞いにきてくれたのも、よくは覚えていないのですよ。
 そうして私は死んだのでしょう。私のお葬式なんて、もちろん私は見ていないんだから知りませんけど、あるときふーっとね、あらら? 私は死んだんじゃなかったの? ここはどこ? って。本当ですよ。
 あら、隆也がいる。隆也が私の知らない場所を歩いている。なんだか大人っぽくなっている。ここはどこなの? 私がそう考えていたら、隆也の声が聞こえてきたんです。
「よぉ、本橋、昼メシ、行こうか」
「ああ、腹減ったよ」
 そう言い合って、背の高い青年と隆也が歩いていく姿が見える。私はあとからついていきましたよ。食堂みたいな場所でふたりが話しているのを聞いていて、ここがどこなのかを知りました。
 東京の大学の学生食堂だったのですね。隆也は私が死んでから、東京の大学生になっていたんです。いつでも隆也を見ていたのではないけれど、時々は見えた。声も聞こえました。隆也が言ったからなんですよ。あの子は時々、ばあちゃん、ってひとりごとを言ってましたから。
「またふられたみたいだよ、ばあちゃん、女ってわかんねえよな」
「あんたにはまだ女は早いって言ってるだろ」
「俺は大学生だ。早くなんかねえんだよ」
「くちばしの黄色いひよっ子のくせに」
 そんな話もしましたし、こんな話もしました。
「将来は決めたよ、ばあちゃん。俺、歌手になるから、絶対になるから。ばあちゃんだったらどこかで見てた? 俺が金沢に帰って、お母さまになんて言われたか」
「見てたよ。とわ子らしい言い草だったね」
「ばあちゃんは反対する?」
「あんたのそばにいたら反対したいけど、しても無駄だろ。反対したら聞くの?」
「聞かない」
 こんな話もしました。
「卒業して一年以上たったってのに、プロにはなれないんだ」
「それでヒデさんってひとはやめてしまったんだね。根性なしなんじゃないの」
「事情もあるんだろうけどさ、ばあちゃんだったらヒデに言うのか? 根性なしは蔵に入ってなさい、ってさ」
 それからそれから、こんな話も。
「ばあちゃん、俺たち、プロになれたんだ!! 喜んでくれるか」
「まあねぇ。私は演歌のほうが好きだけど、あんたが音楽好きになったのは、私の薫陶だろ。プロになれたってのは喜ばしいんだけど、隆也、これからの道のりはもっと大変だろうから……」
「うるせえな。わかってるよ。ばばあは引っ込んでろ」
「あんたが呼んだんだろうが」
 女の話しもしてましたね。
「近頃の女はばあちゃんの時代とはちがうんだから、ちょっとくらいきついことを言っても泣かないんだよ。優しくしすぎるとつけあがるんだ。ばあちゃんが俺に、女の子には優しくしないといけないよ、って言ったのが身についちまって、隆也さんは優しすぎる、なんて言われてふられたりするんだぞ」
「あんたの心がけが悪いんだろ。優しすぎるなんて、どこが?」
「優しすぎたりなんかしないよな」
 時々そうしてひとりごとで私を呼んでは、ばばあは引っ込め、って悪態ついて、隆也はまだ子供ですね」


 なにかに憑かれたように書き上げた原稿を持って、後日、乾さんと二度目に会った。一度目と同じカフェだった。
「仲間のきょうだいのインタビューは読ませていただきましたよ。それぞれに興味深くて、タウン誌に載るのが楽しみな内容になってますね。ここに出てくる人たちは、全員、俺も知ってますので、らしいなぁ、ってのか。彼らの性格もあらわれてますね」
「よくない箇所はありませんでした?」
「特別にはありません。で、これが?」
 先日の乾さんのお話を元に書いた原稿を渡すと、乾さんは言った。
「短いですね。ここで読ませていただいてよろしいですか」
「はい、どうぞ」
 たしかに短いので、すぐに読み終えた乾さんは、私の顔を凝視した。
「俺はこんな話をしましたか?」
「どこでしょうか」
「特に後半。俺が祖母を背負って歩いたとか、祖母が亡くなってからの俺のひとりごととか。してませんよ」
「してもらったからこそ、書けたんでしょ」
「いいや、してない。俺が話した言葉のすべては覚えてませんけど、ここまでは話していませんよ」
「では、私の捏造だと?」
「そうとも思えないんだよな。これは……えええ?」
「えええ?」
 ふたりして黙っている間は、私は考えていた。
 ではでは、なにかに憑かれていたような心持ちは、さな子さんに憑依されていたと? そんなことはありっこないのに、背筋がぞくぞくっとした。
「……そうなのかもしれないな。ばあちゃん、あんたはいつまで俺にお節介を焼いてりゃ気がすむんだ? 俺がばあちゃんとかわした架空の会話って、実は本当にあんたと話してた? そりゃないだろ。ばあちゃんは俺の背後霊なのか? あのころに背負って歩いたまんまで? 内村さん、俺の背中になにかが見えませんか?」
「な……なにも……乾さん、脅かさないで」
「お、ごめんなさい。冗談ですよ」
「今、ここで言うには悪い冗談すぎますっ」
 金切り声を出してしまった私の隣の席に移ってきて、乾さんは優しく言ってくれた。
「ごめんなさい。泣いてませんよね?」
「泣いてはいませんけど……ほんとにそんなことって?」
「もしもあったのだとしたら、あなたのライターとしての力のたまものです。あのお節介妖怪ばあさんは、あなたの応援がしたかったんでしょう」
「乾さんの応援では?」
「それもあるのかな。ばあちゃん……」
 呟いて、乾さんは目を閉じた。
 乾さんの頭の中だか心の中だかには、さな子おばあさまがあらわれているのだろうか。私にも見える気がする。小柄できびしくて優しい、和服姿の老婦人は、孫とどんな会話をかわしているのか。私も聞きたいけれど、私とはもうおしまい?
 もうおしまいでもいいけど、さな子さんのおかげもあって、いい記事が書けそうですよ。フォレストシンガーズのファンの方々にも満足していただけるような、最高の記事にしますから、みなさんも楽しみにしていて下さいね。
 フォレストシンガーズのみなさんと山田さんにも、インタビューに応じて下さったみなさんにも、架空のさな子さんにも、私は声に出して言っていた。
「そうだね、ばあちゃん。俺だってがんばるよ」
 声に出して言っているのは乾さんも同じで、呟いてから目を開けた。
「つづれおり、ってどうですか」
「記事のタイトルですか」
「キャロル・キングのアルバムタイトルです。俺たちの身内の言葉が織り成すタペストリー。参考にしていただけると幸いです」
「いいですね、それ」
「あなたの文章が完成されてくれる、フォレストシンガーズの綴れ織ですね」
「……はいっ、完成させます」
 がんばって、と微笑んでくれる乾さんの顔の横に、会ったこともないさな子さんの笑顔も見えているような錯覚を感じていた。

END


 
 
 
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