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小説170(夏の終わりのハーモニー)

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フォレストシンガーズストーリィ170

「夏の終わりのハーモニー」


1

 はるかに昔だと俺には思えるあのころ、なんの気なしに「俺たち」と口にした、フォレストシンガーズは、今では俺の所属するグループではない。しかし、彼らは俺を仲間と呼んでくれるのだから、「俺たち」の中に俺も加えてもいいだろう。
 本来のフォレストシンガーズのメンバーは五人で、そこに俺も加えるとなると六人になる。その俺たちの中ではロマンティックが似合うのは乾さんだけ。章と幸生には似合わなくもないのだろうが、あとの三人にはまるっきりまるっきり似合わない。
 本橋さんにもシゲにも似合うはずがないロマンティックは、俺にもまったく似合わない。
 ロマンティックにふるまおうとするとむずがゆくなってくる俺なのだが、今夜はロマンだって必要だろう。女とふたりっきりで、京都は鴨川の川べりにすわっている。夜になるとこのあたりは恋人たちの定番スポットとなり、今夜も定間隔を置いて、何組も何組ものカップルがすわって恋の語らいをしている。
 この中に俺がいるのか、と思っただけで、俺の全身がこそばゆくかゆくなってくる。蚊も飛んでいるから、かゆいのは食われたせいか。ぼりぼり掻くとロマンティックどころではないだろうから我慢しているとよけいにかゆい。
 しようがないから歌でも歌おうか。歌から遠ざかっていた間は下手になっていたのだが、近頃は作曲もするようになり、歌いもするようになったから、昔のヒデの歌声は多少は取り戻しているはずだった。

「今日のささやきと
 昨日の争う声が
 二人だけの恋のハーモニー

 夢もあこがれも
 どこか違ってるけど
 それが僕と君のハーモニー

 夜空をたださまようだけ
 誰よりもあなたが好きだから
 素敵な夢 あこがれを
 いつまでもずっと忘れずに」

 昨日の争い、そんなのもあったから、この歌は今のシチュエイションに合っている。彼女は俺の肩に肩を寄り添わせて、静かに歌を聴いてくれていた。
 二年ほど前にフォレストシンガーズの面々と再会し、ほぼ昔通りにつきあえるようになった。それに伴って瀬戸内泉水とも親しい仲が復活して、俺は泉水と結婚したい、と考えるようになった。プロポーズはしたのだが、泉水ちゃんには男がいるのだそうで、見事にふられた。
 ふられた女にこだわっていても仕方ないだろ、と思い直しはしたものの、俺には彼女なんかできっこないよな、とも思っていた。
 神戸でヒノデ電気店に勤めている俺は、電気屋の店員でもあり、電気技術者でもある。立ち直ろうと決意してヒノデ電気のオヤジさんに拾ってもらってから、一生懸命勉強した。町のちっぽけな電気屋にもお得意さまはいるもので、そのうちのひとりの女性が、エアコンを買ってくれた。
 真中さんという名のお得意さんのマンションに行き、エアコンを取りつけ、アイスコーヒーなど出してもらって話しているうちに、彼女が言い出したのだ。
「ヒノデ電気のおじさんにお願いしたから、聞いてくれたんだね」
「なにをお願いしたんですか」
「エアコンの取り付けは小笠原さんにしてもらって、って」
「はあ」
「小笠原さんって独身なんでしょ? 恋人はいるの?」
「は、はあ」
 関西弁は使わない彼女は、東京出身なのだそうだ。東京にある職場から神戸の支店に出向していて、単身赴任中。彼女も独身であるらしく、年は三十三歳の俺よりも三つ、四つ下。以前から顔見知りではあったので、その程度の話は聞いていたが、この台詞と態度はなんだろう。
「俺は独身ですけど、離婚経験者です。恋人はいません」
「あら、そうだったの。離婚経験者っていうのは、人生経験豊富って意味だよね。私みたいにずっと独身でいるよりは、人間に重みがありそう。小笠原英彦さん、英彦さんって呼んでいい?」
「ヒデでいいですよ」
「じゃ、ヒデさん。私はゆり絵って言うの。ユリと呼んで下さいね」
「はい」
「ヒデさんともっともっと話がしたい。今度、食事でもいかが?」
 デートの誘いか。彼女は俺に好意を持ってくれたのか。こうやって俺を誘って、セールスでもするつもりじゃないだろうな、と思ったのは、ふられたばかりの男の悲しき習性だったのかもしれない。女に食事に誘われるなんて、とんとなかったのだから。
「食事、いいでしょ?」
「はい、よろしかったら」
 疑い出すとキリがない。セールスだったらそれはそのときのことさ、となって、俺はユリさんと食事の約束をした。
 ヒノデ電気の近くに俺が借りているアパートと、ユリさんのマンションは近い。車でだったら五分ほどの距離だ。俺が乗り回しているのはヒノデ電気の営業車だが、こんな車はいやだ、とは言わず、ドライヴに連れていってほしいとも言ってくれた。
 横っ腹に「ヒノデ電気」と大書した車で、ユリさんとドライヴもした。幾度かデートをして、キスもした。俺には彼女ができたのか。ユリさんのほうから俺を好きになってくれて、ユリさんのほうから積極的に誘ってくれたとは、神がふられた俺を哀れに思って、彼女を遣わしてくれたのか。
 捨てる神が泉水だったのならば、拾う神はユリさんだったのか。落ちぶれていた俺を拾ってくれたヒノデの親父さんだっていたのだから、人生、捨てたもんじゃないな、とも思ったのだ。
 オヤジさんにも彼の倅の創始にも、ヒノデでバイトしている大学生の新之助にも散々冷やかされはしたが、俺はユリさんの出現が嬉しかった。彼女はやたらに積極的な女性で、東京で働いていたキャリアウーマンとはこんなものか、であった。
 スポーツ用品を扱っている会社の営業部門勤務。俺は野球が好きなので、スポーツ用品の話題にならばいくらかはついていける。ユリさんと親しくなるにつれて、彼女の細かい話もしてもらえるようになった。
 二十九歳。俺よりも二十センチ近く背が低いので、小柄なほうか。はじめて抱き寄せてキスしたときに、自然に触れたバストは豊かに張り詰めていた。俺の好みにはぴったりだ。
 もとの妻の恵も泉水ちゃんも長身だったが、小柄なほうのユリさんも好ましい。胸が小さいといやだと言うほどガキではないつもりだが、バストは豊かなほうがさらに好ましい。積極的な女も好ましい。
 最初は口説かれて面食らったものの、じきに俺もユリさんに惹かれていった。が、ユリさんは俺と寝たいとは言わない。こればっかりは男が誘うものなのかと思って、どうするべきかと考えた。考えた末に、ユリさんに言ったのだった。
「うちの店は一週間に一日しか休みがないんだけど、今度の金曜日と土曜日は連休が取れるんだ。ユリさんも有給が取れない? 遠くには行けないけど、近場に泊まりがけで遊びに行けないかな」
「そうだね。私は京都に泊まりたいな」
「京都か。ネットで宿を探しておくよ」
「うん、楽しみにしてるね」
 普段は神戸弁と土佐弁が入り混じり、変な言葉遣いになっている俺だが、東京のひとの前では標準語で喋る。ヒデさんの言葉遣いはだっさい、と言われないように、ユリさんと話していると気を使うのも楽しかった。
 そして、昨日、ユリさんと京都にやってきた。神戸から京都は旅行感覚でもないのだが、彼女とふたりっきりでささやかに遠出をするのは、わくわく気分にしてくれた。
 ところが、俺がネットで予約した宿はしょぼくて、ユリさんは機嫌を損ねてしまったのだ。朝と夜の食事つきの和風旅館で、雰囲気がよさそうに見えたのだが、ネットと実物はえらいちがいで、夕食もしょぼかった。
「今時分簡単に取れる宿なんて、金曜日の夜が空いてる宿なんて、こんなもんだよね。ごはんもちっともおいしくないの。京都の料理は味が薄いとは知ってたけど、ひどすぎない?」
「俺は西の味のほうが好きだけど、これはひどいな。ごめん」
「ヒデさんが悪いわけじゃないけど、食べる気もなくなっちゃった」
「そうだな。外で食おうか」
「それも億劫だから、ヒデさん、コンビニでカップラーメンでも買ってきてよ」
「そんなんでいいの?」
「いいから」
 宿の料理はつついただけで、夕食はカップラーメン。これでは女が機嫌を悪くするのも当然だろう。俺としては恐縮するしかなかったのだが、ユリさんは宿の全部に不平を言う。やれ、布団が湿ってるの、風呂場の掃除がいい加減だの、浴衣がでかすぎるの、花瓶の花が造花だの、テレビが小さすぎるの。
 文句ばかり言われて俺も腹立たしくなってきたので、ひとりで風呂に入ってひとりで布団に横たわった。ユリさんはすねた顔になって、自分の布団を次の間までひきずっていって、ひとりで寝てしまった。
 こうなるとふたりのはじめての夜にはなりようもなく、いつもと同じひとり寝の夜だった。朝になってもユリさんは機嫌が悪いままで、朝メシもまずく、仲直りしてベッドインともいかず、ふたりともにむっつりと宿から出た。
「……帰ろうかな」
「ユリさん、そう言わないで。俺が悪かったよ。明日は日曜日でユリさんは休日なんだから、早く帰らなくてもいいだろ。今日の昼は最高にうまいものを食って、夜にもうまいものを食ってから帰ろう。どこかに行こうよ」
「どこに行くの? 京都って暑いから、歩いてると疲れ果てちゃうのよ。昨日はたくさん歩いたでしょ。歩くのはもういや」
「そしたら、タクシーをチャーターして運転手におススメスポットに連れていってもらおう」
「そんならいいかな」
 女とは、下手に出すぎるとつけあがる。そのくらいの知識は俺にもあるが、まだ寝てもいない女だ。もっと仲良くなって、できるものなら結婚したいと思っているのだから、ここでケチると捨てられてしまいかねない。
 離婚した妻のもとに残してきた子供がいるとは、ユリさんには話していない。結婚を言い出す前に話すべきだろう。俺はもう一度結婚して、もう一度子供を持ちたい。今度こそ失敗せずに、普通の幸せを手に入れたい。
 そうと言い出す前に仲違いしないように、俺はユリさんの機嫌を取る作戦に出て、とりあえずは彼女の機嫌は直った。タクシーでほうぼうを回り、昼食も夕食も張り込んで、俺のふところは寂しくなったのだが、最初のうちは仕方ないだろう。
 タクシーから降りて夕食をすませ、四条界隈をふたりで歩いていたら、ユリさんが言った。川べりにならんですわる恋人たちは、京都の夏の夜の風物詩。私もああいうの、してみたいな、だった。むずがゆくなるのは承知の上で、俺もユリさんに従った。
 そして、ただいまはこうなっている。ユリさんは俺にそっともたれて、甘い声で囁いた。
「ヒデさんって歌がうまいのね。ちょっぴりハスキーな声がセクシャルだよ」
「昔は歌手になりたかったんだ」
「知ってる。ヒデさんのブログも読んだから、ヒデさんが書いていることだけは、あなたの昔も知ってるのよ」
「ああ、読んだんだな」
 ブログを書いているとは話したのだから、読んでいても不思議ではなかった。
「ヒデさんが書いていないことは知らないけど、離婚したとは言ってたよね。子供もいるんでしょ」
「俺、子供のことは書いてないけど……」
「なんとなくわかるのよ。会ったりしてるの?」
「妻とも娘とも完全に縁は切れてるよ。今はきみが好きだ。ユリさん、きみと完全に恋人同士になりたいな」
「……ヒデさんの部屋はとっ散らかってるんだったよね。今夜は私の部屋に来る?」
「きみがいいんだったら……」
「来て。昨日は……ごめんね」
「俺こそ、ごめん」
 ようやくロマンティック気分になって、他にもいる若い恋人たちはいないこととして、ふたりきりの世界に入り込めた。抱き合ってキスをして、これで俺にも彼女ができたぞ、とシゲに心で言っていた。
 不平不満の多い女ではあるが、欠点のない人間なんかいない。俺だって欠点だらけの男だ。結婚したら片目をつぶって互いのいいところだけを見る。そんな格言があったのではなかったか。近いうちにはプロポーズしよう。断られたとしたら、とは考えずに。


2

 夏のはじめにはシゲと恭子さんと彼らの息子の広大、実松とひとみさんと彼らの娘のかよ乃、泉水と俺とで仙台に旅をした。が、恭子さんのふたり目妊娠が判明して、シゲは焦って妻と息子を連れて帰ってしまった。
 実松一家は仙台に残し、泉水ちゃんと俺は大阪の泉水ちゃんのマンションに行き、ふたりきりは面映いとなって、幸生も呼び出した。
 幸生もいたのに、なのか、幸生がいたから、なのか、俺は泉水ちゃんにプロポーズして断られ、へこんだ気分で幸生にくっついて東京に行った。幸生になぐさめてもらった形になって、へこんだまんまで神戸に帰ってきた。
 それからユリと出会ったのだ。神さまが俺にくれた女、だなどと、俺らしくもない考えに耽って、プロポーズはいつしようか、と考えている。ユリはヒノデ電気のお得意さまなのだから、オヤジさんも創始も新之助も以前から彼女を知っていて、三人して俺を冷やかしたがる。
「ヒデさん、真中のお姉ちゃんと結婚するのん? がんばりや。結婚したら子供ができるんやろ。女の子がええな」
「気が早いんじゃ。小学生はつまらんことを考えてないで、創始、勉強せえ」
「ヒデさんと真中のお姉ちゃんが結婚したら、子供が生まれるんて何年後?」
「俺の話を聞いてないやろ」
「僕の話を聞いてえや。いつ生まれるん?」
 ついつい創始に乗せられて、俺は言った。
「早くても一年以上後やな」
「そしたら、僕より十も年下の女の子やんけ。若い彼女ができるんや。楽しみやな」
「……勝手に決めるな。おまえはほんまにもう、幸生にそっくりやな」
「幸生さんって僕みたいなイケメン? 紹介して」
「おまえとあいつを紹介したら、悪影響の受け合いするやろ。絶対に紹介なんかせんちや」
「……幸生さんに会いたいな」
 幸生も創始に会いたいと言うかもしれない。幸生はシゲの息子の広大にも、大きくなったらナンパを伝授してやると言っていたのだから、創始にならば喜んで伝授するだろう。会わせてはいけない。幸生は小学生の影響は受けないであろうが、創始は受けるに決まっている。
「ヒデさん、ハッピィウェディング、がんばってな」
 小学生にはそう言われ、大学生にはこう言われた。
「真中ゆり絵さんて、名前は優しそうで綺麗やし、見た目も綺麗なお姉さんやけど、気がきつそうやな。ヒデさん、結婚したら尻に敷かれるで」
「大学生でもそんな月並みな発想するんか。俺かて土佐の男やねんから、女の尻に敷かれっぱなしになんかならんのじゃ」
「そうかなぁ。そんなん言うてる奴に限って……」
「やかましい。結婚も決まってないのに」
「決まってないの? しっかりせんかい」
「うるさいんじゃ」
 中年のオヤジはこうだった。
「ヒデもやっと身を固めるんやな。よかったよかった」
「あのね、おやっさん、俺はまだ彼女と結婚するとは決めてません」
「はよお決めんかい。俺が彼女に話ししたろか」
「けっこうです。自分で言います」
 オヤジさんの妻である、ヒノデ電気のおかみさんも言った。
「結婚式の衣装はどうするの? 洋装? 和装? 東京にいてはる友達も呼ぶの? 結婚式はホテル? うちの知り合いのホテルがあるから、言うたげよか」
「……奥さん、気が早すぎます」
「さっさと結婚式場の手配もせんと、秋はシーズンやで」
「秋は早すぎます」
「早くせな」
 なんだって俺の周りの奴らは、こうも気が早いのだろうか。みんなに急かされると、俺までが焦りたくなるではないか。
 ヒノデのオーナー夫婦とその息子と、新之助は神戸での俺の身内のようなものだ。田舎であれば近所の人までが騒ぎそうだが、神戸は都会ではあるので、そこまでではないのが幸いで、となると、と俺は思う。
 田舎、俺の田舎。土佐。両親と弟と妹がいる。妹は結婚して九州で暮らしていて、弟は独身で高知の親元にいる。妹は三十になり、弟は二十七歳になった。
 俺が離婚してからは土佐にも寄りつかないようにしていて、現在でも高知には帰らない。けれども、両親や弟妹とは電話では話すようになっていた。母は、離婚なんて今どきは珍しくないんだから、英彦ももう一度結婚したらいいよ、と言っていた。
 離婚したからって親元にまで寄りつかなかったのは、俺のこだわりが強すぎたのだろう。あのころの俺にはフォレストシンガーズが大きなしこりになっていて、無関係なはずの親兄弟にまでこだわりを向けていた。
 近いうちには俺は、もう一度結婚すると、家族に告げられるのだろうか。そうするためにはユリにプロポーズしなくては。


 おしなべて日本人は京都が好きであるようだ。特に京都から遠く離れた土地に住む日本人には、京都好きが多い。京都の隣の大阪生まれの実松なんかは、こう言っていた。
「ほら、イギリス人がどことのう、アメリカ人を見下げてるて言うやろ。フランス人もアメリカを馬鹿にしとるて言うわな。あれに近いんかどうなんかは知らんけど、京都人は大阪人を馬鹿にしてる気がする。街中で漫才やってる大阪人とかいうてな」
「東京でもそう言われてないか?」
「俺の大阪弁を聞いただけで笑う女が、東京にはおるわな」
「ほんで、大阪人は京都をどう思ってる?」
「手軽に行ける観光地や」
 ふむ、なるほど、だった。
 実松とそんな話をしたのは学生時代で、俺たちの周囲には京都の人間はいなかったはずだ。合唱部や学部でも親しくもしていなかった奴の出身地のすべてを知っているのではないが、俺の友達には大阪人はいても京都人はいなかった。
 京都についての話しをした相手は実松だけなので、日本各地の人間にアンケートを取ったわけではない。が、京都好き日本人は多い。とりわけ女には多い。
 外国人についてはさらに知らないが、ある一日の数時間だけ俺の知り合いだったフランスの女は、日本人を馬鹿にはしていなかったのだろうか。小笠原英彦は馬鹿だとは思ったのだろうが、国際親善のためには……まあ、それはいい。
 四国の地方都市で生まれて育ち、大学は東京に行き、結婚してからは茨城県で暮らしていた俺にとっては、京都は敷居が高い気がしていた。大阪ならば雑駁な土地柄で俺の気質にも合いそうだから、暮らしていたこともあるのだが、京都で暮らそうとは思わなかった。
 神戸の人間は京都については大阪と同じ感覚しか持っていないと思われるのだが、尋ねてみると、ヒノデのオーナーの奥さんは言った。
「京都はそらね、おいしいもんもあるし、景色もええし、お花見に行くにはええよね。紅葉狩りもええし、雪の京都もええし、初詣もええわ。そやけど、神戸かてええやないの。なんていうたかて、神戸は異国情緒あふれるおしゃれな街やもんね。私かておしゃれなマダムやろ」
「はい、まあね」
 どこがおしゃれ? と問い返すと、話が長くなりそうなのでやめておいた。大阪人といえば身近に新之助もいるのだが、あいつに京都の話をすると、ユリさんとデート? だとか言ってにやつかれそうなので、そっちもやめておいた。
 それはともかく、ユリは関東出身だ。であるから、京都が大好きであるらしい。この次のデートはどこに行く? と尋ねたら、即座に答えが返ってきた。
「京都」
「きみはそんなに京都が好きなんだな」
「そうよ。もう一度、加茂の河原でヒデさんと語り合いたいわ」
「うん。いいけどな」
 ならば前回の泊りがけの旅行と同じで、今回も京都にしよう。俺はヒノデのオーナーに言った。
「あのね、言いにくいんですけど、土曜と日曜、休んでもよろしいか。えーと、実は……ユリさんにプロポーズ……」
「おー、そうか。ヒデの人生の大事な大事な日やな。休んでもええで。がんばってこいよ」
「はい。すみません」
 ばしーっと背中をどやされて、休みをもらった。
 ユリは土曜と日曜が休日なのだから、俺も休みを合わせないと一泊旅行にも行けない。今度こそはユリの気に入る宿を取って、プロポーズにうなずいてもらったら、特別な気持ちでの初夜だ。ユリと鴨川のほとりにすわり、俺は咳払いしてから言おうとした。
「ヒデさん、私にとってはいい知らせが東京から届いたの」
 だが、口を開く前にユリに先を越された。
「ヒデさんには言ってなかったけど、私は本社に戻りたかったのよ。神戸支社は小さな支社だけど、数年はそっちで我慢して、今度戻ってくるときには栄転だから、って、本社から転勤になったときに上司に言われたの。だから我慢してたの。我慢が実ったんだよ」
「そ、そうか」
「神戸も嫌いではなかったけど、私はやっぱり東京が好き。東京と較べたら神戸は田舎だもんね」
「そらそうかな」
「だからね、ヒデさん、短い間だったけどありがとう」
「それは?」
 別れると言うのか。言葉にできず、俺はユリを見返した。
「神戸も離れるとなると楽しかったな。神戸での最後のいい思い出ができた。ヒデさんのおかげだよ。ありがとう」
「礼なんか言うていらん」
「どうしたの? 怒った?」
 言うつもりになれば、離れて暮らすのであっても結婚しよう、と言える。けれど、それでは俺には意味がないのだ。ユリに東京に行くなと言うと、彼女は仕事をやめなくてはいけなくなる。そんなことをユリが承諾してくれるとは思えない。
 では、東京についてきてくれと言われたら? 東京には友達はいるけれど、俺だって仕事は大切なのだから、ヒノデ電気をやめて東京に行きたいとも思えない。
「怒りはせんよ。ユリさんとつきおうてた日々は、俺も楽しかったで」
「あら? 関西弁になってるね」
「気取るのはやめじゃ。ユリさん、最後に歌おうか」
「最後でもないでしょ? 秋の異動だから、もうちょっとはデートできるよ」
「もうええから、さよならしよ」
「そうなの?」
 さよならなんていやだ、と言うとも思ってはいなかったが、ユリは寂しそうな顔も見せずにうなずいた。
 
「今夜のお別れに
 最後の二人の歌は
 夏の夜を飾るハーモニー

 夜空をたださまようだけ
 星屑のあいだをゆれながら
 二人の夢 あこがれを
 いつまでもずっと想い出に

 真夏の夢 あこがれを
 いつまでもずっと忘れずに」

 ひと夏に二度もプロポーズを決意して、一度は口にして断られた。一度は口にする寸前。二度ともふられるとは、なんという悲しい夏だったのだろうか。ヒノデのオーナー夫婦や新之助や創始に、言わなければよかった。
 言わなかったとしてもユリは得意客なのだから、ばれてしまっただろう。言わなければよかったとは、今さら後悔してもどうにもならない。潔く諦めるまでだ。今夜の宿もキャンセルしよう。俺の真夏の夢は二度も、星屑の間に消えたのだった。


END

 
 
 


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