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小説169(Now, let's go)

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フォレストシンガーズストーリィ169

「Now, let's go.」


1

 イギリスは音楽の本場でもあれば、紳士服の本場でもある。紳士って誰が? ではあるのだが、美江子が服をプレゼントしてくれると言うので、ロンドンのジェントルメンズウェアの店についていった。
 大学生だったころにも、美江子は俺にたまにプレゼントをしたがった。たとえば、美江子の弟たちを我が家に泊めてやったときなども。
「本橋くんと乾くんって、お互いにバースディプレゼントをしたりするの?」
 美江子が楽しそうに、そう上手でもない英語で店員とやりとりをかわしているのを、突っ立ってぼーっと眺めていると、十八歳だった美江子の声が耳元に聞こえてくる気がした。
 そもそも俺は英語が得意とはいえないし、そもそも生まれつきファッションセンスってやつに恵まれていないのだから、いまだに私服はどうでもいい。服を選ぶのは美江子にまかせておこう。俺は思い出に浸ろうか。
「私もプレゼントしようか? ほしいものはある?」
 十八の冬。美江子はあのころ……あのころ、美江子が別れた昔の男は思い出したくないので封じ込めておいて、ふたりの会話だけを思い出していた。
「乾と俺がプレゼント交換だ? 気持ちの悪い。いらねえよ、おまえにだって」
「そうなの? つまんないな。素敵な服でもプレゼントしたかったのに」
「服なんかなおさらいらねえんだよ」
「そういうことだから……」
「そういうことだから、なんだって?」
「いいえ、いいのよ。そんならあげないよ」
「いらないよ」
 べーっと舌を出す美江子に、同じようなしかめっ面で応じておいて、あのとき、俺はなにを考えていたのだろうか。
 おまえはあいつにバースディプレゼントってのをもらったのか? 俺はゆかりと誕生日が来る前に別れてしまったけど、おまえはどうだったんだ? あいつに誕生日を祝ってもらったのか? あいつとふたりで……
 そんなふうに考えて、俺には関係ねえだろ、と退けたのだったか。俺はあのころ、美江子とあいつの仲を心の底ではどう考えていたのか。
 お互いにお互いの過去の恋、過去の恋人を知っているというのは、複雑な気分ではある。俺のかつての彼女たちは、誰ひとりとして身近にはいないが、美江子のかつての男がふたりも身近にいるのは、どうにもやりづらい。
 が、まあ、そんなことに拘泥する必要はあるまい。過去は過去さと笑い飛ばせばいい。美江子は今では俺のもの、俺だけのものなのだから。
「本橋くん、これ、どう?」
 うん、それでいい、と呟いたら、美江子がぼけっとした顔になった。
「試着してみなくちゃ」
「うん? ああ、それでいい」
 過去の思い出が現在の洋服の話しになって、俺は美江子が差し出したトレンチコートをまとってみた。
「ハンフリー・ボガードって感じか? 中折れソフトだっけ、ボルサリーノだっけ。そういう帽子をかぶってさ、くわえ煙草で……似合うか? こら、なにをげたげた笑ってるんだよ」
「いいえ、失礼。似合うよ。帽子も買う?」
「あいつらが……くそ、あいつらの感想なんぞ気にしてたら、俺はいつまでたってもセンスゼロの男だな。しかし……」
 あいつらがこの姿の俺を見てなんと言うか。美江子も笑っているのだが、うちのメンバーたちは大爆笑するのではなかろうか。
 鏡の中にはトレンチコートを羽織った俺がいる。乾は、幸生は、章は、この俺を見てどんな言葉を発するか。シゲはおそらく、本橋さん、かっこいいですね、と言ってくれるだろうが、あとの三人の論評が怖い。
 が、そんなことは気にしないと決めて、美江子のプレゼントをありがたくいただいた。帽子も買って、秋のライヴで着ようかと考える。フォレストシンガーズの面々になんぞ見せてやってもろくなことは言わないだろうが、ファンの方には受けるかもしれないではないか。


帰国すると楽しみが待っている。楽しみだとばかりは一概には言えず、怖い気もするのだが、フォレストシンガーズアニメDVDってのが完成しているはずだった。
 昨年、香川と名乗る男から電話があった。俺たちの大学の同窓生で、俺よりは三年年下。幸生と俺とは面識があると言う。俺は俄かには思い出せなかったのだが、自主映画製作サークルのもと主将だと聞いて、記憶が戻った。
 十年ほど前だったか、我が母校の自主映画製作サークルキャプテン、香川に依頼されて、幸生とふたりして大学を訪ねたのだ。売れないミュージシャンの日常生活を映画にしたい、との依頼だった。詳しく話を聞き、幸生と相談し、事務所の社長にも相談したあげく、映画出演は断った。
 その香川が、どう道を踏み違えたのか、卒業後はアニメ映画製作のほうへと進んだという。彼が言うには、フォレストシンガーズを主役にしたアニメDVDを作りたい。テレビ放映されるのではないのだが、DVDを作って販売したい。
 今回も俺は面食らったのだが、俺たちは直接関わる必要はない。名前とキャラクターを提供し、一応の完成を見たらチェックしてほしい、との話だったのだ。別段問題はなさそうだったので、社長にも相談した。
 社長も今回は異を唱えず、俺は承諾し、時折香川から電話やメールで、進捗状況の報告を受けていた。そのアニメの第一段階が完成し、美江子と俺が帰国するころには届くとの報も受けていた。
 ただひとつ、気がかりがあるのだが、DVDを見てから判断すればいい。イギリスから帰った翌日にはDVDが届き、美江子とふたりで早速、DVDレコーダーにセットした。完璧な完成品ではないのだが、オープニングアニメには我々の曲が使われている。絵柄も画像も美しい。
 三沢幸生作詞、本橋真次郎作曲、いくぶんコメディソングっぽい歌詞が、軽快なメロディに乗っている。チャールストンタッチにアレンジした「beautiful woman」は幸生のソロ曲で、おっかなくて綺麗な女を歌っている。
 これって山田か、と尋ねると、リーダーったら、やーね、と言ってから、声をひそめて幸生が教えてくれた。
「ちょこっとそうかも。きゃああ、美江子さんに言ったら駄目ですよ」
「言わねえよ」
「だけど、やっぱリーダーもそう思ってるんだね。山田なんか美人じゃねえよ、って言ってるくせに、ビューティフルウーマンって聞くと美江子さんを連想するんですよね」
 俺たちが結婚する前に幸生が書いた詞なのだが、あのころから俺は、美江子は美人だと思っていた。もっと前からそう思っていたが、口にしたくなかっただけだ。いまだに口にはしないが、美江子は二十代の時分よりも美しさを増した。
 本橋さんのおかげで美江子さんは美人度をアップさせた? などと言われると、美江子は怒るのだが、そんなところもあるのかなぁ、と俺は思わなくもない。だとしたら、まんざらでもない気分ではある。
 そうやって気持ちをそらしているうちに、アニメがはじまっていた。美江子とふたり、俺は真面目にアニメに見入った。
 最初のシーンはスタジオだ。顔立ちは美化してくれているようだが、体格はそのまんま。細くて背の低い幸生と章。章は髪が長く、幸生は髪が短い。中背でがっしりしたシゲ。細身でやや長身の乾。筋肉質で、五人の中ではもっとも背の高い俺。
 ファンの方もこの五人を見れば、説明なしでも誰が誰かはわかるだろう。キャラのルックスはまずは合格。声優さんも俺たち五人の声にぴったりの声質の男を使っていて、声も合格だ。
 話し声も歌声も低いシゲ。話し声は高く、歌声は高低自在の幸生。話し声も歌声もきわめて高い章。話し声は低めで、歌うと低くも高くもなる乾。話し声は低めで太く、歌うとその声がまろやかに伸びる俺。
 声優さんにも関わらず、五人の声を演じている男たちは歌も達者だ。俺たちほどの歌唱力はないが、本職の歌い手ではないのだから、そこは大目に見るしかあるまい。
 スタジオで歌の練習をしている俺たちの前に、女の子があらわれる。このキャラが気がかりと言えば気がかりな、架空の女の子だ。彼女はフォレストシンガーズマネージャー、山田ルイという。マネージャーがこんなに若いはずねえだろ、と言いたくなるような、見た目は十八歳くらいの美少女なのだ。
「若い女の子が出てこないと、お色気不足だからじゃないの?」
 美江子はそう言っていて、了解してはいたのだが、私は出てこないんだね、とも言っていたから、実は不満なのではあるまいか。三十代美女のマネージャーのほうがリアリティがあるってのに、色気なんていらないってのに。
 男五人のヴォーカルグループを主役にしたアニメに、なんだって色気が必要なんだ。買ってくれるのは俺たちのファンの方だろ? そうなると女性が主のはず。女性ファンはフォレストシンガーズに色気など求めていない。
 求めているとすれば男の色気であって、生憎、俺たちにはそんなものもないのだが、ファンの方にはわかっている。そんなアニメに、どうして美少女の色気を加えるのだろう。
 どうも俺は釈然としないのだが、ミニスカートを穿いたルイは可愛い女の子なので、見ていて心地よくはある。すんなりした脚を誇示して歩くルイに、俺は知らず目を奪われていたのだが、次のシーンで目を覆いたくなった。
 高いヒールの靴を履いたルイが、すってんころりところんだのだ。ミニスカートがまくれ、長い脚が逆さまになり、スカートの中が……なんなのだ、これは、と怒りたくなっている俺をよそに、アニメの幸生が悲鳴を上げた。
「きゃああっ、ルイちゃん、しっかりしてっ」
 慌てず騒がず、乾がルイに歩み寄って助け起こした。
「そんな靴を履いてるからだよ。仕事中に高すぎるヒールはよくないでしょ」
「だって、このほうが脚が綺麗に見えるんだもん。幸生さん、見た?」
「なにをでしょうか。なーんにも見てませんですよ」
「シゲさんは?」
「見てません」
「本橋さんは?」
 アニメを見ている俺も怒りそうになっていたのだが、アニメの本橋も怒っていた。
「見てねえよ。下らねえことを言ってないで、仕事しろ。馬鹿女」
「俺は見たよ」
 横から言うのは章だ。性格設定も俺たちらしいとは言える。
「ピンクのビキニ」
「章まで下らねえことを言うな」
 本橋が章をごちんとやり、乾は額を押さえて嘆き、シゲはうつむいて困惑顔。幸生はぷぷぷっと笑っていて、ルイは言うのだった。
「本橋さんったら、馬鹿女とはなによっ。章くん、見たものは忘れなさい」
「忘れられない」
 章が言い、俺も言った。
「馬鹿女だから馬鹿女だと言ったんだろ。仕事中にちゃらちゃらした格好しやがって。仕事のときには働く女らしい服装をしろ。マネージャーに色気なんていらねえんだよ」
 そうだ、本橋、おまえの台詞は正しい、と俺はアニメキャラの俺に同意し、アニメの本橋は重ねてなにか言おうとした。が、ルイは憤怒の形相になり、本橋を突き飛ばしてスタジオから出ていってしまったのだ。
「ありゃりゃ、リーダー、女性にあの台詞はないんじゃない? 乾さん、どうします?」
 幸生が言い、乾が応じた。
「仕事中なのは事実なんだから、放っておくしかないんじゃないのか。しかし、新しいマネージャーは大変そうだな。前途多難だよ。本橋、行くな。そっとしておけ」
「ああ、そうするしかないな。練習しようぜ」
 つまり、フォレストシンガーズに新マネージャーがやってきて、彼女が巻き起こす色気がらみの騒動がテーマってわけか。そこまで見て製作者の意図がおぼろげに読めたのだが、これでは俺には受け入れがたい。美江子に意見を求めてみた。
「軽く楽しく仕上がってるし、コメディタッチなんでしょ? いいんじゃないの?」
「おまえは腹が立たないのか?」
「あのマネージャーが山田美江子だったら腹が立つけど、ルイだからいいの。山田もやめてくれないかな。それだけは抗議したい」
「山田をやめて別名にしたらいいのか?」
「いいんじゃないの」
 あるいは、山田美江子が登場しない、そのことに怒っているのか。美江子の意図は読めないが、そこまでで続きを見る気は失せた。美江子も同意見だったようで、DVDを切った。


2

 歩道橋の上でギターを抱えて、マイクとアンプを使って歌っている若い男がいる。俺もむずむず歌いたくなってくる。
 若いころには、無名だったころにはやったものだ。暇を持て余してストリートミュージシャンをやっていても足を止めてくれるひともなく、ひとりで歌っていたら、地回りだかなんだかの男たちに因縁をつけられた。
「誰に断ってこんなところで歌ってるんだ?」
「ここは公共の往来だろうが。誰に断らなくちゃいけねえんだよ」
「ああ? 兄ちゃん、度胸がいいねぇ」
 にやにやと俺を眺め回す三人の男。あのころの俺は街中で喧嘩をしても、たとえそれで警察に引っ張られても、汚名を着るのは俺ひとりですんだ。あのときには三人の男と睨み合ってから黙って歩き出すと、そいつらもついてきたのだった。
 現代日本でもっとも喧嘩が強いのは、ヤクザと警官だと聞く。こいつらはヤのほうであろうから、いくらこの本橋真次郎でも、三人相手だと負けるかもしれない。負けると考えるのは癪ではあったのだが、事実は事実なのだから適当なところで足を速めて逃げたのだった。
 そんな昔を思い出しながら、若くてひょろっとした男の歌を聴いていると、デジャヴ感に襲われた。その男に話しかけた三人の男がいたのだ。
「寒いだろ、誰も聴いてもくれないんだから、兄ちゃん、帰ったほうがいいよ」
「金をもらってるのか? その空き缶にはなんにも入ってねえな」
「入ってたらショバ台としていただいていこうかと思ってたんだけど、ノーギャラでやってるおまえからは巻き上げられないし、帰れよ」
「とっとと帰れよ」
 男はギターを弾く手を止めて、怯え切った目で三人を見ている。こうなると黙っていられなくなって、俺はそこに口を出した。
「ここで歌うにはショバ代が必要なのか? こういう場所ではよくストリートミュージシャンがいるじゃないか。そういった奴ら全員にからむのか、おまえら」
「……なんなんだ、てめえ?」
 真っ黒なサングラスをかけているせいで、同業者だと思われたか。男たちはストリートミュージシャンに、とっとと帰れと言い捨てて逃げていった。
「帰らなくてもいいんだろうけど、あいつらがまたやってきたらやばいかもな」
「……あのぉ、顔をよく見せてくれません?」
「俺の顔か?」
 サングラスをずらしてみせると、彼が叫び出しそうになった。
「おっと、俺を知ってるとしても叫ばないでくれよ」
「も、も、も……」
「もももって言われるほどの男でもないけどさ、これだからな……」
「これって?」
「いいよ。ま、がんばれ」
 おそらくあいつは俺を知っている。ももも、本橋さんっ!! 本橋真次郎っ!! フォレストシンガーズのっ!! と叫びたかったのだろう。俺は彼に手を上げてその場から離れた。
 これだから、俺はもはや街中で軽率な行動はできないのだ。さしたる有名人ではないけれど、俺がどこの誰なのかを知っている人間もいる。売れるようになったら街でファンの女性にサインをねだられたり……などと夢見てにやけてみたこともあるけれど、実現するとそれはそれでつらい立場にもなるのである。
 ファンの女の子たちに取り囲まれてサインして、それだったらなんら問題はないのだろうが、地回りと口論していたりするとやばい。メディアのみならず、普通の人間の携帯電話での写真が、ブログにアップされて世界中に発信される時代なのだから。
 そうなりたかったのに、売れたら売れたで不平を言うとは、人間とは贅沢な生き物である。これはきっと、俺ひとりの感慨ではないだろう。俺以上に世間に顔を知られている者は五万といて、彼らはさらに苦労しているのだろう。
「も、ももも、待って下さいよ」
 ぼーっとしながらも考え事をしつつ歩いていると、うしろからさっきの兄ちゃんが追っかけてきた。彼は俺ほどの背丈で、学生時代の乾ほどに細かった。
「本橋さんですよね? フォレストシンガーズの?」
「うん」
「……俺の憧れの……」
「おい、こら、なんなんだよ」
 憧れのフォレストシンガーズと面と向かって言われたこともあるが、俺はそんな台詞やまなざしを向けられると恥ずかしくてたまらない。女の子の憧れの目線は心地よいのだが、男だと荒っぽく受け答えしたくなるのだった。
「俺はフリーターで、グループを組んでゴスペルを歌いたいんです。でも、仲間がいないんですよ。高校生のときからフォレストシンガーズみたいになりたいって憧れ続けて、仲間もいないんじゃどうしようもなくて……」
「そうだなぁ。うーん……おまえはいくつだ?」
「俺、健太っていいます。二十歳です」
 よく見れば整った顔立ちをしている。歌も下手ではなかった。
「俺もあまり知らないけど、たとえば、市井の合唱団とかってのもあるだろ。男声コーラスのグループみたいなのが、おまえの住んでる街にないか? 地域のタウン誌だとかに載ってないかな。そういうグループに入って仲間を探すって手もあるだろ」
 学生ではないのならば近場で探す道しかないかと、言ってみると健太は苛立った口調で応じた。
「俺の住んでるあたりのコミュニティみたいのはありますよ。男声合唱をやってるところにも行ってみましたけど、おじさんばかりだった。定年退職したサラリーマンぐらいしか、そんな時間はないんですよ。女性のほうは主婦ばっかだし」
「そうなのかもな。ソロってのは?」
「俺はフォレストシンガーズみたいなグループに入りたいんだ」
 ガキみたいに駄々をこねられても困るしかない。癖で殴りたくなってくる。憧れのフォレストシンガーズと言われると殴るわけにもいかなくて、ほとほと困っている俺に、健太は駄々をこね続けていた。
「うるせえ。黙れ。おまえがなんと言ったって、俺にはどうにもしてやれないんだよ。うだうだ言うな」
 とうとう怒鳴っているみたいな言い方になってしまい、健太はガキもガキもガキと言いたくなりそうな、とんがった口になって言った。
「本橋さん、よかったら俺んちにいらっしゃいません?」
「おまえんちか。襲うの襲われるのって話は……」
「俺にはそんな趣味はありませんし、俺が本橋さんを襲うだなんて、襲おうとしたって無駄でしょ。本橋さんって強そうだもん。フォレストシンガーズの記事を読んだりラジオを聴いたりして知ってるつもりだったけど、さっきの態度だって……」
「あれが俺の常の態度だけどな。だからさ、逆だよ」
「逆って? 本橋さんが俺を襲う?」
「誰がおまえを襲うんだよ。馬鹿野郎」
 馬鹿野郎なんて言葉は俺の口癖のようなもので、健太も気にしてはいないようだ。
 襲うの襲われるの? 相手は男なのだから、襲うといえば俺は殴りかかるほうを想像するのだが、そうではない襲う? 男が女を襲うように、男同士だってあるでしょ? と言ったのは誰だったか。思い出そうとしても思い出せないのだし、健太と俺ではあり得ないのだから、俺はうなずいた。
「おまえさえよければお邪魔するよ」
 連れられていったのはそこからはほど近い距離にあるアパートだった。
 部屋に一歩足を踏み入れて、俺はぎょっとした。一種壮観ではある。部屋が狭いからこそなのだろうが、俺の部屋だってこうもフォレストシンガーズ一色には染まっていない。
 棚にはCD、DVD、フォレストシンガーズファンクラブの会報、音楽雑誌も俺たちが登場するものなのか。壁にはフォレストシンガーズのポスターまでが貼ってあって、ライヴで売っていたフォレストシンガーズグッズのたぐいも満艦飾になっている。フォレストシンガーズTシャツも飾られていた。サイン色紙もあった。
「ここにもフォレストシンガーズの写真や記事が載ってるんですよ。時代劇ファッションの写真もありますよね」
「ああ、あったな」
「俺も十年ほど早く生まれて、フォレストシンガーズに入れてもらいたかったよぉ」
「おまえはおまえだろ。嘆くな。しっかりしろ」
「はい」
 しょぼんとはしていたものの、健太は古い音楽雑誌を棚から出しては見せてくれたり、コーヒーを淹れてくれたりもした。健太がギターを弾いて歌うのもじっくり聴いた。
「おまえのオリジナルか。女々しい詞だな」
「誰かが言ってましたよ。女々しくなくて男らしい男は、詞を書いたりしないんだって」
「そうかぁ?」
 言われてみればそうかもしれない。俺にも女々しい部分はおおいにあるのだろう。妙に納得していると、健太はギターを抱え直した。
「この歌、知ってますよね。12 STONES、LET GO」
「ああ、知ってるよ」
いつか章が教えてくれたので俺にも歌える、ロックナンバーをデュエットした
 
「I'm ready to let go.

 I feel so alone
 again
 I know that I need you
 To help me make it through the night
 and I pray
 That you believe in me
 You gave me my strength
 To face another day alone

 I need you now
 my friend
 more than you know
 when will we meet again
 cause i can't let go
 of you 」

let goとlet`s goは別の訳だったかな? 仕事として英語で歌ってもいる男が、年下の奴にそんな質問はできないが、近いはずだ。まるで逆の意味だったりはしないだろう。
 英語の歌詞は俺にはむずかしすぎるのだが、おまえが必要だ、さあ、行こうぜ、と言っているのではないか。健太にも、おまえはこの世界に必要な人間なんだと言ってやりたくて、上手には言えないので歌っていた。


 秋の全国ライヴツアーが開始した。
 美江子がロンドンでプレゼントしてくれたトレンチコートは、ステージでの芝居のような一幕で着る予定になっている。ボルサリーノ帽子も買ってある。小道具の煙草は幸生や乾が持っている。ライターはジッポ。
「ジッポって流行らなくない?」
 幸生が言ったのだが、流行っていなくてもいいのである。今回は乾のお株を奪って、俺が徹頭徹尾格好をつけるのだ。格好をつけて決まるかどうかは、ま、そのとき次第ってわけだ。
「そんで、リーダー、あのアニメはどうするんですか」
 章が言っていたが、あれはライヴツアー終了後に改めて考えよう。今はそれどころではない。
 あんなふざけたアニメではなく、この格好の俺が主役のハードボイルドアニメ……幸生の影響を受けそうになるのは、ステージの幕間に急いで着替えたトレンチコート姿がけっこうさまになっていると、俺だけは思えるからだった。
 他人がどう思うかなんて知らない。幸生は吹き出したいような顔、章はなにもコメントせず、シゲは似合います、と言い、乾はこう言ったが、問題はファンの方々であって、仲間の評価は気にしないと決めているのだから。
「決まりすぎててコメディみたいだな、リーダー」
「うるせえんだよ。似合うだろ」
「似合うよ。そういう格好をするとリーダーもかっこいいよね」
 皮肉八十パーセントだと思えるが、乾の言は気にしないと決めていたのだった。
 ステージ衣装のスーツの上にトレンチコートを羽織り、帽子をかぶって煙草をくわえて、街角にたたずむ男を演じる。客席からは、本橋さん、素敵、の声が聞こえていた。
「あ?」
 袖から出てきた白いドレスの女は、幸生? ファンのみなさまも察しているようで、ユキちゃんだー、の声も聞こえる。そんな演出はないだろうが、おまえは引っ込んでろと言いたかったのだが、幸生は俺にぴとっと寄り添って、胸に顔を伏せた。
「帰れよ。別れるって言ったろ」
 こうなれば俺も焦るわけにもいかないので、低い声で言った。
「女は邪魔なんだ。帰れ」
 それだけ言って煙草を捨て、足で踏みにじって俺は去っていく。無言でいた幸生演じる白いドレスの美女は、ステージのフロアにうずくまって顔を覆った。
 客席は拍手喝采。俺の声には焦りも含まれていてハードボイルドでもなかったかもしれないが、幸生は迫真の演技をしている。おまえには負けるよ、と呟くのは、俺の人生で何度目だろうか。そこでステージが回り、幸生が引っ込んで大慌てで着替えをはじめる。
 このあとも演出がある。健太と話したりデュエットしたりして思いついた、ささやかな演出だ。「Let go」はロックナンバー。章が熱望していて、やりたいと話し合ったりはしていたものの、実現はしていないロックライヴを、一曲だけにせよ本格的にやるのだ。
 イントロに乗って、ロッカーふうファッションに着替えた他の四人がステージに飛び出していく。章がシャウトする。そこにおもむろに、ハードボイルドファッションの俺が登場するのだった。
「あれ? 俺だけ場違い? なあ、章、俺にも歌わせろ」
 無視して章が歌い続け、俺も飛び入り参加みたいな形で、ひとり皆とは釣り合わないスタイルで歌うのだった。
「俺の相手役の女は、どこかの劇団の女優に依頼したんじゃなかったのか」
 アンコールもすませてすべてのライヴが終了すると、俺は言った。
「幸生じゃなかっただろ。美女とからめるって楽しみにしてたのに」
「いえね、美女は却下ってマネージャーからの厳命だったんですよ。だから、急遽代役を立てました。それが俺。ユキちゃんの美女もよかったでしょ」
「最初からそのつもりだったんだろ。おまえには台詞がなかったから、そこだけはよかったよ」
「台詞もやりたかったんだけど、マネージャーに許可していただけませんでした」
「マネージャーにも幸生にも勝てないよ。打ち上げに行こうぜ」
「ユキちゃん、白いドレスで行ってもいい?」
「着たかったら着ればいいだろ。ただし……」
 乾が横合いから言った。
「他人のふりをするからな。昔から何度も聞いた台詞だね。ユキ、あの格好で打ち上げに行く勇気はあるのか」
「んんと……すこし考えさせて」
「いつまででも考えてていいよ、ユキちゃん。一晩中考えてろ」
「ああん、乾さんったら、隆也さんったら、待って待ってぇ」
 健太と会ったあの日から、幾度も歌った「Let go」のメロディと歌詞が頭の中で繰り返されている。これも何度も何度も心に誓ったけれど、俺たちは今後とも「Let go」の精神で走り続ける。ライヴに来てくれるファンのみなさまがいる限り、フォレストシンガーズに憧れていると言ってくれる人々がいる限り。

END



 


 
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