番外編

番外編55(Yesterday)

 ←小説165(Dream on) →小説166(The blue cafe)
15e631f96675d18a.jpg

番外編55

「Yesterday」

1・幸生


 クラスで一番大きくて、勉強もできて意地悪な女の子がいる。エミちゃんっていうその子は、俺よりも十センチくらい背が高くて、がっしりした体格だ。小学校五年生は平均体重も身長も女の子のほうが上なのだそうで、クラスでもちびのほうの俺と、一番大きい女の子とだったら、すべてで負けるのはしようがないのだろう。
 しかし、悔しい。妹たちと闘って鍛えている俺の口でさえも、エミちゃんには勝てないのが悔しくて、俺は放課後になってから彼女の体育館シューズを持ち出した。
「でかい靴。俺の靴よりずーっと大きいじゃん。おまえって将来はでか足のでっかい女になるんだろ。でぶでぶ女になるんだよな。そんな女は彼女にしてやんねえよーだ」
 していらねーよーだ、とエミちゃんに言い返されそうな気もしつつ、俺は校庭のゴミ箱にエミちゃんの靴を捨てようとした。その手をうしろからつかまれた。
「誰?」
「その靴は誰のだ?」
 手をつかんでいたのは、見知らぬ男だった。先生にしては若い。大学生くらいに見える男だから、教育実習生なのだろうか。
「おまえのじゃないだろ。苛めをやってるんじゃないだろうな」
「苛められてるのは俺だよ。あんた、誰?」
「俺は乾隆也。おまえの名前は?」
「三沢幸生。五年生。あんたは何者だよ。小学校に入り込んできて女子の盗撮でもしようっていう変態? 先生に言ってやろっと」
「そんなんじゃないよ。俺はこの学校の卒業生なんだ。大学はまだ夏休みだから、遅めに帰省してるんだ。散歩してたら母校に入り込んだんだよ」
「ほんと?」
「本当だ。現校長先生が俺の小学校六年生当時の担任で、覚えて下さっていたよ。さっき、先生と話してきたんだ。疑うんだったら校長先生のところに行くか?」
「それは本当だとしても、卒業生が変態に成長して、母校だからってのを口実にして……うきゃきゃっ、なにするんだよっ」
「いいからこっちにおいで」
 手を引っ張られてゴミ箱の前から連れ去られていく。誘拐犯だーっ、と叫んでやろうかとも思ったのだが、俺にもクラスメイトの靴を捨てようとした引け目があるのだからして、おとなしくついていった。
「変に頭の回る子だな。俺はそんなんじゃないよ。誓う。信じてくれないのか」
「信じるけどさ」
「おまえのほうの事情は?」
「この靴? エミっていうデブデブ女がいてさ。この靴は俺と同じ年の女の子のものだよ。こんなでかい靴を履く女なんだから、どんな体型だかもわかるでしょ。そいつときたら、俺を迫害するんだよ。俺は口が達者で頭だっていいのに、そいつにはなんでも負けるの。あったま来るんだよ」
「その女の子に苛められた?」
「うん」
 苛められたエピソードをひとつずつ話した。
 牛乳嫌いの友達がいて、そいつの牛乳も俺が飲んでやろうとしたら、給食として出されたものは、自分で全部食べたり飲んだりしないといけないと、俺も友達もエミちゃんに怒られた。
 宿題を忘れて友達のを写させてもらっていたら、そんなのは卑怯だと言われた。
 体育の時間に男子と女子で鉄棒競争をしていたら、エミちゃんひとりに男子全員が負けて、女の子たちが大喜びしていた。
 相撲を取るとなって男子対女子の勝ち抜き合戦になったら、やっぱりエミちゃんひとりに男子全員が負けた。怒った男子のひとりがあとからエミちゃんのスカートをまくり、別の女の子が先生に言いつけて、男子全員が書き取りの宿題を追加された。
 ちょっとだけ好きな女の子に意地悪をして、俺がその子の帽子をひったくって走っていったら、エミちゃんに阻まれて突き飛ばされてころばされた。
 その他いくつもいくつも、エミちゃんに苛められたエピソードはある。乾さんは俺が話し終えるまで黙って聞いていて、それから言った。
「よく考えてみろよ。それってエミちゃんが悪いのか」
「……悪くない?」
「どっちかっていえば、どれもこれも男子が悪いんだろ」
「そうかな」
「苛められてないじゃないか」
「そう?」
 言われてよくよく考えれば、そうなのかもしれない。そうなのかもしれないけど悔しいものは悔しいので、口をとがらせていたら、乾さんは言った。
「エミちゃんって子は正義の味方なんだよな。おまえが苛めた女の子をかばったり、ちょっとした不正も許せなかったりする。学級委員なんだろ」
「そうだよ。勉強もできるしさ」
「女性ヒーローだな。男の子としては女の子に負けたら悔しいってのはわかるけど、かっこいい子じゃないか。スカートまくられたって自分では先生に告げ口はしないんだろ」
「そうだね。エミちゃんは誰かが悪かったら自分で注意するよ。先生には言いつけないみたい」
「そんな子に向かって、おまえ、なんて言った?」
「どれ?」
 いっぱい言ったので、どれがいけないのかわからない。それでももう一度よくよく考えてみたら、あれだろうか、と思い当たった。
「デブデブ? だって、あいつはでかくてデブだもん」
「たとえ小学生であろうとも、女性に向かってそういうことを言うんじゃない。その上に、彼女の靴を捨てようとしたんだろ。おまえのほうが苛めじゃないか。靴を返してこい。悔しまぎれにこそっとひとりで、デブって言うのは許せる範囲だけど、面と向かってはエミちゃんに言うなよ。女性にそんなことを言う男はもてないんだから」
「もてなくなるの?」
「当然だろ」
「乾さんってもてるの?」
「もてはしないけど、女性に失礼な言葉は言わないようにこころがけているよ。おまえももてたいのか」
「うん」
 そりゃそうじゃん。女の子にもてたくない男がいるの? そう思っていると、乾さんはがはがはっと笑った。
「うん、気持ちはわかるよ。女の子にもてたかったら、男にはこころがけておくべき事柄がたくさんあるんだ」
「教えて」
「自分でひとつひとつ学んでいけ。今日はその一端だけは話したんだから、こころがけたほうがいいよ。靴は返しておけよ」
「うん、そうする」
 父ちゃんに訊いたらもっと詳しく教えてくれるだろうか。おまえにはまだ早い、って、頭をごっちんとされるだろうか。
 背の高いお兄さんは俺に片手を上げてみせて、元気に大きくなれよ、と言い残して歩いていった。あのひとってお説教好きみたいだけど、かっこ悪くはないんだからもてるんだろう。俺も大きくなったらもてる男になろう。
 九月になると日が短くなってくる。放課後の校庭には人の姿はほとんどなくなっていて、エミちゃんの靴を返してこようと教室に向かっている俺の影が、長く伸びていた。


2・國友

 神社の境内にはあちらこちらに賽銭箱が置いてある。僕がひとりで遊んでいたら、お詣りをしていた知らないおばあさんが、お賽銭を投げてから行ってしまった。ふっとそちらを見ると、お金は賽銭箱に入らずに、地面に落ちている。
 してはいけないことなのはわかっていたが、僕はそのお金を拾ってしまった。落ちているお金ではなくて、地面にあってもお賽銭なのに、おばあさんが神さまに捧げたものなのに、手を伸ばせば拾えたからこそ、拾ってしまったのだ。
 お金を拾って神社から逃げ出して、うちに持って帰るのは怖かったから、お菓子屋さんでチョコレートを買って食べた。お金はお菓子に変わって僕のおなかに消えた。誰にもばれはしない。
 でも、僕のおばあちゃんやおじいちゃんはいつも言っている。悪いことをしたら神さまが見てらっしゃるんだよ、神さまのバチが当たるんだよ、って。お賽銭を盗んだ僕を神さまが見ていて、バチを当てられるんじゃないだろうか。
 しばらくは怖くて、神社にも遊びにいかないようにしていたのだが、バチなんかは当たらない。僕には友達が少ないし、公園や広場に行っても仲間はずれにばっかりされるから、静かな神社でひとり遊びをするのが好きだ。
 だから僕は、また神社に行った。ふらふらとお賽銭を盗んだ賽銭箱に近づいていくと、今日もお金が落ちていた。ふらふらと手を伸ばした僕は、今日もお金を拾ってお菓子を買った。
 残るものは買いたくない。お金のまんまで持っているのも怖すぎる。だったら盗まなかったらいいものを、悪いことってのは妙に美味で、幾度か僕はそんな悪事を働いた。するたびに罪悪感が募って、三度、四度とやっていると、僕は犯罪者だ、こんな僕は僕が大嫌いだ、との思いに打ちひしがれそうになっていった。
 なのに、神社に行くと賽銭箱に吸い寄せられる。最初の日のおばあさんなのだろうか。あのひとはお金を賽銭箱に上手に入れられなくて、落としてばっかりいるのだろうか。だから僕はここに来るたんびに落ちたお金を見つけてしまって、盗みをやってしまうんだ。おばあさんが悪いんだよ。
 おばあさんのせいにしてみても、気持ちが軽くなるはずもない。五回目くらいにお賽銭を盗んでしまった僕は、泣きそうになりながらもいつものお菓子屋さんに行った。
「坊主、安くてうまくて腹のふくれるお菓子ってないか」
 お菓子屋のおばちゃんは買いものにくる子供たちには、値段はいくら、くらいしか言わないのだが、話しかけてきたお兄さんがいた。
「俺もおやつを買いにきたんだけど、金がないからさ。安くて嵩があって食いごたえのあるやつがいいんだよ。おまえのおススメはどれ?」
 これ、と示した大きな袋のお菓子を買ったお兄さんは、僕と一緒に店から出た。
「坊主、なんて名前?」
「……えーっと……クニ」
 名前はあまり言いたくなかったのだが、大人に質問されているのだから、答えなくては失礼だろう。背が高くて色の黒いお兄さんは、怖そうにも見えた。
「クニか。俺はヒデだよ。高知の生まれだけど東京の大学に通ってて、学校をさぼってひとり旅してるんだ。おまえは小学生か」
「はい。五年生」
「東北の子だけあって色が白いんだな。俺が黒すぎるのか。色が白いか黒いかはどうでもいいんだけど、なんだかこう、おまえがおどおどしてるように見えたんで声をかけたんだ。お菓子を買うのにびくついてるってどうしてだ?」
「びくついてなんか……いません」
「そっかぁ? お菓子を買いたいから小遣いくれって言って、母ちゃんに駄目だって言われて、財布から金を盗んできたんじゃないのか。俺もガキのころにはやったよ」
「やったんですか」
「やったやった」
 すっごく悪い子供ではないか。僕はびっくりしてしまったのだが、ヒデさんは楽しそうに言った。
「小学生のときにはおふくろの財布から金をかっぱらって、友達におごってやったんだ。一回目はばれなかったから味をしめちまって、二回目でばれて、一ヶ月間小遣いなしにされたんだよ」
「……そうなんですか」
「なのにさ、中学のときにもやった。あんときはすぐにばれて、おふくろに泣かれたよ。私はおまんをそんな不良に育てた覚えはないきに、って泣かれたから、それからはやらなかった」
「中学生のときって、なにを買ったんですか」
「マンガの本。おまえもやったのか? やったんだとしても、そのくらいはたいていの奴はやってるんじゃないのかな。泥棒のはじまりでもあるのかもしれないけど、二度としなかったらいいんだよ。そうしょぼくれるな」
「僕はもっと……ううん……」
「もっと悪いことか?」
 ちょうど神社の前に来ていたので、僕は神さまにも打ち明けるつもりで、ヒデさんを境内に誘った。あのお賽銭箱のところで、僕は言った。
「あそこにお金が落ちてるでしょ。また落ちてるんだ。あれをね……僕は……」
「あれを盗んだ? そらいかんちや」
「ちや?」
「土佐弁だよ。うーん、まあな、いけないよな。そりゃあいけない。だからって、俺だって近い悪さはしたんだから、おまえに説教もできないよな。これで許してくれますか」
 ヒデさんは財布を取り出し、千円札をお賽銭箱に入れた。
「おまえのその顔を見てたら、常習の悪ガキじゃないってのはわかるよ。俺にだってわかるんだから、神さまだったらよーくわかるだろ。今日もやったのか」
「はい」
「返しておけ」
「はい」
 今日はお菓子は買っていなかったので、僕も賽銭箱にお金を入れた。
「二度とするなよ。そんなはした金で胸が痛んで、泣きそうにもなるんだから、お菓子を買って食ってもうまくなかっただろ」
「はい」
「はした金って問題でもないんだよな。賽銭箱に入れようとして人が投げた金ってのには、その人の想いがこもってるんだろ。俺が言っても説得力ないからこのへんにしておくけど、ま、簡単に言えば、おまえの胸が痛んだのは、神さまのバチを当てられたって意味だよ」
「これがバチ?」
 はじめてお金を盗んでから、僕の胸はずっとずっと痛かった。なのに何度もやってしまったのだけれど、ヒデさんに会えてよかった。ヒデさんも子供のころにはお母さんのお金を盗んだ。僕はそんなことは一度もしていないけれど、絶対にやらないでおこう。
「ヒデさんって、神さまのお使い?」
「俺が? 俺はお使いでもパシリでもないきに。ねぇ、神さま? 怒ってないんでしょ?」
 これだけで許してもらっていいんだろうか。神さまに手を合わせて、ごめんなさい、ごめんなさい、と心で言っていると、涙がどんどん出てきた。
「僕は……僕は……大きくなったら不良になりません? このくらいで許してもらったりしたら……そんなのって……」
「おまえの気がすまんのやったら、これでええか」
「え? いったーいっ!!」
 ごっちん、と頭を叩かれた。それでかえって涙は引っ込んだのだが、痛いよぉ、と見上げると、ヒデさんは大きな口を開けて笑った。
「男だろ。これしきで痛いって騒ぐな。二度とするんじゃないぞ。俺も悪さはしないでおこう。神さまはなんでも見てるんやきに」
「あのね、お母さんやお父さんには言わなくていい?」
「言わないほうがいいと思うよ。おまえが言いたいんだったら言ってもいいけど、ガキのころのちょっとした悪さなんてのはさ……ね、神さま? そうでしょ? うん、クニ、神さまもそれでええて言うとるきに。じゃあな、またな、うーん、俺もさっさと帰って勉強するべきか。さぼってばっかりおったら落第やぞ、って、神さまは言うてますか? 見逃してぇ」
 ひとりごとを言いながら、ヒデさんは行ってしまった。あれって土佐弁? 高知県の言葉? 僕は生まれてはじめて聞いたはずだが、かっこよかった。
 お金がないと言っていたくせに、僕のために千円もお賽銭をあげてくれたヒデさん。僕が大きくなってからヒデさんに会えたら、あのお金を返そう。僕もお小遣いをもらったら、盗んだお金を神さまに返そう。返したからって罪は消えないだろう。ちょっとした悪さなんかじゃないと僕は思う。
 だけど、大きな悪さと較べれば、小さいほうの悪事なのかもしれない。それでもこんなに胸が痛くて悲しくて、僕が僕を嫌いになりそうになったのだから、本当の本当に、悪いことは二度と絶対にしないでおこう。


3・章

 生まれたときからひとりっ子で、このままひとりっ子でいるのだと思っていたら、母が言った。
「章、来年には赤ちゃんが生まれるんだよ」
「赤ちゃん? 母さんが生むのか?」
「母さん以外の誰が生むの?」
「げーっ。いい年して赤ちゃん生むって、信じられねえよ。俺は赤ん坊の面倒を見る手伝いなんかしないからな」
「そんなにいや? やきもち妬いてるの?」
「やきもちなんか妬くかよっ。うげげのげっ」
 この親不孝息子がっ、と声が聞こえて、父がげんこつをふりかざして走ってきた。俺は裸足で庭に飛び出し、必死になって逃げた。
 両親そろって口うるさくて、父はげんこつつきで怒ってばかり。母は心配ばかりしている。それというのも、俺がひとりっ子だからか。世話の焼ける赤ん坊が生まれたら、俺がなにをしても目にも入らなくなっていいのかもしれない。
 そうなったら俺は不良になってやろうか。だけど、稚内で不良になるったって、国道沿いのファミレスだとか駅前の居酒屋だとかカラオケボックスだとかでたむろしているのがいいところで、かっこ悪いったらありゃしない。
 弟か妹が生まれたからといって、不良になったりしたら、赤ん坊にやきもちを妬いていると母は思う。それも癪だ。不良になる以上に面白いことはないのかと思うのだが、なーんにもないのだ。このド田舎には。
 来年には俺は中学生になって、その前には赤ん坊が生まれる。うるさい父とうるさい母に、泣いてばかりいるうるさい赤ん坊が加わるのか。うっとうしい、家出したい。
 家出したって行くところもないだろ。俺は一生、稚内に埋もれているしかないのか。そんなのいやだ。俺は北海道から出ていって、でっかいものをこの手につかみたい。そうは思っていても、でっかいものってなんだ? と問われたら、さあ、なんだろ、としか答えられないのだった。
 まだ小学生だもんな。これから俺の手に入れたいものを探そう。裸足で家を飛び出してきたので、靴を取りに戻ってから、俺は遊びにいった。
 遊びにいくったって、繁華街すらろくにない。行くのは駅前のゲームセンターだ。ちっこいゲーセンにも稚内の不良がいるので、ちびの俺はからまれると危険だ。どうせ金もないので中には入らず、店頭のUFOキャッチャーで遊んでいた。
「章くん、なにやってんの?」
 声をかけてきたのは、近所の中学生のアケミだった。
「見たらわかるだろ。遊んでるんだよ」
「一緒にプリクラ撮らない?」
「そんなの、無駄な金だろ」
「あたしがおごってあげるからさ」
「おごってくれるんだったら撮ってもいいよ」
 プリクラを撮るための狭い密室に入ると、アケミは言った。
「お金がほしいよね。章くんだってほしいでしょ」
「そりゃほしいさ。だけど、小学生や中学生がどうやって稼ぐんだよ」
「万引きしたものを売ったら、ちょっとは稼げるルートがあるんだって。やってみる?」
「てめえ、俺を不良仲間に引き入れようと……やだよっ」
 不良になりたいと考えたこともあるくせに、いざ誘われると怖くなる。プリクラもやめて密室から逃げ出した俺に、アケミが罵り声を浴びせた。
「勇気ないんだから。弱虫、意気地なし」
「いいんだよ。俺は犯罪はやりたくねえの」
 こんなんじゃ不良にもなれないよな、と考えながら、バスターミナルまで走ってくると、そこにも知り合いの女がいた。
「章くん、どこ行くの?」
「歩いてるだけ」
「一緒に歩いていい?」
「いいけどさ、おまえ、どこかに行くんじゃなかったの?」
「いいのいいの。章くんと歩けるほうがいいもん」
 同じクラスのハルナだ。俺は気がついたらもてるようになっていて、女の子が寄ってくる。都会の小学校がどんな規模だかは知らないが、稚内の小学校は児童の数も少ないのだろう。だからこそ、木村章は学校では目立っていて、下級生の女の子までが俺を見物しようと教室を覗きにくるのだ。
「田舎ってほんと、わずらわしいよな」
 そのへんも匂わせて俺が言うと、ハルナは言った。
「でも、私たちの学校って稚内駅からだって近いし、稚内の中では大きいほうだよ。北海道の田舎のほうだったら、子供の数が十人もいない、バスは一日に一本しかない、そんな村だってあるんだもんね」
「そこまでの田舎と一緒にすんな」
「章くんは都会に行きたいの?」
「行きたいけど、都会に行ってなにをすりゃあいいわけ?」
「それは自分で決めなくちゃ」
 ド田舎小学校の優等生ハルナは、姉さんぶった口調で言った。
「私も都会に行きたいな。大学は札幌がいい」
「大学か。大学生になるから都会に出るっての、アリなんだよな。俺は東京の大学に行きたいよ」
「東京? そっかぁ。東京のほうがいいよね。私も東京に行く。章くん、一緒に行こう」
「いやだよ。俺は東京に行ったら、美人の女子大生の彼女を作るんだ」
 急にしょぼっとして、ハルナはうつむいた。
「章くんだったらハンサムなお兄さんになるんだろうから、美人の彼女だってできるかもね。私は章くんが好きなのに……」
「俺はおまえなんか好きじゃねえよっ!!」
 町の真ん中で告白をはじめるつもりか、と焦ったのもあって、大声で言ってハルナを突き飛ばした。ハルナは道にすわって泣き出し、俺はまたまた逃げようとしたのだが、どこかの男に道を阻まれてしまった。
「おまえが泣かせたんだろ。泣いてる女の子をほったらかしにして逃げるのか」
 かっこよくはないのだが、都会的で背の高い男だった。怖い顔で見下ろされて、俺は言った。
「こいつが勝手に泣いたんだよ。俺は知らないよ」
「章くんが好きなのに、って聞こえたぜ。小学生だろうに、もてるんだな」
「俺はもてるんだけど、なんでもてるんだろうね」
「はあ? 俺が知るかよ。泣いてる女の子をほっぽって行くような奴がもてるってのは……小学生だとそんなもんか。うん、そうだな」
 そいつは俺をじっと見て、うなずいた。
「おまえ、ガキのくせして綺麗な顔をしてるじゃないか。だからだろ。綺麗な顔をした男は女の子にはもてるんだよ。ガキってのは上辺しか見ないもんな。さ、立って」
 身をかがめて手を差し出した男に立たせてもらったハルナは、立ち上がって俺の足を蹴飛ばしてから走っていってしまった。
「いてて……こらっ、ハルナ、待てっ!!」
「学校の友達か。家は近いのか」
「近いけど……くそくそ。あいつ、明日学校で会ったらぶん殴ってやる……いてっ!! なんであんたが俺を殴るんだよっ」
「女の子を殴ったりするな」
「あいつが先に俺を蹴ったんじゃんよ」
「たいしたことじゃねえだろ。いいからやめろって。章、俺はまだ昼メシを食ってないんだよ。ハンバーガーでも食うか。おごってやるよ」
「うん、そんなら行く」
 ハンバーガーショップもあるのだから、北海道のさらにド田舎よりはましなのかもしれない。けれど、俺はこんな雪だらけの土地に埋もれていたくない。この男はどこから来たのだろう。都会なんだろうな、いいな、と思いながら、ふたりで近くのバーガーショップに行った。
「俺は東京から遊びにきたんだよ」
「稚内に? こんなところ、なんにもないだろ」
「宗谷岬だってあるじゃないか。日本最北端の地だろ。択捉ってのもあるけど、一般の人間には行けないもんな。俺は学生時代に、日本の最東端、最西端、最南端、最北端を踏破したくて、休みになると歩いてるんだ。最北端には秋までには来ないと、来られなくなっちまうもんな」
 最北端は俺の住んでいる町から近いと知っていたが、他は知らない。本橋と名乗った男が教えてくれた。
「最南端は沖の鳥島。東京都小笠原村だ。最西端は沖縄の与那国島。最東端は小笠原村の南鳥島。南鳥島には住民はいないんだけど、気象庁や海上保安庁や海上自衛隊の施設があって、職員や隊員が数十名、駐在してるんだよ」
「へええ、詳しいんだね。西も東も小笠原なんだ」
 小笠原という地名には聞き覚えがあるが、東京都になるとは知らなかった。
「そうだよ。東京っていっても島や村もあるんだ」
「ふーん。島や村だと田舎?」
「俺も全部は知らないけど、都内とだったらずいぶんちがうんだろうな」
 コーラとフライドポテトとハンバーガーを買ってくれて、本橋さんはそんな話をいくつもしてくれた。
「俺は地理が好きで、僻地ってのも好きでさ、東京っ子には暮らしにくいかもしれないから、旅人として行ってるだけの、軟弱者さ」
「稚内も僻地?」
「ここは僻地じゃないよ。僻地でハンバーガーは食えないだろ」
「そうかもね。俺は田舎なんか嫌いだ。都会に行きたいよ」
「そうなのかもしれないな」
 学校の話や家族の話しを、問われるままにしていたら、来年生まれる赤ん坊の話しにもなった。
「すると、十二歳年下の妹か弟か。妹だったら可愛いだろうな」
「可愛いのかな。赤ん坊なんて面倒だとしか思えないけど、妹だったとしたら弟よりはいいかもしれないね」
「俺は弟って立場なんだけど、妹だったらほしいよ。弟ってのはおまえみたいなガキなんだろうから、いらないぜ」
「俺もあんたみたいな兄貴だったらいらないけどさ」
「減らず口を叩くガキだな。そういう奴がもてるのか」
「もてるんだもん」
 けっ、とか言っておいてから、本橋さんはにっこりした。
「生まれたら可愛がってやれよ」
「弟だったら……」
「おもちゃにすんなよ。おまえは俺の兄貴たちみたいにでかくはないし、力も強くはないだろうけど、赤ん坊よりは強いんだからさ」
「当たり前じゃん」
 おもちゃにはしないけど、弟だったら可愛がってやろうとも思わない。ただ、両親の目が赤ん坊に向いて、俺への心配や干渉を減らしてくれるのだけを期待していた。
「それよりも、俺は都会に行きたい。東京に行きたいよ」
「東京に行かせてもらえるように、親を説得しろよ」
「行けたとしても、なにをすればいいの?」
「自分で考えろ、馬鹿野郎」
 馬鹿野郎とはなんなんだよっ、とは思ったのだが、そうなのだろう。自分の道は自分で考えなくちゃ。東京の大学に行くという目標だけはできたのだから、次はなにをしたいのか考えよう。俺には赤ん坊どころじゃない。弟でも妹でもどっちでもいいから、俺の邪魔になるなよ、と言いたかった。


4・彰浩

 姉と弟がいる男は、最強なのだそうだ。テレビで学者が言っていたのだから、まちがってはいないのだろう。姉に甘え、弟を支配する。上には甘え上手で、下にはいばっていられるから、であるらしいが、本当なのだろうか。
 僕には姉と弟がいるのだから、大人になったら最強の男になれるのか。しかし、今のところはまったく最強なんかじゃない。ふたつ年上の姉はえらそうにしているし、ふたつ年下の弟もえらそうにしている。姉と弟が仲がいいので、真ん中の僕は貧乏くじばっかり引かされている気分だ。
 そして、僕の将来は寺の坊主と決まっている。京都の寺の長男として生まれたのだから、そうなるのが当然だと、みんながみんな思っている。最強の男ってのはサラリーマンとしてらしいから、寺の坊主はどうなるねん、と言いたかった。
 昔は寺の住職さんなんてものは、くりくり坊主に頭を剃らないといけなかったらしい。今日びは坊主頭にはならなくていいので、それだけはよかった。
 中学生だって昔は坊主頭にならなくてはいけなかった。僕が進学する予定の中学校は野球部でもなければ丸刈りを強制はしないので、それもよかった。だけど、小学校六年生の若い身空で、坊主頭にならなくてよかったね、だけがいいことだなんて、僕は悲しい。
 夏休みのノルマとしては、姉は境内の掃除、弟は境内の植物の水遣り、僕は廊下の全部の雑巾がけ。お手伝いなんてなーんにもしなくてよくて、宿題さえやっていればいい境遇の同級生のほうが多いってのに、寺の子は不幸だ。しかも、長男だからって僕がもっともノルマが厳しいではないか。
 文句を言っても仕事はしなくてはいけないのだから、さっさと済ませて井戸に冷やしてあった西瓜を引き上げた。大きな西瓜が上がってくる。重くて落っことしそうになっていたら、知らないお兄さんが手を貸してくれた。
「きみには大変だろ。取ったりしないから、半分持ってあげるよ」
「うん、ありがとう。お兄さん、どっから来たん?」
「東京からの観光客で、大学生の本庄繁之って言います。近くの民宿に泊まってて、朝の散歩に来てお寺の中を見せてもらってたんだよ。無断で入ったらいけなかった?」
「ええよ。門は開いてたでしょ」
「かまわなかったんだよね。ああ、よかった。広いお寺だよな」
「うちなんか、京都の寺としては別に大きいほうでもあれへん」
「そうなのかな。きみはこのお寺の息子さん?」
「うん、長嶺彰浩」
 お寺の長男となると、お坊さんでしかない名前をつけられる場合もあるらしい。僕は普通の名前でよかった。
「朝からお手伝いしてるんだね。えらいな」
「寺の長男に生まれた身の因果やねん。本庄さんも西瓜、食べる?」
「うまそうな西瓜だけど、そんな、悪いよ」
「悪くない。手伝ってくれたお礼や。うちは家族は五人やけど、修行中の若い坊さんとかもおるから、西瓜は冷蔵庫にも入ってるんやで。農業もやってる檀家からいっぱいもろたから、他にもいっぱいあるねん。食べよ」
「いいんだったらご馳走になるよ。喉が渇いたし、暑いもんな。京都って暑いよな」
「底冷えの冬、火あぶりの夏」
「って言うの?」
「僕がつけた京都の気候」
 西瓜を運び込むと、母が六つに割ってくれた。お客さんには慣れている両親も本庄さんを歓迎して、姉も弟も父も母も、みんなで西瓜を食べた。
「本庄さん、近くを案内したげるわ。お母さん、お父さん、遊んできてもええやろ」
 両親はええよと言ってくれ、ついてきたがる弟を追い払って、本庄さんとふたりで外に出ていった。京都の夏はものすごく暑いのだが、僕の家のあたりには木陰が多いのですこしはしのぎやすい。ふたりともに麦藁帽子をかぶって、いろんな話をしながら歩いた。
「彰浩くんにも姉さんがいるんだね。俺にもいるんだよ。俺の故郷は三重県だって言っただろ。俺は大学は東京に出て、姉は名古屋に行って、卒業して名古屋で働いてるんだ」
「お姉さんってえらそうにしてる?」
「してるよ。きみの姉さんも?」
「メッチャえらそう」
「そうなんだ。でも、きみには弟もいるんだからいいじゃないか。きみは弟にはえらそうにしてるんだろ」
「弟も僕にはメッチャえらそうや」
 まあ、なにもかもが寺の息子に生まれた身の因果だ。門前の小僧、習わぬ経を読む、という言葉があるのだそうだが、僕は父から習っているのだから、お経だって読める。ぶつぶつと唱えていると、本庄さんは笑って言った。
「小学生でも抹香臭いってのか……臭いって失礼だな、ごめん」
「ええねん。よう言われるから」
 さすがに坊主の息子、抹香臭い、と誰かに言われたこともあるから、意味は知っている。抹香ってなんだったかな、線香? と本庄さんが呟いているので、教えてあげた。
「シキミの葉や皮を粉にした褐色のお香や。ええ匂いやで」
「その抹香の匂い……」
「抹香の匂いがするから、仏教臭いって意味やね」
「そうか。さすがによく知ってるな」
「寺の息子としては常識やんけ」
「ごめんな。俺はなんにも知らないんだよ」
 お寺だらけのうちの近所を歩いていくと、しゃれたカフェがある。最近できた観光客向けの店に、本庄さんが連れていってくれた。
「この店って女の子が好きそうだな。きみと俺だと似合わないんだろうけど、アイスコーヒーが飲みたいよ。きみもなんでも好きなものを注文していいんだよ」
「抹茶パフェ」
 注文するものにも抹香の抹がついているのだが、僕は抹茶味が大好物だ。根っからお寺の息子なのだろうか。京都の子なのだろうか。
「抹茶ってけっこう東京でも流行ってるよ。でさ、きみは抹茶以外に好きなものってある?」
「本を読むのは好き」
「ああ、それでなんでも知ってるんだね」
「なんでもは知らんけど、うちには古い古い本もあるから、本はいっぱい読んでるで。それから、音楽も好き」
「お経ミュージック?」
「そんなんあるん?」
「いや、冗談だよ」
 面白くもない冗談を口にしてから、本庄さんが歌ってくれた。

「Yesterday all my troubles seemed so fay away
 Now it looks as though they're here to stay
 Oh I believe in yesterday
 Suddenly I'm not half the man I used to be
 There's a shadow hanging over me
 Oh yesterday came suddenly
 Why she had to go I don't know she wouldn't say
 I said something wrong now I long for yesterday
 Yesterday love was such as easy game to play
 Now I need a place to hide away
 Oh I believe in yesterday」

 この歌だったら聴いたことはある。古い歌だ。両親が好きな歌だった。
「ビートルズのイエスタディ? 僕も歌いたいな。歌詞の意味は?」
「この歌詞はいろいろに解釈できるらしいんだよ。俺は英文和訳なんて得意じゃないけど、昨日、過去ってのをなつかしんでるのかな」
「ふーん、昨日ってなつかしい?」
「過去となると、きみの過去はちっちゃな子供なんだから、きみにはまだわからないだろ。俺だってまだ若いんだから、実感としてはわからないけど、過去、昨日ったって……うん、なつかしい昨日もあるよ」
 僕にはなつかしい昨日や過去なんかはない。かわりに未来ってやつがずーっとずーっと先まである。僕の人生はやっとはじまったばかりだ。
 そして何年も何十年もたって、僕がお寺の住職になり、若いころを振り返ってみれば、なつかしい昨日や過去が見えるのだろうか。父の跡を継いで坊主になるのは決まっているとしても、それまでには楽しい昨日を作っておきたいな、と思う。
 たったの十二歳でこんなことを考えるから、僕は抹香臭いのか。だけど、抹香まみれで生活しているのだから、しようがないのだろう。
「本庄さん、歌が上手やね。歌手になったら?」
「歌手? 俺のこの顔で?」
「顔は関係なくも……ないんかな。なりたい?」
「歌手か……なれるものならなりたいけどさ……」
「そしたら僕が、お経を唱えて歌手になれるように祈ってあげるわ」
「お経って効果あるのか? うん、でも、お願いします」
 効果があるのかどうかは知らないが、お経に想いを乗せて唱えた。本庄さんの夢も僕の夢もかないますように。僕の夢は、そうやな、さっきも考えた、楽しかった昨日や過去をたくさんたくさんこしらえてから、坊主になること。それしかないやん、将来は決まってるんやから。

END

 




スポンサーサイト


  • 【小説165(Dream on)】へ
  • 【小説166(The blue cafe)】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【小説165(Dream on)】へ
  • 【小説166(The blue cafe)】へ