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小説163(好きさ好きさ好きさ)

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フォレストシンガーズストーリィ163


「好きさ好きさ好きさ」

1

 無理が通れば道理が引っ込むって言葉があるが、まーったくこのおっさんときたら、俺たちはヴォーカルグループだっての。楽器は演奏しないっての。
 なのに、本橋さんと乾さんがどれだけ説得しようとつとめても聞く耳を持っていない。それではお客さんが納得しない、の一点張りで、ごり押しを通そうとするのだ。
「あんたたちは音楽家なんでしょうが。楽器のひとつやふたつ、なんとかなるでしょうが。楽団を連れてきてないってんだったら、自分たちで演奏できるんでしょうが」
「ですからね」
 何度言わせるんだ、と小声で呟いてから、本橋さんは黙ってしまった。乾さんだけがおっさんの説得を続けていて、シゲさんと章と俺は、小さな町の体育館の床にすわり込んでいた。
「ア・カペラで歌います、と最初にことわったはずです」
「アカポラ?」
「アカペラです」
「赤いぺらぺら?」
「さっきから何度も何度も説明してるじゃありませんか。ア・カペラとは無伴奏という意味です。我々の歌の手法のひとつです。ア・カペラでお客さま方に満足していただきますから」
「しかしねぇ、そういうのでお客さんが喜んでくれるんだったら、あんたらはもっと売れてるんじゃないの?」
「……それを言われると、返答のしようもなくなるんですが」
 売れるってのはなぁ、そんなに単純なもんじゃないんだぞ、と啖呵を切ってやりたいのだが、俺がしゃしゃり出るわけにはいかない。こういう折衝は先輩ふたりの仕事だ。
「私ゃまた、ア・カペラっつう楽団の名前かと思ってたよ。だから、ああそうですか、って言ったんだ。伴奏もなしで歌うだなんて、そんなふざけた話は聞いたことがない」
「町長さんは聞いたことがなくても、我々のようなグループにしろ、ソロのシンガーにしろ、ア・カペラは珍しくないんですよ」
 関東の片田舎の、鄙びた町の町長さんがこのおっさんだ。町のなにやらの記念日だとかで、その記念式典に町長自らが歌手を呼ぶと決定した。低予算で呼べるグループをとでも言ったのか、売れない俺たちが選ばれた。呼んでくれたのはありがたいが、田舎者の年寄り町長はなんにも知らない。乾さんも説得に骨を折っている。俺は章に言った。
「こんな町、俺はたった今まで存在も知らなかったぞ。地図にも載ってねえんじゃねえの?」
「たった今までーってか、来ると決まって詳細地図を調べてみたら、町の名前は載ってた。俺も知らなかったけどな」
「載ってるのか」
「そりゃそうだ。日本国内の町長もいる町なんだから」
「とんでもねえ町長じゃん。ア・カペラぐらい知ってろっての。普通は知らないもんか?」
「知らないひともいるだろ」
「歌には伴奏が必須だと思ってるんだよ。町長さんは演歌しか知らないんだったりしてな」
 つつっとそばに来たシゲさんも言った。
「カラオケにも伴奏があるもんな」
「こういうもんです、って歌ってみせようか、幸生?」
「歌ってみたら、素晴らしい、それでやってくれ、ってなるのか」
「ならないだろうな。ねぇ、本庄さん?」
「だろうね」
 延々とそんな話をしてるのは時間の無駄だよ。俺たちのやりように文句があるんだったら帰ります、って席を蹴ろうよ、ってさ、そんなことが言える身分に早くなりたい。乾さんはなおも説得を続けようとしたが、本橋さんが言った。
「楽器はあるんですか」
「中学校の音楽室にあるよ」
「それでは、我々がセルフ伴奏もやります。ピアノはあるでしょう? ギターもありますか」
「ある」
 振り向いて、本橋さんは俺たちに声をかけた。
「乾と章はギターだ。幸生はハモニカ。俺はピアノ。いいな?」
「ハモニカだったらやります」
「シゲは?」
「えーと、俺は、本橋さんも知っての通り、楽器は苦手なんですけど、ピアノとギター二本とハモニカですか。リズムセクションがありませんね。ドラムやベースってあるのかな。シンセなんかはないんですよね」
「ベースギターは中学校に置いてる。この町の中学には軽音楽クラブがあるんだ」
 町長さんが言い、シゲさんはうなずいた。
「俺はベースをやります。やったことはないんですけど、一晩特訓すればなんとかなります、なんとかしてみせます」
 ごり押しに押されまくってうっちゃられた俺たちは、変型アンサンブルを組む羽目になったのだった。
 田舎町にはオーケストラなどいない。いたとしても、今日の明日で伴奏はできないだろう。楽器を調達するなり、俺たちの伴奏をしてくれた経験のあるバンドを呼ぶなりのために、東京に戻る時間はない。記念式典は明日の夕刻からだ。
 近く見えて道のりの遠いこの町と東京を往復していては、式典に間に合わなくなる恐れもある。明日はピアノを体育館に運び出してもらう手筈を町長にしっかり依頼し、俺たちは中学校の音楽室に集まった。
 マネージャーの美江子さんは、明日になってからこの町に来る予定になっている。今夜は明日にそなえて早寝するつもりだったのに、楽器の特訓となると徹夜もあり得る。俺はハモニカだからいいとしても、他の楽器は大変だ。
「エレキギターはあったけど、ろくなアンプがないよ」
 章が言い、乾さんも言った。
「ギターは数本あるけど、どいつもこいつもチューニングが目茶目茶だ。弦が切れてるのもある。どうにか使えそうなのを選んできたけど、チューニングに時間がかかるよ」
「ピアノも調律がなってない。シゲ、先にベースの練習しとけ」
 ピアニストの本橋さんが言い、俺はハモニカを持ってシゲさんの特訓につきあうことにした。ベースギターではなくでっかい楽器だ。コントラバスってやつではないか。
「俺が口でベースやったほうがよくない?」
「そしたらおまえは歌えなくなるぞ」
「ハモニカ吹いてても歌えませんよ」
 ギターだったら俺も弾けなくはないのだが、ギターの達人ともとロッカーがいるのに、俺の出る幕はない。ハモニカだったら歌わないパートで吹けばいいが、ヒューマンビートボックスはずーっとやっている必要があるはずだ。
「俺はどうにかなりますよ。シゲさんは大丈夫なの?」
「やるしかないだろ」
 あのクソ野郎、と町長を恨みたい気分だったが、俺たちを専門外の楽器で苦労させている張本人は、さっさと家に帰って今頃は高いびきかもしれない。
「なんの曲でやってみる?」
「最初は簡単なやつな。FSの歌ははじめっからでは俺には無理だ。小学唱歌あたりだったら、譜面がなくてもなんとかなるだろ」
「ひええ、徹夜だね」
「覚悟してるよ」
 こうなったら俺も覚悟を決めるしかない。
「いっとうはじめは、「花」でもやりますか」
「春のうららの隅田川、だな。うん、そんならやれるだろ」
 最初のうちはシゲさんの刻むリズムがつっかえた。俺のハモニカと調子が合わない。俺もつられて狂う。どうしようもなかったのだが、シゲさんは弱音を吐かなかった。
「おまえは器用だな、幸生。ハモニカも達人じゃないか」
「こんなもん、小学生だって吹けるじゃん」
「吹くだけだったら俺にも吹けるけどな」
 「花」は格好がつくようになった。時間もないので続いて俺たちの持ち歌をふたりで合わせていたら、ギターの音が聞こえてきた。ようやくチューニング完了であるらしい。乾さんがリードギター、章がサイドギター担当となり、時おり章はいたずらするように、エレキっぽくギターを唸らせたりした。
 ピアノの調律も完了した様子で、本橋さんが旋律を奏でる。まずは指ならしか。ロマンティックで甘美なメロディはリストだった。
「すげっ」
 嘘でしょ、と言いたくなるほどすごい。俺は本橋さんのピアノはめったと聴かせてもらえないのだが、玄人はだしってのか、ピアノでメシが食えそうだ。ハモニカでは合わないので、俺は口笛で本橋さんのピアノを追っかけた。
「よし、弾ける。幸生、おまえ、なかなか詳しいな」
「それって、超絶技巧練習曲ってやつじゃ?」
「前奏曲だ。プレリュードだ」
 プレリュードにしたってさ、ど素人には絶対に弾けないよ。本橋さんってこの外見の底に、果てしなく深い泉でも持ってるんだろうか、俺が悩んでいると、乾さんが軽い調子で言った。
「久し振りにシンちゃんのピアノを聴いたな。腕は錆びてないよ」
「錆びてるよ。しかし、んなこと言ってる場合じゃねえだろ。俺がやるって言っちまったんだが、おまえらもやるんだろ」
 乾さんは言った。
「こうなりゃ俺たちにも意地ってもんがある。やるさ。な、おまえら?」
「やりますよ。おーっ、えいえいおー」
 こころなしか元気のない鬨の声を上げると、章もつきあってくれた。
 夜を徹して楽器の練習をした。本橋さんと乾さんと章は、もともとピアノやギターは得意だ。フォレストシンガーズ、略称FSの俺たち自身の曲を演奏するのは慣れていないだろうが、勘はじきに取り戻せる。俺はハモニカなのだから楽だ。問題はシゲさん、シゲさんは歯を食いしばってリズムセクションと闘っていた。
 エレキベースではなく、コントラバスなので、ロッカーだった時期のある章にもアドバイスできないらしい。シゲさんはあくまでも弱音は吐かなかったが、時間がたつにつれて頬がこけていき、声までが弱々しくなっていった。
「すんません、俺、下手くそで。それにしたってなんでみんな、そんなに楽器までうまいんですか。俺たちはミュージシャンだって、時々乾さんや本橋さんが言いますよね。ミュージシャンじゃなくてシンガーじゃないのかなって、俺は思ってた。同じ意味で言ってんのかなとも思ってました。そうじゃなかったんだな。章も幸生もだけど、四人とも胸を張ってミュージシャンだと自称して下さい。俺はただのシンガーです」
「シゲさん、いっつもあんまり喋らないのに、今夜はよく喋るじゃん。そんだけ元気があったら大丈夫だよ。続き、やろうぜ」
「待て、幸生」
 シリアスな顔をして、乾さんが言った。
「俺はドクターじゃないけど、シゲにドクターストップをかける。これ以上やったら駄目だ。シゲが歌えなくなったら元も子もない。コントラバスの特訓で声が出なくなったら本末転倒じゃないか。ベースはなくてもいい。リズムセクションが必要だなんて、あのおっさんにはわかってもいない。コントラバスなんてものは、素養もないのに演奏できやしないんだよ。このままじゃシゲが倒れるぞ」
「そういやぁ、顔がげっそりしてきてる」
 章が不安そうに言ったが、シゲさんはかぶりを振った。
「やりますよ」
「駄目だ。リズム楽器がないなんて誰にも気づかれないほどの歌をうたう。悪かったな、シゲ、最初からそうしておけばよかったんだ。おまえは休んでろ」
「乾、そんなにもか?」
「シゲは体力があるから、今んところはまだ大丈夫だろ。でも、ここまでだ。シゲ、素直に俺の言うことを聞け」
「……そうですか。わかりました」
 こんな片田舎にはコンビ二すらないのだ。ふと思いついて、俺は職員室に入っていった。今どきいないのかと思っていたが、当直の先生がそこにはいた。
「あのぉ、お茶かなんかありませんか」
「ああ、音楽室で練習してる方々ね。お茶でしたら持っていきますよ。気がつかなくて申しわけありません」
 中年の男先生は愛想よく言い、やかんを持って俺のあとからついてきた。
「シゲさん、脱水症状起こしてない? 以前に章がそれで倒れたでしょ? お茶を飲んだら楽になるんじゃないかな。こちら、浜崎先生です。お茶を持ってきてくださいました」
「どうもありがとうございます」
 全員でお礼を述べると、浜崎先生はコントラバスを見て言った。
「僕は昔、この楽器をやってたんですよ。なつかしいなぁ。どなたか、コントラバスを演奏なさるんですか」
 先生の問いに、乾さんが答えた。
「むずかしいようですね、コントラバスって。シゲが、彼が挑戦してたんですけど、とても無理のようです。気持ちの上で張り詰めすぎたのか、ダウン寸前になっちまってますよ」
 体力はあるシゲさんだけど、楽器ってそんなに神経使うんだ。俺は楽器の特訓なんぞしたこともないからよくわからないけど、本橋さんや乾さんや章には実感があるんだろう。俺はハモニカにしておいてよかった。
「楽器はなんでもむずかしいですよ。ハモニカだって道をきわめようとしたら困難でしょう」
「道をきわめるつもりはないから、俺はそんなでもないんですけどね」
 お茶を飲んだシゲさんはひと息だけはついたようだったが、肩で息をしている。そんなにも疲れたのだろう。シゲさんは真面目そのものだから、いい加減にものごとをあしらえないひとだから。
本橋さんも、だらしない、とか、情けない、とかは言わなかった。ピアノの練習に根をつめて、こんなふうになった経験があるのかもしれない。
 浜崎先生がコントラバス経験者なんだったら、明日は弾いてもらいましょうよ。俺はそう言いかけたのだが、考え直した。
 経験者だとしても、数時間で俺たちの歌をマスターできるわけないじゃん。そんなんだったらないほうがいいよ。乾さんが言ったように、お客さんに感嘆してもらえるほどの歌がうたえたら、リズム楽器はなくてもいい。俺たちは演奏を聴いてもらうグループではなくて、歌で聴衆を魅了するグループなのだから。
 魅了してるんだったらもっと売れるんじゃないの? って、町長さんはそのような台詞を口にしていた。あのね、それはそうなんだけど、とにもかくにも、歌で魅了するってのが俺たちのポリシーなんだから、あんたは引っ込んでな、って言ってやれたら、どんなにかすーっとするのに。
 とにもかくにも、俺たちだけでもセルフ伴奏の練習しなくっちゃ。シゲさんは申しわけなさそうにしていたが、なんとかなる。いいや、なんとかしてみせるんだ。


2

 来年の三月になれば二十歳になる、そんな年だったのだから、大学二年生だったある日だ。
「ベサメムーチョ」
 そのタイトルを聞いた乾さんは、俺に顔を近づけてきた。俺は二歩、三歩と後退した。
「その声でベサメムーチョを歌うのか、おまえ、正気か」
「俺はいつもいつでも正気です」
「ベサメムーチョの意味は知ってるか? 大人の歌だぞ」
「俺もそろそろ大人です。来年は成人式です」
「成人式ねぇ。成人式は大人の儀式だな」
「そうでしょ? ベサメムーチョの意味か。よくは知らないけど、タイトルを日本語にしたら「もっとキスして」なんですよね。まるで今夜が最後であるかのように、そばにいてほしい……そんな内容の歌詞で、ラテンの名曲」
「ふーん、おまえって案外……」
「いいじゃないか、乾、歌いたいんだったら歌わせてみろ」
 本橋さんが言い、よし、歌え、と乾さんも言った。
 一年生の冬の日に、好きだった女の子が逝ってしまった。
 だが、若いってのは立ち直りが早いってことで、ときおり胸がちくちく、じくじく、はしていたけれど、暗黒面がだんだん遠くなっていき、やっぱり俺には歌だよな、女の子よりも歌が好き、とはいえないまでも、疑いようもなく歌が好きだ、と再認識していた。
 そんなある日、本橋さんと乾さんに呼び出されて、得意な歌をソロで歌ってみろ、と命令されたのだった。部室にはピアノがあり、その前に本橋さんがすわっていて、乾さんがギターを抱えていた。乾さんはギターをかき鳴らし、言った。
「俺が伴奏してやるよ。歌ってみな」
「わっかりました」
 さまざまなアレンジで、さまざまなシンガーがこの曲を歌っている。ラテンバンドやムードミュージックバンドも、インストゥルメンタルの演奏をしている。ガキみたいな声、と言われる俺の声にはふさわしくない、と乾さんは言いたいのだろうけど、けっこう上手なつもりだった。
 けっこう上手って、俺はそのレベルだろうけど、乾さんのギターはけっこう、どころじゃないな。すっげえ上手だな、と感心しながら歌った。目を閉じて聴いていた本橋さんは、俺の歌を聴き終えると、自らも歌い出した。
 むむっ、やっぱこっちのほうがうまい。ちゃんと大人の歌になっている。本橋さんが半分歌うと、乾さんも歌った。最後はふたりでコーラスになった。リハーサルはしていないはずなのに、息がぴったりだった。
「……負けました。わかりました」
「けど、おまえのもなかなかのもんだったぞ。なぁ、シンちゃん?」
「意外にも意外にも、だったけどな。おまえは歌うと大人びた声も出るんだな」
「よしよし、合格」
「なにが合格なんですか?」
「追って沙汰するによって、しばし待て」
 時代劇か? 乾さんっていくつだ? 俺よりふたつ年上なだけなんて嘘だろ。口には出さずにそうやってぶつぶつ言いつつ、帰っていいぞ、と言われて帰った。その数日後、またまた本橋さんと乾さんに呼び出されて部室に行くと、今度は本庄さんと小笠原さんも来ていた。
「年の暮れのカウントダウンコンサートに、うちの合唱部に出てくれって依頼があったんだ」
 本橋さんが口にしたのは、大学からほど近いホールの名前だった。
「全員で合唱もやる。本庄、小笠原、三沢にももちろん出てもらうんだが、他にも仕事がある」
「五人でコーラスをやろう」
「俺も?」
「そうだよ、三沢、だから呼んだんだ」
 つまり、先日のベサメムーチョはそのテストだったってわけか。乾さんがうなずくと、本橋さんが楽譜を取り出した。
「コンサートのための曲を乾が書いた。俺が作詞をやってるんだが、おまえたちは作詞作曲はどうだ?」
「俺は苦手です」
「シゲは苦手か。ヒデは?」
「俺は作曲のほうが得意、っていうか、作曲だったらできなくもないです」
「三沢は?」
「俺はどっちもできますよ。作詞は大好きです」
「そうか。そんなら、乾?」
「ん?」
 乾さんと本橋さんはしばらく相談し、やがて本橋さんが言った。
「五人でのコーラス、コーラスといっても、乾と俺がリードヴォーカルをやって、コーラスでまとめるって形にしたいんだが、一曲は俺と乾で作る。あとの一曲をヒデと三沢で作れ。こういうのはオリジナルのほうがぐっとインパクトが強いんだ」
「ただし、下手な曲だったらポピュラーソングのほうがましだぜ。おまえたちがろくでもない曲をこしらえたとしたら、即座に却下。既成の曲に変更する。そのつもりで作れ」
 は、はい、としか言えなかった。
「楽しみにしてるぞ」
 ったってねー、作詞も作曲も経験はあるけど、どっちもできます、と豪語したほど自信はない。俺は小笠原さんにこっそり言った。
「俺は作詞担当にしてもらえません?」
「いいよ。俺は作曲のほうがいいもんな」
 そしてまた時がすぎ、小笠原さんが完成した曲を見せた。
「……ソウルバラードって感じ? うひゃひゃあ」
「三沢、すっとんきょうな声を出すなよ」
「俺はこんな声だもーん、って……これに、俺が、詞をつける?」
「できないのか」
「……やります」
 そのあとしばらくの俺は、生みの苦しみで脂汗をかきまくった。
「東京特許許可局……ちがうっての」
 生麦生米生卵もちがうし、オブラディオブラダじゃ盗作だし、こらー、引っ込んでろ、とそのあたりのフレーズを怒鳴りつけてみても、青パジャマ黄パジャマだの、となりの客はよく柿食う客だ、なんていう早口言葉が飛び出したがる。俺は禿げるのではないかと思うほどに頭をかきむしり、苦吟し続けた。
「お内裏さまとお雛さま、ふたり並んで澄まし顔……ちがーう」
 なんだってこう、意味なしフレーズばっか出てくるんだよぉ。
「きみは僕の可愛いフルーツ、優しい笑顔で僕を見つめて、そしたらきみを食べちゃうから……これは昔書いた詞。こんなの駄目。えーい、引っ込め」
 果てしなくひとりごとを言いまくっていると、おまえはなににつけても黙ってできないのか? と先輩たちに怒られたのを思い出した。
「だってね、本橋さん、黙ってると考えがまとまらないんですよ」
 喋ってるほうが考えはまとまらないんじゃないのか?
「そんなことないんだなぁ、本庄さん。俺は本庄さんとは頭の構造がちがうんです」
 どうちがう?
「どうちがうんだろ。ひとことでは言えないんだけど……もうっ、小笠原さん……別のほうへ頭を回さないといけないようなことを言わないで下さいよ」
 徹夜なんかしたらますます頭がぼけるだけだぞ。寝て起きて改めてやったらどうだ?
「寝たら思いついた歌詞がみーんな消えちゃいますよ、乾さん」
 架空の会話をしながら頭をひねり続け、ひねりすぎて頭の中がメビウスの輪と化した。そんな日々が続き、ようやく歌詞が完成したのだった。

「生まれて間もない、僕らのこの魂
 若すぎるって言ってるのは誰?
 恋をするには早すぎる
 生命を賭けるには早すぎる
 他にすることがあるだろって? 

 だけどだけどだけどだけど
 手遅れになったらどうするの?
 今すぐ走り出さなくちゃ
 時間切れになったらどうするの?」

 あれほど苦吟したわりにこの程度かよぉ、とも思ったのだが、開き直って先輩たちの前で歌った。アレンジは自己流で、ア・カペラで歌ってみたら、乾さんがギターで追っかけてくれた。
「……とまあ、こんななんですが、みなさま、いかがでございましょうか」
 恐る恐る尋ねると、乾さんが答えた。
「バラードっぽい歌詞じゃないけど、アレンジ次第では悪くないんじゃないかな。シゲはどう思う?」
「三沢の詞のうしろに、コーラスとして別の歌詞をつけて、なんつうのかな……こんな感じで……」
 生まれて間もない、にかぶせて、たとえば、たとえば……歌詞が出てこないけど……と本庄さんは苦悩の表情を浮かべている。乾さんが引き取って言った。
「熱く熱く激しく……とか?」
「こんなふうか。三沢、もういっぺん歌え」
「はい」
 生まれて間もない、と俺が歌う。本橋さんと乾さんが、低い声と高い声で絶妙の合いの手を入れる。バックにふたりのコーラスが、熱く熱く激しく、とかぶさる。僕らのこの魂、には、燃えたぎって、猛って……とかぶさる。これって効果的じゃん、と俺が驚いていると、小笠原さんが感嘆の声を上げた。
「三沢の歌詞だけのときと、全然ちがってますね。シゲ、いいぞ、おまえの提案」
「俺のは提案ってほどでもないけど」
「よしよし、じゃあ、補作は乾な。乾がバックの歌詞を書いてつけ足すんだ」
「OK」
 とりあえず俺も合格? よかったよかった。即刻却下されないだけでもよかった。
 カウントダウンコンサートでの五人コーラスも好評のうちに終了し、合唱部全体での打ち上げのあと、五人で二次会をやった。
 そしてまた数日後、俺の人生を大きく変えた、本橋さんの言葉があったのだった。
「本来だったら俺たちは、とうに就職も決めて、合唱部からも足を洗ってる時期なんだよな。こいつらはいつまで暢気にやってるんだって、おまえたちも不思議だったんだろ。やろう、五人で歌おう。ヴォーカルグループを結成してプロになるんだよ」
 その言葉で、俺たちフォレストシンガーズが誕生したのだ。小笠原のヒデさんは脱退してしまったが、かわりに章が参加した。
 艱難辛苦と呼ぶには生ぬるかったのかもしれないが、果てしなく長い道を五人で突き進み、ここまで来た。俺が大学を卒業した年に、フォレストシンガーズはメジャーデビューした。
 しかし、である。
 今日も今日とて完璧寝不足の目をこすりこすり、ステージに立つ羽目になった。どうにか演奏は形になったし、そもそも俺はハモニカだから楽なのだけど、シゲさんはげっそりしているし、あとの三人も疲労困憊の色がありありしている。夕刻からのステージのために仮眠はしたものの、その程度で疲れは取れない。
 けれども、俺たちは若いんだ。燃えてるんだ。疲れなんて吹っ飛ばして、ちっぽけなステージでも完全燃焼してみせる。
「そうなの。大変だったね。でも、みんな、気魄で乗り切ってよ。やれるよね?」
 到着した美江子さんにはっぱをかけられ、全員でえいえいおーっ、とやった。そうはいっても大丈夫? と俺は危惧していたのだが、舞台にピアノが設置され、本橋さんがピアノの前にすわり、乾さんと章はギターを抱え、俺はハモニカを手にステージに立つと、背筋がしゃんと伸びた。
「みなさま、ようこそいらっしゃいました。フォレストシンガーズです」
 げっそりしていたはずのシゲさんも、横目で見ると元気を取り戻しているように見える。リーダーの自己紹介がはじまった。
「本日は普段とは変則的に、と申しましても、みなさまは我々の普段をごぞんじないと思いますが……」
 まばらに笑い声が起きた。
「普段は我々は歌に専念してるんですが、町長さんのたつてのご希望によりまして、自己伴奏をするはこびとなりました。リードギター、乾隆也」
 ようこそ、と乾さんがお辞儀をしたが、拍手もまばらだった。
「サイドギター、木村章」
 盛り上がらない。章もお辞儀をしているが、俺に同感、と言いたそうだった。
「ハモニカ、三沢幸生」
 俺は進み出て、大声を張り上げた。
「レディスアンドジェントルマン、ショーとは楽しむためにあるのです。楽しんでくださいね」
 反応もまばら。本橋さんはちらっと苦笑いして続けた。
「ベース、本庄繁之。彼は楽器は手にしていませんが、彼自身の声がベースです」
 シゲさんも深々とお辞儀。観客の数はそれなりなのだが、あまりにも反応が薄い。
「そして、我らがリーダーでもあり、ビアニストでもあります、本橋真次郎です。みなさま、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
 乾さんが高らかに告げ、本橋さんが礼をしても、どうしたって客席は沸かない。そんな中、歌も伴奏も精一杯盛り上げた。俺たちは精一杯やっても、なにせ無名の身の哀しさで、観客のみなさまは乗って下さらない。
 疲労困憊はかけらも窺えないほどに、演奏も歌もばっちりだよ。みなさまはこれほどのステージを見てるのに、全然感動もしてくれないの? そりゃないよぉ、と嘆いてる場合じゃない、しっかりしろ、がんばれ、ユキちゃん。
 いつかいつかいつかいつか、いつやってくるのかわからないいつかを信じて、俺たちは歌い続けるしかない。虚しい、なんて考えたら、この中にもきっと何人かはいるはずの、フォレストシンガーズっていいなぁ、と感じてくれているお客さまに失礼ではないか。
 きっとそんなひとはいる。きっといつかが訪れる。本橋さんも乾さんも、シゲさんも章も信じてるよね? 熱唱しつつそう問いかけてみると、みんなしっかりうなずいてくれた、と俺には信じられた

 あのころから何年がすぎた? 俺は……俺たちは……あのころに夢見た地点へと到達したのだろうか。うん、到達はしないまでも、近づいてきてるよね、一歩、また一歩と。


3

 休日である。暇である。
 ナンパでもしにいこうかな、ってさ、俺ももう三十二だぜ。いつまでもガキみたいにナンパしてる年でもあるまいし。
 近くデビュー十周年記念日を迎える、我らフォレストシンガーズも最近えらく売れてきて、街を歩いていても、三沢さん、きゃっ、フォレストシンガーズの三沢さんだっ!! と女の子に言われて、追っかけられたりするようにまでなってきたのだから。
 そうなるのは俺の夢のひとつだった。だが、そうなってみると、不自由でもあるのだと実感するようになった。昔のように自由にほっつき歩いてナンパなんぞできやしない。
 いっそビジュアル系のあべこべをやって、化粧して歩くか? いやいや、俺が化粧すると女の子には引かれそうだ。シゲさんちの広大が大きくなったら、広大の背中に隠れてナンパのやり方を伝授してやりつつ、俺もおこぼれに預かるってのは? 
 バッカじゃねえの、ユキちゃん? そのころてめえはいくつだよ? なーんて、自分で自分を叱りつけていると、電話が鳴った。
「はいはーい。留守でーす」
「……幸生、おまえはまだそんなことをやってるのか」
「あらら、ヒデさん? ヒデさんはシゲさんたちと旅行じゃなかったの?」
「帰ってきたんだよ。泉水ちゃんもいっしょだ。ちと事情があって、シゲが早く帰りたいって言うきに……早めに切り上げて帰ってきた。実松一家は仙台に残し、本庄一家は東京に帰り、俺は泉水ちゃんと大阪に来た。おまえも休みなんだろ。大阪へ来ないか」
 やや長めの夏の休暇に、シゲさんは恭子さんと広大を連れ、実松さんも奥さんと娘さんを連れ、ヒデさんと泉水さんも加わって、団体旅行で仙台に行ったのだとは知っていた。
 本橋さんも奥方の美江子さんとともにイギリス旅行だ。乾さんも章も、誰と行くのか知らないが、海外に旅行すると言っていた。俺は面倒なので東京に残り、ただただぐうたらしていたのだ。ヒデさんもシゲさんからそうと聞いて、俺に声をかけてくれたのだろう。
「事情って? 恭子さんとシゲさんが喧嘩でもした?」
「さかさまだろ。シゲと恭子さんは変わらず熱々や」
「そうでしょ。俺なんかいっつも当てられてるんだよ。あのひとたちに限っては、倦怠期も恋の終わりもないんだよね。さかさまの事情? すると……ご懐妊ですか」
「内緒にするもなにも、おまえには負けるで」
「ヒデさんが俺に勝とうなんて、百年どころか一万年早いんじゃない?」
「勝手に言うとけ」
 内緒にしておけ、俺が発表する、とシゲさんが言ったのかもしれないが、このユキちゃんにはそんなものは通用しない。どっち道、みんな日本にはいないのだろうから、国際電話をかけてまで報告するほど、俺も酔狂ではないが。
「じゃあさ、大阪見物につきあってくれるの? 俺も当てられそうだけどさ」
「俺たちは当てたりは……来るんか来んのか、はっきりせえ」
「はい、参ります」
 どうせ暇だしさ、当てられるのも慣れてるしさ、ってわけで、俺は大阪に赴くことにした。
 メジャーデビューしてから約十年、大阪には数多い思い出がある。酒巻とたこ焼き、弥生さんとお好み焼き、ロックギターと水垢離、お笑い芸人さんとテレビ、ひっかけ橋と自転車、新幹線と甘いキス、シゲさんと女性の紅涙、エトセトラエトセトラ。
 それとこれってどうつながるんだっけ? である思い出もあるのだが、まあそんなことはどうでもいい。生まれてから乗るのは何度目になるのかさえ忘れた新幹線に乗って、俺はヒデさんと泉水さんの待つ大阪へと駆けていった。
 大学を卒業したばかりの年に、ヒデさんはフォレストシンガーズを脱退した。それから再会したのは、俺が三十になった年だった。本橋さんと美江子さんが結婚した年でもあった。であるから、ヒデさんと俺が再会したのは十年ぶりの計算になる。
 二年前のヒデさんは、昔よりも太っていたくせにやつれて見えた。もとからハスキー気味だった声がなおさらしゃがれて、塩辛声に近くなっていた。
 だが、現在のヒデさんは太ってはいない。苦労を重ねてきたとは俺にはあまり言わないが、そうなのであろう。あれからトレーニングしたのか、ダイエットしたのか、締まった身体に戻って、精悍な土佐の闘犬が戻ってきている。
 三十三歳。男盛りだ。もとからヒデさんは短躯ではないが、引き締まってなおさら背が高く見えるようになった。ヒデさんは黒のTシャツに色落ちしたジーンズを穿いていて、おーい、幸生、とハスキーヴォイスで呼んでいた。
 かたわらには泉水さんがいる。こちらは年とともに美人度を増し、えもいわれぬ魅力的な女性になっている。三十三歳の男と女。俺は彼らといるとなんに見える? どっちの弟にも見えないだろうし、なんだろ? やっぱ後輩か。
 チュニックというのか、淡いブルーの長めのブラウスにグレイっぽいスキニージーンズ、高めのヒールのサンダルを履いた泉水さんは、身長もヒデさんとさして変わらない。やっぱここでも俺がいちばんのちびだが、後輩なんだし、慣れてるし、ま、いっか、ってことにしておこう。
 大阪駅、またの名を梅田ともいう大阪キタの界隈で待ち合わせた俺たち三人は、特に行き先も決めずに歩き出した。
「梅田にはひっかけ橋はないんですよね、泉水さん?」
「そんなもんはどこにもないの」
「あるでしょ。ミナミにはあるじゃん」
「古いよ、幸生くんったら。ミナミのあの橋は、いまや風俗関係の兄ちゃんが女の子をひっかける橋だよ。前から知ってたの? 誰かに教えてもらったの?」
「弥生さんです」
「春日弥生さんだよね。幸生くんの恋人?」
「きゃああ、ほんとにそうだったら嬉しいのに」
「春日さんってお年は……ううん、いいけどね」
「泉水さん、大阪にいるんだから大阪弁で喋ってよ。俺、大阪弁って好きさ」
「実松はあいかわらず、大阪弁やったな」
 こちらが関西弁になっているヒデさんが言い、泉水さんも言った。
「実松くんは一生あれやろね。幸生くん、これでええ?」
「うんうん、素敵。泉水さーん、大好き。ごろにゃん」
「おまえは女やったら誰でもええんかっ」
「ヒデ、なんやねん、その言い方は」
「幸生、おまえが呼び捨てにすんな」
「きゃああ、誰が喋ってんのかわからなくなっちゃうよぉ」
 解説すると、ヒデ、なんやねん、が俺で、おまえが呼び捨てにすんな、が泉水さんの台詞である。最後の悲鳴も俺で、ヒデさんは苦笑いしていた。
「お好み焼き食べる? たこ焼きがええ?」
 弥生さんや実松さんの言葉遣いを盗もうとしても、どうしても上手にはならない大阪弁で俺が言うと、泉水さんが応じた。
「うちに来る? 材料を買っていって、私が料理してあげる。大阪名物でもないけど、鉄板焼きにしたらお好み焼きも作れるよ」
「わーいわーい、大賛成。嬉しいなっと」
「……幸生、おまえはいつまでたってもガキちやな」
「お、ヒデさんの土佐弁も、いつまでたってもかっこいいじゃーん」
 途中でスーパーマーケットに寄って、食材を買い込んだ。ヒデさんと泉水さんが買い物をしている姿は、夫婦だと言ってもなんらおかしくもない。ヒデさんと再会して再び時折は会えるようになってから、俺は折に触れてはそう感じていた。
 お似合いだよな、このふたり。背は高めのヒデさんと、女性としては高い泉水さん。ルックスもお似合いだ。けっこう美男美女でもある。泉水さんは昔から美人だったが、ヒデさんには陰影が加わったとでもいうのか、昔以上に美男になった。
「あの、もしかして……」
 突如として、見知らぬおばさんに声をかけられた。
「えーとえーと……あんた、どっかで見たことあるんやけどな……漫才師のひととちゃうのん?」
「俺ですか。漫才師のだーれだ? 当ててみて下さいな」
「東京弁の漫才師か」
「東京弁ではございません。横須賀弁の漫才師です」
「そんなん、おった?」
「いるんですよ。現にここにおります。サインしましょうか?」
「誰やかようわからんから、いらんわ。売れてへん漫才師やねんな。これからもがんばりや」
「はいっ、がんばりますっ」
 大阪弁のおばさんは立ち去り、泉水さんはくっくっと笑い、ヒデさんは言った。
「このごろ若い女の子に騒がれるて言うとったけど、おまえはおばちゃんも大好きやもんな。よかったな、幸生」
「はい。女性に声をかけていただけるのは、三沢幸生の至福のひとときでございます」
「ほんま、幸せな奴やで」
「ほんまほんま」
 泉水さんも賛成し、俺もしっかりうなずいて賛成しておいた。


 一度か二度、お招きを受けた泉水さんのアパートにやってくるのも久しぶりだ。泉水さんは鉄板焼きの下ごしらえをしていて、ヒデさんと俺もお手伝いをしながら、俺はヒデさんも泉水さんも知っているひとの噂話をしていた。
「金子さん、金子将一さんですよ。泉水さんもヒデさんも最近に会ってるよね。沢田さんにもヒデさんは会ったよね。金子さんと沢田さんは恋人同士になってからだいぶたつんだけど、金子さんが何度プロポーズしても、沢田さんに蹴飛ばされてるんですって。ま、沢田さんの気持ちもわかるけどさ、あれだもんね。あの金子将一だからさ」
「あまりにももてすぎる男と結婚すると、沢田さんが苦労するから?」
「そうそう、泉水さん、大当たり。女性心理は女性には読めるんだよね。俺にだって多少は読めますが、あれだけ幾度もプロポーズされてるんだったら、うなずいてあげればいいのに。沢田さんも冷淡だよね。昔の仕返しなのかな。昔の話は泉水さんは知ってる?」
「金子さんと沢田さんの学生時代? よくは知らないよ。酒巻くんにちらっと聞いた気もするけど、覚えてないな」
「そうなんですか」
「沢田さんってひとは、私はほとんど知らないもん。ヒデは知ってる?」
「俺も沢田さんはよくは知らん。んんと……なんとなく記憶にあるけど……」
 頭をひねっているヒデさんを見ていて、俺も思い出した。
「シゲさんから聞いたよ。俺も長らく知らなくて、聞いたのは何年前だったかな。徳永さんがデビューしたころだったか、シゲさんが白状したんだ。俺がまだ入学していなくて、ヒデさんとシゲさんと泉水さんは一年生だったころの話」
「どの話だ?」
「ヒデさんだって覚えてるでしょ。シゲさんのラヴストーリィだよ。金子将一の妹のリリヤさんに恋をして、告白もできずにその恋に破れ、兄の将一さんに、おまえみたいに冴えない奴は、とか言われたって。それでシゲさんは、金子さんに一抹のわだかまりを持ってるんだ。ああ見えてシゲさんもしつこいんだよね」
「あ!!」
 なぜだか泉水さんが叫び、手を打った。
「それか。私の長年の疑問だったんだよ」
「幸生……このアホ。口の軽いアホ」
「なんでヒデさんが嘆くの? ありゃっ、泉水さん、知らなかった?」
 うんうん、と泉水さんが嬉しそうにうなずき、ヒデさんは額を押さえた。
「そうだよ。大学一年のときだよね。シゲがどうやら恋をした様子で、ヒデはそれを知ってるはずなのに、ふたりして口を割らなかったの。過去の話じゃないの。もっと話して、幸生くん」
「いいんですか、ヒデさん」
「……俺も、シゲが金子さんに冴えない奴やなんて言われたんは知らんきに。まあたしかに、シゲは冴えない奴だったよな」
「ひで。ヒデヒデひでっ」
「なんやねん、幸生、それは」
「なんでもいいけどさ、俺も詳しくは知らないんですよ。ヒデさんのほうが知ってるんでしょ」
「今さらやからな、ええか」
 観念したかのごとく、ヒデさんが話してくれた。
 十八歳の純情少年だったシゲさんが、金子リリヤさんに恋をしてふられたとは、俺もシゲさん本人から聞いた。泉水さんはまったくその顛末を知らないのだそうだ。
 女子合唱部随一の美少女であったリリヤさんには、実松さんもどうやら恋していたらしい。ヒデさんはあんな華奢なのは趣味ではないと言うのだが、たしかヒデさんは、胸の大きな女性が趣味だと言っていたはずだから、うなずけなくもなかった。
ヒデさんのもと妻という女性を俺は知らない。シゲさんや泉水さんは知っているのだろうが、話してくれない。ヒデさんが離婚したもと妻は、胸が大きかったのだろうか。
 学生時代の話をしていると、続々と思い出す。俺が睨んだところでは、ヒデさんは宮村ミコさんにほのかな恋心を抱いていたはずだ。ミコさんはまちがいなく胸がでかかった。が、ミコさんも別の男と結婚したのだし、ミコさんはミコさんであのころは……徳永さんが好きだったはず。
 現在でも先輩たちは、時には学生時代の話をしている。俺が知らない話もするので、俺は知らない事実を推測できたりもする。いくつもの思い出をよみがえらせているうちに、ヒデさんの回顧談が続いていた。
「あんときはシゲが相談したいことがあるって言って、部室でふたりで話してたんだ。そこに乾さんが来て、女子部にリリヤがいたって教えてくれた。シゲは赤い顔して、女子部に行きよった。俺も女子部でシゲがリリヤさんになにを言うたんかは知らんけど、そこへ兄貴の金子さんが来たんやろな。ほいで、こんな冴えない奴はやめとけ、とでも言うたんかな。金子さんらしい台詞ではないけど、あのころは……うん、そうやったんかもしれん」
「金子さんはリリヤさんとデュオでデビューする予定だったから? 妹のリリヤさんに、恋なんかしてる場合じゃないって?」
「今になったらそうなのかもしれない、とも思えるな。なんにしたってシゲはふられて、乾さんの部屋に連れていってもらったんだよ。本橋さんもいた。俺もいた。みんなで歌ってビール飲んで……シゲは潰れてしもうて、泣き寝入りみたいな感じやった。ああ、目を閉じたらあのときのシゲの顔が……ほんまに純情やったな、あいつ」
「そっかぁ」
 泉水さんがしんみりと言った。
「そんなことがあったんだね。シゲの失恋物語か」
「俺ももひとつ思い出しましたよ。あとになってから、乾さんがそのときを歌詞にしたんだ。俺はその歌を覚えてますよ、こんなのだった」
 あれはフォレストシンガーズがデビューして間もないころ。俺は乾さんの部屋で、ヒデさんを偲んだ歌を歌った。俺の歌に応じて乾さんが歌った歌も、一部は覚えていた。

「賑やかなキャンパスで
 あの日、僕はあなたに出会った 
 夏が近づいていたね
 あなたの横顔に夢がきらめき
 あなたの髪を夏風がなぶってすぎた

 いつまでもいつまでも
 ずっとそばにいられると信じてた
 どこまでもどこまでも
 ずっと歩いていけると信じてた

 夕暮れどきの公園で
 あの日、僕はあなたにさよならを告げた
 夏が近づいていたね
 あなたの横顔に夕陽が影を落とし
 あなたの背中が泣いていた

 いつまでもいつまでも
 僕を忘れないでいてくれる?
 どこまでもどこまでも
 あの日見た夢を
 あの日語った夢を
 捨てずに歩いていてくれる?
 
 今でも僕は信じているよ
 あなたはあのころのあなたのままでいてくれると」

 これが俺の書いた歌だ。CDにはしていないのでタイトルもついていないが、うちに帰って改めて歌って録音したテープは、残してあるはずだった。探し当てたらヒデさんにプレゼントしようか。

「俺とふたりで歌ったあの歌を
 おまえは今でも覚えているか

 顔と顔を寄せ合って
 ふたりで歌ったね
 夏空におまえと俺の声が
 高く高く上っていった

 恋をなくして落ち込んでた奴も
 まったく女なんてのはって嘆いてた奴も
 今でも俺の近くにいるよ

 おまえもどこかで歌っているか
 あのときのあの歌を
 おまえも忘れずにいてくれるか 
 あのときの俺たちを」

 一部ではなく全部かもしれない。乾さん作詞作曲の歌も、世間に出てもいなければタイトルもないのだが、思い出すままに俺は歌った。
「最初のが俺の作詞作曲、あとのが乾さん作だよ。ヒデさんにはわかるでしょ?」
「俺が行方不明になってた時期に?」
「そうだよ。ついでに言っちゃうけどさ、仕事ではじめて桂浜に行ったときにも、ヒデさんに届けって、みんなで歌ったんだ」
「……そうか」
 泣いてるみたい? そっとヒデさんを窺うと、泉水さんが言った。
「さあさ、食べようよ。おなかすいちゃった」
「うん、僕ちゃんもおなかすいちゃった。お好み焼きも焼いてね。お姉さま、ごろにゃーん」
「猫舌にゃんこは冷めてから食べる?」
「冷めたらまずくなるじゃん。俺は舌は人間だから、猫舌じゃないんですよ」
「そらそうやね。人間語をまくしたてる舌やねんから、猫舌のはずないやん」
「泉水さんの大阪弁、色っぽいわん」
「わんわんはわんこやろ」
ぐしゅっと鼻をすする音が聞こえたが、聞こえないふりをして、お好み焼きを焼いている泉水さんの命令に従って、俺もこまごまと働き続けていた。
 

 泣いてなんかいないよ、って顔をしているのは、意地っ張りヒデさんらしい。泉水さんも俺も鉄板焼きに熱中して、さきほどの会話は蒸し返さずにいた。
「あぢっ、熱いけどうまーい。シゲさんにも食わせてやりたいね」
「あいつはたこ焼き好きやけど、お好み焼きも好きやな。たこ焼きエピソードもあるんやで。章にも……あ、この話は幸生は知ってるのか?」
「ルシアンヒルでしょ。知ってますよ」
「ルシアンヒルって? たこ焼きエピソードって?」
「いいよ、泉水ちゃん、昔話はもうやめよう」
「ヒデがそう言うんならね。未来の話でもする?」
 そうやなぁ、と呟いたヒデさんは言った。
「未来の話はあとにしよう。先に食おう。うん、うまいな。泉水ちゃん、料理、上手だよな」
「鉄板焼きなんか料理じゃないよ」
「未来の話をするには、幸生は邪魔やねんけどな……」
「なんで?」
 おお? 俺が邪魔? するとすると……と言いたくなったのだが、先走りはやめておこう。
 昔話はやめようと言ってみても、ちらほらとは口からこぼれる。フォレストシンガーズの初期のころには仲間だったヒデさん。あれからも今も、精神的にはずっとずっと仲間のヒデさんと、昔の話やら現在の話やらをして、泉水さんも相槌を打ち、食事が続いていった。
 実松さん一家も参加していた仙台での話しなども聞いて、食事が終わり、ざっと後片付けもすませると、ヒデさんが泉水さんの前に正座した。
「なんなんだよ、ヒデ、改まってどうしたの?」
「聞いてくれるか、泉水ちゃん。幸生も邪魔だけど聞け」
「お邪魔は承知で聞かせていただきますよ」
「幸生はとうに……まったくおまえには参るよ。幸生は黙って聞いてろ」
「はい」
 わずかにしかめっ面の泉水さんに、シゲさんは言った。
「俺はまだまだ完璧にはほど遠い。しかし、ちょっとずつは立ち直ってきてる。シゲと三人で神戸で会ってから、泉水ちゃんがいてくれたおかげで、俺はここまでにはなれた。今後も泉水ちゃんが俺のそばにいてくれたら、さらに完璧に近づけるはずだ」
「それって……ヒデ?」
「……結婚して下さい」
 おーっ!! おめでとうございますっ!! と叫びそうになった口をからくも押さえていると、しばしの沈黙のあとで泉水さんは言った。
「友達として手助けはしてあげるよ。結婚はやめよう」
「泉水ちゃん、男がいるんか?」
「いるよ。彼氏はいる。この泉水ちゃんに男がいないとでも思ってるのか」
「そっか……先走りは俺か。お笑いだな、幸生」
「うーむ……」
 本当なのだろうか。泉水さんに彼氏がいる? いても不思議はないけれど、なにかしら理由があっての嘘だとも考えられる。俺がここで言うべき言葉は? 言葉を捜していると、ヒデさんは顔を上げて笑った。
「いいよ、忘れてくれ。友達でも嬉しい。こんな俺を見捨てずにいてくれた友達が何人もいて、俺は幸せもんちや。な、幸生?」
「ユキちゃんでよかったら、結婚してあげるわよ」
「いらん」
「ちぇ、ちぇちぇちぇちや」
「あーあ、ふられてしもた。しかし、さっぱりしたよ。言いたくて言えなかったことは言えたんだ。もの言わざるは腹ふくくるわざだもんな」
「おなかはいっぱいになっただろ?」
「いや、また腹が減ってきた。お好み焼きが残ってたよな」
「ヒデもシゲに負けないくらい食べるんだね」
「自棄食い……でもないけどな」
 我ながら珍しいほどに長く黙ったままで、俺は考えていた。
 シゲさんには内緒にしておいたほうがいいのだろう。本橋さんにも乾さんにも美江子さんにも章さん……まちがえて章にまで「さん」をつけてしまったが、章にもだ。他の誰にも、ここにいなかったひとには話すべきではない。
 いつか笑い話にしてしまえるほどに時がすぎれば、ヒデさんが自ら言うだろう。笑い話ではなく、実現する可能性もなくはない。では、俺は歌おうか。

「好きさ、好きさ、好きさ
 忘れられないんだ、おまえのすべて
 
 おまえが好きだよ、おまえを好きなんだ
 だけども、おまえは誰かに恋してる
 こんなにおまえを好き好き好きなのに
 つれなくしないで
 もう逃がさない」

 なんちゅう歌を歌うんや、とヒデさんが嘆息している。泉水さんは笑っている。
 だけどね、ヒデさん、人の心って変わるんだよ。いつかはもしかしたら、泉水さんの気持ちも変化して、誰かに恋していた心をヒデさんに向けてくれるかもしれない。
 恋する男はつらいよね。あの金子さんでさえも、沢田さんにプロポーズを蹴飛ばされて哀愁の面持ちでいたりするんだから、金子さんほどかっこよくないのは言うまでもないヒデさんだったら、そんなの当然かもしれないじゃん?
 口に出せば殴られそうなひとりごとを胸のうちで言いつつも、俺は歌っていた。よけいなことを言うよりも、俺には歌が一番の貢献になるはずなのだから。

「好きさ好きさ好きさ、
 忘れられないんだ、おまえのすべてーっ!!」
 
 こうやってシャウトできる愛するひとが、俺にもあらわれたらいいのにな、なーんて、気持ちをよそにそらしながらも、俺は歌っていた。この歌も帰ったら録音して、ヒデさんにプレゼントしようか。やっぱそうしたら殴られるんだろうか。

END
 



 
 

 
 
 
 
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