novel

小説162(好きだったひと)

 ←小説161(21century boy) →番外編54(夢見る少女じゃいられない)
thumbnailCAXQFVDR.jpg

フォレストシンガーズストーリィ162

「好きだったひと」

1

 指折り数えて昔の恋を思い出すなんて、馬鹿馬鹿しいと言おうか、虚無でしかないと言おうか。しかし、三十二歳のこの年になるまで、俺は何人の女に恋をして、何人の女とつきあって、何人の女にふられたのだろうか。
「章くん、これ、あげる」
 積雪何十センチだかの稚内の幼稚園の園庭で、女の子にチョコレートをもらった。そのころの俺は甘いものも好きだったので、ふーん、ありがと、と答えて食べたのだろう。あれが俺のもらった初バレンタインチョコだとは、幼稚園児の俺は意識もしていなかったのだが。
 幼稚園から小学校まで、バレンタインチョコは何度ももらった。手紙ももらった。つきあって下さい、と女の子に言われたこともあった。
「女とつきあうなんてやだよ」
 そう答えて逃げ出した小学生の俺を思い出すと、今の俺だったら、逃げるな、もったいない、と叱ってやりたい気持ちになる。
 小学生まではそんなものだったのだが、中学生になってはじめて女の子とつきあった。中学時代は純な交際をしていたが、高校生ともなれば……いやいや、キス程度しかしなかったのだから、高校生だって純な交際だったのだ。
 高校生でさえもそんなものだったウブな俺を毒牙にかけたのは、東京の大学に入学して、ロック同好会に入ろうと訪ねていった部室にいた、女パンクスの先輩だった。
「章、おまえはいつだって、うちの大学のロック同好会には悪しき記憶だとか、悪しき伝統が根付いてるだとかって言うけど、詳細はどういうこと? 大昔の話しだろうが。言えよ」
 しつこくつしこく、何度でも幸生に質問され、そのたびに俺ははぐらかしてきた。
 まだ言いたくない。若き日の女との経験をなつかしみ、面白がり、笑って話せるようになったら言ってやる。それまで俺の近くにいろよ、幸生。
 悪夢のような体験によって、木村章は純ではなくなった。ロック同好会はやめにして、ふとした気まぐれで合唱部に入り、この部は音楽関係だっていうのに、なんだってこう封建的で体育クラブみたいなんだ、と愚痴りつつも、一年間はそこにいた。
 合唱部にいた間にも、女の子には不自由しなかった。むこうからつきあってくれと言ってきた子も、俺のほうから好きになってふられた子もいたけれど、若かった俺は、これからだって女の子とはいくらでも知り合えると楽観して、ふられてもさして気にもしていなかったのだ。
 事実、大学を中退して本格的にロックバンドのメンバーとして動き出してからも、女の子はいくらでもいくらでもいた。恋は石ころみたいにありふれている、そんな歌詞もあるが、当時の俺に関してはまさしくその通りだった。
 ロックにだけは情熱を燃やしていたものの、女なんてのは石ころみたいにどこにでもころがっていて、たいして好きになれなくても、寝るだけだったらそれでいい。恋ではなく、俺はただ、女を求めていたのだろう。
 女の身体だけとつきあっていたあのころ。そのころにつきあった女なんぞは、恋の数には入らない。俺の初恋はスーだ。
 が、結局は愛していたスーにもふられ、俺はあれからも何度でも恋をした。そのすべてが、ことごとくふられて終わった。
 三十代に突入してからも恋はした。惚れっぽくてふられっぽいと言われている俺は、あいかわらず女をわりに簡単に好きになり、比例するかのごとく簡単に捨てられる。
 いつまでもこだわっていたスーは日々遠くなっているものの、俺は本当の恋なんてやつにはまだお目にかかっていないのだろうか。
「真実の恋がしたいな」
 ガラにもなく幸生はそう言う。俺は問い返した。
「真実の恋ってなんだよ?」
「当事者同士にとっての恋が真実ならば、それは真実の恋なんだよ。男か女の一方だけではなく、双方が「これは真実の恋だ」と心に誓う。そういう恋かな」
「勘違いでも?」
「一生勘違いしてられるんだったら、それも真実の恋。どうせ私をだますなら、だまし続けてほしかった~って歌もあるじゃん」
 真実の恋の定義にしても、人間の心の数ほどはあるのかもしれない。幸生の定義による幸生の真実の恋を、彼は見つけていないのだろう。乾さんもか? 独身イコール真実の恋を手に入れていない、ではないのだろうが、結婚イコール最後の恋の成就と定義するのならば、そうなのかもしれない。
 もてないもてないが口癖だったシゲさんは、最初で最後の真実の恋を手中にして結婚した。シゲさんと恭子さんの仲は六年たっても熱々で、子供も生まれた。
 なかなかに恋多き女と男だったはずの美江子さんと本橋さんも、二年前に結婚した。彼らにとっても互いの恋が真実の、最後の恋だったのか。
 周囲の先輩たちにしてみても、三十路になっても結婚していないひとは大勢いる。真実の恋を手に入れたようである、金子さんだって独身だ。彼の場合は相手の沢田さんにプロポーズを蹴られているそうだから、特殊例なのかもしれないが。
 ま、金子さんはどうでもいい。俺は彼にはさして親しみが持てず、そばにいられると気詰まりでならない先輩なのだから。
 幸生も乾さんもどうでもいい。まずはわが身だ。こと恋に関しては、他人なんかどうだっていい。俺は美江子さんに恋をしてるのか? と感じていた時期もあって、本橋さんにさらわれて悔しかったりもしたものだが、本当に恋をしていたのかどうか、どうもはっきりしないのだし。
 売れたい、成功したい、人々に名を知られるシンガーズになりたい、ロックではないにしても、フォレストシンガーズで大きく飛躍したい。恋はどけておけば、ここ数年の俺の大望だった。その望みは徐々にかなえられつつある。
 仕事の面では成功への階段を上りつつあるからか、最近しきりと、俺も真実の恋がしたいと思う。が、望んでも手に入らないのは、恋は仕事以上なのかもしれない。
 長期休暇が取れて、フォレストシンガーズの他のメンバーたちは旅行に出かけた。幸生はどうしているのか知らないが、夫婦でだったりグループでだったりひとりでだったり、みんなはそれぞれに旅行に行くと言う。
 休暇が決まって、俺はどこに行こうかと考えて、出会いを求めて……なんてのもいいかな、とふと思う。しかし、出会いってのも望んで得られるものではないだろう。仕事をすませてマンションに帰り、テレビをつけた。
「……ロック番組? お、ブラックフレームスじゃん」
 リモコン操作をしていると、深夜の番組にブラックフレームスが登場していた。近頃会う機会はないが、ハードロックバンドのブラックフレームスも活躍している。俺たちがデビュー間もないころに、ブラックフレームスのギタリスト、トミーとは変なエピソードがあったのだ。
 大阪の古い旅館の庭で、トミーと俺たち五人で井戸水をかぶって、それから風呂に飛び込んで、それからみんなで飲んで話して騒いだ。そんな思い出をたどりつつ、テレビを見ていると、ライヴハウスで演奏しているブラックフレームスを客席で見ている、カップルにと場面が変わった。
「……んんん? スー?」
 カップルの女のほうは、たしかにスーだ。テロップによると、男のほうはブラックフレームスの昔なじみであるらしい。マイクが男に突きつけられた。
「はい、ブラックフレームスが売れていなかったころに、僕らも同じような売れないバンドをやってたんです。彼女と知り合ったのは、この店よりも小さいライヴハウスだったな。ブラックフレームスは一躍売れて、僕らは売れないままに解散しました。よくある話です」
「奥さんとはどういったいきさつで?」
「僕らのバンドのベースの奴が病気になって、演奏できなくなってしまいましてね。スーはそのころ、時々僕らの演奏を聴きにきてくれて知り合いになってました。彼女がもともとはロックバンドにいて、ベーシストだったと聞いていましたんで、代理を頼んだんですよ。な、スー?」
「私は上手じゃないから気後れしたんですけど、どうしてもって頼まれて」
「他にはベーシストのあてなんてなかったんだから。まあ、たしかにうまくはなかったけど、一応の形にはなりましたよ」
「一応とは失礼だね」
「……ごめん、スー。でね、それで僕と……そういうわけです」
 そういうわけか。スーはこの男と結婚したのか。スーは俺よりひとつ年下。三十一だ。すこし太ってやわらかな印象になっていた。
「スーさんって、ジギーってバンドにいらしたんですよね」
 顔の見えないインタビュアーのマイクに向かって、スーが言った。
「よく調べてらっしゃるんだ。そうですけど、ジギーなんてのは……」
「有名人が出てるでしょ?」
「それで? うんうん。あいつはかなり有名になっちゃったよね」
「あいつとスーは……」
「やだ。ドンちゃんったら、古い話しはもういいじゃないの」
 この男はドンちゃんと言うのか。有名人、あいつ、それって俺?
 それ以上聞きたくも見たくもなくて、俺はテレビを消した。好きだったひと、って昔のフォークソングがある。乾さんに教わって歌詞も知っている。あの歌は女が「好きだったひと」なのだから相手は男だが、主人公を俺にして、替え歌でも書いてみようか。

 
 その夜、俺はひとりで酒を飲んで泥酔状態になったらしい。ぐでんぐでんになって眠ってしまい、目覚めたら朝だった。
「朝だよな? 夜の九時じゃねえだろ? 九時? げーっ、遅刻じゃんっ!! 八時の集合だぜ。目覚まし時計の馬鹿野郎っ!!」
 おまえは十ほど目覚まし時計をセットして寝ろ、とリーダーに昔に命令されて、十は大げさだから三つほどセットしている。しかし、昨夜は酔っていたのだからセットすら忘れたのか。どうだったかも覚えていないくせに、時計のせいにして三つの目覚ましを壁に投げつけた。
「こわれたか? こんなことをしてる時間はねえんだよっ!!」
 顔を洗って服を着替えて、シャワーも浴びずにマンションを飛び出した。当然、大幅遅刻。スタジオに駆けつけると、本橋さんと乾さんと幸生がいた。シゲさんは別の仕事があって遅れてくるのだからいいのだが、俺はリーダーの前でうなだれた。
「電話したんだけどな。出なかったな。どこにいたんだ?」
「自宅です」
「ケータイにも自宅にも電話したぞ」
「寝てました」
 こんなときに限って声が静かでいっそう怖い。殴ったらいいだろうが、と思っても言えなくてうなだれっぱなしでいると、本橋さんは言った。
「髪がくしゃくしゃだな。ホテルから直行ってわけでもないのか」
「ホテルになんか行ってませんよ。リーダーまで乾さんみたいにねちねちと……ああ、ああ、俺が悪いんです。昨夜は飲みすぎて潰れて寝て、電話にも目覚まし時計にも気づかずに寝てました。ケータイの着信履歴……残ってるな。それも気づきませんでしたよ」
 ケータイを確認してみると、リーダー、リーダー、リーダー、と三つの履歴があった。
「酒のせいか」
「そうです」
「おまえの場合は、酒なんかやめちまったほうがいいんだよ」
「酒をやめるとストレスが溜まって……リーダーだって乾さんだってシゲさんだって幸生だって、禁酒するつもりはないんでしょ。乾さんや幸生は煙草もやめないし」
「煙草では遅刻しないよな」
 乾さんが言い、幸生も言った。
「章以外は酒のせいで遅刻もしませんよね」
「よんどころない事情ですこし遅れるってことはあったけど、これだけの遅刻はないよな」
「酒ってよんどころない事情ではありませんね。さんどころなくもにどころなくもないし」
 さんどころ、にどころ、そんな言葉はあるのか? 俺の疑問には乾さんが答えてくれた。
「よんどころないってのは拠りどころがないって意味で、一、二、三、四の四じゃないんだよ。のっぴきならないって意味だな。幸生、知ってて言ってるんだろ?」
「知りませんでした。勉強になりました。でも、章の事情はいちどころですね」
「そんなもん、いちどころにもならねえよ」
 幸生とどうでもいい会話をしていた乾さんは吐き捨て、幸生までがうなだれた。いつものように幸生は場を和ませようとして言っていたのだろうが、今日ばかりは効果なしだったようだ。
「おまえは酒はやめろ」
 本橋さんが言った。
「やめちまえ」
「そうだな。やめちまえ。それが一番の解決策だよ」
 乾さんも言い、幸生も言った。
「そうだね。おまえがやめるのが一番だな」
「でも……」
 言い訳しようにもできなくて、うなだれている俺の頭の上に三つの声が降り注ぐ。やめちまえ、やめろ、やめろよ、って。
「……わかりました」
 一時禁酒するしかない。そのうちにはほとぼりも醒めるだろうとうなずくと、スタジオのドアが大きな音を立てて開き、シゲさんが飛び込んできた。
「そんなことは言わないで下さいっ!! すみませんっ!! 俺からも詫びますから、章をやめさせないで下さい。お願いします。本橋さん……乾さん、お願いしますっ!!」
 必死になって何度も何度も頭を下げているシゲさんを見て、なにを言ってんだ、このひとは? と考えていると、幸生が言った。
「ははーん。シゲさんったらまた誤解してるんだ。章がなにをやめろって言われてるのか、シゲさんにはきちんとわかってる?」
「やめるったら……章は煙草は吸わないだろ。そしたら……みんなの顔からすれば、そんな深刻な……ではなさそうな……」
「章は飲みすぎ遅刻だよ」
「そうすると、酒か?」
「当たり」
 はーっ、よかったっ、と叫んで、シゲさんはソファにすわり込んだ。乾さんは言った。
「えーと……いつだったかこんなふうに……あのときは俺の煙草で、今回は章の酒か。酒や煙草って罪だな。シゲ、そういうことだよ」
「はい、わかりました。すみません」
「あのさ、俺にはなんだかわからないんだけど、シゲさんがどうしてあやまるの? 遅刻したのは俺じゃん」
「うん、そうなんだけどさ……章、禁酒するか? 俺も減酒でつきあってやるよ」
 けけけと笑った幸生が言った。
「シゲさんに酒を減らすなんてできるの?」
「できるよ。章、遅刻ってのは人生を踏み外す一因にもなるんだぞ」
 オーバーな、ではないのだろう。俺は若いころにはしょっちゅう遅刻しては、リーダーに殴られたり乾さんにびっしびっし叱られたりしたのだから。説教口調のシゲさんの言葉には、素直にはいと言っておいた。
 げんしゅ、酒を減らす。時間厳守もある。俺も減酒で時間厳守を誓おう。他の四人がなにを言っているのかはもうひとつ読めなかったのだが、俺には時間厳守が一番、誓わなければならないことなのだった。


2 

 そして夏のはじめには休暇となり、俺はアメリカにやってきた。アメリカといえばニューヨークに酒巻がいるのだが、酒巻と会っても意味はない。
 酒巻よりもエミーかな、と思って、L.Aにいるエミーに連絡してみたら、おーおー、おいでよ、との返事だったので、エミーに会いにきたのである。まったくの外国ひとり旅は心細いが、エミーがいたらなんとかなる。
 一年以上前にビジュアル系ロックバンド「燦劇」を一時休止して、メンバーたちはそれぞれ個別の活動に入った。彼らが苦手だった楽器の勉強をしたり、歌のレッスンをしたり、作詞作曲に勤しんだり、ラジオ出演をしたりして暮らしていると、俺もパールから聞いていた。
 その中でただひとり、エミーは外国にいる。ギターの練習は本場でやるだなんて格好をつけて、L.Aに渡っていったのだ。
「本橋さんと美江子さんはリバプールだって。シゲさんは団体旅行で仙台。乾さんと幸生はどこに行ったんだろな。俺は知らねえんだけど、適当にやってるだろ」
 空港まで迎えにきてくれたエミーのバイクのうしろに乗っかって、エミーのアパートにたどりつくと、俺はフォレストシンガーズの面々の休暇のすごし方を話した。
「乾さんも外国かな。幸生は案外、東京でナンパ……まさかもうそれはないか」
「三沢さんだったらやってんじゃねえの?」
「なくもない気がするよ。おまえはこっちでナンパしてんのか?」
「してねえよ」
「ほんとかよ? アメリカじゃもてないのか?」
「もてるよ」
 断言しやがったが、エミーのようなひょろひょろは、マッチョ好きなアメリカ女には人気がないのではなかろうか。
「ギター修行してるのか? 上達したか。弾いてみろよ」
「作曲修行もしてるよ。こっちで知り合ったミュージシャンに教えてもらってるんだ」
「男の?」
「そうだよ。こんな曲を書いた」
 ギターを弾いているエミーを見やって、俺は考えた。
 やばくないか? おまえは素顔でもまちがいなく美青年で、身長もアメリカ人にまざってもそう低くもない。ひょろっとした日本人美青年はアメリカ女にはもてないかもしれないが、アメリカ男にはもてるんじゃないのか? 
 幸生ならば口に出すだろうが、俺は幸生ではないので、言葉にはしない。ごっついアメリカ男には注意しろよ、と考えるだけにとどめておいた。
 ロックバラードだろう。燦劇の歌も作曲はエミーがしていたが、腕が上がっている。ギターの腕前も上がっていて、もはや俺は負けている。一年ほどの間、エミーは真面目に修行に励んでいたのだろう。
「俺、上達した?」
 褒めて褒めて、と言いたいらしいエミーに、うん、まあまあだな、と応じておいて、俺は彼の手からギターを奪い取った。

「好きだったひと
 ブルージーンをはいていた
 好きだった人
 白いブーツをはいていた

 好きだったひと
 ステテコもはいていた
 好きだったひと
 Tシャツが似合ってた」

 フォークソングであってロックではないので、エミーは怪訝そうに俺を見ている。木村章は完全にそっちの世界へ行ってしまったのか、とでも言いたいのだろうか。
 スーもジーンズだって白いブーツだってはいていた。Tシャツも似合っていた。まさかエミーは、俺がステテコをはく男を好きだったとは……誤解はしないよな、しないしない。
 しないしなーい、と言ってもいないエミーの台詞を否定して、俺はギターを弾きながら考える。とうに別れた遠いひと。とうに思い切ったつもりで、スーの次もその次も、その次も、恋をしてふられて……それでもやはり、俺の中にはスーがいたのだ。
そんなスーにテレビの中とはいえ会ってしまったから、気持ちがダークになっているのか。
 何年か前に、実際にスーには会った。あのときの彼女とは深い会話はしなかったのだが、すこしばかりふっくらして印象が変わったとは感じたものだ。すでにあのとき、スーはドンとやらいう男と結婚していたのだろうか。
 ドンは昔はロッカーであったらしい。俺も昔はロッカーだった。スーはやっぱり、ロッカーが好きなんだな、なんて苦く笑って、替え歌を口ずさんだ。

「好きだったひと
 ベースギターを弾いていた
 好きだったひと
 可愛い声で歌ってた

 好きだったひと
 暴力もふるってた
 好きだったひと
 俺の名を呼んでいた」

「失恋という言葉は知ってたけれど
 失恋という言葉は知ってたけれど……」

 むろんエミーはスーを知らない。スーの話をした記憶は俺にはない。幸生あたりが話していたとしたら別だが、俺が歌っているのはただの遊びだと思っているだろう。
「替え歌だよ」
「好きだったひと……か」
 だが、エミーはぽつんと呟いた。
「木村さん、失恋したの?」
「失恋なんて飽きるほどしたよ」
「ほおお。大人の台詞だな」
「馬鹿か。おまえにだって日本に彼女はいたんじゃないのか? 捨ててきたのか? 待っててくれてるのか?」
「待っててなんかくれねえよ」
「そういえばさ、玲奈ちゃんは結婚するんだって。聞いてる?」
 急にエミーの顔色が変わった。
 玲奈ちゃんとは、オフィス・ヤマザキの事務員だ。燦劇のメンバーたちと年頃が同じくらいで、親しくしていたはずだ。燦劇は休業しているのであって、解散したのではないのだから、事務所と縁は切れていない。
 であるから、エミーも玲奈ちゃんの結婚を知っているのかと思っていたのだが、この顔色では知らなかったのか? 待っててくれねえよ、と吐き捨てたそのひとは、もしや?
「玲奈ちゃんが結婚するって話し、聞きたいか」
「聞きたくないよ。俺には関係ねえもん」
 関係ねえと言いながらも、エミーのこめかみがぴくぴくしている。エミーが玲奈ちゃんを好きだったのかどうか、探りを入れたいのもあった。もしやそうだとしたら、事実を直視すべきだ。俺だって、スーが結婚したと知れてよかった。
 よかったと思うのは強がりなのかもしれないが、エミーにも聞かせてやりたい。そう思うのは意地悪なのかもしれないが、俺ばっかり……というのもあって、俺は語った。
「俺はそんなにはよく知らないんだけど、FM局のディレクターらしいよ。見た目は普通の三十くらいの男だな。顔はエミーのほうがずっといい。背丈も普通だな」
「中身は俺よかずっといいんだろ」
「そうなんだろうな。おまえよりも悪い中身ってのはファイぐらいのもんだろ」
「そうかもね」
「そんなによくは知らないけど、俺もそいつとは会ってるよ。人見っていうんだ。人見さんにシゲさんが相談されたらしくて」
 結婚が決まったと玲奈ちゃんから聞いたときに、シゲさんは言っていた。
「人見さんが玲奈ちゃんにな……俺は人見さんから、露口玲奈さんという方について、とかって聞かれたんだけど、なんでそんなことを聞くんだろ、としか思わなかった。俺では頼りにもならないからって、人見さんは金子さんに相談したんだな。それで、金子さんが玲奈ちゃんに人見さんを紹介したんだよ。結婚するんだそうだな。よかったな」
 事務所の事務員さんだとしか思ってなかったシゲさんから見れば、玲奈ちゃんの結婚はめでたいのだろう。俺だって玲奈ちゃんを可愛いとは思っていたのだが、近しすぎる立場だから口説こうとは思えなかった。
 玲奈ちゃんは乾さんに憧れていたようでもあるから、俺みたいなちびは嫌いか、だったり、万が一俺が玲奈ちゃんを口説いて、発覚したり告げ口されたりしたら、社長が怒る、乾さんも怒る、リーダーも怒る、シゲさんまでが怒る、怖い、だったのもあって、口説きはしなかった。
 だから、俺も玲奈ちゃんの結婚は祝福した。かなり年下のくせして俺より先に結婚すんの? ま、女の子だしね、おめでとう、と言っておいたのだった。
 そんな話をしていても、エミーは聞いているのかいないのか、どうでもいいようなそぶりをしている。ずばっと尋ねていいものだろうか。尋ねないほうがいいのか。失恋はつらいよな、と言ってみたら、そんなんじゃねえよ、と答えるだろうか。

「好きだったひと
 あんたなんかよりも
 好きだったひと
 あっちが好きだってさ……」

 ギターを奪い返し、エミーも歌った。
「おまえ、替え歌下手だな。合ってないよ」
「そんな歌、知らねえもん」
「あんたなんかよりあっちが好き。ミズキとかいう子がいたけど、彼女か?」
「ミズキはファイも俺も嫌いだってさ」
「そうだったよな。あっちって誰だ?」
「詞はフィクションだろうが」
 とは言ったものの、エミーは言った。
「あっちってのはあんたらだよ。フォレストシンガーズ。燦劇よりもフォレストシンガーズが好きだって言って、俺たちには冷たかった女なんだけど、俺が燦劇を抜けたいって真剣に考えはじめたころには、親身になって話を聞いてくれたよ」
「ふむふむ。酒巻にその話は聞いたぞ」
「え?」
「やっぱ彼女か」
 結婚するという彼女か。エミーにも失恋があったのか。俺はエミーの手からギターを取り上げて、もう一度歌った。

「好きだったひと
 さよならも言えないままに
 好きだったひと
 遠く遠く遠く遠く

 好きだったひと
 振り向いて微笑んで
 好きだったひと
 きみはどこに行ってしまう」

 失恋という言葉は知ってたけれど、そのフレーズをふたりして、ロックタッチで歌ってみる。その歌を変な節回しで歌うな、と乾さんあたりには怒られそうだが、エミーも俺もハードロック志向なのだから、かったるいフォークタッチなんてやっていられないのだ。
 なのにやけに、「好きだったひと」のタイトルと「失恋という言葉は知ってたけれど」のフレーズが胸に迫る。
 失恋なんて言葉だけじゃなくて、意味だって知ってるよ。昔から知ってたよ。嗚呼、だけど、何度目かの完璧失恋。何度目かではなくて、相手がスーだから、スーなのだから、完璧失恋がひどく痛いのだろうか。
 好きだったひとが結婚してしまうなんて、世にもありふれた出来事だろう。そうと知って落ち込むなんて、世にもありふれた男なのだろう。
 けれど、ロッカーだって世にもありふれた男なのだ。髪の長い綺麗な男とふたりして、生まれた国を遠く離れて、生まれた国の古い歌を歌って、スー、ほんとにほんとにさよならだな、だなんて、心で呟く。
 木村章の長期休暇のすごし方としては、実にふさわしいのだろう。俺のため息は、エミーのため息と重なって、実に実に侘しい休暇の幕開けを示唆しているような気がする。どうせそうさ、こんなもんさ、俺の人生なんて。

END


 
 
 
 
スポンサーサイト


  • 【小説161(21century boy)】へ
  • 【番外編54(夢見る少女じゃいられない)】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【小説161(21century boy)】へ
  • 【番外編54(夢見る少女じゃいられない)】へ